大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成4年(行コ)44号 判決 1993年4月28日

控訴人

植田育男

右訴訟代理人弁護士

上柳敏郎

安藤朝規

被控訴人

地方公務員災害補償基金東京都支部長

鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

大山英雄

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が昭和六〇年三月二七日付けで控訴人に対してした「脳出血」を公務外の災害とする旨の認定を取り消す。

三  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

控訴棄却

第二  当事者の主張

当事者の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」に記載のとおりである。

一  原判決二一頁一〇行目に「担当時」とあるのを「前記転倒事故時に」と改め、「二月生」とあるのを「二年生」と改める。

二  同三〇頁四行目の「なっており」の次に「(打撲による身体的、精神的ストレスが血圧上昇の原因となったばかりではなく、打撲により血圧上昇が起こりやすくなった。)」を加える。

第三  証拠<省略>

理由

一本件の中心的争点

本件の中心的争点は、原判決の「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」一項(三七頁四行目から三八頁一行目まで)記載のとおりである。

二本件疾病の性質

控訴人は、本件疾病(脳出血)が転倒事故で後頭部を打撲したことによる外傷性脳出血であるとの主張をするようにも解されるが、この点についての当裁判所の判断は、次のとおり訂正するほかは、原判決の三八頁五行目から四二頁一一行目までに記載のとおりである。

1  原判決四〇頁六行目の「もののようである」を削除する。

2  同四二頁一行目に「左偏位」とあるのを「左軸偏位」と改める。

三高血圧性脳出血の発症要因

当裁判所は、この点について、原判決の「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」三項(四三頁一行目から四四頁八行目まで)記載のとおり判断する。

四昭和五八年度の控訴人の職務の状況

1  当裁判所は、この点について、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の四四頁一一行目から五八頁一行目までのとおりの事実を認定する。

(一)  原判決四五頁一行目の「二八号証、」の次に「三六号証、」を加える。

(二)  同四六頁七行目の「しかし、」を削除し、九行目の「異例のことではなかった」の次に「が、この学年の転退学者は右のとおり例年よりも多く、特にきめ細かい指導を必要とした学年であった」を加える。

(三)  同四七頁一行目に「担任を持つ」とあるのを「三年間同一学級の担任となる」と改める。

(四)  同四八頁一行目の「年齢」の次に「(昭和五年八月生まれで、五二歳であった。)」を加える。

(五)  同四九頁四行目の「残業といっても」から五行目の「勤務とはいえない上、」までを「あったが、ほとんど連日のように午後六時過ぎまで残業をしており、退勤時間が午後七時から八時ころになることも少なくなかった。もっとも、」と改める。

(六)  同四九頁八行目の「特別の職務はなく過ごし」の次に「(ただし、控訴人は、原審本人尋問において、冬休みの期間中も、三年生の最後であったので、成績や進学のことで忙しい日が続き、思うように休めなかった、と供述している。具体的にどのような職務によって多忙であったのか明らかではないが、少なくとも、完全に職務を離れて休養がとれるような状態ではなかったものと推認することができる。)」を加える。

(七)  同四九頁九行目の「のであって」から一〇行目の「いえないものであった」までを削除する。

(八)  同五一頁九行目の「あった。」の次に「しかし、控訴人は、自分の教育理念の総括という意味で三年四組の学級担任を引き受けたこともあって、この一年間は控訴人の教師生活の中でも最も努力を傾注した年であった。前記のとおり、学校長も、当時の控訴人の仕事振りについて、極めて責任感旺盛、教育熱心で、日々の学習指導又は就職・進学の進路指導に精力的、献身的に努力したと評価している。」を加える。

(九)  同五一頁九行目の次に、行を変えて、次のとおり加える。

「また、控訴人は、放課後の時間はすべて生徒の補修授業、相談、生徒との雑談等の生徒指導、学級指導に充て、テスト問題の作成、教材の準備、テストの採点、受験者用内申書の作成等の業務は自宅に持ち帰り、ほとんど毎日、午後八時過ぎから午後一一時ころまで自宅で右業務をすることが日課になっていた。研修日もこれらの仕事に充て、日曜日だけは家族とともに過ごすことにしていた。」

(一〇)  同五一頁一〇行目から一一行目にかけての「なるほど」を削除する。

(一一)  同五三頁九行目の次に、行を変えて、次のとおり加える。

「(4) そのほかに、控訴人の学級では、前記学校長の報告書のとおり、男生徒数名の化学単位不認定問題、女生徒三名の就職先未定問題等があった。」

(一二)  同五三頁一一行目に「推察しているが、他方、」とあるのを「推察している。」と改める。

(一三)  同五四頁一行目の「問題」の次に「の一つか二つ」を加え、二行目の「ことであった」の次に「が、これだけ多くの問題が起こることは稀であった。」を加える。

(一四)  同五七頁九行目の「前記」を削除する。

(一五)  同五七頁一〇行目の「右事実によれば」から同五八頁一行目末尾までを「鑑定書には、控訴人は、この日、感冒による発熱で受診した旨の記載がある。)。」と改める。

2  右認定の事実によれば、昭和五八年度における控訴人の職務は相当過重なものであったというべきである。

すなわち、控訴人の公務が特に多量であったとか、その勤務時間が不規則であったとかいう事実はなく、休日出勤、深夜勤務もなく、時間外勤務も極めて長時間のものであるとまではいえない。しかし、時間外勤務はほとんど連日であり、帰宅してからも毎晩遅くまでテストの採点、教材の準備等の職務に従事しているのであって、五二歳ないし五三歳という控訴人の当時の年齢をも勘案すると、これによる相当の疲労の蓄積があったものと推認することができる。

また、控訴人が担任していた学級は、特に問題の多い学級であり、三月の卒業期を控えて女生徒の家出問題、単位ないし卒業の不認定問題、授業料の未納問題等が重なり、控訴人の気苦労は極めて大きかったものと認められる。控訴人はベテラン教員であり、また、教育に対する強い情熱と使命感を持って生徒指導に当たり、控訴人の工夫を凝らした指導によって、生活面及び学業面の双方においてかなりの改善、成果が見られたのであるが、生徒の教育という事柄の性質上、経験を積んだベテラン教員であれば特段の気苦労もなく容易に遂行することができるというものではないはずであり、目の当たりに教育の具体的成果が見られたからといって身体的、精神的負担が直ちに解消するものでもないと考えられる。

この点につき、衣笠医師の鑑定意見書(<書証番号略>)は、控訴人には、生徒の教育、生活指導上多少のストレスにより、精神的、肉体的に負担がかかったと思われるが、控訴人の勤務状況によれば、休日出勤、深夜勤務、出張はなく、また、退勤時間が午後七時前後になっている日もあるが、この程度の超過勤務は社会一般によくある事例であり、比較的規則正しく職務を遂行していたと推定され、その他控訴人の身体にとって医学上、職務上の負担が大きかったと思われる特筆すべき公務は見当たらない、としている。しかし、この見解は、控訴人の学校内における勤務状況だけを、しかも専ら形式的、外形的に観察したものであるといわざるをえないのであって、採用することができない。これに対し、上畑医師の鑑定の結果は、学校長の報告書(<書証番号略>)及び野口浩志教諭作成の書面(<書証番号略>)の記載等に基づいて、控訴人は、他のクラスと比較して特に問題の多いクラス担任となったため、生活上及び学習上での生徒指導は負担の大きいものであったことが想定される、としており、前記判断を裏付けている。

したがって、本件転倒事故までの控訴人の職務は、かなり過重なものであり、これによって身体的、精神的なストレスを形成していたものと認めることができる。

五転倒事故後の痛み、不眠、怒り等の精神的ストレスの要因と本件疾病の発症

1  転倒事故の際の状況及び事故後本件疾病発症に至る経過並びに本件疾病の発症の原因、機序及び時期についての医学的見解についての当裁判所の認定、判断は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の六二頁一〇行目から七七頁四行目までに記載のとおりである。

(一)  原判決六五頁三行目の「状態となり、」の次に「激痛と興奮で」を加える。

(二)  同七〇頁一行目の次に、行を変えて、次のとおり加える。

「控訴人は、本件事故後は、体を横にすることができず、座椅子での仮眠状態は二月二九日まで続いた。」

(三)  同七四頁五行目に「高血脂症」とあるのを「高脂血症」と改める。

(四)  同七五頁一行目に「共働偏視」とあるのを「共同偏視」と改める。

2  以下のような理由により、右の各医学的見解のうち、衣笠医師の見解は採用することができず、上畑医師の見解を正当として是認することができるものと考える。

まず、衣笠医師が、発症の時期について、脳出血における症状の発現は一般に急激であるのが普通で、脳梗塞の場合のように動揺しながら症状が完成することは少なく、また、複視等の視力障害は内包部の急所症状とは考えられないとして、二月二七日ころの発症の可能性を否定する点については、<書証番号略>(「内科学」中の脳出血に関する部分)にも、「脳出血は脳血栓に比べると、より急速に発症するが、しかし10分ないし1〜2時間で症状が完成するのが通例であり、脳塞栓に比べると発症は緩徐である。」との記載がある。しかし、これらの記述は、その記述自体から、一般的な場合、通常の場合について述べていることは明らかであり、例外がありうることを否定していない。そして、上畑医師の見解は、被殼部出血の場合には意識障害や視力障害の症状も伴うことがあり、発症が緩徐なものも多いというものであるところ、<書証番号略>(上畑医師の「業務上疾病としての循環器疾患」と題する論文)によれば、上畑医師は、脳血管疾患や心筋梗塞などの循環器疾患について、昭和三一年から昭和四三年までの間に労働保険審査会において業務上のものと認定された一三事例(その中には脳出血を中心とする脳血管疾患が九例含まれている。)を検討し、かつ、昭和五〇年以来一〇年間に上畑医師が業務上外の判定について相談を受けた事例のうち業務上のものと認定された四三事例(その中には脳出血の事例が一三例含まれている。)を分析して、昭和六一年一一月に、職業性ストレスがかかわる循環器疾患の業務上外認定のあり方についての提言をしていることが認められる。右事実によれば、上畑医師は、脳出血を含む循環器疾患の原因、機序等について豊富な経験と広範な知見を有することは明らかであるから、これに基づく前記見解を採用するのが相当である。

次に、衣笠医師は、事故後の激痛による興奮状態について、受傷の二日後に三楽病院を受診していること、さらにその翌日には痛みも和らいでいること等から判断して、本件事故による精神的興奮が継続し、脳出血につながったとは考え難いとしている。しかし、控訴人が事故の翌日に三楽病院で受診しなかったのは、前記認定のとおり、日曜日であったためであり、痛みの程度が軽微であったからではない。また、二月二八日には痛みは和らいでいるが、気分が悪い状態は継続しており、しかも、控訴人は、二月二五日夜から同月二九日の入院まで仮眠状態が続き、牛乳を飲んだ程度で十分な食事もとっていないのであるから、その身体状況は極めて悪化していたことは明らかである。衣笠医師は、このような点を考慮せず、精神的興奮の持続の有無についてだけ言及しているに留まるが、首肯することができない。これに対し、上畑医師の鑑定は、発熱、栄養不良などによる衰弱などの身体的要因、さらに不眠などの身体条件の悪化なども血圧上昇的に作用するものであり、控訴人は極端な摂取不良に陥り、身体消耗状態にあったと考えられ、睡眠も十分にとれなかったのは確かであるとする(外傷による発熱もあった可能性も考えられるとする。)。この見解は、合理的であって、是認することができる。

さらに、控訴人と武田教諭との電話による会話に由来する控訴人の精神的興奮について、衣笠医師は、このようなことは、社会生活においてよく見受けられる例であって、控訴人の年齢、社会経験から見て、通常は制御できる程度のことであり、それが脳出血につながったとは考えにくいとする。しかし、この点も、通常の事態のみを念頭においた判断であって、控訴人のその時の心理状態等、本件の具体的な事実の経過に基づく検討を加えていないといわざるをえない。これに反し、上畑医師は、控訴人の転倒事故以後の身体状況及び心理状態の変化を具体的事実に基づいて詳細に検討した上で、転倒事故による傷害が、本来控訴人が望まなかった生徒訪問によって生じていることは、控訴人の精神的ストレスを極度に昂じさせ、やり場のない怒りを高まらせていたと考えられるとし、このような心理状態の変化と身体状況の変化は、控訴人の血圧を普段になく上昇させ、かつ、こうした心身のストレス状態は、外傷による痛みの若干の緩和を除いて、解決されないままに持続し、特に事故についての学校側の対応は控訴人の怒りを極度に高まらせ、より血圧上昇的に作用したと考えるのが妥当であるとしている。このような見解は、前記認定の転倒事故後の経過や控訴人の心理状態にも沿うものであって、納得できる結論であるということができる。

以上のとおりであるから、上畑医師の鑑定の結果を採用するのが相当であり、その結論のとおり、控訴人の脳出血は、転倒事故で生じた外傷による痛みによる不眠、食欲不振などによる極度の身体消耗状態及び事故原因にかかわる情動ストレスを誘因として、急激に血圧が上昇し、その状態が持続することによって脳血管を破綻させたことがその原因であると認められる。衣笠医師の意見書の、控訴人の脳出血は加齢による脳動脈硬化の上に発症した高血圧性脳出血であるとの結論は、採用することができない。

六本件疾病の公務起因性

本件疾病の直接の誘因は、右のとおり事故後の極度の身体消耗状態及び怒り等の情動ストレスであると認められるが、前記認定の事故までの控訴人の過重な職務による身体的、精神的負担もその遠因となっていると認めるのが相当である。

ところで、地方公務員災害補償法二六条等にいう公務上の疾病であるというためには、公務と疾病との間に相当因果関係があることを必要とするが、控訴人の事故後の身体消耗状態は生徒の家庭訪問の際の転倒事故に由来するものであり、また、怒り等の情動ストレスは、右家庭訪問及びその結果を問い合わせる学校側からの電話を契機として生じたものであるから、事故前の身体的、精神的負担及び事故後の右状況を誘因とする本件疾病は、公務と相当因果関係を有するものというべきである。

控訴人の身体的消耗の一因として、控訴人が速やかに医師の診療を受けなかったということがありうるとしても、事故の翌日の二月二六日は日曜日であったのであり、控訴人が痛みを辛抱強く我慢して医者の診療を受けることを肯じなかったからといって、控訴人自身の選択による不当な対応であるとか、特異な行動であるとかいうことは、当を得たものではない。また、控訴人が家庭訪問に関する学校側の対応や問い合わせの電話について強い怒りの感情を抱き、精神的興奮をつのらせたという点も、特殊の性格に由来する異常な対応であるなどと決めつけることはできない。事情によっては時にこのような感情を抱くこともありうることは、経験則に照らして明らかである。したがって、控訴人の事故後の行動や心理をもって、相当因果関係を逸脱した異例のものであるということはできない。

七結論

以上のとおり、控訴人の本件疾病は公務に起因するものというべきであるから、これを公務外の災害とする被控訴人の認定は違法であって、取り消しを免れない。

よって、民訴法三八六条によりこれと結論を異にする原判決を取り消して、控訴人の本件請求を認容することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙橋欣一 裁判官矢崎秀一 裁判官及川憲夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例