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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)196号 判決 1994年12月22日

神奈川県川崎市幸区堀川町72番地

原告

株式会社東芝

同代表者代表取締役

佐藤文夫

同訴訟代理人弁理士

猪俣祥晃

猪俣弘子

山下一

杉光一成

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

高島章

同指定代理人

安藤勝治

吉野日出夫

今野朗

入交孝雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

(1)  特許庁が平成3年審判第11550号事件について平成4年7月29日にした審決を取り消す。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文同旨

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和58年5月17日名称を「油入フィルムコンデンサ」とする発明(以下「本願発明」という。)について、特許出願(昭和58年特許願第85115号)をしたところ、昭和63年11月24日特許出願公告(昭和63年特許出願公告第60483号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成3年5月14日特許異議の申立ては理由があるとする決定とともに拒絶査定を受け、同年6月13日査定不服の審判を請求し、平成3年審判第11550号事件として審理されたが、平成4年7月29日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は、同年9月4日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

結晶化度が60%以上80%以下で、かつ、結晶部を構成する結晶粒の大きさが90Å以上130Å以下である二軸延伸ポリプロピレンフィルムを使用したことを特徴とする油入フィルムコンデンサ(別紙図面1参照)

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)<1>  電気学会研究会資料(静止器研究会SA-82-26~38)、11頁ないし20頁、1982年11月18日社団法人電気学会発行(以下「引用例1」という。)には、次の記載がなされている(別紙図面2参照)。

(a) コンデンサ誘電体として使用されるPPフィルムは、一般に二軸延伸(BO)PPフィルムである(11頁、「まえがき」の欄参照)。

(b) 実験に用いた資料は、BO-PPフィルムでフィルムAはインフレーション法にて、フィルムBはテンター法にて二軸延伸された電力用コンデンサグレードである(11頁、「試料と実験方法」の欄参照)。

(c) 二軸延伸フィルムの物理的性質として、フィルムAの結晶化度は60.3%、フィルムBのそれは69.1%である(12頁第1図、別紙図面2第1図参照)。

(d) BO-PPフィルムの結晶化度が約60~70%である(13頁「結晶化度と赤外吸収ベクトル」の欄参照)。

(f) BO-PPフィルムのX線回折パターンの変化(14頁第4図、別紙図面2第4図参照)。

<2>  繊維学会誌、第39巻第4号、27頁ないし33頁、昭和58年4月(以下「引用例2」という。)には、iPPフィルムの結晶サイズが93~1250Åであることの記載がある(30頁Table3参照)。

<3>  本願発明と引用例1記載のものとを比較する。

引用例1記載のものは、電力用コンデンサであるから、油入フィルムコンデンサであり、また、その誘電体として用いられている二軸延伸ポリプロピレンフィルム(以下「BO-PPF」という。)の結晶化度は、60%ないし70%であって、本願発明のそれと重複しているので、本願発明と引用例1記載のものとは、いずれも「結晶化度60%以上70%以下であるBO-PPFを使用した油入フィルムコンデンサ」である点で共通しているものと認められる。

しかしながら、本願発明は、BO-PPFの結晶部を構成する結晶粒の大きさが90Å以上130Å以下であるのに対して、引用例1には、第4図(別紙図面2第4図)にX線回折パターンが図示されているものの、結晶粒の六きさについては明確でない点で両者の間に差異があるものと認められる。

<4>  そこで、その差異について検討する。

本願発明で使用されるBO-PPFの結晶化度及び結晶粒の大きさとそれぞれ重複する値を有するBO-PPFは、引用例2の記載にみられるように公知であり、また、公知のBO-PPFが油入フィルムコンデンサの誘電体として使用されていること、さらに、コンデンサ用のBO-PPFとしてその結晶化度が本願発明のそれと大差ない範囲のものについて引用例1に示されていることから、引用例2に記載されている本願発明のBO-PPFと同程度の結晶化度及び結晶粒サイズを有するものを油入フィルムコンデンサの誘電体とすることは、当業者が容易に想到し得たものであり、また、本願発明の効果は、従来のBO-PPFを使用した油入フィルムコンデンサに比べて格別顕著なものとも認められない。

<5>  以上のことから、本願発明は、前記各引用例記載のものに基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の認定判断のうち、引用例1、2に審決認定の技術内容が記載されていること、本願発明と引用例1記載のものとの相違点が審決認定のとおりであることは認めるが、審決は、引用例1記載のものの技術内容を誤認して一致点の認定を誤り、また、引用例1、2記載のものの技術内容を誤認して相違点に対する判断を誤り、かつ、本願発明の顕著な作用効果を看過したものであって、違法であるから取り消されるべきである。

(1)  取消事由1(一致点の認定の誤り)

審決は、本願発明と引用例1記載のものとはいずれも「結晶化度60%以上70%以下であるBO-PPFを使用した油入フィルムコンデンサ」である点で共通しているものと認められる、と認定判断している。

しかしながら、引用例1には、前書きに合成絶縁油との組合せにおいてBO-PPFがコンデンサ誘電体として用いられるとの記載はあるが、これは電力用コンデンサの誘電体としてPPFやBO-PPFの当時の研究動向を示したものであり、それは合成絶縁油との組合せにおいてコンデンサ誘電体に使用されているという程度のもので、それ以上のものではない。そして、引用例1の主たる内容は、高圧ガス、例えばSF6ガス中で行ったBO-PPFの加熱エージング後の劣化結果を報告することであり、これはSF6ガス中で試験したもので、絶縁油中で試験したものではない。したがって、引用例1には、当然のことながら油入フィルムコンデンサに用いた場合の良否についての記載及び悪影響の場合の解決手段は開示されていない。すなわち、引用例1には、高圧ガス中でしたBO-PPFの結晶化度の試験に関する記載があるのみで、油入フィルムコンデンサに用いたものについての記載はないから、審決の上記認定は飛躍しており、誤りというべきである。

(2)  取消事由2(相違点に対する判断の誤り)

審決は、「コンデンサ用のBO-PPFとしてその結晶化度が本願発明のそれと大差ない範囲のものについて引用例1に示されていることから、引用例2に記載されている本願発明のBO-PPFと同程度の結晶化度及び結晶粒サイズを有するものを油入フィルムコンデンサの誘電体とすることは、当業者が容易に想到しうるもの」であると認定判断している。

しかしながら、引用例1には、BO-PPFの結晶化度について試験した結果が記載されているのみで、結晶粒サイズについて触れる記載は全くない。また、引用例2には、オリジナルのAフィルムを再延伸温度110℃で再延伸したBフィルムと再延伸温度157.5℃で再延伸したCフィルムの構造についての実験、すなわちX線回折パターン、微結晶サイズ、結晶及び非晶配向、結晶化度、DSC測定、動的粘弾性についての実験結果の報告が記載されているのみで、これら再延伸フィルムを油入フィルムコンデンサの誘電体として用いた場合の良否及び悪影響の場合の解決手段を示唆する記載は全くない。

これに対し、本願発明者らは、BO-PPFを用いた油入フィルムコンデンサの長期にわたる信頼性寿命の向上の観点からBO-PPFに関して得られる情報、すなわち引用例1に記載されている厚さ、密度、融点、引張り強度、伸び等はもちろん、絶縁破壊電圧、BO-PPFに対する絶縁油の含侵性向上、BO-PPFの重合触媒残渣の低減、触媒の種類の変更、不純物の含有レベルの低減等、さらにはBO-PPFの物性の指標を示すX線回析パターン、微結晶サイズ、結晶及び非晶配向、結晶化度、DSC測定、動的粘弾性等を研究、実験した結果、これら多数の要素中BO-PPFの結晶化度と結晶粒サイズとが重要な要素であることを見出して、本願発明に至ったもので、引用例1及び2記載のものから本願発明に至ることは容易なことではない。

したがって、上記審決の認定判断は誤りである。

(3)  取消事由3(本願発明の顕著な作用効果の看過)

審決は、「本願発明の作用効果は、従来のBO-PPFを使用した油入フィルムコンデンサに比べて格別顕著なものとも認められない。」と判断している。

しかしながら、本願発明は、結晶粒サイズ90Å以上130Å以下である二軸延伸ポリプロピレンフィルムを用いることによって、長期にわたる信頼性寿命の極めて優れた電力用油入フィルムコンデンサを提供することができるという顕著な作用効果を奏するのに、審決は、これを看過したものである。

すなわち、本願発明における結晶化度と結晶粒サイズの数値限定の作用効果は、本願明細書に次のように記載されたとおり極めて顕著である。

<1> 実施例1によれば、第1図(別紙図面1第1図)に示すように、BO-PPFの結晶化度を60%以上80%以下にすることによって、直流破壊電圧の極めて高いBO-PPFを得ることができ、さらにこのBO-PPFを用いることによって絶縁耐力が高く、かつ信頼性の高い電力用油入フィルムコンデンサを製造することが可能となる。

<2> 実施例2によれば、第2図(別紙図面1第2図)に示すように、結晶化度60%ないし80%のBO-PPFについて結晶粒の大きさを種々変化させて実験検討し、結晶粒サイズ90Åないし140Åの範囲のBO-PPFを用いれば、絶縁耐力が高く、信頼性の高い電力用油入フィルムコンデンサを製造することが可能である。

<3> 実施例3では、実施例1、2から、結晶化度、結晶粒サイズがある特定範囲にあるBO-PPFを用いて電力用油入コンデンサを製作し、直流破壊電圧を測定した。

第4図(別紙図面1第4図)でこれをみれば、初期の直流破壊電圧は、曲線Aに示す如く、結晶粒サイズが90Åないし140ÅのBO-PPFを用いたものでは、平均値、最小値が高い値を示すが、次に、加速度試験後においては、曲線Bに示す如く、結晶粒サイズが130Åを越えるBO-PPFを用いたものでは、直流破壊電圧の低下が著しくなる傾向にある。この現象は、電力用コンデンサの信頼性上好ましくない。すなわち、初期の特性が良くても結晶サイズが130Åを越えたBO-PPFを使用した場合絶縁性能の低下をきたし、ひいては信頼性の低下、絶縁破壊事故の重大原因となる。

<4> 以上の実施例2、3から結晶粒サイズが90Åないし130Åの範囲にあるものが電力用油入フィルムコンデンサに用いるBO-PPFとして望ましいとの結論を得た。

<5> 本願発明の発明者らは、このような直流破壊電圧の低下現象についてさらに詳細に検討し、BO-PPFを構成する結晶部と無定型部の結合状態が油浸BO-PPFの絶縁破壊性能、特に寿命性能に大きな影響を与えることを解明し、BO-PPFにおいては、結晶部(結晶粒)と無定型部が混在し、それぞれが分子で結合されているが、この結合が網目状に結合されている場合に、上述の優れた寿命性能を有することを見出したのである。

第3  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。

2(1)  取消事由1(一致点の認定の誤り)について

引用例1には、原告の主張するとおり高圧ガス中でしたBO-PPFの結晶化度の試験結果が記載されている。

しかしながら、引用例1には、その他に次の記載がなされている。

<1> 合成絶縁油との組合せにおいてBO-PPFがコンデンサ誘電体として用いられるという従来技術の背景(なお、従来技術のBO-PPF誘電体を用いたコンデンサとして、結晶化度が引用例1のそれと重複するBO-PPF誘電体を用いた油入フィルムコンデンサは周知である。)。

<2> 電力用コンデンサグレードである結晶化度が約60ないし70%のBO-PPF。

したがって、この<1>、<2>を参酌すれば、引用例1には「結晶化度60%以上70%以下であるBO-PPFを使用した油入フィルムコンデンサ」が示されていることは明らかであるから、審決における一致点の認定に誤りはない。

(2)  取消事由2(相違点の判断の誤り)について

引用例1には、本願発明の結晶粒サイズ「90Åないし130Å」は明記されていない。

しかしながら、結晶粒サイズは、X線回折パターンから求められるものであって、引用例1の第4図(別紙図面2第4図)に図示されているX線回折パターンから結晶粒サイズを求める際に、パターンから必要な寸法を測定するが、その時に多少の測定誤差があるとしても、引用例2のBO-PPFの結晶粒サイズと大差ないもの(フィルムAは約80Å、フィルムBは約100Å)が示されているから、引用例1が結晶粒サイズについては何ら触れていないという原告の主張は妥当でない。

引用例2には、実験試料のBO-PPFを油入フィルムコンデンサの誘電体に用いることについての記載はない。

しかしながら、引用例1及び乙第1号証(「最近の電力用コンデンサ材料」日新電機技報20巻1号、日新電機株式会社1975年9月発行)、同第2号証(「コンデンサ用ポリプロピレンフィルム」信越フィルム株式会社)によれば、BO-PPFが油入フィルムコンデンサの誘電体として使用されていることは明らかであるから、BO-PPFを油入フィルムコンデンサの誘電体に使用することは当業者が普通に考えることであり、さらに、引用例1によれば、結晶化度が本願発明のそれと大差ない範囲のBO-PPFを油入フィルムコンデンサの誘電体に使用することが公知であることが認められ、引用例2によれば、本願発明のものと同程度の結晶化度及び結晶粒サイズを有するBO-PPFが公知であることが認められる。

このことからすれば、本願発明が規定する結晶化度及び結晶粒サイズを有するBO-PPF(以下「本願発明のBO-PPF」という。)を油入フィルムコンデンサの誘電体に適用することは、当業者が容易に想到し得たものであり、審決の判断に誤りはない。

(3)  取消事由3(顕著な作用効果の看過)について

前掲乙第1、第2号証によれば、BO-PPF誘電体を使用した従来の油入フィルムコンデンサが電気的特性に優れていたこと及びこれが本願発明のBO-PPFの電気的特性(直流破壊電圧が500V/μm以上)に比べて同等あるいはそれ以上の特性を有したことが認められ、このことからすれば、引用例2記載のBO-PPFを誘電体に用いた油入コンデンサについても、その作用効果は、従来の油入コンデンサが有する作用効果と同等のものが得られるであろうということは、当然予測できたことである。

また、乙第3号証(昭和56年特許出願公開第131921号公報)によれば、BO-PPFの油入フィルムコンデンサが長期に亘る信頼性寿命を有することが明らかであるから、本願発明の信頼性寿命の作用効果は格別顕著なものではない。

原告は、多数の要素の中からBO-PPFの結晶化度と結晶粒サイズが重要な要素であることを最初に見出したと主張するのであるが、上記のように、従来のBO-PPFを用いた油入フィルムコンデンサと本願発明のBO-PPFを用いた油入フィルムコンデンサがその作用効果において大差ないことからすると、他の多数の要素を別にして単に結晶化度と結晶粒サイズのみを特定してもこの点に格別のものはないというべきである。

以上のとおり、本願発明の作用効果が従来の油入コンデンサのそれに比べて格別顕著なものでないことは明らかであり、審決には、原告が主張する作用効果を看過した誤りはない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する(書証の成立については、いずわも当事者間に争いがない。)

理由

第1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)、同3(審決の理由の要点)、及び審決の認定判断のうち、引用例1、2に審決認定の技術内容が記載されていること、本願発明と引用例1記載のものとの相違点が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決の取消事由について検討する。

1  甲第2号証(昭和63年特許出願公告第60483号公報)によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

(1)  本願発明は、ポリプロピレンフィルム(以下「PPF」という。)を誘電体の一部もしくは全部に採用した油入フィルムコンデンサに係り、特にPPFの内部構造を改良したものに関する。(1欄23行ないし2欄2行)

(2)  近年、PPFは、電力用油浸コンデンサに幅広く採用されており、例えば、コンデンサ用クラフト絶縁紙とPPFを組み合わせたものや、PPFのみを誘電体とするものが製造されているが、最近では、後者が電力用コンデンサの主流となりつつある。しかしながら、従来の方法等によるPPFの改良(例えば、微量不純物の単なる低減や安定剤の添加等)では、絶縁破壊強度、信頼性寿命を向上させることがPPFの製造技術上困難であり、それ故、粗面化PPFの物性的観点、例えばフィルムの内部構造、微細構造の解明といった基礎研究に基づく絶縁破壊強度、信頼性寿命の改良が重要なこととなった。特に電力用BO-PPFは、延伸という特殊処理が施されているので、その内部構造が明らかにされておらず、電気特性との関係においては不明な点が多かった。上記絶縁破壊強度、信頼性寿命の改良を行うために、これらBO-PPFの内部構造を明らかにすることが今後の電力用コンデンサ誘電体の改良の重要な課題といえる。(2欄4行ないし3欄20行)

(3)  本願発明の目的は、上述の点を考慮してなされたもので、BO-PPFの結晶化度、結晶粒サイズ及び結晶部と無定形部の結合状態等のフィルム内部構造を明らかにし、これら物性とBO-PPFの絶縁破壊強度及び信頼性を向上させ、油入フィルムコンデンサの電気特性、信頼性寿命を大幅に向上させることにある。(3欄22行ないし28行)

(4)  本願発明は、上記技術的課題を解決するため、要旨(特許請求の範囲1)記載の構成を採用した。(1欄2行ないし5行)

(5)  本願発明は、これにより、信頼性寿命の極めて優れた電力用油入フィルムコンデンサを提供することができる。(8欄5行ないし7行)

2  取消事由1(一致点の認定の誤り)について

(1)  甲第3号証(電気学会研究会資料、静止器研究会、SA-82-26~38、社団法人電気学会、1982年11月18日)によれば、引用例1は、植村時博、ダニエル・クーデール著「二軸延伸ポリプロピレンフィルムの加熱劣化」と題する論文であって、次の記載がなされていることが認められる。

<1> 「まえがき」の項には、「電力用コンデンサの誘電体としてポリプロピレン(PP)フィルムが始めて採用されて以来、コンデンサ誘電体はPP/クラフト紙(KP)複合系、及び新しい合成絶縁油の開発と実用化を経てPPフィルム/合成油系のいわゆるオールポリプロピレンフィルム誘電体となってきた」(11頁5行ないし8行)、「コンデンサ誘電体として使用されるPPフィルムは、一般に二軸延伸(BO)PPフィルムである。これは、未延伸フィルムに比較して、電気的特性、物理化学特性が著しく改善されるからである」(同頁12行ないし14行)と記載されている。

<2> 「試料と実験方法」の項には、「実験に用いた試料は、厚さ25μmのBO-PPフィルム二種類で、フィルムAはインフレーション法にて、フィルムBはテンター法にて二軸延伸された電力用コンデンサグレードである」(同頁23行ないし25行)との記載があり、「表1」には、その結晶化度は、フィルムAは60.3%、フィルムBは69.1%である(12頁)と記載されている。

<3> 「第4図」(別紙図面2第4図)には、加熱エージング前後におけるBO-PPFのX線回折パターンの変化が示されている。(14頁)

(2)  上記<2>の記載からすると、引用例1には、結晶化度が60%以上70%以下であるBO-PPF及びこれを使用した電力用コンデンサが記載されているということができる。

引用例1には、BO-PPFを油入フィルムコンデンサに使用することは明記されていないが、<1>の記載からすると、引用例1は、電力用コンデンサの誘電体がPPF/合成油系のいわゆるオールポリプロピレンフィルム誘電体となってきたこと、すなわち、PPFが油入フィルムコンデンサ用の誘電体として使用されるようになってきたことを前提とする論文であると認められ、引用例1の執筆者は、BO-PPFが油入フィルムコンデンサに使用されることを当然に予定するものであると考えられる。

そして、乙第1号証(「最近の電力用コンデンサ事情」日新電機技報20巻1号、日新電機株式会社1975年9月発行)には、「二軸延伸PPフィルムと、コンデンサ含浸剤としての芳香族系絶縁油との組合せは安定しており」(95頁左欄6行ないし7行)との記載がなされ、乙第2号証(「コンデンサ用ポリプロピレンフィルム-易含浸タイプ、標準タイプ、一般特性について-」、信越フィルム株式会社、なお、弁論の全趣旨により、同号証は、昭和57年特許出願公告第44005号の特許異議申立ての証拠として昭和57年12月17日に特許庁に提出されたものであると認める。)には、「信越フィルム株式会社は…電気工業用に用いる二軸延伸されたポリプロピレンフィルムを製造しております。当社の工場では…コンデンサ用の誘電体材料として要求される品質を充分に満たすよう特に品質管理に細心の注意を払っております。コンデンサ用のすぐれた含浸剤として用いられて来たP.C.B.がその毒性の問題から5年前に日本で禁止されて以来、コンデンサ業界は、P.C.B.に代わる含浸剤の研究開発をする一方、その誘電体においても、より含浸性の良好なものを使用する傾向となりました。この観点に立って、…信越フィルムも、又様々な誘電体油に対し最も含浸しやすい特性を持ったポリプロピレンフィルムの開発に成功いたしました」(1頁)と記載されていることが認められ、これらの記載からしても、本出願当時BO-PPF誘電体を用いた油入フィルムコンデンサは、当業者に周知であったと認められる。

したがって、本出願当時の技術水準に基づいて、当業者が引用例1を読むときは、引用例1には、結晶化度60%以上70%以下であるBO-PPFを使用した油入フィルムコンデンサが記載されていると理解する、というべきである。

原告は、引用例1の主たる内容は、高圧ガス、例えばSF6ガス中で行ったBO-PPFの加熱エージング後の劣化結果を報告することであり、これはSF6ガス中の試験であって、絶縁油中で試験したものではなく、したがって、引用例1には、当然のことながら油入フィルムコンデンサに用いた場合の良否についての記載及び悪影響の場合の解決手段は開示されていない旨主張するところ、引用例1記載の主たる内容が原告主張のとおりであるとしても、上記(1)<1>ないし<3>の記載もあることからすれば、審決の認定が誤りでないという結論に変わりはないというべきである。

したがって、審決の一致点の認定には、原告主張の誤りは存しない。

3  取消事由2(相違点の判断の誤り)について

(1)  甲第4号証(「繊維学会誌」第39巻第4号、昭和58年4月)によれば、引用例2は、山本雄三他3名著「高度に再延伸しアイソチックポリプロピレンフィルムの構造について」と題する報告文であって、次の記載がなされている。

<1> 「2.実験」の項の「2.1試料作製」の項に、「用いた試料はiPPフィルムー…である。…オリジナルフィルムを再延伸温度Trd=110℃(Bフィルム)あるいはTrd=157.5℃(Cフィルム)で、配向軸に対し角度α(α=0.30.45.60.90°)で、できるだけ高倍率に再延伸し、試料フィルムとした。」(28頁左欄1行ないし11行)

<2> 「表3」(30頁)には、Cフィルムの結晶化度及び結晶粒サイズが記載され、結晶化度の値は、59.5%ないし63.2%、結晶粒サイズの値は、93Åないし125Åである。

そうすると、引用例2には、結晶化度及び結晶粒サイズが本願発明のBO-PPFとそれぞれ重複する値を有するBO-PPFが示されていることが認められる。

(2)  以上からみると、引用例1記載のものは、前述のように、油入フィルムコンデンサ用のBO-PPFとしてその結晶化度が本願発明のそれと大差ない範囲のものであるから、引用例2に記載されている本願発明のBO-PPFとその結晶化度及び結晶粒サイズの値がそれぞれ重複するBO-PPFを油入フィルムコンデンサの誘電体とすることは、当業者が容易に想到し得たものというべきである。

原告は、引用例2には、再延伸したBフィルム、Cフィルムの実験結果の報告はあるが、これら再延伸フィルムを油入フィルムコンデンサの誘電体として用いた場合の良否及び悪影響の場合の解決手段の示唆がないと主張するところ、そのような記載がないことは、そのとおりであるけれども、そうであるからといって上記結論に影響するものではない。

したがって、相違点についての審決の判断に誤りはない。

4  取消事由3(顕著な作用効果の看過)について

本願明細書には、本願発明は信頼性寿命の極めて優れた電力用油入フィルムコンデンサを提供する旨記載されていることは、前記1(5)のとおりであり、前掲甲第2号証によれば、その実施例中に、BO-PPFの結晶化度と結晶粒サイズの数値限定とその作用効果について、原告が<1>ないし<5>で主張するとおりの記載がなされていることが認められる。(<1>について4欄1行ないし5欄2行、<2>について5欄3行ないし37行、<3>について5欄38行ないし6欄27行、<4>について6欄28行ないし30行、<5>について6欄31行ないし43行)

しかしながら、前示認定の乙第1、2号証の記載からすると、BO-PPFを油入フィルムコンデンサ用の誘電体として使用することは、BO-PPFの電気的特性、物理化学的特性からして優れたものとして一般的に認められ、研究されてきたことが窺えるうえ、乙第1号証によれば、その「第3図」(95頁)に、従来のBO-PPFを100日間加熱した場合の直流破壊電圧の変化が示されており、これによると、実験条件を異にするとはいえ、その直流破壊電圧は高く、別紙図面1第1図、第2図に示された本願発明の直流破壊電圧と同等あるいはそれ以上の530V/μmであり、その経時変化は小さく、本願発明と同期間の30日ではほとんど低下がみられないことが読み取れる。

このことから、引用例2記載のBO-PPFと同程度のBO-PPFである本願発明のBO-PPFを油入フィルムコンデンサ用の誘電体として用いても、従来の油入フィルムコンデンサが有すると同程度の作用効果、すなわち、同程度の絶縁破壊強度及び信頼性寿命が得られるであろうことは、当業者が当然に予測し得たというべきである。

また、本願発明が結晶化度及び結晶粒サイズの範囲を数値限定した点についても、BO-PPFの一般的性質に基づいて数値の高い部分と低い部分とを除外したにすぎず、その限定した数値に格別の臨界的意義があるとは認められない(前掲甲第2号証によれば、前記実施例中には、実施例1について、結晶化度が75%以上のものは直流破壊電圧の低いものが生じる旨の記載があり、実施例2について、結晶粒サイズ80Åないし140Åの範囲にあるものが500V/μm以上の直流破壊電圧を与える旨の記載があることが認められるが、前者は、本願発明のBO-PPFに含まれる結晶化度75%ないし80%のものを好ましくないとするものであり、後者は、本願発明のBO-PPFに含まれない結晶粒サイズ130Åないし140Åのものを好ましいとするものであって、数値限定の臨界的意味を示すものでなく、かつ500V/μm以上の直流破壊電圧を与えるものでなければ電力用フィルムコンデンサとして実用性が損なわれることを認めるに足りる証拠もないから、いずれにしてもこれらの記載は本願発明における数値限定の技術的意義を証するものではない)。そうであれば、本願発明における数値限定は、当業者が上記技術的事項に基づき適宜なし得たと容易に予測できる範囲を規定した程度にすぎない、というべきである。

したがって、本願発明の効果は、従来のBO-PPFを使用した油入フィルムコンデンサに比べて格別顕著なものとも認められないとした審決の判断に誤りはない。

5  以上のとおり、原告の審決の取消事由の主張はいずれも理由がなく、審決に原告主張の違法はない。

第3  よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 田中信義)

別紙図面1

<省略>

別紙図面2

<省略>

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