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東京高等裁判所 平成4年(う)645号 判決 1995年1月27日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大木市郎治、同米田軍平、同藤田勝春、同栃木悟、同大木一俊、元弁護人渡辺均、同大塚覚郎が連名で提出した控訴趣意書、同補充書に記載されたとおりであり(なお、弁護人らにおいて、右控訴趣意中審理不尽の主張は撤回すると述べた。)、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事永野義一が提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、被告人においてAを殺害した事実はないのに、これを積極に認定し、有罪を言い渡した原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認がある、というのである。以下、検討を加えることとする。

第一  原審における一部有罪、一部無罪の判断について

一  本件公訴事実について

原審における訴因変更後の本件公訴事実は、

「被告人は

第一  かねてから妻Aに不信感を抱いていたところ、自己の愛人と結婚の約束をするに及んで、妻に対するうとましさが昂じ、同女を殺害しようと企て、昭和五六年一二月九日午後八時三〇分ころから同日午後一〇時一五分ころまでの間に、栃木県安蘇郡葛生町大字豊代一〇六七番地朝日ケ丘団地の被告人方居室において、就寝中の前記妻A(当時二五年)の頚部を手で強く扼し、よって間もなく同所において同女を急性窒息死させ、もって同女を殺害し

第二  吉澤さか子所有にかかる同団地所在の木造セメント瓦葺平家建家屋一棟(床面積四一・四四平方メートル)に妻子とともに居住していたものであるが、妻A殺害の犯跡を隠蔽するため右家屋を焼燬しようと企て、同日午後八時三〇分過ぎころから同日午後一〇時過ぎころまでの間に、前記被告人方居室において、右居室で就寝中の長男悟(当時三年)及び次男徹(当時生後七か月)が焼死することを認容しながら、プロパンガス用ガスストーブの近くに可燃物を置き、同ストーブに点火して放置し、翌一〇日午前四時二〇分ころまでに右可燃物に着火出火させて火を放ち、柱、天井等に燃え移らせ、もって前記悟及び徹が現に住居に使用している前記家屋一棟を焼燬するとともに、そのころ、同所において、前記悟及び徹の両名をいずれも焼死させて殺害し

たものである。」

というAに対する殺人と現住建造物放火及び悟、徹両名に対する殺人(以下、放火等という。)の各事実である。

原審は、これらの事実のうち、第一のAに対する殺人の事実を有罪とするとともに、第二の放火等の事実については、犯罪の証明が十分でないとして、無罪の言渡しをした。原判決中この無罪部分については、検察官から控訴の申立てがなく、既に無罪が確定しているが、有罪部分については、被告人から控訴の申立てがあり、このAに対する殺人の事実が当審における審判の対象となる公訴事実である。

二 原判決の論理的整合性に関する所論について

1  弁護人らは、原判決が第二の放火等の事件について無罪としながら、第一のAに対する殺人事件に関する事実認定においては、あたかも被告人が放火行為等を行ったかのような認定をしているのは論理矛盾であり、無罪部分の事実認定と有罪部分の事実認定との間に整合性が欠けている旨主張し、

「本件は放火等について無罪とし、それは既に確定しているが、A殺害に関する事実認定と、右無罪となった放火等に関する事実認定との間に整合性が保たれていなければならない。原判決の死因に関する認定・動機論・本件と被告人の結び付き等すべての分野に亙って、状況証拠の選択・評価と推理に無理があり、一面的・飛躍的であり、到底納得し難いものとなっているだけでなく、判決の前後(A殺害と放火等)に矛盾した認定が随所に見受けられその整合性にも欠けているものとなっている。」

「A殺害と放火等は一連の事実として把握されてきたが、放火等について、証明不十分を理由に無罪としながら、A殺害についての事実認定の部分において、右無罪の認定と矛盾する判断が随所に示され、しかも、その判断が、A殺害の犯人と断定する有力な証拠になっている。」

「A殺害に関する部分の事実認定において、被告人の放火を認める方向での認定が随所になされていることは、原判決の論理矛盾であるというべきである。」

などと指摘する。

2  たしかに、原判決に、弁護人らが指摘するような判示が存在することは事実である。例えば、犯人と被告人との結びつきを検討する過程において、ガスストーブはAが消火したものを犯人が再点火したと認定したうえ、

「犯人がガスストーブを使用した理由は、ガス爆発を狙ったか、あるいは放火に関しある程度時間をおいて出火するような工作を施すためかとも考えられるが、家人が帰宅して犯行が発覚する可能性が高いから、当夜家人が遅く帰宅することについて知っていた者ならともかく、そうでない外部の者がかかる迂遠な手段で放火工作をしたとは考えにくい。そうだとすれば、寝ているAを殺害する前後にガスストーブに点火した者は、外部の者である可能性は少なく、被告人宅の室内の様子を知り、かつ被告人の当夜の帰宅が遅いことを知っていた者である可能性が高い。」として、犯人がガスストーブに点火したのは、放火工作の疑いが強いものとし、かつ、その方法が迂遠であることから、被告人が犯人である可能性が高いことを示唆している。また、被告人の本件犯行時前後の不審な行動について言及する中で、被告人が帰宅時に玄関に施錠しなかったことについて、

「被告人が当夜、容易に帰宅しようとせず、時間調整ないし様子見ととれる行動をとり、かつ近隣の者に知られないような形で帰宅しているという一連の行動との関連で考えるならば、右不施錠は、家屋内に何らかの異常事態が発生していることを予想して、容易に戸外に脱出せんがための用意であったと考えられる。」

として、被告人が家屋内の異常事態の発生を予知していたかのような判示をする。

3  このように、原判決が、同一判決中で、一方では、A殺害の犯跡隠蔽のために行われたとされる放火等の事実を犯罪の証明が不十分であるとして無罪としながら、他方、Aに対する殺人事件の事実認定においては、犯跡隠蔽行為としての放火行為があったかのような口吻を漏らしていることは、論理矛盾にも近く、これが原判決の事実認定を著しく分かりにくいものとしていることは否定できないところである。

4  この点について、検察官は、第二の放火等の事実に関する無罪の判断がどれだけ第一のAに対する殺人事件の事実認定を拘束するかは、その無罪の理由如何にかかっている旨を指摘する。そして、原判決は、本件火災の原因として「ガス爆燃」の可能性も否定できないとし、放火の手段方法について証明不十分としたにとどまるのであるから、本件火災発生の機序が十分立証できなかったため無罪になったにせよ、被告人がA殺害の犯跡隠蔽のため、本件ガスストーブを火源とする放火行為に及んだことは明白であって、検察官としてはこの主張を撤回するつもりはなく、原判決にはなんら論理矛盾も不整合性もない旨主張する。

5  たしかに、理論的には、検察官主張のとおりであると思われる。原判決が第二の放火等の事実について無罪の判断をしたにせよ、その理由の如何によっては、第一のAに対する殺人の事実との関連において、犯跡隠蔽行為として放火行為の存在を認定することも不可能ではないといってよい。したがって、原判決が第二の放火等の事実を無罪とした理由が問題となるが、原判決は、火災発生の機序の点について、

「本件においてガス爆燃の可能性を否定できないというべきであり、ガス爆燃が放火によることは公訴事実となっておらず、その立証もなされていない以上、既にこの段階で放火についての犯罪の証明が不十分と判断される」

としつつも、本件で爆燃火災が生じたと考えた場合にそれが被告人の放火行為によるといえるかどうかという点について考察を及ぼし、結論として、

「被告人が放火行為を行ったことを疑わせるような事情もないではないものの、結局この点について犯罪の証明は十分でないというほかない。」

とするのである。原判決のこのような判示からすれば、第二の放火等の無罪は、単に火災発生の機序が証明不十分であったために無罪になったというにとどまらず、被告人の犯行であるという点においても、証明不十分の判断が示されていると考えるべきであろう。したがって、弁護人らが指摘するように、原判決が第二の放火等を無罪としながら、第一のAに対する殺人事件の事実認定において、被告人の放火行為を肯定するような判断をしていることはやはり問題であり、かかる原判決の判断姿勢は、第一の事実と第二の事実を通じた全体としての事実認定の整合性を大きく乱しているものといわざるをえない。

三 被告人の放火行為の有無について

1  以上は、原判決の事実認定に論理矛盾や不整合性が存しないかという点についての検討であったが、原判決中第二の放火等の無罪が確定したことによって、当審の判断がどの程度制約されるかについても検討しておく必要がある。

いうまでもなく、原判決中の放火等に関する無罪部分の確定により、当審における審判の対象は、第一のAに対する殺人の公訴事実に限局され、第二の放火等の事実についてこれと異なる有罪の判断を下すことができないことは明らかである。しかし、第二の放火等の事実に対する無罪判決の既判力といえども、当審が第一のAに対する殺人の事実との関連において、その犯跡隠蔽行為として被告人による放火行為があったか否かを判断し、これを認定することまで妨げるものではないと考えてよいであろう。

2  その意味では、当審において、Aに対する殺人事件の犯跡隠蔽行為として被告人による放火の事実があったか否かにつき、改めて判断を行う必要があるが、結論としては、原判決も判示するように、本件における火災発生の機序が爆燃火災かガス爆燃か不明であるほか、被告人の放火行為によって火災が発生したということも認定困難であって、第一のAに対する殺人事件の犯跡隠蔽行為としても、被告人の放火行為の存在を認定することはできないといわざるをえない。

まず、本件火災は、昭和五六年一二月一〇日午前四時二〇分ころに発生したものであるが、検察官が主張する前日九日の午後八時三〇分すぎころから同一〇時すぎころまでの間に、被告人がガスストーブの近くに可燃物を置き、右ストーブに点火して放置し、右可燃物に着火させて火を放ったという事実が認められるかというと、関係証拠によるも、点火から出火するまでの間に六時間以上もの時間差のある火災発生のメカニズムが十分に解明されているとはいいがたく、燃焼現象としても、爆燃火災なのか、ガス爆燃なのかすらはっきりしていないのである。栃木県警刑事部技術吏員舘野定弘が火災原因解明のために行った実験は、密閉した六畳間を前提とするものであるが、それは本件火災発生現場である被告人方西六畳間の実態とは少なからず異なるし、同室で不完全燃焼により爆燃を起こすほどの可燃性ガスが発生したことと、翌日の午前四時すぎまで、カーテン一枚を隔てた隣室で寝ていた悟及び徹が酸欠死や一酸化炭素による中毒死を免れていることとが矛盾しないかどうかも明らかでない。また、西六畳間で可燃物がいったん有炎発火したものの、その後酸素が不足して一時燃焼が下火になり、不完全燃焼となって可燃性ガスが発生したとする場合に、ガスストーブの方の燃焼状況がどうなっていたのかについてもほとんど説明がされていないのであって、結局、検察官の爆燃火災の立証は、失敗に帰しているといってよい。更にまた、被告人がガスストーブの近くに座布団等の可燃物を置いたというのであれば、座布団等の燃え残りが多少なりとも西六畳間から発見されてもよさそうであるが、そのような形跡は全くなく、座布団の下にあたる床のカーペットや畳の部分に他と違った焼損状態が残されているということもないのである。

結局、被告人がガスストーブの近くに可燃物を置いて右ストーブに点火したという、検察官主張の放火行為の存在を裏付ける証拠はなんら存在しないといってよく、検察官の立証も、このようにすれば、点火行為から火災発生までの間の時間差が説明できるというにとどまるものというほかない。

3  また、被告人が放火をしたとするならば、それはAの死亡を焼死と見せかけ、犯跡隠蔽を図るためであろうし、点火行為と火災発生との間に時間差を設けたのは、時限発火の仕掛けを捜査機関に気づかせないことによって、出火時イコール放火時と思わせ、それによって、殺害及び放火時の被告人のアリバイを作出するためであろうと思われる。したがって、火災発生の時刻がいつごろかが分からなければ、その時間帯に合わせたアリバイを作り出すことも困難となるのであるから、火災発生時刻に関する被告人の予測や知識がどのようなものであったのかは極めて重要なことといわなければならない。ところが、本件においては、被告人が一体いつごろ火災が発生すると考えていたのかは、証拠上なんら明らかにされてないのである。本件当夜愛人であるTと別れた後の被告人の行動中、時間がはっきりしているのは、一二月一〇日午前一時二〇分ころに「大名トルコ」に現れたことだけであるが、仮に、被告人方の火災が同日午前零時ころに発生したとするならば、この唯一のアリバイ工作は、A殺害についても、放火等についても、アリバイにはならなくなってしまうのである(これ以外に被告人が当夜の行動について種々述べるところは、いずれもアリバイについての弁解であって、アリバイ工作ではない。)。

検察官は、当審における弁論においても、「被告人は、一旦自宅に戻って就寝していたAを殺害し、犯跡隠蔽のための発火装置を設定してから再び外出し、『大名トルコ』でアリバイ工作をした上、自宅を望遠できる古越路橋まで戻ったけれども予期に反して出火していなかったことから……」と主張するが、その主張自体をみても、被告人においていつごろの火災発生を予期していたと主張する趣旨か明らかでなく、酸欠による不完全燃焼や爆燃火災ないしガス爆燃という事態が被告人の予期を上回る事態であるとすると、なにゆえに午前一時二〇分ころから同二時四〇分ころまで「大名トルコ」にいたことがアリバイ工作になるのかが明らかにされていない。

これらの点を総合すると、被告人による放火があったとする検察官の主張は、A殺害の犯跡隠蔽行為としても、容認しがたく、結局、被告人が放火行為を行ったかという点については、当審としても、次に述べるような問題点はあるものの、証明は十分でないといわざるをえず、これと同旨に出た原判決の判断を相当とするのである。

4  帰宅時の状況について、被告人が供述するところは、被告人が玄関を入って靴を脱ぎ、台所ののれんをくぐった辺りで爆発音があり、爆風のようなものが襲ってきたために、後のことはよく分からず、気がついたときは、屋外の土手のところに倒れていたというのである。被告人のこの弁解は、自分で玄関の引き戸を開けて外に飛び出していると認められるだけに不自然であり、また、爆風の方向とも反するので納得しがたく、被告人が何らかの重要な事実を隠していることを示しているが、これとても爆燃火災ないしガス爆燃の直前に被告人がなんらかの放火行為をしたという証拠にまでなるものではないし、そもそも、出火の直前に被告人がなんらかの放火工作をしたということは、検察官においても、全く主張していないところである。

四 A殺害と放火の不可分一体性について

1  前記の本件各公訴事実によれば、「被告人は、かねてから妻Aに不信感を抱いていたところ、Tと結婚の約束をするに及んで、妻に対するうとましさが昂じ、同女を殺害しようと企て」、同女を殺害し、「A殺害の犯跡を隠蔽するため」、妻子と共に居住していた家屋を焼燬したというのであるから、検察官の描く事件の構図としては、このA殺害と放火とは基本的には不可分一体の関係にあるといわなければならない(なお、公訴事実においては、被告人のAに対するうとましさを強調し、Aの存在がTとの結婚の障害になることを殺害の動機として表に出していない。しかし、検察官の冒頭陳述によれば、被告人は、Tに対し、一二月末までにAと離婚する旨約束し、その期限が刻々と近づき、Tからその約束の履行を求められるに及んでA殺害を決意したというのであるから、Aに対する単なる心理的なうとましさだけではなく、Aの存在がTとの結婚の障害となることが殺害の動機となっているといわなければならない。原判決も、「妻との間で離婚話を進めないまま同月に至ったことから、ここにおいて前記女性との結婚話を進めるのに障害となる妻を殺害しようと企てた」として、Aの存在がTとの結婚の障害になっていたことが殺害の動機であることを明確に認定する。)。

つまり、被告人によるAの殺害がなければ、その犯跡隠蔽行為としての放火行為もありえないわけであるし、Tと結婚するために邪魔となるAを殺したのであれば、それには必ず犯跡隠蔽行為が伴わなければならない。自宅で妻のAを殺したままでは、被告人に殺人の嫌疑がかかることは必定であり、Tとの結婚が成就するわけもないのである。

その意味では、両者は、不可分一体の関係にあり、被告人によるAの殺害が無罪となれば、放火も無罪に傾かざるをえないし、被告人による放火行為の証明が不十分ということになれば、放火が無罪というにとどまらず、Aに対する殺人の嫌疑もまた揺らいでくるのである。いずれか片方のみを認定するということは、事実認定として不自然というほかなく、かかる認定を容認することは極めて困難であるといわなければならない。

2  ところで、本件は昭和五六年一二月九日の晩から翌一〇日未明にかけて発生した事件であるが、これらの事件につき公訴が提起されたのは、それから約一年半後の同五八年五月のことであった(Aに対する殺人についての公訴提起が同月九日、放火及び悟・徹に対する殺人についての公訴提起が同月三一日である。)。このように公訴提起が遅れたのは、本件の起訴に当たった元検察官岡野新の原審証言等によれば、犯行時に被告人が現場にいたことを十分立証できるかどうか不安が持たれていたことのほか、Aの死因及び放火のメカニズムがなかなか解明されなかったことによるものと認められるが、このことは、警察、検察官とも、放火のメカニズムを解明することが、Aに対する殺人事件を有罪に持ち込むために、欠かせないものであると考えていたことを物語っている。その意味では、本件について検察官が描いた事件の構図が、放火の無罪によって大きく崩れたといっても過言でない。換言するならば、放火等に関する検察官の立証の失敗は、A殺害を含む事件全体の有罪立証に深刻な打撃を与えたということができる。

3  原判決は、第一のAに対する殺人の事実につき有罪、第二の放火等の事実については前述のような理由のもとに無罪を言い渡したのであるから、その認定においては、右の不可分一体の関係が崩れ、いわば、被告人が愛人Tと結婚するために、その障害となる妻Aを自宅で殺害し、そのままにしていると認めたに等しいことになる。かかる事実認定が極めて不自然であることは一見して明らかである。したがって、原審としては、右のような動機に基づくA殺害を認定することと犯跡隠蔽行為がないこととの整合性について納得のいく説明をしなければならないところ、原判決は、証明のレベルに達しなかった被告人による放火行為の疑いを持ち出すことによって、その説明を回避しているのであって、そのため、この点に関する問題意識が著しく希薄化しているのである。結局、この点が判決の事実認定の根本的な問題点であるといわざるをえず、後に犯人と被告人との結びつきや動機の有無について検討を行うに当たっても、その基底にあるこの問題点を十分念頭に置く必要がある。

4  なお、原判決は、放火等に対する無罪理由の中で、

「犯跡隠蔽という理由のみから悟らの殺害を決意するものか若干の疑問もある。そして、悟らに危害を加えないような形での隠滅工作、例えばAが自殺したように見せるとか、物盗りに殺されたように見せるなどの隠滅工作を図ることも考えられないではない。他方、被告人がA殺害後一時自宅を離れていたのは放火のアリバイ工作以外にはありえないと断言しうるまでの事情もなく、自宅を離れたのは右隠滅工作について検討していたためではないかなどの可能性もなお考えられないではないのである。」

としたうえ、結論として、

「被告人のA殺害の動機及びその後の行動は、放火による証拠隠滅工作があったとまで断言できるほどのものとも言えない。」

としているが、この判示はいささかあいまいである。放火による証拠湮滅工作があったとまで断言できないという結論は正当であるにしても、もし、この趣旨が、Tと結婚することの邪魔になるAを殺害しようという殺人の動機が放火による犯跡隠蔽を必要とするものとまではいえない、換言すれば、かかる動機による殺人があっても、放火による犯跡隠蔽を必要としないというのであれば、大いに問題といわなければならない。たしかに、犯跡隠蔽行為は放火に限られるものではなく、原判決がいうように、「自殺に見せかけるとか」、「物盗りに殺されたように見せる」ことによっても可能である。しかし、本件では、放火以外のこのような犯跡隠蔽行為は証拠上認められないのであるから、仮定論としても、これらを例示することは極めて不当である。現に、原判決自体、Aの自殺や物盗りによる犯行の可能性を否定しているのであって、それからすれば、そう思わせるような被告人の作為がなかったことをも容認しているといってよい。したがって、原判決が放火行為以外の犯跡隠蔽行為を想定することによって、前記の動機によるAの殺害と放火行為の不存在との不整合性をとり繕うことは、許されないところというほかない。

また、原判決がいうように、被告人がA殺害後自宅を離れたのは、犯跡隠蔽工作について検討していたためとすると、被告人は、殺害時には犯跡隠蔽行為を考えておらず、A殺害後に初めて犯跡隠蔽を考えたことになるが、これまた前記の殺害動機の計画性と食い違ってくるといわなければならない。

もちろん、本件殺人が一時的な興奮にかられ、激情犯として行われたものであれば、かっとなって後先の考えなしに殺害行為が行われたということで、殺害後に犯跡隠蔽方法を考えたとしてもおかしくないが、原判決における本件殺害行為の認定は、再三述べるように、かっとなって衝動的に行われたものではなく、Tと結婚するためにかねてから考えていたことを実行に移したというものであるから、殺害行為の前に犯跡隠蔽方法があらかじめ考えられていなければならないはずである。原判決の前記のような判示は、本件の全体の流れの中でそのような可能性を想定することが合理的であるかどうかを十分に吟味することなく、いわば思いつくままに考えられることを列挙しているきらいがあって、相当ではないといわざるをえない。

第二  Aの死因について

一  死因等に関する黒須鑑定及び上野鑑定の概要

原判決の死因及び頚部圧迫方法に関する認定は、主として黒須鑑定(黒須医師作成の鑑定書及び同医師の公判供述を合わせて、このように略称する。以下、上野、内藤、上山各医師の鑑定についても同様である。)及び上野鑑定に基づくものと認められるので、最初にこの両医師の死因等に関する鑑定の概要を摘記することとする。

1  黒須鑑定

黒須靖医師は、まず、その鑑定書において、

<1> A(死亡時二五歳)は、身長一六三センチメートル、胸囲八〇センチメートル、腹囲七三・五センチメートル、体格並びに栄養中等である。

<2> 頭部、顔面部、頚部、胸部上半部は高度に炭化しているが、外景所見として、残存する胸腹部、背部等の皮膚に火傷性紅斑及び水泡形成がなく、喉頭、気管、気管支及び肺内の細気管支にわたり、炭粉の沈着は全くないこと、及び心臓血中のCO-ヘモグロビン含有量は極めて少ないことからして、その死因は焼死とは認めがたい。

<3> A死体には、血液の暗赤色・流動性、左右胸肋膜下に粟粒大溢血点少数散在、左右肺肋膜下に粟粒大の溢血点数個散在、喉頭蓋部に蚤刺大の溢血点数個存在といった粘膜、漿膜下の溢血点および肝臓、腎臓、肺臓に強いうっ血といった急性窒息死の所見を呈する。

<4> 肺臓には強いうっ血が存するも、死因となりうる肺水腫の所見はなく、心筋・心臓弁装置にも異常はない。

とし、結論において「本屍の死因は急性窒息死と推測される。」とするものの、頭部、頚部、上胸部が極めて強く炭化しているため、「そのメカニズムは不明である。」とする。

そして、同医師は、原審公判廷における証人として、急性窒息死と推測する根拠につき、急性窒息死の三大徴候といわれる前記<3>の所見はいずれも顕著にみられたとし、粘膜・漿膜下の溢血点を数個あるいは少数と記載したのは、顕著なものだけを記載した趣旨であると説明し、更に、喉頭蓋部の溢血点の存在を急性窒息死の有力な所見として強調するほか、脳神経系及び心臓血管系等に急死を思わせる所見がみられなかったことから、急性窒息死の判定をしたと供述し、加えて、A死体が焼燬されたため、急性窒息死のメカニズムは不明であるという右鑑定書の結論を維持しつつも、その原因として考えられる鼻及び口腔を閉塞する、頚部を圧迫する、胸郭を圧迫する、毒物等により肺胞内のガス交換ができなくなる、咽喉に異物が詰まる等々のケースのうち、考えにくい原因を消去していくと、頚部圧迫と鼻及び口腔の閉塞が残り、後者は成人の場合起こりにくいので、推認にはなるが、頚部圧迫による急性窒息死の可能性が高い旨を供述する。

2  上野鑑定

Aに対する殺人事件の公訴提起がなされたのは、昭和五八年五月九日であるが、東京都監察医務院副院長上野正彦医師にAの死因等について鑑定嘱託がなされたのは、これより後の同月二三日であり、同医師より鑑定書が提出されたのは、同年六月二〇日である。したがって、これらの作成日付からすれば、上野鑑定書の検討を待たずにAに対する殺人事件の公訴提起がなされたようにもみえるが、上野証言によれば、右の正式な鑑定嘱託以前から警察官において同医師の意見を徴し、その結論を聞いたうえで、頚部圧迫を殺害方法とする本件起訴がなされたという経過が窺われるので、本件起訴における上野鑑定書の役割は、極めて大きいといわなければならない。

この上野鑑定は、黒須鑑定書及び剖検時の写真撮影報告書等に基づいた鑑定であるが、Aの死因は「頚部圧迫による急性窒息死と判断される。」とするもので、その手段方法については、「これを断言することはできないが、扼頚とするならば、手指の握力をつかわぬ前頚部の圧迫乃至背後から頚部を腕で絞めた可能性が考えられ、絞頚とするならば比較的幅の広い柔らかな帯状の索条物による絞頚の可能性が考えられるが、いずれにしても他殺手段による窒息死と判断する。」というものである。

そして、その根拠となる所見としては、黒須鑑定が挙げている所見のほかに、<1>咽喉頭部及び喉頭蓋の血管充盈と蚤刺大~粟粒大の溢血点が中等度にみられること(これらのうち、喉頭蓋の蚤刺大の溢血点の存在については黒須医師も指摘するところである。)、<2>食道外膜下後面上方の血管の充盈と蚤刺大~粟粒大の溢血点が中等度にみられ、その直下の食道外膜下にクルミ大の出血斑がみられること及び<3>両側性の頭蓋底の錐体内うっ血が強く認められることを新たに指摘するほか(なお、このほか、両肺肋膜下の粟粒大の溢血点を多数とし、大脳の血管充盈も強いとし、肺胞にも気腫がみられるとする点で、黒須鑑定とは異なる所見を述べる。)、前頚部筋層に出血がなく、舌骨や喉頭部の諸軟骨に骨折がみられず、更に比較的健常皮膚を残存した後頚部にも索溝などの異常がないことなどを合わせ考えると、前記のような方法でないと本人の頚部所見に適合しないとするものであった。

また、同医師は、Aには胸腺リンパ体質や副腎皮質の菲薄、血管系の発育不全などのいわゆるポックリ病体質の所見はないうえ、頚部圧迫による窒息の所見が明らかに存在するので、急性心機能不全を生じて急死した可能性は否定されるとする。

二  原判決の認定について

このように、Aの死因について、黒須鑑定は急性窒息死であるとし、上野鑑定は更にそれを一歩進めて頚部圧迫による急性窒息死であるとするが、原判決は、この点について、

「内部所見に基づく死因についての両医師の鑑定意見は少なくとも急性窒息死の限度で一致し、双方が右結論を導くに至った過程やポックリ病等を否定するに至った過程について挙げる具体的根拠も相当程度一致していることからすると、両鑑定の信用性は高く、両鑑定に基づいてAが急性窒息死したことを認めるに十分である。」

として、まず、Aの死因が急性窒息死であることを肯定したうえ、続いて、脳の血管充盈、食道外膜下後面上方の溢血点やクルミ大出血斑、肺胞性気腫など、黒須医師が剖検時の所見として否定している所見についても、

「上野医師の証言によれば、右各所見は、鑑定資料中の解剖写真から見て取れたものであり、事実同医師が公判廷において指摘する解剖写真には同医師の所見に合致する異状が見て取れることからすると、同医師は鑑定資料から得られた所見に基づいて判断を行ったものと考えられ、右の点で同医師の鑑定の信用性に疑いを差し挾む余地はないものと考えられる。」

として、これらの所見を認めた上野鑑定を相当として採用し、Aの年齢を考えると、黒須鑑定が可能性として残した口及び鼻の閉塞は考えにくく、結局、頚部圧迫の可能性が最も高いとしたうえ、上野鑑定にあるような方法を用いれば、前頚部筋肉層内の出血や舌骨等の骨折の出ない形での扼殺ないし絞殺も可能と認められるとして、<1>前頚部を手で強く押さえるか、<2>背後から右頚部に自己の腕を巻きつけて羽交い絞めにするか、又は<3>タオル様の幅広い布を右頚部に巻きつけるかのいずれかの方法によったものと認定する(なお、「羽交い絞め」という原判決の表現は適切なものではなく、単に「扼する」という趣旨に解することとする。)。

三  弁護人らの所論及び内藤鑑定について

1  藤田保健衛生大学主任教授内藤道興医師作成の鑑定書は、原審においては、証拠調べの必要性がないとして却下され、取り調べられておらず、当審において初めて取り調べられたものであるが、弁護人らの所論の多くがこの鑑定書に依拠していることは間違いのないところである。以下、内藤鑑定書及び同証人の当審供述から内藤鑑定の概要を摘記する。

この内藤鑑定も、実際に解剖に当たった黒須医師の鑑定書や剖検写真等に基づく第二次的鑑定であるが、その結論は、

「Aの死因を頚部圧迫による急性窒息死と見倣すことは、妥当でないと思料する。同女の死因に関し、その具体的疾患名を明らかにするに足る資料は得られなかったが、病死(内因性急死)である可能性は充分にあり、少なくとも犯罪性(他殺)は極めて乏しいと判定するのが宜しいと思われる。」

というものであり、その根拠となる所見として、

「心外膜及び腎盂粘膜に溢血点が認められなかったことは、全般的にみて溢血点の発生は顕著でなかったように思われること」

「黒須鑑定の指摘する四つの所見も急性窒息死と判定するために十分な程度に達していないと判断されること」

「皮膚、皮下組織及び頚部筋群の外層部の状況は焼失によって検査不能におちいったにせよ、頚部圧迫に際し最も生じ易いとみるべき胸骨舌骨筋、甲状舌骨筋、肩胛舌骨筋等において、出血の存在が全く認められなかったこと」

等を挙げ、他方、病死の可能性を示唆する所見として、

<1> Aの年齢、体格等からすると心重量は普通二五〇瓦内外とみられるところ、心重量が三〇五瓦ということは、心室壁における心筋の厚さが右約〇・六糎、左約一・八糎であることと心臓後面の剖検写真とを総合すると、心臓左室の求心性肥大の存在は確からしいと解されること

<2> 大動脈起始部の幅は約五糎でかなり狭く、三〇五瓦の重量及び心筋の厚さが左約一・八糎とは、かなり不均衡なように思われること

<3> 脾臓重量二二〇瓦は正常の約二倍位の値であり、脾腫と称すべき程度ではないにしても肥大している状態ではあったと考えられること

を指摘するほか、最も評価の高い所見として、

「気道内に異常に多い白い泡沫と肺重量とから黒須鑑定では否定されている肺浮腫の存在が考えられること、心肥大と大動脈口の狭小(起始部の幅五糎)との不均衡の考えられることの二点は相互に関連性を有する病的異常とみることができ、循環器系の急性機能不全によって肺浮腫を生じたものとみることは可能である。」

という点を指摘する。また、青壮年の原因不明の急死は夜間睡眠中のことが多く、胃内容の多量であることも少なくないとし、脳腫脹も循環不全に基づく可能性があるとする。

2  所論は、このような内藤鑑定書に基づき、原判決がAの死因を頚部圧迫による急性窒息死と判断した点を論難し、

「原判決の結論である頚部圧迫による急性窒息死の法医学的診断を下すには、A死体に頚部圧迫によって死亡したことを十分に推認せしめる各所見が認められると共に、これ以外の、たとえば病気その他原因不明による死亡を疑わしめる所見が認められないことを要する。しかるにA死体は、頚部圧迫による急性窒息死の所見を呈しておらず、それどころか病的異常の所見を呈し、循環器系の急性機能不全によって病死した可能性がある。」

と主張する。

四  当審の判断について

そこで、以下、前記各鑑定並びに当審で取り調べた獨協医科大学教授上山滋太郎医師作成の鑑定書及び同医師の当審証言(その内容については、それぞれの箇所で摘記する。)等を比較検討し、所論を考慮しつつ、Aの死因等についての当審の判断を示すこととする。

1  急性窒息死の認定

まず、A死体に一般に急性窒息死の三大徴候といわれる所見がみられることは、黒須鑑定からも明らかであるが、弁護人らは、これらの徴候は、必ずしも急性窒息死に限ったものと考えるべきではなく、急性死全般にみられる徴候である旨主張する。そして、黒須医師が、原審証人として、これらの所見の発現の仕方が非常に強いあるいは著明であると述べたことは不当であり、喉頭蓋部に溢血点が認められるといっても、これは一般的な急死にもみられる所見であり、扼殺の決め手となるような高度なものではない旨指摘する。

まず、急性(窒息)死の三大徴候の一つである血液の暗赤色・流動性がA死体にみられることは明らかであり、この点については各鑑定とも全く異論がない。

次に、黒須鑑定書が他の徴候について記述するところをみると、

<1> 左右胸肋膜下に粟粒大溢血点少数を散在している

左右肺肋膜下に粟粒大の溢血点数個を散在している

<2> 左右肺臓の圧出血量は稍多い

脾臓の圧出血量は多い

左右腎臓の圧出血量は多い

肝臓の圧出血量は多い

<3> 喉頭蓋部に蚤刺大の溢血点数個を存する

等の所見が記載されている。このうち、内臓諸器官のうっ血を強いとみていることは、右<2>の記載からも明らかであるが、<1>及び<3>の溢血が著明であるかどうかは、「少数」ないし「数個」という記載からは多少疑問に思われるところである。

しかし、黒須医師は、原審証人として、前記の三大徴候が著明に認められたことを明言し、Aの死因が急性窒息死であることに関しては、全く疑いを持たなかった旨を供述する。鑑定書において溢血点が「少数」あるいは「数個」と記述されている点についても、著明なものだけを記載したというのであるから(原審第二三回公判供述)、鑑定書の記載と法廷供述との間に矛盾はなく、解剖時の所見として、これらの溢血点が著明であったことを否定すべき理由はないといってよい。たしかに、「著明」かどうかの判断基準は必ずしも明確ではなく、人によって判定が異なる面があることも否定できないが、死体解剖に直接携わった同医師が著明であったと明言し、死体の全体的な所見として、急性窒息死であることに全く疑いを持たなかったと断言していることは、無視することのできない重みを持つということができる。また黒須鑑定によれば、<3>の部位における溢血点の存在は、一般的な急死には希れだということであるから、本屍の喉頭蓋部に相当程度の溢血点がみられることは、Aの死因を急性窒息死と認定する有力所見の一つということができる。

黒須医師は、昭和二七年に日本大学医学部を卒業し、国家試験に合格後、国立東京第一病院の外科に厚生技官として勤務し、その間、慶応大学医学部の法医学教室で一年間研究を続け、昭和三八年から父の行っていた法医解剖の助手を務めて約四〇〇体の解剖を手伝い、父の死亡後、同四六年から本件解剖のころまでの間に警察の嘱託医として約四〇〇体、合わせて約八〇〇体の解剖に携わっているベテランの解剖医であって、大学の法医学教室での専門的な研究期間は短いとはいっても、経験を積んだ解剖時の所見についての鑑定意見は、十分信用に値するということができる。

やや一般論になるが、解剖を実際に担当した医師の剖検所見とその後にその鑑定書や解剖写真を検討し、判定を下した医師の所見が異なる場合に、そのいずれを正しいとするかは、極めて難しい問題である。写真では、遠近感・立体感に乏しいことは否定できないし、撮影に当たっての光線のあて具合や露出の程度あるいはカメラアングル等によって、更には、現像・焼き付けの仕方如何等によっても、印象、色彩、鮮明度等がかなり実物とは違ってくることがあり(もっとも、上山鑑定書は、小松原敏彦作成の本件写真撮影報告書の写真につき、ピントもよく、色調も整っており、画面構成・撮影方向とも適切に撮影されていて、二次的な鑑定にも十分耐えうる質的内容を備えているとする。)、加えて、解剖した医師の場合には、死体の状況を直接かつトータルに観察できるのに対し、写真等による判定の場合には、限られた写真等の資料によって判断しなければならないという限界もある。したがって、これらの点からすれば、死体を実際に見ている解剖医の所見に第一次的重要性を認め、その意見を尊重するのが最も無難ともいえるが、他方、解剖医にしても、見落としがないとは断言できないし、解剖にかける時間にも制約があり(本件解剖では、所要時間は約一時間二〇分とされている。)、それぞれの医師の専門的知識や経験、力量については、個人差もあることなので、一概にはなんともいえない側面もある。

しかしながら、本件黒須鑑定については、同医師が、前述のとおり、解剖医として豊富な体験を有していること、本件解剖が司法解剖として慎重に行われていること、鑑定書の作成にも十分な時間をかけ、解剖時の写真や組織標本もよく点検して鑑定書が作成されていること、同医師が警察からの鑑定依頼にもかかわらず、頚部圧迫の有無についても慎重な態度を崩さず、急性窒息死を生じたメカニズムは不明であるとするなど、法医解剖に携わる者としての中立性や謙抑性をよく守っていること(この点の信用性は、上野鑑定及び内藤鑑定に比べて格段に高いと思われる。)などに照らすと、その剖検所見は十分信頼に値するといってよく、他の医師による事後の写真観察等によってその所見を覆すことは、例えば、組織学的検査等からも剖検所見の誤りが明らかとされたような場合や他のより経験豊富な医師が揃ってその所見に疑問を呈するような場合あるいは黒須医師自身が指摘を受けて自己の判断を変えたような場合等を除いては、極めて慎重でなければならないと考えられる。

このような観点から、前記の黒須所見と上野所見の異なる主要な点について検討を加えるに、食道外膜下後面上方のクルミ大出血斑という点は、もしかかる出血斑があったとしたら、その出血部位の重要性やクルミ大という大きさ等からして、黒須医師において見落とすはずもないように思われ、前記上野所見を採用することには躊躇するものがあるといわざるをえない(ちなみに、上山医師は、上野医師と同じくクルミ大の出血斑を認めるものの、写真上で同医師とは異なる部位を指示するし、内藤医師はその存在を否定するなど、写真観察を行った医師の間でも見解がまちまちとなっている。)。しかし、両側性の錐体内のうっ血という点については、写真からも頭蓋底の薄い骨を通して血管の充盈の様子が青く見えるほか、上野医師は、かつて錐体内出血を研究テーマに取り上げ、学会でも発表しており、その分野の専門家として、写真といえども錐体内うっ血の存在を見誤ることはないと思われること、同医師と反対の鑑定意見を述べている内藤医師もこの部位にうっ血があることを認めていること、この点については、前記のクルミ大出血斑のように他の出血が付着するという可能性を考えなくともよいことなどに照らせば、上野鑑定を採用し、うっ血の存在を認めてよいように思われる。また、肺浮腫ないし肺気腫の存在についても、上山医師がAの諸臓器の組織標本を検査したうえでの組織学的所見として、「やや高度のうっ血と浮腫と肺胞内気腫の混在所見が認められる。」とするほか、上野医師も鑑定書には記載しなかったものの、肺気腫の存在を認め、内藤鑑定も急性窒息死の所見としてではないが、同じく肺浮腫の存在を肯定しているのであるから、この点も、これら法医学の専門家らの意見を尊重してよいように思われる。しかし、これらの点以外の所見については、黒須所見を最も確実な所見とみて、これに即して検討を進めることとする。

そこで、具体的な検討に戻るが、このように、食道外膜後面上方のクルミ大出血斑等の所見が認められないとなると、上野鑑定をも採用して死因を急性窒息死とした原判決の判断に影響が出るかということが問題となるが、これらの所見を除いても、急性窒息死の三大徴候のほか、前記喉頭蓋部の溢血点や肺浮腫及び肺胞内気腫の混在(内藤鑑定は、肺浮腫の存在をAの病的異常の根拠とするが、それが否定されることについては、後述する。)等の所見もあり、黒須鑑定のほか、上野、上山鑑定もまた死因を急性窒息死とすることで一致しており、かつ、後に詳述するように、これらの鑑定によりAの病死の可能性が明確に否定されていることからして、Aの死因が急性窒息死であることは、優に認めることができる。

弁護人らは、

<1> 窒息死では、脾臓は貧血性を示すのが通常であるが、本屍では、脾臓の重量が二二〇グラムと正常値の約二倍であること

<2> 急性窒息死においては、心外膜下、腎盂粘膜に溢血点が通常存在してしかるべきであるのに、A死体には、これらの所見がないこと

を指摘して、死因が急性窒息死であることに疑問を呈する。たしかに、窒息死の場合には、脾臓は一般には貧血性であるとされているが、うっ血のこともあるのであり(例えば、渡辺博司「死体の視かた」一六六頁は、「よく脾臓だけはこのような場合、血量が減少するとされているが、これはそうでない例もかなりあり、何ともいえない。」とするほか、上山滋太郎外著「標準法医学・医事法制」一三五頁も、脾臓がうっ血のことがあることを認めている。)、特に、本屍の場合には、上山医師による組織学的所見からすると、肝臓、肺臓及び脾臓には小肉芽腫が散在しており、所論指摘の脾臓の重量が二倍近いことには、これも一因していることが認められるのである。また、<2>の所見がみられないからといって、急性窒息死の判定を左右するほどのものとは認められないので、これらの所論はいずれも採用の限りでない。

2  頚部圧迫の有無

まず、この点を黒須鑑定にみるに、同医師の鑑定意見は、先にも述べたとおり、「本屍の死因は急性窒息死と推測されるが、そのメカニズムは不明である。」とするものであった。しかし、同医師の原審証言によれば、右のうち「推測」という点は、「推測」とはいっても、「断定」といってよく、「そのメカニズムは不明である。」とする点も、これは、A死体の焼燬により、頚部の皮膚が強く焼失したため、絞頚、扼頚をはっきり裏付けるものがなかったことによるもので、絞頚、扼頚の可能性自体は極めて高く、それ以外の可能性は非常に考えにくいというものである。ただ、機械的窒息の原因を考えていった場合、剖検所見から、異物等による気道の閉塞、胸壁の圧迫、肺胞内ガス交換の不全等は否定されるが、鼻、口腔の閉塞は、顔面、頚部が焼失しているため否定しきれず、鼻、口腔の閉塞と気道の圧迫のいずれか分からないので、前記の鑑定意見となったというのである。

原判決の死因に関する前記認定をその判断過程からみると、基本的には、この黒須鑑定とほぼ同一の認定方法をとっているとみてよいように思われる。つまり、急性窒息死の原因として考えられるもののうちから、A死体の所見上否定されるものを消去し、残るところの口及び鼻の閉塞ないし頚部圧迫のうちから、更に前者はAの年齢からして考えにくいとしてこれを消去し、自絞死も考えられないところから、結局、外力による頚部圧迫の可能性が最も高いとしたわけである。しかし、黒須鑑定が口及び鼻の閉塞による急性窒息死の可能性も完全には否定せず、頚部圧迫の点も推認にとどめていたのに対し、原判決は、更に一歩を進め、そこから先は上野鑑定を採用し、同医師の述べるような前記の方法のいずれかによれば、頚部圧迫に通常伴う前頚部筋肉層内出血や舌骨等の骨折といった所見の出ないような形での扼殺ないし絞殺も可能であるとして、Aはこのような方法により扼殺もしくは絞殺されたと認定するのである。

しかしながら、<1>前頚部の索条痕、指先による圧迫痕、皮下出血や表皮剥脱、<2>眼瞼・眼球結膜のうっ血、溢血点、<3>顔面のうっ血等の頚部圧迫の所見がA死体の焼損によって確認不能であること、A死体の比較的健常皮膚を残した後頚部にも索溝や指先等による圧迫痕等の痕跡が認められないこと、また、焼燬の影響を受けていない前頚部筋層内に出血がなく、舌骨、喉頭の諸軟骨等にも骨折が認められないことなどは、頚部圧迫を認定するうえでのマイナス要因として考慮せざるをえないところである(なお、当審において取り調べた上山鑑定書は、頚部圧迫の積極的所見として前頚部の筋肉内出血の存在を指摘するが、この部位の出血は、他の医師が誰も指摘していない所見であるうえ、同医師自身、昭和五八年九月の時点で弁護人らから本屍の死因等について意見を求められた際には、なんら言及するところのなかった所見である。同医師は、この点につき、それは弁護人らから見せられた写真と検察官から見せられた写真の鮮明度の違いによるものである旨、当審公判において弁明するが、これらの写真はいずれも同一ネガから焼き付けられたものであり、鮮明度にもさほどの差異があるとは認めがたいので、これらの弁明はいささか苦しいものというほかない。したがって、同医師のこの点についての鑑定意見はにわかに採用しがたいし、他の医師らの鑑定意見もその存在を認めていないことからして、前頚部筋肉層内の出血は認めがたいといわざるをえない。)。

また、原判決の依拠した上野鑑定は、A死体の食道外膜後面上方にクルミ大の出血斑がみられる旨の所見等から、頚部圧迫を積極的に肯定するが、前述したように、かかる出血斑の存在を認めるわけにはいかず、両側性の錐体内うっ血についても、かかる所見を頚部圧迫による急性窒息死の決定的所見とすることは、いまだ法医学界において広く承認された見解ともいいがたく(上山医師もこの上野意見に同調するかのようでもあるが、その趣旨は、急性窒息死の場合脳にうっ血がみられるということ以上のものではないように思われる。)、したがって、同医師のこれらの鑑定意見によって頚部圧迫の積極的所見があると認めることはできない。

以上の点からすると、当審の判断としては、原判決が基本的には黒須鑑定を採用しつつ、ただし、そのうちの「口及び鼻の閉塞」と、自絞死の可能性を否定して、「結局可能性としては頚部圧迫による可能性が最も高い」とした点については、その限度において相当であると考えるが、それを越えて、頚部圧迫に通常伴うところの前記の各所見がみられない点は、被告人が選択した絞扼方法によるものとして、頚部圧迫と断定し、<1>手を広げたまま頚部を押すような方法での扼殺か、<2>羽交い絞めによる扼殺、または、<3>ある程度幅のある帯状のものによる絞殺のいずれかの方法により扼殺もしくは絞殺したと認定したことには、いささか賛成しがたいものがある。

つまり、上野鑑定も、これらの三つの方法のうちのいずれかによるのであれば、舌骨等の骨折や頚部筋肉層内の出血等の所見がないことと矛盾しないというにとどまるものであり、被告人がかかる方法によりAを殺害したということの積極的な裏付けになるわけではない。換言するならば、「可能性としては頚部圧迫による可能性が最も高い」ということと、「かかる方法を用いれば、右のような出血・骨折の所見の出ない形での扼殺ないし絞殺も可能である」ということとを結びつけても、依然として可能性の域を出るものではないのに、原判決は、ここから「したがって、Aは前記の方法により扼殺または絞殺されたものと認められる。」という結論を導き出しているのであって、可能性のレベルにとどまっているものを証拠による証明があったことに置き代えてしまったものといってよい。また、このようなAを急性窒息死に至らせた手段・方法の問題は、既に死因論の範囲を越え、実行行為の問題ともなっているのであるから、単なる死因の観点だけから結論を出すべきではなく、後に述べるように、実行行為論として、犯人の知識・能力、現場所在の蓋然性、被害者及び犯行現場の状況等、さまざまな観点から多角的に検討され、そのうえで結論付けられるべきであったということができる。その点、原判決の検討は一面的であるという批判を避けがたいように思われる。

五  病死の可能性について

Aの日常生活及び本件当日の状況は、単にAに身体的異常があったか否かを検討するうえで重要であるばかりでなく、犯人像の設定や死亡時刻の認定ひいては被告人のアリバイ問題とも関連する重要な事実であるが、便宜ここで概観することとする。

1  Aの日常生活

Kら親族、関係者らの証言その他の関係証拠によれば、Aは平素健康であり、家事、育児、実家であるマギー縫製での勤務を問題なくこなしており、それまでの生活歴でも健康状態に特段の問題はなかったものと認められる。

関係証拠から同女の平素の日常生活をみると、毎朝午前七時前ころに起床し、家族の食事の支度をし、前日に洗濯をすませていた洗濯物を干し、朝食後午前八時四〇分ころ軽自動車に悟と徹の二人を乗せて自宅を出て、マギー縫製に出勤し、午前九時ころから午後五時ころまで稼働し、午後五時一五分ころには実家を出て、途中簡単な買い物をすることもあるが、おおむね午後五時三〇分から同六時までには帰宅し、午後六時ころには夕食の準備にとりかかり、通常は午後七時ころに、遅くとも同八時ころには夕食をすませ、食事の後片づけ、入浴、洗濯等をし、被告人の帰宅が不規則であったことから、被告人の帰宅を待つことなく戸締まりをして先に就寝し、午後八時三〇分ころか遅くとも同九時には子供らを寝かせ、A自身も早ければ午後九時ころ、通常は同一〇時前後、遅くとも同一一時には就寝していたことが認められる。

2  本件当日のAの行動

所論は、本件当日、Aには、病的異常を窺わせる状況がみられたとして、次の諸点を指摘する。

「Aは、既に上下パジャマを着て寝具の中にあって一応就寝の状態に入っていたと解され、胃の中には一〇〇〇CCもの食物を入れ、几帳面なAにはありえない洗濯機に洗濯物を入れ、又、食器類を洗いおけに放置したまま、同日午後八時ころ死亡したのであった。右の事実から、Aは夕食後間もなく、やるべき家事をそのままに二児を寝かしつける添い寝ではなく、自らも本格的に寝るべくパジャマに着替えて床に就いたものと推測されるのである。そしてこのような日常からはずれる行為をとった原因として考えられるのは、Aに、家事の意欲を失わせるような、何らかの身体的違和感を生じていたと考えることが可能であり、それが病的異常の徴憑であったと考えることは決して不自然ではない。」

しかしながら、Aは、前述のように、日常生活において健康であり、事件当日も通常のように起床して家族の朝食の準備等をしたうえ、自分も食事をとり、悟が前夜実家に泊まったことから、徹と共に車で実家のマギー縫製に出かけ、通常どおりに働き、帰宅間際に実家でさつまいも一本等を食したうえ、帰路簡単な買い物をすませ、帰宅後、後述するように、いつもどおりの午後七時ころに夕食をとっているのである(しかも、剖検所見によれば、胃の内容物が一〇〇〇CCにも達するという、健康そのものの健啖ぶりを発揮している。)。したがって、基本的な点ではなんら普段の生活と変わるところがなく、これらの点にAの病的異常を感じさせるものは全くない。

仮に弁護人らが主張するように、当夜Aが洗濯をせず、食器類を洗わずに寝てしまったとしても、これを病的異常の徴憑とみることは、このような基本的な生活面で普段となんら変わるところがなかったことを無視するもので、瑣末な点を大きく取り上げすぎているという批判を免れないように思われる。

しかも、Aの帰宅後の状況をみると、果たして、Aがやるべき家事を放擲したという状況が認められるかどうかも疑問である。例えば、Aは、通常毎晩洗濯をして脱水し、それを翌日出勤前に干していくようにしていたが、検証調書等によると、洗濯機内には子供の下着や徹のおしめのほか、Aの下着等の洗濯物が入っていたことが明らかであり、かつ、浴槽の湯が下から二八センチメートルのところまでしか残っていなかったことやおしめは毎日その日のうちに洗濯するのが普通であること、Aは当日被告人から帰りが遅くなる旨言われており、被告人の入浴を待って洗濯するわけにもいかなかったことなどを考えると、右の洗濯物の状態は、洗濯機の中に洗濯物を洗わないで突っ込んだままにした状態とみるべきではなく、むしろ、入浴後の浴槽の湯を利用して洗濯をすませて脱水し、翌朝すぐ干せるような状態で脱水機の中に入れてあったとみるのが相当であろう(ちなみに、Kの供述によると、本件当日には徹もそれまでひいていた風邪が大変良くなっていたというのであるから、久しぶりに入浴させた可能性が十分にあるといってよい。)。

また、Aが悟の着替えをさせることなく、そのまま寝かせてしまったことも、Aの入浴を否定する事情となるものではなく、ましてや、Aの病的異常を疑わせるものではないであろう。Aは、本件の前日である一二月八日は悟が夕方眠くなってしまったことから、実家に預けて帰宅し、翌九日は夜早く寝かせるために、祖母のKが同児に昼寝をさせないようにしていたため、悟は、帰宅後食事をして間もなく眠ってしまったということも十分考えられることである(悟は昼寝をしなかったときには午後八時ないし八時三〇分ころには眠ってしまうようである。)。それで、Aも悟を起こして着替えをさせたり、入浴させることを不憫に思って、そのまま寝かしつけたとも考えられるし、生後七か月の嬰児と三歳の男の子を風邪を引かさぬよう一緒に入浴させるということはなかなかの難事であるので、悟を待たせて、先に徹を風呂に入れているうちに悟が寝込んでしまったということも十分ありうるところである。

更に、Aの就寝時刻については、後述するように同女は午後八時前後に(遅くとも午後八時三〇分ころまでに)床の中で死亡したと考えられるので、それ以前に就寝したとみざるをえないが、同女は、生後七か月の徹を抱え、毎晩授乳やおしめの取り替えなどで夜中にも起きざるをえず、しかも、日中は働いているため昼寝もできず、そのため、夕食後に入浴でもすれば、平素の睡眠不足や一日の疲れから添い寝のつもりが本格的な眠りになってしまったと考えることも、ごく自然な推測といってよい。

弁護人らは、Aがパジャマに着替えていたことから、本格的に眠るつもりで就寝したと推測するが(この点では原判決も検察官も同様の見解をとる。ただし、弁護人らとしては、同女が午後八時ころからパジャマに着替えて就寝していたということに異常さを見いだそうとするのに対し、原判決や検察官は、パジャマに着替えて就寝していたことから、同女の死亡時刻は同女の通常の就寝時刻である午後九時以降であることの有力な情況証拠と考えるようである。)、主婦などが、すぐ寝るつもりではなくとも、湯上り後にパジャマ姿に着替えてしまうことは、多くの家庭でしばしば見かける光景であり、Aの場合においても、入浴して体が温まっていたうえ、厚地のパジャマの下に下着をつけ、ソックスも履き、部屋も暖まっていたことから、入浴後にパジャマに着替えることは、一二月という季節を考えても、ありうるところである。このあと食器洗いをするつもりであったとしても、それはごく僅かなものにとどまるし(検証調書によれば、流し台に洗い残された食器類は、茶わん、湯飲み茶わん、皿各一、汁わんと認められるもの二、箸一膳、スプーン一にとどまる。)、既に食事も入浴も終わっていたとすれば、パジャマに着替えてしまうことになんの不思議もない。したがって、パジャマ姿で布団に入っていたからといって、必ずしも本格的な就寝を意味するものではなく、以上に述べてきたことからすれば、むしろ、徹に添い寝をしているうち、日中の疲れ等からつい寝込んでしまったとみるのが自然であり、同女に病的異常が現れ、するべき家事もしないで就寝したとみることは当を得たものではないというべきである。西六畳間の螢光灯がつけっぱなしであったことや、ガスストーブがついていたことも、添い寝のつもりがつい寝込んでしまったということから説明がつくことである。また、石井幸子の証言によれば、冬場でも、被告人が帰って来ないときには西六畳間の厚地のカーテンが引かれてないことがあるというのであるから、本件当日かかる状態であったからといって、別段Aの病的異常を疑わせるものではないであろう。

3  病死の所見の有無

所論は、A死体は、病的異常の所見を呈し、循環器系の急性機能不全によって病死した可能性がある旨主張する。すなわち、A死体には、

<1> 肺浮腫の存在

黒須鑑定の解剖検査記録によれば、左右の肺臓が、左は四六〇グラム、右は六一〇グラムとあり、また、添付写真によれば、Aの気管及び気管支中の泡沫は白く、特に気管支内では白い泡沫が充満していることが認められ、これらからすれば、肺浮腫を生じていたことが認められる。

<2> 心肥大と大動脈口の狭小との不均衡

Aの年齢、体格等からすると、心重量は普通二五〇グラム内外と見られるところ、Aのそれは三〇五グラムであって、心室壁における心筋の厚さが右約〇・六、左約一・八センチメートルということと心臓後面の大きさとを総合すると、心臓左室の求心性肥大が認められ、左心室から出る大動脈の起始部の幅は、約五センチメートルであり、かなり狭く、右の心重量及び左心室の厚さとはかなり不均衡である。

の二点の病的異常が存在するが、これらは、相互に関連性を有する病的異常であり、肺浮腫が心臓等循環器系の急性機能不全に伴う典型的所見であることを考えると、右不均衡によって心臓左心室から大動脈への血液の送り出しに円滑さを欠いて心肥大を増加させ、そして循環器系に異常を生じさせて肺浮腫をもたらし、その結果、Aは、決定的疾患名を明らかにすることはできないが、何らかの循環器系の急性機能不全により死亡した可能性が存在する、というのである。

そこで、この点について検討するに、弁護人らの右主張は、内藤鑑定書に依拠するものであるが、同医師は、当審証人としても、右の二点を強調し、

「A死体に見られる肺浮腫は病的な浮腫であり、心臓に障害がある場合に肺浮腫がしばしば起こるので、相互に関連のある所見といえる病的変化であり、肺に浮腫があったことによる急死の疑いが非常に強く持たれる。」

旨供述する。たしかに、黒須鑑定書の剖検所見によれば、

A死体の心臓の重量は、三〇五グラム

心筋の厚さは

右約〇・六センチメートル

左約一・八センチメートル

大動脈起始部の巾は約五センチメートル

であり、また、

左右心房内に血液少許、左右心室内はほとんど空虚

心臓剔出時の漏出血量は約五〇グラム

脾臓の重さ二二〇グラム

ということであって、これらの数値からすると、内藤医師が指摘するような心肥大と大動脈口の狭小との不均衡があるようにもみられるし、心臓内血量も異常に少なく、脾臓の重量も正常値の二倍であることからすれば、そこになんらかの病的異常が存在するかのように思われないではない。しかしながら、これらの所見も、子細に検討すると、必ずしも内藤医師がいうような病的異常の存在を窺わせるものではなく、上山鑑定等の関係証拠によって相当程度解明しうるところである。すなわち、同鑑定によれば、本件で問題となっている二〇~三〇歳代の女性について黒須医師が行った過去の剖検事例と上山医師が行った栃木県下における二〇歳代の女性の司法解剖事例との計測結果を比較すると、心重量と大動脈幅にはさしたる差が認められないのに、心筋の厚さと心内血液量には顕著な差がみられ(心筋の厚さは、黒須医師によると、左で一・八cm、右で〇・五三cm、上山医師によると左で一・二cm、右で〇・三cm、心内血液量は、黒須医師によると、四一・七ミリリットル、上山医師によると、一六一ミリリットル)、検討の結果、この差というものは、心筋の厚さについては、上山医師や内藤医師がその平均的な部位で計測しているのに、黒須医師は一番厚い箇所で計測しているという計測部位の違いに依拠していると推定され、また、心内血液量については、黒須医師が心内血液量と心臓剔出時の血液量とをそれぞれ別個に計量していたという計測方法の差に依存していると推定されるというのである。

黒須医師自身、心筋の厚さの計測において、そのような方法をとっていることを原審公判において認めているのであって、左で一・八センチメートルというA死体の心筋の厚さはまさに同医師による剖検事例の平均値と等しくなっているのである。したがって、同医師がA死体の剖検所見として、心筋の厚さに特段の異常がなかったとしているのもうなずけところである。

また、三〇五グラムという心重量は、平均よりある程度重いものの、上山鑑定によれば、心重量が正常範囲にあるか否かの判定は、重量の多寡だけで単純に決まるものではないにせよ、同年配の女性の平均値に標準偏差の二倍の値を加えた値が参考になるというのであり、前記の黒須医師の剖検事例及び上山医師の司法解剖事例の調査結果に照らすと、それぞれの調査結果の範囲内にあり、法医学会の調査結果である三〇一・二グラムをわずかに超える程度であることが認められる。更に、心肥大か否かをみきわめる一つの指標として、心重量(グラム)と身長(センチメートル)の比があり、その値が二を超えると心肥大と考えることが一般に行われているところ、Aの場合は、身長が一六三センチメートルであるので、その比は、一・八七であって、この指標によっても心肥大には当たらないことが判明するというのである(松倉豊治編著「法医学」改訂増補第三版参考付表一一七にも、一・六二プラスマイナス〇・三九という形で同旨の記述がある。なお、同表によれば、心臓死を除く急性死屍の心臓重量は、二一~三〇歳の女性の場合、二四六・五プラスマイナス六五・三とされている。)。

その他、黒須医師の剖検所見においても、心筋、心臓弁膜装置、冠状動脈等に異常はなく、上山医師の組織学的所見においても、「冠状動脈の内腔側には全く硬変の兆候はなく、内腔の狭窄もなく、血管壁自体およびその周辺にも感染に基づく細胞浸潤も認められない。心筋束の太さも正常範囲で、とくに肥大した像はなく、横紋も保たれており、配列の乱れもない。」というのであって、Aに心臓の異常は認められないことや大動脈起始部の幅がやや狭いとはいうものの、正常範囲内にあることなどに徴すれば(松倉前掲参考付表一二〇によれば、二五歳~二九歳の女性の大動脈起始部の幅の平均値は五・〇九センチメートルとなっている。)、内藤医師の指摘する心肥大と大動脈口の狭小との不均衡は、到底認めがたいということができる(もっとも、A死体における心臓内血液量の少なさは、上山鑑定が指摘する計測方法の違いによっては説明しがたく、内蔵諸臓器のうっ血以外にその原因となるものは見当たらないが、どうしてかかる数値になったか十分に説明できないにしても、それが直ちにAになんらかの病的異常があったという結論につながるものとは思われない。)。

次に、肺浮腫の点について言及するに、黒須鑑定書中には、肺臓について、「細少泡沫少許を洩らす。気管支内に細少泡沫多量を容れている。」(この細少というのは、細小の誤記と思われる。)とあるものの、「肺臓にはウッ血を存するも、死因となり得る肺水腫の所見はない。」とし、かつ、原審供述においては、肺水腫が全く認められなかったのかという弁護人の問いに対して、「そのとおりでございます。」と答えていることからすると、肺水腫(肺浮腫)の存在自体を否定していると解されるが、上山鑑定における組織学的所見や黒須鑑定書におけるこのような肺臓及び気管支の状況からすれば、肺浮腫の存在を認めるのが相当であると考えられる。弁護人らは、この肺浮腫の存在を心肥大及び大動脈口の狭小との間の不均衡に結びつけて、両者の関連性を強調するが、この肺浮腫の原因として内藤医師の指摘する右不均衡の点は、前述のとおり、明らかに否定されるので、循環器系の急性機能不全によって肺浮腫を生じたとみる余地はない。もし、Aに死因となるような肺浮腫が存在していれば、それまでの日常生活の中で体調の不調を訴えてもおかしくないと思われるが、かかる事実は認められないし、肺浮腫の存在が認められるにしても、死因となるような肺浮腫が存在しないことは、解剖に当たった黒須医師が明確に述べているところである。これらの点からすれば、A死体にみられる肺浮腫及び肺気腫の混在は、病的異常の存在を裏付けるものではなく、むしろ、気道の閉塞による窒息死の所見として理解してよいと思われる(検察官も指摘するように、急性窒息死では、肺臓のうっ血とともに、気腫あるいは水腫状の所見が往々みられることは、法医学的知見として、一般に認められているところである。)。

内藤医師は、A死体における肺浮腫はきれいな白色を呈しており、急性窒息死の場合とは異なる旨供述するが、上山鑑定によれば、肺の中の空気と浮腫(血漿成分)がミキシングされて気道内に出てきて白色泡沫液として観察され、これに出血した血液が混じると、赤色調の泡沫液が洩出するというのであるから、肺臓内の出血のない本屍については、白色泡沫状を呈する肺浮腫が急性窒息死に基づくものと認定することも、肯定されるところと思われる。

なお、脾臓の重量の点についても、前述のとおり、小肉芽腫の存在と急性窒息死に伴ううっ血とみるべきで、この小肉芽腫が死因となるようなものでないことは、上山医師の供述するところである。

最後に、ポックリ病の可能性について検討する。いわゆるポックリ病は、解剖しても死因の分からない心不全を指すと解されるところ、一般的には若年の男性に多く、男女比は、一四対一といわれ、圧倒的に男性に多いということができる。また、ポックリ病とされた者には、胸腺肥大、副腎の菲薄、大動脈幅の狭さ等の所見が指摘されているが、Aは、女性であって、しかも、原判決も判示するように、胸腺肥大や副腎の菲薄の所見はなく、心臓の重さと大動脈幅も前述のとおり正常範囲内にあると認められるので、ポックリ病の可能性も否定されるといってよい。

以上を総合すれば、弁護人らの右所論は採用しがたいところであって、Aに病的異常はなく、同女の死は、頚部圧迫によるものとは断定できないにせよ、先に述べたとおり他為・外力による急性窒息死であると認めるのが相当である。

4  原審における内藤鑑定書の却下の措置

Aの病死の可能性に関する内藤医師の鑑定意見が採用できないことは、これまでに述べてきたところであるが、この内藤鑑定の問題点について一言しておきたい。同医師は、法医学の分野についての鑑定人として、その資格や経歴には十分なものを有するが、弁護人らからの依頼によって作成された本件鑑定書についてみる限り、<1>鑑定人としての中立性に疑問の持たれる箇所が多いうえ(例えば、本件起訴に至るまでの経緯を批判的に推測し、「上野氏の鑑定、意見を充分に分析検討して相応に評価し得なかった、捜査関係者の貧困さを露呈しているように感じられる」と捜査関係者に対する感情的な所感を述べ、黒須鑑定についても、「検察官主張の扼頚を肯定していない見識は評価されて然るべきものと考えられる。」などとして、検察官に対する対立意識をあらわにする。)、<2>他の鑑定意見を攻撃するに急で断定的な決めつけが多く(例えば、上野医師が他殺手段による窒息死と判断するとしたのは、「著しく不当であり」、他殺との判断を担保する積極的所見は「何等示されていない」とする。また、上野医師が組織標本の入手を警察官に依頼して鑑定の資料にしなかったことを痛烈に批判するが、同医師自身も、組織標本を見ないままに、推測を重ねて「心臓左室の求心性肥大の存在は確からしい」としたり、脾臓肥大からリンパ濾胞の高度発育の可能性を疑っている。しかし、同医師のかかる推測が、上山医師の組織標本を検討したうえでの組織学的所見によって真っ向から否定されていることは前述のとおりである。組織標本を鑑定の資料として取り寄せようとしなかったということで他を責めるより、もっと大切なことは、組織標本を見なければはっきりとしたことが言えない事項については、自らも不確かな推測を慎むという謙抑的な態度であろう。)、<3>法医学者として発言しうる限界を越え、裁判所が供述証拠、状況証拠、その他各種の証拠を総合して行うべき事実認定の領域にまで踏み込んで発言をするなど、基本的な謙抑姿勢に欠けるうらみがある。この点について一例をあげると、同医師は、Aのその日の行動について、Kの供述等から種々推測を重ねたうえ(鑑定書第二の二)、Aがパジャマを着て寝具の中にあったことから、一応就寝の状態に入っていたものと解されるとし、かつ、食後長時間を経ているとは考えがたい状況にあったということから、「Aが二児を寝つかせるべく単に添寝をしていたのではないと解してよく、Aは夜なべ仕事をする意欲をうしなわせるような状態にあった公算は充分にあるとみるのが自然のように思われる。」とする。しかし、食後間もない時間であるからこそ、添い寝ではないかと考える余地もあり(もっとも、悟はとっくに眠っており、添い寝といっても、徹についてのことである。)、かつ、パジャマ姿ということも、前記のとおり、必ずしも本格的な就寝に結びつくものではないと思われる。また、「夜なべ仕事をする意欲をうしなわせるような状態」といっても、一体意欲をもってやらなければならないほどの夜なべ仕事があったかどうかも疑問である。最も問題なのは、Aの整然とした寝姿になんら触れていない点であろう。Aの死体は、両足を伸ばし、かけ布団等の下で両ひじを曲げて両手を行儀よく腹部においた姿勢であり、パジャマや敷布などに乱れもないという、あまりにも整いすぎた死に方であった。法医学的観点からみて、この整いすぎた寝姿にかえって不自然なところがないかどうか、病死としておかしくないかどうかを検討することこそ、法医学者に求められているものであって、現に、上山医師は、Aの死体発見時の姿位は、急性心臓死によって病死したにしてはあまりにも整いすぎていて、不自然であるとして、これを急性心臓死を否定する理由の一つに挙げているのである。内藤医師の鑑定は、病死の可能性があるという結論を出すことに急で、かかる検討がなく、ごく簡単な推測でことをすませ、その推測を病死に結びつけているのである。

以上述べたように、内藤鑑定については、鑑定内容にも採用しがたい点が少なくないのみならず、その鑑定姿勢にも問題があるといわざるをえない。したがって、原審が内藤医師作成にかかる鑑定書の証拠申請を「必要なし」として却下したことには、原判決が殺人の点につき有罪を認めているだけに、問題なしとしないが、これらの点を考慮すれば、結論的には、その措置も誤りではなかったということができる。

第三  犯人と被告人との結びつき等について

一  第三者の犯行の可能性について

1  Aの死因が他為・外力による急性窒息死と認められること及びその原因として頚部圧迫の可能性が最も高いものの、それと断定までしがたいことは、前述したとおりである。しかし、他為・外力による急性窒息死と認められる限りにおいて他殺と考えられるので、その線で考察を進め、犯人と被告人との結びつき、つまり、犯人と被告人との同一性について検討することとする。

まず、被告人方への侵入口として考えられるのは、

<1> 玄関口

<2> 勝手口

<3> 西六畳間南側のサッシ戸

<4> 東六畳間南側のサッシ戸

<5> 各室の窓

であるが、これらの侵入口の施錠の有無についての原判示はほぼ正当であり、<1>、<2>、<5>については、本件犯行時前にはいずれも施錠されていたものと認められる。被告人は、原審公判廷においては、玄関の外錠がかかっていたかどうかについてあやふやな供述をしているものの、火災直後に警察官や消防関係者の事情聴取に対しては明確に玄関戸には外錠がかかっていた旨供述していたのであって、右原審供述が措信できないことはいうまでもない。また、火災発生後の勝手口の状況についての被告人の原審供述も、消火に当たった関係者らの供述や検証調書によって認められるラッチ錠の引き開けられた状況等に照らして、事実に反するものとみざるをえない。

<3>、<4>の西六畳間及び東六畳間の各南側サッシ戸については、本件火災により、いずれも錠の部分が溶解し、施錠の有無が明らかでない。しかし、東六畳間は、普段寝室に用いていて、布団が敷き放しの状態にあり、日ごろ同間南側サッシ戸からの人の出入りはなかったうえ、本件当日Aが帰宅後にこのサッシ戸を開け、しかも、施錠をしないままにしておくという特段の事情も考えられないので、同間南側サッシ戸は施錠されていたものと認めてよいと思われる(洗濯物の取り込みも西六畳間のサッシ戸を開けたときについでに行えばすむことである。)。

また、これらの出入口の戸や各部屋のサッシ戸あるいは窓ガラスを破って、犯人が侵入するという可能性も、火災発生まで被告人方が密閉状態にあったと考えられることや近隣の人たちもガラスの破れる音などの不審な物音を聞いていないことなどから、これを否定してよいと思われる。

したがって、外部から第三者が侵入する可能性として考えられるのは、<3>の西六畳間南側のサッシ戸に施錠がされていない場合のみに限られることになろう。ところで、被告人方の通常の戸締まり方法をみるに、関係証拠によれば、同家玄関戸は、内錠と外錠が連動していないため、Aが帰宅後内錠をかけてしまうと、その後に帰宅した被告人が中に入れなくなってしまうため、Aは、まず玄関戸の外錠を開けて自宅に入ると、今度は西六畳間の南側サッシ戸を内側から開けて外に出て玄関口に回り、玄関戸を外から施錠したうえ、再び右サッシ戸から中に入って、そのサッシ戸を施錠していたことが認められる。本件当夜、玄関戸の外錠が施錠されていたとみるべきことは前述のとおりであり、Aが西六畳間のサッシ戸を開けて外に出て、玄関の外錠をかけて再び右サッシ戸から中に入ったとすれば、そのときに右サッシ戸に施錠したとみるのが自然であるし、Aは、どちらかというと、臆病なたちで、被告人不在のときは必ず西六畳間南側のサッシ戸に施錠していたというのであるから、西六畳間南側のサッシ戸も施錠されていた公算が大であるといってよい(もっとも、Aがサッシ戸の錠をかけ忘れるということがないとはいえないし、石井幸子の原審証言によれば、同人が午後六時前後に被告人方に回覧板などを届けに行った際には、通常まだ玄関の外錠はかけられてなく、必ずしも、Aは帰ってすぐ右のような施錠方法を講じていたわけでもないようである。また、後で洗濯物を取り込もうと考え、サッシ戸の錠をかけないでいるということもありえないではないので、右のサッシ戸が施錠されていなかった可能性を全く否定するわけにもいかない。)。

2  このように西六畳間南側サッシ戸が施錠されておらず、そこから外部の犯人が侵入する可能性が物理的には全くないとはいえないにしても、原判示のように、Aは、自宅と実家との行き帰りの生活であって近所付き合いもあまりなく、当時他の男性と深い交際をしていた様子も窺われず、更に他人から恨みを買うような人柄でもなかったことは明らかである。死体の状況からみても、恨みから殺害されたり、性的被害にあったと認めることはできないし(陰部には生理用のタンポンが挿入されたままになっている。)、室内には物色された様子も窺われないことなどからすると、怨恨、痴情、物盗り、わいせつ等の目的により侵入した犯人による犯行とは考えにくいところである。そうだとすると、西六畳間南側サッシ戸が仮に施錠されていなかったとしても、外部から侵入した犯人がAを殺害したという可能性は考えにくく、玄関戸の鍵を持っており(関係証拠によれば、玄関戸の鍵は三個あり、被告人とAが一個ずつ所持し、残り一個は西六畳間の整理タンスに保管されていたところ、本件当日被告人は右鍵を所持しており、残り二個の鍵は火災現場から発見されたことが認められる。)、家の中に入ってもなんら怪しまれず、家人に騒がれるおそれもない被告人に犯人の疑いがかかることも否定しがたいところである。

二  原判決の描く犯人像について

1  原判決は、Aがパジャマ姿で床に入っていたことから、第一次的には、Aが被害時には寝ていたものとし、第二次的に、西六畳間に明かりがついており、厚手のカーテンが開けられ、ガスストーブも点火状態にあったことなどから、起きていた場合を想定して、それぞれの場合に適合した犯人像を詳細に論じ、結局、被告人がその犯人像に適合するとする。

所論は、原判決のこのような推論を論難し、

「原判決は、本件は他殺であるとしたうえで現場のあれこれの状況から犯人像を描き出し、被告人がそれに合致するとの推論をし、被告人が犯人であると断定する。しかしながら、事件現場の状況を詳細に検討すると、原審の推論に無理があり、むしろ、死因の項で詳論したとおり、病死の場合に客観的に合致する状況が見受けられ、被告人の無実を推認することができる。」

旨主張する。しかし、原判決のこのような推論方法自体を不当とする理由はないし、弁護人らが本件当夜の状況として指摘する

<1> 西六畳間の南側のカーテンは、薄地のレースのカーテンのみが引かれ、厚地のカーテンは開けられたままであること

<2> 西六畳間の明かりがつけっぱなしであったこと

<3> 勝手場の明かりがつけっぱなしであったこと

<4> ガス湯沸器のパイロットバーナーがつけっぱなしの状態であったこと

<5> 流しの洗いボールに茶わん類がそのまま放置されていたこと

<6> 洗濯をした痕跡がないこと

<7> 悟の着替えをしていないこと

<8> 風呂に入った形跡のないこと

<9> ガスストーブ発見時の器具栓の状態は開の状態にあったこと

の諸点のうち、<6>及び<8>の点についての当審の判断は、前記判示のとおりであって、弁護人らの指摘は相当でないし、<7>の点も、別段Aの病的異常の徴憑になるものではない。また、Aがあとで食器洗いをするつもりで、暫時添い寝をしているうちに、眠り込んでしまったとすると、<3>、<4>、<5>の状況もさほど不審に感じるほどのものではなく、Aの病的異常を疑わせる根拠になるとは認めがたい(特に、台所の明かりがついていたということは、被告人が言うのみで、客観的な裏付けを欠くし、被告人が帰宅後に点灯した可能性も否定できない。)。

更に、<1>、<2>、<9>の点についても、<1>、<2>の点が午前四時ころの、<9>の点が鎮火直後の状況として間違いない事実であるにせよ、それ以前の状態については不明であるといわざるをえない。仮に、<2>、<3>の点灯及び<9>の点火の点が、Aの消し忘れであるとしても、Aが身体的な異常のためにこれらを消さないで就寝したとみることは、同女がパジャマに着替えるだけの余裕をもっていたことからして、到底認められないところである。<1>、<2>の点についても、関係証拠によれば、被告人方では、冬場でも厚手のカーテンを引いてなかったことや被告人が帰るまで西六畳間の電灯をつけたままにしておくことがあったことも認められるので、これまた、日常みられる程度のことといってよい。なお、Aが<5>の食事の後片付けを翌朝回しにすることがあることは、被告人も認めるところであるし、当夜の片付け物がごく僅かであったことも前述のとおりである。

したがって、右の<1>ないし<9>の事実関係から事件当夜のAの病的異常を主張し、原判決を論難する弁護人らの所論は採用の限りでない。

2  次に、<6>、<8>を除くこれらの事実関係が犯人像の設定や犯人と被告人との結びつきにどの程度の意味を持つのか、原判決が判示するところを更に検討する。

原判決は、犯人像の考察において、<9>の西六畳間のガスストーブが火災発生時に点火状態にあったことを認めたうえ、Aが就寝するにあたり、点火状態が一目で分かるガスストーブを消さないということは、常識的に見ても考えられないとして、「犯人が、被告人方に侵入後に、Aが就寝時消したガスストーブを点火したもの」であって、「外部の者が犯人であった場合、その犯人がAを殺害した後、ガスストーブをつけるということは奇異で不自然な行動との感を拭えない。」旨判示し、更に、

「犯人がガスストーブを使用した理由は、ガス爆発を狙ったか、あるいは放火に関しある程度時間をおいて出火するような工作を施すためかとも考えられるが、家人が帰宅して犯行が発覚する可能性が高いから、当夜家人が遅く帰宅することについて知っていた者ならともかく、そうでない外部の者がかかる迂遠な手段で放火工作をしたとは考えにくい。」

として、犯人が外部の者である可能性は少ないとする。

しかしながら、原判決のこの判示は、Aが朝まで眠るつもりで就寝したことを前提に、ガスストーブを消さないわけはないとする点で、にわかに是認しえないばかりでなく、再三述べてきたように、放火等について、被告人の犯行という点でも証明不十分として無罪としながら、A殺害の犯人像の設定において、このような時間差を設けた放火工作という想定から、犯人外部説を否定することは、やはり、前後矛盾といわざるをえず、かかる推論には賛成しがたいものがある。

また、原判決は、緑色の厚手のカーテンが引かれてなかった点について、石井幸子の証言から、Aは、就寝する際に右カーテンを閉めていたと認められるので、「Aの就寝後犯人によって開けられたものと考えられる」とするが、同女の証言内容をみると、別段そのような認定に結びつくような供述をしておらず、したがって、同証言から右カーテンが「Aの就寝後犯人によって開けられた」と考えることも相当でないというべきである。更に、原判決は、「何故に犯人がカーテンを開けるという隣家に犯人及び犯行が発覚する危険のある行為に出たのかは不明であり、このことから犯人像を特定することは困難である。」とするが、犯人がカーテンを開けるという行為に出る理由も明らかでない以上、むしろ逆に、Aが厚手のカーテンを開けたままにしてあったとみる方が合理的であるように思われる。したがって、厚手のカーテンは開いていたと推認すべきであって、この点では、原判示より所論の方が妥当とも思われるが、もともと厚手のカーテンが開いていたとすれば、この点は、特に犯人像の特定に役立つものではないといってよい。

3  原判決は、更に、前記<1>、<2>、<3>及び<9>の事情から、Aが本件犯行時に起きていた可能性も否定することができないとして、第二次的に、同女が起きていたときに殺害された場合を考察するが、隣家の家人が不審な物音等を聞いていないことやAの死体に着衣の乱れや抵抗の跡がみられないことなどからして、外部の者の犯行の可能性は少なく、かつ、右の場合には、犯行場所も西六畳間と考えられるので、犯人がA死体を運搬し、布団に寝かせたものと考えられ、かかる行動自体、「犯行を隠蔽する工作行為と考えるほかない。」とする。そして、犯人が敢えてAの死体を悟と同じ布団に寝かせたことからすると、

「犯人はAと悟が日ごろ同じ布団に寝ていることを知っており、Aが通常の状況で寝ていたような体裁を整えるために敢えて危険な行為に出た可能性が高い。」

として本件が被告人の犯行であることを示唆する。

所論は、この点を論難し、Aの死体を運搬したという証拠は何もなく、全くの推理にとどまるし、推理としても誤っている旨主張する。たしかに、原判決の右認定は推理にとどまるものであるし、Aの死体を布団に寝かせることが犯跡隠蔽行為として意味を持つのは、就寝中の焼死若しくは病死を装うためであろうが、被告人による放火の事実が否定されている以上、焼死の偽装ということは考慮の外におくべきであり、絞頚又は扼頚によって殺害したAの死体を布団の中に寝かせただけでは病死として通用するはずもなく(しかも、同女は日常全くの健康体である。)、Aの死体を悟が寝ている同じ布団に運んだりすれば、かえって、所論も指摘するように、犯人内部説を裏付ける痕跡を残すようなものということができる。もし、被告人において、Aを殺害し、その犯跡を隠蔽しようというのであれば、死体を外に持ち出したり、第三者の犯行に見せかけるような工作をする方がむしろ考えつくことではないかと思われる。いずれにせよ、原判決がしばしば被告人による放火の疑いを持ち出して被告人を犯人像に当てはめていることはすこぶる問題であるというべきである。

4  以上、犯人と被告人との結びつきに関する原判決の判示について検討してきたが、その結論をまとめると、たしかに、怨恨、痴情、物盗り、わいせつ等の目的で侵入した外部の第三者による犯行の可能性は少なく、そうだとすると、残るは、玄関戸の鍵を持ち、家人に怪しまれずに家に入ることができ、騒がれもしない人物である被告人に犯人の疑いがかかってくることも避けられないところである。しかし、この推論によっても、被告人が犯人であることが積極的に証明されたわけではなく、被告人以外に犯行の可能性をもつ者は考えにくいから、被告人が犯人であるという、消去法的認定ないしは論理的証明にとどまるものといってよい(この消去法的認定方法の問題点については、次に述べることとする。)。

もっとも、原判決は、前記のようなA死体や犯行現場の状況等から犯人像を描き出し、被告人がその犯人像に適合するということから、被告人を犯人と認定するのであって、消去法的認定とばかりはいいきれないが、かかる論証も右の消去法的認定にさほど新たなものを加えているわけではなく、むしろ、原判決がしばしば被告人による放火の疑いを持ち出して被告人を犯人像に当てはめていることは無視しがたい問題点として指摘することができる。

三  原判決の認定方法の問題点について

1  所論の検討

所論は、

「原判決の最大の特徴の一つはA殺害に関して、被告人と事実との結び付きを認めるに際して、先ず動機の有無の検討を行い、これを肯定した上で、公訴事実に関するあれこれの状況証拠を拾い出し、推理に推理を重ね、有罪の判断に至ったということにある。通常事実認定は、客観的事実に関する証拠の評価乃至判断から出発するものであるが、本件判決は、まず、動機という主観的なものから出発し、それを核とした上で、それに添う形で事実に関する証拠の選択と評価を行い、結論として有罪の認定をしたという論理手法を採っている。」

として、原判決の判断順序を論難する。

しかし、原判決は、Aに対する殺人事件につき、まず、その死亡原因を検討し、上野鑑定等を採用して他為・外力たる頚部圧迫による急性窒息死と認定し、続いて、その死亡時刻の検討に移り、そのうえで、A殺害の犯人と被告人の同一性の問題に入ったのち、被告人にAを殺害するだけの動機があるかどうかを検討しているのであるから、たとえ動機の有無の検討が外部の第三者による犯行の可能性の検討に先立ったとしても、動機偏重のいわれはなく、弁護人らの所論は理由がない。

2  消去法的認定方法の問題点

問題は、むしろ、その後の犯人割り出しの過程で、原判決が多分に消去法的手法をとっていることであろう。すなわち、原判決は、各種の外的条件やA死体の状況等から犯人像を設定し、怨恨、痴情、物盗り、わいせつ等の目的による外部の者による犯行の可能性を否定し、この犯人像にあてはまる者としては、被告人以外にないということで、被告人を犯人と断定している点である。被告人の自白も目撃証言もなく、最も重要な物的証拠であるA死体も焼損され、犯行態様すら確定的には認定できない本件においては、外部の者による犯行の可能性を消去し、残る被告人以外に犯人はありえないとする消去法的手法を用いることにもやむをえない面はあるものの、被告人を犯人とする積極的証拠の不足する中での消去法的認定方法は、事実を誤る危険性を多分に孕んでいることに留意する必要がある。しかも、本件においては、Aの死因の解明に当たっても相当程度消去法的手法がとられているので、その危険性は更に増幅しているといってよい。消去法的な推論を重ねた場合の最大の問題点は、被告人の犯行であることを立証する積極的な証拠が不足しているのを論理的な推論によってカバーしてしまう危険である。特に、本件では、被告人がTとの結婚目的のためにその障害となるAを自宅で殺害したとされているのに、被告人による犯跡隠蔽行為の存在が認定できないという被告人を犯人とみることの大きな障害要素も存するので、「被告人以外の者の犯行の可能性は考えにくい」ということをもって、直ちに「被告人が犯人である」ことの証明に置き代えてはならないであろう。

したがって、右のような消去法的認定方法によって、被告人を犯人と認定することには、十分慎重であるべきであり、犯人と被告人との同一性を認定するためには、少なくとも、被告人が本件犯行の時間帯に犯行現場にいた蓋然性が高いことや被告人にはっきりとしたA殺害の動機が認められることが最小限の条件として必要と思われるが、これらの点については、後述するとおり、相当の問題があるのである。

3  実行行為論の不十分さ

原判決の認定方法については、このほか、犯人の行為態様等実行行為に関する検討に不十分なものがあることを指摘せざるをえない。

公訴事実によると、被告人の犯行態様に関する検察官の主張は、「就寝中のAの頚部を手で強く扼した」というものであったが、原判決は、死因に関する判断の中で、前記の三つの頚部圧迫方法を択一的に認定する。しかし、これらのうちの一つである「背後から前頚部に自己の腕を巻きつけて羽交い絞めにする」という方法は、Aが起きていることを前提にするものと解されよう。原判決は、Aの死亡時刻を午後九時二〇分ころから同三〇分ころの間と推定し、そのときAは本格的な就寝状態にあったとみて、ガスストーブも犯人が点火したものとし、隣家の家人が不審な物音なども聞いておらず、被害者であるA死体に抵抗したり、苦悶した痕跡も見当たらないとしているのであるから、かかる択一的認定が本当に必要であったかどうかは疑問である。ちなみに、原判決は、犯人と被告人との結びつきに関する判断の中で、犯行時のAの状態につき、同女は第一次的には寝ていたものとし、「犯行の状況について検討する。」として、

「Aが騒ぎ立てた形跡は認められないし、またAの死体に抵抗したような跡も認められない。このような事情からすれば、犯人は就寝中のAにいきなり馬乗りになるなどして抵抗を封じ、一気に頚部を圧迫してAを殺害したことが考えられる。また、就寝中のAを殺害した後、かけ布団をはがしてAの姿勢を整えたということも考えられる。いずれにせよ、犯人は当初からAを殺害する目的、動機を持っていた可能性が高い。」

としているのである。

更に、このような判示をもって、被告人の実行行為についての判断があったといえるのかも問題である。右の犯行態様論は、死因の検討において認定した就寝中の二つの殺害方法をかなりの推測を交えながら行為態様に置き換えたものにすぎず、所詮は犯人像の解明のために向けられており、前記の訴因に該当するような実行行為が認められるかどうかを正面から検討したものとは認めがたい。

原判決は、Aが本件犯行当時起きていた可能性も否定することができないとして、第二次的に、起きていた時に殺害された場合をも想定し、その場合の問題点についても検討するが、これまた犯人像の解明に向けられ、実行行為論としての実質を有しているとはいいがたい。

原判決においては、死因に関する検討と犯人と被告人との結びつきに関する検討とが切り離されているため、前者においては三つの殺害方法を択一的に認め、後者においては、就寝中と起きていた場合のそれぞれの可能性を認めるままに終わっており、それぞれがどの程度の高い蓋然性をもって認められるかについての厳密な考察がなされていないといってよい。そのため、原判決は、後に放火等に関する判断の中で、「被告人が起きていたAを殺害し、その際Aの抵抗などで可燃物がストーブ前に移動するなどして爆燃火災に至ったという可能性も否定できない」などという安易な仮定論まで展開することとなるのである。

また、検察官の主張からすれば、犯人は、A殺害後に絞扼痕を隠滅するために被告人方に放火し、しかも、放火に当たっては、Aの頚部等の絞扼痕を完全に焼燬するため、その上半身を掛け布団から出すという奸知にたけたところを示しているのである。そのうえ、犯人は、自己のアリバイを作り出すため、点火と出火との間に時間差を設けた知能的な放火工作を講じているのであるから、A殺害に当たって、原判決の認定するような殺害方法がとられたとするならば、それも頚部圧迫痕を残さないために意識的に用いられた可能性が少なくない。しかし、被告人にこれだけの犯跡隠蔽行為を考えつくだけの計画性や法医学的な知識があったといえるのかは、すこぶる疑問であって、原判決の認定は、かかる被告人の知識・能力という実行行為にかかわる観点からの考察を欠いているものといわざるをえない。

4  訴因変更の問題

本件公訴事実によると、被告人によるAの殺害方法は、前述のように、「就寝中の同女の頚部を手で強く扼した」というものであるが、これに対する原判決の認定は、再録すると、

<1> 前頚部を手で強く押さえるか

<2> 背後から前頚部に自己の腕を巻きつけて羽交い絞めにするか

<3> タオル様の幅広い布を前頚部に巻きつけるか

のいずれかの方法によったというものである。このような択一的な認定のうち、<2>、<3>の方法が訴因からはみ出す内容を持っていることは明らかであり、特に、<2>の場合には、Aが起きていることを想定しているので、この点でも訴因とは異なる殺害時の状況を認定したことになる。したがって、このような択一的な認定を行うためには、被告人の防御対象を明確にする意味で訴因変更の手続をとるのが望ましかったといってよい。原判決は、犯人がどのような状態にあるAをどのような方法で殺害したのかという肝心の実行行為に焦点を当てた考察をすることなく、死因論と犯人との同一性論に分けて別個に検討したため、訴因変更の問題に思い至らなかった疑いが強く、この点も原判決の認定方法の問題点を浮彫りにしているのである(もっとも、A死亡時の状況については、原審において、弁護人側にも十分な防御の機会が与えられているので、訴因変更の手続をとることなく、かかる択一的認定をしたとしても、訴訟手続の法令違反の問題まで生ずるとはいえないであろう。なお、表現上の問題にとどまるが、原判決が判示する殺害方法のうち、<2>の「羽交い絞め」という表現もいささか問題である。この言葉の意味は、「相手の後ろから両手を腋の下へ通し、襟首の所で組み合わせて、相手が動けないようにする」(広辞苑第四版)ということであるから、羽交い絞めでは頚部圧迫は起こらないし、したがって、窒息死するはずもないのである。原判決がこの言葉を「背後から相手の頚部に腕を巻きつけて扼す」趣旨に使っていることは一読して明らかであるから、問題にするまでのこともないが、本件で最も問題にされているA殺害の方法に関する表現だけに不適切であることは否定しがたい。)。

第四  Aの死亡時刻と被告人のアリバイ問題について

一  Aの死亡時刻について

1  原判決の死亡時刻の推定方法

Aの死亡時刻が一二月九日の午後何時ころかということは、被告人のアリバイ問題を検討するうえで極めて重要な意味を持つ。この死亡時刻を推定する手掛かりとなるものは、本件においては、主としてA死体の死斑の発現状況と胃内容物の消化・残留状況の二点である。

原判決は、上野鑑定に基づき、<1>死斑の発現状況に基づく死亡推定時刻を一二月九日の午後九時二〇分ころから同一一時二〇分ころまでの間とし、<2>死亡時の食後経過時間についても、一時間プラスマイナス三〇分程度と考えるのが相当であるとし、<3>夕食時刻については、通常の時間帯の午後七時ころ、あるいは、Aらが帰宅直前にさつまいもを食べたりしていることから、やや遅めの午後八時くらいに食事を終えたことも考えられるとして、結局、<2>、<3>の点からの死亡推定時刻を午後七時三〇分ころから同九時三〇分ころまでの間とする。

かかる推認を行ったうえ、原判決は、Aの通常の食事時刻、胃内容物から判断される食後経過時間及び死斑の発現状況からみた死後経過時間の三つの条件を矛盾なく充たす時間帯としては、午後九時二〇分ころから同三〇分ころまでの間が考えられるとし、この時間帯をAの死亡時刻と認定するのである。

2  所論の指摘する点

原判決のこのような死亡時刻の認定について、弁護人らは、かかる認定は、<1>死斑による死亡時刻の推定と食後経過時間による死亡時刻の推定とを同等に評価するという誤りを犯している、<2>死斑の完成時間や本屍における死斑の発現程度等に関する上野鑑定は誤っている、<3>食後経過時間に関する上野証言の本旨は、食後三〇分ないし一時間という趣旨に理解すべきである、と論難する。

原判決のかかる認定方法は、死斑の発現状況からの推定死亡時間帯と胃内容物の消化・残留状態からの推定死亡時間帯との合致を重視して、両者の重なり合う時間帯に死亡時刻を求めようとするもので、双方からの推定範囲に矛盾なく収まる点では、一見合理的な認定方法に見えるものの、結果において、推定死亡時刻を午後九時二〇分ころから同三〇分ころの間という極めて短い時間帯内に設定するもので、かえって、技巧的にすぎ、危うさを感じさせる認定方法といわざるをえない(本件では、たまたま重なり合う部分があったが、重なり合わない場合も考えられる。)。その点では、所論の指摘にも傾聴すべきものが多分にあるといってよい。

3  死斑の発現状況からの死後経過時間の推定

所論も指摘するように、死斑の発現状況からの死後経過時間の推定は、極めて幅のあるものである。死亡後の時間が経過するに従って、推定の幅も大きくならざるをえず、かつ、死斑の発現状況は種々の外的条件に左右されるものであるところ、本屍は、死亡後布団の中にあって火災による熱の影響を受け、放水を浴び、その後一定時間裸の状態で戸外や解剖室に置かれていたのであるから、火災発生後約一二時間を経過した時点で、死斑の発現状況から死後経過時間を厳密に推定することは極めて困難であり、死後経過時間の推定には相当の幅を持たせ、しかも、それをおおよそのものとして受けとめることが必要である。

まず、黒須鑑定によれば、「本屍は死後一二時間乃至一八時間経過したものと推測される。(一二月一〇日午後四時現在)」というのであるから、死亡時刻は、これより逆算して、午後一〇時ころから翌日午前四時ころまでの間ということになる。したがって、原判決がこの鑑定意見を採用せず、もっぱら上野鑑定に依拠したことは明らかである。

次に、上野鑑定は、死斑の完成時間を約二〇時間とし、本屍における死斑の発現状況を全体の約三分の一としたうえ、火災に遭ったことで死斑の進行はストップしたものとして、二〇時間かける三分の一イコール約六時間プラスマイナス一時間ということで、火災のあった翌日午前四時二〇分をさかのぼること五時間ないし七時間、つまり、九日午後九時二〇分ないし同一一時二〇分を本屍の死斑からの死亡推定時刻とする。

しかし、二〇時間の三分の一は、厳密にいえば、六時間四〇分であって、七時間に近く、ここで既に四〇分程度の違いが出てくるし、A死体の死斑の発現状況を三分の一とみるか四割程度とみるかも、みる人によって相当に異なってくるところと思われる。これをもし四割程度とみるならば、死斑の完成時間が二〇時間であることを前提としても、死亡推定時刻は午前四時二〇分より八時間プラスマイナス一時間をさかのぼった九日午後七時二〇分ころから同九時二〇分ころまでの間となる(なお、死斑の完成時間については、法医学の文献でも、最高値が一二時間から二四時間ぐらいと説が分れており《赤石英外「臨床医のための法医学」三六頁》、所論のように、この二四時間という最高値をとれば、死斑の発現状況を三分の一としても、同じく八時間プラスマイナス一時間という線が出てくるが、多くの有力説は、死斑の完成時間を一六時間ないし二〇時間としているので、この点は、上野鑑定のとおりでよいと思われる。なお、上野鑑定が、火災に遭ってA死体の死斑の発現が遅滞ないし停止しているとする点も、遅滞はともかく、停止となると、A死体の写真等からみて、必ずしもそうともいえないように思われる。)。

黒須医師は、原審公判廷において、剖検時の所見として、「死斑は、割合強く背部に、圧迫しているところを除いて発現しておりました。指で押すと軽く色が消えるという現象がございました。」と供述する。この供述の前段部分は、死斑の発現が広汎にわたっているという意味で、所論に有利な所見ではあるが、後段部分は、指圧による死斑の退色が本屍の発見から約一二時間経過した剖検時においてもみられたという点で、所論に反する所見であるといってよい(船尾忠孝外「臨床のための法医学」二五頁は、「たとえば一八時間前後では、もはや死斑の移動はみられず、指圧によってもまったく退色しない。」とする。黒須医師が剖検時の死後経過時間を一二~一八時間としたのは、A死体の発見時刻とこの死斑の退色が出る限界時間を考慮したものと思われる。)。

死斑の発現状況から死後経過時間を推定するについては、このほかにも、種々指摘しなければならない点が存するが、以上の点だけからしても、本件において死斑の発現状況から本屍の死後経過時間を厳密に推定することは困難である。したがって、必ずしも上野医師が供述するような六時間プラスマイナス一時間といった狭い範囲に限定して死後経過時間を推定できるわけではなく、弁護人らの指摘するように、推定の幅を八時間プラスマイナス一時間とみる余地も残されているのである(プラスマイナス一時間という幅の持たせ方自体問題であって、もっと幅を持たせた方が妥当であろう。)。

以上の点からすると、原判決が上野鑑定に依拠して、Aの死亡推定時刻を九日午後九時二〇分以降に限定したのは問題であり、このように限定するだけの根拠に乏しいものと思われる。

4  胃内容物からの食後経過時間の推定

原判決は、この点についても、上野鑑定を採用して、食事を午後七時ころまでに終えたとすると、死亡推定時刻は午後七時三〇分ころから同八時三〇分ころまでの間となるし、食事を午後八時ころまでに終えたとするならば、死亡推定時刻は午後八時三〇分ころから同九時三〇分ころまでの間ということになる旨の判断を示している。ところが、原判決は、結論において死亡時刻を「午後九時二〇分ないし同三〇分ころ」と推定しているので、結局、後者の場合を選択し、食事を午後八時ころに終えたと認定したに等しい。

しかし、原判決も、食事時刻について、この二つの可能性のうちから特に後者、つまり、午後八時ころを選択するだけの決め手となる根拠を持っていたわけではないと思われるので、かかる認定は、「午後九時二〇分」以降という上野鑑定に基づく死斑からの死亡推定時刻との整合性を図るために行われたものとみざるをえない。したがって、前述のように、死斑の発現状況からの死亡推定時刻との整合性にこだわるべきでないとすると、原判決の認定としても、食後経過時間からする死亡時刻の推定をとりあえずは午後七時三〇分ころから同九時三〇分ころまでの間という幅を持たせた範囲にとどめておき、他の証拠から食事時刻を厳密に認定することに力を注ぐべきであったといってよい。もし、原審にかかる姿勢があったならば、Aが当日午後五時すぎに食したさつまいも等が午後九時二〇分ころなお胃内に残留しているかどうかという問題点に気づいたものと思われる。

弁護人らは、食後経過時間に関する上野鑑定の本旨は、三〇分ないし一時間の趣旨に解すべきであると主張するが、上野証人の供述全体をみれば、必ずしもそうとは解されないばかりでなく、消化時間には個人差もあることであるし、Aが夕食時に大食ともいってよいほどの量の食事をとり、その後間もなく就寝したことからすれば、胃内容物の消化が遅滞する可能性もあり、一時間前後ないし一時間三〇分程度の幅のある時間の中で食後経過時間を推定する方が妥当であると思われる。この点の所論は採用の限りでない(なお、黒須鑑定書は、「胃に存した食物残渣が、米粒、野菜が、その形状を保っていることにより、食後三時間乃至六時間内外経過したものと推測される。」とするが、一般に食後三時間も経てば胃内容物は腸に移行し、胃は空虚となるといわれているところ、A死体においては、胃内容物は全く腸に移行していないことからすれば、同医師の右鑑定意見は採用しがたいものというほかない。)。

5  夕食時刻の推定

原判決は、被告人の夕食時刻について、「Aは通常午後七時ころから遅くとも午後八時ころまでには食事を終えていた」旨認定し、午後七時ころという弁護人の主張に対しては、「通常の家庭においても食事時間が前後することは当然あり得ることであり、Aらが帰宅直前にサツマイモを食べたりしていることからすると、当夜やや遅めの午後八時くらいに食事を終えたことも十分に考えられるものと言わなければならない。」とする。

たしかに、通常の夕食時刻が午後七時ころであっても、事件当日、その時間帯にAらが夕食をとったか否かは必ずしも定かではない。原判示のように、実家でさつまいも等を食べたために腹がふくれ、帰宅後の食事時刻を若干遅らせたとみることも可能であるが、逆にA死体の胃内容物が一〇〇〇CCもあったことからすれば、Aが相当に食欲があって、さつまいも等を食べたにもかかわらず、定時に夕食をとったとみることも十分可能である。特に、Aの二五歳という年齢や子供の食欲ということを考えると、一五センチメートル程度のさつまいも一本は食事時刻にさほどの影響を及ぼすとも思われないし、昼寝をしなかった悟の食事時刻を眠くなる午後八時ころまで遅らせる理由はなく、流し台のボールなどに入っていた食べ物くず等からみても、さほど食事の支度に時間を要するとも思われないので、当日も夕食は午後七時ころにとったとみる方が妥当なように思われる。しかも、次の事情からすれば、Aらが午後七時ころに夕食をとったことは、ほぼ決定的ともいえるのである。

すなわち、A死体の胃内容物のうち摂取時刻がはっきりしているのは、さつまいもとたくあん(大根)である。Aは、当日午後五時ころに仕事を終え、同五時すぎころ、実家である母のところで、長さ一五センチメートルくらいのさつまいも一本とたくあん一~二切れを出されてその場で食しているのであって、このことは、Kの証言等によって間違いのない事実と認められる。そして、被告人居宅の台所流し台のくず入れ内やなべ等の中からさつまいもやたくあん、大根くずが発見されなかったことからすれば、A死体の胃内容物中から検出されたさつまいもの皮と大根は、K方で食したさつまいもとたくあんの未消化物であると認定するのが相当であろう。

そうだとすると、所論も指摘するように、乾大根一〇〇グラムの胃内滞留時間は二時間四五分、さつまいものそれは三時間程度とされているのであるから(松倉豊治編著前掲五〇二頁、湯川玄洋「日本食品消化研究報告(第一)」日本消化機病学会雑誌三巻一号二五頁以下)、午後五時すぎにAが食べたさつまいもとたくあんは、午後八時ころには相当程度消化され、一部ずつでも胃から送り出されて十二指腸に移行していなければならない頃合いである。それにもかかわらず、Aの胃の中にこのさつまいもとたくあんがすべて残留し、十二指腸に全く移行していなかったということは、午後八時よりかなり前にAが夕食をとり、それらの多量の食物がさつまいもやたくあんと胃内でまざりあって、移行を遅らせていたことによると推認されるのである。

胃内容物の状態に関するこのような法医学的所見は、Aの夕食時刻を午後七時ころとみる客観的、科学的根拠になり、これを否定するだけの他の根拠もないと思われる。したがって、胃内容物からする死亡時刻の推定は、この食事時刻を前提とする限り、午後七時三〇分ころから同八時三〇分ころの間ということになり(ただし、食後三〇分とみるのはあまりにも短すぎるので、むしろ、午後八時前後、遅くとも同八時三〇分ころとみた方が妥当である。)、この点からしても、原判決の死亡時刻の認定には、同調しがたいものがあるといわざるをえない。

なお、検察官は、当審弁論において、Aの死亡時刻を当日午後八時三〇分ころから同一一時三〇分ころまでの間と認定するのがより妥当であると主張するが、このような見解は、A死体の胃内容物の消化・残留状態が同女の死亡時刻の推定に果たしている重要性を看過するもので、法医学的観点からの批判をかわしきれないものであろう(ちなみに、午後一一時三〇分といえば、さつまいも等を食してから既に六時間以上が経過している。)。

二  被告人のアリバイ問題について

1  被告人のアリバイに関する弁解

被告人の弁解する事件当夜の行動は、次のとおりである。

<1> 一二月九日午後六時ころ、勤務先の同和火災足利営業所にセールス先から戻り、その後、Tとデートし、午後七時三〇分ころ、足利市内の同女方付近で同女を車から降ろして別れた。

<2> その後、佐野市内のパチンコ店「パールジャンボ」におもむき、午後九時ころまでパチンコをした。

<3> 午後九時二〇分ころ、保険の説明及び勧誘をしようと思って、岩舟町の寺内義一方前に到着したが、息子たちに対する説得の用意が十分でないことにおじけづき、ためらった末、同九時三〇分ころ、同人らに会わないまま同所を立ち去った。

<4> その後、いったんは帰路についたが、欲求不満が残っていたため、佐野市内で酒でも飲んでホステスと遊ぼうという気になり、午後一〇時一〇分から二〇分ころ、佐野市内のパブ「ふじ」をのぞいたほか、二軒ほど他の店も物色したが、いずれも気に入らなかったため、どこにも入らず、一時間ほど市内をぶらついたりしていた。

<5> 午後一一時四〇分ころ、佐野市内の映画館「電気館」の駐車場を出発し、翌一〇日午前零時四〇分ころ、足利市内のトルコ「大名トルコ」に到着したが、混んでいたりしたので、四〇分ほどガソリンスタンドのところで待ち、午前一時二〇分ころに「大名トルコ」に入り、同二時四〇分ころに同所を出発した。

<6> その後、葛生町内の自宅近くまで来たが、のどが渇いていたので、自動販売機で罐ビールを買い、古越路橋下の河原で、午前四時一二分ころまでそれを飲んでいた。

というものである。

2  原判決の認定

原判決は、被告人の主張する右の行動のうち、<1>の午後七時三〇分ころ、Tを足利市内の同女方付近まで車で送り届けて別れた後、<5>の翌日午前一時二〇分ころに同市所在の「大名トルコ」に現れるまでの被告人の足取りははっきりせず、この点に関する被告人の弁解は虚偽と考えられるとして排斥し、かつ、「同女と別れた後車で一旦帰宅したとすれば、足利市所在の同女の自宅付近からの距離(最長約三〇キロメートル強)からみて、遅くとも一時間後の午後八時三〇分ころには被告人方に到着しうるものと考えられる。」として、被告人のアリバイの成立を否定する。

3  犯行時刻に関する訴因変更

原判決の認定する犯行時刻は一二月九日午後九時二〇分ころから同三〇分ころまでの間であるが、Aに対する殺人事件の起訴状からも明らかなように、検察官を含む捜査機関は、当初、被告人によるA殺害の時刻を当日午後一〇時ころと考えていた。そのため、パチンコ店「パールジャンボ」の閉店時刻が午後九時であれば、仮にその閉店時刻まで被告人が同店にいたとしても犯行の妨げとはならないので、それ以後の被告人のアリバイ主張さえ崩せば、被告人のアリバイは成立しないと考えていたように思われる。加えて、被告人がこの時刻まで右パチンコ店にいたかどうかの点について、十分な裏付けが得られなかったこともあって、検察官の冒頭陳述も被告人のこの弁解を受け容れた形で行われ、被告人が事件当夜佐野市所在のパチンコ店「パールジャンボ」に午後九時ころまでいたことはいわば承認された前提となっていた。この間の事情につき、本件の起訴検察官であり、被告人の取調べをも担当した岡野新元検事は、原審公判廷において、検察庁内部の協議の席上、次席検事は、本人がそういうふうに言っていて、それを覆す材料は全くないし、ありそうな事実である以上は、一応それを事実として認めざるをえないだろうという意見を述べ、自分もそれに反対せず、かかる冒頭陳述になった旨の供述をしている。

ところが、原審は、審理の最終段階に至って、検察官に被告人の犯行時刻に関する釈明を求め、平成三年七月四日の第一〇七回公判期日に検察官において、A殺害の犯行時刻をそれまでの「一二月九日午後一〇時ころ」から「同日午後八時三〇分ころから午後一〇時一五分ころまでの間」に改める訴因変更を請求し、七月二三日の第一〇八回公判期日に原審においてこれを許可した。原審の審理開始後約八年、事件発生から数えれば一〇年余を経過した時点のことであった。

4  アリバイ問題の焦点

犯行時刻に関して原審が検察官に釈明を求め、いわば実質的に訴因変更を請求するよう勧告をしたのは、犯行時刻に関する原審の心証に基づくものといってよい。Aの死亡時刻を前記のように推定する以上、犯行時刻に関する訴因変更が必要となるのは当然であるが、この訴因変更によって、それまでアリバイ立証の争点から外れていた前記1の<2>の午後九時ころまでパチンコ店「パールジャンボ」に被告人がいたかどうかという点がまさにアリバイの成否にかかわる焦点となったのである。

原判決は、被告人の弁解を虚偽としてこのアリバイ主張を認めなかったのであるが、その論拠として、大略

「村嶌、相馬証言によれば、被告人は火災直後の時点においては、『パールジャンボ』を午後九時三〇分に出たと述べていたが、同店の当時の閉店時刻は午後九時であり、被告人の右供述は客観的事実と矛盾している。そして、被告人は、同店に週二回は行き、夜も遊んだことがあって閉店時刻は知っていた旨供述しているのであるから、閉店時刻と結び付けられた退出時刻を誤ることは考えにくく、また火災直後の事情聴取に際して、寺内方を出発した際時計を見ると午後一〇時だったと答えており、被告人の供述によれば、『パールジャンボ』を退出した時刻と寺内方を出発した時刻との間にはほぼ三〇分程度の時間差があるというのであって、このように具体的根拠をもった供述と関連付けられ、しかも火災の直後になされた供述が、単なる記憶の誤りや気の動転によって生ずるとは考えにくい。」

とし、結局、「パールジャンボ」に行っていた旨の供述は虚偽である旨判断する(右の箇所では、はっきり虚偽とはいってないが、原判決の他の箇所で、「後に検討するとおり、この点に関する被告人の弁解は虚偽と考えられる」とする。)。

そこで、この原判示の当否について検討するのに、当夜午後九時まで「パールジャンボ」でパチンコをしていたという被告人の弁解を排斥する原判示はやや論証不十分であり、納得しがたいものがある。つまり、原判決が、当日午後九時三〇分まで同店にいたという被告人の当初の弁解を客観的事実に反するものとし、かつ、この弁解がパチンコ店退出の時刻をずらすために故意になされたと推認する限りにおいては、是認しえないではないが、退出時刻の点ばかりでなく、そこから更に、当夜同店に行っていたこと自体も虚偽だと断定してしまうことには、論理の飛躍があるといってよいであろう。

また、弁護人らの主張するように、犯行時刻に関する訴因変更は、事件発生後一〇年余も経過した後になされたものであった。それまでは、被告人の弁解が一応受け容れられたものとして、審理が進められてきたところ、この時期に至って、突如この点についてのアリバイ立証を求められることになった被告人側の不利益は、それなりに考慮しなければならないものと思われる。もともと、この点に関する立証は、検察官、被告人側とも決め手を欠くものであって、被告人が午後九時ころまで右パチンコ店にいたことを否定する確たる証拠もないのであるから、原審としても、被告人の供述態度から退出時刻ばかりでなく、被告人が当夜同店に行ったことまで排斥したのは相当ではなく、少なくとも、この点を疑問とする程度にとどめるべきであったと思われる(なお、原判示のように、被告人が「パールジャンボ」の閉店時刻を知っていたとすると、退出時刻をことさら三〇分遅らせたアリバイ主張をしても、そのような弁解が通用しないことは十分承知していたと思われる。その意味では、故意にこのような虚偽のアリバイ主張をしたともいいがたく、単に同店の閉店時刻を誤ってこのような供述をしたとみる見方も可能である。)。

結局、この点に関する原審の判断はやや断定にすぎ、前記の訴因変更に関する経緯をも考えるならば、被告人が当日午後九時ころまで「パールジャンボ」にいた可能性を全面的に否定することは相当ではないというべきである。

5  新たなアリバイ問題

美智子死体の胃内容物の消化・残留状況から、同女の死亡時刻が一二月九日午後八時前後、遅くとも午後八時三〇分ころと認められることとの関連で、新たなアリバイ問題が生じたといわなければならない。被告人が午後九時ころまで「パールジャンボ」にいたことが認められれば、これがアリバイとなることはいうまでもなく、仮にこれが否定されたとしても、前記1の<1>に記載したとおり、当日Tとデートし、午後七時三〇分ころに同女方付近で別れたという被告人の行動が認められる限り、そのこと自体が被告人のアリバイになる可能性が出てきたということができる。

原判決は、被告人が、Tと別れた後、車で帰宅すれば、遅くとも一時間後の午後八時三〇分ころには被告人方に帰宅しうるものとしているが、このことは、逆に、被告人の帰宅が午後八時三〇分ころになる可能性をも示しているのであって、美智子の死亡時刻を午後八時前後とみるならば、被告人がTと午後七時三〇分ころまで一緒にいたことがまさにアリバイとなってくるのである。

もちろん、足利市内のT方付近から被告人方までは約三〇キロメートル程度の道のりであるから、道路事情さえよければ、一時間もかからずに自宅に帰りつくことも可能である。したがって、美智子の死亡時刻を午後八時三〇分ころとみるならば、時間的には被告人による犯行の可能性も考えられないではない。この点からみて、被告人のアリバイ成立を疑問視する考え方も成り立ちうる。しかし、約一時間という時間はそう余裕のあるものではないので、被告人の犯行と認定するためには、被告人においてTと別れるや直ちに帰宅してすぐさま美智子の殺害に着手するのでなければならないが、このような状況の存在については、蓋然性すら立証されてないのである。つまり、被告人が美智子殺害の意図のもとに帰宅する場合を想定するにしても、犯行を手際よく遂行するためには、ゆっくり帰って美智子の就寝を待つ方がよいに決まっているし(美智子の就寝時刻は通常早くとも午後九時ころ以降である。)、道すがら美智子の殺害方法や殺害後の犯跡隠蔽工作などを考えながら車を走らせていたとすると、急ぐどころかゆっくりとした走行方法になると思われる。要するに、被告人には、ゆっくり帰る理由はあっても、午後八時三〇分までにと時間を決めて急いで帰り、その時間内に美智子を殺害しなければならない理由はどこにもないのである。また、被告人がTと別れた際には、まだ美智子に対する殺意を抱いてないとすると、被告人の期待に反してTとのデートが中途半端な形に終わり、なんとなく面白くない気分であったことから、気晴らしに寄り道をしてパチンコなどをすることも十分に考えられ、この場合にも、急いで帰らなければならないような状況は見当たらないといってよい。

以上の点を考慮すると、被告人が当日午後九時ころまで「パールジャンボ」にいたとすれば、アリバイは成立することになるし、この点がはっきりしないとしても、前記の美智子の死亡時刻を前提とする限り、被告人にアリバイが成立する可能性は否定しきれないのである。

6  目撃証言

検察官は、原審において、事件当日午後一〇時すぎころ、被告人方付近で被告人ないし被告人の運転している乗用車と思われる車両を目撃した者がいることを根拠に、被告人が犯行直後被告人方付近にいたことを主張していた。しかし、この主張は、犯行時刻が午後一〇時ころであるという前提のもとで重要な意味を有するものであるところ、前示認定のとおり、犯行時刻が午後八時前後ということになると、被告人が美智子殺害後約二時間も犯行現場にいたことになって、かえって、不自然なことにもなってくるのである。

原判決は、事件当夜午後一〇時一五~六分ころ、関東自動車整備工場付近で被告人が運転している乗用車に似た車両に遭遇したという広瀬好子の証言及び同日午後一〇時二〇分ころ、スーパーマスダ前の自動販売機付近に白かクリーム色の大きめの乗用車が止まっており、被告人らしい人物がその助手席の外に立っているのを見たという飯塚昌弘の証言について、それぞれの証言の信用性及び証明力の限界を指摘し、これらの証言によって、被告人が右時刻ころに被告人方付近にいたと認めることは困難であるとするが、この判断はもとより相当であり、当審としてもこれを是認するところである。特に、飯塚証言は、夜間走行中の車の中から被告人らしい人物を見かけたというほんの一瞬の出来事に関するものであって、しかも、事件直後の警察官の聞き込みの際には、何も述べておらず、一年後になって初めてこの供述がなされたということからしても、この証言の正確性、信憑性には、問題があるといわなければならない。

結局、本件当夜、被告人が、Tと別れてから火災発生までの間に、いったん帰宅し自宅にいたという点については、その蓋然性すら立証されていないといってよい。

そして、前記岡野証言によれば、飯塚証人は、本件と被告人とを結びつけるキーポイントになる人物と考えられていたということであるが、この証言が採用できないとなると、本件が発生してから約一年半後にようやく検察官をして公訴提起に踏み切らせた三つの要因、すなわち、<1>上野医師の鑑定意見によって死因が頚部圧迫に基づく急性窒息死であると認定できたこと、<2>舘野鑑定によって時間差を設けた放火のメカニズムが解明されたこと及び<3>目撃証人によって被告人の現場所在が明らかにされたことに関する各証拠がすべてその証明力を否定されたわけであり、結局、検察官に公訴提起をためらわせたこれらの点に関する謎は、いまだ解明されないままに残っているといえるのである。

第五  A殺害の動機の有無及び殺意の発生時期について

一  Tとの結婚目的という動機について

1  原判決は、

「被告人は、昭和五五年八月以降、Tと男女の交際を継続し、同五六年四月ころまでには、同女に対し、同女との結婚を約束し、同年一〇月には、一二月末までにAとの離婚を実行する旨約するに至り、他方、妻Aとの関係では、Tとの交際が深まるにつれて自然と加速度的に妻への愛情は冷め、妻のことが疎ましくなったのであるが、それまで離婚話を進めていたわけでもないAに対して一二月初めの段階でいきなり離婚を持ちかけても紛糾することは目に見えており、かといって、約束の一二月が過ぎるのをいたずらに待ってTとの関係を破綻させるつもりはなく、また、これまでTに対しAとの離婚の話を進めているかのように言い続けていたこととの関係上、この期に及んでTに真実を打ち明ければTの不信をかうことが明らかな状況にあった被告人としては、いわば追い詰められた状況の中でTに執着する余り、遅くとも同五六年一二月ころには、Aを、Tとの結婚を実現させる上で障害となり、邪魔な存在と考えるに至ったとしても何ら不思議ではないといえるのである。」

として、被告人にはAを殺害する動機が十分にあった旨を認定している。

2  かかる原判決の認定に対して、所論は、

「一般的に言って、殺人事件という重大犯罪を犯して発覚すれば、愛人との甘い生活どころか、最低でも十数年は服役しなければならないことは、誰でも知っていることである。このようなリスクを冒してまで、妻を殺害しようと決意するに至るには、それなりの切迫した事情が必要であると考えるのが常識である。」旨指摘し、Aと離婚することにそれほどの障害があったわけではなく、Tとの結婚約束も必ずしも真摯なものではなかったので、被告人のTに対する愛情が時期を経るに従って濃密になり、事件直前の段階では、Tと妻Aとの間で抜き差しならない状態にまで追い詰められていたとする原判決の認定は誤っている旨主張する。

3  たしかに、弁護人の右の指摘は、刑期云々の点はともかくとして、その他の点では、まさにそのとおりであるといってよい。だからこそ、発覚しないために犯跡隠蔽行為が必要になってくるのであるが、被告人の放火による犯跡隠蔽行為の存在が認定できないことは前述のとおりである。そして、Tとの結婚約束、その障害となるAの殺害、放火による犯跡隠蔽工作という構図の一角が被告人による放火の証明不十分ということで崩れた時点で、本件がTとの結婚目的という動機に基づく犯行であるとする検察官の事件の構図にも大きな亀裂が生じていることは、これまた既に指摘したところである。

加えて、弁護人が右に主張するとおり、被告人がTとAとの間で板挟みとなって、追い詰められた状態にあったとしても、殺人という非常手段に訴えるのはよくよくのことであり、よほど切迫した事態に立ち至ったのでなければかかる重大犯罪を行うことを決意するということは考えにくいところである。

4  このような観点から、原判決の認定する、<1>被告人のTに対する愛情や結婚約束の真剣さ、<2>TとAとの間で被告人がどの程度追い詰められていたかという状況の切迫性、<3>Aをうとましく思っていた被告人の心情の程度等について、更に検討することとする。

まず、関係証拠によれば、被告人は、若く、被告人にひたむきになっていたTに対して、魅力や新鮮さを感じ、妻や交際していた他の女性に対するのとはまた別の愛情なり、執着を有していたことは間違いなく、加えて、同女との間には、Aと昭和五六年一二月までに離婚して、その後結婚するという約束が交わされていたこと及び本件当時その期限が迫っていたにもかかわらず、被告人がAに対してなんら離婚話を持ち出していなかったことが認められ、これらの点に関する原判決の認定は相当であるといってよい。

しかしながら、被告人のこれまでの女性関係をみると、相当に乱脈であって、妻Aに隠れてTと愛人関係を続けている最中にも、友人の妻などと性関係を持ち、更に、文通で知り合った女子高校生にまで交際の手を伸ばそうとしていたのである。そして、その人妻の夫である友人のところへも平気で遊びに行くなど、性的な潔癖さや人間的な誠実性に欠ける面が強く見受けられ、Tに対する関係でも、同女に対して果たして原判決がいうほど純粋な愛情を持ち、それを深めていったかはすこぶる疑問である。被告人がTに対し、Aとの間で離婚話を進めていると言いながら、その実、Aになんら離婚話をしていなかったこと自体、同女と本気で離婚をする気がないか、まだそこまでの決心がついていなかったことを窺わせるものといってよい。また、被告人がTとの間で結婚の約束を交わしたとはいっても、離婚や再婚に伴うさまざまな困難をどうやって解決していくか、あるいは、結婚後の生活設計をどうするか等について真剣に話し合った形跡はなく、もっぱら新居を建てるとか、新婚旅行にはハワイへ行こうなどと夢ばかりを語って、いささか真剣味に欠けるものがあった。

原判決は、被告人のTに対する結婚約束が真摯なものであることを示す根拠として、被告人がTに何通ものラブレターを送っていることや被告人がTと住むためにマンションの空き室を探していたことなどを指摘するが、被告人のTに対する手紙四通をみると、相当に熱烈ではあるものの、時期的にも本件当時よりかなり以前のものであるし、最初の一通は、被告人がTに初の男女関係を求めて迫っている最中のもの、次の二通は、被告人がTと関係ができて間もなく研修で同女と会えなかった時期のもの、そして、最後の一通は、Tに二番目の子供ができることを打ち明ける前に、同女のショックを和らげようとして渡したものと認められるので、これらを本件当時の被告人の真情として、その文面どおりに受け止めてよいかどうかは問題であり、むしろ、相当程度割り引いてみる必要があるように思われる。男女関係においては、当初は夢中であっても、次第に冷静さを取り戻し、家庭を壊さないようにしながら、愛人との関係をうまくやっていこうとする気持ちが男に芽生えることはままみられることであり、被告人についても、それがなかったとはいいきれないように思われる。

また、被告人は、事件のあった年の一一月から一二月にかけて、佐野市内の賃貸マンションの空き部屋を探していたことも事実であるが、この点も子細に検討すると、問題がないではない。つまり、被告人は、佐野市内の佐野ハーモニービルとソーラーハイツ橋本の双方にほぼ同時期に賃貸を申し込むなど、申込みの態度にもいい加減なところがあり、どこまで本気であったのかも明らかでない。しかも、本件当時までにはいずれも成約に至っていない。Tに対しても案内して見せたりしたことはないのであって、権利金、敷金、前家賃等に要する資金の調達のめどすらはっきりせず、これらのマンションの空き室探しにも被告人のジェスチュア的なものが感じられるといってよい。

5  被告人がAに具体的な離婚話を持ちかけていたことは、関係証拠によるも全く認められない。原判決もこれと同様の認定に立つが、この事実は、先にも述べたとおり、被告人のA殺害の動機がTとの結婚目的のためであったということに疑念を抱かせるものであるということができる。原判決は、被告人がTに対して一二月中にはAと離婚する旨約束しながら、Aには離婚話をしていなかったということで、それを被告人が追い詰められていたことの証左とみるが、この認定はいささか本末転倒のきらいがある。被告人が本気でAと別れてTと結婚しようとするのであれば、まずAに対して離婚話をするのが通常である。自宅で妻が不審の死を遂げ、夫たる被告人に疑いの目が向けられている場合に、そう簡単にTと再婚できるものではない。Tと結婚しようとするのに、妻に離婚話をしないでいきなり殺すということは、殺すこと自体に目的がある場合以外には、考えにくいところである。被告人からAに対して離婚話を切り出した場合、同女は、親の反対を押し切って被告人と結婚した手前や子供を父なし子とすることへの躊躇もあって、そう簡単に離婚に応ずるとも思われないが、少なくとも、同女の実家がAと被告人との離婚にそう難色を示すことはないように思われる。したがって、Aに離婚話を持ち出しても無駄だと諦め、いきなり殺害に及ばなければならないほどの追い詰められた状況ではなかったと考えてよいであろう。

また、放火等を被告人の犯行と認めるわけにはいかない以上、被告人は、Aを殺しただけに終わることになるが、これでは被告人は三歳の幼児と生後七か月の乳呑み子を抱えた男やもめになるのであって、Tがこのような状態の被告人と果たして結婚してくれるかどうかも疑問である。少なくとも、Tの両親が反対することは目に見えている。それを考えただけでも、Tと結婚しようとするならば、Aを殺すより、多少の曲折はあっても、同女に離婚話を持ちかけ、同女やその実家に子供たちを押しつける方が賢明な方法といえるのである。急には離婚が期待できないと考えるならば、被告人が家を出て、Aと別居をするという方法もあり、Tに対する関係では、これで一応の誠意を尽くしたことになるであろう。

これらの点を考え合わせると、Tと結婚するためにAが障害になるからといって、離婚話もせずにいきなり殺すというのは、動機・目的と選択した手段・方法との間に落差がありすぎて、不自然、不合理の感を免れないといってよい。

6  原判決は、「妻Aとの関係では、Tとの交際が深まるにつれて自然と加速度的に妻への愛情は冷め、妻のことが疎ましくなった。」として、被告人がAをうとましく思う気持ちを強調するが、関係証拠によると、Aは明るくさっぱりした性格であると同時に我慢強く、被告人の浮気を知ってはいたが、それを問い詰めたり、激しくなじったりすることもなく黙って耐え、その件でいさかいを起こすこともなかったように見受けられる。また、日曜日などには子供を挟んでの家庭だんらんの様子も窺われ、被告人夫婦とそれぞれの実家との行き来にも特段変わったところも見受けられない。それらの点からすれば、被告人がAを殺そうと考えるほどうとましく思っていたともいいきれないのである。

以上の諸点を総合すると、Tとの結婚約束をするに及んで、妻のAがうとましく感じられ、かつ、同女の存在がTとの結婚の障害になるということが動機になって、被告人においてAを殺害したとする原判決の認定には、やはり疑問が残るといわざるをえない。

二  殺意の発生時期について

1  原判決は、「被告人におけるA殺害の動機」のまとめとして、

「被告人としては、いわば追い詰められた状況の中でTに執着する余り、遅くとも同五六年一二月ころには、AをTとの結婚を実現させる上で障害となり、邪魔な存在と考えるに至ったとしても何ら不思議はないといえるのである。したがって、被告人には、妻Aを殺害する動機は十分に存するものというべきである。」と述べ、A殺害の動機について言及するが、これを同時に殺意の発生した時期として捉えているのかどうかは、必ずしも明らかでない。罪となるべき事実において、「妻との間で離婚話を進めないまま一二月に至ったことから、ここにおいてTとの結婚話を進めるのに障害となる妻を殺害しようと企て」としていることからすると、そうとも解されるが、なお判然としないものがある。また、かねてから殺害計画を胸に秘めていたとしても、本件当日の犯行につき、被告人が何時ごろから具体的な犯意を生じたのか、原判決は全く触れるところがないし、関係証拠に照らしても、この点を確定することは困難である。A殺害の動機となりうるような状況が存することや被告人が同女を邪魔な存在としてうとましく思う心情にあることと実際に同女を殺害しようと決意することとの間には、大きな隔たりがあるのであって、かかる判示だけでは、被告人の殺意発生時期の認定としてはなはだ不十分であるといわざるをえない。

2  本件当日、被告人がTとデートをしていたことは明らかな事実である。被告人がA殺害の犯人であるとした場合、被告人は、その夜のA殺害を胸に秘めながら、平然とTとのデートの場に臨んでいたのであろうか。そこまではいささか考えにくいところである。しかも、被告人は、当日Tとホテルで性関係をもつことを考えていたのであって、同女の都合で一時間ほどで別れることになったものの、このことは、被告人の予期しないところであった。被告人の期待どおりにTとホテルに行っていた場合を考えると、帰宅も夜遅くになり、その後犯行に及ぼうとすれば、アリバイ工作やアリバイに関する弁明も極めて困難になるので、少なくとも本件当日にA殺害が遂行されるということは消極に考えざるをえない。これらの点からすれば、被告人においてTとのデート前からA殺害の犯意を生じていたとは認めがたいというほかない。

また、被告人は、その日のデートが中途半端なものに終わったため、Tとのデートを翌日に約束しているのである。その夜にAが死亡すれば、翌日にTとデートをすることは不可能であるから、被告人において、帰宅後のA殺害を考えながら、別れ際に、Tと翌日のデートを約束するというのもいかにも不自然である。被告人が一種の偽装工作としてこのような約束をしたということも、可能性としては考えられないではないが、合理的な推測の範囲を越えるものといえよう。したがって、この時点でも、まだ被告人の犯意の発生を跡づけることは困難であるといってよいであろう。

最後に残るのは、被告人においてTと翌日のデートを約束して別れたものの、むしゃくしゃした気分が収まらず、帰宅途中ないしは帰宅後にA殺害の犯意が生じたということであるが、これでは、被告人の殺害行為が余りにも場当たり的、偶発的となって、原判決が認定した動機の計画性と矛盾そごすることになるように思われる。このように、いずれの場合を想定しても、本件当日被告人がTとデートをし、かつ、翌日のデートの約束をしていることが殺意の発生時期を不明とし、ひいては、殺意そのものの認定すら困難にしているのである。

以上を要約すれば、関係証拠によるも、原判決が認定するような被告人の心情がいつ殺害の意図ないし殺害計画にまで高まり、本件当日いつどのようなきっかけからそれが具体的殺意となって、実行に移されることになったのかなんら明らかではなく、それだけ原判決の殺意の認定にはあいまいさが残っているということができる。

三  Tとの結婚目的以外の動機について

1  本件において、A殺害の動機として検察官から主張されているところは、もっぱら、Aに対するうとましさと同女がTとの結婚の邪魔になるということであった。かかる動機に基づく殺人ということでは、本件犯行を認めがたいような場合に、他の動機、例えば、保険金目的による殺人や口論の挙げ句の衝動的殺人という形で本件公訴事実について有罪認定を行うことが許されるかどうかは、大きな問題であろう。

犯行の動機は、厳密にいえば、罪となるべき事実そのものからはみ出すものであるが、本件のように動機が問題となり、被告人の犯意あるいは犯行そのものが争われているような事案においては、動機の有無は犯意・犯行の認定とも密接な関係を持ち、事実認定上の重要な争点となってくるのである。したがって、動機犯の場合においては、通常起訴状にも、犯行の原因として、動機の点が記載され、検察官の冒頭陳述でもこの点について詳しく言及するのが通例である。かかる訴因に記載された犯行の動機とは別個の、これまで防御の対象とされていない動機を認定していきなり犯意を肯定することは、不意打ちともなりかねず、すこぶる問題であるといってよい。したがって、訴因に明示された動機と異なる動機によって犯行を認定するためには、やはり、訴因変更の手続をとり、これを争点として顕在化させることが必要であるように思われる。

本件においても、Tとの結婚の障害になるAをうとましく思って殺害したという訴因をそのままに、いきなり保険金目的による殺人等を認めて有罪とすることは、被告人に対する不意打ちとなり、相当ではないというべきであろう。したがって、本件訴因が維持される限りにおいては、Tと結婚するうえで、邪魔になる美智子を殺害したという動機を前提に、被告人の犯意・犯行が認められるかどうかを判断するほかないのである。

2  右のような手続上の問題は別として、証拠上美智子にかけられた保険金目当てという美智子殺害の動機は認められるであろうか。被告人は、本件に接着した時期に、自分を受取人として美智子らを生命保険に入れ、しかも、美智子については、災害時死亡のときは倍額の四五〇〇万円が下りる特約になっていた。疑えばきりのないことではあるが、被告人が美智子に離婚話を持ち出さずに、いきなり殺したのは、保険金の取得が目当てであったという仮設を立てることも十分可能である。被告人が独立して保険代理店を開くことは、客観的には、資金不足や収支の点から極めて困難であったと思われるのに、被告人がこの点をほとんど意に介さず、佐野市内に賃貸マンションの空き室を探していたのも、保険金が入ってくるあてがあったからだということで説明をつけることができる。事件の構造を矛盾なく説明するという点では、Tとの結婚目的という動機よりは、むしろ、この保険金目的という動機の方がすっきり事案を解明しうるかもしれない。しかし、これとても、あくまで推理や仮説にとどまるものであって、証拠上かかる認定が可能であるという程度にまで達しているわけではない。例えば、

<1> 美智子らを被保険者として加入した各保険とも叔母や勤務先から勧められて入ったもので、被告人が自分から積極的に入ったという証拠はないこと

<2> 被告人がサラ金やローンの返済などで、にっちもさっちもいかないほど経済的に追い詰められていたということも認められないこと

<3> これらに要する掛け金は、家計上相当の負担とはなっていたが、長続きしないほど異常な高額のものとはいえないこと

<4> 悟や徹を被保険者とする保険契約の金額はさほど高額のものではなかったうえ、同人らに対する殺人は認定しえないのであるから、少なくとも子供らに関する限り、その目的は否定されること

<5> 美智子を被保険者とする保険は、倍額の災害時特約付きのものであったが、自宅での変死ということで、被告人に犯人の疑いがかけられれば、そう簡単に保険金が下りるとも思われないので、保険金目当ての殺人にしては、いささか殺害方法に工夫が足りないし、保険金目当てであれば、当然災害時特約の適用まで考えると思われるが、被告人による放火が認められない以上、かかる意図は認めがたく、保険金目当てとしてはいささか中途半端になっていること

等の消極に働く事情もあり、保険金目当てということを美智子殺害の動機として考えることは、証拠上困難と思われる。やはり、保険金目当てによる殺人という事件の構図を考えるにしても、被告人による放火が認められないということが、検察官に極めて不利に働いていることは否定できない。

3  次に、Tとのデートが中途半端な形に終わり、期待していたセックスもできなかったことから欲求不満となり、いらいらした気分で自宅に帰ってきて、美智子と口論となり、かっとして同女を絞め殺したという想定も不可能ではない。原判決が不審な行動として指摘する被告人のさまざまな行動のうち、例えば、各所に車を走らせながら、いずれもその目的を達していないことや、翌日Tとデートを約束しているというのにわざわざソープランドにおもむき、あるいは、厳寒の午前四時ころに、古越路橋下の河原でビールを飲んだりしていることなどは、かっとなって美智子を殺してしまった後、どうしたらよいか分からず、自分を忘れさせようとしたもの、あるいは、死体のある自宅には足が向かず、途方にくれていたもの、更には、犯跡隠蔽行為を考えていたものと解することもできる。

しかし、これもあくまで推測にとどまるものであって、単なる想定の域を出るものではない。結論としては、かかる事実を認定することも証拠上は困難である。

また、かっとなって殺したとなれば、美智子が起きていたことが前提となるが、前述のように、証拠上は就寝中に美智子の死亡が生じたとみるのが最も妥当である。もちろん、美智子が起きているときに殺されたという可能性も全面的には否定しきれないが、被告人が起きている美智子と口論し、絞め殺したような場合には、やはり、抵抗したり、苦悶したそれなりの痕跡が美智子の死体に残されている可能性が大きいように思われる。しかし、そのような痕跡はなく、近隣の人たちも、被告人方での喧嘩、口論、悲鳴等の物音を誰ひとりとして聞いてないのである。

以上を総合すると、Tとの結婚目的以外の殺害動機も、証拠上認定することは困難といわざるをえない。

第六  その他被告人の不審な行動について

一  本件当夜の行動について

1  本件当夜の行動として、被告人が主張するところは先に述べたとおりであるが、基本的には、原判決の認定するとおり、午後七時三〇分ころに、Tと足利市内の同女の自宅付近で別れて以降、翌日午前一時二〇分ころ同市所在の「大名トルコ」に現れるまでの間の被告人の足取りは必ずしも明らかでなく、被告人の弁解を裏付ける証拠はないといってよい。ただ、美智子の死亡時刻が当夜午後八時前後であるとすると、午後七時三〇分ころまでTと同女方付近にいたこと自体がアリバイとなりうるものであるし、午後九時ころまで「パールジャンボ」でパチンコをしていたという点も、これをはっきり裏付ける証拠はないものの、その可能性を直ちに否定することはできないであろう。検察官も、このような事実はありうるものとして、これを前提とした冒頭陳述を行い、犯行時刻に関する訴因変更が行われるまで、もっぱら午後九時ころ以降の時間帯についてのアリバイの成否を巡って立証が繰り拡げられてきたのであって、この訴訟経過を無視することも相当でない。

2  もっとも、当日午後九時ころ以降の足取りに関する被告人の弁解はかなり具体的であって、それなりの体験があるようにみえるものの、不自然な点も多く、必ずしも信用できるものでもない。例えば、保険の勧誘、説明のために岩舟町の寺内方の訪問を思い立ち、同人方前までおもむいたというのに、結局、訪問せずに終わり、次いで、佐野市内で酒でも飲み、ホステスと遊んでうさ晴らしをしようという気になって、パブ「ふじ」のほか、二軒ほどの飲み屋をのぞいたというのに、これまた気に入った店がないということで入らなかったというのであって、いずれも裏付けの得られないものであるし、更に、「大名トルコ」に行くにしても、深夜の交通閑散な道路を時速約一八キロメートルという低速で、一時間もかけて行ったというのは不自然であり、行ったことは間違いないにしても、到着するまでの行程については事実ともそうでないとも決しがたいというほかない。

このように、2で述べた被告人の弁解の多くは裏付けを欠き、あるいは、不自然な内容を含むものであって、にわかには信用できないが、虚偽とまでは断定できないし、美智子の死亡時刻は一二月九日午後八時前後、遅くとも午後八時三〇分ころまでであると推測されるので、行動のはっきりしていない前記の時間帯に美智子の殺害が行われたと推認することも困難である。

3  被告人の弁解によれば、被告人は、「大名トルコ」で遊んだ後自宅付近まで戻ってきたが、のどが渇いたのでビールでも飲みながら仕事のことを考えようと思って自宅には戻らず、葛生町内のスーパー「みどりや」の自動販売機で罐ビール二本を買い、それを古越路橋下の河原で飲み、午前四時一二分ころに車を発進させて自宅に向かったというのであるが、これもいかにも不自然である。午前三時を過ぎ、その日の朝からの仕事もあるというのに、自宅近くまで戻りながら自宅に帰らず、厳冬の屋外に車を止めて冷たいビールを飲むというのは奇異ともいえる行動であり、被告人がことさらにこのような行動をとっている疑いもないではない。

原判決は、この点につき、「かかる被告人の行動はこれまた、何らかの意味での帰宅までの時間稼ぎないしはいわゆるアリバイ工作の行動と見られてもやむを得ないものといわざるを得ない。」とするが、このような判示は、原判決が被告人の帰宅時の玄関戸の不施錠をとらえて、「右不施錠は、家屋内に何らかの異常事態が発生していることを予想して、容易に戸外に脱出せんがための用意であったと考えられる。」と判示するのと軌を一にしており、被告人の行動をいわば出火待ちの行動とみるものであるが、これまた、被告人による放火行為の存在を認めなかったことと矛盾そごするものといわざるをえない。また、原判示のように、被告人のこのような行動を時間稼ぎのための行動とみると、被告人は自宅になんの変化も起こらないため、待ちきれずに帰宅したところ、予期せぬ爆燃火災ないし小規模のガス爆発に出会ってしまったということになるが、爆燃ないし爆発の事態を計算に入れてないとすると、火の回りもこれほどに早くはないのであるから、頚部圧迫の犯痕を十分に消しうると期待しえたかどうかも疑わしい。前述のとおり、検察官は、被告人が一体どのような根拠から何時ころの出火を予想して行動していたと主張するのか全く不明である。結局、被告人のこれらの行動は、それが十分に解明されていないだけに、被告人に対する疑惑を抱かせるものではあるが、被告人による放火の事実が認められない以上、説明のつかないものというほかなく、直ちに美智子殺害のアリバイ工作といいきれるものではない。

4  帰宅後の状況について被告人が供述するところによれば、「午前四時二〇分ころ玄関先にたどりつき、玄関を入り、靴を脱いで上がり、玄関と台所の仕切りの暖簾を分けて入り、一、二歩すると、突然爆発音がして爆風と炎が襲ってきて、後は分からず、気がついたら、玄関の北西の土手のすその辺りに倒れていた。」というのであるが、現場のサッシ戸や窓ガラスの破壊状態からすると、爆風の方向は西六畳間から南側サッシ戸の方向に向けて強く、被告人が気を失うほどの強い爆風が被告人の方に襲ってきたということは信じがたいところであるし、被告人が玄関の引き戸もろとも爆風に吹き飛ばされて土手に倒れていたというのであれば、気を失ったという説明も理解できるが、検証調書によれば、玄関戸は南側の戸が約四三センチメートルほど引き開けられた状態で燃焼しており、被告人がそれを開けて外に出たと推認されるのである。そして、被告人がほとんど火傷を負っていないことをも考え合わせると、この供述は措信しがたく、被告人がなんらかの重要な事実を秘匿している疑いが強いといってよい。

以上のとおり、被告人の本件当夜の行動には不可解なものが多く存し、疑惑は少なくないが、そこで何が起こっていたのかは、証拠上明らかでなく、不明といわざるをえない。

二  取調べ中の行動について

被告人は、逮捕される以前から衣服にかみそりの刃を縫い込み、勾留後に房内でそれを用いて自殺を図るという行動をとったり、ポリグラフ検査を拒否する反面、取調べの一時期には、気持ちの整理のために数日時間がほしいと述べたりするなど、心の動揺を示していた。これらの事実も、被告人に対する疑惑を募らせるものではあるが、さりとて、被告人が美智子を殺害したと推認する積極的な証拠となるものでもない。

第七  結論

以上を総合すると、美智子の死は他為・外力による急性窒息死であり、その原因としては頚部圧迫による可能性が高く、状況的にみると、被告人がその犯人である疑いが強いということができるが、その反面、<1>美智子殺害と不可分一体の関係にある放火等が無罪となっており、検察官の描いた事件の構図が崩壊していること、<2>頚部絞扼に通常伴う痕跡が美智子死体にはみられないことなどから、殺害方法に不明の点が残るうえ、被告人の実行行為とする積極的な証拠がないこと、<3>Tとの結婚の障害になるので、離婚話を持ち出さずにいきなり美智子を殺害したという犯行の動機に疑問があること、<4>被告人の本件当日の行動をみても、殺意の発生時期がはっきり跡づけられていないこと、<5>美智子殺害時刻のころに被告人が犯行現場にいたという証拠はなく、むしろ、被告人にアリバイが成立する可能性すら否定できないこと等に照らすと、美智子殺害に関する検察官の立証は、結局のところ、証拠不十分であるというほかなく、被告人に疑惑は残るものの、被告人を美智子殺害の犯人であると断ずるには、なお、合理的な疑いがあるというべきである。原判決の事実誤認を主張する弁護人らの論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条ただし書により、当裁判所において、被告事件につき更に判決する。

右に判示したとおり、本件全証拠によるも、被告人の美智子殺害に関する本件公訴事実については犯罪の証明がないと認められるので、同法三三六条により、被告人に無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 早川義郎 裁判官 八束和廣 裁判官 仙波厚)

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