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東京高等裁判所 平成元年(ネ)3247号 判決 1990年5月29日

主文

一、本件控訴を却下する。

二、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、控訴人

1. 原判決を取り消す。

2. 被控訴人の請求を棄却する。

3. 訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二、被控訴人

1. 本案前の申立

主文第一項同旨

2. 本案に対する申立

本件控訴を棄却する。

第二、当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示「第二 当事者の主張」欄の記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の本案前の主張)

1. 原判決は、平成元年八月二二日公示送達の方法により控訴人に送達され、翌二三日送達の効力が生じ、同年九月六日の経過により形式上確定したものとされている。

2. しかしながら、控訴人の本件控訴は、民事訴訟法一五九条一項所定の要件を具備しているから本件控訴は適法である。

(一)  控訴人は、内縁関係にあった被控訴人との間にもうけた子高柳信夫(昭和三八年一二月生まれ、以下「訴外信夫」という。)及びその妻と一緒に、杉並区<以下略>高柳荘で生活していた。

(二)  控訴人は、昭和三八年ころ、八王子市<以下略>山林三七四二平方メートル(以下「本件土地」という。)を被控訴人から贈与を受け、所有名義人になっていたところ、昭和五一、五二年ころから、被控訴人は、朝比純一弁護士(以下「朝比弁護士」という。)を代理人として、本件土地と被控訴人所有土地との交換を求めるようになり、更に、被控訴人が控訴人を相手方として、東京簡易裁判所に民事調停を申立て、控訴人もこれに応じ、被控訴人の代理人の朝比弁護士と交渉したが不調に終わった。

(三)  被控訴人は、本件土地の問題が解決しないため、控訴人らの住む前記高柳荘へ何度となく押し掛け、玄関のドアをステッキで穴があくほど叩く、怒鳴りまくる、訴外信夫の妻(中国系)を「チャンコロめが」などと誹謗するなど、異常な行動を繰り返した。

(四)  そのため、昭和六二年一一月ころ、控訴人は、近所の手前や訴外信夫夫婦のため、また自らの身の安全のため、その場所にいたたまれず、被控訴人の前から行方をくらますため、同所を出て、横浜、名古屋等において、住み込みで家政婦などをしながら生活していた。なお、住民登録は、前記高柳荘にしたままであった。

(五)  しかし、控訴人は、家出後も月に一回程度は、朝比弁護士に架電したうえ、会って交渉には応じていたし(居所は明らかにしないものの)、途中からは松嶋泰弁護士(以下「松嶋弁護士」という。)にも何度か会ったことがある。

控訴人は、大喪の礼(平成元年二月二四日)の後の、同年三月に上京して朝比弁護士と会い、「この土地(本件土地)の代替地に被控訴人が手を着けることがないよう、弁護士の先生が保証してくれるなら、次回には判をついてもよい。」「本件の八月ないし九月ころまで、海外(ニュージーランド)へ友人の手伝いに行く。」旨伝えておいた(ただし、実際には、その後事情か変わり、控訴人は、別の所で、老人介護の仕事をしていた。)。

(六)  ところが、被控訴人は、朝比弁護士、中村善一弁護士(以下「中村弁護士」という。)を訴訟代理人として、平成元年四月二五日、東京地方裁判所八王子支部に本件土地の所有権移転登記手続請求事件を提起し、公示送達で手続が進められ、控訴人が不出頭のまま審理がなされ、同年八月二二日原判決が言い渡され、同年九月一一日、被控訴人は、自己名義に所有権移転登記を了してしまった。

(七)  なお、控訴人は、前記事情で家出したことから、訴外信夫には「母の居場所は知らない。」ことにしておけと言ってあった。

ところが、被控訴人は、同年四月に本件訴えを起こし、訴外信夫に対し「『母の行方は分からない。』と一筆書け。」と言ってきた。

被控訴人は、訴外信夫からの連絡を受けたが、事情が分からないので、訴外信夫に朝比弁護士のところに問い合わせに行かせ、訴外信夫が同弁護士方で、「父が一筆書けと言って来ているが書いて大丈夫か。母は八月か、九月ころ帰って来る。」と述べて相談したところ、同弁護士が「書いて大丈夫だ」と言ったので、訴外信夫は、その旨一筆書いて被控訴人に送付した。

他方、控訴人は、前々から同弁護士らから「権利証を持っているのだから、安全だ。」と言われていたことや、訴外信夫の報告などから安心していた。

(八)  控訴人は、平成元年九月下旬ころ、登記所から同年九月一一日付通知書(乙第一二号証)が来ていることを知らされ、上京し、九月二七日、東京地方裁判所八王子支部に赴いて、本件原判決の公示送達の事実を知った。

3. 右2によれば、被控訴人は、控訴人を執拗に追い詰め、控訴人がその住所を離れて生活をせざるを得ない状況を自ら作り出しながら、控訴人の不在期間を利用し、これを奇貨として、公示送達による手続を悪用し、判決を取得したものであって、このような事情の下では、控訴人は、その責めに帰すべからざるを事由によって、控訴期間を遵守することができなかったものであり、その事由の止みたる後一週間内である同年一〇月二日に、控訴人は、本件控訴を提起した。

(控訴人の本案前の主張に対する認否)

1. 控訴人の本案前の主張1の事実は認める。

2.(一) 同2(一)の事実のうち、控訴人が被控訴人との間にもうけた訴外信夫及びその妻と一緒に高柳荘で生活していたことは認める。

(二) 同2(二)の事実のうち、昭和三八年ころ、被控訴人が本件土地を所有していたこと、控訴人が本件土地の所有名義人になっていたこと、本件土地問題について、朝比弁護士が昭和六三年一〇月以前に度々控訴人と交渉したことは認め、被控訴人が控訴人に対し、本件土地を贈与したことは否認する。

(三) 同2の(三)の事実のうち、被控訴人が昭和六三年一〇月以前に本件土地の問題について、控訴人らの住む前記高柳荘を訪問したことは認める、その余の事実は否認する。

(四) 同2(四)の事実のうち、高柳荘に住民登録していたことは認め、その余の事実は不知。

(五) 同2(五)の事実のうち、朝比弁護士が昭和六三年一〇月以前に度々控訴人と交渉したことは認め、控訴人が平成元年三月に朝比弁護士と会ったことは否認する。

(六) 同2(六)の事実は認める。

(七) 同2(七)の事実のうち、訴外信夫が朝比弁護士方を訪ね(平成元年七月初めころ)、「父が一筆書けと言って来ているが書いて大丈夫か。」と尋ねられたこと、同弁護士が「事実所在が分からないのなら書いて差し支えなかろう」と答えたことは認め、被控訴人が訴外信夫に対し、「『母の行方は分からない。』と一筆書け。」と言ってきたことは、否認する。

(八) 同2(八)の事実は不知。

3. 同3の事実のうち、控訴人が同年一〇月二日本件控訴を提起したことは認め、その余の事実は否認する。

4. 被控訴人の反論

(一) 被控訴人は控訴人に対し、本件土地につき真正な登記名義の回復を登記原因として、被控訴人名義に所有権移転登記手続を求める必要を生じたので、昭和六二年ころから、円満なる解決を企画して、度々控訴人の肩書住所に控訴人を訪問し、本件土地所有権移転登記請求の交渉をした。しかるに、控訴人は、不当なる条件を要求して被控訴人の請求に応じなかった。

(二) そこで、被控訴人は、昭和六三年一二月一九日、中野簡易裁判所に調停の申立をし、同裁判所より第一回の調停期日は昭和六四年二月六日午前一一時と指定された。右調停申立書副本が被控訴人の住所に普通郵便送達の方法で送達されたにもかかわらず、控訴人は不出頭のため、右裁判所に特別送達による出頭期日呼出状の送付を求めた。第二回調停期日である平成元年三月二七日午後一時には、控訴人は再度出頭せず、裁判所から期日呼出状は控訴人の住所不明のため不送達となった旨報告を受けたので、被控訴人は調停を取り下げた。

(三) 被控訴人は、やむをえず平成元年四月二五日、東京地方裁判所八王子支部に訴状を提出し(甲第一ないし第五号証を添付)、第一回口頭弁論期日は同年六月八日午後一時と指定された。

(四) 同年五月上旬、担当書記官から訴状副本は控訴人が転居先不明のため送達不能となった旨、及び控訴人の住民票を提出するよう電話連絡を受け、被控訴人代理人中村は、同年五月二二日杉並区役所に行き控訴人の肩書住所記載の住民票の交付を受け、同日裁判所に提出した。

(五) その後、担当書記官から、「至急住所を調査して連絡してください」との事務連絡を受け、控訴人の転居先を調査したが不明なので訴訟の進行を図るべく、同年六月三〇日、調査報告書、その他の転居先不明の疎明書類を添付して公示送達の申立をした。

(六) 右公示送達の申立は、担当裁判官の許可があり、第一回口頭弁論期日は同年七月二七日午後一時と指定され、同期日において、訴状の陳述、証拠説明をしたところ、裁判官は、弁論を終結し、判決言渡し期日を同年八月二二日午後一時と指定し、同期日に被控訴人(原告)勝訴の判決の言渡しがあった。

(七) 以上の次第で、控訴人は、被控訴人から法律上の責任を追及されることを予想し、専らこれを阻害する目的で事前に行方をくらまし、更にその後の過程で客観的に被控訴人が最終的に訴訟提起の手段に出ることもあり得ると考えられる事態のもとにおいて、依然行方をくらました状態を継続し、その結果やむなく原裁判の訴訟手続が公示送達によって進行したものであり、仮に控訴人が原判決の言渡のあったことを平成元年九月二七日まで知らず、控訴期間を遵守できなかったものであるとしても、これをもって「控訴人の責めに帰すべからざる事由に因る」ものと認めることはできない。

第三、証拠関係<略>

理由

一、原判決が、控訴人に対し、公示送達の方法により平成元年八月二二日送達され、翌二三日送達の効力が生じ、それが形式上同年九月六日の経過により上訴期間が満了し確定したものとされていることは本件記録上明らかである。

二、ところで、控訴人は、原判決が公示送達により送達されたことを知ったのは、平成元年九月二七日であり、その翌日から起算して一週間以内である同年一〇月二日本件控訴を提起したものであるところ、右公示送達による原判決正本が、控訴人に対し、同年八月二二日送達されたことを知らなかったことにつき、控訴人に過失があったものということはできず、本件控訴は適法である旨主張するので先ずこの点について判断する。

<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1. 被控訴人(大正九年二月生まれ)は、昭和三八年当時は妻恵子がいたが(同女は昭和四五年協議離婚)、控訴人(大正一三年一月生まれ)と親密な関係になり、杉並区<編集注・略>高柳荘で控訴人と同棲し、控訴人との間に訴外信夫(昭和三八年一二月生まれ)をもうけたが、次第に不和となり、訴外信夫出生のころからは、被控訴人は高柳荘を出て、控訴人と訴外信夫が高柳荘で生活するようになり、昭和六〇年ころからは、訴外信夫の妻及び子も控訴人と一緒に高柳荘で生活するようになった。

なお、控訴人は、住民票の住所を右高柳荘にしていた。

2. 被控訴人は、昭和三八年二月八日、前所有者山下三七から、八王子<以下略>の山林を買い受け、同年三月四日、右土地を同番一山林六〇七二平方メートルと本件土地との二筆に分筆登記したうえ、同月一一日、前者を被控訴人と妻恵子との共有名義とし、本件土地は売主から直接控訴人所有名義に各所有権移転登記を了した。

3. 被控訴人は、昭和五二年ころから、朝比弁護士を代理人として、本件土地の名義変更を求めるようになり、更に、被控訴人が控訴人を相手方として、東京家庭裁判所に調停を申立て、控訴人もこれに応じ、被控訴人の代理人の朝比弁護士と交渉したが不調に終わった。

4. 被控訴人は、控訴人に対し、本件土地につき真正な登記名義の回復を登記原因として、被控訴人名義に所有権移転登記手続を求める必要を生じたので、昭和六二年ころから、その解決を意図して、度々控訴人の肩書住所に控訴人を訪問し、本件土地所有権移転登記請求の交渉をしたが、気性の激しい被控訴人は、その際、土地の問題が解決しないため、感情的になって、控訴人らの住む前記高柳荘の玄関のドア等をステッキで叩いたり、怒鳴ったりしたことがあった(なお、被控訴人は、脳内出血で倒れて運動機能障害が残り、歩行の補助としてステッキを所持していた。)。

そのころ、被控訴人と訴外信夫夫婦との父子関係は、特に不仲ということはなかったが、訴外信夫としては、本件土地を巡る父母の問題にはできるだけ関わらないようにしていた。他方、控訴人も訴外信夫の妻とは必ずしも折り合いが良くなかった。

5. 控訴人は、昭和六三年一一月ころ、被控訴人と直接交渉するのを嫌い、同所を出て、横浜、名古屋等において、住み込みで家政婦などをしながら生活していた(なお、住民登録は、変更せず、前記高柳荘にしたままであった。)。控訴人は、その後、時々訴外信夫の許や東京都中野区<編集注・略>に住む妹の山本夏子方を訪ねていたが、同人等にも自己の住所や連絡先を教えず、実家の母等にも知らせていなかった。

訴外信夫は、控訴人の家出後、高柳荘に届いた控訴人宛の郵便物をまとめて、一、二週間に一回ほど、叔母の山本方に届けていたが、山本も控訴人の連絡先を知らず、控訴人が時々訪ねてきた際に郵便物を渡していた。

6. 控訴人は、家出後も月に一回程度は、朝比弁護士に架電したうえ、会って交渉には応じていた(しかし、居所は明らかにしなかった)。なお、昭和六三年ころからは松嶋弁護士も本件土地の問題に関与し、本件土地を評価して金銭で解決するか、他の同価値の土地と交換する方向での話し合いを提案し、控訴人及び被控訴人もこれに基本的に賛成し、昭和六三年一一月下旬ころ、被控訴人は、中央信託銀行株式会社不動産鑑定部に本件土地の鑑定を依頼し、同年一二月一二日付鑑定書で本件土地の価格が二六一九万円である旨の報告を受けた。松嶋弁護士は、早速控訴人と連絡を取ろうとして、訴外信夫の勤務先や控訴人の実家にまで連絡をしたが、控訴人とは全く連絡が取れず、話合いに至らなかった。

7. そこで、被控訴人は、昭和六三年一二月一九日、中野簡易裁判所に調停の申立をし、第一回調停期日は、昭和六四年二月六日午前一一時と指定され、右調停申立書副本が控訴人の住所(高柳荘)に普通郵便送達の方法で送達されたが、控訴人に届かず、控訴人は出頭しなかった。なお、その間、前記松嶋弁護士は、前記事情を記した平成元年一月一三日付手紙で、岐阜県土岐市<編集注・略>在住の控訴人の母小川なかに対し、控訴人に至急連絡してほしい旨の連絡方を依頼していたが、控訴人からの連絡はなかった。

ところが、控訴人は、同年三月に上京し、松嶋弁護士、朝比弁護士と会い、松嶋弁護士から前記鑑定書のコピーを渡され、検討を求められたが、その際、「この土地(本件土地)の代替地に被控訴人が手を着けることがないよう、弁護士の先生が約束してくれるなら、判をついてもよい。本年の八月ないし九月ころまで外国に行っている。」旨話したが、自己の連絡先は一切教えなかった。

そして、前記調停事件の第二回調停期日(三月二七日午後一時)は、控訴人に対し、特別送達により出頭期日呼出がされていたが、住所不明のため不送達となり、被控訴人は右調停を取り下げた。

8. 被控訴人は、控訴人との連絡が取れず、やむをえず、朝比弁護士、中村弁護士を訴訟代理人として、同年四月二五日、東京地方裁判所八王子支部に本件土地の所有権移転登記手続請求事件を提起し(甲第一ないし第五号証を添付)、第一回口頭弁論期日は同年六月八日午後一時と指定された。

9. 同年五月八日、担当書記官から訴状副本は控訴人が転居先不明のため送達不能となった旨、及び控訴人の住民票を提出するよう電話連絡を受け、被控訴人代理人中村弁護士は、同月二二日杉並区役所方南和泉出張所に行き控訴人の肩書住所記載の住民票の交付を受け、同日裁判所に提出した。

その後、担当書記官から、「至急住所を調査して連絡してください」との事務連絡を受けたので、控訴人の肩書住所に赴き、控訴人の居住の有無を調査したが居住せず、また高柳荘の管理人の訴外信夫に被控訴人関係者が問い合わせるなどして控訴人の転居先を調査したが不明であった。なお、同年六月二日付で高井戸警察署長宛に控訴人の不在証明を願い出たがプライバシーを理由に受理されなかった。

そこで、被控訴人代理人は、訴訟の進行を図るため、同月三〇日、調査報告書、その他の転居先不明の疎明書類を添付して公示送達の申立をした。

10. 右公示送達の申立は、同年七月三日許可され、第一回口頭弁論期日は同月二七日午後一時と指定された。同弁論期日には、控訴人は出頭せず、被控訴人が訴状の陳述、証拠説明をしたところ、裁判官は、弁論を終結し、判決言渡し期日を同年八月二二日午後一時と指定し、同期日に被控訴人(原告)勝訴の判決の言渡しがあった。

11. 被控訴人は、同年九月一一日、右判決に基づき、本件土地にき自己名義に所有権移転登記を了した。

12. なお、被控訴人は、同年六月ころ、訴外信夫に対し、母の所在を尋ね、同人が知らない旨答えると、「『母の行方は分からない。』と一筆書け。」と書類の作成方を求め、訴外信夫は、控訴人から重要なことは弁護士に相談するように言われていたことから、朝比弁護士方を訪ね、「父が一筆書けと言って来ているが書いて大丈夫か。」と相談したところ、同弁護士が「事実所在が分からないのなら書いて差し支えなかろう」との答えを得、また、叔母から「母は八月か、九月ころ帰国する。」と聞いていたことから、訴外信夫は、おおよそ「現在、小川春子は杉並区<編集注・略>には住んでいません。八、九月には帰国し、その後は中野区の叔母方に住民票を移す予定です。」旨書いて被控訴人に送付した。

他方、控訴人は、同年三月ころには、外国に出掛けることを考えていたが、結局これを取り止め、横浜などで生活していたが、その旨を被控訴人はもとより、訴外信夫や妹の山本にも伝えず、本件土地の問題についても、三月に松嶋弁護士から検討を求められていたにもかかわらず、その後何ら連絡していなかった。

13. 控訴人は、同年九月二五日ころ、妹の山本方に架電した際、登記所から同月一一日付通知書(乙第一二号証)が来ていることを知らされ、翌九月二六日上京して本件土地の登記簿謄本を取り寄せて、名義変更を知り、翌二七日、東京地方裁判所八王子支部に赴き、原判決が公示送達の方法で控訴人に対し送達されている事実を知った。以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、控訴人は、昭和六二年ころから、被控訴人が本件土地問題の解決を意図して、度々控訴人の居住する高柳荘を訪ね、土地の問題が解決しないため、気性の激しい被控訴人が感情的になって、玄関のドア等をステッキで叩いたり、怒鳴ったりしたことがあったことから、昭和六三年一一月ころ、被控訴人と直接交渉するのを嫌い、同所を出て、横浜、名古屋等において、住み込みで家政婦などをしながら生活していたが、同居していた訴外信夫や妹の山本夏子等にも自己の住所や連絡先を教えず、実家の母等にも知らせていなかったものであり、しかも、控訴人は、家出後も月に一回程度は、朝比弁護士に架電したうえで会って交渉には応じていて、そのころ松嶋弁護士からも提案があり、本件土地を評価して金銭で解決するか、他の同価値の土地と交換する方向で話し合いが進み、控訴人及び被控訴人もこれに基本的に賛成し、家出後、間もなくには、被控訴人側と円満に話し合える方向にあったものであり、また、控訴人は、平成元年三月に松嶋弁護士らと会い、同弁護士から本件土地の鑑定書のコピーを渡され、検討を求められていたにもかかわらず、自己の連絡先を弁護士らにも一切教えず、しかも、その後は自ら同弁護士らと本件土地問題で話し合うべく連絡することもなかったものであって、控訴人において、右三月以降何ら連絡をとらなければ、従前調停手続に頼むなどしていた被控訴人において、その解決を図るため、訴訟手続によることも十分に考えられたものというべきであり、少なくとも、被控訴人側においては、前記調停手続及び原審の公示送達申立に当たり、控訴人の所在を知りうる訴外信和や控訴人の母等、知りうる関係者に何回となく問い合わせているのであるから、控訴人において、自己の住居あるいは連絡先を同人らに知らせておきさえすれば(少なくとも、連絡先を同人らに知らせておくことにより、控訴人に身の危険や困難な問題が生ずるとは認められない。)、容易に控訴人に送達ができたものといわねばならない。そうすると、控訴人が本件公示送達による原判決の送達を知らなかったことについて過失がなかったものであるといえないことは明らかである。

なお、控訴人は、「被控訴人は控訴人を執拗に追い詰め、控訴人がその住所を離れて生活をせざるを得ない状況を自ら作り出しながら、控訴人の不在期間を利用し、これを奇貨として、公示送達による手続を悪用し、判決を取得した」旨主張するが、前記認定事実によれば、なるほど、控訴人がその住所を離れて生活するに至った原因の一端は被控訴人の行為によると見うるものの、本件土地問題は、その後間もなく被控訴人側と円満に話し合える方向にあったもので、控訴人が高柳荘に戻れない状況にはなく、控訴人が平成元年三月以降も被控訴人側と連絡を取ろうとしなかったことなどからすると、むしろ控訴人の自由な意思により余所で生活していた面が強いものと認められるところであり、また、前記認定の事実経過に照らせば、被控訴人が控訴人の不在期間を利用し、これを奇貨として、公示送達による手続を悪用し、判決を取得したものといえないことも明らかであって、控訴人の右主張は採用できない。

したがって、控訴人は、その責めに帰すべからざる事由により控訴期間を遵守することができなかったものでないから、本件控訴は、控訴期間を徒過してなされた不適法なものというべきである。

三、よって、本件控訴は不適法としてこれを却下することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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