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東京簡易裁判所 昭和30年(ハ)443号 判決 1958年9月22日

原告 三橋正治

右代理人弁護士 稲垣規一

被告 小田俊枝

外四名

右被告卓穂智枝子昌代耕三法定代理人親権者 小田俊枝

右被告五名代理人弁護士 高橋正平

外二名

主文

東京都港区赤坂青山北町壱丁目八番地の四参(原告所有地)と同町同番地の弐壱(被告等五名所有地)との境界が別紙図面表示のトヌルを結ぶ線なることを確定する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

第一、原告所有地について

東京都港区青山北町一丁目八番の四三宅地五十四坪八合六勺(登記簿上の坪数、以下原告所有地と表示する)を原告が昭和二十六年二月七日国から払下を受けた事実は当事者者間に争のないところである。

原告が昭和二十六年二月九日東京法務局受付第一二八〇号を以て其所有権取得を登記した事実は成立に争のない甲第一号証によつて認定することが出来る。

第二、被告等所有地について

同町一丁目八番の二一宅地九十三坪七合(登記簿上の坪数、以下被告等所有地と表示する)が元訴外亀岡重治の所有であつたが昭和二十三年一月二十六日売買により訴外青木俊夫にその所有権が移転し同月二十七日東京法務局受付第七六四号を以て青木のため所有権取得登記がなされている事実は成立に争のない甲第二号証によつて認定せられる。

被告等先代小田忠治が昭和二十三年八月二十日附売買により青木俊夫から右土地九十三坪七合の所有権を取得し同月二十一日東京法務局受付第八八四号を以て所有権取得登記を了した事実は当事者間に争のないところである。

小田忠治が昭和二十四年六月十一日死亡し被告等五名が共同相続をなし九十三坪七合の所有権者となつた事実も当事者間に争がない。

第三、両地の境界について

一、隣接について

前第一記載原告所有地と第二記載被告等所有地と相隣接する事実自体は当事者間に争がない。唯その境界線は別図ヌル木柵部分につき一致する外その他の部分については一致するところがない。

二、境界線を定むべき資料について

両地境界線を定むる証拠資料は次のとおりである。

(一)  旧亀岡宅暗室のコンクリート床及基礎について

被告等所有地の西側北部に元亀岡重治所有当時写真暗室に改造した物置があつた事実は証人亀岡重治の供述によつて之を認定する。

検証(第一回)現場に於ける当事者の指示によれば旧亀岡写真暗室のあつた場所には現在建物が建築せられフイリツピン人コントラスが居住している。又コントラス方の境界外西に訴外越野某の住居があり境界として(当事者の合意する境界という意味でない。此点にも争がある)越野某がトタン塀を設置している。

第一回現場検証の結果によると現コントラス居住家屋の西に東西約二尺南北約九尺のコンクリート床(周囲は暗室の基礎でありボールトが現存する内側はコンクリート床検証図面ラムウンを囲む線内、写真(三))が露呈している。

証人亀岡重治、加藤左一の供述の趣旨によると右コンクリート床及土台は亀岡重治が戦災前暗室に改造した物置跡のコンクリート床及土台である。

原告は此コンクリート床及土台露呈部分の中心を南北に走る線(別図ワカヨ)が被告等所有地と訴外越野方所有地の境界線であると(検証現場に於て)主張するが其根拠がない。

右認定の事実(コンクリート床及土台存在の事実)に成立に争のない甲第五号証中訂正前の公図の記載及証人落合初太郎の供述を綜合すると旧亀岡所有地の西方境界線が該コンクリート床及土台の西端より二尺幅且後記(二)の木柵線を北に延長した線(別図ヲル)である事実境界線の北部が別図レから西三間一七の距離である事実を認定するに十分である。

旧亀岡写真暗室(元物置)の西方が一尺五寸の廂と五寸の余裕を以て境界に接し雨滴の他人所有地に落下するを防いでいたものと推定する。

後記(二)の判示事実は前記認定に相応するものである。即前記認定の境界線(別図ヲル)を南に延長した線上且其一部に木柵が設置せられている。

(二)  木柵(別図ルヌ)について

第一回現場に於ける検証の結果によると前(一)に判示するヲルを南に延長した線上に木柵が存在する。(検証図面のヌリ木柵)

木柵は訴外越野所有地(南北十六尺五寸)の南端から南北に三尺二寸の長さ(別図ルヌ)に設置せられている。

証人近藤栄次の供述(調書第三項)による戦災直後も両地境界北部に木柵が設置せられてあり現存する木柵が其一部である事実、原告に国有地を払下げたとき払下事務を処理した株式会社三和銀行物納土地払下係久保田某も右一直線をなす木柵が両地の境界上に設置せられたものであることを認めていた事実が明かである。

現に原告も木柵(別図ヌル)が境界であることは自認するところ(訴状第五項)である。

(三)  台所西通路コンクリートについて

前記暗室の南方に戦災前台所(母屋の一部)があり其東に風呂場があり台所の南に女中部屋が続いていた事実、台所と女中部屋の西に通路があつて自由に通行せられていた事実並女中部屋の北寄り西方に地下室(防空壕)が作られていた事実は証人亀岡重治及加藤左一の供述によつて認定することが出来る。

第一回現場検証の結果によると前(一)判示暗室基礎コンクリートの南方にコンクリートで舗装せられた路がある。幅約四尺であり南方に於て稍狭くなつている。該舗装路の西端には大谷石塀のコンクリート(大谷石塀と舗装路とに塗込んだコンクリート)が残存する。又舗装路の東に幅約三尺長さ約一間高さ舗装路より約六寸の入口石(調書添付写真(一)(二))が存在する。

此判示事実に証人亀岡重治、加藤左一、渡辺藤蔵の供述の趣旨及後記(四)の判示各事実を綜合すると該入口石は旧亀岡邸台所の入口石であり舗装路が台所西側の通路であり残存コンクリートが旧亀岡邸の西を劃する大谷石塀の残存物である事実を認定することが出来る。

即該舗装路には原告主張のような境界線が存在せず舗装路の西にある一連の大谷石(塀の残存)の西に旧亀岡所有地(現被告等所有地)と旧斎藤所有地(現原告所有地)との境界線があつた。

(四)  地下室の跡其段階入口について

前(三)判示のとおり旧亀岡重治邸の母屋の西部に台所(北)と女中部屋(南)があり、女中部屋の北寄り西方に地下室が作られていた。(証人亀岡重治調書添付手記図面、同加藤左一調書添付手記図面)

第二回現場検証当日地表近く大谷石(高さ五寸×幅一尺二寸)一本が南北に横わり即板塀に平行しているものが発掘せられた。(同調書図面、写真(一)乃至(四)、以下地表大谷石と表示する)次で別図ホ点(検証調書添付図面ホ点)から北方八尺四寸地表から三尺の地下に大谷石(高さ四寸三分×幅五寸五分)一本が南北に横わり即板塀に平行しているものが発掘せられた。(同検証調書添付図面及写真(五)及(六)、以下之を地底大谷石と表示する)

地底大谷石の東端を約三尺上部の地表に計測し此計測点と地表大谷石の東端との距りを検すると四尺一寸ある。

証人渡辺藤蔵の供述によると地下室に至る段階が四段又は五段であつたものである。此事実に右検証の結果を綜合すると(イ)地表大谷石が地下室に至る地表出入口であり(ロ)地下大谷石は地下室の床の西を劃するものであつた事実を認定することが出来る。

第二回現場検証の結果によると地表大谷石の西端から羽目板までの距りは二尺五寸である。此認定事実と証人亀岡重治の供述(調書第五項、両手に物を持つてはその侭では通れぬ程度であつた旨の部分)とを綜合すると(イ)戦災前の亀岡所有地の西方が大谷石塀で劃せられており(ロ)地下室入口の端(地表大谷石の東端)と大谷石塀との距離が約三尺七寸あつた事実を認定することが出来る。

大谷石塀の西端が境界線をなすものである。

原告は地表大谷石の東約五寸の地点と別図ホ点を結び北に走る線が境界であると主張するがその根拠がない。地下室入口の部分に限定して距離を計ると旧亀岡所有地の西に境界線があり次に大谷石塀があり三尺七寸の通路の東端から女中部屋の土台西端まで四尺一寸(五尺三寸の段階幅から大谷石の巾一尺二寸を差引く)あつた。

(五)  改定前公図について

成立に争のない甲第五号中改訂前の公図によると旧亀岡所有地(現被告等所有地)の西側は略一直線をなすことが認められる。右改訂前の公図に証人落合初太郎の供述を綜合すると被告等所有地の西寄南方の境界線が一直線をなし其直線(別図ネヘト)の長さが二間三六である事実即被告等所有地の西方境界線の南端が別図ネより二間三六だけ西にあるところの別図ト点である事実を認定することが出来る。

(六)  地積の比較について

被告等所有地の登記簿上の坪数が九十三坪七合であることについては当事者間に争がない。其実測坪数が原告の主張する境界線(別図ホイロヨカワ)を基準として測量した場合七十坪三合であることは原告の主張するところである。原告所有地の登記簿の坪数が五十四坪八合六勺である事実は当事者間に争がない。

証人滝沢与三郎の供述によると同人が大蔵事務官として関東財務局に勤務していた事実、昭和三十年七月中上司の命を受けて被告等所有地とを測量を初めた事実被告等所有地の界石を確認し之を基本として公図にもとづいて測量したところ被告等所有地の登記簿上の坪数が実測坪数より少かつた事実、原告が理由なく其所有地の測量を拒絶した事実を認定することが出来る。

而して相手方に有利(自己に不利益)なる証拠の使用を妨げ証拠調を妨げ証拠資料の成立を妨げ若しくは困難ならしむることは誠実の原則に反するものであり審判する者としては相手方の主張する事実が真実に合すると認定し得べきこと証拠法上の原則である。(独乙帝国裁判所民事判例集第五巻二九頁第二〇巻五頁第六〇巻一四七頁第七六巻二九七頁第八七巻四四〇頁第一〇一巻一九八頁ドユウーリンガー、ハツヘンブルグ商法第二巻三〇〇頁ヘルヰヒ民事訴訟法大綱第一巻四七六頁レオンハルド立証責任論二一二頁ローゼンベルク立証責任論二一七頁参照)

原告が誠実の原則に反し其所有地の測量を拒絶した事実から原告の主張する境界線内の占有部分(訴状添付図面のイホを以て境界とする占有部分)が遙に登記簿上の坪数である五十四坪八合六勺よりも広いものであると推定する。

一方に於て前示の通り被告等所有地の実測坪数が登記簿上の坪数より少く之に接する原告所有地の実測坪数が登記簿上の坪数より大である事実から一方が他方を侵害しているものであると推定する。

三、判断

前二の(一)乃至(六)の証拠資料認定事実を綜合して原告所有地と被告等所有地の境界線が別図トヌルを結ぶ線であると確定する。

第四、原告の主張する事実、証拠について

「両地の境界線が別図ホイを結ぶ線である」という原告主張の根拠は(一)被告等先代小田忠治と原告との間に両地境界について話合が出来ていたこと、(二)小田忠治が境界に竹の四ツ目垣を作つたこと、(三)公図が改訂せられていることの三点に集約せられる。

一、原告と小田忠治との話合について

原告と被告等先代小田忠治との間に両地の界を確定する話合があつた事実につき心証を得ない。

却つて証人藤沢直一の供述によると昭和三十年三月二十五日同人が両地の坪数を測つたとき小田忠治に於て「仕方がない」というて原告の主張にもとづいて測量せしめた事実、小田忠治に於て地積の訂正を拒絶した事実を認められるから小田忠治と原告間に両地境界の確定につき話合があつたとは認められない。

仮に話合があり其の結果本来小田忠治の所有に属する九十三坪七合の一部(別図トヌルヲ線とホイロヨカタ線内)を原告に贈与したとしても此贈与部分につき移転登記手続を経由しなければ小田忠治の相続人である被告等に対し贈与部分の所有権取得を以て対抗し得ないことわりである。

二、竹の四ツ目垣について

竹の四ツ目垣が原告主張の境界線(別図ホイ)より東方に設置せられてあつた事実は証人藤沢直一の供述によつて認定することが出来る。それ故四ツ目垣の西側に前第二の二の(三)判示のコンクリート舗装路が存することになる。

竹の四ツ目垣は如何なる事由によつて作られたか、証人近藤栄次は(同人調書第十項)は「小田忠治が境界線を被告等答弁書添付図ヨチ点を結ぶ線であるといつていたがそれは後のことであり同人(小田)も最初にはイホ線に相当する場所に針金がはつてあつたので之を地境であると思い込み四ツ目垣を作つたものと考える」旨供述するものである。

即之によると当初被告等先代小田忠治が別図イホを結ぶ線を境界であると信じていたこと明白である。

而して原告の主張によると原告は小田忠治の土地(現被告等所有地)買受斡旋をなすに先ち買受土地(現被告等所有地)と其西方隣地(現原告所有地)との境界線が別図イホを結ぶ線であることを忠治に承知せしめている。小田忠治としては原告が其現在地(当時斎藤某より賃借、斎藤某が物納した後払下)に永く居住して地理に詳しいことを承知しているから容易しく原告のいうところを真実であると信じ別図イホを結ぶ両地の境界線であると誤信するに至つたこと怪しむに足りない。

原告は当時その利益のため事実に反して両地の境界線が別図イホ線であると小田忠治に申聞け昭和二十三年八月二十日の青木俊夫(売主)と小田忠治(買主)との間の土地(本件被告等所有地)売買に際し小田忠治に対して青木俊夫をして別図イホ線以東の土地を引渡さしめたものである。当時イホ線に針金を以て境界を劃していた事実は右証人近藤栄次の供述するところであるから戦災後混乱に乗じ且青木俊夫の不在に乗じ九十三坪七合の土地の内別図イホ線とトヌルヲ線との間の土地(原告が本訴請求の趣旨として最初引渡を求めていた土地、後本訴を純然たる境界の訴に改めた、以下此土地を仮に原告の目標地と表示する)を原告に於て占拠していたものと認められ青木と小田との売買に当つても原告は目標地の占有を継続し且境界線を小田忠治に確認せしめていたものである。小田忠治はイホ線上に針金が張られてあつたこと原告が針金の張られている線を境界であると小田忠治に申聞けたことにより小田忠治に於ては之を以て境界線であると信じ竹の四ツ目垣を作つたものである。

原告と小田忠治との間(イ) 目標地所有権移転に関する贈与其他の債権契約或は物件契約があつたか 原告が目標地が自己の所有に属すると称して小田忠治に境界線を認めしめていたから原告と小田忠治との間に目標地を贈与するとの話合も売買するとの話合もあるべき筈がなく又所有権移転(物権的行為、単独行為)に関する物権的行為があるべき筈がない。目標地所有権移転に関する合意も単独行為も存在しなかつた。(ロ) 原告と小田忠治との間に単に境界線のみについて和解があつたか 小田忠治の土地買受前原告が小田忠治に対し両地の境界線を指示した当時原告と小田忠治間に法律関係が存在しない。法律関係が存在しないから法律上の争の存すべきいわれがない。小田忠治が土地(九十三坪七合)を買受けた後に於ては忠治が九十三坪七合の所有者であり原告が五十四坪八合六勺の賃借人である。其間債権債務の関係がない。物権的請求権も存在しない。争の存すべきいわれがない。争がないから合意があつても和解として効力を生じない。争が現に存在しないとしても当事者間の法律関係が不安定であつたか(争がなくとも法律関係が不安定であれば和解が有効に成立し得る)前記のとおり法律関係が存在しない。仮に法律関係が存在していたとしても其法律関係の不安定が原告の側にも小田忠治の側にも存することを要する。(スタウデインガー民法第二巻第三冊一五三三頁、エンデマン民法第一巻第二冊一二〇三頁参照)なるほど原告は当時より目標地に対する現実の支配を永久的にしたいという慾望があり焦慮していたことは理解せられる。併乍ら小田忠治の側には法律上の不安定は存在しない。九十三坪七合の土地につき所有権取得の登記を経由しておる。現実に土地には界石がある。十分に安じて生活することが出来る。之物権の物権たる所以である。法律関係の不安定も当事者間に存在しなかつた。(ハ) 原告と小田忠治との法律関係が不安定であつたとの仮定又は原告と小田忠治との間に争があつたとの仮定の下に於ても当時(四ツ目垣を作つた当時)原告は五十四坪八合六勺の土地の賃借人に過ぎなかつた。故に原告は賃借人として排他的物権的なる効果、且法律関係を形成する効果を生ずる境界線確定につき和解の当事者となるべき資格がなかつたのである。(大審院民事判決抄録第九二巻二三一四一頁参照)

小田忠治が竹の四ツ目垣を作つた際原告と忠治との間には境界を確定すべき話合(法律上の効果を生ずべき)は存在しない。事実行為として小田忠治が原告から別図イホが両地の境界であると申聞けられ之を誤信して竹の四ツ目垣を作つたに過ぎないのである。

原告は五十四坪八合六勺の所有者である斎藤茂一郎の管理人(代理人)として九十三坪七合の土地所有者で小田忠治と両地の釈界を確定したと主張するものである。仮に斯る境界確定の話合があつたとしても(イ)原告は別図トヌルヲの線を超えて小田忠治の所有地に侵入して境界を定めたものであり且(ロ)大谷石塀のあつたことを知つていたものと推定せられるから目標地の不法占拠者であると判断せられる。不法占拠につき代理の存すべき道理がないから其話合(話合があつたとの仮定の下に於ても)は賃借人たる資格を以てなしたものであると認めざるを得ない。

三、改訂後の公図について

成立に争のない甲第五号証の改訂図及検証(昭和三十一年二月二十日東京法務局民事行政部登記課に於ける検証、附属図面、写真)の結果によると原告の主張する境界線(別図イホ)が両地の境界であるかの如く見ゆる。之れ怪しむに足りない。何んとなれば目標地が原告の所有に属することを前提として測量した図面が甲第五号証の改訂図であり此改訂図にもとづいて公図が改訂せられたからである。

果して甲第五号証改訂図及之にもとづき改訂せられた公図が証明力を持つているが、公図の改訂によつて当事者の権利に消長を来すものであるか。

(一)  証明力について

百分の百の正確を以て判断することは不可能である。認識に免るべからざる自然の誤差がある。証拠資料自体も不完全である。百分の九十の正確を以て証明を得て満足する。百分の七十の正確を以て疏明せられたとする百分の三十の不正確を犠牲とする場合である。百分の五十の正確を以て事を断ずることが出来ない百分の五十の不正確を犠牲とすることは正義に反する。(フオン、イエーリング占有論一四八頁参照)

土地の権利証明に限定して考えると先づ第一種として登記簿の記入が裁判官によつてなさるる制度がある。裁判官は鉄の腕を以て登記簿の扉を抑え登記申請者の申請につき実質上の審査をなし申請理由につき百分の九十の正確を以て心証を形成し然る上に登記簿の扉を開いて記入をする。かかる登記簿には完全なる証明力がある。或者が登記簿の記載を信じ無権利者から不動産を買受けた場合買受人を保護して買受を有効であるとする。此場合登記簿に公信力があるという(エンデマン民法第二巻三六八頁スタウデインガー民法第三巻第一冊二一九頁以下独乙帝国裁判所民事判例集第八五巻六一頁第九〇巻三九五頁参照)第二種として裁判官でない官吏が登記事務を取扱う。多くは司法書士と曽つて同僚の関係にあつたものである。登記申請については形式的に厳格なる審査をするが実質的には審査しない。実質的審査権がない。平常時における係吏員が公正に登録の事務を処理するものと推定せられるから其記載には信用を措くことが出来る。併乍ら第二種の制度による登記簿には公信力があるということが出来ない。又文書作成の真実なることについてのみ裁判所を覊束し記載の内容が果して真正の事実であるか否やは事実承審官の職権に属する(大審院民事判決抄録第二七巻五四三六頁第九巻二〇一九頁第三五巻七八八六頁第八巻一五〇六頁参照)、第三種としては我国登記官吏の如き訓練を経ず志操堅固でなく又其申請についても実質上の審査権がないばかりでなく形式的にも審査をせず申請を受理する如き制度がある。

甲第五号証によると公図改訂願が原告所有地の所有者から提出せられているが利害相反する土地(現被告等所有地)の所有者の同意承諾が求められていない。終戦後混乱の時に混乱に乗じて受付けられている事実は証人宗川昇の供述するところである。印のないものは受付けぬ筈であるに拘らず小田忠治の捺印のない改正願が提出せられ受付けられ且公図が改訂せられている事実は右証人の供述するところである。何故に公図が改訂せられなければならないか。何故に一方の当事者の不利益になる(少くも形式上)べき改訂を其者の連署なく受付られたか、当時麻布税務署長に於て実質上の審査もなさず形式上の審査もなさないこと明白である。此手続は前記第三種に属する。而して公図は実質上土地所有権の帰属を証する性質を有する。(大審院民事判決抄録第三一巻六七四五頁第三六巻八二五二頁参照)から形式的審査を厳重に実施することを必要とするものである。

斯る公図改正願による改訂図之にもとづく改訂後の公図は百分の三十の正確さと百分の七十の不正確さを持つている。

(二)  公図改訂の法律上の効果について

証人南弘は(調書第二項)「公図の改訂が利害相反する当事者一方の同意がなくとも出来る」旨を供述するものである。大蔵省関係官庁の取扱当時に於ては利害相反する当事者の同意がなければ改訂の申請を受付けないことになつていた事実は前示証人宗川昇の供述によつて認められる。それ故法務省に此事務が移管せられた後に於ては「片言を聞いて事を断ずる」に至つたものと見られる。個人の権利は甚しく危険にさらされることになつた。一夜にして公図改訂により土地の一部が他人の土地であるかの如く表示せられることになつた。

果して公図改訂によつて被告等先代小田の所有地一部が失われたものであるか原告が目標地の所有権者となつたものであるか登記制度の実質は公図の「職権」改訂によつて崩壊するに至つたか。

公図の改訂が物権の取得(原告にとり)喪失(小田忠治にとり)の原因となり得ない。公図改訂則登記であり得ない。之を以て第三者に対抗し得ないこと明白である。公図改訂は実質上、原告や小田忠治の権利に消長を来さない。

改訂後の公図は境界確定につき原告に利益をもたらさない。

第五、境界の確定

前第三の二の(一)乃至(六)の事実を綜合して両地の境界を別図トヌルを結ぶ線であると認定する。

原告の主張事実は立証せられないことに帰する。

民事訴訟法第八十九条の趣旨により原告をして訴訟費用を負担せしむる。

仍つて主文の如く判決する。

(裁判官 庄子勇)

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