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東京家庭裁判所 昭和34年(家)4749号 審判 1959年4月13日

申立人 藤井梅子(仮名)

相手方 佐野公男(仮名)

主文

一、昭和三十年十月二十八日当庁昭和三十年(家イ)第一九九号夫婦関係調整調停事件について成立した調停条項第三項に基く要扶養者美代子、同和孝の生活費(養育費)についての申立人の負担部分一ヵ月計金三千円(一人につき一ヵ月金千五百円宛)とあるのを、昭和三十一年七月分以降はその分担分及び月々の支払義務を変更し、一ヵ年合計金二千円(一人につき計金一千円宛)とし、毎年十二月末日及び六月末日の二回に各回計金千円(一人につき五百円宛)を支払うべきことに改訂する。

一、従つて若し申立人において前項変更部分を越えて既に支払つた分があれば、相手方は申立人に対してその過払分を返還しなければならない。

理由

一、申立人と相手方は昭和三十年十月二十八日当裁判所で調停離婚した。

離婚については当事者間の長女美代子(昭和二十五年生)長男和孝(昭和二十七年生)の親権者を何れも相手方とし、且申立人は相手方に対して子の養育費として昭和三十年十二月以降向う十年間毎月末日限り一ヵ月一人につき金千五百円(二人分合計金三千円)宛を支払うことに定めた。

一、右の調停離婚成立の経緯については、申立人は極力離婚を求めたのに対して、相手方は申立人に未練があつたためか、又は意地になつていたためか、容易に離婚を承諾せず、若し強いて申立人が離婚を要求するのであれば、離婚をしてもよいが、その代わり慰藉料の支払は勿論のこと、財産分与もしない又子は自分が引取り、申立人には渡さない。その上自分が子を育てるについての養育料の支払を求めると云い張るので、申立人も相手方との関係をたちたい一念から已むなく相手方の求める無理な条件をうけいれたものである。

尚申立人が相手方と別れたいという理由は、相手方は申立人の妻としての権利を認めず、ただ申立人の労働力と奉仕を要求するだけであるということと相手方の申立人に対する同居に堪えない著しい暴行のためということである、この離婚理由中相手方の著しい暴行という事実は認められるが、それには申立人も相手方の暴行を誘発助長したような行為がなかつたとも云えないので、この点については相手方のみ非難するわけにはゆかない。しかし、それだからとして相手方の行為を正当付けることもできない。いずれにしても申立人はこれらの相手方の暴力行為より一層離別の決意をかためたものではあるが、それ以前に相手方の性格及び経済力に対する不満が原因となつたことは推測される。

一、調停委員会としても、相手方提案の前敍条件は必ずしも妥当と思われなかつたので、相手方に対して子の処置即ち子の親権者としては、申立人が適当でないとの点並に養育費の分担の点について、相手方の要求する条件を緩和し、適正なる条件にて離婚をすべく説得したものであるが、相手方は頑として応じないのと、調停手続の無力は遂に調停委員会まで相手方の頑張りに屈して前叙調停が為されたものである。(昭和三十年(家イ)第一九九号調停事件記録)

一、申立人は前叙離婚に附帯してなされた養育料支払の約束は元々不能な約束であるばかりでなく、殊にその後父の病気、その他収入の点等について事情の変更があつたから、申立人の前叙養育費の分担義務を免除して貰いたいというのである。しかし一たん調停成立した以上はその内容において若干不妥当な点があるとしても、それは履行せられなければならぬこと勿論であるが、若し事情変更がありとすれば、それによる改訂は許容されよう。

ただ事情変更による扶養処分内容の改訂は何時を基準としてなされるかについて、扶養義務発生の場合と同様に若干の問題はあろう。即ち扶養義務内容の変更消滅はそれら変更消滅事情の発生と共に当然に変更消滅するのか、或は改訂を求める意思表示のあつたとき以降において変更消滅するのか、更には審判によつて始めて変更消滅するのかという点である。このことは扶養義務内容について審判時の状態において扶養内容を定めるべきであつて、過去の扶養は将来の扶養内容を定めるについての斟酌事情として考慮されるという見解をとるときには、扶養義務変更消滅に関する処分も同様に審判当時の状態に基いて判定されるべきであつて、過去に発生した事情は扶養内容改定の斟酌事情として考慮せられるべきものと謂うことになる。蓋し扶養協議が合理的になされたなれば協議の成立により、効力が生ずるとしても、その内容において当然事情発生時に遡り、更には調停成立当時の事情までも参酌して扶養義務の改訂が為されるであろうから、協議に代わる審判についても、それと同一結果、同一内容であるべきであるからである。従つて、若し扶養義務消滅事情が発生しそのため客観的に扶養義務内容が減少、消滅しているときには、既に支払済となつている過払分は現在の状況に徴して返還せしめ、若し未払になつているときには、事情変更により残存義務のみの義務に変更せしめるということになる。

一、飜つて本件を顧みるに、申立人は相手方との婚姻生活が危殆に頻し別居するに至つてからは、化粧品店のマネキン等をして、それ相当の収入を得ていたので、離婚調停に際して困難とは知りながらも、養育費三千円の分担を約したものであるが、愛児が相手方に引取られるに及んで、以後働く気力を失い、一時遊んでいたが、昭和三十一年九月以来再び銀座界隈所在の画廊に勤めることになつたが、一女事務員のこととて月収七千余円を得るに過ぎない状態である。

それに家庭には父(六六歳)義母、弟の三人があり、父には相当の不動産があるが、その資産額に比して収入の少ないのと、最近は老齢に加えて病気のため著しく健康を害し勿論働くことはできず、義母及び実弟は何れも身体不具傷害者である点などから考察して必ずしも余祐のある生活がなされているとも思われない。

これに対して相手方は国鉄に勤務し月収一万五千円前後を得ておる傍ら、東京○○製箔所を経営し六人ばかりの従業員を使つているものである。

しかし勤務の余業として経営する製箔業の経営は必ずしも良好でないので、申立人より支払はれる養育費を当にしているものであるが、申立人が任意に支払わないので申立人に対して強制執行を考慮している模様である。勿論事業不振は専ら相手方の責任に帰せられるべきものであつて、申立人にはこの点について何等の責任はない。

一、申立人は前叙の事情から、子の養育費分担について全額の免除を求めるというのであるが、それは許るされるべきではない。しかし元来離婚条件が当初から必ずしも適正でなかつたこと、殊に離婚に際して、敢て子の親権者となつた父親が、子の養育費の分担を母親に求めるがようなことは例の少ないこと、更に相手方の事業経営について、申立人の実父が敷地地所についての便宜を供与した位であつたに拘らず(その後土地問題について申立人の父と相手方間に紛争係属中である。)離婚に際して相手方より申立人に財産分与もなされなかつたこと等並に離婚後六ヵ月ばかりを経て申立人の父が事故にて創傷を蒙つたこと、その他本件にあらわれた諸般の事情を参酌するときは調停成立後の事情変更のあつたとみられる昭和三十一年七月以降の分については申立人の分担義務を一ヵ年金二千円(それ以上は申立人の愛情に依存する)に改め、その支払も主文のように盆暮の二回に分割支払うこととし、その余は相手方が分担するのを相当とするので、主文の通り審判する。

(家事審判官 村崎満)

注、主文中の傍点部分は昭和三四年六月一五日の更正決定による更正部分)

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