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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)6677号 判決 1993年9月29日

原告(甲事件)

川口晴男

原告(乙事件)

川口久子

原告(乙事件)

川口岳志

原告(乙事件)

川口夏織

原告(乙事件)

川口亮

右三名法定代理人親権者

川口晴男

川口久子

原告ら訴訟代理人弁護士

藍谷邦雄

吉田建

中島通子

被告(甲、乙事件)

帝国臓器製薬株式会社

右代表者代表取締役

山口栄一

右訴訟代理人弁護士

佐藤博史

飛田秀成

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求<省略>

第二事案の概要<省略>

第三争点に対する判断

一本件転勤命令に至る経緯

1  医薬情報担当者の人事異動

(一) 被告会社の医薬情報担当者は、一般的には、大学病院・大病院で十二、三か所、中小病院・開業医で約五〇軒前後を定期訪問先として担当し、一日に前者を一、二か所、後者を四、五か所訪問し、医薬品の適正な使用のために必要な情報の提供及び収集をすることと、取引先の武田薬品、住友製薬の系列卸問屋などのディーラーを訪問し、そこのセールスマンに対し被告会社の製品の特性を説明して販売に協力を求め、また、ディーラーのセールスマンに同行して医療機関で被告会社の製品についてどのような情報を欲しがっているのかを知ることを日常業務としている。具体的には、地区によって多少の違いがあるが、朝九時頃に卸問屋に着いて販売目的達成の打合わせをし、ときには八時前後にそこでの朝礼に同席し、被告会社の製品の説明会を開き、あるいはセールスマンと情報交換を行ない、一〇時頃までに卸問屋を二か所ほど回り、それから夕方まで病院、開業医を訪問し、病院では、まず薬局長に訪問の趣旨を説明したうえで外来、医局ないし詰所で医師等に面談して自社製品の紹介及び使用促進依頼をし、また、開業医の場合は、院長に面談して自社製品の紹介、使用促進依頼をし、夕方再度卸問屋を訪問して、その日の情報を交換して帰社又は直帰するのが一般的である。ただし、東京のような都会では、病院担当と開業医担当とに分業され、固定化されている。医薬情報担当者は、このような業務を円滑に進めるためには、医師ほか医療関係者との信頼関係を基礎とすることが必要であり、現場では、その個人的結び付き、地域的な人間関係のつながりを重視することが多いとされている。<書証番号等略>

(二) 医薬情報担当者は、自らその資質向上を期して研鑚に努めるべきものとされており、そのため被告会社においても、医薬情報担当者を対象として、医学・薬学などの諸科学の進歩に応じた医薬品の適正な使用のために、品質・有効性・安全性・使用上の注意などに関して科学的根拠に基づく正確かつ迅速な情報の伝達・収集・フィードバックを行なうよう常に努力をする必要があり、被告会社にとって医薬情報担当者の資質の向上は、常に緊要な課題である。このため、被告会社は、昭和五四年から医薬情報担当者に対し日本製薬工業協会の作成した教育研修カリキュラムに基づき毎年計画的に研修を実施し、社内でも研修担当部長の指示の下に研修をするなど人材育成に重点を置いていた。<書証番号等略>

(三) 被告会社では、営業規模の拡大に伴い、全国的に営業所を設置し、組織の拡大と細分化を行ない、同時に従業員を増員して適正配置を行なっているが、この従業員の各職場におけるマンネリズムの打破、人心の刷新、従業員のモラールの向上など人的組織の活性化を図るために、転勤制度を実施してきた。同時に、従業員の技術水準を上げ、将来の幹部を養成することも転勤制度を維持する基礎としてきた。

特に医薬情報担当者については、その職務の性格により資質の向上が求められているため、取扱医薬品に対する高度の知識の習得のみならず、被告会社の全国各営業所が長年にわたって蓄積してきた業務遂行の細部にわたるノウハウの習熟が極めて重要かつ不可欠であり、とりわけ特約店及びユーザーの対応は各地方、各地域により独自の慣行があるのでこれに習熟するためには、少なくとも二か所以上の営業所勤務ないし駐在員勤務を求め、その中で職場内教育を推し進めていく以外に有効な習得方法はあり得ないとの考えの下に、知識、技能、態度について地域毎の営業所の職場内教育を実施し、幅広い人材を育成し、また、前記のとおり人的組織の活性化を図るという観点から、複数の担当区域、営業所等を勤務させるために、定期的に住所の移転を伴う転勤をさせるべきものと判断し実施してきた。

そして、被告会社では、人事異動の場合、発令日の一か月前に本人に内示する扱いになっているところ、毎年三月一六日に昇進の発令と大規模の人事異動を、また、新入社員の教育を終えた六月に小規模の人事異動を、秋にも小規模の人事異動を行なってきた。<書証番号等略>

(四) 被告会社の医薬情報担当者の人事異動の形態は、同一営業所内の課間異動及び住居の変更を伴わない営業所及び出張所間の異動、住居の変更を伴う営業所及び出張所間の異動、駐在員としての勤務のための異動に区分されているが、被告会社は、人事異動上の基本方針として、業務上の必要性と人事異動の公平性を維持するため、住居の変更を伴う営業所及び出張所間の異動、駐在員としての勤務のための異動については全医薬情報担当者に経験させること及び同一地区担当期間五年以上の者の中から原則として右期間のより長い者を優先して異動の対象とすることとしてきた。そして、異動先は、本人の適性、希望、家族の事情等を比較衡量して決定してきた。<書証番号等略>

2  被告会社の人事異動の状況

(一) 被告会社の医薬情報担当者で住居の変更を伴う営業所及び出張所間の異動もしくは駐在員としての勤務のための異動につき、昭和五一年度より昭和六一年度までの実績をみると、その状況は別表1のとおりであり、毎年平均9.2パーセント相当数の者が、平均滞留年数7.07年で転勤をしていた。

また、非管理職の医薬情報担当者について、各転勤時点での転勤直前の勤務場所における滞留年数につき、昭和五一年度より昭和六一年度までの実績をみると、その状況は別表1、2のとおりであり、転勤前勤務場所での滞留年数の平均は6.85年であり、四年ないし五年が最も多く、一〇年以内の者を合わせると全体の82.6パーセントとなり、一七年を超えてなお同一勤務場所に留っている者はいなかった。<書証番号等略>

(二) 被告会社では、医薬情報担当者の転勤につき、家族帯同を原則とし、例外的に単身赴任する場合に支給される別居手当は昭和六〇年当時は最大二年間に限られ(その後昭和六二年一一月には最大三年に延長された。)、その期間内に家族が転勤先に移動することを奨励し、妻が勤務しているため夫が単身赴任する場合は、できれば退職して夫の勤務地に転居することを希望していた。<書証番号等略>

(三) 医薬情報担当者を含む全従業員のうち、家族のある転勤者が住居の変更を伴う転勤につき、家族帯同か単身赴任かに関する昭和五一年度より昭和六一年度までの実績をみると、その状況は別表3のとおりであり、延べ二五〇件中、家族を帯同するものが二二五件と圧倒的多数を占め、単身赴任は二五件(うち管理職が一五件)と極めて少数であった。<書証番号等略>

3  晴男に対する本件転勤命令

(一) 晴男は、入社以来昭和六〇年に至るまでの一五年間のうち、昭和四八年九月から昭和六〇年三月までの山梨担当時期を除く一二年半につき都内地域を担当してきたものであり、昭和六〇年三月当時都内担当者の中でも最も滞留期間の長い一人であり、所属営業所は一五年間一貫して東京営業所(現東京第一営業所)であり、他営業所の勤務の経験は全くなかった。<書証番号等略>

(二) 被告会社は、前記の人事異動の方針に基づき、晴男に対して昭和六〇年三月の定期異動で住所の移転を伴う転勤をさせるのが相当であると判断し、同年二月一五日、東京第一営業所医薬第四課長高秀好を通じ、同年三月一六日付で晴男を名古屋営業所第二課へ転勤させる旨の内示を告げた。名古屋営業所第二課に長く勤務していた江島博太郎を出身地の九州に戻すべく同人を博多営業所に配転する必要が生じたことによる後任であった。これに対して晴男は、久子が被告会社川崎工場における勤務を継続する意思を持っているので家族帯同をすることができず、また家事・育児はこれまで夫婦で分担していたので、今後妻一人で行なうこととなると妻に過重な負担がかかるため単身赴任もできないから、本件転勤内示に応じられないとの不満の意をその場で表明した。そして晴男は、同日帰宅後に久子とも相談したが、家事・育児は夫婦で分担していかなければ久子に過重な負担がかかるので晴男が単身赴任することはできないと考えていたものの、晴男が退職しても再就職が難しい状況で収入も大幅に減ること、さりとて久子が被告会社を退職して名古屋で新しい職を探そうとしてもパートか悪い労働条件となるうえ、保育園の確保や二重保育方法に困難があること等を思いあぐね、結局、この家庭の事情を話せば被告会社が分かってくれて転勤内示を撤回してくれるであろうと判断し、翌一八日、高課長に対し、改めて前記二点を理由に転勤を拒否する旨を答えた。<書証番号等略>

(三) 被告会社は、同日から同年三月一四日まで、東京第一営業所次長伊藤曄雄、同所長富山和夫、経営企画部長石黒不二夫、同次長前野文吾が入れ替わり都合一一回合計約四時間にわたり本社会議室、応接室等で晴男に対して転勤内示に応ずるよう説得し、家族帯同が難しければ単身赴任を認める旨を告げたが、晴男はこれを拒否し続けた。被告会社は、その間に久子から同月一一日到達の常務取締役白戸勝宛の「家事、教育、育児を夫と分担して家庭生活が成り立っており、自分は働き続けたいので、夫の転勤は、これによる精神的、肉体的、経済的に耐えがたく、また、自分の働く意思を無視するものであるが、女性の労働権についてどう考えているのか返答を求める。」旨記載のある内容証明郵便の送付を受け、同月一三日、久子に対し、同常務取締役名義の「毎年多数の従業員がそれぞれ家庭事情があるにしても異動している。共稼ぎ夫婦の別居となる配転でも従業員として受忍の範囲に属する。夫の配転先は近距離の営業所であり、単身赴任でも夫婦が会って家事育児を相談しあうことも可能であるから、これを拒否するのはわがままである。あなたが被告会社に働き続ける意思はいささかも無視しない。」旨の書面を手渡した。その後、晴男は、同月一五日、石黒経営企画部長に対し、転勤命令には不満であるが異議を留めて赴任する旨を述べた。<書証番号等略>

4  組合との対応

(一) 被告会社と組合との間には、組合員の人事異動について、いわゆる事前通知約款や協議約款は存在しないが、被告会社は、従前から、組合員の昇進を含めた人事異動について、発令の二週間前に申入書と題する書面をもって、発令年月日、異動内容を通知することとし、これを慣行としていた。<書証番号等略>

(二) 晴男は、異動内示を受けて間もなくの昭和六〇年二月二二日、組合に対し、組合が被告会社に対し晴男に対する内示を撤回するよう働きかけること及びこの内示に同意をしないことを要請し、久子もその後の同月二八日に同様の要請をした。しかし、この問題に関する組合執行委員会の見解は、次のとおりであった。すなわち、「①近代社会における企業活動を発展させるうえで人事異動は必然性を持っている。特に営業部門は、全国各地に営業所、出張所を構え、医薬情報担当者を中心に業務遂行を行なっており、他部門より組織の活性化、人的交流を必要としている部門である。組合はかねてより、長期勤務者(およそ七年以上)を中心にしたローテーションを行なうべく働きかけていた。川口晴男氏の営業勤務は一五年(甲府担当三年を含む)であり、ローテーションの対象となるのはやむを得ないと考える。②川口晴男氏は、入社の時点から営業部門である。営業部門の性格からして、特殊事情にない限り、すべての医薬情報担当者が異動、転勤に当たっては公平性がなくてはならない。働く立場からすれば、できるだけ自分の出身地で働きたいと願うのは人情であり、生活の基盤や出身地でと考えるのも当然である。東京出身者が多く、東京転勤の希望も多い中で、公平性が貫かれなければならない。③共働きの場合、夫人の働く権利は保障されなくてはならない。これは保障されていると考える。夫人が帝国臓器で働き続けるためには単身赴任となる。家族帯同も、単身赴任もだめ、これは、転勤対象から外せということを意味しており、著しく人事の公平性を欠くことになる。④今日まで、転勤がたくさん行なわれてきたが、それぞれ大なり小なり家庭の事情を持っていた。また、現在家庭の事情で転勤希望を持っていても、対象とならず次の機会を待っているプロパーもいる。こうした現状を認識すべきである。」との結論であった。<書証番号等略>

(三) 被告会社の石黒経営企画部長は、組合執行委員長高橋貞昭に対し、昭和六〇年三月一日、晴男を含む同月一六日付異動対象組合員の氏名と異動の内容を文書をもって通知した。これに対し高橋委員長は、即日、口頭で「晴男の転勤については、既に晴男から、被告会社に対し組合が撤回の働きかけをして欲しい旨の申出があったが、晴男の本件転勤は組合としてやむを得ないと考えている。しかし、組合は、原則として異動には本人の同意が必要であるとしている。被告会社は、晴男説得のため更に努力を続けてほしい。」旨の見解を示した。

その後高橋委員長は、同月一三日、石黒経営企画部長に対し、「晴男に組合の前記見解を示して説得したが、受け入れられなかった。組合としての同意文書は同月一五日昼までに送付するが、なお晴男を引続き説得してもらいたい。」旨を述べ、結局、同月一五日、晴男を含む同月一六日付異動の全部について承認するとの文書による回答をした。<書証番号等略>

5  本件転勤命令前後の晴男の家庭の事情

(一) 本件転勤命令当時、久子は被告会社の川崎工場企画部研究総務課に図書管理担当として勤務し、岳志は小学校三年生、夏織は四歳、亮は生後七ヵ月で、晴男とともに肩書地に居住していた。<書証番号等略>

(二) 久子は、貧しい農家に嫁いだ母の影響で、女性が自分の生き方を自由に選べるためには固定した職業を持ち経済的に自立する必要があると考え、高校卒業後、一年余り印刷会社に勤めた後、昭和四八年六月被告会社に就職した。二年後の昭和五〇年六月に当時東京営業所勤務で山梨出張勤務中の晴男と職場結婚した。晴男は、週のうち四、五日は山梨に宿泊し、週末に帰宅する生活であったが、昭和五一年三月に右出張勤務を解かれた。久子は、その間の同年一月に福島の実家で岳志を生み、昭和五一年三月から、岳志を保育ママに預け、出産開けの勤務に就いた。同年中は育児休暇として、退社時刻を一時間早め、兵志を迎えに行っていたが、その後のことも考え、同年一一月から希望して勤務地を自宅に近い川崎工場に変えてもらった。晴男は、掃除、洗濯、洗いもの等の家事をし、久子は食事作りをしたが、岳志が幽門部狭窄に罹り、交替で病院通いもした。昭和五五年七月に長女夏織が生まれた後は、晴男も食事作り、岳志の保育園送り等を分担するようになった。<書証番号等略>

(三) 久子は、昭和五九年七月に亮が生まれた後、九月末まで産休を取得し、一〇月から勤務を再開したが、腰痛を患ったため、自動車で通勤することとし、朝は亮を保育ママに送り届け、帰りは保育園に預けた夏織及び保育ママに預けた亮並びに学童保育に預けた岳志をそれぞれ迎えに行き、帰宅後亮に授乳して夕食の準備に取り掛かるという日課であり、他方、晴男は、朝夏織を保育園に送り、また帰宅後久子の食事準備が遅れているときは代わって食事作りをし、日常的に掃除洗濯買物等家事全般を手伝うようになった。<書証番号等略>

(四) 晴男が昭和六〇年四月二日に名古屋に赴任した後、久子は、小学校四年生になった岳志、引続き保育園に通園する夏織、保育園に新入所することとなった亮の世話をすることとなったが、同月一五日まで福島在住の母に出て来てもらい、手伝いを受けた。その後の久子の生活は、以下のようになった。

朝四時に起床し、母乳を搾り、おむつをたたみ、子供たちの通学通園の持ち物の準備をし、五時半に前日夕飯の後片付け、今日の朝食と夕食の準備をし、洗濯を三回し、六時半に子供たちを起こし、食事をしながら、亮に授乳し、七時三五分に家を出る。歩いて保育ママに亮を預け、保育園に夏織を送り届け、その後電車で八時四〇分までに出社する。帰りは亮と夏織を保育園に迎えに行き、買物をして六時過ぎに帰宅する。まず亮に授乳し、洗濯物を取り入れて、朝用意した食事を温めて食事をし、風呂の用意をしたり、岳志の宿題を見てやったりした後、子供らを風呂に順番に入らせ、自分も入った後、亮に授乳し眠らせる。そして、九時頃就寝する。<書証番号等略>

(五) 晴男は、名古屋に赴任後、ほとんど毎週金曜日の午後九時四〇分頃、川崎の自宅に戻り、土曜、日曜日は子供の面倒を見て、掃除洗濯買物等家事を手伝ったが、晴男が名古屋に赴任後、岳志、夏織及び亮は、しばしば病気にかかり、その都度久子は看病に明け暮れた。特に、亮と夏織が昭和六〇年四月に水疱瘡になり、同年九月に亮が伝染性膿痂疹になり、これが岳志にも移り同年一一月に亮が火傷をし、昭和六一年二月に夏織が急性胃炎になり、昭和六二年春に岳志が虫垂炎になったときには、久子は治療のため救急病院に駆けつけたり、平日の夜とか日曜日にも通院を余儀なくされた。久子は、そのため、腰痛悪化、膀胱炎、過労、風邪等で通院治療を受けたり、寝込んだりしたことがあった。しかし、昭和六〇年から六三年及び平成元年は無遅刻無欠勤で、昭和六二年に半日欠勤が一回あっただけであった。<書証番号等略>

(六) 久子は、時間外労働については従前から行っておらず、本件転勤命令後も変化はなかった。また、昭和五五年度以降の年次有給休暇取得の状況については、産休(約三か月)を取得した年度は年次有給休暇の取得が極端に減少し、その分翌年度への繰越分が増え、付与日数全体の枠が広がるため、翌年度は取得日数が増加するという経過にあり、昭和六〇年度に取得日数が若干増加したものの、昭和六一年度は転勤前と同程度の取得回数であって、年次有給休暇の取得状況は本件転勤の前後を通じて大きな差異はなかった。<書証番号等略>

(七) 晴男は、昭和六〇年当時、基準内賃金月額三三万二八七〇円(五月)、年間給与・賞与総額六九三万五二八七円(手取り五五三万九七五四円)を得ており、久子は昭和六〇年当時、基準内賃金月額一八万八五八六円(五月)、年間給与・賞与総額三八三万七七四三円(手取り二八三万九八五〇円)を得ていたが、本件転勤命令後は、晴男は、新たに、名古屋での住宅(独身寮)費として月一二〇〇円、寮費月額一〇〇〇円、家族との連絡のための電話代月額六〇〇〇円、毎週末帰宅のための新幹線代月額平均八万七〇〇〇円等を支出するようになり、他方、名古屋で住宅(独身寮)の提供を受けていることを理由に、従前賃金規程に基づき支給を受けていた住宅手当月額二万三〇〇〇円は一年後から支給されなくなった。<書証番号等略>

6  晴男の単身赴任に対する被告会社の取扱い

(一) 被告会社においては、住所の移転を伴う転勤の場合、家庭生活安定のために家族帯同を原則と考えて従業員にこれを要請しているが、各人の特別事情につき賃金規程に基づき例外的に単身赴任を許容してきた。被告会社の昭和六〇年三月当時における家族帯同赴任と単身赴任のそれぞれの場合の転勤者に対する援助施策は次のとおりであった。

(1) 家族帯同赴任

赴任手当は、本人分として、基準内賃金一か月分及び日当宿泊料六日分、妻分として、五〇〇〇円及び日当宿泊料六日分、子供分として、二五〇〇円及び日当宿泊料六日分の半額。赴任費用は、引越し費用実費、交通費実費、日当及び宿泊料。赴任休暇は、休日を含めて一〇日間以内。借上社宅は、一般職五人家族で一五ないし一八坪程度の規模のものを家賃の一割で提供し、六か月間はその半額で提供。留守宅の会社借上げは、基準に合う物件を対象に希望者に対し実施(市価の七割程度)。

(2) 単身赴任

赴任手当、赴任費用は、家族帯同と同じ(家族分を除く)。赴任休暇は、七日間。借上社宅は、一般職で六坪程度の規模のものを家賃の一割で提供し、六か月間はその半額で提供。別居手当は、そのうち家族の転居ができなくて別居する理由が賃金規程(17)項に定められた事由すなわち、a子弟(高校以下)の教育不可能又は困難なとき、b家族が疾病・傷病のとき、c赴任地での住居の調達が遅滞したとき、dその他会社が認めたときに当たる場合に、二年間(aの場合)または一年間(その他の場合)を限度に、係長以下一日四〇〇円(昭和六〇年一一月二七日以降五〇〇円)を支給。自宅への住宅手当は、別居手当の支給期間中月額二万三〇〇〇円(昭和六一年四月から二万四〇〇〇円)を支給。なお、昭和六一年一一月から、前記別居事由に当たる場合に限って、帰省費用として、年二回帰省に要する運賃往復分が支給されることになり、昭和六一年一一月からはこれが年四回となり、平成二年一二月から月一回支給されている。<書証番号等略>

(二) 被告会社は、晴男の単身赴任の申出に対し、これを承認し、赴任手当として、三七万七二〇〇円、赴任費用として一一万六〇三〇円を支給し、赴任休暇として七日間を与え、社宅として、晴男の希望により独身寮一室(六畳)を使用料月額一二〇〇円(六か月間半額減額)で提供した。別居手当については、久子の勤務の継続なる理由が別居手当支給基準には該当せず、従前これを理由として別居手当を支給した例がないが、特別に別居手当として昭和六〇年四月二日から同年一一月二六日まで月額一万二二〇〇円、同月二七日から昭和六一年四月一日まで月額一万五〇〇〇円の合計一五万八六〇〇円の支給を認めた。また、自宅への住宅手当として、一年間だけ合計二七万七〇〇〇円を支給した。<書証番号等略>

(三) なお、被告会社は、晴男が家族帯同を選択した場合の措置として、住居は社宅として被告会社が確保し、川崎の持家の方は、被告会社が責任をもって管理し本人の希望に応じて他へ賃貸するなどして晴男の利益に沿うよう措置する旨の申出をした。<書証番号等略>

二本件転勤命令の効力について

1  転勤命令に本人の同意を要するとの労使慣行の有無

(一) 前記認定のとおり、被告会社では、転勤命令の発令に当たって、対象者に対し、一か月前に内示し、二週間前に組合に通知するのが慣行になっており、過去に、当該本人が転勤を同意しないにもかかわらず、組合に人事異動の通知をしたり、更にその転勤の発令をしたことはなかった。

(二) しかし、被告会社は、昭和四八年九月、東京営業所拡張第二課勤務の晴男に対し、平日は甲府に宿泊勤務をする配置変更となる同第四課山梨担当の内示をし、晴男の同意が得られないまま、組合にこの人事異動を通知したところ、組合が承認しなかったが、右異動を発令したことがあった。これに対し晴男から東京都地方労働委員会に救済申立てがされ、昭和五一年一月和解により、同年三月一日に晴男に対する都内担当の配置換えがされた。他方、昭和四八年三月一六日付で東京営業所勤務の石毛賢一が入社以来七年間同一営業所に勤務していたことを理由に名古屋営業所への配転の内示を受けた際、同人は、妻が乳児を託児施設に預けて共働きをしており、自身も専従の組合執行委員であるとしてこれを拒否したところ、被告会社は、同人に対する内示を撤回し、組合に対し人事異動の通知をしなかった。<書証番号等略>

(三) ところで、被告会社と晴男との労働契約及び被告会社の就業規則には、被告会社は業務上の都合により従業員に転勤を命ずることができる旨の定めがあり、現に被告会社では、全国に十数か所の営業所等を置き、その間において医薬情報担当者の全国レベルの転勤を頻繁に行なっており、晴男は医薬情報担当者として被告会社に入社したもので、両者の間で労働契約が成立した際にも勤務地を東京に限定する旨の合意をしたことはないのであるから、被告会社は個別的合意なしに晴男の勤務場所を決定し、これに転勤を命じることができるものというべきであり、(一)の事実のみにより、組合員の転勤については組合の承認を得なければ発令できないとする慣行があったと認めることはできない。また、被告会社が組合に対し石毛賢一の人事異動の通知をしなかったのは、被告会社が同人に対する内示を撤回したからであり、右事実をもって、被告会社が人事異動の発令をする場合に本人の同意がない限り組合にその人事異動を通知しないという慣行の例であったものと認めることはできないし、晴男に対する昭和四八年九月の内示に関するその後の経緯をもって、右慣行の存在を認めることもできない。<証拠判断略>

2  就業規則違反の有無

(一) 晴男は、本件転勤命令における被告会社の業務の必要性がローテーションによる異動であるのに対し、晴男にとって、本件転勤命令により久子の働く権利を奪うことができないために単身赴任を余儀なくされ、その結果、夫婦が同居し、協力して三人の子供を養育することができなくなるから、本件転勤命令を拒否する正当な理由がある、と主張する。そして、単身赴任の選択を伴う転勤問題について、次のような提言がある。

(1) 財団法人日本生産性本部経営アカデミーは、昭和五七年、八名の研究グループによる「転勤制度の新たな展開」と題するレポートで、「転勤は、従来から、企業の論理が強く、転勤と出世が結びついていたため、従業員は家族を犠牲にすることが多かった。しかし、ポスト不足が深刻化し、転勤と出世が結びつかなくなった。厳しい企業競争に打ち勝っていくためには、生産性の向上や販売力の強化も重要であるが、企業・出世よりも家庭生活・趣味を重視する従業員の増加や、ふるさとで自分にあった仕事がしたいという新卒者の増加にみられる価値観の多様化の下では、転勤制度の機能を一部犠牲にしても、企業の論理と個人の論理のギャップを埋めることが必要になってくる。企業は、家族を含めた従業員の生涯設計にとって最大の障害となる転勤に伴う諸問題を、従来のように従業員及び家族の犠牲の下に解決することは許されず、従業員・家族や他の従業員の納得が得られるように、転勤者の選考基準、転勤場所、転勤期間・時期、転勤先の職種、転勤決定権者の明確化が必要であり、転勤した従業員及び家族に対しては、十分な福利厚生措置、金銭的措置が必要である。」と提言している。<書証番号等略>

(2) 「これからの家庭と子育てに関する懇談会」(座長木村尚三郎外八名)は、平成二年一月、二一世紀の社会を担う子供たちが減少している状況において、子供が健やかに生まれ、育つ環境づくりが重要になっているとの認識から、「高度経済成長期においては、企業活動を優先させ、家庭をこれに合せるという考え方が一般的であったが、女性の職場進出、国民のゆとり指向等により、今後は、企業の考え方が家庭と両立するように自らの活動形態を変えていくことが必要になってくる。具体的には、家族が一緒に過ごす機会を確保するための時間的、経済的配慮、子供の年齢に応じた人事におけるきめ細かな配慮が考えられる。」との報告書をまとめている。<書証番号等略>

(3) 社団法人経済同友会は、平成二年四月、「二一世紀のグローバル経営を目指して」と題する書面で、海外の従業員も魅力を感じる経営、現地社会、国際社会と調和のとれた経営を確立することに向けた具体策の提言として、「欧米企業では異動に際して個人の拒否権がかなり尊重され、しかも、拒否したことが個人にとって大きなマイナスにならないのが普通である。また、女性の登用もより積極的、一般的に行なわれている。日本企業も、こうした優れた点は国内外において積極的に取り組む方向で工夫が必要である。」と提案している<書証番号等略>

(4) 労働省が開催した「転勤と勤労者生活に関する調査研究会」は、平成三年一月、「終身雇用制の下での企業の行なう異動は、人材育成の必要性、経営戦略上の必要性等から不可欠の人事施策と位置づけられる。広域的な事業展開を行なっている企業においては転勤もまた不可欠といえよう。今後、高齢の両親の世話や配偶者の就業継続を理由とする単身赴任が増加すると考えられるが、現時点では配偶者の就業に対する企業側の認識は十分ではない。企業における今後の課題として、企業の理由のみに基づく住居の移転を伴う転勤については、労働者がそれを忌避する傾向が強まるものとみられ、企業経営上真に必要とされる範囲に絞り込むといった努力と共に、採用時に転勤の有無を区別する等を考える必要があり、人の異動には、慎重な対応が必要であるという考え方にたった人事システムの確立、人材配置、人材育成システムの抜本的改革が今後求められる。一方、転勤は、かつては勤労者個人の問題であり、企業にとっても、勤労者本人にとっても、家族はその決定に従って同伴行動をとることが暗黙の前提とされてきたが、子供の教育、妻の就業や地域活動、同居の親の生活など、家族構成員の各人の生活設計との両立、調和を図ることが求められる問題へと変わってきている。」旨の研究報告をしている。<書証番号等略>

(二) 転勤制度については、右のとおり現在及び将来のあるべき姿を含めた提言があり、また、体験に基づく著作・報告<書証番号等略>があり、企業において今後一層の検討を要する課題であると考えられるが、終身雇用制度の下での転勤制度は、広域的な事業展開を行なっている企業においては、現に、労働力の調整、職場の活性化、生産性の向上、人材の育成等の有用な機能を果たし、不可欠の人事管理施策であるといえるところ、本件においては、被告会社の就業規則及び被告会社と晴男との労働契約によれば、被告会社は業務上の必要に応じ、その裁量により晴男の勤務場所を決定することができるものというべきである。そして、右の業務上の必要性は、被告会社の業態からみれば、当該転勤先への異動が余人をもっては容易に変えがたいといった高度の必要性に限定することは相当でなく、労働者間の公平を図りながら、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定することができる。他方、住所の移転を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に影響を与え、経済的・社会的・精神的不利益を負わせるものであるから、被告会社の就業規則及び被告会社と晴男との労働契約に基づき晴男が本件転勤命令を拒否する正当な理由があるといえるためには、被告会社及び晴男が右不利益を軽減、回避するためにそれぞれ採った措置の有無・内容など諸般の状況の下で、被告会社の業務上の必要性の程度に比し、晴男の受ける不利益が社会通念上甘受すべき程度を著しく超えるものと認められることを要するものと解するのが相当である。

(三) そこでまず、業務上の必要性について判断するに、前記認定事実によれば、被告会社は、全国に設けた営業所出張所に所属する医薬情報担当者の活動を通じ医療担当者に医薬品の情報の提供・収集をし、これを基に自社製造の医薬品の販売活動をしており、組織の活性化、医薬情報担当者の業務習熟、適正配置などのため定期的に住所の移転を伴う転勤を実施してきたものであり、企業の維持、発展のために意義のある施策であるということができる。そして、住所の移転を伴う医薬情報担当者の転勤については、全医薬情報担当者につき同一地区担当期間五年以上の者の中から期間のより長い者を優先して異動の対象とし、昭和六〇年三月当時、名古屋営業所に補充すべき医薬情報担当者として、他営業所勤務の経験がなく、入社以来の東京営業所勤務が一五年間となり、同所内で都内地域担当が最も長くなった晴男を選んだものであって、公平であり、かつ、この人選自体に不当な点はなく、本件転勤命令には業務上の必要性があったものというべきである。

(四) これに対し、晴男の経済的・社会的・精神的不利益についてみると、前記認定事実によれば、晴男は、本件転勤命令により家族を同伴することになると、被告会社の川崎工場に勤務している久子が退職しなければならず、被告会社における勤務の継続を考えている久子の意思に反して家族帯同赴任をすることはできないと考え、名古屋に単身赴任を余儀なくされた。しかし、三人の子供に対する父親としての監護養育をできるだけ果たし、また、これまで分担してきた日常家事につき久子の負担を少しでも軽くするために、ほとんど毎週のように金曜日の夜に新幹線で川崎の自宅に帰り、月曜日の早朝に名古屋に出勤する生活を送ることになり、家族が同居していた当時に享受していた家庭生活上の安定が損われ、結局、久子の社会的不利益を避けるために、晴男及びその家族は二重生活による経済的、精神的な負担を強いられたものということができる。

(五) 次に、被告会社及び晴男が右不利益を軽減、回避するためにそれぞれ採った措置の有無・内容についてみると、(1) 被告会社は、医薬情報担当者の住所の移転を伴う転勤の場合、家族帯同が望ましいものと考えており、例外的な単身赴任に対する別居手当は、配偶者の勤務の継続を理由として支給する例はなかったが、晴男に対しては特別に一年間に限り月額一万二二〇〇円ないし一万五〇〇〇円を支給し、また、晴男の名古屋における住居として単身赴任者用住宅を提供し、さらに、晴男が家族帯同を選択した場合には、被告会社において、名古屋での住居は社宅として確保し、川崎の持家の方の管理活用は晴男の利益に沿うよう措置する旨の申出をし、(2) 晴男及び久子は、久子が被告会社を退職して名古屋で新しい職を探そうとしてもパートか現在より悪い労働条件となるうえ、保育園の確保や二重保育方法に困難があると予想し、実際に、名古屋での久子の職探し、夏織及び亮の保育園確保のための努力をしたわけではないが、家庭の事情を話せば被告会社が転勤内示を撤回してくれるであろうと判断し、組合の支援も得られず、被告会社がこれに応じないことが明確となって、やむなく単身赴任を選択したものということができる。

(六)  以上、被告会社の業務の必要性、晴男の受けた経済的・社会的・精神的不利益の程度、被告会社及び晴男が右不利益を軽減、回避するためにそれぞれ採った措置の有無・内容を前提に判断するに、まず、本件転勤命令は、被告会社において医薬情報担当者に対して長年実施されてきて有用ないわゆるローテーション人事施策の一環として行なわれたものとして、被告会社の業務の必要性があり、晴男にとっては、被告会社に勤務を続ける以上はローテーション人事により住所の移転を伴う転勤をする時期が既に到来しており、遅かれ早かれ転勤することを覚悟していて当然であり、転勤先が東京から新幹線で二時間の名古屋という比較的便利な営業所であってみれば、これによって通常受ける経済的・社会的・精神的不利益は甘受すべきであり、久子が被告会社川崎工場に勤務し続ける以上は単身赴任をせざるを得ないものというべきである。他方、被告会社は、晴男に家族用社宅ないし単身赴任用住宅を提供し、従前の例にこだわらず別居手当を支給し、持家の管理運用を申し出るなど、就業規則の範囲内で単身赴任、家族帯同赴任のいずれに対しても一応の措置をしたものということができるところ、本件転勤命令において被告会社のとった対応だけでは社会通念上著しく不備であるとはいえない。そうすると、結局、被告会社の業務の必要性の程度に比し、晴男の受ける経済的・社会的・精神的不利益が労働者において社会通念上甘受すべき程度を著しく超えるものと認めることはできないというべきである。

よって、晴男には本件転勤命令を拒否する正当な理由があるということはできないというべきである。

3  公序良俗違反の有無

(一) 晴男は、本件転勤命令が、晴男の単身赴任を余儀なくし、久子と同居して子供を養育監護することを困難にし、家族生活を営む基本的人権を侵害したもので、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」等の趣旨に反するものであると主張するが、本件転勤命令は前記のとおり労働契約、就業規則に違反するものではなく、また、これによって晴男が家族を右転勤先に帯同しないで単身赴任したのは、晴男と久子の選択によるものであり、その結果家族が同居できなくなったからといって、本件転勤命令が公序良俗に違反して無効であるとすべき理由はない。

(二) もっとも、晴男が家族帯同して赴任する場合は、久子は被告会社を退職しなければならず、共働きを継続するには名古屋で新たに職を探す必要があるが、前記のとおり、久子は、名古屋で再就職するのは難しく、仮にできても収入が大幅に減り、労働条件も悪くなると予想し、現実に名古屋での職探しをしなかったというものであるところ、久子の業務内容及び収入程度に鑑みると、多少条件が悪くなるとしても従前の仕事にかわる職を探すことが不可能であるとまでは認めがたいし、一般的に既婚女性の再就職が困難ないし悪条件であることは否定できないとしても、それが故に、本件転勤命令が公序良俗に違反して無効であるとすることはできない。

4  信義則上の配慮義務違反

(一) 晴男は、被告会社が本件転勤を命令するにつき、合理的配慮をすべき契約上の信義則による配慮義務を尽くしていないから右命令は無効である旨主張するところ、晴男が本件転勤命令を拒否する正当な理由があるといえるかどうかは、前記3のとおり、使用者が労働者の経済的・社会的・精神的不利益を軽減、回避するために採った措置の有無・内容など諸般の状況如何によるものであるから、この観点から改めて判断する。

(二) 被告会社の賃金規程には、前記のとおり、単身赴任手当として、借上社宅は、一般職で六坪程度の規模のものを家賃の一割をもって提供し、六か月間はその半額で提供し、別居手当は、そのうち家族の転居ができなくて別居する理由が所定の事由に当たる場合、二年間または一年間を限度に、一定金額を支給する旨定められ、晴男のように妻の勤務継続を理由とする単身赴任に対しても当然に別居手当を支給する定めはなかった。しかし、これに対して被告会社が採った措置は、前記一6のとおり、別居手当として昭和六〇年四月二日から一年間合計一五万八六〇〇円を支給し、社宅として晴男の希望により独身寮一室を使用料月額一二〇〇円(六か月間半額減額)で提供したのであって、就業規則の範囲内で単身赴任、家族帯同赴任のいずれに対しても一応の措置をしたものということができるから、被告会社の単身赴任対策として、単身赴任による晴男の経済的・社会的・精神的不利益を軽減、回避するために社会通念上求められる措置をとるよう配慮すべき義務を欠いた違法があるということはできないものというべきである。

5  権利濫用の成否

(一)  使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、当該転勤につき業務上の必要性がある場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってされたものであるときもしくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものである等の特段の事情の存する場合は、当該転勤命令は権利の濫用として許されないものというべきである(最高裁判所第二小法廷昭和六一年七月一四日判決・裁判集民事一四八号二八一頁参照)。そこで、本件転勤命令が権利の濫用に当たるかどうかについて検討する。

(二) 本件転勤命令に業務上の必要性があることは、前記2(三)に説示のとおりである。

(三) 本件転勤命令により晴男が受けた不利益及び被告会社が右不利益を軽減、回避するために採った措置については、前記2(四)(五)に説示のとおりであり、被告会社の業務の必要性の程度に比し、晴男の受ける経済的・社会的・精神的不利益が労働者において社会通念上甘受すべき程度を著しく超えるものと認めることはできないことについては、前記2(六)に説示のとおりである。

(四) 晴男は、本件転勤命令が晴男の組合活動を嫌悪してこれを停止させるという不当な動機・目的をもってなされたものであると主張するので、被告会社の組合ないし晴男の組合活動に関する対応について検討する。

(1) 晴男は、昭和四六年に常任委員(職場委員)、昭和四七年と四八年には春闘闘争委員となり、同年一〇月から三期三年間、昭和五五年から三期三年間それぞれ執行委員に選任され、また、東京営業所の中川博文は、昭和四八年一〇月から三期三年間組合書記長に選任され、組合活動をしてきた。ところが、昭和四八年に中川が書記長に立候補するに当たって被告会社の管理職が立候補を断念するよう説得したこと、被告会社が昭和四八年九月に晴男を甲府宿泊勤務とする配置担当変更の内示をしたことがいずれも不当労働行為であるとの主張をもって東京都地方労働委員会に救済申立てがされ、昭和五一年一月、被告会社と組合との間で、晴男を同年三月に東京都内担当の配転をする、被告会社が中川の書記長立候補に関し組合に誤解を生ぜしめるごときことのあったことを遺憾とするとの協定が成立した。その後組合は、昭和五一年の年末一時金闘争がストライキ等で長期化したことがあり、その後合化労連に加盟して活動を続けた。(<書証番号等略>)

(2) 被告会社は、昭和五二年一月以降、ジュニア・リーダー制度を発足させた。ジュニア・リーダーは、新入社員の指導役として、これに対する環境適応指導並びに厚生行事の推進役として、工場従業員相互の融和を図ることを主な役割とするもので、社内リクリェーション活動等を実施してきた。そして、昭和五三年以降、産業ジュニア・リーダー全国研修大会にジュニア・リーダー若干名を参加させ、正しい労使関係のあり方等を含めリーダーの役割を研修させた。(<書証番号等略>)

(3) 昭和五六年一〇月の組合役員選挙において、晴男が執行委員に、中川博文が副執行委員長に、石毛賢一が書記長に当選し従前のとおり執行部を構成したが、組合内部では少数派となった。このような状況の下で、組合の少数派は、同年七月、「帝臓労組の御用化に反対する会」を結成し、ジュニア・リーダー制度が組合対策である等を会社内で訴えたが、翌年度も同様の経過でますます少数派となり、昭和五八年一〇月の選挙では右三名も全員落選し、それ以後も選挙に立候補はしたが落選してきた。(<書証番号等略>)

(4) 晴男らは、その後も「御用化に反対する会」を通じ、リクリェーション活動問題、定年延長問題、職能給問題、労災問題、時間内組合活動等について組合執行部の被告会社への対応を批判し、被告会社に対する要求を強めてきた。(<書証番号等略>)

(5) 昭和五九年三月、被告会社は、同一勤務場所(東京営業所)で一三年を経過した中川博文に対し、長野駐在勤務を命じたが、中川は、組合役員に立候補する意思があること及び妻が勤務を継続することを理由に当初断ったが、最終的にはこれに従って転勤した。(<書証番号等略>)

(6) 被告会社では、以前から、組合の三役を含む執行委員に就任している医薬情報担当者については特に労働協約上の定めは存しないが、組合交渉の円滑な進行を可能にするため、転勤前の滞留が多少長期に及んでも、転勤の実施を控えてきた。しかし、長期滞留者が執行委員の職を離れた場合は、適当な時期を選んで転勤を命じてきた。すなわち、東京営業所勤務の秋山喜人は昭和五二年度の執行委員であったが、その職を離れたので、昭和五六年三月に宇都宮駐在勤務に配転となり、東京営業所勤務の柳田政美は昭和五五年度の執行委員であったが、その職を離れたので、昭和五六年六月に札幌営業所勤務に配転となり、また、東京営業所勤務の大前文男は、昭和六〇年度の組合副委員長であったが、その職を離れたので、昭和六一年三月に仙台営業所の配転となった。被告会社が中川に対し転勤を命じたのは、中川が昭和五八年一〇月の組合選挙に落選したことから、もはや前記のような配慮を必要としなくなった時期であった。(<書証番号等略>)

(7) 被告会社は、晴男がこれまで執行委員をしていたため、被告会社の転勤基準によると転勤の時期がきていたものの、転勤命令の対象から外してきたが、昭和五八年一〇月に組合役員の選挙に落選したので、昭和五九年三月の異動期には中川と同様に転勤の対象になった。しかし当時、久子が亮を妊娠していたため、その時期の異動を避け、翌年に本件転勤命令を発令するに至った。(<書証番号等略>)

以上の事実によれば、晴男は、組合執行部の意思と異なり、その少数派として「御用化に反対する会」を通じ、組合活動を活発に行ない被告会社と対峙してきたものといえるが、本件転勤命令は、もっぱら被告会社の異動基準によるローテーション人事として行なわれたものであるものということができ、晴男の組合活動を嫌悪してこれを停止させるという不当な動機・目的をもってなされたものであると認めるに足りる証拠はない。

<証拠判断略>

三信義則上の配慮義務違反による予備的主張

1  晴男は本件転勤命令が有効であるとしても単身赴任を余儀なくされたことに関し頭書の主張をするので案ずるに、被告会社は、就業規則及び晴男との労働契約により、業務上の必要に応じて晴男の勤務場所を決定することができるが、転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に影響を与え、特に、家族の病気の世話、子供の教育・受験、持家の管理、配偶者の仕事の継続、赴任先での住宅事情等のやむをえない理由から労働者が単身赴任をしなければならない合理的な事情がある場合には、これが労働者に対し経済的・社会的・精神的不利益を負わせるものであるから、使用者は労働者に対してこのような転勤を命ずるに際しては、信義則上、労働者の右不利益を軽減、回避するために社会通念上求められる措置をとるよう配慮すべき義務があるものというべきである。

2 本件勤務命令についてみるに、前記二4のとおり、被告会社に労働契約上負うべき信義則上の配慮義務に欠けるところはないものというべきであり、被告会社の就業規則のその後の改定内容からみれば、晴男に対しても別居手当・住宅手当の支給継続、一時帰省旅費の支給など経済的援助の拡充を検討する余地があったと考えられるが、特段の事情が認められない限り、別居手当・住宅手当、一時帰省旅費を支給する単身赴任者の範囲及びその額については各企業の実情に応じた人事施策に委ねられるべきものと考えられ、配慮義務の違反があったとすべき特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

3  晴男は、被告会社が、晴男に対して独身寮からの退去を再三勧告したり、終業時刻以降に会議を設定し残業を命じたり、夏期休暇に対して時季変更を命じたりする等の配慮義務に反する措置をとったと主張し、本人尋問中においてその旨を供述している。しかしながら、次の認定事実(<書証番号等略>)に照らし採用することはできない。

(一) 被告会社は、晴男が名古屋営業所に勤務期間中、毎週金曜日夜に自宅に帰ることができるように、金曜日の夕方から行なうべき販売会議、課内懇親会等の行事のほとんどを別の日に設定する配慮をし、あるいは、夏休み、年末年始及び家族の病気などで年次有給休暇を請求した際は可能な限りこれに応じてきた。

(二) 晴男は、昭和六一年六月二七日、名古屋営業所の所属課長に対し同年八月二日から一七日までの間の夏休み三日間及び年次有給休暇七日間を請求したが、名古屋営業所ではその期間中にTK拡売(武田関係会社の販売キャンペーン)があり、右休暇期間のうち特に晴男が担当者として出席する必要のある同月五、六日及び八日を避け休暇をずらしてとるように要請した。しかし、晴男の了解が得られず、晴男の欠席によりTK拡売連携施策に影響が生じるため、名古屋営業所長は、同年七月四日、晴男に対し、重要な仕事には責任を持ってほしい旨を注意した。

(三) また、昭和六二年五月八日夕方、TK拡売の一環としてのプロモーター会議後、名古屋営業所の所属課長が晴男に対し、翌週月曜朝の業務の指示伝達のための緊急の課内会議を開くので少々帰りが遅くなるがこれに出席して欲しい旨残業命令を出したところ、晴男は、帰宅する時間が夜遅くなるからといって残業命令を拒否した。

さらに、晴男は、同年七月一日に同月一三日の休暇を請求していたが、同日にTK拡売の一環として株式会社中薬東営業所でのスタート朝礼が重なった。晴男が会社の窓口責任者の立場にあってその出席が不可欠であることから、所属課長において晴男に休暇の変更を要請したものの、受け入れられなかったので、名古屋営業所では、同人の代わりとして昭和六一年入社の課員を代役に立てて出席させたが、晴男がその課員に資料を提供せず、十分な代役は果たすことができなかったため、被告会社人事部長がその後晴男に対して右欠席について注意を与えた。

(四) なお、被告会社では、独身寮については独身者を入居の対象としており、いわゆる単身赴任者については、業務用社宅取扱細則の定めるところにより、単身赴任者用借上社宅を提供することとしているところ、晴男が、本件転勤にあたって名古屋の独身寮への入居を希望したので、たまたま独身寮に空室があり、また同寮に既に晴男と同じような単身赴任者である新井博が入居していたので、将来独身者の入居の必要が生じ、そのため満室となる場合は、その時点で退寮し本来の単身赴任者用借上社宅に転居することを条件として、晴男の希望を入れた。しかし、その後昭和六一年六月に、四名の新入社員の名古屋営業所配属により、同人らを独身寮に入居させるため、被告会社は、前記条件に則って、晴男及び新井に転居を命じたところ、新井は直ちに応じたが晴男はこれを拒否し、同寮に入居を継続したので、被告会社はやむなく入寮中の独身者一名を晴男用に準備した借上社宅に転居させ、続いて昭和六二年六月、同年の新入社員四名が名古屋営業所配属となったので、少なくともそのうち一名を独身寮に入居させるべく、晴男に対して借上社宅へ転居するよう命じたが、晴男は再度これを拒否したので、被告会社はやむを得ず、本来独身寮に入居すべき一名を含め新入社員全員を借上社宅に収容せざるを得なかった。

(五) 晴男は、昭和六〇年度の年次有給休暇を二六日間取得したが、昭和六〇年四月から同年一一月までに取得した一五日間の内訳をみると、本件転勤による赴任のために一日間、本件の訴訟期日への出頭のために四日間、親戚の葬儀のために三日間費消しており、いずれも、別居に伴う家庭生活上の負担とは無関係のものであって、右の合計八日間を控除すると、通常の取得日数と異なるところはなく、昭和六一年度は二一日間を取得し、昭和五七年度から五九年度までの平均取得日数二〇日間とほぼ同じであった。

以上によれば、晴男の主張・供述する各事実は、業務上の必要性に基づく措置であって、前記配慮義務に違反するものということはできない。

四原告晴男に対する不法行為の成否

晴男は、本件転勤命令が晴男の家族生活を営む権利への違法な侵害であると主張するが、これまでに説示してきたところから明らかなとおり、晴男が二重生活による経済的、精神的な負担を強いられたことによって本件転勤命令が違法であるということはできないというべきであるから、右主張を採用することはできない。

五原告久子、同岳志、同夏織、同亮に対する被告会社の不法行為の成否

右原告らは、本件転勤命令は、晴男の単身赴任を余儀なくし、夫婦・親子が同居し、家族生活を営む権利、夫婦が協力して子を養育する権利、子供が両親から養育を受ける権利という基本的人権を侵害するものであると主張するが、原告ら家族の諸々の不利益を考慮した上でなお本件転勤命令が適法なものであることは晴男の請求に対する判断において説示したとおりであり、本件転勤命令に基づき晴男が名古屋に単身赴任することを選択したものである。したがって、家族が同居していた当時に享受していた家庭生活上の安定が損われ、監護養育環境が変わったからといって本件転勤命令に違法があるとはいえないから、右原告らの請求は理由がない。

よって、原告らの請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤賢治 裁判官塩田直也 裁判官高田健一は填補のため署名押印することができない。裁判長裁判官遠藤賢治)

別表1ないし3<省略>

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