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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)16089号 判決 1991年7月25日

原告

高野良二

高野一良

高野陽子

右原告ら訴訟代理人弁護士

松元光則

右訴訟復代理人弁護士

山下守英

被告

右代表者法務大臣

左藤恵

右訴訟代理人弁護士

水沼宏

右指定代理人

山田昭

外二名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告高野良二に対し、金二一五八万一五〇〇円、同高野一良、同高野陽子に対し、それぞれ金一一七九万〇七〇〇円及びこれらに対する昭和六二年一二月一一日から支払い済みまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一概要

本件は、亡高野さよ子(以下「さよ子」という。)が、被告の開設する国立病院医療センターにグッドパスチャー症候群の疑いで入院中に、経気管支肺生検を受けた際、たまたま気管支動脈の走行異常のために気管支粘膜上皮付近に突出していた動脈を、正体不明の隆起性小病変として採取されたため、大量に出血し、その後心不全により死亡したことについて、さよ子の遺族である原告らが、被告に診療契約上の債務不履行ないし不法行為に基づく責任があるとして、損害賠償請求をしている事案である。

二経緯

1  さよ子は昭和一〇年二月二三日生まれの女性である。さよ子の相続人は、夫である原告高野良二と、子である原告高野一良及び同高野陽子の合計三人である(争いがない)。

2  さよ子は、昭和六二年三月、腎機能障害のため、日本大学板橋病院に入院し、血漿交換、人工呼吸器による呼吸管理、副腎皮質ホルモン投与等の治療が施されたが、グッドパスチャー症候群の疑いがあると診断された(<証拠略>によると、グッドパスチャー症候群とは、臨床的には肺出血と糸球体腎炎を主徴とする疾患で、病因的には腎糸球体基底膜と肺基底膜に対する共通抗体によって惹起される免疫反応を基盤とする疾患で、この疾患の致死率は八割以上であり、予後は不良であるが、近年、長期生存例及び軽症例の報告も増えている)。そこでさよ子は、同年四月一〇日、国立病院医療センター膠原病内科に転入院し、右病院の設置者である被告との間で、同女の病名は明確ではないが、グッドパスチャー症候群の疑いがあるので、これを医学的に解明し、その原因を的確に診断した上、その症状に応じた治療行為を行うことを内容とする診療契約を締結した。後述の本件生検を実施した同センターの呼吸器科の工藤宏一郎医師(以下「工藤医師」という。)と芝崎太医師(以下「芝崎医師」という。)は、同センターに勤務する国家公務員であるが、いずれも被告の履行補助者として、あるいはその担当職務の執行として、本件生検を実施したものである(争いがない)。

3  証拠(<略>)によると、さよ子の国立病院医療センターでの本件生検に至る診療経過は次のとおりである。

(一) さよ子は、腎機能不全及び重症の呼吸不全という状態であったため、酸素吸入及び点滴注射を受けながら、担架で搬入された。入院直後のX線所見では、両肺野をびまん性陰影が覆い、心臓も大きく、胸水もたまっているのが見受けられ、グッドパスチャー症候群の疑いがもたれた。グッドパスチャー症候群の確定診断のためには、①特徴的な臨床症状(肺炎様の症状と血尿、タンパク尿等)、②血液中に抗基底膜抗体が存在することの証明、③肺及び腎臓又はそのいずれか一方の組織に抗基底膜抗体の沈着が検出されること、の三点がそろえば完璧であるが、さよ子の場合、当時確認できたのは①の臨床症状だけであった。

(二) そこで、さよ子に対する治療方針として、とりあえず、急性の臨床症状の改善を試み、その後グッドパスチャー症候群の確定診断のため、前記②及び③の検査を実施することになった。当時のさよ子の臨床症状としては、腹水が多く、クレアチニンが高くなり、血液残余尿素窒素も高くなっており、これら腎不全の進行を示す症状を改善するため、同年四月一六日から週三回の割合で、血液透析が実施された。その後、血液透析に加え、抗体産生抑制のためステロイド及び免疫抑制剤の投与等の治療が続けられた結果、さよ子は急性期を脱し、全身状態は一応安定し、当初の第一の目的であった臨床症状の改善は一応達成された。

(三) 次に、グッドパスチャー症候群かどうかの確定診断をして、今後の治療方針を決定する段階となった。さきに日本大学板橋病院で、前記②の抗基底膜抗体の検査が行われ、その結果がマイナスと出ていたので、今後は同③の肺又は腎臓への沈着を調べるため、肺又は腎臓の生検を本格的に検討することになった。さよ子の入院していた膠原病内科では、入院後から、同科と呼吸器科との間で、同女のグッドパスチャー症候群の診断確定のため、肺又は腎臓の気管支鏡による生検依頼の相談が続けられ、同年五月九日、呼吸器科の可部医長が、さよ子の肺生検につき、適応ありとの回答を出し、同医長の指示により、呼吸器科の技官である工藤医師及び同科のレジデントである芝崎医師が、経気管支肺生検(以下「TBLB」という。)を担当することになった(腎臓より肺を先に生検することになったのは、腎臓が度重なる透析で機能が低下しており、生検しても抗基底膜抗体が検出されない可能性が大きかったからである)。そして、同月二〇日にTBLBの実施が決まった。

(四) 同月二〇日にTBLBが実施された。検査担当医は、呼吸器科の工藤医師及び芝崎医師であり、立会が、膠原病内科の小坂医師などであった。なお、工藤医師は、呼吸器科の内視鏡の責任者であり、同科に入ってきたレジデントに内視鏡の操作を習得させるため、患者の診察をしながら、レジデントを教育する立場にあり、当時レジデントの芝崎医師とコンビを組んで診察にあたっていた。

そして芝崎医師が、気管支ファイバースコープを気管内に挿入し、TBLBを実施後、さよ子の左舌区入口部に発見した直径約二〜三ミリメートルの円形の隆起性小病変と疑われる部分(以下便宜上単に「本件病変」という。)を採取しようとしたが採取できなかったので、工藤医師と交替し、同医師は、針付き生検鉗子を用いて、本件病変を採取した。ところがその直後、右病変採取部位から出血が始まったため、気管支ファイバースコープを出血部位におしつけながら吸引を開始し、同時にボスミン及びトロンビンを局所散布したが、止血できず、危篤状態に陥ったために、人工呼吸、心マッサージ、輸血、薬剤投与等の緊急措置を施しつつ、止血剤投与等の止血措置も講じたが、動脈性の出血が持続したので、翌二一日、止血目的の開胸手術が、更には左肺全摘の手術が行われたが、さよ子は意識不明のまま、同年六月九日、心不全により死亡した。

三争点

1  本件病変が動脈であることの予見可能性ないし予見義務

(一) 原告は、気管支内腔に突出する異常動脈を有する者がいることは、本件生検以前に医学界において明らかにされており、本件病変採取が困難であったことからも、芝崎医師及び工藤医師は、本件病変が動脈であることを予見することが可能であり、また予見すべき義務があったと主張する。

(二) 被告は、下行大動脈から分岐する気管支動脈が気管支壁を越えて気管支粘膜内に存在することは極めて稀であり、本件では、唯一実施可能な気管支鏡検査を、多くの写真撮影や注意深い観察を交えて行ったが、動脈性病変を示唆する所見はみられず、本件病変のように非常に小さく、著明な発赤や拍動等を欠いたものについては、報告例がなく、本件生検当時、芝崎医師及び工藤医師に、本件病変が動脈であることの予見可能性はなかったし、予見義務もなかったと主張する。

2  本件生検の必要性及び相当性

(一) 原告は、まず、本件生検は予定外の検査である上、さよ子は、呼吸器科の芝崎医師及び工藤医師の担当する患者ではないのだから、生検を中止し、改めて膠原病内科医師とも協議検討し、生検の必要性を十分確認してから検査すべきであって、この時点で生検を行う必要性がないと主張する。またさよ子は本件生検の一か月前以上から血液透析を行っており、このような患者に対する気管支鏡検査は禁忌とされていたし、さよ子は、出血性素因を有していたために、TBLB中三回も出血を起こしていたのであるから、大出血につながるおそれのある本件生検を行うことは相当ではなかった。加えて、組織の採取にあたっては、侵襲の程度のなるべく大きくない方法で行うべきであるところ、普通生検鉗子では採取できなかったことから、漫然と針付き生検鉗子で生検を行ったのは、手技上も相当ではなかったと主張する。

(二) 被告は、まず生検実施の必要性について、さよ子は、グッドパスチャー症候群の疑いがあり、これが悪化して出血が始まれば再度の生検は不可能であるし、透析中でもあり肺出血による呼吸不全の既往もあったことを念頭に置くと、今後気管支鏡検査を実施できる条件の整う機会を得るのは容易ではなく、また本件病変が悪性のものであるおそれもあったから、生検を実施しないでしばらく様子を見るということは許されなかったとし、またその相当性については、透析中の患者に対する気管支鏡検査には初心者は別として原則として禁忌はないし、一回で済ませるかどうかも医師の裁量の問題にすぎないと主張する。さらに手技の相当性に関しては、針付き生検鉗子は、生検時に滑ったり、位置が定めにくい気管支壁や肺野の小円形病変の位置が生検時に外れないようにするための鉗子であって、約三ミリの針は、生検時鉗子の把持部がしまると同時に把持部内部に納まるので、組織の侵襲の程度は普通生検鉗子と変わるところはないとする。

3  本件生検の実施が説明義務に反するか

原告は、本件生検が予定外のもので、さよ子に対するTBLBの実施にあたり、本件生検については、さよ子に対し何らの説明もなく、さよ子の承諾もなかったから、本件病変が、直ちに同女の生命、健康に重大な危険を及ぼす緊急の事情もなかった以上、芝崎医師及び工藤医師は、TBLBの終了後にあらためて別の機会に、その施術内容や危険性等について、さよ子に説明を加え、その承諾を得た後に本件生検を実施すべき義務があったのにこれを怠ったと主張し、被告はこれを争った。

第三争点に対する判断

一予見可能性及び予見義務について

1  まず、本件生検前後の事情は、証拠(<略>)によると以下のとおりである。

(一) 芝崎医師は、気管支ファイバースコープ(タイプB10。これは、鉗子口は狭いが、観察の視野が広いので、観察に適している。)をさよ子の気管内に挿入し、鉗子口から注射器で麻酔しながら気管支内を観察していたところ、さよ子の左舌区入口部に、直径二〜三ミリメートルの円形の隆起性小病変(本件病変)を発見したが、同医師には、右病変が問題ではあると思ったものの、何であるかわかりかねたので、工藤医師に右病変の確認を依頼した。芝崎医師にかわって気管支ファイバースコープを覗いた工藤医師は、本件病変が①粘膜下の良性の腫瘍、②悪性新性物、③肉芽腫性病変、④血管性病変、の四つのうちのいずれかであろうと判断したが、本件病変の粘膜が少し赤みは帯びるものの、表面は滑らかで混濁等が認められず、拍動もなく、やや硬い充実性(粘膜下に何かあるという印象)の感じを受けたことから、④の血管性病変の可能性を否定した。そこで、両医師は、本件病変が悪性である可能性がある一方、さよ子について罹患の疑いがかけられているグッドパスチャー症候群が悪化して出血が始まれば再度の生検は不可能であるなど、その時期を逸すると改めて気管支鏡検査を実施できる条件が整うかどうか必ずしも明らかではなく、再度の検査が本人に与える苦痛も甚大であることなどから、TBLB終了後、右病変について生検を実施する(以下「本件生検」あるいは単に「TBB」(限局性病変に対する末梢病巣生検の略)ともいう。)ことに決め、その旨、立会いの受持医小坂医師にも知らせ、同医師からも特段の反対は受けなかった。

(二) その後、芝崎医師は、念のため通常の二〇枚より多い四〇枚の気管支内の写真撮影をした。それから同医師は、タイプB10よりも生検鉗子を入れる穴が太く、気管支内でいろいろな処置をするのに適しているタイプ1Tのファイバースコープを気管内に再挿入してTBLBに着手し、工藤医師の介助の下、一番安全で採りやすい部位である左下葉四か所の標本を採取した。左上葉上腹側部を生検後、少量の出血があったが、ボスミン(血管収縮剤)及びトロンビン(止血剤)を局所散布して止血した。こうして五か所の組織を採取してTBLBは無事終了した。

(三) そこで、今度は本件病変のTBBを実施することになった。まず、芝崎医師が、普通生検鉗子で右病変の採取を試みたが、滑って採取できなかったので、生検部位に固定して操作できる針付き生検鉗子(生検把持部の一辺が約三ミリメートル)を用いてなお二、三回試みたが、採取できなかった。そこで教官でもある工藤医師に交替し、同医師は、針付き生検鉗子を用いて、本件病変を採取することに成功したが、その直後、右病変採取部位から多量の出血が始まり、容易に止血できないことから、本件病変が血管性病変で本件生検により直下の気管支動脈の血管壁を破ったことが判明した。さよ子死亡後に実施された病理組織学的検査の結果もこれを裏付けている。

2(一)  本件病変のように、気管支粘膜の表面すれすれの部位を動脈が走行することは極めて稀ではあるが、一般に気管支動脈の走行異常ないしは組織奇形については、当時の医学界においても若干の報告例がないわけではない。しかしさよ子死亡後に実施された本件病変の病理組織学的検査の結果によれば、本件病変は、内腔径約一ミリメートル以下の血管が、ループ状ないしガンマー字状になって気管支粘膜上皮に突出した病変であって、ゴムホースをねじったような走行異常であった。このような部位にこのような態様で存在する非常に小さな走行異常については、後に病理検査を担当した医師が文献を探したが先例も見当たらなかったほどの特殊な奇形であった。そして、病変が突出していたとはいっても、問題の動脈が、気管支粘膜上皮及び同粘膜下の結合組織と一緒に欠損したことからすると、血管壁がむき出しになっていたわけではなく、また表層の右粘膜上皮が肥厚していたことをも併せると、右粘膜の表面は扁平上皮化生(粘膜の表面が、本来その場所にはない普通の皮のようになってしまうことをいう。)を起こしていたと推定される。このような場合、粘膜の屈折率は不均一となり、透明度が悪くなって、さらに深部は観察不能になるところ、気管支ファイバースコープで気管支粘膜を観察する場合、その照明光が組織を透過する厚さが0.5ミリメートル内外であることを考えれば、扁平上皮化生を起こしたと推定される気管支粘膜の下に潜む動脈を見極めることは不可能といってよい。さらに、本件病変はループ状にねじれていたが、一般に血管がねじれていると、余計な張力が血管壁にかかるので、拍動しにくくなるから(<証拠略>)、拍動の有無によって動脈であることを認識することも極めて困難であった。

(二)  そして一般にある病変が、血管性病変であるか否かの判断基準としては、①拍動性のあること、②血管を思わせる著明な発赤のあること、③いも虫状ないし索状(拡張した血管の走行を示唆する。)であることが挙げられ、さらには④患者の深呼吸による気管支内腔の収縮に伴い、血管のように内腔が充実性のものではない場合には形を変えがちであることもその判断に資する兆候とされる(<証拠略>)。

(三) 以上の点を踏まえて本件病変についてみると、本件病変は、まず通常、動脈があるとは考えられていない場所に存在し、しかも扁平上皮化生により血管の赤い色を識別することはできなかった。そして血管性病変の一般的判断基準とされる拍動は血管のねじれのため感じられず、著明な発赤もなく、いも虫状の性状でもなく、やや硬く充実性(粘膜下に何かあるという印象)の感じがあり、気管支内腔の収縮により形を変えるとも認められなかった。このような事情に照らすと、本件病変が血管性の病変であることを予見することは医学的にみて全く不可能とは言い切れないとしても、その位置、形状、態様、色彩その他の状況からして、本件生検当時の医療水準に照らしても、芝崎医師及び工藤医師が本件病変を血管性病変であると予見することは著しく困難であって、法的評価としての予見可能性があったと断定することはできない。

3  なお、原告らは、拍動がなかったり、著明な発赤のない、無症状の場合でも気管支動脈であった症例として、<証拠略>の第一例及び<証拠略>掲記の二例を挙げるが、前者は一見して異常な気管支粘膜血管系の発達したもので、拍動性の有無にかかわらず動脈と判断できる点で、本件病変を血管性と予見することが可能であったことの先例とはならず、後者については、肉眼的にも判断できる外径約七ミリメートルのポリープ状腫瘤であるのに対して、本件病変は外径一ミリメートル程度の動脈血管がループ状になっていてポリープ状ではなく、その全体の大きさも直径二〜三ミリメートルの小さなものであったから、これを血管性病変と予見する上での参考になるものとは言えない。

また、原告は、本件生検は気管支動脈造影等の検査実施後に行うべきであったと主張するが、そもそも本件病変が血管性であるとは予見しがたいのであったから、そのようにすべきであると言えないのみならず、気管支動脈造影は脊髄麻痺を起こす恐れのある検査であり、しかも腎障害を起こす造影剤を大量に必要とする点で、腎不全状態のさよ子に右検査を実施するのは危険であったし、仮に右検査を実施したとしても、この造影検査は結局は肉眼で確かめるものであるから、かなり拡大されて見える気管支ファイバースコープでさえ発見できなかった非常に小さな本件病変を右造影検査によって発見するのはなおさら困難であって、そのような検査を実施しても無駄であった(<証拠略>)から、原告の右主張は採用できない。

二本件生検実施の必要性及び相当性について

(一)  生検実施の必要性について

原告の主張するように本件生検は予定外の検査ではあった。しかし前記認定のとおり、本件病変の正体が不明であり、悪性腫瘍の可能性もあり、しかもさよ子の病状からして改めて気管支鏡検査を実施することができないかもしれないような状況にあったし、本件病変が極めて小さな病変であるため、気管支鏡検査以外に他にその病変の正体を確認する的確な方法もなかった。そうしてみると、本件生検を実施する必要は極めて高く、むしろこれをそのまま放置したときは、それがかえって医師としての注意義務の懈怠であるとの謗りを受けるおそれさえあったと言える。

(二)  生検実施の相当性について

証拠(<略>)によると、TBLBに関する医学書の中には腎不全などの疾患を有するものに対する気管支鏡検査は禁忌と記載されていることが認められるが、そのような記載は専ら初心者を相手にした一般的注意であって、患者の状況によって検査の適不適を判断するのが相当であり、腎臓疾患により血液透析中の者に対して気管支鏡検査を行ったこと自体が直ちに相当性を欠くものではない(<証拠略>)。

証拠(<略>)によると、右検査に先立ち、さよ子の血液検査が実施され、血小板の値は出血を心配するような値でないこと及び血色素もほとんど変わりのないことが確認され、出血傾向の存在は否定されたこと、五月一九日、芝崎医師が、さよ子の全身状態を最終チェックし、出血傾向がなく、TBLB実施に問題のないことを確認し、かつさよ子の受持医の小坂医師に対し、翌二〇日出棟前にさよ子の血液ガス検査を行うよう指示し、同月二〇日、小坂医師が血液ガス検査を施行し、出棟前にさよ子の全身状態をチェックしたことが認められ、これによれば、右検査時点ではさよ子についての出血性傾向は一応収まっており、気管支鏡検査の適応の範囲内にあったものと認めるのが相当である。

また、針付き生検鉗子を使用した点については、針付き生検鉗子は、滑り易い気管支壁に固定して操作するために必要な針がついている鉗子で、約三ミリの針は、生検時には鉗子の把持部がしまると同時に把持部内部に納まるので、組織の侵襲の程度は普通生検鉗子とさほど変わるところはなく(<証拠略>)、これを使用したことがその手技上の注意義務に反するものとは言えない。

三説明義務違反の主張について

(一)  証拠(<略>)によれば、さよ子はTBLBを受けるにあたり、前の病院で、ファイバースコープの挿入が辛かったことを訴えていたが、小坂医師らがTBLBの必要性を説明して納得させたこと、原告のうち高野良二に対しては、同月八日に、肺の組織を採って培養検査するという程度の説明はされたことが認められるが、さらにすすんでTBBについては、本件全証拠によっても、さよ子はもとよりその家族に対しても、事前に何らかの説明があり、かつそれについての明示的承諾があったとは認められない。

(二) しかしながら、医師が患者に対して施術を行うにあたり、あらゆる事態を想定してあらゆる事柄について事前に説明を施し、その全てについて承諾を得なければならないものとは言えない。患者から同意を得た施術を行う過程で、新たに緊急な必要性のあることが判明した検査であって、軽微な侵襲を伴う程度の検査を行うことは、それが本来の施術とは直接の関係が明らかとは言えない場合であっても、事前に包括的な診療上の同意がある限り、特にあらためて個別の説明を行わないで、その検査を実施しても説明義務に違反するとまでは言えない。

前記のとおりさよ子は、当時その病名が明確でない上、グッドパスチャー症候群の疑いがあるので、被告との間でこれを医学的に解明し、その原因を的確に診断した上、その症状に応じた治療行為を行うことを内容とする診療契約を締結していたのである。芝崎医師らは、さよ子からも明示の承諾を得て行ったTBLBを実施するために、気管支内にファイバースコープを挿入してその内壁を観察していた際に、予想もしていなかった本件病変を発見したが、その病変の正体が不明であり、グッドパスチャー症候群との関連性があるとまでは思わなかったが、このまま放置してはおけない病変と判断したので、予定していたTBLBの終了後、気管支粘膜表皮の僅かな小片を採取したのである。特に本件病変は、TBLB実施当時の所見では、悪性腫瘍等の可能性も疑われ、そのまま放置した場合に何らかの危険が発生する可能性は十分にあり、遅滞なくTBBを実施しなかったこと自体が逆に後になって医師として怠慢であると非難されるおそれすらあったと考えられるし、さよ子の病状からして後日改めて気管支鏡検査及び生検を実施することができるかどうか不明であり、しかも再度の気管支鏡検査及び生検を実施すること自体が患者本人に与える苦痛も甚大であった。

そうしてみると、なるほど本件生検は、当初予定していたTBLBの一部ではなかったし、不可避的な施術であるとは言えないものの、予定されたTBLBを実施する過程で、その身体疾患に関して新たに緊急に必要性の判明した検査の一方法であって、通常それ自体が身体に与える侵襲の程度は著しく軽微であり、TBLBに承諾を与えた者であればTBBを拒否するとは到底考えられないような内容であって、あらためて説明のうえその承諾を得なければならない程のものではなく、そのまま実施してもよい類の生検であったと言うべきである。

(三) したがって、本件生検が、医師としての説明義務に違反してなされたとは言えない。

四以上のとおり、被告には債務不履行ないし不法行為があったと認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官高木新二郎 裁判官佐藤陽一 裁判官釜井裕子)

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