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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)12320号 判決 1990年4月17日

原告 東京学習協力会

右代表者代表取締役 村上宰圓

右訴訟代理人弁護士 山嵜正俊

同 岩丸豊紀

被告 岡崎数範

同 小口南海夫

右被告両名訴訟代理人弁護士 佐藤忠宏

主文

一  被告らは、連帯して原告に対し、金三七六万六八〇〇円及びこれに対する昭和六一年一〇月五日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを八分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一〇月五日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和五一年九月東京都中野区において設立され、中野進学教室という名称で学習塾の経営をする会社である。昭和六一年五月一日当時国鉄(現JR)中央線沿線を中心に中野会場、荻窪会場、武蔵境会場などの五会場を有していた。

2(一)  被告岡崎数範及び被告小口南海夫は、それぞれ昭和五九年五月一五日及び昭和六〇年一月一日に原告との間で期間の定めのない正規の従業員として雇用契約を締結した。

(二) 被告岡崎数範は、昭和六一年四月三〇日、原告を退職し、被告小口南海夫は同年五月三〇日に同年六月一五日をもって退職する旨の退職願いを提出し、同年六月七日以降有給休暇を理由に出社しなくなり、原告との雇用関係が終了するに至った。

3(一)  昭和六一年五月当時中野会場において会員(生徒)の教育・指導に当たっていたのは、原告の雇用契約上期間の定めのない正規の従業員四名、専任講師三名及び雇用契約上期間が一年の時間講師五名の合計一二名であった。そのうち二で述べる七名が同年六月に相次いで原告との雇用契約を解約し、後述のアーク進学研究会で生徒の教育・指導に当たるに至った。

(二) 右七名の内訳及び中野進学教室で担当していた職務の内容は次のとおりである。すなわち、正規の従業員である被告小口南海夫及び取下前被告横山光正であり、それぞれ算数及び社会の教育・指導を担当していた。専任講師三名中二名に当たる取下前被告梨本健一及び取下前被告大久保宗生被告であり、いずれも国語の教育・指導を担当していた。時間講師五名中三名に当たる取下前被告池江泰博、工藤達朗及び高橋久夫であり、取下前被告池江泰博は算数・数学を担当していた。

4  被告らは、昭和六一年五月初旬、新しく進学塾を開設する構想を立て、中野会場の右講師らに対し、原告との雇用契約を解約して右進学塾(後に開設されるアーク進学研究会)において働くように働きかけ、取下前被告横山光正、取下前被告梨本健一、取下前被告大久保宗生、取下前被告池江泰博、工藤達朗及び高橋久夫(以下「取下前被告横山光正外五名」という。)がこれに応じた。その結果、まず被告小口南海夫において同年五月三一日に同年六月一五日をもって退職する旨の退職願いを提出し、同年六月七日以降有給休暇を理由に出社しなくなった。取下前被告横山光正、取下前被告梨本健一及び取下前被告大久保宗生は同年六月二日に、取下前被告池江泰博は同年六月一三日に、原告に対しそれぞれ退職願を提出し、工藤達朗及び高橋久夫もそのころ退職願を郵送して出社しなくなった。

5  被告らは、昭和六一年五月末日までに、東京都中野区新井一丁目三番三号所在のカーサ・トモエ中野ビルにおいてアーク進学研究会を開設し、同年七月一日に授業を開始した。被告小口南海夫及び取下前被告横山光正外五名は、同年七月一日以降アーク進学研究会の生徒の教育・指導に当たるに至った。

6(一)  中野会場は国鉄(現JR)中央線中野駅南口にある。アーク進学研究会は中央線中野駅北口から徒歩約七、八分の場所にあり、中野会場から歩いて一〇分程度の距離にある。

(二) 被告らは、原告の会員(生徒)名簿を利用して、中野会場の会員(生徒)全員に対し、その住所に書面を送付してアーク進学研究会への入会を呼び掛けた。

(三) 昭和六一年七月当時のアーク進学研究会の授業の曜日、時間帯及び時間数は中野教室のそれと同一であり、授業料も同額であるうえ、使用するテキストも中野教室のそれと同一であった。

7(一)  被告らの右の行為により、昭和六一年六月から八月にかけて中野会場に在籍していた会員(生徒)中一七六名が中野会場をやめてアーク進学研究会に入会するに至った。

(二) その結果、原告は、右の会員(生徒)らが中野会場に在籍していれば支払を受けたであろう授業料等による収入を喪失し、会員(生徒)の募集のため多額の広告費を負担しなければならなかった。原告はこれによって合計金七二四五万一二二〇円の損害を受けた。

(三) 原告は、本件訴訟の提起・追行のため弁護士を訴訟代理人として選任し、手数料及び報酬として金四〇〇万円の支払を約した。右が被告らの債務不履行又は不法行為と相当因果関係のある損害である。

よって、原告は、被告らに対し、被告らの共同不法行為又は債務不履行による損害賠償請求権に基づき、連帯して損害金の内金三〇〇〇万円及びこれに対する不法行為以後の日であり、かつ、本件訴状送達の日の翌日である昭和六一年一〇月五日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実について、(一)は認め、(二)のうち被告岡崎数範が昭和六一年四月三〇日原告を退職したことは否認し、その余の事実は認める。被告岡崎数範は原告を解雇されたのである。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実のうち、被告らが中野会場の講師らに対し原告との雇用契約を解約してアーク進学研究会において働くように働きかけ、取下前被告横山光正外五名がこれに応じたとの事実は否認し、その余の事実は認める。取下前被告横山光正外五名は、原告の経営姿勢に不信の念を持っていたところ、被告らが新しい進学塾設立の構想を立てているのを知り、右進学塾の設立に参加することを望み、自主的に参加を申し出たものである。

5  同5の事実は認める。

6  同6の事実について、(一)は認め、(二)のうち被告らが中野会場の会員(生徒)全員に対してその住所に書面を送付してアーク進学研究会への入会を呼び掛けたこと及びその際に原告の会員(生徒)名簿を利用したことは否認する。中野会場に在籍していた生徒中、被告らが書面を送付した生徒は約二二〇名であり、アーク進学研究会に入会した生徒は一二五名であるにすぎない。また、被告らは、原告代表取締役の指示により営業上、教務上全従業員及び講師が部分的に管理していた生徒名簿によって中野会場に通学する生徒の住所を知っていた。(三)は否認する。

7  同7の事実は否認する。

三  抗弁

昭和六一年当時、原告の五会場の従業員及び講師らは、原告代表取締役によって過重な時間数の授業を担当させられ、恣意的に授業に介入され、あるいは解雇されるなどにより不安定な状況に置かれており、原告代表取締役の塾の経営姿勢に強い不満を覚えていた。そういう中で、被告岡崎数範が原告代表取締役に対し、塾の執務体制などについて意見を具申したことが原因となり、同年四月三〇日付けをもって解雇された。このことによって原告の五会場、殊に中野会場の従業員及び講師らが原告に見切りを付けて次々と退職するに至った。右に述べた事情からすれば、被告小口南海夫及び取下前被告横山光正外五名が退職の自由に基づいて原告を退職したのも当然であり、同じ時期に一斉に退職するに至ったのも無理からぬ事情があるというべきである。また、原告の会員(生徒)を勧誘したことは資本主義社会における自由競争の範疇に属すことであって、なんら違法の問題を生じない。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認し、主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1の事実、同2(一)の事実、同3の事実、同4の事実のうち、被告らが中野会場の講師らに対し原告との雇用契約を解約してアーク進学研究会において働くように働きかけ、取下前被告横山光正外五名がこれに応じたとの事実を除くその余の事実、同5の事実、同6(一)の事実は、当事者間に争いがない。

二  右争いのない事実に、《証拠省略》を併せて考えれば、原告の就業規則では従業員に対し退職後三年以内に限って競業避止義務を課していること、昭和六一年五月当時中野会場において会員(生徒)の教育・指導に当たっていたのは、原告の雇用契約上期間の定めのない正規の従業員四名、専任講師三名及び雇用契約上期間が一年の時間講師五名の合計一二名であったこと、被告らが、昭和六一年五月初旬、新しく進学塾を開設する構想を立て、中野会場の講師らに対し、原告との雇用契約を解約して右進学塾(後に開設されるアーク進学研究会)において働くように働きかけ、取下前被告横山光正外五名がこれに応じ、同年五月から六月にかけて次々と原告を退職したこと、被告らが昭和六一年五月末日までに東京都中野区新井一丁目三番三号所在のカーサ・トモエ中野ビルにおいてアーク進学研究会を開設し、同年七月一日に授業を開始したこと、被告小口南海夫及び取下前被告横山光正外五名が、被告岡崎数範とともに、同年七月一日、以降アーク進学研究会の生徒の教育・指導に当たるに至ったこと、他方、中野会場が国鉄(現JR)中央線中野駅南口にあり、アーク進学研究会が徒歩で同駅北口から約七、八分、中野会場から一〇分程度の距離にあって中野会場の会員(生徒)中相当数の者にとって通学可能な場所に位置しているところ、被告らが、原告の従業員として職務を行っていた際に職務上入手したカード等に基づき、中野会場の会員(生徒)中約二二〇名に対し、その住所に書面を送付してアーク進学研究会への入会を勧誘したこと、その際、講師の同一性はもちろんのこととして、アーク進学研究会のカリキュラム、使用するテキストについてもこれを中野会場のそれと基本的には同一のものとし、従前中野会場に通学していた会員(生徒)にとって学習の継続性を維持できるように配慮していたこと、昭和六一年六月から八月にかけて中野会場に在籍していた会員(生徒)中一七六名が中野会場をやめたこと、当時中野会場の会員(生徒)中アーク進学研究会に入会するに至った者の数は一二五名であること、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

しかして、右認定事実に弁論の全趣旨を併せて考えると、年度の途中で事前に十分な余裕がないまま講師陣の大半が辞任すれば、進学塾の経営者がこれに代わるべき講師の確保に苦慮することとなり、生徒に大きな動揺を与え、相当数の生徒が当該進学塾をやめるという事態を招来しかねないというべきところ、被告らの右行為は、一方で中野会場で会員(生徒)の教育・指導に当たっていた従業員及び講師の大半の者が、原告においてその代替要員を十分確保する時間的余裕を与えないまま一斉に退職するに至ったという事態を招来させたものであり、他方では原告の従業員として職務を行っていた際に職務上入手した情報に基づき、中野会場の会員(生徒)中約二二〇名に対し、その住所に書面を送付してアーク進学研究会への入会を勧誘して、一二五名を入会させるに至ったものであって、原告の前記就業規則上の競業避止義務に違反したものであり、連帯しての損害賠償債務を負うものといわなければならない。

このような被告らの行為に照らすと、被告らの抗弁は主張自体失当であるというほかない。

三  損害について

1  前記認定事実によれば、被告らの右競業避止義務違反によって中野会場をやめるに至った会員(生徒)の数は一二五名であるというべきである。当時右人数を超える会員(生徒)が原告をやめた事実自体は否定できないものの、右会員らが原告をやめたことと被告らの右競業避止義務違反との間に相当因果関係があることを認めるに足りる証拠はない。

2  また、昭和六一年六月当時原告が進学塾の業界において確固不動の地位を占め、生徒の間で揺るぎのない信用を得ていたことを認めるに足りる証拠はなく、原告に通学していた生徒らがいかなる動機ないし理由で原告を選択したかが証拠上必ずしも明らかではなく、中野会場の地理的な要因だけで説明することはできないというほかない。ところで、進学塾についてはその間で競争が激しく、長期間にわたって生徒数が安定することを期待し得ない(この事実は弁論の全趣旨により認める。)から、業界において確固不動の地位を占めているような塾は別として、その逸失利益を算定する際には慎重にこれを行うべきである。他方原告としても一定期間の余裕があれば被告小口南海夫及び取下前被告横山光正外五名に代替する講師を確保し、正常な業務を回復してしかるべきである。以上の各点を踏まえ、《証拠省略》を総合すれば、被告らの前記競業避止義務違反による原告の逸失利益は、原告に対し昭和六一年六月ないし八月に退塾届けを提出した合計一一七名について、《証拠省略》に記載されているうち、昭和六一年度の夏期講習及び九月ないし一一月の期間中の授業料に相当する金額の限度で収入を金一二五五万六〇〇〇円と試算し、これから必要経費を控除することにより得られる利益率が三〇パーセントであるとして原告の逸失利益を算定すると、その金額は金三七六万六八〇〇円となる。

《証拠判断省略》

3  弁論の全趣旨によれば進学塾の講師の急減その他の事情から進学塾の講師については当然変動が予想されるというべきであり、この事実に照らして考えると、原告主張の広告費用について被告らの前記競業避止義務違反との間の相当因果関係を肯定する趣旨の証人土屋清晴の供述部分、前掲甲第三八号証の記載部分はたやすく採用することができない。他に右両者の間に相当因果関係を認めるに足りる証拠はない。

4  原告主張の弁護士費用と被告らの前記競業避止義務違反との間の相当因果関係を肯定する趣旨の証人土屋清晴の供述部分、前掲甲第三八号証の記載部分はたやすく採用することができない。他に右両者の間に相当因果関係を認めるに足りる証拠はない。

原告は、債務不履行による損害賠償請求のほかに、これと選択的に不法行為による損害賠償請求をしているが、本件の事案において原告が契約上の競業避止義務違反を肯定し得ない第三者に対して不法行為を理由とする損害賠償請求権を有するものと解すべき根拠はない。よって、原告主張の弁護士費用について、訴訟物が不法行為による損害賠償請求権であることを理由に、被告らの前記競業避止義務違反との間に相当因果関係を認めることもできない。

四  結論

以上の次第であって、原告の本訴請求は、被告らに対し、金三七六万六八〇〇円及びこれに対する昭和六一年一〇月五日以降支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 髙世三郎)

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