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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)10922号 判決 1990年3月23日

原告 河原崎昇

右訴訟代理人弁護士 高木徹

同 斉藤康之

被告 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 半田良樹 外三名

被告 株式会社朝日新聞社

右代表者代表取締役 渡辺誠毅

右訴訟代理人弁護士 久保恭孝

被告 株式会社毎日新聞社

右代表者代表取締役 山内大介

右訴訟代理人弁護士 河村貢

同 河村卓哉

同 豊泉貫太郎

右訴訟代理人河村貢復代理人弁護士 三木浩一

同 岡野谷知広

被告 株式会社産業経済新聞社

右代表者代表取締役 鹿内信隆

右訴訟代理人弁護士 加藤義樹

被告 株式会社日本経済新聞社

右代表者代表取締役 新井明

右訴訟代理人弁護士 光石忠敬

同 光石俊郎

主文

一  原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五七年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告東京都)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行の宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

(被告東京都を除く被告ら、以下まとめて「被告各新聞社」という。)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五七年四月二四日、警視庁杉並警察署(

以下「杉並署」という。)の捜査官に有印私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載罪の各容疑で逮捕された。

右逮捕の被疑事実の要旨は、「原告は山道寛(以下「寛」という。)、山道萬吉(以下「萬吉」という。)名義の公正証書作成嘱託用の委任状を偽造し、右委任状を利用して、昭和五五年五月一三日、東京都杉並区阿佐谷北一丁目六番一四号公証人役場(以下「杉並公証人役場」という。)において、東京法務局所属公証人岡田良平に対し、寛及び萬吉が有限会社エヌ・ケー事務所(以下「エヌ・ケー」という。)に対し何ら債務を負担している事実がないにもかかわらず、寛及び萬吉がエヌ・ケーに対し金銭消費貸借債務など合計四四一八万六二七〇円の債務を負担しており、この債務の弁済契約が成立した旨虚偽の申立をし、よって同日同所において情を知らない右岡田をして債務弁済契約公正証書(以下「本件公正証書」という。)の原本にその旨不実の記載をさせた。」というものであった。

2  杉並署の捜査官は、取材にあたった新聞社の記者らに対し、原告の顔写真を交付したうえ、「原告ら三名が、大宮市で衣料品販売業を営む寛の父親萬吉が青森県の資産家であることに目をつけ、寛に融資の世話をするといって近づき、萬吉から一六〇〇万円の小切手を横領したり、権利証をだましとり、これをネタに金を脅し取ろうとしていた旨の被疑事実により逮捕された。」と発表した。

3  右発表に基づき、被告株式会社朝日新聞社は、昭和五七年四月三〇日付夕刊に別紙一記載の記事を、被告株式会社毎日新聞社(以下「被告毎日」という。)は、同年五月一日付朝刊に別紙二記載の記事を、被告株式会社産業経済新聞社(以下「被告産経」という。)は、同日付朝刊に別紙三記載の記事を、被告株式会社日本経済新聞社は、同日付朝刊に別紙四記載の記事を、それぞれ掲載した(以下、別紙一ないし四の各記事をまとめて「本件各記事」という。)。

4  しかしながら、原告が、エヌ・ケーの取締役野尻健介(以下「野尻」という。)の依頼に応じて、寛及び萬吉の代理人として前記2のとおり本件公正証書の作成を嘱託した事実はあったものの、当時寛は主債務者として、萬吉は連帯保証人として、それぞれエヌ・ケーに対し前記債務を現実に負担しており、前記委任状も寛及び萬吉が署名捺印し、受任者の選定をエヌ・ケーに一任する趣旨で受任者欄を白紙のままエヌ・ケーに交付していたものを利用したにすぎなかったから、前記被疑事実はまったく事実に反するものである。

5  犯罪捜査という公権力の行使にあたる捜査官としては新聞記事に犯罪事実が掲載されれば被疑者の名誉が著しく毀損されることを考慮に入れなければならず、十分な事実の裏付けがない限り、新聞記者らに被疑事実を公表してはならない義務を負っている。

ところが、杉並署の捜査官は、原告の名誉についてまったく考慮を払わず、事実の裏付けのないまま、原告らを告訴した寛、萬吉らの言い分をうのみにして、前記のとおり原告の被疑事実を新聞記者らに対して発表したものである。

6(一)  被告各新聞社の発行する各新聞は、いずれも極めて多数の購読者を有しており、その掲載記事も高度の社会的信用を有しているから、犯罪に関する記事が掲載された場合、当該被疑者の名誉は完全に失われてしまう。したがって、被告各新聞社に所属する記者らとしては、自社の紙面に犯罪に関する記事を掲載するにあたって、被疑者の人権に十分留意し、捜査を担当する側の一方的判断に過ぎない警察の発表をそのまま、うのみにすることなく、当該事実の真偽についてできる限りの裏付け調査を行ない被疑事実を確認すべき義務が存するというべきである。

ところが、被告各新聞社の記者らは、杉並署の捜査官による前記発表に際し、原告ら被疑者が被疑事実を認めているのか、弁護人が選任されているのかについて確認し、弁護人を介して原告の主張を確認するなど、その被疑事実の存否についての責任ある調査を何ら行なわないまま、前記発表事実をそのまま真実と認めた過失により、事実に反する前記各記事をそれぞれ自らの発行する新聞に掲載したものである。

(二)  政治家や高級公務員のように国家・社会に大きな影響を与える人物が、職務に関して犯した犯罪は別であろうが、一市民の犯したとされる犯罪について被疑者の実名を報道する必要性はまったくない。前記のとおり、いったん被疑者として報道された者の名誉、信用の回復は、後日その嫌疑が晴れたとしても、ほとんど不可能となってしまうのであるから、報道機関は有罪が確定するまで、少なくとも一審において有罪判決が出るまでの間は、犯罪報道を匿名で行なうべきであって、後に、当該犯罪事実が誤りであると判明した場合、敢えて実名によりこれを報道した者は、過失の存否にかかわりなく責任を負うべきである。

原告に関する前記被疑事実についても、匿名で報道すれば十分に用を足すものであったにもかかわらず、被告各新聞社は、読者の興味を引きつけ自紙の売上を伸ばそうとする商業主義的動機から、いずれもどぎつい見出しを付して原告の実名を(被告毎日及び被告産経は顔写真まで掲載して)報道したものである。

このように必要性がないにもかかわらず、敢えて実名により誤った犯罪事実の報道を行った被告各新聞社は、過失の存否にかかわりなくその責任を負うべきである。

7  杉並署の捜査官の新聞記者らに対する前記発表行為、被告各新聞社の前記記事掲載行為により、原告は、その名誉を著しく毀損され、友人・知人との付き合いにも支障をきたし、自ら営んでいた貸金業の営業上も損害を被ったほか、貸金業者の団体役員から解任されるなど種々の不利益を被ったものである(なお、原告の妻子も同様の不利益を被った。)。以上を慰藉するに足る額としては一〇〇〇万円が相当であり、被告らはこれを賠償すべき義務がある。

8  よって、原告は、被告東京都に対しては国家賠償法一条一項による、被告各新聞社に対しては不法行為による、それぞれ損害賠償請求権に基づき金一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為のなされた日以降の日である昭和五七年五月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告東京都)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は認める。

ただし、新聞記者に対して発表した原告の被疑事実の具体的内容は、原告主張と異なる。

3 同3の事実は知らない。

4 同4の事実は否認する。

5 同5及び7については、いずれも争う。

(被告各新聞社)

1 請求原因1ないし3の事実は、いずれも認める。

ただし、新聞記者に対して発表した原告の被疑事実の具体的内容は、原告主張と異なる。

2 同4の事実は否認する。

3 同6及び7については、いずれも争う。

三  抗弁

(被告東京都)

1 杉並署員は、昭和五六年四月一七日、婦人服地販売業を営む寛から、原告、野尻及び小泉滋(以下「小泉」という。)を詐欺罪、恐喝罪及び公正証書原本不実記載、同行使罪等で告訴したい旨の申出を受けた。右申出の概要は、以下のとおりである。

(一) 寛は、萬吉を保証人として、昭和五七年一一月一五日に二〇〇〇万円、同月二一日に一〇〇〇万円を、それぞれ事業資金として小泉の仲介により野尻から借り入れた。

(二) 寛はその後、小泉から「金利の低い都市銀行から融資を受けるために必要な書類だ。」とか、「銀行に見せるだけだから。」などと申し向けられたことから、それを信用して萬吉名義の土地一三筆分の権利証を手渡したところ、右土地に極度額合計九〇〇〇万円の根抵当権を無断で設定された。

そして寛は、野尻らに「右根抵当権を抹消してやる。」とか「競売するぞ。」などと言われ、約六九〇〇万円の現金を脅し取られたが、結局右抵当権の登記を抹消してもらえなかった。

(三) 原告及び野尻は、昭和五五年五月一三日、寛及び萬吉がエヌ・ケーに対して何ら債務を負っていないにも関わらず、右両名の知らない間に、前記公証人役場において、情を知らない公証人をして右両名が合計四四一八万六二七〇円の債務を負うことを内容とする債務弁済契約公正証書を作成させた。

2 杉並署では、右申告事実が金銭の貸借などに係る民事問題と複雑に絡んでいることから慎重に捜査を進めることとし、取り敢えず寛及び萬吉らの取調を行い、その供述の信用性を吟味するほか、関係者の取調及び証拠資料の収集などにより裏付け捜査を行なうなどの捜査方針をたて、同署刑事課長代理警部佐藤雅勝(以下「佐藤」という。)らが本件の捜査に従事することになった。

佐藤らは、寛、萬吉、同人の妻山道みちゑ(以下「みちゑ」という。)及び小泉らの取調を行なうとともに、寛、萬吉及び原告らの取引銀行、青森地方法務局八戸支局等に対し各種照会を実施するなどの捜査を行った。

その結果、以下の事実が判明した。

(一) 寛が、昭和五四年一一月一五日に二〇〇〇万円、同年一一月二一日に一〇〇〇万円をエヌ・ケーから借りていること。

(二) 寛が小泉から銀行に見せるだけだからと言われて、萬吉名義の土地一三筆分の権利証及び印鑑登録証明書を同人に手渡していること。

(三) エヌ・ケーが根抵当権者となって右土地に極度額合計九〇〇〇万円の根抵当権が設定されていること。

(四) 萬吉は、前記合計三〇〇〇万円をすべて返済しているにもかかわらず、野尻及び小泉らから右根抵当権の実行をたてに「金を出さなければ売り飛ばす。」とか「息子の商売ができなくしてやる。」などと脅迫されて、現金及び約束手形合計約六九〇〇万円を脅し取られていること。

(五) 被疑者の一人である小泉自身が、本件公正証書作成当時、寛及び萬吉には残債がなく、約七〇〇〇万円の過払になっており、本件公正証書は、原告と野尻とが勝手に作成したでたらめなものであると供述したこと。

(六) 寛及び萬吉が、原告に本件公正証書作成の代理権を付与したことがないこと。

3 寛、萬吉及びみちゑは、昭和五六年一〇月二六日、弁護士相原英俊を同道して杉並署を訪れ、右三名を告訴人とし、原告、野尻及び小泉を被告訴人とする告訴状を提出し、杉並署員はこれを受理した。

右告訴の罪名は、詐欺罪、公正証書原本不実記載、同行使罪及び恐喝罪であり、告訴の事実は以下のとおりであった。

「被告訴人三名は、ともに金融ブローカーであるが、衣料品販売業を営む寛がその営業のための資金繰りに窮し、融資斡旋を小泉が行なってくれるものと信頼していることを奇貨として、右資金繰りの協力を装って青森県八戸市の資産家である寛の父萬吉の資産に目をつけ、多額の金員を喝取しようと企て、共謀のうえ、昭和五四年一一月一五日に二〇〇〇万円、同月二一日に一〇〇〇万円の合計三〇〇〇万円を、野尻が代表取締役をつとめるエヌ・ケーを貸主とし、萬吉を連帯保証人として、寛に貸しつけたが、

(1)  その頃、小泉、野尻は青森県八戸市内のホテル内において萬吉に対し既製の根抵当権設定契約書用紙を示し、「相手方に見せるだけだ、抵当権を設定するわけではないから、署名しろ。」等と欺罔して、根抵当権設定契約書二通を騙取した。

(2)  小泉は、昭和五四年一二月五日ころ、寛に対し、「エヌ・ケーから借りた金は高利だから銀行から金を借りてそれで返済した方がいい、実家のお父さんの土地権利証と印鑑証明証を俺に預ければそれを銀行に見せるだけで金が借りられる。」と偽って、寛から萬吉名義の土地登記済権利証一三通及び印鑑証明書を騙取した。

(3)  昭和五五年一月一四日、同年一月二三日、青森地方法務局八戸支局において、根抵当権設定登記申請をするに際し、右騙取した根抵当権設定契約書及び土地登記済権利証、印鑑証明書を真正に成立したもののように装って添付のうえ一括して提出行使し、情を知らない同所登記官をして、右申請書に基づき、同日、同所備付の不動産登記簿に前記根抵当権設定がなされた旨不実の記載をさせたうえ即時これを同所に備え付けさせて行使した。

(4)  小泉、野尻は、前記三〇〇〇万円の債権について昭和五五年一月二四日に三六〇〇万円を取り立て、全額回収済であるにもかかわらず、前記根抵当権をたてにとり、昭和五五年一月五日から同年一一月一七日までの間に合計一七回にわたり、告訴人らに「金を出さなければ物件を競売する、寛の商売が出来なくなる。」などと脅迫し、かつ強談威迫し、畏怖困惑した告訴人らから現金合計六三八〇万円及び約束手形二通(額面合計六〇〇万円)、さらに印鑑証明書、念書を喝取した。

(5)  小泉は、昭和五五年六月ころ、萬吉に対し、寛から「銀行に口座を設けてやる。」等と欺罔して提出させた白地小切手二通を示して、「これに署名しないと家屋敷はどうなるか分からんぞ。」と脅迫し、もって畏怖した同人をして右白地小切手に裏書をさせて、後日額面二〇〇〇万円及び五〇〇万円の小切手として完成させ、原告がその架空の債権の履行を求めて強制執行をかけるなどして、もって財産上不法の利益を得た。

(6)  昭和五五年五月一三日、杉並公証人役場において、公証人岡田良平に対し、寛が野尻の経営にかかるエヌ・ケーに対し、何ら債務を負担している事実がないのに、寛がエヌ・ケーに対し、合計四四一八万六二七〇円の債務を負担し、萬吉をその連帯債務者とする債務弁済契約が成立した旨虚偽の申立をし、その際原告はまったく告訴人らから代理権を授与されていないにもかかわらず、寛、萬吉両名の代理名義を冒用し代理人として右虚偽の申立をし、よって同日、同所において情を知らない右岡田良平をして債務弁済契約公正証書の原本にその旨不実の記載をさせ、代理資格をもってこれに署名した。」

4 佐藤及び杉並署知能犯捜査係長警部補小山昭勝(以下「小山」という。)らは、右告訴受理後も寛、萬吉及びみちゑ、その他関係者の取調を引き続き行なうとともに、前記根抵当権設定登記申請を行なった司法書士及び不動産屋からの事情聴取、青森地方法務局八戸支局、八戸市内のホテル及び杉並公証人役場に対する再度の照会、右公証人役場に提出された本件委任状の筆写などの裏付け捜査を継続した。

さらに、佐藤らは、事件解明のため捜索差押許可状に基づいて、昭和五七年二月八日、原告の自宅兼事務所、野尻及び小泉の各自宅について、それぞれ捜索差押を実施した結果、原告の自宅兼事務所から現金出納帳二冊、貸付元帳三冊、日記帳二冊、「山道寛、父親萬吉保証、紹介小泉滋、仲介NK事務所野尻健介」と題する貸付金一覧表(以下「貸付金一覧表」という。)、「内金弐阡五百万円入金に関する念書及び精算書」(昭和五五年四月一六日付のもの、以下「本件精算書」という。)などの証拠物を押収した。

5 杉並署の捜査官の実施した前記捜査の結果を総合すると、以下の事実が判明した。

(一) 寛及び萬吉は、昭和五四年一月九日、野尻及び小泉の仲介により原告から一六〇〇万円の融資を受けた際、あらかじめ印刷された不動文字を除いて何らの記載のない公正証書作成嘱託用の委任状を署名・捺印のうえで交付しており、同年二月一〇日、右借入金を全額返済したので右委任状の返却を重ねて要求したが、原告及び野尻はこれに応じなかった。

(二) その後も寛は、原告及びエヌ・ケーから数回事業資金の融資を受けたが、昭和五五年五月一三日までにはいずれも全額を返済しており、まったく債務を負担していなかったにもかかわらず、原告及び野尻は、本件委任状が手元にあることからこれを悪用して萬吉及び寛を連帯債務者とする本件公正証書を作成し、根抵当権の実行をたてに多額の金員を領得することを企て、原告は野尻の依頼に応じて前記委任状の空欄部分に、野尻が偽造した本件精算書に基づき、エヌ・ケーが寛及び萬吉に対しあたかも真正な債権を有するかのような内容虚偽の委任状を作成した。

(三) 原告及び野尻は、昭和五五年五月一三日、偽造した前記委任状、萬吉及び寛の印鑑登録証明書、本件精算書などの書類を準備したうえ、意を通じて杉並公証人役場に赴き、本件公正証書作成を申請するにあたり、公証人岡田良平に対し本件委任状を示して行使した。そして、原告は萬吉及び寛から代理権を授与されていないにもかかわらず、萬吉及び寛の代理名義を冒用し、寛がエヌ・ケーに対し合計四四一八万六二七〇円の債務を負担し、萬吉を連帯債務者とする内容の債務弁済契約が成立した旨虚偽の申立をし、よって情を知らない右公証人をして本件公正証書の原本に不実の記載をさせ、同所に右原本を備え付けさせた。

(四) 原告らの寛らに対する融資は、月六パーセントにのぼる高利であったうえ、利息を二重取りしたり、特約がないのに複利計算を行なったり、別途仲介手数料を取っていたほか、貸付金額を上回る額面の小切手を担保として受領し、貸付金の返済を受けた場合でもそれを返還せずに取り立てに回すなど、あらゆる手口を使った悪質な内容のものであった。

(五) また、野尻は、市川某から預かっていた土地買収資金を費消し、その返済に窮していた小泉と共謀して、昭和五四年一二月一九日原告からの借入金の返済に充てるものと寛を騙して株式会社盛和(以下「盛和」という。)に対し融資を申し込ませ、実際に貸し付けを受けた八九〇万円全額を交付させ領得したが、原告はこれら野尻及び小泉の行為を了知していた。

(六) 以上のとおり、原告は野尻及び小泉とともに寛と接触を続けているうち、同人及びその父萬吉が法律に疎く、萬吉が青森に多くの資産を有していることに目をつけ、その資産を喰い物にして金銭を取得することを企てて計画的犯行に及んでおり、今後も本件公正証書記載の債権を含め、一億円を超える債権の取り立てが予想された。

6 杉並署の捜査官は、原告と野尻について、共謀して有印私文書偽造・同行使罪、公正証書原本不実記載・同行使罪を犯したことを、小泉については横領罪を犯したことを被疑事実として、逮捕状を請求しその発付を受けて、昭和五七年四月二四日、右三名をそれぞれの被疑事実により逮捕し、同月二六日には、東京地方検察庁検察官に送致した。

なお、前記告訴事実のうち、一部解明不十分な点については、さらに補充捜査を行なったうえで追送致する予定であった。

7 杉並署副署長軽部慎男(以下「軽部」という。)は、昭和五七年四月三〇日、本件が善良無知な田舎の資産家を騙して喰い物にするという極めて悪質な事案であり、今後の同種事犯の再発防止という観点から、これを公表して一般市民に注意を喚起する必要があり、一部報道機関からも既に取材を受けていたこともあって、前記捜査の結果判明した事実をまとめて、報道機関に対して広報することとした。

軽部から指示を受けた佐藤は、警視庁新宿署内の第四方面記者クラブにおいて同クラブに加盟している各報道機関に対し、原告ら三名の顔写真を提供したうえ、原告に関しては、「Y(寛)と父親連名の白紙委任状を提出させ、これを悪用して四四〇〇万円の架空債権を内容とした公正証書を作成した。これらの内容によって更に、約一億円の債権があるとして取り立てようとしている。」旨発表した。

8 佐藤の行った報道機関に対する右広報行為は、公共の利害に関する事実に係り、もっぱら公益を図る目的のもとになされたものである。

また、右により公表された事実は、重要な部分につき真実性が存するか、少なくとも公表にあたった杉並署員において、前記関係者の供述及び証拠物の分析など捜査の結果から、これを真実であると信じるにつき相当な理由があったものというべきである。

したがって、右広報行為は違法性、故意・過失を欠くものであって、不法行為は成立しない。

(被告各新聞社)

1 被告各新聞社がそれぞれの発行する新聞において掲載した本件各記事は、未だ公訴提起に至らない犯罪行為に関する事実を内容とするものであるから、公共の利害に関する事実に該当し、これについての報道は、国民の知る権利に奉仕し、世人に警告を与えて類似犯罪の発生を未然に防止する効果を有するものとして、もっぱら公益を図る目的のもとに行なわれたものである。

2 本件各記事は、捜査当局が原告らを有印私文書偽造、同行使罪の容疑で逮捕・送検した事実を捜査当局の発表にかかる具体的な被疑事実を摘示して報道したものであり、その限りで記事の内容は、いずれも真実である。

また、本件各記事の摘示した原告に関する被疑事実の内容自体も真実である。

3 佐藤は被告各新聞社の取材記者らに対し、公式の記者会見の場で、事件の概要を記載した杉並署作成にかかる「地方の資産家を喰い物にした金融ブローカーを検挙」と題する別紙五記載の発表文(以下「本件発表文」という。)及び原告らの顔写真を配布したうえ、本件記事の内容となった原告の被疑事実などについて発表を行なっており、被告各新聞社の取材記者らも、その場で佐藤に対し事実関係の確認のための質疑応答を行なったほか、軽部に対しても確認取材を行なっている。

したがって、被告各新聞社の取材記者・編集担当者は、信頼すべき立場にある捜査担当者作成の文書の交付、公式発表という確実な資料に基づき、その範囲内で本件記事の掲載・報道を行なったものであるから、仮に本件記事の内容となった事実が真実でなかったとしても、それを真実であると信じるについて相当な理由があり、そこに過失がなかったものというべきである。

4 本件記事の見出し、その他の表現は、前記公式発表の内容に即した相当なものであって、何ら問題はなく違法性を有しない。

四  抗弁に対する認否

(被告東京都の抗弁について)

1 抗弁1の事実は知らない。

2 同2の事実は知らない。ただし、捜査の結果、(一)ないし(六)の各事実が判明したという点については否認する。

3 同3のうち、寛、萬吉及びみちゑによる告訴状の提出並びに杉並署員による受理の事実は認め、告訴事実の具体的内容については知らない。

4 同4のうち、原告、野尻及び小泉の自宅において捜索差押許可状に基づき捜索差押が実施され、各証拠物が押収された事実は認めるが、その余の事実は知らない。

5 同5の事実は否認する。

6 同6のうち、原告、野尻及び小泉が各被疑事実によって通常逮捕され、検察官に送致された事実は認め、その余の告訴事実について追送致する予定であったことは知らない。

7 同7のうち、杉並署員が昭和五七年四月三〇日、新聞記者に対し、原告らの顔写真を提供して、原告らの逮捕と被疑事実を発表した事実は認める。その余は知らない。

8 同8は争う。

(被告各新聞社の抗弁について)

1 抗弁1は争う。

2 同2のうち、原告の被疑事実が真実であるとする点は否認し、その余は争う。

3 同3のうち、佐藤が記者会見の場で発表文と原告らの顔写真を配布し、原告の被疑事実などについて発表を行なったことは認め、被告各新聞社の取材記者らが確認取材を行なった点については知らない。その余については争う。

被告各新聞社の記者らは、原告ら被疑者が被疑事実を認めているか否かについての確認をとっておらず、自ら弁護人に対する取材などの方法により被疑者側の言い分を把握することも怠っている。したがって、警察の発表した事実を真実であると信じたことについて過失があったものというべきである。

4 同4は争う。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

同2の事実のうち、杉並署の捜査官が新聞社の記者らに対し、原告ら三名の顔写真を交付したうえ、逮捕の事実及びその被疑事実について発表した点については、当事者間に争いがない。

二  請求原因2の事実のうち、その余の点(発表された被疑事実の具体的内容)及び同3の事実(被告各新聞社との間では争いがない。)について判断するに、<証拠>によれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

1  杉並署刑事課長代理警部佐藤により、昭和五七年四月三〇日、警視庁新宿警察署内の第四方面記者クラブにおいて、同クラブ所属の記者らに対し、被告各新聞社主張のとおりの内容の本件広報文が配布され、これに従った発表がなされた。

佐藤は、右記者らからの質疑に答えるという形で、右広報文に記載されている事実のうち原告の被疑事実は「更にYと父親連名の白紙委任状を提出させ、これを悪用して四四〇〇万円の架空債権を内容とした公正証書を作成した。これらの内容によって更に約一億円の債権があるとして取り立てようとしている。」という部分であること、右広報文記載のほか公正証書原本不実記載・同行使罪も原告の逮捕罪名であることなどの説明を付け加えた(以下「本件記者発表」という。)。

2  いずれも同クラブ所属の記者らは、右発表内容を直ちに被告各新聞社に連絡し、被告各新聞社は、もっぱら右発表内容を情報源として、それぞれ本件各記事を作成し、原告主張のとおり各社発行の新聞紙面に掲載した。

なお、右広報文冒頭部分には、「小泉、野尻は、原告と共謀し、萬吉が青森県の資産家で法律に弱いことに目をつけ、寛の面倒をみる等と巧みにもちかけ多額の金をしぼり取っていた」旨の記載があり、右記載だけから判断すると、これに続く具体的被疑事実のいずれについても、その共謀に原告が関与していると解される余地がないではないが、右佐藤の説明によって、被疑事実のうち原告の関与している部分が右広報文2後段の記載事実に限定されることが、明らかにされたというべきである。

三  ところで、一般に、名誉毀損に該る行為があっても、それが公共の利害に関わるもので、もっぱら公益を図る目的のもとになされた場合にあっては、摘示された事実の真実性が証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、その事実の真実性が証明されなくとも、その行為者において当該事実が真実であると信じるについて相当な理由があるときには、右行為には故意または過失がなく、結局不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

本件記者発表は、原告ほか二名の逮捕の事実並びに犯罪行為に該当する逮捕罪名及び具体的被疑事実並びにこれに関連する事実をその内容とするものであるから、原告の名誉を毀損する行為であることは明らかというべきであるが、同時に、右発表内容は、公訴提起前の犯罪行為に関するものであるから、公共の利害に関する事実ということができ、法秩序の維持にあたる捜査当局として、もっぱら公益を図る目的でしたものと推認するのが相当である。

そこで、以下において、右発表内容となった事実の真実性、ないしは、それが真実であると信じるについての相当な理由があったか否かについて判断する。

四  <証拠>によれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

1  寛は、自ら経営する婦人服地販売の会社の資金繰りが思わしくなく、新たな資金の借入先を探していたところ、野尻及び小泉の仲介によって、昭和五四年一月九日、原告から一六〇〇万円の貸付を受けた。野尻及び小泉の両名は、以前から仲介手数料などの報酬を得て、金融業を営む原告に対する融資先の紹介にあたるほか、あわせて融資先の資力調査などにも関与しており、右貸付に先立ち、原告の依頼に応じて寛の父萬吉及び母みちゑの住む青森県八戸市に赴き、同人と面談するなどして資力調査を行なった。野尻は、右調査の結果、萬吉の有する不動産が少なくとも一〇億円以上の価値があるものと評価していた。

寛は、一六〇〇万円の右借入時に、寛及び萬吉が署名捺印した公正証書作成嘱託に関する委任状(定型の書式を用いたもので、右署名捺印以外は空欄のもの)を原告に交付した。右借入金は、その後返済されたが、寛は引き続いて野尻ないし小泉の仲介により、原告から資金の借入、返済を繰り返し、右委任状は寛に返還されないまま、原告ないし野尻が所持していた。

2  原告は、同年八月ころから、野尻から寛への融資の話を持ち込まれても、形式的には、寛に対する直接の貸付を行なわず、依頼された金額を野尻に対して貸し付けることとし、野尻は、その全額を同一の利息(月利六パーセント)で寛に貸し付けていた。しかし、野尻自身に資金力はなく、寛や原告から別途仲介手数料やリベート名下に金員を取得するだけで、原告も結局は寛に貸し付けるという目的のもとに野尻に資金を提供しているに過ぎなかったから、実際上、野尻は、原告・寛間の貸付の仲介者的な役割を果たし、小泉は寛への融資依頼の話を野尻に持ち込むという関係にたっていた。

3  寛及び萬吉は、銀行借入金の返済に充てるために、野尻に三〇〇〇万円の融資を申し込んだところ、昭和五四年一一月一五日二〇〇〇万円が萬吉の銀行口座に振り込まれ、不足分については、みちゑから重ねて融資を求めたため、同月二一日に一〇〇〇万円が送金され、それぞれ、その貸付を受けた。

寛による野尻からの借入金の返済は、野尻に直接、または小泉を介して行なわれており、右合計三〇〇〇万円の貸付以降、寛及び萬吉から野尻及び小泉に対して弁済として支払われた金員の合計は約一億円にのぼった。寛が、昭和五五年四月一六日、萬吉から送金を受けて野尻に支払った二五〇〇万円も、右金員のうちの一部であった。

なお、この前後、小泉及び野尻は、東京から八戸市に頻繁に赴き、抵当権の実行をほのめかして、萬吉及びみちゑに貸金の返済方を執拗に要求していた。

4  寛は、昭和五六年四月ころ、杉並署に対し、原告、野尻及び小泉を詐欺、恐喝、公正証書原本不実記載などで告訴したい旨の申出をした。その申出の要旨は、小泉の仲介により野尻から昭和五四年一一月に三〇〇〇万円の融資を受け、これを完済したが、預けていた萬吉所有土地の権利証を悪用されて無断で抵当権を設定されたこと、右権利証や融資の際に担保として交付してあった寛振出の小切手の返還を拒絶され、さらに金員の支払いを要求され脅迫されていたこと、このため結局約六九〇〇万円が過払となってしまっていること、知らないうちに不実の債権を内容とする本件公正証書が作成されてしまったことなどを訴え出たものであった。さらに昭和五六年一〇月二六日、萬吉、みちゑ及び寛は、被告東京都主張のとおりの告訴事実により、原告、野尻及び小泉を告訴し、右告訴は同日杉並署によって受理された。

5  右申出を受け、捜査責任者となった佐藤は、配下の杉並署の捜査官を指揮し、八戸で根抵当権設定登記の申請を行なった司法書士の取調、萬吉とみちゑとが脅迫されたという八戸のホテルに対する野尻及び小泉の宿泊状況の照会、小泉の作成にかかる領収書、送金伝票の写し、寛及び萬吉の預金口座の出入金状況との対照・確認などにあたらせ、萬吉または寛からの弁済のための送金が約一億円にのぼることを確認した。

また、寛に指示して本件公正証書作成に用いられた寛及び萬吉署名の委任状(<証拠>、以下「本件委任状」という。)を公証人役場で筆写させ、これを提出させたが、その内容は、

「原告を代理人と定めて公正証書作成嘱託に関する一切の権限を委任する。債権者エヌ・ケーは債務者萬吉、寛に対し、昭和五四年一一月一五日 三〇〇〇万円 同年一二月一九日 一〇〇〇万円 同年一二月二四日 五〇〇万円 昭和五五年一月二四日 一一〇〇万円 同年三月二日 五〇〇万円を、いずれも返済期限一か月後として貸し渡した。

同年四月一六日二〇〇〇万円の返済があったので、これを元本に組み入れた残元本四一〇〇万円とその金利及び立替金等債務合計三一六万六二七〇円の合計四四一八万六二七〇円が本件債務である。」

というものであった。

6  また佐藤ら杉並署の捜査官は、昭和五七年二月八日、令状を得て原告の自宅兼事務所、野尻及び小泉の各自宅並びに盛和の事務所を捜索して、原告の自宅兼事務所から貸付元帳、日記帳、貸付金一覧表、本件精算書(<証拠>)等、寛に対する貸付の関係書類を押収したが、その記載内容は以下のとおりであった。

(本件精算書の記載)

(一) 本件公正証書の原因証書となった本件精算書は三枚綴りであり、その一枚目は表紙として「昭和五五年四月十六日内金弐阡五百万弁入金に関する念書及精算書」等の表題の記載があり、二枚目には、

「昭和五五年四月一六日に萬吉から送金された二五〇〇万円についての精算・充当の内容として

(1)  原告からの借入金

<1> 昭和五四年一一月一五日貸付二〇〇〇万円

<2> 同日貸付一〇〇〇万円

<3> 昭和五五年三月二日貸付五〇〇万円

以上に関し、右<1>ないし<3>に対する昭和五五年三月一六日から四月一六日までの利息二一〇万円、元本一〇〇〇万円、残元本二五〇〇万円に対する一か月分の利息一五〇万円、合計一三六〇万円を原告に支払う。

(2)  盛和からの借入金

<1> 昭和五四年一二月一九日貸付一〇〇〇万円

<2> 同月二四日貸付五〇〇万円

<3> 昭和五五年一月二四日貸付一一〇〇万円

右<1>ないし<3>に対する昭和五五年同年三月一六日から四月一六日までの利息一五六万円、元本一〇〇〇万円、残元本一六〇〇万円に対する一か月分の利息九六万円、合計一二五二万円を盛和に対し支払う。」

との記載があり、三枚目上段には、

「原告及び盛和に支払う合計二六一二万円の不足分一一二万円はエヌ・ケーが立替えて支払うものとする。」

との記載と野尻の筆跡による「債務者山道寛」の住所・氏名の記載があった。

(二) さらに、三枚目中段以下には、エヌ・ケー野尻宛てとして、

「本日内金返済に持参した二五〇〇万円が上記のとおり支払精算される事を承認し、上記債務以外にエヌ・ケー野尻に対し別途三一八万六二七〇円の立替金債務の存在することを承認する。」

との記載と寛自身の筆跡による「債務者山道寛」の氏名の記載があった。

(三) また、末尾には、「立会人小泉滋代理人大村博」の署名が記載されていたほか、右「債務者山道寛」の各署名下の捺印、三枚の各用紙の契印には山道名の同一の印章が用いられていた。

(貸付金一覧表の記載)

原告作成の貸付金一覧表は、表題として「山道寛 父親萬吉保証 仲介小泉滋 仲介NK事ム所野尻健介」との記載のあるもので、昭和五四年一月九日から昭和五五年四月一七日までの寛に対する直接の融資と寛への転貸目的による野尻宛ての融資について貸付額・返済額・融資残高を貸付元帳から拾い出して一括して整理したものであった。

昭和五四年一一月一五日より前の貸付については、すべて返済されていたから、同日時点での融資残高はゼロであり、それ以降の貸付・返済に関する記載は以下のとおりとなっていた(いずれも一覧表上の貸付の記載順)。

<1> 昭和五四年一一月一五日 一〇〇〇万円貸付

<2> 同月二一日 五八〇万円貸付、翌一二月六日返済

<3> 同年一二月七日 五〇〇万円貸付

<4> 同月三日 一七〇万円貸付、同月二九日返済

<5> 同月一二日 五〇〇万円貸付

<6> 同月一八日 三〇〇万円貸付

<7> 同日 二〇〇万円貸付

右<1>、<5>及び<6>の金利を元本に組入

<8> 二一日 三〇〇万円貸付、同月二九日返済

<9> 同月二五日 四五〇万円貸付

<10> 同月三一日 五〇〇万円貸付

昭和五五年二月九日及び一三日返済

<11> 昭和五五年一月一四日 三〇〇万円貸付、同月二四日返済

<12> 同年二月一五日 五〇〇万円貸付

<13> 同年四月一七日 野尻持参により一〇〇〇万円返済

同日までの金利及び五月一五日までの金利計三五七万円入金、融資残高二四五〇万円

<14> 同日 五〇万円貸付

「担保小切手が二五〇〇万なので差額貸付」融資残高二五〇〇万円

(貸付元帳の記載)

原告作成の貸付元帳も、やはり寛に対する直接の貸金のほか、野尻が寛に融資する分として借り受けたものを、寛宛ての貸金として一括整理したもので、貸付・返済の都度記入する形態をとっており、前記貸付金一覧表の貸付<1><5><6>に対応する記載は、以下のとおりであった。

(1)  昭和五四年一一月一五日の貸付

金額一〇〇〇万円、期日一月一五日、金利後払

(2)  同年一二月八日の貸付

額面五〇〇万円、金利二一万円前払、実際の貸付額は四七九万円、期日一月一五日

(3)  同月一八日の貸付

金額三〇〇万円、期日一月一五日、金利は決済時に入金

(日記帳の記載)

原告の金融業に関する営業上の日々の事項を細かに書き留めた原告作成の日記帳には、

(1)  昭和五四年一月二七日欄

「無権代理人が二人ででかけてどうなるか、山道の親父が法律を知って居れば直接送金するのだが、野尻氏金をもらったら自分の口座に送金するからと、面白い事をする人達だと憶う、御二人共腹に一物、背中に荷物の人達だから」

(2)  昭和五四年九月四日欄

「野尻氏…山道の小切手にて一〇〇万融資依頼有り、…小泉の処に行くかもと憶いながら貸し出す」

(3)  同年一二月一二日欄

「野尻氏に五百万融資す、小泉の小切手を落すためなり」

(4)  同月一八日欄

「昨日野尻氏五〇〇万小切手を小泉に渡す。市川に返済するものなり、その決済を本日伊藤さん(盛和)の処で小泉、山道同道融資を行う」

との各記載がなされていた。

(エヌ・ケーの債権明細表の記載)

前記捜索後、野尻より杉並署に提出された野尻作成にかかる債権明細表(以下「債権明細表」という。)には、エヌ・ケーから寛及び萬吉に対する貸付・返済額などが記載されており、前記各押収書類などと対照して分析・検討を加えたところ、

(1)  昭和五四年一一月一五日の貸付額は三〇〇〇万円となっていたが、右貸付金の二か月分の前払利息(月利六パーセント)、仲介手数料(五パーセント)、その他、同月一四日の貸金四〇〇万円の返済、利息及び礼金、ないしは旅費名下に九九四万八〇〇〇円を差し引き、萬吉に送金した額は二〇〇〇万円となっており、残余については預り金として計上していた。

(2)  同年一一月二一日に一〇〇〇万円の貸付、萬吉に送金となっていた。

(3)  同年一二月一八日には額面五〇〇万円の小切手を預かり、翌日返済の約束で同額の貸付となっていた。

(4)  同月一九日には、盛和に寛、小泉を呼び借入関係書類を入れ、一〇〇〇万円を一か月切替で融資させ、前日借り入れた五〇〇万円の返済を受けたことになっていた。

(5)  同様にして、同月二九日に五〇〇万円、昭和五五年一月二四日に一一〇〇万円を盛和から借り入れて寛に貸し付けたものとなっていた。

(6)  前記貸付金一覧表に記載のある

<3> 昭和五四年一二月七日 五〇〇万円

<5> 同月一二日 五〇〇万円

<9> 同月二五日 四五〇万円

以上の貸付について、いずれも債権明細表上に記載がなく、

<4> 昭和五四年一二月三日 一七〇万円

<8> 同月二一日 三〇〇万円

以上の貸付金の返済期日は、貸付金一覧表の記載と異なる同月三一日となっていた。

7  佐藤ら杉並署の担当捜査官は、昭和五六年四月の寛による当初の申出以降、引き続き告訴人ら関係者の取調を行なった。

(一)  寛の右取調における供述内容は以下のとおりであった。

(1)  昭和五四年一月九日、一六〇〇万円の貸付を受けた際、公正証書作成嘱託用の委任状を原告に交付したが、右借入金返済後にその返還を要求したにもかかわらず、原告及び野尻はこれに応じなかった。

(2)  野尻から同年一一月一五日と同月二一日に合計三〇〇〇万円の貸付を受けたが、その後、野尻及び小泉から、右借入金は原告からの資金によるもので高利であり、もっと金利の安い他の者から借り替えた方が有利である旨申し向けられ、同年一二月一九日、盛和まで連れて行かれて融資の紹介をされた。右両名は、盛和から借り入れた八九〇万円を原告に返済すると称して、そのまま全額を持ち帰ってしまった。

同様にして、盛和から、同月二四日に五〇〇万円、昭和五五年一月二四日に一一〇〇万円の融資を受けたが、その借入金は、いずれも原告への返済に充てるという説明を信じて、右両名に交付した。

(3)  野尻及び小泉に対しては、銀行を信用させるために必要だという説明を受け、萬吉所有土地の権利証を交付していたほか、資金借入の都度、担保のために小切手を署名のうえ交付していたが、債務完済に足る金額を支払ってから後も、両名はその返還に応じず、なお度々金員の支払を要求してきた。

昭和五五年四月一六日には、前記権利証、小切手などの返還に応じるための一切の解決金として右両名から二五〇〇万円を支払うよう要求されたので、萬吉から送金を受けて野尻に二五〇〇万円を支払うこととなった。

その際、野尻から白紙の用紙一枚を示され、その中段部分以下に本件精算書の後半部分(前記(二))を筆記し、署名するよう要求された。

野尻の説明は、右支払によってエヌ・ケーに対する債務は完済になるというものだったから、別途三一八万六二七〇円の立替債務を承認する右記載内容には不服であったが、その場より小泉に架電すると、小泉は、野尻と小泉との間の問題として自ら決着をつけるから心配する必要はなく、署名して構わないと申し向けてきたので、それまでなかなか応じてもらえなかった前記権利証などの返還への期待もあって、野尻のいわれるままに自ら筆記し署名した。

(4)  ところが、右支払、本件精算書への署名後も、前記権利証ないし小切手などは野尻から返還されないままで、小切手に関しても別途取立にまわされていたうえ、寛及び萬吉に無断で本件公正証書を作成され、それに基づいて原告、野尻及び盛和から引き続き金員の支払を厳しく請求された。

そのほか、寛は、「右(1) で交付したもの以外には小泉、野尻ないしは原告に公正証書作成用の委任状を交付したことはないこと、野尻の求めに応じて、右(3) の筆記、自署をした際、本件精算書前半部分(前記(一))の記載はなく、かかる補充が予定されている旨の説明も受けなかったこと、日常的な業務においても捺印には実印を使用しており、本件精算書の捺印に使用されている印章には見覚えがないこと」などを供述した。

(二)  本件精算書末尾に署名のあった大村博(以下「大村」という。)に対する取調も行なわれたが、大村は、「寛が本件精算書の前半部分の記載のない白紙の用紙に後半部分の記載を筆記し、署名したが、捺印はしなかった」旨供述した。

(三)  萬吉に対する前記取調における供述内容は以下のとおりであり、みちゑの供述もほぼ同趣旨のものであった。

(1)  昭和五四年一一月一五日、寛が野尻から三〇〇〇万円の融資を受ける際、自ら署名した白紙委任状、印鑑登録証明書を野尻及び小泉に交付した。その際の野尻らの説明では、萬吉が保証するだけで足り、担保をつける必要はないということであった。

(2)  同年一二月初旬ころ、銀行から金を借りる際に、信用させるため見せる必要があると小泉から申し向けられ、その要求に応じて所有土地一三筆分の権利証を交付したところ、昭和五五年二月に至り、それまでの説明に反して無断で右土地に根抵当権が設定されていることが判明した。

(3)  昭和五五年一月中旬には、野尻及び小泉から八戸のホテルに呼び出され、家屋敷の処分をほのめかして脅され、内容も説明されないまま差し出された紙二枚に、有無をいわせず署名させられた。後になって、それが額面二〇〇〇万円と五〇〇万円の寛振出の小切手の裏書であることが分かったが、それまで小切手を取り扱ったことがなかったため、署名の際は、その意味を理解できなかった。

(4)  同年三月ころ、原告から電話で、寛に対する貸金の返済を要求されたほか、直接代理人を派遣してきて直ちに二五〇〇万円を支払うよう請求された。

(5)  同年四月中旬には、三〇〇〇万円ですべてを解決するという小泉の言を信じ、八戸信用金庫から融資を受けて、三〇〇〇万円を寛に送金した。

しかし、その後も野尻、小泉及び大村らから脅迫を受け、金員の支払を執拗に求められ、同年七月三〇日には小泉に九五〇万円を支払った。

なお、萬吉は、「昭和五四年一月ころ、事業資金借入に必要であると寛から要求され、公正証書作成に関する委任状を署名捺印のうえ送付したが、それ以外に同様の委任状を作成し、原告、野尻ないし小泉に交付したことはないこと、本件公正証書は原告が萬吉の代理人となって嘱託しているが、原告を代理人として選任したことはなく、野尻にその選任を委ねたことはないうえ、本件公正証書作成当時、エヌ・ケーに対する債務は完済し過払の状態であったから、本件公正証書の作成は自らの意思に反するものであること」なども供述した。

(四)  小泉の前記取調における供述内容は以下のとおりであった。

(1)  市川不動産から土地買収を依頼され手付金名下に一〇〇〇万円を受領していたが、そのうちの五〇〇万円を費消してしまい、昭和五四年一二月一八日までに返済するよう迫られていたため、その対応に苦慮し、野尻に相談をもちかけた。野尻は、寛に盛和を紹介して融資を受けさせ、その金員をもって右返済に充てることを提案したが、同日までに融資を受けるのに必要な書類などを準備できなかったから、取り敢えず野尻において振り出した小切手でもって市川不動産に対する返済を行い、寛が盛和から融資を受け次第、右小切手の借入分の決済に充てることにした。

(2)  翌一九日、野尻とともに寛を盛和の事務所まで連れて行って融資を受けさせ、原告からの借入金の返済に充てると称して右盛和からの借入金八九〇万円を寛から騙取し、その全額を野尻が持ち帰ったが、うち五〇〇万円は前日の小切手借入分の返済を名目として取得したものであった。

そのほか、小泉は、自ら作成した計算書などの根拠を示して、「寛及び萬吉の野尻に対する債務は昭和五五年二月時点までに完済されており、七〇〇〇万円余りの過払状態が生じていたこと、したがって、本件公正証書が実体に反した内容のものであること」などを供述した。

8  原告及び野尻は、有印私文書偽造・同行使罪及び公正証書原本不実記載・同行使罪により、小泉は横領罪により、昭和五七年四月二四日、それぞれ逮捕され、検察官に送致後勾留された。

原告は、逮捕後の取調において、本件公正証書作成の嘱託につき野尻の依頼に応じて寛及び萬吉の代理人となったこと、本件委任状の空白部分を前記のとおり本件精算書にしたがって補充したこと、その際寛及び萬吉の了解をとっていないことなどを認めたが、他方、原告及び盛和から資金の提供を受けて寛に貸し付けたもの、野尻自身による立替金がそれぞれ本件精算書記載の金額だけ存在するから、本件公正証書記載のエヌ・ケーの債権は不実のものではないし、本件委任状も寛及び萬吉が融資を受ける際に公正証書作成嘱託に関して債権額、嘱託代理人などの事項を白紙のままで交付しているから、原告による右補充の内容は委任の趣旨に反するものではないなどと主張し、逮捕罪名の被疑事実について終始否認していた。

また、野尻も逮捕後の取調において、逮捕の理由となった前記被疑事実につき原告と同様に否認するとともに、本件精算書に関して、寛は予め記載されていた前半部分を承認したうえで後半部分を筆記、署名・捺印したものであり、本件公正証書作成に用いた本件委任状は昭和五四年一一月一五日の貸付の際、寛及び萬吉から受領したものである旨弁解していた。

9  佐藤ら杉並署の担当捜査官は、以上の捜査結果を踏まえ、

(一)  寛及び萬吉の昭和五四年一一月一五日及び同月二一日のエヌ・ケーからの借入金合計三〇〇〇万円は、既に完済され約六九〇〇万円が過払となっており、本件精算書、本件委任状、これに基づいて作成された本件公正証書に記載の寛及び萬吉の債務は不実のものであること。

(二)  野尻及び小泉は、共謀のうえ、寛が昭和五四年一二月一九日、盛和から借り入れた八九〇万円(額面一〇〇〇万円)を騙取したこと。

(三)  野尻は、本件精算書の三枚目後半部分を寛に筆記させ署名させた後、実際にはエヌ・ケーが融資したものではない右盛和からの借入金についてもエヌ・ケーの債権とするなど前記不実の記載を含んだ二枚目及び三枚目前半部分をほしいままに書き加え、自ら用意した印章を用いて寛の署名・捺印を冒用したこと。

(四)  原告は、本件精算書の記載が実体と異なるもので、これに従って本件委任状の補充をなして、寛及び萬吉の代理人として本件公正証書作成の嘱託を行なうことは、本件委任状交付の趣旨に反して権限踰越の行為となること、公正証書に不実の記載をなさしめることになることを知りながら、野尻の依頼に応じて前記内容の補充をなし、これを公証人に示し自ら寛及び萬吉の代理人として本件公正証書作成の嘱託を行なったこと。

(五)  原告や野尻らは、本件公正証書に基づく金員の請求のほか、交付を受けたまま債務完済後も返還に応じない寛、萬吉署名の小切手額面合計四五〇〇万円について、別途小切手債権の存在を主張し、その請求をしかねないから、本件公正証書記載の遅延損害金(右記載債務の弁済期は昭和五五年五月一六日、遅延損害金の定めは年三割である。)ないしは、寛と野尻・原告間の貸借において定められた利息(月六分)をも併せると、一億円程度の債権を主張し、取り立てようとしていること。

以上の各事実が認められるものと判断し、杉並署の広報責任者である軽部に報告した。

軽部は、野尻及び小泉にかかるものと併せ、原告の右被疑事実及び関連事実を報道機関に対して発表することが相当であると判断し、佐藤に指示を与えて、本件広報文を作成・配布させ、本件記者発表にあたらせた。

五  そこで、前示本件捜査の経緯、その結果得られた各証拠資料などに照らし、杉並署の担当捜査官において、本件記者発表の内容のうち、原告に関する被疑事実、これと関連する事実を真実であると信じるについて、相当の理由があったものか否かについて検討する。

1  まず、寛のエヌ・ケーからの借入金は、本件公正証書作成時までに完済されて約六九〇〇万円が過払となっており、本件精算書及び本件公正証書記載の債権が実際には存在しないものと判断した点について検討する。

確かに、債権明細表上は、昭和五四年一一月一五日の時点で、エヌ・ケーから寛に対する貸付残高が六五〇万円ある旨、同日の二〇〇〇万円の貸付についても、利息や従前の貸付分の返済名下に一〇〇〇万円を天引した結果の金額であって、本来の貸付額は三〇〇〇万円である旨、同月二一日の一〇〇〇万円の貸付は右と別口なものである旨、さらに、盛和からの借入金という本件精算書上の記載に対応して三口の貸付を実施した旨(ただし、前記のとおり、昭和五四年一二月二四日貸付の五〇〇万円については、同月二九日貸付の記載となっている。)それぞれ記載があり、そのほかにも小口の貸付金、利息の立替などの名下で融資金を計上してあって、逐次融資残高が累増しているから、寛がエヌ・ケーから借り入れた金員は三〇〇〇万円にとどまらず、いまだ完済に至っていない(証人野尻健介もその旨証言するものである。)のではないかという疑義をさしはさむ余地がないではない。

しかしながら、昭和五四年一二月一九日に盛和から借り入れた八九〇万円(利息天引前の額面上は一〇〇〇万円)に関しては、被欺罔者たる寛の前記供述、寛に対する欺罔行為、騙取した金員の自己用途の費消を自認する小泉の前記供述のほか、右借入金の使途、野尻との間の五〇〇万円の小切手の授受・決済といった事実に対応する債権明細表及び日記帳上の記載を総合すると、これを野尻及び小泉において騙取したものであると判断する(前記三9(二))について相当な理由があったものと認められるから、右借入金は、本来盛和と寛との間の貸借であり、かつ本来ならば、エヌ・ケーにたいする借入金の返済とされ(野尻からは、原告からの借入金の返済に充てられ)るべきであって、債権明細表上、エヌ・ケーから寛に対する貸付金として不当に計上したと解することのできるものである。

また、本件精算書については、後半部分の寛の自署のほか、前半部分には野尻の筆跡による寛の署名も併記されており、体裁としては不自然とみざるを得ないところがあったこと、その捺印・契印とも寛の実印による印影と異なっていたこと、寛の前記供述と内容的に符合する大村の前記供述などを総合すると、寛による署名後、野尻がほしいままに三枚目の前半部分を加筆して自ら署名・捺印するとともに二枚目を加えて契印したものと判断する(前記三9(三))についても相当な理由があったものというべきである。

そして、盛和からの借入金の騙取、本件精算書作成の経緯に関する右判断からみると、その余の本件精算書記載の債権、これに対応した債権明細表の記載について、さらに次のとおり疑いを抱き、信用性を欠くものと断じたとしても無理からぬところがあったということができる。

すなわち、同年一二月二四日(債権明細表上は二九日)及び昭和五五年一月二四日の盛和からの借入金に対応する貸付に関しても、寛は、前記借入金と同様の経緯によるものであって、いずれも原告への返済に充てる(寛とエヌ・ケー間ではエヌ・ケーに対する債務の返済となる。)という説明を信じて野尻及び小泉に交付したと供述しているのであるから、本件精算書及び債権明細表上、エヌ・ケーから寛に対する貸付金として計上し、右金員に対応した額だけ、エヌ・ケーに対する債権額が返済により小さくなっていないのは、やはり不実、不当な記載とみることができる。

さらに、昭和五四年一一月一五日の貸付及び同月二一日の追加貸付に関する前記認定の経緯からすると、債権明細表上、同月一五日の三〇〇〇万円の貸付金からの天引の名目となっている利息、仲介手数料その他諸経費について、寛ないし萬吉が、これを債権の元本に組み入れることを了解していたとは認め難いし(ちなみに貸付元帳上、同日の貸付の記載は、前記のとおり、利息後払となっている。)、同月一四日の貸付金四〇〇万円についても、真実寛において右借入金が存したものかは疑わしく、まして、同月一五日の貸付金から右四〇〇万円を天引きすることにつき寛ないし萬吉が了解していたとは認められない。したがって、同年一一月一五日、二一日の貸付額は、それぞれ二〇〇〇万円、一〇〇〇万円とみるのが相当であり、このうち二一日の一〇〇〇万円の貸付金については、債権明細表上も、同年一二月六日に全額が返済されたことになっているから、その時点での融資残高は二〇〇〇万円になったとみるべきである。

また、昭和五五年三月二日の五〇〇万円の貸付に関しても、債権明細表上の同日の記載は、二月一四日の五〇〇万円の小切手借入につき利息及び礼金として原告に四〇万円を支払い、三月三一日までその支払を猶予するという趣旨のものしかなく、内容的には本件精算書の記載と一致しておらず、かかる借入を否定する寛の前記供述に照らすと、これも現実に寛に対して貸し付けられたものかは疑わしいものである。

以上のとおりであって、債権明細表上の記載は、実態と符合しない何らかの操作を加えることによって、融資残高を累増させていた疑いを払拭できず、その他、立替金などの名目で融資額に組み入れられている項目、寛からの返済金額など、その記載全般の正確性について疑問を抱いても当然といえるものであるから、右記載を信用して、寛及び萬吉からの一億円に及ぶ弁済金が野尻に支払われていないと判断すべきものとは解し難く、債務の完済、過払の事実を結論づけたとしても相当な根拠があったといい得るものである。

2  次に、本件委任状を補充し、寛及び萬吉の代理人として本件公正証書の作成を嘱託した際、原告が右各記載の債権が虚偽・不実のものであることを了知していたものと判断した点について検討する。

貸付元帳、貸付金一覧表上、昭和五四年一一月一五日に寛への転貸を目的として原告が野尻宛てに貸し付けた金員は一〇〇〇万円のみであり、昭和五五年三月二日には貸付の記載はなく、本件精算書の記載(右各日に三〇〇〇万円、五〇〇万円が寛に貸し付けられたことのみならず、原告が右資金の提供者として特定されている。)との間にはあきらかな齟齬があり、本件精算書記載の野尻の寛に対する貸付金は資金的な裏付を欠くこととなるから、その実体に疑問を抱いてしかるべきこと、貸付金一覧表上、寛への転貸目的による野尻宛ての貸付金と記載されているものに関し、原告作成の日記帳上には、前示のとおり、右金員が現実に寛の手に渡らず、小泉らによって費消・着服されていることを認識していると推認することのできる記載が存在すること、殊に前記盛和からの八九〇万円の借入の経緯については、前日の野尻・小泉間の額面五〇〇万円の小切手の授受、市川不動産への返済という借入金の実際の使途など、小泉の前記供述に沿ったその詳細を知悉していることを窺わせる記載が認められることなどを総合すると、本件精算書記載の債権は、そのいずれについても、現実には寛に貸し付けられていないか、あるいは既に返済の終わっているものまで含めた不実の記載であることを原告が了知していたと判断するだけの相当な理由があったというべきである。そして、本件精算書に従って本件委任状を補充し、本件公正証書作成の嘱託をした原告は、有印私文書偽造・同行使、公正証書原本不実記載・同行使の各罪を犯したという十分な嫌疑があったということができる。

さらに、額面合計四五〇〇万円の小切手が原告ないし野尻に交付されており、債務の完済後も別途、小切手を取り立てにまわしている旨の寛の前記供述及びこれまでに認定したところから、原告が今後、併せて一億円程度の債務の取立を試みようとしていると判断したことについても相当な理由があったものとみることができる。

3  これに対し、原告は、本人尋問において、次のとおり供述する(前記取調における供述も同旨のものと認めることができる。)。

(一)  野尻は、原告以外の第三者(盛和もその中の一人である。)からも資金の提供を受けて寛に融資を行なっていたから、本件精算書、債権明細表の記載と貸付元帳、貸付一覧表の記載とに不一致が存しても矛盾はない。

(二)  昭和五四年一一月一五日に野尻から寛へ転貸するための三〇〇〇万円の融資を依頼されたが、手元不如意から一〇〇〇万円しか貸し付けられず、不足分二〇〇〇万円は野尻において別途調達した資金とあわせて寛及び萬吉に三〇〇〇万円を貸し付けた。右不足分二〇〇〇万円については、順次野尻に貸付を実行しており、貸付金一覧表上も、本件精算書作成直後の昭和五五年四月一七日時点における野尻に対する融資残高は二五〇〇万円となって、本件精算書の記載の債権額と結局は一致しており、不実のものではない。

(三)  前記日記帳の記載は、当時小泉が、小切手を振り出したり、自宅を担保に供して自ら借入を受けるなどして、寛の資金調達に全面的に協力していたもので、寛に対する貸付であっても、現実には小泉が受領して、それまで融通していた小切手の決済資金などにあてることも多かったから、その旨の具体的な使途を記載したに過ぎない。

しかしながら、貸付金一覧表上、金額・時期からみて野尻に対する前記不足分二〇〇〇万円の貸付なるものに対応する記載は認められないし、原告から野尻に対して昭和五四年一一月中に貸し付けられた金員としては二一日の五八〇万円の記載があるに過ぎない(この点は、右不足分の借入、資金提供は、同年一一月中に完了していたとする証人野尻健介の証言とも矛盾する。)。

加えて、原告本人尋問の結果により、寛及び萬吉の了解を得ることなく行なわれたことの明らかな、昭和五四年一二月一八日の利息の元本組入(貸付元帳の前記記載と対照すると、貸付時に前払済である利息や利息支払期限の経過前である利息を元本に組み入れており、その発生自体を合理的に説明できるものではない。)など、貸付金一覧表中には、恣意的に金額を操作したとみるほかない記載が存在するのであり、同一覧表の記載内容は、概して信用性に乏しいものとみなければならない。

前記昭和五四年九月四日欄「小泉の処に行くかもと憶いながら貸し出す」という日記帳の記載についてみれば、その表現からして、たんに、寛の了解を得、寛のために小泉が立て替えておいた金員の決済にあてたという趣旨とは、にわかに解し難いところであって、その余の日記帳の記載についても、右記載と併せて勘案すれば、寛の用に供されておらず、寛に対する貸付とみることのできないものを表記したものと解するのが相当であり、この点に関する原告の前記供述も採用し難い。

結局、貸付金一覧表の融資残高と本件精算書中の原告からの借入金の記載とは金額において一致しているものの、このことを本件精算書ないしこれに基づいて作成された本件公正証書記載の債権が実体に合致していることの根拠とすることはできず、日記帳の記載を含め、前示の判断の相当性を覆すものとはいえない。

4  証人野尻健介は、前記昭和五四年一二月一八日の盛和からの借入金につき、小泉が他から従前自己名義で寛のために融資を受けていた借入金の返済に充てたと証言するのであるが、右証言は、具体的な使途について首尾一貫したところがなく、寛及び小泉の前記供述並びに、同日の原告作成の日記帳の記載に照らしても、にわかに採用し難い。

同証人は、同年一一月一四日の貸付についても、寛振出の小切手を担保にして高橋克巳から融資を受けており、右小切手の決済資金にあてるという小泉の求めに応じて貸付を実行したと証言する(債権明細表にも、これに沿った記載がある)が、前記認定の盛和からの借入金の実際の使途などと比較すると、右金員が寛のために借り入れられたという証言をそのまま信用することはできない。

さらに、同証人は、本件精算書作成の経緯に関し、寛が前半部分の記載を承認したうえで、自ら後半部分を筆記し、署名・捺印したものであるとも証言する(前記取調における供述の内容も同旨のものと解される。)が、本件精算書の体裁と、これに対応する寛及び大村の前記供述に照らすと、やはり採用し難く、いずれも前示の判断を左右するものとはいえない。

5  寛は、自ら筆記した本件精算書の後半部分の内容自体、存在しない残債を認めるもので不本意ではあったが、必要書類を返還すると約束した野尻の言を信用して、いわれるままに用紙上段の空白を残して筆記・署名したものと供述しているのであるから、寛自身が筆記した本件精算書の後半部分に「上記のとおり支払精算される事を承認し、上記債務以外に…」など前半部分の記載内容を前提とした文言の記載があっても、前示の作成経緯に照らして特段不合理なものとはいえない。その他、寛の供述に関し、その信用性を疑わせるような事情があるとはいえない。

小泉の前記供述は、盛和からの前記借入金について、自己の用途に費消したことを自認したうえ、野尻との共謀、騙取の経過などを明らかにするものであって、自己の罪責を一方的に他人に転嫁するようなものではないから、その信用性に疑いを抱かせるような特段の事情があるとはいい難い。

また、萬吉は、昭和五五年四月八日付の念書<証拠>により、同月一六日までに借入金のうち三〇〇〇万円を、残債務については一か月内に、それぞれ返済する旨約している事実が認められるものの、<証拠>によれば、当時、萬吉は、権利証の返還や抵当権の抹消に応じてもらおうと思って、やむなく小泉の要求に応じ寛に右金員を送金したに過ぎないものと認められるから、これをもって直ちに、真実三〇〇〇万円余の債務の存在を承認していたとは解されない。

6  杉並署の捜査官は、前記認定のとおり、寛に指示を与え、杉並公証役場において本件委任状を筆写させ、その写しを証拠資料として提出させたが、<証拠>によれば、右写しは公正証書嘱託用委任状の定型書式が用いられていた本件委任状の原本を必ずしも忠実に筆写しているものではなく、不動文字部分が欠落したものであったから、通常の委任状用紙に原告がすべて手書で補充をなし、公正証書作成嘱託用に利用したものと解して本件捜査にあたっていたものと認めることができる。

しかしながら、右委任状の形式自体は、本件委任状に不実の債務の記載をなし、その旨本件公正証書の作成嘱託をなしたか否かという、原告の前記被疑事実の成否とは直接の関連を有するものではなく(本件委任状が寛及び萬吉から、野尻ないし原告に交付された時期についても、同じことがいえる。)、仮に右の点において誤解があり、正確な委任状の謄本の取寄に手段を尽くさなかったとしても、それだけでは前示の判断に落度があったということはできない。

また、<証拠>によると、本件の捜査の結果によっても、債権明細表と貸付金一覧表との不一致につき、その理由の未解明な部分が残されており、野尻に対する債務の返済として一部寛ないし萬吉から小泉が受領した金員が、実際に野尻に支払われたか否かについても、やはり未解明のままのものが存したことを認めることができる。そうすると、寛と野尻との間の貸付、返済の時期及び金額の明細について、必ずしもそのすべてが正確に把握されていたとはいえないが、既に述べたところから、寛において、少なくとも六九〇〇万円程度が過払の状態にあり、本件公正証書記載の債権が不実のものであったと判断するについて、なお十分な根拠があったということができ、右の点が直ちに前示判断の相当性に影響を及ぼすものではない。

7  以上によれば、杉並署の捜査官による前記被疑事実、その他関連事実についての認定判断は、寛、萬吉、みちゑ、大村及び小泉ら関係者の供述、並びに原告自身が作成した貸付金一覧表、貸付元帳、日記帳上の記載、野尻作成の債権一覧表などに根拠をおくもので、これは真実であると信じるについて相当な理由があったと認めるのが相当である。

これに反する原告の前記供述、証人野尻健介の証言、その他、右3以下、で検討した点は、いずれも右認定判断の合理性を覆すに足りるものとはいえず、その他に、前記認定を左右するに足りる証拠はない。

したがって、本件記者発表については、これを担当した杉並署刑事課長代理警部佐藤において故意及び過失がないものであるから、結局、不法行為は成立せず、被告東京都に損害賠償の責任はないというべきである。

六  次に、被告各新聞社の不法行為の成否について判断する。

1  本件各記事記載の事実が、公訴提起前の犯罪行為に関するものであることは、前示のとおりであって、これが公共の利害に関する事実に該当することは明らかというべきであり、かつ、その内容及び表現からみて、本件各記事の掲載行為も、もっぱら公益を図る目的のもとに行われたものと認めることができる。

右各記事が、いずれも、もっぱら本件記者発表及びその際に実施された取材記者との質疑応答の結果に基づいて作成され、紙面に掲載されたものであり、そこで摘示されている事実も右発表において配付された本件広報文の記載事実及び佐藤により口頭で説明された内容と概ね一致するものと認められる(もっとも、右各記事のうちには、行為者の特定にあたり、たんに「小泉ら」と表示し、正確を欠くものがないではないが、右表示がただちに原告自身の具体的行為として表現されているわけではなく、これをもって不法行為を構成するものということはできない。)。

このように、犯罪捜査にあたる警察署の捜査官が、捜査結果に基づいて判明した被疑事実を記者発表の場などで公にしたような場合には、その発表内容に疑問を生じさせるような事情がある場合は格別、そうでない限りは、当該事実を真実と信じたとしても相当な理由があるというべきである。すなわち、右のような公式の発表があった場合、取材にあたる報道機関としては、捜査機関が広範な権限を駆使して捜査活動を行い、証拠資料など十分な根拠に基づき(反対証拠などとも比較勘案したうえ)当該被疑事実につき相応な確信を得て発表に及んだものと受け止め、それを真実であるとして報道を行なったとしても無理からぬものがあるのであり、原告主張のように、常に事実の真偽について独自に調査・確認することを義務づけることは、相当でない。

したがって、被告各新聞社の本件各記事掲載は不法行為にあたらないというべきである。

2  原告は、通常の犯罪に関して被疑者の実名を、まして、顔写真を添付してまで報道する必要性はないから、当該事実が後に誤りであると判明した場合、敢えて被疑者の実名を摘示・特定して犯罪報道を行なった者は、過失の有無にかかわりなく責任を負うべきであると主張する。

しかしながら、犯罪の報道において、公共の利害に関するものとみなされるのは、犯罪事実自体のみならず、これと一定の関連性を有する事実も含まれ、被疑者の氏名や顔写真が関連性を有しないとまではいえないのであるから、所論は独自の見解というべきで採用できない。

七  以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求は、いずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石垣君雄 裁判官 高野伸 裁判官 吉田徹)

別紙<省略>

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