大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和58年(特わ)349号 判決 1984年8月29日

主文

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、大韓民国籍を有する外国人であつて、東京都新宿区戸山二丁目三〇番一一一〇号(昭和五五年九月当時の住居表示「東京都新宿区戸山町四三番地三〇―一一一〇号」)に居住している者であるが、昭和五五年九月一〇日、同区歌舞伎町一丁目四番一号所在の東京都新宿区役所において、右居住地所轄の同区区長に対し、外国人登録法一一条一項に基づく登録事項の確認申請をするに際し、被告人にかかる外国人登録原票及び外国人登録証明書に指紋を押なつしなかつたものである。

(証拠の標目)

一  被告人の

(1)  当公判廷における供述

(2)  検察官に対する供述調書

一  証人野村進の当公判廷における供述

一  東京都新宿区長作成の外国人登録法違反事件告発書(外国人登録原票写及び登録事項確認(切替)申請書写添付)

一  東京都新宿区長作成の外国人登録証明書の謄本

一  法務省入国管理局管理課作成の外国人登録調査書(外国人登録原票写三葉及び外国人登録写票二葉添付)

一  東京都新宿区長作成の「外国人登録原票写の交付請求について(回答)」と題する書面(外国人登録原票写二葉添付)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、包括して昭和五七年法律第七五号(外国人登録法の一部を改正する法律。以下「改正法」という。)附則五項により同法による改正前の外国人登録法一四条一項(一一条一項)に違反し、改正法附則七項により同法による改正前の外国人登録法一八条一項八号に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(被告人・弁護人らの主張に対する判断)

一弁護人らの主張(以下、弁護人らの主張として掲記するもののうちに被告人の主張を含む。)

弁護人らは、外国人登録法(以下「外登法」という。)一四条において、本邦に一年以上在留する一六歳以上(昭和五七年法律第七五号による改正前の外国人登録法((以下「旧外登法」という。))一四条においては一四歳以上)の外国人が新規登録(三条一項)、登録証明書の引替交付(六条一項)、登録証明書の再交付(七条一項)又は登録事項の確認(登録証明書の切替交付。一一条一項)の申請をするに際し、登録原票、登録証明書及び指紋原紙(旧外登法一四条においては指紋原紙二葉)に指紋を押なつする義務のあることを定め、また、外登法一八条一項八号において、指紋押なつ義務を怠つた者は一年以下の懲役若しくは禁錮又は二〇万円以下(旧外登法一八条一項八号においては三万円以下)の罰金に処する旨定めているのは、憲法一三条、一四条及び三一条に違反し、あわせて、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号。以下「国際人権規約B規約」という。)七条及び二六条にも違反する旨主張し、その理由として要約つぎのように述べる。

1まず前提として、この指紋押なつ制度の立法理由についてみるに、外国人登録事務の主務官庁である法務省の担当者らは、国会等において、『昭和二七年の外登法制定前は写真などによつて同一人性を確認するだけであつたことから、幽霊登録、二重登録などという不正の事態が続出し、実際的にもこれを防止する措置を講じる必要性が強く、結局、外登法においては、登録の正確性を維持し、登録証明書の不正発給や偽造、変造等を防止する必要から、万人不同、終生不変という特性を持ち同一人性の確定の絶対的資料となる指紋を押なつさせるという制度を採用したもの』と説明している。

しかし、その当時の社会情勢等に照らし検討すると、二重登録その他不正な登録の防止ということと、指紋押なつ制度の導入とは現実的に何らの関連性もない。すなわち、戦後、外登法制定のころまでかなり多数みられた二重登録等の不正行為は、その当時、登録しなければ主食の配給が受けられず、食糧事情からすれば飢え死するほかないという切羽詰つた状況にあつたことから、これに困つた者によつてなされていたにすぎず、その後日本における全体的な生活状態の好転で、もはや幽霊登録や二重登録などする現実的必要がなくなり、結局これを行なう者はほとんどいなくなつたのである。したがつて、外登法制定後、二重登録等が減少したのは、右のような現実の情勢の変化によるもので、指紋押なつ制度が導入されたことによるものとは考えられない。また、仮に導入当時には不正登録の防止という役割を果たしえたとしても、現在は右に述べたことからも明らかなように社会情勢の変化で、二重登録など生じる要因がなく、指紋押なつが不正行為の防止のために必要というその存在理由は合理的根拠を欠くに至つている。

更に、制度の目的が同一人性の確認であるならば、登録証明書の引替交付の申請や切替交付の申請などに際し、市町村の当該窓口においては、押なつさせた指紋を保管中の登録原票などに押されている従前の指紋と照合するという同一人性の確認手続がとられているはずであるのに、運用の実態をみるとき、市町村の窓口で行なわれている同一人性の確認は写真と本人の顔の対照のみであり、指紋の対比照合は全く行なわれていない。また、事務手続の準拠として法務省が各地方自治体に配付している外国人登録事務取扱要領にも指紋の採取の仕方については記載があるも、指紋の照合手続や方法などについては全く記載がなく、市町村等の担当職員の研修などにおいても指紋の異同を鑑別するための技術など一切指導が行なわれていない。のみならず、法務省においても、指紋制度が実施されるようになつたのち、しばらくは指紋原紙により指紋の換値分類を行なうなどしていたが、昭和四五年で中止し、昭和四九年八月以降昭和五七年一〇月まで指紋原紙を法務省に送付しないでよいとし、法務省入国管理局登録課において現在実際に指紋関係の事務を担当する職員は二名で、指紋の鑑識技能を有せず、結局、現在のところ、法務省自体としても指紋照合による同一人性の確認をしていない。なお、今日における技術の進歩に照らし、運転免許証におけるようなビニールコーティング、浮出プレスなどを用いれば写真の貼りかえも不能であつて、登録証明書の偽造、変造などを防止することができ、したがつて、同一人性確認の手段として写真が指紋押なつに十分代替しうることが明らかである。

加えて、指紋押なつ制度の導入に際しての国会における大臣の答弁等にもみられるように、この制度は在日朝鮮・韓国人に対する治安対策として考えられたものであり、現実にも市町村で保管中の登録原票は指紋を含め、外国人にかかる犯罪捜査や外国人の動向調査等公安目的のために有効に利用されている。また、登録証明書の常時携帯義務と結びついて、登録証明書の所持人と当該証明書に記載された人との同一人性を確認するために指紋が利用されているといわれているが、このような利用は犯罪の嫌疑・捜査を前提としてのことであり、外国人を危険分子、犯罪予備軍とみる考え方に基づく。

結局、制度の趣旨と運用の実態とは完全にかけ離れ、指紋押なつが同一人性の確認のために必要という説明は、もはや指紋押なつ制度の存在を合理的なものとして根拠づけることができないのは明らかである。

2指紋押なつ制度は、憲法一三条及び国際人権規約B規約七条に違反する。

指紋は、わが国においても、また、外国においても犯罪と固く結びついて意識され、指紋をとられることは、犯罪に関係していると捜査機関から疑われていることを強く意識させられ、周囲もそのような眼でみるのが一般である。そして、このことから、外国人も指紋を押なつさせられたことで、犯罪者でもないのに犯罪者扱いをされたと感じ、大きな屈辱感、不快感を味わされ、深く人格を傷つけられたという感情を抱くことは疑問の余地がない。その意味で、承諾なしに指紋をとられないということが個人の私生活上の自由であり、なんら合理的理由なしに指紋押なつを強制するということは、個人の尊厳を傷つけ、また、「品位を傷つける取扱い」をしたことにあたる。

また、指紋は、個人識別の最も有効な手段であつて、個人についての様々な情報のうち最も価値の高いものの一つとして、一個のプライバシーにあたり、その意味でも、国家権力によつてみだりに侵害されないことを憲法上保障されているというべきである。

結局、「指紋をみだりに採取されない権利」は、個人の尊厳を規定した憲法一三条の保障する権利であり、外国人から指紋を強制的に採取する外登法上の指紋押なつ制度は、前記1で明らかなとおりこれを維持すべき合理的根拠が全く存在しないから、なお「より制限的でない他の選びうる手段」として写真を用いることが可能であることにも照らし、まさに人権侵害として憲法一三条に違反し、かつ、国際人権規約B規約七条にも違反し、無効である。

3指紋押なつ制度は、憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反する。

判例においても、憲法による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、外国人に対しても等しく及ぶものと認められている。そして、もとより、外国人に対する人権の制約の検討にあたつては、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものかどうかを厳密に検討しなければならない。また、外国人の人権を考えるにあたつて、国民と外国人を二元的に分けその法的地位が絶対的に違うとの考え方は妥当ではなく、単にその国家に属するかどうかだけを基準にするのではなく、外国人の実態にあわせてより多元的にとらえることが必要である。とりわけ、日本社会における外国人をみると、その圧倒的多数が韓国・朝鮮籍であり、その九割以上が二世、三世などであつて、ほとんどが日本語を話す、あるいは日本語しか話せず、日本式の生活をずつとしており、税金などの様々な社会的負担も日本国民と全く同一に負担し、完全に日本社会の構成員となつているのであるから、このような実態を無視して、国民と外国人とに単純に分けることは許されない。

外国人登録は、外国人の居住関係及び身分関係を明確にするためのものであるところ、日本国民の場合、居住関係及び身分関係を明らかにするものは住民基本台帳法に基づく住民票及び戸籍法に基づく戸籍である。そして、外国人登録にあたつては指紋押なつを強制されるが、住民票や戸籍関係の届出に際しては一切指紋はかかわりがなく、また、外国人登録法上の義務に違反した場合の制裁は大部分が刑事罰であるのに、住民基本台帳法の場合は大部分が過料で、刑事罰は重大な義務違反に限られ、戸籍法の場合もそのほとんどが過料である。すなわち、外国人は、指紋の押なつ義務及びこれを拒否した場合の刑罰に関し、日本国民と明らかに異なる取扱いを受けているのである。

そこで、本人の承諾なしに指紋を採取されない権利が「権利の性質上、日本国民のみを対象としているものと解されるもの」であるかどうかを考えるのに、すでに明らかにしたように実際の運用において同一人性の確認のために指紋を使うことなく、捜査等のために警察が利用しているという制度の実態からすれば、外登法上の指紋押なつ制度を維持すべき合理的理由がなく、その意味で指紋の採取に関し日本国民と外国人とを区別する理由はないというべきである。すなわち、指紋押なつ制度は、なんらの合理的理由がないにもかかわらず、外国人を日本国民と差別するものであつて、法の下の平等を規定した憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反し、無効である。

なお、本件について具体的に考えてみても、わが国に完全に定着し、社会的生活関係が日本国民と実質的に差異のない定住外国人に対しては、その生活の実態に則したふさわしい処遇を行なうことが国際法上わが国の責務であり、その定住外国人の一人である被告人に対し日本国民と区別して指紋の押なつを強制することは、右責務に反するものとして本来的に許されないことというべきである。

4指紋押なつ制度は、憲法三一条に違反する。

憲法三一条は適正手続を保障するものであつて、その趣旨に照らし、刑罰規定を設けるにあたつては、実質的な処罰の必要と根拠が十分かつ明白に認められることを要すると解されるところ、前記のとおり運用の実態において指紋は同一人性の確認のために使われていないのであるから、かかる使われない指紋については押なつを拒否しても、これを刑罰をもつて処罰する実質的な必要がないというべきであるし、その根拠も肯定できない。

また、憲法三一条に照らし、刑罰法規が適正であるためには、罪刑の均衡が要請される。しかるに、指紋押なつ拒否に対する罰則は、住民基本台帳法や戸籍法に定める届出義務違反等に対する制裁が過料であるのに対比して、著しく重い。加えて、指紋押なつ拒否の罪により懲役又は禁錮刑に処せられ、執行猶予の言渡を受けなかつたときは、出入国管理及び難民認定法二四条に基づき国外退去を強制される可能性もあり、この点からも右罰則は重過ぎるというべきである。

以上要するに、指紋押なつ拒否に対する処罰を定める外登法一八条一項八号は、実質的な処罰の必要と根拠を欠き、かつ、罪刑の均衡を失しているので、憲法三一条に違反し無効である。

二  当裁判所の判断

1(一)  まず一般的に考えて、指紋についても、これが個人を識別する身体的特徴であることに照らし、一個のプライバシーとして、何人もみだりにその意に反して指紋を明らかにすることを求められない権利を有するというべきである。すなわち、弁護人ら主張のとおり、国家権力の行使にあたり合理的理由がないのに個人の指紋の押なつを強制することは、私生活上の自由を保障する憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。また、指紋はその特性から犯罪捜査と固く結びつき、社会生活上指紋の押なつを求められるのは犯罪と関連しての場合が通常であることから、指紋の押なつを強制されたときは、犯罪捜査とかかわり合いがない場合であつても、その者が不快感――指先に墨を塗られること自体余り愉快なことではない――ないし屈辱感をおぼえ、名誉感情を害されたと感じるのが一般と認められる。してみると、正当な理由も必要もないのに指紋の押なつを強制することは、個人の尊厳を傷つけるという意味でも憲法一三条に違反し、かつまた、その強制の手段ないし方法によつては、国際人権規約B規約七条にいう「品位を傷つける取扱い」に該当する場合もあると考えられる。

(二)  次に、同じく一般的に考えた場合、憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解される。したがつて、指紋の押なつに関しても、みだりにその意に反して指紋の押なつを求められない権利が右(一)でみたようにプライバシーの一個として憲法一三条の保障の及ぶものと解されることにも照らし、外国人も日本国民と同じくこの権利を享有することができ、もし合理的な理由なくこの点で差別的な取扱いを受けたときは憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に反すると解すべきこと、弁護人ら主張のとおりである。

2そこで、以上の前提に立ち、指紋の押なつにかかわる外登法上の諸規定(被告人の判示所為に適用すべき旧外登法の規定を含む。)について検討するのに、法務省入国管理局長作成の「外国人登録法上の指紋押なつ制度について」と題する書面(以下「法務省回答書」という。)、弁護人提出の参考資料(公判廷に顕出された弁書一号証ないし五〇号証のほか、弁護人らの各意見書や弁論要旨等に添付された各種資料を含む。以下同じ。)中の各法務委員会会議録写、更には公刊されている各種文献などによれば、外登法上の指紋押なつ制度の立法理由ないし制度の趣旨は、つぎのようなものといわれている。

外登法は、本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的として制定された法律であるところ、在留外国人の居住関係や身分関係を正確に把握するためには、その前提として登録されるべき外国人を誤りなく特定して登録し、かつ、在留する個々の外国人と登録されている人物との同一人性を確認しうることが重要であるが、外国人にあつては、その属する国の法制の違いもあつて、氏名、生年月日などの身分事項が日本国民ほど明確でなく、とりわけわが国への密着度の少ない外国人の場合など、その同一人性を確認することが容易でなく、その確認のために確実な方法が必要である。この点、指紋は、万人不同・終生不変という特性を有し、同一人性を確認するうえでは絶対的な資料となるものであり、しかも同一の指紋を新たなものと前回のものとの間で対照することにはさほど専門的な技術を要せず肉眼で可能であり、必要なときには最終的には鑑識により指紋を照合し、同一人性の有無を確定しうる有効な手段である。なお、外登法上も、同一人性の確認のいま一つの手段として顔写真の提出を義務づけている(三条一項、六条一項、七条一項、一一条一項)が、写真の場合、容貌は年令や髪型によつて変化することもあり、他人の空似という事例もあり、写真そのものが傷んでくるという面もあつて、顔写真のみでは同一人性の確認が正確さに欠けることがある。結局、指紋押なつ制度は、外国人登録の正確性を維持するとともに、登録証明書の不正発給や偽造、変造を防止するため、今のところ必要不可欠なものである。すなわち、以上のように立法理由ないし制度の趣旨が説明されている。

また、指紋押なつ制度の導入の経過や実際の効果などについても、法務省回答書、弁護人提出の各参考資料などをみるに、外国人登録事務の主務官庁である法務省の担当者らは、国会の審議の際などにおおむねつぎのような説明をしている。すなわち、もともと外国人登録制度は、昭和二二年に外国人登録令の制定によつて発足したが、当初は登録にあたつての人物の特定や、登録証明書の切替え等にあたつての同一人性確認の手段として写真などだけによつていた結果、幽霊登録、二重登録等の不正登録が続出し、また、登録証明書の売り買いやこれに伴う写真の貼り替えや氏名の書替えなどが行なわれ、真実に反した登録証明書が横行するなどしたため、こうした不正を防止し、登録の正確性を維持するため、昭和二七年の外登法制定に際し指紋押なつ制度を導入し、昭和三〇年四月から実施することになり、その結果、その後は登録証明書の偽造、変造、不正利用など激減するに至つている。加えて、登録証明書の常時携帯義務とあいまつて、登録証明書の所持人とその名義人、更には登録原票に登録されている人との同一人性を押なつしてある指紋によつて確認することができることから、この指紋押なつ制度は実際的にも不法入国者や不法残留者の摘発、取り締まりに重要な役割りを果たしており、そのことがひいてはいわゆる密航などを企てる者らに対し大きな抑止的効果を持ち、現実に不法入国、不法残留の行なわれるのを抑止する力を有しているなどとも説明されている。

3右のような立法の理由ないし制度の趣旨に照らせば、外登法上、新規登録、登録証明書の切替交付などに際し、在留外国人に指紋を押なつする義務を課したのは、在留外国人の公正な管理を目的に登録の正確性を維持するため、これを同一人性の確認の手段として用いることにあると認められ、更に右に説明されているような制定の経過、実際の効果などを合わせ考えれば、十分な合理的な理由と実質的な必要性を持つていることが肯定できる。そして、憲法一三条の保障する私生活上の自由も、絶対無制限なものではなく、公共の福祉のため必要のある場合に一定の合理的な制約を受けることは、同条の規定に照らしても明らかである。

してみれば、たしかに外登法上の指紋押なつ制度は、在留外国人にその意に反しても指紋の押なつを強制するものであつて、前記1(一)でみたような個人の指紋につき有する私生活上の自由ないし権利に一定の制限を加えることになるものではあるが、右のような立法目的を前提とする限り、十分な合理的理由と必要とに基づくものであつて、これが憲法一三条に違反するものではないと解される。なお、仮に弁護人ら主張のように今日においては写真の貼り替えなどを技術的に不可能にすることができ、したがつて写真を「より制限的でない他の選びうる手段」として同一人性確認のため指紋押なつに代替させることができるという前提に立つて考えても、指紋押なつについて前記2でみたような採用の理由及び必要性が合理的なものであることに照らせば、このような理由及び必要性とその採用により生じる個人の私生活上の自由ないし権利への侵害の度合とを総合考慮して、指紋押なつの方法を維持するか写真などという代替手段を採用するかは立法裁量の問題にとどまり、代替手段があるということで直ちに指紋押なつ制度が存在根拠を失うものとは考えられない。

以上のほか、押なつの強制の方法についてみても、外登法上、押なつを拒む者に対し直接に物理的な力を加えて押なつさせるなどという手段をとることは許されず、刑罰による間接強制の方法をとりうるのみで、この点においても特に問題はなく、国際人権規約B規約七条に違反するものでないこともいうまでもない。

4一方、外登法上の指紋押なつ制度は、在留外国人に関するものであり、日本国民の場合戸籍法や住民基本台帳法に基づく届出などに際し指紋押なつ義務を課せられていないこととも対比して、在留外国人としては指紋の押なつを求められない自由ないし権利に関し日本国民と異なつた面で制限を受ける結果となつていることも明らかである。

しかし、なお国家の主権の存在を前提として国際社会が構成されている現在、国とのかかわり合いに関し、本邦の構成員である日本国民とその構成員でない外国人との間に基本的地位の違いがあることは否定できず、その意味で、本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確にし、もつて在留外国人の公正な管理に資することを目的とする外国人登録制度を設けたこと自体、法の下の平等の原則に反するものでないことはいうまでもなく、その登録の正確性を維持するため指紋押なつ制度を採用したことも、前記のような立法の理由と必要を前提とする限り、合理的な根拠に基づくものであり、憲法一四条の許容する範囲内にあるものと解することができる。また、憲法一四条に反するものでない以上、国際人権規約B規約二六条に抵触するものでないこともいうまでもない。

5ところで、弁護人らは、前記一記載のとおり、外登法上の指紋押なつ制度の運用の実態は立法の理由ないし制度の趣旨とかけ離れ、在留外国人に押なつさせた指紋を同一人性の確認のために全く使用することなく、外国人にかかる犯罪捜査や動向調査等公安目的のために利用されており、結局、これを維持する合理的な根拠を欠くと主張している。

この点、証人野村進の当公判廷における供述、弁護人提出の各参考資料、わけても同参考資料中の山田貴夫、山田保雄及び亀井靖嘉の裁判官に対する各供述調書写、雑誌「外人登録」三号、一五号及び六一・六二合併号の各部分写等によれば、市町村(東京都においては区。以下同じ。)の窓口において登録証明書の切替交付などを行なう際、その場で直ちに、新たに押なつさせた指紋を保管中の登録原票などに押されている従前の指紋と照合して、同一人性を確認するという作業を行なつていない市町村のかなりあることが窺われ、また、法務省においても、指紋押なつ制度が実施された当初は市町村から送付されて来る指紋原紙について換値分類作業と同一人性確認作業が行なわれていたものの、昭和四五年には換値分類作業が中止され、昭和四九年八月以降昭和五七年一〇月までの間、法務省の通達で市町村からの指紋原紙の送付を省略できることとし、指紋原紙に基づく同一人性確認作業が事実上中断された状態にあつたことも窺え、更には、保管中の登録原票を警察官が閲覧することを許している市町村もあり、その場合原票に押なつされた指紋を犯罪捜査に一定範囲で利用することも可能であり、弁護人らの前記主張は一部裏付けがあるとみることもできる。しかし一方、法務省回答書、弁護人提出の参考資料中の各法務委員会会議録写、亀井靖嘉の裁判官に対する供述調書写等によれば、法務省の担当者らは、国会での審議や、当裁判所の照会に対する回答等において、指紋の照合による同一人性の確認は比較的容易であつて、専門的技能を必要としないという前提で、市町村の職員らにも新旧指紋の照合により同一人性の確認を行なうよう指示、指導していると述べているところ、たしかに当公判廷で取調べた東京都新宿区長作成の「外国人登録原票写の交付請求について(回答)」と題する書面添付の被告人にかかる外国人登録原票写二葉を検討すると、それ自体から同原票に八回にわたつて押なつされた指紋がいずれも同一人すなわち被告人のものであることはほぼ間違いないものと判断でき、その意味では市町村の窓口においても新旧指紋の照合を行なわせていると述べる法務省の担当者らの説明には一応の裏付けがある。また、法務省回答書、弁護人提出の各参考資料等によれば、法務省自体においても、指紋原紙の送付を省略できるとし、指紋原紙を用いての指紋照合を中断した状態になつたのちも、切替交付などにあたり同一人性に問題の生じたような事例については、個別的に指紋照合による同一人性の確認を行なつていたことが窺え、更に、登録証明書を携帯していた者とその名義人ないし登録原票に登録されている人との間の同一人性に疑問の生じたような事例では、指紋による照合がまさにその確認の方法とされて来ていることが認められる。更に、法務省回答書、弁護人提出の各参考資料等によれば、犯罪捜査などにおける利用に関し、外登法違反事件の捜査などにおいては指紋そのものを用いる場合もあり、捜査機関からの照会に対する回答にあたり登録原票写などを送る場合もあると窺えるが、登録原票や指紋原紙に押なつされている指紋の大量的利用、すなわち、犯行現場に遺留された指紋を大量に集められたこれらの指紋と照合し、その中から一致するものを捜し出して犯人を割り出すという、いわば犯罪捜査では一般的な形態での使用は一切許されていないし、現実にも行なわれていないと認められる。

以上要するに、前掲「証拠の標目」挙示の各証拠、法務省回答書及び証人江橋崇、同大沼保昭及び同鄭夢周の当公判廷における各供述並びに弁護人提出の各参考資料を仔細に検討しても、指紋押なつ制度の運用の実態が立法の理由ないし制度の趣旨と全くかけ離れ、制度が他目的のために利用されているという弁護人らの主張については、その主張を裏付ける事実が部分的には存在するとはいえ、単なる推論にとどまる部分も多く、逆に立法目的に沿つて運用されていることを裏付ける事実の存在もかなり見出すことができる。なお、指紋押なつ制度が導入された経過や導入したことによる実際的な効果などに関しても、弁護人らの主張は前記一1掲記のようなものであるところ、法務省の担当者らは前記2掲記のように弁護人らの主張と正反対のことを述べており、弁護人らの主張を裏付ける具体的な資料などみあたらず、ただ、証人大沼保昭の当公判廷における供述や弁護人提出の参考資料中に弁護人らの主張に沿うような推論を述べたものがあるにとどまる。すなわち、この点、弁護人らの主張が基礎としているのは、個別的な証拠に基づく個々具体的な事実ではなく、いまだ解明が十分でない社会的な大量現象ないしこれに対する法社会的考察ないし歴史的評価であると認められる。したがつて、結局、弁護人らの前記主張は極めて部分的にしか裏付けを持たず、その余の大部分は刑事訴訟手続の枠内ではその存否や真否を確定できないいわゆる法社会学的事実やこれに基づく推論ないし評価を前提とするものであつて、こうした議論が立法府において考慮されるのはともかく、司法判断においては考慮に入れる余地がない。のみならず、実際の事実的裏付けを持つ部分、すなわち市町村の窓口での同一人性の確認は写真等のみで行なわれているなどという主張についてみても、前記2ないし4でみたような指紋押なつ制度の合理的根拠すなわち立法の理由と必要とに照らし、仮に右主張されているような事実が立法過程で明らかになつたとしても、直ちに立法の理由ないし必要を否定する根拠にはならないものと考えられる。また、現時点において、立法府が指紋押なつ制度を維持するかどうか検討するとしても、その結論は、当初の立法の際と同じく指紋による同一人性の確認の必要性の度合をいかに考えるかにかかるものと窺われ、右実態を前提として制度を維持することも立法裁量の問題である。すなわち、運用の実態を前提として、外登法上の指紋押なつ制度は少くとも現在では実質的に合理的根拠を欠くに至つているとし、これが憲法一三条及び一四条、国際人権規約B規約七条及び二六条に違反するとする弁護人らの前記主張は、前提においてそのほとんどすべてが失当である。したがつて、その一部肯認できる部分をいかに最大限考慮に入れても、前記3及び4で示したような理由でこの制度が憲法及び国際人権規約B規約の右各規定に違反するものでないとの結論に達した当裁判所の判断に影響を及ぼすには至らない。

なお、弁護人らは(わけても被告人自身も強く)、いわゆる定住外国人、とりわけ日本で生まれ、日本式の生活を行ない、税金などの様々な社会的負担も日本国民と全く同一に負担し、完全に日本社会の構成員となつている在日韓国・朝鮮人の多くに対して、指紋押なつ義務を課するのは、このような生活の実態を無視したもので、憲法一四条に照らし許されるものではないなどと主張している。しかし、この点は指紋押なつ義務の問題である以前に、このような定住外国人に対する外登法の適用と憲法一四条の問題である。たしかに定住外国人を外登法の適用対象から除き、別の法律を適用することも立法裁量の範囲内にあると考えられるものの、前記4でみたとおり国家の存在を前提とする現在では、日本国民と外国人との間に対国との関係においては基本的地位の違いがあることは否定できず、いかに生活の実態を同じくする定住外国人であつても、居住関係や身分関係を明確にすることについて日本国民と異なる規制を受けることはやむをえないことというべく、したがつて外登法を定住外国人に適用することは憲法一四条に反するものではない。そして、定住外国人に外登法を適用するにあたり、指紋の押なつに関してのみ定住外国人とその他の外国人とを分け異なる取扱いをすることにもかなり多くの問題を含み、これまた立法裁量の範囲に属し、結局、定住外国人に対し外登法に基づき指紋押なつ義務を課すことも憲法一四条に違反するものでないことは明らかである。

6最後に、憲法三一条に違反するとの主張について検討するに、外登法上の指紋押なつ制度が、立法目的に照らし、合理的な根拠に基づくものであることは前記3及び4でみたとおりであり、したがつてその実効性を担保するための刑罰を科するかどうか、刑罰を科するとしていかなる種類及び範囲の刑を科するかはまさに立法機関に委ねられた立法政策の問題である。すなわち、外登法一四条の規定に違反して指紋押なつをしなかつた者に対する制裁として、同法一八条一項八号の定める一年以下の懲役若しくは禁鋼又は二〇万円以下(旧外登法一八条一項八号においては三万円以下)の罰金という刑は、戸籍法違反や住民基本台帳法違反に対する制裁に比しかなり重いものであつても、右程度の重さでは、立法として裁量の範囲を超えているとは到底いい難く、したがつて憲法三一条違反の問題を生じる余地など全くない。以上要するに、弁護人らのこの点に関する主張も失当である。

7以上の次第で、弁護人らの前記一掲記の各主張はいずれも理由がなく、これを採用することができない。

よつて、主文のとおり判決する。

(松本時夫 角田進 鎌田豊彦)

《参考》

<①決定理由>

裁判長

法務省入国管理局長作成の「外国人登録法上の指絞押なつ制度について」と題する書面は、本件公訴事実に罰条として適用されるべき外国人登録法の規定が憲法に適合するかどうかについての判断の基礎となる法社会学的事実(いわゆる立法事実)に関する資料であるところ、適用法条である外国人登録法の規定が憲法に適合するかどうかは、法の正当な適用を職責とする裁判所が自らの責任において判断すべき事項であり、その資料もまた、裁判所が必要とする範囲で独自に収集、調査すべきものであつて、本来、その資料については刑事訴訟法上の証拠能力の具備も要せず、また厳格な証拠調べ手続に従つて取調べなければならない性質のものでもないが、右のような趣旨で参考資料とするにあたり、一応公判廷に顕出しておくのを適当と認め、書証として取調べたという形で記録に編綴することとする。

<②決定理由>

裁判長

弁護人らから取調べの請求があつた弁書一号乃至四一号の各証拠〔新聞記事等〕は、いずれも本件公訴事実に罰条として適用されるべき外国人登録法の規定が憲法に適合するかどうかについての判断の基礎となる法社会学的事実(いわゆる立法事実)に関する資料であるところ、適用法条である外国人登録法の規定が憲法に適合するかどうかは、法の正当な適用を職責とする裁判所が自らの責任において判断すべき事項であり、その資料もまた、裁判所が必要とする範囲で独自に収集、調査すべきものであるから、本来、その資料については刑事訴訟法上の証拠能力の具備も要せず、また厳格な証拠調べ手続に従つて取調べなければならない性質のものでもないが、右のような趣旨で参考資料とするにあたり、弁護人請求の右各書証については、これを一応公判廷に顕出しておくのが適当と認められることもあり、書証として取調べたという形で記録に編綴することとする。

裁判長

第一証人田中常雄〔法務省入国管理局長〕、同亀井靖嘉〔同局前登録課長〕の取調請求却下決定に対する異議申立てにつき

〔主文〕

本件各異議申立をいずれも棄却する。

理由は左記のとおり。

〔記〕

一 弁護人の本件各異議申立の趣旨は、裁判所が証人田中常雄及び亀井靖嘉の各尋問を求める弁護人の証拠調請求をいずれも却下したのは、被告人の防禦権の侵害であり違法であるから、右各却下決定を取消し、右両名を証人として採用し尋問する旨決定されたいというのである。

二 そこで、検討するのに、右両名の証人尋問を求める弁護人からの請求は、本件公訴事実に罰条として適用されるべき外国人登録法の規定が憲法に適合するかどうかについての判断の基礎となる法社会学的事実(いわゆる立法事実)に関し供述を求めるためのものであると窺われるところ、適用法条である外国人登録法の規定が憲法に適合するかどうかは法の正当な適用を職責とする裁判所が自らの責任において判断すべき事項であり、その資料もまた、裁判所が必要とする範囲で独自に収集、調査すべきものであるから、その資料の収集は本来事実認定のための手続である証人尋問手続によつて行なうべきものではない。ただ、本件においても、これまで右のいわゆる立法事実に関し意見を述べる者二名を証人として尋問しているが、これはその意見を聴くについて証人尋問という手続を借りたにすぎず、鑑定人尋問の方法によることは別として、これらの者の論文、意見書等が存すれば、弁護人らにおいてこれを参考資料として提出するだけでも十分ということができる。

してみると、田中及び亀井の両名については証人尋問手続によることに対し検察官に強い異議がある以上、右のような性格を異にする証人尋問手続を借りてこれらの者に供述させるということは、弁護人の掲げる尋問事項に照らしても、不適当というほかなく、かつ、法務省入国管理局長作成の「外国人登録法上の指絞押なつ制度について」と題する書面により弁護人らが右両名の者を証人として尋問することを通じて明らかにしたいと求めた事項についても一応の資料が法廷に顕出されていることにも照らし、結局、右両証人の証拠調請求は必要性がないことに帰する。したがつて、弁護人の証拠調請求を却下した各決定になんら違法な点はない。

三 よつて、本件各異議申立は理由がないから、刑事訴訟法三〇九条三項、刑事訴訟規則二〇五条の五により、主文のとおり決定する。

第二証人田中宏〔愛知県立大学教授〕の取調請求却下決定に対する異議申立てにつき

〔主文〕

本件異議申立を棄却する。

理由は左記のとおり。

〔記〕

一 弁護人の本件異議申立の趣旨は、裁判所が証人田中宏の尋問を求める弁護人の証拠調請求を却下したのは、違法であるから、右却下決定を取消し、田中宏を証人として採用し尋問する旨決定されたいというのである。

二 そこで、検討するのに、田中宏の証人尋問を求める弁護人からの請求は、本件公訴事実に罰条として適用されるべき外国人登録法の規定が憲法に適合するかどうかについての判断の基礎となる法社会学的事実(いわゆる立法事実)に関し供述を求めるためのものであると窺われるところ、適用法条である外国人登録法が憲法に適合するかどうかは法の正当な適用を職責とする裁判所が自らの責任において判断すべき事項であり、その資料もまた、裁判所が必要とする範囲で独自に収集、調査すべきものであるから、その資料の収集は本来事実認定のための手続である証人尋問手続によつて行なうべきものではない、しかも、本件においては田中宏証人について岡山地方裁判所昭和五七年(わ)第二六四号事件の第九回及び第一〇回公判調書中の証人田中宏の証人尋問調書により弁護人らが右の者を証人として尋問することを通して明らかにしたいと求めた事項については一応法廷に顕出されており、更に、右のいわゆる立法事実に関し意見を述べる者二名を証人として尋問していることに照し、右証人の証拠調請求は必要性がないことに帰する。したがつて弁護人の証拠調請求を却下した決定になんら違法な点はない。

三 よつて、本件異議申立は理由がないから、刑事訴訟法三〇九条三項、刑事訴訟規則二〇五条の五により、主文のとおり決定する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例