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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14124号 判決 1989年10月24日

原告

木村陽一

木村裕子

原告両名訴訟代理人弁護士

久保田康史

被告

佐々木毅

右訴訟代理人弁護士

須田清

右訴訟復代理人弁護士

武田喜治

高井和伸

伊藤一枝

高木孝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告木村陽一に対し金二四一〇万円、同木村裕子に対し金二八七〇万円及び右各金員に対する昭和五七年四月二六日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告木村陽一(以下「原告陽一」という。)及び同木村裕子(以下「原告裕子」という。)は亡木村真弥(以下「真弥」という。)の父母である。

(二) 被告は肩書住所地において個人で産婦人科医院「山王クリニック産婦人科」を経営する一般開業医である。

2  診療契約の締結

原告らは昭和五六年一二月一二日、被告との間に原告らの第二子の分娩について適切な診療行為を受けることを内容とする診療契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

3  医療事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 原告裕子は、昭和五三年三月二六日長女成美を正常分娩した経産婦であるが、第二子を妊娠したので昭和五六年六月三日、訴外斉藤産婦人科医院で受診し、分娩予定日は昭和五七年一月一二日と診断され、以後同医院で定期的に受診したが特段の異常は認められなかった。

(二) 原告裕子は第二子出産のため昭和五六年一二月一二日、実家の近い被告の診察を受け、特段の異常がないとして入院を許可され、昭和五七年一月八日午前七時三〇分ころ破水したと感じた原告裕子は同日午前一〇時ころ、被告方に入院した。被告は原告裕子を内診後、同日午前一一時、陣痛誘発剤プロスタルモンE一錠を投与し、さらに同日正午プロスタルモンE一錠を投与した後、同日午後零時八分、セファメジン、ケイツー等を含有する点滴静脈注射(以下「静注」という。)を開始したところ、その直後から原告裕子は激しい吐き気を訴えておう吐し、同時に全身に発疹が出現して脈拍が微弱になり、血圧も急降下してショック状態となった。その後ショック状態は脱したものの、依然全身状態は不良のままであった。

(三) 原告裕子は同日午後二時三〇分、二女真弥を吸引等の措置をとることなく正常分娩したが、真弥は自発呼吸、反射、筋緊張ともになく、分娩一分後のアプガールスコアは四点という重症仮死状態であった。

(四) 被告は直ちに真弥を訴外独協医科大学病院(以下「独協医大病院」という。)に転送し、同病院では懸命の看護治療がなされたが、真弥は重症仮死の状態から回復せず、昭和五七年四月二五日午後七時五〇分、肺水腫のため同病院で死亡した。

4  被告の債務不履行責任

(一) 原告裕子は被告方で受診した際、アトピー性皮膚炎に罹患していることを告げており、また被告は同女の全身に発疹があることを現認しているので、同女がアトピー性皮膚炎に罹患していることを知っていた。このようなアレルギー体質を持つ患者に対しては薬剤投与に慎重を期すべきであったのに、次の各薬剤(以下「本件各薬剤」という。)を原告裕子に対し、漫然投与ないし使用してショック症状を惹起させた。

(1) プロスタルモンEの漫然投与

原告裕子は経産婦であり分娩予定日前の午前中に入院し、破水等の経過も長女出産の際と同一であるから分娩を急ぐ理由は全くなかった。プロスタルモンEは陣痛誘発剤であるが、副作用として母体の過強陣痛や胎児の切迫仮死、催奇形作用があるので、子宮収縮の状態や胎児心音の観察をしながら慎重に投与すべきことが能書に明記されており、一般開業医においても容易にその内容を知りえたのに、被告は事前の問診やテストを尽くさず漫然同剤を原告裕子に投与したため、同剤の副作用により原告裕子はショック状態となった。

(2) セファメジンの漫然投与

セファメジンは抗生物質であるが、副作用としてショック症状や過敏症状をもたらすおそれのあることが能書に明記されており、一般開業医においても容易にその内容を知りえたのに、被告は事前の問診やテストを尽くさないまま、特段の必要がないにもかかわらず漫然同剤を原告裕子に静注したため、同剤の副作用により原告裕子はショック状態となった。

(3) ケイツーの漫然投与

ケイツーはビタミンK2製剤であるが、副作用としてショック症状を起こすおそれがあることが本件事故当時知られており、能書にもまれにショック症状を起こすことがあるから投与に際してはアレルギー既往症、薬物過敏性について十分な問診をすることと記載があったのに、被告は事前の問診やテストを尽くさないまま、特段の必要がないにもかかわらず漫然同剤を原告裕子に静注したため、同剤の副作用により原告裕子はショック状態となった。

(4) 点滴によるその他の薬剤(以下「その他の薬剤」という。)の漫然投与

被告は事前の問診やテストを尽くさないまま、特段の必要がないにもかかわらず漫然マルトス一〇、タチオン、CBM、強力ネオミノファーゲンC(以下「強ミノC」という。)、ネオラミン3B、アデフラビン等を原告裕子に点滴により静注したため、その副作用により原告裕子はショック状態となった。

(5) ヒビテンの漫然使用

ヒビテンは消毒剤であるが、副作用としてショック症状や過敏症状をもたらすおそれのあることが能書に明記されており、一般開業医においても容易にその内容を知りえたのに、被告は内診にあたり何ら問診をすることなく同剤を原告裕子に使用したため、その副作用により原告裕子はショック状態となった。

(二) 原告裕子のショック状態が約一時間継続したため、真弥は重症仮死になり、その後右重症仮死に起因する肺水腫により死亡するに至った。

(三) 真弥の死亡は、被告が十分な注意義務を尽くさず漫然本件各薬剤を投与ないし使用したことにより、原告裕子がショック状態となったことが原因であるから、被告は本件契約の債務不履行により、真弥の死亡に伴う原告両名の全損害を賠償する義務がある。

5  損害

(一) 逸失利益

(1) 真弥は昭和五七年一月八日出生した女児であり、本件事故で死亡しなければ満一八歳から満六七歳までの四九年間就労可能であったところ、昭和五六年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業別規模計・学歴別女子労働者の全年齢別平均賃金額は月額一三万五〇〇円、特別給与額は三八万九六〇〇円であるから、これを基礎に新ホフマン方式で計算し、これから生活費として三〇パーセントを控除すると、真弥の逸失利益は金二二四七万円となる。

(2) 原告両名はそれぞれ右(1)の逸失利益損害賠償請求権の各二分の一を相続により取得したので、うち各金一一二〇万円を本訴で請求する。

(二) 慰謝料

原告裕子は自分自身が本件事故により死に直面したうえ、真弥の死亡により精神的苦痛を被り、また原告陽一も真弥の死亡により精神的苦痛を被ったので、これらを慰謝するには原告裕子について金一五〇〇万円、原告陽一について金一〇〇〇万円の慰謝料が相当である。

(三) 葬儀費用

真弥の葬儀に際し、原告陽一が支出した葬儀費用のうち、金四〇万円が本件事故と相当因果関係のある原告陽一の損害である。

(四) 弁護士費用

原告両名は本件訴訟の提起及び追行を弁護士久保田康史、同中井眞一郎に委任し、着手金及び報酬の支払を約したが、右弁護士費用のうち金五〇〇万円(原告一人につき金二五〇万円)が本件事故と相当因果関係のある損害である。

6  よって、原告両名は被告に対し債務不履行による損害賠償請求権に基づき、(一)原告陽一は金二四一〇万円及びこれに対する真弥の死亡した日の翌日である昭和五七年四月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員、(二)原告裕子は金二八七〇万円及びこれに対する同じく昭和五七年四月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2について

請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3について

(一) 請求原因3(一)のうち、原告裕子が昭和五三年三月二六日に長女成美を正常分娩した経産婦であることは認め、その余の事実は不知。

(二) 同(二)ないし(四)の各事実は認める。但し、原告裕子の入院時刻は午前一一時ころである。また、原告裕子が真弥を正常分娩したとの主張は争う。

4  請求原因4について

(一) 請求原因4(一)のうち、被告が原告裕子に対し、本件各薬剤を投与ないし使用したことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同(二)及び(三)の各事実は否認する。

5  請求原因5について

請求原因5の事実は争う。

三  被告の主張

1  原告裕子が真弥を分娩するまでの被告の診療行為の内容について

(一) 昭和五六年一二月一二日

原告裕子初診

受診申込書には「薬によるアレルギー」、「ぜんそく」、「手術」ともになく、「じんましん」については当初「ない」と記載されたが、本人が「アトピー」と申し出たのでその旨記載された。

(二) 昭和五七年一月四日

原告裕子定期妊娠診察

内診の結果、胎児先進部の位置がまだ高く、子宮開口部が1.0センチメートルしか開大しておらず、子宮頚管がまだ固く、軟産道強靱症と診断され、右症状に対処するために、分娩時鈍性頚管拡張術を施行。

(三) 同月八日

(1) 午前一〇時五〇分ころ

原告裕子は、「午前七時三〇分ころ破水したようだ。」と言って外来し、被告の診療を受けた。その結果、前期破水と診断した。また、内診の結果、子宮膣部はまだ固く子宮口が1.5ないし2.0センチメートルしか開大されておらず、軟産道強靱症と診断し、右各症状のために遷延分娩や子宮内感染による胎児仮死が予想されるため入院させ、分娩誘発を行うこととした。

(2) 午前一一時ころ

子宮膣部軟化のためと陣痛誘発のためにプロスタルモンEを一錠、経口投与する。

(3) 午前一一時三〇分ころ

抗生物質使用の準備のためにセファメジンの皮内テストを実施し、陰性であることを確認した。

患者の外陰部をヒビテン産科用クリームで消毒し、ヒビテン五パーセント液で手指を消毒し、ネオメトロイリンテル(子宮バック)を挿入し、八〇ミリリットルの滅菌水をネオメトロイリンテルに注入した。胎児心拍数は正常であった。

(4) 正午

軽い陣痛が五分間隔で認められる。さらに、プロスタルモンEを一錠経口投与

(5) 午後零時八分

マルトス一〇を五〇〇ミリリットル、タチオン二〇〇ミリグラム二アンプル、ビタミンC(CBM)、強ミノC各一アンプル、ネオラミン3B一アンプル、アデフラビン一アンプル、ビタミンK2三〇ミリグラム、セファメジン一グラムを点滴にて静注開始する。

その二〇ないし三〇秒後に、原告裕子は吐き気を訴えておう吐し、同時に全身に発疹が発現する。直ちに、点滴を中止し、マルトス一〇のみの点滴に切り換える。さらに、ショックに備えて、昇圧剤のカルニゲン、副腎皮質ホルモンのソルコーテフを投与する。

(6) 午後零時二五分

原告裕子の吐き気・おう吐は消失せず、発疹もひどくなるので、原告裕子を分娩室に移動させ酸素吸入を開始する。血圧は収縮期九〇ミリHg。

帝王切開分娩に備えて岡田医師に連絡し、援助を依頼する。その直後原告裕子の脈拍は急に微弱となり、血圧も下降し収縮期六〇ミリHg、拡張期血圧は測定不能となる。

原告裕子の意識は清明さを保つものの、全身の発疹はさらに増強し、場所によってはチアノーゼのように紫色となり全身に浮腫を認める。

胎児の心拍数は確認できなかった。

さらに、原告裕子に対し、カルニゲン、ソルコーテフの静注、筋肉注射(以下「筋注」という。)し、ショックの回復に努める。また、ネオメトロイリンテルを抜去し、内診したところ、外子宮口は直径2.5ないし3.0センチメートルに開大していた。

(7) 午後零時五五分

その後も、原告裕子の血圧は上昇せず、収縮期血圧が五四ミリHgと最低を記録し、脈拍も微弱でショック状態が続く。

(8) 午後一時五分ころ

原告裕子の血圧は一二〇ないし八〇ミリHgと正常化し、脈拍も八四に回復し、ショック状態を脱した。

(9) 午後一時七分ころ

ドプラー装置により胎児心音を確認できるようになる。

被告は、原告裕子と同女の母親に対し、母体の生命の危険があるから帝王切開は無理であること、胎児の救命は絶望かも知れないが、経膣分娩により全力を尽くす旨を説明し、酸素吸入を継続しつつ、子宮口を軟化するようにブスコバンを静注し、胎児酸素欠乏症を治療する目的でメイロンを投与し、胎児の体位変換を行い、胎児仮死に対する措置をとった。

(10) 午後一時四八分ころ

胎児心拍数が毎分一四四と正常化し、同時に陣痛が強くなる。内診の結果、子宮口は直径五センチメートルまで開大し、胎児先進部は下降していた。

(11) 午後一時五五分ころ

原告裕子の血圧は一一八ないし七六ミリHgと正常。しかし、全身の発疹と浮腫は変化なく、吐き気も消失しない。

(12) 午後二時五分ころ

抗生物質投与の必要性を考え、再度セファメジンの皮内テストを施行したが、陰性であった。しかし、ペントレンクスの皮内反応結果は陽性であったため、やむをえずその時点での抗生物質の投与は断念する。

子宮頚管軟化目的でブスコバン一アンプル筋注する。

その後、原告裕子の血圧・脈拍、胎児の心音はいずれも正常であった。

(13) 午後二時二〇分ころ

胎児の心音がやや早くなり、メイロン一アンプルをさらに投与する。

酸素吸入は毎分六リットルで続行する。

(14) 午後二時二八分

会陰部切開施行後、吸引分娩の装着の前に胎児は第Ⅱ前方後頭位で分娩

2  本件各薬剤の投与・使用の適否について

(一) プロスタルモンEの投与

(1) 原告裕子は、前記のように、軟産道強靱症と診断を受けていたうえ、入院当日前期破水があった。そのため、遷延分娩や子宮内感染による胎児仮死を防止するために、早期分娩と産道の確保(産道を胎児の通過に適した状態にすること)の必要があり、陣痛誘発の効果があるプロスタルモンEを投与する必要があった。

(2) プロスタルモンEは、一般開業医において、日常に用いられている陣痛誘発剤であり、副作用の点について、ことさら注意を要する薬剤ではない。また、プロスタルモンEについては副作用発症予防のための予備テストの方法も開発されていない。被告はこれまでプロスタルモンEの使用による副作用の発症した事例を経験したことがなく、同剤の投与と原告裕子のショック症状に因果関係はない。

(二) セファメジンの投与

(1) 原告裕子は、前記のように、軟産道強靱症と診断を受けていたうえ、入院当日前期破水があったので、羊水感染症を防止するためにセファメジン投与の必要があった。

(2) 被告がセファメジンを原告裕子に投与するにあたっては前記のように、予め皮内反応テストを実施して陰性であることを確認しており、また原告裕子がショックに陥った後に実施した皮内反応テストの結果も陰性を示しており、同剤の投与と原告裕子のショック症状に因果関係はない。

(三) ケイツーの投与

(1) 原告裕子は、前記のように、軟産道強靱症と診断を受けていたうえ、入院当日前期破水があった。そのため、遷延分娩の可能性が強く、胎児頭部が産道で圧迫されて胎児仮死を起こすおそれがあったので、頭蓋内出血予防のためケイツーの投与が必要であった。

(2) ケイツーは本件事故当時(昭和五七年一月)、臨床医のもとで普遍的に使用されていたものである。ケイツーの能書にショック症状の注意が喚起されたのは昭和六一年一月であり、それ以前はショック例の報告があり、一部に関心を持たれていたものの一般開業医においてはこのような障害の予知は不可能であった。

(3) 本件事故当時はケイツーは注射用しかなく(ケイツーのシロップは昭和六二年に、経口薬は同六三年にそれぞれ初めて発売された。)、新生児に対する筋注が問題とされていた一方、胎児ないし新生児の頭蓋内出血予防のみならず母体の出血に対処するため、母体にビタミンKを分娩前に注射で投与することの有効性が認められて一般的に行われていた。

(四) その他の薬剤の投与

原告裕子は、前記のように、軟産道強靱症と診断を受けていたうえ、入院当日前期破水があり、それに母体疲労による微弱陣痛が加わって遷延分娩の可能性が強く、胎児仮死を起こすおそれがあったので、母体疲労を予防するため事前に栄養補給の必要があったので、前記のとおりその他の薬剤を点滴投与したものである。

(五) ヒビテンの使用

(1) 本件で使用したのはヒビテン産科用クリーム、ヒビテン五パーセント液、ヒビテングルコネート液の三種類であるが、このうち、五パーセント液は前記のように被告の手指の消毒に使用したもので原告裕子の身体に触れておらず、またグルコネート液はショック症状発生後の使用であるからともに原告裕子のショック症状とは因果関係がない。また、産科用クリームは開業医師が通常使用しているものであり問題はない。

(2) 被告はこれまでヒビテンの使用による副作用の発症した事例を経験したことがなく、本剤の使用と原告裕子のショック症状に因果関係はない。また、ヒビテンについては副作用発症予防のための予備テストの方法も開発されていない。

3  本件各薬剤の投与・使用と原告裕子のショック症状との間の因果関係について

原告らは、被告の使用した薬剤中、プロスタルモンE、セファメジン、ケイツー、ヒビテン、その他の薬剤をあげて、これらのいずれかの薬剤が原告裕子のショック症状の原因であると主張するが、右各薬剤の使用とショック症状との間には前記のように因果関係はない。ショックの原因は、患者の特異体質、出産時の緊張等多岐にわたっており、単純に薬剤によるショックと断じる証拠はない。

4  原告裕子のショック症状に対する予見可能性について

(一) 被告は、原告裕子の初診時に、予め患者に受診申込書(問診票)を書かせ、「薬によるアレルギー」につき「なし」との回答を得ていたうえ、さらに診察時に問診票に基づき、既応歴を聞きながら問診したが、右と同様の回答を得ていた。

(二) プロスタルモンE、ヒビテンは、前記のとおり、一般開業医において、日常的に用いられている薬剤であり、これまでその使用によって副作用の発症した例もなく、また、これらの薬剤については予備テストの方法も開発されていない。

(三) セファメジンについては、前記のとおり、問診票により、薬剤アレルギーのないことを確認しているうえ、事前に皮内テストを行い、陰性であることを確認して使用したものである。

(四) ケイツーについては、前記のとおり本件事故当時、臨床医のもとで普遍的に使用されていた薬剤であるが、その副作用としてショック症状のあることは一般開業医においては知らされておらず、その効能書において副作用について注意が喚起されたのは昭和六一年一月からである。

(五) また、薬剤の能書に副作用の記載があっても、能書の記載は「まれにショックを起こすことがある。」というように極めて包括的な記載であり、ここにいう「まれに」とは何万回、何十万回に一回の頻度を意味するものであって、能書に右のような表現があるからといってその薬剤がショックを起こしやすいということはできず、医師に予見義務が発生するものではない。被告が原告裕子に使用した前記の各薬剤はいずれも臨床で一般的に投与されてきた薬剤であり、ことさらに注意を払わなければならない薬剤とはいえない。

(六) 以上のとおり、被告においては、原告裕子に対する薬剤投与に際し、問診、予備テスト等を実施し、開業医として平均的注意義務を尽くしたのに原告裕子に本件ショック症状が発症したものであり、被告には原告裕子の右ショック症状についての予見可能性がなかったし、予見できなかったことに過失もない。

5  原告裕子のショック症状と真弥の死亡との因果関係

真弥の重症仮死の原因は不明であり、原告裕子のショック症状と真弥の重症仮死及び右重症仮死と真弥の死亡との間にはいずれも因果関係がない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1について

(一) 被告の主張1(二)記載の昭和五七年一月四日の内診の状況及び軟産道強靱症と診断されたとの点は争う。

(二) 同1(三)(1)の事実のうち、遷延分娩や胎児仮死が予想されるため入院を勧めたとの事実は否認する。

(三) 同1(三)(3)の事実のうち、セファメジンの皮内テストを行ったとの事実は否認する。

(四) 原告裕子のショック後の被告の処置については不知。

2  被告の主張2について

(一) 被告の主張2(一)の事実は否認する。

原告裕子は本件事故当時二七歳という比較的若年であり、また以前に長女成美を、二八〇〇グラムくらいのほとんど成熟児で、七時間くらいの比較的短時間のうちに出産しているから、軟産道強靱症ということは考えられず、これを基礎とする被告の主張は前提を欠いている。

(二) 同(二)の事実は否認する。被告は皮内反応テストを全く行わずにセファメジンを投与したものであり、それゆえに原告裕子の母子健康手帳に「ショック症状の原因はヒビテン消毒かセファメジンの点滴と思われる」と記載し、後日、日本医科大学病院(以下「日本医大病院」という。)に依頼して原告裕子のパッチテストを行ったのである。

(三) 同(三)のうち、ケイツーの効能は不知。その余は否認する。ケイツーによるショック自体は昭和四七年の発売直後から報告されており、また昭和五五年に日本母性保護医協会が発行したパンフレットにもケイツーによる副作用が明記されている等、本件事故当時もその危険性は指摘されていて、医師は十分承知していたはずである。そして、原告裕子はアトピー性皮膚炎の症状があり、そのことは被告も認識していたのであるから、このような患者に対してはショック症状を起こす可能性のある薬物の投与には極めて慎重でなければならなかった。

のみならず、ケイツーの投与は新生児に対して行うのが一般であり、分娩前の母体に対する投与の必要性は全くなかった。

(四) 同(四)の事実は否認する。

(五) 同(五)の事実は否認する。

3  被告の主張3について

被告の主張3の本件各薬剤の投与と原告裕子のショック症状との間に因果関係がないとの主張は争う。

4  被告の主張4について

被告の主張4の事実は否認する。能書の記載が「まれに」であっても、原告裕子はアトピー性皮膚炎の症状があり、そのことは被告も認識していたのであるから、このような患者に対してはショック症状を起こす可能性のある薬物の投与ないし使用には極めて慎重でなければならなかったものである。

5  被告の主張5について

(一) 被告の主張5の事実は否認する。

(二) 本件のように母体が約一時間にわたりショック状態となった場合、母体の循環血液量の減少が直ちに胎児に影響を与えるのは当然であり、現に母体がショック状態の間、胎児心拍すら確認できなかったのであるから、真弥の重症仮死は母体のショックによるものと考えるのが医学常識である。

(三) 真弥は重症仮死で出生し、独協医大病院へ転院したが、重症仮死の状態から回復しないまま死亡したものであり、真弥の死亡が重症仮死に起因するものであることは明らかである。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者及び診療契約の成立について

請求原因1(当事者)及び同2(診療契約の締結)の各事実は当事者間に争いがない。

二医療事故の発生について

請求原因3(医療事故の発生)(一)のうち、原告裕子が昭和五三年三月二六日に長女成美を分娩した経産婦である事実及び同(二)ないし(四)の各事実は当事者間に争いがなく、同(一)のその余の事実は<証拠>により、これを認めることができる。

三診療の経過について

<証拠>によれば次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  被告方入院前の状況

(一)  被告は昭和五六年一二月一二日、原告裕子を初診し、妊娠三五週四日、第Ⅰ頭位、胎児の推定体重二五四七グラム、分娩予定日を昭和五七年一月一二日と診断した。

右初診に際して受診申込書(問診票)の作成をし、「薬によるアレルギー」、「ぜんそく」、「手術」は原告裕子の応答に基づきともに「ない」と記載され、「じんましん」については当初原告裕子の応答に基づき「ない」と記載されたが、本人が「アトピー」と申し出たので「アトピー」と記載された。

(二)  昭和五七年一月四日、原告裕子は定期妊娠診察のため被告方で受診し、被告は、「妊娠三八週六日、第Ⅱ頭位で位置も正常。内診にて胎児先進部の頭部は位置がまだ高く、子宮口がまだ直径1.0センチメートルしか開大しておらず、子宮頚管が固く、軟産道強靱症」と診断し、右症状に対処するために分娩時鈍性頚管拡張術を行った。

2  被告方への入院

(一)  昭和五七年一月八日午前一〇時五〇分ころ、原告裕子は「朝七時半ころ破水したようだ。」と言って被告方を訪れて受診し、被告は、原告裕子には下腹部緊満感が軽度認められるが、陣痛はなく羊水の流出が認められたので、妊娠三九週三日、前期破水と診断した。

(二)  内診の結果、子宮膣部はまだ固く子宮口は直径1.5ないし2.0センチメートルしか開大しておらす、軟産道強靱症と診断した。軟産道強靱症と前期破水のため、遷延分娩や子宮内感染による胎児仮死が予想されるため、被告は原告裕子に入院を勧め、入院した同女に対し分娩誘発を行った。

3  本件各薬剤の投与ないし使用

(一)  入院直後の午前一一時ころ、被告は原告裕子に子宮口及び子宮膣部軟化と陣痛誘発の目的でプロスタルモンE一錠を経口にて投与した。

(二)  午前一一時三〇分ころ、抗生物質使用準備のためセファメジンの皮内テストを行い、陰性であることを確認した。

(三)  午前一一時五〇分ころ、内診の準備のためヒビテン産科用クリームを用いて原告裕子の外陰部を消毒のうえ内診したところ、子宮口はまだ1.5ないし2.0センチメートルしか開大しておらず固かった。そこで、水性ヒビテン(グルコネート液)にて膣内を消毒後ネオメトロイリンテルを挿入し、八〇ミリリットルの滅菌水を注入した。この時、胎児の心拍数は五秒間に一二ずつと正常であった。

(四)  正午に、原告裕子に対しプロスタルモンEをさらに一錠投与した。

(五)  午後零時八分、感染予防、胎児仮死予防、子宮頚管軟化作用及び陣痛促進のため、マルトス一〇(五〇〇ミリリットル)に

ケイツー 三〇ミリグラム

セファメジン 1.0グラム

タチオン 二〇〇ミリグラム・二アンプル

CBM(ビタミンC) 一アンプル

強ミノC 一アンプル

ネオラミン3B(総合ビタミン剤)一アンプル

アデフラビン(ビタミンB2) 一アンプル

を入れた点滴静注を開始したところ、その開始直後二〇ないし三〇秒後、原告裕子は突然吐き気を訴えておう吐し、同時に全身に発疹が出現した。

4  本件各薬剤投与等後の状況

(一)  被告は直ちに右点滴を中止し、マルトス一〇のみの点滴に切り換え、さらに発疹に対処するためソルコーテフ(水溶性副腎皮質ホルモン)五〇〇ミリグラム及び胎児仮死に備えるためメイロンを静注したが、吐き気、おう吐は消失せず、発疹もひどくなるので、午後零時二五分に分娩室に移し、酸素吸入を開始した。原告裕子の吐き気、おう吐は続いていたが意識は清明で血圧は収縮期九〇ミリHgであった。

(二)  被告が帝王切開分娩に備えて直ちに岡田医師に連絡し、援助を依頼した直後、原告裕子の脈拍は急に微弱となり、血圧も下降し収縮期は六〇ミリHg、拡張期血圧は測定不能というショック状態となった。原告裕子の意識は清明さを保っているものの、全身の掻痒感を訴え、全身の発疹はさらに増強し、場所によってはチアノーゼのように紫色となり、全身に浮腫を認めた。胎児の心拍数は確認できなかった。

(三)  被告は昇圧剤であるカルニゲンとソルコーテフを投与し、点滴速度を上げ、酸素吸入を継続し、ショック状態に対する治療を行った。その際に内診した結果、外子宮口は直径2.5ないし3.0センチメートルに開大していた。

(四)  原告裕子の状態はその後も収縮期血圧が六〇ミリHg前後から上昇せず、午後零時五五分には収縮期血圧が五四ミリHgと最低を記録するに至り、脈拍も微弱となり、ショック状態はなお続いていた。

5  真弥の出生

(一)  午後一時五分ころ、原告裕子の血圧は収縮期一二〇ミリHg、拡張期八〇ミリHgと正常化し、脈拍も毎分八四と計測可能に回復し、ショック状態を脱した。そして、午後一時七分ころ、胎児心拍数も五秒毎に、「八・九・九」と遅いながらも確認可能になった。原告裕子の全身状態のうち、全身の発疹及び浮腫は消失せず、おう吐はなおも続き、被告はそれらの所見から帝王切開分娩は不可能と判断した。そのころ、被告は原告裕子とその母に対し、母体の危険があるから帝王切開分娩は無理であること、胎児の救命は無理かもしれないが、経膣分娩によって最善を尽くす旨を説明し、子宮口を軟化するためブスコバン一アンプルを筋注し、酸素吸入を継続し、胎児の酸欠症を治療する目的でメイロン一アンプルを静注し、体位変換を行い、胎児仮死に対する処置をとった。

(二)  午後一時四八分ころ、胎児心拍数が五秒毎に一二ずつ(一分間に一四四)と正常化し、同時に陣痛が強くなってきた。そこで内診を行うと、外子宮口は直径五センチメートルまで開大し、胎児先進部は大分下降してきていた。分娩監視装置で胎児心音は正常であることを確認した。

(三)  午後一時五五分ころ、胎児心拍数は五秒毎に一四ずつとやや速くなるが、血圧は収縮期一一八ミリHg、拡張期七六ミリHgと正常であった。しかし、全身の発疹と浮腫は変化がなく、吐き気も消失しなかった。

(四)  午後二時五分ころ、抗生物質の投与の必要性を判断して再度セファメジン皮内テストを施行したところ、これは陰性であったが、ペントレンクス(合成ペニシリン)の皮内反応検査を施行したところ、こちらは陽性の結果となったので、この日は抗生物質投与を断念した。また、午後九時過ぎに施行されたペニシリン系抗生物質であるパニマイシン及びゲンタシンの皮内テストも陽性を示した。

(五)  被告は吸引分娩の用意をしながら会陰部切開を施行するが、吸引分娩装置の装着前に、午後二時三〇分ころ胎児は第Ⅱ前方後位で分娩された。

6  真弥出生後の状況

(一)  被告は、分娩後直ちに新生児(真弥)に対し、羊水吸引用カテーテルで鼻腔内及び口腔内の羊水を吸引するが、全く泣かず反応はなかった。分娩一分経過後のアプガールスコアは一〇点満点で四点(仮死)であった。そこで、温湿布で真弥の全身を保温しながら自動式陰陽圧蘇生器を陽いて補助呼吸を行ったが、真弥に自発呼吸は出現しなかった。真弥は心拍数、心臓の動きとも正常であり、またチアノーゼはなく、全身ピンク色で正常であったが、反射はなく筋緊張もなかった。

(二)  分娩後五、六分経過後においても自発呼吸は出現しないので、用手バック式蘇生器に切り替えた。

(三)  その後もやはり自発呼吸はなく、気管内挿管の準備をして、午後三時から施行した。依然用手バック式蘇生器を使用して酸素吸入を続けた。へそ帯からマルトス一〇を一時間に二〇ミリリットルの速度で点滴を開始した。

(四)  午後三時一〇分、テラプチク0.2ミリリットルとメイロン1ミリリットルを管注した。

(五)  午後三時三〇分、ケイツー二ミリグラムを筋注した。

(六)  午後四時一〇分、真弥は四肢に時折軽度のけいれんが出現したが、依然自発呼吸はなく、筋緊張もなかった。足底に軽度のチアノーゼが見られた。

(七)  午後四時四〇分、真弥の全身状態が改善されないので、救急車で独協医大病院へ転送した。

7  独協医大病院における状況

(一)  独協医大病院の入院時所見は無呼吸、けいれん、低体温、昏睡等であった。

(二)  その後、同病院において一〇七日間にわたり適切な治療がなされたが、四月二五日午後七時五〇分、重症仮死に起因する肺水腫により死亡した。

四被告の責任について

以上に認定した事実を前提にして、被告に本件契約上の債務不履行があったか否かについて判断する。

1  原告裕子のショック症状の原因薬剤について

原告らは、被告が原告裕子に投与・使用していた薬剤のうち、プロスタルモンE、セファメジン、ケイツー、ヒビテン、点滴使用されたその他の薬剤(マルトス一〇、タチオン、CBM、強ミノC、ネオラミン3B、アデフラビン等)の副作用により原告裕子のショックが惹起されたと主張するので、以下右各薬剤とショック症状との関係につき検討する。

(一)  プロスタルモンEについて

被告が昭和五七年一月八日午前一一時及び同日午前一二時、原告裕子に対しプロスタルモンEを各一錠ずつ投与したことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、(1)同剤はかなり安定した分娩誘発剤であり、一般開業医の間で広く普遍的に用いられていること、(2)被告自身本件事故以前には同剤によるショック症状の発生を経験した事実のないこと、(3)同剤は能書にも副作用としてショック症状の発生する旨の記載がないこと等がそれぞれ認められ、これと前記三において認定したように午前一一時の第一回投与からショック症状発生までに約一時間の間隔があることを総合して考えると、プロスタルモンEの投与と原告裕子のショック症状との間に因果関係を認めることは相当でない。

(二)  セファメジンについて

<証拠>によると、(1)セファメジン等のセファロスポリン系薬剤はショックを起こしやすい薬剤であり、そのショックの発生率が0.08パーセント(一〇〇〇人に一人)もの高率であるとの調査結果も報告されていること、(2)同剤の能書等にはいずれもショック症状の発生することが記載されており、特にその使用にあたっては皮内テストを実施することが望ましいとまで記載されていること、(3)前記認定のとおり、原告裕子に対して同剤投与前及びショック後実施された同剤の皮内テストの結果はいずれも陰性であったが、同女に対してショック後実施されたペニシリン系抗生物質であるペントレンクス、パニマイシン、ゲンタシンの皮内テストの結果は陽性であったことが認められるところ、ペニシリン系薬剤とセファロスポリン系薬剤とは交差反応を起こすことがあるのて、右ペントレンクス等の皮内テストの結果が陽性であった場合にはセファメジンを投与してもショック症状を起こす可能性のあること等の事実が認められる。そして、これらの点と被告が、一月八日午後零時八分、原告裕子に対しセファメジン等を含むマルトス一〇の点滴静注をしたところ、その直後に原告裕子がショック症状を呈していること(この点は当事者間に争いがない。)、その後、前記三認定のとおり被告が右薬剤の点滴静注を直ちに中止し、対ショック療法に努めたところ原告裕子がショック症状から回復したことを総合考慮すると、セファメジンの投与と原告裕子のショック症状との間に自然的因果関係が存在しないと断定することはできない。

(三)  ケイツー(ビタミンK2)について

<証拠>によると、ビタミンK2については、(1)昭和四七年六月にビタミンK2製剤が発売されてから昭和五九年までの一三年間に、厚生省に対し同製剤によるショック例が五一件報告されて、昭和六〇年度にも五例のショック例が存在すること、(2)昭和六一年以降もビタミンK2によるショック症状ないしそれに基づく死亡例が報告されていること、(3)製薬会社も昭和六一年一月から、同製剤の能書の記載を改め、ショック症状発生について医師の注意を喚起するとともに、その旨のドクターレターを発したことがそれぞれ認められ、これらの点と前記のように被告が原告裕子に対しケイツー等を含むマルトス一〇の点滴静注をしたところ、その直後に原告裕子がショック症状を呈したこと、その後、前認定のとおり被告が右薬剤の点滴静注を直ちに中止し、対ショック療法に努めたところ原告裕子がショック症状から回復したことを総合考慮すると、原告裕子に対するケイツーの投与と同女のショック症状の間には因果関係があるものというべきである。

(四)  その他の薬剤(マルトス一〇、タチオン、CBM、強ミノC、ネオラミン3B、アデフラビン等)について

<証拠>によると、タチオンにはまれに副作用としてアナフラキシーショックを起こすことが、強ミノC及びネオラミン3Bに副作用としてまれにショックを起こすとの記載のあることがそれぞれ認められる。しかし、後記のとおり能書に「まれに」ショックを起こすとの記載があっても、その出現頻度はかなり低いものであるうえ、<証拠>によると、右各薬剤のようなビタミン類等についてはほとんどショックの報告例がなく、ショック発生の頻度は極めて低いことが認められる。したがって、右のその他の薬剤投与と原告裕子のショック症状との間の因果関係を否定するのが相当である。

(五)  ヒビテンについて

前記三で認定したところによれば、(1)被告は一月八日午前一一時五〇分ころ、内診の準備のためヒビテン産科用クリームを用いて外陰部を消毒のうえ内診し、さらに、水性ヒビテン(グルコネート液)にて膣内を消毒したが、この時は原告裕子には異常が起きていないこと、また<証拠>によれば、(2)その二、三日後にグルコネート液で尿道口を消毒し、(3)一月一三日には会陰部切開縫合の抜糸手術の際にグルコネート液を用いて消毒しているのに、いずれの場合にも異常が発生していないことが認められ、以上の事実を総合すると、ヒビテンの使用と原告裕子のショック症状との間には因果関係を認めることはできないというべきである。

以上認定したところによれば、原告裕子のショック症状の原因薬剤はケイツーである可能性が最も高く、次にセファメジンの可能性が高いと認めることができ、これと<証拠>を総合すると、ケイツー又はセファメジンあるいはその両者が原告裕子のショック症状を惹起したものと解するのが相当であり、これを覆すに足る証拠はない。

2  薬剤投与・使用の適否について

そこで、次に原告裕子のショック症状の原因となった右各薬剤投与の適否について検討する。

(一)  セファメジンの投与の適否について

<証拠>によれば、(1)原告裕子は真弥出生直前時において、軟産道強靱症と診断を受けていたうえ、入院当日前期破水があったため遷延分娩の可能性があり、その結果羊水感染症の危険があったこと、(2)被告は右の事態を防止するため、一般開業医の間で普遍的に用いられている抗生物質であるセファメジンを投与したこと、(3)被告は同剤投与の直前にセファメジン皮内テストを行い、その結果が陰性であることを確認したうえで同剤を投与したこと、(4)被告は同剤投与に先立ち、原告裕子に問診をして「薬剤によるアレルギーはない。」との回答を得ていたこと等の各事実を認めることができる。右各事実を総合すると、被告としては原告裕子に対して感染症を予防するという見地から抗生物質であるセファメジンを投与する必要があると判断し、臨床医として少なくとも通常要求される程度の注意を払って同剤を投与したものと認めることができ、被告のセファメジン投与は医師の裁量の範囲に属する診療行為というべきであり、また、同剤を投与したことに被告の診療上の過失はないといわざるをえない。

(二)  ケイツーの投与の適否について

<証拠>によれば、(1)原告裕子は前記のとおり軟産道強靱症と診断を受けていたうえ、入院当日前期破水があったため、遷延分娩の可能性が強く、胎児頭部が産道で圧迫されて胎児仮死に陥った場合、頭蓋内出血を起こす危険があったこと、(2)右頭蓋内出血を予防する効果的方法として、ビタミンK2の投与が本件事故当時に行われており、現在も行われていること、(3)本件事故当時、医療の現場では妊婦は潜在的にビタミン欠乏症に陥っているというのが常識的であり、ビタミンK2も不足していると考えられていたこと、(4)ビタミン類については、生体にとって必須な物質だけに、それがショックを招来するものとは考えられていなかったこと、(5)ケイツーは本件事故当時(昭和五七年一月)、臨床医のもとで普遍的に使用されていたこと、(6)もっとも、本件事故当時のケイツーの能書には、「まれに血圧降下、胸内苦悶、呼吸困難等のショック症状を起こすことがある」旨の記載があったが、能書にいう「まれに」という意味は、後記のとおり、出現頻度はかなり低いことを意味していたこと、しかし、その後特に昭和五九年、六〇年度にケイツーによる死亡例の報告が厚生省に寄せられてから、その副作用が注目されるようになり、昭和六一年一月には厚生省が全国の医師宛にケイツー注の使用については特に注意するよう文書で特別注意を喚起したこと、ケイツーに関する能書が改訂され、ショック症状につき特に注意を喚起する内容のものとなったのも、昭和六一年一月になってからであること、かくして、ケイツーがショック症状の出現頻度が高い薬剤であることが開業医に知られるようになったのは、能書が改訂された昭和六一年一月以降であり、それ以前はショック例の報告があり、一部に関心を持たれていたものの一般開業医においてはこのような障害の予知は不可能であったこと、(7)本件事故当時はケイツーは注射用しかなく(シロップは昭和六二年に、経口薬は同六三年にそれぞれ初めて発売された。)、新生児に対するその筋注が問題とされていた一方、胎児ないし新生児の頭蓋内出血予防のみならず母体の出血に対処するため、母体にビタミンK(K1またはK2)を分娩前に注射で投与することの有効性が認められて一般的に行われていたことの各事実を認めることができ、<証拠>は前掲各証拠と対比して措信できない。

右認定の事実を総合すると、被告が新生児の頭蓋内出血の予防及び妊婦の出血に対処するという見地から、原告裕子に対しケイツーの投与をしたことは医師の裁量の範囲内に属する診療行為というべきであり、また、上記認定事実によれば、被告が原告裕子に対しケイツーを投与したことについては、当時の医療水準に照らし過失があるとは認められない。

(三)  原告裕子のアトピー性皮膚炎罹患について

原告らは、原告裕子がアトピー性皮膚炎に罹患していたから、被告が右各薬剤を同女に投与・使用する際の注意義務は加重されるべきものであると主張する。そこで、この点について判断するに、<証拠>中には原告らの右主張に副う部分があるが、右各証拠から認められるのは要するに原告裕子本人からアトピーである旨の自己申告があったというにとどまり、それ以上に原告裕子が医学的にアトピーに罹患していた事実を認めるに足りる確かな証拠はない。かえって、<証拠>によれば、(1)本件事故の約一か月後の昭和五七年二月一〇日に原告裕子は日本医大病院で診察を受けた際には、皮疹は消退していて全く認められなかったこと、(2)右診察の際に、貼付試験を実施したが、アレルギー性の反応は見られなかったことがそれぞれ認められ、これらの点に照らせば原告裕子が本件事故当時アトピー性皮膚炎に罹患していたと認めることはできないというべきである。したがって、原告裕子がアトピー性皮膚炎に罹患していたことを前提とする原告らの主張は失当である。

(四)  能書の記載について

なお、原告らは、前記各薬剤の能書に副作用として「まれにショック症状を起こすことがある。」旨の記載がある点を捉え、被告がこの点を看過して安易に薬剤を投与した過失があると主張する。そこで、この点につき判断するに、<証拠>によると、「まれに」とは、出現頻度0.1パーセント以下を意味するものの、実際には何万回、何十万回に一回の頻度に過ぎず、それがショックを起こしやすいことを意味するものではないことが認められ、能書に前記のような記載があるとしても、その一事で、その薬剤投与が許されないとか、投与にあたっての注意義務が格別加重されるものということはできない。

3  以上によれば、本件各薬剤の投与・使用につき、被告の診療契約上の債務不履行を認めることはできない。

五結論

以上のとおりであるから、その余の点について検討するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官渡辺剛男 裁判官小林崇 裁判官松田俊哉)

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