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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)12415号 判決 1984年5月31日

原告

伊作三可雄

被告

井上高雄

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、金五二六万六〇三七円及びこれに対する昭和五六年一二月一五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。原告のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

三  この判決は、主文第一項前段に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金七〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一二月一五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五六年一二月一四日午後八時四〇分ころ

(二) 場所 東京都文京区本郷七丁目五番一号路上

(三) 加害車両 普通貨物自動車(熊谷一一さ八九三八)

右運転者 被告井上高雄(以下「被告井上」という。)

(四) 被害車両 営業用普通乗用自動車(練馬一五五を三八五三)

右運転者 訴外村上賢治

(五) 事故態様 原告が被害車両(タクシー)の後部座席に客として同乗中、同車に加害車両が追突した。(以下右事故を「本件事故」という。)

2  原告の受傷及び治療経過

原告は、本件事故により頸椎捻挫、胸・腰・背部打撲の傷害を負い、昭和五六年一二月二五日から昭和五七年八月二〇日までの間東京大学医学部附属病院で(実通院日数一一日)、また昭和五七年五月一八日から同年八月三一日までの間山内整形外科病院で(実通院日数一九日)、それぞれ通院のうえ治療を受けたが、昭和五七年八月三一日症状は固定し、起立歩行不能等の後遺障害が残つた。右障害は、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)施行令第二条別表後遺障害別等級表三級三号に該当する。

なお、原告は本件事故前の昭和五一年一一月六日、右中大脳動脈閉塞症により左痙性麻痺症状を呈していたが(前記等級表七級四号該当)、右側半身の運動能力は異常なく、起立歩行も制限的ではあつたが可能な状態にあつたところ、本件事故により、右上肢の運動制限、右手指の巧緻運動の制限、右下肢の運動制限及び循環障害が新たに発生し、前記事故前からの障害と相まつて起立歩行不能の症状に至つたものである。

3  責任原因

(一) 被告大嶋芳夫(以下「被告大嶋」という。)は加害車両を保有し、これを自己の運行の用に供していたものであるから、自賠法三条の規定に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき責任を負う。

(二) 被告井上は、加害車両を運転し前方不注視の過失により本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条の規定に基づき、原告に生じた損害を賠償すべき責任を負う。

4  損害

(一) 逸失利益 金二五一三万三六一〇円

(1) 原告は事故当時四七歳の男子で絵画及びバーの手伝いにより月額金一六万円の所得があり、事故がなければ六七歳までの二〇年間右所得を得られた筈であつたが、事故により全く就労不能の状態に陥つた。右金額を基礎に新ホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して、逸失利益の事故時の現価を算出すると、次の計算式のとおり、金二六一四万二七二〇円となる。

計算式 160,000×12×13.6160=26,142,720

(2) 仮に右損害が認められないとしても、原告は、事故前に左痙性片麻痺の障害を有し労働能力を既に五六パーセント喪失していたところ、事故後は労働能力を一〇〇パーセント喪失したから、結局事故によりこれを四四パーセント喪失したが、原告の稼働期間を二〇年とし、その間少なくとも昭和五四年度賃金センサス・産業計・企業規模計・学歴計、四七歳男子の平均賃金である月額金三四万九六〇〇円の所得を得られた筈であるから、これを基礎に前同様新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益の事故時における現価を算出すると、次の計算式のとおり、金二五一三万三六一〇円(一円未満切り捨て)となる。

計算式 349,600×12×0.44×13.6160=25,133,610

右のとおりで、原告の逸失利益の損害額は、少なくとも金二五一三万三六一〇円であるので、右金額を主張する。

(二) 慰藉料 金三一一万二〇〇〇円

(1) 傷害慰藉料

原告の前記通院治療期間等に鑑み、金一九万二〇〇〇円が相当である。

(2) 後遺障害慰藉料

原告の前記事故後の後遺障害及び事故前における身体障害の事実を考慮すると、金二九二万円が相当である。

5  よつて、原告は被告らに対し、各自、前記損害額の内金七〇〇万円及びこれに対する本件事故の発生日の翌日である昭和五六年一二月一五日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は不知。仮に事故後原告主張の起立歩行不能の障害が存在するとしても原告は既に事故以前罹患した右中大脳動脈閉塞症の後遺症で、右起立歩行不能の状態にあつたもので、原告主張の障害と事故との間の因果関係の存在を争う。

3  同3の事実中、(一)の事実は被告大嶋が加害車両を所有していることを認め、その余の事実は争い、(二)の事実は否認する。

4  同4の事実は全て不知。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の証拠関係目録各記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二  いずれも成立に争いがない甲第五号証の八ないし一六、二六及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本件事故現場道路は、駒込方面(北)から御茶の水方面(南)に通ずる車道幅員一四メートル(片側二車線で一車線の幅員は三・五メートル)の歩車道の区別のある直線のアスフアルト舗装された平担な道路で、最高速度は毎時四〇キロメートルに規制されている。

2  被告井上は、加害車両を運転して駒込方面から御茶の水方面に向け、中央線寄りの第二車線をタクシーである被害車両に追随して時速約四〇キロメートルで進行中、被害車両が中央線寄りに一亘停止したのを認め時速約二〇キロメートルに減速したが、その後方約三〇メートルに至つたとき、被害車両が右折せずそのまま発進したため、最早その近辺で再度停止することはなく、そのまま進行を続けるものと速断し、同車両の動静を注視せず、時速約四〇キロメートルに加速して進行したところ、同車両が前記地点から約一五ないし一六メートル先の地点にブレーキランプを点燈して再度停止する直前の状態にあるのを約一五メートル先に発見し、危険を感じて急制動の措置をとるとともに若干左転把して衝突を避けようとしたが間に合わず、自車右前部を被害車両左後部に追突させ、被害車両を約四・三五メートル前方に押し出し、自車は衝突地点から約八・七メートル先に停止した。

訴外村上賢治は、客である原告を後部座席に同乗させ被害車両を運転走行中、右折道路を間違えて一亘停止したのち、原告の指示により、再度発進のうえ一五ないし一六メートル先で再び停止した直後、加害車両に追突された。

右事故により、加害車両には右前部ステツプ及び右前荷台凹破損擦過の、被害車両には左後部フエンダー、ボンネツト凹損の各損傷が生じた。

三  原告の受傷及び治療経過

1  前記甲第五号証の一二ないし一四、成立に争いのない甲第二号証の一及び二、第三号証、第五号証の二三、原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、前記のとおり被害車両後部座席に客として同乗中停止直後に加害車両に追突された本件事故により、車内の天井に右頭頂部を、更に後部座席に後頭部を打ちつけて一時意識を喪失し、意識回復後も頸部付近にしびれを感じたが、しばらく後右感覚も消失したため、捜査に当つた警察は、右事故を一亘は物損事故として処理した。事故の翌日である昭和五六年一二月一五日夕刻、原告は頸部が麻痺し、同部及び背部の腫れと吐気を催したため、同日は自宅で静養していたが、翌一六日に至つても回復せず眩暈も発現したため、同日久保田病院で応急手当(注射・投薬)を受けた。原告は、その後、昭和五六年一二月二五日から昭和五七年八月二〇日まで東京大学医学部附属病院で通院治療(実通院日数一一日)を受け、頸椎挫捻、胸・腰・背部打撲症と診断され、右最終治療日における診断によると、原告の症状として、頸椎捻挫による頸椎部痛は消失したが、顔面を含めた左半身の知覚障害、左上下肢の腱反射の亢進と病的反射の出現及び高度の運動障害、右膝伸展障害(約二〇度)、後頭部の痛覚脱失、右大腿後面のしびれ感と痛み、眩暈、後頭部・右肩・右上肢のしびれ感、右そけい部ヘルニアの症状が残存し、起立歩行不能の状態であると診断された。また原告は、昭和五七年五月一八日から同年八月三一日までの間山内整形外科病院でも通院治療(実通院日数一九日)を受けたが、同病院で、原告の症状は右昭和五七年八月三一日固定したと診断し、自覚症状として「歩行困難、右足変形、右膝の伸展不能」、他覚症状として「起立歩行不能左片麻痺、項部・上肢のしびれ感(知覚麻痺は明らかでない。)、左上下肢の反射亢進及び病的反射あり、右上肢の反射も亢進している。」があり、右上肢の巧緻運動に制限があり、右下肢の伸展不能で起立困難、握力は右二一キログラム、左一一キログラム、右下肢の循環障害、右足趾の爪の変形著明であり、余後の所見として回復の見込はないとの診断がなされた。なお、昭和五九年三月二二日(当法廷における原告の尋問期日)、後記左半身の障害(変化なし。)を除けば、ヘルニアは治癒したほか右膝の伸展障害は半分程度は伸びる状態には回復したが、右足しびれ感、眩暈、後頭部・右肩・右腕のしびれ感は依然残存し、日常生活は、杖を使用しても二ないし三メートルの距離しか歩行できず、殆んど屋内外を問わず車椅子に頼る生活であること、右腕の巧緻運動に著しい制限があり箸を全く使えず、字も十分に書けない状態にある。

2  被告らは、原告は本件事故以前から既に前記右中大脳動脈閉塞症の後遺障害により起立歩行不能の状態にあつた旨主張するので検討する。

前記甲第五号証の一〇及び一三、成立に争いのない甲第四号証、第五号証の二三、第六号証の一ないし一四、原告本人尋問の結果によれば、

(一)  原告は、本件事故前の昭和五一年一一月六日右中大脳動脈閉塞症に罹患し、同日から昭和五二年二月一一日まで東京女子医科大学病院で入院治療を受け、右最終日に症状固定の診断を受け、その後もいわゆるリハビリ訓練を行つたが、昭和五三年四月二一日には、同病院で、脳血栓症(右側)により「左不全片麻痺が今後も続く可能性高く、回復の見込はない。また更に血行障害が加われば悪化することもある。今後も長期にわたり抗けいれん剤、血流改善剤、昇圧剤の投与を要する見込。また反対側(右側)の血行障害の可能性もある。」との診断を受けた。

(二)  また昭和五四年九月一四日における同病院の診断によれば、原告の左半身の関節運動能力について、首、体幹部は「正常又はやや減」、肩・肘・手足部は「著減又は消失」、股・膝部は「半減」で、左上肢は高度麻痺、同下肢は中等度麻痺により可動性を失つているが、他方右半身の各関節運動能力は「正常又はやや減」の状態で、手指の運動能力について、左手指は全く動かず、右手指は第四、第五指は昭和五〇年交通事故に遭つてその後遺障害で可動性を失つているが、他の指については異常はなく、外出の際は歩行困難のため常時補助用具(杖)を使用していること、その他日常生活上の障害程度として、つまむ(新聞紙が引き抜けない程度)ことは、左手は「自力で全くできず」、右手は「うまくできる」、にぎる(丸めた週刊誌が引き抜けない程度)こと、洗顔(顔に手の平をつける)、便所の処置(ズボンの前ボタン及び臀の所に手をやる)靴下をはくことは、左手は「自力で全くできず」、右手は「自力でできるがうまくできない」、タオルをしぼること、紐を結ぶこと(両手)及び上衣(かぶりシヤツを着て脱ぐこと及びワイシヤツを着てボタンをとめること)ズボンの着脱はできず、座ることは自力でできるがうまくできない、歩行は、屋内では自力でうまくでき戸外ではうまくできない、最敬礼は自力でうまくできない、立ち上ることは支持があればでき、階段の昇降はできない状態であるとされ、精神及び身体の障害として、軽度の発語障害と記銘力障害が認められるとされた。

(三)  原告は、昭和五二年九月、東京都から身体障害者第一種第一級の認定を受け、週二回の割合で東京都福祉事務所よりホームヘルパーの派遣援助を受けていたが、知人宅に赴いていた不在の場合が多く、外出すること自体に特段の支障はなく、事故当時、右手による絵画が可能で、知人の経営する「バー」で客のテーブルに歩いて酒類を運ぶ等の手伝いをしていた。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果中には右認定に沿わない部分があるが、叙上認定に供した各証拠に照らし、直ちに措信できない。

そして、前記事実によれば、原告は本件事故当時起立歩行に補助具を要し、又相当程度の制限を受けていたとはいえ、なお、これが可能であつたと認めることができるのであり、事故前から全く不能であつたとする被告らの主張は採用できない。

3  以上のとおりで、原告は、右中大脳動脈閉塞症による左片麻痺が昭和五二年二月一一日症状固定し、その後本件事故に至る約四年一〇か月の間は症状に特段の変化(特に右側の血行障害)もなく経過していたところ、本件事故後、日を浅くして、右膝伸展障害、右足しびれ感、眩暈、後頭部・右肩・右腕部のしびれ感が発現して現在も残存し、前記片麻痺と競合して起立歩行不能の状態に陥り、また右腕の巧緻運動の著しい制限といつた障害が発生したものである。右新たな症状と事故との因果関係について検討するに、前記甲第五号証の二三(東京大学医学部附属病院医師中村利孝の症状照会に対する昭和五七年三月二日付回答書)によれば、同医師は、原告の症状は、「脳血管障害による左片麻痺がもともとあるところに頸椎捻挫を合併し、頸部を中心とした交感神経刺激症状が続いている」との判断を示し、また成立に争いがない甲第七号証(山内整形外科病院医師山内健嗣の昭和五八年九月一九日付意見書)によれば、同医師は、原告の症状のうち、右上肢の反射亢進と事故との関係は不明であるが、右上肢の運動制限の大部分、右手指の巧緻運動の制限、右下肢の運動制限、循環障害は事故によるものとの判断を示していることが認められ、右事実と、右新たな症状は当裁判所に顕著な頸椎捻挫の症状例と合致していること、本件事故の態様、衝撃の程度(前記認定のとおり、原告は車内の天井及び後部座席に頭部を打ちつけ一時意識を喪失している。)に照らし、前記新たに発現した症状は本件事故を原因として発症したもので、事故との間に因果関係があるものと認めるのが相当である。

四1  被告大嶋が加害車両を所有していることは当事者間に争いがないから、他に特段の事情の認められない本件においては、同被告は加害車両を自己の運行の用に供していたものと認めるのが相当である。よつて、同被告は自賠法三条の規定により原告に生じた損害を賠償すべき責任を負う。

2  前記認定の事故態様に照らし、被告井上には前方不注視の過失があり、これにより本件事故を惹起させたものというべきであるから、同被告は民法七〇九条の規定により原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

五  損害

1  逸失利益

(一)  原告の事故当時の収入について

成立に争いのない甲第一号証、官公署作成部分の成立は争いがなくその余の弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第八号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故当時四七歳の男子で、前記の身体障害を負つていたことにより障害年金、福祉手当、生活保障法による生活扶助として月平均合計約金一三ないし一四万円の支給を受けていたが、その一方、知人の懇意によつてバー手伝いとしても稼働し年額金七二万円の収入を得ていたこと、また、原告は東京芸術大学出身の学歴を有し絵画の才能があつて、自由のきく右手により絵画を作成しこれを売却していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右絵画による収入について、原告本人尋問の結果中には、平均月金一〇万円の所得があつたとの供述部分があるが、右金額を裏付けるに足りる証拠はなく、原告のおおよその推測を述べたにすぎないと見るほかはないし、同証拠によれば、原告はこれを業として営む程の意思を必らずしも有してはいなかつたものと認められることを考慮すると、右月金一〇万円の所得のあつたことを認めることはできないけれども、前記事情に照らしなお、控え目にみて、原告は、事故時、昭和五六年度賃金センサス、産業計・企業規模計・学歴計の四七歳男子の平均賃金である年額金四五五万三九〇〇円の二〇パーセントに当たる年額金九一万〇七八〇円の所得を得ており、今後少なくとも後記稼働期間は右所得を得られた筈であると推認することができ、右推認を覆すに足りる証拠はない。

なお、原告は、原告の事故時の収入につき、昭和五四年度賃金センサス、産業計・企業規模計・学歴計の四七歳男子の平均賃金月額金三四万九六〇〇円(年額金四一九万九六〇〇円)の四四パーセントに当たる年額金一八四万五八八八円であるかの主張もしているが、原告が右所得を得られたであろう蓋然性を認めるに足りる証拠は存しない。

(二)  原告の症状固定時までの逸失利益(休業損害) 金六五万一二七〇円

前記認定事実によれば、原告は、本件事故による受傷のため、事故発生日から症状固定日と認められる昭和五七年八月三一日までの二六一日間全く就労が不能の状態にあつたことが認められる(右認定に反する証拠はない。)から、前記所得額を基礎に、その間の原告の逸失利益(休業損害)を算定すると、次の計算式のとおり金六五万一二七〇円(一円未満切り捨て)となる。

計算式 910,780÷365×261=651,270

(三)  後遺障害による逸失利益 金一六一万四七六七円

前記事実、特に本件事故による傷害及び後遺障害自体はいわゆる鞭打症とこれによる神経症状であること、原告が事故当時左片麻痺の状態にあつたところ右鞭打症がこれに競合して全く就労不能となり、原告は現在も稼働していないが、なお右膝の伸展障害はやや回復してきていること等本件に特有な事情を考慮すると、原告は本件事故により、症状固定日の翌日から四年間、前記労働能力の五〇パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。そこで、前記所得額を基礎に、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の後遺障害による逸失利益の症状固定日の翌日における現価を算定すると、次の計算式のとおり、金一六一万四七六七円(一円未満切り捨て)となる。

計算式 910,780×0.5×3.5459=1,614,767

2  慰藉料 金三〇〇万円

原告の前記受傷の部位・程度、通院治療期間(約八か月余、実通院日数合計三一日)後遺障害の程度、事故前の身体障害の態様、程度等の諸般の事情に鑑みると、原告の本件事故による精神的苦痛に対する遺藉料としては、金三〇〇万円が相当である。

六  以上の次第で、原告の本訴請求は、被告らに対し各自、金五二六万六〇三七円及びこれに対する本件事故発生日の翌日である昭和五六年一二月一五日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本久)

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