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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)4362号 判決 1984年5月15日

原告

秋山守雄

森泉袈裟弥

原告両名訴訟代理人弁護士

石川勲蔵

栗田盛而

被告

学校法人工学院大学

右代表者理事

前島為司

右訴訟代理人弁護士

五三雅彌

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告は、原告秋山守雄に対し、金二五二九万二一〇〇円、及び、内金一四二〇万二一〇〇円に対する昭和五六年四月二四日から、内金一一〇九万円に対する昭和五八年五月二五日から、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告森泉袈裟弥に対し、金二四三二万五八〇〇円、及び、内金一三一九万五八〇〇円に対する昭和五六年四月二四日から、内金一一一三万円に対する昭和五八年五月二五日から、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  第一、二項につき仮執行宣言。

(請求の趣旨に対する答弁)

主文と同旨。

(請求原因)

一  当事者

1 被告は私立学校法により設立された学校法人である。

2 原告秋山守雄は、生年月日は明治四〇年九月一六日、工学博士の資格を有するものであるが、昭和三二年四月一日被告大学に教授として終身雇用され、電気通信、応用数学等の講座を担当してきた。

3 原告森泉袈裟弥は、生年月日は明治四〇年八月二九日、工学博士の資格を有するものであるが、昭和四〇年四月一日被告大学に教授として終身雇用され、自動制御、電気機械設計等の講座を担当してきた。

二  従来の定年制及び就業規則による定年規程の新設

1 被告大学の教授の定年制は長らくなかったが、昭和四五年一二月七日の教授会において決議し、それを受けて理事会が昭和四五年一二月一七日「工学院大学教授定年制に関する覚書」を承認した。これにより同覚書は実質的慣行的に教授の定年制として定着してきた。右覚書の要旨は専任教授定年七三才、暫定特別専任教授定年七五才と定められている。

2 ところが被告は、昭和五三年九月二九日、就業規則による定年規程を教授会の審議を経ることなく一方的に作成し、前記教授会の定年制を教授の勇退制度と称して一方的に廃止した。右定年規程によると、教員(教授、助教授、講師、助手)の定年は付則の経過措置を経て最終的に満六七才と定められ、原告らの定年は右経過措置により七一才となる。

三  定年規程の無効

被告の新設した定年規程は次の各事由により原告らに対して無効である。

1 被告大学学則は、教授は教授会を構成する旨を定め、更に、同学則第一三条3項は「教員の人事に関する事項」に関して審議する権限を有する旨を定めている。そして、教員の定年に関する審議は昭和五〇年頃までは教授会が慣行的に実施してきた。

右学則及び慣行は、学校教育法第五九条、即ち、教授会の審議権は教授会が大学の自治的管理機関として学校教育に関する「重要な事項」を審議する権限を有するとされることに基いている。

しかるに、被告大学は、右学則及び慣行を無視し、前述のとおり定年規程を定めた。かかる行為は、明らかに右学則及び慣行を破るとともに、学校教育法第五九条、憲法第二三条に違反するものであり、同規程が原告らに対して無効であることは明白である。

2 専任教授は、教授会の構成員として、労働組合法第二条一項の「雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者」に該当するから、非組合員であるべきものである。かつ、被告大学の教授は、若干の例外を除いて、ほとんどが輪番的に役員、教務部長、学生部長、主任教授等を兼務している。教授で労働組合に加入している者は教授総数の三分の一に過ぎず、しかもほとんどが組合員らしい活動はしていない実情であるとともに、定年規程に関する理事側と労組との協議にはほとんど参加していない。したがって、これらの教授組合員は、名目的には組合員であっても、法的には労働組合法第二条一項に該当する不当労働組合員である。

右のとおり、専任教授は非組合員や不当組合員であるから、被告大学と労働組合との協議によって決めた定年規程を教授に適用することは労働組合法第二条に違反するから不当である。

3 原告らは、雇用契約に際し、終身(生涯)雇用を重要な労働条件としてこれを特別に附加して契約したものであり、既に契約の重要な要素となっているものである。このように定年がないことが契約の特別条件となっている雇用契約については、不利益を受ける当事者の承諾なしに就業規則によって一方的に定年を適用することは契約の原則に反するとともに、既得権の侵害として無効である。

四  原告らの損害

1 逸失利益(給料賞与等)

原告らは、右定年規程が適用された結果、被告より昭和五四年四月一日から同五六年三月末日まで二年間教授の地位を剥奪され、暫定特別専任教授として処遇されたものであるが、教授としての地位にあったならば得たであろう利益と暫定特別専任教授としての待遇との差額について、原告秋山守雄は別表(略)(一)のとおり金七七七万九〇一四円、原告森泉袈裟弥は別表(二)のとおり金七七四万六二〇一円の得べかりし利益を失った。

更に、原告らは、本来ならば昭和五六年四月一日から同五八年三月末日まで暫定特別専任教授の地位にあるべきところ、右定年規程により昭和五六年三月末日をもって退職させられた。したがって、原告らが右二年間暫定特別専任教授の地位にあったならば得たであろうその間の逸失利益(給料賞与その他の手当)は、原告秋山守雄については別表(三)のとおり金一一〇九万四四四五円であり、原告森泉袈裟弥については別表(四)のとおり金一一一三万八八四五円である。

2 逸失利益(退職金)

原告らが原告主張の期限まで教授の地位にあったならば、原告秋山守雄は金一七四五万一〇〇〇円の退職金を、原告森泉袈裟弥は金九七九万九四〇〇円の退職金を得たはずであるが、昭和五四年、原告秋山は金一四〇一万八九〇〇円を、原告森泉は金七三四万三六〇〇円を退職金として被告から支給されたので、原告秋山は差額金三四三万二一〇〇円の、原告森泉は差額金二四五万五八〇〇円の各損害を蒙った。

3 慰藉料

原告らは被告大学により理由なく教授の地位を剥奪され、給与の半減、教授会からの締め出し、社会的体面を毀損されたのみならず、晩年の貴重な時間を不愉快に空費されることを余儀なくされる等多大の精神的損害を蒙った。その精神的苦痛は計り知れないが、これを金銭に見積れば原告各自金三〇〇万円を下らない。

五  被告の損害賠償責任

被告の新設した前記定年規程は、前述のとおり原告らに対して無効のものであるにもかかわらず、被告は、故意過失によりこれを原告らに適用して原告らの教授、暫定特別専任教授の地位を剥奪したものであるから、雇用契約上の債務不履行又は不法行為として原告らが蒙った損害を賠償する義務がある。

よって、原告秋山守雄は被告に対し、前記損害金の内金二五二九万二一〇〇円及び内金一四二〇万二一〇〇円に対する昭和五六年四月二四日から、内金一一〇九万円に対する昭和五八年五月二五日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告森泉袈裟弥は被告に対し、前記損害金の内金二四三二万五八〇〇円及び内金一三一九万五八〇〇円に対する昭和五六年四月二四日から、内金一一一三万円に対する昭和五八年五月二五日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否及び反論)

一  請求原因第一項記載の各事実については、原告らが被告に終身雇用されたとの点は否認し、その余は認める。

二  請求原因第二項1記載の事実のうち、被告大学の教授の定年制が存しなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。昭和四五年一二月一七日に教授会の決議によって成立した「覚書」は、当時定年制の制定の機運があったなかで当面の措置として教授会が勇退を合意したものであって、定年制を定めたものとはいえない。

三  請求原因第二項2記載の事実については、被告が原告主張の日に定年規程を制定したことは認めるが、その余は争う。

四  請求原因第三項記載の事実は全て否認する。

1 定年制の問題は、学則第一三条3項の「教員の人事に関する事項」にも、学校教育法第五九条に規定する「重要な事項」にも該当しない。また、被告大学において、これまで「定年」を学則第一三条3項の「人事に関する事項」に含まれると解釈、運営したことは全くない。

2 被告は、本件定年規程の制定にあたり、労働組合の意思を徴したことはあっても、労働組合との合意にもとづきこれを制定したものではないから、労働組合法第二条に違反する旨の原告の主張は失当である。

3 原告らが雇用された当時定年規程が存しなかったといっても、それが終身雇用を保障したり、将来にわたって定年制を採用しないことを意味するものではない。

五  請求原因第四項記載の事実については、原告らは本件定年規定が適用された結果、昭和五四年四月一日から同五六年三月末日まで二年間被告より教授の地位を剥奪され、暫定特別専任教授として処遇されたこと、更に昭和五六年三月末日をもって退職させられたことについてはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

六  請求原因第五項については争う。

(被告の主張)

被告大学における定年制に関する定めは、私立学校法人であるため被告大学の経営の基本に関する問題であって、法人の財政を含めた経営責任を担い、その健全かつ永続的な運営を行う義務と責任を負担する法人理事会が決定権を有している。

本件定年規程は、教授の学問研究、指導において不可欠のものとして要求される適格性の老齢化による逓減、教員人事の硬直化を回避し、後進に昇進の道を拓き、活力ある研究の場を教員ならびに学生に付与するとともに、人件費を中心とする財政計画を確立しようと計り、他大学の定年年齢をも充分考慮に入れた上で立案し、教授等関係者の意見を充分に求め、経過措置を充分に組入れて制定した極めて合理的なものである。

第二証拠(略)

理由

一  被告が私立学校法により設立された学校法人であること、原告秋山守雄(明治四〇年九月一六日生)は昭和三二年四月一日に、原告森泉袈裟弥(明治四〇年八月二九日生)は昭和四〇年四月一日に、いずれも被告大学に教授として雇用されたことについては当事者間に争いがなく、被告大学には教授の定年制が長らくなかったこと、しかるに、昭和五三年九月二九日被告は就業規則による定年規程を作成したこと、右定年規程によると、教員(教授、助教授、講師、助手)の定年は付則の経過措置を経て最終的に満六七才と定められ、原告らは、右定年規程及び付則の経過措置が適用された結果、昭和五四年四月一日から同五六年三月末日までは教授の地位を剥奪されて暫定特別専任教授として処遇され、昭和五六年三月末日をもって退職させられたことについてもいずれも当事者間に争いがない。

なお、原告らの右雇用契約は終身雇用であったと原告らは主張するのでこの点につき判断するに、原告秋山守雄本人尋問の結果中には、原告秋山守雄の被告大学への雇用勧誘に際して、同大学の主任教授が同原告に対して被告大学は給料は安いが元気ならいつまでも働くことができる旨を述べ、同原告はこれを終身雇用の趣旨に理解していた趣旨の供述部分が存するが、(人証略)によれば、被告大学には設立当初から定年制に関する規定は存在しなかったものの、原告秋山守雄が被告に雇用された昭和三二年頃から被告大学には既に定年制を定めたいという意向が存在し、現に被告が昭和三三年頃作成した就業規則案にも定年制の規定がもり込まれていたこと、また、被告大学の実際の運用においても、死亡退職、希望退職の他いわゆる肩たたきと称する退職勧告によって定年制の缺欠を補ってきており、終身雇用が被告大学の実態とはなっていなかったことが認められ、これに反する証拠は他に見あたらず、してみると、前記主任教授の発言は、単に被告大学には現在画一的な定年制が存在しないことを述べたにすぎないのであって、必ずしも終身雇用である趣旨までをも述べたものとは解されず、一方、労働契約に定年の定めがないということは、必ずしも労働者に対して終身雇用を保障したものではなく、ただ雇用期間の定めのない契約にすぎないと解するのが一般であるから、原告秋山守雄本人尋問の結果中の右供述部分をもって、原告らの雇用が終身雇用であったものとは認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠もみあたらないので、この点に関する原告の主張は採用できない。結局、原告らの雇用契約は雇用期間の定めのない契約であったものと認めるのが相当である。

二  原告らは、被告が昭和五三年九月二九日に新設した就業規則による定年規程は原告らに対しては無効である旨を主張するので、次にこの点につき判断する。

1  被告大学学則が、第四章に教授会の規定を置き、その第一三条が教授会の審議事項として

(1)  学則の決定および変更

(2)  学長の推薦

(3)  教員の人事に関する事項

(4)  教育課程に関する事項

(5)  試験および卒業に関する事項

(6)  入学、編入学、転部、転科、休学、再入学、除籍および懲戒に関する事項

(7)  その他、教育研究ならびにその運営に関する重要な事項

を列挙していることは、原本の存在及び成立に争いのない(証拠略)によって明白である。

ところで、右学則は、学校教育法第五九条一項の「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」との規定に基づくものであることはいうまでもないが、同法規にいう教授会が審議すべき重要な事項については、同法施行規則第六七条が「学生の入学、退学、転学、留学、休学、進学の課程の修了及び卒業は、教授会の議を経て、学長が、これを定める。」と規定しているにすぎず、これら施行規則が列挙する事項がその範囲に含まれることは明白であるとして、これ以外にどのような事項をその範囲に含ませるかについては、具体的には各大学の定めるところに委ねているものと解さざるを得ない。

そこで、被告大学のこの点に関する前記の規定、特に学則第一三条3項の「教員の人事に関する事項」に教員の定年制の問題が含まれるか否かにつき判断するに、およそ教授会の審議事項として「教員の人事に関する事項」を規定する所以は、憲法及び教育基本法が規定する「学問の自由」に由来する大学の自治に基づくものであり、学問的研究活動の自由を保障するためには研究者に対する任命権者又は外部勢力による圧力干渉を排除する必要があり、したがって教員の任免等の人事に関しても大学の自主性を尊重してその自治を認める必要があるとするものであるから、「教員の人事に関する事項」とは、教員の採用及び昇任の選考、勤務成績の評定、転任、降格、免職等、これを任命権者の独断に委ねた場合に不当な恣意が介入するおそれのある事項がこれに含まれることは解釈上当然であるといえるが、定年制の問題はこれらと様相を異にし、一定年齢の到来によって一律に退職の効果が生ずるものであって、研究者に対する任命権者又は外部勢力による圧力干渉とは直接結びつかない事項であるから、定年制の問題も解釈上当然に「教員の人事に関する事項」に含まれるとまでは解することはできず、また、通常の用例としても「教員の人事に関する事項」は定年制の問題を含ませるのが一般的であるとは必ずしもいいがたく、一方、前記被告大学学則の記載の体裁自体からも定年制に関する問題が「教員の人事に関する事項」に含まれる趣旨であることが明白であるとはいえないから、教員の定年制の問題が被告大学学則第一三条3項にいう「教員の人事に関する事項」に含まれるものと認めることはできない。なお、教育公務員特例法には、教員の停年が評議会又は教授会の審議事項である旨の規定が存するが、このような教育公務員特例法の定める人事上の保障は、私立大学については直接適用がないものであって、以上の判断に影響を与えるものではない。

よって、本件定年規程が教授会の審議を経ていないので学則第一三条、学校教育法第五九条、憲法第二三条に違反して無効である旨の原告らの主張は失当である。

なお、原告らは、被告大学においては定年制に関する審議を教授会が慣行的に実施してきたとし、本件定年規程の制定手続が同慣行違反である旨を主張するので、この点についても判断する。(証拠略)によれば、被告大学においては、定年規定がなかったため、昭和四四年度(昭和四四年四月一日から同四五年三月末日までの期間年度)以降昭和五〇年度までの間、毎年、教授会において、当該年度末に一定年齢に達する教授は自主的に辞任する旨の申し合わせを行ない、これを「工業院大学教授定年に関する覚書」として決議してきたことが認められるが、(証拠略)によれば、これら覚書は、当該年度に一定年齢に達する教授が勇退として自主的に辞任することを教授会の決議として取り決めたものであって、これが定年制に関する審議に該当するものであったとは認めることができず、他に原告らが主張する右慣行を認めるべき証拠も存在しないから、原告らのこの点に関する主張も失当といわざるを得ない。

2  原告らの本件定年規程は労働組合法第二条に違反するから無効であるとの主張は、同条項が同法上の労働組合として認められるための要件を定めた規定であることに照らせば、同条に依拠して原告らの右主張を導くことができないことは明白であり、したがって、主張自体が失当であるというべく、また、本件定年規程は就業規則によるものであることは当事者間に争いのない事実であるから、同規程が労働協約であることを前提とした原告らの右主張は、この点からも主張自体失当である。

3  更に、就業規則による本件定年規程の新設は原告らの承諾のない契約条件の不利益変更もしくは既得権の侵害であるから無効であるとの主張につき判断する。

一般に、就業規則は、経営主体が一方的に作成し、かつ、これを変更することができることになっているが、新たな就業規則の作成または変更によって、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは原則として許されない。しかしながら、就業規則は、労働条件を集合的に処理し、これを統一的かつ画一的に決定することにその意義を有するものであるから、当該就業規則の条項が合理的なものであるかぎり、右の原則にもかかわらず、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されないと解すべきである(最高裁昭和四三年一二月二五日大法廷判決民集二二巻一三号三四五九頁参照)。そして、定年制自体は一般的にいって不合理な制度ということはできないから、本件定年規程が既得権の侵害にあたるか、あるいは不利益な労働条件といいうるかをまず検討し、更に、同規程の内容が合理性を有するものであるかどうかを検討する。

そこで、本件についてみるに、原告らの雇用契約が終身雇用であるとは認められず、期間の定めのない雇用契約であったものと認めるべきことについては既に判示のとおりであり、期間の定めのない雇用契約は、将来にわたって定年制を採用しないことを意味するものではなく、労働者にその旨の既得権を認めるものではないから、本件定年規程によって新たに定年制を設けたことが原告らの既得権を侵害するものと解する余地はないが、(証拠略)によれば、被告大学では、従前は定年制が全く存在せず、したがって、被告大学の教授は、適宜、被告の勧告によって辞退した他、昭和四五年以降は、教授会において決議した「工学院大学教授定年に関する覚書」に従って、満七五才に達したものは教授を辞任して以後二年間を限度として暫定特別専任教授として勤務するという内容の、更に、昭和四六年以降はこれを二年短縮して、満七三才に達したものは、教授を辞任して以後二年間を限度として暫時特別専任教授として勤務するという内容の、いわゆる勇退制度によって、定年制にかわる運用が事実上行なわれてきたが、本件定年規程の新設によって、以後、教員職員は六七才を定年とされるに至ったこと、ただし、付則の経過措置により、

(1)  昭和五二年三月末日現在七二才以上の者の定年 七三才

(2)  同日現在七一才の者の定年 七二才

(3)  同日現在六九才、七〇才の者の定年 七一才

(4)  同日現在五八才以上六八才までの者の定年 七〇才

(5)  同日現在五六才、五七才の者の定年 六九才

(6)  同日現在五四才、五五才の者の定年 六八才

と定め、定年後二年間を限度とする暫定特別専任教授の制度は従来どおり残されたこと、原告らは、この結果、定年は七一才とされ、以後七三才まで暫定特別専任教授とされることになったこと、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はなく、右によれば、本件定年規程の新設により、実質的にみて、原告らの労働条件は不利益に変更されるに至ったものと認めることができる。そこで、本件定年規程の新設されるに至った経緯及び規程の合理性等についてみるに、(証拠略)を総合すれば、本件定年規程は理事会において突如として制定されたものではなく、昭和四四年以降、教授会でも将来定年制を設けるのが相当であるとの前提で七五才、さらには七三才の勇退の決議が毎年くり返しなされていた状況の下で、理事会が、教授会の正式の審議にこそ付さなかったが、定年規程案を教授会の場で説明し、これに対する各教授の意見をアンケート形式で聴取したうえで、制定したものであり、同案に対しては定年を七〇才位にすべきだとの二、三の教授からの反対意見はみられたが、多くの教授は特に反対意見を述べていないこと、本件定年規程で新たに設けられた六七才という定年は、定年制を有する他の私立大学の事例を検討してその平均的年齢をもって定めたものであり、したがって、同種の職種の世間一般の定年に比較して低きに失するものとはいえないことがそれぞれ認められ、これら認定を覆すに足りる証拠はなく、また前認定のとおり、長期にわたる経過措置が置かれており、本件定年規程を一律に適用することによって生ずる高齢者に対する苦酷な結果を緩和する措置がとられていることなどを総合勘案すれば、本件定年規程は必ずしも不合理なものということはできず、原告らは、これに同意しないことを理由として、本件定年規程の適用を拒否することはできないものといわなければならない。

三  よって、原告らの本件請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当であるからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本正樹)

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