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東京地方裁判所 昭和54年(ヨ)2312号 判決 1980年12月25日

申請人

加勢ナナ子

右申請人代理人

松井繁明

外二名

被申請人

株式会社ラジオ関東

右代表者代表取締役

遠山景久

右被申請人代理人

竹内桃太郎

外五名

主文

申請人が被申請人に対し、アナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位にあることを仮に定める。

申請人のその余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  被申請人が申請人に対して昭和五四年四月二〇日付で行つた編成業務部への配置転換命令の効力を仮に停止する。

2  申請人が会社業務本部制作局制作部に所属し、アナウンス業務に従事する地位を仮に定める。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1(一)  被申請人株式会社ラジオ関東(以下、単に会社という。)は、放送免許事業を主たる業務とする資本金三億円、従業員約一六〇名を擁する株式会社である。

(二)  申請人は、右会社の従業員であり、かつ、会社構内で働く労働者によつて組織された民放労連ラジオ関東労働組合(組織人員約五〇名、以下、組合という。)の組合員である。

2  申請人は、会社業務本部制作局放送部(以下、放送部という。)にアナウンサーとして勤務するものであるところ、会社は、昭和五四年四月二〇日付で、申請人に対し、業務局編成業務部(以下、編成業務部という。)へ配置換えする旨の命令(以下、本件配転命令という。)をなした。

3  しかし、本件配転命令は、次の理由により無効である。

(一) 労働契約違反

(1) 会社のアナウンサー入社試験は、一般社員の入社試験とは別個に行なわれた。その内容は、1第一次から第三次までにわたる音声試験、2筆記試験、3役員面接、4身体検査である。1の音声試験は極めて厳格な試験であつたが、これはアナウンサー志望者のみに課せられ、一般社員の入社試験にはふくまれていなかつた。

申請人が昭和三五年夏に受験した会社のアナウンサー入社試験の内容は次のようであつた。

① 第一次音声試験

(ⅰ) 応募者数 約一二五〇名(男女含む)

(ⅱ) 試験場 本社

(ⅲ) 試験内容 受験番号、氏名などを名乗らせ、あるいはごく簡単な文章を三〇秒程度朗読すること。

(ⅳ) の合否の決定 試験当日その場で判明。応募者数の大半を振るい落とす。

② 第二次音声試験

(ⅰ) 試験内 容多少長い文章(例えば天気予報、コマーシャル、早口言葉など)を一分三〇秒程度朗読すること。

(ⅱ) 合否の決定 試験当日その場で判明。

③ 筆記試験

この筆記試験は一般社員と同時に同試験場で行なわれた。

(ⅰ) 試験内容 英語・国語・一般常識・作文

(ⅱ) 合否の決定 約一週間後に通知された。

④ 第三次音声試験

<中略>

(2) 最終合格者は申請人の他、申請外林洋右、同樋口忠正、同奥野暁子、同佐野璃江子であつた。

申請人は、右四名の合格者と一緒に、最終合格通知を受けたその年の一〇月一日から翌年三月半ばまで約六ケ月間、会社のアナウンサー養成の講習を受けた。

右講習は、アナウンサー試験合格者を翌年本採用までに専門的、特殊技能を高く要請されるアナウンサーとして使用できるようにするためのものであつた。従つて一般社員として採用される採用内定者に対しては行なわれなかつた。

講習の概要は<省略>

(3) 右のとおり申請人は、昭和三六年四月一日、会社にアナウンサーとして採用されたものであり、したがつて、会社との間では申請人の職種をアナウンサーと特定する旨の労働契約が結ばれていたものである。

(4) しかるに、申請人が配転された編成業務部は、番組旨算の立案・管理・調整、番組の編成・企画・宣伝、CM製作などの外に自動スポット編集装置(通称一〇〇R、以下単に一〇〇Rと略称する)の運用等を所掌事務とし、申請人が新しく従事する職種は、一〇〇Rのキーパンチャーである。

(5) よつて、本件配転命令は、職種の変更を伴つており、したがつて申請人との労働契約に違反し、無効である。

(二) 権利の濫用

(1) 申請人は、かねてから、女性として、特殊技能を必要とする専門職であるアナウンサーを生涯の仕事とすることを希望して、会社に入つたものであるが、本件配転は、入社後一八年間にわたり一貫してアナウンサーの職務に従事し、この専門職を全うすることに人生の価値を見い出してきた申請人に対し、苛酷な犠牲を強いるものである。

(2) 会社において、一〇〇Rの所管を編成業務部へ移管しなければならない絶対的理由はなく、また、一〇〇Rの操作は単純労働の範囲に属し、誰にでもできる業務であるから、この要員は全社的範囲で人選することが可能であつて、制作局内から選ばなければならない必然性はなく、さらに、本件配転によつて婦人アナウンサーは人員不足の状態になる。

(3) 会社の就業規則には配置転換に関する規定がなく、これに関する労働協約も存在しない。さらに、会社は、本件配転につき、申請人の了解を得るべく誠実な努力をしていない。

(4) 以上の事実を総合すれば、本件配転命令は、合理的理由を欠き、申請人に一方的かつ苛酷な犠牲を強いるものであつて、手続的にも誠実性を欠くものとして、権利の濫用にあたり、無効である。

(三) 不当労働行為

(1) 申請人は、入社後試用期間を終了した昭和三六年一〇月組合に加入し、同五一年八月組合婦人部長、拡大中央闘争委員、同五二年八月関東地連婦人協議会副議長を歴任、本件配転当時は同協議会常任委員の地位にあつた。

(2) 申請人と同期に入社した者は現在五名残つているが、組合員である申請人が平社員、同じく申請外樋口忠正が主任に留めおかれているのを除くと、他はいずれも組合を脱退し、課長に昇格している。

(3) 申請人の夫加勢和昭(以下単に和昭ともいう)は、同じく会社の従業員であるが、最も有力な組合活動家の一人である。右和昭は、その組合活動を理由として、これまで会社から刑事告訴や解雇処分を受け、勤続二一年の大学卒業者にもかかわらず平社員のまま留めおかれるなど常に不当な差別を受けてきた。そのうえ会社は、同五二年四月、右和昭を、制作部(プロデューサー)から一般事務職であるレコード管理室への配転を強行し、これは現在、東京都地方労働委員会で不当労働行為事件として争われている。

(4) 本件配転により、申請人は、専門職であるアナウンサーの職務を奪われ、職務上重大な不利益を被り、かつ、その精神的苦痛も大きい。

(5) 以上の事実を総合すれば、本件配転は、申請人自身、もしくはその夫和昭の組合所属ないし活動を嫌悪し、それに対する攻撃を真の理由として行つたものであり、申請人に重大な職務上、精神上の不利益を与えるものであつて、不当労働行為に該当し、違法無効である。

4  保全の必要性

(一) アナウンサーとしての業務は、漫然としていて勤まるものではなく、絶えず訓練を続けることが必要な熟練労働である。しかも、アナウンス技能を維持するためには、単に平素の発音、発声の訓練だけでなく、同時に緊張感も含んだ個性豊かな場面場面でのアナウンス業務そのものが、最良の訓練場となるのである。したがつて、申請人をこのまま放置しておけば、熟練を要する職種の性質上、技能の低下を招くことにもなり、一刻も早く申請人をアナウンスの職場に復帰させねば、例え本案訴訟で勝訴しても、そのアナウンス技能の低下に影響を与える恐れがでてくる。

(二) また、本件配転命令は違法であるから、申請人は何ら本件配転命令に従う義務を負わないものであるが、しかし、そのことが本案判決によつて確定されるまでは、申請人は、事実上、会社からアナウンス業務に従事することを拒否されるとともに、法律上何ら従事する義務のない編成業務部の業務に従事することを余儀なくされることとなる。そうだとすれば、申請人がそのことによつて本案判決の確定するまでの間に被る精神的ないし身体的苦痛は甚大なものである。

したがつて、申請の趣旨記載のとおり地位保全の仮処分を求める必要がある。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1および2の事実は認める。

2(一)(1) 申請の理由3(一)(1)(2)の各事実は、いずれも認める。

(2) 同3(一)(3)の事実中、申請人が、同三六年四月一日に会社に採用された点は認め、その余の事実は否認する。

(3) 同3(一)(4)の事実中、編成業務部の所掌事務の内容及び申請人が同部でDN-一〇〇R型自動スポット編集装置関係業務に従事していることは認めるが、その余は争う。スポットテープのアドレス番号を運行表にもとづき磁気テープに記録する作業は、キーパンチ業務と目すべきものではないのみならず、右の作業は一〇〇R関係業務の一部分をなすにすぎない。

(4) 同3(一)(5)の事実は争う。

(二)(1) 同3(二)(1)の事実中、申請人の入社の動機は不知、その余の事実は、否認する。

(2) 同3(二)(2)の事実は否認する。

(3) 同3(二)(3)的の事実中、会社の就業規則には配置転換に関する規定がなく、これに関する労働協約も存在しないことを認め、その余の事実は否認する。

(4) 同3(二)(4)の主張は争う。

(三)(1) 同3(三)(1)の事実中、申請人が昭和三六年一一月頃組合に加入したこと、組合婦人部長(拡大中央闘争委員)であつたことは認め、その余の事実は不知。

(2) 同3(三)(2)の事実は認める。

(3) 同3(三)(3)の事実中、申請人の夫和昭が会社の従業員であること、同人が業務上保管中の出張旅費仮払金の一部を着服費消するという行為があつたので、会社が同人を刑事告訴し、制裁解雇(昭和四四年一二月二四日付)したこと(しかし、右の件は、東京都地方労働委員会において和解が成立し、同人は同四六年七月二一日復職した。)、同人が現在も社員の資格であること、同五三年四月(五二年ではない)会社が同人を制作部から資料部に配転したこと、組合および同人がこれを争つて東京都地方労働委員会に救済申立を行い、係争中であることは認め、その余の事実は争う。

(4) 同3(三)(4)の事実は否認する。

(5) 同3(三)(5)の主張は争う。

本件配転直前における女子アナウンサーは申請人を含めて六名であつたが、新名保子が非組合員(課長)である外、五名はいずれも組合の組合員である。これら組合員アナウンサーの間で組合経歴に特に大きな差があることは考えられないし、石倉辰子を除く他のアナウンサーは、いずれも既婚者であるが、例えば、天野八重子の夫天野捷一も申請人の夫と同じく、会社の従業員であり組合執行委員を歴任している。このように、申請人に対する本件配転は、同人の組合活動歴とか、その夫の組合所属ないし活動が理由である、などというものでは全くない。

3  同4(一)(二)の事実は、すべて争う。

女子アナウンサーが産前産後休暇等のため長期問仕事を休んだ場合であつても、出勤すると直ちにアナウンス業務についているのが実情であるので、仮処分をもつて回復し難い損害を被るとして保全しなければならない緊急性は存しない。

三  被申請人の主張

1  会社と申請人間の雇用契約は、アナウンサー業務にその職種を特定したものではない。会社は、昭和三六年四月一日付をもつて申請人を採用したが、その採用辞令が「社員試用として採用し編成局アナウンサー室勤務とする」というものであることからも明らかなように、社員(但し、六か月間の試用期間を置く)として採用したものであつてアナウンサーとして採用したというものではないし、また、勤務部署として「編成局アナウンサー室」を指示しているが、これも雇用契約存続期間中、編成局アナウンサー室ないしこれに相当する部署にのみ所属せしめる、といら趣旨ではない。

2  仮に、会社が同三六年四月一日付で申請人と締結した雇用契約において、職種をアナウンサーの業務に特定する旨の合意が存していたと解されるとしても、当時会社に採用され、アナウンサー業務についた他の社員におけると同様、その合意は、その後、情勢の変化に伴い黙示的に変更されたものである。すなわち、かつては、アナウンサーの業務とは即アナウンスメントであり、如何にして正しく美しくアナウンスするかがアナウンサーたる者の責務とされていたのであるが、その後、個性を前面に押し出し、これを売物とするいわゆるタレントが聴取者の共感と支持を受けてアナウンサーの職場に進出するようになつてからは(スポーツ中継などはまだそのようなことはない)、アナウンサーも旧来の枠にとらわれていたのでは、その存在価値すら乏しくなるので、単なるアナウンス業務のみではなく、一つの番組の企画から制作までをも担当しうるように努めるべく要求されるようになつて来た。会社においては、同四二年頃から、アナウンサーの自己修練によるパーソナリティ(個性)の発揮及びアナデューサー(アナウンサー・プラス・プロデューサーの仕事を兼ねる職種についての造語である。)化という方針を立て、単なるアナウンサーから脱皮して幅広く番組制作面に活動すべきことを求めており、会社内のアナウンサーもこれを了解し、能力のない者は未だ実績を上げ得ないでいるが、能力のある者はプロデューサーの手を借りず自分一人で取材先との連絡をとり携帯用録音機をかついで取材し編集もする、ということをしている。このように会社内において、アナウンサーとしての「職種の特定」は崩壊したのである。

そして昭和四〇年代半ば以降においては、特別の訓練を受けたアナウンサー以外の、いわゆるタレントや学識経験者等アナウンサーとしては素人ともいうべき人達の大量進出を見るようになり、「日本語を正しく美しく読み、話す」技能はアナウンサーの基礎的な技能としての評価に留まり、この基礎的な技能の上に高度な技術を積んだスポーツ中継放送等が行えるとか、豊富な知識やパーソナリティを発揮し、その持味をもつて担当番組の特色となしうる域に達してはじめて専門職性を認められるというように、会社内においてもアナウンサー業務の専門性に対する認識が変化してきた。いいかえれば、アナウンサー業務に従事する者を専門性の認められる者と然らざる者とに二分する認識が一般的になつてきた。そして、会社のアナウンサー社員の間には、右にいう専門家と認められるアナウンサーとしての適性のない者は、アナウンサー業務の枠にとらわれず、それ以外の業務にも従事しなければならないとの認識が定着し、他の業務に従事するようになつた。

3  仮に、右1の主張が認められないとしても、申請人は、同五〇年四月から同五一年四月までの間、横浜報道制作部から報道部に異動して勤務しており、報道部への配転命令に従つた時点で、明示的に、雇用契約の内容をアナウンサーの職務に特定するとの合意は変更されたものである。

4  申請人の配転の合理性

(一) 編成業務部における人員補充の必要性

<中略>

5 以上のとおりで、本件配転命令は申請人との労働契約の範囲内のものであり、かつ、会社の業務上の必要性に基づいてなされたものであるから有効であつて、違法、不当なものではない。

四 被申請人の主張に対する申請人の認否及び反論<以下、事実省略>

理由

一申請の理由第1、2項の事実は当事者間に争いがない。

二申請人は、本件配転命令が申請人と会社間の労働契約に違反する旨主張するので、以下検討する。

1  申請人と会社との間の昭和三六年四月一日付労働契約の内容について

<疎明>を総合すると、次の事実を一応認めることができる。

(一)  申請人は、昭和三六年三月、日本大学短期大学部放送科を卒業したものであるが、早くから自己の職業としてアナウンサーを志し、すでに右短大在学中よりクラブ活動として同大学アナウンス研究会に所属したり、東京アナウンスアカデミーに通学したりして、アナウンサーに必要な知識、技術、能力等の修得に努めていたものであること。

(二)  申請人は、会社が同三五年夏に行つた男女のアナウンサー採用のための公募に応じ、その採用試験(試験の内容が申請の理由3(一)(1)のとおりであつたことは、被申請人会社の認めるところである。)に合格して編成局アナウンサー室の従業員に採用されることになつたものであるが、右採用試験は、アナウンサーとしての能力、適性の選別に重点を置いて実施されたものであり、第一次音声試験、第二次音声試験、筆記試験、第三次音声試験、役員面接、身体検査の順序で厳格に行われたこと、そして、右の試験の応募者が約一二五〇名であつたのに対し、最終合格者は申請人を含めわずか五名にすぎなかつたこと。

(三)  申請人らアナウンサー採用試験の最終合格者は、いまだ採用内定の段階にすぎなかつた同三五年一〇月一日から採用決定までの翌同三六年三月中旬ころまでの約五か月半の間、アナウンサー講習生として会社からアナウンサーに必要な特別の教育、訓練を受けた(右講習の内容が申請の理由3(一)(2)のとおりであつたことは被申請人会社の認めるところである。)うえ、同三六年四月一日に、編成局アナウンサー室の社員(但し、六か月間の試用期間を置く。)として採用されたものであること。

(四)  会社は、同三五年夏、アナウンサー採用試験のほかに、技術部門を除く一般社員の採用試験をほぼ同時に実施したが、この採用試験はアナウンサー採用試験とは別個の目的および内容を有するものであつたこと。

(五)  そして、申請人は、右のとおり同三六年四月一日に編成局アナウンサー室の社員に採用されてから本件配転命令を受けるまでの約一八年間、途中、編成局アナウンサー室ないし放送部ではなく、同四七年二月から同五〇年二月まで横浜報道制作部、同五〇年四月から同五一年四月まで東京支社制作局報道部にそれぞれ所属したことはあるものの、ほぼ一貫して、ラジオ放送のアナウンス業務を中心に従事してきたものであること。

(六)  会社の就業規則には、社員の配置転換に関する規定はなく、また、これに関する労働協約も存在しないこと。

(七)  以上の各事実が認められ、右認定に反する疎明は、措信しない。

2  そこで、前認定の各事実を総合して検討する。

一般に労働契約の締結において、労働者は企業運営に寄与するため、使用者に対して労働力を提供し、その使用を包括的に使用者に委ねるのに対し、使用者はその労働力の処分権を取得し、その裁量に従い、提供された労働力を按配して使用することができるものである。このことは、すなわち、当該労働契約において特に労働の種類・態様・場所についての合意がなされていない限り、これらの内容を個別的に決定し、抽象的な雇用関係を具体化する権限は使用者に委ねられており、使用者は右権限に基づいて、労務の指揮として、自由に具体的個別的に、その内容を決定することができる。配置転換等の人事異動は使用者の有する右のような権限に基づく命令であり、それは、使用者が先に自らが決定していた労働契約の具体的個別的内容を一方的に変更する行為ということができ、その意味において、一種の形成行為と解するのが相当である。従つて、当初の労働契約において、労働の種類・態様。場所についての合意がなされている場合は使用者たる会社のなす配置転換の命令は、労働者に対して、当初の契約変更の申入れであり、当該労働者の同意がなければ、その効力を生じないものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、申請人が会社に雇用される際に会社の課した採用試験が、会社のアナウンサー採用のための試験であり、その試験に合格し、本採用の決定に至るまでの申請人に対する講習等の実態を併せ考えると、申請人が会社に雇用される際の労働契約締結にあたつて、会社に対し、アナウンサーとしての業務以外の業務にも従事してよい旨の明示または黙示の承諾を与えているなどの特段の事情が認められないかぎり、申請人は、会社との間で、アナウンサーとしての業務に従事するという職種を限定した労働契約を締結したものと認めるのが相当である。そして、本件の全疎明資料を検討しても、申請人が右労働契約締結の際に会社に対し、アナウンサーとしての業務以外の業務にも従事してよい旨の明示または黙示の承諾を与えているなどの特段の事情は認められない。そうすると、申請人がその後個別に承諾しないかぎり、申請人は、会社に対し、アナウンサーとしての業務以外の業務に従事することを命ぜられたとしても、申請人において右命令に同意しないかぎりその命令に従うべき労働契約上の義務を有しないものといわなければならない。

三次に、会社は、昭和三六年四月一日付で申請人と締結した雇用契約において、職種をアナウンサーとしての業務に特定する旨の合意が存していたとしても、当時会社に採用されアナウンサーとしての業務についた他の社員におけると同様、右合意は、その後、会社内の情勢の変化に伴い、その職種は、黙示的に変更され、アナウンサーとしての業務に従事する者についてもいわゆる専門性の認められる者とそうでない者に分けられ、後者に該当する者は、アナウンサーとしての業務の枠にとらわれず、それ以外の業務にも従事しなければならない旨の契約内容に変わり、申請人は専門性の認められないアナウンサーであるから、本件配転命令は労働契約に違反しない旨主張するので、その当否を検討する。

1  <疎明>を総合すれば、確かに昭和四〇年代半ば以降においては、アナウンサーに要求される資質として、日本語を正しく美しく読み、話す技能だけでは足りない情勢にあることが一応認められるが、だからといつて、アナウンサーとしての業務に従事していた社員が、本人の意思に反しても会社の命令によつて一方的にアナウンス業務から離れなければならない旨の契約内容に変更されたことを認めるにたりる疎明はない。

2  また、申請人が入社した当時のアナウンサーとしての業務とは主として原稿を読むということが中心であつたのに対し、昭和四〇年代半ば以降においてはアナウンサーとしての業務自体の巾が広がり、単に原稿を正しく、美しく読むだけから変化しつつあることが一応認められるが、だからといつて、アナウンサーとしての業務からアナウンスメントを除けば、それはアナウンス業務とは言うことはできないし、そのような労働の態様の変更は、申請人と会社間の労働契約から逸脱するものと言うべきである。

3  さらに、<疎明>によれば、本件配転までにアナウンサー試験を受けて採用された社員が全くアナウンス業務に従事しない配転を命ぜられた例は八人に達している事実を認めることができるが、その内の五名は配転に同意ないし結果的に同意した形で配転に応じた者であり、残りの三名は配転に異議を唱えたまま配転に応じたものと認められる。右の事実によれば、アナウンサーとしての業務に従事していた社員が本人の意思に反しても会社の命令によつて一方的にアナウンサーとしての業務から離脱しなければならない旨の契約に変更されたとは到底認めることができない。

四さらに、会社は、申請人は昭和五〇年四月から同五一年四月まで報道部に勤務しており、報道部への配転命令に従つた時点で、明示的に、雇用契約の内容をアナウンサーの職務に特定するとの合意は変更された旨主張するので、以下、検討する。

1  申請人は、同五〇年四月から同五一年四月まで報道部に勤務し、同五〇年二月の会社の申請人に対する横浜報道制作部から報道部への配転命令に従い報道部でそこの業務に従事したことは当事者間に争いがない。

2  しかし、<疎明>によれば、申請人は、当時右報道部への配転に反対して、指名ストライキを行つた事実が認められる。また、<疎明>を総合すれば、申請人が右指名ストライキを解除して報道部に着任した理由は、報道部に所属してもアナウンサーとしての業務自体も続けてもらうことを会社が表明したこと、また、高市制作局長が次回の異動の対象として申請人の立場を考慮する旨発言したこと等にあることが認められる。そして、<疎明>によれば、報道部に在籍中も申請人は毎週木曜日及び隔週土曜日にはニュース、コマーシャルどり等のアナウンサーとしての業務に従事した事実が認められる。さらに、同五一年四月には、放送部に再配転された事実は、当事者間に争いがない。

3  右の事実を総合して考慮すれば、申請人が報道部への配転命令に従つたことをもつて、申請人と会社間の雇用契約の内容をアナウンサーとしての業務に特定するとの合意が変更されたと認めることはできない。

五ところで、本件配転命令により申請人が勤務を命じられた編成業務部の業務の内容について検討するに、同部は番組予算の立案・管理・調整・番組の編成.企画・宣伝・CM制作、自動スポット編集装置(通称一〇〇R)の運用等を所掌事務とすること、申請人が一〇〇R関係業務に従事していることは、当事者間に争いがなく、そして、<疎明>によれば、申請人が編成業務部で具体的に従事している一〇〇R関係業務とは、①コマーシャルの「スポット進行表」に基づいて一〇〇Rのプッシュボタンを用いてアドレス番号を順次磁気テープ記憶装置に記憶させる。②そして、記憶したアドレス番号が「スポット進行表」に合致しているかどうかをチェックし、間違いがあれば正しく打ち直す。③コマーシャル担当者から予め用意されている「一〇〇R用SPOT・CM連絡表」及び当該コマーシャルテープを受けとり、記入されたアドレス番号に従つて一〇〇Rの録音機にファイルする。この場合、連絡票に指定されたアドレス番号、コマーシャル内容やテープの音質・音量等に注意する。④一〇〇Rコントロール・パネルの押しボタンを押して、放送用テープに一日分のコマーシャルを放送順に録音する。⑤一本化されたテープを「スポット進行表」と照合しながら試聴し、スポットがシリーズ番号通り区切られて録音されているかどうか、放送日、スポンサー名、コマーシャル内容、音質、音量をチェックし、不良を発見した場合、直ちに手直しをし、試聴完了後、一本化テープを放送室に届ける、というものである。そうだとすると、この業務にはアナウンサーとしての業務の核ともいうべきアナウンスメントが全く要求ざれておらず、アナウンサーとしての業務とは全く異種の業務に属するものというべきである。

六そうすると、申請人の個別の承諾がないかぎり、申請人は、会社に対し、右のような編成業務部の業務に従事しなければならない労働契約上の義務を有しないものというべきである。そして、本件の全疎明資料を検討しても、申請人が本件配転命令の発せられる前または後において、会社に対し、会社の機構上アナウンサーとしての業務が要求されない編成業務部への配転を暗黙のうちにでも承諾したとする事実はこれを認めることはできない。却つて、成立に争いのない<疎明>によれば、申請人は、本件配転命令に異議を留めて編成業務部に着任し、現在に至つている事実が認められる。

七1  以上判断したところによれば、本件配転命令は、申請人と会社間の労働契約内における配転命令ということはできず、むしろ、右契約に違反してなされたものであるから無効であるという申請人の主張は、その理由があり、したがつて、申請人は本件配転命令に従う労働契約上の義務を負わないものというべきである。

2  なお、弁論の全趣旨によれば、申請人、会社間の労働契約の内容は、申請人をアナウンサーとしての業務に従事させるというものであつて、どこの部局に所属したうえでアナウンサーとしての業務に従事するのかというところまでは固定したものではないことが認められる。

そうすると、その余の申請については、<疎明>によると会社が申請人の本件仮処分事件の申請後である昭和五五年四月一日から会社の職制規程、職務分掌規程を改正し、従来申請人が従事していたようなアナウンサー業務を業務本部制作局制作部に所属せしめていることが一応認めることができるが、そのことから申請人が直ちに右の部局においてそこでの業務に従事することを求める労働契約上の権利はないというべきであるから、右の主張は結局理由のないことに帰し、却下を免れないというべきである。

3  更に、被申請人は、申請人がアナウンサーとしての業務に従事する能力を欠くに至り、本来申請人を解雇すべき状態にあるところ、解雇に代えて本件配転命令を発したものであるから、右配転命令は有効である旨主張しているかのようにも窺われるので、一応検討する。

<疎明>及び証人木島章夫の証言中には申請人のアナウンサーとしての業務に従事する能力に関し、被申請人の主張に沿うが如き記載及び証言部分が存在するけれども、他方、<疎明>及び弁論の全趣旨を総合して検討すると、申請人はアナウンサーとしての業務に従事する適格性を有しないものと認めるには足りないというべきである。したがつて、いずれにしても被申請人の右主張は理由がないというべきである。

八そこで、次に、本件仮処分の必要性について判断するに、右に述べたとおり、申請人は何ら本件配転命令に従う義務を負わないものであるが、しかし、そのことが本案判決によつて確定されるまでは、当事者間には本件配転命令の効力が不確定の状態となるために、申請人は、事実上、会社からアナウンサーとしての業務に従事することを拒否されるとともに、労働契約上何ら従事する義務のない編成業務部の一〇〇R業務に従事することを余儀なくされる蓋然性が大であるといわなければならない。そうだとすれば、申請人がそのことによつて本案判決の確定するまでの間に被る精神的ないし身体的苦痛は否定できないというべきである。

また、<疎明>並びに弁論の全趣旨によれば、申請人が本案判決の確定するまでの長期間アナウンス業務に全く従事することができないとすると、申請人がこれまで長年の努力、訓練等によつて蓄積してきたアナウンサーとしての業務に関する知識、技術、能力等が、容易に回復しがたい程度まで低下する恐れも大きいことが認められる。なお、会社は、女子アナウンサーが産前産後休暇等のため長期間仕事を休んでいても、出産後出勤すると直ちにアナウンサーとしての業務についているので、仮処分をもつて保全されなければならない緊急性は存しない旨主張するが、右の事情は、申請人に対する本件配転命令によるアナウンサーとしての業務からの離脱の場合とは、期間、事情等が異なり、両者を同一視することはできないというべきである。

以上の事情を総合すれば、本件仮処分はその必要性があるものというべきである。

九よつて、その余の点につき判断するまでもなく、申請人の本件仮処分申請は、前記の限度で理由があり、事案の性質上、申請人に保証を立てさせないで申請人の申請を認容することとし、その余は失当であるから却下することとし、申請費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(小野寺規夫 赤西芳文 鈴木浩美)

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