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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)5485号 判決 1983年5月13日

原告 甲野太郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 定塚道雄

同 定塚脩

同 定塚英一

被告 医療法人愛生会

右代表者理事 石黒道彦

右訴訟代理人弁護士 太田博之

同 後藤昭樹

同 立岡亘

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野太郎に対し金二二二九万一四八〇円、原告甲野春子に対し金三二五八万二九六〇円及びこれらに対する昭和五三年七月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は、亡甲野花子の夫であり、原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は右両名の間の子であり、被告は上飯田第一病院(以下「被告病院」という。)を経営する医療法人である。

2  亡花子は、昭和五二年八月二日、被告病院に出産のため入院し、同日午後六時四八分、原告春子を仮死状態で出産したが、午後一〇時五三分弛緩出血により死亡するに至り、また原告春子は脳性麻痺の障害を受けた。

3  亡花子の死亡は、次のとおり被告病院の医師らの過失によるものである。

(一) 被告病院産婦人科の考え方

妊婦は不安定な精神状態にあるので妊婦に関する重要事項は妊婦に説明するとともに家族にも状況を報告し、あるいは承諾を求めるべきである。しかるに被告病院の馬島清人担当医師らは、花子が通院を始めて以来、診察、分娩等を進めるにあたって家族に説明することなく、本人にのみ説明すれば足りるとの姿勢をとり、例えば尿蛋白がプラスになっているのに母子健康手帳の「医師の特記指示事項」欄にも何らの記載をせず、また八月二日当日も、被告病院内の分娩室の近くで花子の母乙山松子が長時間待機していたのに状況を話したり、説明したりすべきであるのに声をかけることもせず、さらに花子が同日の昼食をとらなかったことについて看護婦も極めて無関心であった。このような被告病院の職務に不忠実な態度が不注意につながり、処置が後手となったことが花子の死亡の原因である。

(二) 不必要な分娩誘発

花子の出産は、メトロイリーゼの施行とアトニンOの点滴という分娩誘発の措置のうえなされたが、特に薬物的分娩誘発法は一般的にその性質上全身作用を示しやすいので、母体や胎児に障害を起こす危険があり、妊娠中毒症のため妊娠継続が母体に有害な場合などのほかはこれを避けるべきであるのに、被告病院の人的・物的設備の都合上、安易に分娩誘発措置がとられたものである。なるほど七月五日及び同月一三日には花子には〇・〇二パーセントの尿タンパクが検出されているけれども、妊娠中毒症の主徴である浮腫、高血圧はみられず、尿タンパクも二・九パーセントまでが妊娠中毒症軽症とされているのであるから右程度のものは問題とすべき量ではなく、馬島医師が妊娠中毒症の診断をしたものとすれば極めて軽率である。したがって、分娩誘発の措置をとるべき理由はなく、右措置をとったことが花子の死亡の重大な原因である。

(三) 体力精神力の消耗に対する注意を怠ったこと

花子は分娩誘発の措置としてメトロイリーゼの施行を受けた後、午後二時ころから分娩室に収容されたが、以後家族の付添いもなく、分娩監視装置をセットされて、約四時間半の間約三〇分ごとに看護婦が右装置の数字を見に来るほかは、分娩室に一人だけで放置されていた。その間花子は絶え間ない陣痛と話し相手のいない不安感で、猛暑の時期に著しく精神力体力を消耗し、その結果抵抗力を弱め、出産後の弛緩出血という異常に耐えられず、死亡するに至ったものである。

(四) 輸血の処置の遅れ

出産後の午後七時一〇分ころには弛緩出血による大量の出血が認められ、血圧も一〇二―七二ミリメートルとなっていたのであるから、前記(三)の事情を考慮すればこの時点において輸血の準備をすべきであったし、また七時四〇分ころには出血量も約一〇〇〇ccとなり、血圧も八八―四二ミリメートルとさらに低下しているのであるから、遅くともこの時点で輸血を開始すべきであったのに、馬島医師は判断を誤り、これを行なわなかった。

また同医師が七時五〇分ころになって輸血用血液八本(一本二〇〇cc)を血液センターに注文するよう命じたが、その際被告病院の従業員がこれを伝え違えたため、八時一五分ころになって二本又は三本の血液が届いたにとどまり、八時二〇分ころさらに一〇本を追加注文したがこれが届いたのは九時ころとなった。このため、最初の輸血により一旦好転した花子の容態も適時に適量の輸血が行なわれなかったため急激に悪化し、追加注文の輸血が到着した九時には回復困難な状態となっており、その後に輸血をしても何の効果もない。このように馬島医師の判断の誤りと被告病院の綱紀弛緩による輸血の遅れが花子の死亡の結果を招いた。

4  原告春子の脳性麻痺は、臍帯巻絡による新生児仮死については娩出後比較的短時間のうちに第一呼吸が行われているので、これが直接の原因とは考えられず、頭蓋内出血及び低酸素症が原因と考えられるところ、これらは以下の被告病院の医師らの過失によるものである。

(一) 馬島医師は、分娩に際しクリステレル圧出術(両手を子宮底にあて、陣痛発作に乗じて胎児を骨盤内に圧入すること)を施行したが、これは危険を伴うので現在は行われていないとされているものであって、右施術の際、頭部に外圧を加え、原告春子に頭蓋内出血を生じさせた。

(二) 馬島医師は、新生児仮死の状態で出生した原告春子に対し、直ちに保育器に収容して十分な酸素の供給及び保温の措置をとることを怠り、その結果低酸素症を起こさせた。

(三) また、被告病院の馬島医師や看護婦らは、原告春子の出生後その状態を十分に観察することを怠り、痙攣や手足の運動状況などの変化を発見するのが遅れ、早期に適切な処置をとれなかったため、その症状を回復させ、あるいは軽度にとどめることができなかった。

5  損害

(一) 花子の死亡による損害

(1) 花子の逸失利益

花子は死亡時二六歳の健康な家庭の主婦であったが、その逸失利益は、年収を二一六万円(家政婦の平均収入として一日六〇〇〇円、年間三六〇日)とし、生活費として半額を控除し、稼動可能年数を四〇年間としてホフマン式により中間利息を控除すると、二三三七万四四四〇円となる。これを、原告太郎が三分の一の七七九万一四八〇円、原告春子が三分の二の一五五八万二九六〇円、それぞれ相続した。

(2) 原告太郎の損害

(ア) 慰藉料       五〇〇万円

原告太郎は、結婚後間もない妻を失い、その精神的苦痛は計り知れず、これを慰藉するには五〇〇万円を下らない。

(イ) 葬祭費        五〇万円

原告太郎は、花子の葬祭費として、五〇万円を下らない金額を支出した。

(3) 原告春子

慰藉料          二〇〇万円

原告春子は、生まれた時から母親を知らず、実母の下で育てられる幸福を奪われ、その精神的苦痛は多大なものがあり、これを慰藉するには二〇〇万円を下らない。

(二) 原告春子の障害による損害

(1) 原告太郎

(ア) 治療費       五〇〇万円

原告春子は、出生以来数か所の病院で検査・治療を続けてきており、今後も検査・治療を続けて行く必要があり、その治療費は原告太郎の負担となるが、その成人までの治療費を現価に換算すると、五〇〇万円を下らない。

(イ) 慰藉料       二〇〇万円

原告太郎は、母親のいない脳障害児の原告春子を抱え、今後数十年にわたり多大の苦労を強いられるが、これを慰藉するには二〇〇万円を下らない。

(2) 原告春子

(ア) 逸失利益     一〇〇〇万円

原告春子は、脳障害のため、成長後も就労は不可能であり、その逸失利益を現価に換算すると、一〇〇〇万円を下らない。

(イ) 慰藉料       五〇〇万円

原告春子は、脳障害のため生涯にわたり通常の生活をすることは不可能であり、その精神的苦痛ははかりしれず、これを慰藉するには五〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用     二〇〇万円

原告太郎は、本訴提起にあたり、原告代理人弁護士に対し本訴追行を委任し、着手金一〇〇万円、成功報酬一〇〇万円を支払う旨約した。

5  よって、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告太郎は二二二九万一四八〇円、原告春子は三二五八万二九六〇円及びこれらに対する不法行為の後の日である昭和五三年七月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1・2の各事実は認める。

2  同3の冒頭の事実は争う。

(一) 同3の(一)の事実のうち、馬島医師が花子の家族に対して説明をしなかったこと、母子健康手帳の「医師の特記指示事項」欄に記載をしなかったこと、乙山松子に声をかけなかったこと、花子が昼食をとらなかったことに対して特段の措置をとらなかったことは認め、その余は否認する。

患者の家族に対して説明することは、医師として必ず行うべきことではなく、また花子は医師の説明を十分に理解していたのであるから、家族に対する説明が特に必要とされる場合ではないし、さらに家族が付き添ってきたのは八月二日のみである。また、母子健康手帳には被告病院の検査の結果は記入してあるし、本人に対する説明は十分に行っている。乙山松子に対して声をかけなかったのは、当初は経過に異常がなかったことと、同女と面識がなかったことによるものである。また、陣痛発来時は産婦は食欲がなく、食べないことが多く、これで抵抗力に影響を受けることはありえない。

(二) 同3の(二)の事実のうち、花子の出産に分娩誘発の方法がとられたことは認め、その余は否認する。

馬島医師は、七月五日、花子の尿から〇・〇二パーセントの尿タンパクが検出されたので妊娠中毒症と診断し(原告主張の二・九パーセント以下の尿タンパクを軽度の妊娠中毒症とするのは、〇・二九ミリパーセントの誤りであり、〇・〇二パーセントでも尿タンパクが検出されれば軽度の妊娠中毒症であることは明らかである。)、その後も症状が改善されないので、予定日を過ぎると母体、胎児への悪影響が予測され、また子宮口の開大・子宮頸管の軟化など分娩の準備状態もできていたので、八月二日に分娩誘発を行ったもので、右措置に何ら落度はない。

また、分娩誘発は現在では自然分娩より安全であるとの考えに基づき、計画分娩として広く行われており、危険を伴うものではない。

(三) 同3の(三)の事実のうち、花子を分娩室で家族に付き添わせなかったことは認め、その余は否認する。

どこの病院でも分娩室に付添いは入れないし、分娩室は冷房され快適な環境にあり、常時看護婦らが花子に言葉をかけているので心細いことはなく、さらに花子の分娩所用時間は四時間三〇分と初産婦の平均の約半分であって、花子の体力精神力が消耗したことなどはありえない。

(四) 同3の(四)の事実のうち、午後七時一〇分ころ出血が発見されたこと、七時四〇分ころの出血量及び血圧が主張のとおりであること、七時五〇分ころ馬島医師が八本の血液の注文を命じたが三本しか届かなかったこと、八時二〇分ころ一〇本を追加注文したことは認め、その余は否認する。

分娩後に血圧が低下することは稀なことではなく、最高血圧が八〇以下になるまでは異常であるとはいえない。また、出血が一〇〇〇ccまでは輸血をすべきではなく、補液により改善をはかるべきであり、馬島医師は補液の措置をとっている。ところが、これによる改善がみられないので、七時五〇分ころ輸血用血液を手配のうえ、八時五分ころ三本の血液が到着すると直ちに輸血を開始し、総量一四〇〇ccの輸血が死亡に至るまで続けられ、その間八時一五分ころには花子の容態は一旦改善されたのであるから、輸血の遅れのないことは明らかであり、花子が死亡するに至ったのは、その後も出血が多くて止まらず、これに体力が耐えられなかったことによるものである。なお、追加分の血液の到着した八時四〇分ころには、当初届いた三本のうち二本を輸血中であり、その後に追加分を使用したもので、その間輸血の中断はなく、当初から一〇本届いていたとしても急激に輸血できるものではないから、血液の手配の手違いによる輸血の遅れはない。

3  同4の冒頭の事実は争う。

(一) 同4の(一)の事実のうち、馬島医師がクリステレル圧出術を施行したことは認めるが、その余は否認する。

馬島医師がクリステレル圧出術を施行したのは、すでに胎児の発露がみられた時点であって、この段階での右施術は危険ではなく、現在も行われている。しかも原告春子については脊髄液の検査で潜血反応はマイナスであり、頭蓋内出血はなかった。

(二) 同4の(二)の事実は否認する。

原告春子は、啼泣後直ちに保育器に収容され、毎分二リットルの酸素が供給され、翌三日午前八時には経過が良好であるため保育器から出され、新生児ベッドに移されたが、同日午後七時三〇分、不随意運動がみられたので七時四五分には再度保育器に収容された。その間原告春子には呼吸困難、チアノーゼ等はみられなかったのであるから、出生後に低酸素症となったのでないことは明らかである。

原告春子の脳性麻痺は、通常よりも短い四五センチメートルの臍帯が、三回という稀な巻絡があったため生じたものであり、不可抗力によるものである。

4  同5の事実は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、請求原因3(花子の死亡についての被告の責任)について検討する。

1  原告らは、まず被告病院産婦人科の考え方に問題があるとして、種々主張するけれども、その主張するような事実は、病院の患者らに対する応対、連絡等であって診察や手術以前の行為の当不当をいうものにすぎず、仮に右主張のような事実があったからといって、直ちに病院の右のような行為が違法であると断ずることは困難であり、ましてや、これらと花子の死亡との間の因果関係を肯認することはできない理といわざるを得ない。

2  次に、分娩誘発の措置をとったことについて検討する。

《証拠省略》によれば、花子は昭和五二年六月二八日までは東京都内の病院に通院し、特別な異常はみられなかったが、七月五日から被告病院に通院するようになり、その際の検査の結果尿タンパク〇・〇二パーセントが検出されたので担当の馬島医師は妊娠中毒症の疑いをもち、アルダクトンA(利尿・降圧剤)とアリーゼ(消化酵素剤)各一週間分を与えて経過をみることとしたが、次に来院した七月一三日にも尿タンパク〇・〇二パーセントが検出されたので、妊娠中毒症にあたると診断し、薬剤の投与を続け、塩分制限等の注意を花子に与えたこと、さらにその後来院した七月二〇日、二七日にもやはり尿タンパク〇・〇二パーセントが検出され、また血圧も最高一三四ミリメートルとやや高目であり、体重も一週間で五〇〇グラム以上の増加がみられるなど妊娠中毒症の症状が改善されず、他方、二七日には児頭が骨盤に大体固定し、頸管も軟化しており分娩に対する準備状態もできていたので、出産予定日である八月二日までに分娩がなく、妊娠中毒症の症状の改善もみられないときには、予定日に分娩誘発の措置をとるとの方針を決め、馬島医師は花子にその旨説明のうえ了解を得、八月二日に検査した結果右症状の改善がみられないので、このままではいろいろの障害が起こる可能性があり、他方花子の身体には分娩の準備状態ができているので分娩誘発をした方が良い旨再度説明し、同人の承諾を得たうえで分娩誘発の措置をとったことが認められる。右認定の事実によれば、馬島医師が花子を妊娠中毒症と診断し、分娩誘発の措置をとったことに違法を認め難く、他に原告の主張を認めるに足りる証拠はない。なお、原告らは、尿タンパク二・九パーセントまでが妊娠中毒症軽症であるから、花子の右程度の尿タンパクでは妊娠中毒症にはあたらない旨主張し、《証拠省略》にはこれにそう記載があるが、《証拠省略》によれば、右記載の「%」は、「‰(ミリパーセント)」の誤植であることが認められるから、右記載は原告らの右主張を認める資料とはなし得ず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  次に、花子の体力精神力の消耗に対する注意を怠ったとの主張について検討するに、原告ら主張のように、花子が分娩まで約四時間半の間分娩室に一人でいたことは当事者間に争いがないが、この間医師が頸管を測定し、注射や酸素吸入を指示して行わせたり、看護婦が随時花子を観察していることが《証拠省略》により認められるのであるから、花子の死という結果の原因となるほど体力精神力を消耗したと推認することはできず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

4  さらに、花子に対する輸血の処置の遅れの有無について検討する。

(一)  午後七時一〇分ころ出血が発見されたこと、七時四〇分ころの出血量と血圧、七時五〇分ころ馬島医師が八本の血液の注文を命じたこと、八時二〇分ころさらに一〇本を追加注文したことは当事者間に争いがなく、右事実と《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 馬島医師は、花子の分娩後胎盤娩出を待機中、午後七時一〇分ころ、多量の出血がみられたので内診したところ、胎盤が子宮前壁に癒着していたので用手胎盤剥離術により胎盤を娩出したうえ、胎盤の遺残や子宮の損傷を調べたが異常はなかったので、メテルギン(子宮収縮剤)一アンプルとロスチン(止血剤)五ミリグラムにビタカンファー(強心剤)一アンプルを混ぜたものをそれぞれ静注したところ、出血は一旦停止した。

ところが、約五分後、同医師が会陰裂創を縫合しようとしたとき、再び膣口から多量の出血がみられたので診察したところ、子宮底が臍上二指で子宮が弛緩し血管が開いたままの状態となり出血していたため子宮底マッサージと氷罨法を施行し、二〇パーセントロシノン(ブドウ糖)二〇ccにメテルギン一アンプル、ブロッケル(止血剤)五〇ccを混ぜて静注したが、そのころの血圧は一〇二―七二であった。その後、子宮体はやや収縮したけれども、出血は続いたので、これに対して補液の措置としてフルクトラクト(血液代用液)五〇〇cc、アンチクレイン(蛋白分解酵素阻害剤)五万単位、タチオン四〇〇ミリグラムを点滴した。

また同医師が膣鏡診したところ、子宮腔からの出血と、約三・五センチメートルの頸管裂傷があったが、頸管裂傷からの出血は認められなかった。そこで、同医師は、子宮腔内に強圧タンポナーデを施行して止血をはかったところ、再び出血は停止した。そこで、同医師は花子の全身状態も悪くないので輸血の必要がないと判断し会陰裂創を縫合のうえ、止血のため抗プラスミン剤(止血剤)一〇パーセントスピラミン一〇ccを静注した。そのころまでの出血量は、約九〇〇ないし一〇〇〇ccであった。

(2) ところが、その約五分後の七時四〇分ころ、花子は全身の倦怠感と胸苦しさを訴え、タンポナーデにより挿入されたガーゼから血液がにじみ出ており、血圧八八―四二、脈搏微弱でショック状態となったので、それまで鼻腔から入れていた酸素をマスクに替え鼻、口から酸素を送り込むとともに、エホチール(循環増強剤)一アンプルを筋注のうえ、さらに補液の措置として、ソルビットハルトマン五〇〇ccにトロスチン五cc、カルニゲン(循環調節剤)二cc、ハイドロコートン(副腎ホルモン剤)一〇〇ミリグラムを混ぜて点滴した。

(3) 七時五〇分ころには、花子の意識がやや迷蒙となったので、馬島医師は助産婦に対し輸血用血液八本(一本二〇〇cc)の緊急手配と外科当直医師二名の応援を依頼し、七時五五分頃当直医が輸血をするため左足の静脈血管を切開し、八時頃もう一名の医師が右足に同様な切開をして血管を確保して輸血の準備をととのえ、八時五分ころ三本の血液が到着すると、直ちに左右両足部から輸血を開始した。

(4) 輸血中の八時一五分ころには、馬島医師から気分を尋ねられた花子は、やや楽になった旨答え、血圧九四―四八、脈搏九八とやや好転がみられたので応援医師の一名はショック状態が回避できたとみて帰ったが、馬島医師はなお子宮が十分に収縮していないので血液一〇本を追加注文し、併せて出血が止まらないなら子宮摘出手術以外に方法はないと判断し、看護婦にその準備を命じた。しかし八時二五分ころには再び意識迷蒙となり、血圧七〇―、脈搏微弱で一〇〇、タンポナーデからは血液がにじみ出るなど容態は悪化した。そこで、同医師はエホチール一アンプルの筋注と、補液を追加したうえ、出血を止めるため前に挿入していたタンポナーデを除去し、再度強固にタンポナーデを施行した。この間輸血は継続していたが、ショックにより血管が細くなったため血液の注入速度がおそいのに出血は依然として続いていた。

ところが、八時四五分ころ、花子の意識障害は一層悪化し、血圧五二―、脈搏微弱となり、いわゆる昏睡状態におちいり、九時一五分ころには再びタンポナーデのガーゼからの出血がみられ、九時四〇分ころからは血圧測定も困難な状態となった。その間も数々の処置がとられたが、一〇時一〇分ころには心臓が停止するに至り、直ちに心臓部へのノルアドレナリンの注射と心臓マッサージがなされた結果心搏の復活をみたが、一〇時五〇分ころ再び心臓が停止し、同様の措置がとられたものの蘇生することなく、一〇時五三分、花子の死亡が確認された。

なお、死亡までの総出血量は約二五〇〇cc、輸血量は約一二〇〇ccであった。

(二)  右認定の事実に基づき輸血の措置に遅れがあるか否かにつき検討するに、《証拠省略》によれば、大量出血によるショックに対する処置としては、一〇〇〇cc程度までの出血に対しては、輸血によるよりも補液によることの方がむしろ有効な場合が多く、血清肝炎などのおそれもないため、補液により改善をはかることが適当であるものと認められるところ、前記認定の事実によれば、花子の出血量は七時四〇分以前は約九〇〇ないし一〇〇〇ccであったが、これに対して補液がなされており、そのころから再び出血がみられたが、八時五分ころからは輸血が開始されているのであり、輸血開始時の出血量は一〇〇〇ccをややこえた程度であるから、これをもって直ちに輸血を開始するのが遅れたとは認め難いし、さらに、輸血開始後、一旦はショックの改善がみられており、その後も出血が持続して再びショック状態となり、死亡するに至ったのであるから、花子の死亡は輸血時期の遅れによるものではなく、むしろ子宮弛緩による出血が止まらなかったため、輸血によるショック状態の改善が効を奏さなかったためであるというべきである。

また、原告らは、当初注文した血液が三本しか届かず、追加注文したときには手遅れになっていた旨主張するが、前記認定の事実によれば、輸血は八時五分ころから花子の死亡に至るまで継続して行われており、追加分の血液が到着したときには当初の血液を輸血中であったのであるから、右主張は理由のないことが明らかである。

そして、他に原告ら主張の輸血の遅れを認めるに足りる証拠はない。

三  請求原因4(原告春子の脳性麻痺についての被告の責任)について検討する。

1  まず、原告春子の脳性麻痺はクリステレル圧出術の施行による頭蓋内出血が原因である旨の主張について検討する。

《証拠省略》によれば、原告春子は、午前二時ころから午後六時二八分ころまでは児心音(五秒間)一一ないし一二で、そのころ児頭排臨の状態となり、それまでの分娩経過には何らの異常がなかったこと、ところが六時四〇分ころ撥露(陣痛のないときにも児頭が露出している状態)寸前となったときに、急に児心音が八・九・八と悪化し、切迫仮死の状態を示したため、馬島医師は急遽クリステレル圧出術を施行し、六時四八分に娩出したこと、その際原告春子には頸部に三回の臍帯巻絡があった(なお、臍帯は後の測定では、長さ四五センチメートル、太さ〇・七センチメートルと通常よりも短く細いものであった。)ので、直ちに止血鉗子で二か所を切断したこと、原告春子のアブガー採点の結果は四点で、第二度仮死に該当したので、蘇生術として気道、気管支等から羊水等を吸出して気道を確保したうえで蘇生器により酸素を投与し、足の裏をたたくなどし、またアシドージス改善のためメイロン五ccと二〇パーセントブドウ糖五ccを静注したところ、約五分後に蘇生し啼泣したことが認められる。

右認定の事実によれば、馬島医師がクリステレル圧出術を施行したのは、原告春子が撥露寸前の状態となった後なのであり、その頭部はすでに産道を通過した後であるから、右施術により頭部に不当な圧迫が加わって頭蓋内出血を起こしたものとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

もっとも、乙第五号証の二(転医先である城北病院のカルテ)中には、それぞれ、八月四日に「診断・1仮死第二度、2頭蓋内出血の疑い、3無酸素性脳障害、4左急性化膿性中耳炎」、八月五日に「頭蓋内出血又は低酸素性脳障害」との記載があるが、これらはいずれも頭蓋内出血の存在を断定したものではなく、また、《証拠省略》によれば、城北病院においてもその後頭蓋内出血が問題とされたことが窺われず、八月五日には髄液検査の結果、上清潜血反応がマイナスとされていること、八月一五日には「無酸素性脳障害が一番考えられる。」と診断されていることなどに照らせば、右記載をもって原告春子に頭蓋内出血が生じていたものと認めることはできないから、これをもって前記認定を左右するものではない。

2  次に、原告春子出生後の被告病院における酸素供給、保温の措置及び経過観察の適否につき検討する。

《証拠省略》によれば、原告春子は仮死から蘇生した後、直ちに保育器に収容され毎分二リットルの酸素を供給されたが、皮膚の色は淡紅色、呼吸は整調、心音は正、筋緊張は良好であったこと、その後も午後一一時三〇分、翌三日の午前三時、午前六時及び午前八時にも馬島医師又は助産婦が経過を観察したが、吐物もなく異常が認められなかったので、馬島医師の判断により保育器から出されて新生児ベッドに収容されたこと、その後正午、午後三時及び四時にも異常がなかったが、午後六時には少量の嘔吐が三回あったけれども他に異常が認められなかったので経過を観察することとされ、午後七時半ころには上肢に痙攣様の変化が認められたので、病院からの連絡で馬島医師が自宅から登院し、七時四〇分ころから約三〇分間状態を観察し、その際は異常が認められなかったが、再び保育器に収容して毎分二リットルの酸素を供給することとしたこと、その後午後一〇時、午後一二時、翌四日の午前三時及び六時にも経過観察がなされており、午前三時に上肢に痙攣様変化がみられたが暫時のうちに消失したほか、一般状態に異常はなかったこと、そして午前九時に馬島医師が観察したときにも上肢に痙攣様の変化が認められたので、同医師は仮死による低酸素症に基づく脳内の異常を疑い、原告春子を専門医の小児科医に転医させることとし、城北病院小児科に手配したうえで、午前一〇時すぎころ、原告春子を携帯用保育器に収容して城北病院に転送したことが認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の事実、就中、原告春子は出生直後から保育器に収容されており、翌三日には経過に異常が認められなかったため一旦保育器から出されたが、痙攣様変化が認められると直ちに再び保育器に収容されていること、またその間嘔吐と痙攣様変化のほかは一般状態に異常が認められないことなどに照らせば、馬島医師が原告春子を保育器に収容して酸素の供給及び保温の措置をとることを怠った旨の原告らの主張は認め難く、また右認定の原告春子が出生後城北病院に転送されるまでの経過に照らし、馬島医師や看護婦らが原告春子の状態を十分に観察することを怠った旨の原告らの主張も認め難く、他に右各主張を認めるに足りる証拠はない。

四  以上のとおりであるから、原告太郎は初産の直後突然妻花子を失い、残された子原告春子は生れながらにして脳性麻痺の重苦を背負っているという、本件はまことに不幸な事案であり、衷心より同情を禁じ得ないけれども、その責任を被告病院の担当医をはじめ被告に帰することはできないものといわざるを得ない。

よって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田潤 裁判官 萩尾保繁 佐村浩之)

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