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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)2489号 判決 1983年10月17日

原告

曺順洪

原告

柳英愛

原告

柳慶淑

原告

柳理淑

原告

柳理華

右五名訴訟代理人

太田真人

被告

セブンスデー・アドベンチスト教団

右代表者代表役員

岡藤米蔵

被告

斉藤伊希子

被告

シー・ディー・ジョンソンこと

ジョンソン・チャールズ・デルマー

右三名訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一  被告セブンスデー・アドベンチスト教団及び同ジョンソン・チャールズ・デルマーは、各自、原告曺順洪に対し金四〇三万四九六〇円、原告柳英愛に対し金二七二万七二七二円、その余の原告らに対しそれぞれ金一八一万八一八一円及び右各金員に対する昭和五一年一一月一〇日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの右被告らに対するその余の請求及び被告斉藤伊希子に対する請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用は、被告セブンスデー・アドベンチスト教団及び同ジョンソン・チャールズ・デルマーの連帯負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告曺順洪(以下「原告曺」という。)に対し金一七一四万七五二〇円及び内金一五一四万七五二〇円に対する昭和五一年一一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員、その余の原告らに対しそれぞれ金六九六万三一二〇円及びこれに対する右同日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。

3  仮執行の宣言<以下、省略>

理由

一書証の成立について<省略>

二請求の原因1(当事者)の事実のうち、原告曺本人尋問の結果によれば(一)の事実が認められ、(二)及び(三)の事実は当事者間に争いがない。

三請求の原因2(診療の経過)の事実について

1  麟善(大正一三年二月一三日生れ)が昭和五〇年七月七日衛生病院で被告斉藤の診察を受けたこと、同月一一日から同病院内科へ入院し入院中に胃潰瘍との診断を受けたこと、同被告による治療を受けた後、同年一一月二四日同病院を退院したことは当事者間に争いがなく、前掲<証拠>によれば、麟善が同年七月七日に被告斉藤の診察を受けた際の主訴は、一か月前から続く全身倦怠感及び上腹部不快感があるというのであつたこと、同人が衛生病院の内科へ入院したのは、同人に肝機能障害が認められ慢性肝炎の疑いがあつたためであること、入院中同人に出血性素因も認められたこと、同人は、被告斉藤によつて胃潰瘍及び肝機能障害に対する治療を受けた結果、胃潰瘍は治癒し、肝機能障害に関しても症状が落ち着いたため同病院を退院したことが認められる。なお、同人が同病院で血小板減少症との診断を受けたことを認めるに足りる証拠はない。

2  麟善が右退院後一か月に一、二回の割合で衛生病院へ通院し被告斉藤によつて内科的治療を受けていたが、昭和五一年六月一四日再び胃潰瘍との診断を受け、同年七月五日同病院へ入院したことは、当事者間に争いがない。<証拠>によれば、その際、麟善は外科に入院したことが認められ<る>。

3  麟善が昭和五一年七月五日当時肝硬変に罹患していたこと、被告ジョンソンが同月九日同人の胃潰瘍の治療のために同人に胃亜全剔術(本件手術)を実施したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、麟善の右肝硬変は中度のものであつたこと、右手術は胃の六〇パーセントを切除するものであつたこと、<証拠>によれば、同人が右当時血小板減少症に罹患していたこと、<証拠>及び鑑定の結果によれば、同人と同程度の肝硬変に罹患している患者に対して右のような手術を施行することは大きな負荷を肝臓に及ぼし、最悪の場合には肝不全に陥り死の転帰をとることもまれでなく禁忌ないし危険な行為であることが認められる。

4  麟善が昭和五一年七月二六日内科へ移されたこと、同人が肝硬変と診断され、同年一一月一〇日肝不全のために死亡したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、麟善が肝硬変と診断されたのは同年七月であること、同人が死亡したのは同年一一月一〇日午後三時三〇分であることが認められる。

三請求の原因4(一)(被告ジョンソン及び同斉藤の責任)について

1  本件手術に至る経緯

<証拠>によれば、麟善は前記のとおり昭和五〇年一一月二四日衛生病院を退院した後一か月に一、二回の割合で同病院へ通院し、被告斉藤によつて肝機能障害の内科的治療を受けるとともに時々肝機能検査を受けたが、検査成績は退院時と大差なく大体横ばい状態が続いていたところ、同人は昭和五一年一月からは勤め先の会社へも出勤するようになつたこと、しかし、同人が同年六月七日被告斉藤の診察を受けた際、食後軽度の上腹部痛がある旨訴えたため、同月一〇日胃レントゲン検査が実施され、その結果胃角部に再発生の巨大な開放性胃潰瘍が認められたこと、そこで、被告斉藤は同月一四日、麟善に対し右結果を説明するとともに、胃の内視鏡検査及び生検を受けるように勧めたが、同人が右各検査に応じない意思が固かつたので、一か月後に再び胃レントゲン検査を実施しその結果如何によつて胃の内視鏡検査及び生検を考えることにして治療を継続したこと、同月一六日同人は上腹部痛が続くため入院治療を希望したが、希望の大部屋(三人部屋)が満床のために同日内科への入院予約手続をしたこと、同年七月一日再び胃レントゲン検査が実施され、その結果依然として胃角部に大きな開放性胃潰瘍が認められ治癒傾向が見えなかつたため、被告斉藤は同月五日麟善に対し再び胃の内視鏡検査及び生検を受けるように勧めたが、同人が再び拒絶したうえ外科の外来受診を希望したため、外科医である被告ジョンソンに対して麟善のカルテ(これにはそれまでに実施された検査結果もすべて添付されていた。)及び胃レントゲン写真を見せるとともに肝臓障害のあることをも含めて同人の病状を説明し、同人の診察を依頼したこと、被告ジョンソンは、同日被告斉藤の右説明及び同人のカルテを検討して同人を診察したうえ、胃潰瘍を治療するために胃切除手術を実施する目的の下に同人を外科へ入院させたこと(但し、入院予約していた内科病棟の大部屋ベットがちようどこの日に空いたため、同人は同部屋へ入つた。)、翌日、被告ジョンソンの指示に基づき麟善について諸々の検査が行なわれ、(但し、胃の内視鏡検査及び生検は同人が拒否したため行なわれなかつた。)、前記のとおり同月九日同被告によつて本件手術が実施されたことが認められる。

2  被告ジョンソンの責任

麟善が昭和五一年七月五日当時中度の肝硬変に罹患していたことは前記認定のとおりであり、被告ジョンソン本人尋問の結果によれば、同被告は同月六日に実施された同人に対する諸種の術前検査の結果から同人が肝硬変に罹患していることを本件手術当時認識していたことが認められる。ところで、前記認定のとおり、同人と同程度の肝硬変に罹患している者に対して本件手術を実施することは大きな負荷を肝臓に及ぼし、最悪の場合には肝不全に陥り死の転帰をとることもまれでないため禁忌ないし危険な行為であるとされていることを考えると、被告ジョンソンは、医師として、同人の生命を救済するために右危険を冒してまで本件手術を実施する緊急やむをえない必要がある場合を除いては、本件手術を回避すべき注意義務を負つていたと解するのが相当である。

この点について、被告らは、麟善の場合は再発生胃潰瘍であつて、大出血、穿孔、幽門狭窄、悪性化という、直ちに生命の危険を伴う重篤な合併症を起こす可能性があり、また、現に悪性潰瘍の疑いもあつたため、本件手術は正当な措置であつた旨主張し、被告ジョンソンもこれに沿う供述をしている。

確かに、<証拠>によれば、同人は昭和五〇年七月七日の前記被告斉藤による診察を受ける以前に昭和四九年四月一七日衛生病院で初診を受け、同月二四日胃レントゲン検査の結果胃潰瘍との診断を受けたことがあり、本件手術当時存在した胃潰瘍は二度目の発生であつたことが認められるが、<証拠>によれば、麟善は昭和五一年六月七日ころにはかなりの胃痛を訴えていたのに対し、本件手術の直前である同年七月五日ころには食事があまり取れず特に夜胃が痛むと訴えてはいたものの、自覚症状としてはある程度軽快していたことが認められ、また、大出血、穿孔や幽門狭窄を起こす具体的危険性を認めるに足りる証拠はなく、さらに、<証拠>並びに鑑定の各結果によれば、麟善の胃潰瘍が悪性のものであるとの疑いを持つたことはやむをえないことが認められるものの、(但し、<証拠>によれば、同人の胃潰瘍は実際には良性のものであつたことが認められる。)鑑定の結果によれば、たとえ早期癌があつたとしても早急に本件手術をすべき絶体適応であつたとまではいえないことが認められるのであつて、これらの事実を総合すれば、本件手術当時麟善の生命を救済するために前記危険を冒してまで本件手術を実施する緊急やむをえない必要があつたものとは到底認められず、それにもかかわらず被告ジョンソンは本件手術を実施したのであるから、同被告には治療方法の選択に関する過失があつたものといわざるをえない。

3  被告斉藤の責任

(一)  被告斉藤が昭和五〇年七月七日から昭和五一年七月五日まで麟善の治療を担当し、同人について胃潰瘍及び慢性肝炎との診断を下したことは前記認定のとおりである。原告らは、被告斉藤に麟善の右疾患に関する必要な諸検査を怠つた過失がある旨主張するので、この点について判断する。胃の内視鏡検査及び生検については、被告斉藤が昭和五一年六月一四日及び同年七月五日麟善に対し右検査を受けるように勧めたが同人がこれを拒否したことは前記認定のとおりであり、鑑定人島田信勝、同岡部治弥の鑑定の結果によれば、麟善が右検査を拒否しているうえ胃潰瘍の存在は胃レントゲン検査の結果で既に明らかになつているから、右検査を実施しなかつたことについて被告斉藤の責任を問題とすることは妥当でないことが認められる。また、被告斉藤本人尋問の結果によれば、電気泳動法による蛋白分画検査は昭和五〇年一一月二三日以降は実施していないこと、肝シンチグラムは同年九月二六日に実施しただけであること、肝生検及び腹腔鏡検査は実施していないことが認められるが、前記鑑定の結果によれば、麟善の場合、プロトロンビン時間の延長があつて出血性素因が認められるため、肝生検及び腹腔鏡検査を行なうことはできず、また、電気泳動法による蛋白分画検査及び肝シンチグラムについてもこれらを実施しなかつたからといつて落度があつたとまではいえないこと、右以外の諸検査については必要な検査が行なわれたということができることが認められるのであつて、これらの点に照らし、被告斉藤に原告ら主張の過失があつたものとは認められない。

(二)  次に、原告らは、被告斎藤に同ジョンソンに対する十分な引き継ぎ措置を採ることなく長時間の休暇をとつた過失がある旨主張するので、この点について判断するに、麟善が昭和五一年七月五日内科医である被告斉藤の診察を受けた後、麟善の方から外科医による診察を希望して外科医である被告ジョンソンの診察を受け、同被告の判断に基づいて外科へ入院したことは前記認定のとおりであつて、同被告が被告斉藤の休暇中に同被告に代わつて麟善の診察に当つた医師であることを認めるに足りる証拠はない。また、被告斉藤から同ジョンソンへの麟善に関する必要事項の引き継ぎは被告斉藤が同ジョンソンに対し同人のカルテ及び胃レントゲン写真を見せて同人の病状を説明し、同人の診察を依頼したことは前記認定のとおりであり、<証拠>によれば、右の際、麟善が胃潰瘍の治療のために手術を希望しているが、同手術に関して考慮すべき点として、反復性胃潰瘍である点、慢性肝炎にも罹患しており肝硬変の疑いもあり、プロトロンビン値が上下していて出血性素因のある点等必要事項の引き継ぎがなされたことが認められるのであつて、この点に関する原告らの右主張は失当である。

(三)  また、原告らは、被告斉藤に麟善に対して内科から外科への転科に関するメリット・デメリット等の説明を怠つた過失がある旨主張するので、この点について判断するに、被告斉藤本人尋問の結果によれば、同被告は麟善を外科の外来へ回す前に同人に対し、同人が外科的治療を受けることについては危虞を抱き、通常の場合に比し問題があることを説明しているものであること、しかし、麟善は外科の診察を受けることを強く希望しており、これを押切つて内科的療法のみで治療することが最適であるとの確信を抱くまでには至つていなかつたため、外科の診察、判断を受けることにも理由があるとして麟善の病状について詳細な説明をしたうえで外科への引き継ぎをなし、その後に被告ジョンソンの判断で外科的療法に踏み切ることになつたものであつて、原告らの右主張も採用できない。

(四)  以上によれば、原告らの被告斉藤に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四被告ジョンソンの前記過失と麟善の死亡との間の因果関係(請求の原因3)について

麟善が本件手術当時肝硬変に罹患していたこと、同人の死因が肝不全であつたことは当事者間に争いがなく、前記鑑定の結果によれば、本件手術による侵襲が急激な肝不全を招来したことが認められるところ、前記のとおり麟善と同程度の肝硬変に罹患している者に対して本件手術を施行することは、大きな負荷を肝臓に及ぼし最悪の場合には肝不全に陥り死の転帰をとることもまれでないことに照らせば、被告ジョンソンの前記過失と麟善の死亡との間に相当因果関係を認めることができる。したがつて、被告ジョンソンは、民法七〇九条に基づき損害賠償責任を負う。

五請求の原因4(二)(被告教団の責任)の事実について

被告教団が衛生病院の経営者であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同被告は昭和五一年当時被告教団の被用者(衛生病院外科医師)であり、被告教団の医療事業の執行として本件手術を実施したことが認められ、本件手術が被告ジョンソンの過失によつて決定され実施されたことは前記認定のとおりであり、右は不法行為となるから、被告教団は民法七一五条一項により被告ジョンソンが原告らに加えた損害を賠償すべき義務がある。

六請求の原因5(損害)について

1  麟善の損害

(一)  逸失利益

原告曺本人尋問の結果によれば、麟善は本件手術当時サンケイ電気に半導体事業部IF担当課長として勤務していたことが認められるが、前記鑑定の結果によれば、肝硬変の予後は、肝硬変と診断された時点から平均して五ないし七年後には半数の患者が死亡し、早い者では一年以内に死亡すること、肝硬変患者は死亡までの間殆んど家庭内で臥床している者から軽勤務についている者まで様々であること、一般に壊死後性肝硬変の患者は予後が悪いと考えられているところ、麟善の場合も、壊死後性肝硬変であり、早晩肝不全が出現することも予測されること、しかも、同人はかかる肝機能障害が存することから胃潰瘍についても治癒傾向が極めて弱く、軽快、再発の一進一退の経過をたどり、完全治癒は不可能であることが認められる。これらの点を総合すると、仮に本件手術が実施されなかつたとしても麟善がはたして従来と同様に稼働することができたか否かは極めて疑問であるといわざるをえず、他に同人の逸失利益の額を確定しうるに足りる証拠はない。

(二)  慰謝料

麟善は死亡当時五二歳であり、原告曺本人尋問の結果によれば、家庭においては原告らである妻と四人の在学中の子女を有する一家の支柱であつたことが認められるから、死亡による精神的苦痛が極めて大きなものであつたことが推認され、その他諸般の事情を総合勘案すると、これを慰謝するには金一〇〇〇万円が相当であるというべきである。原告曺本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、麟善の相続人は原告らだけであること、麟善が生前、原告らの相続分を特に遺言によつて指定した事実は存しないことが認められる。そして、麟善は大韓民国人であることが本件記録上明らかであるから、同人の相続については大韓民国民法が適用され、原告らは、麟善の相続人として右金一〇〇〇万円のうち、原告柳英愛(戸主相続人)において一一分の三に相当する金二七二万七二七二円を、その余の原告らにおいてそれぞれ一一分の二に相当する金一八一万八一八一円を相続したことが認められる。

2  原告曺の損害

(一)  治療費 金六〇万六二七九円

(二)  入院付添費 金二七万円

(三)  入院諸雑費 金四万五〇〇円

(四)  葬儀費用 金三〇万円

(五)  弁護士費用 金一〇〇万円

七<省略>

(篠田省二 梅津和宏 寺内保恵)

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