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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)146号 判決 1980年11月28日

原告

野口保明

右訴訟代理人

土生照子

被告

栗原琢磨

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金九八〇万五九二〇円及びこれに対する昭和五三年一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五二年一〇月一二日午後四時ころ、東京都西多摩郡五日市年上町八四二「モナミ」パチンコ店の増築工事現場において建築作業中、回転作動中の電動鋸で左手第三ないし第五指の各指先に挫創(以下、「本件創」という。)を負つた。

2  被告は、「栗原内科整形外科(以下「被告医院」という。)」を経営している医師であるが、原告は、翌一三日午前一〇時ころ被告医院で、右挫創について被告の診療を受け、ここにおいて原・被告間に診療契約が成立した。原告は、その後昭和五二年一一月五日(以下、年の記載を省くときは昭和五二年の月日をいう。)までひき続き被告医院に通院し被告の診療を受けたが、その間に原告の左手第四指は骨髄炎に罹患し、同指の骨が融解して変形する等その症状が進行したため、同月二五日、東京医科大学病院整形外科において手術を受けて左手第四指をその基節部より切断するに至つた。<以下、事実省略>

理由

一請求原因1・2の事実は当事者間に争いがない。

二そこで請求原因3の事実(被告の不適切な医療行為)について判断する。

1  初診時における傷の洗滌等の処置について

原告の本件創は、作動中の電動鋸による挫創であり、かつ、一〇月一三日の前記初診時においては、創口に粉状の止血剤がすでに塗布されており、汚染の強い創であつたことは当事者間に争いがない。

そして、原・被告各本人尋問の結果によれば、被告は初診時、原告の本件創を縫合せずいわゆる開放創として処置することとし、被告医院の婦長に原告の患指のクレゾール浴を命じてピンセットとガーゼを用いて創の洗滌を行わせ、その後マーゾニン液で消毒をしたあと、本件創を滅菌ガーゼで覆う処置を施したこと、被告は右創処置をするにあたり原告に対し麻酔処置はとらず、また組織・創縁等の切除は行わなかつたこと、クレゾール浴の実施については、婦長自身の手によりなされたか、あるいは婦長は最初原告にやり方を指示したのみで実際の洗滌は原告自身の手で行われたのかの点はさておき、医師である被告自身は直接関与していなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、原告が受傷後右創処置を受けるまでにすでに約一八時間を経過していたことは当事者間に争いがないが、鑑定人は、開放創の初期治療としては、受傷後約一八時間後に受診した場合にも、受傷後六時間あるいは一二時間以内受診した場合と同様に、可及的に創の化膿の防止を計るため、麻酔処置により創部を無痛にした後、創内外を洗滌して異物・血塊等を除去し、次いで、汚染された組織・創縁や生活力の疑わしい組織の切除等を行うべきであり、かつ右処置は専門医師の知識・経験と細心の注意を必要とするので医師自身が行うべきであるが、本件では原告又は看護婦がピンセット等で洗滌にあたつており、また麻酔処置も受けていないので充分な洗滌が行われたとは考えられず、また汚染された組織等の切除等も全く行われていないので、本件創処置は不十分かつ不適当と考えると述べている。

前記認定の事実に右鑑定の結果及び被告人尋問の結果を総合すると、受傷後初時までに一八時間を経過していたにせよ、被告は可及的に細菌感染の危険を防止すべく十分な洗滌処置をすべきであつたことが認められ、被告が初診時、本件創の洗滌に際し、麻酔処置を行わず、また被告自身の手により洗滌を行わなかつたことは適切な診療行為とは言いがたく、汚染された組織等の切除をまつたく行わなかつた点についても、被告の処置には疑問があると言わざるを得ない。

しかしながら、他方、<証拠>を総合すると、受傷後六時間以内あるいは一二時間以内を講学上ゴールデン・ピリオドといい、この間であれば、細菌はまだ組織の深部に侵入していないため、創が相当に汚染されていても、洗滌と汚染された組織の切除等の適切な創処置により化膿を防止することが可能であるが、これ以上の時間を経過すると細菌が深部に侵入して化膿の危険性が増大し、その後いかに正しい処置を行つても創感染の危険は残ることが認められ、これに反する証拠はない。そうすると、本件においては仮に初診時に被告が充分な洗滌等正しい創処置をとつていたとしても、なお感染により創が化膿し、さらにすすんで原告が骨髄炎に罹患する可能性は否定できない。従つて、被告の本件創処置の不適切と、原告の骨髄炎罹患との間に因果関係があるとは認めるに足りず、右不適切な創処置のために骨髄炎に罹患したとの主張は失当と言わざるを得ない。

2  骨髄炎発見の遅滞と治療の不適切について

(一)  原告の本件創は汚染の強い挫創であり、かつ初診時までにすでに約一八時間を経過していて感染の危険が強く予想されたことは、前記認定のとおりであるから、被告としては感染の可能性の大きいことを念頭におき、化膿等の症状には十分注意して治療を行うべきものと考えられる。そして<証拠>によれば、被告は一一月二日骨髄炎の診断のため原告の左手をレントゲン撮影したことが認められ、右各証拠により撮影日が一一月二日であることが認められ、かつ、<証拠>によれば、右レントゲン写真には骨破壊像があり、被告は同日右写真と原告のその他の症状から原告の左手第四指はすでに骨髄炎に罹患していると診断した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  そこで、原告が症状が悪化していつたと主張する一〇月二〇日以降、骨髄炎と診断された一一月二日までの間の原告の症状及びこれに対する被告の診療行為について判断するに、<証拠>によれば次のような事実が認められる。(1)一〇月一七、一八日ころから原告の左手第四指には炎症症状があり、疼痛激しく、排膿もあり、腫脹も増加し、局部に発赤も見られていたが、抗生物質の筋肉注射及び経口投与を継続したことにより、一〇月二二日には局所の発赤が急速に消退し、痛み及び腫脹も軽快したこと。(2)抗生物質の投与は一〇月二二日で中止し、翌二三日から同月二八日までは原告の症状は腫脹のあるときもあつたが、疼痛、排膿はなく、外見上比較的良好であり、創の洗滌・消毒等外科的処置をなすのみで抗生物質の投与は行わなかつたこと。(3)一〇月二九日左第四指の遠位指節関節部を中心に腫脹がみられ、被告は消炎剤を投与して様子をみたが、一一月一日には前記遠位指節関節部近くの創より漿水液性の膿のような液の滲出があり、腫脹も指全体に腫れあがり、翌二日には、はつきりと排膿が認められ、腫脹は前記遠位指節関節部の創を中心としてび漫性となり、症状は顕著に悪化したこと。(4)そして同日、前記のとおりレントゲン撮影により骨髄炎と診断されたこと。以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は採用できず、他に右認定に反する証拠はない(原告本人は、一〇月二〇日以降の症状について、右二〇日以降傷に異常を感じており、腫れが出て痛みはかなりあり、左手の甲が饅頭のように腫れ、それ以後も痛みは一向に変わらず、むしろひどくなる一方であつたと供述するけれども、他方同人は手の甲の腫れは注射を打つことによつて消退し、自覚的に非常に症状が悪化したのは一一月に入つてからであるとも述べている)。

(三)  以上の事実と鑑定の結果とを総合して考えれば、前記認定の被告の治療行為及び骨髄炎診断の時期については、これを不適切であつたと判断することはできず、他にこの点を肯定させるに足りる証拠はない。

従つて、この点に関する原告の主張は理由がない。

三以上の事実によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告に対する請求は、失当であつて棄却を免れない。(なお以上認定したとおり、初診時の創処置と原告の骨髄炎罹患との間には因果関係を認めることができず、一〇月二〇日以降の診療行為については骨髄炎発見の遅滞等原告主張の不適切な点を認めることができないのであるから、不法行為責任との構成に立つても、原告の請求が認容できないことは明らかである。)

よつて、原告の被告に対する本訴請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用さて、主文のとおり判決する。

(伊藤滋夫 和田日出光 石原陽子)

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