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東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)181号 判決 1981年11月19日

原告 橋本武志

被告 中央労働基準監督署長

代理人 神原夏樹 石川善則 座本喜一 ほか四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

「被告が原告に対し昭和四七年八月三一日付でした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。

二  被告

主文同旨の判決を求める。

第二主張

一  請求の原因

1  原告の職歴

(一) 原告は、昭和一二年五月二三日、訴外株式会社毎日新聞東京本社(以下「会社」という。)に入社し、昭和四九年四月に退社するまでの間次のような職務を担当していた。(なお、会社の業務は、昭和四一年九月までは千代田区有楽町一―一一所在の旧社屋、同月以降は同区一ツ橋一丁目一番地所在の新社屋で行われている。)

(1) 昭和一二年五月二三日から同一七年一一月まで鉛版鋳造作業。

(2) 昭和一七年一一月から同二一年六月まで戦時中の応召のため勤務を離れる。

(3) 昭和二一年六月から同二五年二月まで鉛版鋳造作業。

(4) 昭和二五年二月から同二八年三月まで肺浸潤入院治療のため勤務を離れる。

(5) 昭和二八年四月から同三一年七月まで鉛版鋳造作業。

(6) 昭和三一年八月から同三六年七月まで母型課に勤務。

(7) 昭和三六年八月から同四六年九年まで紙型課に勤務し平鉛版鋳造作業等に従事。

(8) 昭和四六年九月から同四七年一二月まで入院治療のため勤務を離れる。

(9) 昭和四八年一月から通院治療しつつ制限勤務し、そのまま同四九年四月定年退職。

原告の右職務のうち、鉛版鋳造作業及び紙型課における勤務はいずれも鉛を取り扱う作業である。

鉛版鋳造は溶解鉛を取り扱うため、鉛を体内に取り込む危険が極めて大きい(紙面づくりに使用される鉛版は印刷が終つて使用済になるや再び溶かされ、新しい鉛版に鋳込まれる。この作業が鉛版鋳造である。)。原告は、鉛版鋳造作業のうち鋳型に液体状の鉛を流し込む作業(鋳込)に主として従事しており、溶解した鉛から立ちのぼつている霧状の鉛(ヒユームと呼ばれる。)を日常的に呼吸していた。

原告が配置転換により昭和三一年八月から勤務した母型課は、活字を鋳造する金属鋳型である母型を作る職場であり、そこでは、鉛は取り扱つていなかつた。

原告が昭和三六年八月から同四六年九月まで所属していた紙型課においては、溶解鉛を用いて平版を鋳造する(ヒユームを呼吸する危険がある。)平版鋳造作業と、組立作業が行われていた。原告は、昭和四一年九月以前の旧社屋時代にはほとんど専門的に平版鋳造作業に従事し溶解鉛の紙型への注入、糸ノコを用いての平版仕上げ作業(固型鉛を直接取り扱う。)を行つていたが、同月の新社屋への移転後は、週四回平版鋳造作業、週二回組立作業の割合で勤務していた。

(二) 原告の携わつてきた右業務は、鉛予防規則(昭和四二年三月六日労働省令第二号)の適用される鉛業務であり、原告は、鉛曝露による有害作用を受けうる環境の下で、業務に従事してきたものである。

2  原告の疾病

(一) 原告は、会社入社後昭和三一年以前に既に下痢、便秘、腹部疝痛の症状が現われていたが、昭和三一年には夜勤中強度の腹部疝痛により職場から入院している。昭和三六年から昭和四六年にかけて原告に生じた自他覚症状は、腹部疝痛、常習性便秘、易労感、倦怠感、めまい、耳鳴り、母趾及び下肢全体の伸筋麻痺、頭痛、鉛顔貌、歯肉の色素沈着、手肢の振せん、睡眠障害、複視、上肢脱力感、背筋力低下、言語障害、四肢のしびれ感、歩行時動揺、動揺感、視野狭窄、記憶力減退、腰痛、足の水虫・乾癬、知覚麻痺、いらいら、運動障害、頭重感、左耳上からの刺すような痛み、会話に反応を示さない等であつた。

(二) 原告は、昭和四六年八月二〇日、東京保健生活協同組合氷川下セツルメント病院(東京都文京区千石二丁目一―六所在。以下、「氷川下病院」という。)において受診し、同病院医師山田信夫(以下「山田医師」ということがある。)により、慢性鉛中毒と診断され、その後、次のとおり治療を受けた。

(1) 氷川下病院入院(昭和四六年九月三〇日~同年一一月)

(2) 石和温泉病院入院(同年一一月~同四七年一月)

(3) 氷川下病院通院(同年一月三一日~同五一年七月二五日)

(4) 芝病院通院(昭和五三年一二月一六日~同五五年一一月)

この間の治療内容は、昭和五四年三月までは、山田医師により、

(1) 鉛を体内から排出する作用を持つ薬品であるCaNa2ED-TA(カルシウム・ジソジウム・エチレンジアミン四酢酸。「Ca-EDTA」と表記されることもある。)による排鉛治療をほぼ毎来院時に、

(2) ビタミンB1、B6、B12等の神経活性を有するビタミン剤の静脈内注射をほぼ毎来院時に

(3) 耳鳴り、めまいに対しては、重曹の静脈内注射をほぼ毎来院時に

その他、末梢循環改善薬、ビタミン剤、睡眠薬の内服を行つていたものであり、昭和五四年八月からアデノシン三リン酸(ATP、神経筋肉のエネルギー剤)の大量投与を開始し、同年一〇月からはシチコンを点滴に追加して今日に及んでいる。

右治療の結果、左耳上からの刺すような痛み、頭重感、腰痛が消失し、水虫、乾癬がすつかり治り、以前は手に熱湯をかけても感じなかつたのが火傷に痛みを感じるようになり(知覚麻痺の回復)、治療前は会話にも反応がなかつたのが他人の会話に反応し苦痛を伴わずに会話できるようになつた等の症状の軽快がみられるほか、氷川下病院初診時における所見である「鉛顔貌、歯肉の色素沈着、手肢の振せん、母趾及び下肢全体の伸筋麻痺、易労感、睡眠障害、眩暈、耳鳴、複視、上肢の脱力感、腹部疝痛、常習性便秘」はいずれも消失している。

3  原告と業務に起因する鉛中毒症

(一) 労働者災害補償保険法による療養補償給付を請求する労働者・患者の側が、その症状が業務に起因する鉛中毒症であることを理由づけるために立証すべき点は次の二点である。

(1) 当該労働者が鉛を取り扱う業務又は鉛の蒸気若しくは粉じんを発散する場所における業務に従事していたこと(鉛曝露の可能性のある職場環境下で労働していたこと。)

(2) 当該労働者が、その鉛曝露の可能性のある環境下での仕事に従事するようになつてから、鉛中毒によつても発現しうる症状(鉛中毒を疑わしめる症状)を呈し始めたこと(鉛中毒症は、全身症状であり、それのみに特有な症状はない。したがつて、鉛中毒によつても起りうる症状を呈していることを立証すれば、それが他の疾病によつても起りうる症状であつたとしても、労働者としては立証責任を果したものというべきである。)。

これに対し、使用者や国側(当該労働者の症状が業務に起因する鉛中毒症であることを否定しようとする側)が、

(1) 当該労働者が職場以外の場所で鉛曝露を受けた事実(例えば、自宅で鉛工場を経営し、又はこれを手伝つているなど)及び当該労働者の症状がこれに起因すると無理なく解されること

(2) 当該労働者の全症状につき、それが鉛中毒以外の、他の疾病等の原因に起因するものであると合理的に矛盾なく説明できること

のいずれかを立証しなくてはならない。(なお、鉛中毒症に対する治療法を試みた結果症状が全治ないし軽快した事実があれば、これは右(2)の反証を完全に覆すものというべきである。)

(二) 原告の場合には、(1)鉛の曝露を受ける環境下での作業に従事していたこと、(2)原告の症状には鉛中毒の症状と同一のものがみられること、(3)鉛の曝露を受ける環境下での作業に従事する前には健康体であつて右症状を呈していなかつたこと、(4)右症状の原因として考えられる鉛中毒症以外の疾患が鑑別診断により否定されていること、(5)鉛中毒症の治療(排鉛治療)を行うことによつて右症状が消失、減退して回復してきたこと、が認められるのであつて、これによれば、原告の症状が業務に起因する鉛中毒症であることは極めて高度の蓋然性をもつて証明されているというべきである。

4  被告の処分

(一) 原告は、業務上の疾病(鉛中毒症)にかかつているとして労働者災害補償保険法による療養補償給付を請求したが、被告は、昭和四七年八月三一日、右給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を行つた。

(二) 原告は、右処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、同審査官は、昭和四八年八月一四日付をもつてこれを棄却した。そこで、原告はこの決定を不服として労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五一年八月三一日付をもつて棄却の裁決をした。

5  本件処分の違法性

本件処分は、原告が業務上の病疾(鉛中毒症)にかかつているにもかかわらず、これを否定した点において違法である。

6  請求

よつて、原告は、本件処分の取消しを求める。

二  請求の原因に対する答弁

1  認否

(一) 請求の原因1の事実は、認める。

(二) 同2の事実中、原告が昭和四六年八月二〇日氷川下病院において受診し慢性鉛中毒症との診断を受けたことは認めるが、その余の事実は不知。

(三) 同3の、原告の各症状が業務に起因する鉛中毒であるとの主張は争う。

慢性鉛中毒症と診断するためには、原告の述べるような諸症状のみでなく、自他覚症状に加えて、過度の鉛吸収を証拠だてる臨床医学的検査成績を伴うことが必要である。

原告については、後掲新認定基準との対比により原告の症状が鉛中毒症に基づくものであることが否定される以上、原告の主張する症状についてそれが業務以外の原因に起因することまでも被告において立証しなければならない理由はない。

なお、仮に、原告主張の症状について鉛中毒症以外の疾患によつては説明が困難であるといつた事情が存在したとしても、鉛中毒症以外の疾患を除外するという鑑別診断には限界があり、ある程度鉛中毒症以外の疾患を除外することができたとしても、なお鉛中毒症以外の疾患の可能性(原因不明のため除外できない疾患も存在する。)を否定することはできない。したがつて、鉛中毒症以外の他の典型的な疾患の可能性を除外することによつて鉛中毒症を推定するという方法はとるべきではなく、むしろ、今日では臨床医学的検査成績等によつて鉛中毒症であることを積極的に実証することが可能となつているのであるから、このような客観的な裏付けの伴う方法によるべきである。

また、治療によつて症状が軽快したことをもつて疾病を推定するという方法は、原因が確定できないときに行われるもので、この場合は病名はあくまでも疑いにとまるものであり、中毒性疾患においては、排泄療法を行うことにより尿中への有意の排泄がみられない場合むしろ中毒症以外の疾患を疑うべきである。原告は鉛中毒療法を試みて全治ないし軽快したということを主張しているが、原告に対する治療内容がすべて排鉛治療のみであつたかどうか明らかでないし、後記(2被告の主張(一)(3)記載)のとおり原告には有意な排鉛の事実がないことからすると、排鉛治療によつて明らかな症状改善があつたとすることには疑問がある。

(四) 同4の事実は、認める。

(五) 同5は争う。

2  被告の主張

(一)労働省は、鉛関係の業務に従事する労働者の鉛中毒についての認定基準を定めていたが昭和四六年七月二八日付通達(基発第五五〇号、以下「新認定基準」という。)をもつて右認定基準をより詳細に改定した。

右新認定基準によると、鉛中毒と認められるには、次の各項((1)、(2)、(3))のいずれかに該当することが必要であるとされている。

(1)(ア) 鉛中毒を疑わしめる末梢神経障害、関節痛、筋肉痛、腹部の疝痛、便秘、腹部不快感、食欲不振、易労感、倦怠感、睡眠障害、焦燥感、蒼白等の症状が二種以上認められること。

(イ) 尿一リツトル中に、コプロポルフイリンが一五〇マイクログラム以上検出されるか又は尿一リツトル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリグラム以上検出されるものであること。

(ウ) 血液一デシリツトル中に、鉛が六〇マイクログラム以上検出されるか又は尿一リツトル中に、鉛が一五〇マイクログラム以上検出されるものであること。

(2)(ア) 血色素量が、血液一デシリツトルについて常時男子一二・五グラム、女子一一・〇グラム未満であるかもしくは全血比重が男子一・〇五三、女子一・〇五〇未満であるか、又は赤血球数が血液一立方ミリメートル中、常時男子四二〇万個、女子三七〇万個未満であつて、これらの貧血徴候の原因が、消化管潰瘍、痔核等の事由によるものでないこと。

なお、常時とは、日を改めて数日以内に二回以上測定した値に大きな差を認めないものをいう。ただし、赤血球については、同時に貧血に関する他の数項目を測定した場合、それらの一定の傾向があつたときはこの限りではない。

また、採血は、空腹時に行うものとする。

(イ) 一週間の前と後の二回にわたり尿一リツトル中にコプロポルフイリンが一五〇マイクログラム以上検出されるか又は尿一リツトル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリリグラム以上検出されるものであること。

(3) 鉛の作用によることの明らかな伸筋麻ひが認められるものであること。

(二)(1) 財団法人全日本労働福祉協会が会社において昭和四四年三月一三日、昭和四五年三月一二日及び昭和四六年三月一一日に行つた鉛特殊健康診断での原告の検査成績は、全血比重は一・〇五五、一・〇五二、一・〇五五で、尿中コプロポルフイリンは三回ともマイナスであつた。また、昭和四五年四月一七日に行つた鉛特殊健康診断では、血色素量一デシリツトル当り一四・〇グラム、全血比重一・〇五六、赤血球数一立方ミリメートル当り四五六万個であつた。

右検査成績についてみると、血色素量、全血比重、赤血球数、尿中コプロポルフイリンの検査値は、いずれも、新認定基準の定める基準値に該当しない。

(2) 氷川下病院における原告に対する臨床検査結果は、別紙(一)(氷川下病院における臨床検査結果)記載のとおりであるが、尿中コプロポルフイリンを除いて、いずれも、新認定基準の定める基準値に該当しない。なお、尿中コプロポルフイリンの測定法については、新認定基準は定量法による測定によるべきものとしているところ、氷川下病院における検査ではこれとは異なる半定量法による測定が行われている。

(3) 氷川下病院では、原告に対し、CaNa2EDTA静注による誘発試験を行い、誘発二時間後の血中鉛及び尿中鉛並びに誘発後二四時間全尿中の排泄鉛量を測定している。しかし、新認定基準の解説で誘発法による検査を認めているのは、現在は鉛中毒に従事していないが過去に鉛中毒に従事したことのある労働者の場合についてであるから、原告の場合は、これに該当するとはいえない。

更に、右解説は、誘発法による場合にはCaNa2EDTA注射開始後二四時間の全尿について尿中鉛が五〇〇マイクログラム以上検出されることを基準値として定めているところ、原告の検査値はこれに達していない。

(三) 以上のように、会社で行われた鉛特殊健康診断及び氷川下病院での臨床検査における原告の検査成績は、いずれも新認定基準の定める要件を具備しておらず、その他医師の所見等を総合的に判断しても、原告の疾病を労働基準法施行規則三五条一四号に定める鉛による中毒と認めることはできない。

三  被告の主張に対する答弁

1  被告の主張(一)は、認める。

しかし、血中鉛・尿中鉛は最近の鉛の曝露を表わす指標にすぎないから、原告の血中鉛量や尿中鉛量が少ないことは、最近の曝露が少ないことを意味することはあつても、過去の曝露が少ないことまでは意味しない。原告は、昭和三一年に既に鉛中毒症とみられる疝痛発作に襲われており、鉛中毒症とみられる全身症状があらわれた昭和三六年八月以降をとつても昭和四六年八月の氷川下病院での受診当時職場における鉛曝露を一〇年間受け続けていたものである。血中鉛・尿中鉛が低い数値であることは、最近の曝露が低い程度であることを示唆するにとどまるものであつて、原告の過去の長期にわたる曝露が低いことまでを意味するものではない。そして、鉛曝露後一定時間経過しているため、所定の検査を行つても認定基準の定める数値が検出されない症例であつても、鉛中毒症が存在しうることは、医学書等にも一般的に記載されているところである。

2  同(二)の(1)、(2)は認める。

同(3)のうち、氷川下病院における原告の誘発後二四時間全尿中の尿中鉛量が五〇〇マイクログラムに達しないことは認める。

3  同(三)は、争う。

第三証拠 <略>

理由

第一本件処分

一  原告が業務上の疾病にかかつているとして労働者災害補償保険法による療養補償給付を請求したところ被告が昭和四七年八月三一日右給付をしない旨の本件処分を行つたこと、原告が本件処分を不服として東京労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたところ同審査官は昭和四八年八月一四日付をもつてこれを棄却したこと及び原告が更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたところ同審査会は昭和五一年八月三一日付をもつて棄却の裁決をしたことは、当事者間に争がない。

二  本件処分の適否は、原告が業務上の疾病にかかつているかどうかにかかる。

労働者災害補償保険法(昭和四八年法律第八五号による改正前のもの)第一二条は、労働基準法七五条所定の災害補償事由が生じた場合に補償を受けるべき労働者に対しその請求に基づいて療養補償給付を行うものとし、労働基準法七五条は「労働者が業務上……疾病にかかつた場合」を災害補償事由と定めている。右規定にいう「業務上」とは業務に起因することすなわち業務と疾病との間に相当因果関係があることを意味するものと解されるが、労働基準法施行規則三五条(昭和五三年労働省令第一一号による改正前のもの)は、前記労働基準法の規定の委任を受けて一定の職業性疾病を列挙しており、当該疾病を発生させるに足りる有害な業務に従事する労働者が当該疾病にかかつた場合には、特段の反証がない限り、業務に起因する疾病として取り扱うこととしている。そして、同条一四号には、「鉛……による中毒及びその続発症」があげられている。

本件において、原告が昭和一二年五月二三日会社に入社し、それ以後昭和三一年七月まで戦時中の応召及び肺浸潤による入院の期間を除き約一二年半鉛版鋳造作業に従事し、昭和三六年八月から昭和四六年九月まで紙型課における平鉛版鋳造作業に携わつて、鉛曝露による有害作用を受ける環境の下で業務に従事してきたことは当事者間に争いがないから、原告が鉛中毒症にかかつているのであれば、原告の右疾病は、業務上の事由によるものと推定されることとなる。したがつて、本件の主要な争点は、原告が鉛中毒症にかかつているかどうかにあることとなる。

第二鉛中毒症の症状

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

一般に、鉛中毒症は、呼吸器又は消化器を通じて長期間にわたり鉛が体内に吸収蓄積され、徐々に発病し(ただし、鉛の摂取量が多い場合には比較的短時間で発病することもある。)、多様な症状を呈するに至るものであるが、その症状の主要なものは次のとおりである(なお、文献1(別紙文献目録1の文献を指す。他の文献についても同様である。)には慢性鉛中毒によつて引き起こされる一般症状及び神経系障害について別紙(二)(表1、2)のとおり記載されており、また文献2によれば、鉛中毒患者にみられた臨床症状として別紙(三)(表3)記載の各症状が報告されている。)。

(一)  貧血

(二)  食欲減退、嘔吐、鉛縁(歯肉と歯の辺縁との着色線)、鉛疝痛、便秘等の消化器系の症状

(三)  筋肉痛、関節痛、筋力低下、伸筋麻痺等の末梢神経障害

(四)  頭痛、不眠、めまい、不安、興奮、妄想、視力欠損、言語障害、脳症等の中枢神経系障害

(五)  その他顔面蒼白(鉛顔貌)、皮ふの蒼白等

第三鉛中毒症の診断

一  鉛中毒症の症状は前記第二で認定したとおりであるが、その症状のほとんどすべては鉛中毒症に特有のものではなく他の疾病によつても起こりうるものであつて、その症状だけから鉛中毒症であるかどうかを判断することは極めて困難であり、<証拠略>によれば、通常、以下にみるような血中鉛等各種の臨床医学的検査の結果を参照して診断が行われていることが認められる(なお、<証拠略>によれば、本件新認定基準は、右のような鉛中毒症の判断の困難性にかんがみ、行政上、鉛中毒症の認定につき、迅速、適正、確実な判断を行い認定の斉一性を確保することができるよう、労働省労働基準局長の諮問機関として設置された鉛中毒に関する専門家会議の医学的な専門的意見に基づいて、その具体的な判断基準として作成されたものであり、労働基準監督署長による鉛中毒に関する業務上外の認定は、右認定基準に則つて行われてきている(労働省が鉛関係の業務に従事する労働者の鉛中毒についての認定基準として新認定基準を定めていること、及び、新認定基準の内容が被告主張のとおり(事実摘示欄二2(被告の主張)(一)記載)であることは、当事者間に争いがない。)ものと認められるが、右新認定基準においても、原則として前記のような臨床医学的検査の結果に基づいて判定することとされている。もつとも、右新認定基準は右のような性格のものであるから、裁判所の判断を直接に拘束するものではなく、当裁判所としてはこれを参考にはするが、以下、できるかぎり直接文献に示されたところに従い判断する。)。

二  血中鉛、尿中鉛

1  血中鉛濃度については、(乙第九号証の一、二)(文献9)によれば、昭和四九年一一月一八日ないし二三日に東京で開催された国際労働衛生会議第三回重金属中毒学会の討議において、血中鉛濃度が「最近の曝露を示すもつとも信頼される量であり、とくに疫学的研究に有用である。」と認められており、<証拠略>によれば、労働衛生サービスセンター所長久保田重孝医師は血中鉛は、「少なくとも、鉛作業を継続している者の鉛曝露の程度を知る意味では、最重要の項目のひとつであるとはいい得よう。」と述べている。

また、(乙第一六号証)(文献10)は、「血液中鉛濃度は曝露程度をよく反映するため、量―反応関係をみる場合、吸収量に代わるものとして最良の指標とされている。一般成人個体の血中鉛は、測定法の偏りや変動による若干の差は避けられないが、一〇〇g当り五~二五μgの範囲内に入る者が大部分である。一般人の血中鉛の上限は、一〇〇g当り四〇μg程度とされている。鉛作業に就業すると、血中鉛はその日から速やかに上昇し始め、数週間以内に環境鉛濃度に対応した平衡レベルまで近づき、その後は上昇し続けることはない。環境鉛濃度と血中鉛の関係は変動要因があまりに多いため、定量的に満足できる成績は得られていない。しかし、鉛作業者の血中鉛を一〇〇g当り四〇μg以下におさえるには、環境鉛濃度はおそらく五〇μg/m3以下でなければならないであろう。鉛作業を離れると、血中鉛濃度は直ちに下り始めるが、その速さは過去の曝露量に影響される。」「鉛作業を離れた場合の、いつたん上昇した血中鉛の半減期は骨濃度により修飾されるが、多くは数週ないし数か月である。」と述べている。

乙第八号証の一、二(文献8)は、鉛の曝露量、体内蓄積量の指標、鉛曝露から遠ざかつた場合の血中鉛濃度等について、「血液、、尿は鉛の曝露量、血液はある程度まで体内蓄積量を示すといわれる。尿の場合は比較的最近の曝露量をあらわし、血液の場合はより昔の曝露量をあらわす。尿でも血液でも一定曝露下にあれば、その曝露量のよい指標となりうるが、尿の場合は尿量による変動が大きいので個人の場合には問題があろう。血液の場合も蓄積の絶対量ということになると問題があるが、一般には血液は症状発見のよい指標となるといわれている。それは、症状の発現はいわゆる鉛流(血液中の鉛増加)による鉛の軟部組織への移動と関係があるからである。」としている。

血中鉛と尿中鉛については、乙第九号証の一、二(文献9)によれば、前掲重金属中毒学会の討議において、尿中鉛濃度は血中鉛濃度に比較してより最近の曝露を示すが変動が大きいとされているほか、乙第七号証の一、二(文献7)には尿中鉛は現在の鉛曝露の程度をよく示す医学的指標であり、血中鉛は過去から現在にいたる鉛の蓄積の目やすになる医学的指標であるといわれている旨の記載があり、乙第一八号証(文献12)ではどちらかといえば尿中鉛よりは血中鉛の濃度の方が安定であろうとされているほか、前掲乙第一六号証(文献10)は、「尿中鉛度も曝露の指標として役立つが、尿自体の濃度変動が激しいので、血中鉛ほど信頼できない。」としている。

2  鉛中毒診断の指標としての、血中鉛濃度、尿中鉛濃度の数値に関しては、前述の乙第一六号証(文献10)の記載のほか、次のとおりである。

乙第一七号証(文献11)には、「一lの尿中に二五〇μg以上鉛が出ているのはほとんど確実な鉛中毒の徴候である。他方、鉛に曝露した経験のない人々でも尿一l中〇~五〇μg/lの鉛は排出されている。境界線はほぼ一二〇μg/lであるように思われる。ELKINSの経験によると、尿一l中二〇〇μg以下の濃度では鉛中毒の例は認められなかったが、三〇〇μgでは約二五%が、九〇〇μgでは約五〇%の人が鉛中毒の症状を示していた。」「血中鉛の測定で明らかになった事は一dlの血液中三〇μgの鉛濃度が平均の正常値(〇から五〇μg)であり、尿一l中五〇μgの鉛を排出する人の九五%までがこれに対応する。また更に鉛中毒の症状を顕している人達は通常血液一dl中一〇〇から六〇〇μgの値を示す。」と記述されている(文献中の数値は比較対照しやすいようにmgをμgに換算してある。以下同様にしたものがある。)。

乙第一八号証(文献12)には、「通常の人では、尿中への鉛の排泄濃度は一〇~八〇μg/lの範囲にあり、平均は五〇μg/lである。」「鉛の摂取が多い場合には、尿中への鉛の排泄が増加し、一五〇μg/lが中毒を起さない限界であるといわれている。」「血中鉛については、六〇μg/dlを危険な限界と考える方がよいが、研究者によつては八〇μg/dl以上あれば危険としている。尿中鉛については、一五〇μg/l以上では危険で、三〇〇μg/lに達するならば中毒は必発であるといわれている。血中鉛と尿中鉛の対比については、二〇〇μg/lの尿中鉛は七〇μg/dlの血中鉛に、三〇〇μg/lの尿中鉛は九〇μg/lの血中鉛に対応する。」とされている。

乙第八号証の一、二(文献8)には、「一般に血中鉛が四〇μg/dl以下で中毒を起したとする報告は、ほとんどみられない。」とされている。

乙第三号証(文献5)、同第八号証の一、二(文献8)及び前掲乙第二五号証によれば、英国においては血中鉛、尿中鉛について一応の目安となる数値として別紙(四)(表4)のとおりの数値が発表されている。

(なお、新認定基準は、血中鉛濃度については六〇μg/dl、尿中鉛濃度については一五〇μg/lをもつて、鉛中毒を疑わしめる数値としている。)

三  鉛が造血臓器に及ぼす影響とその診断

1  乙第二号証(文献4)、同第四号証(文献6)、同第八号証の一、二(文献8)、同第一六号証(文献10)、同第一七号証(文献11)及び同第二三号証(文献16)によれば、鉛による人体への顕著な影響として造血作用の変化・阻害を引き起すことが認められており、鉛がヘム合成と解糖に関連ある酵素に作用して血色素合成障害を起し、形態的変化として好塩基点赤血球及び赤芽球の出現、細胞質の血色素含量の減少、血色素の欠損した赤血球と赤芽球の形成、核異常などを生じさせ、また、血液中の赤血球に作用して変化を生じさせるものと考えられている。鉛がヘム生合成過程を阻害する仕組み及びこれと尿中排泄物との関係は、別紙(五)(図1)のとおりである。ヘム生合成過程において、血中鉛の増加によるもつとも鋭敏な反応としてデルタアミノレブリン酸脱水素酵素の活性値低下が認められている。

(なお、尿中コプロポルフイリンについては、従来、鉛によるヘム合成阻害の結果尿にコプロポルフイリングが出現すると考えられていたが、最近では、むしろ鉛によるミトコンドリアへの作用の結果起こるグリシンからのデルタアミノレブリン酸の過剰合成に基づくものであるとの説が提唱されている。しかし、いずれにせよ尿中へのコプロポルフイリンの出現は、鉛による生体反応のうちで、もつとも早期に出現しかつ必発の症状である。)

2  血色素量、全血比重、赤血球数

乙第四号証(文献6)は、「鉛作業者の血色素量は非ばくろ者に比べて低い。大量の鉛を吸収すると血色素量の減少をおこす。」と述べ、血色素量と医師のとるべき措置との関係について別紙(六)(表5)を掲げて、「男子の血液一〇〇ml当り一三g以下の血色素量(女子の場合一二g)は精密検査が必要であることを示すものである。」とし、更に、血色素量について正常値と鉛中毒であると思われる値として別紙(六)(表6)を掲げて、「明らかな中毒症状は血色素量が一〇〇mlにつき一二から一一・五g以下に低下しないとあらわれない。一方、鉛は血色素量を一〇〇ml当り八~九gにまで低下させることもある。」と述べている。また乙第一八(文献12)、第二三号証(文献16)には、鉛中毒症による貧血は、全血比重、赤血球数などで判定される旨の記載があり、乙第一八号証では、全血比重の基準となる数値として、男子一・〇五三、女子一・〇五〇をあげている。

(なお、新認定基準は、血色素量については、常時、男子で、一dl当り、一二・五g未満をもつて、貧血徴候を示す数値としている。また、全血比重については、男子一・〇五三未満、赤血球数については、血液一立方ミリメートル中常時男子四二〇万個未満をもつて貧血徴候を示す数値としているが、<証拠略>によれば、この数値は日本産業医学会労働者血液生理値研究委員会の報告を参考として定めたものと認められる。)

3  好塩基点赤血球数

好塩基点赤血球の出現について、乙第二八号証(文献17)は、鉛中毒による「貧血はほとんど重症であることはなく、好塩基性斑点をもつ多数の赤血球の存在を特色とする。これは他の血液障害でもみられるが、斑点を示す塗沫標本は鉛中毒の疑いを持たねばならない。」と述べ、乙第四号証(文献6)には「好塩基点赤血球増加は(鉛中毒の)極めて初期の症状でほとんどの場合に認められる。」と記され、乙第二三号証(文献16)では、「鉛に対する生体反応として比較的早期にしばしば認められる所見で、中毒症状や強度の貧血を示さないときでも現われる。」とされている。その数値については、「出現頻度は正常赤血球数一万個に対し一〇個までは正常範囲とされている。」(乙第二三号証・文献16)、「赤血球一〇〇万個について五〇〇〇個以上であるときは中毒又はその疑がある。」(乙第四号証・文献6)とされている。

しかしながら、好塩基点赤血球数については、「悪性貧血その他の血液疾患において出現し、決して鉛中毒に特異的ではない。」(乙第二号証・文献4)、「信頼度が低くあまり推奨できない。」(乙第三号証・文献)、「この増加の程度と症状の程度との関連はあまりない。」(乙第四号証・文献6)、「鉛以外の毒物によつても、あるいは肺炎、白血病、ガンなどの際にも増加することが認められている。」「鉛曝露を受けると増加してくる場合が多いが、その程度と鉛曝露の程度との関連性が乏しく、また個体差が著しいようである。このものが出現しないからといつて鉛中毒を否定できない。」(乙第二三号証・文献16)と述べられている。

4  デルタアミノレブリン酸脱水素酵素の活性低下

前述(前記1及び別紙(五)・図1)のとおり、鉛はヘム合成に作用してこれを阻害するものであり、右の際におけるもつとも鋭敏な反応として、デルタアミノレブリン酸脱水素酵素の活性低下が認められている。

デルタアミノレブリン酸脱水素酵素(ALA-DEHYDRASE以下、「ALA―D」と略記することがある。)については、乙第七号証の一、二(文献7)は、「今日、もつとも敏感な指標は、ヘム生合成の異常を示すALA―D活性低下とされている。」とし、乙第一六号証(文献10)は「末梢赤血球中のALA―D阻害は、現在までに知られた最も鋭敏な生体作用で、血中鉛一〇〇g当り一〇~二〇μg付近からみられ始め、一〇〇g当り七〇~九〇μgでは、ほとんど完全な阻害となる。個体差は比較的小さい。しかし末梢赤血球中のALAはもはやヘム合成に関与していないので、この活性阻害は直接健康負担を意味するものではない。わずかな血中鉛の上昇をも鋭敏に反映するので、極めて低濃度の鉛曝露の指標として有用と考えられている。標的臓器である骨髄でのALA―D及びヘム合成酵素の阻害は、血中鉛一〇〇g当り四〇~九〇μgでみられるという。」と述べ、乙第八号証の一、二(文献8)は「血中鉛二〇μg/dl前後で認め得べきALA―Dの低下が起」ると述べている。また乙第一六号証(文献10)によれば、「曝露レベルが低い場合は鋭敏な指標である末梢血ALA―Dが役立つが、通常の職業的な曝露の程度を評価するには、末梢血プロトポルフイリン、尿中デルタアミノレブリン酸などの方が適している場合が多い。」ともされている。

5  デルタアミノレブリン酸の尿中への排出

鉛の作用により尿中ヘデルタアミノレブリン酸(「δ―ALA」、「Δ―ALA」又は単に「ALA」と略記されるが、以下略記する場合は、「ALA」という。)が排出されることは、前述(前記1及び別紙(五)・図1)のとおりである。

尿中ALAについては、乙第二三号証(文献16)は、「近年、血色素合成過程の解明が進むにつれて、ALAの尿中への排泄増加が鉛に対する生体反応として早期かつ著明に認められ、鉛中毒の診断に役立つことが明らかとなつた。当教室でもその正常値を検討し平均一一五μg/dl、九五%上限四〇〇μg/dlとした。」と述べているほか、英国において発表されている基準数値として別紙(四)(表4)がある。(なお、新認定基準は、尿中ALAについては、六・〇mg/l以上をもつて、鉛中毒を疑わしめる数値としている。)

6  コプロポルフイリンの尿中への排出

鉛の作用により尿中へコプロポルフイリンが排出される(正確にいえば、コプロポルフイリノーゲンIIIが尿中に出現し、これがコプロポルフイリンIIIとして定量される。)ことは、前述(前記1及び別紙(五)・図1)のとおりである。

尿中コプロポルフイリンについては、乙第二八号証(文献17)は「鉛中患者では尿中のコプロポルフイリンIIIの排泄量が増加する。この所見は非常に一定して起るので、尿検体中のポルフイリンの検査が鉛中毒の疑わしい場合に最もよいスクリーニングテストとなる。」と述べ、乙第二号証(文献4)は「鉛摂取後のコプロポルフイリンの出現は非常に敏感であり、作業者などで鉛曝露後二~三日で尿中に現われることが多い。」とし、乙第二三号証(文献16)は、「鉛による生体反応のうちで、もつとも早期に出現し、かつ必発の症状である。もつとも、鉛以外の症状でも増加するといわれているが、他の原因に比べてきわめて早期に、しかも大量増加するので、鉛の体内侵入を知るのに意義深い。健康者でも、このものを尿中に認めるが、私どもの研究によればその統計学的上限はほぼ一一〇μg/lである。」とし、乙第四号証(文献6)が「正常の場合コプロポルフイリノーゲンIIIは尿一l当り一〇〇μgまでである。コプロポルフイリノーゲンIIIが男子一五〇〇~二〇〇〇、女子五〇〇~一〇〇〇μgある場合は過量の鉛吸収のあることを意味する。」としているほか、英国において発表されている基準数値として別紙(四)(表4)がある。

(なお、新認定基準は、尿中コプロポルフイリンについては、一五〇μg/l以上をもつて、鉛中毒を疑わしめる数値としているものである。新認定基準の解説は、尿中コプロポルフイリンの測定については定量法によるべきものと定めていることは、当事者間に争いがない。)

尿中コプロポルフイリンと鉛中毒の自覚症との関係については、乙第四号証(文献6)は、「コプロポルフイリノーゲンIIIが尿中に排泄することがそのまま疾病状態であることを意味しない。比較的少量のコプロポルフイリノーゲンIIIの場合でも自覚症がありうるし、大量に排泄されている場合であつても自覚症のないこともある。」と述べている。

尿中コプロポルフイリンと尿中鉛の関係については、乙第二号証(文献4)は、「尿中の鉛との相関については全体としては順相関がみられる」とし、乙第一七号証(文献11)は「尿中ポルフイリン(第III型のコプロポルフイリン)排出の増加は鉛中毒の診断をくだすには重要であつて、尿中に排出される鉛量に比例するようにみうけられる。」としている。

四  鉛が末梢神経系に及ぼす障害とその診断

慢性鉛中毒によつて引き起される神経系障害及び鉛中毒患者にみられた神経系障害は前述(別紙(二)表2及び別紙(三)表3)のとおりである。

末梢神経障害について、<証拠略>は、典型的な鉛中毒による症状として、橈骨神経支配の伸筋群麻痺、その例として手首下垂(WRIST DROP)をあげ、主として上肢を侵す運動障害であり知覚障害を伴わないことを特徴として指摘している。すなわち、乙第二一号証(文献15)は「鉛性ニユーロパチーは、鉛に長期間曝露された結果起り、その最大の特徴は、主として上肢を侵す運動障害を優位とした病像にある。橈骨神経はもつともしばしば侵され、その結果知覚障害をほとんどないし全く呈しないで、手くび下垂(WRIST DROP)と垂指(FINGER DROP)を生じる。比較的少ないが、近位肩甲帯筋の筋力減退が起り、下肢では尖足(FOOT DROP)が現われる。臨床的に麻痺を呈する諸筋は日常もつともよく用いる筋肉である。」と述べ、乙第二三号証(文献16)は「よく知られているのは伸筋麻痺であつて、殊に橈骨神経領域の伸筋群の麻痺が多い。この場合、手関節から下の部分は内側に牽かれて垂れWRIST-DROPといわれる。通常、右ききの人では右手指の伸筋に始まり、ついで両側に及ぶ。前膊の背側筋群の荒廃を伴うが、知覚障害は伴わない。なお、趾の伸筋麻痺をきたすとFOOT-DROPというが、きわめて稀である。しかし、今日では上述のような歴然たる伸筋麻痺は稀であり、多くは伸筋能力がやや低下している程度である。これに対して、クロナキシーや筋電図の利用による診断の試みもあるが、一般化していない。その他関節痛、関節の機能障害、握力及び背筋力の減退、筋肉痛、手指のふるえなどは比較的よくみられる症状である。」と述べている。

乙第九号証の一、二(文献9)は「現在では鉛による末梢神経障害性麻痺はほとんどみられない。しかし、電気生理学的方法(伝導速度など)により、運動神経の不顕性障害が証明されることがある。」とし、乙第一六号証(文献10)は「電気生理学的方法を用いると、自覚症状を訴えない鉛作業者に末梢神経の伝導速度の遅れを証明することができる。」としている。

五  血中鉛と鉛中毒の諸症状、他の医学的指標との間の関係

乙第八号証の一、二(文献8)によれば、ヨーロツパの鉛委員会(ZIELHUIS委員会)は血中鉛七〇μg/dlに対応する気中鉛量及び各指標の値を別紙(七)(表7)のとおり発表している。乙第一九号証(文献13)は血中鉛濃度と各影響の出現との関係を別紙(八)(表8)のとおり記述し、また、成立に争のない乙第二〇号証(文献14)は、血中濃度の違いによる各症状の発生機序について別紙(九)(表9)のとおり記述している。そのほか、乙第一六号証(文献10)は、「血中鉛一〇〇g当り五〇~六〇μg程度まででは鉛による自覚症状は現れないという疫学的な研究がある。どの程度の濃度を超えると自覚症状が現れ始めるかを明確にした研究はまだないが、従来多くの研究者が、血中鉛一〇〇g当り六〇~八〇μg程度までは許容できると判断していたことはひとつの目安として参考にしうるものと考えられる。」とし、鉛による長期間にわたつて継続する便秘は血中鉛が一〇〇g当り一〇〇μgを超えなければ起らず、疝痛発作を起しうる血中鉛濃度は一〇〇g当り一五〇μgを超えると推定されている旨述べている。

乙第八号証の一、二(文献8)は、「鉛の曝露量が増加し、血中鉛量、組織鉛量が増えるに従つて生体はまず、造血作用の変化阻害を惹起し、貧血、その他の消化器、神経に係わる不定愁訴がおこり、遂には腹痛、橈骨神経麻痺(リスト・ドロツプ)、小児の場合には脳症をおこして死に至ることさえある。」としている。

血中鉛と尿中コプロポルフイリンとの関係については、乙第八号証の一、二(文献8)は「血中鉛や尿中鉛あるいはその他の生物学的反応との関係については、かなりの高濃度曝露下の作業者について筆者が行つたSTEPWISE REGRESSIONによる研究では血中鉛とコプロポルフイリンIII型がもつともよく相関し(但し、当時ALA―Dの測定は行つていない。)、コプロポルフイリンIII型はALAよりも常に高い相関が見られた。」「一般にこれらの生物学的指標の相関を求めると低濃度曝露ではその相関はあまり認められず、高濃度になるに従つて高い相関が得られる」とし、乙第三〇号証の一、二(文献18)は、成人の場合尿中コプロポルフイリンに影響が現われない血中鉛濃度は四〇μg/dl以下であることを述べている。乙第九号証の一、二(文献9)は「尿中コプロポルフイリン排泄は血中鉛三五~四〇μg/dl以上で増加を示すが非特異性が強い。」とし、乙第一七号証(文献11)は、「血中鉛濃度五〇μg/dlの人では五〇%がポルフイリン尿を示し、更に高濃度の血中鉛が存在する場合は全員ポルフイリン尿を排出する。このポルフイリンは第III型のコプロポルフイリンである。ポルフイリン尿は通常赤血球斑点よりも早期に現れる。」と述べ、乙第一六号証(文献10)は、「尿コプロポルフイリンと尿ALAの排泄は、血中鉛一〇〇g当り三五~五〇μg程度の濃度から増加し始め、一〇〇g当り五〇~七〇μg付近で増加傾向は著しくなる。」としている。

血中鉛と中枢神経障害の関係については、乙第九号証の一、二(文献9)が、「中枢神経系障害と血中鉛との相関はデータが少なく現在では不明とせざるを得ない。しかし造血系異常をたきす血中鉛濃度よりも高い濃度が必要であることは明らかであり、通常一〇〇μg/dl以上とされている。」と述べている。

血中鉛と末梢神経障害の関係については、乙第九号証の一、二(文献9)は「末梢神経障害は血中濃度五〇μg/dlで電気生理学的方法で検出されることがあり、一二〇μg/dlでは五〇%が、一五〇μg/dlでは九〇%が異常を示す。」と述べ、乙第一六号証(文献10)は「電気生理学的方法を用いると、自覚症状を訴えない鉛作業者に末梢神経の伝導速度の遅れを証明することができる。量―反応関係からみると、血中鉛一〇〇g当り八〇~一二〇μg程度ではかなりはつきりと遅延していることが多い。また、さらに低い血中鉛(一〇〇g当り四〇~六〇μg程度)でもきわめて軽度ながら伝導速度の遅延がある、という報告もあるが、まだ定説となつていない。」としている。

また、乙第八号証の一、二(文献8)は神経系統の障害と血中鉛との関係については、神経系統の量的測定値が現在のところ確立されていないので、尿中ALA、尿中コプロポルフイリンと血中鉛との場合のような関係を示す研究は見られない旨述べつつも、「しかし、アメリカにおける小児の鉛中毒は主として脳症又はそれに近いものであるが、特殊な例を除いてほとんどが血中鉛に依存している。また、筆者等が観察した伸筋麻痺の患者も血中鉛が三〇〇μg/dl以上にも達した。ついでながら、この患者は上肢のリストドロツプは著明で、握力はほとんどゼロに近かつたが、主としてEDTAによる治療によつて数か月後に麻痺は完全に回復し、一年後に職場復帰した。なお、現在、アメリカでは小児の鉛中毒発見のためのスクリーニングとして血中鉛を測定し、一〇〇μg/dl以上の小児は入院、精査、治療を行つている。」としている。

六  誘発による鉛の排出

1  誘発による鉛の検出について、乙第二三号証(文献16)は「鉛を発散する職場では、通常以上の鉛が体内に侵入することによつて、全血中鉛量はいわゆる正常鉛量を上まわり、従つて尿中へ排泄される鉛量も増加してくる場合が多い。しかし、職場の配置転換とか入院とかによつて鉛曝露から遠ざかると、全血中鉛量は比較的速やかに減少し、尿中鉛量も急激に減少する。このような場合、除鉛剤であるCA-EDTAを投与すると、大量の鉛が尿中へ排出されて、以前の鉛曝露の状態を知ることができる。」と述べ、乙第八号証の一、二(文献8)は鉛の体内蓄積量の指標について「体内蓄積となると血液も必ずしもよい指標ではない。CAE-DTAの発見以来EDTAが診断のために用いられることがある。これは、数か月前からある症状が持続しており、そのころその患者が曝露から離れたとすると、血中鉛はすでに正常に近くなることがある。そのような場合、鉛中毒と疑われると、CA-EDTAを使つて鉛の過去における蓄積をしらべ診断の一助にしようというものである。一般に注射後二四時間内に一mg以上の鉛排泄があると、異常な鉛曝露があつたと推定する根拠になる」としている。

誘発による尿中への鉛排出量について、乙第二号証(文献4)は「一般に正常人であれば一gのCAEDTA静注後の二四時間尿中の鉛量は〇・五mg以内で、一mg以上あれば異常排泄とみなしてよいといわれている。」と述べ、<証拠略>によれば、大阪の堀内教授による、鉛作業者の場合一gのCAEDTA投与で二四時間尿中に一mg程度排泄される旨の報告があり、また、成立に争いのない乙第一号証(文献3)は完全な成人中の鉛の身体負荷は、予防医学の目的上、CANA2EDTAの二〇%溶液を一〇ml静脈内注射し、その後の二四時間中の尿の全排泄量を回収し、その鉛含有量を分析することによつて相対的に測定することができるもので、この注射を受ける時点までに職業上鉛に激しくさらされてきた者については注射後の二四時間における尿中の鉛排泄量が二mgに達した場合は、不当な職業上の危険として臨界状態にあるものと判断されてきた旨述べ、結論として検査前に一定期間にわたり曝露しなかつた作業員にあつてはCANA2EDTAを用いた誘発により二四時間で尿中に一mgをこえる鉛が検出された場合、検査を行う時点までに激しい曝露を受けてきた作業者にあつては検査開始後の二四時間以内に二mg以上の鉛を排泄した場合、その作業を継続すべきではない旨述べている。

(なお、<証拠略>によれば、新認定基準は、その解説において、現在は鉛業務に従事していないが過去に鉛業務に従事し鉛曝露をうけたことのある労働者が、鉛中毒を強く疑わしめる症状を呈しているにもかかわらず、尿中コプロポルフイリン、尿中ALA、血中鉛、尿中鉛の検査ではさしたる所見は認められない場合に、CANA2EDTAの静注誘発により尿中鉛量を測定しその数値を判断資料に用いることを認めているものであるが、CANA2EDTAの注射開始から二四時間の全尿中に五〇〇μg以上の鉛が検出されることをもつて、鉛中毒を疑わしめる指標としている。)

2  なおCAEDTAは鉛中毒の治療に用いられているものであつて、CAEDTAによる鉛中毒治療については、乙第二号証(文献4)は、「EDTAを人体に投与するとCAをキレートして(捕みとつて)テタニーを起すので、このままの形では用いられない。あらかじめCAをつけたCAEDTAの形で投与し、CAとPBとを置換させるわけである。急性の脳症などに対してはきわめて有効で一日~二gを五〇〇mlの五%ブドウ糖で静注(点滴)する。軟部組織の体内PBをほとんど捕えるので、一~二gを二~三日続けると尿中PBの増加の率は低下する。しばらく間をあけると骨に沈着しているPBが溶出してくるので、再び尿中PBが多くなる。それゆえ、かなり重症例でも二~三gを三日間に与え二~三日間をおいてから治療を再開するとよい。」と述べているが、乙第一七号証(文献11)は、「効果的キレート剤はエダタミルカルシウム(CA-EDTA)であり、鉛中毒急性症状治療上のその有効性は実証されているようである。投与法は静脈中に一日一から一〇gである。エダタミルによる治療では循環血中の五〇%は最初の一時間で排出され、九〇%が七時間以内に排出される。」「吸収期に組織に弱く結合している鉛イオンは容易にCANA2EDTAで除去できるし、慢性的吸収が行われ、細胞内に固定された鉛はもつと緩慢に解離されてこの解毒剤と結合する」と述べている。

ちなみに、<証拠略>によれば、氷川下病院における慢性鉛中毒症患者に対する治療は、もつぱらCANA2EDTAを駆使することによつて行われ、標準的治療としては、外来では週一回一gをブドウ糖液二〇mlに加えて静注し注射の間に日に二gを分二~三で三~五日内服、入院の場合は週三回隔日で五〇〇mlのブドウ糖に二gを稀釈して点滴静注する、という方法によつている。

第四原告の疾病に関する事実

一  氷川下病院での受診前の原告の作業歴及び症状

1  会社における作業歴・作業環境

(一) 会社における原告の作業歴・作業環境等について、次の各事実は、当事者間に争いがない。

原告は昭和一二年五月二三日会社に入社し、同日から昭和三一年七月まで鉛版鋳造作業に従事し(但し、この間、昭和一七年一一月から昭和二一年までは戦時中の応召のため、昭和二五年二月から昭和二八年三月までは肺浸潤による入院のため、それぞれ勤務から離れている。)、昭和三一年八月から昭和三六年七月まで母型課に勤務し、昭和三六年八月から昭和四六年九月まで紙型課に勤務している(なお、原告は昭和四六年八月二〇日に氷川下病院で受診、同年九月二〇日同病院に入院してから昭和四八年一月に通院治療のかたわら制限勤務で会社に復帰するまで会社での勤務を離れている。)。

会社の業務は昭和四一年九月までは千代田区有楽町一―一一所在の旧社屋、同月以降は同区一ツ橋一丁目一番地所在の新社屋で行われている。

原告の右作業歴のうち、鉛版鋳造作業及び紙型課における勤務はいずれも鉛を取り扱う作業である。

鉛版鋳造は溶解鉛を取扱うため、鉛を体内に取り込む危険が極めて大きい。紙面づくりに使用される鉛版は印刷が終つて使用済になるや再び溶かされ、新しい鉛版に鋳込まれる。この作業が鉛版鋳造である。原告は、鉛版鋳造作業のうち鋳型に液体状の鉛を流し込む作業(鋳込)に主として従事しており、溶解した鉛から立ちのぼつている霧状の鉛(ヒユームと呼ばれる。)を日常的に呼吸していた。

原告が配置転換により昭和三一年八月から勤務した母型課は、活字を鋳造する金属鋳型である母型を作る職場であり、そこでは、鉛は取り扱つていなかつた。

昭和三六年八月から昭和四六年九月まで原告が所属した紙型課においては、溶解鉛を用いて平版を鋳造する(ヒユームを呼吸する危険がある)平版鋳造作業と、組付作業が行なわれていた。原告は、昭和四一年九月以前の旧社屋時代にはほとんど専門的に平版鋳造作業に従事し溶解鉛の紙型への注入、糸ノコを用いての平版仕上げ作業(固形鉛を直接取り扱う。)を行つていたが、同月の新社屋への移転後は、週四回平版鋳造作業週二回組付作業の割合で勤務していた。

(二) なお、<証拠略>によれば、昭和四一年以前の旧社屋における鉛版鋳造作業及び紙型課における鉛作業の職場環境は、昭和四一年以降の新社屋における鉛作業のそれよりも一層鉛の影響を受けうるおそれの強いものであつたことが認められ、<証拠略>によれば、昭和四五年一一月一二、一三日、昭和四六年一一月三〇日から同年一二月二日、及び昭和四七年九月二六日から二九日に会社(当時は新社屋)の鉛環境調査を行つた労働衛生サービスセンターは、原告が昭和四一年九月以降昭和四六年九月まで勤務している新館社屋における紙型課(平版鋳造を含む)での気中鉛量について、「許容濃度〇・一五mg/m3に対して、紙型場中央床面より高さ一・五mの箇所で〇・〇一~〇・〇三mg/m3程度であるが、いずれの調査に際しても作業者の口元では痕跡~〇・〇七mg/m3の低値を示している。また平版鋳造機付近で平版鋳込作業中における気中鉛は局所排気装置以前でも〇・〇一mg/m3となつており、紙型課についてはあまり問題は認められない。」としている(なお、前記乙第二三号証(文献16)によれば、平均気中鉛濃度と鉛に対する有害度の現われである各種臨床医学的検査成績との関係について別紙(一〇)(表10)の結果を明らかにしている。)。

2  氷川下病院受診前の原告の症状

<証拠略>によれば、原告は、昭和一八年応召中に便秘が四~五日続き腹部疝痛を感じることがあつたこと、昭和三一年ころ強度の腹部疝痛により日医大病院に入院したが病名は不明であつたこと、昭和三五年ころ下肢が思いどおりに動かず列車とホームの間に落ちる事故があつたこと、昭和四二年一月二二日会社での作業中に鉄のバツクの上から転倒する事故があつたことがそれぞれ認められる。

二  原告に対する臨床所見、診断意見等

1  鉛特殊健康診断の結果

財団法人全日本労働福祉協会が会社において昭和四四年三月一三日、昭和四五年三月一二日及び昭和四六年三月一一日に行つた鉛特殊健康診断での原告の検査成績は、全血比重は一・〇五五、一・〇五二、一・〇五五で、尿中コプロポルフイリンは三回ともマイナスであつた。また、昭和四五年四月一七日に行つた鉛特殊健康診断では、血色素量一デシリツトル当り一四・〇グラム、全血比量一・〇五六、赤血球数一立方ミリメートル当り四五六万個であつた。(以上の事実は、当事者間に争いがない。)

2  永川下病院における原告の臨床所見及び山田医師の診断意見

(一)(1) <証拠略>によれば、氷川下病院医師山田信夫は、「鉛中毒患者の症状経過及び臨床検査結果について」(昭和四六年一二月一六日中央労働基準監督署受付)において、氷川下病院における初診時昭和四六年八月二〇日での原告の所見として、

「鉛顔貌、歯肉の色素沈着著明、手肢の振せん著明、母趾及び下肢全体の伸筋麻痺著明で負荷により疼痛激しく生ず。易労感、睡眠障害、眩暈、耳鳴、複視、上肢の脱力感、腹部疝痛、常習性便秘あり。」

と述べ、症状経過としては、

「四六・八・三〇(「昭和四六年八月二〇日」の略記。以下、他のものも同様である。)背筋力八四kgに低下を認める。四六・九・二 言語障害あること明らかになる。四六・九・二二 脳波にて低電位不規則波型、α波乏しいなどの異常所見あり。四六・九・二三 四肢のしびれ感、全身倦怠感、歩行時の動揺、耳鳴などあり。四六・九・二五 前と同じ。四六・九・二七 前と同じ。四六・九・二八 頭重感、歩行時動揺感。四六・九・二九 睡眠障害、頭重感、歩行時動揺感あり。四六・九・三〇 耳鳴、四肢倦怠感、前腕しびれ感あり、耳鳴、頭重感あり。四六・一〇・二睡眠障害あり、右手にしびれ感あり、頭重感。四六・一〇・四 睡眠障害あり。四六・一〇・七 両上肢にしびれ感あり、頭重感、下肢倦怠感あり。四六・一〇・八 頭重感、下肢倦怠感あり。四六・一〇・九 頭痛、頭重感、下肢倦怠感あり。四六・一〇・一二 下腹部疝痛あり、頭重感、下肢倦怠感あり。四六・一〇・一三 前と同じ。四六・一〇・一四 前と同じ。四六・一〇・一五 頭重感、頭痛、歩行時動揺感、四肢倦怠感あり。四六・一〇・一八 前と同じ。四六・一〇・一九 耳鳴、頭重感、四肢倦怠感あり。四六・一〇・二六 下肢倦怠感、頭重感あり。四六・一〇・二八 睡眠障害、耳鳴、左頸部疼痛、頭重感。四六・一〇・三〇 全身倦怠感。四六・一一・一 睡眠障害、耳鳴夜間に強し、頭重感、全身倦怠感。」

と記載しており、臨床検査結果は別紙(一)(氷川下病院における臨床検査結果)のとおりであると述べている。(右臨床検査結果及びこのうち尿中コプロポルフイリン測定が半定量法で行われていることは、当事者間に争いがない。なお、<証拠略>によれば、氷川下病院での検査においては、誘発テストはCANA2ED-TAを一グラム静注して二四時間後の血中鉛及び尿中鉛の濃度並びに誘発後二四時間全尿中の排泄鉛量を測定する方法により行つていることが認められる。)

(2) 山田医師は、前掲「鉛中毒患者の症状経過及び臨床検査結果について」において、原告の疾病について、

「患者の業務内容及び従事期間 毎日新聞社鉛版歴昭和一二年五月~昭和一七年一一月及び昭和二一年六月~昭和二五年二月及び昭和二八年四月~昭和三一年七月及び昭和三一年八月~昭和三六年七月母型の鉛職歴がある。

患者の作業環境並びに取扱原料の有害性及び程度について 鉛中毒予防規則の中で鉛業務として規定されており、取扱物の有害性及び程度についてもすでに明らかにされている。

当慢性鉛中毒における特有なもしくは医学経験則上通常起るであろうと認められる臨床所見について:<1>鉛顔貌、歯肉の色素沈着、手肢の振せん、易労感、睡眠障害、めまい、耳鳴、複視、腹部疝痛、常習性便秘が頑固に訴えられている。<2>四肢の頑固なしびれ感、手に持つた煙草を落すなど末梢神経障害が著しい。<3>下肢伸筋麻痺著明、母趾に負荷をかけて伸筋を収縮させると激しい疼痛を生ずる。<4>常時尿中コプロポルフイリン二四〇~九六〇μg/lあり。<5>CANA2EDTA点滴静注で一日の尿中排泄鉛一〇〇μg以上を認めた日が五日ある。<6>背筋力八四kgに低下のほか全身にわたつて筋力低下あり。<7>四肢末端の伸筋麻痺はもちろん、両大腿部の四頭筋をはじめとする諸筋に強い伸筋麻痺がある。

既往症:昭和二五年三月~昭和二八年三月、肺結核のため入院治療。昭和三六年、貧血。

鑑別診断:X線検査で椎間孔及び骨に変化はないので、頸形変形を否定する。

業務上外に関する医師の医見:明らかに業務上である。」

と診断意見を述べている。

(二) <証拠略>によれば、山田医師は、「毎日新聞社員橋本武志に関する意見書の補足」(昭和四七年二月一八日)において、昭和四七年一月一八日に行つた検査において原告には両眼に同心性の視野狭窄が認められた旨述べている。

3  赤沢医師による鑑別診断意見

<証拠略>によれば、氷川下病院院長赤沢契医師は、「橋本武志氏の鉛中毒にかかる鑑別診断について」(昭和四七年四月一九日付)において、原告の主要な神経所見として、

「(1) 両側性知覚鈍麻

(イ)四肢の遠位に強く、近位に弱く、境界不鮮明で次第に移行する。躯幹では下半身に近い部分に鈍麻がある。(ロ)非対称性で左側上下肢より右側上下肢に強い。(ハ)自覚的知覚障害がある。

(2) 全身の筋萎縮

四肢のみならず、首、腹筋の筋力低下も認める。上下肢とも遠位、近位とも弱く、全体として右側が左側よりも弱く、非対称性であり、遠位により著明であるといえない。

指では、母指球筋、小指球筋の筋萎縮を認める。母指の外転、母指と小指の対向、指の内、外転の筋力低下あり。

手関節では、背屈正常であるので、いわゆるリストドロツプ(WRIST DROP)のある橈骨神経麻痺の型はなく、指の筋萎縮、筋力低下から、正中、尺骨神経麻痺すなわちアラン・デユセンヌ型(ARAN-DUCHENNE)の障害があるといえる。

(3) 内側周辺の視野狭窄。

(4) 聴力障害

両側に四〇〇〇サイクルと八〇〇〇サイクルに五〇~六〇DB(デシベル)の聴力脱失がある。」

と認めており、鑑別診断として、

「(1) 変形性腰椎症

腰椎エツクス線検査において正常像を示すのでこれを否定する。

(2) 腰部椎間板症

現在腰痛の訴えは皆無であり、下肢の強い伸筋麻痺の要因と考えられる程のヘルニアが存在すると仮定するには、ラセグ徴候は微弱であり、後述のごとく、同症の存在では多発神経炎型の知覚鈍麻をまつたく説明しえないので、これを否定する。

(3) 第一二肋骨骨折なし。(現在)

(4) 両側四肢末梢知覚鈍麻、すなわち多発神経炎型知覚鈍麻が本症例の特徴である。この原因として、糖尿病、アルコール中毒、脚気、ジフテリー、ペラグラ、砒素、紅斑性痕瘡、一酸化炭素中毒、それに鉛中毒症が掲げられているが、今日までの精査により鉛以外はすべて否定できる。

(5) 正中神経、尺骨神経支配域の筋不全麻痺、すなわちアラン・デユシエンヌ型の障害がみられることが本症例の特徴であるが、慢性鉛中毒症による本障害の発生があることは神経学の成書によく記載され、知られているところである。

(6) 両側性の眼底所見は正常で周辺視野が欠損する病変は、黒内障及び腎性高血圧性網膜症と並んで、鉛中毒により慢性的に惹起される視力障害として重視されねばならない。このことは、また、神経学の成書によく記載され、知られているところである。

(7) 末梢性運動性障害がほぼ全身的に存在することが本症例の特徴である。趾の伸筋の強い麻痺が治療当初存在したが、現在は著しく改善している。

(8) 本疾患は、全身的病変が特徴であり、これは局所的原因からはいささかも説明されない。この病変の原因として考えられるものは、唯ひとつ、患者が長年従事していた劣悪な労働環境下で多量の鉛を吸収、蓄積した結果発生した鉛中毒症であり、これによつて上記諸神経障害はすべて説明可能なのである。

附 脳炎の存在については現在のところ積極的な説明の根拠はみつからない。

としている。

4  斎藤医師による診断意見

<証拠略>によれば、東京大学医学部附属病院医師斎藤泰弘は、「橋本武志殿の臨床所見についての意見書」(昭和四七年五月一二日付)において、原告の所見として、

「昭和四七年四月二〇日初診

歩行不自由なこと。時に万年筆や煙草をふと落すことなど両上下肢の筋力低下と記銘力、聴力の低下、便秘を主訴としている。歯ぎんに着色はないが、(1)筋力は上下肢とも低下している。しかし、小指球にわずかの萎縮があるが一般に筋萎縮は顕著ではない。(2)腱反射は正常である。(3)知覚鈍麻が下肢の末端にある。(4)筋電図では軽微ではあるが神経障害の所見がみられる。」

と認めており、診断意見としては、腹部疝痛及び末梢型の神経筋障害があり、記銘力低下などの脳障害があること、現在糖尿病も認められないことなどから、慢性鉛中毒によるものと考えるのがもつとも妥当であると結論している。

5  茂在医師による診断意見

<証拠略>によれば、東京大学医学部附属病院医師茂在敏司は、「橋本武志氏に関する意見書」(昭和四七年六月二二日付)において、

「診察日時 昭和四七年六月八日及び同月一四日診断 四肢にみられる軽度の末梢運動神経障害」

とし、検査所見としては、

「尿 蛋白疑陽性のほか特別の所見なし。

血液 血色素、赤白血球数、赤白血球像正常範囲。

血液生化学 特記すべき所見なし。

血液デルタアミノレブリン酸脱水素酵素 正常対照者に対し一二二パーセント(正常範囲七〇~一三〇パーセント)。

尿中デルタアミノレブリン酸 一リツトル当り二・二ミリグラム。

胸部X線 かなり古い結核及び嚢肋膜炎経過後と思われる陰影。

頸椎X線 五、六変形性背椎症。五~六、六~七、椎間狭少。

腰椎X線 四、五変形性背椎症。

筋電図 上下肢検査諸筋に少量のPOLYPASIC NNUありDURATION延長をみるものあり。

運動神経伝導速度 尺骨神経、秒速四八・九メートル。腓骨神経、秒速五八・九メートル。

脳波 服薬せるため、及び測定時筋電図混入のため、完全な所見をとれなかつたが、みられた範囲では明暸な異常所見を認めなかつた。」

と認めており、意見として、

「患者の愁訴のひとつである腰痛にはX線上みられた腰痛変化がある程度の関連をもつと思われるが、愁訴のひとつであつた側後頭部痛の原因は不明である。

両側上肢筋力のわずかな低下は、X線上みられる頸椎椎間狭少、変形性頸椎症と関連すると考えられる。

極めて軽度ではあるが、筋電図上みられた神経原性変化は、上下肢躯幹近位筋、遠位筋と広くみられ、局所的な背椎変化により説明することは困難である。病因的には代謝性、中毒性もしくは老年性因子を推測するのが一般である。このような所見をおこす頻度が多いと思われる糖尿病はみられない。また尿毒症様所見や肝機能障害はみられない。中毒性因子として、鉛に関しては血液中デルタアミノレブリン酸脱水素酵素活性、尿中デルタアミノレブリン酸排泄いずれも正常であり、現時点においては鉛中毒と断定する根拠は得られない。ただし、患者の言に従えば、鉛との接触がたたれたと推測される時点から既におよそ八か月は経過していると思われるから、本検査によつてそれ以前における鉛中毒の有無を論ずることはできない。

脳波検査は、必ずしも十分な条件下で行われたとはいえないが、みられた範囲では明らかな異常所見を示さなかつた。ただし、精神医学的に問題があるようにも思われ、この点については、問題となつている鉛中毒とも関連して、専門精神科医の意見及び必要ならば脳波再検査をされることがのぞましい。」

と述べ、結論としては、

「軽度の末梢運動神経障害の存在を認めたが、現在において内科学的、神経学的に鉛中毒と診断する根拠は得られなかつた。

ただし、このことは既往における鉛中毒の存在を否定するものではない。存在が推測される精神科的問題については専門医の意見を徴されることが望ましい。」

としている。

6  上田医師の鑑定意見

<証拠略>によれば、東京歯科大学衛生学教室医師上田喜一は、「鑑定書」(昭和四八年三月三〇日付)において、前記山田医師による臨床所見及び診断意見(前記2記載)並びに前記茂在医師による臨床所見及び診断意見(前記5記載)を前提としたうえで、鑑定意見として、

「本症例では、多発性神経炎型症状が鉛中毒によるか他の疾患によるかの鑑別診断がキーポイントで、症状の初期に神経内科、整形外科などの専門家(ことに中立機関の)の対診を依頼あれば解決したことと考えられ、その措置をとらなかつたことが惜しまれる。

したがつて、本症例は、鉛の影響が十分考えられるが、全面的に鉛中毒のみによる神経症状とは認めがたく、認定はははなだ困難である。」

と述べている。

7  山根医師の意見

<証拠略>によれば、東京厚生年金病院医師山根至二は、「意見書」(昭和四七年四月一五日付)において、前記山田医師による臨床所見(前記2記載)を前提としたうえで、意見として、

「本症例を鉛中毒と認定するだけの根拠は見当らない。

(1) 労災新基準に該当しない。

(2) 鉛中毒に著明な伸筋麻痺とは考えられない。すなわち、全身性の筋力低下、伸側の知覚喪失、平衡機能障害を疑わせる記載はあるが、鉛中毒にいう伸筋麻痺とは末梢性運動性のもので該当しない。

(3) 脳炎症状として理解するにはデータが不備で判定できない。また、鉛脳炎と理解するためには、裏付けとなる生化学的変化(血中及び髄液中鉛量)が見られない。

附 なんらかの神経疾患の存在は考慮されるが、鉛中毒可能の職場で出現した神経疾患がすべて鉛性のものと速断できない。しかるべき神経専門医の診断がのぞましい。」

と述べている。

三  氷川下病院での受診後の原告の治療経過等

<証拠略>によれば、氷川下病院での受診後の原告の治療経過等は次のとおりである。

原告は、昭和四六年八月二〇日氷川下病院にて受診後、同年九月二〇日から同年一一月まで同病院に入院。同月五日機能回復訓練のため山梨県石和共立温泉病院に入院し、昭和四七年一月二九日同病院を退院。その後、同月三一日から昭和五〇年五月まではほぼ毎日、同月から昭和五一年四月までは断続的に、氷川下病院に通院して治療を受けている。

氷川下病院での原告に対する治療内容は電気針や低周波を用いての治療のほか、CANA2EDTA点滴による排鉛を行い高単位ビタミンB1、B6、B12の静脈注射及び胎盤エキスの筋注を行い、ビタミンB1、B6、B12及び脳循環・代謝改善薬の内服を行う等であつた。

原告は、この間、昭和四六年九月から昭和四七年一二月までは会社における勤務に従事していなかつたが、昭和四八年一月二日から昭和四九年四月二六日に会社を定年退職するまでの間一日六時間の制限勤務を行い、その後、昭和五〇年五月からは新たな就職先に勤務している。

氷川下病院で治療を受けた後の原告の症状は、昭和四七年一月末に頭重感が消失するなど漸次諸症状の改善をみるようになり、昭和五三年ころには、腹痛、頭痛、倦怠感、四肢のしびれ感、四肢倦怠感、腰痛、頭重等の自覚症状が消失したほか、昭和四六年八月の氷川下病院での初診時に認められた諸症状もおおむね軽快ないし消失している。

なお、前記二3記載の赤沢医師の診断所見にも、治療当初存在した原告の趾の強い麻痺が右診断時(昭和四七年四月)には著しく改善している旨の記載がなされている。

第五原告の疾病についての判断

一  前記第四認定の事実によると、次の点を指摘することができる。

1  原告は、昭和一二年五月会社に入社してから昭和三一年七月まで、戦時中の応召及び肺浸潤による入院の期間を除き約一二年半鉛版鋳造作業に従事し、また、昭和三六年八月から同四六年九月まで紙型課における平鉛版鋳造作業に携つて鉛曝露による有害作用を受けうる環境の下で業務に従事してきたものである(特に、昭和四一年九月新社屋に移転する以前においては、旧社屋の職場環境及び原告の作業内容に照らし、大量の鉛曝露を受けうる環境にあつたものと認められる。)。

2  確実に認められる原告の症状として、めまい、耳鳴、頭重、頭痛、睡眠障害、腹部疝痛、便秘、易労感、倦怠感(これらは、氷川下病院受診時にもしばしば訴えられている。)の自覚症状のほか末梢神経障害、視野狭窄(これらは、複数の医師によつて認められている)の他覚症状があり、これらの症状は、鉛中毒症にみられる臨床症状と一致するものである(なお、原告の右症状のうち、睡眠障害、腹部疝痛、便秘、易労感、倦怠感、末梢神経障害は、新認定基準に鉛中毒を疑わしめるものとして例示されている症状である。)。

3  原告の右症状は、原告が鉛曝露による有害作用を受けうる環境の下で業務に従事するようになつてのちに生じたものである。

二1  原告は、労働者災害補障保険法による療養補償給付を請求する労働者・患者が、(一)当該労働者が鉛曝露の可能性のある職場環境下で労働していたこと、(二)右環境下での労働開始後鉛中毒によつても発現しうる症状を呈しはじめたこと、を立証すれば、右請求を拒もうとする側(国)において、(一)右症状が職場以外での鉛曝露に起因すること、又は(二)右症状が鉛中毒以外の原因(他の疾病等)に起因するものであること、を立証しないかぎり、当該労働者の症状は業務に起因する鉛中毒症であると認定すべきであると主張する。

2  しかしながら、前記第三認定のように、鉛中毒症の症状のほとんどすべては鉛中毒特有のものではなく他の疾病によつても十分起こりうるものであり(前記一の2認定の原告の症状もその例外ではないと考えられる。)しかも、鉛中毒症は前記第二認定のように鉛が体内に吸収蓄積されることによつて引き起こされるものなのであるから、鉛の曝露を受ける可能性のある環境にない労働者が右のような鉛中毒症によつてもまた他の疾病によつても起こりうる症状を呈したからといつて、通常は、鉛中毒症によるものであることを疑う余地はなく(<証拠略>によれば、一般人も日常生活において空気中及び食品中に存在する微量の鉛を摂取しているが、これによつては鉛中毒症にかかることはないものと認められる。)、その症状は鉛中毒症以外の他の原因によるものと推認されることになるのであり、鉛を曝露する可能性のある環境のもとにあつた労働者について右のような症状があらわれた場合にはじめて、鉛中毒症をも疑う可能性が生ずるのである。そして、鉛に曝露する可能性のある環境にある労働者すべてが鉛中毒症にかかるというものではなく(労働者の個人差は当然考えられる。)また右のような環境にある労働者が右のような症状を呈する他の疾病にかかる可能性は十分にありうることと考えられるところであるから、労働者が鉛を曝露する可能性のある環境に置かれたのちに鉛中毒症によつても発現しうる症状を呈しはじめたからといつて、それだけでは、それが鉛中毒症によるものか他の原因によるものかの優劣は直ちに決し難いものであり、それが鉛中毒症によるものと直ちに推認することはできないものといわなければならない。以上のように、鉛に曝露する可能性のある環境に置かれた労働者がその後鉛中毒症によつても発現しうる症状を呈したことは、鉛中毒症をも疑う前提要件となるにすぎないものであるから、右症状が鉛中毒症によるものであることを推認するためには、更にそれを強く疑わせる他の客観的な証憑が加わることが必要とされるものといわなければならない。

そして、前記第三認定の事実によれば、今日においては、血中鉛、尿中鉛、尿中コプロポルフイリン、尿中デルタアミノレブリン酸、血色素量、全血比量、好塩基斑点赤血球数、デルタアミノレブリン酸脱水素酵線の活性等の、臨床医学的検査を行うことにより、患者に対する鉛曝露の程度、患者の体内への鉛の吸収・蓄積の程度などについて、かなり客観的な判断を行うことができるようになつていることが認められるから、鉛中毒症であるかどうかの判断にあたつてはこのような臨床医学的指標を全く無視することは相当でなく、右のような臨床医学的検査をすることができる場合には、必ずその検査を行い、その結果を参照したうえで(右検査結果が異常を示した場合にはそれ自体鉛中毒症を推認する有力な証憑たりうるとともに、それが正常範囲にとどまる場合には他の証憑に対する有力な反証たりうるものと解すべきである。)、それとそれ以外の証憑とを総合的に検討して鉛中毒症かどうかの判定をするのが相当と解すべきである。

三  そこで、原告に対する会社での鉛特殊健康診断、氷川下病院における臨床検査及び茂在医師による診断検査における各指標の検査結果数値を検討してみると次のとおりである。

1  会社で昭和四四年三月から昭和四六年三月にかけて行われた鉛特殊健康診断の結果は、前記第四の二の1のとおりであるが、その血色素量、尿中コプロポルフイリン量はいずれも前記第三の三2及び6認定の各文献の記載に照らして正常な範囲であり(新認定基準の定める数値にも達していない。)、全血比重、赤血球数もまた、昭和四五年三月一二日の全血比重一・〇五二という数値を除いては、異常を認めることができない(新認定基準の定める数値に達していない。)。

2  次に、氷川下病院で昭和四六年八月二〇日から昭和四八年三月七日にかけて行われた臨床検査の結果は、別紙(一)のとおりであるが、その血色素量、好塩基斑点赤血球数、血中鉛濃度、尿中鉛濃度はいずれも前記第三の二の2、三の2、3認定の各文献の記載に照らしても正常な範囲であり(新認定基準の定める数値にも達していない)、全血比重、赤血球数もまた異常を認めることができない(新認定基準の定める数値に達していない。)。尿中コプロポルフイリン量については、前記第三の三の6の文献の記載に照らせば一応(文献がどのような測定法を前提とするものか不明なので確信はできない。)有意な数値が検出されているものといえる(新認定基準の定める定量法によつて測定したものではない(半定量法による測定値である。)から、新認定基準の定める数値に達しているかどうかは判断できない。)。

3  また、茂在医師によつて昭和四七年六月八日及び同月一四日に行われた診断検査の結果は、前記第四の二の5のとおりであるが、その血中ALA―D活性は正常であり、尿中ALA量もまた前記第三の三の5認定の各文献の記載に照らしても正常な範囲である(新認定基準の定める数値にも達していない)。

以上のとおり、各種の検査結果数値は一、二の例外を除いて正常な範囲の数値にとどまつているものといえる。

右例外のうち、まず、氷川下病院における臨床検査で尿中コプロポルフイリン量について一応有意な数値が検出されていることについては、尿中コプロポルフイリン量は鉛中毒以外の原因でも増加するといわれており(<証拠略>)、また、血中鉛と相関関係にあり(前記第三の五)、尿中鉛量と比例するといわれている(<証拠略>)ところ、氷川下病院における検査での原告の血中鉛、尿中鉛は正常な数値にすぎないから、右尿中コプロポルフイリン量の数値をもつて直ちに鉛の作用に基づくものと認めることはできない。

また、昭和四五年三月一二日に全血比重一・〇五二という数値が検出されていることについては、これに近接する同年四月一七日の鉛特殊健康診断において全血比重一・〇五六という数値(前記第四の二の1参照)が検出されていることに照らすと、直ちに異常なものと認めることはできない。

したがつて、以上の臨床医学的検査の結果自体によつては、原告の症状が鉛曝露による鉛中毒症に起因するものと推認することはできない。

四1  しかしながら、右三で検討した各種検査結果については、前記第三認定の各文献の記載に照らすと、いずれも患者の最近の(検査当時を基準として)鉛曝露の程度を判断するための指標であつて、過去において鉛曝露を受けた患者であつても曝露から遠ざかつた場合には有意な数値を検出することができなくなる(例えば、血中鉛についていえば、<証拠略>等には「鉛作業を離れると血中濃度は直ちに下り始める」旨の記載があり、<証拠略>等には、患者が職場の配置転換や休業によつて鉛曝露から遠ざかつた場合には鉛中毒の症状が認められるのに血中鉛、尿中鉛等の検査数値が正常な値にとどまつていることがある旨の記載がある。)と認められるものであるから、これらの検査数値が正常なものであることは、最近の有意な鉛曝露を否定するものではあつても、過去における鉛曝露及びこれによる体内組織への鉛蓄積の可能性までも否定するものではない。

しかも原告は、前記第四の一で認定したとおり、昭和一二年に入社した後昭和三一年七月までは戦時中の応召及び肺浸潤による入院の期間を除き約一二年半会社旧社屋において鉛版鋳造作業に従事していたものできわめて高度の鉛曝露を受けうる環境の下にいたところ、配置転換により同年八月から昭和三六年七月までは母型課勤務となつて鉛曝露の可能性からは遠ざかり、同年八月からは紙型課勤務となつて再び鉛曝露を受けうる環境の下で作業に従事するようになり昭和四一年九月までは旧社屋で鉛を直接取扱う手鉛版作業を専門に行つていたが、同月の新社屋移転に伴い労働環境も改善され作業内容も手鉛版作業と組み付け作業を交互に行うようになつて鉛曝露を受けうる程度が比較的低くなつていた可能性はあるものと解される(前記第四の一の1の(二)認定のとおり昭和四五年一一月から昭和四七年にかけて行われた鉛環境調査の結果では原告の勤務する紙型課において特に問題があるものとは認められていないこと及び前記のとおり昭和四四年三月から昭和四六年三月にかけて会社で行われた鉛特殊健康診断の結果原告から有意な検査数値が検出されていないこともまた右可能性を示唆するものである。)更に、前記第四の一の2認定のように原告の症状のうち腹部疝痛は遅くとも昭和三一年ころ、末梢神経障害を示す徴候は昭和三五年ころには、既に存在していたことがうかがわれることをもあわせ考えると、原告の症状は主として昭和三一年以前の鉛版鋳造作業の際の鉛曝露に起因するものであり原告は同年八月の配置転換以降(又は仮に昭和三六年八月以降の紙型課勤務において再び有意な鉛曝露を受けていたとしても昭和四一年九月の新社屋への移転以降)鉛曝露から遠ざかつていたため、その後血中鉛濃度が低下するなどして会社での鉛特殊健康診断及び氷川下病院での臨床検査における前記各指標の検査結果数値が正常な範囲のものにとどまつたという可能性もまた、一概に否定することができない。

2  前記第三の六認定の事実によれば、このような場合にはCA-EDTA等のキレート剤を用いた誘発による尿中への排出鉛量の測定により過去の鉛曝露及び体内への鉛蓄積の状態を推認することができることが認められる(このことは、新認定基準自体もその解説においてCANA2EDTA等キレート剤の使用による尿中鉛量測定に関して、認めているところである。)。

3  そこで、原告に対して氷川下病院で行われたCANA2ED-TAを用いた誘発後の尿中鉛量の測定結果について検討してみると、氷川下病院では前記第四の二の2の(一)の(1)において認定したとおり、CANA2EDTA一g静注後二時間尿の尿中鉛濃度及び静注後二四時間全尿中の排出鉛量の測定を行つているものであるが、原告の誘発後二四時間全尿中の排出鉛量は別紙(一)記載のとおりであつて、検出された最高の数値はわずか一五八μgにすぎず(なお、昭和四六年八月二〇日、同年九月二日の誘発後二時間の尿中鉛濃度の数値はこれを上回るものであるが、<証拠略>によれば、誘発後二時間の尿中鉛量が最も多いと認められるから、右換算値をもつて検査結果を判断することは相当でない。もつとも、右数値も新認定基準の解説に定める数値には達していない。)、前記第三の六認定の各文献の記載に照らしても有意な量とはいえない(新認定基準の解説の定める五〇〇μgにもはるかに及ばない。)。そして、原告が過去に大量の鉛を体内に吸収蓄積したにもかかわらず特異な体質で右誘発による尿中鉛量の検査によつては効果的に鉛を排泄せず有意な数値を検出することができないなど、右誘発後の尿中鉛量の検査結果によつては原告の過去の鉛曝露の状況を知ることができない特別の事情があることを認める証拠もない。

したがつて、右検査結果によつても原告の症状が鉛曝露による鉛中毒症に起因するものであると推認することはできない。

五  前記第四の二認定のように、山田医師、赤沢医師、斉藤医師は、原告の末梢神経障害、中枢神経障害、消化管障害等各種の症状を個別的に検討したうえで原告を鉛中毒症と診断する意見を述べている。しかしながら、前記第三の五認定の諸文献の記載によれば、右各医師の認定したような全身にわたる各種の症状が鉛中毒症に起因する場合には、通常、臨床医学的諸検査において異常を示す数値があらわれることが認められるが(なお、<証拠略>によれば、多発性神経炎症状のみを呈し、全身所見、血液所見に全く異常がなく、尿中又は血中鉛量が比較的低い症例のあつたことが認められるが、これは稀有の一例とされている。)原告については、いずれも異常を示すものでないことは前述のとおりであり、右各医師の意見は、各症状とこのような臨床医学的諸検査の結果とのくいちがいについての首肯することができる合理的な説明を欠いているものであるから(山田医師の意見は尿中コプロポルフイリン量と誘発後の尿中鉛量を異常とみなしているが、これについては異常なものと解することができないのは前述のとおりである。)、直ちに採用することはできない。

六  また、原告については、氷川下病院において治療を受けた後その症状が軽快していることが一応認められる。しかしながら、右治療は前記第四の三認定のとおりであつて、単なる排鉛治療だけにとどまらず他の治療も併用され、その間に機能回復訓練も行われており、誘発後の鉛排出量が終始前記のとおりの低い数値にとどまつていることに照らせば、原告の症状軽快が直ちに排鉛治療の効果によるものであると認めることはできないといわなければならない。

七  他に原告の前記症状が鉛の曝露吸収に基づいて発生したことを推認させる的確な証憑は見当らない。

八  なお、被告において、原告の症状が鉛中毒症以外の他の特定の原因に基づくことの主張立証をしていない。しかし、右主張立証が必要となるのは、原告の症状が鉛中毒症に基づくことを推認させるに足る客観的な証憑があらわれた場合においてであり、本件においては、前記三ないし七で検討したように、原告の症状が鉛中毒症に基づくことを推認させる的確な証拠は見あたらないのであるから、被告において他の特定の原因を主張立証せずそのため特定の他の原因が見あたらないことをもつて原告の症状が鉛中毒症に基づくものであるとすることはできない。

九  以上検討したところによれば、原告は、鉛曝露による有害作用を受けうる環境の下で業務に従事したのち鉛中毒症によつても発現しうる症状を呈したものではあるが、これが、過去又は最近における鉛の曝露吸収に基づいて発生したものと推認させるような的確な証憑は認められないから、原告が鉛中毒症にかかつているものと推認することはできない。

第六業務上の事由によるものかどうかの判断

以上のとおり、原告の本件疾病については、いまだこれを鉛中毒症と認めるに足りないものであり、他に、原告の右疾病が職場における鉛曝露以外の業務上の他の何らかの事由に起因するものであることを窺わせる事情もまた認められないから、原告の本件疾病をもつて業務上の事由によるものということはできない。

第七結論

そうすると、原告の本件疾病を鉛中毒症に該当せず業務上の事由によるものではないとした被告の本件処分を違法なものということはできないから、右処分の取消を求める原告の本訴請求は理由がない。

よつて、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 越山安久 星野雅紀 三村量一)

別紙(一)

氷川下病院における臨床検査結果<省略>

別紙(二)

表1 Pb中毒時の一般症状

自覚症

衰弱感

食欲不振

倦怠感

神経過敏

振顫

体量減少

頭痛

胃腸障害

便秘

胃愁訴

仙痛

他覚的所見

蒼白

ポルフィリン尿

(CoproporphyrinIII)

Pb-Spiegel

血液変化

血清ビリルピン・血清鉄上昇

貧血

赤血球(塩基性顆粒)

骨髄像

二核性赤牙球

赤血球形成増多(Erythropoiesis)

歯齦縁

振顫

表2 神経系障害

a)鉛脳症(Saturnine encephalopathy)

(種々の脳症状)

1) 中毒性精神障害(Korsakoff型)

2) 意識障害(昏朦、昏睡)

3) 痙攣

4) 失語症

5) 脳神経麻痺(咽頭、顔面、動眼神経麻痺、発語不能など)

b)脳膜炎型(Meningitic form)(小児に多し)頭痛、嘔吐、痙攣、項部強直、Kernig徴候、視神経炎、外眼筋麻痺

c)眼症状

黒内障、中心性視野狭、色盲、視神経炎

d)脊髄末梢神経

1) 筋痛、関節痛

2) 異常知覚

3) 一過性不全麻痺

4) 筋脱力、萎縮

前膊背筋、手背筋、腰腸筋、まれにAran-Duchenne型

5) 反射消失

e)錐体路症状

f)振顫

別紙(三)

表3 鉛中毒にみられた臨床症状

W.F.von Oettingen:Poisoning, New York. 1952より

病理学的変化

1. 視診上の変化

無力状態及び悪液質(慢性)、顔面及び唇の痙攣、皮ふの蒼白(砒酸鉛亜急性)、皮ふの鉛灰色(慢**)乾癬(砒酸鉛)、紫斑病、壊疽(砒酸鉛)、血管の攣縮(亜急性)、毛髪脱落、独立筋群の萎縮、骨の変化(骨ずいの障害)

2. 呼吸器

腐敗臭、ピオー氏型呼吸、鼻血(血小板源少による)、嗅覚脱出(慢)、声帯麻痺、嗄声(咽頭神経麻痺)

3. 循環器

血管収縮(慢)、血管運動障害(砒酸鉛)、血管の退行変性

4. 消化器

食欲減退(慢)(砒酸鉛)、悪心・嘔吐(鉛<急性><砒酸鉛><急性><酢酸鉛>)、歯の着色、歯肉と歯の辺縁との着色線**(慢、砒酸鉛<亜急>)、歯肉炎(慢)、口腔炎(慢)、金属味、流涎(慢)口内乾燥感、口渇(酢酸鉛)、食道筋肉の麻痺、下痢(慢性初期、<亜急性>砒酸鉛)、疝痛**(亜急性、急性砒酸鉛)、嚢急後重(慢)、便秘(慢性後期**)

5. 消化腺及び泌尿器

耳下腺炎(慢、時折)、肝炎(慢、砒酸鉛)、腎炎又はネフローゼ、腎臓の疝痛、多尿、脾腫、黄疸*

6. 内分泌腺

睾丸の障害(慢)、無月経又は月経困難(慢)、月経過多又は流産(慢)、甲状腺の機能亢進(悪急)、副腎障害

7. 神経系及び感覚器

(1) 脳及び脊ずい

頭痛**(<砒酸鉛>)、不眠**、過敏(<砒酸鉛>)、疲労、倦怠又は催眠(急、砒酸鉛)、人事不省、昏睡又は無感覚状態、譫妄、躁病(慢)、うつ病(慢)、脳炎、痙攣、震せん**、筋肉痙攣、筋肉の攣縮(慢)、運動失調、筋肉の麻痺又は不全麻痺**(<砒酸鉛>)、反射亢進、不安・興奮*

(2) 末梢神経

神経系(<砒酸鉛>)、筋肉痛、関節痛**、知覚麻痺、知覚異常**(<砒酸鉛>)、筋肉萎縮(慢)、握力の減退**

(3) 視器

結膜炎(砒酸鉛に限る)、眼瞼下垂(慢)、散瞳、瞳孔強直(慢)、眼球の位置異常(慢)、眼筋痙攣(慢)、眼球突出(亜急性)、斜視(慢)、眼球震とう(慢)、球後神経炎(慢)、視神経炎(慢)、眼球内圧の低下、眼華内発(慢)、視力障害(慢)、視力喪失(慢)、複視(慢)、視野狭小(慢)、色神障害(慢)、黄視症(慢)

(4) 聴器

難聴(慢、時折)、前庭機能障害・めまい等**(<亜急性>砒酸鉛>)

8. 血液及び造血器管

貧血(亜急性、慢性<亜急性砒酸鉛>)、赤血球の大小不同又は奇型(慢)、有核赤血球(慢性、早期)、好塩基点赤血球増加(慢**)

生化学的変化

1. 血液

赤血球抵抗の増加、赤血球容積の増加(慢)、尿毒症(急、慢)、尿酸の増加、カルシウムの増加(亜急性)、ヘマトクリット低下**、血中鉛量増加**

2. 尿

蛋白尿(<砒酸鉛>)、血尿(急)、ポルフィリン尿(慢**)、糖尿(疝痛後)ウロピリノーゲン尿(慢、<砒酸鉛>)、デルタアミノレブリン酸の増量*、尿中排出鉛量の増加**

(注意)i 本表は鉛中毒患者にみられた症状を列挙したものである。

ii *印のついたものは、その後において発見された症状又は注意して観察すべきものである。

iii **印のついたものは、鉛中毒予防規則中にとり入れられた症状である。

別紙(四)

(表4)

正常

許容できる

過度

危険

血中鉛

<40μg/100ml

40-80μg/100ml

80-120μg/100ml

>120μg/100ml

尿中鉛

<80μg/l

80-150μg/l

150-250μg/l

>250μg/l

尿コプロプロフイリン

<150μg/l

150-500μg/l

500-1,500μg/l

>1,500μg/l

尿デルタアミノレブリン酸

<0.6mg/100ml

0.2-2mg/100ml

2-4mg/100ml

>4mg/100ml

(A) 職業的曝露や異常曝露を受けたことのない「正常」集団における鉛吸収。

(B) 職業性曝露や異常曝露の結果、正常より増加しているが、職業としては許容出来る鉛吸収。この段階の鉛吸収において後述の軽度の症状がみられても、それは鉛によるものではない。(これらの症状は他の多くの軽い健康異常にも共通してみられるものである)

(C) 職業性その他の過度の曝露による鉛吸収。軽度の自他覚症状を伴うことがあり、まれには激しい自他覚症状を伴うこともある。自他覚症状が無い場合でも、鉛中毒の急性発症や慢性後遺症をおこす可能性があるため、この段階の鉛吸収は許容出来ない。

(D) 職業性その他の曝露による危険な鉛吸収。この段階では軽度あるいは重篤な症状や慢性後遺症を起す確率が高くなる。

別紙(五) 図1<省略>

別紙(六)(表5)

血色素量と提唱されている措置

男子

女子

血液100ml中の血色素量

措置

血液100ml中の血色素量

措置

13g以上

不要

12g以上

不要

12~13g

要観察及び又は要精検

11~12g

要観察及び又は要精検

12g未満

曝露より離し精密検査

11g未満

曝露より離し精密検査

血色素量 14.6g=100%、13g=89%

12g=82%、11g=75%

(表6)

正常値と鉛中毒であると思われる値

項目

正常

無自覚性中毒

中毒

血色素量(g/dl)

男子

14.6

12~13

12未満

女子

13.8

11~12

11未満

別紙(七)

(表7)血中鉛70μg/dlに対応する各指標の値

血中鉛 70μg/dl

尿中ALA 10mg/l

尿中コプワポルフイリン 300μg/l

尿中鉛 130μg/l

気中鉛 150mg/m3

別紙(八)<省略>

別紙(九)

(表9)

無影響期

II

加療の必要のない最少の影響期

III

代償期

IV

機能障害期(短いが強い曝露も)

更に進んだ段階期(慢性及び繰返す強い曝露)

代謝への影響

正常

尿中ALAが増加することもある

尿中、血中への代謝物の増加

代謝物が更に増加

最近の曝露時のみ増加

機能への影響

なし

なし

赤血球寿命の短縮増産性

貧血があったり、なかったりする(可逆性)・赤血球寿命の短縮

貧血があり得る

(可逆的)

血液

正常

正常

時として最少の機能障害

フアンコニ症候

(可逆性)

慢性腎障害

(不可逆)

中枢神経

なし

なし

最少から重篤なまでの脳障害(不可逆)

重篤な脳障害、特に小児で(不可逆)

末梢神経

なし

なし

脳神経障害があり得る

伝導障害(慢性であり得る)

症状

なし

なし

時々、中程度の非特異なもの

貧血疝痛易被刺激性嗜眠傾向重篤な場合には運動失調痙れん・昏睡

精神変化発作昏睡手か足の垂れ下り

その他の影響

なし

なし

不明

最少の学習力の低下から重い精神的身体的機能の欠如、神経疾患、失明まで

精神欠如(しばしば重篤)、腎不全、痛風(一般的でない)、足首の垂下(稀れ)

(著者の説明)

鉛による影響は、鉛へのばく露および鉛の吸収速度の5つのレベルに関連してあらわれる。レベルIは血中鉛濃度血液100ミリリツトル中に鉛が30マイクログラム未満に対応し、レベルIIは血液100ミリリットル中に鉛が30ないし50マイクログラムに対応する。レベルIIIでは代償性の機作が働らき、明日な障害が現れるのを最小限に抑えるが、あるいは障害が現れないですむ程度のばく露であるが血中鉛としては血液100ミリリツトル中に鉛が50ないし100マイクログラムの濃度に対応するであろう。レベルIVの影響は通常血液100ミリリツトル中に鉛が80マイクログラムを超える濃度であらわれるが、それより低い濃度で障害が認められることもあろう。特に他に何か疾病にかかつていて、代償性の反応がうまく働らかない場合にはそのようなことが考えられる。こゝで言えることは、機能的障害が起こる危険度は血中鉛濃度が血液100ミリリツトル中に鉛が80マイクログラムを超えると増加するということである。後遺症は、血中鉛濃度が正常に復した後にも残存する。

別紙(一〇)

(表10)空気中鉛濃度別異常者百分率(修正回帰線による)

鉛濃度(mg/m3)

項目と異常範囲

0.049

0.123

0.300

0.517

1.189

赤血球数399万/mm3以下

4.8

11.0

21.3

29.6

44.5

血色素量12.9g/dl以下

5.8

15.9

32.8

45.7

65.9

全血中鉛量51.0μg/100g以上

18.9

33.3

50.1

60.5

75.0

尿中鉛量151μg/l以上

6.9

17.6

34.7

47.3

66.8

尿コプロ110μg/l以上

3.3

18.9

51.9

73.1

93.1

臨床症状*

9.8

25.6

48.5

63.3

82.1

*顔面蒼白、鉛縁、腹痛、便秘、手指振せん、筋痛、腰痛など。

文献目録

文献番号(書証番号)

文献名(著者・掲載雑誌等)

1(甲9)

「中毒性神経疾患(重金属中毒)A鉛中毒」(現代内科学大系・神経疾患V)

2(甲22の1.2)

「鉛中毒予防規則の解説」(労働省労働衛生課編)

3(乙1)

「エデテート・ジナトリウム・カルシウムによる誘発生キレート化に対する生化学的反応」と題する論文(Arch Environ Health Vol 23 Oct.1971、280頁―283頁、Jaroslav Teisinger MD Prague著)

4(乙2)

「鉛中毒の診断と治療」と題する論文(日本医師会雑誌第56巻第9号、959頁―963頁、慶応大学医学部教授 土屋健三郎著)

5(乙3)

「無機鉛中毒の診断」英国人ほか17人の鉛中毒専門家の声明文(British Medical Journal 501 Nov. 1968)

6(乙4)

「鉛中毒に関するテキスト(英国販 1965年)」

7(乙7の1.2)

「生体の鉛との交渉をめぐる二、三の問題」と題する論文(労働の科学1973年10号、4頁―10頁、東京大学医学部教授 勝沼晴雄著)

8(乙8の1.2)

「低濃度鉛曝露と生体反応」と題する論文(住友産業衛生第10号別刷、13頁―23頁、慶応大学医学部教授 土屋健三郎著)

9(乙9の1.2)

「鉛.その他の金属」と題する論文(国際労働衛生会議第3回重金属中毒学会.討議レポート、12頁―15頁、東京大学医学部助教授 和田攻著)

10(乙16)

「産業中毒便覧」(大阪大学後藤[木周]、東北大学池田正之、大阪府立公衆衛生研究所原一郎 共編)

11(乙17)

「臨床家のための中毒学―診断と治療―」(Clinton H. Thienes, Thomas J. Haley著、東京大学医家部助教授 和田攻監訳)

12(乙18)

「新労働衛生ハンドブック(増補第3版)」、(三浦豊彦ほか編集)

13(乙19)

「EFFECTS AND DOSE-RESPONSE RELATIONSHIPS OFTOXIC METALS」(Proceedings from an International Meeting Organized by the Subcommittee on the Toxico-logy of Metals of the Permanent Commission and Inter-national Association on Occupational Health, TOKYO, No-vember 18―23, 1974)

14(乙20)

「Lead Poisoning」(SCIENTIFIC AMERICAN February 1971, Volume 224 Number 2, J. Julian Chisolm Jr. 著)

15(乙21)

「ハリソン内科書第6版下巻、1993頁、神経疾患354節末梢神経疾患〔鉛性ニューロパチー〕」(東京大学医学部教授 吉利和監訳)

16(乙23)

「鉛中毒、四エチル鉛中毒その他の有機鉛中毒」(堀内一弥、堀口俊一著、「職業病とその対策」261頁―286頁)

17(乙28)

「ハリソン内科書第8版、2 中毒/物理的要因による疾患/感染症/病因不明の疾患、1003頁―1005頁」(浜松医科大学長・東京大学医学部名誉教授 吉利和監訳)

18(乙30の1.2)

「LEAD」(Environmental Heltha Criteria 3, Published under the Joint Sponsorship of the United Nations Envi-ronment Programme and the world Health Organization)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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