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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)2182号 判決 1979年7月18日

原告

東健治

原告

東秀実

右原告ら訴訟代理人

弘中惇一郎

外二名

被告

片桐和

被告

足立区

右代表者区長

長谷川久勇

右指定代理人

山下一雄

外四名

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

木下健治

被告

右代表者法務大臣

古井喜実

右指定代理人

持本健司

外四名

主文

原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら訴訟代理人は、「(一)被告らは、各自、原告東健治に対し金七六三万三、五〇〇円、原告東秀実に対し金七六三万三、五〇〇円及び右各金員に対する昭和四九年四月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。(二)訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

二  被告片桐和並びに同足立区、同東京都及び同国各指定代理人は、いずれも主文同旨の判決を求め、被告国指定代理人は、仮執行宣言が付される場合には担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二  請求の原因

原告ら訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

一  竹の塚ベビーセンター入園の経緯

1  亡東径一(以下「径一」という。)は、原告東健治、同東秀実の長男として昭和四六年九月二〇日出生したが、径一の両親である原告らはいずれも会社員として勤務して日中居宅外で労働することを常態としており、かつ、他に径一の保育に当たることのできる者はいなかつた。

2  そこで、原告東秀実は、昭和四六年一〇月二〇日頃、被告足立区の中部福祉事務所分室に対し、径一を保育所に入所させて保育してもらいたい旨電話で申し入れたが、同事務所の係官は「足立区は月齢八か月未満の児童を保育所に入所させていない。」と断つたので、やむをえず原告東秀実が被告足立区の児童課に電話連絡したところ、同課係官は、無認可保育所に預けるしかないとして、竹の塚ベビーセンター(以下「本件保育園」という。)を紹介した。その後、径一が月齢八か月近くなつたので、昭和四七年四月一七日、同原告は、右中部福祉事務所へ赴き、再び同様の申入れをしたが、同事務所の係官は欠員がないとしてこれを断つた

3  原告らは、やむをえず昭和四六年一一月二日から足立区所在の無認可保育所ゆりかご学園に径一の保育を委託した後、昭和四七年三月三一日、足立区伊興町前沼一三二五番地所在の竹の塚ベビーセンター(本件保育園)こと被告片桐和との間に、径一につき、保育時間を休日を除く毎日午前七時四五分から午後五時までとする保育委託契約を締結した。

二  本件事故の発生

1  径一は、右契約に基づき、同年四月一日から毎日午前七時四五分から午後五時まで本件保育園に預けられていたところ、同年一二月一四日午後二時頃同保育園において窒息に起因する急性心不全により死亡した。

2  径一が死亡した状況は、次のとおりである。

本件保育園の保母である木村昌子、中山房子、西郡コトは、同日午前一一時頃、径一に食事を与えた後、径一のいる部屋から離れ、その間径一が泣き叫ぶ等異常を示していたにかかわらず、三時間にわたつて観察することもなくこれを放置し、午後二時頃、中山保母が径一のおしめを取り替えようとしてはじめて、ふとんが顔にかぶさり、汗まみれで顔面蒼白になつている径一に気付き、隣室にいた西郡保母を呼び、西郡保母が径一を抱きあげたところ、チヨコレート色の嘔吐物を吐いたので、同保母らは処置がわからないまま慌てて足立区竹の塚三丁目五番地所在の竹の塚病院に径一を運び込んだが、径一は既に急性心不全及び窒息により死亡していた。

三  本件事故の原因

1  径一の死因は、窒息並びに急性心不全であるが、径一の健康状態、本件保育園の状況からして、(一)ふとんが顔にかぶさつたこと、(二)吐乳が気管に入つたこと、(三)年長の児童が悪戯したことのいずれか若しくはこれらが競合したことにより、何らかの柔らかい物体による鼻口部閉塞、嘔吐物の気管内吸引等がたまたま同時に起こつたため窒息死するに至つたものである。

2  しかして、本件事故当時、本件保育園は、一歳児以下二八名、二歳児以上二六名の計五四名の児童に対して、保母、嘱託医、調理員は一人もなく、被告片桐和のほかには、無資格の主婦五名(木村昌子、清水いえ子、中山房子、片桐康子、西郡コト)が保育に携わつていただけであり、しかも、被告片桐は昭和四七年九月頃から保母及び園長の職務を行わず、事故当日は右のうち清水が欠勤していた。このため歩き始めた児童もベビーベツトの中に押し込められ、食事もどんぶりに入れた粥を一人の保母が一本のスプーンで大勢の児童に廻し食いさせていた状況であり、一人一人の児童の行動や健康状況に留意することなど到底不可能な状態であつた。また、保母と保護者らの育児に関する連絡もされず、保育室も狭く、医務室もなかつた。本件事故は、このような劣悪な保育環境のもとにおいて、本件保育園の保母らの非常識な放置によつて発生したものである。

四  被告片桐の責任

1  不法行為による責任

(一) そもそも保育に携わる者は、児童の睡眠中の観察を怠つてはならず、少なくとも三〇分に一回程度見廻りをするなどして、児童に嘔吐、ひきつけ、泣き声等の異常があつた場合には直ちに適切な処置がとれるように、絶えず児童を把握できる場所にいて目を離さないようにし、異常を発見したときには、その事態に応じて、その児童の安全のため適切な措置を講ずべき注意義務がある。

(二) しかるに、本件保育園ではこのような「常時の観察体制」は全くとられておらず、本件事故当日も、木村保母が午前一一時か一一時三〇分頃までに径一に食事を与え、径一が寝る前に牛乳を飲んだことは確認しているが、それ以降午後二時すぎまでの約三時間近く径一を観察することなく放置していたのであり、しかも、径一が泣き叫ぶなどの異常を示していたのに、何ら適切な処置がとられず、また、ふとんを被つている状態や吐物吸引に対する適切な処置が講じられなかつたため、前述のように径一は窒息死するに至つたものである。

(三) したがつて、被告片桐は、右保母らの使用者として、民法第七一五条の規定に基づき、同被告の従業員である右保母らの事業執行についての前示過失による本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

2  債務不履行による責任

被告片桐は、前記保育委託契約に基づき保育を受託している間、保育所の設備、運営に十分留意して児童の健康安全に支障のない体制を整える義務があるにかかわらず、前述のとおり基本的な設備、運営についてすら厚生省の定めた最低基準(昭和二三年一二月二九日厚生省令第六三号「児童福祉施設最低基準」)を大幅に下廻る劣悪な状態に放置したのであり、とりわけ、保母資格のない主婦五名に五四名もの児童の保育を委ねていたことが、径一を三時間も観察せず、その間径一が泣き叫ぶ等の異常を示していてもこれを放置し、異常発見後もとるべき処置がわからないような事態を招く原因となつて本件事故を惹起したものである。

したがつて、被告片桐は、保育委託契約上の債務不履行により、本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

五  被告足立区の責任

1  被告足立区の長は、児童福祉法第二四条の規定に基づき、保育に欠ける児童を保育所に入所させて保育するか、あるいはその他の適切な保護を加えるべき義務がある。

しかるに、足立区長は、足立区内の保育に欠ける児童を入所させるに足りる保育所を設置しなかつたのみならず、月齢八か月未満の児童はすべて入所の対象とせず、この欠缺部分を設備、運営状況の劣悪な無認可保育所によつて補うこととし、本件の場合においても、原告らが径一の保育所入所措置を申請したにかかわらず、公立保育所に入所させず、設備、環境が劣悪で保育所としての安全性に欠ける本件保育園に入所させた。

2  足立区長は、区市町村の保育室運営事業に対する都費補助要綱(以下「都費補助要綱」という。)及び足立区保育室制度運営要綱(以下「区保育室運営要綱」という。)に基づき、児童福祉法第二四条ただし書にいう「その他の適切な保護」を加えるべき責務を遂行するため、足立区社会福祉協議会をして本件保育園と保育室利用契約を締結させ、本来認可保育所に入所させるべき児童を無認可保育所である本件保育園に入所させていた。

右保育室制度は、危険な無認可保育所を解消し、認可保育所により要保育児童の保育が行われるようになるまでの暫定的措置として実施されたものであり、本件事故当時児童一人当り月額三、〇〇〇円の助成金等を支給する反面、保育室利用契約において、保育施設長に対し一定事項の届出義務を課すると同時に、報告を求める権限及び施設立入検査権限を確保していた。

したがつて、足立区長は、保育室の設備、運営の実態について十分把握し、適切な監督権を行使すべき義務があるにかかわらず、径一が入所後死亡に至るまで本件保育園に対する監督権の行使を怠り、同保育園の前記のような危険状態を放置していたものである。

3  しかして、前述したとおりの本件事故の発生状況並びにその原因からして、足立区長の右1、2の違法行為と本件事故との間に相当因果関係があることが明らかであるから、被告足立区は、国家賠償法第一条第一項の規定により、本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

六  被告東京都及び被告国の責任

1  被告国及び被告東京都は、日本国憲法第二五条第二項及び児童福祉法第二条の規定により、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負い、これを受けて厚生大臣は、児童福祉法第四五条の規定に基づき、前記児童福祉施設最低基準を定め、同法第四六条及び第五九条の五並びに同法施行令第一二条の二の規定により、厚生大臣及び東京都知事は、私立の児童福祉施設について右の最低基準を維持させるため、調査、監督をなすべきものとされており、調査の結果、当該児童福祉施設の設備、運営が最低基準に達しないときは、厚生大臣及び都知事は、その施設の設置者に対し、必要な改善勧告又は改善命令をすることができ、更に、児童福祉に著しく有害であると認められるときには、その事実の停止を命ずることもできるものとされている。しかして、乳幼児の保育を行う保育所については、事柄の性質上、右の調査監督並びに改善勧告、事業停止命令は厳正かつ適切に行われる必要がある。

2  厚生大臣及び都知事の右監督権限は当然無認可保育所にも及ぶものと解すべきであるが、仮にそうでないとしても、本件保育園は、前述のとおり被告都の都費補助要綱等に基づく「保育室」であり、右保育室は、前述のようなその法律上の根拠・目的・趣旨・実態からして、いわゆる認可保育所に準ずるもの(認可に至りつつあるものといつてもよい。)というべきであるから、これに対しては、児童福祉法第二条等の規定の趣旨にかんがみ、同法による国ないし地方公共団体の監督権限が及ぶものと解すべきである。

3  更に、東京都知事は、同法第五八条第二項の規定により、無認可保育所たる本件保育園に対する事業停止・施設閉鎖命令権を有するが、その権限発動の前提としての実情調査権ないし設備運営の改善勧告権をも有することは条理上明らかである。しかして、都知事は、保育室として登録されている無認可保育所が前記厚生省令の定める最低基準にも達せず、したがつて、児童の生命身体にとつて危険なものが少なからず存しうることについて認識を有していたはずであり、しかも児童一人当り月額三、〇〇〇円程度の助成金で一定以上の保育水準を維持することが困難であることも十分予測していたはずである。

4  しかるに、本件保育園の設備、運営の状況は前記最低基準よりも遙かに劣る、劣悪かつ危険なものであつたにかかわらず、厚生大臣及び東京都知事は、漫然これを放置して何らの調査、監督もせず、かえつて、被告都に至つては毎月児童一人当り三、〇〇〇円の助成金等を与えてこれを援けていた状況であつた。右のような東京都知事及び厚生大臣の不作為が本件事故を惹起する原因となつたことは明らかであるから、被告東京都及び被告国は、国家賠償法第一条第一項の規定により、本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

七  径一の死因に関する仮定的主張

仮に、径一の死因が窒息死でなく、突然死であつたとしても、被告らが責任を負うべきものであることには変りはない。すなわち、

第一に、突然死は、生活水準が低い、保育環境が悪い、保育面積が狭い、衛生状態が悪いなど保育環境や社会経済的要因と関連があることがデータ的に確認されており、乳幼児にとつてその生理と矛盾する劣悪な環境が、ストレスを蓄積させ、身体のリズムを狂わせて抵抗力を弱めているのであり、これが突然死の重大な要因になつている。しかして、本件保育園の環境の劣悪さについて、被告片桐、同足立区、同東京都及び同国がともども責任を負うべきことは前述したとおりである。

第二に、突然死に至る経過は現在のところ別紙(二)図面のようなものとして考えられており、突然死といつても瞬時に死亡したりするものではない。したがつて、看護者は、児童が睡眠中に低酸素症にならないように換気に注意し、体位、特に首や顔の位置が悪くはないか、鼻づまりやせきで苦しそうにしていないか等に注意し、絶えず目を離さないようにすべきで、そもそも、元気の良い乳幼児でも、三〇分以上観察せずに放置することが危険であることは、保育のイロハとされているのであり、特に機嫌の悪かつた児童や病気で登園してきた児童からは目を離さないようにすべきである。前記図面の自律神経の失調や生化学的な異常などに対しては、保母においていかんとも仕様がないとしても、低酸素症の段階までにチエツクすることは保母の責任でできるのであり、保母の保育上の義務である。しかして、本件保育園の保母らにこの点に関し重大な注意義務違反の存したことは既に述べたとおりである。

八  被告らの共同責任

本件事故は、以上の被告片桐、足立区長、東京都知事及び厚生大臣の各違法行為があいまつて起こつたものであり、被告らは、国家賠償法第四条及び、民法第七一九条の規定により、連帯して本件事故による損害を賠償する責任がある。

九  損害

1  葬儀費 金三〇万円

原告らは、径一の葬儀費として各一五万円を支払つた。

2  径一の逸失利益

金八九七万五、六六〇円

径一が本件事故により死亡しなければ、一八歳から六三歳まで稼働することができ、少なくとも、その間毎年、昭和四七年度賃金センサス(昭和四七年度労働大臣官房統計情報部編賃金構造基本統計調査報告をいう。)第一巻第一表掲示の産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の平均賃金年額一三四万六、六〇〇円の収入を得、その間、生活費として収入の二分の一を要したものというべきであるから、以上を基礎として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、径一の得べかりし利益の喪失額の死亡時における現価を算定すると、金一、〇四二万四、九〇〇円となる。

一方、原告らが支払を免れた一七年間の養育費は、年間金一二万円とみるべきところ、これを基礎として、ホフマン式計算方式により年五分の中間利息を控除して右養育費の死亡時の現価を算定すると、金一四四万九二四〇円であるから、前記径一の利益喪失額からこれを控除すれば、死亡時における径一の逸失利益は、金八九七万五、六六〇円であり、原告らはこれを二分の一ずつ(金四四八万七、八三〇円)相続した。

3  原告らの慰藉料

各金二〇〇万円

径一を本件事故により死亡させたことによつて被つた原告らの精神的苦痛を慰藉するためには、各金二〇〇万円が相当である。

4  弁護士費用

各金九九万五、六七〇円

右1ないし3の合計額は原告各自金六六三万七、八三〇円であり、右金額の一五パーセントに当たる各金九九万五、六七〇円の弁護士費用は、本件事故と相当因果関係ある損害というべきである。

したがつて、右の1ないし4の合計各金七六三万三、五〇〇円が、本件事故により原告らが被つた損害である。

一〇  結論

よつて、原告らは、被告らに対し、各自、金七六三万三、五〇〇円及び右各金員に対する訴状送達の日の後である昭和四九年四月八日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。<以下、事実省略>

理由

一径一が、原告らの長男として昭和四六年九月二〇日出生し、昭和四七年一二月一四日死亡したことは、原告らと被告国を除くその余の被告らとの間においては、争いがなく(径一が死亡したことについては、被告国との間においても争いがない。)、原告らと被告国との間においては、<証拠>により、右事実を認めることができる。

<証拠>によれば、原告ら夫婦は共に株式会社ソニーに勤務しており、また、原告らと同居していた原告東秀実の実母行永秀子が病弱であつたところから、原告らは径一を当時居住していた足立区内の公立保育所に入所させたいと考えたが、同区では生後八か月以上でないと公立保育所に入所させない取扱いであることが判明したため、原告東秀実の産休があけた昭和四六年一一月頃から径一を同区内の無認可保育所ゆりかご保育園に預けたが、同保育園は保育時間が短かいことから、保育時間の長い本件保育園に径一の保育委託先を変えることとし、昭和四七年三月末頃、当時本件保育園を経営していた被告片桐和との間に休日を除く毎日午前七時四五分から午後五時までの間径一の保育を委託する旨の保育委託契約を結び、径一は、同年四月一日から死亡の日まで同保育園に通園していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二<証拠>を総合すれば、本件事故発生の状況は次のとおりであつたことが認められる。<証拠判断略>

1  本件事故の発生した昭和四七年一二月一四日当時、本件保育園には約五四名の園児が在園し(ただし、その全員が毎日通園していた訳ではない。)、これらの園児は、年齢別に、零歳児、一歳児、二歳から三歳の年長児の三つのグループに分けられ、零歳児は一二畳の部屋(別紙(一)図面④の部屋)、一歳児は一七畳半の部屋(別紙(一)図面③の部屋)、年長児は六畳(別紙(一)図面②の部屋)及び四畳半(別紙(一)図面①の部屋)の各部屋においてそれぞれ別個に保育されていた。径一は、入園当初は零歳児のグループであつたが、途中から一歳児のグループに入れられ、本件事故当日は右③の部屋で保育されていた。

2  本件保育園の保母は、木村昌子、片桐康子、中山房子、西郡コト、清水いえ子の五名で、木村、片桐康子、中山の三名が一歳児のグループ(一六名ぐらい)及び年長児のグループ(一五名ぐらい)を西郡、清水の二名が零歳児のグループ(一二名ぐらい)をそれぞれ担当していたが、右五名はいずれも保母としての正式の資格を有していなかつた。なお、被告片桐は、当時内縁の夫の病死、実母の入院などが相次いだため、その看病などで本件保育園での保育に直接携わることができず、保母の人手不足を補うため、当時保母を募集中であつた。

3  径一は、本件事故当日の朝も普段と変わることなく元気で、父親の原告東健治に連れられて登園し、木村保母に引き渡されたが、その時も何の異常も見られなかつた。

4  径一は、午前一一時から一一時三〇分頃までの間にベツドに入つたまま木村保母から雑炊をスプーンで食べさせてもらつた後、中山保母におむつを取り替えてもらい、その後、すぐには眠らずに、ベツドの中で哺乳ビンを抱えて一人でミルクを飲んでいた。

5  木村、中山、片桐康子の三名の保母は、径一ら一歳児のグループの食事がすむと、次に、年長児のグループに食事をさせ、トイレに行かせたあと、六畳と四畳半の部屋にふとんを敷いてこれらの児童を寝かしつけるなど普段どおりの仕事をし、その後、午後零時過ぎ頃から午後一時頃まで径一のいる一歳児の部屋の中央付近で三人一緒に食事をとつたが保母らが食事をしている間、径一は眠つており、泣くなどのことはなかつた。

6  その後、中山保母は、食後の後片づけをすませるとすぐ外出し、木村保母は、一歳児の部屋で起きている児童のおしめを取り替えたり、起きている年長児を寝かしつけるなどしていた。

7  午後二時頃外出から戻つた中山保母は、すぐ一歳児の部屋に行き、木村保母がまだ取り替えていなかつた子のおむつを順次取り替えてやり、最後に径一のおむつを取り替えようとしたところ、径一は顔のところまでふとんをかぶつて仰向けに寝ていた。同保母が径一の顔が出るようにふとんを剥いだところ、径一の顔色が蒼白で、苦しそうにしていたため、異常を感じた同保母は、隣りの年長児の部屋にいた木村保母を呼び、木村保母も径一の様子を見て、急いで零歳児室にいた西郡保母を呼んだ。西郡保母が径一をべツドから抱きあげたところ、径一は薄いチヨコレート色の液状の吐物を少量吐いた。西郡保母らは、すぐに径一を医者にみせる必要があると判断し、救急車の手配をしたが、本件保育園から歩いて五分程度の距離に竹の塚病院があるところから、歩いて連れて行く方が早いと考え、西郡保母が径一を抱き、木村保母が付き添つて、同病院まで連れていつたが、午後二時三〇分頃同病院に着いた時には、径一は既に死亡状態であり、医師が応急人工呼吸、酸素吸入、強心剤、昇圧剤の注射等の処置を施したが、回復することなく、同日午後二時五〇分同病院医師によつて死亡が確認された。

右認定の事実によれば、径一は、同日午後二時過ぎ頃中山保母によつて異常が発見されてから同日午後二時三〇分頃竹の塚病院に運びこまれるまでの間に死亡したものと認められる。

三<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  径一の遺体は、本件被告片桐和に対する業務上過失致死被疑事件についていわゆる司法解剖に付され、東京大学法医学教室山沢吉平助教授及び三木敏行教授によつて解剖検査が行われ、死因等に関する鑑定がなされた。

2  右解剖結果に基づく鑑定の結果は、次のとおりである。すなわち、

径一の遺体には創傷がなく、また、特に明瞭な死因と関係あるような疾病は認められない。一方、本屍の肺表面、心漿膜面を始め、眼結膜やその他の粘膜には浴血点が著明に見られ、特に心・肺表面に著明であり、心臓内血液が流動性である。この所見は、窒息あるいは急死の場合に見られる所見であることから、窒息死の可能性が考えられるが、径一の頸部、鼻・口周囲には創傷などが認められず、これらの部位に窒息の原因のひとつである絞扼頸あるいは暴力的な鼻口閉塞の機序が加わつたとは考えられないし、ふとんなど非通気性の物体が顔にかぶさつたことによる窒息の可能性についても、生後一か年を経た径一のような普通の発育状態の幼児の場合、ふとんやシーツによつて顔面が単に覆われた程度では、十分自力ではねのけられると考えられ、また嘔吐物の吸引による窒息の可能性については、径一の気管及び気管支内には、淡黄褐色粘稠性で一部カゼイン様の粉末を混ずる胃内容物が存したが、泡沫を混ぜず、また、その量も気道を閉塞する状態となつていないことから、単なる胃内容物吸引が窒息の原因となつたことは否定される。もつとも、これら窒息の可能性のある諸条件、例えばなんらかの柔らかい物体による鼻口部閉塞、嘔吐物の気管内吸引等がたまたま同時に起こつた場合には窒息死に至ることがありうることは全く否定することはできないが、そのようなことは極めて稀である。一方、乳幼児にはときに全く原因不明の突然死ということが経験されており、この場合、解剖検査を行つても、窒息死あるいは急死の所見以外の異常所見はほとんど認められない。しかして、径一には、病理組織学的な検査の結果、腎上体に出血性の変性部が存し、肺の間質に白血球や形質細胞が多く、肝臓にリボフスチン様物質の沈着が著明に見られる等、生前全く健康であつたとはいえない所見がかなりあり、かかる異常所見があれば、いわゆる突然死を来しても差支えないものと考えられ、これらを総合して判断すれば、径一は、生前何らかの軽微な異常を身体に有し、そのため乳幼児のいわゆる突然死の発作を来して急死したものと考えるのが最も妥当であり、胃内容物の吸引はこの発作中に発生したものと考えられ、この外的原因が死を早めたことも否定できないものと考えられる。

四原告らは、径一の死因は窒息死であるとし、その原因として、(イ)ふとんが径一の顔にかぶさつていたこと、(ロ)吐乳が気管に入つたこと、(ハ)年長の児童が悪戯をしたことのいずれか、若しくはこれらが競合して惹起されたものである旨主張するので、以下この点につき判断することとする。

1  まず、年長児が径一に悪戯をしたため径一が窒息したとの主張事実を認めるに足りる証拠はなく、吐物吸引による窒息死の可能性については、径一の気管及び気管支内に胃内容物が存していたことは前記認定のとおりであるが、径一が液状の吐物を吐いたのは、径一の異常が発見された後、西郡保母が径一をベツドから抱きあげた時であることは前記認定のとおりであり、また、この胃内容物の吸引がそれ自体では窒息死の原因たりえないものであることは前示鑑定の結果により明らかであつて、これに反する証拠はないから、径一が吐物の吸引によつて窒息状態に陥り、それが原因となつて死亡したものとは認め難い。また、径一の顔にふとんがかかつたことによる窒息死の可能性について検討するに、中山保母が午後二時頃径一のおむつを取り替えようとして径一の異常に気づいた時、径一が顔が見えなくなるほどふとんをかぶつていたことはさきに認定したとおりであるけれども、<証拠>を総合すれば、径一が事故当時使用していた掛けぶとんは、普通の幼児用の小さなもので、重さも重くなく、径一のように生後一年以上を経た普通の発育状態の幼児ならば、十分自力ではねのけられるものであつたことが認められるのであるから、径一の顔面にふとんがかぶさつていたとの事実から、直ちにそれが原因となつて径一が窒息死したものと推認することはできないものというほかはない。この点に関し、証人毛利子来は、ふとんがかぶさつたことにより酸素不足が生じ、そのために体力が低下して、正常な状態であればふとんをはねのけられるのが、はねのけられなくなることがありうる旨供述しているが、そのような可能性があることは否定できないとしても、本件の場合径一がそのような経過をたどつて窒息死するに至つたものと認定するに足りる証拠はない。

2  ところで、<証拠>によれば、それまで全く元気だつた乳幼児が、看護者が気がついた時には死亡していて、解剖してみても窒息死あるいは急死の場合に見られる所見以外の異常所見はほとんど認められず、死亡の原因が全く不明な死が乳幼児にしばしば見られることが、わが国では昭和四二、三年頃から指摘され、乳幼児の突然死と呼ばれていること、諸外国でも同様の例が経験され、各種の調査、研究が進められているが、その原因については、乳児が睡眠中何らかの原因で気道の閉塞があつたり、寝る姿勢が悪いために鼻腔が圧迫されて狭くなつたりして、次第に酸素不足(低酸素症)を起こし、そこに、他の何らかの因子、例えば、風邪をひいているとか、あるいは自律神経の異常や生化学的な異常が重なつた場合に、低酸素症が基盤となつて、喉頭の痙攣を起こして窒息するとの説、アレルギーに起因するとする説、内分泌系の異常に起因するとする説、ウイルス感染によるとする説等いろいろの学説が唱えられているが、いずれも仮説の域を出ず、その原因はいまだに解明されていないこと、そのため、現段階では、予防法等に決定的なものがないことが認められ、また、<証拠>によれば、右の乳幼児の突然死は、零歳児に一番発生しやすいことが多くの調査、研究で指摘されているものの、一歳児以上における発生の可能性及びその頻度については、それが零歳児に比べ少ないというだけで、どの程度のものであるかについての確かなデータはないが、内藤寿七郎を中心とする研究グループの「乳幼児の突然死に関する研究」(昭和四六年度医療研究)の研究報告書によれば、愛育病院保健指導部が昭和三三年七月から昭和四七年三月三一日までの間に取り扱つた乳幼児中の突然死の発生頻度は、乳児(零歳児)が約一、二五〇人に一人(約0.078パーセント)の割合であるのに対し、一歳児は約六、三〇〇人に一人(約0.016パーセント)の割合であつたとされ、また、外国の調査例でも、ワシントン市における一一九例中一例(バーグマンの報告)、北アイルランドでは全症例中一ないし二パーセントが一歳児以上(カーペンターの報告)(ただし、最年長は一歳三か月)であるほかはすべて零歳児であつたとされていることが認められ、右事実からすれば、一歳児においても乳幼児の突然死が起こる可能性は否定できないものといわなければならない。

3 以上認定の径一の死亡に至るまでの状況、東京大学法医学教室における鑑定の結果等を総合して判断すれば、径一の死因は、顔面にふとんをかぶつたことと吐物吸引がたまたま同時に起こつたために窒息した可能性はこれを全く否定し去ることはできないものの、その根拠は薄弱と認むべく、むしろ乳幼児の突然死と考えることの方が妥当であるというべきである。

五また、原告らは、径一の死因が突然死だとしても、突然死は、生活水準が低い、保育面積が少ない、衛生状態が悪いなどの保育環境や社会経済的要因と関連のあることがデータ的に確認されており、乳幼児にとつてその生理と矛盾する劣悪な環境がストレスを蓄積させ、身体のリズムを狂わせて抵抗力を弱めているのであり、これが突然死の重大な要因になつていると主張し、本件においても本件保育園の環境の劣悪さが径一の死亡の原因になつており、このような環境を作出しあるいは改善しないまま放置した被告らに責任があると主張する。

しかし、乳幼児の突然死については、いまだその原因が医学的に解明されていないことは先に認定したとおりであり、本件においても、径一の死亡と本件保育園における保育環境との間の因果関係については、これを認めるに足りる証拠はない(<証拠>中には、突然死は、生活条件が悪く、不衛生で密度の高い住居、養育行動の貧弱な環境において有意的に多く発生している旨を述べる部分があるが、その根拠が明確でなく、右見解が医学上十分確立された見解であるとも解されないので、採用することができない。)から、原告らの右の主張は失当である。

また、原告らは、突然死の場合における死亡に至る経過は、別紙(二)図面のとおりであり、保母は、児童が睡眠中に低酸素症にならないように換気や児童の体位、特に首や顔の位置が悪くないか、鼻づまりやせきで苦しそうにしていないかなどに注意をし、絶えず目を離さないようにすべき義務があり、このような義務を尽くせば低酸素症の段階までにチエツクができ、死亡に至るのを防止できるのに、本件保育園の保母らは、径一に食事を与えた後径一の部屋から離れ、その間径一が泣き叫ぶなどの異常を示したにかかわらず、死亡するまでの三時間にわたつて径一を観察することなく放置し、適切な措置を怠つたと主張する。

しかし、<証拠>によれば、原告ら主張のような突然死における死亡に至るまでの経過は、現在の医学ではひとつの仮説として考えられているにすぎないことが明らかであり、さきにも認定したとおり、乳幼児の突然死の原因、したがつてそのメカニズムについては、現在の医学上、いまだ解明されるに至つていないのであるから、右のような仮説を前提に被告らの責任を云々するのは相当でなく、原告らの右主張は採用し難いものというほかはない。

なお、本件事故当日における径一に対する前記保母らの措置は、さきに二において認定したとおりであつて、右事実に照らせば、同保母らに長時間にわたつて径一を放置するなどの過失があつたものとは認められない。

六叙上認定の事実によれば、径一の死因が、医学上いまだその原因及びメカニズムが解明されていない乳幼児の突然死であると認められ、かつ、本件保育園の保育環境及び前記保母らの径一に対する具体的な保育措置と径一の死亡との間に相当因果関係を肯認することができない以上、被告らに損害賠償の責任があるとする原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないものとすべきである。

七以上の次第であるから、原告らの被告らに対する本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九三条第一項の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(武居二郎 魚住庸夫 市村陽典)

別紙(一)竹の塚ベビーセンター平面図<省略>

別紙(二)

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