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東京地方裁判所 昭和49年(た)2号 決定 1976年1月14日

請求人 滝淳之助

主文

本件再審請求を棄却する。

理由

第一再審請求の趣旨ならびに理由

本件再審請求の趣旨ならびに理由は、弁護人中島達敬外一一名作成の再審請求書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用するが、その要旨は、つぎのとおりである。

一  請求人は、昭和二八年六月一三日東京地方裁判所において強盗殺人、強盗傷人、強盗、窃盗罪により、判示第一ないし第一二の罪につき無期懲役に、判示第一三ないし第一六の罪につき懲役五年に、判示第一七ないし第一九の罪につき懲役五年に各処する(その余の主文省略)旨の判決(以下、これを原判決という。)の言渡を受け、同判決は確定した。

二  ところで、請求人は、原判決の確定後に至り、原判決によつて認定された犯罪事実の第八および第九の二件はいずれも請求人の犯行でないという明らかな証拠をあらたに発見した。

すなわち、

(一)1  原判決の認定によれば、第八の事実は昭和二五年三月一一日午前零時三〇分ころ千葉県千葉市要町における犯行とされているが、警察庁刑事局鑑識課長作成の昭和四七年一〇月六日付滝淳之助に関する犯罪経歴の調査結果回答書および千葉刑務所長浜田稔作成の昭和三九年五月二六日付在監照会回答書(この在監照会回答書にいう滝正男が本件請求人と同一人であることは、前掲鑑識課長作成の犯歴回答書中に「氏名滝順之助、異名滝淳之助、滝純之助、滝正男」なる記載のあること、東京家庭裁判所長服部高顕作成の昭和四七年一〇月一二日付少年保護事件調査回答書の表題中に「滝正男こと滝淳之助の少年保護事件についての調査について」との記載のあることに徴して明らかである。)によれば、請求人が昭和二五年二月二六日窃盗の容疑で千葉県印旛地区警察署に逮捕されて同署に留置されたのち、佐倉区検察庁検察官の同月二八日付移監指揮に基づき同年三月一日千葉刑務所に移監入所し、その後同年五月一三日佐倉簡易裁判所において右窃盗罪につき懲役六月三年間執行猶予の判決の言渡を受けて同日佐倉区検察庁検察官の釈放通知書により釈放されるまで同刑務所に在監していたことが明らかである。

2  また、原判決の認定する第九の事実は昭和二五年五月二〇日午前二時ころ横浜市鶴見区下野谷町における犯行とされているが、前掲鑑識課長作成の犯歴回答書および東京家庭裁判所長作成の昭和四七年一〇月一二日付少年保護事件調査回答書によれば、請求人が昭和二五年五月一八日賍物牙保の容疑で警視庁上野警察署に逮捕されて同署に留置され、その後事件が東京地方検察庁検察官を経て窃盗事件として身柄付きのまま同月二〇日東京家庭裁判所に送致され、同日請求人は同裁判所において中央児童相談所送致の処分を受けて同相談所へ押送されたことが明らかである(なお、前掲鑑識課長作成の犯歴回答書には、「滝順之助」が昭和二五年五月一八日「賍物牙保」の容疑で逮捕された旨の記載があるが、右回答書にいう滝順之助が前掲東京家庭裁判所長作成の昭和四七年一〇月一二日付少年保護事件調査回答書にいう当時窃盗の非行で保護処分を受けた滝淳之助、すなわち本件請求人と同一人であることは、右鑑識課長作成の犯歴回答書中に滝順之助の異名として滝淳之助という名があがつていること、検挙当時の被疑罪名の賍物牙保が家庭裁判所への送致のさいに窃盗の非行名に変更されることのあるのはしばしば経験されるところであることに徴して明らかである。)。

(二)  ところで、請求人は、原判決の認定した第八および第九の事実について、捜査段階でも公判段階においてもそれらが自己の犯行であることを認めていたものであるが、右公判における審理(以下、これを原審理という。)当時、請求人において本件アリバイのあることを主張することができなかつたのは、請求人は、昭和二六年一月一〇日ころ東京都台東区上野公園内の「花山亭」出店茶屋裏小屋において、沢田八重子が着物等を剥ぎ取られたうえ裸のまま同小屋付近の戸外の雪の上に放置されていた事件(以下、これを花山亭事件という。)について、その犯行に関与した容疑により、同年同月一二日に警視庁上野警察署に逮捕されて取調べを受けたが、そのさい取調べに当つた捜査官が、実際には右沢田八重子は死亡していないのにこれを秘し、「女は死んだ。お前は死刑になる。」と言つて請求人を脅したため、当時ヒロポンを一日に四、五〇本も打つほどのヒロポン中毒にかかつており極めて異常な精神状態にあつたこともあつて、請求人は、捜査官の言葉を容易に信じて自暴自棄となつていたし、捜査官が取調べ中二度も映画を見せてくれたり、親戚の者に会わせてくれるなど種々好意的な待遇をしてくれたので、請求人は、どうせ死刑になるのならいくつ罪を背負つても同じことだから、このさい捜査官のいいなりになることによつて捜査官の右好意に報いようとの気持から、ひたすら捜査官の言いなりになり、自己の犯したものでない罪についてまで自己の犯行として自白する虚偽の供述をなしたものであり、かつ請求人の右異常な精神状態は原審理当時も続いていたし、右のような虚偽の自白をするに至る経緯から、原判決の言渡しまで右自白をひるがえすことができず、虚偽の自白を維持せざるをえなかつたからである。

しかし、原判決の確定後に至り、前記花山亭事件の被害者である沢田八重子が死亡していない事実を知るに及んで、はじめて自己が虚偽の自白をなしたことの愚を悟り、真実を明らかにしようという気持になつたため、前記アリバイを主張するに至つたものである。

三  そこで、請求人は、原判決が有罪と認定した第八および第九の事実につき無罪の判決を受けたく、本件再審請求に及んだ

というにある

第二当裁判所の判断

一  本件記録(以下においても、「記録」と摘記するのは、すべて本件再審請求事件((当庁昭和四九年(た)第二号事件))記録を指す。なお、請求人に対する強盗殺人、強盗傷人、強盗、窃盗被告事件((当庁昭和二六年刑(わ)第一、六〇八号、同年合(わ)第一九六号、昭和二七年合(わ)第一八七号併合事件))の確定記録は、本件請求の申立当時、すでに保存期間一五年の経過によつて廃棄済である。)中の検察事務官作成の原判決書の謄本、請求人の前科調書の写、裁判所書記官作成の当庁事件係保管資料調査報告書等によれば、請求人が、昭和二八年六月一三日、東京地方裁判所において、強盗殺人、強盗傷人、強盗、窃盗被告事件(当庁昭和二六年刑(わ)第一、六〇八号、同年合(わ)第一九六号、昭和二七年合(わ)第一八七号併合事件)について、「判示第一ないし第一二の罪につき無期懲役に、判示第一三ないし第一六の罪につき懲役五年に、判示第一七ないし第一九の罪につき懲役五年に各処する。本件公訴事実中後記(一)(二)(三)の事実につき無罪(その余の主文は省略する)。」旨の判決(なお、右主文において無期懲役を言い渡されている判示第一ないし第一二の罪とは、判示第一が金品強取の目的で一家皆殺しを企て三名を殺害し五名に負傷を負わせた強盗殺人・同未遂、第二ないし第七および第九がいずれも強盗、第八が準強盗、第一〇ないし第一二がいずれも窃盗であり、本件再審請求では、これらの罪のうち、判示第八の準強盗と判示第九の強盗の事実が問題になつている。)の言渡を受けたこと、同日右判決の有罪部分について請求人から控訴が申し立てられたが、その後控訴の取下げにより、各懲役五年に処せられた部分については同年七月六日、無期懲役に処せられた部分については同年九月一〇日それぞれ確定したことが認められる。

二  そこで、主張にかかるアリバイの点について検討する。

(一)  原判決の判示第八の事実の関係

弁護人の主張は、原判決が判示第八として認定した犯罪事実の犯行の日が昭和二五年「三月」一一日であることを前提とし、その当時請求人にアリバイが成立する旨主張するものであるところ、本件の場合、本件再審請求書に添付して提出された原判決書の謄本の当該個所の文字が不鮮明であることにもかんがみ、まず、原判決がその第八の事実の犯行の日として、昭和二五年「三月」一一日と認定したものであるのか、あるいは、昭和二五年「二月」一一日と認定したのかについて検討するに、

記録中の提出にかかる右原判決書謄本はタイプされた原判決書を複写機によつて複写したものであるが、なるほど右謄本第八の事実の犯行月に該る文字は、一見「三」と読める。

しかし、さらによく注意して右犯行月の数字を観察すると、右謄本中、明瞭に「三」と読むことのできる他の文字と比較して、その第二画がやゝ不鮮明であるところ(なお、以上の点は原判決書の原本についても同様のことがいえる。)、原判決書原本に基づき右犯行月の文字を鑑定した警視庁科学検査所長作成の鑑定書によれば、右犯行月の文字は「二」の活字が印字されたものであること、それが「三」のように見えるのは、「二」の活字による印字のさい、その第一画と第二画との間の非画線部分にインクが「三」の活字の第二画様に付着したためであることが認められる。

そして、原判決書謄本によれば、判示第八の事実に相応する証拠として、宮内かねの司法警察員に対する参考人供述調書、栗山義の司法警察員に対する第一回供述調書、被告人(請求人)の司法警察員に対する第一六回供述調書等が掲記されているところ、右宮内かねの参考人供述調書の写には、同女は昭和二六年二月七日まで栗山方で働いていたが、その間昭和二五年二月一一日午前零時三〇分ころ栗山方に強盗が入つたことがある旨の供述記載のあること、右栗山義の第一回供述調書の写には、昭和二五年二月一五日に録取された同人の供述として「今月一一日午前零時三〇分ころ二人組の覆面強盗に侵入された」旨の記載のあること、右請求人の第一六回供述調書の写には、昭和二六年三月二六日に録取された供述として「棟方某外一名と昨年二月中旬ころ千葉駅の近くの栗山という喫茶店に強盗に入つた」旨の記載のあることがそれぞれ認められる。もつとも、原判決書謄本には、判示第八の事実の証拠として、前記各証拠のほか、宮内かねの司法警察員に対する第一回供述調書、栗山たけの司法警察員に対する第一回供述調書、請求人の検察官に対する第四回供述調書も掲記されており、右宮内かねの第一回供述調書の写には、昭和二五年三月一二日に録取された供述として「今月一一日午前零時三〇分ころ二人組の覆面強盗に入られた」旨の記載、右栗山たけの第一回供述調書の写には、昭和二六年三月一七日に録取された供述として「今月一一日午前零時三〇分ころ二人組の強盗に侵入された」旨の記載、右請求人の第四回供述調書の写には、昭和二六年九月八日に録取された供述として「昨年三月ころの犯行である」旨の記載があることが認められる。しかしながら、本件記録中の前掲各供述調書等の写はいずれも当時請求人の弁護を担当した弁護人において手書きにより謄写されたものであり(当裁判所に提出されたのは、さらにそれを機械複写したものである。)、手書きに伴う誤写のないことを保し難いところ(現に、右写の録取月日の傍には、当時の弁護人が付したものか、疑問符「?」または「二、三?」が付されているものもある。)、前掲の宮内かね、栗山義、栗山たけが被害状況について供述している内容はよく符合していることなどにかんがみると、同人らは司法警察員に対して同一の強盗事件について供述していることが明らかであるから、前記宮内かねの司法警察員に対する第一回供述調書の写および栗山たけの司法警察員に対する第一回供述調書の写の各供述録取月日の記載には右謄写のさいの手書きに伴う誤写があることの蓋然性が極めて大きいと考える。

さらに、当裁判所は、原判決書の判示第八の事実に対応する訴因を知るため、同訴因が記載されている請求人に対する昭和二六年九月二〇日付追起訴状の謄本を取調べるべく、昭和五〇年四月二三日付の提出命令をもつて、請求人に対し、右追起訴状謄本の提出を求めたところ、請求人から、同月二八日付書面をもつて、右追起訴状の謄本は、昭和四九年一〇月二六日に廃棄した旨の回答に接したのみでこれを入手することが出来なかつたが、当裁判所が昭和四九年一〇月二三日千葉刑務所において請求人を審尋したさい、これに立会した裁判所書記官田中一男が請求人が当裁判所に対して提示した右追起訴状の謄本の公訴事実の内容を訟廷用紙(昭和五〇年押第六四八号の二)に書き写しておいたので、これを検するに、右訟廷用紙の記載には、前記第八の事実に対応する千葉市要町六五番地喫茶店栗山義方における準強盗(前記追起訴状の公訴事実第九である。)の犯行日時として、「昭和二五年二月一一日午前零時三〇分ころ」とあり、右書き写しが前記追起訴状謄本の記載を記載としてたんに書き写すことのみを目的として行われた作業であつたことを考慮すると、右訟廷用紙の記載から、前記追起訴状謄本中の前記栗山義方における準強盗の犯行日時の記載は、前記のとおり、「昭和二五年二月一一日午前零時三〇分ころ」であつたことを推認することができる。そして、本件においては、前述のとおり、原裁判の確定記録が廃棄済みで存在しないため、原審理の経過の全貌の詳細はこれを分明になしえないが、記録中の公判調書の手続部分の写(合計一二通)等によつて窺い知ることのできるその経過の概要に徴しても、前記追起訴状謄本記載の前記栗山義方における準強盗の訴因について変更の手続がとられた形跡はなく、弁論終結の時までそのまま維持されていたことを肯認しうる。

以上の事実を総合すると、原判決は、判示第八の事実の犯行日時を弁護人が主張する昭和二五年三月一一日ではなく、同年「二月十一日午前零時三十分頃」と認定したものであることを認めることができる。

そうであるとすれば、弁護人が原判決の第八の事実に関して請求人にアリバイがあると主張する点は、原判決の認定した犯行日(昭和二五年二月一一日)とは異つた日(昭和二五年三月一一日)が犯行日であることを前提にするものであることが明らかであり、かつ、弁護人が右主張を立証する新証拠として援用する各証拠もすべて右犯行日を三月一一日とする主張に副う内容のものであること明らかであるから、それらが請求人に対し原判決の第八の事実につき無罪を言渡すべき明らかな証拠といえないこともまた明白であるといわねばならない。

したがつて、原判決の判示第八の事実についての本件再審請求は、爾余の点について判断するまでもなく、理由がない。

(二)  原判決の判示第九の事実の関係

1 まず、アリバイの成否についてみるに、前記鑑識課長作成の犯歴回答書、東京家庭裁判所長桑原正憲作成の昭和四九年三月六日付少年保護事件照会回答書、千葉刑務所長作成の「調査依頼について(回答)」と題する書面、当裁判所の請求人審尋の結果を総合すれば、請求人は、昭和二五年五月一八日賍物牙保の容疑で警視庁上野警察署に逮捕されたが、その生年月日をいつわつたため少年法上の少年として取り扱われて、事件は東京地方検察庁検察官を経由して同月二〇日請求人の身柄付きのまま東京家庭裁判所に送致され、請求人は、同日同裁判所において非行名窃盗により中央児童相談所長送致の保護処分決定を受けて同相談所へ押送されたことが窺われる。

そうだとすると、原判決において判示第九の事実として認定された公訴事実の犯行年月日が、判示のとおり、昭和二五年五月二〇日午前二時ころの犯行とするならば、それは請求人の犯行ではないといわざるをえず、弁護人の主張する請求人の本件アリバイの事実は、その公訴事実について、請求人に対し無罪の言渡をすべき「明らかな証拠」といえるごとくである。しかし、刑事裁判において、被告人に対して有罪または無罪の言渡をするのは、いうまでもなく、公訴犯罪事実についてするものであるところ、犯行の日時のごときは、犯罪事実と密接な関係にあり、したがつて、犯罪事実を公訴事実として特定、具体化して記載する重要な要素ではあるが(刑事訴訟法第二五六条第三項参照)、犯罪事実そのものではない。そして、審理の経過においては公訴事実の同一性の認められる限り、犯行の日時、場所、方法等を含めて、訴因の変更が許されるのである(たとえば、ある人を殺したことは間違いないが、それは、公訴事実にいわゆる甲日ではなくて乙日であるという場合、直ちに無罪の言渡をすることなく、場合によつては訴因変更の手続を経て、乙日に殺したものとして有罪の判決をすることができる。)。これを本件請求に即していえば、なるほど、公訴事実にいわゆる「昭和二五年五月二〇日午前二時ころ」について請求人にアリバイありとし、かつ、後に触れるいわゆる「証拠の新規性」もあるとして再審を開始したとしても、再審の審理手続において、右五月二〇日ではない別の日の犯行として(もちろん、公訴事実の同一性ありと認められる範囲内において)訴因が変更され、変更された訴因について有罪の言渡がなされるとしたならば、結局、本件主張にかかるアリバイの事実もなんら公訴事実について無罪を言い渡すべき理由とはなりえないことに帰着する。それゆえ、刑事訴訟法第四三五条第六号にいわゆる無罪を言い渡すべき「明らかな証拠」とは、日時の点ももちろん重要ではあるが、しかしそれのみではなく、公訴事実そのもの(強盗をしたか、しないか)について無罪を言い渡すべき明らかな証拠でなければならないものと解すべきである。そこで、本件主張にかかる公訴事実の存否について、さらに、本件記録によつて証拠を検討するに(前述のとおり、原審理の一件記録はすでに廃棄されているので、本件弁護人提出の証拠書類等の写によらざるをえないが。)、請求人は、警察官と同行して犯行の場所をみずから案内しており(請求人の司法警察員に対する第二二回供述調書の写中、第四項の(三)参照)、検察官の取調にさいしては、その犯行日時を昭和二五年「五月頃」として、犯行内容を供述し(請求人の検察官に対する第五回供述調書の写中、第三項参照)、公訴提起後も、それに関する審理の開始された最初の公判期日と思われる昭和二七年五月一四日の公判期日におけるいわゆる冒頭手続において、他の事実については、アリバイを主張して否認し、あるいは一部態様を否認して弁解するなどしながら、該事実については争わず(昭和二七年五月一四日の公判調書の写参照。なお、この点については、後にも触れる。)、その後昭和二七年五月三〇日、該事実に関し、原裁判所が犯行場所について行つた検証並びに検証場所において行つた被害者に対する証人尋問にいずれも立ち会つていながら、なんら事実を争つた形跡はないこと(検証調書および滝多みに対する証人尋問調書の各写参照)、昭和二八年六月一三日の判決宣告に先立ち、被告人は「前回若干自分に関係のない犯罪事実があると申しましたが、よく考えてみると、やはり私がやつていないのは昭和二六年九月二〇日附起訴状の公訴事実八だけで、そのほかはやりました。再調の必要はありません。」と述べて判決の言渡を受けていること(昭和二八年六月一三日の公判調書の写参照)(なお、右供述にいわゆる八の事実については、原判決において無罪となつている。)に徴すると、原判決の判示第九の事実にいわゆる滝金作方における強盗の犯行は、日時の点はともかく、そのころ、請求人らにおいて犯されたのではないかとの推認は十分なしうるところである。もつとも、右滝多みに対する証人尋問においては、同女は、その被害日時を、原判決が認定するように、昭和二五年五月二〇日午前二時ころと証言しているが、これとて、被害後二年余を経た昭和二七年五月三〇日の証言であることを思い合わせると、その日時に、いささかの前後もないのかは、にわかに断じがたい。いずれにせよ、以上援用の各証拠等(写)によれば、日時の点を除いては、請求人の犯行ではないかと思われる資料が存するところ、本件請求においては、日時の点を除いてはなんらの主張もなく、新証拠の援用もないのであり、かつ、公訴事実の記載における日時の訴訟法上の意義については前述のとおりであるから、昭和二五年五月二〇日について請求人にアリバイがあるとの一事をもつて、公訴事実について無罪を言い渡すべき「明らかな証拠」があるとはいえない。

2 さらに、右のアリバイおよびこれを立証する証拠が刑事訴訟法第四三五条第六号にいう「あらたに発見」されたものであるといいうるかどうかについても検討することとする。

(1) まず、原判決判示第九の事実に関する請求人のアリバイは、前記のとおり、請求人は、昭和二五年五月一八日賍物牙保の容疑で警視庁上野警察署に逮捕され、その後東京地方検察庁検察官を経由して同月二〇日東京家庭裁判所に身柄拘束のまま送致され、同日同裁判所において中央児童相談所長送致の処分を受けて同相談所へ押送された事実の存在したことをいうものであるところ、記録中の昭和二七年五月一四日の公判調書の写によれば、請求人は、原審理の右公判期日において、前記1においても言及してあるように、昭和二六年九月二〇日付追起訴状の一五件の公訴事実(その第一二が原判決判示第九の公訴事実である。)のうちの第一〇、第一一の二件(ともに昭和二五年三月一日が犯行日とされる。)については、昭和二五年二月二六日窃盗の容疑で千葉県成田警察署に逮捕され、同署に三日位留置されたのち千葉刑務所の未決監に入り、同年五月一三日に釈放されるまで同刑務所に留置されていたから、自己の犯行ではない旨、自己にアリバイがあつたことについて明確かつ具体的な主張をなしていたことが認められる(ちなみに、ここで、昭和二七年五月一四日の公判調書の写中、請求人((被告人))の「被告事件に対する陳述」として記載されてある部分を記しておくと、「公訴事実中、十、十一の両事実に付ては、私は昭和二十五年二月二十六日に千葉県成田警察署に検挙され、そこに三日位居てから千葉刑務所の未決に入り、五月十三日迄そこに居たので、その間の犯行となつているので、私としては知りません。尚、第八の事実についてはその頃小林、若梅孝治の三人で弘明寺駅近くの家に強盗に入つたことは間違いありません。そして家人に見付かつて殴つたり物を盗つたり家人を匕首で刺して逃げたのですが、女の人を刺した覚えはなく、男の人を刺したと思つています。又、入つた家も菊楽方かどうか判りません。その他の事実は何れも起訴状の通り間違いありません。」とある。なお、弁護人のそれとしては、「述べることはありません。」と記載されている。)。

そして、右の二つのアリバイ、すなわち、弁護人の主張する請求人の本件アリバイと原審理の当時請求人が主張していたアリバイは、いずれも犯罪の嫌疑を受けたため留置されたという請求人自身の同種の体験的事実に基づくものであり、かつ請求人が上野警察署に逮捕された日が千葉刑務所からの釈放後わずか五日後の出来事であることにかんがみると、その一方について、前記のごとく明確かつ具体的にこれを想起して主張しておりながら、他方についてこれを想起しえなかつたというのも理解しがたいところである。そればかりか、本件アリバイが、前述したように、当時請求人においてその年令を故意にいつわつたうえ少年として東京家庭裁判所における審判を受けたという計画的な企図に基づく体験と一体となつていること、さらに、請求人審尋の結果によれば、請求人は、東京家庭裁判所の前記処分によつて、即日、当時東京都文京区大塚にあつた中央児童相談所まで押送されたが、たちまち同所に入所中の少年達から請求人が未成年者でないことを看破られたため、自己が成人であることが相談所側に露見すれば刑務所に収容されるに至るは必定と考えてこれを憂慮したすえ、たまたま翌五月二一日が同相談所の運動会であり、これに出場したのを奇貨として競走中に運動衣のまま同相談所から脱走して逃走したことが認められるが、本件アリバイがかかる劇的かつ冒険的な体験とわかちがたく結びついていたこと、それゆえにまた、その体験後へだたること二四年後の右審尋時においてさえ、請求人がそのときの情況を活写しえた事実をも考えると、一層確実に請求人が、原審理の当時においても、本件アリバイにつき明確な記憶を有していたものと推認せざるをえない。

(2) そこで、つぎに、請求人において、原審理当時本件アリバイについて主張しようとすればそれが可能であつたかどうかについて検討することとする。

請求人が、原審理当時に、原判決の判示第九の事実に対応する事実に関しその犯行当時自己にアリバイのあつたことを主張しえなかつた理由として、弁護人らが主張するところは、前記第一、二、(二)に摘記したところのほか、請求人審尋の結果によれば、請求人は、原審理に先立ち起訴状謄本の送達をまつたく受けておらず、これらは、原判決の言渡後控訴を申し立てるに当り、請求人から公判に立会した検察官に請求してはじめて入手することができたにすぎぬばかりか、原審理の冒頭手続における認否のさい、請求人は、裁判長から公判廷の裏側にある別室に招じ入れられたうえ、公訴事実につき、一括して、「間違いがないか」と質問されたため、請求人は、いつのどこにおける犯罪事実が審理の対象とされているのかを確知することができなかつたことによる、というにある。

しかしながら、請求人が、原審理の当時、審理の対象を確知することができなかつた理由のひとつとして当時起訴状謄本の送達を受けなかつたという点については、刑事裁判の実情に照らせば、被告人に対し起訴状謄本の送達がなされなかつたということ自体稀有の事態であるというだけでなく、ことに請求人審尋の結果から明らかなように当時請求人が勾留中であつたことに徴すれば、左様なことはまずもつてありえぬことであるし、原裁判所が、起訴状謄本不送達の事実を看過して、公訴棄却の決定(刑事訴訟法三三九条一項一号)をすることもなく、実体審理に入り(なお、弁護人も付されていた。)、そのまま審理して原判決を言渡したとは到底考えられないところにかんがみても、請求人に対し、当時、起訴状謄本が適法に送達されていたと認めるのが相当であるし、原審理の冒頭手続において裁判長に違法ないし不当な訴訟指揮があつたとする点についても、原裁判所の裁判長が公判廷以外の場所において請求人に対し事件について陳述を求めるというようなことはありうべからざることであるから、請求人のこの点についての供述は到底措信できないところである。そして、記録中の原判決書謄本、昭和二七年五月一四日の公判調書の写、押収してある前掲訟廷用紙、請求人審尋の結果等を総合して認めうる原審理の経過、状況、就中、前にみたような、原判決判示第九の公訴事実が含まれている昭和二六年九月二〇日付追起訴状の公訴事実について実質審理のはじめられた昭和二七年五月一四日の公判期日の冒頭手続における、請求人の明確かつ具体的な認否の陳述、右追起訴状の公訴事実のうち第八、第一二(原判決判示第九の事実)および第一四の三件について、いずれも犯行場所についての検証と検証現場における被害者や目撃者らの証人尋問が実施されていることなどに徴すると、仮に原裁判所の裁判長が右公訴事実につき個別的にでなく全部を一括してこれに対する請求人の陳述を促したものであつたとしても、そのこと一事のために、請求人のいうごとく、同人において右公判期日において審理の対象となつている事実が何であるかにつき確知することが困難となり十分に防禦権を行使することができなかつたとは到底考えられず(なお、請求人は、当裁判所の審尋のさい、刑務所で九年も印刷の作業をしたから現在は文字が読めるけれども、原審理の当時は文字が読めなかつたので、起訴状謄本の記載がよく判らなかつた旨供述したが、右供述は、同人が尋常高等小学校高等科一年を修了していること等に照らして、措信できない。)かえつて、原裁判所が請求人に対し、審理の冒頭から終結に至るまで、その防禦権を行使する機会を十分に与え、請求人においては、尽すべき防禦はこれを十分に尽したものと推認することができるから、原裁判所の裁判長の所論のごとき訴訟指揮によつて請求人が主張しようとした本件アリバイを主張する機会を奪われあるいは阻げられた旨の前記主張は、到底これを肯認しがたいといわねばならない。

第二に、請求人は、本件アリバイを主張することができなかつた事情として、花山亭事件等を契機とする本件自白に至る一連の経緯あるいはヒロポンの影響のあつたことなどを主張する。

しかしながら、前記花山亭事件なるものが所論にいうような案件であつたとしても、それは請求人に対する昭和二六年一月二二日付起訴状によつて窃盗被告事件として起訴されていたのであるから、当然のこととして、請求人は、該起訴状謄本の送達を受けることによつて(原審理当時起訴状謄本の送達を受けなかつたとの請求人の主張の理由のないことは、前述したとおりである。)、それが単なる窃盗事件として起訴されたことを知り得たはずであり、仮に当時請求人において花山亭事件の被害者である前記沢田八重子の生存を依然として知らなかつたとしても、少くとも、請求人自身が右花山亭事件について問われる刑事責任はせいぜい窃盗の限度であることを知り得たはずであると推認できる。また、逮捕当時までヒロポンを打つていたことによる請求人の精神状態について主張するところも、仮に所論のように請求人がその当時いわゆるヒロポン中毒にかかつていたことがあつたとしても、請求人が上野警察署に逮捕されたことによつて、その後間もなく、その症状は軽快したであろうと推認されるし、少くとも、実質審理の開始された前記昭和二七年五月一四日当時には、それが請求人の心身に及ぼす影響のまつたくなかつたことは、前にみたような当時の審理状況に徴して明らかである。そして、その後において請求人の精神状態に変化のなかつたことも、昭和二八年二月一二日の公判期日において弁護人の申請にかかる請求人の精神鑑定が原裁判所によつて却下されている事実(この事実は、記録中の該期日の公判調書の写によつて明らかである。)に徴してこれを推認することができる。

そのほか、すでに触れたとおり、請求人は、原審理当時、裁判所に対して、否認すべきものは否認し、弁解すべきものは弁解していること(たとえば、昭和二七年五月一四日、昭和二八年六月一三日の公判調書の各写参照)等、本件記録によつて窺われる請求人の原審理当時の応訴態度に徴すると、前記請求人が捜査段階でした虚偽の自白を原審理の当時においてもひるがえせなかつた理由として種々主張するところは、いずれも合理性を欠き、不自然であつて到底これを首肯することができないというべきである。

(3) 前にみたように、請求人において原審理当時本件アリバイの存在したことについて明確に記憶していたと認めうること、請求人が原判決判示第九の事実と同時に審理された二件についてはよく具体的にアリバイの主張をなしえていること、その他記録中の公判調書の写によつて認められる原審理の一連の経過ならびに状況、さらには、検察官の求刑意見が死刑であつたことに徴して明白なごとくその事案の重大性にかんがみ原裁判所の審理が慎重を極めたであろうと考えられることなどに徴すると、請求人において本件アリバイにつき主張しようとする意思があれば、十分これをなしうる状況にあつたと推認することができる。もし、本件アリバイについてだけ、これを主張しようとしてもそれができなかつたというのであるならば、その点につき請求人において首肯しうる合理的な事情のあつたことについて説明がなさるべきところであるが、請求人審尋の結果によつても、同人の説明するところは右に検討した点以外には出でず、他に特別の事情の存在したことについて何ら具体的な説明も聞くことができなかつたし、その他当裁判所の事実取調の結果によつてもこれを窺うことができない。

そうであるとすれば、請求人は、原審理当時原判決判示第九の事実について本件アリバイが存在したことを知りながら、かつこれを主張することができたのに、ことさらこれを主張しなかつたものというほかはないから、本件アリバイならびにこれを証明する前掲各証拠は、刑事訴訟法第四三五条第六号にいう「あらたに発見」された証拠であるということはできないというべきである。

したがつて、本件再審請求中、原判決判示第九の事実に関する点もまた、理由がないといわねばならない。

三  以上に述べたとおり、本件再審請求は、原判決判示第八の事実については証拠の明白性を、同第九の事実についてはその明白性および新規性をそれぞれ欠くため、その理由がないから、刑事訴訟法第四四七条第一項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 金隆史 竹沢一格 蜂谷尚久)

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