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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)9431号 判決 1977年6月27日

原告

株式会社北村商店

右代表者代表取締役

北村伝司

右訴訟代理人弁護士

釘沢一郎

外三名

被告

右代表者法務大臣

福田一

右訴訟代理人弁護士

横山茂晴

右指定代理人

滝瀬亨

外四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

(原告)

一、被告は原告に対し五七、二〇〇、五三二円ならびにこれに対する昭和四七年一二月八日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、仮執行の宣言

(被告)

主文同旨

第二  原告の請求原因

(主位的請求原因)

一、原告は、缶詰等の製造販売等を目的とする会社であり、右商品の製造に際しては使用許可されていた食品添加物サイクラミン酸カルシウムおよびサイクラミン酸ナトリウム(以下一般の呼称に従って両者を「チクロ」ともいう。)を使用していたものである。

二、厚生大臣は昭和四四年一一月五日、

(1) 昭和四四年厚生省令第三二号を以つて食品省生法六条および一一条一項に基づき食品衛生施行規則の一部を改正する省令を定め、同規則の別表第二中第五四の三および五五号を削除し、第五五号の二を第五五号とし、別表第五中「サイクラミン酸カルシウム、サイクラミン酸ナトリウム、サツカリン」とあるを「サツカリン」に改め、附則として、この省令は同年一一月一〇日から施行するが、施行の際現存する食品のうち、清涼飲料水については昭和四五年一月三一日まで、その他の食品については同年二月二八日まではなお従前の例による旨を規定し、

(2) 厚生省告示第三五八号を以つて食品衛生法七条一項に基づき食品添加物等の規格基準(昭和三四年一二月厚生省告示第三七〇号)第二の添加物のF条の項の「○サイクラミン酸カルシウム」および「○サイクラミン酸ナトリウム」を削除し、この改正は昭和四五年三月一日から適用する告示

した。

厚生大臣の右(1)、(2)の措置により若干の猶予期間がおかれたとはいうものの、チクロについては食品添加物としての使用が禁止されることとなつた。

三、しかし、厚生大臣のなした前記措置はいずれも以下の理由により違法である。

1 厚生大臣は従来チクロを安全な食品添加物としてその使用を許可していたものであり、原告においても右許可を信頼して各様の経済行為を積み重ねてきたものである。したがつて、厚生大臣が右許可を取消すにはチクロの有害性、あるいは少なくとも有害性のおそれがあるとの証明が必要であるというべきである。

しかるに、以下に詳述するとおり、厚生大臣のなした本件措置には右の証明がなされたとはいえない。

2 すなわち、日本はもとより世界各国においてもチクロの毒性の有無については従来から研究され、種々報告されているが、少量の摂取では発がん性はないとされていたのである。

しかるに、昭和四四年一〇月一八日アメリカ合衆国政府が、チクロは発がん性を有するおそれがあるとの理由で、一般食品に添加することを禁止すると発表した。そこで日本政府でも直ちにアメリカ政府からチクロについて発がん性があるという動物実験データを取りよせ、食品衛生調査会に検討を依頼したところ、同調査会は同年一〇月二九日厚生大臣に対し、チクロが有害か、無害かについては各種の報告があるが、今回のアメリカにおける実験によつてラツトにおいて発がん性の疑いが濃厚になつたという理由で、チクロの食品添加物としての使用は適当でない旨答申した。

厚生大臣の本件措置が同調査会の右答申に基づくものであることはいうまでもないところ、アメリカにおける前記実験結果は次のとおり科学的根拠の乏しいものであり、したがってこれを採用してチクロの発がん性のおそれを認めることは不当といわねばならない。

(一) アメリカ政府のチクロ使用禁止措置の根拠となつた発がん性についての動物実験は、食品医薬品研究所のバーナード・オーサー博士の試みたものであるが、その報告によると、チクロとサツカリンを一〇対一の割合で含む薬剤の五〇〇・一、〇〇〇・二、五〇〇mg/kgを一群(雄三五四、雌四五四)のラツトに長期間経口投与したところ、二年後において最高投与量の群において、雄では一二匹中五例に、雌では二二匹中一例に膀胱がん発生を、またそのほかに同群の雄に二例の乳頭腫発生が認められたが対照群では雄に一例の乳頭腫を認めたのみであり、一、〇〇〇mg\kg以下では一例の腫瘍発生をも認めなかつたとのことである。このことから検体は二、五〇〇mg/kgにおいて膀胱腫瘍の発生頻度を高めるものと考えられたものである。

しかし、右実験における薬剤二、五〇〇mg/kgの投与を人間に適用するとすれば、体重五〇kgならば、毎日一二五gのチクロを二年間摂取し続けることとなるが、わが国の昭和四一年におけるチクロ年間使用量はあらゆる食品に利用されるものを総計してみても六、五五八トンであり、一人当り一日の摂取量は約一八〇mg(3.6mg/kg)であるから、右実験はまさに約七〇〇倍のチクロを毎日摂取させたこととなる。もちろん、毎日ごくわずかな添加物を非常に長い期間にわたって摂取した場合の結果が不確実であるため、実験動物に加えられる添加物の量は、人間の食品に用いられる量よりも多くなくてはならないといえようが、食品添加物の安全量は人間の食品に用いられる量の一〇〇倍を実験動物の食事に加えても安全であるかどうかによつて決せられるのが原則(一〇〇倍原則)であることにかんがみると、これを超えること甚だしい右七〇〇倍をもつてした実験によつて、チクロに発がん性ないしはそのおそれありと論ずることはでない。

(二) 食品添加物の安全性を考える際に重要なことは、摂取する食品添加物の量であつて、ある食品添加物が人体に対して安全であるということは、あくまでも、ある量以下の摂取であれば一生摂取し続けても安全であるということであり、無制限に摂取しても安全であるということではない。われわれが毎日たべている塩や砂糖でも、毎日大量に摂取すれば身体に障害が生ずるものであるが、食品添加物についてもその摂取量と無関係にその安全性を考えることはできない。(昭和四四年一二月一七日付官報において厚生省自らこのことを掲載している。)

そこで添加物安全性に関する一〇〇倍原則をチクロの動物実験に適用すると、薬剤三六〇mg/kgを実験動物に摂取させても安全であればよいということになるが、前記のとおり一、〇〇〇mg/kgを給餌したラツトにおいてさえ発がんしていないのであるから、人間のチクロ摂取量においては、チクロが人体に対し、発がんさせたりそのおそれのある性質を帯有しているとはいえない。

(三) アメリカ政府が右の実験報告に基づきチクロの使用禁止措置をとつたのは、アメリカにおいては一九五八年デラニー改正法によるいわゆるデラニークローズ、すなわち「いかなる使用量においても、人体やいかなる動物に対しても、がんを起こさせない食品添加物しか一般の使用に供してはならない」との条項が存在するという特殊な事情によるものであるが、このデラニークローズについてはアメリカ国内においても不合理であるとの批判が多いだけではなく、前記動物実験についても、その受験データが少なすぎること、実験のやり方自体に問題があることなどの批判があり、アメリカ政府は昭和四四年一一月二四日に医師の指示を受けた場合は摂取してもよいとし、チクロの食品に対する使用禁止令を事実上撤回せざるを得ないこととなつた。

(四) 右のアメリカの実験においては、ラツトにチクロを含んだ食物を与えると、チクロの生体内体謝産物であるチクロヘキシルアミンを大量に排泄することが認められたが、これはラツトの腸内にあるバクテリアによつてチクロが加水分解されて生じるものである。ところが人間の空腸や回腸のなかにはあまりバクテリアがいないし、人間の腸のなかの細菌類はその大部分がラツトなどの齧歯類の腸にある細菌類とは異なつた種属に属している(人体のバクテリアは主として大腸菌類に属しているが、齧歯類のそれはバクテリオイデスおよびフイドバクテリアに属している。)。食物は、それがバクテリアの酵素にさらされて新陳体謝や分裂分解が起こるような腸の部分に到達する前に、体のなかに吸収されてしまい、チクロが人体内において人間に対して潜在的に害があると考えられているチクロヘキシルアミンに加水分解される量は、ラツトに比べて極めて少ないと思われる。したがつて、アメリカの実験が齧歯類の一部についての実験結果(齧歯類であつてラツトと同様腸のなか全体に大量のバクテリアをもつているハツカネズミおよびウサギには発がん性がない。)でもあるということは、その実験結果を人体に対して適用することが相当ではないということになる。アメリカにおいては人間の膀胱がんがふえているという証拠もないにも拘らずチクロの使用を禁止せざるを得なかつたのは、前述のデラニークローズが「いかなる動物であろうと」と規定されているためにほかならないものである。

(五) わが国のがん研究所では、予備的研究ではあるが、マウスにチクロ五%、塩酸シクロヘキシルアミン一%を含有する水を飲料水として、それぞれ一〇匹の動物に長期間投与する実験を続けており、前者では一六月、後者では一四月経過した時点において、死亡例を調査しても肉眼的に腫瘍発生を認めることができなかつた旨の報告が明らかされている。

右(一)ないし(五)の事実によれば、アメリカにおけるラツトの実験をもつてしてはチクロが人体に対し発がん性ないしそのおそれがある物質であるとは到底いえず、他に発がん性ないしはそのおそれがあるとの証拠が存しない以上、通常の使用量の範囲内においてはチクロとがんとの間にはなんらの関連性もないと考えるのが妥当である。

3 なお、チクロについては、催奇形性を有するのではないかとの問題がある。

(一) しかし、国立衛生研究所の実験では、妊娠ラツトにシクロヘキシルアミンを種々の量にわたり投与したが、母体に中毒を発生せしめるような大量投与の場合でも、胎仔に対して奇形はもちろん他の所見においても悪影響を及ぼさなかつたとの報告がある。

(二) もつとも、岩手医大の実験報告では、妊娠マウスにチクロを投与したところ、胎仔に対して、悪影響を与えたとのことであるが、一方、齧歯類に限らず、マウス、ラツト、ウサギ、イヌについてなされた諸家の広範囲な実験結果をもとにWHOとFAOの合同の委員会および昭和四三年の米国学術会議は、チクロは催奇形性を含めて次世代に対して悪影響を及ぼす証拠はないと評価している。

右のような各種の実験報告にかんがみると、チクロが催奇形性等を有するとの証拠がないだけでなく、食品衛生調査会の答申においても結局発がん性のおそれだけを理由としており、チクロの催奇性等は問題にしていないものである。

4 以上、チクロは発がん性がないばかりでなく、その他の点でも食品添加物としての適格性・有用性を備えているものであるが、本件措置後に発表された西ドイツのシユメール教授の実験では発がん性は無論のこと、心臓、膀胱、成長率、寿命などにも悪影響はなかつたとされており、ハノーバーでの人工甘味料に関する国際シンボジウムでもチクロの禁止には根拠がないとの結論が下されている。アメリカにおいてもチクロの解禁の動きがあることも報道されており、いずれもチクロの安全性を認める方向のものである。

また、チクロは医薬品として糖尿病患者に使用されているのであるが、このことは、病院においてはチクロを添加した食事が患者に有料で提供されていること、すなわち広義の販売がなされているということにほかならない。

5 仮に、チクロの使用につき何らかの規制をなすべきものとしても、厚生大臣のなした本件措置の規制の方法は甚だ不当である。このことは、厚生大臣が昭和四五年一月一四日にチクロの使用禁止について猶予期間の延長措置をとつていることからも明白である。チクロの使用を禁止するにあたつては一挙に全面禁止をせずに、許容量を定め、また品目による制限のような方法をとることも十分可能だつたと考えられるし、現に禁止措置がとられたときと猶予期間の延長措置がとられたときの判断資料に差異はないのに右猶予期間の延長措置がとられているのであるから、昭和四四年一一月五日の時点で、本件のように大きな打撃を与えないなんらかの合理的な規制方法が可能であつたことは明らかである。

四、厚生大臣は、チクロが通常食品に使用されるかぎり安全であり、健康をそこねるおそれがないことを職務上知りうるのにそのような注意義務を怠り、原告ら缶詰業者の保有していたチクロ含有缶詰の正常な価格による正常な流通から生じる利益を侵害することとなるのを知悉しながら本件措置をとつたものである。

五、前記のとおりチクロ含有缶詰類は昭和四五年二月二八日まで販売禁止の猶予期間があり、さらに厚生省令をもつて在庫品ないし流通商品につき昭和四六年九月三〇日まで猶予期間が延長されたが、政府によつて有害であると指定されたチクロ含有の缶詰食品は右猶予期間内に販売を完了することができず、原告は、結局左記のとおり損害を被つた。

右損害は、厚生大臣の前記の違法な職務行為に基づくものであるから、被告は原告に対しこれを賠償すべき義務がある。

1 売却済商品の返品による損害

二、九六五、三七八円

2 返品商品に関する引取運賃

五八三、三九〇円

3 返品を避けるための売上値引損

一九、五〇八、五二六円

4 在庫商品評価損

一二、四四一、九一九円

5 在庫商品安売損

一〇、八五二、九八一円

6 在庫品廃棄処分損

八四八、三三八円

7 信用毀損による損失

一〇、〇〇〇、〇〇〇円

合計 五七、二〇〇、五三二円

(予備的請求原因)

一、主位的請求原因一、二項と同じ。

二、チクロ使用制限措置には前述のとおり猶予期間が設けられたが、政府によつてチクロは有害であると公表された後の猶予期間であつたため、原告は、その取扱商品について猶予期間内においても従前の取引価格をもつては取引をなしえず値下げ販売を止むなくされ、また原告の販売努力にもかかわらず、猶予期間内に売却しきれないこととなつた。そして、従前通りの価格をもつて取引はなしえなかつた商品については従前の取引価格と実際の取引価格との差額の限度において商品の所有権は公共のために用いられたものであり、また商品の残物については、売却の途を全くとざされたしまつたのであるから、商品は無価値なものとされたこととなり、商品の所有権全体を公共のために用いられたものといえる。

三、規制により損害を被つたのは、チクロ使用食品を扱う業者に限定されていること、およびその制限が既に生産されていた所有商品についての商品価値を減少ないしは滅失せしめる規制として私的所有制度にとつて本質的な制限を加えたものであり、原告の被つた損害は特別犠牲であつて、被告は原告に対しこれを補償すべき義務がある。

四、規制を受けた原告は、既に主張したごとく政府の許可を信頼して、チクロ含有食品を扱つていたものであり、今回の規制を受けるに際し、何らの帰責事由もないのであるから、その受けるべき正当な補償は、原告の商品所有権を公的に用いられたことにより結果的に被つた損害額であり、その額は前記主張による損害額と同様である。

よつて、主位的請求原因または予備的請求原因により、原告は被告に対し、前記損害額合計五七、二〇〇、五三二円ならびにこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四七年一二月八日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  請求原因に対する被告の認否ならびに主張

(認否――主位的請求原因について)

一、請求原因一は認める。

二、同二は認める。

三、同三1は争う。

同三2のうち、アメリカ政府がチクロを一般食品に添加することを禁止したこと、食品省生調査会が厚生大臣に対し、原告主張のような答申をしたことは認めるが、その余は争う。

同三2(一)のうち、オーサー博士の動物実験の結果は認めるが、その余は争う。

同三2(二)の前段は認めるが、後段の一〇〇倍原則を動物実験に適用する主張は争う。

同三2(三)のうち、デラニークローズの存することは認めるがその余は争う。

同三2(四)は争う。

同三2(五)は認める。

同三3(一)(二)ならびにチクロが催奇形性を有する証拠のなかつたことは認めるが、その余は争う。

同三4は争う。

同三5は争う。

四、同四は争う。

五、同五は争う。

(認否――予備的請求原因について)

一、請求原因一は主位的請求原因一、二についての認否と同じ。

二、同二ないし四は争う。

(主張)

一、チクロ使用禁止の経緯

1(一)  チクロは、アメリカにおいて一九三七年に発見され、一九五〇年から食品用甘味料として工業化されたのであるが、わが国では、昭和三一年(一九五六年)五月二五日、サイクラミン酸ナトリウムが食品衛生法に基づいて食品添加物としての使用が認められるに至つた。

(二)  ところが、昭和四四年(一九六九年)一〇月一八日、アメリカ政府(FDA(食品薬品管理庁))は、チクロについて次のような措置を実施した旨を発表した。

① GRAS(一般安全)品目より削除すること。

② チクロを含有する人工甘味料を医師の監督下に使用が認められる医薬品の部類に移すこと。

③ チクロを含有する大衆向け食品、飲料および医薬品の取扱いは、次の順序によつて行なうこと。

ただちに当該品目の製造を停止することを要請する。

粉末ジユースを含め、チクロを含有する飲料を一九七〇年一月一日までに市場より回収することを要請する。

チクロを含有する他の食品は一九七〇年二月一日までに市場より回収するよう要請する。

チクロを含有する医薬品は一九七〇年七月一日までに市場より回収するよう要請する。

右の発表において、製品により回収の日付が異なるのは、次の理由によるとされた。

① 飲料および飲料ベースの回収期限を一九七〇年一月一日と定めたのは、それぞれの製品にみられるチクロの高濃度のためである。

② 他の食料品の回収期限を一九七〇年二月一日と定めたのは、消費者が摂取するチクロの濃度がきわめて低いとの理由でそれらの食料品は市場から段階的に回収させるためである。

③ 医薬品の回収期限を一九七〇年七月一日と定めたのは、医薬品にはより低濃度のチクロしか含まれておらず、しかも短期間使用されるという理由からである。該当する医薬品は、すべて抗生物質製剤であり、かつ、予期される冬期感染性疾患を治療するために製造されたものであつて、危険性は少なく、当該医薬品に対する需要が大である。

(三)  アメリカ政府が、右のような措置はとつた理由として説明したところは、チクロの使用による人の発がん性を立証する証拠ないしは人の小児の奇形その他の異常がチクロによつて生じたとの証明があるためではなく、アボツト社の研究所でオーサー博士がラツトに一生の期間にわたつて多量のチクロを投与したところ、膀胱腫瘍を生じたためであるというのであつた。

2  厚生省では、右のアメリカ政府の措置についての報告を受けたので、食品衛生法二五条一項の規定に基づいて食品衛生調査会に対し、サイクラミン酸カルシウムおよびサイクラミン酸ナトリウムの食品添加物としての今後の取扱いについて意見を求める旨の諮問をしたところ、同年一〇月二九日同調査会から答申がなされた。その結論は、サイクラミン酸カルシウムおよびサイクラミン酸ナトリウムの食品添加物としての使用をすみやかに禁止する措置をとることが適当であるというもので、その理由の要旨は次のとおりである。

① アメリカから取り寄せた資料により、ラツトにおいて発がん性の疑いが濃厚である。

② 厚生科学研究班(主任小林芳人)の研究報告によれば、代謝産物であるシクロヘキシルアミンは、細胞中の遺伝子を形成する染色体を破壊するが、この現象の生物学的意味が明らかでない。

③ 東京逓信病院小堀、慶応大学医学部中山らの研究によれば、日光皮膚炎を起こす場合がある。

④ アメリカでの実験によれば、組織の石灰化による心筋障害、冠動脈硬化等を起こすおそれがある。

厚生大臣は、右の答申に基づいてチクロの食品添加物としての使用を認めないこととしたのである。

二、被告の責任について

1  厚生大臣のなした本件措置に違法はない。

(一) 原告は、本件措置の違法事由として、国が食品添加物の許可を取り消すにあたつては、すくなくともそれが有害であるおそれがあるとの証明が必要であるのに、その証明なくして使用禁止をした旨主張する。

しかし、食品衛生法六条によれば、食品の添加物として用いることを目的とする化学的合成品ならびにこれを含む製剤および食品の販売ならびにこれらの物の販売を目的とする行為は、原則として禁止され、とくに人の健康を害するおそれがない場合として厚生大臣が定める場合においてはその使用が認められることとしているのである。すなわち、食品添加物としての使用は、「人の健康を害するおそれのない場合」に限つて認められるのであつて、人の健康を害するおそれのある場合に使用を禁止するのではない。したがつて、いつたん人の健康を害するおそれがないとして使用を認められても、後日新たな科学的知見が得られた等の理由によつて人の健康を害するおそれがないとはいえないことが判明すれば、また人の健康を害するおそれがあるとは断定できるまでに至つていなくても、食品添加物としての適性を欠くものとしてその使用が禁止されるべきことは当然である。原告の主張は、この点からして失当というべきである。

(二) 次に原告は、チクロの使用禁止の根拠はアメリカにおける発がん性の動物実験の結果のみであるかのように考えて、有害性の立証を問題にしているようであるが、使用禁止の根拠は、アメリカにおける発がん性の動物実験だけではないのであつて、前記の食品衛生調査会の答申に示されているような諸事情を総合した結果有害性のおそれがあると認められたものである。のみならず、原告がとくに力点をおいて問題としている発がん性の動物実験の評価についての見解も、発がん性と食品添加物としての適性との関係についての誤つた前提に基づいているのである。

すなわち、原告は、一〇〇倍原則なるものを根拠にして、アメリカにおける動物実験において発がんをみた投与量は人間の摂取量の七〇〇倍にも達するのであつて、人間の摂取量の一〇〇倍量の三六〇mg/kgはおろか、一〇〇〇mg/kgでもがんは生じていないのであるから、アメリカの動物実験によつては人間にその摂取量で発がん性があるとはいえないというのである。右主張は、人間の摂取量は、動物実験によつて求められる人間における認容量を下回つているから危険はないという趣旨であるが、発がん性については他の添加物と同様な許容量を考えることは不適当である。

すなわち、がんがどのようにして発生するかについては、解明されていない面も多く、いつたん、がんが発生した場合、その予後は重大であり、その治療は困難であることから考えれば、本件のように動物実験において発がん性が認められた場合に、その量が人間の通常摂取量の数百倍であつたとしても、他の諸事情もあわせて考慮して食品添加物として不適当であるとの評価を行なつたことは適切な判断であつて、その禁止のために、とくにデラニークローズのような立法を要するものではない。

なお、原告は、人間において、チクロがシクロヘキシルアミンに加水分解される量はラツトに比べてきわめて少ないというが、これはまつたく科学的根拠のない主張であつて、現に個体差は大きいにしても、人間においてもシクロヘキシルアミンの排泄がみられるのである。

原告は、アメリカ政府のチクロ使用禁止措置の根拠となつた動物実験は、投与量が極めて多いから、この実験の結果をもつて、チクロの食品添加物としての使用を禁止する根拠になしえないと主張する。

しかし、発がん性のある物質はいかなる量においても食品添加物として使用すべきでないことは、国際的に承認されている考え方であり、投与量の如何によつて実験を評価するのは誤つている。

また、仮に、右の実験のみではチクロに発がん性があると判断するのには不充分であつたとしても、少なくとも発がん性のおそれがあると判断するには十分であるから、とりあえずその使用を禁止し、後日の研究結果を待つのが相当であつて、本件のチクロに対する食品添加物指定取消処分の適法であることには変りがない。

なお、アメリカFDAにおいてチクロの食品添加物としての適性について再検討したが、一九七六年五月一一日に適性を否定する見解を出している。

2  次に原告は、使用禁止の方法について非難するが、それが何故使用禁止措置の違法事由となるのかは理解しがたい。あるいは原告ら業者の手持商品は何の損失も受けないで売却できるような方法を講じないで使用禁止措置をとつたのが違法であるという趣旨とも理解しうるが、もしそうだとすれば、それは、右措置の違法事由となりえないことを違法事由として主張していることになる。すなわち、原告の主張する損失というのは、要するに、チクロが食品添加物として不適当であるということが公にされたため、チクロ含有の手持商品が値下りしたり、売れ残りが生じたことによる損失が主たるものであるが、このような損失は、チクロが食品添加物として不適当なことが判明し、これを食品添加物から除く措置をとる以上避けられないものである。もし原告の主張するような損失が生ずるのを防止しようとするならば、チクロに食品添加物として問題があり、いずれ使用禁止になることを業者にのみ知らせ、一般国民には一切を秘匿して、業者手持のチクロ含有商品が売り尽くされてから使用禁止措置をとるというはなはだしく不当な方法によらなければならないであろう。

二、故意過失について

本件チクロ使用禁止措置は、前述したように、内外の専門家の実験結果に基づいてなされたものであつて、厚生大臣に故意過失の認められる余地はない。

三、損害および因果関係について

原告が本件使用禁止措置によつて受けた損害として主張しているところは、要するにチクロが食品添加物として不適格であるということ自体から生じたものであつて、損害賠償請求の対象となる損害ではなく、チクロ使用禁止措置に原因するものでもない。

また、食品衛生法による食品添加物の指定は、これに基づき、チクロを使用して食品の製造販売をする業者の営業上の利益を確保する趣旨でなされたものではないから、その指定を取り消したことによつて食品業者が損失を受けたとしても、これを賠償すべき理由はない。

四、損失補償の請求(予備的請求)について

原告は、被告のチクロ禁止措置によつて損失を受けたと主張するが、その損失は、禁止措置によるものではなく、チクロ自体が食品添加物として不適格であることに由来するものである。しかして、食品業者が元来人の健康を害するおそれのある食品の製造販売をなすべきでないことは、法律による取締りをまつまでもなく当然のことであるから、チクロ含有の食品がチクロを含有しているために生じた損失は、食品業者において受忍すべきものである。

原告は、政府が食品添加物として使用を認めたのを信頼してチクロ使用食品を製造したという趣旨のことを強調するけれども、食品衛生法による食品添加物の指定は、食品業者に対して利益を保障する趣旨でないことはもちろんであるのみならず、そもそも、食品添加物の指定は、絶対的な安全性の保障ではなく、その当時の学問的技術的水準において、人の健康を害するおそれがないと認めたことを意味するにすぎないのであつて、将来学問技術の進歩等により、食品添加物として不適格であると認められるにいたつた場合には、その指定を取消すこともありうることを当然の前提としているのである。原告の主張は、右の点からも失当というべきである。

第四  被告の主張に対する原告の反論

(損害賠償請求)

一、厚生大臣が、チクロの使用禁止措置をなすためには少なくともチクロにつき有害性のおそれの立証を要するものと解すべきである。

すなわち、国家が一定の食品添加物の使用禁止の解除をなすからには、国民一般としては国家の右措置が食品添加物の安全性につき十分な調査研究を経てなされたものと強く信頼するのは当然であり、しかも右のような禁止解除が一〇年以上も経過すれば、これに基づき形成された食品工業生産も飛躍的に増大するわけである。しかるに、国家がすでになした禁止解除の措置を取消せば、これまで築かれた莫大な経済的価値が一挙に覆滅せしめられることになるだけではなく、国家自らがすでになした安全性についての宣言を撤回しようとする以上、当該食品添加物についての有害性のおそれの認定は、あくまでも客観的かつ科学的なものでなければならないものといわざるをえないのである。

このことは、FAO・WHOの食品添加物専門家委員会第二回報告が発がん性に関してであるが発がん性が証明されたものの規制を問題とし、発がん性のおそれについては触れていないことによつても裏付けられているのである。

二、厚生大臣の本件措置はチクロの発がん性のみを根拠にしたものというべきである。

被告は、厚生大臣の本件措置はオーサー博士の発がん性についての動物実験のみではなく、食品衛生調査会の答申にある①チクロヘキシルアミンの染色体破壊②日光皮膚炎③組織の石灰化による心筋障害・冠動脈硬化をも総合して考慮した結果であると主張するが、右主張は次のとおり失当である。すなわち、

1 右答申にいう①ないし③については右答申のなされる以前の昭和三九年ないし昭和四三年においてすでに厚生大臣に研究報告がなされていたものであるから、同大臣において既知の事柄に属することであり、しかも、昭和四二年には国連FAO・WHO、昭和四三年にはアメリカFDAにおいてそれぞれチクロの一日摂取許容量を制限する動きが出ていたにもかかわらず、厚生大臣には何ら使用基準を定めることもせず、また答申を出すこともしていなかつたものである。

このことは、同大臣においていかにチクロの安全性を信頼し、またシクロヘキシルアミンを問題にしていなかつたかを如実に示すものである。

2 シクロヘキシルアミンは人間においては少量しか生成されないことはすでに述べたとおりであり、また同物質の生物学的意義の不明なことは右答申も認めている。

また、日光皮膚炎については、シユタインフエルト博士が稀な皮膚過敏反応と述べているようにアレルギー体質によるものと考えられ、いずれも本件措置の実質的理由とはならない。

3 厚生大臣が調査会へ諮問したのは昭和四四年一〇月二九日であるが、これはアメリカ政府において禁止措置をとつた同月一八日の直後であり、しかも、アメリカ政府の右措置はオーサー博士の発がん性の実験のみを根拠としたものであることが明白である。

4 国連FAO・WHO委員会報告は発がん性のみに触れたものであり、わが国の食品衛生調査会の前記答申も結論部分ではオーサー博士の実験と発がん性のみに言及しているにすぎない。

5 厚生大臣は、調査会の前記答申①ないし③の理由によつてはチクロの許容量の規制は不要であるとしながら、一方、「発がん性のある物質はいかなる量においても食品添加物として使用すべきでないことは国際的に承認されている」として、チクロの使用を全面的に禁止する措置に出たものである。

以上1ないし5を総合すれば、厚生大臣の本件禁止措置の理由が発がん性のみにあることは明らかであり、しかも右措置までにチクロの発がん性を肯定した実験報告はオーサーの実験結果以外には存在しないのであるから右措置の根拠が右実験結果のみであることはいうまでもない。

三、厚生大臣が本件措置をなすまでチクロに発がん性のないと考えていたことは明らかであるが、現在においても被告はこの点については争わないもののごとくである。

もつとも、厚生大臣が本件措置の根拠としているオーサーの実験は、チクロの発がん性のおそれを証明する唯一のものとして被告はこれを主張するのであるが、右実験の非合理性についてすでに述べたところに次のとおり付言する。

① 右実験はラツトの二年間の期間について行なわれたものであり終生実験でないこと

② 実験は少数のしかも一種類の動物のみについて行なわれたこと

等において欠陥を含むものであり、アメリカのみならず多くの国の科学者達が右実験結果を疑問とし、公表後まもない時期から多くの批判が提出され、チクロに発がん性なしとの結論が多数発表されているのである。

厚生大臣の本件措置はこのようなオーサーの実験結果を科学的に注意深く検討することなく採用してなされたものであつて、本件措置時の事情によつて判断したものとしても、その過失責任を免れることはできない。

四、前記のごとくオーサーの実験結果に多くの欠点があるにもかかわらず、アメリカにおいてチクロの使用が禁止されたのは、いわゆるデラニークローズがあるからである。しかし、デラニークローズは、当のアメリカでもその他の各国でも非科学的、非合理的なものと指摘されているのである。

右のような条項のないわが国においてはオーサーの実験結果を正確に判断したうえ、チクロ使用禁止の当否を決定せねばならないにもかかわらず、厚生大臣はオーサーの実験の非合理性を考慮せず、また日米間の法律事情の相違を無視してアメリカの措置に追随し、結果的に発がん性のないチクロを禁止する誤つた措置をとるに至つたものである。

(損失補償請求)

一、所有の対象となる財産を製造し、また、財産権を設定することは国民の本源的な権利・自然権であり、指定されている食品添加物を含有する食品の製造もこのような自然権に発するものである。憲法二九条三項は、このような合法的な私有財産(権利は含む。)に対する公共のための収用・使用等の処分について損失を被つた権利者たる者に保障を与える規定である。

食品添加物の指定が、食品の製造・販売業者に特別の権利利益を付与する趣旨であるか否かは請求権の成否には無関係である。

二、本件の場合、指定の取消によつて禁止されるのは、チクロ入り食品の販売、製造、加工等の行為であり、一般国民がチクロ入り食品を摂取することは、何ら禁止の対象となつておらず、規制はチクロを扱う業者に対してのみなされており、これによつて損害を被つたのもこれらの者に限られているのである。

しかも、この損害は、政府の指定があつたことにより製造・販売等が可能となつた結果それを信頼して多大の資本を投下して所有するに至つた商品につき、その廃棄が強制され、または商品価値をほとんど無に帰せしめられて倒産の危険にさえも瀕したものであつて、私的所有制度にとつて本質的な制限を加えたものである。このように原告をはじめこれらの業者には全く責に帰すべき事由がなく、社会的に正当な受忍の限度を明らかに越えているものである(なお前述のような許可の取消、権利の剥奪の場合であつても、当事者の責に帰すべき事由の有無により補償の要否について区別している例は多く、漁業法三九条二項、鉱業法五三条の二、五五条、海岸法一二条等が挙げられる。)。

前記規定の「正当な補償」の意義についても、広狭の説があるが、憲法二九条一項の私有財産制の保障の趣旨からして、完全な補償をなすべきである。特に本件の如く損害を被る側に全く責に帰すべき事由の存しない場合にはその者が損失を受ける理由は存在しないのであるから、より強い理由で、完全な補償がなされるべきである。

現に、我が実定法上も前掲の漁業法三九条六項、海岸法一二条三項、結核予防法三一条二項、鉱業法五三条の二第二項はいずれも「通常生ずべき損失」と規定しており、これは右のような規定のない本件についても採用されるべきである。

原告が本訴により請求する損害は、いずれも本件のごとき場合には当然予想される損害であり、右の「通常生ずべき損失」に包含されるものである。

三、厚生大臣の本件措置によつて損害を受けるのが、チクロ取扱業者のみに限られていることは被告もそれを十分承知しているのである。

厚生大臣の指定がない限り、絶対に使用できない食品添加物について、同大臣自身の判断に基づいて指定しながら、それを信じて営業せざるはえない業者に対して指定取消のあることを考慮して営業せよと主張するのは全くの暴論である。特に被告のごとく、有害性のおそれの証明すら必要とせずに指定取消ができるという考え方に立つときは損失補償の必要性はさらに増大するのである。

第五  原告の反論に対する被告の再反論

一、チクロ禁止理由について

1  原告は、チクロ使用禁止措置当時にはシクロヘキシルアミンについては検討中の段階にすぎなかつたから、その生成はチクロ禁止理由ではないという。しかし、チクロの代謝産物としてシクロヘキシルアミンが生成することが判明し、しかも、その慢性毒性についての検討が未了であつたのである。このような状況の下で、アメリカにおけるオーサーの発がん性についての実験報告があつた以上、シクロヘキシルアミンの安全性について疑問をいだくのは当然のことである。

2  原告は、チクロ使用禁止前には、オーサーの実験結果以外の知見を理由とするる使用規制はなかつたから、オーサーの実験結果が唯一の禁止理由であると主張する。

しかし、右事実はチクロの使用継続の可否について検討する機縁とはなつてはいるが、禁止理由は食品衛生調査会の答申に従つた各知見の総合判断によるのであることは前記のとおりである。

3  原告は、被告のとつた全面禁止という禁止措置の内容からみて、禁止理由は発がん性のみであるという。

しかし、禁止理由の主要な一部として発がん性がある以上、措置の内容がこれに即応したものであるのは当然であるが、それだからといつて、他の知見が禁止理由になつていないということにはならない。

二、発がん性の存否について

1  原告は、チクロに発がん性のないことは被告も認めているかのように主張するが誤りである。

オーサーの実験以後、動物に対して明確に発がんが認められたという実験報告はないが、その故に、オーサーの実験報告が無視されてよいわけではなく、チクロについては、さらに検討すべき問題が多く残されていて、その安全性(発がん性の不存在を含めて)はいまだ確認されるに至つていない。

2  原告は、オーサーの実験は多くの欠陥を含むというが誤りである。

オーサーの実験が行なわれた研究所は世界的に知られた研究所であつて、実験結果に対して国際的に権威ある学会において批判されたことはない。原告はその後の動物実験結果によつて発がん性は否定されているというが、積極的に発がん性を肯定する実験結果のないことが、直ちに発がん性の否定に通ずるものではないし、さらに動物実験においては、動物の種類、系統、飼育条件などの条件が結果に影響することが大であるから、他の実験で同一の結果が得られないからといつて、先の実験に欠陥があることになるものではない。

チクロの代謝産物であるシクロヘキシルアミンが染色体異常を生起する以上今後の実験においてチクロの発がん性が積極的に証明される可能性も十分ありうるのである。

3  原告は、被告の採用したFAO・WHOの見解について、これは発がん性が証明されたものの規制の問題に関するものであるという。しかし、食品添加物行政の上では「発がん性のおそれ」のあるものの取扱いは「発がん性の証明」されたものと同じであるべきである。なぜならばいずれも「発がん性が否定されていない」という点では同一であり「発がん性が否定されていない」ものは食品添加物としての適性を欠くからである。

4  原告は、デラニークローズは、非科学的非合理的であるというが、根拠のない主張である。デラニークローズは、アメリカにおいて国民の安全をまもる規定として長年月にわたり利用されている。

5  チクロの使用禁止の妥当性は、被告のなした禁止措置の後において、FAO・WHOの合同食品添加物専門家委員会でチクロを食品添加物として適当なものと認めていないことで裏付けられている。

6  原告は、チクロを糖尿病患者に医療上の目的で使用することを食品添加物としての使用が認められていることと同視しようとしているが両者は次元を異にする全く別の問題である。

三、損失補償について

原告は、食品を製造することは、本源的な自然権であるというが、何人も国民の健康に有害な食品を製造する権利を有することはない。

また、原告は、被告のなした食品添加物の指定を信じて営業した者の信頼利益は保護されるべきであるという趣旨の主張をする。

しかし、食品添加物の指定が、学問的研究の進展に伴う新たな事実の発見等による事情の変化によつて、取消されるということは十分ありうるのであるから、指定された添加物を使用して食品を製造する者は、自己の責任において事情の変化による指定取消しという事態をも考慮して営業活動をなすべきものであり、指定取消しという事態が生ずる可能性がないものと考えて営業したところ、たまたま予想に反して指定取消しがなされたため、営業上の損失を受けたからといつて国に対してその補償を求めうるものではない。

第六  証拠関係<省略>

理由

(損害賠償請求について)

一請求原因一、二の事実は当事者間に争いがない。

原告は、厚生大臣がチクロについて食品添加物の指定を取消した措置ならびにこれに随伴する一連の措置(以下これらを一括して「本件措置」という。)は違法であるとし、その理由として、まず、厚生大臣が右措置をなすにあたつては、チクロが食品添加物として有害であるおそれがあるとの証明が必要であるのに、何ら証明をすることなく本件措置に及んだものであると主張する。

二食品の添加物として用いることを目的とする化学的合成品ならびにこれを含む製剤および食品(以下「化学的合成品等」という。)の販売等をなすことが許されるのは、厚生大臣が食品衛生調査会(以下「調査会」という。)の意見をきいたうえ当該化学的合成品等が人の健康を害うおそれのないことを認めたものとしてこれを指定した場合に限ることは、食品衛生法六条の規定に照らし明らかである。

ところで、右のような指定制度が法令上設けられたのは、自然化学の発達に伴い、多数の化学的合成品が発明され、その中には食品添加物としての有用性が認められて次第に社会一般に広く利用されるものが増加しつつあるのであるが、反面、利用される化学的合成品等が人体に対していかなる影響を与えるかについては未知の場合が多く、無条件に使用することは人の健康上極めて危険なことであるので、その定全性が実証されるか、または確認されて初めてその使用を認めるべきものとする公衆衛生上の要請に基づくものと解せられる。

そうだとすると、当該化学的合成品等が厚生大臣の指定をうけるためには、人の健康を害するおそれのないこと、すなわち無害(安全)であること、有害性のおそれもないことが積極的に実証または確認されることが必要であつて、そのような要件を具備しない場合に指定のなされることは法律上許されないと解されるのである。したがつて、自然科学上の知見の不備のため、特定の化学的合成品等が人の健康を害するおそれがないものと認められて、いつたんは右指定がなされたとしても、後日、右認定が誤つているものと判定された場合には、当該化学的合成品等については指定の要件が欠缺しているものとして厚生大臣により指定の取消がなされるべきことはいうまでもないことである。換言すれば、厚生大臣の指定にかかる当該化学的合成品等について右指定の取消がなされるべき要件は、当該化学的合成品等が本来指定をうけるべき要件である「人の健康を害するおそれのないこと」の積極的な確認がえられないことに尽きるのであつて、指定にかかる当該化学的合成品等について有害であること、あるいは有害のおそれのあることが確認されなければ指定を取消すことができないというものではないというべきである。

このことは既に述べたとおり、厚生大臣が特定の化学的合成品等を指定するのは、当該化学的合成品等がもつぱら人の健康上安全であるとの公衆衛生の向上および増進の見地からであつて、右措置にもとづき当該化学的合成品等の製造販売等の、社会経済活動がなされ、右活動により経済的利益が得られたとしても、法律上厚生大臣の右指定措置は右社会経済活動を保障する趣旨を何ら含むものではないのみならず、なにびとといえども、人の健康を害するおそれのないことを積極的に証明、確認しえないような化学的合成品等を製造販売することのできる権利を有しないことからみても、当然というべきである。

したがつて、厚生大臣のなした本件措置の当否は以上の観点から決せられるべきであつて、有害のおそれの証明がなければ指定取消措置がなしえないとのことを前提とする原告の前記主張は失当といわなければならない。

三そこで、進んで右の観点から本件措置の当否を検討する。

前記第一項記載の当事者間に争いのない事実ならびに<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。

1  サイクラミン酸ナトリウムは昭和三一年五月二五日、サイクラミン酸カルシウムは昭和三六年七月二〇日それぞれ食品添加物として指定された化学合成甘味料であるところ、その甘味度が砂糖の四〇〜六〇倍で、味はさつぱりとしており、苦味も残らず熱にも強いという利点が認められ、ズルチンやサツカリンに優るものとして年々その需要が増加しており、しかも、昭和四二年開催された国連FAO・WHO合同の食品添加物専門家委員会においてその安全性は一応の評価をうけていたものである。もつとも同委員会においてもチクロの生体内代謝産物に関する医学的研究とこれら代謝産物の毒性研究、チクロの長期毒性に関するより詳細な研究が要望されていたのでこれをうけてわが国を含む各国でこれらの研究が実施されていた。

2  ところが、昭和四四年一〇月一八日アメリカ政府(FDA(食品薬品管理庁))は、

① チクロをGRAS(一般安全)品目より削除すること

② チクロを含有する人工甘味料は医師の監督下に使用が認められる医薬品の部類に移すこと

③ チクロを含有する大衆向け食品、飲料および医薬品等の製造停止、所定期限までの市場よりの回収等を要請する旨の発表をなした。アメリカ政府が右のような措置をとつた理由は、右発表と同時に、アボツト社の研究所で行なわれたオーサー博士の動物実験(以下「オーサーの実験」という。)すなわち、長期にわたりラツトにチクロとサツカリンの配合物を一定量(チクロの量一日二、五〇〇mg/kg)投与したところ膀胱がんが発生したという実験結果が前記措置の基本となるものであるという厚生教育省フインチ長官の声明書および保健科学局次官補シユタインフエルト博士の声明書が公表された。

3  わが国政府(厚生省)でも直ちにアメリカから前記動物実験データを取りよせ、チクロの食品添加物としての今後の取扱いについて調査会に検討を依頼したところ、調査会は昭和四四年一〇月二九日厚生大臣に対し、チクロの食品添加物としての使用をすみやかに禁止する措置をとることが適当であるとの答申をした。

そして右答申の理由は大要次のとおりである。

(一) 厚生省において組織された厚生科学研究班の一環である東京医科歯科大学では、人工流産胎児の培養細胞および成人リンパ球を材料とする試験管内実験において、チクロが両細胞の染色体に異常をきたすことが認められ、これによつて昭和四三年秋、アメリカFDAにおいてなされた実験結果、すなわち、シクロヘキシルアミン(チクロの生体内における主たる代謝産物)をある種のラツトに投与すると、かなりの少量でも睾丸生殖細胞の染色体に異常をきたすという事実はわが国においても確認されたこと。

(二) チクロそのものの次世代に及ぼす影響については、妊娠母体のマウスにチクロを投与したところ、胎仔に対して悪影響を与えたとする岩手医大の報告があつたほかは、妊娠ラツトについてチクロにおける催奇形性試験をなした国立衛生試験所でも胎仔に対してはもちろん他の所見においても悪影響を及ぼさないことが報告され、WHO・FAO合同委員会、一九六八(昭和四三)年アメリカ学術会議でもチクロは催奇形性を含めて次世代に対し悪影響を及ぼすという証拠はないと評価されていること。

(三) チクロの生体内における代謝産物であるシクロヘキシルアミンの一般毒性についてはその急性毒性が比較的強いこと、慢性毒性についてはまだ充分研究されておらず、したがつて人における安全限界が未定であることは、成人男人の大部分(実験では五〇名中四三名)について二四時間尿中についてシクロヘキシルアミンの検出が認められる(0.2〜129mg)実態と相まつてチクロの安全性に関し大きな懸念を与えるものであること。

(四) ハムスターにサイクラミン酸カルシウム0.2グラムを数日間投与することによつて組織の石灰化による心筋障害、冠動脈硬化等を生ずるとのアメリカBIOリサーチインステイチユートの実験報告があり、チクロの毒性につき新知見が加わつたこと。

この他、サイクラミン酸ナトリウムを人間が摂取した場合日光皮膚炎を起すという内外の報告もあること。

(五) わが国がん研究所において、予備的研究ではあるが、サイクラミン酸ナトリウムでは五パーセント、塩酸シクロヘキシルアミンでは一パーセントを含有する飲料水をそれぞれ一〇匹のマウスに長期間与え、前者では一六月後者では一四月経過しているが、今までの死亡例では肉眼的に腫瘍発生を認めていないこと。

(六) ところが、今回アメリカ政府がチクロ禁止措置をとるに至つたラツトにおける膀胱がん発性に関するオーサー博士の動物実験によると、サイクラミン酸ナトリウムとサツカリンを一〇対一の割合で含む薬剤の体重一キログラムあたり五〇〇・一、〇〇〇・二、五〇〇ミリグラム(WHOの人体許容量の五〇倍)を一群雄三五、雌四五匹のラツトに長期間経口投与したところ、二年後において最高投量の群において雄では一二匹中五例に、雌では二二匹中一例に膀胱がんの発生を、また、そのほかに同群の雄に二例の乳頭腫発生が認められた。なお、対照群では一三匹中一例の乳頭腫を認めたのみであり、一、〇〇〇ミリグラム以下では、一例の腫瘍発生をも認めなかつたとの報告がある。このことからすると、検体は二、五〇〇ミリグラムにおいて膀胱腫瘍の発生頻度を高め、かつ、悪性化を著しく促進せしめたものと考えられること。

(七) 以上のとおり、チクロの毒性に関しては各種の報告があるが、今回アメリカ政府がチクロ使用禁止措置をとるに至つたラツトにおける膀胱がん発生の動物実験の結果により、ラツトにおいて発がん性の疑いが濃厚となつた。したがつて、安全性に最重点を置かなければならない食品添加物としてチクロの使用は適当ではないと考えるものであること。

厚生大臣は調査会の以上の答申に従い、同(昭和四四)年一一月五日食品衛生法施行規則および告示を改正し、本件措置をとるに至つた。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

四前項において認定した厚生大臣の本件措置に至る経緯ならびに<証拠>に照らすと、調査会が答申し、これをうけて厚生大臣が本件措置をとるに至つた理由のうち最も重視されたのは、東京医科歯科大学におけるチクロについて変異源性(染色体に異常をきたし、突然変異をおこさせる性質)を確認した実験結果ならびにアメリカのアボツト社研究所でオーサー博士の行なつたラツトにおいて膀胱がん発生の認められた実験報告であることが明らかである。

原告は、厚生大臣の本件措置は、チクロの発がん性のみを根拠にしたものと主張するが、<証拠>に照らしても、また、調査会の前記答申の内容からしても、その挙示されたチクロの各毒性につきその使用を禁止するに至らしめた各理由の重要度においては、それぞれ程度の差のあることは認めえても発がん性以外の毒性について全く使用禁止の理由とはなりえなかつたとするべき根拠は原告において主張する各理由によつてもこれを肯認しがたい。

さらに、原告は、右のいわゆるオーサーの実験は、終生実験ではないこと、一種類の動物についてのみ行なわれたことなどの欠陥があるのみならず、右実験の結果によるもチクロに発がん性があるなどとは到底いえない不合理なものであると主張する。

<証拠>の記載により認められる「食品添加物の指定および使用基準の設定、改正について食品衛生調査会において調査審議を行なう際の基準」所定の「慢性毒性試験」の方法によれば、なるほど、動物実験はラツトおよびマウスを用い、平均寿命に近い期間行なうことが望ましいことは明らかであるが、右はあくまで方法上の原則を定めただけのことであつて、右原則的方法に至らない実験が学問上無意識、無価値とすべき根拠はなんら存在しないから、実験の方法のみによつて、オーサーの実験結果の価個を否定する原告の主張は失当というべきである。

次に、原告がオーサーの実験によつてもチクロに発がん性を有するとの証明がなされたとはいえないとする主たる根拠は、右動物実験では、ラツトに毎日チクロを二、五〇〇mg/kg二年間経口投与したというが、これを仮に体重五〇キロの人間に適用するとすると、毎日一二五グラムのチクロを二年間摂取し続けることとなり、これは、昭和四一年におけるわが国のチクロ年間消費量(一人当り約一八〇mg、3.6mg/kg)からするとまさに約七〇〇倍に相当し、いわゆる食品添加物の安全性に関する一〇〇倍原則からみても甚だしく不合理であるというものである。

前掲<証拠>の記載によれば、たしかに、アメリカ政府教育省フインチ長官および保健科学局次官補シユタインフエルト博士の各声明書にもあるとおり、オーサーの実験による結果が、チクロの使用により人間にも発がん性を有するとの証明をしたものといえないことは否定できないところである。

しかしながら、他方右シユタインフエルト博士の声明書にもあるとおり、法律上、科学上いずれの観点からにもせよ、オーサー実験によるラツトに関するデータを人間に適用しうる可能性の有無の検討をなおざりにすることの許されないこともいうまでもないところである。

そして、<証拠>によると、オーサーの実験のみによつてはチクロについて人体における発がん性の有することを断定することはできないが、少なくとも発がん性を疑うに足りる物質であるということができるし、かつ、また一般的にいつて染色体に異常をおこさせるいわゆる変異源性物質は発がん性を有するとの科学的知見からしても、既に認定したように、東京医科歯科大学における人工流産胎児の培養細胞および成人リンパ球を材料とする試験管内実験において、チクロが両細胞の染色体に異常をきたすことが確認されている以上チクロの右のような変異源性が発がん性の疑いをますます強くさせる要因になつているものと解することはなんら異とするに足りないのである(なお、オーサーの実験においては動物に投与されたものはチクロとサツカリンの配合物であるが、右実験結果を招来させるにつき役割を果したものが、もつぱらチクロであつて、サツカリでないことは、<証拠>により認められるように、サツカリンについては発がん性が確定的に否定されていることが学界の定説とされていることから肯認されうるものである。)。

さらに<証拠>により認められるように、発がん性ないし変異源性の疑いのある物質については、閾値の設定が困難であるとするのが医学界の多数意見であることからみれば、原告が強調するごとく、オーサーの実験においてラツトの膀胱腫瘍がチクロの安全基準量の七〇〇倍を投与したことにより初めて発生したとの点も学問上は特に右実験結果の価値を消極に評価すべき理由とはなりえないのであつて、右のような基本的立場は<証拠>の記載により認められるとおり、一九五八(昭和三三)年ローマにおける国連FAO・WHO食品添加物専門家委員会第二回報告「食品添加物の安全性確立のための試験方法」並びにアメリカ政府が採用しているいわゆるデラニークローズ等に示されている安全基準、すなわち、発がん性の証明されたものはいかなる量においても添加物として使用すべきではないとする考え方にも明らかに看取できるものである(もつとも、右にいう「発がん性の証明」が如何なる内容をいうのかについてはまさに医学上の問題であり、原告の主張するように、これを発がん性が疑問の余地なく医学的に証明されたものと解するのもひとつの立場かもしれないが、<証拠>により認められるように、右「発がん性の証明」を前示オーサーの実験においてラツトの膀胱腫瘍の発生が認められた場合をもこれに当るものとした調査会の立場も学問上は有意義であり、これを非難するのは相当でないというべきである。)。

原告は、さらに、本件措置後、チクロの発がん性につきこれを否定する学者の見解が発表されたことからみても厚生大臣の本件措置は相当ではない旨主張する。

なるほど<証拠>によると、昭和四八年一一月七日ハノーバーで開かれた人工甘味料に関する国際シンポジウムにおいて、オランダの国立国民健康協会のフエアミユーレン博士がチクロやサツカリンの過量をマウス六世代に与えたが、何らがんを示すようなものは確認されなかつたこと、アメリカ健康財団のワイスバーガー博士はマウスについて、大阪大学の官地徹博士、西ドイツがん研究センターのシユメール博士はラツトについてそれぞれ実験をなしたが同様の結論を得たとの発表がなされたこと、昭和五〇年四月九日兵庫県私学会館で行なわれた日本薬理学会総会において、国立衛生試験所の池田良雄ら六名がチクロ、サツカリン、チクロプラスサツカリン等を各飼料に混入し、ラツトについて二八か月間にわたり投与実験したところが、肉眼的および組織学的に腫瘍発生を示したものは一例もなかつたとの発表がなされたこと、昭和五一年一月一三日ワシントンにおいて発表された全米がん研究所の専門家委員会のチクロの毒性調査に関する最終報告書によると、チクロに発がん性があると証明することはできない、少なくとも強力な発がん物質ではないとの報告がなされたこと等の事実を認めることができる。

しかしながら、すでに述べたとおり、アメリカ政府がアボツト社研究所のオーサーの動物実験結果を基礎にチクロの使用禁止措置をとつた際にもフインチ長官らが声明を発表しているように、オーサーの実験結果はチクロについて発がん性の存在を疑わしめるに足りる証拠を提供したに止まるものであつて、チクロ使用による人間の発がん性を立証したものでないことは明らかであるところ、前記の内外における学者、研究者による発表は、アメリカ政府およびわが国調査会が発表したチクロを人間が使用した場合における発がん性のおそれの存在を真向から否定し、右のような疑念をもつことの不当であることを充分に証明したものとはいまだ到底いえないのである。

すなわち、前掲<証拠>によれば、西ドイツのシユメール博士は人間がチクロを使用するについて充分な安全性を考慮するためにはなお人間について疫学の研究が必要であること、チクロについては人体内の代謝産物についてなお充分知られていないと述べているし、また、同博士の動物(ラツト)実験においても、四〇ないし四〇〇倍の多量のチクロを使用した結果ではあるが、膀胱がんの発生を認めたラツト一例が確認されていること、日本薬理学会総会で発表された国立衛生試験所の研究においても、チクロおよびチクロプラスサツカリンをそれぞれ投与された各ラツト群には生殖器に強度の萎縮が認められたことが報じられておるのであるから、これらの研究結果をも附加し検討すれば、チクロの動物実験によつてチクロの発がん性が全く証明されなかつたということは、ただちに、チクロについて発がん性の存在を疑うことの不当性をも立証したものとはいえないと解せざるをえないのである。

却つて、<証拠>によれば、財団法人癌研究所嘱託主任研究員である蕨岡小太郎は、昭和四四年、四五年にわたり「医薬品食品添加物及びカビ毒の発がん性に関する研究」の一環として、サイクラミン酸ナトリウムおよび塩酸シクロヘキシルアミンの発がん性に関する研究に従事したところ、昭和四六年二月一一日、サイクラミン酸ナトリウム五%(WHO暫定摂取許容量の一〇〇倍)、塩酸シクロヘキシルアミン一%の各水熔液をマウス雄各一〇例に飲用させ、それぞれ二年三か月、一年一〇か月までの間に全例死亡したので検討したところ、膀胱腫瘍の発生は認められなかつたが、各群について膀胱上皮に軽度の過形性、非角化性扁平上皮化生が確認されたこと、そして、右にいう非角化性は医学上前がん性の一種とも評価しうるものであることが認められるのである。

また、<証拠>の記載によると、アメリカ政府食品薬品庁長官シユミツト博士は一九七六(昭和五一)年五月一一日「サイクラミン酸塩に関する声明」として、大要、①これまでの動物実験によつても、チクロについて発がん性を証明する充分な根拠をえられなかつたが、実験結果はチクロが潜在的に発がん性があるかもしれないことを示唆し、実験の継続を正当化していること。②チクロの遺伝学的研究によれば、人間がチクロを経口摂取することにより、チクロないしその代謝産物は、人間の染色体に損傷は与えうるということを示していること ③チクロの大量投与による動物実験によれば、被験動物に睾丸萎縮や血圧上昇をひきおこすことが認められること ④FDA(食品薬品管理庁)は人間に対するチクロの一日摂取許容量(ADI)を算定することができるが、右安全許容量は清涼飲料水のような工業化された食品に一般的使用を許可するには不十分であり、現時点においては、毎日誰が使用しても安全であると保証できるような基準量で使用を許可することはできないと述べていることが認められるのである。

五以上説示したところによれば、厚生大臣はチクロについてなんらかの方法による規制をするが相当というべきであるから、厚生大臣のなした本件措置は、規制したこと自体に関しては正当であつて、違法ではないというべきである。

六原告は、規制がされるべきものとしても、厚生大臣のなした本件措置は、一挙に全面禁止をした点において規制の方法が不当であると主張する。

しかしながら、化学的合成品等についての指定並びに指定取消の前示した趣旨、目的からすれば、厚生大臣としては、当該化学的合成品が指定の要件を欠くと認めるに至つた場合においては、むしろ即時かつ全面的に使用禁止の措置をとるのを原則とすべきものである。もとより厚生大臣は、人体に対する影響力の度合、使用状態等、危険性の程度を勘案して適宜、合目的的に緩和の措置をとることも許されるものというべきであるが、緩和的措置はあくまでも危険性の見地から許容される範囲内においてなされるべき例外的なものであるべきであり、右以外の見地、例えば当該化学的合成品を使用している業者の利益保護等はいわば一切他事ともいうべきものであつて、これを直接考慮の対象となすべきものでないことはいうまでもない。そうとすれば、当該化学的合成品が指定の要件を欠くと認められる以上は、たとえ緩和的措置をとらなかつたとしても、国民は一般に緩和的措置をとるべきであるとして保護を求める権利、利益を有さず、したがつてその権利、利益は違法に侵害されたとする余地はないものというべきである。

原告は、厚生大臣が猶予期間の延長措置をとつていることから、本件措置を不当とするのであるけれども、<証拠>によれば、厚生大臣は乳幼児の摂取機会が少なく、成人でも多量摂取または常用のおそれがない等国民の健康に支障のない範囲内で、かつ、チクロを含有する旨の標示がなされ、消費者の購買上の選択を容易にする等の条件を附加したうえ本件措置をなすにつき必要最少限度の猶予期間延長措置を構じたものであることが認められるのであつて、猶予期間延長の措置をとつたことは前示説示に適合こそすれ、これを動かすに足りるものではない。

本件措置の方法の違法をいう原告の主張は、帰するところ国民一般の享有すべき保健衛生上の安全を犠牲にして業者の経済的利益を保護すべきであるというに等しく支持することができない。

七以上の理由により、厚生大臣のなした本件措置が違法であることを前提とする本件損害賠償請求は、その余の争点につき審究するまでもなく失当としてこれを棄却すべきである。

(損失補償請求について)

一請求原因一項(主位的請求原因一、二項と同じ。)の事実は当事者に争いがない。

二原告は、厚生大臣の本件措置がたとえ違法でないとしても、右措置は、原告を含む罐詰業者にのみ社会的に正当な受忍限度を越えた特別の犠牲を強いることにより行政目的を達成しようとするものであるから、憲法二九条三項により原告の被つた損害は補償されるべきであると主張する。

よつて判断するに、すでに説示したとおり、厚生大臣が食品衛生法六条に基づいて化学的合成品等についてなす指定は、当該化学的合成品等の販売等をなすべき権利を保障したものではなく、公衆衛生上の見地からその販売等の禁止を解除したにすぎないものであり、そして、右指定は、食品衛生調査会の意見により表明されるところの自然科学上の専門知識を基礎としてなされることが前提とされているのであるから、自然化学の発達により従来の知見が訂正されることによつて、これにともない厚生大臣の指定が取消されることのあるのはいうをまたないところである。したがつて、右指定の取消によつて商人の保有する化学的合成品等が値下りし、あるいは販売不能となつたとしても、それは、右商品自体に内在する社会的制約(すなわち厚生大臣の指定のない化学的合成品等は社会生活上有害であること)から招来される事態であつて、商品を取扱う特定の業者がその保有する商品を社会公共の利益のために低廉もしくは無償で提供するといつた特別の犠牲に供された場合とは異なるものと解すべきである。

原告は、食品添加物として指定をうけた食品の製造販売は国民の本源的な権利・自然権であり、憲法の保障する財産権であるというが、だからといつて、なにびとといえども右指定の取消された食品、すなわち公衆衛生上有害あるいは有害のおそれのあるものを製造販売すべき権利を有するものとはいえない。たしかに食品添加物についての指定の取消は不確定性を有することは否定できないが、このことは対象物件の性質上やむをえないことであつて、食品添加物を取扱う業者である原告にとつては右不可予測性も企業活動一般に伴う危険の一つにすぎないものとして、業務を遂行する以上初めから覚悟し、受忍すべきものというべきである。してみれば、厚生大臣のなした指定取消により原告が損失を被つたとしても、国がこれに対し損失補償義務を負担すべき理由のないことは明らかである。

もつとも、本来国に損失補償義務を負担すべきいわれがないにもかかわらず特別の政策的考慮に基づき損失補償を認めた立法例、例えば伝染病予防法一九条ノ二、結核予防法三一条二項、家畜伝染病予防法五八条等があるが、本件のような場合につき明文の根拠がない以上(憲法二九条三項は私人に課せられる特別の犠牲に基づく損失についての補償を定めたものであるから、右にいう明文の根拠になりえないこともちろんである。)、国に損失補償義務を肯認することはできないものというべきである。

よつて、原告の国に対する損失補償請求はその余の争点につき審究するまでもなく失当として棄却すべきである。

(結論)

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し主文のとおり判決する。

(内藤正久 山下薫 三輪和雄)

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