大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和46年(ワ)8732号 判決 1974年1月22日

原告 小林洋之

右訴訟代理人弁護士 竹原茂雄

被告 小林克

右訴訟代理人弁護士 天利新次郎

主文

被告は原告に対し、別紙目録記載の土地及び建物につき、被告持分(二分の一)の全部移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和四六年四月九日訴外渡部建設株式会社(以下「訴外会社」という。)から別紙目録記載の本件土地建物を代金一三八〇万円で買受け、その所有権を取得したうえ、同月二〇日、妻である被告との間で、本件土地建物の二分の一の共有持分権につき「乙(被告)ハ如何ナル事情ト云ヘドモ無断デ甲(原告)ノ家ヲ出ル場合又ハ離婚スル等ノ場合ハ一切ノ権利ヲ放棄シ登記上ヨリ乙名義ヲ抹消スル。」との文言を含む誓約書(以下「本件契約書」という)を作成し、被告の家出又は離婚を解除条件とする贈与契約を結んだ。そして、登記簿上は、いずれも取得者を原告及び被告、持分各二分の一として、(イ)土地については、訴外会社の前主である加賀マサ、加賀久太郎、加賀一弘の共有名義となっていたので、中間を省略して、同月二二日東京法務局中野出張所受付第一〇三四五号をもって右三名の持分全部移転登記を、(ロ)建物については、未登記であったので、同年五月六日同出張所受付第一一三九九号をもって所有権保存登記を経由した。

2  ところが、被告は同年七月末日ごろなんらの理由もなく家出をし、原告にその所在を明らかにすることすらしなかったから、本件贈与契約は解除条件の成就により効力を失った。

3  よって原告は被告に対し、本件土地建物につき被告の共有名義とされている持分二分の一について、真正な登記名義の回復を原因とする被告の持分全部の移転登記手続を求めるため、本訴に及んだ。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1の事実は、誓約書作成の日時と贈与契約が解除条件付であるとの点を除き、その余の事実を認める。右誓約書は、本件各登記がなされたのちに、被告の意思に基づかずに作成されたものであり、贈与契約が解除条件付であったことは否認する。すなわち、原告は被告と結婚式を挙げるに先だち、被告に対し相当の定期預金を提供するとか、不動産を買い与えるといっていたのであるが、被告は、原告方に入居後、予期に反して困難な家庭事情を知り、入籍を渋っていたところ、原告が本件土地建物を買い与えるというので、被告は入籍をした。原告が本件土地建物を買い受けて、その二分の一の共有持分権を被告に贈与したのは、この言を実行するためである。ところが、原告は、後になって惜しくなり、これを取り戻そうとして、昭和四六年五月末ごろから、あるいは怒声をもって登記を原告に書き替えよと叫び、あるいは多額の債務の担保とすることを迫り、あるいは原告主張のような誓約書に調印することを強要した。被告は、このような誓約書の調印を拒絶していたが、原告は、被告の意思を抑圧して強引に本件誓約書に押印させたものである。被告としては、本件誓約書のうち極めて一方的な原告主張の文言に同意する考えは全くなかったのであり、右押印は、被告の意思抑圧により、原告が単独に作成したものとみるべく、したがって右誓約書の記載は、被告の意思表示としての効力を生ずるに由なきものである。

三  抗弁

1  仮に本件贈与契約に原告主張の解除条件が付せられていたとしても、右条件は公序良俗に反し無効である。

2  仮に右解除条件が有効に成立しているとすれば、被告は民法第七五四条の規定に基づき、本訴においてこれを取消す。すなわち、本件誓約書が作成された当時には、原告と被告とは正常な夫婦関係にあったのであるし、現在では被告の提起した離婚訴訟が当庁に係属中である(昭和四七年(タ)第一六八号事件)けれども、原告はこれに対して請求棄却の判決を求めており、双方が離婚を了解しているわけではないのであるから、被告は同法条に基づく契約の取消権を今なお行使することができる状態にあり、本件誓約書中、右解除条件を定めた原告主張の文言の部分の契約を取消すものである。

四  抗弁に対する認否

被告の主張をすべて争う。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  原告が昭和四六年四月九日訴外会社(渡部建設株式会社)から本件土地建物を代金一三八〇万円で買受け、同月二〇日妻である被告に対し、その二分の一の共有持分権を贈与したこと(但し、原告主張の解除条件付かどうかの点を除く)、及び本件土地建物につき、取得者を原告と被告との両名、持分各二分の一とする原告主張のとおりの各登記がなされたことは当事者間に争いがない。

そこで、右贈与契約に果して原告主張の解除条件が付せられていたかどうかについて判断するに、作成の時期及び被告の押印が被告の意思に基づく行為といえるかどうかの点をしばらくさておき、原告主張の文言を含む本件誓約書に被告が押印した事実自体は当事者間に争いのないところであり、上記争いなき各事実並びに≪証拠省略≫を総合すると、本件誓約書が作成されるに至った経過は、次のとおりであったことが認められる。

原告(明治三四年八月六日生)は、昭和四一年二月一二日妻ふと死別し、昭和四五年七月ごろ訴外野田太郎の紹介で、被告(大正六年四月四日生)との間に再婚の話がもち上った。被告は、原告がすでに六九才に間近く、自分もまた五三才を過ぎていたので、老後の生活の不安もあってか、原告の資産に極めて強い関心を示し、これに対して原告は、前記野田を通じて被告に対し、建坪六〇坪の自宅のほかに現金約二〇〇〇万円と貸金一五〇〇万円があるなど、自己の資産状況を事実よりも誇大に伝えていた。その後、同年九月ごろに結婚の話がまとまり、同年一〇月ごろに結婚式を挙げ、同年一二月一八日婚姻の届出をした。夫婦の仲は円満であったが、同居していた原告とふとの長男の妻と、被告との折合いは必ずしもよくなく、そのことも一因となって、原告は、被告の強い希望を容れて、原告と被告との老後にそなえるために、本件土地建物(アパート)を買取ることにした。原告は、売主である訴外会社に対し、売買契約締結の日である昭和四六年四月九日までに契約金の名目で一〇〇万円を支払ったが、残代金一二八〇万円を支払って、登記を受けるに先立ち、その登記名義についても被告の希望を考慮して、被告に持分二分の一を贈与して、原告と被告との共有名義とすることにし、ただ、それとともに、将来原告が先に死亡したときには被告の、被告が先に死亡したときには原告の各単独所有とすること、互に夫婦として協力して、助け合い、被告は原告の妻としてその老後の面倒をみることが前提であり、被告が家を出たり、離婚をするときは持分の贈与は効力を失い、原告の単独所有名義に戻すこと、本件土地建物を担保として、原告と被告とが連帯の責任で銀行から借入れをすること、本件建物の賃貸収入は原告と被告との生活費にあて、残金で借入金をできるだけ早く返済していくことなどにつき被告の了承を求めた。被告としては、無条件の贈与を望んでおり、これらの事項は好むところではなかったが、これを了承しなければ、原告が残金一二八〇万円を出捐して本件土地建物を完全に取得したうえ、持分二分の一を被告に贈与してくれること自体が覚束なくなると考え、これらを了承して持分二分の一の贈与を受けることとした。そこで、原告は、前記当事者間に争いのない文言のほか、本件土地建物を原告と被告との共有名義とすることや、被告が持分二分の一の贈与を受けるにつき了承した前記の各事項を記載した本件誓約書を準備し、同月二〇日これに被告の押印を求め、被告は、記載内容を確認、了承のうえ、これに任意、自署押印して、原告との間にその記載の趣旨どおりの契約を結び、原告から本件土地建物の持分二分の一の贈与を受けた(この贈与の事実自体は争いがない。)。原告は、その翌々日の同月二二日訴外会社に残代金一二八〇万円を支払い、右贈与の履行の意味を含めて、長坂司法書士に本件各登記手続を依頼した。

以上の事実が認められる。≪証拠判断省略≫そして、右認定の事実によると、本件贈与契約には、原告と被告との間の自由な意思の合致により、原告主張のとおり、被告の家出又は離婚を解除条件とする旨の合意が付せられていたものと認めることができ、本件誓約書を後日原告による意思抑圧のもとに作成したとする被告の主張は採用できない。

二  次に、≪証拠省略≫によると、原告と被告との夫婦仲は、その後も格別の変化はなかったが、被告は、同年八月四日ごろ、原告から、贈与の際の約束どおり、本件土地建物を担保として大洋銀行荻窪支店より八〇〇万円を借受ける話を持ち出され、自分がその債務者となったり、本件土地建物を失う結果となることもありうるのを馬鹿馬鹿しいと考えて、同日ごろ原告が不在の間に、大学生風の男数名に原告の家から自分の荷物を全部運び出させ、かつ本件土地の権利証を持ち出して、原告に無断で家を出たこと、及び原告はその後八方手を尽して被告を呼び戻そうとしたが、被告は本件土地の権利証を奪い返されては困ると考えて、これに応ぜず、その所在すら原告に明かさなかったことが認められ、右認定のように、被告が自分の荷物を運び出して原告の家を無断で出、原告の呼び戻しにも応じなかったことは、本件贈与契約に付せられた解除条件にいう家出にあたるものというべきである。

三  ところで被告は、右解除条件は公序良俗に反し無効であると主張する。しかしながら、贈与は無償契約なのであり、本件の贈与が、妻としての将来の内助、協力に報いる性格を含むものであることは容易に推測されるところではあるけれども、被告は本件贈与を受けるためにはやむをえない譲歩と考えて、家出及び離婚を解除条件とすることに自ら同意し、その結果として無償行為たる本件贈与が行われたものであることは前認定のとおりであり、また前認定の事実からすると、家出及び離婚を解除条件としたのは、円満な婚姻生活の維持継続をはかる目的に出たものと認めるに難くなく、さらにまた、家出又は離婚の場合に本件土地建物の贈与契約のみを無効とするにとどまり、将来夫婦関係が完全に破綻し、離婚の事態に至った場合に行われる財産分与までをも排除するわけのものではないことを併せ考えると、被告の家出又は離婚を本件贈与契約の解除条件としたことをもって、直ちに公序良俗に違反するものと断じ去ることはできないものというべきである。もっとも、本件誓約書の文言によると、解除条件とされる被告の家出又は離婚は、如何なる事情による場合をも含むものとされており、この点に問題がないわけではないが、このことゆえに、本件の解除条件を全体として無効とすべきではない。そして、本件の場合には、原告において、ことさら夫婦関係を破壊し、被告をして家出を余儀なくさせたと認めうる証拠は、原告本人尋問の結果に照らして措信しがたい被告本人の供述を措いて他になく、前認定のような家出の事情に鑑みると、被告の家出による本件贈与契約の解除条件の成就を有効と解しても、公序良俗に反するものではなく、また原告の返還請求(具体的には持分移転登記請求)をもって権利の濫用とすることもできないものと解するのが相当である。したがって、被告の公序良俗違反の抗弁は理由がない。

四  被告はさらに夫婦間の契約取消権に基づく解除条件の約定の取消を主張するが、前認定の事実によれば、本件誓約書は本件贈与契約の成立、履行後に別個に作成されたものではなく、贈与契約の締結に際して作成されたものであり、本件解除条件は本件贈与と契約として不可分の一体をなすものであって、全体としての贈与契約を取消すのであれば格別(もっとも本件においてその取消が許されるかどうかの点は措く)、その解除条件のみを取消すことは許されないものというべきであるから、被告の右夫婦間の契約取消権による取消の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

五  すると、被告の抗弁はいずれも理由がなく、原告の請求は理由があるから、正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 平田浩)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例