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東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)270号 判決 1989年10月27日

東京都府中市清水ガ丘三丁目二六番地

原告

日本住宅株式会社

右代表者代表取締役

塚本三千一

右訴訟代理人弁護士

長野源信

東京都府中市分梅町一の三一

被告

武蔵府中税務署長

中川精二

右指定代理人

萩原秀紀

山諸剛二

塚本博之

渋谷三男

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  立川税務署長が昭和四〇年三月三一日付けで原告の昭和三六年一一月二日から同三七年一月三一日までの事業年度の法人税についてした再更正のうち法人税額一四〇、二五〇円を超える部分及び重加算税の賦課決定を取り消す。

2  立川税務署長が昭和四〇年三月三一日付けで原告の昭和三七年二月一日から同三八年一月三一日までの事業年度の法人税についてした再更正のうち法人税額四、三八九、四七〇円を超える部分、過少申告加算税の賦課決定のうち税額五五、六五〇円を超える部分及び重加算税の賦課決定のうち税額八二九、五〇〇円を超える部分を取り消す。

3  立川税務署長が昭和四〇年三月三一日付けで原告の昭和三八年二月一日から同三九年一月三一日までの事業年度の法人税についてした更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定(但し、更正及び過少申告加算税の賦課決定についてはいずれも審査裁決で取り消された後のもの。以下同じ)を取り消す。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原告

1  原告の昭和三六年一一月二日から同三七年一月三一日までの事業年度(以下「第一事業年度」という。)の法人税について原告がした確定申告、これに対して立川税務署長がした更正、再更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定、右再更正及び重加算税の賦課決定について原告がした審査請求、これに対して東京国税局長がした裁決の経緯は別表1記載のとおりであり、同じく昭和三七年二月一日から同三八年一月三一日までの事業年度(以下「第二事業年度」という。)の法人税について原告がした確定申告、修正申告、これに対して立川税務署長がした更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定、右更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定について原告がした審査請求、これに対して東京国税局長がした裁決、立川税務署長がした再更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定、右再更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定について原告がした審査請求、これに対して東京国税局長がした裁決の経緯は別表2記載のとおりであり、同じく昭和三八年二月一日から同三九年一月三一日までの事業年度(以下「第三事業年度」といい、第一事業年度ないし第三事業年度を合わせて「本件各事業年度」という。)の法人税について原告がした確定申告、これに対して立川税務署長がした更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定、右更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定に対して原告がした審査請求、これに対して東京国税局長がした裁決の経緯は別表3記載のとおりである。

2  しかしながら、本件各事業年度の更正(第一事業年度及び第二事業年度については再更正、第三事業年度については審査裁決で取り消された後のもの。以下「本件各更正」という。)には原告の所得金額を過大に認定した違法があり、これを前提としてされた第一事業年度の重加算税の賦課決定、第二事業年度及び第三事業年度の過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定(第三事業年度の重加算税の賦課決定については、審査裁決で取り消された後のもの。以下「本件各決定」という。)も違法である。

3  立川税務署長の権限は、昭和四〇年五月一八日大蔵省令第三五号「大蔵省組織規程の一部を改正する省令」の施行に伴い、同年七月一日被告に承継された。

よって、原告は、第一事業年度の再更正のうち法人税額一四〇、二五〇円を超える部分及び重加算税の賦課決定、第二事業年度の再更正のうち法人税額四、三八九、四七〇円を超える部分、過少申告加算税の賦課決定のうち税額五五、六五〇円を超える部分及び重加算税の賦課決定のうち税額八二九、五〇〇円を超える部分、第三事業年度の更正並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1及び3は認めるが、同2は争う。

三  被告の主張

1  本件各事業年度の所得金額は、以下のとおりであって、本件各更正は右金額の範囲内でされたものであるから適法である。

(一) 第一事業年度

(1) 原告の第一事業年度の所得金額は、次のとおり三、九二五、〇一三円である。

<1> 当初更正に係る所得金額 四二五、〇一三円

<2> 架空仕入高否認 一〇、〇〇〇、〇〇〇円

<3> 棚卸資産認定損 六、五〇〇、〇〇〇円

<4> 所得金額(<1>+<2>-<3>) 三、九二五、〇一三円

(2) 右の根拠は、次のとおりである。

<1> 架空仕入高否認

第一事業年度に原告の公表当座預金から大久保七之助外二〇名に対して土地仕入代金支払の名目で支出された一〇、〇〇〇、〇〇〇円は、実際には訴外塚本三千一(以下「訴外塚本」という。)に交付され、同人はこれを田園都市開発株式会社外一社に対する増資払込金、設立資本金払込金として充当している。したがって、右土地仕入れは架空であるので、右金額の損金算入を否認する。

<2> 棚卸資産認定損

原告の第一事業年度末の棚卸資産の明細は、原告の備付帳簿が完全ではなく、しかも右帳簿によると物件ごとに原価計算も行われておらず、かつ、原告が調査に終始非協力であったため明らかではないが、原告は、同期の期首棚卸高と期中の仕入れに計上した金額との合計額四〇、六一〇、六八〇円のうち一四、一七五、三七八円を同期の売上原価として計上しており、これは前記合計額の一〇〇分の三五に相当する。したがって、右の仕入額に含まれている前記<1>の架空仕入高一〇、〇〇〇、〇〇〇円についても、その一〇〇分の三五に相当する三、五〇〇、〇〇〇円が売上原価に、その余の六、五〇〇、〇〇〇円が棚卸資産にそれぞれ計上されていると見るべきである。そうすると、期末には棚卸として六、五〇〇、〇〇〇円が過大に計上されていることとなるので、所得金額の計算上、右金額を控除すべきこととなる。

(二) 第二事業年度

(1) 原告の第二事業年度の所得金額は、次のとおり三〇、二九三、二一三円である。

<1> 当初更正にかかる所得金額 一一、八一四、四八六円

<2> 架空造成費否認 一二、八〇〇、〇〇〇円

<3> 貸付金利息計上もれ 五二九、四七七円

<4> 棚卸資産認定損戻入れ 六、五〇〇、〇〇〇円

<5> 棚卸資産認定損 八九六、〇〇〇円

<6> 事業税認定損 四五四、七五〇円

<7> 所得金額(<1>+<2>+<3>+<4>-<5>-<6>) 三〇、二九三、二一三円

(2) 右の根拠は、次のとおりである。

<1> 架空造成費否認

原告が造成費として計上したもののうち、昭和三七年一〇月一五日付けの二〇〇、〇〇〇円及び七、二〇〇、〇〇〇円並びに同年一一月三〇日付けの五、四〇〇、〇〇〇円は架空の造成費であるから、右金額の損金算入を否認する。

<2> 貸付金利息計上もれ

原告は、別表4記載のとおり簿外貸付金を有していた。

ところで、融資を目的とする貸付金の利率は、市中の信用金庫が中小企業を対象とする場合には、おおむね日歩二銭五厘ないし二銭七厘が一般的であり、原告の多摩中央信用金庫府中支店からの借入金の利率も日歩二銭五厘ないし二銭七厘であるが、この利率は定期預金等確実な担保の提供が前提条件であって、これら担保に提供した資産の流動性もしくは移転性が凍結されることに伴う犠牲を考慮すれば、担保を徴しない貸付けにあっては年一〇パーセントを下らないことは当時の金融事情の下においては慣行となっていたものであり、このような背景のもとに、貸付金利息を認定する場合の取扱としては長年の間にわたって、国税庁長官通達(昭和三四年八月二四日直法一-一五〇)第二九の八及び第三六により、通常収受すべき利率を特別の事情のない限りおおむね年一〇パーセントとすることとしているのであって、本件においても右貸付金に関して通常収受すべき利息の割合は年率一〇パーセントとすべきである。

右元金及び利率により、原告が当期中に通常収受すべき利息の額を計算すると、別表5記載のとおり五二九、四七七円となるので、右金額を益金に算入すべきである。

<3> 棚卸資産認定損戻入れ

原告は、第一事業年度に一〇、〇〇〇、〇〇〇円の架空仕入れを計上し、そのうちの六、五〇〇、〇〇〇円を棚卸資産として過大に計上したものの、第二事業年度の期末にはこれを棚卸資産には計上せず、売上原価に算入したのであるが、右六、五〇〇、〇〇〇円はそもそも架空計上されていたものを振り替えたにすぎず、売上原価としても架空のものであるから、損金には算入されないものである。

<4> 棚卸資産認定損

原告の修正申告書に添付された損益計算書に計上された期中仕入高等の合計額一六八、八六九、〇四六円の中には前記<1>の一二、八〇〇、〇〇〇円が含まれているため、同損益計算書の期末棚卸高一二、一七八、九五二円の中にも右架空造成費の一部が含まれていると考えられるので、一二、八〇〇、〇〇〇円に一二、一七八、九五二円と一六八、八六九、〇四六円の比率である七パーセントを乗じた八九六、〇〇〇円を損金として認容する。

<5> 事業税認定損

第一事業年度の再更正に伴って増加する事業税の額で、第二事業年度の損金に算入されるものであるが、その計算根拠は次のとおりである。

ⅰ 課税標準額 三、九二五、〇〇〇円

右金額は、原告の第一事業年度の所得金額(但し、一、〇〇〇円未満切捨て)である。

ⅱ 右課税標準額に対する事業税の額 四五四、七五〇円

右金額は、地方税法(昭和三七年法律第五一号による改正前のもの)七二条の二二の規定に基づき算出したものであり、その計算明細は次のとおりである。

<省略>

ⅲ 申告所得金額に対する事業税の額 〇円

ⅳ 当初更正に係る事業税認定損の額 〇円

ⅴ 差引事業税認定損の額(ⅱ-ⅲ-ⅳ) 四五四、七五〇円

(三) 第三事業年度

(1) 原告の第三事業年度の所得金額は、別表6記載のとおり五六、七七〇、八二五円(予備的に六二、四六五、八九一円)である。

(2) 右の根拠は、次のとおりである。

<1> 売上計上もれ

(主位的主張)

次のⅰ、ⅱの合計三四、三九七、三〇四円が売上計上もれの金額である。

ⅰ 原告が売上金額の一部を収益に計上しなかったものは、四、八六四、一五三円で、その内訳及び根拠等は別表7記載のとおりであり、原告が売上金額の全部を収益に計上しなかったものは二八、六三一、四三〇円で、その内訳及び根拠等は別表8記載のとおりである。

ⅱ また、原告は、昭和三八年二月ころ、桜ケ丘分譲地「ちの<10>」区画を清水一彦に対して八七一、七二一円で販売し、同年三月二九日ころまでにその全額及び水道幹線工事負担金三〇、〇〇〇円の合計九〇一、七二一円を現金で収受したにもかかわらず、その全額を土地売上高にも水道工事請負収入にも計上していなかった。

(予備的主張)

ⅰ 原告の簿外預金である多摩中央信用金庫府中支店扱いの星島元吉、前島信太郎、高石茂、佐藤一郎、冨田和夫、荒尾若葉、梅村秀照、石垣俊夫、田代徳夫及び上島康夫名義の仮名普通預金口座(以下「本件仮名預金口座」という。)に預け入れられた金額のうち、別表9のB欄記載の四六、九八〇、四七〇円は原告がその売上を除外して預け入れたものであるが、右金額から原告が本件仮名預金口座から引き出して公表帳簿へ戻し入れた同別表のC欄記載の六、八一六、〇一〇円を控除し、その残額である同別表D欄記載の四〇、一六四、四六〇円を売上計上もれと認定した。

ⅱ 本件仮名預金口座を原告の簿外預金と認定した理由は、右預金口座に原告が売却した土地の売却代金として受領した小切手、原告の公表当座預金から造成費、仕入代金、手数料等の支払の名目で引き出された金員が多数預け入れられ、さらに本件仮名預金口座からの引出金は原告の公表帳簿に受け入れられているものが多数であって、これらの預入れ及び払出しはいずれも原告の業務と密接に関連した資金の流れであると認められ、また、本件仮名預金口座の名義人も実在しないからである。

ⅲ 本件仮名預金口座に預け入れられた総額は一二九、一二二、二五八円であるが、このうち資金源が明らかである原告の公表預金からの入金分、預金利息、預金間相互の振替入金分、当該預金口座の出入金分及び田園都市開発株式会社の簿外預金からの入金分を控除した四六、九八〇、四七〇円について、当該金額中の預入れ小切手の振出人又は右振出人が金融機関である場合にあっては、右金融機関に対する振出依頼人につき反面調査したところ、右預入れ小切手は、原告が売却した土地の売買代金の支払手段として原告に交付されたものであることが確認されたばかりではなく、現金を預け入れたものについても、ほかに預け入れる資金が想定されず、しかも、一つの取引の売上金額全部を公表帳簿に計上していなかったり、売上金額を実際の金額より低廉なものとして記帳し、その差額を本件仮名預金口座に預け入れている事実があったことから、右金額を売上除外による入金額と認定した。

<2> 仕入否認

ⅰ 砂川町関連の四〇、〇〇〇円

原告は、立川市砂川町二五番三雑種地六〇八坪及び同町二五番四雑種地一五二坪を田中幸子から一二、一六〇、〇〇〇円で、同町二五番五雑種地三〇〇坪を桃木弘から三、〇〇〇、〇〇〇円で購入したにもかかわらず、右購入代金合計額を一五、二〇〇、〇〇〇円として仕入れに計上していたから、右過大計上分四〇、〇〇〇円を総損金から控除すべきである。

ⅱ 金田修関連の二、四四六、〇〇〇円

原告が金田修に対して昭和三八年七月二三日に土地の仕入代金として支払ったとして処理していた額面二、四四六、〇〇〇円の小切手は田園都市開発株式会社の簿外預金である松沢信用金庫本店の久保宏名義の口座に入金されているところ、右金員は土地の仕入代金として支出されたものではないから、右支出は架空仕入れとして総損金から控除すべきである(なお、右支出は、仕入れとしては否認されるべきものであるが、現実に田園都市開発株式会社に対して支出されているから、後述のとおり、その一部は寄付金の損金算入額として減算される。)。

<3> 棚卸計上もれ

原告が昭和三九年二月以降に岡部信利外二名の者に対して販売した立川市砂川町の土地の一部である同町二五番一九及び二〇の土地(面積合計四九坪)は、原告の当期末の棚卸資産に計上されておらず、棚卸計上もれとなっているところ、右砂川町の土地全体の購入地積は一、〇六〇坪で、仕入代金は一五、一六〇、〇〇〇円であるから、棚卸計上もれの金額は、次のとおり七〇〇、七四九円となる。したがって、右金額を所得金額に加算すべきである。

151600÷1060=14301(円/坪) (円未満切捨て)

14301×49=700749

<4> 架空造成費等否認

原告は当期中に次の名目で合計三九、七九七、五〇五円を経費として計上していたが、原告がこれらの支払に充てたとする現金、小切手及び手形は、別表10記載のとおり、いずれも訴外塚本が負担すべき原告又は田園都市開発株式会社の増資払込金に充当されたり、本件仮名預金口座に入金されたりしており、原告の費用として支出されたものではないから、架空計上費用といわざるを得ない。したがって、右金額も総損金から控除すべきである。

土地造成費 二四、九六一、〇〇〇円

土地仕入高 一二、八一九、四一六円

支払手数料 一、五〇九、六〇〇円

消耗品費等(科目不明) 五〇七、四八九円

<5> 棚卸資産認定損戻入れ

原告は、第二事業年度末の棚卸資産として八九六、〇〇〇円を過大に計上したものの、第三事業年度の期末にはこれを棚卸資産に計上せず、売上原価に算入したのであるが、右八九六、〇〇〇円はそもそも架空計上されていたものを振り替えたにすぎず、架空売上原価にほかならないから、右金額は損金に算入されない。

<6> 貸付金利息計上もれ

原告の簿外の貸付金が二一、〇〇〇、〇〇〇円であり、その利率を年一〇パーセントとすべきことは第二事業年度における貸付金利息計上もれについて述べたと同様であって、原告が当期中に収受すべき利息の額は右元金の一〇パーセントである二、一〇〇、〇〇〇円となり、これを益金に算入すべきである。

<7> 預金利息計上もれ

原告に帰属する簿外預金の利息額であり、その内訳は別表11記載のとおりである。

<8> 棚卸資産認定損

原告の確定申告書に添付された損益計算書によれば、当期の売上原価合計は二〇五、〇〇八、八八七円、期末棚卸高は二九、八六九、四七八円とされているところ、右売上原価合計額には架空仕入二、四八六、〇〇〇円及び架空造成費等三九、七九七、五〇五円の合計額四二、二八三、五〇五円が含まれており、その反面で期末棚卸高にも右四二、二八三、五〇五円の一部が含まれていることとなるから、所得金額の計算上これを減算することが必要であり、その金額は、次のとおり六、一三一、一〇八円となる。

42283505×29869478/205008878=6131108

<9> 事業税認定損

第二事業年度の再更正に伴って増加することとなった事業税の額で、第三事業年度の損金に算入されるものであるが、その計算根拠は次のとおりである。

1,000,000×6(%)=60,000

1,000,000×9(%)=90,000

28,073,636×12(%)=3,368,830

合計 3,518,830

<10> 寄付金の損金算入

(主位的主張)

前記のとおり、原告は、田園都市開発株式会社に対して二、四四六、〇〇〇円を支出しているのであるが、右支出は対価性のない支出であり、法人税法(昭和四〇年法律第三四号による改正前のもの)九条三項にいう寄付金とみるべきものである。しかして、寄付金については、同条及び同法施行規則(昭和四〇年政令第九七号による改正前のもの。以下同じ)七条一項により、所得金額との関連において一定の限度について損金に算入されることとなる。

そこで、被告の主位的主張によって寄付金支出前所得金額五七、五五三、九九九円として右限度額を算定すると、別表12のとおり、七八三、一七四円となる。したがって、右金額を寄付金として損金に算入する。

(予備的主張)

被告は、予備的な寄付金支出前所得金額として六三、三二一、一五五円を主張しているので、これにより右限度額を算定すると、別表12記載のとおり八五五、二六四円となるから、右予備的主張額によるときは、右金額を寄付金として損金に算入する。

2  本件各決定の適法性

(一) 第一事業年度

原告が第一事業年度の所得金額を三、五〇〇、〇〇〇円過少に申告していたこと及びその過少申告が一〇、〇〇〇、〇〇〇円の架空仕入れを計上したことに起因するものであることは、いずれも前記1(一)のとおりである。したがって、昭和三七年法律第六六号附則九条一項の規定によりその例によるとされた同年法律第六七号による改正前の法人税法四三条の二第一項の規定に基づき、再更正によって増加した法人税額一、三二六、二五〇円(同条四項の規定による端数切捨て後の金額)を対象として、その金額の一〇〇分の五〇に相当する重加算税額を賦課した第一事業年度の重加算税の賦課決定は適法である。

(二) 第二事業年度

原告が隠ぺい又は仮装によって過少に申告していたと認められる金額は、架空造成費否認一二、八〇〇、〇〇〇円から棚卸資産認定損八九六、〇〇〇円を控除し、棚卸資産認定損戻入れ六、五〇〇、〇〇〇円を加算した一八、四〇四、〇〇〇円であるところ、第二事業年度の再更正によって増加した所得金額は一八、二五九、一五〇円であって、右隠ぺい又は仮装額の範囲内であるから、右所得金額に対する法人税額六、九三八、四九〇円全額を対象として重加算税を賦課できることは明らかである。

しかるに、第二事業年度の加算税賦課決定は、右のうち法人税額四、三七八、三六〇円を対象として、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの。以下同じ)六八条一項に基づきその一〇〇分の三〇に相当する一、三一三、四〇〇円の重加算税を、右重加算税賦課決定の対象となった部分を除く法人税額二、五六〇、一三〇円を対象として、国税通則法六五条一項に基づきその一〇〇分の五に相当する一二八、〇〇〇円の過少申告加算税をそれぞれ賦課したものにすぎないから、第二事業年度の加算税賦課決定は適法である。

(三) 第三事業年度

第三事業年度の更正によって増加した所得金額は五四、一一六、四〇〇円であるところ、原告が隠ぺい又は仮装によって過少に申告していたと認められる金額は別表6の<2>、<3>、<5>及び<7>の合計額から<10>及び<12>の金額を控除したもので、主位的主張によっても予備的主張によっても、右更正によって増加した所得金額を上回ることは明らかであるから、右所得金額に対する法人税額二〇、四六四、〇〇〇円全額を対象として重加算税を賦課できることは明らかである。

しかるに、第三事業年度の加算税賦課決定は、右のうち、所得金額二九、九五九、五三二円、法人税額一一、三八四、〇五八円を対象として、国税通則法六八条一項に基づきその一〇〇分の三〇に相当する三、四一五、二〇〇円の重加算税を、右重加算税賦課決定の対象となった一一、三八四、〇五八円を除く法人税額九、〇七九、九四二円を対象として、国税通則法六五条一項に基づきその一〇〇分の五に相当する四五三、九〇〇円の過少申告加算税をそれぞれ賦課したものにすぎないから、第三事業年度の加算税賦課決定は適法である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1(一)(1)のうち、<1>及び<2>は認めるが、<3>及び<4>は争う。

同1(一)(2)<1>の事実は認める。

同1(一)(2)<2>は争う。

2  同1(二)(1)のうち、<1>は認めるが、その余は争う。

同1(二)(2)<1>のうち、原告が昭和三七年一〇月一五日付けで二〇〇、〇〇〇円及び七、二〇〇、〇〇〇円並びに同年一一月三〇日付けで五、四〇〇、〇〇〇円を造成費として計上したこと、右のうち昭和三七年一一月三〇日付けの五、四〇〇、〇〇〇円が架空造成費であることは認めるが、その余の事実は否認する。

同1(二)(2)<2>のうち、原告が田園都市開発株式会社に対して昭和三七年一〇月一五日に五、二〇〇、〇〇〇円を、同年一一月三〇日に五、四〇〇、〇〇〇円を貸し付けたこと、金融機関からの借入金の利率が被告主張のとおりであること及び被告主張のような通達があることは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

同1(二)(2)<3>のうち、第一事業年度に一〇、〇〇〇、〇〇〇円の架空仕入れを計上したことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

同1(二)(2)<4>の事実は否認し、主張は争う。被告が架空造成費として主張する一二、八〇〇、〇〇〇円のうち七、四〇〇、〇〇〇円は架空造成費ではないから、棚卸資産認定損の額も右に応じて変えられるべきである。

同1(二)(2)<5>は争う。第一事業年度の再更正は取り消されるべきであるから、事業税認定損を認める必要はない。

3  同1(三)(1)のうち、申告所得金額及び税金引当金支出額については認めるが、その余は争う。

同1(三)(2)<1>(主位的主張)ⅰのうち、別表7記載の取引中、番号7のうちの小平市上水新町一三八七番七の土地を除いて原告が同表の相手方欄記載の者に対して年月日欄記載の日に土地欄記載の土地を売却したこと、別表8記載の取引中、番号11を除いて、同表の相手方欄記載の者が年月日欄記載の日に土地欄記載の土地を買い受けたこと、右のうち番号5のうちの小平市上水新町一三八八番五六の土地、番号6のうちの小平市上水新町一三八八番一一六の土地及び番号15のうちの立川市砂川町二五番二八の土地を売却したのが原告であること、原告が別表8記載の取引による売上金額を計上していないことは認めるが、その余の事実は否認する。

同1(三)(2)<1>(主位的主張)ⅱの事実は否認する。

同1(三)(2)<1>(予備的主張)のうち、本件仮名預金口座に原告が売却した土地の売却代金として受領した小切手、原告の公表当座預金から造成費、仕入代金、手数料等の支払の名目で引き出された金員が預け入れられていること及び本件仮名預金口座からの引出金には原告の公表帳簿に受け入れられているものがあることは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

同1(三)(2)<2>ⅰのうち、原告が立川市砂川町二五番三の土地六〇八坪及び同町二五番四の土地一五二坪を仕入れたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

同1(三)(2)<2>ⅱのうち、原告が金田修に対して昭和三八年七月二三日に土地の仕入代金として支払ったとして処理していた額面二、四四六、〇〇〇円の小切手が松沢信用金庫本店の久保宏名義の口座に入金されたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。右の久保宏名義の口座は訴外塚本のものである。

同1(三)(2)<3>は争う。岡部信利外二名の者に対して販売した土地は、犬井幸三郎の所有地であるから、棚卸計上もれの問題は生じない。

同1(三)(2)<4>のうち、別表10記載のとおり、原告が土地造成費等として計上していた金員が訴外塚本の負担すべき原告又は田園都市開発株式会社の増資払込金に充当されたり、本件仮名預金口座に入金されていることは認めるが、主張は争う。

同1(三)(2)<5>は争う。被告が第二事業年度において否認した架空造成費のうち七、四〇〇、〇〇〇円は架空造成費ではないから、棚卸資産認定損戻入れ額もそれに応じて変えるべきである。

同1(三)(2)<6>のうち、原告が田園都市開発株式会社に対して昭和三七年一〇月一五日に五、二〇〇、〇〇〇円を、同年一一月三〇日に五、四〇〇、〇〇〇円を貸し付けたこと、金融機関の借入金の利率が被告主張のとおりであること及び被告主張のような通達があることは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。昭和三七年一〇月九日付けの一、〇〇〇、〇〇〇円は田園都市開発株式会社に対する貸付けである。

同一(三)(2)<7>は争う。被告が主張する預金は、訴外塚本の預金である。

同1(三)(2)<8>は争う。

同1(三)(2)<9>は争う。第二事業年度の再更正は取り消されるべきであるから、事業税認定損の額もそれに応じて変えるべきである。

同1(三)(2)<10>は争う。被告が主張する金員は、訴外塚本に対する土地仕入代金として支出されている。

4  同2(一)のうち、一〇、〇〇〇、〇〇〇円の架空仕入れを計上したことは認めるが、その余は争う。

同2(二)及び(三)は争う。

五  原告の反論

1  第一事業年度

原告が大久保七之助外二〇名から仕入れたとした土地は、当初田園都市開発株式会社が同人らから仕入れていたものであるが、田園都市開発株式会社の資金不足等の事情があったので、原告が田園都市開発株式会社に代わって右土地を仕入れることとし、その代金一〇、〇〇〇、〇〇〇円を原告が支出し、訴外塚本がこれを所持していたが、買主変更手続が実現しなかったため、原告は右一〇、〇〇〇、〇〇〇円を訴外塚本に貸し付けることとし、訴外塚本はこれを田園都市開発株式会社外一社の増資払込金等の支払に充てたものである。このように、右仕入れは結果的に架空仕入れになったものであるが、原告は右架空仕入れに相当する一〇、〇〇〇、〇〇〇円を確定申告書添付の決算報告書の付属明細書の「商品たな卸の北野二一、〇一六、六五〇円」の中に入れて期末棚卸に計上しているのであるから、右一〇、〇〇〇、〇〇〇円を第一事業年度の当初更正に係る所得金額に加算すべきではない。

2  第二事業年度

(一) 架空造成費について

原告は、昭和三七年一〇月一五日付けで二〇〇、〇〇〇円及び七、二〇〇、〇〇〇円の合計七、四〇〇、〇〇〇円を二本松の土地の造成費支払の名目で支出したが、右金員は次のような事情から訴外塚本に支払われたものである。すなわち、訴外塚本は個人で所有していた二本松の土地の造成をした際、U字溝及び道路建設の費用として七、四〇〇、〇〇〇円を支出していた。その後、訴外塚本は右土地を田園都市開発株式会社に売却し、田園都市開発株式会社はこれを第二事業年度において原告に売却したのであるが、その際原告が田園都市開発株式会社に支払い、田園都市開発株式会社が訴外塚本に支払うべき右造成費用を原告が訴外塚本に直接支払い、右造成費用の関係を清算したのである。したがって、右七、四〇〇、〇〇〇円は原告の損金に算入されるべきものである。

(二) 貸付金利息計上もれについて

昭和三七年一〇月九日付けの一、〇〇〇、〇〇〇円は田園都市開発株式会社に対して貸し付けられたものである。

また、原告と田園都市開発株式会社とは訴外塚本が経営する同系列の会社(いわゆる兄弟会社)という単純な縁故関係だけではなく、相互に度々無利息で資金援助をしているという特別な事情があるから、原告から田園都市開発株式会社に対する貸付金は無利息ないしは利息付だとしてもせいぜい法定利率である年六分程度にすべきである。

3  第三事業年度

(一) 売上計上もれについて

(1) 別表7について

<1> 別表7の番号1ないし6及び8について

別表7の番号1ないし6及び8については、売上金額の一部を修正する経理がされており、売上計上もれはない。

<2> 別表7の番号7について

原告は、昭和三八年五月一六日松尾堯に対して小平市上水新町一三八八番一二〇の土地六〇坪を一、六六八、〇〇〇円(坪当たり二七、八〇〇円)で売り渡したが、同年七月二三日一〇・一七坪面積を減じ、その代金二八二、七二六円を減額した。したがって、原告が松尾堯に対して売り渡した土地の面積は四九・八三坪で、売上金額は一、三八五、二七四円であるから、売上計上もれはない。なお、松尾堯は、小平市上水新町一三八七番七の土地一一坪(私道部分)を一八七、〇〇〇円で買い取っているが、右土地は、(2)で述べるとおり犬井幸三郎の土地である。

(2) 犬井幸三郎名義の取引について

<1> 松尾堯に対する売上のうちの一八七、〇〇〇円及び別表8記載の取引(但し、番号5のうち小平市上水新町一三八八番五六の土地、番号6のうち小平市上水新町一三八八番一一六の土地、番号15のうち立川市砂川町二五番二八の土地の取引は除く。)は、次に述べるとおり犬井幸三郎の取引である。したがって、右取引の売上金額を原告の売上計上もれの金額に算入すべきではない。

ⅰ 原告は、昭和三八年五月六日小林英嗣と同人所有の小平市上水新町一三八七番所在の土地について売買契約を締結したが、その後右契約は合意解除され、改めて犬井幸三郎が小林英嗣から右土地を代金七、〇一八、〇〇〇円で買い受けた。そして、犬井幸三郎は右土地を松尾堯及び別表8の番号1ないし11の相手方欄記載の者に売り渡した。

ⅱ 犬井幸三郎は、昭和三八年七月二九日金子定五郎から同人所有の立川市砂川町二五番五の土地を四、八〇〇、〇〇〇円で買い受け、これを別表8の番号12ないし17の相手方欄記載の者に売り渡した。

<2> 仮に、右取引が原告に属するとするならば、次の金額を所得金額から控除すべきである。

ⅰ 売上原価

ア 上水新町関係

仕入代金 七、〇一八、〇〇〇円

仕入手数料 八〇〇、〇〇〇円

雑費 三二〇、〇〇〇円

イ 砂川町関係

仕入代金 四、八〇〇、〇〇〇円

仕入手数料 五〇〇、〇〇〇円

ウ 造成費用 五、〇四八、八〇〇円

ⅱ 販売手数料

原告は、犬井幸三郎が小林英嗣及び金子定五郎から仕入れた土地を、犬井幸三郎の所有地としてその転売の仲介をし、同人から販売手数料として昭和三八年九月一日に五〇〇、〇〇〇円、同月一五日に五〇〇、〇〇〇円、同年一〇月一六日に四五〇、〇〇〇円、同年一一月三〇日に五五〇、〇〇〇円の合計二、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けたとして、これを収入に計上しているが、これを所得金額から控除すべきである。

(3) 清水一彦との取引について

原告は、多摩市連光寺字諏訪越一二〇二番三七の宅地二二・七一坪及び同一二〇二番三八の宅地五・七五坪合計二八・四六坪を所有していたが、これを昭和三八年八月二三日に田園都市開発株式会社に対して七〇八、二二七円で売り渡し、右代金は入金されている。なお、田園都市開発株式会社が右の土地を含めて三五・〇三坪を清水一彦に対して売り渡していたため、原告は田園都市開発株式会社からの右支払を清水一彦からの仮受金として処理した。したがって、右の土地について売上計上もれはない。

(4) 本件仮名預金口座について

本件仮名預金口座は訴外塚本の預金口座である。もっとも、被告主張のように、本件仮名預金口座に原告が売却した土地の売却代金として受領した小切手、原告の公表当座預金から造成費、仕入代金、手数料等の支払の名目で引き出された金員が預け入れられ、また、本件仮名預金口座からの引出金が原告の公表帳簿に受け入れられているが、それは次の事情による。すなわち、原告が売却した土地の買主から原告に売買代金の支払がされていない段階で原告の営業資金が不足した場合、訴外塚本が買主に代わって売買代金を支払っておき、後日買主から小切手等で売買代金の支払がされた際にこれを本件仮名預金口座に預け入れ、また、原告の営業資金が不足した場合等に訴外塚本が原告に代わって造成費等を支払っておき、原告に資金ができたとき等に原告から右の名目で支払を受け、これを本件仮名預金口座に入金したものである。

(二) 仕入否認について

(1) 砂川町関連について

原告は、立川市砂川町二五番三の土地六〇八坪及び同町二五番四の土地一五二坪を一五、二〇〇、〇〇〇円で仕入れたのであって、仕入金額を過大に計上していない。なお同町二五番五の土地は、前記のとおり、犬井幸三郎が四、八〇〇、〇〇〇円で買い受けたものであって、原告は右土地を買い受けていない。

(2) 金田修関連について

訴外塚本は、昭和三五年三月二四日ころ、吉田金助から同人所有の調布市上石原一二五九番一及び同番二の土地を買い受け、これを原告に売却したが、原告が直接右吉田から買い入れたことにして、昭和三七年四月三日に原告のために所有権移転登記をした。そして、原告は、昭和三八年七月八日ころ右土地を島田稔に売却し、その代金が入ったので、金田修から右土地を仕入れたことにして、同月二三日に多摩信用金庫府中支店の公表当座預金から金田修名義で訴外塚本に二、四四六、〇〇〇円の支払をした。したがって、被告主張の二、四四六、〇〇〇円は土地の仕入代金として支出されている。

(三) 架空造成費等否認について

(1) 土地造成費について

原告の営業資金が不足して土地の造成費の支払ができない場合、あるいは造成工事現場で工事人に工事代金を支払う場合に、訴外塚本が原告に代わって造成費等を支払っておき、後日原告に資金ができたとき等に訴外塚本が原告から土地造成費名目で支払を受け、原告の増資払込金等に使用したのである。

被告が否認している土地造成費は、訴外塚本に一時的に立替払してもらっているので、工事人に現実に支払われた年月日と原告が現実に支出した年月日に若干のずれがあるが、現実に支払われていることに変わりはないのである。

(2) 土地仕入高について

<1> 昭和三八年五月一〇日付けの二、一〇〇、〇〇〇円及び同月一六日付けの一、〇〇〇、〇〇〇円の仕入代金について

原告が昭和三八年三月二三日に谷合米吉から仕入れた北多摩郡西府村の土地の仕入代金として現実に支払われている。

<2> 昭和三八年七月三一日付けの宮野武夫外四名からの仕入について

原告はこれらの仕入代金を現実に支払っている。すなわち、南多摩郡多摩村連光寺字諏訪越一二〇二番所在の土地の地主が裏契約をしないと売買に応じないので、宮野武夫外四名と地主との間では地主の希望どおりの売買代金額で売買契約書を作成しておき、宮野武夫外四名と原告との間では実際の売買代金額(他の地主に支払った裏金や税金等も含まれている。)で売買契約書を作成したのである。そして、右売買代金は、全額訴外塚本が原告に代わって地主等に直接支払っておき、後日原告に資金ができたときに、原告が宮野武夫外四名に支払ったことにして、訴外塚本に支払ったのである。

<3> 小田正之に対する昭和三八年八月二二日付けの三〇〇、〇〇〇円及び同年九月三〇日付けの一、三五六、〇〇〇円の仕入代金について

原告が昭和三八年八月二二日に小田正之から仕入れた北多摩郡国分寺町の土地の仕入代金として現実に支払われている。

<4> 佐藤成雄に対する昭和三八年一〇月二日付けの四二〇、〇〇〇円の仕入代金について

原告は、昭和三八年九月二日に佐藤成雄から北多摩郡国分寺町の土地を一、四二〇、〇〇〇円で仕入れたが、右売買契約による手付金四二〇、〇〇〇円は訴外塚本が立替払をし、残金一、〇〇〇、〇〇〇円は同月三〇日に原告が支払った。そして、原告は訴外塚本が立替払した四二〇、〇〇〇円を同年一〇月一日に同人に支払った。なお、原告は、同年九月三〇日に右土地を仕入れ、佐藤成雄に対して右同日に一、〇〇〇、〇〇〇円を、同年一〇月一日に四二〇、〇〇〇円を支払ったとして経理処理した。

(3) 支払手数料について

<1> 東都住宅社に対する昭和三八年六月二八日付けの一、〇〇〇、〇〇〇円の手数料について

原告が小平市上水新町の土地を仕入れた際の仲介手数料として現実に支払われている。

<2> 鈴木時秋に対する昭和三八年七月三一日付けの三〇〇、〇〇〇円の手数料について

原告が三鷹市新川の土地を仕入れた際の鈴木時秋に対する仲介手数料三〇〇、〇〇〇円は訴外塚本が昭和三八年七月五日に立替払し、原告は同月三〇日に訴外塚本に対して右金員を支払った。なお、原告は、同月三〇日に鈴木時秋に対して手数料として三〇〇、〇〇〇円を支払ったとして経理処理した。

<3> 宍戸三吉に対する昭和三八年七月三一日付けの一〇九、六〇〇円及び同日付けの一〇〇、〇〇〇円の手数料について

原告が三鷹市北野の土地を仕入れた際の仲介手数料として現実に支払われている。

(4) 消耗品費否認について

原告が購入した応接セット等の消耗品の代金五〇七、四八九円は訴外塚本が昭和三八年二月一五日から同年七月二九日ころまでの間に立替払し、原告は同年七月三〇日に訴外塚本に対して右金員を支払った。

(四) 貸付金利息計上もれについて

第二事業年度の主張と同じである。

六  原告の反論に対する認否

1  原告の反論1は争う。

2  同2は争う。なお、昭和三七年一〇月九日付けの一、〇〇〇、〇〇〇円が田園都市開発株式会社に対して貸し付けられたものだとしても、借主が代わっただけで年一〇パーセントに相当する利息を収受することに変わりがない。

3  同3(一)(1)<1>は争う。売上金額の一部は修正されているが、なお売上計上もれが存する。

同3(一)(1)<2>のうち、原告が昭和三八年五月一六日松尾堯に対して小平市上水新町一三八八番一二〇の土地四九・八三坪を売り渡したことは認めるが、その余は争う。小平市上水新町一三八七番七の土地の登記簿上の所有者は犬井幸三郎であったが、真実の所有者は原告であった。

同3(一)(2)<1>のうち、原告と小林英嗣が昭和三八年五月六日に小平市上水新町一三八七番所在の土地について売買契約を締結したことは認めるが、その余は争う。

同3(一)(2)<2>ⅰのうち、上水新町関係の仕入代金が七、〇一八、〇〇〇円であることは認めるが、その余は争う。砂川町関係の仕入代金は三、〇〇〇、〇〇〇円である。

同3(一)(2)<2>ⅱのうち、原告が犬井幸三郎から原告主張のとおり合計二、〇〇〇、〇〇〇円の販売手数料の支払を受けたとして右金額を収入に計上していることは認めるが、その余は争う。

同3(一)(3)は争う。原告主張の仮受金勘定に計上された七〇八、二二七円は第三事業年度末においても、仮受金勘定から売上金勘定に振替えられていないから、原告の主張が理由がないことは明らかである。

同3(一)(4)は争う。

同3(二)ないし(四)は争う。

七  被告の再反論

原告は、犬井幸三郎名義の取引が原告に帰属するとするならば、その経費を所得金額から控除すべき旨を主張するが、次のとおり右主張は理由がない。

1  売上原価

売上原価については、次のとおり既に損金に計上されている。

(一) 仕入代金

(1) 上水新町関係

原告は、同社の総勘定元帳の買掛金勘定に昭和三八年五月二一日付けで田園都市開発株式会社に対する買掛金支払額として二、八七二、〇〇〇円及び三、一四六、〇〇〇円の合計六、〇一八、〇〇〇円を計上し、翌二二日付けで多摩中央信用金庫府中支店の原告の公表当座預金から額面二、八七二、〇〇〇円及び三、一四六、〇〇〇円の小切手で合計六、〇一八、〇〇〇円が払い戻されている。しかしながら、同支店において、同日付けで小林英嗣のために同人名義で額面二、八七二、〇〇〇円の定期預金及び多田一郎名義で額面二、一四六、〇〇〇円の通知預金が設定されている(一、〇〇〇、〇〇〇円については現金で払い戻されている。)ことからも明らかなように、小切手は直接小林英嗣に対して支払われたものであり、しかも、田園都市開発株式会社に対する仕入代金として損金に算入されているのである。また、原告の会計処理の実態に徴すると、小林英嗣に対し手付金として支払われた一、〇〇〇、〇〇〇円についても、同様に既に損金に算入されているということができる。

(2) 砂川町関係

立川市砂川町二五番五の土地三〇〇坪は、桃木弘が仲介のために昭和三八年七月一七日に金子定五郎から坪当たり八、五〇〇円で仕入れ、これに仲介手数料として坪当たり一、五〇〇円を上積みし、坪単価一〇、〇〇〇円、総額三、〇〇〇、〇〇〇円で原告に売却した。そして右三、〇〇〇、〇〇〇円は、被告の主張1(三)(2)<2>ⅰのとおり、既に損金に算入されている。

(二) 造成費用

(1) 上水新町関係

原告は、同社の総勘定元帳の宅地造成工事費勘定に「小平市造成工事代」、「工事代上水新町埋立代」等と表示して、小平市上水新町所在の分譲土地に係る土地造成費用として合計一六、四〇四、九五〇円を計上している。

ところで、小平市上水新町所在の分譲地は、犬井幸三郎名義で分譲された土地も含めて、原告が昭和三八年三月から同年八月までの間のほぼ同一時期にその大部分を販売したものであるが、右土地は連続した一団の分譲土地であり、U字状に設定された共通の私道部分に沿って、その両側に各分譲区画が整然と配置されているのであって、一連の造成計画の下にほぼ同一時期に一貫して施工された造成工事によってその造成がされたものである。

してみると、犬井幸三郎名義で分譲された土地の造成費用は、原告が上水新町所在の分譲土地に係る土地造成費用として計上した金額の中に含まれているというべきである。

(2) 砂川町関係

原告は、同社の総勘定元帳の宅地造成工事費勘定に立川市砂川町所在の分譲土地に係る土地造成費用として昭和三八年六月三〇日付けで一、〇五一、〇〇〇円を計上している。

ところで、立川市砂川町二五番所在の分譲地は、犬井幸三郎名義で分譲された土地を含めて、原告が昭和三八年六月から同年一二月までの間のほぼ同一時期にその大部分を販売したものであるが、右土地は連続した一団の分譲土地であり、中央に縦貫状に設置された私道部分に沿って両側に各分譲区画が整然と配置されているのであって、一連の造成計画の下にほぼ同一時期に一貫して施工された造成工事によってその造成がされたものである。

してみると、犬井幸三郎名義で分譲された土地の造成費用は、原告が砂川町所在の分譲土地に係る土地造成費用として計上した金額の中に含まれているというべきである。

2  販売手数料

原告の帳簿に記載されている犬井幸三郎からの販売手数料は桜ケ丘の物件に関するものであって、上水新町または砂川町の土地とは関係がないのみならず、右金員は原告には入金されていない。

八  被告の再反論に対する認否

1  原告の再反論1(一)(1)のうち、原告が同社の総勘定元帳の買掛金勘定に昭和三八年五月二一日付けで田園都市開発株式会社に対する買掛金支払額として二、八七二、〇〇〇円及び三、一四六、〇〇〇円の合計六、〇一八、〇〇〇円を計上し、翌二二日付けで多摩中央信用金庫府中支店に原告の公表当座預金から額面二、八七二、〇〇〇円及び三、一四六、〇〇〇円の小切手で合計六、〇一八、〇〇〇円が払い戻されていること及び同支店において、同日付けで小林英嗣のために同人名義で額面二、八七二、〇〇〇円の定期預金及び多田一郎名義で額面二、一四六、〇〇〇円の通知預金が設定されていることは認めるが、その余は争う。原告の当座預金から払い戻された六、〇一八、〇〇〇円は、原告が昭和三八年五月二一日に田園都市開発株式会社から二二、〇八〇、〇〇〇円で仕入れた東京都南多摩郡日野町豊田小高田所在の一、四七二坪の土地の代金の一部として田園都市開発株式会社に支払われたものである。ただ、犬井幸三郎は、原告から田園都市開発株式会社に支払われた金員を訴外塚本を介して田園都市開発株式会社から一時借用して小林英嗣に支払い、小林英嗣はこれをもって自己名義の二、八七二、〇〇〇円の定期預金及び多田一郎名義の二、一四六、〇〇〇円の通知預金を設定したのである。そして、犬井幸三郎は田園都市開発株式会社から借用した金員を昭和三八年六月一〇日に返済し、田園都市開発株式会社はこれを松沢信用金庫本店にある同社の当座預金に全額預け入れた。

同1(一)(2)は争う。

同1(二)は争う

同2は争う。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1及び3については、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件各更正に原告の所得金額を過大に認定した違法があるか検討する。

(第1事業年度)

1  被告の主張1(一)(1)<1>及び<2>並びに同(2)<1>については、当事者間に争いがない。

2  棚卸資産認定損(被告の主張1(一)(2)<2>)について

被告は、右の当事者間に争いがない架空仕入高のうち一〇〇分の六五は第一事業年度末の棚卸の中に含まれているから、所得金額の計算上右金額を控除すべき旨を主張するのに対して、原告は、右架空仕入れに相当する一〇、〇〇〇、〇〇〇円全額を第一事業年度末の棚卸資産に計上している旨を主張するので、この点について検討する。

成立に争いのない甲(イ)第一号証の一によれば、原告は第一事業年度末の棚卸として二六、四三五、三〇二円を計上していることが認められるが、証人相馬敏良の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九三号証並びに証人多賀谷恒八及び同相馬敏良の各証言によれば、原告が調査に協力しなかったため、被告は当期の期末棚卸の具体的内容を把握することができなかったことが認められ、また、本訴においても、右架空仕入高が原告の第一事業年度末の棚卸の中に含まれているかどうか、含まれているとしてその金額がいくらであるかを認定することのできる証拠は提出されていない。なお、原告代表者は、架空仕入れになった八王子市打越町所在の土地一〇、〇〇〇、〇〇〇円分は確定申告書に添付された決算報告書の附属明細書の商品棚卸中の「北野、二一、〇一六、六五〇円」の中に全部含まれており、これについては第二事業年度に田園都市開発株式会社に一旦売却したが、その後その一部である八、五七九、五二〇円分については解約し、第二事業年度の確定申告書に添付された決算報告書の附属明細書の商品棚卸中の「北野町、八、六七九、五〇〇円」の中に含まれている旨を供述し(第一回原告代表者尋問)、前掲甲(イ)第一号証の一及び成立に争いのない甲(ロ)第一号証の二によれば、原告の第一事業年度の確定申告書に添付された決算報告書の附属明細書の商品棚卸中に「北野、二一、〇一六、六五〇円」という記載があること及び原告の第二事業年度の修正申告書に添付された決算報告書の附属明細書の商品棚卸中に「北野町、八、六七九、五〇〇円、三八七坪」という記載があることが認められ、また、成立に争いのない甲(ロ)第三号証の三及び乙(ハ)第一一三号証、原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ロ)第二号証及び第三号証の一、二によれば、原告が昭和三七年二月八日に田園都市開発株式会社に対して売却したとして処理されていた打越町所在の土地のうち一二筆二八五九・八四坪(原告と田園都市開発株式会社との間の売買代金は八、五七九、五二〇円)については、同年一二月二九日に原告と元の地主との間の契約が解約されたため、原告と田園都市開発株式会社との間の契約も解約されたとして処理されていることが認められるものの、右の解約された土地が架空仕入れに係る土地の一部であることを裏付ける客観的な証拠がないこと及び前掲乙(ハ)第一一三号証によれば、原告は昭和三七年一一月六日に三鷹市北野字谷端一二〇番及び一二一番合計三八七坪を合計八、六七九、五〇〇円で仕入れたとして経理処理していることが認められるのであって、坪数及び金額からみて、原告の第二事業年度の修正申告書に添付された決算報告書の附属明細書の商品棚卸中の「北野町、八、六七九、五〇〇円、三八七坪」は、三鷹市北野字谷端一二〇番及び一二一番の土地であって、打越町所在の土地ではないと認めるのが相当であることに照らすと、原告代表者の右供述は採用することができない。

ところで、前掲甲(イ)第一号証の一によれば、原告は、第一事業年度の売上高として一八、七四九、二一〇円を計上し、また、期中仕入れとして合計四〇、六一〇、六八〇円(仕入高三九、五一四、八八〇円、土地造成費三〇〇、〇〇〇円、仕入保証料七一、〇〇〇円、仕入手数料七二四、八〇〇円)を計上し、そのうち二六、四三五、三〇二円を期末棚卸に計上し、その差額一四、一七五、三七八円を売上原価として計上していることが認められるところ、仮に期末棚卸に右架空仕入高が全く含まれていないとすると、当期の売上原価は、四、一七五、三七八円となり、原価率は二二パーセントという到底あり得ない低い数値となること、架空仕入れは一般に仕入原価を水増しし、所得の脱漏を図る手段とされているのに、架空仕入れの全額を期末棚卸に計上すれば所得額に増減がなく架空仕入れをした意味がなくなること(原告代表者は第一回原告代表者尋問において、地主との交渉がうまくいかず、結果的に架空仕入れになった旨を供述するが、地主との交渉が成立する以前に仕入れを計上することは極めて不自然であって、右供述は到底採用することができない。)を考えると、右架空仕入高のうちの一部が期末棚卸に含まれているというべきであるが、前記のとおり、原告の協力が得られず、架空仕入高のうち期末棚卸に含まれている割合を証拠に基づいて把握することができない本件においては、右割合は合理的方法によって算出することが許されると解すべきところ、被告は、架空仕入分が実際の仕入分と同じ割合で売上原価と期末棚卸に配分されているとして、架空仕入分のうち原告が計上した売上原価の期中仕入れに対する割合、すなわち四〇、六一〇、六八〇分の一四、一七五、三七八である三五パーセントが売上原価に、その余の六五パーセントが期末棚卸に含まれていると主張するのであって、右算出方法は、合理性を有するということができる。したがって、原告が期末棚卸として計上した金額のうち一〇、〇〇〇、〇〇〇円の六五パーセント、すなわち六、五〇〇、〇〇〇円は過大に計上されているというべきであるから、右金額を所得金額から控除すべきである。

3  結論

以上によれば、原告の第一事業年度の所得金額は三、九二五、〇一三円となるところ、第一事業年度の再更正は所得金額を右金額と同額であるとしてされたのであるから、右再更正には原告の所得金額を過大に認定した違法はない。

(第二事業年度)

1  被告の主張1(二)(1)のうち<1>については、当事者間に争いがない。

2  架空造成費否認(被告の主張1(二)(2)<1>)について

(一) 被告の主張1(二)(2)<1>のうち、原告が被告主張の昭和三七年一〇月一五日付けの二〇〇、〇〇〇円及び七、二〇〇、〇〇〇円並びに同年一一月三〇日付けの五、四〇〇、〇〇〇円を造成費として計上していること、右のうち一一月三〇日付けの五、四〇〇、〇〇〇円が架空造成費であることは、当事者間に争いがない。

(二) 被告は、右の昭和三七年一〇月一五日付けの七、四〇〇、〇〇〇円は架空造成費であると主張するのに対して、原告は、右七、四〇〇、〇〇〇円は原告が田園都市開発株式会社に、田園都市開発株式会社が訴外塚本に支払うべき造成費用を、原告が直接訴外塚本に支払ったものである旨を主張する(原告の反論2(一))ので、この点について検討する。

成立に争いのない乙(ロ)第五号証及び乙(ハ)第五四号証並びに証人多賀谷恒八の証言によれば、原告は、多摩中央信用金庫府中支店の公表当座預金から造成費支払名目で七、二〇〇、〇〇〇円と二〇〇、〇〇〇円の二枚の小切手を振り出したが、右小切手は造成費の支払先には渡っておらず、直ちに現金化されたうえ、右現金によって同支店の支店長振出の七、四〇〇、〇〇〇円の小切手が作られ、右小切手が松沢信用金庫本店の田園都市開発株式会社の当座預金に入金されたことが認められるから、右の七、四〇〇、〇〇〇円も架空造成費であるというべきである。

ところで、原告代表者は、この点について、訴外塚本は個人で所有していた二本松の土地について七、四〇〇、〇〇〇円の費用をかけて造成したが、右土地を取得原価で田園都市開発株式会社に売却し、同社はこれを同額で原告に売却したので、訴外塚本が支出した右土地の造成費七、四〇〇、〇〇〇円を、本来であれば原告から田園都市開発株式会社に、同社から訴外塚本に支払うべきであるが、訴外塚本は直接原告から支払を受け、この七、四〇〇、〇〇〇円と後記3(一)記載の五、二〇〇、〇〇〇円を合わせて阿部増雄外三名の名義で田園都市開発株式会社に貸し付けた旨を供述する(第一回原告代表者尋問)。しかしながら、訴外塚本が造成費を支出したことを裏付ける客観的な証拠が提出されていないこと、仮に、右供述のとおり、原告が訴外塚本に造成費を支払ったのであれば、そのように経理処理をすべきであるにもかかわらず前記のような処理がなされていること、前記当事者間に争いがない事実に前掲乙(ロ)第五号証及び証人多賀谷恒八の証言を併せれば、昭和三七年一一月三〇日付けの架空造成費五、四〇〇、〇〇〇円も右七、四〇〇、〇〇〇円と同様の経過で田園都市開発株式会社に入金され、田園都市開発株式会社では右の二つの入金をいずれも架空名義の個人からの借入金として記帳していたことが認められるのであるから、右七、四〇〇、〇〇〇円についても架空造成費五、四〇〇、〇〇〇円と同様な扱いがされているということができることに鑑みると、原告代表者の原告は訴外塚本に対して造成費を支払った旨の右供述は、到底採用することができない。

3  貸付金利息計上もれ(被告の主張1(二)(2)<2>)について

(一) 被告の主張1(二)(2)<2>のうち、原告が田園都市開発株式会社に対して昭和三七年一〇月一五日に五、二〇〇、〇〇〇円を、同年一一月三〇日に五、四〇〇、〇〇〇円を貸し付けたこと、金融機関からの借入金の利率が被告主張のとおりであること及び被告主張のような通達があることは当事者間に争いがなく、証人多賀谷恒八の証言によれば、原告は別表4記載の貸付金をいずれも計上していないことが認められる。

(二) 昭和三七年一〇月九日付けの一、〇〇〇、〇〇〇円の貸付けについて

前掲甲(ロ)第一号証の二、成立に争いのない乙(ロ)第一号証の二及び第二号証ないし第四号証並びに証人多賀谷恒八の証言によれば、原告は丸善商事株式会社に対して仕入手数料として昭和三七年一〇月九日に一、〇〇〇、〇〇〇円、同月一五日に五、二〇〇、〇〇〇円、合計六、二〇〇、〇〇〇円を支払ったとして修正申告していたが、右仕入手数料は架空であって、原告代表者に対する賞与であるとして当初更正がされたこと、右更正に対する審査請求の際、原告から右の仕入手数料が架空であることは認めるが、右金員は丸善商事株式会社に対して貸し付けられたものであるとの申し出がなされ、金銭消費貸借契約証書も作成提出されたので、審査裁決では右六、二〇〇、〇〇〇円について原告主張のとおり丸善商事株式会社に対する貸付金として認定されたこと、丸善商事株式会社は同社の昭和三八年九月三〇日現在の貸借対照表に右六、二〇〇、〇〇〇円を原告からの借入金として計上していること、以上の事実が認められるのであって、右認定の事実によれば、原告は丸善商事株式会社に対して昭和三七年一〇月九日に一、〇〇〇、〇〇〇円を貸し付けたと認めるのが相当である。原告代表者は、右一、〇〇〇、〇〇〇円も右五、二〇〇、〇〇〇円と同様に田園都市開発株式会社に対して貸し付けた旨を供述し(第一回原告代表者尋問)、前掲乙(ロ)第五号証及び証人多賀谷恒八の証言によれば、右五、二〇〇、〇〇〇円は前記2(二)記載の七、四〇〇、〇〇〇円と合わせて阿部増雄外三名の名義で田園都市開発株式会社に対して貸し付けられていることが認められるものの、右一、〇〇〇、〇〇〇円については田園都市開発株式会社に対して貸し付けられたことを裏付ける客観的な証拠が提出されていないから、原告代表者の右供述を採用することはできない。

(三) 昭和三七年一〇月一五日付けの七、四〇〇、〇〇〇円の貸付けについて

前記2(二)記載のとおり、原告が造成費として昭和三七年一〇月一五日付けで支出した七、四〇〇、〇〇〇円は田園都市開発株式会社に入金され、田園都市開発株式会社では阿部増雄外三名からの借入金として記帳しているのであって、右事実によれば、右七、四〇〇、〇〇〇円は原告から田園都市開発株式会社に対して貸し付けられたと認めるのが相当である。なお、原告代表者は、右七、四〇〇、〇〇〇円は原告から訴外塚本に、訴外塚本から田園都市開発株式会社に支払われた旨を供述するが、右供述を採用できないことは前記のとおりである。

(四) 昭和三七年一一月三〇日付けの二、〇〇〇、〇〇〇円の貸付けについて

原告が昭和三七年一一月三〇日付けで造成費として支出した五、四〇〇、〇〇〇円が架空造成費であり、右金員が田園都市開発株式会社に入金されていたことは前記のとおりであり、また、右五、四〇〇、〇〇〇円が原告の田園都市開発株式会社に対する貸付金であることは、前記のとおり当事者間に争いがないところ、前掲乙(ロ)第五号証、成立に争いのない乙(ロ)第七号証及び弁論の全趣旨によれば、原告が昭和三七年一一月三〇日に仮払金として支出した二、〇〇〇、〇〇〇円は、右五、四〇〇、〇〇〇円とともに田園都市開発株式会社に入金され、同社では右七、四〇〇、〇〇〇円を架空名義の個人からの借入金として記帳していることが認められるのであるから、二、〇〇〇、〇〇〇円についても原告の田園都市開発株式会社に対する貸付金であると認めるのが相当である。

(五) 貸付金の利率

原告が右貸付金に関して収受すべき利息の割合について検討する。

融資を目的とする貸付金の利率は、市中の信用金庫が中小企業を対象とする場合には、おおむね日歩二銭五厘ないし二銭七厘が一般的であり、原告の多摩中央信用金庫府中支店からの借入金の利率も日歩二銭五厘ないし二銭七厘であるが、この利率は定期預金等確実な担保の提供が前提条件となっていることは当事者間に争いがないところ、右のような金融事情の下で、原告が他の法人に対して担保を徴しないで貸付けを行う場合には、原告と借主との間に親会社、子会社等の密接な関係があり、しかも、借主が資金繰りの悪化等の原因で倒産の虞れがある等のために通常の利率よりも低い利率で融資をすることが合理的であると考えられる特段の事情がない限り、収受すべき利息の割合は年一〇パーセントであると認めるのが相当である。原告は、原告と田園都市開発株式会社とは訴外塚本が経営するいわゆる兄弟会社というだけではなく、相互にたびたび無利息で資金援助をしているという特別な事情があるから、原告から田園都市開発株式会社に対する貸付金は無利息ないしは利息付だとしても法定利率である年六分程度にすべき旨を主張する(原告の反論2(二))が、原告の主張する事情だけでは、右特段の事情に当たるというに足りず、他に右特段の事情を認めるに足る証拠はない。そして、前記のとおり、原告から丸善商事株式会社に対する貸付金は手数料名目で支払われ、原告から田園都市開発株式会社に対する貸付金は造成費名目であるいは仮払金として支払われたのであるから、原告は右貸付けについては担保を徴していないと推認することができる。したがって、原告が丸善商事株式会社及び田園都市開発株式会社から収受すべき利息の割合は年一〇パーセントであるというべきである。

(六) 以上によれば、原告が第二事業年度において収受すべき利息の額は、別表5記載のとおり、五二九、七五一円となる。

4  棚卸資産認定損戻入れ(被告の主張1(二)(2)<3>)について

第一事業年度の期末棚卸には同期中に計上した架空仕入額一〇、〇〇〇、〇〇〇円のうち六、五〇〇、〇〇〇円が含まれていたと認めるべきことは前記のとおりであるから、第二事業年度の期首棚卸にも六、五〇〇、〇〇〇円の架空仕入分が含まれており、その金額が第二事業年度の所得金額の計算上損金に算入されているというべきである。したがって、右六、五〇〇、〇〇〇円の損金算入を否認すべきである。

5  棚卸資産認定損(被告の主張1(二)(2)<4>)について

(一) 被告は、前記の架空造成費一二、八〇〇、〇〇〇円のうち八九六、〇〇〇円は原告の第二事業年度末の棚卸に含まれているので、右金額を第二事業年度の所得金額から控除すべき旨を主張するので検討する。

原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ロ)第四号証、証人多賀谷恒八の証言及び原告代表者尋問(第一回)の結果によれば、右一二、八〇〇、〇〇〇円のうち七、四〇〇、〇〇〇円は二本松の土地の造成費として、また、五、四〇〇、〇〇〇円は打越町の土地の造成費として計上されていたものであることが認められるところ、前掲甲(ロ)第一号証の二によれば、原告は第二事業年度末の商品棚卸として「打越町、四一三、三八七円」、「中耕地、五、二六〇円」、「羽沢坂下、二、八七九、七二五円」、「新川、八三、二八〇円」、「北野町、八、六七九、五〇〇円」、「諏訪越、一一七、八〇〇円」の合計一二、一七八、九五二円を計上していることが認められるのであるから、仮に右架空造成費の一部が第二事業年度末の棚卸に計上されているとすれば、「打越町、四一三、三八七円」に含まれているといわざるを得ない。ところで、第二事業年度末の棚卸に計上されている「打越町、四一三、三八七円」の具体的内容、その評価額の算出方法を明らかにする客観的な証拠はないが、原告代表者尋問(第一回)の結果によれば、原告が所有していた打越町所在の土地には分譲するために開発した北野団地と称する土地と買収に応じない地主に代替地として提供することを目的とした土地の二種類があるところ、第二事業年度の期末棚卸に計上された打越町の土地は後者の土地であったことが認められるから、右土地について造成費を支出したとして経理処理されているとは考えられず、右金額の中には造成費は含まれていないと推認することができるのであって、結局、架空造成費は期末棚卸に含まれていないというべきである。

(二) しかしながら、前掲甲(イ)第一号証の一及び甲(ロ)第一号証の二によれば、原告の修正申告に係る第二事業年度末の棚卸商品のうち中耕地の土地五、二六〇円及び羽沢坂下の土地二、八七九、七二五円の合計二、八八四、九八五円は第一事業年度に仕入れたものであることが認められるところ、原告の確定申告に係る第一事業年度末の棚卸二六、四三五、三〇二円には六、五〇〇、〇〇〇円の架空仕入れ分が含まれているというべきことは前記のとおりであるから、右二、八八四、九八五円のうち次式によって算出される七〇八、五〇〇円は、第一事業年度の架空仕入分であるというべきであって、期末棚卸から減額すべきである。

6,500,000×2,884,985/26,435,302=708,500

(三) したがって、棚卸資産認定損として所得金額の計算上控除すべき金額は七〇八、五〇〇円となる。

6  事業税認定損(被告の主張1(二)(2)<5>)について

前記のとおり、第一事業年度分の法人税の再更正に係る所得金額は三、九二五、〇一三円であり、地方税法(昭和三七年法律第五一号による改正前のもの)七二条の二二、国等の債権債務等の金額の端数計算に関する法律(昭和三八年法律第八〇号による改正前のもの。以下に同じ)五条によって事業税の額を算出すると四五四、七五〇円となる。そして、成立に争いのない甲(ロ)第一号証の三によれば、第二事業年度の当初更正に係る事業税認定損の額は〇円であることが認められるから、事業税認定損として第二事業年度の損金に算入すべき金額は四五四、七五〇円となる。

7  結論

以上によれば、原告の第二事業年度の所得金額は三〇、四八〇、七一三円となるところ、第二事業年度の再更正は右金額の範囲内でされたものであるから、右再更正に原告の所得金額を過大に認定した違法はない。

(第三事業年度)

1  被告の主張1(三)(1)のうち、申告所得金額及び税金引当金支出額については、当事者間に争いがない。

2  売上計上もれ(被告の主張1(三)(2)<1>)について

(被告の主位的主張について)

(一)  別表7について

別表7記載の取引中、番号7のうちの小平市上水新町一三八七番の土地を除いて原告が同表の相手方欄記載の者に対して年月日欄記載の日に土地欄記載の土地を売却したことは、当事者間に争いがない。

ところで、成立に争いのない甲(ハ)第一号証の一及び乙(ハ)第九四号証、証人金子亘の証言並びに弁論の全趣旨によれば、原告は昭和三八年五月に立川税務署の係官による法人税調査を受けた後、売上金額の圧縮記帳等の事実を認めて会計帳簿の記録の修正を行ったこと、乙(ハ)第九四号証は右修正後の総勘定元帳のうちの売上金勘定であり、原告は乙(ハ)第九四号証に基づいて確定申告を行ったことが認められるから、乙(ハ)九四号証に記載された売上金額を基礎として売上計上もれの有無を検討すべきである。そして、右乙(ハ)第九四号証によれば、原告は別表7の相手方欄記載の者に対して同表の売上計上欄記載のとおり土地を売却したとして売上を計上していた(但し、番号9の原告の売上計上欄の三八・六・一分の一、〇三九、二九〇及び三八・六・一三分の△一、〇三九、二九〇は除く。また、後記(2)掲記の証拠に照らせば、乙(ハ)第九四号証の四月一四日欄の「西環」は「西璋」の誤記であると認められる。さらに、後記(11)記載の事実によれば、乙(ハ)第九四号証の七月一三日欄の桑原利恵に対する売上は後記(11)の田中和幸に対する売上を記載したものであると認められる。)ことが認められる。

なお、原告は、別表7の番号1ないし6及び8については、売上金額の一部を修正する経理がされており、売上計上もれはない旨を主張する(原告の反論3(一)(1)<1>)が、右主張が理由のないことは右判示に照らして明らかである。

そこで、以下順次計上もれの有無及び売上計上もれの金額について判断する。

(1) 番号1について

証人金子亘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一五九号証、同証言及び弁論の全趣旨によれば、原告の平林先治に対する実際の売上金額は一、八二二、二〇〇円であったことが認められるから、三一五、八四八円の売上計上もれがある。

(2) 番号2について

証人金子亘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一六五号証、同証言及び弁論の全趣旨によれば、原告の西璋に対する実際の売上金額は一、二一五、九〇〇円であったことが認められるから、一〇一、五九〇円の売上計上もれがある。

(3) 番号3について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一六〇号証及び弁論の全趣旨によれば、原告の小松陽一に対する実際の売上金額は一、九六三、七九二円であったことが認められるから、一四一、二八〇円の売上計上もれがある。

(4) 番号4について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一六一号証の一及び弁論の全趣旨によれば、原告の渡辺普に対する実際の売上金額は一、四〇〇、〇二五円であったことが認められるから、一三七、四五七円の売上計上もれがある。

(5) 番号5について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一六二号証及び弁論の全趣旨によれば、原告の山崎種吉に対する実際の売上金額は一、三七四、三〇〇円であったことが認められるから、一九二、四〇二円の売上計上もれがある。

(6) 番号6について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一六三号証及び弁論の全趣旨によれば、原告の谷尾侃に対する実際の売上金額は一、二三一、三六〇円であったことが認められるから、二三八、五七六円の売上計上もれがある。

(7) 番号7について

犬井幸三郎名義でされた小平市上水新町及び立川市砂川町所在の土地の売買は原告が同人名義を借りてしたものであることは、後記のとおりであり、右事実に成立に争いのない甲(ハ)第三二号証及び第一五八号証を併せると、原告は昭和三八年五月一六日に松尾堯に対して小平市上水新町一三八七番七の宅地一一坪及び小平市上水新町一三八八番一二〇の宅地四九・八三坪を売却したことが認められる。そこで、その代金額について検討するに、前掲乙(ハ)第九四号証及び弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一五九号証によれば、原告の総勘定元帳の売上金勘定、売上元帳には松尾堯に対して昭和三八年五月一六日に六〇坪の土地を一坪当たり二七、八〇〇円、合計一、六六八、〇〇〇円で売却した旨の記載があることが認められ、また、証人金子亘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一六七号証の一によれば、松尾堯は東京国税局長の照会に対して一坪当たり二七、八〇〇円、合計一、六九一、〇七四円で購入した旨を回答していることが認められるのであるから、松尾堯が原告から購入した土地の坪当たり単価は二七、八〇〇円であると認めるのが相当である。そして、松尾堯が購入した土地の面積は、前記のとおり六〇・八三坪であるから、原告と松尾堯との間の売買代金額は二七、八〇〇円に六〇・八三坪を乗じた一、六九一、〇七四円であるというべきである(甲(ハ)第一五九号証、乙(ハ)第九四号証に記載された面積及び代金額は後日増減することが予定された暫定的なものであると考えることができるから、右記載も右認定を覆すものではない。)。なお、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については証人多賀谷恒八の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第四八号証の一によれば、松尾堯は東京国税局長の照会に対して買入価額は一、五七二、二七四円である旨を回答していることが認められるが、右回答内容は前掲各証拠に照らして採用することができない。また、前掲甲(ハ)第一五九号証及び乙(ハ)第九四号証には昭和三八年七月二三日に面積を一〇・一七坪減らし、代金を二八二、七二六円減額した旨の記載があるが、右処理は一三八七番七の土地を犬井幸三郎名義で売却するためにされたものと推測することができるから、右記載は前記認定の妨げとなるものではない。

したがって、松尾堯に対する土地の売却に関する売上計上もれの金額は三〇五、八〇〇円である。

(8) 番号8について

証人金子亘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一六六号証の一によれば、原告の窪田義一に対する実際の売上金額は一、三七六、四六〇円であったことが認められるから、一〇、二〇〇円の売上計上もれがある。

(9) 番号9について

前掲乙(ハ)第九四号証、成立に争いのない乙(ハ)第一号証、証人多賀谷恒八の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は榎本豊子に対する売上金額のうち八二七、二八〇円については売上を計上したが、一五三、二〇〇円については売上を計上せず、これを昭和三八年七月一一日に本件仮名預金口座(本件仮名預金口座が原告のものであることは、後記のとおりである。)の一つである高石茂名義の口座に入金していたことが認められるから、一五三、二〇〇円の売上計上もれがある。

(10) 番号10について

原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第九一号証の二ないし五(但し、乙(ハ)第九一号証の二については後記採用しない部分を除く。)、証人中川精二の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九一号証の一及び同証言によれば、原告の藤井得三に対する実際の売上金額は一、六二五、二五〇円であったことが認められる。乙(ハ)第九一号証の二のうち右認定に反する部分は、右各証拠に照らし採用することができない。したがって、売上計上もれの金額は二四六、二五〇円である。

(11) 番号11について

前掲乙(ハ)第一号証及び第九四号証、成立に争いのない甲(ハ)第九二号証、第九三号証、乙(ハ)第一八号証及び第二一号証、原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第九〇号証(但し、後記採用しない部分を除く。)及び第九一号証、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一二七号証、証人多賀谷恒八の証言並びに弁論の全趣旨によれば、田中和幸は同人の妻である田中ミドリ名義で原告から小平市上水新町一三八八番九及び同番一〇の土地を買い受けたが、売買契約書は田中ミドリの父である桑原利恵名義で作成されたこと、原告は右売買金額のうち九六二、二五〇円については売上を計上したが、一九二、四五〇円については売上を計上せず、これを昭和三八年八月一〇日に本件仮名預金口座の一つである高石茂名義の口座に入金したことが認められるから、売上計上もれの金額は一九二、四五〇円であるということができる。甲(ハ)第九〇号証の記載及び原告代表者尋問(第一回)の結果中右認定に反する部分は、右各証拠に照らし採用することができない。

(12) 番号12について

前掲乙(ハ)第一号証及び第九四号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第一七六号証及び第一七七号証の各三、証人大谷勉の証言並びに弁論の全趣旨によれば、原告は鳩久志に対する売上金額のうち一、一五七、五〇〇円については売上を計上したが、二三二、〇〇〇円については売上を計上せず、このうち四五、〇〇〇円については昭和三八年九月一〇日に、一八七、〇〇〇円については同月一四日に本件仮名預金口座の一つである高石茂名義の口座に入金されたが、同月一七日に同口座から五〇〇円が払い戻されて多摩中央信用金庫府中支店の原告の口座に入金され、原告はこれを増坪分として売上に計上していたことが認められるから、売上計上もれの金額は二三一、五〇〇円である。

(13) 番号13について

成立に争いのない乙(ハ)第一二八号証の三ないし六(但し、乙(ハ)第一二八号証の三については後記採用しない部分を除く。)、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙ハ第一二八号証の一、二及び同証言によれば、原告の高橋武司に対する実際の売上金額は一、一五三、〇〇〇円であったことが認められる。乙(ハ)第一二八号証の三のうち右認定に反する部分は、右各証拠に照らし採用することができない。したがって、売上計上もれの金額は一九二、〇〇〇円である。

(14) 番号14について

前掲乙(ハ)第一号証及び第九四号証、証人多賀谷恒八の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は大川清助に対する売上金額のうち、一、〇一六、五〇〇円については売上を計上し、二三三、三〇〇円については売上を計上せず、これを昭和三八年八月一六日に本件仮名預金口座の一つである高石茂の口座に入金したが、同月一五日に水道工事収入として三〇、〇〇〇円を計上するとともに、同月二二日に高石茂名義の口座から右のうち三〇、〇〇〇円を払い戻して原告の公表当座預金口座に入金していたことが認められるから、売上計上もれの金額は二〇三、三〇〇円である。

(15) 番号15について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一二九号証によれば、土岐兼房が買い受けた土地の坪当たり単価は三一、〇〇〇円であったことが認められるところ、土岐兼房が買い受けた土地の面積は、前記のとおり三〇・一四坪であるから、売買代金額は九三四、三四〇円となる。したがって、売上計上もれの金額は一五〇、七〇〇円である。

(16) 番号16について

証人大谷勉の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九六号証の一によれば、原告の田中五郎に対する実際の売上金額は一、三〇八、三〇〇円であったことが認められるから、二一八、〇五〇円の売上計上もれがある。

(17) 番号17について

前掲乙(ハ)第一号証、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一四七号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は中本善次に対する売上金額のうち一、四六八、七四〇円については売上を計上したが、二八二、四五〇円については売上を計上せず、このうち二三六、四〇〇円については昭和三九年一月二八日に、四六、〇五〇円については同月三〇日にそれぞれ本件仮名預金口座の一つである梅村秀照名義の口座に入金していたことが認められるから、売上計上もれの金額は二八二、四五〇円である。

(18) 番号18について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第五二号証の三及び同証言によれば、原告の八木正樹に対する実際の売上金額は一、六六七、七〇〇円であったことが認められる。乙(ハ)第五二号証の一は、右各証拠に照らし採用することができない。したがって、売上計上もれの金額は二七七、九五〇円である。

(19) 番号19について

成立に争いがない乙(ハ)第五一号証及び官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については証人岡崎栄の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第五〇号証の一によれば、原告の味能定に対する実際の売上金額は二、三七六、〇〇〇円であったことが認められる。甲(ハ)第一七号証及び原告代表者の供述(第一回原告代表者尋問)のうち右認定に反する部分は、右各証拠に照らし採用することができない。したがって、売上計上もれの金額は五〇四、〇〇〇円である。

(20) 番号20について

原本の存在及びその成立に争いのない乙ハ第九八号証の二(但し、後記採用しない部分を除く。)、証人大谷勉の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九八号証の一及び同証言によれば、原告の本間孝明に対する実際の売上金額は一、七〇七、〇〇〇円であったことが認められる。乙(ハ)第九八号証の二のうち右認定に反する部分は、右各証拠に照らし採用することができない。したがって、売上計上もれの金額は二八四、五〇〇円である。

(21) 番号21について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一二四号証及び第一二五号証並びに弁論の全趣旨によれば、原告の北山吉郎に対する実際の売上金額は一、五一九、五〇〇円であったことが認められるから、二五三、二五〇円の売上計上もれがある。

(22) 番号22について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一二六号証及び弁論の全趣旨によれば、原告の片岸勝美に対する実際の売上金額は一、三八八、四〇〇円であったことが認められるから、二三一、四〇〇円の売上計上もれがある。

(23) 結論

以上によれば、別表7の相手方欄記載の者に対する土地の売上に係る売上計上もれの金額は、合計四、八六四、一五三円となる。

(二)  別表8について

(1) 別表8記載の取引中、番号11を除いて、同表の相手方欄記載の者が年月日欄記載の日に土地欄記載の土地を買い受けたこと、右のうち番号5のうちの小平市上水新町一三八八番五六の土地、番号6のうちの小平市上水新町一三八八番一一六の土地及び番号15のうちの立川市砂川町二五番二八の土地を売却したのが原告であることは、当事者間に争いがない。

ところで、被告は別表8記載のとおり売上計上もれがあると主張するのに対して、原告は番号5のうち小平市上水新町一三八八番五六の土地、番号6のうち小平市上水新町一三八八番一一六の土地及び番号15のうち立川市砂川町二五番二八の土地を除いて、同表の相手方欄記載の者に対して土地を売却したのは犬井幸三郎である旨を主張する(原告の反論3(一)(2)<1>)ので、まず、別表8の相手方欄記載の者(但し、番号11を除く。)に対して土地を売却したのが原告であるか否かについて検討する(別表7の番号7のうち小平市上水新町一三八七番七の土地を松尾堯に対して売却したのが原告であるか否かについても、検討する。)。

<1> 上水新町関係

前掲甲(ハ)第三二号証、成立に争いのない甲(ハ)第二二号証ないし第二五号証、第二七号証、第二八号証、第三〇号証、第一二九号証、乙(ハ)第五九号証及び第六六号証ないし第八五号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第一一二号証並びに弁論の全趣旨によれば、別表7の番号7の松尾堯に対して譲渡された小平市上水新町一三八七番七の土地及び別表8の番号1ないし10の相手方欄記載の者に対して譲渡された土地(但し、番号5の斎藤雅勝に対して譲渡された同町一三八八番五六及び番号6の阿部順平に対して譲渡された同町一三八八番一一六を除く。)は、いずれも同町一三八七番から分筆されたものであることが認められる。

ところで、右上水新町一三八七番の土地の売買及び分筆の経緯等について、前掲甲(ハ)第二二号証ないし第二五号証、第二七号証、第二八号証、第三〇号証、第三二号証、第一二九号証、乙(ハ)第五九号証及び第六六号証ないし第八五号証、証人犬井幸三郎の証言により真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一三七号証の一、三、四、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については証人犬井幸三郎の証言によって成立を認めることができる甲(ハ)第一三七号証の二、銀行作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨によって成立を認めることができる甲(ハ)第一三八号証、証人小林英嗣の証言によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一三九号証、原告代表者尋問(第二回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一四〇号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第六二号証、甲(ハ)第二一号証、第二六号証、第二九号証、第三一号証、乙(ハ)第九〇号証の二ないし四及び第九七号証の二ないし四の存在及び記載自体、証人小林英嗣及び同犬井幸三郎の各証言、原告代表者尋問(第二回)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

ア 小林英嗣は、小平市上水新町一三八七番の土地一段六畝四歩を所有していたが、原告の従業員からの右土地を売ってほしいとの申入れを了承し、昭和三八年五月六日ころ同人の自宅を訪問した訴外塚本及び原告の従業員が持参した、原告に対して右土地を七、〇一八、〇〇〇円で売り渡す旨の昭和三八年五月六日付けの土地売買契約書(乙(ハ)第六二号証)に署名、押印した。

イ その後、原告の従業員が小林英嗣から犬井幸三郎に対して右土地を三、八七二、〇〇〇円で売り渡す旨の同日付けの土地売買契約書(甲(ハ)第一三九号証)を持参し、犬井幸三郎は原告の社長の親戚で重要な役職についている者で心配ないから署名してほしいと申し向けたため、小林英嗣は右契約書に署名、押印し、先に作成した契約書を焼却した。また、その際、先の契約が無効である旨の原告、小林英嗣間の同日付けの確約書(甲(ハ)第一四〇号証)も作成された。

ウ 右土地は、その後分筆され、松尾堯及び別表8の番号1ないし10の相手方欄記載の者に売却されたが、犬井幸三郎から右の者らに対して土地を売却する旨の記載された売買契約書が作成され、赤羽賢司及び斎藤雅勝に対しては犬井幸三郎作成名義の領収証が発行されている。また、右土地については、小林英嗣から犬井幸三郎に、犬井幸三郎から松尾堯外の者にそれぞれ所有権移転登記がされている。

エ 犬井幸三郎の昭和三八年分の所得税の確定申告書には、右土地の売買により譲渡所得を得た旨の記載があり、右申告に係る所得税も納付されている。

以上の事実を認めることができ、右認定の事実によれば、小林英嗣から上水新町一三八七番の土地を購入し、これを造成したうえ分譲したのは犬井幸三郎であるということが窺えないではない。

しかしながら、他方、証人中川精二の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第五八号証の一ないし七、同証人及び証人犬井幸三郎の各証言によれば、犬井幸三郎は、中野で酪農業を営んでいたが、昭和三三年ころその所有土地が競売に付されたため、乳牛七頭を連れて関戸村に移り、借地上にバラックを建て、そこで昭和三四年ころまで乳牛を飼育した後、桜ケ丘のゴルフ場及び田園都市開発株式会社で人夫として稼働し、昭和三六年ころからは訴外塚本が経営する相模木材で運転手をしていること、同人の昭和三五年ころから同年三八年ころまでの月給は三〇、〇〇〇円であり、そのころ同人の妻はゴルフ場に勤め、月給は約七、八千円であったこと、犬井幸三郎は昭和三八年ころ地代の支払が二年以上遅延していたことが認められるのであって、右事実によれば、犬井幸三郎は昭和三八年当時一段六畝四歩もの土地を購入し、これを造成して分譲するような資力があったとは到底考えられないというべきである(証人犬井幸三郎及び原告代表者(第二回原告代表者尋問)は、犬井幸三郎は一、〇〇〇、〇〇〇円を出し、残りは田園都市開発株式会社からの融資で購入した旨を供述するが、右供述は、右認定の事実及び右供述を裏付ける客観的証拠が提出されていないことに照らし採用することができない。)こと、成立に争いのない乙(ハ)第九七号証の二によれば、犬井幸三郎と斎藤雅勝との間で犬井幸三郎が斎藤雅勝に対して五一・八二坪の土地を売り渡す旨の土地売買契約書が作成されていることが認められるところ、面積の点から考えると、右売買契約書は原告名義の土地と犬井幸三郎名義の土地を一括して売買の対象としているということができるが、真に所有者が違うのであれば右のような販売方法は極めて不自然であること、証人犬井幸三郎の証言によれば、犬井幸三郎は同人の昭和三八年分の所得税の確定申告の内容について全く知らず、また、右申告に係る所得税も誰が納付したか知らないこと及び犬井幸三郎は小林英嗣、松尾堯及び別表8の番号1ないし10の相手方欄記載の者と会ったこともなく、これらの者との売買交渉も行わず、小林英嗣、犬井幸三郎間の売買契約書も見ていないことが認められるところ、犬井幸三郎が右土地の真の買主でこれを分譲したのであれば、右のような事態は通常考えられないこと、前掲甲(ハ)第一三九号証、乙(ハ)第五四号証及び第六二号証、弁論の全趣旨によって原本の存在及びその成立を認めることができる乙(ハ)第六一号証、証人小林英嗣の証言並びに弁論の全趣旨によれば、右土地の真実の代金額は七、〇一八、〇〇〇円であり、小林英嗣は手付金一、〇〇〇、〇〇〇円を原告から小切手で受領し、残金六、〇一八、〇〇〇円は多摩中央信用金庫府中支店において定期預金の設定を受ける等の方法で支払を受けたことが認められるのであるから、契約の内容は小林英嗣と原告との間の契約書(乙(ハ)第六二号証)記載のとおりであって、小林英嗣と犬井幸三郎との間の契約書(甲(ハ)第一三九号証)記載の内容とは異なっているということができること、原告代表者は、裏契約の資金の捻出ができなくなったので、原告と小林英嗣との間の契約を解約して、犬井幸三郎と小林英嗣との間で契約をした旨を供述する(第二回原告代表者尋問)が、後記のとおり、小林英嗣に対する売買代金は原告が出しているのであるから、原告代表者の右供述は採用することができず、他に買主が原告から小林英嗣に変更されたことについて合理的な説明がされていないこと、証人小林英嗣の証言によれば、小林英嗣は、犬井幸三郎とは面識がなく、原告と小林英嗣間の契約書が焼却された後においても右土地の買主は原告であると認識していることが認められるのみならず、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一五〇号証、第一五三号証、第一五六号証及び第一五八号証によれば、杉山与吉、阿部順平、湯浅庄二及び高木隆三郎は売主は原告であると認識していたことが認められること、以上の事情を考慮すると、小林英嗣と犬井幸三郎との間の契約書(甲(ハ)第一三九号証)、小林英嗣と原告との間の契約が無効である旨の確約書(甲(ハ)第一四〇号証)及び犬井幸三郎から各買主に対する売買契約書は、小林英嗣と原告との間の売買代金額を圧縮するとともに、右土地の取引をしたのは犬井幸三郎であると仮装するために作成されたものにすぎず、小林英嗣から昭和三八年五月六日に小平市上水新町一三八七番の土地を代金七、〇一八、〇〇〇円で買い受け、これを松尾堯及び別表8の番号1ないし10の相手方欄記載の者に対して分譲したのは原告であるというのが相当である。

<2> 砂川町関係

成立に争いのない乙(ハ)第一〇二号証ないし第一〇四号証、第一〇五号証の一、二、第一〇六号証及び第一〇七号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第一一二号証並びに弁論の全趣旨によれば、別表8の番号12ないし17の相手方欄記載の者に対して譲渡された土地(但し、番号15の三枝松平に譲渡された立川市砂川町二五番二八を除く。)は、いずれも同町二五番五の土地三〇〇坪から分筆されたものであることが認められるところ、証人大谷勉の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九九号証及び第一〇一号証の各一、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一〇〇号証の四、第一三二号証、第一三六号証及び第一三八号証、証人金子亘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一七一号証、証人桃木弘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一七三号証並びに同証言によれば、右土地はもと金子定五郎が所有していたが、同人からの依頼を受けた桃木弘の仲介により金子定五郎から原告に代金三、〇〇〇、〇〇〇円で売却されたこと及び原告は右土地を造成し別表8の番号12ないし17の相手方欄記載の者に対して分譲したことが認められる。

ところで、原告代表者は、右土地は犬井幸三郎が金子定五郎から四、八〇〇、〇〇〇円で買い受けたものである旨を供述し(第二回原告代表者尋問)、金子定五郎代理人桃木弘及び犬井幸三郎の署名、押印のされた右供述に沿う契約書(甲(ハ)第一四七号証)、桃木弘作成名義の犬井幸三郎宛の四、八〇〇、〇〇〇円の領収証(甲(ハ)第一四八号証)、犬井幸三郎から梅津忠、羽田公司、会田銀蔵、森貞実及び庄子選一に対して土地を売り渡した旨の契約書(乙(ハ)第九九号証の二、第一〇〇号証の五、第一〇一号証の三、第一三三号証及び第一三九号証)並びに犬井幸三郎作成名義の羽田公司、会田銀蔵、森貞実及び庄子選一宛の領収証(乙(ハ)第九九号証の三、四、第一〇〇号証の六、七、第一〇一号証の四、五、第一四一号証及び第一四二号証)が提出されており、前掲甲(ハ)第一三七号証の一ないし四、第一三八号証、乙(ハ)第一〇二号証ないし第一〇四号証、第一〇五号証の一、二、第一〇六号証及び第一〇七号証並びに弁論の全趣旨によれば、右土地については金子定五郎から犬井幸三郎に、犬井幸三郎から別表8の番号12ないし17の相手方欄記載の者に所有権移転登記がされていること及び犬井幸三郎は右土地の売買により譲渡所得を得たとして昭和三八年分の所得税の確定申告をし、右申告に係る所得税を納付していることが認められる。しかしながら、甲ハ第一四七号証及び第一四八号証について、原告代表者は桃木弘作成部分は同人が作成した旨を供述する(第二回原告代表者尋問)が、右供述は証人桃木弘の証言に照らし採用することができず、他に甲(ハ)第一四七号証及び第一四八号証の桃木弘作成部分の成立を認めるに足る証拠はないし、前記のとおり、犬井幸三郎は同人の昭和三八年分の所得税の確定申告の内容について全く知らず、また、右申告に係る所得税を誰が納付したか知らなかったこと、前記認定の犬井幸三郎の稼働状況、収入の状況に照らすと、犬井幸三郎が三〇〇坪もの土地を購入し、これを造成して分譲するほどの資力があったとは到底考えられないこと、証人犬井幸三郎の証言によれば、犬井幸三郎自身右土地の売買については全然出捐しておらず、取引の詳細については一切記憶していないことが認められること、前掲乙(ハ)第九九号証の一、第一〇〇号証の四、第一〇一号証の一、第一三一号証、第一三六号証及び第一三八号証によれば、別表8の番号12ないし17の相手方欄記載の者はいずれも原告から土地を購入したと認識していると認められること、以上の事情に照らせば、原告代表者の前記供述は到底採用することができず、また、前記認定の立川市砂川町二五番五の土地についての所有権移転登記の経過、犬井幸三郎の昭和三八年分の所得税の確定申告及びその納付に係る事実も前記認定を覆すに足りないものというべきである。

(2) 売上計上もれの金額

原告が別表8記載の取引による売上金額を計上していないことについては当事者間に争いがないから、右売上金額が売上計上もれの金額となる。そこで、右売上金額について検討する。なお、犬井幸三郎作成名義の契約書、領収証は、前に判示したところに照らし内容虚偽のものと認められるから、いずれも採用することができない。

<1> 番号1について

官署作成部分については成立に争いのなく、その余の部分については証人岡崎栄の証言によって成立を認めることができる乙(ハ)第四〇号証の一によれば、佐々木修衛は原告から購入した土地の売買代金として同社に対して三、二二四、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

<2> 番号2について

成立に争いのない乙(ハ)第四三号証によれば、栗原多慶子は原告から購入した土地の売買代金として同社に対して二、二四〇、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

<3> 番号3について

原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第九〇号証の五、証人中川精二の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九〇号証の一及び右乙(ハ)第九〇号証の一によって原本の存在及びその成立を認めることができる乙(ハ)第九〇号証の六によれば、赤羽賢司は原告に対して同社から購入した土地の売買代金として四、六七二、六七〇円及び水道工事負担金として六〇、〇〇〇円の合計四、七三二、六七〇円を支払ったことが認められる。

<4> 番号4について

前記のとおり、杉山与吉は原告から小平市上水新町一三八七番一七及び同番二〇の土地(面積合計四七・四三坪)を購入したのであるが、前掲乙(ハ)第一五八号証及び官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については証人岡崎栄の証言によって成立を認めることができる乙(ハ)第四五号証の一(但し、後記採用しない部分を除く。)によれば、右土地の一坪当たりの売買代金額は三〇、〇〇〇円であったこと及び杉山与吉は原告に対して土地売買代金の外に水道工事代金として三〇、〇〇〇円を支払ったことが認められるから、杉山与吉は原告に対して土地売買代金として一、四二二、九〇〇円、水道工事代金として三〇、〇〇〇円の合計一、四五二、九〇〇円を支払ったものということができる。乙(ハ)第四五号証の一の記載のうち右認定に反する部分は前掲乙(ハ)第一五八号証に照らし採用することができず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

<5> 番号5について

前記のとおり、斎藤雅勝は原告から小平市上水新町一三八七番一二、同番一三及び同番二六並びに同町一三八八番五六の土地(面積合計五一・八二坪)を購入したのであるが、証人大谷勉の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九七号証の一によれば、右土地の一坪当たりの売買代金額は三一、〇〇〇円であったことが認められるから、斎藤雅勝は原告に対して土地売買代金として一、六〇六、四二〇円を支払ったものということができる。

<6> 番号6について

前記のとおり、阿部順平は原告から小平市上水新町一三八七番五、同番八及び同町一三八八番一一六の土地(面積合計六一・八坪)を購入したのであるが、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一四九号証及び第一五〇号証によれば、阿部順平は、東京国税局長の照会に対して、右土地を坪当たり約三〇、〇〇〇円、総額で二、〇〇〇、〇〇〇円を少し欠ける金額で買い受けた旨を回答していること及び阿部順平の妻である阿部ひさ子も、東京国税局直税部訟務官室の大蔵事務官土公武尚に対して、阿部順平の右回答と同旨の申述をしていることが認められる。ところで、前記のとおり当事者間に争いがない赤羽賢司、斎藤雅勝及び阿部順平が購入した土地、その面積、購入年月日に原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第六五号証を併せると、阿部順平が購入した土地は斎藤雅勝が購入した土地とは背中合わせの位置にあり、赤羽賢司が購入した土地とは隣接していること及び右三名はほぼ同じ時期に土地を購入したことが認められるところ、前記のとおり、赤羽賢司は四、六七二、六七〇円(坪当たり単価は三三、〇〇〇円となる。)で土地を購入し、斎藤雅勝は坪当たり単価三一、〇〇〇円で土地を購入したのであるから、阿部順平が購入した土地の坪当たり単価も三一、〇〇〇円と下らないと推認することができるものというべきであり、このことに前記の回答、申述内容を勘案すると、阿部順平が購入した土地の坪当たり単価は三一、〇〇〇円、売買代金額は一、九一五、八〇〇円であったと認めるのが相当である。

<7> 番号7について

前記のとおり、志賀為彦は原告から小平市上水新町一三八七番二二及び同番二三の土地(面積合計五七・二九坪)を購入したのであるが、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一五一号証によれば、志賀為彦の子である志賀武彦は、東京国税局長の照会に対して、死亡した父から右土地を坪当たり三〇、〇〇〇円、総額一、七〇〇、〇〇〇円くらいで購入したと聞いた旨を回答していることが認められる。ところで、前記のとおり当事者間に争いがない佐々木修衛、栗原多慶子及び志賀為彦が購入した土地、その面積、購入年月日に前掲乙(ハ)第六五号証を併せると、志賀為彦は佐々木修衛が購入した土地と栗原多慶子が購入した土地にはさまれた土地を購入したこと及び右三名はほぼ同じ時期に土地を購入したことが認められるところ、前記のとおり、佐々木修衛は三、二二四、〇〇〇円(坪当たり単価は三二、〇〇〇円となる。)で土地を購入し、栗原多慶子は二、二四〇、〇〇〇円(坪当たり単価は三一、九一三円となる。)で土地を購入したのであるから、志賀為彦が購入した土地の坪当たり単価も右二名のそれと近似していると推認することができるものというべきであり、このことに前記の回答内容を勘案すると、志賀為彦が購入した土地の坪当たり単価は三一、〇〇〇円、売買代金額は一、七七五、九九〇円であったとみとめるのが相当である。

<8> 番号8について

証人中川精二の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第八九号証(但し、後記採用しない部分を除く。)によれば、山田麻子は原告から購入した土地の売買代金として同社に対して一、六九四、四六〇円を支払ったことが認められる。なお、乙(ハ)第八九号証には山田麻子は犬井幸三郎から土地を購入した旨の記載があるが、右記載部分が採用できないことは前に判示したところに照らし明らかである。

<9> 番号9について

前記のとおり、湯浅庄二は原告から小平市上水新町一三八七番一六及び同番二一の土地(面積合計四〇・三一坪)を購入したのであるが、証人土公武尚の証言によって真正に成立したと認められる乙(ハ)第一五二号証及び第一五三号証によれば、右土地の一坪当たりの売買代金額は三一、〇〇〇円であったこと及び湯浅庄二は原告に対して土地売買代金の外に水道負担金三〇、〇〇〇円を支払ったことが認められるから、湯浅庄二は原告に対して土地売買代金として一、二四九、六一〇円、水道負担金として三〇、〇〇〇円の合計一、二七九、六一〇円を支払ったものということができる。

<10> 番号10について

証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一五五号証及び第一五六号証並びに右乙(ハ)第一五六号証によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一五七号証によれば、高木隆三郎は原告に対して同社から購入した土地の売買代金として八六七、一〇〇円及び水道負担金として三〇、〇〇〇円の合計八九七、一〇〇円を支払ったことが認められる。

<11> 番号11について

前掲乙(ハ)第一号証並びに成立に争いのない乙(ハ)第四六号証及び第四七号証によれば、大木入明は、昭和三八年七月ころ、原告から小平市上水新町の土地を購入し、その売買代金の一部として五〇〇、〇〇〇円を原告に対して支払ったこと及び昭和三八年七月一〇日に右売買契約は解除されたが、右五〇〇、〇〇〇円は契約解除に伴う違約金として処理されたため、大木入明には返還されなかったことが認められるのであって、右認定の事実によれば、原告は右大木入明との取引に関して五〇〇、〇〇〇円の収入を得たものということができる。

<12> 番号12について

前掲乙(ハ)第一三二号証及び証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一三一号証によれば、梅津忠は原告から購入した土地の売買代金として同社に対して一、一六〇、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

<13> 番号13について

前掲乙(ハ)第一〇一号証の一、原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第一〇一号証の二によれば、羽田公司は原告から購入した土地の売買代金として同社に対して二、〇三九、五七〇円を支払ったことが認められる。

<14> 番号14について

前記のとおり、会田銀蔵は原告から立川市砂川町二五番四七及び同番四八の土地(面積合計三〇・三五坪)を購入したのであるが、前掲乙(ハ)第一〇〇号証の四によれば、会田銀蔵は原告に対して一坪当たり二九、〇〇〇円の売買代金を支払ったことが認められるから、会田銀蔵が原告に対して支払った右土地の売買代金額は八八〇、一五〇円であったということができる。

<15> 番号15について

前記のとおり、三枝松平は原告から立川市砂川町二五番二六、同番二七及び同番二八の土地(面積合計五〇坪)を購入したのであるが、前掲乙(ハ)第一三六号証及び証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一三五号証によれば、三枝松平は原告に対して一坪当たり二九、〇〇〇円の売買代金を支払ったことが認められるから、三枝松平が原告に対して支払った右土地の売買代金額は一、四五〇、〇〇〇円であったということができる。

<16> 番号16について

前掲乙(ハ)第一三八号証、成立に争いのない乙(ハ)第一四三号証及び第一四四号証並びに証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一三七号証によれば、森貞実は原告に対して同社から購入した土地の売買代金として八七〇、〇〇〇円及び建築契約金として三〇、〇〇〇円の合計九〇〇、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

<17> 番号17について

前記のとおり、庄子選一は原告から立川市砂川町二五番五及び同番二一の土地(面積合計三〇・四四坪)を購入したのであるが、証人土公武尚の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第九九号証の一によれば、庄子選一は原告に対して一坪当たり二九、〇〇〇円の売買代金を支払ったことが認められるから、庄子選一が原告に対して支払った右土地の売買代金額は八八二、七六〇円であったということができる。右認定に反する乙(ハ)第九九号証の一の記載部分は右証拠に照らし採用することができない。

<18> 結論

以上によれば、別表8の相手方欄記載の者に対する土地の売買に係る売上計上もれの金額は、合計二八、六三一、四三〇円となる。

(3) 原告は、右判示の取引が原告に帰属するとするならば、売上原価、販売手数料を原告の所得金額から控除すべき旨を主張する(原告の反論3(一)(2)<2>)ので、この点について検討する。

<1> 売上原価

ⅰ 上水新町関係

ア 仕入代金

前記のとおり、原告は昭和三八年五月六日小林英嗣から小平市上水新町一三八七番の土地を買い受け、小林英嗣は右土地の売買代金七、〇一八、〇〇〇円のうち手付金一、〇〇〇、〇〇〇円は原告から小切手で支払を受け、残金六、〇一八、〇〇〇円は多摩中央信用金庫府中支店において定期預金の設定を受ける等の方法で支払を受けたものであり、原告の総勘定元帳の買掛金勘定には、昭和三八年五月二一日付けで田園都市開発株式会社に対する買掛金支払額二、八七二、〇〇〇円及び三、一四六、〇〇〇円の合計六、〇一八、〇〇〇円が計上されていること、多摩中央信用金庫府中支店の原告の公表の当座預金から同月二二日付けで額面二、八七二、〇〇〇円及び三、一四六、〇〇〇円の小切手で合計六、〇一八、〇〇〇円が払い戻されていること、同店において同日付けで小林英嗣のために同人名義で二、八七二、〇〇〇円の定期預金及び多田一郎名義で二、一四六、〇〇〇円の通知預金が設定されていることは、当事者間に争いがないのであって、右の事実によれば、小平市上水新町一三八七番の土地の仕入代金のうち六、〇一八、〇〇〇円は田園都市開発株式会社に対する買掛金支払額として損金に算入されているものということができる。

原告は、昭和三八年五月二一日に田園都市開発株式会社から仕入れた東京都南多摩郡日野町豊田小高田所在の一、四七二坪の土地の仕入代金として原告は同月二二日に同社に対して六、〇一八、〇〇〇円を支払い、同社はこれを犬井幸三郎に貸し付けたのであり、田園都市開発株式会社は犬井幸三郎から同年六月一〇日に返済を受けている旨を主張し、原告代表者は右原告の主張に沿う供述する(第二回原告代表者尋問)ところ、原告代表者尋問(第二回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一四九号証及び成立に争いのない乙(ハ)第一一〇号証によれば、原告の総勘定元帳の買掛金勘定及び仕入帳には右六、〇一八、〇〇〇円は右土地の仕入代金の内金として田園都市開発株式会社に支払われた旨の記載があることが認められる。しかしながら、前記のとおり、田園都市開発株式会社が犬井幸三郎に六、〇一八、〇〇〇円を貸し付け、同人が昭和三八年六月一〇日に田園都市開発株式会社に右金員を返済した事実を認めることはできないこと、原告と田園都市開発株式会社との間で原告代表者が供述するように土地の売買契約が締結され、売買代金の支払がされたことを裏付ける契約書、領収証等の証拠が提出されず、田園都市開発株式会社において原告代表者の供述に沿う経理処理がされているかについても不明であることに照らすと、原告代表者の前記供述は到底採用することができず、原告の帳簿の前記記載は、原告と小林英嗣との間の土地の取引を隠ぺいするためにされた仮装のものであるというべきである。

そして、原告の右のような経理処理に照らすと、手付金として小林英嗣に支払われた一、〇〇〇、〇〇〇円についても、何らかの名目で損金に算入されていると推認することができる。

イ 仕入手数料、雑費

前記のとおり、犬井幸三郎の昭和三八年分の所得税の確定申告書には小平市上水新町一三八七番の土地の売買により譲渡所得を得た旨の記載があり、前掲甲(ハ)第一三七号証の一ないし四によれば、右確定申告においては右土地の仕入代金を三、八七二、〇〇〇円、朝倉満に対する仕入手数料を八〇〇、〇〇〇円、その他の取得経費を三二〇、〇〇〇円として右譲渡所得の金額が算出されていることが認められるが、前記のとおり右土地の仕入代金は七、〇一八、〇〇〇円であるから、右確定申告書は真実の土地仕入代金を記載したものでないことは明らかであって、このことに鑑みると、右確定申告書の他の記載も直ちには採用することができないものというべきであり、他に右土地の仕入れに関して仕入手数料八〇〇、〇〇〇円、その他の取得経費三二〇、〇〇〇円が支払われたことを裏付ける証拠が提出されていないことに照らすと、右土地の売買に関して仕入手数料及びその他の取得経費の合計一、三二〇、〇〇〇円の支払はなかったものと認めるのが相当である。

ⅱ 砂川町関係

ア 仕入代金

前記のとおり、立川市砂川町二五番五の土地は、原告が金子定五郎から三、〇〇〇、〇〇〇円で仕入れたものである。ところで、原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第一一四号証の一一によれば、原告は昭和三八年五月二四日に田中幸子から立川市砂川町二五番三の土地(面積六〇八坪)を一二、一六〇、〇〇〇円で、同番四の土地(面積一五二坪)を三、〇四〇、〇〇〇円で仕入れたとして経理処理していることが認められるところ、証人金子亘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一七二号証によれば、田中幸子が右土地の売買代金として原告から支払を受けたのは一二、一六〇、〇〇〇円であったことが認められる。甲(ハ)第一五三号証、第一五四号証には原告の右経理処理に沿う記載があり、原告代表者も同旨の供述をする(第二回原告代表者尋問)が、右記載及び右供述は前掲乙(ハ)第一七二号証に照らし採用することができない。したがって、原告は、立川市砂川町二五番三、同番四の土地について仕入代金を三、〇四〇、〇〇〇円過大に計上しているということができるから、仮に同町二五番五の仕入代金三、〇〇〇、〇〇〇円を経費として計上していないとしても、改めて右金額を損金に算入する必要はないものというべきである。

イ 仕入手数料

前記のとおり、犬井幸三郎の昭和三八年分の所得税の確定申告書には立川市砂川町二五番五の土地の売買により譲渡所得を得た旨の記載があり、前掲甲(ハ)第一三七号証の一ないし四によれば、右確定申告においては右土地の仕入代金を四、八〇〇、〇〇〇円、仕入手数料を五〇〇、〇〇〇円として右譲渡所得の金額が算出されていることが認められるが、前記のとおり右土地の仕入代金は三、〇〇〇、〇〇〇円であるから右確定申告書は真実の土地仕入代金を記載したものでないことは明らかであって、このことに鑑みると、右確定申告書の他の記載も直ちには採用することができないというべきであり、他に右土地の仕入れに関して仕入手数料八〇〇、〇〇〇円が支払われたことを裏付ける証拠が提出されていないことに照らすと、右土地の売買に関して仕入手数料五〇〇、〇〇〇円の支払はなかったものと認めることが相当である。

ⅲ 造成費用

前記のとおり、犬井幸三郎の昭和三八年分の所得税の確定申告書には小平市上水新町一三八七番の土地及び立川市砂川町二五番五の土地の売買により譲渡所得を得た旨の記載があり、前掲甲(ハ)第一三七号証の一ないし三によれば、右確定申告においては右両土地の改良増設等のために要した費用は富士建設に対する二、〇七八、三〇〇円、朝日建材に対する二、九七〇、五〇〇円の合計五、〇四八、八〇〇円であるとして右譲渡所得の金額が算出されていることが認められるが、右確定申告書の記載を直ちには採用しがたいことは前記のとおりであり、他に右両土地の造成費用として右金額が支出されたことを認めるに足る証拠はない。

ところで、前記のとおり、原告は犬井幸三郎名義で小平市上水新町一三八七番の土地及び立川市砂川町二五番五の土地を購入し、これを造成して分譲したのであるから、原告が右土地の造成費用を支出したことは明らかである。そこで、右造成費用が損金として計上されているか否かについて検討する。

前掲乙(ハ)第六五号証、第一一二号証及び第一七一号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙(ハ)第六四号証、成立に争いのない乙(ハ)第一一一号証、証人金子亘の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一七〇号証、原告代表者尋問(第二回)の結果(但し、後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨によれば、小平市上水新町一三八七番の土地と原告名義で造成、分譲の行われた同町一三八八番の土地は地続きであって、同一時期に高地を崩して盛土をする等の方法で造成された結果、右両土地はその中に設定された共通の私道に沿って整然と区画された一団の分譲地を構成することになり、しかも、右両土地の分譲地はほぼ同じ時期に分譲されたこと、立川市砂川町二五番五の土地と原告名義で造成、分譲の行われた同町二五番三及び同番四の土地は地続きであって、造成後の状況を見ると、右両土地の中に設定された共通の私道にそって整然と区画された一団の分譲地を構成しており、右両土地の分譲地はほぼ同じ時期に分譲されたこと、原告の総勘定元帳の宅地造成工事費勘定には、原告が昭和三八年三月から同年五月三〇日までの間に小平造成工事代等として一六、四〇四、九五〇円の支払をした旨の記載及び同年六月三〇日に砂川造成費として一、〇五一、〇〇〇円の支払をした旨の記載があること、以上の事実を認めることができる。原告代表者尋問(第二回)の結果中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、小平市上水新町一三八七番の土地と同町一三八八の土地、立川市砂川町二五番五の土地と同番三、四の土地とは、それぞれ同一の造成計画の下に、ほぼ同一の時期に造成されたことは明らかであり、このことに、原告宛の造成費についての領収証は提出されているが、犬井幸三郎宛の領収証は提出されていないことを併せ考えると、右各土地の造成工事はすべて原告名義でなされ、その費用もすべて原告の総勘定元帳の宅地造成工事費勘定に計上されていると推認することができる。したがって、改めて右費用を損金に算入する必要はないものというべきである。

<2> 販売手数料

前掲甲(ハ)第一号証の一及び成立に争いのない甲(ハ)第一五二号証の二によれば、原告は犬井幸三郎から販売手数料として昭和三八年九月一日に五〇〇、〇〇〇円、同月一五日に五〇〇、〇〇〇円、同年一〇月一六日に四五〇、〇〇〇円、同年一一月三〇日に五五〇、〇〇〇円の合計二、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受けたとして第三事業年度の確定申告をしていることが認められ、原告代表者尋問(第二回)の結果によれば、右販売手数料は小平市上水新町一三八七番の土地及び立川市砂川町二五番五の土地の販売に関するものとして計上されていることが認められる。

被告は、右販売手数料は桜ケ丘の物件に関するものである旨を主張し、前掲甲(ハ)第一五二号証の二によれば、受入手数料勘定元帳には昭和三八年一一月三〇日分を除き犬井幸三郎の名前の横に桜ケ丘と付記されていることが認められる。しかしながら、原告代表者は、犬井幸三郎は当時桜ケ丘と称される土地に居住していたため右受入手数料元帳に桜ケ丘と付記した旨を供述する(第二回原告代表者尋問)するところ、前記の犬井幸三郎の稼働状況、収入の状況、原告が小平市上水新町一三八七番の土地及び立川市砂川町二五番五の土地以外の土地について犬井幸三郎のために販売の仲介をしたとして経理処理をしていることを窺わせるに足る証拠が提出されていないことに鑑みると、原告代表者の右供述は採用するに足るものということができないから、受入手数料元帳に桜ケ丘との付記があるからといって前記認定を覆すに足りないものというべきであり、被告の右主張を採用することはできない。

そして、前記のとおり、右両土地は原告が犬井幸三郎名義で分譲したものであるから、右の販売手数料二、〇〇〇、〇〇〇円を原告の収益に計上すべきではなく、これを所得金額から控除すべきである。

(三)  清水一彦に対する売上について

前掲乙(ハ)第九四号証、成立に争いのない甲(ハ)第一五六号証、第一五七号証の一、二、乙(ハ)第一〇号証及び第一七九号証の一ないし五、原告代表者尋問(第二回)の結果によって原本の存在及びその成立を認めることができる甲(ハ)第一三三号証及び第一三四号証の一、二、証人菅野俊夫の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一七四号証の一、同証言によって原本の存在及びその成立を認めることができる乙(ハ)第一七四号証の二ないし六、同証言、原告代表者尋問(第二回)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、清水一彦は、昭和三八年二月ころ、新聞の折り込み広告を見て田園都市開発株式会社の事務所を訪れたところ、車で東京都南多摩郡多摩村連光寺字諏訪越一二〇二番所在の桜ケ丘分譲地に案内され、そこで二、〇〇〇円を支払い、同分譲地の「ちの<10>」区画三五・〇三坪を購入する旨の契約書に拇印を押したこと、同人は右の売買代金として同年三月一六日に三〇〇、〇〇〇円を、同月二九日に五六九、七二一円を支払い、また、右同日水道幹線工事代として三〇、〇〇〇円を、登記料預り金として三、〇〇〇円を支払い、それぞれ田園都市開発株式会社名義の領収証ないし預り証を受け取ったこと、同人は「ちの<10>」区画を田園都市開発株式会社から購入したと考えていること、右「ちの<10>」区画の一部である東京都南多摩郡多摩村連光寺字諏訪越一二〇二番三七及び同番三八の土地(面積合計二八・四六坪)については、昭和三八年六月一二日付けで同月四日売買を原因として原告から清水一彦に対して所有権移転登記がされていること、右二筆の土地について右のような登記がされた旨の土地登記済通知書が東京法務局府中出張所から立川税務署長宛に送付されていること、原告の総勘定元帳の借受金勘定には昭和三八年八月二三日に清水一彦から七〇八、二二七円の入金があった旨の記載があり、また、原告の銀行勘定帳には同年一一月二〇日に同月一七日満期の額面七〇八、二二七円の手形を取り立てて右金額が清水一彦から入金になった旨の記載があるが、原告は右入金を売上に計上していない(原告代表者は、第一回原告代表者尋問において、清水一彦に対する売上を計上している旨を供述するが、右供述は前掲各証拠に照らし採用することができない。)こと、以上の事実を認めることができ、右認定の事実に原告代表者尋問(第二回)の結果を併せると、「ちの<10>」区画は原告所有の東京都南多摩郡多摩村連光寺字諏訪越一二〇二番三七及び同番三八の土地(面積合計二八・四六坪)と田園都市開発株式会社所有の土地六・五七坪から成り立っていたが、原告は原告所有の右二筆の土地を田園都市開発株式会社に七〇八、二二七円で売却し、同社が右二筆の土地を含めて清水一彦に売却したと認めるのが相当である。なお、証人菅野俊夫の証言によって真正に成立したものと認められる乙(ハ)第一七八号証及び同証言によれば、田園都市開発株式会社の売上関係調書には、清水一彦から昭和三八年二月一〇日に二、〇〇〇円、同年三月一六日に三〇、〇〇〇円、同月二九日に五六九、七二一円の売上代金の入金があったが、同年六月三〇日に契約が解消された旨の記載があり、また、同社は清水一彦に対する売上を計上していないことが認められるが、田園都市開発株式会社が売上の一部を隠ぺいしたにすぎないものと考えられないではないから、右事実をもって前記認定を覆すことはできないものというべきである。

以上によれば、原告は、東京都南多摩郡多摩村連光寺字諏訪越一二〇二番三七及び同番三八の土地(面積合計二八・四六坪)を七〇八、二二七円で田園都市開発株式会社に売却したにもかかわらず、前記のとおりこれを売上に計上していなかったのであるから、右金額を所得金額に加算すべきである。

(四)  結論

以上によれば、売上計上もれの金額は三四、二〇三、八一〇円であるから、この金額を申告所得金額に加算し、また、二、〇〇〇、〇〇〇円を申告所得金額から減算すべきである。

(被告の予備的主張について)

被告の主位的主張によった場合の所得金額は後記のとおり五四、四一九、三四六円となり、第三事業年度の更正の金額を上回るから、売上計上もれについての被告の予備的主張については判断する必要はない。

3 仕入否認(被告の主張1(三)(2)<2>)について

(一)  砂川町関連の四〇、〇〇〇円について

前記のとおり、原告は立川市砂川町二五番三及び同番四の土地を一二、一六〇、〇〇〇円で仕入れたにもかかわらずこれを一五、二〇〇、〇〇〇円で仕入れたとして経理処理していたのであって、原告が犬井幸三郎名義で仕入れた立川市砂川町二五番五の土地の仕入代金三、〇〇〇、〇〇〇円が損金に計上されていないとしても、右三筆の土地の仕入代金は一五、一六〇、〇〇〇円であるから、右経理処理において仕入代金を四〇、〇〇〇円過大に計上しているというべきである。したがって、右金額を損金から控除すべきである。

(二)  金田修関連の二、四四六、〇〇〇円について

原告が昭和三八年七月二三日に金田修に対して仕入代金として支払ったとして処理していた額面二、四四六、〇〇〇円の小切手が松沢信用金庫本店の久保宏名義の口座に入金されていたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙(ハ)第二二号証及び証人多賀谷恒八の証言によれば、右の久保宏の名義の口座は田園都市開発株式会社のものであることが認められる。原告代表者は、右の口座は訴外塚本のものである旨を供述する(第一回原告代表者尋問)が、右供述は前掲各証拠に照らし採用することができない。

この点について、原告は、訴外塚本が昭和三五年三月二四日ころ、吉田金助から同人所有の調布市上石原一二五九番一及び同番二の土地を買い受け、これを原告に売却し、右土地の仕入代金として原告から二、四四六、〇〇〇円の支払を受けた旨を主張する(原告の反論3(二)(2))ところ、成立に争いのない甲(ハ)第八号証及び第九号証、原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一二七号証、証人吉田卯吉の証言によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一三五号証及び第一三六号証、同証言並びに原告代表者尋問(第一回)の結果によれば、訴外塚本は昭和三五年三月二四日ころ吉田金助から調布市上石原一二五九番一の土地を買い受けたこと、右土地については昭和三七年四月三日付けで吉田金助から原告に所有権移転登記がされていること、原告は右土地に調布市上石原一二六〇番を合筆したうえこれを一二五九番一及び同番二に分筆し、昭和三八年七月八日に右両土地を島田稔に売却し、同月一八日付けで同人に対して所有権移転登記がされたこと、以上の事実を認めることができる。しかしながら、訴外塚本が右土地を原告に売却し、その売買代金として原告から二、四四六、〇〇〇円の支払いを受けたとの点については、原告代表者の供述(第一回原告代表者尋問)中には右主張に沿う部分があるが、前記のとおり、二、四四六、〇〇〇円が入金された久保宏名義の口座は田園都市開発株式会社のものであるから、原告代表者の右供述部分は既にこの点において採用しがたいものであるのみならず、原告代表者は右売買の行われた日付、売買代金額について明確な供述をしていないこと、右売買を裏付ける客観的証拠が提出されていないこと、原告が訴外塚本に対して右土地の売買代金として二、四四六、〇〇〇円を支払ったのであれば、そのように経理処理すればよいのに、金田修からの仕入れとして経理処理したことについて原告代表者は何ら納得のいく説明をしていないことに鑑みると、原告代表者の右供述部分を採用することはできないものといわざるを得ず、他に原告が訴外塚本に対する土地の仕入代金として二、四四六、〇〇〇円を支払ったことを認めるに足りる証拠はない。したがって、原告の右主張を採用することはできない。

そして、原告が田園都市開発株式会社に対して二、四四六、〇〇〇円を支払う理由について何ら証拠が提出されていないことに照らすと、右金員は原告から田園都市開発株式会社に対する寄付金であると認めるのが相当であり、後記のとおり、右金員のうち七五三、四〇九円だけを損金に算入すべきである。

4 棚卸計上もれ(被告の主張一(三)(2)<3>)について

成立に争いのない乙(ハ)第一〇八号証及び第一〇九号証によれば、立川市砂川町二五番一九及び同番二〇の土地(面積合計四九坪)は同番五の土地から分筆されたこと、右土地は昭和三九年二月一日以降に売却されたことが認められるところ、前記のとおり、同番五の土地は原告が犬井幸三郎名義で買い受けたものであるから、右土地は原告の第三事業年度末の棚卸資産に計上されていないと推認することができる。

ところで、右土地の期末棚卸高を認定するに足る証拠はないのであるから、右金額は合理的な方法により推計せざるを得ない。この点について、被告は、原告が買い受けた砂川町二五番三、同番四及び同番五の土地の仕入代金(前記のとおり一五、一六〇、〇〇〇円である。)に棚卸計上もれになっている右土地の面積の右の砂川町の土地全体の面積(前記のとおり一、〇六〇坪である。)に対する割合を乗じて棚卸計上もれ金額を算出すべき旨を主張するところ、被告主張の方法で棚卸計上もれ金額を算出することは合理的であるというべきである。そして、棚卸計上もれ金額が被告主張のとおり七〇〇、七四九円となることは計数上明らかである。

5 架空造成費等否認(被告の主張1(三)(2)<4>)について

原告が土地造成費等の名目で経費として計上していた三九、七九七、五〇五円が、別表10記載のとおり、訴外塚本が負担すべき原告又は田園都市開発株式会社の増資払込金に充当されたり、本件仮名預金口座等に入金されたことは、当事者間に争いがない。

(一)  本件仮名預金口座について

被告が本件仮名預金口座は原告のものであると主張するのに対して、原告は同口座は訴外塚本のものであると主張するので、この点について検討する。

本件仮名預金口座に原告が売却した土地の売却代金として受領した小切手、原告の公表当座預金から造成費、仕入代金、手数料等の支払の名目で引き出された金員が預け入れられ、また、本件仮名預金口座からの引出金が原告の公表帳簿に受け入れられていることは、当事者間に争いがなく、証人多賀谷恒八の証言によれば、多摩中央信用金庫府中支店備付けの本件仮名預金口座の名寄せカードには「日宅」と記載されていたこと、本件仮名預金口座のうちいくつかの口座の預金元帳の下欄には「日宅様」と記載されていたこと及び多摩中央信用金庫府中支店の原告の得意先係も本件仮名預金口座は原告の預金であると述べていたことが認められるのであって、これらの事実によれば、本件仮名預金口座は原告のものであると認めるのが相当である。

なお、原告代表者は、本件仮名預金口座は訴外塚本のものであり、原告が売却した土地の代金が入金になる前に訴外塚本が本件仮名預金口座から引き出して原告に支払っておき、買主から入金になったときに先に原告に支払った金額を本件仮名預金口座に入れたり、あるいは、原告が支払うべき造成費、仕入代金、手数料等を訴外塚本が立て替えて支払い、原告に資金の余裕ができたときに右金額の返済を受け、これを本件仮名預金口座に入金していた旨を供述する(第一回原告代表者尋問)が、立替払の具体的な内容についての供述がなく、また、訴外塚本が原告に代わって造成費等を立替払したことを裏付ける証拠がないこと(後記のとおり、この点に関する原告提出の証拠は採用できない。)、右供述のとおり訴外塚本が原告に対して支払をし、あるいは、立替払をしたのであれば、そのように経理処理すべきであるのに、そのように経理処理されたことを認めるに足る証拠がないこと及び前記認定の事実に鑑みると、原告代表者の右供述を採用することはできない。

(二)  土地造成費について

原告が土地造成費として計上していたもののうち、別表10記載のとおり、合計二四、九六一、〇〇〇円が訴外塚本の負担すべき原告又は田園都市開発株式会社の増資払込金に充てられたり、本件仮名預金口座等に入金されていたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、本件仮名預金口座が原告のものであることは前記のとおりである。

ところで、この点について、原告は、原告の営業資金が不足して造成費の支払ができない場合、あるいは、造成工事現場で工事人に工事代金を支払う場合に、訴外塚本が原告に代わって造成費等を支払っておき、後日原告に資金ができたとき等に訴外塚本が原告から土地造成費名目で支払を受け、原告の増資払込金等に使用した旨を主張する(原告の反論3(三)(1))ところ、原告代表者は右主張に沿う供述をし(第一回原告代表者尋問)、また、証人久保木良久及び同楠田武男は、原告が富士建設こと楠田武男及び朝日建材店こと久保木良久に支払うべき造成費等を訴外塚本が代わって支払ったことがある旨を証言し、さらに、右支払を裏付ける領収証(甲(ハ)第三三号証ないし第四〇号証、第九九号証ないし第一〇三号証)が提出されている。しかしながら、前記のとおり、本件仮名預金口座は原告のものであるから、同口座に入金された一二、〇六一、〇〇〇円及び松沢信用金庫の田園都市開発株式会社の口座に入金された昭和三八年五月一四日支払の六〇〇、〇〇〇円については、原告の右主張が失当であることは明らかである。また、原告代表者の訴外塚本が原告に代わって支払をしたとの供述を採用しがたいことは前記(一)記載のとおりであるし、右領収証についてみても、証人久保木良久、同楠田武男及び原告代表者(第一回原告代表者尋問)は、右領収証はいずれも実際に支払がされたときに作成されたものではなく、後日何回かの支払をまとめて記載されたものであり、その金額も実際に支払われた金額よりも多額のものがあり、他人に支払われた金額を含んでいるものもある旨を述べているのであって、右供述に照らすと、右領収証の記載を採用することは到底できないし、さらに、証人久保木良久及び同楠田武男の各証言についてみても、立替払の具体的内容については全く不明であり、かつ、立替払を裏付けるような帳簿は一切提出されておらず、提出された領収証も採用しがたいものである以上、右証言部分を採用することは到底できない。そして、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

以上述べたところに、右二四、九六一、〇〇〇円が何らかの経費として支払われたことを認めるに足る証拠が提出されていないことに鑑みると、右金員は経費として支出されたものではないと認めるのが相当である。

(三)  土地仕入高について

(1) 昭和三八年五月一〇日支払の二、一〇〇、〇〇〇円及び同月一六日支払の一、〇〇〇、〇〇〇円について

昭和三八年五月一〇日に二、一〇〇、〇〇〇円が、同月一六日に一、〇〇〇、〇〇〇円が小林正己名義の口座から仕入代金として引き出され、訴外塚本の負担すべき原告の増資払込金に充てられたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右口座は原告のものであること及び原告は右支出を仕入れに計上していたことが認められる。

原告は、右金員は原告が同年三月二三日に谷合米吉から仕入れた北多摩郡西府村の土地の仕入代金として支払われている旨を主張する(原告の反論3(三)(2)<1>)ので、検討するに、成立に争いのない甲(ハ)第一三一号証及び乙(ハ)第一一四号証の五、原本の存在及びその成立に争いのない甲(ハ)第一一〇号証、原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一〇四号証ないし第一〇九号証並びに原告代表者尋問(第一回)の結果によれば、原告は昭和三八年三月二三日に谷合米吉から北多摩郡西府村本宿南原三〇六一番及び三〇八二番の土地(実測面積二五〇坪)を買い受けたこと、原告が谷合米吉から右土地を六、〇〇〇、〇〇〇円で買い受ける旨の契約書(甲(ハ)第一〇四号証)及び右土地の売買代金として原告から谷合米吉に対して昭和三八年三月二三日に一、〇〇〇、〇〇〇円が、同年五月六日一、〇〇〇、〇〇〇円が、同月九日に二、一〇〇、〇〇〇円が、同年六月一〇日に一、〇〇〇、〇〇〇円がそれぞれ支払われた旨の領収証(昭和三八年三月二三日の支払につき甲(ハ)第一〇五号証及び第一〇六号証、同年五月六日の支払につき甲(ハ)第一〇七号証、同月九日の支払につき甲(ハ)第一〇八号証、同年六月一〇日の支払につき甲(ハ)第一〇九号証)が作成されており、原告の仕入帳(乙(ハ)第一一四号証の五)にも同旨の記載があることが認められる。しかしながら、甲(ハ)第一〇七号証ないし第一〇九号証の金額欄、但書欄及び日付欄が後日書き加えられたものであることはその記載自体から明らかであり、このことに原告代表者尋問(第一回)の結果を併せると、右の領収証の金額欄、但書欄及び日付欄は原告の関係者が谷合米吉に無断で記入したものと認めるのが相当であるから、右の領収証が存在するからといって、原告が谷合米吉に対してその日付欄記載の日に金額欄記載の金額を支払ったと認めることはできず、また、仕入帳の記載も右の領収証の記載と一致しているのであるから、その記載を採用することはできない。そして、他に原告が谷合米吉に対して昭和三八年五月一〇日に二、一〇〇、〇〇〇円を、同月一六日に一、〇〇〇、〇〇〇円をそれぞれ支払ったことを認めるに足る証拠はない。なお、原告代表者は、原告と谷合米吉との間には裏契約が存在し、裏契約によって生じた差額は訴外塚本が原告に代わって支払っておき、後日原告から右金額の支払を受けたものである旨を供述する(第一回原告代表者尋問)が、右差額がいくらであったかについては明確な供述がなく、また、右立替払を裏付ける客観的証拠も提出されておらず、さらに、右供述に沿うような経理処理もされていない以上右供述を採用することはできない。

したがって、昭和三八年五月一〇日に支払われたとされた二、一〇〇、〇〇〇円及び同月一六日に支払われたとされた一、〇〇〇、〇〇〇円の合計三、一〇〇、〇〇〇円を所得金額に加算すべきである。

(2) 昭和三八年七月三一日付けの宮野武夫外四名からの仕入れについて

原告が昭和三八年七月三一日付けで仕入代金として宮野武夫に対して一、五三八、三六〇円を、久保木良久に対して一、五三八、三六〇円を、安藤房雄に対して一、五三八、三六〇円を、加納肇に対して一、二一一、一四六円を、長岡恒に対して一、八一七、一九〇円をそれぞれ約束手形で支払ったとして経理処理していたこと及び宮野、久保木、安藤及び加納に対する支払として処理されていた合計五、八二六、二二六円が昭和三八年八月五日に、長岡に対する支払として処理されていた一、八一七、一九〇円が同月七日にそれぞれ多摩中央信用金庫府中支店の石垣俊夫名義の預金口座に入金されたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、右石垣俊夫名義の預金口座が原告のものであることは前記のとおりである。

右の事実によれば、原告が宮野武夫外四名からの仕入代金として計上した合計七、六四三、四一六円は架空仕入れであることが明らかであるから、右木の損金算入を否認すべきである。

なお、原告は、この点について、南多摩郡多摩村連光寺字諏訪越一二〇二番三ないし七の地主が裏契約をしないと売買に応じないので、地主と宮野武夫外四名との間では地主の希望どおりの売買代金額で売買契約書を作成し、宮野武夫外四名と原告との間では実際の売買代金額で売買契約書を作成した旨及び売買代金は全額訴外塚本が立替払しておき、後日原告が宮野武夫外四名に支払ったことにして訴外塚本が支払を受けた旨を主張する(原告の反論3(三)(2)<2>)ところ、成立に争いのない甲(ハ)第一二号証、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一〇号証の一、三、原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第二号証、第三号証及び第一〇号証の二、証人加納肇の証言によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第四号証及び第一一号証、証人久保木良久の証言によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第五号証、証人久保木良久の証言によって原本の存在及び成立を認めることができる甲(ハ)第六号証、証人安藤房雄の証言によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第七号証、証人加納肇、同安藤房雄及び同久保木良文の各証言並びに原告代表者尋問(第一回)の結果によれば、原告は裏金を捻出するため宮野武夫外四名の名前を借りて、宮野武夫外四名が地主から買い受け、原告は宮野武夫外四名から買い受けるという形式をとることとし、宮野武夫外四名からその了承を得て、地主と宮野武夫外四名との間の売買契約書、宮野武夫外四名と原告との間の売買契約書が作成されたこと及び宮野武夫外四名は右契約書の内容に従って税金の申告を行い、納税したことが認められるものの、右事実のみによっては原告の右主張を認めるに足りないし、宮野武夫外四名を介在させることによって生じた差額を原告が地主に対して支払ったこと、訴外塚本が原告に代わって地主に対して売買代金を支払ったため、後日原告から訴外塚本に右立替金を支払ったことを認めるに足る的確な証拠はない(原告代表者は、第一回原告代表者尋問において、右趣旨の供述をするが、右供述は具体性がないこと、右供述を裏付ける客観的証拠がないこと、右供述に沿う経理処理がされていないこと、前記のとおり、宮野武夫外四名に対する仕入代金として支出された金員が入金された石垣俊夫名義の普通預金口座は原告のものであることに照らすと、右供述を採用することはできない。)から、原告の右主張を採用することはできない。

(3) 小田正之に対する昭和三八年八月二二日付けの三〇〇、〇〇〇円及び同年九月三〇日付けの一、三五六、〇〇〇円の仕入代金について

原告が小田正之に対する仕入代金として支払ったとして処理していた昭和三八年八月二二日付けの三〇〇、〇〇〇円及び同年九月三〇日付けの一、三五六、〇〇〇円が多摩中央信用金庫府中支店の星島元吉名義の預金口座に入金されていたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、右星島元吉名義の預金口座が原告のものであることは前記のとおりであって、右の事実によれば、右の合計一、六五六、〇〇〇円は架空仕入れであることが明らかであるから、右金額の損金算入を否認すべきである。

なお、原告は、この点について、右金員は原告が昭和三八年八月二二日に小田正之から仕入れた北多摩郡国分寺町の土地の仕入代金として現実に支払われている旨を主張する(原告の反論3(三)(2)<3>)ところ、成立に争いのない甲(ハ)第一八号証、原告代表者尋問(第一回)の結果によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一六号証、第一七号証、第一一五号証及び第一一六号証並びに証人小田テルの証言によれば、原告は昭和三八年八月二二日に小田正之から北多摩郡国分寺町榎戸新田字上南側四一二番一一の土地を一、六五六、〇〇〇円で買い受け、これを味能定に転売したこと、原告は右土地の仕入代金として小田正之に対して昭和三八年八月二二日に三〇〇、〇〇〇円、同年九月三〇日に一、三五六、〇〇〇円を支払ったことが認められるが、前記のとおり、被告が主張する一、六五六、〇〇〇円は星島元吉名義の預金口座に入金されていたのであるから、右金員は小田正之に対して支払われた仕入代金とは別のものであるというべきである(原告代表者は、第一回原告代表者尋問において、訴外塚本が原告に代わって小田正之に対して仕入代金を支払っておき、後日原告から訴外塚本が支払を受けた旨を供述するが、右供述を裏付ける客観的証拠がないこと、右供述に沿う経理処理がされていないこと、前記のとおり、小田正之に対する仕入代金として処理されていた金員が入金された星島元吉名義の普通預金口座は原告のものであることに照らすと、右供述を採用することはできない。)。したがって、原告の右主張を採用することはできない。

(4) 佐藤成雄に対する昭和三八年一〇月二日付けの四二〇、〇〇〇円の仕入代金について

原告が佐藤成雄に対する仕入代金として支払ったとして処理していた昭和三八年一〇月二日付けの四二〇、〇〇〇円が多摩中央信用金庫府中支店の星島元吉名義の預金口座に入金されていたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、右星島元吉名義の預金口座が原告のものであることは前記のとおりであって、右の事実によれば、右の四二〇、〇〇〇円は架空仕入れであることが明らかであるから、右金員の損金算入を否認すべきである。

なお、原告は、この点について、原告が昭和三八年九月二日に佐藤成雄から仕入れた北多摩郡国分寺町の土地の売買代金のうち四二〇、〇〇〇円は訴外塚本が立替払をし、原告は訴外塚本に対して同年一〇月一日に右金員を支払った旨を主張する(原告の反論3(三)(2)<4>)ところ、成立に争いのない甲(ハ)第一二一号証ないし第一二六号証、証人佐藤成雄の証言によって真正に成立したものと認められる甲(ハ)第一一八号証ないし第一二〇号証、同証言及び原告代表者尋問(第一回)の結果によれば、原告は昭和三八年九月二日に佐藤成雄から北多摩郡国分寺町所在の土地を買い受け、右土地の売買代金として右同日に四二〇、〇〇〇円を、同月三〇日に一、〇〇〇、〇〇〇円をそれぞれ支払ったことが認められる(甲(ハ)第一四五号証には、昭和三八年九月一〇日に一、〇〇〇、〇〇〇円を、同年一〇月一日に四二〇、〇〇〇円を支払った旨の記載があるが、右記載部分は前掲各証拠に照らして採用することができない。)が、前記のとおり、被告が主張する四二〇、〇〇〇円は星島元吉の預金口座に入金されていたのであるから、右金員は佐藤成雄に対して支払われた仕入代金とは別のものであるというべきである(原告代表者は、第一回原告代表者尋問において、訴外塚本が原告に代わって佐藤成雄に対して仕入代金を支払っておき、後日原告から訴外塚本が支払を受けた旨を供述するが、右供述を裏付ける客観的証拠がないこと、右供述に沿う経理処理がされていないこと、前記のとおり、佐藤成雄に対する仕入代金として処理されていた金員が入金された星島元吉名義の預金口座は原告のものであることに照らすと、右供述を採用することはできない。)したがって、原告の右主張を採用することはできない。

(四)  支払手数料について

(1) 東都住宅社に対する昭和三八年六月二八日付けの一、〇〇〇、〇〇〇円の手数料について

原告は昭和三八年六月二八日付けで手数料として東都住宅社に対して一、〇〇〇、〇〇〇円を支払ったとして経理処理していたこと及び右一、〇〇〇、〇〇〇円が訴外塚本の負担すべき原告の増資払込金に充てられていたことは、前記のとおり当事者間に争いがないのであって、右の事実によれば、右一、〇〇〇、〇〇〇円は架空手数料であることが明らかであるから、右金額の損金算入を否認すべきである。

ところで、この点について、原告は、右一、〇〇〇、〇〇〇円は原告が小平市上水新町所在の土地を仕入れた際の仲介手数料として現実に支払われている旨を主張し(原告の反論3(三)(3)<1>)、原告代表者も右主張に沿う供述をする(第一回原告代表者尋問)が、右支払を裏付ける客観的証拠がないこと、右に述べたとおり、一、〇〇〇、〇〇〇円は訴外塚本が負担すべき原告の増資払込金に充てられていたものであるところ、仲介手数料として支払われた金員が原告の増資払込金に充てられた理由について合理的な説明がなされていないことに照らすと、原告代表者の右供述は採用することができず、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はないから、原告の右主張は理由がない。

(2) 鈴木時秋に対する昭和三八年七月三一日付けの三〇〇、〇〇〇円の手数料について

原告が鈴木時秋に対する手数料として支払ったとして経理処理がされていた三〇〇、〇〇〇円が多摩中央信用金庫府中支店の佐藤一郎名義の預金口座に入金されていたことは、前記のとおり当事者間に争いがないところ、右佐藤一郎名義の預金口座が原告のものであることは前記のとおりであるから、右三〇〇、〇〇〇円が鈴木時秋に対して支払われたものということはできない。したがって、右金員の損金算入を否認すべきである。

ところで、この点について、原告は、原告が三鷹市新川所在の土地を仕入れた際の鈴木時秋に対する仲介手数料を訴外塚本が立替払し、後日原告が訴外塚本に右金額を支払った旨を主張する(原告の反論3(三)(3)<2>)ので検討するに、原告代表者は右主張に沿う供述をする(第一回原告代表者尋問)が、訴外塚本が立替払したとの点については、これを裏付ける客観的証拠はないし、そのような経理処理もされていないうえ、佐藤一郎名義の預金口座は原告のものであるから、右三〇〇、〇〇〇円が訴外塚本に支払われたということはできないことに照らすと、原告代表者の右供述を採用することはできず、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はないから、原告の右主張は理由がない。

なお、鈴木時秋が原告から仲介手数料として三〇〇、〇〇〇円の支払を受けた旨の領収証(甲(ハ)第一一一号証)が提出されており、原告代表者は、右領収証について、原告が海老沢富五郎から三鷹市新川所在の土地を仕入れた際に鈴木時秋に対して支払った仲介手数料三〇〇、〇〇〇円について作成されたものである旨及び右領収証の但書欄に三鷹市北野字谷端一二〇及び一二一山林一反二畝二七歩売渡仲介手数料と記載されているのは誤記である旨を供述する(第一回原告代表者尋問)が、原告代表者尋問(第一回)の結果によって原本の存在及びその成立を認めることができる甲(ハ)第一三二号証によれば、原告が海老沢富五郎から仕入れた土地は三鷹市新川字谷端三〇三番地の一及び二所在の田であることが認められるところ、仲介手数料の支払を受けた者が、仲介した土地の所在地、地目を書き誤るということは考えがたいことであるから、原告代表者の右供述は採用しがたいのみならず、原告代表者が右のような供述をすることに鑑みると、右領収証は全体として採用できないものであるというべきであるから、右領収証があるからといって原告が鈴木時秋に対して仲介手数料を支払ったと認めることはできない。

(3) 宍戸三吉に対する昭和三八年七月三一日付けの一〇九、六〇〇円及び同日付けの一〇〇、〇〇〇円の手数料について

原告が宍戸三吉に対する手数料として支払ったとして経理処理されていた一〇九、六〇〇円及び一〇〇、〇〇〇円が多摩中央信用金庫府中支店の佐藤一郎名義の預金口座に入金されていたことは、前記のとおり当事者間に争いがないところ、右佐藤一郎名義の預金口座が原告のものであることは前記のとおりであるから、右二〇九、六〇〇円が宍戸三吉に支払われたものということはできない。したがって、右金額の損金算入を否認すべきである。

ところで、この点について、原告は、原告が三鷹市北野の土地を仕入れた際の仲介手数料として現実に支払われていると主張する(原告の反論3(三)(3)<3>)が、佐藤一郎名義の預金口座は原告のものであるから、原告の右主張は理由がない。

なお、原告代表者は、原告が中山仙子から三鷹市北野字谷端一二〇番地及び一二一番地の土地を仕入れた際の宍戸三吉に対する仲介手数料二〇九、六〇〇円は訴外塚本が原告に代わって支払っておき、後日原告が訴外塚本に右金額を支払った旨を供述する(第一回原告代表者尋問)が、訴外塚本が立替払したとの点については、これを裏付ける客観的証拠はないし、そのような経理処理もされていないうえ、佐藤一郎名義の預金口座は原告のものであるから、右二〇九、六〇〇円が訴外塚本に支払われたということはできないのであって、原告代表者の右供述を採用することはできない。また、宍戸三吉が原告から仲介手数料として一〇九、六〇〇円及び一〇〇、〇〇〇円の支払を受けた旨の領収証(甲(ハ)第一一二号証、第一一三号証)が提出されているが、右領収証の日付欄が改竄されたものであることはその記載自体から明らかであるし、右領収証の但書欄には三鷹市北野字谷端一二〇番地(甲(ハ)第一一二号証)及び一二一番地(甲(ハ)第一一三号証)の土地の売買に関する売渡手数料である旨の記載があるが、右記載は前記の甲(ハ)第一一一号証の但書欄の記載と同じであって、このような領収証が他にも提出されているということは、甲(ハ)第一一二号証及び第一一三号証の信用性にも疑いを持たせるものであって、結局、甲(ハ)第一一二号証及び第一一三号証を信用することはできないものというべきである。

(五)  消耗品費について

原告が応接セット外の消耗品の代金の支払のために支出したとして経理処理していた五〇七、四八九円が多摩中央信用金庫の佐藤一郎名義の預金口座に入金されていたことは、前記のとおり当事者間に争いがないところ、右佐藤一郎名義の預金口座が原告のものであることは前記のとおりであるから、右五〇七、四八九円が応接セット外の消耗品の代金の支払に充てられたということはできない。したがって、右金額の損金算入を否認すべきである。

ところで、この点について、原告は、原告が購入した応接セット等の消耗品の代金五〇七、四八九円は訴外塚本が立替し、後日原告が訴外塚本に右金額を支払った旨を主張し(原告の反論3(三)(4))、原告代表者も右主張に沿う供述をするが、訴外塚本が立替払したとの点については、これを裏付ける客観的証拠がないし、そのような経理処理もされていないうえ、佐藤一郎名義の預金口座は原告のものであるから、右五〇七、四八九円が訴外塚本に支払われたということはできないのであって、原告代表者の右供述を採用することはできず、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はないから、原告の右主張は理由がない。

なお、応接セット外の消耗品の代金支払を証するものとして領収証、納品書、仕切書等が提出されている(甲(ハ)第一一四号証の一ないし一六)ところ、原告宛のものは甲(ハ)第一一四号証の一だけであるから、甲(ハ)第一一四号証の二ないし一六の領収証等があるからといって直ちに原告が右の領収証等の内容に従った支払をしたということはできないし、仮に、原告が右の領収証等の記載の内容に従った支払をしたとしても、領収証等の作成日付から明らかなように、被告の主張する五〇七、四八九円とは別のものであるというべきであり、右領収証等をもって前記認定を覆すことはできない。

6 棚卸資産認定損戻入れ(被告の主張1(三)(2)<5>)について

第二事業年度の棚卸認定損の項で判示したとおり、原告の修正申告に係る第二事業年度末の棚卸商品中、中耕地の土地五、二六〇円及び羽沢坂下の土地二、八七九、七二五円のうち七〇八、五〇〇円は第一事業年度の架空仕入分であるから、第三事業年度の期首棚卸にも架空仕入分七〇八、五〇〇円が含まれており、右金額が第三事業年度の損金に算入されているというべきである。したがって、右七〇八、五〇〇円の損金算入を否認すべきである。

7 貸付金利息計上もれ(被告の申告1(三)(2)<6>)について

原告が田園都市開発株式会社に対して二一、〇〇〇、〇〇〇円の簿外の貸付金を有していたことは、第二事業年度の貸付金利息計上もれの項で判示したとおりであるところ、右貸付金が第三事業年度中に返済されたことを窺わせる証拠はない。したがって、原告が収受すべき利息の額は右元金の一〇パーセント(第二事業年度の貸付金利息計上もれの項で判示したとおり、利率は年一〇パーセントとすべきである。)である二、一〇〇、〇〇〇円となるから、右金額を益金に算入すべきである。

8 預金利息計上もれ(被告の申告1(三)(2)<7>)について

前掲乙(ハ)第一号証によれば、原告は本件仮名預金口座のうち前島信太郎、高石茂、佐藤一郎、冨田和夫、石垣俊夫、田代徳夫及び上島康夫名義の各預金口座に係る預金利息として、別表11記載のとおりの金額を受領していたことが認められるから、右金額を益金に算入すべきである。

また、前掲乙(ハ)第一号証によれば、原告は本件仮名預金口座のうち梅村秀照名義の預金口座に係る預金利息として昭和三九年二月四日に一〇、八七一円を受領したこと、同口座の同年一月三一日現在の預金残高は一、三八九、〇二五円であったが、同年二月三日に一、〇〇〇、〇〇〇円が引き出され、さらに翌四日に同口座は解約されたこと及び同口座の預金利率は一日当たり〇・〇〇五五パーセントであったことが認められるから、同年二月分の預金利息は二五〇円となる。したがって、梅村秀照名義の預金口座に係る預金利息として第三事業年度に発生した金額は一〇、八七一円から昭和三九年二月分の二五〇円を差し引いた一〇、六二一円となる。

以上によれば、計上もれの預金利息は五四、一六八円となるから、右金額を益金に算入すべきである。

9 棚卸資産認定損(被告の主張1(三)(2)<8>)について

前掲項(ハ)第一号証の一によれば、原告は第三事業年度の売上原価を二〇五、〇〇八、八八七円、期末棚卸高を二九、八六九、四七八円として確定申告していることが認められる。ところで、右売上原価に前記の架空仕入れ二、四八六、〇〇〇円、架空造成費等三九、七九七、五〇五円が含まれていることは明らかであり、その一部は期末棚卸にも含まれているというべきであるが、その金額がいくらであるかについては、これを認定するに足る証拠はないから、合理的な方法で算出することが許されると解すべきところ、架空仕入れ及び架空造成費等の合計額四二、二八三、五〇五円に期末棚卸高の売上原価に対する割合を乗じて右金額を算出するという被告主張の方法は合理的なものであるということができる。そして、右方法で算出すると六、一三一、一〇八円となる(期末棚卸高の売上原価に対する割合は一四・五パーセントとなる。)ことは計数上明らかであるから、右金額を所得金額の計算上控除すべきである。

10 事業税認定損(被告の主張1(三)(2)<9>)について

前記のとおり、第二事業年度分の法人税の再更正に係る所得金額は三〇、〇七三、六三六円であり、地方税法(昭和三七年法律第五一号による改正後のもの)七二条の二二、国等の債権債務等の端数計算に関する法律五条、六条によって事業税の額を算出すると三、五一八、八三〇円となるから、右金額を損金に算入すべきである。

11 寄付金の損金算入(被告の主張1(三)(2)<10>)について

前記3(二)で判示したとおり、原告が田園都市開発株式会社に対して支払った二、四四六、〇〇〇円は寄付金であるところ、法人税法(昭和四〇年法律第三四号による改正前のもの)九条三項及び同法施行規則七条一項により損金に算入される限度額を算出すると、次式のとおり七五三、四〇九円となる(前掲甲(ハ)第一号証の一によれば、資本金額等が五一、〇〇〇、〇〇〇円であることが認められる。)。

<1> 寄付金控除前所得金額 55,172,755

<2> 資本金額等 51,000,000

<3> 同上の月数換算額 <2>×12/12 51,000,000

<4> 所得金額基準 <1>×2.5/100 1,379,318

<5> 資本金額等基準 <3>×2.5/1000 127,500

<6> 損金算入限度額 (<4>+<5>)÷2 753,409

12 結論

以上によれば、原告の第三事業年度の所得金額は五四、四一九、三四六円となるところ、第三事業年度の更正は右金額の範囲内でされたものであるから、右更正には原告の所得金額を過大に認定した違法はない。

(まとめ)

以上のとおりであるから、本件各更正には原告主張の違法はない。

三  本件各決定の適法性(被告の主張2)について

1  第一事業年度

前記二(第一事業年度)の項で判示したところから明らかなように、原告は第一事業年度の確定申告において一〇、〇〇〇、〇〇〇円の架空仕入れを計上し、その結果再更正によって所得金額が三、五〇〇、〇〇〇円、法人税額が二、三二六、二五〇円増加したものであるところ、第一事業年度の重加算税の賦課決定は、昭和三七年法律第六六号附則九条一項の規定によりその例によるとされた同年法律第六七号による改正前の法人税法四三条の二第一項の規定に基づき、法人税額二、三二六、二五〇円を対象として、右金額の一〇〇分の五〇に相当する重加算税を賦課したものであるから、右決定は適法である。

2  第二事業年度

前記二(第二事業年度)の項で判示したところから明らかなように、架空造成費否認の額一二、八〇〇、〇〇〇円、棚卸資産認定損戻入れの額六、五〇〇、〇〇〇円の合計一九、三〇〇、〇〇〇円から棚卸資産認定損の額七〇八、五〇〇円を差し引いた一八、五九一、五〇〇円は原告が隠ぺい又は仮装によって過少に申告していたものであり、一方、第二事業年度の再更正によって増加した所得金額は一八、二五九、一五〇円で右隠ぺい又は仮装額の範囲内であるから、右再更正によって増加した法人税額六、九三八、四九〇円全額を対象として重加算税を賦課しうるところ、第二事業年度の加算税賦課決定は、法人税額四、三七八、三六〇円を対象として国税通則法六八条一項に基づきその一〇〇分の三〇に相当する一、三一三、四〇〇円の重加算税を、法人税額二、五六〇、一三〇円を対象として国税通則法六五条一項に基づきその一〇〇分の五に相当する一二八、〇〇〇円の過少申告加算税をそれぞれ賦課したものであるから、右決定は適法である。

3  第三事業年度

前記二(第三事業年度)の項で判示したところから明らかなように、原告が隠ぺい又は仮装によって過少に申告していたと認められる金額は、売上計上もれの額三四、二〇三、八一〇円、仕入否認の額二、四八六、〇〇〇円、架空造成費等否認の額三九、七九七、五〇五円及び貸付金利息計上もれの額二、一〇〇、〇〇〇円の合計額から棚卸資産認定損の額六、一三一、一〇八円及び寄付金の総損金算入額七五三、四〇九円を控除した七一、七〇二、七九八円であって、更正によって増加した所得金額六六、八三四、六五九円を上回るから、更正によって増加した法人税額二〇、四六四、〇〇〇円全額を対象として重加算税を賦課しうるところ、第三事業年度の加算税賦課決定は、法人税額一一、三八四、〇五八円を対象として国税通則法六八条一項に基づきその一〇〇分の三〇に相当する三、四一五、二〇〇円の重加算税を、法人税額九、〇七九、九四二円を対象として国税通則法六五条一項に基づきその一〇〇分の五に相当する四五三、九〇〇円の過少申告加算税をそれぞれ賦課したものであるから、右決定は適法である。

四  よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 北澤晶 裁判官中山顕裕は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 宍戸達徳)

別表1

本件課税処分の経過

(自三六、一一、二 至三七、一、三一事業年度分)

<省略>

別表2

本件課税処分の経過

(自三七、二、一 至三八、一、三一事業年度分)

<省略>

別表3

本件課税処分の経過

(自三八、二、一 至三九、一、三一事業年度分)

<省略>

別表4

<省略>

別表5

<省略>

別表6

<省略>

別表7 売上金額の一部が計上もれとなっているものの明細

(小平市上水新町関係)

<省略>

(注) 国分寺市榎戸新田412番地

別表8

売上金額の全部が計上もれとなっているものの明細

<省略>

(注)解約に伴う違約金

別表9

<省略>

別表10

(1) 増資に充てられたもの 17,000,000円

イ 原告の増資に充てられたもの 11,000,000円

<省略>

ロ 田園都市開発株式会社の増資に充てられたもの 6,000,000円

<省略>

(2) 簿外預金等に入金されたもの 22,797,505円

<省略>

<省略>

(注) 三菱府中 三菱銀行府中支店

多摩中金府中 多摩中央信用金庫府中支店

松沢信金 松沢信用金庫本店

別表11

<省略>

別表12

寄付金の損金算入額の計算

<省略>

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