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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)8032号 判決 1969年12月24日

原告

小林正子

代理人

儀同保

外二名

被告

財団法人健康文化会

代理人

青柳盛雄

外二名

主文

壱、原告が被告に対し労働契約上の権利を有することを確認する。

弐、被告は原告に対し金壱万九千九百参円及び昭和四拾壱年五月以降毎月末日かぎり金参万八百五拾円を支払え。

参、原告その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は被告の負担とする。

五、本判決第弐項中昭和四拾四年拾月末日以降に弁済期の到来する請求につき、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一労働契約の成立及び解雇の意思表示

健文が勤労者の生活及び健康並びに医学の向上に寄与することを目的として設立され、母子病院を設置して経営し、昭和三九年三月一日小林を雇入れて母子病院の事務長代理として就労させていたが、昭和四一年三月三一日小林に対し解雇の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

二解雇の効力

(一)  事実

1  まず、小林が服すべきであつた仕事の内容に触れておく必要がある。

(1) 健文が働く者の立場に立ついわゆる民主医療機関として姉妹団体たる医療法人財団健康文化会その他、健文と性格方針を同じくする全国のいわゆる民主医療機関とともに次の綱領を掲げる民医連を組織していること。

綱領

われわれの病院、診療所は働くひとびとの医療機関である。

一、われわれは患者の立場に立つて親切でよい診療を行ない、力をあわせて働くひとびとの生命と健康を守る。

一、われわれはつねに学問の自由を尊重し、新しい医学の成果に学び、国際交流をはかり、たゆみなく医療内容の充実と向上につとめる。

一、われわれは職員の生活と権利を守り、運営を民主化し、地域職場の人々と協力を深め、健康を守る運動をすすめる。

一、われわれは国と資本家の全額負担による総合的な社会保障制度の確立と医療制度の民主化のために闘う。

一、われわれは人類の生命と健康を破壊する戦争政策に反対する。

この目標を実現するためにわれわれはたがいに団結をかため医療戦線を統一し、独立、民主、平和、中立、生活向上をめざすすべての民主勢力と手を結んで活動する。

母子病院は、この綱領実現のためその事務長の指揮監督下に医療業務のほか医療社会事業をも経営し、とくに昭和三九年中同事務長の下部組織として医療社会事業部を設置したこと、同部の主要な業務内容は地域における低所得者を対象とし、(イ)生活相談、医療相談、(ロ)疾病の予防、治療と患者の社会復帰とをふくむ医療的保護、(ハ)地域住民の医療状態の調査と掌握、(ニ)治療中断患者の訪問及び治療継続の促進、(ホ)「母子会」及び「板橋生活と健康を守る会」の組織運営、(ヘ)医療に関する諸般の手続等であること、

右にいう「母子会」とは医療法人財団健康文化会経営の小豆沢診療所(後に小豆沢病院と改称した。)に入院して出産した母親を構成員とし、右各病院勤務の医師等の指導のもとに母親学級、育児学級、健康座談会、及び映画会等の開催並びに新聞の発行のほか、生活、健康、公害、法律等に関する相談、健康診断及び予防接種等を行なつて、民医連綱領の実現に資そうとするものであること、

以上の事実は当事者間に争がない。

<証拠>を総合すれば、「板橋生活を守る会」及び「板橋生活と健康を守る会」は健文の医療社会事業の一環として地域の住民、特に生活保護法による被保護者等の任意加入によつて組織され、その生活と健康とを維持向上させるため、生活保護、家事等に関する生活相談、健康保険法精神衛生法等に関連する健康相談、借地借家問題等を主とする法律相談を実施して、民医連綱領の実現に資そうとするものであることが認められ、<証拠判断省略>。

(2) <証拠>によれば、小林は医療法人財団健康文化会経営の前記小豆沢診療所において十数年間医療業務及び医療社会事業に従事してきた経験を買われて健文に雇われたものであることが認められる。小林がそれ以来母子病院の事務長代理として母子病院の医療業務に関し、受付事務、会計事務、医療保護の手続、社会保険に対する医療費請求、薬局の手伝、薬の購入等の労務に服する義務を負い、かつ右医療社会事業の職務に従事すべく命ぜられ(但し、小林が「板橋生活を守る会」及び「板橋生活と健康を守る会」の業務を担当していたとの点は争があるが、この事実は<証拠>により認める。)。特に医療社会事業部設置と同時に、その主務担当者に就任したことは当事者間に争がない。

2 小林主張の思想信条による差別的取扱を推認させる事実の有無について考察する

(1)  <証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

「小林は、健文に雇われる以前から、その夫小林栄一郎とともに日本共産党の党員であつたが、健文の理事小林健ら理事若干名並びにその従業員たる母子病院の院長武村晴正、事務長田中豊、総婦長(準看護婦学校副校長兼任)小林清子を始め、医師中村美治、新井文一及び母子病院従業員の組織する健康文化会労働組合母子病院支部(以下、組合という。)の支部長高田勢介、書記長渡辺国昭等、労使の幹部の多くが日本共産党の党員であつて、母子病院細胞を組織していたので、小林もこれに所属することとなつた。

ところが、同細胞は、ソヴイエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連という。)が昭和三八年米国及び英国との間において大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(いわゆる部分的核実験停止条約)を締結したことをもつて修正主義であるとして非難する同党の方針に同調した。

そして、小林は、その娘民子が昭和三九年七月ソ連モスクワのルムンバ友好大学に留学する運びとなつたところ(この事実は当事者間に争がない。)。同細胞員たる新井文一医師から党員の子女が修正主義をとるソ連に留学するのは好ましくないとして、その中止方を強硬に説得された。

また、小林は、夫栄一郎が部分的核実験停止条約に関し同党の方針に批判的態度を示したところから、栄一郎と右細胞との間の板ばさみ状態に陥つた。そして、栄一郎が右のような政治的見解に立つて昭和四〇年三月日本共産党に離党届を出したうえ、志賀義雄らを中心として結集された「日本共産党(日本のこえ)」に加入し、これがため日本共産党から党員としての権利停止の処分を受けると、小林は、右細胞員らから栄一郎を同党の方針に同調させるよう説得すべき旨の極めて困難な要求をつきつけられ、心労の極、胃かいようを患い、同年四月七日から同年五月三一日まで欠勤のやむなきに至つた(欠勤の事実は当事者間に争がない。)。しかも、小林は、この間同年四月二八日同細胞所属の新井文一及び中村美治両医師の来訪を受け、栄一郎の説得方を要求された。さらに、小林は、病気欠勤明け早々の同年六月四日右細胞の細胞会議に出席したところ、前記小林健、田中豊、高田勢介、中村美治列師の上、夫栄一郎の政治的信条に対する非難をきかされ、挙句の果て小林健から、「栄一郎を同党の方針に同調させ得ないなら、離婚せよ。」とまで迫られた。栄一郎がその後も方針を変えず、遂に同年九月七日同党中央委員会幹部会から除名処分を受けると、小林は、同細胞員たる母子病院の幹部から栄一郎と同様、「反党修正主義者」として疎外され、ついに昭和四一年二月三日事務長田中豊、組合の支部長高田勢介、書記長渡辺国昭ら三名の細胞員から小林の母子会活動及び同党への忠誠につき強硬な態度で詰問を受けた。ことここに至つて、小林はもはや同党にとどまれないと考え、翌四日離党届を提出したところ、さらに右三名らから「栄一郎の影響を受けて離党するのか。」と激しく非難され、同党から党員としての権利停止の処分を、ついで除名処分を受けた。かくして、小林は、精神的、肉体的疲労の果て、胃炎及び更年期障害が悪化したため同月七日から同年三月五日まで欠勤したが(欠勤の事実は当事者間に争がない。)。同月七日同細胞員中村美治医師から「離党届を撤回しないと、むづかしいことになる。」と警告された後、同月三一日遂に健文を代表する同党員の小林健から、小林が同党の命令に反して夫栄一郎の説得を果さなかつたこと、小林が昭和四〇年一一月同党主催のアカハタ祭りにおける大衆動員を妨げたこと、上司に反抗したこと、等の理由のもとに解雇の意思表示を受けるに至つた。

以上の事実を認めることができ、<証拠判断省略>。

(2)  健文に雇傭される者であつて解雇の意思表示を受けた実例が他に存在する旨の証拠はない。

(3)  健文主張の解雇理由については項を改めて判断する。

3 健文主張の解雇理由に言及する。

(1)  医療社会事業活動

Ⅰ  母子会

(イ) 小林が昭和三九年母子会の事務局長を命じられ、母子病院の事務長田中豊から母子病院の重視する健康座談会を企画実施すべき旨の指示を受け、同年一〇月母子会総会を開催し、その際映画上映及び講演を実施し、同年一二月産児調節に関する講演及び映画会を開催したが、昭和四〇年になると、母子会の役員会及び総会を開催しただけで映画会、講演会、健康座談会を全く開催しなかつたことは当事者間に争がない

(ロ) 小林が昭和三九年七月から昭和四〇年一月まで五回にわたつて母子会の定期刊行物たる母子会ニユースを刊行した後は、同年五月までその刊行を中断させ、同年六月ないし八月の各月に一回ずつ、これを刊行したが、その後は再びその刊行を中断させたことは、当事者間に争がない。

<証拠>(母子会ニユース>によると、小林の編集した母子会ニユースには、守屋茂義(健文理事長)、武村晴正、中村美治、新井文一、田中豊、小林本人らの執筆になる政府の医療政策等を批判する解説、母子会総会等母子会活動に関する記事、病気の予防治療等に関する解説等が掲げられていることが明らかであるが、右記事内容を検討しても、記事内容が小林自身の狭い私的な交友関係に限られ、前記民医連綱領に副わず、健文全体の発展を顧慮しないとの非難に相当するとは判定できない。

<証拠>によれば、小林は事務長田中豊らから母子会ニユース発行遅延につき編集会議を開くようにと屡々言われたにもかかわらず、これを開かなかつたことが認められ、<証拠判断省略>。

(ハ) <証拠>並びに前記二(一)2(1)の事実を併せ考えると、小林は、もともと医療社会事業には熱心であつたのであつて、現に医療法人財団健康文化会経営の小豆沢診療所に勤務中昭和三八年六月民医連及び東京民医連から、また母子病院に勤務するようになつた後昭和三九年七月医療法人財団健康文化会から、それぞれ一〇年以上民医連活動を熱心に遂行したとして表彰を受けた位であるが、それにもかかわらず母子病院医療社会事業部における母子会活動が前記のように停滞を来たし始めた原因は、健文の母子会運営方針に会員が必ずしもついて来なかつたこと、及び母子会事務局長たる小林が昭和四〇年始ごろから夫栄一郎の日本共産党離党に関連し夫と同党母子病院細胞との板ばさみになり、心労の極健康を害し同年四月七日から同年五月三一日まで欠勤のやむなきに至り、その後も解雇まで前記のように健文の他の職員らと思想問題に関し種々の悶着が絶えなかつたことに存するとの事実が認められ、<証拠判断省略>。

(ニ) 小林が昭和四一年三月母子病院長に母子会の規約変更を上申したことは当事者間に争がない。<証拠>によると、小林は母子会活動の経験に照らし、実行不可能な生活相談、法律相談等の業務を規約から削除し、実行可能な業務だけを遂行することを相当と考え、事務長田中豊に上申しようとしたけれども同人がたまたま九州方面出張中のため、この旨を直接病院長に上申し、田中の帰院をまつて同人にもその旨報告したことが認められる。

(ホ) 小林がこの間において前記の諸事実のほかに母子会員全般と接触し、その諸要求を吸い上げることをせず、私的な好みに合つた一部少数の会員とのみ接触するに止まつたとの健文主張に副う<証拠>は、<証拠>に照らし採用できず、その他右事実を肯認するに足りる証拠はない。

Ⅱ  ケース・ワーク及び「板橋生活と健康を守る会」

(イ) <証拠>によれば、小林が医療社会事業部の業務のうち、生活相談、医療相談、地域住民の医療状態の調査と掌握、治療中断患者の訪問及び治療継続の促進といういわゆるケース・ワーカーの職務遂行につき、主として昭和四〇年初以来積極性を欠いたことが認められるのであるが、その原因の一つは前記のように小林が夫の離党問題のため健文の日本共産党員たる幹部職員から圧迫を受け心労の極に達したことにあると推認される。

(ロ) <証拠>を総合すれば、健文は、田中豊、高田勢介らをして「板橋生活と健康を守る会」の志村坂下支部の組織を再建するため、昭和三九年夏以降、同支部の旧会員に対する活動を行なわせたことを認めるに足りる。ところで、小林がこれに参加しなかつたことは当事者間に争がない。<証拠>によれば、小林が参加しなかつた理由は、母子病院事務長代理として保険金請求事務等の残業に忙しかつたことに存することが認められる。

Ⅲ  東京民連主務担当者会議

小林が医療社会事業部主務担当者として右事業活動の理論及び実践活動についての研究、情報、訓練、対策などを討議する関係機関の会議に出席する義務を負つたこと、かかる会議の一つとして東京民医連がその加盟各診療所及び病院に勤務する医療ケース・ワーカーの業務活動の経験交流及びこれによるその業務能力向上のため主務担当者会議を開催したことは当事者間に争がない。

<証拠>を総合すれば、小林は昭和四〇年一一月から昭和四一年三月まで毎月一回の割合で午後二時頃から午後六時頃まで開催された右会議のうち昭和四〇年一一月及び昭和四一年三月のそれに出席したにとどまりその余の会議に欠席したことが認められ、<証拠判断省略>。<証拠>によると、小林が右のうち昭和四一年一月、二月の会議に欠席した理由は同人の病気にあることが明らかである。

Ⅵ  業務日誌

小林が医療社会事業部主務担当者として業務日誌に所定事項を記載する義務を負つていたことは当事者間に争がない。<証拠>によれば、この月誌は社会事業部日誌と題され、当日の活動内容、明日の活動予定、管理連絡事項、医者(又は医社)は連絡事項、訪問者氏名住所、その他の記事欄にわかれていること、小林は当初この日誌に若干記入したが、事務長田中豊はこれを見ず、小林はその後記入を全く怠るに至つた後も、記入しないことにつき何ら注意を受けなかつたこと、小林は昭和四一年三月七日(中村美治医師から前記のように、離党届を撤回しないとむずかしいことになる。」といわれた日)から再び記入を始めたことが認められる。

(2)  職場離脱行為

<証拠>によれば、小林は昭和四〇年後半頃から屡々勤務時間中母子病院検査室に同室勤務の本多テイ子を訪ね、時には同人の仕事を手伝いながら身上話や世間話をして同人の業務を妨げたことが認められる。しかし、小林が勤務時間中特別な所用もなく母子病院内をうろつき、右以外の雑談に時をすごしたとの主張に副う<証拠>は、<証拠>に照らし採用し難く、その他右事実を肯認するに足りる証拠はない。

(3)  業務命令違反

Ⅰ  小林が昭和四〇年九月頃事務長田中豊から、母子病院の院長、副院長、事務長及び婦長をもつて構成される管理会議において決定したところにもとずき「安全なお産のために初期より分娩時までの検査費用について」と題する産科の診療費用の説明を院内に掲示すべく指示されたことは当事者間に争がない。<証拠>によれば、小林はこの決定を掲示するため同事務長に右決定内容の原稿を交付するよう求めたが、これを得られないまま右指示を受けたことを失念してしまつた事実が認められ、<証拠判断省略>。小林が右掲示をすべき旨の指示を再三受けたことを認めるに足りる証拠はない。

Ⅱ  小林が同年一〇月一四日健文の医療社会事業部会において母子病院が当時検査料を値上げした態度を資本主義的経営主義であるとして批判したことは当事者間に争がない。

(4)  中傷行為

Ⅰ  <証拠>によれば、小林は昭和四一年一月下旬頃事務長田中豊と健文の総婦長小林清子とが当時欠員であつた母子病院の婦長の後任者を選考中、その候補者たる為貝につき、「為貝さんは信頼がないから、婦長として適任ではない。」と話合つていたのを聞きこみ、これをそのまま為貝に伝えたことと、そのため、同人は、その後母子病院の婦長に就任すべく要請されたのに、これを固辞するに至つたが、周囲の説得によつて、ようやく受諾したことが認められる。

Ⅱ  小林が母子病院長武村晴正の妻に対し、「新井医師退職後、その後任者が決定されないのは田中事務長がサボつているからだ。」との言辞を吐いたとの主張に副う<証拠>は、<証拠>に照らし採用できず、その他これを肯認するに足りる証拠はない。

(5)  欠勤及び遅刻等

Ⅰ 小林が昭和四〇年四月七日から同年五月三一日まで、及び昭和四一年二月七日から同年三月五日まで欠勤したことは当事者間に争がない。その原因をみると、前記(二(一)2(1))の事実によれば、前者につき、小林が夫の離党問題をめぐり健文勤務の日本共産党員と対立し心労の極胃かいようを患つたのでその治療のためであり、後者につき、右事情に小林本人の離党問題もからみ右党員らからの圧迫が激化し、ついに小林は胃炎及び更年期障害の悪化を見たのでこれが治療のためであつたことが明らかである。<証拠>によれば、小林はこれらの欠勤につき診断書を附して健文に届出ていることが認められる。

小林が昭和四〇年八月から同年一〇月まで合計四日間就労しなかつたことは当事者間に争がないが、<証拠>によれば、右は年次有給休暇の請求によるものであることが認められる。

Ⅱ  小林は毎日午前八時三〇分までに出勤すべき義務を負い、かつ母子病院に出勤簿が備付けられていたことは当事者間に争がない<証拠>によれば、小林は毎日午前九時近くになつて出勤した上、出勤簿には数日分を一括して押印していたが、他の従業員中にも同様の行動をとる者が多かつたのに小林を含め問責された事例はなかつたことが認められ、<証拠判断省略>。

(二) 評価

1 前記二(一)Ⅰ、2で認定したように健文は元来民医連加盟の医療機関としてその綱領に従つて医療事業及び医療社会事業を遂行していたものであるが、たまたま健文の理事若干名、母子病院の院長、事務長、総婦長、医師若干各及び組合の支部長、書記長らの地位が日本共産党員をもつて占められ、小林もまた同党員でありかつ事務長代理兼医療社会事業部主務担当者という母子病院幹部職員ともいうべき地位にあつて前記党員らとともに同党の活動及び健文の業務を遂行してきたところ、部分的核実験停止条約の評価に関し小林の夫で同党員である栄一郎が同党と所信を異にし、これを離党した上志賀義雄を中心とする「日本共産党(日本のこえ)」に加入するという事態を見るに至り、ここに前示のように健文幹部党員と小林との間に反目対立を生じ、ついに小林は右幹部らの圧迫にたえかねて同党に離党届を提出し除名され、最後に健文から解雇の意思表示を受けた際解雇理由の一つとして夫栄一郎の同党復党を果さなかつたことを指摘されるに至つたのである。

2 小林と健文のその他の幹部職員との間に発生した以上のような政治的信条の対立と小林の解雇との関係を判定するには、前示の解雇理由の評価に進まなければならない。以下これを検討する。

(1)  医療社会事業活動

Ⅰ  母子会

小林の母子会活動が停滞したことは前示のとおりである。しかし、その原因は、健文の母子会運営方針に会員が必ずしもついて来なかつたことと、小林及び夫栄一郎が、日本共産党員たる健文幹部職員と政治的信条につき深刻な対立関係に陥り小林は前記のような圧迫を受け健康をも害するに至つたことに存することに徴し、小林の母子会活動停滞の責を小林のみに負わせ解雇の理由とすることは相当でない。小林がかかる対立関係発生以前において民医連活動に尽くしたとして表彰される位熱心な職員であつたことはこの判断を裏付けると考える。

小林が直属上司たる事務長田中豊の出張中、同人の帰院をまてない程火急の案件とも思われない母子会の規約改正を同人に無断で直接病院長に上申したことは、誤解を招くおそれのある所為とはいえ、小林は田中の帰院後この事実を同人に報告しているのであるから、全体として観察するとき小林のこの所為は解雇理由としてとり上げるに足りないものと考える。

Ⅱ  ケースワーク及び「板橋生活と健康を守る会」

小林がケースワークに積極性を欠いたことの原因の一つが、夫の離党にからみ健文の日本共産党員たる幹部職員から圧迫を受け心身ともに疲労の極に達したことにある以上、これを解雇理由とすることは相当でない。

小林が「板橋生活と健康を守る会」志村坂下支部の組織再建活動に参加しなかつたことも、その原因が事務長代理の職務の繁忙にある以上、これは解雇理由となし得ない。

Ⅲ  東京民医連主務担当者会議

小林の健文在職中東京民医連主務担当者会議が五回開催されたのに、小林はうち三回も欠席したのであるが、そのうち二回は小林の病気を原因とするものである以上、これまた解雇理由としてとり上げるには薄弱といわざるを得ない。

Ⅶ 業務日誌

小林が社会事業部日誌に記入をしなかつたことは、従業員として怠慢のそしりを免れないが、そのために健文が蒙つた実質がどの程度であつたか明らかでなく、また小林はこれにつき上司から格別の注意も受けていなかつたのであるからこれまた解雇理由としてとりあげるには薄弱である。

(2)職場離脱行為

小林が勤務時間中母子病院検査室において本多テイ子を相手に身上話に時を費し本多の業務を妨げたことは、事務長代理として非難さるべき行為であるが、これによつて健文運営上解雇に値するほどの弊害を生じたものとは思われない。

(3)  業務命令違反

小林が事務長田中豊から指示された掲示を失念したことは事務長代理として著しい失態たるを免れないが、田中において小林の求めに応じ原稿を交付する等の具体的な指示を与えなかつたこともその一因であるから、掲示失念が母子病院の運営に著しい悪影響を及ぼしたとは認められない以上、小林の右失態をもつて解雇理由とするのは苛酷である。

小林が健文の方針を資本主義的経営主義と非難したことは、これが健文の医療社会事業部会という討論の場で行なわれたものである以上、事務長代理として非難さるべき所為とは思われない。

(4)  中傷行為

小林が健文の婦長後任候補者に対し選考の内情をもらし一時的とはいえ人事の停滞を招いたことは、事務長代理として極めて無思慮な行動であつて厳しく非難さるべきであるが、結局健文の予定した人事が実現した以上、解雇理由としてとりあげるのは苛酷である。

(5)  欠勤及び遅刻等

小林が長期間欠勤したことも、その原因が健文幹部職員の圧迫による病気治療のためである以上、これをもつて解雇理由とすることは相当でない。年次有給休暇による欠勤が解雇理由となり得ないことは勿論である。小林が屡々遅刻しかつ出勤簿に数日分を一括して押印していたことは、事務長代理として避けるべき行為であるけれども、他の従業員にも同様の行動をとる者が多かつたのにこれまで小林を含め問責された事例がなかつた以上、小林だけに対しこれを解雇理由として掲げるのは公平を欠き相当でない。

以上のような次第で、前示解雇理由は、これを個別的にみればもちろん、総合的にみても、これだけでは小林を従業員として不適格ときめつけ健文から排除するに足りるものではない。

3 そして、前示のように小林及びその夫の政治的信条が健文の幹部職員の多数を占める日本共産党員のそれと相反するに至り、小林が種々の圧迫を受けた末、夫に同党への復党を説得できなかつたこと等を理由として解雇の意思表示を受けたことと右のように解雇理由の薄弱なこととを併せ考えると、小林はかかる政治的信条の対立の故に解雇されたものと推認するに難くない。

そうとすれば、健文が日本共産党の方針にもとづきその事業を遂行することを存立目的とし、同党員又はその同調者であることを従業員の資格要件とすることが労働契約の内容となつている等の、特別事情の顕れない本件においては、右のような政治的信条の故の差別的取扱たる解雇の意思表示は、労働基準法三条に違反し公の秩序に反する事項を目的としたもので、その効力を生じないと解するのを相当とする。

以上説明のとおりであるから、小林と健文との間の労働契約はなお存続し、小林は右契約上の権利を有するというべきである。

三賃金

小林の昭和四一年三月三一日現在の賃金月額が三〇、八五〇円であり、右が毎月二〇日〆切末日払の約定であることは当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によれば、小林が同日以降労務を現実に提供しても受領されなかつたことが認められる。従つて、小林は、健文に対し、同年四月末日限り同月一日から同月二〇日までの賃金として一九、九〇三円、及び同年五月から毎月末日限り前月二一日以降当月二〇日までの賃金として三〇、八五〇円の支払を請求する権利を有するが、同年四月末日限り支払を求める金額中右限度をこえる部分については、これを請求する権利を有しないというべきである。

四結論

よつて、小林の本訴請求のうち、小林が労働契約上の権利を有することの確認を求める部分については、健文が右権利の存在を争つているので確認の利益も認められるから、これを認容し、また、賃金請求部分については、前記の限度において理由があり、かつ、そのうち本件口頭弁論終結時(昭和四四年一〇月一三日)にいまだ弁済期の到来しない部分についても、健文が小林の労働契約上の権利を争い賃金を任意に弁済しない態度にかんがみ、将来のすべてにわたり予じめ請求する必要を肯認できるから、右の限度でこれを認容し、これをこえる部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、なお、仮執行の宣言については、小林が当庁昭和四一年(ヨ)第二、二九七号地位保全仮処分命令申請事件において右認容賃金額全額の仮払等を命ずる仮処分決定を得たことは当庁に顕著な事実に属するところ、弁論の全趣旨に徴し小林は右仮処分決定にもとづき本件口頭弁論終結時までにすでに履行期の到来した賃金債権についてはその全部の仮払を受けたものと推認すべく、従つてこの部分については今更本判決において仮執行の宣言を付することの必要性は乏しいものといわざるを得ないから仮執行宣言の申立は却下すべきであるが、本件口頭弁論終結後に履行期の到来する賃金債権については、右の賃金仮払を命ずる仮処分決定の執行により仮払を受ける方途があるとはいえ、本判決にもとづく強制執行の方が執行期間等に関し小林に有利であり、かつ、これが賃金債権であることを考慮すれば、この部分については仮執行の宣言を付することが相当であるから同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。(沖野威 小笠原昭夫 石井健吾)

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