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東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)85号 判決 1970年7月17日

原告

家永三郎

代理人

別紙原告代理人目録のとおり

(編註・森川金寿ほか三四二名)

被告

文部大臣

代理人

別紙被告代理人目録のとおり

(編註・長野潔ほか一四名)

主文

1  被告が原告の昭和四三年度用教科用図書高等学校日本史(第三学年用)改訂の原稿審査において、左記改訂箇所について、昭和四二年三月二九日付でした各検定不合格処分は、いずれもこれを取り消す。

(一)  改訂箇所番号五「第1編 原始社会とその文化、扉の見出し『歴史をささえる人々』」1頁

(二)  改訂箇所番号六「第2編 古代国家と古代文化の形成、扉の見出し『歴史をささえる人々』」9頁

(三)  改訂箇所番号一四「第3編封建社会と封建文化の発展、扉の見出し『歴史をささえる人々』」63頁

(四)  改訂箇所番号一八「第4編近代社会の発展、扉の見出し『歴史をささえる人々』」175頁

(五)  改訂箇所番号一二「脚注、①『古事記』も『日本書紀』も『神代』の物語から始まつている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には諸豪族の民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、古代の思想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。」33頁

(六)  改訂箇所番号一九「1941年(昭和16年)4月、南進態勢を強化するため、日本は日ソ中立条約を結んだ」256頁

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実<省略>

理由

目次

第一  本件各検定不合格処分およびこれに至る経緯

一  本件各検定不合格処分に至る経緯

1  原告の経歴と地位

2  「新日本史」の執筆に至るまで

3  「新日本史」五訂版までの検定の経緯

二  本件各検定不合格処分

1  本件各検定不合格処分の経緯

2  本件各検定不合格処分の処分理由

第二  教科書検定制度

一  教科書検定制度の沿革と変遷

1  戦前の教科書制度の沿革

2  戦後初期の教科書制度の改革

3  その後の教科書制度の変遷とこれをめぐる動き

二  現行教科書検定制度の概要

1  教科書の意義

2  教科書検定の権限および組織

3  教科書検定の基準

4  教科書検定の手続

5  教科書改訂検定の手続

三  現行教科書検定手続の運営

1  検定受理計画

2  原稿審査

3  校正刷審査

4  見本本審査と合格の公告

5  改訂検定手続の運営

第三  本案前の判断

第四  本案の判断

一  教科書検定制度の違憲、違法性の有無

1  教育を受ける権利および教育の自由を侵害するとの主張について

(一) 教育を受ける権利

(二) 教育の自由

(三) 教科書検定制度と教育を受ける権利および教育の自由

2  憲法二一条および同二三条違反の主張について

(一) 学問の自由と表現の自由

(二) 教科書検定制度と憲法二一条二項(検閲の禁止)

(三) 教科書検定制度と憲法二一条一項

3  憲法三一条および法治主義の原則違反の主張について

(一) 教科書検定制度と憲法三一条(適正手続の保障)

(二) 教科書検定制度と法治主義(法律に基づく行政)の原則

4  教育基本法一〇条違反の主張について

(一) 戦後の教育改革と教育基本法の成立事情

(二) 教育基本法一〇条の趣旨

(三) 教科書検定制度と教育基本法一〇条

二  本件各検定不合格処分の違憲、違法性の有無

1  教科書検定制度が違憲または違法であるから、本件各検定不合格処分は違憲または違法であるとの主張について

2  本件各検定不合格処分が違憲または違法であるとの主張について

(一) 本件各検定不合格処分の処分理由との関係について

(二) 本件改訂検定の各改訂箇所について

(1) 改訂箇所番号五、六、一四、一八(各編の扉「歴史をささえる人々」)

(2) 改訂箇所番号一二(古事記、日本書紀に関する記述)

(3) 改訂箇所番号一九(日ソ中立条約に関する記述)

(三) 結語

第五  結論

第一  本件 検定不合格処分および

これに至る経緯

一  本件各検定不合格処分に至る経緯

<証拠>ならび弁論の全趣旨を総合すれば、つぎの事実を認めることができ、他にこれに反する証拠はない。

1原告の経歴と地位

原告は、昭和一二年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、同大学文学部史料編纂所嘱託、旧制新潟高等学校教授等を経て、現在東京教育大学文学部教授の地位にあるが、この間東京大学、早稲田大学等の非常勤講師を兼任したこともあるもので、大学卒業以来一貫して日本史主として中世仏教思想史の研究に携わつてきたが、戦前および戦時中において自らの研究および研究成果の発表の自由がかなり制限を受けたこと、また戦後になつて戦前自らが受けた教育ことに国史教育が非科学的で真実に反し、画一的、国家主義的、軍国主義的なもので、その弊害が著しかつたことを痛感するに至り、今日においては憲法を遵守し、学問、思想等の自由が十分尊重されなければならないと考えているものである。

2「新日本史」の執筆に至るまで

原告は、教科書執筆の経験はなかつたが、戦後昭和二一年、はじめて文部省から依嘱されて、国定教科書「くにのあゆみ」(小学校)の古代史の部分の執筆を担当し、その際、叙上のように、戦前の日本史教育が真実の歴史を伝えるものでなかつたとの反省のうえに立つて、原始、古代に関する従来の教科書の記述が「古事記」、「日本書紀」の客観的史実でない記述を大幅にとり入れて神代の物語から始まつていたのに対し、右の「くにのあゆみ」では、石器時代の記述から始めるなど客観的史実を盛りこむことに努力した。

その後、原告は、しばらく教科書を執筆する機会がなかつたが、昭和二二年に一般市販書として「新日本史」を発行していたところ、のちに株式会社三省堂(以下「三省堂」という。)から依頼を受けて、高等学校用の日本史教科書を執筆することになり、右の「新日本史」を台本として、これを全面的に書き改め、昭和二七年に三省堂から「新日本史」と題する高等学校用日本史教科書の検定を申請したのであるが、原告が右のように高等学校用の日本史教科書を単独で執筆するに至つたのは、戦前教育に対する前記のような反省と右の「くにのあゆみ」の執筆が必ずしも意にみちたものではなかつたので、自らの理想とする教科書を単独で執筆しようとしたものであつた。そして、原告は、「新日本史」の執筆に当つて、まず何よりも、戦後の日本史教育のように単なる政治権力者中心の視野の狭い歴史教育でなく、広く日本歴史全体に目を開かせるように文化史、社会経済史を重視するものであるとともに、日本国憲法下の日本史教育が憲法と教育基本法の理念に基づいたものでなければならないとの観点から、教材の選択や取扱いに教育的観点を加えた。すなわち、たとえば封建社会などにおける女性の生活・家族生活その他の日常生活の変遷過程を明らかにして日本史を学習者の身近な問題として理解できるように工夫し、また、高等学校における日本史教育が、日本国憲法下の国民としての良識を培うためのものであるべきだとの配慮から、年号、人名、事件名等の細かな叙述はできるだけ省略して単なる固有名詞の羅列に終わることのないよう、歴史の大筋を明らかにすることに努めた。

3新日本史五訂版までの検定の経緯

右の「新日本史」は、当初検定の結果不合格とされたが、同年(昭和二七年)、原告において、一たん不合格とされた右原稿に一字も修正を加えることなく、そのまま再び検定申請をしたところ、再度検定の結果合格となり、「新日本史」(初版)として使用されるに至つた。

ところで、原告は、昭和三〇年、右初版本に全面的に加筆して検定申請をしたのであるが、これに対し文部省から二〇〇か所以上の修正意見が付されたので、右の修正意見に応じられない理由を述べてその旨の書面を提出したところ、文部省から再び口頭で同様の修正の意見を述べられたので、再度これに対し反論を加えた。このようにして原告と文部省との間で検定の内容をめぐり、前後三回にわたつてやりとりがなされたが、最終的には合格となり、「新日本史」(改訂版)として昭和三一年度から使用されることになつた。

しかるところ、その後、昭和三〇年度の高等学校社会科学習指導要領の改訂に伴い、「新日本史」も書き改める必要を生じたので、原告は、右改訂版原稿に加筆し、昭和三一年一一月二九日付で三訂版の検定申請をしたが、検定の結果不合格となつた。この検定に際しても原告は、右不合格理由は具体性に欠け、かつ恣意的であるばかりでなく、憲法、教育基本法の精神にも反すると考え、文部省初等中等教育局長にあて、文書をもつて右の考えを述べるとともに、とくに右不合格理由のうちのある点について、憲法前文を引用しその誤りを指摘して抗議したが、結局右不合格処分は維持された。続いて、昭和三二年に再び検定申請をしたが、これに対しても不合格処分がなされ、原告側において、いくつかの修正を加えて三たび検定申請をした結果合格となり、「新日本史」は昭和三四年度から同三七年度まで三訂版として使用された。

ついで、原告は右三訂版に改訂を施して改訂検定(教科用図書検定規則一一条参照、いわゆる四分の一改訂)の申請をしたところ合格し、「新日本史」は四訂版として昭和三七年度より同三九年度まで使用された。

さらに、昭和三五年に高等学校学習指導要領が改訂されたので、原告は、右四訂版に加筆し、昭和三七年八月一五日検定申請をしたところ、被告は、翌三八年四月一一日に至つて不合格を決定し(以下「五訂版第一次検定」という。)、同月一二日、申請者側から原告のほか三省堂社員小松謙二郎ほかが文部省に出頭し、文部省側から教科書調査官渡辺実、同村尾次郎、同貫達人の三名が出席し、初等中等教育局長名の「検定申請教科用図書の原稿審査の結果について(通知)」と題する書面が交付されたが、右書面には不合格の理由としては、単に「この原稿は、正確性、内容の選択に著しい欠陥がある。」とあるのみで具体的な指摘は記載されておらず、すべてその場で右教科書調査官により口頭で説明された。この理由説明の中で具体的に指摘された点には、後記のとおり、本件で問題となつた古事記、日本書紀に関する記述も含まれていた。原告は、これに対し、著者としての立場から反論を述べた。

原告は、さらに、右五訂版第一次検定において不合格とされた原稿に若干の修正を加えて、昭和三八年九月三〇日再び検定申請をしたところ、原告は同三九年三月に至つて約三〇〇項目に及ぶ修正意見を付した条件付合格処分をなした(以下「五訂版第二次検定」という。)。右の修正意見は、同月一九日、文部省において、出頭した原告および三省堂担当社員に対し、審議官妹尾茂喜立会のもとで教科書調査官渡辺実から伝達された。これに対し、原告は一部の修正を拒否し、若干の修正を加えて再提出したところ、同年四月一二日および四月二〇日に再度にわたつて修正意見が伝えられた。この五訂版第二次検定において付された修正意見の中には、のちに述べるように、本件各検定不合格処分の対象となつた六か所の改訂箇所も含まれていたが、右六か所について原告は文部省側の修正意見の趣旨に沿つて削除、修正したうえで、三省堂から「新日本史」(五訂版)として発行されるに至つた。

二  本件各検定不合格処分

<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実を認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。なお、以下の事実のうち本件改訂申請があつたこと、これに対し六か所について本件各検定不合格処分がなされ、それが伝達されたことは当事者間に争いのないところである。

1本件各検定不合格処分の経緯

原告は前記五訂版第二次検定において条件付合格となつた「新日本史」に改訂を加え、これに基づき、三省堂から昭和四一年一一月二日、三四か所の改訂(いわゆる四分の一改訂)の申請がなされたが、原告がこのように改訂をなすに至つたのは、右五訂版第二次検定(昭和三八年度検定)において修正意見が付され、原告の側でこれに応じて修正したが、修正箇所のうち、なお意に満たない数か所について修正前の記述に戻したいとの希望があつたためと、五訂版執筆以降の新しい事実を記述し、あわせてその後における学問的成果に基づき従来の記述を修正しようとする意図に基づくものであつた。

右改訂申請は、まず同申請に係る原稿について、主査村尾次郎、副主査目崎徳衛各教科書調査官による調査を経たのち、被告から教科用図書検定調査審議会(会長高垣寅次郎)に諮問がなされ、同審議会では、昭和四二年三月二三日、社会科部会(総員一九名)が開かれたが(出席者一一名)、部会長である気賀健三慶応義塾大学教授が欠席したので、西村熊雄委員が部会長の代行をつとめた。村尾主査調査官が三四か所の改訂箇所について調査結果の評定を説明すると、その説明に約三、四〇分の時間を要したほかは、二、三の委員から発言があつたのみで、調査原案どおり、右申請にかかる改訂箇所のうち、改訂箇所番号五、六、一二、一四、一八および一九の六か所については不合格、その他三か所については意見が付されて、「新日本史」の審議は終了し、同日、同審議会会長から被告に対し右審議の結果どおりの答申がなされ、被告は、昭和四二年三月二九日、右答申どおりの決定をなし、同日、文部省内において、出頭した原告および三省堂担当社員に対し、文部省初等中等教育局長斎藤正名義の右六か所を不合格とする旨の同日付三省堂あて検定結果の通知書を交付するとともに、教科書検定課長吉久勝美および教科書調査官村尾次郎から不合格理由等の伝達が行なわれた(以下右六か所の不合格処分を「本件各検定不合格処分」という。)。

2本件各検定不合格処分の処分理由

(一) 本件各検定不合格処分の対象となつた改訂箇所番号五、六、一二、一四、一八、一九の内容は、つぎのとおりである。

改訂箇所番号五、六、一四、一八は、「第1編 原始社会とその文化」、「第2編 古代国家と古代文化の形成」、「第3編 封建社会と封建文化の発展」、「第4編 近代社会の発展」の各扉のさし絵に付された説明文の「歴史をささえる人々」という見出しである。改訂箇所番号一二は、脚注で、「①『古事記』も『日本書紀』も『神代』の物語から始まつている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には諸豪族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、古代の思想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。」との記述である。また、改訂箇所番号一九は、「1941年(昭和16年)4月、南進態勢を強化するため、日本は日ソ中立条約を結んだ。」との記述である。

以上の記述は、「新日本史」の五訂版第二次検定に係る原稿(いわゆる白表紙本)の記述と同一のものであるが、右六か所については五訂版第二次検定において、いずれも被告から修正指示がなされ、原告側においてこれに応じて修正ないし削除したものであるが、原告は、本件改訂申請にあたり、右修正指示がいずれも不当であるとして、右各箇所をいずれも五訂版第二次検定に係る白表紙本の記述のとおりに復活しようとしたものである(以上の事実は、当事者間に争いがない。)。

(二) ところで、被告は右の改訂申請に対し本件各検定不合格処分をしたが、その処分理由は、右改訂箇所六か所のすべてについて、すでに検定に合格し現在格別の欠陥の認められない教科書の内容をいずれも検定基準に照らし欠陥の認められる五訂版第二次検定に係る白表紙本の記述にもつぱら戻そうとするものであるが、改訂検定の本来の趣旨は教科書内容の一層の改善向上を期するにあつて、個々の改訂箇所はそれぞれ検定基準に照らして改訂前の記述よりも良くなると認められるものか、少なくともそれと同程度のものでなければならず、改訂前の記述よりも悪くなると認められるものである場合には、その改訂を認める理由がないわけであるから、右改訂箇所六か所は、上記の改訂検定の趣旨に照らし許されないというのである。

第二  教科書検定制度

原告は本件各検定不合格処分の取消しを求めるに当たり、その前提として教科書検定制度の違憲、違法性を主張するので、当裁判所は、本件各検定不合格処分の違憲違法性の有無を判断するに先だち、教科書検定制度についてその沿革と変遷ならびにその概要と運営を検討する。

一  教科書検定制度の沿革と変遷

<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、つぎの事実を認めることができ、他にこれを左右するに足る証拠はない。

1戦前の教科書制度の沿革

明治政府は政治維持の当初から富国強兵政策をとつていたが、その一環として教育政策にも力を入れ、その結果明治四年には文部省が設置され、翌五年には「学制」(文部省布達第一三号地三布達)が発布された。しかし、当時は教科書についてまだ統制は行なわれず、たとえば同六年に「小学校用書目録」を公布して標準的な教科書を指定、推薦したが、その中には自由民権的啓蒙的な教科書も少なくなく、また、文部省自身もいくつかの教科書を編集出版していた。

その後自由民権運動が高揚するに伴つて明治政府はこれを抑える方向で政策を進めたが、同時に教育の面でも積極的な政策がとられるようになり、小学校を中心とした学校制度が整備されてきたことも相まつて、明治一三年には何種類かの教科書について使用禁止の措置がとられ、翌一四年には小学校の教科書について開申制度(届出制度)が設けられ、ついで、同一六年には小学校および中学校の教科書について認可制度が設けられた。そして同一九年には、「小学校令」、「中学校令」、「師範学校令」、「帝国大学令」の四つの勅令が定められて、戦前の学校教育の体制が一応確立したが、右の小学校令および中学校令によつて、小学校および中学校の教科書について検定制が採用されることとなり、同時に教科用図書検定条例が定められたが、同条例は検定基準について、「文部省ニ於テ教科用図書ヲ検定スルノ要旨ハ該図書ヲ教科用タルニ弊害ナキ事ヲ証明スルニ止マリ即国体法令ヲ軽侮スルノ意ヲ起サシムベキ恐アル書又ハ風致ヲ敗ルベキ憂アル書若クハ事実ノ誤アル書等ハ採択セザルモノトシ其教科用上ノ優劣如何ハ問ハサル事トナセリ」と定めていた。

明治二〇年代に至り自由民権運動が衰え、同二二年には大日本帝国憲法が発布されて翌二三年から施行されたが、同年一〇月三〇日教育勅語が発布され、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ渕源亦実ニ此ニ存ス」とし、忠孝の精神を説き、「天壊無窮ノ皇運ヲ扶翼」すべき国民を育成するために教育を施すべきことを定め、これらが教育に関する基本理念として以後今次大戦に至る教育を基本的に規制することとなつたが、さらに同二五年には前記の教科用図書検定条例が改正されて、教科書の検定は教育勅語によるべきこととなつた。

さらに、その後、明治三六年に至り、その前年に発生したいわゆる教科書疑獄事件を一つの契機として、小学校令の一部改正があり、これにより、小学校については、修身、日本歴史、地理、国語、書き方について、のちに算術、図画、さらに理科について、教科書は文部省において著作権を有するものに限られることとなり、国定制がとられることとなつた。中学校については、長らく検定制が維持されたが、昭和一八、一九年に至り、国定教科書が使用されるようになつた。

かくて、戦前の検定ないし国定教科書の使用およびその他の教育政策は、いわゆる大正デモクラシーと呼ばれた一時期にはある程度民主的な色彩をもつたことがあるほか、一般に、上記の教育勅語にみられるように、天皇主義的国家主義的なものであり、同時に軍国主義的色彩が強く、また画一的、統制的性格をもつていたが、このような傾向は時とともに次第に強まり、とくに昭和に入つてから敗戦に至るまでは、右の傾向が極度にまで進んでいつた。<反証―排斥>

2戦後初期の教科書制度の改革

(一) 昭和二〇年八月、日本がポツダム宣言を受諾し、敗戦によつて太平洋戦争が終了すると、日本を占領した連合国軍総司令部は、ポツダム宣言に基づき、つぎつぎに日本の非軍国主義化、民主化の措置を講じたが、その一環として教育についてもさまざまな抜本的改革措置を実施した。

これら総司令部による諸改革に先だち、文部省は、昭和二〇年九月「新日本建設ノ教育方針」を発表し、この中で新教育の方針として、軍国主義思想を払拭し、平和国家の建設を目途としつつも国体の護持を説いたが、「教科書」に関しては、「教科書ハ新教育方針ニ即応シテ根本的改訂ヲ断行シナケレバナラナイガ差当リ訂正削除スベキ部分ヲ指示シテ教授上遺憾ナキヲ期スルコトトナツタ」旨指示し、そしてこれを受けて、同月二〇日、「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件」を通達し、「現行教科書ヲ続継使用シ差支エナキモ、戦争終結ニ関スル詔書ノ御精神ニ鑑ミ適当ナラザル教材ニツキテハ、全部或ハ部分的ニ削除シ又ハ取扱ニ慎重ヲ期スル」よう指示した。これに基づき、教科書のうち国体、軍備等を強調した箇所、戦争を論じた部分などが削除さるべきものとされ、全国の生徒達は、教師の指示に従つてこれらの箇所を墨で黒くぬりつぶして使用した。

昭和二〇年一〇月二二日、総司令部は、日本政府に対し「日本教育制度ニ対スル管理政策」を発して軍国主義や極端な国家主義を排除すべきことを指令したが、その中で現在一時的に使用を許されている教科書等については、可能な限り速やかにその内容を検討すべきであり、軍国主義的ないし極端な国家主義的イデオロギーを助長する目的をもつて作成された箇所は削除さるべきことを命じ、ついで同年一二月三一日には、「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」を発してこれら三科目の授業の停止と教科書の破棄を指令した。そして、同二一年九月、文部省は、右の指令の趣旨に沿つて、暫定的に前示の「くにのあゆみ」その他の新しい国定教科書を発行した。

ところで、昭和二一年三月には、第一次アメリカ教育使節団が来日し、日本側の教育家委員会(昭和二〇年暮、右教育使節団に対し日本の事情を述べ、かつ意見を交換するために設けられた委員会とともに戦後の日本の教育のあるべき姿について調査、検討を加え、同年三月三一日に連合国軍最高司令官あて報告書を作成したが、この報告書はのちの教育基本法をはじめとする戦後の日本教育法制改革の要因となつた。すなわち、この報告書は、あらゆる面から日本の教育に関する提言を供しているが、その中の「教育の目的」の項で、軍国主義的、国家主義的教育の否定、個人の価値と尊厳を確立する教育の必要性を強調し、ついで「カリキユラム」の項で、カリキユラムの内容はわかりやすく、生徒の興味を拡大充実するものでなければならず、そのためにはカリキユラムないし学科課程は中央官庁と教師の協力活動の結果として生まれるべきものであると主張し、さらに続いて「教科書」の一項で、つぎのように報告した。「日本の教育に用いられる教科書は、事実上文部省の独占になつている。小学校用の教科書は文部省において直接これを作成し、中等学校用の教科書はこれを作成せしめて文部省の検定を受けさせることになつている。調査した範囲では、教師は教科書の作成にもまた選定にも十分相談に与つていない。カリキユラムについて前節に論じた原則が健全な至当なものであるとすれば、更に教科書の作成ならびに出版も一般競争に委ねられるべきであるという原則が生れてくる。機会さえ与えれば、教師も視学官も教材の工夫と評価とにおいて十分有能であることを示すであろう。多くの人の努力によつてこそ、新しいすぐれた考案を発展せしめる一層良き機会が来るものである。主として経済的理由により、教科書の選定を全く教師の自由に任してしまうことはできない。教科書の選定は一定の地域から出た教師の委員会によつて行なわれるべきである。

日本の教育者達のみがよくこの仕事をなしうるのである。他国の教育制度は手引としては役立つかもしれないが、これを盲目的にまねるべきものではない。日本の教育の転換において、極めて重大な役割を持つある教授分野が存在する。これらについて更に具体的に論ずることにしよう。」

他方、右の教育家委員会も、単に使節団に対する情報提供あるいは使節団との協議にとどまることなく、進んで自ら教育改革のあるべき姿を検討し、別途、報告書を作成してこれを使節団と文部省に提出したが、その中で、(1)新教育の理念を打ちたて、個人としての人間性の開発をはかるべきこと、(2)従来の中央集権的官僚的行政を廃し、地方分権的な教育行政を打ちたてること、(3)学制を改革し、六・三・三・四制を採用することなどを提唱した。

さらに、昭和二一年、日本国憲法が制定されようとする動きの中で、同年八月、前記の教育家委員会を発展解消し、教育に関する重要事項を調査審議するため、「教育刷新委員会」が設置された。

以上に述べた戦後教育改革の経緯については、後に詳述する。

このように、戦後のごく初期の教育ないし教科書の改革は、主として連合国軍総司令部の手によつて行なわれたというべきであろうが、他方、日本国内においても、叙上の教育家委員会、教育刷新委員会の設置などにみられるように自ら日本の教育改革に当たろうとする動きがあつたことも看過できない。

(二) 昭和二二年三月三一日、教育基本法とともに学校教育法が公布施行されたが(ただし後者の施行日は翌四月一日)、学校教育法二一条一項で、「小学校においては、監督庁の検定若しくは認可を経た教科用図書又は監督庁において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。」と定められ、中学校、高等学校についても、この規定が準用されることとなり、これにより従来の国定教科書制度は廃止され、教科書検定制度が発足することとなつたので、その実施のため同年五月には文部省に学識経験者より成る教科書制度改善協議会が設置され、教科書制度全般にわたつて検討が加えられた結果、同年九月一七日、教科書の編纂発行は機会均等であるべきこと、社会の要求に応じ教授と学習の両面を考慮して教師が積極的に教科用図書の編纂に関与できる制度をつくるべきことを大綱とする答申がなされた。そして、同年一二月には教科用図書委員会が設置されて、新しい教科書制度実施についての諸施策の立案に当たつた(同委員会は、昭和二四年七月教科用図書審議会にひきづがれ、ついで同二五年五月には後記の教科用図書調査会と合体して教科用図書検定調査審議会となつた。)。さらに、翌二三年四月には、文部省から「教科書検定に関する新制度の解説」が出され、ここでも、教科書の著作につき広く門戸を開放し、自由な競争によつてよい教科書をつくり、今後の教育の発展を図るべき旨が強調された。かくして、同月、教科用図書検定規則が文部省令第四号として公布され、翌五月には教科用図書調査会が発足して、昭和二三年度から検定が実施され、同二四年度から、小学校、中学校および高等学校において検定教科書が使用されるに至つた。なお、昭和二四年四月には、教科用図書検定基準が文部省告示として定められた。そして、右の検定は、申請のあつた図書ごとに五人の調査員(うち二人は専門の学識者、他の三人は学校の教員)がそれぞれ調査、評定を行ない、教科用図書検定調査審議会(一六名の委員で構成)の審議を経てこれを決定した。

なお、昭和二三年七月には、教育委員会法(昭和二三年法律一七〇号。のちにふれる地方教育行政の組織及び運営に関する法律の制定に伴い、同法附則によつて昭和三一年九月三〇日限り廃止された。)が制定公布され、その五〇条では都道府県委員会の権限に属する事務(私立学校については都道府県知事に属する。)のうち、「左に掲げるものは、都道府県委員会のみが、これを行う。(中略)二文部大臣の定める基準に従い、都道府県内のすべての学校の教科用図書の検定を行なうこと。」と規定されて、教科書検定の面においても教育行政の地方分権の理念が具体化されていたが、当時の用紙事情が極度に悪化していたため、とくに、同法八六条で「教科用図書の検定は、第五〇条第二号の規定にかかわらず、用紙割当制の廃止されるまで文部大臣が行う」旨を規定し、検定権限は一時的に文部大臣に与えられることとなつた。

(三) ところで、戦前の教科の内容は、小学校令、小学校令施行規則、中学校令施行規則、中学校教授要目その他の法令により細目に至るまで規定されており、国定教科書はもとより検定教科書もこれに準拠すべきこととされていた。戦後、昭和二二年に教育課程の基準として学習指導要領一般編および社会科編が作成された。そして、同じ年に制定された前記学校教育法二〇条には、「小学校の教科に関する事項は、第十七条及び第十八条の規定に従い、監督庁がこれを定める。」とあり、同法一六条で、右の監督庁は当分の間文部大臣とする旨定められ、またその年の五月二三日に制定された学校教育法施行規則(同年文部省令第一一号)旧二五条には、「小学校の教科課程、教科内容及びその取扱いについては、学習指導要領の基準による。」と定められており、中学校、高等学校についても同様の規定が置かれていた。しかしながら、前記昭和二二年度の学習指導要領は、その表紙に(試案)と明記され、その一般編の序論において、旧来の教育が画一主義に流れ、教育の実際の場での創意工夫がなされる余地がなく、教師の立場を機械的にし、生きた指導を行なおうとする気持を失なわせた、と指摘し、ついで「この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである。(中略)この書を読まれる人々は、これが全くの試みとして作られたことを念頭におかれ、今後完全なものをつくるために、続々と意見を寄せられて、その完成に協力されることを切に望むものである。」と述べている。このことは、昭和二六年度に改訂された学習指導要領についても同様であつて、同年度版の一般編、社会科編も、その表紙に(試案)の文字が明記され、「学習指導要領は、どこまでも教師に対してよい示唆を与えようとするものであつて、決してこれによつて教育を画一的なものにしようとするものではない。教師は、学習指導要領を手びきとしながら、地域社会のいろいろな事情、その地域の児童や生徒の生活、あるいは学校の設備の状況などに照して、それらに応じてどうしたら最も適切な教育を進めていくことができるかについて、創意を生かし、くふうを重ねることがたいせつである。」と述べている。

なお、学習指導要領の作成権限については、文部省設置法(昭和二四年五月公布。法律第一四六号)では、その附則六条で「初等中等教育局においては、当分の間学習指導要領を作成するものとする。ただし、教育委員会において学習指導要領を作成することを妨げるものではない。」として、文部省が指導要領を作成するのは暫定的な措置であるとしていた。

そして、右の学習指導要領は、前記教科用図書検定基準の必要条件の一とされていたが、当時においては、学習指導要領そのものが前示のとおり「試案」にすぎないものとされていたのであるから、検定基準としては参考程度のものにとどまつていた。

3その後の教科書制度の変遷とこれをめぐる動き

(一) 昭和二八年八月、学校教育法の一部改正により、教科書の検定権限は建前として、都道府県教育委員会(私立学校においては都道府県知事)に属するとされていたのが改められ、恒久的に文部大臣に属することとなつた。

(二) いわゆる「うれうべき教科書」の問題

日本民主党は、昭和三〇年二月の総選挙の際、その選挙綱領の中で、「文教の刷新、施設の整備、国定教科書の統一」を十大政綱の一として掲げてこれを公約し、教科書の民編国管案を提唱した。すなわち、教科書の編集は民間に委ねるが管理は国が行ない、検定を厳格にすることによつて各教科とも学年ごとに教科書を二種類くらいにしぼり、採択は各都道府県ごとに一種類にして国定化と同様の実を上げようとするものであつた。ついで同年七月、衆議院行政監察特別委員会において、教科書問題がとりあげられ、同委員会で喚問した石井一朝証人は、日本の教育の基本原理を根本的にくつがえすおそれのある偏向教科書が発行されつつあるが、これの教科書はつぎのような特徴をもつていると述べた。すなわち、

(1) 日本の労働者階級の生活がきわめて悲惨なものであることを、故意に必要以上に強調し、それが社会制度の欠陥、資本主義の矛盾によるものであると強調しようとしている。

(2) ソ連と中国とを礼讃し、わが国がこれらの国に対して卑屈な態度をとらなければならないかのごとく強調している、等と述べた。

そして、同年の八月から一一月にかけて、日本民主党から「うれうべき教科書の問題」と題するパンフレットが第一集から第三集まで出され、その第一集では、「教科書にあらわれた偏向教育とその事例」としてつぎの「四つの偏向タイプ」を上げた。

すなわち、第一は、教員組合運動や日教組を無条件に支持し、その政治活動を推進するタイプ(宮原誠一編、高等学校社会科社会用「一般社会」実教出版)

第二は、日本の労働者が、いかに悲惨であるかということをいい立てて、それによつて急進的な、破壊的な労働運動を推進するタイプ(宗像誠也編、中学校社会科、標準中学社会「社会のしくみ」教育出版)

第三は、ソ連・中共を、ことさらに美化し、讃美して、じぶんたちの祖国日本をこきおろすタイプ(周郷博編、小学校社会科六年用「あかるい社会」中教出版)

第四は、マルクス=レーニンの思想、つまり、共産主義思想を、そのまま、児童たちに植えつけようとしているタイプ(長田新編、中学校社会科「模範中学社会」実教出版)

これに対し、これら例示された教科書の編集者、著者らから、「日本民主党の「うれうべき教科書の問題」に対する抗議書」、「日本民主党の「うれうべき教科書の問題」はどのようにまちがつているか」、「「明かるい社会」とはどんな教科書か」などの抗議書あるいは声明書などが出され、反論がなされた。

(三) いわゆるF項バージの問題

昭和三〇年の九月に教科用図書検定調査審議会委員の交替があつて、その直後の検定において、従来に比し、不合格となる原稿が一時に増加した。そして、従来、五人の調査員による評定が原則としてそれぞれAないしEの符号で示めされていたが、この検定では、AないしEの評定は合格の意見でありながら、Fの意見により結局不合格となるといわれるものが多く、このことをめぐつて、右のFの意見は、前記委員の交替で新たに同審議会の委員に加わつた日本大学教授高山岩男の意見ではないかとの噂がながれ、ジャーナリズムも、これを「F項パージ」としてとり上げた。これについて文部省は、Fというのは、昭和三〇年以前には同審議会の委員が自ら原稿を調査のうえ評定を下す仕組でなかつたのを、同年から委員もまた自ら調査し評定することとなつたので、同審議会の評定をFとして示したものにすぎず、特定の個人の意見を示すものではない。ただし、例外的に五人の調査員のうち、とくに評定が偏つたものがある場合には、これに新たに六人目の調査員の評定を加え、これをFの符号をもつて表示することもあつた旨説明した。

(四) 教科書法案と教科書調査官の設置

昭和三〇年一二月、中央教育審議会(文部省設置法二六条参照)から文部大臣に対して、教科書制度に関する答申があり、これを受けて教科書法案が立案され、翌三一年教育委員会制度の改組に関する地方教育行政の組織及び運営に関する法律案とともに、いわゆる第二次教育二法案として第二四回国会に提出された。教科書法案は、教科書の検定、採択、発行、供給の全体にわたつて法制を整備しようとするもので、検定に関しては、(1)審議会を拡充強化すること(従来の一六人の審議会委員を八〇人以内とする。)、(2)検定基準を整備すること、(3)検定に合格する見込がないと認められる図書その他の図書について、検定を行なわないことができるものとすること、(4)検定に有効期間を設け、または一定の場合に検定の効力を失なわせることができるものとすること、等の要綱が設けられ、また、採択に関しては、(1)採択は、都道府県教育委員会が行なうものとすること、(2)一定の広域にわたる採択地区を設けて、採択地区ごとに行なうものとすること、(3)また右採択は教科書選定協議会の選定に基づいて行なうが、協議会は学年ごとに一の種目について原則として一種類の教科書を選定するものとすること等の要綱が設けられ、さらに発行に関しては、発行者の登録制を設けよりとするものであつた。

しかしながら、右教育二法案に対しては、教育の中立性を脅やかし、教育に対する国家統制の復活を意図するものであるとして、矢内原東大総長らのいわゆる「十大学長声明」をはじめ、多くの批判があり、結局前記二法案のうち「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は成立したが(昭和三一年法律第一六二号。以下「地方教育行政法」という。これによつて教育委員会は公選制から任命制に変わつた。)、教科書法案は成立せず、廃案となつた。

このようにして教科書法案は成立しなかつたが、文部省は、昭和三一年に行政措置として審議委員会を拡充して委員を八〇人に増員し、また、前記中央教育審議会の答申に則り、新たに同省に専任の教科書調査官四〇名を設け、教科書の調査に当たらせることとした。また、従来条件付合格の際に示していた修正意見を、その性質に応じて現行のようにA意見およびB意見の二つに分けることとし、同時にその伝達方法も従来調査意見書をそのまま提示していたのを改めて、教科書調査官が口頭で伝えることとなつた。

(五) 学習指導要領および教科用図書検定基準の改訂

昭和三三年、文部省は学習指導要領を改訂したが、その際、これを文部省告示として官報に公示し、また、この時以来学習指導要領には法的拘束力があると主張するようになつた。また、昭和二二年版、同二六年版の学習指導要領の表紙に記されていた(試案)の文字は、昭和三〇年の改訂の時から削除され、従前学習指導要領自身の中でそれが単なる一つの手びきにすぎないとされていた点も昭和三〇年版ないし同三三年版からは強調されなくなつた。さらに、同じく昭和三三年に教科用図書検定基準が改訂され(同年文部省告示第八六号。昭和四三年文部省告示第二八九号によつて改正されるまで、本件検定時においても用いられていたもの。その大綱はのちに示す。)、その際検定基準の絶対条件の一として、教科の目標等については学習指導要領のそれに合致しているかどうかを基準とすべきことが明定されるに至つた。

(六) 教科書無償措置の採用

さらに、昭和三八年には、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(同年法律第一八二号、以下単に「無償措置法」と略称する。)が成立したが、これによつて、小中学校教科書の無償措置制とともに、教科書の広域統一採択制と文部大臣による教科書発行業者の指定制度とがとられることとなつた。

なお、文部省は、その頃「義務教育諸学校生徒に対する無償給与実施要綱案問題点」と題する文書を作成しているが、その中の「義務教育教科書の国定化について」という項で、「(1)義務教育教科書については、国定化の論もあるが、現在検定は学習指導要領の基準に則り厳格に実施されているので、内容面において実質的には国定と同一である。またかりに、名実ともに国定とするためには、検定教科書について著作権の買上げ等の方法による補償を行なう必要があり、そのためには莫大な経費を要する。(2)今後企業の許可制の実施及び広域採択方式整備のための行政措置を行なえば、国定にしなくても五種程度に統一しうる見込であるので、国定の長所を取り入れることは現制度においても可能である。」としている。

二  現行教科書検定制度の概要

本件各検定不合格処分のなされた当時における教科書検定制度の概要は、つぎのとおりである。なお、現行制度ものちに触れる教科用図書検定基準の改訂等を除いてはほとんど同一であるので、以下においては、本件検定時における教科書検定制度を中心として必要に応じ、改正ないし改訂部分を特記することする。

1教科書の意義

教科書の意義については、教科用図書検定規則(昭和二三年文部省令第四号)一条二項に「この規則において教科用図書……とは、小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校の児童又は生徒が用いるため、教科用として編修された図書をいう。」との規定があるほか、法律で直接これを定義づけた規定は見当たらない。もつとも、教科書の発行に関する臨時措置法(昭和二三年法律第一三二号)の二条一項では、「この法律において『教科書』とは、小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられる児童又は生徒用図書であつて、文部大臣の検定を経たもの又は文部大臣において著作権を有するものをいう。」と規定されているが、右の規定は、同法が「現在の経済事情にかんがみ、教科書の需要供給の調整をはかり、発行を迅速確実にし、適正な価格を維持して、学校教育の目的達成を容易ならしめることを目的とする。」(同法一条)ものであることからしても、教科書の意義一般を規定したものというよりは、同法において教科書の発行に関する臨時措置に関し規定を設けるに当たつて、同法上は教科書とは右のものをいうと定めたにとどまるものと解するのが妥当である。

2教科書検定の権限および組織

(一) 教科書検定に関する文部大臣の権限

学校教育法(昭和二二年法律第二六号)二一条一項は、「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。」と定め、同条二項は、「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。」と規定し、同条は、四〇条で中学校に、五一条で高等学校に、七六条で盲学校、聾学校および養護学校に、それぞれ準用されているが、ただし、一〇七条では、「高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校並びに特殊学級においては、当分の間、第二十一条第一項(第四十条、第五十一条及び第七十六条において準用する場合を含む。)の規定にかかわらず、文部大臣の定めるところにより、同条同項に規定する教科用図書以外の教科用図書を使用することができる。」と規定され、右一〇七条の規定を受けて学校教育法施行規則(昭和二二年文部省令第一一号)五八条で、「高等学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣が著作権を有する教科用図書のない場合には、当該高等学校の設置者の定めるところにより、他の適切な教科用図書を使用することができる。」と規定され、同規則七三条の一二、同条の一三、同条の一七にも盲学校等についてほぼ同様の規定がある。

右の学校教育法二一条、五一条は、高等学校において使用する教科書は、文部大臣の検定を経たいわゆる検定教科書か、あるいは国定教科書でなければならないことを規定しているが、同時に、教科書検定は文部大臣においてこれを行なう旨をも定め、これによつて文部大臣に教科書検定の権限を付与したものと解せられる。

そして、教科用図書検定規則二条によると、教科用図書の検定は、教科用図書検定調査審議会の答申に基づいて、文部大臣が行なうものとされている。

(二) 教科書検定の組織

文部省設置法(昭和二四年法律第四六号、以下「設置法」という。)五条一項は、「文部省は、この法律に規定する所掌事務を遂行するため、次に掲げる権限を有する。ただし、その権限の行使は、法律(これに基く命令を含む。)に従つてなされなければならない。」として、その一二号の二で、「教科用図書の検定を行なうこと。」を定め、文部大臣の補助機関として、初等中等教育局長、同局審議官、同局教科書検定課長および同課主任教科書調査官および教科書調査官が置かれ、教科書検定の事務に当たつているが、そのうち初等中等教育局長は、教科用図書の検定をつかさどり(設置法八条一三号の二)、同局審議官は、「命を受け、初等中等教育局の所掌事務のうち重要事項に係るものを総括整理する。」(文部省組織令一三条)とされ、教科書に関する事務についてもその総括整理の任に当たり、教科書検定課長は、「教科用図書検定基準の作成及び改訂等初等中等教育用教科書の検定に関する」事務その他の検定に関する事務をつかさどり(同組織令一二条)、「教科書調査官は、上司の命を受け、検定申請のあつた教科用図書及び通信教育用学習図書の調査に当る。」(設置法施行規則五条の二、第二項)ものとされ、また、「教科書調査官のうち九人以内を、担当する教科を定めて主任教科書調査官とすることができる。主任教科書調査官は、その担当する教科について、前項に定める教科書調査官の職務の連絡調整に当るものとする。」(同施行規則五条の二、第三項)とされている。

さらに、「検定申請の教科用図書を調査し、及び教科用図書に関する重要事項を調査審議すること」を目的として、文部省に教科用図書検定調査審議会(以下単に「審議会」という。)が置かれ(設置法二七条一項)、その内部組織、所掌事務等を定めるため、教科用図書検定調査審議会令(昭和二五年政令第一四〇号、以下単に「審議会令」という。)が定められ、これによると、審議会は、「文部大臣の諮問に応じ、検定申請の教科用図書……を調査し、及び教科用図書に関する重要事項を調査審議し、並びにこれらに関し必要と認める事項を文部大臣に審議する」ことを所掌事務としており、また、審議会は委員一二〇人以内で組織され、委員は教育職員、学識経験のある者および関係行政機関の職員のうちから、文部大臣が任命するものとされている(審議会令二条一、二項、三条一項)。また、審議会には、検定申請のあつた教科用図書等の原稿を調査されるために調査員が置かれ、学識経験のある者のうちから、審議会の意見を聞いて、文部大臣が任命するものとされている(審議会令二条三項、三条二項)。ところで、審議会には、その所掌事務の分担のために、教科用図書検定調査分科会、教科用図書分科会、教科用図書価格分科会の三分科会が設けられ、委員は文部大臣の指名によりいずれかの分科会に分属するものとされ、また検定申請の教科用図書に関する事項は教科用図書検定調査分科会が分担するものとされている(審議会令六条、七条)。そして、右教科用図書検定調査分科会は、さらに国語、社会科等各科目ごとに第一部会ないし第九部会および総括部会に分かれ、委員は各部会に分属し、特別の場合を除き、部会の議決をもつて分科会の議決とすることになつている(教科用図書検定調査分科審議会の部会の設備及び議決事項の取扱に関する規程((昭和三一年教科用図書検定調査分科審議会決定)))。なお、証人吉久勝美の証言によると、右各部会のうち、社会科と職業・家庭科の二つの部会、(第二および第九部会)については、さらに便宜これに小委員会を設け、小委員会の審議を経たうえで部会の審議を行なうとの扱いになつており、第二部会(社会科)の場合、中学校および高等学校については、日本史、世界史、地理などの小委員会が設けられていることが認められる。

3教科書検定の基準

教科書の検定については、教科用図書検定規則一条一項で「教科用図書の検定は、その図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適することを認めるものとする。」と定められ、また、検定の基準については、教科用図書検定基準(昭和三三年文部省告示第八六号、昭和四三年八月二六日文部省告示第二八九号による改正前のもの。)および教科用図書検定基準内規(昭和三三年文初教第五八六号、以下「検定基準内規」という。)が定められている。

教科用図書検定基準は、検定の基準を絶対条件と必要条件とに分けている。

絶対条件は各教科に共通な条件で、このいずれかを欠くときは申請図書は絶対的に不適格となるものであり、その内容はつぎのとおりである。

(1) (教育の目的との一致)教育基本法に定める教育の目的および方針などに一致しており、これらに反するものはないか。また、学校教育法に定める当該学校の目的と一致しており、これに反するものではないか。

(2) (教科の目標との一致)学習指導要領に定める当該教科の目標と一致しており、これに反するものはないか。

(3) (立場の公正)政治宗教について、特定の政党や特定の宗派にかたよつた思想・題材をとり、またこれによつて、その主義や信条を宣伝したり、あるいは非難したりしているようなところはないか。

必要条件は各教科ごとに定められ、これを欠くときは瑕疵のある教科書とされるものであるが、その内容も実質的にはほぼ共通でその骨子はつぎのとおりである。

(1) (取扱内容)取扱内容は学習指導要領によつているか。

(2) (正確性)誤りや不正確なところはないか。また、一面的な見解だけをとりあげている部分はないか。

(3) (内容の選択)内容には、学習指導要領の示す教科目標および科目または学年の目標の達成に適切なものが選ばれているか。

(4) (内容の程度等)内容の程度は、その学年の児童・生徒の心身の発達段階に適応しているか。また、児童・生徒の生活・経験および興味に対する配慮がなされているか。

(5) (組織・配列・分量)組織・配列および分量は、学習指導を有効に進めうるように適切に考慮されているか。

(6) (表記・表現)漢字・かなづかい・ローマ字つづり、記号、用語、計量単位などは適切であり、これらに不統一はないか。また、表現は冗長・粗雑でなく、児童・生徒に理解しやすいものである。

(7) (使用上の便宜等)目次・索引・注・凡例・諸表その他教科書使用上の便宜を与えるものが、必要に応じて用意されているか。また、出典などは必要に応じて示されているか。

(8) (地域差・学校差)特定の地域や特に施設・設備のよい学校にだけ適するようになつていないか。

(9) (造本)印刷、文字の大きさ・行間・書体、判型、分冊ならびに図書としての各部の表示その他に欠陥や適切でないものはないか。

(10) (創意工夫)内容、組織、表現その他について、適切な創意工夫が認められるか。

つぎに、検定の基準と学習指導要領の関係については、教科用図書検定基準において実質的に学習指導要領によることにしている(同基準絶対条件の第二項目、必要条件の第一項目、第三項目参照)。

4  教科書検定の手続

教科書検定の手続については、教科用図書検定規則でつぎのような規定が設けられている。

(一) 教科書検定の申請は、当該教科書の著作者または発行者のいずれからもできる(検定規則三条)。

(二) 教科書の検定は、原稿審査、校正刷審査および見本本審査の三段階を経て完了する(検定規則三条)。申請者は、まず、所定の原稿審査申請書に教科書の原稿と所定の検定審査料を添えて文部大臣に申請し、つぎに原稿審査を経て合格とされたときは、校正審査申請書に校正刷を添えて申請し(審査料を添える必要はない。)ここで合格とされたときは、さらに見本本につき見本本審査の申請をするものとされる(検定規則五条、六条)。このような三段階審査は、原稿審査では原稿自体について、校正刷審査では校正刷につき再び主としてその内容面について、さらに見本本審査では実際の製本された教科書と同様の見本本について造本等を含めて審査しようとするもので、それぞれ別個独立の手続ではなく、当該申請に係る図書についての一連の手続であると解するを相当とする。たとえば、申請に係る図書が原稿審査において不合格の検定を受けた者は、それ以後の校正刷審査および見本本審査の申請をすることができず、右原稿審査の不合格処分が最終の処分となるのであつて、これに対して行政不服の申立て、訴訟等を提起できることはいうまでもない。

(三) そして、審査においては、審議会の調査員による調査および評定、教科書調査官による調査、評定がなされ、ついで審議会で審議が行なわれ、その結果が文部大臣に答申され、文部大臣は右答申に基づいて検定を行なうものとされている(検定規則二条)。

(四) このようにして最終的に合格とされた教科書は、その名称、ページ数、定価、目的とする学校、教科の種類、検定および発行の年月日、著作者の氏名および発行者の住所氏名等を官報で公告することになつている(検定規則一一条一項)。

5  教科書改訂検定の手続

以上は、主として新たに教科書の検定をする場合(いわゆる白表紙本)の手続に関するものであるが、検定規則九条によると、検定の効力は改訂(検定規則一一条一項で、改訂とは、文章、文句さし絵を増減校訂し、記述の方法もしくはさし絵、ページ数、行数、字体、判型を変更し、または注解、附録、序文等を加除変更する場合を含むものとされている。)を加えた教科書には及ばないものとされ、この改訂がページ数の四分の一以上にわたるものは検定規則五条および六条により、一般の白表紙本として新たに検定の申請をしなければならない(検定規則一一条二項)が、改訂がページ数の四分の一に満たない場合には、所定の改訂申請書に改訂理由書、改訂原稿、検定審査料(白表紙本の場合の半額)を添えて文部大臣に提出すべきものとされている(検定規則一〇条、以下これを「改訂検定」という。)。本件検定は改訂検定である。改訂検定の場合には、改訂申請に関する合否の決定は改訂箇所ごとに別個の処分であると解するのが相当である。

三  現行教科書検定手続の運営

<証拠>および弁論の全趣旨を総合すると、本件検定時における教科書検定手続の運営は、およそつぎのとおりであることが認められ、これを左右するに足る証拠はない。

1  検定受理計画

文部省は、検定事務の便宜と発行者らの便宜のため、毎年度ごとに検定を受理する種目およびその時期などについて、あらかじめ計画を立て、これを検定申請予定者に通知することとしているが、これに先だち、教科書発行者をもつて組織される社団法人教科書協会の意見を聞いてほぼ三年ごとに検定実施年次計画を定めているところ、本件検定については、昭和三九年六月二二日、昭和四〇年度ないし同四二年度の高等学校用教科書検定実施計画が作成され、その中で昭和四一年度には、昭和三八年度検定の教科書についての改訂申請の受理がなされる旨が定められ、ついで同四〇年一二月二五日付文初検第四六二号文部省初等中等教育局長名義の「昭和四一年度における高等学校用教科書の検定申請について(通知)」と題する文書をもつて、昭和四一年度検定について検定を受理する種目およびその時期等が三省堂に通知された。

2  原稿審査

(一) 右受理計画に従つて、教科書の著作者または発行者から、まず原稿審査の申請がなされるが、ここで申請者から文部省に提出される原稿は著者名あるいは発行者名が記載されていない白表紙のものであるので、通常白表紙本と呼ばれている。このような白表紙本を審査の対象とするのは、調査、評定を行なう者が、著作者あるいは発行者がだれであるかにとらわれることなく、審査を公正にするためである。そして、原稿審査の申請に当たつては、申請者側から編集趣意書が提出されることになつているが、これにより、学習指導要領に示された内容と原稿の内容とが対比できること、また、著作者がとくに意を用いた点もしくは特色など調査の参考としてほしい事項があればそれを簡潔に記載すべきことが求められている。

(二) このようにして申請が受理されると、申請に係る原稿は教科書調査官の調査に付され、同時に、審議会に対し諮問がなされて調査員に対しても調査が依頼される。たとえば原稿が高等学校の日本史であれば、社会科担当の全調査官(本件検定当時一〇名。うち日本史は三名)の調査に付され、各調査官の調査ののち、社会科関係の調査官による会議が開かれてそこで調査の結果が検討され、各調査官の意見が述べられる。右調査に際しては、各原稿ごとに主査および副主査の調査官が決められ、右調査官会議の結果を主査および副主査の調査官がまとめて、調査意見および評定を書面に記載する。また、調査員も原稿一点につき三名が選ばれ(無作為抽出により、大学教授等の専門学識者一名、学校の教員等二名が選ばれる。)、各調査員は別個に調査し、それぞれ調査意見書および評定書を作成する。

(三) これら教科書調査官および調査員の調査結果がまとまつた段階で審議会が開かれることになるのであるが、これに先だち審議会の各委員には約一か月前に原稿が送付される(のちに述べる改訂原稿については事前の送付はなされない。)。そして、審議会は各科目について部会ごとに開かれ、まず調査官(調査官は教科書検定課に属するものとして審議会の幹事となり、審議会開催の準備等にも当たる。)が、調査官の調査結果および調査員の調査結果をとりまとめて報告し、それから各委員が意見を述べる。審議は通常午後一時ないし一時三〇分頃から五時頃まで行なわれ、この間に多いときには六、七点の原稿について審議がなされる。審議の結果当該原稿の合否が決せられるが、その決定は通常は全員一致でなされることが多い。審議の結論には合格と不合格とがあるが、検定基準に照らし欠陥ありとされるものについても必ずしも不合格の検定がなされるわけではなく、絶対条件に触れず、かつ、必要条件の各項目に照らして一定の水準に達していると認められる場合には合格と判定されるが、この場合に、審議会において原稿に訂正、削除または追加など適当な措置をしなければ教科書として不適当と認める事項があるときはこれにA意見を付し、この意見に沿つて必要な措置を加えることを条件として合格と判定される。これが条件付合格といわれるものである。またこの場合に、必要条件の各項目に照らし欠陥とは認められるが、それを修正しなくとも合格と認められる程度のもの、または必要条件に照らし欠陥とは認められないが、修正した方が教科書としてより適当であるものについては、参考意見としてB意見が付される。そして、これら審議の結果に基づき、合格、不合格の判定およびA意見、B意見が文部大臣に答申される。

(四) 文部大臣は、右の答申に基づいて検定の決定をする。答申は、法的には拘束力があるものとは解されないが、実際には、答申どおりの決定がなされている。

(五) 文部大臣の決定の結果は、不合格の場合には、その旨および簡単な不合格理由を記載した書面が申請者に交付され、同時に不合格の理由となつた事項が教科書調査官から口頭で説明されるのであるが、欠陥があるとされた個々の事項のすべてについてまでは説明がなされない。条件付合格の場合には、条件付合格である旨を記載した書面が交付されるとともに、教科書調査官からA意見またはB意見が申請者に伝達される。通常、A意見とB意見とは区別して伝達されるのであるが、ときに明確な区別なく伝達されることもあり、また、申請者側でB意見に応じられない旨を述べてもなお重ねて修正すべき旨を伝達されることがある。

なお、不合格理由の告知または条件付合格の場合における修正意見の伝達に際し、調査官の説明等を録取するため、速記あるいは録音機を用いることが許されている。

(六) これら不合格処分または条件付合格処分に対する救済措置としては、不合格の場合には、処分の通知に際し文部省側から行政不服審査法に基づく異議の申立てができる旨告知されることがあるが、条件付合格の場合には、不服申立ての方法はなく、校正刷審査の段階で修正意見に応じられない旨を述べることが事実上認められているにとどまる。ただし、その結果文部省側で再検討のうえ意見が撤回されることはある。

(七) 以上の原稿審査に要する期間は必ずしも一定しないが、通常、四か月ないし六か月であるが、ときに八か月に及ぶ場合もある。また、申請後の審理に要する期間、日程等について申請者側に知らされることはない。ところで、教科書の採択発行の手続については、まず、毎年、教科書を発行しようとする者が発行しようとする書目を文部大臣に届け出、ついでこの届出に基づき文部大臣が教科書目録を作成して都道府県の教育委員会に送付し、都道府県の教育委員会がこれを基に教科書展示会を開く仕組になつているが、教科書発行者は右文部大臣に対する届出においては、すでに検定に合格している教科書のほか、現に検定申請中のもので原稿審査に合格しているものを届け出ることが認められている。

3  校正刷審査

原稿審査で合格とされた教科書について、つぎに申請者は、半月ないし一か月以内に、前記のような修正意見の指摘があるときはこれに対する修正等をしたうえで、校正刷審査の申請をする。右校正刷においては、A意見について修正した箇所、B意見について修正した箇所、A意見について修正を拒んだ場合のその箇所、著作者自らが修正した箇所にそれぞれ赤、黄、紫、緑の各付箋がつけられ(申請者においてA意見による修正を拒んだ紫付箋の箇所には理由を付することが認められる。)、それぞれの箇所ごとに審査が行なわれる。審査は通常教科書調査官のみで行なわれるが、ときには審議会の審議に付されることもある。その結果、前記のとおり、A意見が撤回されることもある。A意見による修正に応じない場合において、文部省側がこれを承認することができないときは不合格とされる。なお、この審査に要する期間は通常約半月で、審査終了後審査の結果が申請者に伝達されるが、その際、B意見について申請者が修正に応じない場合に再びB意見が付され、その説明がなされることがある(B意見の性質が前記のように参考意見だとすれば、申請者においてその修正に応じない場合に校正刷審査の段階で再び修正意見を付するのは妥当とはいえないであろう。)。

4  見本本審査と合格の公告

校正刷審査に合格した教科書は、さらに表紙、奥付等をつけて実際の教科書と同一の造本を施したものについて、見本本審査が行なわれる。見本本審査は、検定基準に基づき、内容面と製本、用紙、表紙その他の造本面とにわたつて行なわれ、その結果が申請者に通知される。

見本本審査に合格した教科書は、官報に検定済教科書として公告され、さらに前記のように教科書目録に登載され、採択されて現実に使用されるわけである。

5  改訂検定手続の運営

改訂検定の申請は、既述のように改訂のページ数が全体の四分の一をこえない場合に行なわれるものであるから、原稿審査の場合にも、白表紙の原稿を提出するのでなく、既存の検定済教科書をそのまま用いて、改訂を加えようとする部分に改訂文、改訂を加えようとするさし絵等を記載した別紙を新旧の区別が明らかに対照できるように改訂箇所に貼付して申請するものとされており、また申請の際に改訂理由書を提出する仕組みになつている。

改訂検定においては、調査員による調査は必要なしとして省略されている。また、検定結果の通知は一通の通知書でなされるが、審査は個々の改訂箇所ごとに行なわれ、合否の決定も個々の改訂箇所ごとになされる。

第三  本案前の判断

被告は、本件改訂検定の申請者は訴外株式会社三省堂であつて、原告は本件各検定不合格処分の取消しを訴求する法律上の利益を有せず、それゆえ本訴について原告適格を有しないと主張するので、この点について判断する。

<証拠>によれば、本件改訂検定の申請者は訴外株式会社三省堂であることが認められ、これに反する証拠はない。しかしながら、前示のとおり、教科用図書検定規則三条は「図書の著作者又は発行者は、その図書の検定を文部大臣に申請することができる」と定めており、その趣旨は、一般に教科書の出版を含めて図書の出版に関する権利は著書および発行者のいずれにも属するものであることにかんがみ、著作者と発行者と同一に扱い、教科用図書の検定は著作者または発行者のいずれからもその申請をすることができるというにあると解され、したがつて、右の趣旨からみて検定の効果は著作者、発行者のいずれにも及ぶというべきであるから、たまたま教科用図書の検定申請が発行者からなされた場合であつても、これに対して検定不合格処分がなされたときは、申請者たる発行者のみならず、当該教科用図書の著作者もまた右の検定不合格処分についてその取消しを訴求する法律上の利益を有すると解するを相当とするところ、原告が本件改訂検定に係る教科用図書の著作者であることは前記認定のとおりであるから、原告は本件各検定不合格処分についてその取消しを訴求する原告適格を有するものというべきである。この点に関する被告の上記主張は失当である。

第四  本案の判断

一  教科書検定制度の違憲、違法性の有無

1  教育を受ける権利および教育の自由を侵害するとの主張について

(一) 教育を受ける権利

(1)  憲法二六条は、一項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、二項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する女子に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めているが、この規定は、憲法二五条をうけて、いわゆる生存権的基本権のいわば文化的側面として、国民の一人一人にひとしく教育を受ける権利を保障し、その反面として、国に対し右の教育を受ける権利を実現するための立法その他の措置を講ずべき責務を負わせたものであつて、国民とくに子どもについて教育を受ける権利を保障したものということができる。

ところで、憲法がこのように国民ことに子どもに教育を受ける権利を保障するゆえんのものは、民主主義国家が一人一人の自覚的な国民の存在を前提とするものであり、また、教育が次代をになう新しい世代を育成するという国民全体の関心事であることにもよるが、同時に、教育が何よりも子ども自らの要求する権利であるからだと考えられる。すなわち、近代および現代においては、個人の尊厳が確立され、子どもにも当然その人格が尊重され、人権が保障さるべきであるが、子どもは未来における可能性を持つ存在であることを本質とするから、将来においてその人間性を十分に開花させるべく自ら学習し、事物を知り、これによつて自らを成長させることが子どもの生来的権利であり、このような子どもの学習する権利を保障するために教育を授けることは国民的課題であるからにほかならないと考えられる。

そして、ここにいう教育の本質はこのような子どもの学習する権利を充足し、その人間性を開発して人格の完成をめざすとともに、このことを通じて、国民が今日まで築きあげられた文化を次の世代に継承し、民主的、平和的な国家の発展ひいては世界の平和をになう国民を育成する精神的、文化的ないとなみであるというべきである。

このような教育の本質にかんがみると、前記の子どもの教育を受ける権利に対応して子どもを教育する責務をになうものは親を中心として国民全体であると考えられる。すなわち、国民は自らの子どもはもとより、次の世代に属するすべての者に対し、その人間性を開発し、文化を伝え、健全な国家および世界の担い手を育成する責務を負うものと考えられるのであつて、家庭教育、私立学校の設置などはこのような親をはじめとする国民の自然的責務に由来するものというべきものである。このような国民の教育の責務は、いわゆる国家教育権に対する概念として国民の教育の自由とよばれるが、その実体は右のような責務であると考えられる。かくして、国民は家庭において子どもを教育し、また社会において種々の形で教育を行なうのであるが、しかし現代において、すべての親が自ら理想的に子どもを教育することは不可能であることはうまでもなく、右の子どもの教育を受ける権利に対応する責務を十分に果たし得ないこととなるので、公教育としての学校教育が必然的に要請されるに至り、前記のごとく、国に対し、子どもの教育を受ける権利を実現するための立法その他の措置を講ずべき責任を負わせ、とくに子どもについて学校教育を保障することになつたものと解せられる。

してみれば、国家は、右のような国民の教育責務の遂行を助成するためにもつぱら責任を負うものであつて、その責任を果たすために国家に与えられる権能は、教育内容に対する介入を必然的に要請するものではなく、教育を育成するための諸条件を整備することであると考えられ、国家が教育内容に介入することは基本的には許されないというべきである。

この点に関し、義務教育に関する憲法二六条二項の反面から、国家もまた教育する権利を有する旨の見解があるが、しかし、同条項に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する女子に普通教育を受けさせる義務を負ふ」というのは、上記のような親の子どもに対する教育の責務の遂行を保障したものと解するのが相当であつて、この規定の反面から国にいわゆる教育権があるとするのは相当でないというべきである。

(2) 被告は、現代において、公教育は国政の一環として行なわれるものであるから、公教育についても民主主義の原理が妥当し、議会制民主主義をとるわが国においては国民の総意は法律に反映される建前になつており、憲法二六条一項も「法律の定めるところにより」と規定しているから、法律の定めるところにより国が教育内容に関与することは認められている、と主張する。しかしながら、憲法二六条は、前示のとおり教育を受ける権利を実質的に保障するために国が立法その他の積極的な施策を講ずべき旨を定め、また、戦前におけるごとく勅令主義あるいは法律に基づかない恣意的な教育行政を否定し、国の行なう教育行政が法律によるべき旨を定めたものではあるが、法律によりさえすればどのような教育内容への介入をしてもよい、とするものではなく、また、教育の外的な事項については、一般の政治と同様に代議制を通じて実現されてしかるべきものであるが、教育の内的事項については、すでに述べたようなその特質からすると、一般の政治とは別個の側面をもつというべきであるから、一般の政治のように政党政治を背景として多数決によつて決せられることに本来的にしたしまず、教師が児童、生徒との人間的なふれあいを通じて、自らの研鑽と努力とによつて国民全体の合理的な教育意思を実現すべきものであり、また、このような教師自らの教育活動を通じて直接に国民全体に責任を負い、その信託にこたえるべきものと解せられる(教育基本法一〇条)。

被告は、また、現代のように、政治、経済、社会、文化等の各方面にわたり高度に発達をみている社会においては、国は福祉国家として、社会の有為な構成員や後継者の育成を図るとともに、社会において各人が十分にその人格を向上させ、能力を伸長させることができるよう配慮する責任があり、また、すべての国民の福祉のために、国民に対し健康で文化的な生活を確保することを責務としており、教育はこの意味において欠くことのできない重要な役割をになうものである、すなわち、国は公教育制度を設け、教育の機会均等を確保し、適切な教育を施し、教育水準の維持向上に努めることが要請されているのであつて、この要請に基づき、憲法、教育基本法、学校教育法等が定められ、教育内容についても、国の関与を定める法制がとられている旨主張するので、案ずるに、現代国家が福祉国家としてすべての国民に対し健康で文化的な生活を保障すべき責務を負い、教育がこのために欠くことのできない重要な役割をになうものであることはいうまでもない。しかしながら、現代国家の理念とするところは、人間の価値は本来多様であり、また多様であるべきであつて、国家は人間の内面的価値に中立であり、個人の内面に干渉し価値判断を下すことをしない、すなわち国家の権能には限りがあり人間のすべてを統制することはできない、とするにあるのであつて、福祉国家もその本質は右の国家理念をふまえたうえで、それを実質的に十全ならしめるための措置を講ずべきことであるから、国家は教育のような人間の内面的価値にかかわる精神活動については、できるだけその自由を尊重してこれに介入するを避け、児童、生徒の心身の発達段階に応じ、必要かつ適切な教育を施し、教育の機会均等の確保と、教育水準の維持向上のための諸条件の整備確立に努むべきことこそ福祉国家としての責務であると考えられる。

(3) 以上のことは、近代および現代における教育に関する思想および近代市民国家の憲法その他の教育法制に照らしても肯定されるところであると思われる。すなわち、近代市民社会の思想は人権の思想であり、個人の尊厳の確立をめざすものであり、したがつて当然子どもたちにも人格と人権が認められたが、さらにまた、ルソーに見られるように、子どもに大人とは違つた独自の権利が認識され、子どもは発達の可能態であつて、子ども将来にわたつて、その可能性を開花させ、人間的に成長する権利を有することが確認された。そして、この成長・発達する権利を現実に充足するためには、子どもが学習する権利を行使しうるような機会を与えられるべきことが重要な意味を持ち、子どもに教育を受ける権利があまねく保障されなければならないと主張され、そして、それは同時にまた新しい世代の権利であるとも考えられた。また、同時に、近代人権思想は子どもを教育する権利の親の責務としての親権に属するものとして捉え、これに対する権力の干渉を強く排徐すべきことをも包含していたのであり、絶対主義的ないし家父長的な教育を否定するものであつた。そして、これらの子どもの学習権=教育を受ける権利と親の責務とが一体となつて近代教育思想の中核となり、一七九三年フランス憲法二二条で「教育は、すべての者の需要である。社会は、その全力をあげて一般の理性の進歩を助長し、教育をすべての者の手の届くところに置かなければならない。」と定められ、さらに一八四八年フランス憲法は前文で、「共和国は、すべての者に不可欠な教育を各人の手の届くところに置かなければならない。」旨を宣言し、同時にその九条で「教育は、自由である。教育の自由は、法律の規定する能力および道徳性の条件にしたがい、かつ国の監視のもとにおいて実行される。この監視は、なんらの例外なしにすべて教育および教化の施設におよぶものとする。」と定めて、国の監視のもとにおいてであるが、教育の自由が規定されるに至つた。かくして、一九世紀の末になつて、西欧各国に公教育制度が確立してくるのであるが、そこでは、たしかに一面では従来の教育の自由をある面では制限しつつ国家全体の公教育を確立しようとする動きもあつたが、近代における教育の自由の原理はその中でも基本的には継承されたといいうるし、さらに二〇世紀に入つて、生存権的基本権が各国の憲法において規定されるに至ると、子どもの権利としての教育を受ける権利が確立したといえよう。こうして現在においては、たとえば、ボン憲法は、六条で「子供の育成および教育は、両親の自然の権利であり、かつ、何よりもまず両親に課せられている義務である。その実行に対しては、国家共同社会がこれを監督する。」と規定し、七条で「全学校制度は、国の監督を受ける。」としたあと、「教育権者は、子を宗教教育に参加させることについて、決定する権利を有する。私立学校設立の権利は保障される。公立学校の代用としての私立学校は、国の認可を必要とし、かつ、ラントの法に従う。」旨定め、イタリア憲法(一九四八年)三〇条は、「子を、たとえ婚姻外で生れたものでも、育て、教え、学ばせることは、親の義務であり、権利である。」と定め、さらに、世界人権宣言の二六条では、「何人も、教育を受ける権利を有する。教育は、少くとも初等のかつ基礎の課程では、無料でなくてはならない。初等教育は義務とする。専門教育と職業教育は、一般に利用し得るものでなくてはならない。また高等教育へのみちは、能力に応じて、すべての者に平等に開放されていなくてはならない。両親は、その子供に与える教育の種類を選択する優先的な権利を有する。」旨規定するに至つている。また、アメリカ合衆国では、連邦最高裁判所は、父兄、保護者に対し学齢期の児童をすべて公立学校に就学させるべき義務を課した州法(The Oregon Compulsory Education Act)を違憲として、「両親が、自らの監督のもとに児童の養育および教育を指摘する自由を州法が合理的な理由なく妨げるものであることは明らかである。(中略)この連邦内のすべての政府がその上に基礎をおくところの自由に関する根本理論は、児童をしてただ公立学校教師の授業のみを受けしめるように強いることによつて児童を規格化するところの州のいかなる一般的権力をも排除する。児童は単なる州の付属物ではない。児童を養育し、児童の運命を左右する人は、児童を引受け、児童をして人生において課せらるべき責任を果せるよう用意させる権利をもち、かつ崇高な義務を負う」(Pierce v. Sooiety of Sisters, 168 US. 510, 1925)旨判示した。

こうして、一八世紀末に成立した、子どもの教育を受ける権利と教育の自由を中核とする近代教育思想は現代における実定憲法および公教育法制の中に基本的に生かされて子どもの教育を受ける権利が生存権的基本権の一つとして認められ、国民は子どもないし次の世代を教育する責務を負い、国家はそのために具体的な施策を行なう任務を担うことになつたということができよう。

(二) 教育の自由

(1) 公教育としての学校において直接に教育を担当する者は教師であるから、子どもを教育する親ないし国民の責務は、主として教師を通じて遂行されることになる。この関係は、教師はそれぞれの親の信託を受けて児童、生徒の教育に当たるものと考えられる。したがつて、教師は、一方で児童、生徒に対し、児童、生徒の学習する権利を十分に育成する職責をになうとともに、他方で親ないし国民全体の教育意思を受けて教育に当たるべき責務を負うものである。しかも、教育はすでに述べたとおり人間が人間に働きかけ、児童、生徒の可能性をひきだすための高度の精神的活動であつて、教育に当たつて教師は学問、研究の成果を児童、生徒に理解させ、それにより児童、生徒に事物を知りかつ考える力と創造力を得させるべきものであるから、教師にとつて学問の自由が保障されることが不可欠であり、児童、生徒の心身の発達とこれに対する教育効果とを科学的にみきわめ、何よりも児童、生徒に対する深い愛情と豊富な経験をもつことが要請される、してみれば、教師に対し、教育ないし教授の自由が尊重されなければならないというべきである。そして、この自由は、主として教師という職業に付した自由であって、その専門性、科学性から要請されるものであるから、自然的な自由とはその性質を異にするけれども、上記のとおり国民の教育の責務に由来し、その信託を受けてその責務を果たすうえのものであるので、教師の教育の自由もまた、親の教育の責務、国民の教育の責務と不可分一体をなすものと考えるべきである。

(2) 叙上のように、教師に教育の自由を保障することは、近代および現代における教育思想および教育法制の発展に基本的に合致し、また、わが国における戦後教育改革の基本的方向と軌を一にするばかりなく、ことに最近における教育に関する国際世論の動向にも沿うゆえんであると考えられるので、以下、そのもっとも権威あるものとして、教員の地位に関するユネスコ勧告(一九六六年)に触れることとする。

<証拠>を総合すると、つぎの事実を認めることができ、他にこれを左右するに足る証拠はない。

一九四七年、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の第二回総会において、教員憲章を作成すべき旨の意見が出されたが、これが一つの契機となり、また近時世界の諸国において教育の不足が一つの大きな問題となってこれに対する対策が検討された結果、多くのすぐれた教師の採用なくしては、現在および将来にわたり教育を通じて文化を創造させてゆくことが困難となるとの考慮から、まず、ILO(国際労働機関)においてこの問題がとりあげられ、一九五八年および一九六三年にそれぞれ第一回および第二回の初等中学校教師の社会的経済的条件に関する専門会議が開かれ、これによって初等中学校(日本における高等学校程度のものまで)における教員の過不足の現状および原因の調査がなされ、これに基づき有能な資質、資格を有する教員を得るために教育の地位あるいは労働条件に関する勧告草案が作成された。一方、この間ユネスコにおいても一九六一年に専門家会議が開かれ、有能な資質の教員が得られない原因は何であるか、また教育文化を向上発展させるために必要なすぐれた教員を養成するにはいかにすべきか、などの問題について調査検討が行なわれ、その結果に基づいて一九六四年にユネスコの勧告原案が作成された。その後ILOとユネスコとで共同してこの問題についての勧告を作成すべきことが両機関の間で協議され、一九六五年四月にはILOとユネスコとの共同による教員の地位に関する勧告草案が作成され、これが各国政府および関係国際機関に配布されて修正その他の意見が徴され、ついで一九六六年一月にILOとユネスコとの合同の専門家会議が開かれ、ここで教員の地位に関する勧告の最終的な案文が作成された。そして、ついに同年一〇月にパリでユネスコによる教員の地位に関する特別政府間会議が開催され、「教員の地位に関する勧告」が採用されるに至った。右一九六六年一月のILO、ユネスコ合同の専門家会議には、日本から専門家として京都大学教授相良惟一が、また、同年一〇月の特別政府間会議には日本政府の首席代表として文部省初等中等教育局審議官今村武俊がそれぞれ参加した。かくして同勧告は最終的にはユネスコ単独の勧告となったが、それは教育の問題はユネスコが担当すべきであるとの認識からであって、ILOも全く関与しなくなったわけではなく、勧告の実施に関しては両機関の共同による委員会が設けられることになつた。

右教員の地位に関する勧告(以下単に「勧告」という。)は前文および一四六の項目からなり、定義(適用の)範囲、指導的諸原則、教育目標と教育政策、教職への準備、教師の現職教育、雇用と経歴、教師の権利と責任、効果的な授業と学習のための条件、教師の給与、社会保障、教師の不足、最終的規定の一三小節に分かれている。

まず、勧告は、前文で、「教員の地位に関する特別政府間会議は、教育をうける権利が基本的人権の一つであることを想起し、世界人権宣言の第二十六条、児童の権利宣言の第五原則、第七原則および第十原則を達成するうえで、すべての者に適正な教育を与えることが国家の責任であることを自覚し、不断の道徳的・文化的進歩および経済的社会的発展に本質的な寄与をなすものとして、役立てうるすべての能力と知性を十分に活用するために、普通教育、技術教育および職業教育をより広範に普及させる必要を認め、教育の進歩における教員の基本的な役割、ならびに人間の開発および現代社会の発展への彼らの貢献の重要性を認識し、教員がこの役割にふさわしい地位を享受することを保障することに関心を持ち、異なった国々における教育のパターンおよび編成を決定する法令および慣習が非常に多岐にわたっていることを考慮し、かつ、それぞれの国で教育職員に適用されるアレンジメント(とりきめ)が、とくに公務員規定が教員にも適用されるかどうかによって、非常に異なった種類のものが多く存在することを考慮に入れ、これらの相違にもかかわらず教員の地位に関してすべての国々で同じような問題が起つていおり、かつ、これらの問題が、今回の勧告の作成の目的であるところの、一連の共通基準および措置の適用を必要としていることを確信し、教員に適要される現行国際諸条約、とくにILO総会で採択された結社の自由及び団結権保護条約(一九四八年)、団結権及び団体交渉権条約(一九四七年)、同一報酬条約(一九五一年)、差別待遇(雇用及び職業)条約(一九五八年)、およびユネスコ総会で採択された教育の差別反対条約(一九六〇年)等の基本的人権に関する諸条項に注目し、また、ユネスコおよび国際教育局が合同で召集した国際教育会議で採択された初中等学校教員の養成と地位の諸側面に関ずる諸勧告、およびユネスコ総会で一九六二年に採択された技術・職業教育に関する勧告にも注目し、教員に特に関連する諸問題に関した諸規定によって現行諸基準を補足し、また、教員不足の問題を解決したいとねがい、以下の勧告を採択した。(甲第一五八号証の二の訳によった)旨を述べ、勧告の由来と基本的な立場を宣明している。

つぎに、勧告は、「八 教師の権利と責任」の冒頭に「職業上の自由」として六一ないし六九の九項目を設け、その六一項において、原文(英文、なお英文および仏文が正文とされる。)で、つぎのように定めている。

“Professional freedom

61 The teaching profession should enioy academic freedom in the di-scharge of professional duties. Since teachers are particularly qualified to judge the teaching aids and me-thods most suitable for their pupils, they should be given the essential role in the choice and the adaption of teaching material, the selection of textbooks and the application of teaching methods, within the frame-wcrk of approved programs, and with the assistance of the educa-tional authorities.”

右の原文の文部省の訳はつぎのとおりである。

「教員(教職者)は、職責の遂行にあたって学問の自由を享受するものとする。教員は、生徒に適した教具および教授法を判断する資格を特に有しているので、(教員には)、教材の選択及び使用(採用)、教科書の選択並びに教育方法の適用にあたつて、承認された計画のわく内で、かつ、教育当局の援助を得て、主要な役割が与えられるものとする。」

右の原文の日本教職員組合の訳はつぎのとおりである。「教職者は職業上の任務の遂行にあたつて学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するため格別に資格を与えられたものであるから、承認された課程の大綱の範囲で教育当局の援助のもとで教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて主要な役割が与えられるべきである。」

(3)  では、以上述べたような教師の教育ないし教授の自由は、教育思想としての自由または教育政策上認められる自由にとどまるものであるのか、あるいはわが実定法上保障されている自由であるのか。結論的にいえば、教師の教育ないし教授の自由は学問の自由を定めた憲法二三条によって保障されていると解せられる。

けだし、教育は、すでに述べたように、発達可能態としての児童、生徒に対し、主としてその学習する権利(教育を受ける権利)を充足することによって、子どもの全面的な発達を促す精神的活動であり、それを通じて健全な次の世代を育成し、また、文化を次代に継承するいとなみであるが、児童、生徒の学び、知ろうとする権利を正しく充足するためには、必然的に何よりも真理教育が要請される(教育基本法前文、一条参照)。誤つた知識や真理に基づかない文化を児童、生徒に与えることは、児童、生徒の学習する権利にこたえるゆえんではなく、また、民主的、平和的な国家は、真理を愛し、正義を希究する国々の国民によって建設せられるものであり、現代に至る文化も真理を追求するすぐれた先人たちによって築かれたものであつて、これを正しく次代に継承し、さらに豊かに発展させるためには、真理教育は不可欠であるというべきである。教育基本法二条が「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」としているのも、右のことを明らかにしたものと解せられる。また、下級教育機関において教育を受ける児童、生徒は、いずれも年少であつて、大学における学生のように高度の理解能力を有せず、また教えられたところを批判的に摂取する力もないから、これらの児童、生徒に対して、学問研究の結果をそのままに与えることは妥当でなく、したがつて、教育は児童、生徒の心身の発達段階に応じ、児童が真に教えられたところを理解し、自らの人間性を開発していくことができるような形でなされなければならず、子どもが事物を批判的に考察し、全体として正しい知識を得、真実に近づくような方法がなされなければならないわけであるが、いわゆる教育的配慮は右の点を内容とするものでなければならない、そして、このような教育的配慮が正しくなされるためには、児童、生徒の心身の発達、心理、社会環境との関連等について科学的な知識が不可欠であり、教育学はまさにこのような科学である。すなわち、こうした教育的配慮をなすこと自体が一の学問的実践であり、学問と教育は本質的に不可分一体というべきである。してみれば、憲法二三条は、教師に対し、学問研究の自由はもちろんのこと学問研究の結果自らの正当とする学問的見解を教授解を教授する自由をも保障していると解するのが相当である。もつとも、実際問題として、現在の教師には学問研究の諸条件が整備されているとはいいがたく、したがって教育ないし教授の自由は主として大学における教授(教師)について認められるというべきであろうが、下級教育機関における教師についても、基本的には、教育の自由の保障は否定されていないというべきである(前記「教員の地位に関するユネスコ勧告」六一項参照)。

この点について、下級教育機関における教育はその本質上教材、教課内容、教授方法などの画一化が要求されることがあるから、下級教育機関においては、教授ないし教育の自由は保障されないとする見解がある。たしかに、日本国民が、ひとしく教育を受ける権利を充足するためには、すべての国民がある程度の水準の教育をひとしく与えられるべきものではあるが、しかし、戦後の日本の教育理念は、のちに検討するように、戦前教育の国家権力によって中央集権的に統制された画一性に基因する弊害を除去すべきものとする観点から出発しており、また、すでに述べたように、教育は本質的に自由で創造的な精神活動であつて、これに対する国家権力の介入が極力避けらるべきものであり、右の下級教育機関における公教育の画一化の要請にもおのずから限度があるというべきであるし、また下級教育機関における公教育内容の組織化は法的拘束力のある画一的、権力的な方法としては国家としての公教育を維持していく上で必要最少限度の大綱的事項に限られ、それ以外の面については、教師の教育の自由を尊重しつつ、これに対する指導助言、参考文献の発行等の法的拘束力を有しない方法によることが十分可能であり、かつ、これらが実質的に高い識見とすぐれた学問的成果に基づけばこのような方法によっても十分の指導性を発揮することができるのであるから、こうした方法によるべきである。したがつて、下級教育機関における教育はその本質上教材、教課内容、教授方法などの画一化が要求されるとの理由で、下級教育機関における教授ないし教育の自由を否定するのは妥当でないというべきである。

以上のとおり、公教育制度としての学校の教師に対し憲法上教育ないし教授の自由が保障されているというべきであるが、しかし、教育ないし教授の自由といつても、児童、生徒にどのような教育を与えてもよいというのではなく、学校における教育はその本質上政治的にも宗教的にも一党一派に偏することなく、いわゆる教育の中立性が守らなければならないことはいうまでもない(教育基本法八条二項、同九条二項、義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法三条等)。このことは、先に述べたとおり、教師の教育の自由が子どもの教育を受ける権利に対応する国民(親を含む)の責務に由来するものであることにかんがみ、けだし当然であるというべきであるが、しかしまた、かかる教育の中立性は教師自らの責任において自律的に確保されなければならないものであることも多言を要しないところである。

(4)  かくして、教師の教育ないし教授の自由を以上のように解する限り、教師に児童生徒にもつとも適した教材および方法を判断する適格が認められるべきであり、教科書の採択についても主要な役割を与えられるべきであるから(前記「教員の地位に関するユネスコ勧告」六一項参照)、国が教師に対し一方的に教科書の使用を義務づけたり(昭和二六・一二・一〇委初三三二号初中局長回答参照)、教科書の採択に当たつて教師の関与を制限したり、あるいは学習指導要領にしてもその細目にわたつてこれを法的拘束力あるものとして現場の教師に強制したりすることは、叙上の教育の自由に照らし妥当でないといわなければならない。

(三) 教科書検定制度と教育を受ける権利および教育の自由

さて、原告は、憲法二六条は児童、生徒がすぐれた学問研究の成果を自由に学び、これによって個性を尊重され、人間としての全面的な発達を自由に追求しうるような教育を受ける権利を保障したものであつて、教科書検定制度は国が教科書の内容に介入し、これを規制することによって、右のような児童、生徒の教育を受ける権利を侵害するものであり、また、憲法はかかる教育を受ける権利を保障するその前提として、現場教師、教科書執筆者等に教育の自由を保障しているものというべきであつて、教科書検定制度は国が教科書の内容に権力的に介入し、これらの教育の関係者にこれを強制することによって右の教育の自由を侵害するものである旨を主張するのであるが、しかし、原告が本件各検定不合格処分の取消訴訟について有する利益は、前示のとおり、教科書を執筆し、出版するにあつて、児童、生徒の教育を受ける権利または教師の教育の自由とは直接の関係がないものであることは上来述べてきたところにより明らかであるから、本訴において、教科書検定制度が右の教育を受ける権利または教育の自由を侵害し、違憲、違法であることを理由として、本件各検定不合格処分の取消しを求めることは許されないというべきである(行政事件訴訟法一〇条一項)。したがって原告の右主張は採用の由なきものといわざるを得ない。

2  憲法二一条および同二三条違反の主張について

(一) 学問の自由と表現の自由

憲法二三条は「尋問の自由は、これを保障する」と定めているが、憲法が思想および良心の自由、表現の自由の保障に加えて本条を認けたのは、学問の研究は常に新しいものを生み出そうとするいとなみであつて、歴史の発展に寄与するところが大きかつた反面、それだけにときの為政者による迫害を強く受けてきたことにかんがみ、とくにこれを制度的に保障したものであると考えられる。ところで、本条認される学問の自由の内容をみるに、①研究者が、自らの学問的研究に基づいて、自らが正当とするどのような学問的見解(学説)を抱いても自由であること、②研究者が、自らの学問的見解(学説)をさまざまな形で発表する自由を有すること、および③研究者が、その学問的見解(学説)を教授ないし教育する自由を有する(この点はすでに第四の1(二)で述べたところである。)ことであるが、右②の学問的見解の発表の自由は、上記のような本条の沿革ならびに憲法が二三条とは別個に表現の自由について条項を設けてこれを保障していることにかんがみ、憲法二一条によって保障されていると解するを相当とする。

ところで、被告は憲法二一条にいう出版の自由には小学校、中学校等の教科書に学問研究の結果を発表する自由は含まれない旨主張するが、しかし、学問の研究者が自らの研究成果に基づき、高等学校以下の学校において教材として使用される教科書を執筆し、出版することもまた、上記②の学問的見解(学説)を発表する一の形態であつて憲法二一条にいう出版の自由に属すると解するのが相当である。けだし、学問の研究の成果を社会発表する自由を有することはいうまでもないが、それとともにさらに、子どもの教育を受ける権利に対応して国民に課せられた前記(第四1(一))のような責務を果たすため、国民の一人として、学問研究の成果を教科書の執筆、出版という形で世代を担う子どもたちに伝えるという出版の自由を有するものというべきであるからである。すなわち、すでに述べたように、小、中、高等学校における教育の目的の中には真理を希求する人間の育成を期することが当然に含まれ(教育基本法一条参照)、したがって教育は真理教育をその本質的要素とするものであるから、そのために教育においては学問の自由が尊重されなければならず(同法二条参照)、また教科書は教育の場において主たる教材として使用されるものであるから、教科書の内容は学問的成果に基づいた真理を包含するものであることが要請される。それゆえ、一般の国民より以上にすぐれた教科書の執筆が期待される学問の研究者に教科書執筆、出版の自由が保障されなければならないことは、けだし当然であるというべきである。

もつとも、教科書は単なる自己の主張する学説の発表の場であってはならないのであつて、教科書の執筆、出版に当かつては、教科書が児童、生徒の教育に重大なかかわりをもつものであることにかんがみ、とくに児童、生徒の心身の発達段階に応じ適切な教育的配慮が払われるべきことは当然であるが、しかし、このような教育的配慮は教科書の執筆、出版をする者が自主的に行なうべきものと解するのが相当である。

(二) 教科書検定制度と憲法二一条二項

(検閲禁止)

(1) さて、原告は、教科書検定は右条項によって禁止されている「検閲」に該当すると主張するので、まず、この点を検討する。

(イ)  憲法二一条二項は「検閲は、これをしてはならない。」と定め、「検閲」を禁止しているが、ここに「検閲」とは、これを表現の自由についていえば公権力によって外に発表されるべき思想の内容を予じめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止するいわゆる事前審査を意味し、また、「検閲」は、思想内容の審査に関する限り、一切禁止されていると解すべきである。すなわち、憲法二一条一項で保障される表現の自由も全く自由であるわけでなく、公共の福祉による必要最少限度の制限を受けるものであることはいうまでもないが、このことを前提としつつ、なおかつその歴史的経験にかんがみ、思想内容の審査に関する限り、たとえば公共の福祉の名においても、公権力が事前にこれを規制することは一切許さない趣旨と解しなければならない。

(ロ) ところで、すでに述べたように、学校教育法二一条は「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書……を使用しなければならない」と定めており、その趣旨は検定を経ない教科書の使用を禁止するにあると解せられるところ、教科書検定の法的性格について争いがあるので、案ずるに、教科書検定は、申請に係る図書が教科書として適切であるか否かを客観的基準に照らして審査し、それがその基準に合致しているかどうかを公の権威をもつて認定する行為であると解せられるから、それ自体の法的性格としてはいわゆる確認行為の範ちゆうに属する行為であるというべきであろうが、しかし、学校教育法二一条は上記のとおり検定を経ない教科書の使用を禁止する(なお、昭和二三年八月二四日教科書局長通達は検定不合格図書は教科書以外の教材としても使用を禁止している。)という法的効果を付与し、さらにこれによつて実際上、検定を経ない教科書を教科書として発行することを禁止する機能を果しているというべきである(教科書として使用が禁止されるものを教科書として発行することは実際上あり得ない)から、かような機能にかんがみ、同条にいう教科書検定は実質的には事前の許可たる性格のものと解するを相当とする。

この点に関し、教科書検定は、一般の図書が本来は有しない、教科書としての資格を新たに付与するものであつて、いわばこれにより一種の特権を与えるものであるから、いわゆる特許行為に属すると解する見解があり、被告の主張するところもこれと同趣旨と解せられるのであるが、しかし、すでに前段で述べたように教科書を、教科書として著作し、発行することも、基本的には憲法二一条が表現の自由として保障しているところであつて、教科書検定によつて新たに教科書としての資格を付与されるのではないというべきであるから、教科書検定を特許行為と解する右の見解ならびに被告の主張は相当でないといわなければならない。

さらに、被告は、教科書検定に不合格となつても、当該図書が教科用図書に採用されないという効果を生ずるにとどまり、それ以上に当該図書の出版を禁止しようとするものでは決してなく、またそのような効果を生ずるものでもないから、法律上も事実上も当該図書の出版は禁止されず、発表の自由は確保されているのであるから、教科書検定は検閲に該当しない旨主張するが、憲法二一条は一般図書の出版の自由のみならず、教科書を著作、出版する自由をも保障していると解すべきことはすでに述べたとおりであり、また、教科書検定が教科書を教科書として発行するについての事前許可たる性格のものであることは右に述べたとおりであるから、被告の右主張は失当というべきである。

(ハ) では、教科書検定は検閲に該当するであろうか。

教科書検定は、叙上のとおり、国の行政機関である文部大臣が教科書の発行に先だち、申請教科書について審査を加え、その結果検定において不合格とされた図書を教科書として出版することを禁止するものであつて、その法的性格は事前の許可と解せられるのであるが、しかし出版に関する事前許可制がすべて検閲に該当するわけでないことはいうまでもない。してみると、右の審査が思想内容に及ぶものでない限り、教科書検定は検閲に該当しないものというべきである。

なお、ここで思想内容の審査とは、政治思想の審査のみならず、広く精神活動の成果に対する審査をいい、したがって、学問研究の成果としての学問的見解(学説)に対する審査も当然にこれに含まれると解すべきである。これを歴史教科書の内容についていえば、史観や個々の歴史事象の評価などに対する審査はもとより、年代などについてもそれが歴史学上の評価にかかわるときは、右にいう学問的見解に含まれると解するのが相当である。

(2) また、原告は、現行の教科書検定制度は右のように事前許可制を採用しているばかりでなく、申請に係る教科書用図書が「教育基本法及び学校教育法の趣旨に合致し、教科用に適することを認める」(教科用検定規則一条一項)ことを趣旨、目的にするものであるから、この制度の目的自体のうちに、教科用図書の記述内容に対する価値判断を含んでおり、さらに、教科用図書検定基準に定められている検定の基準ははなはだ抽象的、かつ包括的であつて、検定権者の恣意に基づいた判断を容認するものであり、これにより教科用図書の内容すなわち教科書に盛られた執筆者の思想の内容を審査するものである、このことはこの制度の運用の状況からもいえるのであつて、たとえば思想審査にわたる検定の事例として、①昭和三一年検定申請の中学三年用教科書「日本の社会」の事例、②昭和三五年改訂申請のK出版社刊、小学校社会科用教科書の仁徳天皇陵についての記述に関する検定の事例、③昭和三九年検定申請の中学校用社会科「新しい社会」(東京書籍)の事例、などを上げることができる、したがって現行の教科書検定制度は思想内容の審査にわたるもので検閲に該当する旨主張するので、つぎにこの点について案ずるに、教科用図書検定規則一条一項ことに教科用図書検定基準の定める検定の基準はたしかに原告の主張するように教科書の思想内容を審査する恐れのあるものというべきであるから、その運用に当たつては、教科書に盛られた思想の内容(学問的成果としての学問的見解を含むことはすでに述べた)の審査にわたらないように厳に戒心すべきであるが、しかし、のちに述べるように教科書検定制度は本来児童生徒の心身の発達段階に応じ、必要かつ適切な教育を施し、教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るという国の責任を果すためにその一環として行われるものであるから、これにより教科書の思想内容を審査することは許されず、さらに教科書の内容への介入にも一定の限界がある(後記4(二))にしても、なおその意義が認めらるべきである。してみると、現行の教科書検定制度自体が思想内容の審査にわたるもので検閲に該当すると断定するのは相当でないといわざるを得ない。

(三) 教科書検定制度と憲法二一条一項

(1) 憲法二一条一項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。」と定め、教科書執筆、出版の自由も同条項によつて保障されていることはすでに述べたとおりであるが、表現の自由も無制約なものでなく、公共の福祉の見地からの必要かつ合理的制限に服するものなることはいうまでもない。ところで教科書検定は、国が福祉国家として、小学校、中学校、高等学校において児童、生徒の心身の発達段階に応じ、必要かつ適切な教育を施し、教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るというその責任を果たすために、その一環として行なうことをその趣旨とするものであるから、その限度において教科書執筆、出版の自由が制約を受けてもそれは公共の福祉の見地からする必要かつ合理的な制限というべきであつて、表現の自由の侵害にならないと解するを相当とする。

(2)  ところで、原告は、現行教科書検定制度は文部大臣が自ら定めた検定基準に従い教科書の内容を審査し、教科書としての適否を公権的に決定する仕組みになつているところ、右の検定基準は、「立場の公正」とか「教育の目的との一致」というように、きわめて自由で包括的な裁量を検定領に付与するものであるばかりでなく、またその基準の実質内容を学習指導要領によつているのであつて、これらの基準によつて審査が行なわれるときは、のちに述べる検定手続の不公正ともあいまつて、公共の福祉または教育的配慮の名のもとに教科書の著者の学説、見解を排除し、著者の学問研究の成果を教科書に反映する可能性を封ずることになるから、かような教科書検定制度は憲法二一条一項に違反する旨を主張するので案ずるに、検閲に該当しなければいかなる検定を行なつてもよいというわけでなく一定の限度があることは上記のとおりであり、この点からすると、現行の検定基準は右の限度を超え、原告が主張するように著者の学問研究の成果を教科書に反映する可能性を封ずる恐れのあるものであることは否定しえないから、その運用に当たつては、いやしくも著者の学問的成果を封ずることのないよう戒心すべきは当然であるが、しかし、このことをもつて直ちに教科書検定制度が表現の自由を侵害するものというは相当でないというべきである。

(四) 以上を要するに、現行教科書検定制度は、違憲とはいえず、したがって現行教科書検定制度が憲法二一条および同二三条に違反するとする原告の主張はこれを採用することができないが、その運用を誤るときは、憲法の保障する表現の自由を侵害するとのそしりを免れないものというべきである。

3  憲法三一条違反および法治主義の原則違返の主張について

(一) 教科書検定制度と憲法三一条(適正手続の保障)

(1) 憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定しているが、同条は、アメリカ合衆国憲法修正五条にいわゆる適正手続(due process of law)の原則の影響の下に成立したといわれるもので、主として刑罰権の発動に関し、人身の自由の基本原理として設けられたものである、そして、同条は、その文面のみからすると単に「法律の定める手続による」ことを要求しているにとどまるかのようにみえるが、前記のようにアメリカ合衆国憲法の適正手続の原理に由来するものであることにかんがみ、個人に対して、その生命もしくは自由を奪いその他刑罰を科するには法律の定める適正な手続によらなければならない旨を規定したものと解するのが相当である。また同条は、手続についてのみ定めているかのごとくであるが、実体的要件の点でもいわゆる罪刑法定主義をも定めたものと解するのが相当である。

しかるところ、憲法三一条の規定が行政手続にも適用(または準用、以下同じ)されるのか、また、仮に行政手続に適用されるとしても、どの範囲で適用されるかについては説が分かれ、たとえば、同条は単に刑罰についてのみの規定ではなく、刑罰以外に、国家権力によつて個人の権利、利益を侵害する場合にも適用されると解する説があるが、同条が前示アメリカ合衆国憲法の適正手続条項と異なり、「生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定し、また、刑事手続に関する三二条以下の規定の冒頭に置かれていることにかんがみると同条は、主としては刑事手続に関するものというべきであるから、これが行政手続に適用されるとしても、個人の生命(実際上はほとんど考えられないであろうが)、身体の自由を奪い、個人の意思と無関係に刑罰類似の制裁を科する手続たとえば少年法による保護処分(同法二四条)伝染病予防法による強制処分などについて適用されるにとどまると解すべきである(非訟事件手続法による過料の裁判につき、最高裁昭和四一年一二月二七日大法廷決定、民集二〇巻一〇号二二七九頁参照)。

(2) ところで、原告は、教科書検定制度は憲法三一条に違反する旨主張するが、教科書の検定制度は前記説示のとおり教科書の執筆、出版という表現の自由に関するものであるから、これについて憲法三一条の適用はないというべく、したがつて教科書検定制度について同条の適用があることを前提とする原告の右主張は理由がないといわざるを得ない。

(3) 原告は、さらに、憲法一三条、同三一条は国民の権利、自由が手続的にも尊重さるべきことを要請する趣旨を含むから、国民は行政庁が国民の権利、自由に関する行政処分をするに当たつては、前示のアメリカ合衆国憲法における適正手続と同様に、行政庁の恣意、独断等の介入を疑われることのないような適正手続によつて行政処分を受ける権利を憲法上保障されているというべきところ、現行の教科書検定の手続は、はなはだしく不公正であつて、右のような適正手続であるとはいえず、したがって教科書検定制度は憲法の右趣旨に反する旨を主張するごとくであるので、案ずるに、憲法の認める権利、自由は実体的のみならず手続的にも保障されることによつて完全なものとなるというべきであるから、行政手続においても国民の権利、利益を保護するために、必要な行政処分の告知、聴聞等の手続をとるべきことが基本的に要請されるというべきであり、憲法三一条について右のように解する説があるけれども、しかし、わが憲法は、前示のとおり三一条において主として刑事手続について法律による適正手続を保障するにとどめ、一般の行政処分ないしその手続に関しては事柄の性質の多様性にかんがみて直後には明文の規定を設けず、むしろいわゆる法治主義(法律に基づく行政)の原則によつて国民の権利、自由を保障しようとしているものと解するを相当とする。

(二) 教科書検定制度と法治主義(法律に基づく行政)の原則

(1) およそ公権力の行使たる行政は、国会において制定された法律に基づいて行なわれなければならず、ことに国民の権利義務に関する重要な事項については法律においてこれを明確にすべきことは、憲法四一条、一三条の趣旨に照らしても当然のことであり、かかる法治主義(法律に基づく行政)の原則は、近代および現代における行政の基本原理であるというべきである。

しかるところ、現行の教科書検定制度は、前記のとおり、学校教育法二一条で「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書……を使用しなければならない」との規定(ただし、昭和二八年改正のもの)するのみで、同法八八条(本法施行事項―政令・監督庁に委任)、一〇六条(経過規定、ただし昭和二八年の右改正で同条中二一条に関する部分は削除)の規定により教科書検定の手続および検定基準についてはすべて文部省令たる教科用図書検定規則と文部省告示たる教科用図書検定基準に委ねている。すなわち、法律は、教科書検定とは何か、いかなる基準、手続でなさるべきかなど国民の権利、自由にかかわる教育上の重要事項についてはなんら定めるところなく、これらについては直接国会の議を経ない下位法たる省令または告示などでそれを充足しているにすぎない。

この点に関し、被告は、検定の意義、内容については社会通念上明白であり、検定の基準については、実質的には教育基本法および学校教育法のうちに規定されているといえる。その手続についても学校教育法二一条、文部省設置法五条一項一二号の二、同法八条一三号の二、同法二七条などにおいてその大綱を定めている旨主張するが、しかし、教科書についての検定の意義、内容が社会通念上明白であるとは必ずしもいうことはできず、また、検定の基準については、教育基本法および学校教育法が教育の目的、内容を規定していることは被告主張のとおりであるけれども、そのことをもつて、検定の基準がこれらの法律の中で定められているとは到底いうことはできず、さらに、検定の手続についてもすでに前記現行制度の概要において述べたとおり、学校教育法二一条が検定権限を文部大臣に付与しているほか、法律に検定の手続について定めた規定はなく、被告の検定手続を定めたものして主張する文部省設置法の各条項はいずれも教科書検定に関する官庁の内部的な組織を定めたにすぎないものであるから、これらをもつて検定手続の大綱を定めたものといえないことはいうまでもない。

(2) ところで、原告は、上記のような現行教科書検定制度は憲法上の法治主義(法律に基づく行政)の原則に違背すると主張するので、案ずるに、現行の教科書検定制度は、右に述べたように、教育に関する国民の権利、自由を国政上十分に尊重するゆえんのものではなく、これにより教育の理念に沿つた適正かつ公正な検定が行なわれない恐れなしとないというべきであろうが、検定の権限、基準、手続などのうちどの範囲で、どのように法律で定め、どの範囲を命令等の下位法に委ねるかは、結局は立法の裁量に属するというべきであるから、現行の教科書検定制度が前記のごとくであるとしても、なおこのことをもつて直ちに法治主義(法律に基づく行政)の原則に違背し、違憲であるとは断定できないといわざるを得ない。

(三) 以上のとおりであるから、現行の教科書検定制度が憲法三一条および法治主義の原則に違反するとの原告の前記主張は、いずれも、採用しがたい。

4  教育基本法一〇条違反の主張について

(一) 戦後の教育改革と教育基本法の成立事情

<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、つぎの事実を認めることができ、他にこれを左右するに足る証拠はない。

昭和二〇年八月、日本はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争は日本の敗北によつて終了した。ポツダム宣言の中には、日本から軍国主義と極端な国家主義を除去し、これに代わり平和主義を確立すべきことおよび日本において民主主義とその前提たる基本的人権が確立さるべきことが強く掲げられているが、連合国の日本管理は右の平和主義および民主主義の確立を目途として行なわれた。そのために連合国は教育に関しいくつかの改革措置をとつたが、これらに先だち、文部省は、昭和二〇年九月、「新日本建設ノ教育方針」を発表し、その中で将来の教育につき一方でなお従前のように国体の護持に努むべきことをうたうとともに、他方「軍国的思想及施策ヲ払拭シ平和国家ノ建設ヲ目途トシテ謙虚反省只管国民ノ教養ヲ深メ科学的思考力ヲ養ヒ平和愛好ノ念ヲ篤クシ智徳ノ一般水準ヲ昂メテ世界ノ進運ニ貢献スルモノ」としなければならないとして平和教育の推進をも主張するに至つていた。そして、連合国軍総司令部は同年一〇月二二日、「日本教育制度ニ対スル管理政策ニ関スル件」を発し、教育の根本方針、教職員の粛正、教育の具体的方法等について基本的な方針を明らかにし、とくに軍国主義および極端な国家主義の排除、ならびに民主主義と基本的人権の確立をめざして教育が行なわるべきことを強調し、この覚書を基礎として、同年一〇月三〇日には「教員及教育関係官ノ調査、除外、認可ニ関スル件」が、また、同年一二月一五日には「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」が、さらに同年一二月三一日には「修身、日本歴史及ビ地理歴史ニ関スル件」がつぎつぎと発せられ、これに基づく具体的措置がとられた。

これらの一連の措置は、差当たり旧来の教育の弊害を取り除こうとするものであつて、そのために連合国軍最高司令部の招きによりアメリカから教育使節団が来日するのであるが、こうした連合国側の改革と並行して、日本国内においても新しい教育理念を模索する動きがあつた。すなわち、同年一一月には文部省内において、「劃一教育改革要綱(案)」および「劃一教育打破ニ関スル検討並ニ措置(案)」が作成されたが、これらにおいては、戦前教育の弊害は基本的には「高度ナル国家的統一と劃一化」にあるとしたうえで、国民教育の目標として、責任と自由、個人の完成、国家社会への奉仕、自発的能動的実践力があげられ、また、教育の自主性が教育理念として掲げられ、個性の重視を基本とする教育の創造性がうたわれており、さらにそれについてのかなり詳細な具体的措置、たとえば国定教科書の廃止、教師による教科書の自由選択なども掲記されていた。また、翌二一年五月には文部省から「新教育指針」が発表され、ここでは、これが教師の手引きであつて、教育者に押しつけようとするものではないとことわつたうえで、戦前の教育が人間性と個性を無視した画一的なものであつたことにかんがみ、教育内容および教育制度そのものの民主化、人格の尊重と個性に応じた教育などが新しい教育方針として打ち出されている。

さて、昭和二一年三月、連合国軍最高司令部の招きにより、アメリカから教育使節団(団長ジョージ・ストダード博士)が来日し、約一か月にわたつて調査等を進めることとなつたが、これに対し、日本側においても、右の使節団に対し情報を提供する等してこれに協力する機関として、南原繁を委員長とする日本教育家委員会が組織され、天野貞祐、上野直昭、小宮豊隆、長谷川如是閑その他の当時の日本の代表的な識者がこれに加わつた。使節団は右の教育家委員会と協議を重ね、日本の学校等教育施設を視察し、また、各層の人々と意見を交換し、その結果同年三月三一日に報告書を作成したが、この報告書は軍国主義的、国家主義的教育を排し、個人の価値と尊厳を認め、画一教育を否定し、自由な雰囲気の中での教育をうたい、中央集権的教育行政のかわりに地方分権的、民主的な教育委員会制度を提唱するものであつた。

右報告書の中から、一部をとり出してみると、「序論」の中で、「教師の最善の能力は、自由の雰囲気の中においてのみ十分に発揮せられる。この雰囲気をつくり出すことが行政官の仕事なのであつて、その反対の雰囲気をつくり出すことではない。子供のもつ計り知れない資質は、自由主義という陽の光を受けてのみ豊かな実を結ぶものである。この自由主義の光を与えることこそが、教師の仕事なのであつて、その反対のものを与えることではない。」と説き、また、「教育の目的」の項で、「日本の教育の再建が行われる前に、民主政体における教育哲学の基礎が、ぜひとも明らかにされる必要がある。「民主主義」という言葉を絶えず繰り返したところで、それが内容をそなえていなければ無意味である。民主政治下の生活のための教育制度は、個人の価値と尊厳の承認とを基礎とするものである。それは各人の能力と適性とに従つて、教育の機会を与えるように組織されることが望ましい。教授の内容と方法によつて、それは研究の自由と、批判的に分析する能力の訓練とを助成することになる。それは異つた発展段階にある生徒の能力の範囲内で、広く実際の知識の討論を行なうことを勧めるであろう。学校の仕事が、規定された学校課程と、各科目毎に認定された、ただ一冊の教科書とに制限されていたのでは、これらの目的はとげられようがない。民主政治における教育の成功は、劃一化と標準化とを以てしては測られないのである。教育は個人を、社会の責任ある協力的成員たらしめるよう準備すべきである。また「個人」という言葉は、子供にも大人にも、男にも女にも、同じようにあてはまることもわかつていなければならない。新しい日本の建設に当つて、個人は自らを労働者として、市民としてまた人間として、発展させる知識を必要とすることになるであろう。彼等は、社会の組織の種々な面に参加する成員として、その知識を自由研究の精神をもつて応用することが必要であろう。これはすべて国連憲章ならびにユネスコの規約草案に記されている基本的原理と一致するものである。その結果は、中央官庁が教授の内容や方法、または教科書を規定すべきではなく、むしろ、それらの領域における活動を概要書、参考書、教授指導書などの出版に限定すべきであるということになる。教師がその専門の仕事に対して適当に準備ができさえすれば、教授の内容と方法を、種々な環境にある彼等の生徒の必要と能力ならびに彼等が将来参加すべき社会に適応せしめることは、教師の自由にまかせらるべきである。日本の教育方針の転換は、軍国主義的な、超国家主義的な、またその他の非難さるべき教授の特徴を、完全に除去するという消極的な面のみでなく、新しいプログラムを充実させるような、文化の諸方面の注意深い評価をもふくんでいる。例えば歴史、倫理、地理、文学、美術、音楽といつたような科目において、日本と他の諸国との間に協力を増すものとして、どのようなものを残しうるであろうかということについて、考慮が払われなければならない。教育は真空の中では行なわれるべくもないし、また民衆の文化的過去との関係をすつかり断ち切つてしまうということも考えられない。今日のような重大な時期においてすらも、何等かの連続がなければならない。新しい計画に力を与えるような人道上の観念、理想として、どういうものが保存の価値があるかを知るために、彼等の文化的伝統を分析することが、日本の教育活動にたずさわるすべての人々に課せられた仕事でなければならない。ここにこそ、日本人はその忠誠心と愛国心を合法的に鼓舞する根拠を発見することになるであろう。「広く世界に知識を求め」という、明治時代の国是を採用することはよろしいが、しかし、その場合、絶えず新しい要素を加えてゆくことから生ずる新旧の対立を避けるために、価値ある国民文化の意識と照し合わせてこれを採りいれなければならない。

教育の目的についての、この論議の核心となることは、日本の国民文化の保存のためのみならず、その充実のためにも、教授と研究の自由が助成されなければならないということである。事実と神話、現実と空想とを区別する能力は、物事を批判的に分析する科学的精神の中に栄えるのである。このためには両親、生徒、教師の心を先ず第一に占めている、従来の試験合格第一主義を改めなければならぬということになる。受験準備に支配されている教育制度は、形式的になり、紋切型になる。それは服従しておればよいという気持を教師や生徒に起させる。それは研究の自由と、批判的判断の自由を奪つて、そして社会全体というよりはむしろ狭い範囲の官僚主義のために、当局者の意のままにあやつられることになる。結局、この制度は時としては、偽瞞と腐敗、あるいはまた健康を害して失敗に終らせたりするような、異常な競争心を生み出す。しかしまた、青年の将来を単なる偶然のチャンスのいかんによつて左右させないような、新しい型の試験を行なう余地がある。この問題は一九三一年から一九三八年にわたつて約十カ国が参加して討議した国際的な研究題目であつた。試験問題の研究は、批判の機関と教育研究の中心機関との創設を必要とする。もし生徒の能力についての正確な知識を得る必要があるとすれば、できる限りのあらゆる創意工夫が用いられてしかるべきである。教育再建に対する多くの戦後の計画において、指導と助言を与えることに、このような重要な地位が与えられるということは、決して偶然のことではなく、すべての人々に平等な教育の機会を与えようとする理想の直接の結果なのである。教育ということは、言うまでもなく学校のみに限られたことではない。家庭、隣組、その他の社会的機構もまた教育の分野にそれぞれ果すべき役割を持つている。新しい日本の教育は、有意議な知識をうるために、できるだけ多くの出所と方法とを開拓するよう努むべきである。学習者が教育の過程に能動的に参加するのでなければ、言い換えれば、生徒が理解をもつて学習するのでなければ、教育は、試験が済み次第忘れられる事柄の蓄積に過ぎなくなるのである。ともあれこのような知的な革命は、カリキュラム作成の方法と内容との変更を必要とする。」と述べ、さらに、「初等および中等学校の教育行政」の項で、「教育の民主化の目的のために、学校管理を現在の如く中央集権的なものよりむしろ、地方分権的なものにすべきであるという原則は、一般の認めるところである。学校における勅語の朗読、御真影の奉拝などの式を挙行することは望ましくない。文部省は本使節団の提案にもとづき、各種の学校に対し技術援助および専門的な助言を与えるという、重要な任務を負うことになるけれど、地方の学校に対する直接の統制は大いに削減されるであろう。市町村および都道府県の住民を広く教育行政に参画させ、学校に対する内務省地方官吏の管理行政を排除するために、市町村と都道府県に、一般投票により選出される教育行政機関の創設を我々は提案する。かかる機関には、学校の認可、教員の免許状付与、教科書の選定に関して相当の権限が付与されるであろう。現在、このような権限は全部中央の文部省に握られている。課税で維持し、男女共学制を採用し、かつ授業料無徴収の学校における義務教育の引き上げをなし、修業年限を九カ年に延長、換言すれば生徒が十六才に達するまでの教育を施すところの、年限延長改革案を我々は提案する。さらに、生徒は最初の六カ年は現在と同様に小学校において、次の三カ年は現在、小学校の卒業児童を入学資格とする各種の学校の合併改変によつて創設されるべき、“初級中等学校”において修学することを我々は提案する。これらの学校において、全生徒に対し授業および教育指導を含む一般的教育が実施されるべきであり、かつ個々の生徒の能力の相違を考慮しうるように、十分なる弾力性を持たせなくてはならない。更にこの上に、三年間制の“上級中等学校”を設置し、授業料は無徴収、いくいくは男女共学制を採り、初級中等学校よりの進学希望者すべてに、さまざまの学習の機会が提供されるようにすべきである。初級と上級の中等学校が相伴つて、課税により維持されている現在のこの段階の他の諸学校、即ち小学校高等科、高等女学校、予科実業学校および青年学校などの果しつつある種々の機能を継承することになろう。上級中等学校の卒業は、その上の上級学校への入学条件とされるであろう。本提案によれば、私立諸学校は、生徒が公私立を問わず相互に容易に転換できるようにするため、必要欠くべからざる最低の規準に従うことは当然期待されるところであるが、それ以外は、完全な自由を保有することになろう。」と提言している。

このように使節団報告書は、日本の社会および教育の現状を十分に踏まえつつ、新しい日本の教育のあるべき姿とその具体化のための諸制度の提言を行なつたが、他方、前記日本側の教育家委員会も、単に使節団に対する情報提供、あるいはそれとの協議にとどまることなく、進んで自ら教育改革の方向を検討し、使節団の来日中に報告書を作成して、これを使節団および文部省に提出した。この報告書は公表されなかつたが、たとえばそのうち教育勅語に関する意見についてみると、国と皇運を絶対的な目標とする教育理念を修正して、人間性、自主的精神、合理的精神、平和と文化等をうたつた新しい教育勅語を渙発すべきことを提唱し、戦後教育改革の理念を打ち出そうとしたものであつた。

こうした動きのなかで、昭和二一年三月六日に「憲法改正案要綱」が公表され、ついで同年六月二〇日に開かれた第九〇回特別議会に上程されたが、右改正案要綱には、教育に関しても現憲法の教育あるいは思想、良心、学問等に関する諸条項、すなわち、一四条(法の下の平等)、一九条(思想、良心の自由)、二〇条(信教の自由)、二一条(集会、結社、表現の自由等)、二三条(学問の自由)、二六条(教育を受ける権利等)に相当する諸条項が盛り込まれ、戦後教育のあるべき姿が示されていたが、さらに、同特別議会の帝国憲法全体の精神からくみとられるべき教育の指導原理を憲法自体の中に明示すべきであると要求する声が生じ、民主的、平和的な国家の建設にとつて教育が原動力でなければならないこと、教育がその時々の政治の動向によつて影響を受けることのないよう、国の政治的機構から独立させる必要があること、新しい教育理念を盛るには勅語という形式は妥当ではなく、むしろ憲法の中に含めるのがふさわしいこと等の質疑が出された。これに対し、文部大臣(田中耕太郎)は、教育に関し一章を設けることは憲法全体の振合いからみて不適当であり、また憲法は元来政治的な基本法であつて教育が問題にされる場合でもやはり政治の面から問題となるから、道徳ないしは教育の原理のようなものは憲法の中にとり入れるべきでない旨を答弁したが、他方、文部省においても教育に関する基本方針等について教育根本法ともいうべきものを早急に立案して議会に提出したいとし、また教育権の独立というようなことも右の教育根本法にとり入れるべく研究している旨答えて、教育基本法の構想があることを明らかにした。

そして、こうした動きを受けて、昭和二一年八月、教育に関する重要事項を調査審議するため、内閣のもとに「教育刷新委員会」が設置された。この委員会は前記の教育家委員会を拡充発展させたもので、安倍能成を委員長、南原繁を副委員長とし、教育界をはじめ各界の代表的識者約五〇名の委員で構成され、翌二二年の一〇月まで四二回の総会を開くなどして活発な審議に当たり、教育改革の諸点にわたつて積極的な建議を行ない、とくに教育の基本に関する諸問題を研究し、教育の根本理念を確立するために第一特別委員会を設けた。かくて、昭和二一年九月末から一一月末に至るまで前後一二回の特別委員会が開かれ、教育の根本理念、教育基本法の内容等が検討されて総会に報告され、総会においてさらに討論を経たのち、教育勅語については新勅語の奏請は行なわず、法律の形で新教育の理念を明らかにすべきことを決め、結局、同年一一月二九日の第一三回総会において、「教育の理念及び教育基本法に関すること」および「教育行政に関すること」と題するつぎのような建議がそれぞれ採択されて同年一二月二七日内閣総理大臣に提出された。

「教育行政に関すること」

一 教育行政は、左の点に留意して、根本的に刷新すること。

1 従来の官僚的画一主義と形式主義との是正

2 教育における公正な民意の尊重

3 教育の自主性の確保と教育行政の地方分権

4 各級学校教育の間及び学校教育と社会教育の間の緊密化

5 教育に関する研究調査の重視

6 教育財政の整備

二  右の方針にもとづき、教育行政は、なるべく一般地方行政より独立し且つ国民の自治による組織をもつて行うこととし、そのために、市町村及び府県に公民の選挙による教育委員会を設けて教育に関する議決機関となし、教育委員会が教育総長(仮称)を選任してこれを執行の責任者とする規約を定めること(以下略)

「教育の理念及び教育基本法に関すること」

一 教育基本法を制定する必要があると認めたこと。

二 教育理念は、おおよそ左記のようなものとして、教育基本法の中に、教育の目的、教育の方針として、とりいれること。

1  教育の目的

教育は、人間性の開発をめざし、民主的平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義とを愛し、個人の尊厳をたつとび、勤労と協和とを重んずる、心身共に健康な国民の育成を期するにあること。

2  教育の方針

教育の目的は、あらゆる機会とあらゆる場とを通じて実現されなければならない。この目的を達成するためには、教育の自律性と学問の自由とを尊重し、現実との関連を考慮しつつ、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力とによつて、文化の創造と発展とに貢献するように努めなければならないこと。

三  教育基本法には、この法律の制定の由来、趣旨を明らかにするため、前文を付すこととし、その内容はおおむね左のようなものとすること。

1  従来の教育が画一的で形式に流れた欠陥を明らかにすること。

2  新憲法の改正に伴う民主的文化国家の建設が教育の力にまつことをのべ、新教育の方向を示すこと。

3  この法律と憲法及び他の教育法令との関係を明らかにすること。

4  教育刷新に対する国民の覚悟をのべること。

四  教育基本法の各条項として、おおむね左の事項をとりいれ、新憲法の趣旨を敷えんすることともに、これらの事項につき原則を明示すること。

1  教育の機会均等

2  義務教育

3  女子教育

4  社会教育

5  政治教育

6  宗教教育

7  学校の性格

8  教員の身分

9  教育行政

五  前項に示した教育基本法の各条項の内容については総会、各特別委員会の審議の結果をとり入れること。

六  文部省において、右の趣旨に則つて、教育基本法案を作成されること。

かくして、教育基本法制定の構想が示され、ついで文部省はこれらの建議に基づき具体的な立案作業にとりかかつた。すなわち、文部省官房審議室において(同年一二月四日以降は新たに設置された同省調査局審議課において)、立案作業が進められたが、ここでの審議立案過程で、当初の教育刷新委員会第一特別委員会で作成された参考案が、少しずつ修正されたが、基本的な考え方は変わらず、また、立案過程において連合国軍総司令部との折衝もあつたが、教育基本法については、ほとんど干渉されることがなかつた。この修正の過程は教育行政の条項についてみると、まず、前記教育刷新委員会第一特別委員会の参考案では「十 教育行政 教育行政は、学問の自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」であつたが、同年一二月二一日の教育基本法要綱案では、「一〇 (教育行政)教育は、政治的又は官僚的支配に服することなく、国民に対し独立して責任を負うべきものであること。学問の自由は、教育上尊重されなければならないこと。教育行政は、右の自覚の下に教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならないこと。」となり、ついで昭和二二年一月一五日の案では、「第十一条 教育行政 教育は、不当な政治的または官僚的支配に服することなく、国民に対し、独立して責任を負うべきものである。教育行政は、右の自覚のもとに、学問の自由を尊重し、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」となり、さらに昭和二二年一月三〇日の文部省案では、「第十一条 教育行政 教育は、不当な支配に服することなく、国民に対し直接に責任を負うべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」となり、さらにまた、同年三月一二日に枢密院の諮問の段階で「国民に」の部分が「国民全体に」と修正されてほぼ現行法どおりの政府案ができ上つた。右のうち、「学問の自由を尊重し」がなくなつたのは、第二条(教育の方針)の中に明記されているので、これと重複するからということであつた。また、教育行政機関については、当初全国をいくつかの大学区に分け、各大学区に置かれる大学が、大学のみならずその学区内の小、中、高等学校の教育ないし教育行政に責任を負う仕組みを考え一般行政権からは完全な独立をめざす構想があつたが、最終的には、連合国軍最高司令部民間情報教育局(CIE)の示唆もあつて、各地に公選制の一般民間人による教育委員会制度を設け、これに教育行政を委ねる、いわゆるレーマン・コントロールの方式が真に民主的な教育行政であるとして採用され、そのことが教育基本法の立案にも反映して、たとえば「独立して」の文字が削除された。

政府案は昭和二二年三月一三日に第九二帝国議会に上程された。文部大臣(高橋誠一郎)の提案理由ならびに内容の説明はつぎのとおりであつた。

「民主的で平和的な国家再建の基礎を確立致しまするがために、さきに憲法の画期的な改正が行われました。これによりましてひとまず民主主義、平和主義の政治的、法律的な基礎が作られたのであります。しかしながら、この基礎の上に立つて真に民主的、文化的な国家の建設を完成致しまするとともに、世界平和に寄与すること、即ち立派な内容を充実させますることは、国民の今後の不断の努力にまたなければならぬことはもちろんでございます。そうしてこのことは、一にかかつて教育の力にあると申してもあえて過言ではないと存ずるのであります。かくのごとき目的の達成のためには、この際教育の根本的刷新が断行せられまするとともに、その普及徹底を期することが何よりも肝要でございます。かかる教育刷新の第一前提と致しまして、新しい教育の根本理念を確立する必要があると存ずるのであります。それは新しい時代に即応する教育の目的方針を明示し、教育者並びに国民一般の指針たらしめなければならないと信ずるからであります。

次にこれを定めるに当りましては、これまでのように詔勅、勅令などの形を取りまして、いわば上から与えられたものとしてでなく、国民の盛り上りまする総意によりまして、いわば国民自らのものとして定むべきものでありまして、国民の代表者をもつて構成せられておりまする議会におきまして、討議確定致しますがために法律をもつて致すことが新憲法の精神にかなうものと致しまして、必要且つ適当であると存じた次第でございます。更に、新憲法に定められておりまする教育に関係ある諸条文の精神を一層敷えん具体化致しまして、教育上の諸原則を明示致す必要を認めたのであります。

さて、これらの教育上の諸原則並びにさきに申し述べました教育の根本理念は、単に学校教育のみならず、広く家庭を含めました社会教育にも通すべきものでありまして、これらの根本理念並びに原則は、個々の教育法令に別々に掲げることなく、基本的な単一の法律に規定致しまして、その他の教育法令は、総てこの法令に掲げまする目的並びに原則に従つて制定せらるべきものとすることが適当であると考えるのであります。この法律をこれがために教育基本法と称したのであります。

以上申し述べました理由に基きまして、この法案を作成致したのでありまするが、この法案は教育の理念を宣言する意味で教育宣言である、あるいは教育憲章であるとも見られましようし、又今後制定せらるべき各種の教育上の諸法令の準則を規定するという意味におきまして、実質的には教育に関する根本法たる性格をもつものであると申し上げうるかと存じます。したがつて本法案には普通の法律にはむしろ異例でありまする所の、前文を附した次第でございます。

次に、この法案の内容を御説明申し上げますと、まずこの法律制定の由来趣旨を明らかに致しまするがために、ただ今一言申し上げましたような前文が附せられているのであります。次に本文に入りましては、第一条に新時代に即応すべき教育の理念を明かに致しまするがために、教育の目的を掲げました。次に第二条におきましては、このような教育の目的をいかに達成すべきか、その方針を明示しました。第三条教育の機会均等の条下におきましては、新憲法第一四条第一項、同じく第二六条第一項の精神を具体化致しました。第四条義務教育におきましては、新憲法第二六条第二項の義務教育に関する規定を一そうはつきりと規定したのであります。更に第五条男女の共学におきましては、新憲法第一四条第一項の精神を敷えん致しまして、男女共学を説きました。第六条学校教育におきましては、学校の性格、教員の身分について規定し、第七条におきましては社会教育の原則をうたつたのでございます。第八条政治教育におきましては、民主主義社会における政治的教養の重要性並びに学校における政治教育の限界を示しました。第九条宗教教育におきましては、新憲法第二〇条の信教の自由の規定が教育にいかに適用せらるべきであるかを明示したのであります。第一〇条教育行政の条下におきましては、教育行政の任務の本質と、その限界を明らかに致したのでございます。

以上本法案制定の理由、性格並びに内容を御説明申し上げたのでございまするが、この法案は教育の根本的刷新について議すべく、昨年九月内閣に設置せられました教育刷新委員会におきまして、約半歳にわたつて慎重審議を重ねられました綱要を基と致しまして、政府において立案作成したものであります。なお本案は枢密院の御諮詢を経たものでございます。なにとぞ慎重御審議の上御協賛あらむことをお願い申し上げる次第でございます。」

そして、衆議院および貴族院では、それぞれ委員会を設けて、審議のうえ、結局両議院ともに本会議において原案どおり可決され、昭和二二年法律第二五号として三月三一日の官報で公布され、同日から施行された。

このようにして、新憲法のもとに新しい教育理念をうたつた教育基本法が制定、施行されたが、一方で従前の教育勅語は依然として存続しており、基本法制定の過程においては教育勅語自体には手を触れないとの意向も強かつたが、その後昭和二三年に至り、第二回国会において、同年六月一九日、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を、それぞれ行ない、教育勅語の理念は最終的に否定されることになつた。そして、さらに、新しく制定された教育基本法の理念に基づき、学校教育法(昭和二二年三月三一日法律第二六号)、(旧)教育委員会法(昭和二三年七月一五日法律第一七〇号)、社会教育法(昭和二四年六月一〇日法律第二〇七号)、国立学校設置法(昭和二四年五月三一日法律第一五〇号)私立学校法(昭和二四年一二月一五日法律第二七〇号)、教育公務員特例法(昭和二四年一月一二日法律第一号)、教育職員免許法(昭和二四年五月三一日法律第一四七号)、文部省設置法(昭和二四年五月三一日法律第一四六号)等が相次いで制定され、いわば教育基本法体制が整うこととなつた。

(二) 教育基本法一〇条の趣旨

(1)  教育基本法一〇条は、その一項で、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」とし、二項で、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない。」と定めている。そして、その趣旨とするところは、前記教育基本法制定の経過に照し、その一、二項を通じ、教育行政ことに国の教育行政は教育目的を遂行するに必要な教育施設の管理、就学義務の監督その他の教育の外的事項についての条件整備の確立の目標として行なう責務を負うが、教育課程その他の教育の内的事項については一定の限度を超えてこれに権力的に介入することは許されず、このような介入は不当な支配に該当するというにあると解するを相当とする。

この点について、被告は、本条一項は「不当な」支配を禁じたものであつて、不当であるかどうかはそれが国民全体の意思に基づいているかどうかによつて定まるのであり、国会において国民によつて正当に選挙された代表者により制定された立法に基づく限り、行政権による教育に対する規制ないし介入が教育の内容面にわたつても、それは不当な支配ではなく、本条一項後段に定めるとおり国民全体に責任を負うべき教育行政としては当然に教育内容についても積極的に行政を行なうべき責務があり、したがつて、二項の条件整備についても教育内容以外のものに限られるいわれはなく、また本来公教育制度は当然にそのことを予想していると主張する。

しかしながら、本条一項は、教育行政のみを対象として定められたものではなく、広く教育のあり方を規定したものであつて、その意味では同法二条と性格において類似するが、本条全体が(教育行政)と題しているように、主として教育行政との関連において教育のあり方を定めたものであり、このことは、一項の規定が二項を導く基礎となつており、二項では「教育行政は、この自覚のもとに」としていること、また上叙のごとく戦前の教育行政の中央集権的官僚制の弊にかんがみて本条が制定されたことからも明らかである。そして、一項にいう「教育は」というのは、「およそ教育は」という意味であつて、家庭教育、社会教育、学校教育のすべてを含むことはいうまでもなく、したがつて教育は「不当な支配」に服してはならないということは、とりもなおさず、いやしくも教育に関係するものはすべて「不当な支配」に服すべきでないことを意味するといつてよい。ここに「不当な支配」というとき、その主体は主としては政党その他の政治団体、労働組合その他の団体等国民全体でない一部の党派的勢力を指すものと解されるが、しかし同時に本条一項前段は、教育の自主性、自律性を強くうたつたものというべきであるから、議院内閣制をとる国の行成当局もまた「不当な支配」の主体たりうることはいうまでもない。さらに本条一項後段で、「教育は、…国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」というのは、同項前段の「不当な支配に服することなく」といわば表裏一体となつて、教育における民主主義の原理をうたつたものというべきである。すなわち、憲法はその前文において、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と定めているが、この民主主義の原理は教育ないし教育行政についてもいいうるところである。したがつて、ここで「国民全体」といつているのは、さきに述べた「不当な支配」に服してはならない旨を確認したものと解せられる。このことは、同項において国民全体に対し「直接に」責任を負うと規定していることからも窺われるし、また、前記のように、教育基本法が、戦前の我国教育行政の中央集権的画一的国家的統制に対する批判の上に成り立つており、その成立過程において、米国使節団報告書、教育刷新委員会の建議等で中央集権的画一的国家統制の排除が常に提唱されてきたところからも明らかである。さらに、ここで「責任を負う」ということは、具体的に法的な責任を負うとか、あるいはまた、国民の一般意思を国会に反映させ、国会で制定された法律に基づいて行なわれる行政のルートを通じてのみ、国民に対して責任を負うということを意味するわけではない。ここで「教育は…責任を負う」というのは、教育および教育行政のあるべき姿を定めたものであつて、責任というのも行政的な責任を意味するのでなく、教育自体によつて「直接に」国民全体に対しいわば文化的ないし教育的意味での責任を負うべき旨を定めたものと解すべきである。けだし、文言のうえからそのように解されるばかりでなく、実質的に考えても、すでに述べたように、国民(親を含む)は子どもの教育を受ける権利に対応して子どもを教育する責務があり、教師は右国民の責務の信託を受けて児童、生徒の教育に当たり、国民に対し責任を負うものというべきであるからである。また、本条二項は、本条一項をうけて、教育行政の任務と限界を明らかにしたものである。すなわち、憲法二六条は国に対し子どもの教育を受ける権利ひいて国民の子どもに対する教育の責務を実質的に保障すべき責務を課したものであることは前叙のとおりであり、本条二項は、このことを前提として、国は教育目的達成のため諸条件の整備確立という任務を果たすべきことを明らかにしているのである。そして、ここに「この自覚のもとに」とは、一項の教育行政のあり方についての規定をうけ、そこで定められた原理を自覚して、という趣旨と解され、また、「教育の目的を達成するに必要な諸条件の整備」とは、右の憲法二六条の趣旨および本法の他の諸規定に明示されたところを具体的に達成するために、各種の諸制度、条件を整備すべきことを意味すると解される。したがつて、上記のように、本条一項において教育の自主性、自律性をうたつており、教育行政は「この自覚のもとに」行なわれなければならないのであるから、本条二項にいう「条件整備」とは、教育の内容面に権力的に介入するものであつてはならず、教育が自主的、創造的に行なわれるよう教育を守り育てるための諸条件を整えること、いいかえれば、教育は学校執育にあつては教師と生徒との間で両者の人格的、精神的なつながりをもととして行なわれるのであるから、この実際の教育ができるだけ理想的に行なわれるように配慮し、その環境を整えることを意味すると解すべきである。かくて、教育施設の設置管理等のいわゆる教育の「外的事項」については、原則として教育行政の本来の任務とすべきところであり、また、教育課程、教育方法等のいわゆる「内的事項」については、公教育制度の本質にかんがみ、不当な法的支配にわたらない大綱的基準立法あるいは指導助言行政の限度で行政権は権限を有し、義務を負うものと解するのが相当である。したがつて被告の前記主張は失当というべきである。

(2)  叙上のとおり、教育基本法一〇条の趣旨は、その一、二項を通じて、教育行政ことに国の教育行政は教育の外的事項について条件整備の責務を負なうけれども、教育の内的事項については、指導、助言等は別として、教育課程の大綱を定めるなど一定の限度を超えてこれに権力的に介入することは許されず、このような介入は不当な支配に当たると解すべきであるから、これを教科書に関する行政である教科書検定についてみるに、教科書検定における審査は教科書の誤記、誤植その他の客観的に明らかな誤まり、教科書の造本その他教科書についての技術的事項および教科書内容が教育課程の大綱的基準の枠内にあるかの諸点にとどめられるべきものであつて、審査が右の限度を超えて、教科書の記述内容の当否にまで及ぶときには、検定は教育基本法一〇条に違反するというべきである。

(三) 教科書検定制度と教育基本法一〇条

さて、原告は、現行の教科書検定制度は、検定の基準として、教育の目標との一致、教科の目標との一致、立場の公正の三項目の絶対条件および取扱内容、正確性、内容の選択、内容の程度、組織・配列・分量・表記・表現、使用の便宜等、地域差、学校差、造本創意工夫等にわたつて各教科ごとに設けられた数十項目の必要条件を定めており、これらによつて教科書の内容のすみずみにまで立ち入つて審査を加え、これに適合しないと認めるときは、当該教科書を不合格とし、あるいは条件付合格として不適当と認める部分の修正を求め、もつて教科書の内容を右の検定基準に適合せしめようとするものであつて、明らかに文部大臣が設定しうる大綱的基準の範囲を超えて教科書の内容に不当に介当しようとするものであつて、教育基本法一〇条に違反し、無効である旨主張するので、案ずるに、原告の主張するとおり、現行の検定基準には前示教育基本法に違背するものがあると認められるし、また、教育基本法は前記認定の事情のもとに成立したものであつて、憲法の諸規定をうけ、これを教育において具体化するため教育に関する理念あるいは方針的なあり方を定めるものであつて他の教育諸法規の基本法たる性格をもち、同法一一条がこの法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には適当な法令が制定されなければならないとしているのもこのためと解せられるのであるが、しかし、教育基本法の法的効力が他の法律に優越するとはいえないから、学校教育法(二一条、八八条、これらの規定の変遷についてはすでに述べた)に基づく現行教科書検定制度が教育基本法一〇条に違反し無効であるとは断じがたい。それゆえ原告の上記主張もまた採用できないといわざるを得ない。

二 本件各検定不合格処分の違憲、

違法性の有無

1 教科書検定制度が違憲または違法であるから本件各検定不合格処分は違憲または違法であるとの主張について

上来説示のとおり、教科書検定制度は、それ自体は違憲あるいは違法と断ずることができないから、教科書検定制度が違憲または違法であることを前提とし、これに基づいてなされた本件各検定不合格処分がいずれも違法である旨の原告の主張は、結局において理由がないといわざるをえない。

2 本件各検定不合格処分が違憲または違法であるとの主張について

さて、つぎに、原告は、本件各検定不合格処分は、いずれも、学問的にも十分な根拠があり、かつ教育上も適切な創意工夫のなされた記述についてこれを教科書の中から排除しようとするものであつて、歴史の見方に対する介入であるという点で思想審査であり、かつ事前抑制の方法によるものである点で憲法二一条の禁止する検閲に該当し、学問研究の結果に介入するものである点で同二三条の学問の自由を侵害し、教育内容に介入するものである点で教育の自由を侵害し、同二六条、教育基本法一〇条に違反し、さらに手続が公正でない点で憲法三一条、一三条の趣旨に違背する、と主張するので、以下この点を検討する。

(一) 本件各検定不合格処分の処分理由との関係について

(1)  本件改訂検定において、前示申請に係る「新日本史」の改訂箇所のうち、(1)改訂箇所番号五、六、一四、一八、(2)同一二、(3)同一九の六か所不合格となつたことは前示のとおりであるところ、右六か所について、それぞれ不合格となつた経緯をみるに、<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合するとつぎの事実を認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

(イ) 改訂箇所番号五、六、一四、一八(各編の扉「歴史をささえる人々」)について

右各箇所について、五訂版第二次検定申請白表紙本の記述、同検定済教科書の記述、本件改訂申請原稿の記述を対比すると、つぎのとおりである。

すなわち、右各箇所は、すでに認定したとおり、「新日本史」各編の扉のさし絵に付した説明の見出しであるが、昭和三八年度の五訂版第二次検定の申請において、原告が右説明の一行目に従来どおり「歴史をささえる人々」と記載した(この記述は「新日本史」初版以来ほとんど同一の態様で存したが、右五訂版の検定に至るまでは、不合格処分の具体例あるいは条件付不合格におけるA意見あるいはB意見として指摘されたことはなかつた。)ところ、渡辺実教科書調査官から、「『ささえる』とはどういうことか、子供には理解できないのではないか。何か一方的なところから材料をとらえているような感を受ける。いろいろな階級から材料をとつてはどうか」との趣冒の意見がB意見として述べられた。そこで、原告は本件改訂箇所番号一に該当する第一編の扉の「歴史をささえる人々」のつぎに「歴史のはなやかな舞台の背後には、縁の下の力持ちとなつて、これをささえる無数の人々がいる。」という説明を加え、本件検定の改訂箇所番号一四に該当する第三編の扉では、その説明のうち「農民の汗の結晶が、この図のように、年貢として武士の手に収められていく。」を「農民が骨をおつて作つた作つた米を、年貢として納めている光景」と改めたが、同年四月二〇日に再び文部省側から削除する方がよいとの意見が述べられ、結局、原告は右各扉の「歴史をささえる人々」の一行を削除し、また第一編の扉の説明に加えた右「歴史のはなやかな・・・」の一文を削除修正し、その結果前認定のとおり合格とされたが、しかるに原告は本件改訂検定の申請に当たり、右四か所のすべてについて昭和三八年度の五訂版第二次検定申請の白表紙本の記述に戻そうとしたところ、前記認定の処分理由(第一、二、2)を伝達されて、いずれも不合格の処分を受けたのである。

(ロ) 改訂箇所番号一二(古事記、日本書紀に関する記述)について

右箇所について、五訂版第二次検定申請白表紙本の記述、同検定済教科書の記述、本件改訂申請原稿の記述を対比するとつぎのとおりである。

五訂版第二次検定申請

白表紙本の記述(上欄)

① 「古事記」も「日本書紀」も「神代」の物語から始まつている。「神代」の物語はもちろんのこと,神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで,すべて皇室が日本を統一してのちに,皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが,その中には民間で語り伝えられた神話・伝説なども織りこまれており,古代の思想・芸術などを今日に伝える貴重な資料である。

五訂版第二次検定済

教科書の記述(中欄)

① 「古事記」や「日本書紀」の中には諸豪族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており,古代の思想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。

本件改訂申請

原稿の記述(下欄)

① 「古事記」も「日本書紀」も「神代」の物語から始まつている。「神代」の物語はもろんのこと,神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで,すべて皇室が日本を統一してのちに,皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが,その中には諸豪族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており,古代の思想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。

(文中ふりがな略)

すなわち、この箇所の記述については、すでに昭和三七年度申請の五訂版第一次検定の際に、教科書調査官から「古事記、日本書紀をそのまま歴史とみることのできない点のみが説かれていて、これらが古代の文献として有する重要な価値が記されていない。」との趣旨意見が述べられ、これに対し原告はその場で「古事記、日本書紀の積極的価値を記していないといわれるけれど、その点は二〇頁の一四〜一六行に書かれているので、重複を避けて三二頁には記述しなかつたにすぎない。」と反論を加えたのであつたが、昭和三八年度申請の五訂版第二次検定の際に、さらに右箇所について「これでは為政者の気持を正しく伝えていない」との趣旨のB意見が述べられた。原告ははじめ申請どおりの記述を残そうとしたが、同年四月二〇日に再び文部省側から同様の意見が述べられ、結局右表の中欄のごとく書き改めたが、本件改訂申請に際し、従来の記述の方が正当であるとして五版訂第二次検定の白表紙本のとおりの記述に戻そうとしたところ、前記認定の処分理由(第一、二、2)で不合格とされたのである。

なお、この箇所の記述については、「新日本史」四訂版では、第二編の本件改訂申請に係る原稿に相当する箇所に、注①として「『古事記』『日本書紀』については、二〇ページおよび三〇九ページ『日本史の研究方法』の『2 神代の物語の解釈』を参照すること。」と記述され、右巻末の三〇九頁には三三行にわたつて説明がなされてその中の一部に「『神代』の物語はもちろんのこと、『古事記』『日本書紀』に書いてある神武(じんむ)天皇以後の最初の天皇数代の間の記事も、すべて大和(やまと)朝廷が日本を統一してのちに、皇室が日本に君臨するいわれを権威づけるために作り出した物語である。部分的には民間で云い伝えられてきた神話伝説を採り入れているし、また日本統一後の社会の実際のありさまをもととした話も少なくないが、物語の全体の骨組みは新しく考え出されたものと思われる。」との記述があつたが、これらの記述は、五訂版(第一次、第二次)における前示の記述と類似していたにもかかわらず、四訂版までの検定においてはとくに問題とはされなかつた。

(ハ) 改訂箇所番号一九(日ソ中立条約に関する記述)について

右箇所について、五訂版第二次検定白表紙本の記述、同検定済教科書の記述、本件改訂申請原稿の記述を対比すると、つぎのとおりである。《編注―次頁》

右箇所の記述のうちaの部分については、五訂版第二次検定の際、昭和三九年三月一九日に「何ゆえソ連は中立条約を

五訂版第二次検定申請

白表紙本の記述(上欄)

五訂版第二次検定済

教科書の記述(中欄)

本件改訂申請

原稿の記述(下欄)

a

(256ページ本文)

1941年(昭和16年)4月,南進態勢を強化するため,日本はソビエト連邦との間に日ソ中立条約を結んだ。①

1941年(昭和16年)4月,南進態勢を強化するため,日本はソビエト連邦の提案に応じて,日ソ中立条約を結んだ。②

1941年(昭和16年)4月,南進態勢を強化するため,日本は日ソ中立条約を結んだ。②

b

(右aの脚注)

① しかし日本は,6月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると,「関東軍特別大演習」の名目で大軍をソ連国境の近くに集中し,情勢が有利となつたときにはシベリアに侵入できるように準備を進めた。

② 日本は,6月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると,「関東軍特別大演習」の名目で大軍をソ連国境の近くに集中した。

② 日本は,6月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると,「関東軍特別大演習」の名目で大軍をソ連国境の近くに集中した。

c

(257ページ本文)

これより先,アメリカ・イギリス・ソビエト連邦3国の首脳は,1945年2月,クリミア半島のヤルタで会議を開き,日本とドイツの戦後の処理について取り決めたが,この会談に基づいて②,ソビエト連邦は8月8日,日本に戦いを宣し,進撃を始めていた。

(上記の脚注)

② ヤルタ会談で,アメリカ・イギリスは,南樺太・千島をソ連の領土とすることに同意し,その代わりソビエト連邦はドイツ降伏後3か月以内に対日開戦することが約束された。

これより先,アメリカ・イギリス・ソビエト連邦3国の首脳は,1945年2月,クリミア半島のヤルタで会議②を開き,日本とドイツの戦後の処理について取り決めたが,この会談に基づいて,ソビエト連邦は8月8日,日本に戦いを宣し,進撃を始めていた。

② ヤルタ会談で,アメリカ・イギリス・ソビエトの間で秘密協定が結ばれ,南樺太・千島をソ連の領土とすることに同意し,その代わりソビエト連邦はドイツ降伏後3か月以内に対日開戦することが約束された。この約束に基づいてソビエト連邦は日ソ中立条約の破棄を通告し,戦いを宣したのである。

これより先,アメリカ・イギリス・ソビエト連邦3国の首脳は,1945年2月,クリミア半島のヤルタで会議②を開き,日本とドイツの戦後の処理について取り決めたが,この会談に基づいて,ソビエト連邦は8月8日,日本に戦いを宣し,進撃を始めていた。

② ヤルタ会談で,アメリカ・イギリス・ソビエトの間で秘密協定が結ばれ,南樺太・千島をソ連の領土とすることに同意し,その代わりソビエト連邦はドイツ降伏後3か月以内に対日開戦することが約束された。この約束に基づいてソビエト連邦は日ソ中立条約の破棄を通告し,戦いを宣したのである。

結んだか、スターリンが急に提案したということもあるから、補つてほしい」との趣旨のA意見が述べられ、また、右bの部分については、「このとおりだが、こういう戦争という情勢からいうと、日本だけがこのような戦略をとつたといえないし、国際情勢を考えると、よその国との関係をみては、日本だけがこうやつているとの印象が強いが、日本の教科書という点からみると、教育上の配慮から何か工夫してほしい」との趣旨のB意見が述べられ、さらにcの部分については、「ヤルタ協定が秘密協定であることを補つた方がよい」との趣旨の意見がA意見として述べられた。これに対し、原告は、右のうちbの箇所について、「ソビエトの側では、ソビエトが両面戦争におちいることをさけるため、日本との中立条約を結んだのであろう。しかし日本は、六月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると、『関東軍特別大演習』の名目で大軍をソ連国境の近くに集中した。」と改め、またcの箇所については、その注②の部分を「ヤルタ会談でアメリカ・イギリス・ソビエトの間で秘密協定が結ばれ、南樺太・千島をソ連の領土とすることに同意し、その代わりソビエト連邦はドイツ降伏後三カ月以内に対日開戦することが約束された。この約束に基づいてソビエト連邦は日ソ中立条約の破棄を通告し、戦いを宣したのである。」と改めて提出したところ、四月二〇日に、再び、右aの部分について「『ソビエト連邦の提案に応じて』と改めるように」との意見がB意見として付された。そこで、原告は、aの箇所について指示のとおり改め、同時にbの部分について当初の修正意見に応じて挿入した記述のうち「ソビエトの側では、ソビエトが両面戦争におちいることをさけるため、日本との中立条約を結んだのであろう。しかし日本は」という部分を削除し、結局、「新日本史」五訂版は前記表《編注―次頁》の中欄のごとき記述に改められて出版された。本件において、原告は右修正意見を不当としてaについて五訂版第二次検定申請の白表紙本の記述に戻そうとしたところ、被告は他の不合格とされた箇所とともに、前記のとおりこれを改訂検定趣旨に沿わない等の理由(第一、二、2)で不合格とした。

なお、右の箇所について、これより先に検定合格となつた「新日本史」の四訂版では、aに相当する部分は、本文で「一九四一年(昭和一六年)四月には、ソビエト連邦と中立約条を結び、南進の態勢をとつたが、六月にドイツ軍のソ連侵入が開始されると、『関東軍特別大演習』の名目で大軍をソ連国境の近くに集結し、ドイツ軍の作戦の発展に呼応できるように準備を整えた。」と記述され(ただし、注はない。)、cに相当する部分は、「ソ連首相スターリンは、ヤルタでアメリカ・イギリス両国首脳と秘密協定を結び、千島・南樺太をソ連領とすることを条件として、参戦を約束し、日本に戦いを宣し、進撃を始めた。」と記述されていたが、これらの点について四訂版までの検定においてはとくに問題とされることはなかつた。

(2)  ところで、以上の点に関し、被告は、本件各検定不合格処分の処分理由は右改訂箇所六か所がいずれもすでに検定に合格し現在格別の欠陥の認められない教科書の内容をいずれも検定基準に照らし欠陥の認められる五訂版第二次検定申請に係る白表紙本の記述にもつぱら戻そうとするものであるから、教科書内容の一層の改善向上を期するという改訂検定の趣旨に照らし認められないというにあるので、原告が右処分理由を争うのであれば格別、前示のような違法事由を主張することは許されない旨を主張するもののごとくであるが、しかし、被告は本件各検定不合格処分の処分理由において叙上のとおり右改訂箇所六か所が検定基準に照らし欠陥が認められると述べているのであるから、結局その限りにおいて、五訂版第二次検定の際に示した修正意見の内容を処分理由として援用しているものと解するのが相当である。したがつて、被告の右主張は採用することができない。

(ニ) 本件改訂検定の各改訂箇所について

(1)  改訂箇所番号五、六、一四、一八(各編の扉「歴史をささえる人々」)

前記のとおり、右各箇所は、いずれも「新日本史」中の各編の扉のさし絵に付された説明文の「歴史をささえる人々」という見出しであるが、右各箇所について、被告が主張するところは、右の見出しは、どのようなことを意味するのかあいまいであり、生徒にとつては理解が困難であり、この「歴史をささえる人々」という見出しとそれぞれの説明文をあわせみると、たとえば、第三編の扉の農民が封建社会をささえるという趣旨の説明文については、封建社会における武士等の立場、役割をどうとらえているのかあいまいであり、また第四編の扉の労働者が資本主義社会において基本的な役割を演ずるという趣旨の説明文については、資本主義経済においては労働者のみが基本的な役割を演ずるものであるかのように理解されるなど、生徒を誤り導く恐れがある、それゆえ、これらの記述は全体として高等学校学習指導要領(昭和三五年一〇月一五日文部省告示)のうちの日本史の目標(2)の「日本史における各時代の政治、経済、社会、文化などの動向を総合的にとらえさせて、時代の性格を明らかにし、その歴史的意義を考察させる。」うえに適切でなく、したがつて、教科用図書検定基準(昭和三三年文部省告示第八六号)の「内容の選択」(3)の「注・さし絵・写真・地図・図表・問題などには、教科の目標および科目または学年の目標を達成するうえに必要なものが選ばれており、適切でないものは含まれていない。」との基準に照らして不適切な記述であるというのであつて、すでに認定したように、五訂版第二次検定の際に、ほぼ同趣旨と解せられるB意見が伝達されている。

しかしながら、右の各改訂箇所は、その文言のみからしても、日本史における基本的な歴史の見方あるいは日本史における教育的な配慮に係るものであり、また、すでに論じたように、ある記述が生徒に理解が困難であるかどうかも、基本的には著者ないし発行者の権限および責任において判断すべき事項であると考えられるのみならず、原告が、「新日本史」において右のような記述をした点について、原告本人尋問の中で「およそ人類社会は、大多数の民衆の歴史であると思います。少数の権力者、あるいは英雄、あるいは少数の知識人、そういうものだけで歴史が動くのではありません。多数の名もない民衆の力が総合されて歴史が築き上げられております。日本の社会は非常に緩慢であり、またその改革もあるいは不徹底なところが多いということは否定できませんけれども一歩一歩民衆の地位が向上したということが、歴史の中心点を貫いております。そのことを明らかにするために私は各時代の扉に『歴史をささえる人々』というネームを付した写真を掲げているわけであります。同時にまた文化というのも、従来のような、往々にして支配階級だけの文化ではなく、民衆の中にも豊かな文化であり、また、単に体制を擁護するだけの文化がはなくて、体制を変革する思想や文化も、豊富に日本の歴史の中で生み出されているということ、これをやはりわれわれは自覚して、前向きに歴史を前進させていくということに、自信をもつ必要であります。われわれの祖先には多くの日本の社会を前進させる人々の努力が蓄積されております。それを戦前の歴史教育はすべて隠してきたのであります。私のような人間が長いことそういう事実を知らなかつたことはたいへん恥ずかしいと思つておりますので、私のような侮いを再び次の世代に残さないように私としてはそういうすぐれた先人の文化遺産、精神遺産をできるだけ伝えようと思つて、豊富に私の教科書の中に盛り込んだつもりであります。」と述べ、右のような趣旨で前記各記述をなしたことが認められ、これに反する証拠はないから、右各箇所に対する被告の主張は、いずれも原告の右のような著者としての歴史の見方歴史教育のあり方を否定するものというべきである。

したがつて、右四か所に対する本件検定不合格処分は、いずれも教科書に盛られた執筆者の思想(学問研究の成果)内容を事前審査するものというべであるから、憲法二一条二項の禁止する検閲に該当し、同時に、教科書の誤記、誤植その他の著者の学問的見解にかかわらない客観的に明白な誤りとはいえない記述内容の当否に介入するものであるから、教育基本法一〇条に違反するものといわざるを得ない。

(2)  改訂箇所番号一二(古事記、日本書紀に関する記述)

前記のとおり、右箇所は、脚注で、「①『古事記』も『日本書紀』も『神代』の物語から始まつている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には諸豪族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、古代の思想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。」との記述であるが、これについて、被告の主張するところは、右部分の記述は「すべて・・・・である」として断定にすぎ、不正確な記述であるから教科用図書検定基準の「正確性」(2)の「本文・注・さし絵・写真・地図・図表・問題・資料その他に不正確なところはない。」との基準に照らして不適当な記述であるというのである。

しかしながら、検定結果の告知に当たつては、すでに認定したように、昭和三七年度の五訂版第一次検定の際には、「古事記、日本書紀をそのまま歴史とみることのできない点のみが説かれていて、これらが古代の文献として有する重要な価値が記されていない。」との趣旨の意見が伝達され、また、同三八年度の検定に際しては、「これでは為政者の気持を正しく伝えていない」との趣旨の意見が伝達されていることにかんがみると、被告の右主張はその真意が必ずしも明確ではないが、その点はともかく、<証拠>によれば、記紀の評価とその歴史教育上の取扱いについてはさまざまな見方、考え方があるのであつて、これらによつてみるとき、記紀に関する右改訂箇所の記述が断定にすぎ、明らかに誤りであるとは認められないのみならず、原告が、このような記述をなした点につき、原告本人尋問の中で「何度もくり返して恐縮でありますけれども、私にとつてはこの教科書(尋常小学国史)によつて考えられたということが終生忘れられません。しかもこれは私だけじやありません。私の前後かなり、長期にわたつて、こういう教科書でわれわれは日本歴史を学んできたのであります。で、私は幸いにして親が上級学校へやつてくれましたので、その間に自分が教科書以外の読書によつて、こういう教科書がまつたく科学的真実に反しているということを知る機会を得ましたけれども、戦前は今日と違いまして、上級学校への進学率は低く多くの私たち同世代の人々はこういう教科書だけを唯一の知識として社会人となつたと思います。それが今日まで尾を引いて、二月一一日をありがたがるたくさんの人々を生み出していると思うんです。で、そういうような禍根を絶つために、やはりわれわれは、古事記、日本書紀、これは貴重な古典であることは申すまでもありません。しかし、貴重な古典は古事記、日本書紀だけに限らないのでありまして、おそらく文部省はあまりお好きでないと思いますけれども、為永春水の人情本だつて貴重な古典であります。古事記、日本書紀とちつとも変りません。そういうものと同じような意味で、古事記、日本書紀は貴重な古典でありますけれども、それが客観的史実でないということははつきり認識させておかなければまた大変なことになると思います。そこで私は、この本件で争点となつているような記述を初版以来ずつと続けて書いてきたわけであります。」「ここに『すべて』ということばを使つておりますが、それはストーリーの骨組のすべてがということでありまして、個々の構成要素がということではないのであります。そのこと、あとでちやんとわかるような文章があります。」と述べており、右改訂箇所の記述が原告の学者としての右のような記紀についての認識、評価と教育者としての配慮に基づくものであることを認めることができ、これを左右するに足る証拠はないから、右改訂箇所に対する被告の主張は、原告の史実の認識、教育的配慮を否定するに帰するというべきである。

したがつて、右箇所に対する本件不合格処分も教科書執筆者としての思想(学問研究の成果)内容を事前審査をするものというべきであるから、憲法二一条二項の禁止する検閲に該当し、同時に、教科書の誤記、誤植その他の著者の学問的見解にかかわらない客観的に明白な誤りとはいえない記述内容の当否に介入するものであるから、教育基本法一〇条に違反するものといわざるを得ない。

(3)  改訂箇所番号一九(日ソ中立条約に関する記述)

前記のとおり、右箇所は「1941年(昭和16年)4月、南進態勢を強化するため、日本は日ソ中立条約を結んだ。」との記述であるが、この記述について、被告の主張するところは、この記述では、日ソ中立条約がソ連側の提案に基づいて締結されたものであることが明らかにされず、脚注の関東軍特別大演習(関特演)に関する「日本は、6月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると、『関東軍特別大演習』の名目で大軍をソ連国境の近くに集中した。」との記述とあいまつて、同条約がわが国のみの利益や都合によつて締結されたものであるかのように生徒に受け取られ、当時の日ソ関係について一方的な誤つた理解に導く恐れがあり、学習指導要領の日本史の目標(5)の「日本史の発展を常に世界史的視野に立つて考察させ、世界におけるわが国の地位や、文化の伝統とその特質を理解させることによつて、国際社会において日本人の果たすべき役割について自覚させる」および同目標の(6)「史料なども利用し、史実を実証的・科学的に理解する能力を育て、史実をもとにして歴史の動向を考察する態度を養う」という目標を達成するうえに適切でなく、したがつて検定基準の内容の選択(2)の「とりあげた内容には教科の目標および科目または学年の目標を達成するうえに適切でないものはない。」との基準に照らして適切でないというのであつて、すでに認定したように、五訂版第二次検定の際にも、右に近い趣旨で、「何故ソ連は中立条約を結んだか。スターリンが急に提案したということもあるから、補つてほしい。」とのB意見が伝達され、また、「ソビエト連邦の提案に応じて」を挿入すべき旨の意見が述べられている。

しかしながら、右の経緯に徴し、被告の主張は右の一句を挿入しないことが歴史的事実として客観的には明白な誤りとなるというのではなく、この改訂箇所が全体として日ソ中立条約締結の際の日本の立場に対する評価ないし見方が妥当でない、というにあつて、歴史的事象の評価とそれに基づいた叙述に関するものであるのみならず、原告が、この点につき、原告本人尋問中で、「それから、太平洋戦争にいたりましては、これはいうまでもなくこれなくしては日本国憲法があり得なかつたという意味です。日本国憲法が何故に制定されなければならなかつたか。それは再び政府の行為によつて戦争の惨禍が起らないようにする。再びということはすなわち太平洋戦争のような無謀な戦争をくり返さないという意味であります。その意味で憲法的理念を体得した新しい世代を育成するためには、太平洋戦争がいかに恥ずべき、そして残虐な戦争であつたかということを徹底的に教える必要があると思います。いたずらに他国がこうしたから日本もこうしなければならなかつたというようなことは、人がワイロを取るからおれも取る、というのと同じ論理でありまして、言語道断であります。そういう意味で、私は、たとえば日ソ中立条約その後の関特演というような、今までことさら一部の人々が目をそらそうとしていたような事実をも、どうしても高等学校程度の国民に教えておかなければこれはたいへんなことになると思うのであります。私はもちろんソビエト連邦がしたことを無条件で全面的に支持するというようなばかげたことをどこにも書いておりません。ソ連の敗戦直後における、東北地方における暴行事件などは、これは教科書には書いてありませんが、私の個人の著書の中ではちやんとはつきり指摘して弾劾しております。しかし同時に反ソ感情をあおるような教育が権力の手によつて強制される、というようなことは、これはまさに世界平和を破壊するものでありまして、日本国憲法の精神に全く反すると思います。そういう意味で本件の係争となつております日ソ中立条約は非常に客観的に、私の主観を交えることなく、記述してあるのでありまして、それは記述に関する限り、まつたく事実どおりでありますけれども、なぜこれを選択したかと言いますと、今申しましたような憲法的理念からの必然的要請であると考えるからであります。」と述べ、この箇所の記述が右の趣旨で記述されたものと認めることができ、これに反する証拠はないから、右改訂箇所に対する被告の主張は原告の右のような歴史事象の認識、評価および教育的配慮を国の立場において否定するものであるというべきである。

したがつて、右改訂箇所に対する本件検定不合格処分もまた、教科書執筆者としての思想(学問的見解)内容を事前に審査するものというべきであるから、憲法二一条二項の禁止する検閲に該当し、同時に、教科書の誤記、誤植その他の著者の学問的見解にかかわらない客観的に明白な誤りとはいえない、記述内容の当否に介入するものであるから、教育基本法一〇条に違反するものといわざる得ない。

(三) 結語

以上の次第で、本件各検定不合格処分は、いずれも憲法二一条二項および教育基本法一〇条の各規定に違反し、違憲、違法であるから、原告のその余の主張について判断をすすめるまでもなく、取消しを免れない。

第五  結論

よつて、原告の本訴請求は結局理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(杉本良吉 中平健吉  岩井俊は転勤のため署名捺印することができない。)

別紙《省略》

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