大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9610号 判決 1970年7月13日

原告 中川正澄

右訴訟代理人弁護士 小川休衛

右同 木村英一

被告 矢川寿郎

<ほか一名>

右被告両名訴訟代理人弁護士 栗原勝

主文

被告らは原告に対し、各自五五万円およびこれに対する昭和四二年九月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。

この判決は一項に限りかりに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

1、被告らは原告に対し、各自二四〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、請求の原因

(一)、原告は昭和三七年八月一五日出生の犬種シェトランド・シーブドッグ、登録犬名マーキュリアル・ガーダー、K、S、愛称ルビーなる牝犬一頭(以下単に本件犬という)を飼育していたものであり、また被告会社は畜犬の繁殖、訓練等を業務目的とする会社、被告矢川は被告会社の従業員である。

(二)、(不法行為の内容および責任)

1、被告矢川が昭和四二年七月一五日午后一時過ぎ頃、本件犬と被告会社所有の種牡犬とを交配させるべく、原告方から本件犬を引きとって原告会社のライトバン型自動車の後部荷物室に乗せ、被告会社に運搬する途中、本件犬が日射病にかかり同日午后二時過ぎ死亡するに至った。

2、ところで、通常、犬はその生理的特性として酷暑に弱い動物なのであるから、夏期において車輛により交配犬を移動させる場合は、酷暑時を避けて朝夕時行ない、またその際においても、専門係員を添乗りさせる等して運搬中の犬の健康に細心の注意を払うようにして、もって酷暑による疾病の発生を未然に防止する措置をとることが畜犬の管理にたづさわる者の当然の義務というべきであるところ、被告矢川は、右のような義務を怠り、摂氏三〇度をこえる炎天下の午后一時過ぎの酷暑時に、同乗者も伴わないで漫然前記自動車で本件犬の運搬をなし、且つその運搬途中も車内の環境、本件犬の容態に意を用いなかった過失により、本件犬を日射病にからしめ、前記のとおり死亡させるに至らしめたものである。

3、本件犬の死亡事故は、被告会社の従業員である被告矢川が、被告会社の業務に従事中発生したものである。

4、従って、被告矢川は民法七〇九条により、被告会社は民法七一五条により右死亡事故によって原告の蒙った損害を賠償する義務がある。

(三)、(損害)

1、財産的損害

本件犬は、日本政府公認の社団法人全日本畜犬登録協会および社団法人全日本警備犬協会、ザ・ジャパン・ケンネルクラブとが確認した登録原簿に基づいて発行された血統書ある純粋種犬であり、同時にこれまで各種展覧会に出陳し、数々の表彰を受けたが、そのうち主なものだけでも昭和三八年三月にバビー・チャンピオン最優秀賞、ついで同年五月には日本最高名誉犬賞、推奨犬賞および最高栄誉彰なるチャンピオン資格犬最高位賞を獲得しており、犬界における最優秀犬でもあったものであり、本件犬は少くとも二〇〇万円の価値があり、従って原告は本件犬の死亡によって少くとも二〇〇万円の財産的損害を受けた。

2、慰藉料四〇万円

原告方家族は原告と妻春江の夫婦だけで結婚生活一四年余を経過しているが、その間子供がなく、本件犬の成育を楽しみに愛情をそそぎ愛玩してきたもので、愛犬の本件事故死に悲歎し、大きな精神的苦痛を受けたものであり、その損害は金銭に見積って少くとも四〇万円に相当する。

(四)、よって、原告は被告らに対し、それぞれ前記損害金合計二四〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告らの答弁

(一)、請求原因(一)項は認める。

(二)、同項の1の事実は、本件犬の死亡時刻を除き認める。本件犬が死亡したのは午后六時頃である。

(三)、同項の2の事実中、事故当日は相当暑かったことは認めるがその余は否認する。

被告矢川は本件犬を原告より引取った後、同日午后一時五〇分原告方を出発し、本件犬は自動車パブリカバンの後部室内の荷台に乗せ、車の窓を全開し、運搬の途中都内江東区南砂町、同区深川白河町および千代田区東神田の三か所で休息させたのであるが、同所を過ぎてから急に本件犬の元気がなくなったので被告会社に連絡し、被告会社の獣医の往診を求め、日本武道館前において手当中前記時刻頃死亡したものである。

(四)、同項の3は認め、同項の4は争う。

(五)、同(三)項の1の事実中、本件犬の価値が二〇〇万円であることは否認。その余は不知。

(六)、同項の2の事実中、原告方の家族が原告主張のとおりであること、本件犬の死亡により原告が精神的苦痛を受けたことはめ認るが、慰藉料額の点を争う。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、原告は本件犬を飼育所有していたこと、被告会社は畜犬の繁殖訓練等を業とするものであり、被告矢川は被告会社の従業員であることは当事者間に争いがない。

二、被告矢川が昭和四二年七月一五日午后一時過ぎ頃、本件犬を被告会社所有の種牡犬と交配させるべく、原告方から本件犬を引き取り原告会社所有の自動車に乗せて被告会社に運搬する途中、本件犬が日射病にかかり同日死亡するに至ったことは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によると、前記事故当日は気温が三二、三度に昇り相当暑かったこと、被告矢川は午后一時過ぎ頃原告方から本件犬を引きとると、被告会社所有のトヨタパブリカバンの後方室内の荷台にあるダンボールの箱に入れ、その両側の窓を開けて被告会社向け運転出発したこと、原告の肩書住所地から被告会社所在地までは自動車で数時間を要する距離があったこと、被告矢川は原告方を出発後約二時間余進行したところで約一五分、さらに約三〇分進行したところがで五分程休息し、さらに四〇分位進行して都内千代田区東神田にさしかかった際、本件犬の呼吸が激しくなっているのに気がつき、直ちに付近の日本武道館前の木隠に本件犬を休ませる一方直ちに被告会社に連絡して獣医の往診を求めたこと、午后六時頃獣医が来て手当てをしたが既に手おくれとなっていて、本件犬は右時刻頃日射病のため死亡するに至ったものであることが認められ、右認定を左右する証拠がない。

ところで、≪証拠省略≫によると、犬は暑さに弱い動物であり、特に本件犬の種類のシュトランド、シープドックのような長毛種は、特に暑さに弱く、従って、この種の犬を暑い季節に車輛で運搬するのは特に危険とされ、やむをえず夏期に運搬する場合には、日中を避け朝夕の涼しい時刻を選んで行うようにするのが常識とされていることが認められ、この事実から推すと、夏期において、他人の所有犬特に暑さに弱い本件犬のような長毛種の犬を預り管理しその運搬に従事する者としては、その運搬距離が近距離であるとか或いは特別の防暑設備のある車輛で運搬するような場合を除いては、酷暑時を避けて朝夕の涼しい時刻を選んで運搬するようにし、且つ運搬中においては常に運搬犬の健康状態に注意を払い適宜涼しい場所で休息させるなどの措置をとり、運搬中における疾病の発生を未然に防止する注意義務があるというべきであるところ、前記認定したところによると、被告矢川は右注意義務を怠り、漫然日中でも最も暑い午后一時過ぎ頃から本件犬の運搬を開始し、しかも、運搬中において、車の窓を開けて車内の風通しをよくし或いは二回程休息させたというものの、本件犬の健康状態に対する注意を充分なさないため、本件犬の健康上の異常に気がつくのもおくれ、結局その病状を悪化させて死亡させたものであることが明らかであり、その過失は大きいというべきである。

右本件犬の死亡事故は、被告矢川が使用主である被告会社の業務に従事中発生させたものであることは当事者間に争いがない。

以上検討したところによると、被告矢川は民法七〇九条により、被告会社は同法七一五条によりそれぞれ本件犬が死亡したことにより原告の蒙った損害を賠償する義務のあることが明らかである。

三、そこで、原告の蒙った損害額について検討する。

(一)、≪証拠省略≫によると、本件犬は、日本政府公認登録のある社団法人全日本畜犬登録協会、同日本警備犬協会およびザ・ジャパン・ケンネルクラブが共同確認した登録原簿にもとづいて発行された血統書を有する純粋種犬であって、右三団体から「禀性穏和善良、眼色濃く耳の保持正しく鼻梁線よく徹り種的表現良好、胸深く背部水平、体躯構成均整的、被毛豊かに歩容は円滑、普通体格の牡犬に交配すれば蕃殖に有効と認める」旨認定する種犬認定検査合格の証明がなされていること、さらに右三団体主催の展覧会において、昭和三八年三月最優賞(パピー、チャンピオン賞)、同年五月二六日最高位賞(チャンピオン資格犬)、日本最高名誉犬賞および推奨犬賞を獲得していることが認められる。そこで右事実を考慮して本件犬の死亡当時の客観的価値の程度を検討するに、鑑定人泉谷政之助の鑑定は、(1)国内における犬の展覧会は諸外国と比較してそれほど厳正なものでなく、その実施回数も多く従ってチャンピオン犬が多出しているところから、国内の犬種団体の展覧会でチャンピオン犬とされてもそれほど価額が上昇することがないこと、(2)本件犬は牝犬の五才であり且つ未経産犬であるうえ、繁殖犬としても愛玩犬としても最盛期を過ぎているとみられること、(3)本件犬はいわゆる流行犬としての域を逸しているものと認められるとの見解により本件犬の価額を一〇万円以下評価しているのに反し、鑑定人小林竹之助の鑑定結果および同鑑定理由に一部誤解があるとしてその鑑定内容を修正した証人(右鑑定人)小林竹之助の証言を総合すると、同鑑定人は結局、本件犬の血統、前記受賞歴および同様の受賞歴をもつ同種犬の市場価額(五〇万円ないし一五〇万円)を考慮して本件犬の価額を一〇〇万円と評価しているものであることが認められる。右両鑑定人の本件犬の価額評価が著しく距っているのであるが、その差異は、結局前記のような受賞歴を有することが一般的に犬の価額の上昇にどの程度影響しているかの認識の相違によるものとみられるが、≪証拠省略≫によると、国外における権威のある展覧会においてチャンピオン資格を獲得した犬が一挙に一千万円を超える価額上昇をみる事例のあることが窺われ、このことから推すと、証人小林竹之助の証言のとおり、国内におけるこの種受賞が犬の価額上昇に相当程度影響しているものと認めるのが相当であり、これを価額算定に殆んど参酌しない泉谷鑑定人の見解は採用し難い。もっとも、証人小林竹之助の証言によると、各種団体による犬の展覧会、品評会は全国で年間二五〇回程度開催され、年間約一〇〇頭のチャンピンオが出現しているのが現状であることが認められ、これらの点を考慮すると、チャンピオン資格を持った犬が、一般的に一〇〇万円以上の価額をもつに至るかは極めて疑問があり、小林鑑定人および同人の証言によっても、その一般的実状について殆んど明らかにされていない。従って、右小林鑑定の結果もそのまま採用し難い。結局、本件犬が五才の牝犬であり未経産犬であるとしても、充分出産能力がある(このことは、被告会社自身、本件犬を被告会社所有牡犬と交配させようとしたことによっても明らかである)ことのほか、前記血統および前記受賞歴を考慮し、さらに前記検討した点を参酌すれば、本件犬の価額は五〇万円(証人小林竹之助の証言する前記売買実例最低値に相当)を下らないとみるのが相当である。

従って、原告は、本件犬の死亡によって右価額に相当する五〇万円の財産上の損害を蒙ったということができる。

(二)、原告は妻と二人ぐらしで子供もない者であることは当事者間に争いがなく、原告夫婦が相当の愛情をもって本件犬を飼育していたものであり、本件犬が死亡したことにより、相当悲嘆したであろうことは容易に推察することができる。しかし、一方原告側においても、被告矢川が前記認定の時期において本件犬を引取りに来たのに対し、運搬距離、時刻、気温などを顧慮することなくこれを引渡し、その運搬に同意したことは、犬の健康管理についての専門的知識をもたない素人とはいっても長く本件犬を飼育している者として、慎重を欠いたことは否定し得ないというべきである。これらの事情を考慮すると、被告矢川の前記過失により本件犬を死亡せしめられたことによる原告の慰藉料は五万円をもって相当と考える。

四  以上によると、被告らは原告に対し、各自右損害合計金五五万円およびこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四二年九月一六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務のあることが明らかである。

よって、原告の被告らに対する請求は、右の認定の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却すべきものとし、民事訴訟法九二条九三条一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柿沼久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例