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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)3359号 判決 1970年7月28日

原告 増田与三郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 森謙

右同 斉藤宏

右森訴訟復代理人弁護士 松尾敏夫

被告 日東捕鯨株式会社

右代表者代表取締役 矢野春吉

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 浦上一郎

右同 田村五男

右同 村井禄楼

主文

1、被告日東捕鯨株式会社および同下園実は、各自原告両名に対しそれぞれ金六八万三五六二円二〇銭およびこれに対する昭和三七年三月一六日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2、原告両名のその余の各請求はいずれもこれを棄却する。

3、訴訟費用中、原告両名と被告日東捕鯨株式会社および同下園実との間で生じた費用はこれを五分し、その一を右被告両名の、その余は原告両名の各負担とし、原告両名とその余の被告両名との間で生じた費用は全部原告両名の負担とする。

4、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

一、当事者の求めた裁判

1、原告ら 「被告らは各自原告両名に対し金七〇四万八、〇〇〇円およびこれに対する昭和三七年三月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

2、被告ら 「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一、請求原因のうち、左の事実は当事者間に争いがない。

増田秀男は、昭和九年七月二九日原告両名の三男として出生し、同三四年三月明治大学工学部を卒業した後、同年九月被告会社に入社し、同年一〇月から翌三五年四月までと同年一〇月から翌三六年四月までの二回にわたり被告会社(昭和三六年以前から被告柳原勝紀がその代表取締役)所有の捕鯨船第五隆邦丸(昭和三六年以前から船長が被告下園実、砲手が被告玉置繁)に乗組み南氷洋捕鯨に赴いたが、更に隆邦丸が同年一〇月南氷洋捕鯨に赴く際にその探鯨士としてこれに乗船したこと。

隆邦丸は、昭和三七年三月一五日午前一〇時三五分頃、南氷洋の南緯五一度二〇分、(証拠によれば南緯五二度二分の誤記であることがあきらかである)東経一五度二四分の地点に達した(当日、風向西、海況七、気温一、五度)ところその時見張中の甲板長玉置文男は、いわし鯨二頭が遊泳しているのを発見し、マイクロホンでその旨を船内に知らせたので被告下園は直ちに上部船橋に昇り操船指揮に入り、被告玉置は船首の砲座に、またその他乗組員も各部署にそれぞれつき、右鯨を追尾し午前一一時六分頃うち一頭を仕止め、被告下園は機関の運転を停止させて浮鯨作用にとりかかるべくその指揮をとったこと。

まず、船首部の甲板員数名が一等航海士磯根充也の指導にしたがい鯨体を引き寄せ、その腹部に空気を注入してこれを浮上させたうえ、尾羽ロープの前端を鯨の尾羽に結びつけこれを右舷側第一リギンの前方七〇センチの舷しょう上に設けられたローラチョックを経てキャプスタンに導き機関員松下靖がキャプスタンに巻き締めた後、船首部の甲板員が銛綱を切断し、しかる後尾羽ロープ係の甲板員が同ロープの中間部を輪がねし、その後半部をローラチョックを経て右舷側の四本のリギンの外側にそわせた後、その後端を再び甲板に導き入れたこと。

その後、秀男と佐々木が松下の助けを得て、尾羽ロープのうちリギンの外側にそわせてある部分にブイロープでラジオブイを結びつける作業をしていたこと、および右ロープが秀男の足にからみラジオブイが海中に落ちるはずみで秀男も海中に転落したので、隆邦丸を秀男に近づけボートフックで引っかけてそのまま舷側にそわせて船尾の方へ運び秀男を海中から船内に収容したが、その後しばらくして、秀男はショックのため死亡したこと。

二、右当事者間に争いない事実に、≪証拠省略≫を綜合すると次のような事実が認められる。

1、本船は、四七〇トンの主機関として過給付三一五〇馬力のディーゼル機関を装備した被告会社が所有する機船で、昭和三六年一〇月二三日、当時甲種二等航海士免状を有する被告下園を船長、被告玉置(免状なし)を砲手とし、第一六次南氷洋捕鯨第二図南丸船団に所属する捕鯨船として南氷洋に向け出航し、爾来同海域において捕鯨操業に従事して来たが、秀男は探鯨士としてこれに乗船していた。

2、翌三七年三月一五日、本船は、他の捕鯨船とともに操業を開始し針路を二九〇度に定め一時間八海里程度の微速度で探鯨中、前記のように午前九時三五分頃南緯五二度二〇分、東経一五度二九分付近でいわし鯨二頭の遊泳するのを発見し、砲手である被告玉置の指揮のもとで約三〇分これを追尾し午前一一時六分ころ南緯五一度二〇分、東経一五度二四分の地点で発砲しその一頭を仕止めたのであるが同日の右海域での天候は、雪、風力八ないし九、少くとも秒速一六、七米の西向の強い疾風が吹き、波も高く船体の動揺が激しく、甲板上に直接波が打ち上げることはなかったが、波しぶきが吹きつけ、大気温度摂氏一、二度、海水温度摂氏一、五度という状況で、かなり時化ていたが、船団から操業中止の指示はなく、また本船は、これまでに一、二回かかる状況のもとで操業した経験もあった。そして当日、本船では、各人が黒色ゴム長靴をはき、同色のズボン、腰までの合羽およびズキンを着用し各分担の作業に従事していた。

3  右鯨一頭を仕止めた後、本船は、機関を停止し、浮鯨作業にとりかかった。

すなわち、まず砲手である被告玉置の指揮のもと、たまたま手があいていた機関長中島雄幸が前部マスト後方約六メートルのところにある台上のウインチ操作席でウインチを操作し、鯨に打ち込んだもりに結ばれたもり綱をたぐり風上側の右舷船首側に鯨を引き寄せた。ここで被告玉置は、後続の浮鯨作業の指揮を船長の被告下園に委ね、次の鯨に対する発砲準備にかかったのであるが、本船にあっては、砲手の指揮監督の責任範囲は、発砲の事前準備、発砲のために鯨を追尾する際の操船および仕止めた鯨をウインチで船側に引き寄せる作業に限定されていたので、被告下園の指揮監督のもとで、船首部の甲板部員四名が引き寄せられた鯨の腹部に空気を注入して鯨体を海面に浮かせ、その尾羽部分にロープ(尾羽ロープという。合成繊維製で直径三二ミリ、長さ二三メートルと直径二二ミリ、長さ二二メートルの二本のロープからなり、両ロープは、各末端部分がアイスプライズと連結されている。その径三二ミリロープ)の前端を結止し、尾羽ロープを前部マスト右舷側第一リギンの前方約七〇センチの舷しょう上に設けられているロラーチョックを経て、前部マスト前方約四メートルのところにあるキャプスタンに導き、機関員松下靖が同ロープをキャプスタンに三回まき締め、もって鯨を船首部右舷に固定した後、船首部の甲板部員がもり綱を切断した。そして、尾羽ロープ係の甲板員浜中完爾が同ロープの中間に当る前記径三二ミリと径二二ミリのロープの連結部を右ローラチョック内側の甲板上に置き、尾羽ロープ前半部である径三二ミリロープを巻き締めてあまった残りを、尾羽ロープを船体から離す時に順調に出るよう付近に整理して輪がねしておき、同ロープの後半部である径二二ミリロープを同ローラチョックを経て四本のリギンの外側にかわし舷しょう外側に沿わせて第四リギン(一番船尾側のリギン)後方から甲板上にその後端を導き入れ、たるみ部分を径三二ミリロープの輪がねしたところにおいた。

4  次いで、尾羽ロープにラジオブイおよび旗竿を結止する作業に移行するのであるが、ラジオブイは、重量が二三キログラム、高さ約八五センチのきのこ型で、その垂直部分は直径約一五センチ、高さ約六〇センチの中空鉄製の円筒形(中に電池が入る)、その上部の水平部分は厚さ約一五センチ、直径約四〇センチの円台形の浮体のものである(中心部分に発信装置を備え、浮体の上面中心部に長さ三、八メートルのアンテナを垂直に装置する、その穴があり、その周囲にアンテナを保護枠がある)。

ところで、被告会社の本船を含む捕鯨船にあっては、探鯨士がラジオブイ(以下、「ブイ」という)の整備調整のみでなく、甲板上でのブイ投入の作業も担当する慣例であった。秀男は、昭和三四年九月探鯨士見習として被告会社に入社して以来過去二度にわたり、探鯨士見習として南氷洋捕鯨に赴き、今回は探鯨士として本船に乗組み、佐々木探鯨士見習ともにブイ投入の作業を操り返し担当し、この経験が豊富であった。そしてこの作業は、尾羽ロープをキャプスタンから外ずし、かつ船体を後進させることにより、同ロープが海中に落ち除々に船体から遠ざかるに従い、同ロープとブイを結合するロープ(ブイロープ)が張るのをみはからって、ブイを海中に投入するという特段の困難をともなわない仕事である。

さて、ブイは通常一個使用するのであるが、当日は荒天のため船団長から二個のブイを使用するよう指示されていたところ、佐々木は、前記発砲後、短艇甲板から右舷側リギン附近にブイ二個を搬出しておき、前記のように浜中による尾羽ロープの整理作業の完了後、秀男と佐々木は、右リギン附近の舷側寄りの巾約一、一メートルないし一、六メートルの狭い甲板上で、尾羽ロープにブイを取付ける作業にかかり、直径一二ミリで長さ八メートルのブイロープ(合成繊維製)の一端をブイの円筒部と浮体の接続部にあるリングに結び、他端を尾羽ロープの連結部の船首側(向って左側)に結止し、同じく他のブイに結び付けた長さ四メートルのブイロープを右連結部の船尾側(向って右側)に結び、もって二個のブイを尾羽ロープに連結し、キャプスタンの持場を操機長青木時蔵に譲った松下の助けを得て、二個のブイを第一リギン(一番船首側のリギン)と第二リギンの間の舷しょう外に出し、秀男が両手で船首側のブイの浮体あたりを持ち、佐々木が両手で二個のブイのアンテナ保護枠をそれぞれ持ち、松下が両手で船尾側のブイを持ち船首から秀男、佐々木、松下の順に並んで右舷船首方向に面して、二個のブイをささえて立った。

一方遅れていた旗竿の取り付けも(事務部員の手すきの者が担当する慣例)、中島の手助けで尾羽ロープの径二二ミリロープの末端に結びつけられて、投入準備が完了した。

5  被告下園は、もりが鯨に命中した後、捕鯨船橋(操船室の上部船橋)の左舷側前方から、上甲板での前記の各作業状況を見分していた。そして、船橋の右舷袖部から船首砲台にギャングウェイが架せられており、上甲板から約六メートルの高さにある上部船橋からは、右舷側甲板上の状況が見えにくく、秀男ら三名の並び立っている下半身と二個のブイアンテナがリギン外側に直立した状態を見届けた被告下園は、同日午前一一時二四分頃、右状態によってブイ投下準備がほぼ終了したものと判断し、キャプスタン(上部船橋からキャプスタンまで、少くとも七メートル以上の距離がある)で尾羽ロープを両手で持ちささえていた青木に対し、用意はよいか、と尋ねたところ、青木は秀男らがブイを舷外に出し投下できる体勢を作っており、旗竿も舷外に出されたのを確認し、かつ近くの浜中が準備よしと叫んだのを聞き、被告下園に対し、うなずいて準備が完了した旨を合図したので、被告下園は手で青木に対し尾羽ロープをキャプスタンから離すよう指示したところ、青木はこれを了承し、尾羽ロープをキャプスタンからはずした。そこで鯨体が船体から次第に遠ざかるにつれて、甲板上に輪がねた尾羽ロープも自然と舷外に出て行き、やがて、その中間の連結部も海に落ち、次いで船尾側のブイをもっていた松下がそのブイロープが張って来たので、最初にこれを海に投入し、これを上部船橋で見届けた被告下園は、二個のブイの接触を妨ぐために機関の微速後進をかけた。

ところがその直後、船首側のブイを持っていた秀男がこれを投入したところ、そのブイロープが秀男の右足ゴム靴のかかと後方にかかっていたため、同ロープが秀男の股までずり上り、これをたまたま中島が前記のように旗竿の取付け作業を手伝ってウインチ台にもどった時に発見し、危いと叫んで秀男のところにかけより股までずり上がったブイロープを両手で下に引きおろしはずそうとしたが、この時になって秀男も右事態にようやく気づき右足を上げたものの、すでに遅く同ロープの張力が増し一瞬のうちに秀男の身体が同ロープでつり上げられ、舷しょう頂板内に右足首をはさまれた格好となり、同日午前一一時二五分頃海上に転落した。そして、中島もそのはずみで同ロープから手を離したが、右腕を舷しょうに打ち、尺骨複雑骨折の傷害を受けた。

ところで、ブイ投入の際、何よりもまずブイロープを舷外に出しておくことが、ブイ投入者の身体の安全等のために守らなければならない注意事項であり、秀男はこれを十分認識していたが、投入時にブイロープが舷外になく、自己の右足ゴム靴のかかとでこれを踏みつけていたことに気づかず、かかる状態のもとでブイ投入の事態を招き、結局右のように海中に転落したのであるが、秀男は元来身体が小さな方であり、当日は前記のように荒天で右舷側には強風と波しぶきが吹きつけていたため、秀男らはズキン等を着用し、うつ向き加減の状態を持しつつ右作業をなしていた。

そして、ブイ投入の作業は、本船にあっては船長の指揮監督のもとに進められるものであり、上部船橋で指揮監督に当る船長がキャプスタンの位置にいる者から投入準備完了の伝達を得たうえ、自らも右船橋上でそれを確認し、キャプスタンの位置にいる者に対し、尾羽ロープをきり離すよう指示することによって開始されるものであり、ブイ投入そのものはその後尾羽ロープが船体から遠ざかるに従いおのずとブイロープが張って来るのを見はからって投入すれば足る仕組となっているところ、被告下園は、自らも前記のようにブイ投入準備を一応確認したものの、ブイロープが秀男の足にかかっている事実を発見しえなかった。

6、さて、被告下園は、秀男が海中に転落したのを知って、急ぎ機関停止続いて全力前進を命じたところ、本船が前進にかかったときに秀男はすでに右舷船首約六〇メートルのところに遠ざかっていて、これに向って本船を右舵にとって直進すると尾羽ロープを乗り超えなければならず、そうすると同ロープが本船のプロペラにからむおそれがあったため、間もなく機関を停止し、秀男との距離が約二〇メートル程になったときに、甲板部員が救命浮環と旗竿に使用するゴム製浮器を秀男に向って投げたけれども届かず、その後間もなく、秀男が一個のブイにとりついたものの波で押し流がされ、しばらく波に見えかくれしていたが、右舷船首約一二〇メートルのところに背中を見せたので、風上に出、右回頭して、同日午前一一時三三分頃左舷中央部舷側で秀男を収容したが、その時には既に脈搏がなく、右足首を骨折していた。

被告下園は、直ちに秀男を船員食堂に運ばせ、衣服をぬがし秀男の身体を毛布でくるみ保温に努め、同室を温かくし、かつ人口呼吸を施すとともに、母船に連絡し船医の指示をうけて応急手当を続けるかたわら、同日午前一一時四三分頃母船に向け急行し、同日午後六時頃母船に会合し、船医の診断を受けたが、秀男はすでに同日午後三時頃ショックのため死亡していた。そして、その後、本船は、同年四月二三日下関港に帰港した。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

三、如上の認定事実によれば、本件事故発生当日の天候ならびに海域の状況は、かなり厳しいものであり、一応操業すること自体は可能であったとしても、船の動揺がはげしく、しかもブイ投入作業が行われた本船の右舷しょう側に強風ならびに波しぶきが吹きつけ、かつ各作業員がズキンを着用していたのであるから、各人の注意力もそれだけ低下したであろうことが明らかであるから、かかる状況下で作業をする場合、その指揮監督の責任を負う船長としては、普段に比して一層厳しく指揮監督し、その下にある各作業員の身体、生命等に危害のおよぶことのないように、充分な配慮を行い、個々の作業員に強く注意を喚起させるとか、もしくは身近な作業員同志が相互に危険なき旨確認し合うよう注意を与えることはもちろん、作業の安全性の確認、作業準備確認の判断、指示を責任あるものになさしめ、これにもとづいて作業を進める明確な体制を整え、かつこれを現実に実行しうる方策をたて、これを明確にして衆知させておくべき注意義務があるというべきである。まして、右船舶の構造上浮鯨作業において船長が指揮に当る上部船橋左隅においては、前記のとおりギァンウェイがあるためラジオブイ投下作業位置作業状況を確認できないのであるから、これをより厳格に行うべきであったのである。しかるに、被告下園は、特にこのような配慮をして措置した形跡は見当らず慢然たまたま右舷砲台よりの位置で右作業を見ていた浜中甲板員から準備よしの合図をキャプスタンの位置にてききとった操機長青木の準備よしとの伝達によってキャプスタンから尾羽ロープを離すよう指示し同船を後進させた不注意により、秀男をしてブイロープがその右足ゴム靴のかかとにかかっているままブイを投入せざるをえなくし、結局秀男を海中に転落させ、死に至らしめたといわざるを得ない。≪証拠判断省略≫

従って、被告下園は、秀男の死により同人および原告らの蒙った損害を賠償する義務がある。

ところで、原告らは、被告玉置も同じく賠償義務があると主張するが、本船においては砲手たる被告玉置の作業員に対する指揮監督は、前示のとおりブイ投入の作業には及ばないことが明らかであり、しかも現に被告玉置は、次の発砲の準備にとりかかり、秀男らの作業状況等を見分していた形跡がなかったのであるから、いずれにしろ被告玉置に本件事故につき賠償責任はないと解すべきである、原告主張のその他の義務についても、同人について特にこれ認めるべき理由は見当らない。

四、そして、被告会社が被告下園を雇傭していたことは当事者間に争いがなく、また本件事故が被告下園の職務の執行中に前示のような過失によって発生したことも前認定の事実から明らかであるから、被告会社は、民法第七一五条一項により原告らの被った損害を賠償する義務がある。

次に、原告らは、被告会社の代表取締役である被告柳原勝紀(当時既に被告会社の代表取締役であったことは当事者間に争いがない)も同条二項によって賠償責任があると主張するが、同項にいう「使用者ニ代ハリテ事業ヲ監督スル者」とは、単に使用者たる被告会社の代表取締役である、というのみで足らず、その者が客観的に観察し実際上現実に使用者に代って事業を監督する地位にある者をいうところ、本件の場合、被告会社の事業を行う本船は、遠く南氷洋上にあり、本件事故もそこで発生したのであるから、被告柳原が客観的にみて現実に本船での事業を監督できる地位にあったとは到底解しえないから、右主張は採用できない。

五、そこで、本件事故によって秀男および原告らの被った損害ならびに被告会社および被告下園の賠償すべき範囲を考える。

1  秀男の逸失利益

増田秀男が死亡当時年収七五万円を得ていたことは当事者間に争いがない。

また、秀男の死亡時の年令は、満二七才であったことは、前示当事者間に争いない事実からして明白であり、原告増田与三郎本人尋問の結果によれば、秀男は、当時独身であったことが認められ、かつ秀男が原告らを扶養していた等の特別な事情も見当らないところ、≪証拠省略≫によると、昭和三七年当時、満二七才の独身者の必要消費支出は、一ヵ月金九〇〇〇円以上出なかったこと、およびなお四二年間の余命年数を有していたことが認められ、その範囲で三三年間の余命稼動年数を有すると認めるのが相当であり、これに反する証拠はない。

そうすると、秀男は、死亡時に少くとも前示収入から一か月金九〇〇〇円、従って、年にして金一〇万八〇〇〇円の必要費を控除した金六四万二〇〇〇円の純益を得ていたものと解することができるから、秀男がなお生存し稼動していたならば得たのであろう利益は、ホフマン式(年毎)計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出した金一二三一万五七四二円であり、秀男は、本件事故死により同額の損害を被ったといわねばならない。

≪証拠省略≫によれば、秀男から婚約者阿部シノにあての昭和三七年一月一日付の手紙によると秀男は、同年九月頃には被告会社をやめて家庭電気器員商を始める意思をもっていたことがうかがわれるが、確定的なものとはいえず、直ちにこれを基礎とし、前記金額を下まわるものとして算定することは相当でない。

2、原告らの慰藉料

≪証拠省略≫によると、秀男は、原告両名の三男(末子)として出生し、昭和三四年三月明治大学工学部を卒業、一たんは日本無線株式会社に就職したが、同年九月被告会社に入社したものであり、弱電機関係の優秀な技術を有し、探鯨機の研究で被告会社から表彰される程であったこと、そのためもあって原告らは、秀男の将来に大きく期待をかけ、秀男自身温好な性格で人に好かれるタイプであり、原告らはこれを特に愛し、本件の南氷洋捕鯨後は結婚する予定であったから楽しみにしていたこと、しかるに原告らは、本件の悲報に接し、精神的に甚大な苦痛を受け、そのために身体的にも変調を来たしたこと、被告会社は、秀男の死をいたみ社長をはじめ全従業員出席のもとに被告会社の費用で昭和三七年三月一七日通夜ならびに初七日および三五日の各法要を営み、弔慰金として金一万円を支払い四月二七日横浜東照寺に於いて社葬を行ったこと等の事実が認められ、これらの事実ならびに諸般の事情を加え考えると、原告両名の秀男を失ったことによる精神的損害を慰藉するには、各金五〇万円をもって相当とすると解すべきである。

3、ところで、前判示の事実によれば、秀男は、探鯨士として南氷洋捕鯨におけるブイ投入作業にかなりの経験を有し、その作業の際、ブイロープを舷外に出しておくべき必要性を十分に認識していたと推認できるところ、本件事故当日の天候が相当に荒れ、時化ていたとはいうものの、操業が全く出来なかったとはいえず、他船にも操業しているのがあり、操業すること自体は一応さしつかえがなかったのであり、秀男において右必要注意事項を自ら守りえなかったという特別の事情も見当らない本件にあっては、秀男は、右必要注意事項を遵守できたというべきであるのに、これを怠ってブイロープを舷外に出すことなく、かえって自己の右足でこれをふみつけたまま、ブイを舷しょう上に出して持ち、ブイ投入の準備が完全に終了したような態勢を示したため、青木らならびに船長の被告下園に秀男がブイ投入の準備を終えたものとの誤信を誘発し、被告下園の指示で尾羽ロープのキャプスタンからの切り離しと、これに続くブイ投入の事態を必至とし、そして、自らブイを投入したため、そのロープの張力で海中に転落したのであり、他に秀男が海中に転落した直接の原因も認めがたい本件では、もし秀男が前記注意事項を遵守していたならば、おそらく本件事故を避けえたであろうことが窺えるからブイ投入の職務に従事するものとして、いささか軽卒といえる秀男の前記不注意も本件事故発生の重大な一因を形成していたことは否定しがたいものと解せられる。従って、このような秀男の不注意を考えるとき、秀男および原告両名の被った損害のうち、被告下園および被告会社が賠償すべき損害額は、その二割に当る額と認めるのが相当である。

4、(一)、そしてまず、秀男は、死亡時に未婚で子がなかったことは前判示の事実から明白であるから、親たる原告両名が秀男の被った前記の金一二三一万五七四二円の損害を各自平等の割合で、六一五万七八七一円づつ相続により取得したものである。

(二)、従って、原告両名は、それぞれ右相続分と前記固有の損害合計金六六五万七八七一円の二割に相当する金一三三万一五六二円二〇銭の損害賠償債権を有するところ、原告両名が船員保険法による傷害手当一時金として、各金六四万八〇〇〇円の給付を受けたことは、≪証拠省略≫によって認められるので、これをそれぞれ原告両名の有する損害額から控除すると、結局、原告両名は、それぞれ被告会社および被告下園に対し、金六八万三五六二円二〇銭の損害賠償を求めることができるものといわねばならない。

六、以上のとおりであるから、被告会社および被告下園は、各自原告両名に対しそれぞれ金六八万三五六二円二〇銭とこれに対する不法行為の日の翌日である昭和三七年三月一六日から各完済までの民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、従って、原告両名の各請求中、右被告両名に対する各請求は右の限度で正当であるからこれを認容すべく、右限度を超える各請求部分とその余の被告に対する各請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言については、同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田辰雄 裁判官 渡辺卓哉 裁判官大沢巌は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 岡田辰雄)

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