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東京地方裁判所 昭和39年(ヨ)2196号 判決 1967年10月16日

申請人 春原光雅

被申請人 日東企業株式会社

主文

申請人の申請を棄却する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

申請代理人は、「申請人が被申請人に対し労働契約上の労働者としての地位にあることを仮りに定める。

被申請人は申請人に対し昭和三九年七月以降本案判決確定に至るまでの間毎月二五日限り金三万一、〇九〇円を支払うべし。」との裁判を求め、被申請人は、主文第一項と同旨の裁判を求めた。

第二申請の理由

申請代理人は、申請の理由として次のように述べた。

一  被申請会社は、東京都中央区銀座西六丁目一番地に本社を、東京都下板橋、埼玉県所沢及び日高に営業所を置き、各営業所にそれぞれ自動車運転手約三〇名を配置使用して、砂利、砂、セメント製品の販売、通運業、特定貨物自動車運送事業を業とする株式会社であり、申請人は昭和三七年一一月一七日被申請人に雇われ、その従業員となつた者である。

二  ところが、被申請人は昭和三九年六月三〇日申請人に対して解雇の意思表示(以下、本件解雇という)をした。

三  しかし、本件解雇は、次の何れかの理由によつて無効である。

1  本件解雇は、申請人が正当な組合活動をしたことの故をもつてする不利益取扱であつて、労使関係の公序に反し無効である。すなわち、申請人は、被申請会社所沢営業所従業員の中心として、先ず昭和三八年二月組合結成を目的とする親交会を結成してその執行委員長となり、その努力により同年九月一一日右親交会を日東企業労働組合結成準備会へと発展させ、同年一〇月八日右組合が結成されるや自ら同組合の執行委員長となつた。次いで他の両営業所従業員をも説得援助して下板橋では同月二〇日、日高でも同月二七日それぞれ労働組合を結成させ翌三九年一月一二日以上三労働組合を統合してこれらを支部とする単一組合である日東企業労働組合を結成させ申請人は右単一組合の執行委員長となり同年三月三日まで在任した。そしてその間所沢営業所と事業所を同じくする埼玉コンクリート株式会社の従業員をも日東企業の組合に加入せしめ、或は地域的に関連のある五日市線通運株式会社の労働組合結成をも強力に援助し、或は、日東企業労働組合結成の年の年末一時金について組合を指導しストライキ権を確立して被申請人と交渉し二万八、〇〇〇円プラス一律一万円をかちとる等活溌な組合活動を行つた。被申請人はこれに対し「労働組合を解散して労使協議会にしろ」「上部団体への組合加盟はやめろ」「埼玉コンクリートの従業員は組合から除け」「従業員は所長も含めて全員組合に加入させたらどうだ。」「五日市線通運にまで手を出すな(組合結成を呼びかけるな)」等と当初から組合否認の言動を繰返していたが、昭和三八年一〇月一四日申請人に対し所沢所在の本社直属事務所に配置転換を命じ、組合の抵抗にあつて一旦これを撤回したものの、昭和三九年二月下旬改めて申請人に対し東京の本社へ配置転換を命令し、申請人から「本社での仕事の内容は何か。」と問いただされても「早急に赴任せよ。部屋は会社がみつけて提供する。すでに本社で決定ずみで何もいうことはない。」と答えるだけで、すぐに配転に応じなければ懲戒解雇することをほのめかすので、組合も反対闘争の体制を組めないまま押し切られ、申請人は、やむを得ず組合のない本社へ赴任してしまつた。申請人はその後しばしば前記三営業所組合員と連絡をとり何とか組合の団結力を回復しようと努力したが、東京在勤では距離的に右組合員と常時接触することもできず、申請人の配置転換によつて弱められた組合の団結を容易に回復できないでいるうち、被申請人から同年六月八日突然退職を強要され、これを拒否するや前記の如く解雇された。これは申請人の正当な組合活動をしたことの故による不利益取扱にほかならない。

2  次に、本件解雇は被申請人が解雇権を濫用したものであつてこの点からも無効である。すなわち、被申請人主張のような部屋代滞納の事実はなく、仮りにその事実があるとしてもそのような使用者に対するわずかな借金を理由に解雇することは失当である。しかも、これにつき申請人と話合うことなく突如本件解雇を通告するに及んだのは、解雇権の濫用というほかない。その後被申請人は解雇理由として右滞納のほかに旅行費無断流用など無根の事実を追加してきたが、仮りにこのような事実があつたとしても、被申請人、申請人間における金銭的な問題として解決し得るのであつて、これを理由として解雇というような労働者にとつて極刑に値する処分に付することは解雇権の濫用であることを免れない。

四  被申請会社における賃金の支払は、前月二一日以降当月二〇日までの分を毎月二五日限り支払う定めになつており、昭和三九年七月当時の申請人の賃金は一カ月金三万一、〇九〇円である。その内訳は、次のとおりである。

1  固定給 小計 金三万〇四〇〇円

(一) 基本給 金一万九、八〇〇円、(二) 特別手当 金二、〇〇〇円、(三) 精勤手当 金二、〇〇〇円、(四) 臨時手当 金五、〇〇〇円、(五) 食費 金七〇〇円、(六) 交通費 金九〇〇円。

2  その他の諸手当 小計 金六九〇円

(一) 時間外手当 金三六〇円(申請人の右手当は四月分〇、五月分〇、六月分金一、〇八〇円であるから三カ月間の平均は金三六〇円である)、(二) 能率手当 金三三〇円(申請人の右手当は、四月分金二〇〇円、五月分金二〇〇円、六月分金六〇〇円であるから、三カ月間の平均は金三三〇円である。)

五  よつて申請人は被申請人に対し労働契約上の労働者としての地位の確認を求める本訴を準備中であるが、申請人は労働者であつて賃金のみを生活の糧としているところ、本案判決の確定を待つていては生活が「急迫ナル強暴」にさらされるので労働契約上の労働者としての地位保全と昭和三九年六月二一日以降毎月前記四記載の賃金相当額の仮払を求めるために本申請に及んだ。

第三申請理由に対する答弁

被申請代理人は、申請理由に対する答弁として次のように述べた。

一  認否

1  申請の理由一記載の事実は認める。

2  申請の理由二記載の事実は認める。

3  申請の理由三冒頭記載の主張を争う。

同1記載の事実について

冒頭の事実は争う。昭和三八年一〇月頃、被申請人会社所沢営業所における労働組合が結成され、同時に申請人がその執行委員長となつたこと、昭和三八年一二月末従業員一人あたり金三万八〇〇〇円の年末手当を支払つたことは何れも認めるが、昭和三九年三月三日に至るまでの間における申請人の組合関係役職、組合結成その他の組合関係諸活動は何れも不知。その余の事実は否認する。もつとも五日市線通運株式会社という同業他社の従業員に対し申請人らが組合結成を働きかけたという理由で同会社から抗議があつたので、同社従業員に対する働きかけを自粛するよう要請したことはある。また、被申請人は申請人が当時自動車乗務作業中屡々職務を離脱していることが認められたので乗務作業を離れさせたいと考え申請人に本社勤務をすすめたものである。

同2記載の事実は争う。

4  申請の理由四のうち申請人の固定給及びその他の諸手当中時間外手当の内訳は認めるが、能率手当は毎月二〇〇円である。被申請人会社における賃金計算期間並に支払期日の定めが申請人主張のとおりであつたことは何れも否認する。

5  申請の理由五について

申請人主張事実をいずれも否認する。申請人は自動車運転手であるから、今日の経済界において失業の虞れはない。本件解雇を不当として本案訴訟を追行することは臨時に雇われて労働をしながらでもできることであり、またそうすべきである。従つて本件仮処分の必要性を認めることはできない。

二  被申請人の主張

被申請会社本社においては昭和三九年二月総務課事故係員として自動車運転の経験のあるもの一名を現場から抜擢することとなつたので詮衡の結果同月二六日申請人を候補者にしてその内意をきいたところ同月二八日応諾の返事があつたので、同年三月一日本社に転勤させた。ところが、申請人が本社に転勤すると間もなく、申請人の前の勤務場所である所沢営業所から申請人が当時住んでいた社宅の家賃未払が六、〇〇〇円あると通報があり、また、申請人において昭和三九年二月一四、一五両日に亘る被申請会社所沢営業所勤務従業員の修善寺への慰安旅行が催された際、被申請会社から全従業員の積立金及び会社補助金合計金二一万八、〇〇〇円を預り乍ら、旅行後剰余金四万三、二五〇円のうち自己の用途に費消した二万円を参加従業員に貸付けたといつわり、二万三、二五〇円しか返却しなかつたことが同年四月六日申請人の自供により判明した。更らに申請人は本社に転勤後は被申請人の借り上げのアパートに家賃一カ月金四、二五〇円の約で入居しながら全くその家賃を支払わず再三督促にも応じなかつた。このように申請人は金銭的に全くルーズであつて到底被申請会社従業員として雇用しておくことができないので被申請会社は同年六月八日申請人に対し任意退職を勧告したが、拒否されたので同月三〇日やむを得ず本件解雇に及んだ次第である。

第四被申請人の主張に対する申請人の認否並に反論

一  認否

被申請人主張事実のうち、被申請人が申請人を被申請会社本社に転勤させたのが昭和三九年三月一日からである事実は認めるが、その余は否認する。

二  反論

申請人は昭和三七年一一月に被申請会社に入社して以来所沢の社宅と称するアパート(六畳間に二人ないし三人が同居)に入居し居住していたものであるが、被申請会社は昭和三八年八月までは帳簿上賃金の一部として一カ月二、〇〇〇円の住宅費を支給することとし、同時に右住宅費と同一額を社宅家賃として控除していたので、社宅アパートの入居者は、現実に手取り賃金から家賃を支払つてはいなかつた。ところが、被申請会社は、昭和三八年九月以降従業員に対し賃金引上げを行つたに拘らず、これと同時に、一方的に従来の住宅費支給を打切り、社宅アパートの入居者に対し別に一カ月一、〇〇〇円を家賃として請求するに至つた。しかし、それでは、賃金引上げは全く名目的のものにすぎなくなるので、社宅アパートの入居者らは、いずれも、右一カ月一、〇〇〇円の家賃の支払を一時拒否していたのである。被申請人が所沢の社宅家賃未払というのはこれを指すのである。また、被申請人が申請人において自己の用途に費消したと主張する旅行剰余金二万円も被申請会社森山得三部長の承諾を得て申請人が旅行に参加した所沢営業所の従業員に貸しつけていたのであるが、申請人は旅行実施直後所沢営業所から被申請会社本社に転勤を命ぜられたため、その回収が若干遅れていたにすぎず、右二万円は既に被申請会社に返却した。更らに転勤後のアパート家賃未払いについては、被申請会社から申請人に対して本件転勤の内示があつた際、申請人が本社に赴いて転勤の条件を確認したところ、被申請会社は真角総務課長代理を通じて東京における住居については会社がこれを準備し、住居費も会社が負担する旨申出ていたのに拘らず、被申請会社は申請人が転勤した後突如として一方的にさきの転勤の条件を無視し、アパートの家賃支払を求めるに至つたので、申請人としては家賃の負担方法につき被申請会社と協議したい旨申出て支払に応じないでいたに過ぎず、何らの理由もなく家賃支払を怠つているわけではない。

以上のとおり、被申請人の申請人に対する解雇事由に関する主張は、いずれも事実に反したものである。

第五証拠<省略>

理由

一  労働契約関係の発生

被申請会社が東京都中央区銀座西六丁目一番地に本社を、東京都下板橋、埼玉県所沢及び日高に営業所を置き、各営業所にそれぞれ自動車運転手約三〇名を配置使用して、砂利、砂、セメント製品の販売等、通運業、特定貨物自動車運送事業を営む株式会社であり、申請人が昭和三七年一一月一七日被申請会社に雇われその従業員となつた者であることは当事者間に争いがない。そして証人篠原吾一、森山得三及び原告春原光雅本人の各供述によれば、被申請会社は訴外日本セメント株式会社及びその系列下にある訴外埼玉コンクリート株式会社製造のセメント又は生コンクリート運搬の業務を行つていたが、その所沢営業所の事務は、右埼玉コンクリート株式会社の事務所と同一の事務所において執られていたこと及び申請人が当初所沢営業所に配属されて前記生コンクリート運搬用コンクリート・ミキサー車の運転に従事していたことをそれぞれ一応認めることができる。

二  解雇とその効力

被申請人が昭和三九年六月三〇日申請人に対して解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

そこで、右解雇の効力について判断する。

1  証人松田静雄、沢田定雄、真角房夫、森山得三の各証言、証人篠原吾一、実藤栄一の各証言の一部、申請人春原光雅本人の供述によれば、申請人は、昭和三八年二月初め頃被申請会社所沢営業所従業員の親睦を主旨として結成された親交会の中心となつて同年八月頃からこれを母体とする労働組合結成を企て、同年一〇月八日被申請会社所沢営業所従業員四七名及び同会社と代表者を同じくする埼玉コンクリート株式会社従業員五名を組合員とする日東企業労働組合を結成して自らその執行委員長となり(右執行委員長就任の事実は当事者間に争いがない。)次で、被申請会社の他の営業所従業員に働きかけて同月二〇日には下板橋営業所従業員約二七名をして、また同月二七日頃には日高営業所従業員一八名をしてそれぞれ労働組合を結成せしめ、被申請会社下板橋営業所と同じく日本セメント株式会社の運送を取扱つている五日市線通運株式会社従業員の労働組合結成を援助し(もつともこれは失敗に終つた)更に、日東企業労働組合執行委員長として、同組合及び下板橋、日高各営業所の労働組合三組合合同して同月下旬被申請会社に対し年末一時金五万六千円を要求し、結局同年二〇日には罷業を実施することなく勤続六か月以上の組合員一律三万八〇〇〇円という過去の実績を大巾に上廻わる年末一時金(この年末一時金支給の事実は当事者間に争いがない。)を獲得し、昭和三九年一月一二日、三労働組合を支部とする日東企業労働組合が結成せられるや申請人はその執行委員長に選ばれたことを一応認めることができる。証人篠原吾一、実藤栄一の各証言のうち右一応の認定に反する部分はそれぞれ証人篠原吾一の証言の一部、申請人春原光雅本人の供述と対照すれば信用することができず、その他右一応の認定を覆えすだけの証拠はない。

2  これに対し、被申請会社がすくなくとも五日市線通運株式会社に対する申請人らの労働組合結成の働きかけを自粛するよう要請したことは被申請人の認めるところであり、証人松田静雄、篠原吾一、実藤栄一、申請人春原光雅本人の各供述によれば、被申請人側は昭和三八年一〇月日東企業労働組合が結成されたことを通告する書面を交付されるや同月一二日頃被申請会社常務取締役清水金五郎が申請人らに対し労働組合をなくして労使協議会にしてはどうかと言つて拒絶され、同年一一月被申請会社社長吉田七郎が申請人らに対し労使協議会で労使協調ができれば労働組合はなくてもよいではないか、上部団体に加入するのは好ましくないなどと言い、また、同年一〇月二〇日被申請会社下板橋営業所において組合が結成された後被申請会社伊藤専務取締役が下板橋の労働組合執行委員長松田静雄に対し「組合なんか作らないで労使協議会のようなものにしたらどうか」などと言つたことは疎明されるが、被申請人側において「埼玉コンクリートの従業員は組合から除け」とか「従業員は所長も含めて全員組合に加入させたらどうだ。」などと言つた事実については疎明がない(申請人春原光雅本人の供述によれば同年一二月頃被申請会社常務取締役清水金五郎等が申請人に対し組合に全部従業員を入れたらどうかと言つたことを一応認めることはできるが、右供述によれば、その趣旨が営業所長のような特別の例外を除いて、主任、係長を含む従業員を全部入れたらどうかというにすぎないものであつたことを窺うことができるのであつて社長を加えるというような趣旨のものでなかつたことは明らかである。)。なお、申請人は被申請会社が昭和三八年一〇月一四日申請人を埼玉コンクリート株式会社内にある本社直属の事務所に配置転換を命じ、組合の抵抗にあつて撤回したと主張するが、証人篠原吾一の証言のうち右主張にそう部分は申請人春原光雅本人の供述に照らして容易に信用し難く、かえつて右本人の供述によれば、同年一〇月一六日頃被申請会社常務取締役清水金五郎から日東企業労働組合執行委員長として招致された申請人に対し同組合役員同席の上で申請人を所沢営業所事務所に配転するのはどうかという内談があつたが、同席の役員と共に「本社に配置転換させられることも考えられるので組合としては反対する」と理由を述べて拒絶したことがあるにすぎないことが疎明される。

3  ところで、その後被申請人が昭和三九年三月一日申請人を被申請会社本社に転勤させたことは当事者間に争いないが成立に争いのない疎甲第三号証、証人真角房夫、森山得三、実藤栄一、山口清一の各証言、証人篠原吾一、申請人春原光雅本人の各述の一部によれば、その経緯は、被申請会社が同年二月二五日頃業務部次長森山得三から電話で申請人に対し本社へ転勤する意思があるか否かを問合わせたところ申請人はよく考えてみると答えたので、更らに翌二六日右森山得三は申請人に面接し「組合関係のこともあるだろうからよく相談して本社に来るかどうか返事をしてくれ。もし都合が悪いなら他の人に交渉しなければならないから三月一日からの本社勤務に間に合うよう一両日中に返事をもらいたい」と依頼し、更に同月二八日電話で申請人に問合わせたところ、申請人は「よろしくお願いします。」と答えたので右転勤を命じたものであること、申請人は同年三月一日から被申請会社本社に出勤し、被申請会社取締役山口清一に対し本社転勤により所沢営業所勤務当時得ていた残業手当がなくなるから何とかしてほしいと訴えて、給与額が減らないよう特別手当毎月五、〇〇〇円の加給を受け、本社総務課事故係として勤務することとなつたこと、当時被申請会社に勤務していた運転手の間には本社勤務につくことを昇進とみる風があつたところ、申請人が日東企業労働組合執行委員長でありながら、一部組合関係者にはあらかじめ何の相談もせず一部組合関係者の反対を押切つて前記本社への転勤に応じたので、組合を踏台にして自己の利益を図る者と見られて右組合関係者らから排斥されるに至つたことがそれぞれ疎明される。証人篠原吾一、申請人春原光雅の各供述中これに反する部分は証人森山得三の証言と対照して信用することができず、その他右疎明を覆えすだけの資料はない。

4  他方、成立に争いのない疎甲第一号証の一ないし三、第四号証の一ないし八、疎乙第一号証、証人真角房夫、増茂辰男、森山得三、西島五郎、山口清一の各証言、証人沢田定雄、篠原吾一、泰広三、申請人春原光雅本人の各供述の一部によれば、(イ)被申請会社が所沢営業所従業員の用に供していた寮に使用料として一か月一、〇〇〇円づつを被申請会社に支払うべき約で入居した申請人は当初約二か月分を支払つただけでその後は毎月請求されても支払いに応ぜず、昭和三八年九月以降すくなくとも昭和三九年二月分までの寮費六月分六、〇〇〇円の支払いを怠つていること、(ロ)同年二月一四、一五両日被申請会社所沢営業所従業員の修善寺への慰安旅行の際、申請人は旅行の幹事役として被申請会社本社経理担当者から所沢営業所運航係長西島五郎を介して旅行積立金及び補助金合計二一万八、〇〇〇円を預つたが、そのうち二万円を何の権限もないのに所沢支部所属組合員沢田吾一外二名に返済の期限も定めず借用証等も徴しないで貸渡し、あるいは自己の用途に費消したので、旅行後前記経理担当者に返えすべき剰余金四万三、二五〇円のうち二万円を返えすことができなかつたこと、(ハ)申請人は、家賃一か月八、五〇〇円の半額四、二五〇円を申請人において負担すべき約で被申請会社から提供された東京都渋谷区笹塚一丁目三八番地大黒荘アパートにおそくとも同年三月一二日入居しながら、右家賃負担額、同年三月分二、七四〇円(日割計算による)同年四、五、六月分各四、二五〇円合計一万四、四九〇円を支払わなかつたこと、(ニ)申請人はその後再三請求されて被申請人に対し本件解雇前(ロ)の未返還金のうち一万円だけを被申請会社に支払つたことを一応認めることができる。

証人沢田定雄、篠原吾一、秦広三、申請人春原光雅本人の各供述中以上の各認定に反する部分は前記各証拠と対比して何れも採用し難くその他右一応の認定を左右するに足る証拠はない。

以上、1ないし4の事実関係からすれば、本件解雇は、申請人主張のような労働組合結成あるいは年末一時金要求など申請人の労働組合活動の故をもつてなされたものではなく、申請人が前示のとおり雇入後間もなく社員寮の使用料の支払いを怠たり、毎月請求されてもこれに応ぜず、旅行積立金及び補助金を幹事役として託されるとその一部を同僚に貸渡しまたは自己の用途に費消し、東京に転勤後も社宅用アパートの家賃負担額の支払いを全く怠るという無責任な性質がなお継続的に存在することを示す行為を繰返えしたため、被申請人は申請人を従業員として不適格と判断して本件解雇に及んだものと認めるのが相当である。もつとも、証人松田静雄、篠原吾一、証人実藤栄一(ただし一部)の各証言及び申請人春原光雅本人の供述によると、申請人は前示のような組合結成、統合その他の組合活動にあたり、これに要する費用又は当然組合の支出すべき費用等を自弁している事実が疎明されるけれども、かかる費用自弁の結果4の如き金銭上の不始末が生ずるに至つたとしても、申請人の右不始末の責任はなんら軽減されるものでなく、本件解雇は申請人の正当な組合活動の故による不利益取扱に該当しない。また、右不始末の金額そのものは必ずしも多額とはいえないけれども、申請人が被申請会社に雇われて以来日の残い時期の出来事であること、申請人の固定給その他の給与月額が合計三万余円(この点は当事者間に争いがない。)にすぎないこと及び申請人の債務を清算させるため被申請会社から三万円が申請人の求めに応じて貸与されたこと(この事実は、疎甲第五号証の一ないし五、証人山口清一の証言の一部及び弁論の全趣旨により認められる。)を参酌すれば、右不始末の金額の多額でないことを以て本件解雇を解雇権の濫用とみる理由とするには足りない。それ故、本件解雇を無効であるという申請人の主張は何れも採用することができない。

三  そして、申請人の以上の不始末から、従業員としての適格を欠くものと判断してなされた本件解雇は労働者の責に帰すべき事由に基くものと認むべきこと論をまたないから本件解雇により申請人と被申請人との間の労働契約関係は昭和三九年六月三〇日限り消滅したものというべきである。

四  してみれば、本件仮処分申請のうち、昭和三九年七月一日以降もなお本件労働契約関係が依然として存続することを前提とする部分はすべてその前提において既に失当であり、その余の部分、すなわち昭和三九年六月二一日以降前記労働契約関係終了の日である同月三〇日までの賃金仮払を求める部分はその金額が極めて僅少であつて、この部分について本件仮処分申請を容れなければ申請人の生活が著しい窮迫に陥るものとは思われないから、仮処分の必要性を欠くものといわなければならない。

五  よつて、本件申請をすべて棄却することとし、申請費用につき民事訴訟法八九条九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川添利起 園部秀信 西村四郎)

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