大判例

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東京地方裁判所 昭和37年(刑わ)2523号 判決

被告人 水上憲文 外八名

主文

被告人水上憲文を禁錮三年に

被告人大橋信を禁錮二年に

被告人芳賀幸雄、同美才治禎宏をそれぞれ禁錮一年六月に

被告人安生磯を禁錮一年二月に

被告人小泉義一を禁錮一年に

被告人糸賀宇佐美を禁錮八月に

各処する。

但し、本裁判確定の日から、被告人小泉義一に対しては三年間、同糸賀宇佐美に対しては二年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用は別紙(訴訟費用関係)記載のとおり右被告人らの負担とする。

被告人栗原庄寿、同井上由太郎はいずれも無罪。

理由

第一章   当裁判所の認定した事実

第一節  日本国有鉄道常磐線三河島駅附近の地形、施設、その他一般的状況

一、日本国有鉄道(以下、国鉄と略称する。)常磐線三河島駅は東京都荒川区三河島町に所在し、同駅中心は日暮里零起点より東北方一、二〇〇米、田端操車場零起点よりほぼ東方約一、五七一米の地点に位置する。同駅本屋の階段上には高架ホームがあり、主な線路を説明すると、同ホームをはさんで、その北側には、同ホームに隣接して常磐下り本線(以下、下り本線と略称する。)およびその北側に常磐貨物支線下り一番線(以下、下り一番線と略称する。)が、南側には、同ホームに隣接して常磐上り本線(以下、上り本線と略称する。)およびその南側に常磐貨物支線上り一番線(以下、上り一番線と略称する。)がそれぞれ敷設されている。

右三河島駅は、本線関係については、上り、上野方面は日暮里駅と、下り、水戸方面は南千住駅と各隣接している。

二、前記三河島駅ホーム上には運転関係を担当する事務室があり、その北側入口は日暮里零起点一、一八五米(ホーム東端より西方約六二米)の地点にある。同事務室内には構内電話、東京鉄道管理局運転部列車課常磐線運転指令との直通電話、同局運転部旅客課列車指令との直通電話、鉄道交換電話および上野、松戸間の連絡用電話がある。

三、三河島駅所属信号所として、ホーム東端から東方(水戸寄り)約二八〇米の、上り本線南側に近接した地点に岩沼方信号扱所(三河島東信とも呼ばれている。)が、ホーム西端より西方(上野寄り)約二七〇米の、上り本線南側に近接した地点に、日暮里方信号扱所(三河島西信とも呼ばれている。)が設置されている。岩沼方信号扱所の水戸方面の隣接信号扱所は、東方約一、〇五〇米の地点にある後記隅田川駅三ノ輪信号扱所であり、日暮里方信号扱所の上野方面の隣接信号扱所は、日暮里駅所属の信号扱所である(なお岩沼方信号扱所および三ノ輪信号扱所内の設備等については、いずれも後記するところを参照。)。

四、三河島駅附近の線路の状況等は次に述べるほか別紙第一、第二図記載のとおりである(なお本件事故後、信号機の新設等により多少状況が変つたが、右図面の記載および以下述べるところは、すべて事故当時の状況である。)。

(一) 先ず線路の屈折状況をみるに、上下本線の線路は、三河島駅ホーム東端(日暮里零起点一、二四七米の地点)から東方約一五〇米の間は、下り本線は半径約八〇〇米、上り本線は半径約一、二〇〇米のゆるい左曲線があるが、それより東方は前記隅田川駅三ノ輪信号扱所(日暮里零起点約二、五八一米の地点)にかけてほぼ東西に直線に走つており、さらにその先は同信号扱所東方約一七五米附近から北方に半径約三〇一米、曲線長約三二六米の左曲線がありそれよりほぼ直線となつて南千住駅に到り、西方は三河島駅ホーム西端の少し先から南に屈曲して日暮里駅に到つている。

(二) 下り一番線の線路は三河島駅ホーム東端から東方約一五〇米の間は半径約七〇〇米のゆるい左曲線があるが、それより東方は同線と下り本線とを結ぶ亘り線(その始端は日暮里零起点一、六六七米の地点)に到るまでほぼ直線に走つており、西方は田端操車場零起点より六二六米の地点までほぼ直線に、それより西方は北に半径約三〇〇米、曲線長約二八〇米の曲線があつてその先はほぼ直線となり田端操車場に到つている。

(三) 次に勾配状況としては、上下本線の線路は地上約六・二米の築堤上に敷設されており、便宜上日暮里駅方向から説明すると、日暮里零起点八八〇米の地点から同起点一、一三三米の地点までが一、〇〇〇分の一・六の下り勾配、同地点から日暮里零起点一、八三二米の地点までが一、〇〇〇分の三の下り勾配になつているほかほぼ水平である。一方下り一番線の線路は、便宜上田端操車場方向から説明すると、同操車場零起点より一、一七六米の地点までの間は路面とほぼ同じ高さの軌道敷内におおむね水平に敷設されているが、同地点より一、〇〇〇分の一二の急な上り勾配が約四五五米続き三河島駅ホーム東端附近において約五〇米の間は水平となるが、その後右田端零起点一、六八二米の地点から同起点二、二〇四米(日暮里零起点一、八三二米の地点にほぼ相当する。)までは、一、〇〇〇分の三の下り勾配となつている。また同線路は三河島駅ホーム東端の東方にある第一三河島架道橋(日暮里零起点一、三〇三米の地点)附近において下り本線と同一の高さとなりそれより東方は下り本線と同じ高さでこれとほぼ平行して敷設されている。

(四) 同駅ホーム東端から東方約四二〇米の地点には、下り一番線と下り本線とを結ぶ長さ約五八・五米の亘り線の先端部があり、同先端部から東方には直線に敷設された長さ約四二米の安全側線があつて、その終端より先には同終端部分の約六・七三米を覆つて長さ約三五米、すそ巾約四米、高さ約〇・三三米の砂利盛り(第一種車止めという。)が設けられている。右安全側線は、下り一番線と下り本線との前記分岐個所において下り一番線を進行する列車が停止位置を誤つて過走または逸走した場合、同列車が下り本線に進入するときは同列車および下り本線を進行する列車の進路を支障し事故をひき起す虞があるので、両者相互間の防護のため当該過走または逸走した列車をのがす目的で設けられた側線であり、右砂利盛りは過走または逸走した列車の速度に抵抗力、制動力を与えてこれを停止させるためのものである。また前記亘り線と下り一番線の交差する地点には下り一番線と右安全側線とを分岐する転てつ器5ロがあつて安全側線の方向に開通しておくのを定位とし、右亘り線と下り本線の交差する地点には下り本線と下り一番線とを分岐する転てつ器5イがあつて下り本線の方向に開通しておくのを定位とする。定位にある転てつ器を転換したときの方向を反位といい、列車等を通過させるため転てつ器を反位に開通したときは使用後すみやかに定位に復することになつている。

(五) 右亘り線附近築堤上の軌道数の幅員は約一四・四四米であり、下り一番線と下り本線の軌道中心間隔は約四・三八米、下り本線と上り本線との軌道中心間隔は約三・七五米であり、電車の車両の巾は通常約二・八米であるから上下本線がすれ違つた際の両電車の間隔は約〇・九五米に過ぎない。

五、前記砂利盛りの北側日暮里零起点より一、七三〇米の地点には下り本線についての停車場構内の限界を示す停車場区域標が建植されており、三河島駅構内の区域は、下り一番線については下り一番線場内信号機1A(田端操車場零起点九二〇米の地点)より前記砂利盛りの末端まで、下り本線については下り本線場内信号機〈イ〉(日暮里零起点九一〇米の地点)より右停車場区域標まで、上り本線については上り本線場内信号機7LA(同起点一、五二七米の地点)より右下り本線場内信号機〈イ〉まで、とそれぞれなつている(上り一番線関係の範囲については、本件と直接関係がないので、省略する。)。

六、三河島駅附近の信号機の建植位置は右に述べたものも含め、別紙第一、第二図記載のとおりであるが、ここで便宜上附言すると、三河島駅構内においては、下り貨物列車は田端操車場を発車後下り一番線を経て、右第一図上の同線出発信号機2RB(日暮里零起点一、六六四米の地点)の現示に従い、前記分岐点から亘り線を経て下り本線に乗り入れるのであり、上り貨物列車は右図面上の上り一番線場内信号機7LBの現示に従い、上り本線から分岐し、上り一番線を経て田端操車場に向うのであるが、いずれも本線の運行を貨物線の運行より優先させる建前となつている。

なお下り本線においては、列車等は前記図面上の下り本線第一出発信号機1R(日暮里零起点一、二八〇米の地点)および同本線第二出発信号機2RA(同起点一、六五四米の地点)の各現示に従い進行し、上り本線においては、列車等は右図面上の上り本線場内信号機7LA(前記信号機7LBと同一の柱に建植されている。)の現示に従い進行するのである。

(一) 国鉄においては列車運転の安全を確保するため閉そく方式(列車と次の列車との間に一定の距離を保たせる必要上、線路を閉そく区間と呼ばれる幾つかの区域に分け、原則として一閉そく区間には二以上の列車を同時に運転させない方式)を施行しているが、同駅構内は複数、自動区間であつて自動閉そく式がとられ、信号機はすべて自動作用により次の条件を備えたものになつている。

(1) 閉そく区間に列車または車両があるときは停止信号を現示すること。

(2) 閉そく区間にある関係転てつ器が正当な方向に開通していないときは停止信号を現示すること。

(3) 他の線路にある列車または車両が分岐個所または交差個所で車両接触限界を冒しているため閉そく区内を支障しているときは停止信号を現示すること。

(4) 閉そく装置に故障を生じたときは停止信号を現示すること。

(二) 信号機には主信号機として場内信号機(停車場に進入する列車に対するもの)、出発信号機(停車場を進出する列車に対するもの)、閉そく信号機(閉そく区間に進入する列車に対するもの)があり、従属信号機として地上中継信号機(場内、出発信号機に従属してその外方において当該主信号機の信号現示を中継するもの)がある。これらの信号機はすべて色灯式三位式であり、三現示のものは、赤色、黄色(正式には橙黄色というが、仮に黄色という。以下同じ。)、緑色の三色の色灯を使用することによりそれぞれ停止、注意、進行の各信号を現示するが、四現示のもの(三河島駅下り本線場内信号機〈イ〉、同下り本線第一出発信号機1R、同上り本線場内信号機7LA、同上り本線出発信号機〈ロ〉および南千住駅上り線出発信号機3)は停止、注意、進行信号のほか、減速信号または警戒信号を現示する。右の各信号現示のうち、停止信号の現示があるときは、列車または車両は原則としてその手前に停止しなければならず、注意信号の現示があるときは、自動区間では次の信号機に停止信号の現示のあることを予期して時速四五粁以下の速度でその現示個所を越えて進行しなければならないことになつている。また主信号機を機能的に区別すると、その信号現示が通過列車により自動的に制御され信号掛によつては操作できないものを自動信号機といい、閉そく信号機がこれに属し、その信号現示が通過列車によつて制御されるほか信号掛によつても操作できるものを半自動信号機といい、三河島駅附近における場内、出発信号機はすべて半自動信号機またはこれに準ずる信号機のいずれかに属する。主信号機が自動信号機としての機能を営む場合の信号現示の状況は、列車が主信号機の防護区域(通常は当該信号機とその前方の主信号機との間に構成された軌道回路)に進入した場合、当該主信号機が停止信号を現示し、その後方の信号機は順次、注意信号、進行信号を現示する(但し停止信号の後方の信号機が四現示の場合その信号機は警戒信号を、その後方の信号機は以下順次、注意信号、進行信号を現示し、また注意信号の後方の信号機が四現示の場合はその信号機は減速信号を、その後方の信号機は進行信号を現示する。)。半自動信号機は自動信号機としての機能を営むほか、信号掛の信号梃子の操作により列車の位置と無関係に信号現示を停止処分にすることができ、その場合の後方の信号機は自働的に右と同様になる。

(三) なお、下り一番線を列車が進行する際の三河島駅下り一番線出発信号機2RBの見通しの状況は、進行方向に向つて左側の機関士席においては同信号機の手前約五六四米の地点から見え始め、すなわち同駅ホーム西端を過ぎて間もなくの約一一九米の間(それ以後約八三米の間は見えない。)およびホーム東端を過ぎた同信号機手前約三六二米の地点より同信号機に至るまでの間は見通すことができるが、そのうち信号機の手前約三二一米の地点より約六三米の間はゆるい左回りの曲線のため支柱にさえぎられて同信号機の信号現示は散見する状態となり、それ以後直線に入ると同信号機の手前約二五八米の地点よりは真直ぐ前方に明瞭に確認できる状態となる。また右側の機関助士席においては右信号機の手前五九三米の地点より約二二米の間、同信号機の手前約五五一米の地点より約一二八米の間および同信号機の手前約二三〇米の地点より約五一米の間は同信号機の信号現示の状態を見通すことができる。

(四) 右、下り一番線出発信号機2RBの手前約三〇八米の地点(三河島駅ホーム東端より東方約一一〇米の地点)の下り一番線北側の電柱(構本8)には下り本線第二出発信号機2RAのための信号喚呼位置標が設置されてあり、昭和三七年五月三日当時は下り一番線出発信号機2RBの喚呼応答も右喚呼位置標附近で行われるのが通例であり、またそのように指導されていた。

七、三河島駅岩沼方信号扱所の状況

(一) 三河島駅岩沼方信号扱所は同信号扱所入口が日暮里零起点より約一、五三一米の位置にあり、同信号扱所には電気的連動操作により信号機、転てつ器を作動させる第一種電気連動機が設置されてあるほか、照明軌道盤、接近表示灯、特殊信号器具(信号えん管六本、雷管六個)および合図灯等が備え付けられている。事務机上には同駅日暮里方信号扱所用閉そく電話、隅田川駅三ノ輪信号扱所用閉そく電話、構内電話および鉄道交換電話各一台がある。

(二) 右連動機には信号梃子、転てつ梃子が取付けられてあり、その梃子を操作することによつて右連動機と電気的機械的に連動している半自動信号機の下り本線第一出発信号機1R、同第二出発信号機2RA、下り一番線出発信号機2RB、上り本線場内信号機7LAおよび上り一番線場内信号機7LB並びに下り本線、下り一番線の転てつ器5イ、5ロおよび上り本線、上り一番線の転てつ器6をそれぞれ作動させる。同信号扱所で取扱う半自動信号機は下り本線については、下り一番線から下り本線に列車を通過させるとき以外は常に下り本線第一出発信号機1Rおよび同線第二出発信号機2RAは進行信号を定位とし(その場合当該信号機に関連する連動機の信号梃子は反位である。)、当該信号機の進路に列車がないときは常時進行指示の信号を現示し、下り一番線出発信号機2RBは停止信号を定位とし、右の場合は停止信号を現示している。同様に上り本線場内信号機7LAは進行信号を定位とし、上り一番線場内信号機7LBは停止信号を定位とする。右の各半自動信号機に停止信号を現示するには、信号梃子を半定位または定位にするだけでよく(但し、後述の接近鎖錠区間に列車が入つた場合には、半定位までしか転換できない。)、いずれも瞬間的な操作により可能である。即ち、同信号扱所の信号掛としては、万一上り列車を停止させる緊急の必要の生じた場合、右信号機7LAの現示を右の操作により停止信号に変えなければならないのである。

(三) 同信号扱所においては、列車の衝突、接触等を防止するため、転てつ器は、列車がその転てつ器を含む一定の区間にある場合、即ち、信号機が進行を指示する信号を現示していてその信号機の外方一定区間に列車が進入したときまたは列車が信号機の外方一定区間に進入していてその信号機に進行を指示する信号を現示させたときには、列車が右信号機の内方に進入するかまたは右信号機に停止信号を現示させたのち、限時解錠器を使用して約九〇秒が経過するまでは、右列車によつて進路の転てつ器を転換できないように鎖錠されている。これを接近鎖錠といい右の一定区間を接近鎖錠区間という。同信号扱所の接近鎖錠区間は下り本線については同駅下り本線場内信号機〈イ〉より同線第二出発信号機2RAに到るまで、下り一番線については田端操車場出発信号機2A、2Bまたは2Cより三河島駅下り一番線出発信号機2RBに到るまで、上り本線については隅田川駅上り本線場内信号機2Aより三河島駅上り本線場内信号機7LAに到るまでの各区間である。

(四) 同信号扱所内に設備されている照明軌道盤、接近表示灯(下り本線、下り一番線用各一個)および接近電響器(上り本線、上り一番線、下り本線、下り一番線用各一個)は前記接近鎖錠に関連する信号保安装置である。照明軌道盤は停車場構内および停車場に接近している各列車の進行位置を軌道盤に設けられた回路および同回路上の豆ランプにより把握するもので、前記連動機に附属して設備されている。また接近表示灯、接近電響器は同所で勤務する信号掛に対し早期に列車の接近を知らせ連動機の操作の過誤を防止するためのものである。右のうち下り本線用の接近表示灯、接近電響器を除いてその余は、前記各接近鎖錠区間に列車の前頭部が進入するとそれぞれ照明軌道盤の豆ランプおよび接近表示灯が点灯して接近電響器が鳴動を始め、列車の後部が右接近鎖錠区間を通過し終えると消える仕組になつているが、下り本線については、日暮里、三河島間の閉そく信号機下り1(日暮里零起点四三五米の地点)を列車の前頭部が通過すると接近表示灯が点灯して接近電響器が鳴動を開始し、接近鎖錠区間である三河島駅下り本線場内信号機〈イ〉に列車の前頭部が進入すると別の接近電響器が鳴動して照明軌道盤の豆ランプが点灯し、同信号機を列車の後部が通過し終えると、最初の接近電響器の鳴動および接近表示灯が消え、同駅下り本線第二出発信号機2RAを列車の後部が通過し終えると、後の接近電響器の鳴動および照明軌道盤の豆ランプが消える仕組になつている。また右接近電響器については、その鳴動を一旦確認したのち消音できるよう確認押し釦が各別に設備されている。

(五) なお同信号扱所には前記のとおり特殊信号器具および合図灯が備え付けられているが、特殊信号は機関士または運転士の予期しない個所で列車等を停止させる必要が生じたときまたは天候の状態により信号現示を認めることのできないとき音または焔により信号を現示するもので、そのうち発えん信号は列車防護のため信号えん管を燃焼させてその火えんにより列車等を停止させるもの、合図灯は通常信号機を使用することのできないときまたはこれの設けていないとき手信号として夜間使用されるもので、列車防護の目的のためにも使用され、赤色灯を円形に動かすことにより列車等を停止させるものである。走行中の電車の運転台より見た場合の右各信号の確認距離は発えん信号については約一、〇六七米を下らないが、合図灯については約二四一米に過ぎない。

八、昭和三七年五月三日当時、三河島駅を通過する一日の旅客、貨物を含めた上下列車および上下電車の運転回数は約四六〇本であり、同駅を午後九時から午後一〇時までの間に通る予定の列車および電車の数は上り線が一一本、下り線が一二本であつて、右時間帯における運転間隔は上、下線とも平均約五分である。

第二節   国鉄常磐線隅田川駅三ノ輪信号扱所の状況

一、国鉄隅田川駅三ノ輪信号扱所は東京都荒川区南千住二丁目に所在する常磐線隅田川駅(隅田川支線に属する貨物駅)の構内にあり、その位置は三河島駅のやや東方、同駅中心より約一、三八一米の距離、日暮里零起点より約二、五八一米の地点であつて、同信号扱所附近の線路の状況、信号機、転てつ器の設置状況は別紙第三図記載のとおりであるが、同信号扱所においては、上、下本線関係の信号機、転てつ器を取扱うほか、本線から隅田川駅へ貨物列車を入れる場合または隅田川駅から本線へ貨物列車を進出させる場合に、関係信号機、転てつ器を取扱うのである。

二、右三ノ輪信号扱所には三河島駅岩沼方信号取扱所用閉そく電話、南千住駅信号扱所用閉そく電話、隅田川駅橋場信号扱所用閉そく電話、鉄道交換電話および東京鉄道管理局運転部列車課常磐線運転指令との直通電話各一台が設けられている。また右橋場信号扱所との間の閉そくを行うため双信閉そく器がある。連動機は第一種電気機甲連動機が設備されており、そのほか照明軌道盤、接近表示灯、接近電響器および特殊信号器具(信号えん管八本、雷管八個)等の保安設備がある。

三、右第一種電気機甲連動装置は、信号は電気梃子の操作により電気的に操縦され、転てつ器は機械梃子の操作により直接機械的に転換されるものであるが、同連動機で取扱う信号機は隅田川駅下り本線場内信号機1A、隅田川支線場内信号機1B、隅田川駅上り本線場内信号機2Aおよび隅田川支線出発信号機2Bであり、転てつ器は下り線関係の転てつ器15イ、ロ、ハおよび上り線関係の転てつ器13イ、ロである。同信号扱所で取扱う右半自動信号機は貨物列車を隅田川駅に出入させるとき以外は同駅上り本線場内信号機2Aおよび同駅下り本線場内信号機1Aは進行定位の信号であり(その場合当該信号機に関連する連動機の信号梃子は反位になつている。)、当該信号機の進路に列車がないときは常時進行指示の信号を現示している。右の各信号機に停止信号を現示するには信号梃子を半定位または定位にするだけでよく(ただし後述の接近鎖錠区間に列車が入つたときは半定位までしか転換できない。)、それは瞬間的な操作により可能であることは三河島駅岩沼方信号扱所の場合と同様である。即ち、右三ノ輪信号扱所の信号掛または運転掛としては、万一上り列車を停止させる緊急の必要の生じた場合、右信号機2Aの現示を右の操作により停止信号に変えなければならないのである。

四、接近鎖錠区間は、上り本線は南千住駅場内信号機1Aより隅田川駅上り本線場内信号機2Aに到るまで、下り本線は三河島駅第二出発信号機2RAより、下り一番線は同駅下り一番線出発信号機2RBよりそれぞれ隅田川駅場内信号機1Aに到るまでの各区間である。

五、照明軌道盤、接近表示灯、接近電響器については、前記接近鎖錠区間に列車の前頭部が進入すると、それぞれ対応する接近表示灯、照明軌道盤の豆ランプが点灯し、接近電響器が鳴動を開始し、右接近鎖錠区間を列車の後部が通過し終えると消える仕組になつている。

第三節   本件事故当時の第二八七下り貨物列車および第二、一一七H下り電車の各組成、運行等の状況

一、第二八七下り貨物列車

(一) 昭和三七年五月三日当時の第二八七下り貨物列車は、ダイヤ定時によれば、午後九時三二分田端操車場を発車し、午後九時三七分三河島駅下り一番線出発信号機2RBを通過して下り本線に入り、翌日午前二時五分水戸駅着、引続き水戸鉄道管理局において同駅より内郷駅、平駅間を延長運転する列車である。

同年五月三日の同列車の編成は蒸気機関車D五一三六四に積車六両、空車三八両、最後尾に、車掌の乗務している緩急車一両合計四五両を牽引し、その列車総編成長約四二九米、牽引貨車の総重量は約五四四屯であり、列車編成の順序、積車空車別、換算重量(総重量を一車一〇屯の割合で換算した車両数)等の状況は次のとおりである。(略)

右機関車の機関士席には列車全体に制動がかかる空気制動装置があり、また緩急車には吐出し弁(車掌弁ともいう。)があり、それを使用しても列車全体に非常制動をかけうるようになつていたが、同列車の機関車の運転室と緩急車の車掌室との間の連絡設備はなく、また機関車には車内警報装置も設備されていなかつた。なお機関車内には信号えん管四本、雷管四個を収納した特殊信号携行函が機関士席後方の鉄板に針金でとりつけられ、携帯電話機が炭水車左側ボツクスに格納されていた。

(二) 右機関車には機関士として被告人水上憲文が、機関助士として被告人安生磯がそれぞれ乗務し、緩急車には車掌として被告人栗原庄寿が乗務したが、被告人栗原は乗務に際し信号えん管四本、雷管四個を収納した特殊信号携行函および合図灯各一個を携行した。同機関車は田端機関区出庫に際し整備点検されたが異常はなく、田端操車場に回送されてから、同操車場下り二番線において前記のとおり組成を終えて貨車に連結され、全列車の貫通制動試験の結果異常はなかつた。

(三) 同列車は前記同日、定時の午後九時三二分に田端操車場を発車した。その後同列車は田端操車場常磐下り第一出発信号機2A、同第二出発信号機9Rを進行信号の「緑」色で、三河島駅下り一番線場内信号機1Aを注意信号の「黄」色で通過し、一、〇〇〇分の一二の上り勾配にさしかかるところは時速約二八粁で進行し、それより右上り勾配のため徐々に減速したが、午後九時三五分三〇秒頃には機関車の前頭部が三河島駅ホーム横を通過する状態となり、同駅ホーム東端より約一四米先の右勾配の終端を過ぎた頃には同列車の速度は時速約一五粁になつたが、その頃から同列車は力行運転に入り次第に加速進行した。

(四) ところで三河島駅下り一番線出発信号機2RBは、同列車が田端操車場を発車した当時から引続き停止信号の「赤」色を現示しており、従つて前記下り本線と下り一番線との分岐点の転てつ器は、同列車が田端操車場を発車した当時から転てつ器5イが本線の方向、転てつ器5ロが安全側線の方向に開通していた。

二、第二、一一七H下り電車

(一) 昭和三七年五月三日当時の第二、一一七H下り電車はダイヤ定時によれば、午後九時二六分上野駅を発車し、日暮里駅着午後九時二九分三〇秒、同駅発午後九時三〇分、三河島駅着午後九時三二分、同駅発午後九時三二分三〇秒であり、その後南千住駅を経て午後一〇時二三分取手駅に到着する予定の電車である。

(二) 同年五月三日の同電車の編成は六両であり、その総編成長は約一二〇米、乗客定員は合計八三二名であり、同電車の編成順序および車両別定員は次のとおりである。(略)

(三) 同電車中、乗務員室を有する第一、第二、第三、第六車両にはB型車内警報装置があり、また第一、第三、第四車両には車内放送装置があつたが、車掌の乗務する第六車両には車内放送装置はなかつた。各車両の制動装置は電磁空気制動であり、同電車には運転士と車掌の間の相互連絡用ブザー装置および車内電話が設備されていた。前照灯は電球一〇〇ボルト―一五〇ワツトで中心光度二七、〇〇〇燭光であり、その照射距離は約五〇米乃至七〇米である。同電車は後部四両をもつて基本編成とし、これを前部二両が附属しており、第二車両と第三車両の間には高圧母線引通し電纜が連絡されておらず、室内灯の電流回路も分離していた。従つて第一両目のパンタグラフの離脱によつて第一、第二両目の前照灯、室内灯が消灯しても後部四両のそれは影響をうけない構造になつており、また低圧母線引通し線は全車両に連結されているので、低圧線より供給をうけている予備灯(各車両に設備されており、室内灯が消灯した場合に自動的に点灯する仕組になつている。)、前記ブザー装置および扉開閉装置は、右引通し線が破損しなければ第一両目のパンタグラフが離脱してもその影響をうけない構造であつた。

(四) 前記同日、右電車には先頭車両の運転台に運転士として被告人芳賀幸雄が、後尾車両の車掌室に車掌として被告人美才治禎宏がそれぞれ信号えん管四本、雷管四個を収納した特殊信号携行函および合図灯各一個を携行して乗務したが、同電車の各車両はいずれも基準どおりに保守整備がなされており、何等異常がなかつた。

(五) 右同日は、早朝の宮城県下の地震および東北本線古河駅で発生した追突事故の影響によるダイヤの全般的な乱れから、上野駅にもその影響が及び、右電車は、先行列車である第四四五列車が定時の午後九時二二分より約四分遅れて午後九時二六分頃上野駅を発車したため、右先行列車の遅れによる閉そく開通待合せ(先発列車が遅延したため、後発列車が、先発列車において前方の閉そく区間に進入するまで、発車を待ち合せることをいう。)をした後、午後九時二八分三〇秒頃定時より約二分三〇秒遅れて上野駅を発車し、同駅出発信号機、上野、日暮里間の第二閉そく、同第一閉そくの各信号機および日暮里駅第一場内信号機を注意信号で通過したが、先行の右第四四五列車が日暮里駅に停車していた関係上、同駅第二場内信号機が停止信号を現示していたので、同信号機の手前で一旦停止し、同信号機が注意信号に変るのを待つて再び発進して午後九時三三分二〇秒頃日暮里駅ホームに到着し、同駅において客扱をした後午後九時三三分五〇秒頃同駅を発車し、同駅下り出発信号機、日暮里、三河島間の中間閉そく信号機下り1および三河島駅下り本線場内信号機〈イ〉を進行信号で通過して午後九時三五分五〇秒頃三河島駅ホームに到着した。同電車は同駅ホームにおいて客扱をした後午後九時三六分二〇秒頃同駅を発車したが、同駅発車当時同駅下り本線第一出発信号機1Rおよび同第二出発信号機2RAはともに進行信号の「緑」色を現示していた。

第四節   業務上過失犯の法律的構成と、運転関係従事員の安全の確保に関する職責を規制する諸規定について

一、ここで、当裁判所の依拠する業務上過失犯の法律的構成につき基本的な考え方を示しておくことは、この判決の理解に便宜であると思われるので、簡単に触れることとする。近時高速度交通機関が急速に発達したことは、発展する社会の要請、需要に即応するもので、それによつて生命、身体、財産に対する法益侵害が増大するとしても、そのことが社会的にみて相当である(法秩序全体の精神に照らして受忍せざるをえない)と認められる限度においては、いわゆる「許された危険」であるとせねばならない。けだし、高速度交通機関の運営行為のもつ社会的な価値にかんがみ、社会もその行為によつて直接、間接に多大の利益を享受しているのであるから、それらの行為が本来の目的を実現しつつ安全に遂行されることに協力し、危険防止の責任を分担すべきものであるからである。いいかえると、高速度交通機関における運転等の業務が客観的注意義務に違反した結果、法益侵害があつた場合にはじめて、それらの行為が業務上過失犯の構成要件に該当し、違法性を帯び、それを前提として責任の有無が検討されなければならないのである。ところが、業務上過失犯に関する刑法の規定は、単に「業務上必要ナル注意ヲ怠リ因テ人ヲ死傷ニ致シタル者ハ」云々とだけ規定して、構成要件的行為は具体的には規定されるところがないので、裁判所としては、具体的場合に、何が構成要件的行為であるかを補充し確定しなければならないこととなる。そのことが、一般に過失犯は「開かれた」乃至は「補充を必要とする」構成要件であるといわれている所以である。ところで、業務上過失犯もまたそれが犯罪という違法行為である以上、先ず客観的注意義務(社会生活上必要な注意義務)に違反する行為でなければならないが、この客観的注意義務の内容は、一般通常人(ここに一般通常人というのは、一般的抽象的に通常の思慮分別をそなえた人という意味ではなく、当該の法益侵害の原因となる危険性をともなつた生活関係において一人前の能力者と認められる人――従つて、列車運転指令、駅長、機関士、機関助士、運転士、車掌、信号掛等の類型によつて、それぞれ異る――の意味であること、もとよりである。以下同じ。)が行為者のおかれたと同じ具体的事情のもとで結果を洞察し予見しえたこと(いわゆる客観的または一般的予見可能性)と、一般通常人が行為者のおかれたと同じ具体的事情のもとで結果を回避するために適切な行動をとりえたこと(いわゆる客観的または一般的結果回避の可能性)とを基礎として、個々の場合に具体的に確定されるべきものであり、それは究極的には条理、慣習に基礎づけられ、個々の成文規定はその具体化されたものとみるべきであるが、個々の具体的な場合には必ずしも成文規定のみに拘泥することなく、必要に応じ機宜の措置をとらなければならない場合のあることに留意しなければならない。

次に結果の予見可能性をどのような見地から規定するかというに、これには先ず、基礎となる事実関係をどのような範囲に限定するかという問題と、次に、その事実関係を基礎として予見可能性の有無を何人を標準として判断するかという問題とがあるが、当裁判所としては、前者については一般通常人ならば当然に知りえたものおよび行為者が特に知つていたものを基礎とし、後者については、その事情のもとにおいて一般通常人を標準とし、その予見しうる範囲に限定すべきものと考える(昭和四年(れ)第七一九号同年九月三日大審院判決参照)。このことは結果回避の可能性についても全く同様である。その場合事態を認識し洞察するに要する注意というのは、心理学的に事実や結果そのものを認識、予見しうるよう意識を緊張させておくというだけのものではなく、結果回避に必要な各種の措置についても適切にこれを行いうるよう意識を緊張させておかねばならないという意味を含むのであり、法益侵害を回避するために必要な用心深い人格態度を意味するのである。いいかえると、意識の集中緊張は常に現実的、顕在的な心理状態ではなく、決定的な瞬間において正常な反射的作用として実動化しうるようなものでなければならないし、またそれをもつて足りるのである。なぜなら、われわれの人格態度は、日常の注意深い運転等の業務や、慎重に習得した基本動作やさらには非常事故を想定した実設的な防護訓練などの行動に規整されつつ、その成果の集積によつて涵養され、育成されるものであるからである。次に、行為者の責任の有無の問題についても、結果の予見可能性および回避可能性を何人を標準として決定するかという問題があり、当該の具体的事情のもとにおける行為者の能力を標準とすべきか、または一般通常人を標準とすべきかの点が考えられるが、当裁判所はこの点については行為者の能力を標準とすべきものと考え、そのところから失神、睡眠による意識のとぎれ、事故直後の驚愕等による意識の迂回、意識水準の低下等については、証拠に基づき事実関係を慎重に検討し、謙虚に被告人、弁護人の主張に耳を傾け、採るべきはこれを採り、捨てるべきはこれを捨てたつもりである。たゞしかし、行為者を標準とするといつても純粋の個人が標準とされるわけではなく、行為者本人が属する類型人(本人の年令、職種、経歴等)が標準とされるわけで、その能力も全く主観的なものではなく、或る程度の類型性、客観性を具えているものであることに留意すべきである。例えば本人の年令、職種、経歴等はそれぞれ異り、行為者のおかれた具体的事情は千差万別であるから、同じく事態を洞察、予見し、結果を回避しうるにしても、予見能力、回避手段の点において、おのずから遅速の差異があることに注目しなければならない。後に説明する期待可能性の有無の判断基準も、右責任の有無の標準と全く同様であつて、これと表裏をなすものである(以下、前記客観的または一般的予見可能性を単に予見可能性といい、客観的または一般的結果回避の可能性を単に結果回避の可能性という。)。

二、およそ、一般公衆の生命、財産を安全に輸送すべき業務に従事する本件被告人ら国鉄職員にあつては、右の業務が、一面高度の危険性を内蔵する高速度交通機関の運行に関連するものであるだけに、一歩誤れば、一挙にして多数の人命、財産を奪う惨事を惹起する虞のあることにかんがみ、右業務を遂行するに当つては先ず第一に運転の安全を確保するとともに、事故を防止するため万全の注意を払うべきはもちろん、人命、財産の安全確保のため万全の措置を講ずべき職責を有するものである。国鉄においても「安全の確保に関する規程」のほか、「運転取扱心得」、「職別運転取扱心得」等において運転等の安全を確保するための一般的基準および事故を防止するための一応の措置方法を規制している。これら諸規定(本件事故当時のもの)のうち、本件に関係のある主なものを示せば次のとおりである。

(一) 運転関係従事員全般について

(1) 安全は輸送業務の最大の使命であつて(「安全の確保に関する規程」綱領第一号)、安全の確保のためには職責をこえて一致協力しなければならず(同規程綱領第四号)、疑わしいときは手落なく考えて最も安全と認められるみちを採らなければならない(同規程綱領第五号)。

(2) 従事員は、常に旅客、公衆及び貨物の安全のため、万全の注意を払わなければならない。

(3) 列車等の運行に危険のおそれがあるときは、従事員は一致協力して危険をさける手段をとらなければならず、万一正規の手配によつて危険をさけるいとまのないときは、最も安全と認められる処置をとらなければならず、直ちに列車等をとめるか、またはとめさせる手配をとることが多くの場合危険をさけるのに最もよい方法である(同規程第一七条)。

(4) 事故が発生したときは、従事員は、この状況を判断して、人命および財産に対して最も安全と認められる方法により敏速に応急処置をとるとともに、関係個所への報告および連絡等をしなければならず、この場合事故の現場にいあわせた従事員は職責のいかんを問わず全力をあげてこれに協力しなければならない(同規程第一八条)。

(5) 列車が故障等のため停車場間の途中に停止したとき、その前方もしくは後方から進行してくる列車を停止させるとき、または線路が故障等のため列車を運転することができないとき、進行してくる列車をその外方に停止させるために行う防護を列車防護といい(運転取扱心得第二条別表参照)、これに、正規の防護方法として、支障個所の外方二〇〇米以上を隔てた地点で停止手信号または発えん信号による停止信号を現示して、さらにその外方六〇〇米以上を隔てた地点に信号雷管を装置すべき第一種防護と、支障個所の外方一〇〇米以上を隔てた地点で停止手信号または発えん信号による停止信号を現示して、さらにその外方三〇〇米以上を隔てた地点に信号雷管を装置すべき第二種防護とがあるが、夜間は右の停止手信号は補充的なものとして、なるべく発えん信号による停止信号を現示しなければならず(運転取扱心得第五一八条)、また、運転取扱心得に定めていない異例の事態が発生したときは、その状況を判断したうえ、列車の運転に対して最も安全と認められる手段により機宜の処置をとらなければならない(運転取扱心得第五一五条)。

(二) 各職別の従事員について

(1) 機関士と機関助士は進路における信号を注視しなければならない。但し、ふん火作業に従事している機関助士は進路における信号機の現示する信号を確認しなければならない〔運転取扱心得第三四〇条、職別運転取扱心得機関士編(自動、非自動区間共通用)第一六一条、同機関助士編(前同)第六四条〕。

(2) 機関士と機関助士とが信号を確認したときは、相互にその現示状態を定められた用語で喚呼応答しなければならず、出発信号機については通過列車は喚呼位置標に達したとき確認および喚呼応答をしなければならず、また前途に支障のあることを発見したときは、発見したものがこれを喚呼して他の者がこれに応答しなければならない(運転取扱心得第三四三条、前掲職別運転取扱心得機関士編第一六二条、同機関助士編第六六条、機関車乗務員作業基準第一章第二節動力車乗務員信号喚呼方第二条、第四条)。

(3) 機関士は出発信号機等に対して約一〇〇米に接近したときは、その現示する信号を確認して短急汽笛一声を吹鳴しなければならない(前掲機関車乗務員作業基準第一章第三節機関車乗務員信号現示およびその他に対する喚呼応答方第二条)。

(4) 機関助士は信号機の信号現示により、列車を停止しなければならないとき、機関士がこれに対する手配をしないかまたはこれを誤るおそれのあることを認めた場合および前途の支障その他の事由により列車を急に停止しなければならないことを認めたのに、機関士がこれに対する処置をとらない場合は、直ちにその旨を機関士に警告しなければならない(運転取扱心得第三四一条、前掲職別運転取扱心得機関助士編第六五条)。

(5) 列車(電車)の脱線、転覆等のために隣接線路を支障したとき複線運転する線路である場合は、その線路に対し、機関士は直ちに機関助士に第一種防護を行わせた後(電車運転士は直ちに第一種防護を行つた後)、車掌と打合せをしてその後の防護者を定めなければならない〔運転取扱心得第五二六条、前掲職別運転取扱心得機関士編第二五一条、同電車運転士編(自動区間用)第一九七条〕。

(6) 車掌は列車運転中に事故が発生したときは、機関士または電車運転士と協力して列車の防護、救援その他の善後の手段を尽すとともに、旅客、荷物に対し臨機の処置を誤らないようにつとめなければならない(運輸従事員職制及び服務規程第二章第四節第四二条)。また事故で電車列車が停車場間の途中に停車した場合、旅客がドアコツクを取扱い降車したことを認めたときは、車掌は電車運転士と打合せのうえ、つとめて関係線路を運転する列車の停止手配を行わなければならない(東転保第五五号「事故で電車列車が途中に停車した場合の旅客の取扱方その他について」)。

(7) 信号掛または運転掛は列車または車両の進路に支障のあるときは、その区間を防護する信号機に進行を指示する信号を現示してはならず、駅長は右の場合、信号掛または運転掛を指揮監督して右信号機に進行を指示する信号を現示することがないようにしなければならない〔運転取扱心得第三七八条、職別運転取扱心得信号掛編(自動区間用)第七九条、運転掛編第七一条、運輸従事員職制及び服務規程第一章第一節第一条〕。

(8) 駅長は運転事故発生等の場合で平常の運転ができないと認めたときは、直ちに相手停車場の駅長に通知運転(自動区間においては到着線を含めた停車場間に一旅客列車に限り運転し、閉そくにより停車場間の途中に旅客列車を停止させないために行う運転方法をいう。)の実施を通告し、この旨列車指令に通告しなければならない〔東転保第八九号「通知運転の取扱について」〕。

(9) 駅長は停車場に近接した線路の故障により急に列車を停止させる必要の生じたときで、信号機により列車を停止させることのできないときは、列車の進行してくる方向に対して第一種防護の手配を行わなければならない〔運転取扱心得第五四二条、職別運転取扱心得駅長編(自動区間用)第一七六条〕。

(10) 前掲職別運転取扱心得機関士編第二四〇条、電車運転士編第一八八条、車掌編(自動、非自動区間共通用)第一九九条、駅長編第一六五条、信号掛編第一三〇条において、前記運転取扱心得第五一五条と同一内容を規定している。

右のほかにも各職別に従つて業務の遂行過程における安全の確保および事故の処置等につき種々具体的に規定されているが、これらの諸規定は通常の業務に際して遵守すべき普通の注意義務を示したものに過ぎず、既に前記一においても触れたとおり、異常の事態が発生した場合には、必ずしも規定のみに拘泥してはならず、運転従事員としての業務の性質上健全かつ合理的な社会通念の要求するところに従つて臨機、適宜の処置を講じ、全力をあげて旅客、公衆の生命、財産に対する危害の発生を防止すべき注意義務(その内容は具体的事情に応じて慣習、条理により具体的かつ類型的、客観的に定まるべきこと前記のとおり。)があることは当然の事柄に属するのである(以下、運転取扱心得を「運心」と、職別運転取扱心得を「職別運心」と各略称する。)。

本件被告人らについても、各関係部分がいずれも妥当することは、論をまたないところである。

第五節   被告人水上憲文および同安生磯の各職務、経歴等

一、被告人水上憲文は国鉄東京鉄道管理局田端機関区機関士として主に常磐線田端操車場、水戸駅間において蒸気機関車に乗務し、運転等の業務に従事していたものであつて、昭和一六年七月東京鉄道局試雇、田端機関区機関助士見習として採用され、昭和十九年一〇月同区機関士を命ぜられて以来同機関区機関士として約一七年六月余(本件事故当時、以下同じ。)の経験を有し、その間いわゆる責任事故〔国鉄において従来用いられている「責任事故」というのは、国鉄職員の作業行動において惹起された事故という程の広い意味であり、特定の職員に事故の責任があるとか、またはその責任が重いとか軽いとかを意味するものではない。証人鶴田正一(国鉄労働科学研究所労働心理研究室長――以下、関係人の下の括弧内の職業等は、すべて本件事故当時のものである。)の公判供述参照。以下同じ。〕をひき起したことのないもの

二、被告人安生磯は右機関区機関助士兼電気機関助士として主に常磐線田端操車場、水戸駅間において蒸気機関車に乗務し、ふん火および注油並びに機関士の職務補助等の業務に従事していたものであつて、昭和二九年一一月国鉄東京鉄道管理局大宮機関区試用庫内手として採用され、その後昭和三二年六月同機関区機関助士を命ぜられ、次いで昭和三四年四月よりは田端機関区機関助士となり、機関助士として約四年一〇月余の経験を有し、その間いわゆる責任事故をひき起したことのないもの

である。

第六節   罪となるべき事実――その一

一、被告人水上憲文および同安生磯の各遵守すべき業務上の注意義務とその懈怠

(一) 被告人水上憲文は昭和三七年五月三日前記第二八七下り貨物列車に機関士として乗務してこれを運転し、下り一番線を進行して午後九時三五分三〇秒頃三河島駅ホーム東端を通過し、下り一番線出発信号機2RB附近の分岐点から亘り線を経て下り本線に乗り入れようとした。およそ列車の運転の安全を確保すべき職責を有する機関士として同被告人は、進路における信号を注視し(運心第三四〇条等参照)、その現示に従つて運転すべきはもちろん、日頃の勤務から右分岐点においては下り本線の運行が優先とされていること、同所附近における地形、線路の敷設状況、特に軌道間隔の狭いことおよび右時間帯における下り本線の列車の運行間隔が接近していることなどについて熟知していたのであるから、同被告人にとつては、右出発信号機2RBの現示する停止信号を誤認して機関車を安全側線に突入させた場合には、同機関車が脱線して隣接する下り本線の運行列車に災害を及ぼす虞があるであろうことは、右状況のもとにおける同被告人の認識を基礎とし、一般通常の機関士を標準としてみて、当然予見可能の事柄に属するのである。従つて同被告人は各所定の位置においては、右信号機の現示する信号を確認し信号喚呼位置標附近に達したときは機関助士とともにその現示状態を喚呼応答し(運心第三四三条、動力車乗務員信号喚呼方第二条、第四条等参照)、さらに右信号機の手前約一〇〇米附近においては短急汽笛一声を吹鳴し(機関車乗務員信号現示およびその他に対する喚呼応答方第二条参照)、もし同信号機が停止信号を現示している場合は、その手前において停車しうるよう直ちに制動措置を講じ、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのである。しかるに同被告人は右注意義務を懈怠し、既に述べたとおり、当時同信号機が停止信号の「赤」色を現示しており、しかも三河島駅ホーム東端を過ぎた同信号機手前約三六二米の地点に達した後は、右信号機の現示状態を見通しえたし、同信号機の手前約二五八米の地点を過ぎた後は、その現示状態を真直ぐ明瞭に認識できた状況であつたのに、同被告人はその間同信号機の現示状態を注視しなかつたのみならず、同信号機の手前約三〇八米の地点に設置された前記信号喚呼位置標附近に達したとき、定められたとおり同信号機の現示状態を確認のうえ機関助士とともに喚呼応答することをせず、さらに同信号機の手前約一〇〇米附近に接近したときにも、定められたとおりその現示状態を確認のうえ短急汽笛一声を吹鳴することをもせず、いずれの場合にも、単に同信号機の方向を瞥見したのみで同信号機が進行信号の「緑」色を現示しているものと誤認したため、下り本線に乗り入れうるものと軽信し、そのまま運転を継続した。

(二) 被告人安生磯は右同日右第二八七列車に機関助士として乗務し、三河島駅ホーム東端のやや手前において前方約四百数十米の地点にある前記下り一番線出発信号機2RBが停止信号の「赤」色を現示しているのを認めたので、同信号機の現示状態を喚呼する意図で被告人水上に聞きとれない程度の声を出し、「駄目だ」と言つたが、そのまま、前記一、〇〇〇分の一二の上り勾配のため低下した機関車の缶圧力を上昇させるため、同駅ホーム東端附近からふん火作業を開始した。およそ機関士を補助し、列車の運転の安全を確保すべき職責を有する機関助士として被告人安生は、日頃の勤務から被告人水上と同様、前記分岐点においては下り本線の運行が優先とされていること、同所附近における地形、線路の敷設状況および当時下り本線の列車の運行間隔が接近していることなどについて熟知していたのであるから、もし機関士において右出発信号機2RBの現示する停止信号を誤認して機関車を安全側線に突入させた場合には、同機関車が脱線して隣接する下り本線の運行列車に災害を及ぼす虞があるであろうことは、被告人水上の場合と同様、一般に当然予見可能の事柄に属するのであり、特に、被告人安生は前記のとおり同信号機が停止信号を現示している状態を認識していたのであるから、たとえふん火作業中であつても、所定の前記信号喚呼位置標附近においては右作業を一旦中止して同信号機の現示する信号を確認し、機関士とともにその現示状態を「出発停止」等定められた用語をもつて喚呼応答する(運心第三四〇条、第三四三条、動力車乗務員信号喚呼方第二条、第四条等参照)ことにより、機関士をして適宜列車を停止させる措置をとらせ、さらに機関士がこれに対する手配をしないか、またはこれを誤る虞があるときは直ちに機関士に対しその旨を警告し(運心第三四一条等参照)、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのである。しかるに同被告人は右注意義務を懈怠し、前記のとおり同信号機の停止信号を現認して発した「駄目だ」という言葉を被告人水上においても了解し右停止信号を確認したものと速断し、その後は正規の喚呼応答をせず、被告人水上に停止措置をとらせることもせず、また警告を発することもしなかつたのみならず、却つて列車が加速進行している状況から、右信号機の現示が進行信号の「緑」色に変つたため被告人水上が運転を継続しているものと軽信し、依然ふん火作業に従事して列車を進行させるに委せた。

二、被告人水上憲文および同安生磯両名の各過失の競合による結果の発生

右被告人両名の前記各過失の競合により、午後九時三七分頃、被告人安生において前記出発信号機2RBの現示状態を確認するため、ふん火作業を中止しようとした瞬間、右列車を時速約二五粁乃至二七粁で前記三河島町三丁目二八三三番地先の安全側線に突入させ、被告人水上において機関車が前記砂利盛りを突破して車輪が砂利の上を走る音に気付き急遽非常制動を講じたものの及ばず、同機関車一両をして三河島駅ホーム東端より東方約四七五米の地点の隣接する下り本線側に脱線させ、よつて下り本線の列車の往来に危険を生じさせるとともに、おりから下り本線上を進行し来つて右地点直前において急制動のかけられた前記第二、一一七H下り六両編成電車を、右脱線した機関車に接触〔国鉄においては従前は「衝突」事故と区別して「接触」事故という事故種別があり、それは運転の途中の列車が同方向に進行する他の列車または車両と接触したものを意味するとされていたが、運転事故報告規程(昭和三三年三月一三日総裁達第一一三号)制定以後は、運転の途中の列車と他の列車または車両とが衝突したものを「衝突」事故として広く定義し、従前区別されていた「接触」事故もその中に含ませることになつた。従つて鉄道用語としては、いわゆる接触事故といつても、右の広い意味では衝突事故に入るのであつて、決して軽度の事故を意味するものではなく、国鉄においてはむしろ大きな事故として取扱われているのが通例である。証人吉原秀治(東鉄運転部保安課長)、同椎名和男および同鈴木策治(いずれも列車指令員)の各公判供述並びに前記運転事故報告規程第四条および押収にかかる運転事故発生時の処理方法の手引(昭和三七年押第一四七〇号の一二〇)参照、以下同じ。〕するに至らせ、さらに右電車の第一、第二車両を隣接する上り本線側に脱線させ、その衝撃またはこれに伴なう混乱等により、別紙(被害者関係)第一記載のとおり、同電車に乗車中の鈴木千代子ほか二四名に傷害を負わせるに至つたものである(以下、右接触事故を「第一事故」と略称する。)。

第七節   第一事故による第二、一一七H下り電車脱線の状況および現場附近における同電車の乗客等の状況

前記第一事故により第二、一一七H下り電車の第一両目は上り本線側に脱線し、同電車の台車は枕木、砂利をかみながら進行し、次いで第二両目の前部台車も脱線し、第一、第二車両とも約三〇度乃至四五度右傾したまま上り線内側のレール脇まで進行して停車し、三河島駅ホーム東端より東方約五〇六米の地点において上り本線を支障するに至つたが、その際同事故により第一両目のパンタグラフが切損したため、右パンタグラフを通して架線から供給をうけていた第一両目の前照灯および第一、第二車両の室内灯は消灯し、右各車両のほとんどの乗客は停車直後から相次いで進行方向右側の車窓や扉の硝子を破つて上り本線側に脱出し、第三両目以下の多数の乗客も停車後間もなくみずから車内の非常コツクを使用して扉を開きまたは被告人美才治車掌により開扉された扉から上り線路上に下車し、これらの乗客は第一、第二車両附近を中心として上り線路上または同線路脇に蝟集し、同所が高さ六米余の築堤上であるため去就に迷い、一部の乗客は上り線路脇を南千住駅または三河島駅ホーム方向に歩行し出し、さらに、現場に駆けつけた附近住民のうちには同線路脇の築堤に梯子を渡して乗客を誘導救助するもののほか、みずから上り線路上に出て救護に当るものもあるなどの状況となつたが、これによつても上り本線支障の状態となり、同所に上り列車が進入するときは、前記電車および上り線路上の多数の乗客等に激突させ、死傷者多数の大惨事となるであろうという極めて危険な状態を現出した。

第八節   本件事故当時の第二、〇〇〇H上り電車の組成、運行等の状況

一、昭和三七年五月三日当時の第二、〇〇〇H上り電車はダイヤ定時によれば、取手駅を午後八時五二分に発車し、途中、南柏駅を経て松戸駅を午後九時二二分、金町駅を午後九時二六分三〇秒、亀有駅を午後九時二九分三〇秒、綾瀬駅を午後九時三二分四〇秒、北千住駅を午後九時三六分、南千住駅を午後九時三八分五〇秒にそれぞれ発車し、その後、三河島駅、日暮里駅を経て終着上野駅に午後九時四八分三〇秒に到着する予定の電車である。

二、同年五月三日の同電車の編成は九両、その編成長は約一七五米、乗客定員は合計一、一六二名であり、同電車の編成順序および各車両別定員等は次のとおりである。(略)

三、同電車は前部六両をもつて基本編成とし、これに後部三両が附属していた。同電車の前照灯および制動装置は前記第二、一一七H下り電車と同じであり、右同日各車両はいずれも基準どおり保守整備されており異常はなかつた。

四、右同日、同電車には石井忠運転士が乗務し、取手駅を定時の午後八時五二分頃発車したが、途中南柏駅において準急列車四一四Dの通過待合せのため三分三〇秒停車予定のところ、右列車が遅延したため定時より約五分三〇秒遅れて午後九時一五分頃同駅を発車し、その後遅延時間を若干回復し、松戸駅には午後九時二六分一〇秒頃到着し、同駅において右石井運転士から高橋英治運転士(後記第二事故のため殉職、死亡)に乗務が引継がれ、定時より約四分三〇秒遅れて午後九時二六分三〇秒頃同駅を発車し、以下順次金町駅を午後九時三〇分過ぎ頃、亀有駅を午後九時三三分頃、綾瀬駅を午後九時三五分四〇秒頃、北千住駅を午後九時三八分過ぎ頃にそれぞれ発車し、次いで南千住駅を定時より約二分余遅れて午後九時四一分過ぎ頃発車し、三河島駅へ向つて上り本線上を進行したが、同駅発車当時、同電車の進路に当る南千住駅上り本線出発信号機3、隅田川駅上り本線場内信号機2A、南千住、三河島間の中間閉そく信号機上り1、三河島駅上り本線場内信号機7LAはいずれも進行信号の「緑」色を現示していた。

第九節   被告人芳賀幸雄、同美才治禎宏、同小泉義一、同大橋信および同糸賀宇佐美の各職務、経歴等

一、被告人芳賀幸雄は国鉄東京鉄道管理局松戸電車区電車運転士として、もつぱら常磐線上野駅、取手駅間において電車に乗務し、運転等の業務に従事していたものであつて、昭和二七年五月試用整備掛として国鉄に採用され、昭和二九年四月同電車区電車運転士を命ぜられて以来終始同電車区に勤務し、電車運転士として約八年余の経験を有し、その間いわゆる責任事故をひき起したことのないもの

二、被告人美才治禎宏は国鉄前記管理局上野車掌区車掌として主に常磐線上野駅、取手駅間の電車並びに同線上野駅、平駅間および東北線上野駅、日光駅間の列車に乗務し、旅客および荷物の輸送、列車内の秩序保持並びに列車の運転および制動機の取扱等の業務に従事していたものであつて、昭和二八年六月試用整備掛として国鉄に採用され、昭和三六年一月同管理局大宮車掌区車掌を命ぜられ、次いで同年七月よりは上野車掌区に勤務し、車掌として約一年三月余の経験を有し、その間いわゆる責任事故をひき起したことのないもの

三、被告人小泉義一は国鉄前記管理局三河島駅首席担当助役として駅長を補佐または代理し、所属駅員を指揮監督し、駅に属する一切の業務を処理すべき職責を有し、特に運転関係については常に当務駅長として駅長を代理し、事故発生の際は機に応じてみずから列車の停止手配、隣接駅に対する通知運転施行の通知等の措置をとりうる職務を担当するほか、運転掛として所属運転関係従事員に対する指揮監督、指導訓練等の職務を担当していたものであつて、昭和九年一二月鉄道職員となり各所に勤務したが、昭和三二年八月同管理局駒込駅助役を命ぜられ、その後大塚駅助役を経て昭和三五年二月より三河島駅助役となり、同駅助役として約二年二月余の経験を有し、その間いわゆる責任事故をひき起したことのないもの

四、被告人大橋信は国鉄前記管理局三河島駅信号掛兼運転掛として信号機、連動装置等の取扱等の業務に従事していたものであつて、昭和一三年七月鉄道職員となり、日暮里駅に勤務したのち昭和一九年九月三河島駅信号掛を命ぜられ、以後もつぱら同駅岩沼方信号扱所に勤務し、昭和三七年三月末日よりは同駅運転掛兼務となつたが、運転掛の業務を行つたことはなく、同岩沼方信号扱所信号掛として約一七年七月余の経験を有し、その間いわゆる責任事故をひき起したことのないもの

五、被告人糸賀宇佐美は国鉄前記管理局三河島駅信号掛として、被告人大橋と同様の業務に従事していたものであつて、昭和二三年五月鉄道職員となり、昭和三三年四月右管理局新鶴見操車場信号掛を命ぜられ、次いで昭和三五年四月よりは三河島駅信号掛となり、以後もつぱら同駅岩沼方信号扱所に勤務し、同駅信号掛として二年余の経験を有し、その間いわゆる責任事故をひき起したことのないもの

である。

第一〇節   罪となるべき事実――その二

一、第七節記載の危険状態の発生した状況のもとにおいて被告人水上憲文、同芳賀幸雄、同美才治禎宏、同小泉義一、同大橋信および同糸賀宇佐美の各遵守すべき業務上の注意義務とその懈怠

(一) 被告人水上憲文は第二八七下り貨物列車の機関車の前記脱線、停車の直後、同機関車の右側に轟音とともに異常な衝撃をうけ、同時に右衝撃により機関室の室内灯が消灯し、発電機止弁が根本から折れてその折損口から蒸気が激しく噴出する状態となつたので、咄嗟に、前記第二、一一七H下り電車が機関車の右側面に接触したことを察知した。その際右衝撃により同被告人は、右足首を制動管脚台と機関士用座席との間にはさまれたが、間もなく右足を抜いて機関室から脱出し、先きに第一事故直後同炭水車上に脱出していた被告人安生の安否を確かめるべく声をかけたところ、同被告人が両膝部を負傷して動けない状態にあることを知つたのである。かかる場合、およそ前記のごとき列車の運転に関する職責を有するとともに常磐線の運転につき多年の経験を有し、右第一事故現場附近の地形、上下本線の敷設状況、特に軌道間隔の狭いことなどにつき熟知している機関士として被告人水上は、前記接触の際の轟音、衝撃、室内灯の消灯、蒸気の噴出状況等を身をもつて体験し、或いは現認した以上、同被告人にとつて、右電車の接触車両が機関車にはじき出されて隣接する上り本線側に脱線し、上り本線を支障する虞が多分にあり、従つて同所に上り列車が進入するときは、同列車および第二、一一七H下り電車並びに右上、下両線の乗客等に重大な災害を及ぼす危険があるであろうことは右状況のもとにおける同被告人の体験と認識を基礎とし、一般通常の機関士を標準としてみて、当然予見可能の事柄に属するのである。加えて同被告人は経験上、右時間帯における同所附近の上り列車の運行間隔が接近していることを熟知していたのであるから、右乗客等の生命、財産の安全確保のため、右危険個所に進入する上り列車を阻止して併発事故を未然に防止することが何よりの急務であつたし、まして被告人安生が前記のとおり負傷のため動けない状態にあるのを知つていた以上、直ちに、併発事故防止のためみずから近傍の三河島駅岩沼方信号扱所に駆けつけ、信号掛に急報して上り列車を停止させるための適宜の措置をとらせるか、或いは上り列車のための防護の措置として第二、一一七H下り電車の車掌室に走り寄り、同室内に置かれた信号えん管に点火して同電車前頭部附近の上り本線上において発えん信号による停止信号を現示しながら前方に走行し、もつて上り列車を右危険個所に進入させないよう臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務があり、右の措置は、もし被告人水上にして、平素の業務を通じてかかる非常の際に即応する心の準備さえあれば、特に実設的な防護訓練をまつまでもなく、この決定的瞬間において即座にこれをなしえたはずであつて、しかも当時の状況上右注意義務の遵守によつて結果の回避は時間的にも行動的にも十分可能であつたのである〔後記第四章第三節「第二事故の発生を防止するための各被告人の注意義務遵守の可能性(結果回避の可能性)についての補足的説明」参照、以下同じ。〕。しかるに被告人水上は右注意義務を懈怠し、上り列車を阻止して併発事故を防止することに思い至らなかつたため、これらの臨機の措置をとらず、前記のとおり被告人安生に声をかけた後は、所属の田端機関区に対する単なる事故報告のため前記岩沼方信号扱所に赴く目的で機関車左側を前頭部に向つたが、通行不能と判断して引き返し、さらに機関室の通路から進行方向右側に降りたが前記電車の乗客の安否が気にかかつたので、直ちに同電車の第二車両に入り、次いで第三車両に入つて乗客に「怪我はないか」と声をかけて被害状況を確かめるなどして時間を費し、結局前記第二、〇〇〇H上り電車が右危険個所に進入するのを阻止しなかつた。

(二) 被告人芳賀幸雄は前記第三節の二の(四)記載のとおり同日国鉄上野駅から第二、一一七H下り電車に運転士として乗務し、三河島駅を出発して下り本線を進行し、午後九時三七分頃時速約六〇粁で同駅下り本線第二出発信号機2RAの手前約五〇米附近の地点にさしかかつた際、同信号機の約二〇米先の地点の軌条附近から突然火花が出て同信号機の信号現示が進行信号の「緑」色から停止信号の「赤」色に急変した(電気転てつ器5イが前記第二八七貨物列車の脱線により破壊された結果、起つたもの)のを認め、咄嗟に非常制動措置を講じて立ち上つたが、次の瞬間第二八七列車の機関車がおおいかぶさるように左側から迫つて来るのを認め、反射的にパンタグラフを下げるべくカノピースイツチに手をかけようとしたとき、同電車の第一車両左側前部が非常制動のかかつたまま機関車の右側面に接触し、その衝撃により同電車の第一、第二車両は前記第七節記載のとおり脱線、右傾し、同時に消灯してそのまま停車した。同被告人は右接触の際の衝撃により運転室内で転倒し、右肩および左側頭部を打つて一瞬失神状態となつたが、すぐ意識を取戻し、恐怖と驚愕のうちに運転台右側の扉を開いて上り本線側に脱出し、同所附近の上り本線上に立つて同電車第一車両の脱線、右傾の状況および上り線路上に既に十数人の乗客が下車して騒いでいる状況を少しの間目撃しているうち、同電車第一車両の最前部右側扉附近から女の悲鳴が聞えたので、直ちに右の扉に赴いて第一事故から一、二分後の遅くも午後九時三九分頃に山本晴子、上杉愛子、同淑子らの乗客に手を貸して次々に車外に降ろすなど、乗客の救出行為をしたが、このようなところからみると、その頃までには同被告人はほぼ通常の意識水準にまで回復していたものと認められる。かかる場合、列車の運転の安全を確保すべき職責を有するとともに、多数の乗客の生命等を託され、その安全確保のため万全の措置を講ずべき電車運転士として、被告人芳賀にとつては、前記のとおり接触車両の脱線、右傾の状況および上り本線の線路上に下車した乗客の動静を目撃した以上、遅くもほぼ通常の意識水準にまで回復した前記救出行為をした段階においては、右危険個所に上り列車が進入するときは、同列車および第二、一一七H下り電車並びに右上、下両線の乗客等に重大な災害を及ぼす危険があることは被告人水上の場合と同様、一般に当然予見可能の事柄に属するのである。加えて被告人芳賀は経験上、右時間帯における同所附近の上り列車の運行間隔が接近していることを熟知していたのであるから、右危険個所に進入する上り列車を阻止して併発事故を未然に防止することが何よりの急務であり、従つて同被告人としては、前記救出行為後即座に、みずから上り列車のための防護の措置として、第二、一一七H下り電車の運転室に引き返し、同室内に置かれた信号えん管に点火して同電車前頭部附近の上り本線上において発えん信号による停止信号を現示しながら前方に走行し、或いは前記岩沼方信号扱所に駈けつけ信号掛に急報して上り列車を停止させるための適宜の措置をとらせ、もつて上り列車を右危険個所に進入させないよう臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務があり、右は被告人水上の場合と同様、特に実設的な防護訓練をまつまでもないことであつて、しかも当時の状況上右注意義務の遵守によつて結果の回避は十分可能であつたのである。しかるに被告人芳賀は右注意義務を懈怠し、上り列車を阻止して併発事故を防止することに思い至らなかつたため、これらの臨機の措置をとらず、前記のとおり第一車両最前部右側扉から乗客を助け降ろした後、右扉から車内に入り、第二車両の方向に歩き、同車両内においても乗客を車外に助け降ろし、引続き車内を歩いて同車両後部に到り、最後部右側扉から下車して第三車両最前部右側扉から同車内に入り、乗客に「怪我はないか」と声をかけて被害状況を確かめ、さらに後部に向けて車内を歩行するなどして時間を費し、結局前記第二、〇〇〇H上り電車が右危険個所に進入するのを阻止しなかつた。

(三) 被告人美才治禎宏は前記第三節の二の(四)記載のとおり、同日第二、一一七H下り電車最後尾の車掌室に車掌として乗務し、同電車が三河島駅を発車してその後尾が時速約六〇粁で同駅岩沼方信号扱所先の日織戸架道橋を通過した頃の午後九時三七分頃、突然非常制動がかかり、続いて火花を伴なう大きな爆発音を聞くと同時に身体がはね上がり、さらに前後に二往復動揺する程度の衝撃をうけ、同被告人はパンタグラフが外れた事故による急停車と直感して反射的に後尾前照灯を点灯し、車掌室の左右の窓から前方を眺めたが、事故の内容を確認できなかつたので、運転士からその内容を聞くべく連絡用ブザーを押したが応答がなく、次いで同駅駅員に非常事故を知らせるため汽笛を三声吹鳴したうえ、事故状況確認のため合図灯を手にして車掌室左側扉から降りて前方に走行したところ、第五車両の中間附近に到つて前方に第二八七下り貨物列車の機関車が下り本線側にかぶさるように脱線し、激しく蒸気と黒煙を吹き出しており、同電車の第一、第二車両が消灯している状況を目撃し、そこで同電車が右機関車に接触して停車したことを察知した。かかる場合、列車の運転の安全を確保すべき職責を有するとともに、多数の乗客の生命等を託され、その安全確保のため万全の措置を講ずべき車掌として同被告人は、第一事故現場附近の地形、上下本線の敷設状況、特に軌道間隔の狭いことなどにつき熟知していたのであるから、前記のごとき火花と爆発音を伴なう強い衝撃を身をもつて体験し、急制動の際の右電車の速度、前記機関車の脱線状況等を認識或いは目撃し、さらに同機関車と同電車との接触事故を察知した以上、同被告人にとつて、同電車の接触車両が同機関車にはじき出されて隣接する上り本線側に脱線し、上り本線を支障する虞が多分にあり、従つて同所に上り列車が進入するときは、同列車および第二、一一七H下り電車並びに右上、下両線の乗客等に重大な災害を及ぼす危険があるであろうことは被告人水上らの場合と同様、一般に当然予見可能の事柄に属するのである。加えて被告人美才治は経験上、右時間帯における同所附近の上り列車の運行間隔が接近していることを熟知していたのであるから、右危険個所に進入する上り列車を阻止して併発事故を未然に防止することが何よりの急務であり、従つて同被告人としては即座に、みずから上り列車のための防護の措置として、右電車の車掌室に引き返したうえ、同室内に置かれた信号えん管に点火して同電車前頭部附近の上り本線上において発えん信号による停止信号を現示するか、または自己の携帯している合図灯を赤色とし臨時手信号による停止信号を現示しながら前方に走行し、或いは前記岩沼方信号扱所に駆けつけ信号掛に急報して上り列車を停止させるための適宜の措置をとらせ、もつて上り列車を右危険個所に進入させないよう臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務があり、右は被告人水上らの場合と同様、特に実設的な防護訓練をまつまでもないことであつて、しかも当時の状況上右注意義務の遵守によつて結果の回避は十分可能であつたのである。しかるに被告人美才治は右注意義務を懈怠し、上り列車を阻止して併発事故を防止することに思い至らなかつたため、これらの臨機の措置をとらず、前記機関車、電車の目撃または察知した状況から事故が相当重大であり、従つて右電車の乗客が騒いで混乱を生ずるのではないかをおそれ、乗客を降ろして避難させるため直ちに車掌室に引き返し、車掌スイツチを扱つて、先ず貨物列車が停車していて安全と判断した左側扉を開いた後、乗客に対し安全な場所に避難するよう連呼しながら再び同電車の左側を前方に走行したが、なおも事故状況確認のため第三車両の中間附近の床下をくぐつて上り本線側に出たところ、前記第七節記載のような危険状態を確認したものの、早計にも同電車の接触車両による上り本線支障の状況から、同線の信号回路が短絡され、右支障個所を含む閉そく区間の信号機が自動的に停止信号を現示し、従つて上り列車が右危険個所に進入して来ないものと速断したため、上り本線側も安全と判断し、一旦やや前方に走行したのち、右側扉も開くべく後方に引き返したが、その間勝手に扉を開けて上り本線側に飛び降りる乗客に対し前同様連呼しながら車掌室に戻り車掌スイツチを扱つて右側扉も開くなどして時間を費し、結局前記第二、〇〇〇H上り電車が右危険個所に進入するのを阻止しなかつた。

(四) 被告人小泉義一は同日午前八時三〇分から三河島駅当務駅長なる助役として同駅ホーム事務室において二四時間勤務についていたところ、駅長帰宅後の午後九時三八分頃前記岩沼方信号扱所勤務の被告人大橋信から構内電話がかかり、大声かつあわてた口調で、「助役さん大変だ。下りの二八七貨物列車が信号冒進して砂利盛りへ乗り上げ、その列車に下り電車がぶつついたらしい。」旨の第一事故の緊急報告を受け、とるべき措置につき指示を求められたことにより、日頃の構内巡回で安全側線附近の地形に明るい被告人小泉は、咄嗟に、第二八七下り貨物列車が前記下り一番線出発信号機2RBの停止信号を冒進して安全側線に突入し、砂利盛りに乗り上げて下り本線側に脱線し、右列車に下り電車が接触したことを察知したのである。かかる場合、列車の運転の安全を確保すべき職責を有するとともに、多数の乗客の生命等の安全確保のため万全の措置を講ずべき当務駅長なる助役として、特に機に応じてみずから列車の停止手配、通知運転の施行等の措置をとりうる立場にあり、また現場最高責任者として構内の非常事故の際所属駅員に対し、手落ちなく状況を判断して的確な指示を与えるべき立場にある被告人小泉は、日頃の勤務上、右砂利盛り附近の施設の状況、特に上、下両本線の軌道間隔の狭いことおよび同所附近における下り電車の速度等につき熟知していたのであるから、被告人大橋の右報告内容からは、接触の程度、内容は明確でなかつたとはいえ、手落ちなく状況を判断すれば、右下り電車の接触車両がその際の衝撃により右貨物列車にはじき出されて隣接する上り本線側に脱線し、上り本線を支障するごとき最悪の事態を招来することも一般に予想するに難くないところであり、加えて同被告人は職務上、右時間帯における上り列車の運行間隔が接近していることを熟知していたのであるから、事故の内容を明確に認識できない同被告人にとつては、現場確認に努めることはその立場上一応妥当であるとしても、もし確認に慎重を期するの余り時期を失するにおいては、上り列車の進入により同列車および右下り電車並びに右上、下両線の乗客等に重大な災害を及ぼす危険があるかもしれないことを慎重に考慮し、「安全サイド」の見地から、かかる最悪の事態のありうべきことを予想し、これに備えて、一面において現場確認を急がせるとともに、他面においては、即座に被告人大橋に対し、隣接の隅田川駅三ノ輪信号扱所勤務の信号掛に電話連絡をとらせて同駅上り本線場内信号機2Aに停止信号を現示させるか、或いはみずから隣接する南千住駅に右接触事故を急報し、または少なくとも通知運転の実施を通告して、右危険個所に進入して来る列車に危険を告知し、これを停止させるための臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務があり、しかも当時の状況上右注意義務の遵守によつて結果の回避は十分可能であつたのである。しかるに被告人小泉は右注意義務を懈怠し、状況判断に慎重な考慮を欠いたため前記最悪の事態のありうべきことに思い至らず、被告人大橋の前記報告に対し、単に公眠中の被告人糸賀宇佐美を起して右事故の内容等を確認のうえ至急報告すべき旨指示したのみで、上り列車を停止させるための適切な指示を与えなかつたのみならず、南千住駅に対し接触事故の急報乃至通知運転実施の通告をもせず、おりから同駅ホーム事務室に居合せた同駅信号掛兼予備助役滝沢三郎に対し、被告人大橋からの前記報告内容の概要を伝えるとともに、右事故の状況を確認報告するよう指示した後、右接触事故により下り電車の乗客に負傷者がでたかもしれないと判断してその救護に備え、同駅改札事務室の職員大槻五郎に電話して休憩中の職員全員のホームへの集合伝達方を命じ、次いで午後九時四〇分過ぎ頃国鉄東京鉄道管理局運転部列車課常磐線列車指令員(正式には運転指令員というが、前掲東転保第八九号「通知運転の取扱について」等においては列車指令員となつているので、便宜上、列車指令員という。以下同じ。)椎名和男に対し、「二八七下り列車が砂利盛り線に乗り上げ、それに一七H下り電車が接触したらしい。」旨の事故報告をするとともに、同指令員の問いに応じ、右列車は脱線しているらしい旨および右下り電車は脱線しているか否か不明の旨返答し、次いで同管理局上野駐在運輸長付の村田静二にも同様の報告をする目的で同人方自宅に電話をかけたが相手方が出ないので連絡を断念し、次いで事故状況を確かめるため被告人大橋に電話をかけ(結局、最初の報告以上の状況はわからなかつた。)、その頃同駅日暮里道踏切詰所にも救護要員の余裕があると思い付き、構内電話で一斉伝達の方式により同詰所の職員竹花洋に対し休憩者のホームへの集合を命ずるなどして、状況確認に慎重を期し過ぎたほか、負傷者救護の手配、上司に対する報告等に専念したためとで時間を費し、結局前記第二、〇〇〇H上り電車が右危険個所に進入するのを阻止しなかつた。

(五) 被告人大橋信は同日午前八時三〇分から三河島駅岩沼方信号扱所において被告人糸賀とともに信号掛として二四時間勤務についたが、同被告人が午後九時二〇分頃から四時間の公眠時間に入り同信号扱所内の休憩室で就寝したので、その後は単独で勤務していた。午後九時三三分頃被告人大橋は日暮里方信号扱所からの電話連絡により、前記第二八七下り貨物列車が定時の午後九時三二分に田端操車場を発車したことを知つたが、その頃、三河島駅発定時九時三二分三〇秒の前記第二、一一七H下り電車が先行の第四四五下り列車の約四分遅れの影響を受けて午後九時三六分頃三河島駅に到着するものと予想し、第二八七下り貨物列車の同駅通過と第二、一一七H下り電車の同駅発車は相前後するものと判断していた。当時下り一番線は転てつ器5ロが安全側線の方向に開通し、従つて同線出発信号機2RBが停止信号の「赤」色を現示しており、下り本線は転てつ器5イが本線の方向に開通し、従つて同線第二出発信号機2RAが進行信号の「緑」色を現示していたので、同被告人としては、当然右貨物列車が出発信号機2RBの手前で停車するものと考え、右電車が第二出発信号機2RA前を通過して次の閉そく区間に進入して後、右出発信号機2RBの現示を梃子操作により進行信号に変更したうえ同貨物列車を亘り線を経て下り本線に乗り入れさせる考えであつた。そこで被告人大橋は三河島駅ホーム方向を監視していたところ、間もなく同貨物列車の前頭部が同信号扱所前を通過し、その頃になつても減速、制動の様子がなかつたため多少異常感を抱いたが、同列車が右出発信号機2RBの直前において急停車するものと考え引続き監視していた。ところが同貨物列車の十数両目が同信号扱所前を通過した頃、同電車の前頭部も同信号扱所前を通過し、ともに加速して並進する状態となつたので、同被告人は多少不安の念をいだきつつも、なお同貨物列車が急停車するものと信じていたところ、間もなく午後九時三七分頃前記信号機2RA、同2RBの先きの方向で突然大きな接触音が聞えたため、同被告人は驚いて直ちに同信号扱所内の南千住寄りの窓際に近ずき硝子越しに南千住方面を眺めたところ、右列車および電車がともに停車している状況が見え、さらに右電車の後部の方が少し前のめりになつて右傾しているように感じられたので、右列車および電車の前記のごとき運行状況、接触音、転てつ器の開通状況および信号機の現示状況等から右列車が前記信号機2RBの停止信号を冒進し砂利盛りに突入して下り本線側に脱線し、これに右電車が接触したことを察知するとともに、右接触の衝撃により右電車が上り本線側に脱線しているのではないかとの強い疑念をいだくに至つた。かかる場合列車の運転の安全を確保すべき職責を有するとともに、多数の乗客の生命等の安全確保のため万全の措置を講ずべき信号掛として、被告人大橋にとつては、右のごとき強い疑念をいだいた以上、右電車の脱線により上り本線を支障する虞が多分にあり、従つて同所に上り列車が進入するときは、同列車および第二、一一七H下り電車並びに右上、下両線の乗客等に重大な災害を及ぼす危険があるであろうことは一般に当然予見可能な事柄に属するのである。加えて同被告人は経験上、右時間帯における同所附近の上り列車の運行間隔が接近していることを熟知していたのであるから、右危険個所に進入する上り列車を阻止して併発事故を未然に防止することが何よりの急務であり、従つて同被告人としては直ちに就眠中の被告人糸賀を起し、同被告人と協力してすみやかに隣接の隅田川駅三ノ輪信号扱所に急報して同信号扱所信号掛に上り列車を停止させるための適宜の措置をとらせ、または上り列車のための防護の措置として三河島駅上り本線場内信号機7LAに停止信号を現示するとともに、上り本線上に出て岩沼方信号扱所備え付けの信号えん管に点火し、事故現場附近で発えん信号による停止信号を現示し、または合図灯を赤色灯として臨時手信号による停止信号を現示しながら前方に走行し、もつて上り列車を右危険個所に進入させないよう臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務があり、右は被告人水上らの場合と同様、特に実設的な防護訓練をまつまでもないことであつて、しかも当時の状況上右注意義務の遵守によつて結果の回避は十分可能であつたのである。しかるに被告人大橋は右注意義務を懈怠し、上り列車の阻止に思い至らなかつたため、前項記載のとおり、午後九時三八分頃、被告人小泉に対し電話をもつて第一事故の緊急報告をなし、その指示に基づき同三九分頃、就眠していた被告人糸賀を起し、同人に対し被告人小泉に報告したと同趣旨の事故概要を伝えるとともに事故現場の確認を依頼したのみで何等上り列車を停止させるための臨機の措置をとらず、同信号扱所内の電熱器のスイツチを点検するなどして時間を費していた。たまたま午後九時四〇分頃前記三ノ輪信号扱所に勤務中の隅田川駅運転掛被告人井上由太郎から、直通電話により遅延している第二、一一七H下り電車の運行状況の問合せがあつた際、手近にいた被告人糸賀がこれに応答したが、その終了直後被告人大橋は同糸賀から、「三ノ輪から上り電車のあと、一、四八七貨物列車をよこすといつたので押えた。」旨の報告を受け、次いでかかつてきた被告人小泉からの問合せの電話に対し(前項参照)、まだ様子がよくわからない旨の応答をしたが、その頃被告人糸賀の右報告内容からようやく前記危険状態発生の虞を察知するとともに上り列車の進入を阻止する緊急の必要があることに気付き、午後九時四二分過ぎ頃三ノ輪信号扱所に電話をかけ、上り線支障の旨並びに上り電車停止手配の依頼をしたものの、そのときは既に第二、〇〇〇H上り電車の前頭部が隅田川駅上り本線場内信号機2Aを通過後で、右信号扱所前を進行中であり、同信号扱所の信号掛としては、右信号機2Aに停止信号を現示することにより右電車の進行を阻止することが不可能な状態であつたため間に合わず、結局被告人大橋は、右上り電車が前記危険個所に進入するのを阻止しなかつた。

(六) 被告人糸賀宇佐美は同日午前八時三〇分から三河島駅岩沼方信号扱所において被告人とともに信号掛として二四時間勤務についたが、午後九時二〇分頃から四時間の公眠時間に入つたので同信号扱所内の休憩室で就眠中、前項記載のとおり、午後九時三九分頃突然同被告人に起され、下着姿のまま右休憩室から出たところ、同室入口附近において同被告人から「貨物の機関士が信号冒進してストツプを抜き、それに下り電車が接触したらしい。」旨告げられるとともに、直ちに現場確認に赴くよう依頼された。被告人糸賀は、寝起きの直後であつたため、寸時に平常の判断能力を回復しえない状態にあつたが、その場で硝子窓越しに南千住方向を眺めたところ、貨物列車および下り電車がともに停車しており、さらに右電車の後尾の前照灯が点灯している状況を目撃して判断力の回復とともに、右事故により電車の車掌が後方防護をしているものと察知したが、それ以上の状況は目撃乃至察知できなかつた。しかし被告人糸賀としては、たとえ公眠時間中であつても非常事故のため起された場合、ほぼ通常の判断力にまで回復した後は、勤務時間中の被告人大橋と協力して該事故に対処すべく万全の措置を講ずべき義務のあることはもとより当然である。しかるところ、被告人糸賀は現場確認に赴くためワイシヤツ、ズボンを身につけ仕度をととのえていた際、たまたま午後九時四〇分頃隅田川駅三ノ輪信号扱所勤務の被告人井上から直通電話がかかり、みずから受話器をとると、「下りはどうした。」(第二、一一七H下り電車を意味する。)旨の遅延理由の問合せであつたので、被告人大橋から告げられた右接触事故の概要をそのまま伝え、下り電車遅延の理由を説明したが、続いて被告人井上から「電車のあと、一、四八七を出す。」(第二、〇〇〇H上り電車および第一、四八七貨物列車をそれぞれ意味する。)旨の通告に接するや、咄嗟に、被告人大橋から報告された事故内容、みずからの目撃状況等により、右接触事故のため右下り電車が上り本線を支障しているのではないかとの漠然たる不安の念から、少なくとも現場を確認するまでの間上り列車を事故現場に進入させることは危険ではないかと判断したのである。かかる場合、列車の運行の安全を確保すべき職責を有するとともに、多数の乗客の生命等の安全確保のため万全の措置を講ずべき信号掛として被告人糸賀は、右のごとき不安の念をいだき、危険を予測した以上、被告人井上の前記通告に対しては上り線の全列車を停止させるよう確実な連絡をなし、もつて併発事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があり、なお、もし右連絡を誤つた場合にも、被告人大橋と協力して折り返し三ノ輪信号扱所に電話連絡して上り列車を停止させるための適宜の措置をとらせ、もつて上り列車を右危険個所に進入させないよう臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務があり、しかも当時の状況上右注意義務の遵守によつて結果の回避は十分可能であつたのである。しかるに被告人糸賀は、同大橋の前記依頼による現場確認のみ気を奪われて、右いずれの注意義務をも懈怠し、被告人井上の前記通告に対しては、単に「ちよつと待つて。」という極めて不正確な表現で応答したのみで電話を切り、上り線の全列車を停止させるべき確実な連絡をしなかつたのみならず、右電話終了後も、前項記載のとおり、被告人大橋に対し、被告人井上との通話の結果を報告したのみで、引続き上衣、靴、帽子、手袋等の身仕度および合図灯の点検等に手間どつて時間を費し、結局第二、〇〇〇H上り電車が前記危険個所に進入するのを阻止しなかつた。

二、被告人水上憲文、同芳賀幸雄、同美才治禎宏、同小泉義一、同大橋信および同糸賀宇佐美らの過失の競合による結果の発生

以上被告人水上、同芳賀、同美才治、同小泉、同大橋および同糸賀らの右各業務上の過失が競合し、さらには前記列車指令員椎名和男(東京鉄道管理局長の名において常磐線関係の列車運行の全般を掌握し、列車の停止手配、通知運転等の運転整理の業務に従事するもの)の業務上の過失、即ち同指令員において、前記のとおり、同日午後九時四〇分過ぎ頃被告人小泉から第一事故の報告をうけた際、その報告内容およびみずから認識のある事故現場の地形状況等を手落ちなく考え、判断すれば、上り本線支障の虞がある事態を間もなく予測しえたはずであつて、遅くも午後九時四一分五〇秒頃までに上り列車一斉停止の指令を発すれば併発事故の発生を防止しえたにもかかわらず、その手順、方法を誤り、第一事故により後続の下り電車が停車場間に停車することを危惧して、先ず日暮里駅に対し第二、一一五H下り電車の停止手配を指示し、次いで上野駅高架信号扱所に対し、第二、一一九H下り電車の停止手配を指示するなどして時間を費し、午後九時四二分頃に至つてやつとみずからも上り線支障の虞があることに気付き、第一事故の概況の説明に続いて単なる上り線通知運転の一斉指令を発したが、時既に遅く、結局第二、〇〇〇H上り電車を前記危険個所に進入させるに至つた業務上の過失(なお、同指令員の業務上の過失については後記第四章第四節参照)がこれに競合したという特殊事情も加わつて、午後九時四三分過ぎ頃、おりから定時より約二分余遅れ、進行信号に従つて前記第一事故現場に進行して来た第二、〇〇〇H上り電車を、前記第七節記載のごとく脱線停止中の第二、一一七H下り電車並びに上り線路上およびその附近に蝟集していた多数の乗客等に時速約七五粁で激突させ、第二、〇〇〇H上り電車の前部四両を脱線大破させ、そのうち第二、第三車両を築堤の南側下に転覆させ、第二、一一七H下り電車の第一、第二車両を大破させるとともに、その際の衝撃等により別紙(被害者関係)第二の一記載のとおり、杉田芳子ほか一三四名をその頃右両電車内およびその附近において死亡させ、別紙(被害者関係)第二の二記載のとおり、池田昭一ほか二四名を負傷後高橋病院等において死亡させ、別紙(被害者関係)第三記載のとおり、矢口仁ほか三五七名に右両電車内およびその附近において傷害を負わせるに至つたものである(以下、右事故を「第二事故」と略称する。)。

第二章   証拠の標目

一、当裁判所の依拠する業務上過失犯の法律的構成については、先きに触れたところであり、当裁判所としては当該運転従事員のおかれた具体的状況の下において、人間の注意能力の限界を超えて過失責任の範囲を不当に拡大することのないように留意し、個々の証拠を検討するにあたつて特に慎重を期したつもりである。殊に各被告人の捜査段階における供述調書や、本件事故に直接、間接に密接な関係をもつ証人らの証言の信用性を判断するにあたつては、それが捜査のいかなる段階において作成された供述調書であるか、その問答の形式や内容の当否、さらには或る供述調書に挿入、削除されている字句の末に至るまで細心に注意し、また、捜査が進展、推移するにつれて明らかになつた客観的事実であつても、事故当時当該被疑者(被告人)にとつては、到底わからなかつたはずの供述が、検察官の理詰めの質問によつて附加されたと考えざるをえない供述部分が散見され、これらは到底信用できないものとした。当公判廷における証人の証言にもそのような部分があるのも同様である。また、審理の最終段階において行われた被告人らの公判供述の中には、日時の経過による記憶のうすれや審理の過程に現れたもろもろの証拠や弁護人の主張等に影響され、意識、無意識の間に、却つて事故の真相に遠いと思われる供述や弁解が加わつていること、殊に過失犯の特殊性から、被告人らとしては自己に有利であると考えて供述するところが、誇張に過ぎ不自然であつて却つて不利益となるような場合もあつて、それらを斟酌し、取捨選択してどのように評価するのが相当であるかという点は、当裁判所として最も苦心したところである。一般的にいつて、被告人らの捜査段階および公判段階における供述には、虚偽と真実とが交錯していて、その中から真実と思われる部分を抽出する作業は並々ならぬものがあつたことを指摘せざるをえない。従つて挙示の証拠中判示認定に副わない供述部分はこれを信用しない趣旨であり、このことは、後述する検察官、弁護人の主張に対する判断部分や無罪の理由について説示する場合においても、特に証拠を挙げて説示したもの以外についても、全く同様であることを予め断つておかなければならない。

二、(略)

第三章  法令の適用

一、被告人らの判示所為中、被告人水上憲文、同安生磯の判示第一事故による業務上過失往来妨害の点はいずれも刑法第一二九条第二項、第一項前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、業務上過失致傷の点はいずれも刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に各該当するが、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条を適用して、いずれも一罪として犯情の最も重いと認める木村美恵子に対する業務上過失致傷罪の刑に従い、所定刑中禁錮刑を各選択し、被告人水上、同芳賀幸雄、同美才治禎宏、同小泉義一、同大橋信および同糸賀宇佐美の判示第二事故による業務上過失往来妨害の点はいずれも刑法第一二九条第二項、第一項後段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、業務上過失致死傷の点はいずれも刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に各該当するが、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条を適用して、いずれも一罪として犯情の最も重いと認める杉田芳子に対する業務上過失致死罪の刑に従い、所定刑中禁錮刑を各選択し、被告人水上については、以上は同法第四五条前段の併合罪(後記二参照)であるから、同法第四七条本文、第一〇条により犯情の重い杉田芳子に対する業務上過失致死罪の刑につき法定の加重をなし、以上各刑期範囲内において、被告人水上を禁錮三年に、被告人大橋を禁錮二年に、被告人芳賀および同美才治をそれぞれ禁錮一年六月に、被告人安生を禁錮一年二月に、被告人小泉を禁錮一年に、被告人糸賀を禁錮八月に各処するが、右のうち被告人小泉および同糸賀に対しては情状(後記第六章の一の末尾参照)を考慮してそれぞれ同法第二五条第一項を適用し、本裁判確定の日から被告人小泉に対しては三年間、同糸賀に対しては二年間右各刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文第三項掲記のとおり、右被告人らにそれぞれ負担させることとする。

二、検察官は、第一事故による業務上過失往来妨害罪と第二事故による同罪(顛覆等による)との関係につき、本位的訴因として、被告人水上および同安生が第一事故により往来危険の状態を現出させた以上、第二事故の発生に至るべきことは予見可能な事柄であり、また第二事故は、第一事故がなければ発生しなかつたことも明らかなところであり、まして第二事故発生までに通常予想される時隔内で上り電車の進行が考えられる以上、第一事故に対する過失は第二事故に対しても因果関係があるなどの理由を挙げて、両罪は包括的一罪の関係にあるとの見解を主張した(従つて公訴事実においても、第一事故の事実摘示に際し、第二、一一七H下り電車の第一、第二車両を隣接する上り本線側に脱線させ、もつて往来の危険を生じさせたと主張し、上り本線に対する往来妨害の点まで起訴した。)が、公判の最終段階近くにおいて、訴因を予備的に変更し、前記両罪は併合罪の関係にあると主張するとともに、被告人安生に対しても、第二事故に関する訴因を予備的に撤回し、第一事故についてのみ罪責を問うているのである。

当裁判所は、第一事故による業務上過失往来妨害罪と第二事故による同罪とは併合罪の関係にあるとの見解をとり、判示のとおり、検察官の予備的変更にかかる訴因を認定したのである。けだし、判示認定のとおり、第一事故と第二事故との間には六分余の余裕時分があるのみならず、第一事故における過失は信号注視義務等の懈怠、第二事故における過失は列車防護義務等の懈怠であつて、両者は構成要件において異るものであり、しかも同認定のとおり、第一事故発生前における被告人水上および同安生にとつての予見可能性は下り本線の運行列車に災害を及ぼす範囲に限られ、上り本線の支障までは予見不可能であつたと解するのを相当と認めるので、第一事故に対する過失は第二事故の結果発生と法律上の因果関係がないというべきであり、右因果関係の存在を前提とする本位的訴因は採用しえないからである。従つて判示第一事故の事実認定に際しても、業務上過失往来妨害罪については上り本線支障の点を除外し、また、第一事故直後負傷のため身動きのできなかつた被告人安生に対しても、第一事故についてのみ業務上過失往来妨害罪および致傷罪を認定した次第である。

第四章   事実認定上の主な問題点

第一節  第一事故発生の時刻

一、検察官側の主張

検察官は第一事故は当日午後九時三五分五四秒に発生したと主張し、右に関連して第二、一一七H下り電車の運行状況につき、同電車は上野駅を午後九時二八分乃至二八分三〇秒頃発車したが、途中日暮里駅第二場内信号機の手前で、先行の第四四五列車が日暮里駅に停車していた関係上同信号機が停止信号を現示していたため一旦機外停車し、同列車が午後九時三一分に同駅を発車して、間もなく同駅常磐出発信号機を同列車の後尾が通過し、前記第二場内信号機が注意信号に転換したので、右電車は再び発進し、同駅に到着して所定の客扱をしたのち午後九時三二分三〇秒頃同駅を発車し、日暮里、三河島間を所定運転時分の二分で運行し、午後九時三四分三〇秒頃三河島駅に到着し、客扱をしたのち午後九時三五分一〇秒頃同駅を発車したものとし、第二八七下り貨物列車の運行状況については、田端操車場を定時の午後九時三二分頃発車し、ダイヤ定時によれば三河島下り一番線出発信号機2RBまで五分運転のところ、通常より相当早い速度で進行したと主張する。(後記当裁判所の認定のとおり、第二八七列車が右下り一番線出発信号機2RBを通過後第一事故発生まで約一八秒余を要するとすれば、同列車の同信号機通過時刻は定時より約一分二四秒早い午後九時三五分三六秒頃との主張となる。)。

二、弁護人側の主張

一方被告人糸賀宇佐美を除くその余の被告人の各弁護人は、第一事故は当日午後九時三七分四〇秒頃に発生したと主張し、右に関連して第二、一一七H下り電車の運行状況につき、同電車は上野駅を午後九時二八分三〇秒頃発車したが、検察官の前記主張と同様の理由で途中日暮里駅第二場内信号機の約五〇米手前で一旦機外停車し、先行の第四四五列車が午後九時三一分一〇秒頃同駅を発車して同列車の後尾が同駅常磐出発信号機を通過し終えた約一分二〇秒後の午後九時三二分三〇秒頃に前記場内信号機が注意信号に転換したので、右電車は進行を開始し、約一分一〇秒後の午後九時三三分四〇秒頃同駅に到着し、約四〇秒の客扱をしたのち、午後九時三四分二〇秒頃同駅を発車して通常の運転方法により二分後の午後九時三六分二〇秒頃三河島駅に到着し、約四〇秒の客扱をしたのち午後九時三七分頃同駅を発車したものとし、第二八七下り貨物列車の運行状況については、田端操車場を定時の午後九時三二分頃発車し、おおむね定時の午後九時三七分頃三河島駅下り一番線出発信号機2RB脇を通過したと主張する。

三、当裁判所の判断

(一) そこで当裁判所の判断を示すと、当公判廷で取調べた前掲各関係証拠によれば、国鉄の駅側職員による列車の発車時刻、通過時刻等の採時は、三〇秒単位で長針が時を刻む構造になつている電気時計(秒針はない)により採時される結果、運転状況表の早遅発時分の記載も分単位もしくは三〇秒単位で行われ、従つて最大限二九秒の誤差が生ずる可能性が常にあり、また列車、電車の乗務員についても、貸与の懐中時計を携帯しているが通常いちいち秒針まで確認しながら運行するわけではないので、直接時計を見た時分に関するこれら証人、被告人らの供述部分は分単位またはせいぜい三〇秒単位という大体の時刻であり、まして秒単位の生活をしていない一般人の供述に至つては尚更瞹昧なものがあつて、当時の右列車および電車の運行状況を正確に秒まで認定することは、証拠上ほとんど不可能な事柄に属するが、判示認定のとおり第一事故と第二事故の時隔が六分余あつたと認められる本件の場合において、列車電車の運行状況、ひいては各事故の発生時刻を秒まで正確に認定することは必要不可欠な要件とは認められず、結局被告人らの罪となるべき事実を特定するに必要な限度で可及的に以下各事故の発生時刻を認定しようとするのが、当裁判所の基本的態度である。

(二) 第二、一一七H下り電車の運行状況について

被告人芳賀、同美才治および証人氏家近美(上野駅高架信号扱所信号掛、第一一回公判の分)の各公判供述、野本晴三作成の答申書添付の常磐線電車列車ダイヤ並びに押収にかかる前掲上野駅高架信号扱所列車運転状況表を綜合すると、第二、一一七H下り電車は先行の第四四五列車の遅れにより定時より約二分三〇秒遅れて午後九時二八分三〇秒頃上野駅を発車したことおよび日暮里駅第二場内信号機の手前で、右先行列車が日暮里駅に停車していた関係上、同信号機が停止信号を現示していたため機外停車したことが認められ、また証人磯田八郎(当日の右四四五列車の機関士)の公判供述および押収にかかる前掲日暮里駅信号扱所運転状況表を綜合すれば、右第四四五列車はC五七型蒸気機関車が客車一二両を牽引し(全列車長二五八米)午後九時三一分に日暮里駅を発車したことおよび同機関車前頭部が三河島駅ホーム東端を午後九時三四分頃に通過したことが認められる。そこで次に、右列車の日暮里駅発車後その後尾が同駅ホーム末端附近にある同駅常磐出発信号機を通過し終えるまでの所要時分について考察するのに、証人太田勇、同斉藤誠および中村孝雄(いずれも、電車運転士)の各公判供述に徴すれば、右第四四五列車と同様のC五七型蒸気機関車が客車一〇両を牽引した第八二七列車の場合(全列車長は第四四五列車より約四〇米短い二一五米)、発車後同信号機を通過し終えるのに通常約一分五秒を要すると認められ、この事実は、証人高野武司(東鉄局運転部機関車課速度定数担当係)の公判供述および前掲常磐線旅客列車用運転線団写(C五七型蒸気機関車用のもの)の記載によつてもほぼ首肯されるところである。即ち、右運転線図によれば、日暮里、三河島間をそれぞれ二分三六秒、二分四二秒、二分五四秒の計算時分で走行する三種類の列車につき、日暮里駅発車後前記四四五列車の長さとほぼ同一の長さの二六〇米附近の地点までの所要時分はいずれも約一分であることが読みとれるが、第四四五列車は前記のとおり日暮里、三河島間を約三分で運行したことが認められるから、日暮里駅発車後前記出発信号機を通過し終えるのに要する時分は右運転線図による計算時分より或る程度多くかかつたことが推認されるからである。また右運転線図によれば、第四四五列車が日暮里発車後二〇〇米乃至二六〇米附近の地点における速度は時速約二八粁乃至三〇粁(秒速約七・七七米乃至八・三三米)と一応認められるから、結局第八二七列車より約四〇米列車長の長い第四四五列車が前記出発信号機を通過し終えるのに要する時分は第八二七列車のそれより約五秒多い約一分一〇秒位と推認される。従つて、右第四四五列車の日暮里駅発車時刻が午後九時三一分であることが前記認定のとおり明らかな以上(右時分については検察官も認めているところである。)、日暮里駅第二場内信号機が注意信号に転換したのは午後九時三二分一〇秒頃と認められ、被告人芳賀の公判供述によれば、右信号転換を確認したのち進行を開始したものと認められるところ、前記証人太田、同斉藤および同中村の各公判供述によれば、同信号機の信号転換を確認して起動を開始してから同駅に到着するまでほぼ一分一〇秒(起動時分を含む)を要するものと認められるから、第二、一一七H下り電車の同駅到着は午後九時三三分二〇秒頃となる。証人関口喜一(日暮里駅運転掛)の公判供述によれば、当日同電車の同駅における客扱時分が所定の三〇秒を超過しなかつた事実が認められるから、同電車は同駅を午後九時三三分五〇秒頃発車したものと認定され、被告人芳賀の公判供述によれば、日暮里、三河島間は通常の運転方法がとられ、所定の運転時分である二分後の午後九時三五分五〇秒頃三河島駅に到着したことが認められる。同駅においても所定の客扱時分を超過したことを認めるに足る証拠はないから所定の客扱をしたのち、同電車は午後九時三六分二〇秒頃同駅を発車したものと推認する。

(三) 第二八七下り貨物列車の運行状況について

被告人水上、同栗原および証人藤巻仲助(田端操車場運転掛)の各公判供述を綜合すると、第二八七下り貨物列車は田端操車場をほぼ定時の午後九時三二分頃に発車したことおよび発進時の出足はよく、通常の場合に比し発車当時は幾分早めの速度で進行を開始したことが認められるが、その後の運行状況については、被告人水上の公判供述および同被告人の昭和三七年五月二二日付検察官調書によれば、一、〇〇〇分の一二の上り勾配附近で時速約二七粁乃至二八粁、右勾配のほぼ終端に当る三河島駅ホーム東端附近で時速約一五粁、その後順次加速して安全側線に突入した頃の速力は時速約二五粁乃至二七粁であつたことが一応認められる(被告人水上は当時速度計によりこれらの速度を確認したわけではないが、同被告人の一七年余にわたる機関士としての経験に照らせば同被告人の速度感覚は一応信用するに足るものと考える。)。ところで前記常磐線電車列車ダイヤおよび証人白石篤治(田端機関区指導機関士、第五〇回公判の分)および同高野武司の各公判供述を綜合すれば、右列車の田端操車場、三河島駅下り一番線出発信号機2RB間のダイヤ定時による運転時分は五分であり、その場合の列車速度については三河島道踏切(一、〇〇〇分の一二の上り勾配始端を通過して間もなくの地点)附近で通常時速約二八粁、三河島駅ホーム東端附近で時速約一五粁、下り一番線出発信号機2RB附近で時速約二五粁で運転すればほぼ定時運転であり、右五分の運転時分には人により一五秒程度までの誤差があるが、右運転時分の一割に当る三〇秒も短縮することは通常ありえないことが一応認められ、右の事実と前記認定の本件第二八七列車の運行状況とを比較対照すれば、同列車は右出発信号機2RB脇をほぼ定時の午後九時三七分少し前頃通過したものと認定することができる。

(四) 従つて仮に、第二八七列車が前記出発信号機2RBを定時の午後九時三七分丁度に時速約二五粁乃至二七粁(秒速約六・九四米乃至七・五米)で通過し安全側線に突入したとして算定すれば、司法警察員西寅二作成の昭和三七年五月三一日付実況見分調書並びに前掲公安本部長作成の回答書添付の3の(3)、(4)の三河島、南千住間線路平面図(一〇〇分の一および二〇〇分の一のもの)を綜合すると、右信号機2RB(田端零起点二、〇三五米、日暮里零起点一、六六四米の地点)から安全側線の始端まで約二米、同地点から砂利盛りの始端まで約三五米の距離があることが認められるから、右信号機通過後砂利盛りに突入するまで五秒前後を要することになり、さらに脱線して転てつ器5イ(田端零起点二、〇九二米、日暮里零起点一、七二一米の地点)を破壊するまで(司法警察員西寅二作成の検証調書によれば、機関車の車輪が右転てつ器に乗り上げた状況で同列車は停止している。)約一九米走行することになるが、時速約二五粁乃至二七粁の前記速度で砂利盛りに突入してから停止するまでの平均速度を一応右中間の速度の時速約一二・五粁乃至一三・五粁とすれば(被告人水上の公判供述によれば、砂利盛り突入後直ちに非常制動をかけたことが認められるが、右制動による減速力および砂利盛りの抵抗による減速力が一定の割合で平均して加わつたものと一応推定する。――正確には非常制動をかけるまでの反応時分があるため、その間は、制動による減速力はない状態であり、従つて右平均速度は多少早いことになるが大差はない。)秒速約三・四七米乃至三・七四米となり、右転てつ器5イまで約五・一秒ないし五・五秒を要することとなる。一方被告人芳賀および証人大芝賢三(警視庁科学検査所技術吏員)の各公判供述並びに同被告人の昭和三七年五月一一日付検察官調書を綜合すれば、第二八七列車が脱線して右転てつ器5イを破壊したため、被告人芳賀が、下り本線出発信号機2RA(日暮里零起点一、六五四米の地点)が進行信号から停止信号に急変するのを目撃した際、第二、一一七H下り電車の前頭部は同信号機の手前約五〇米の地点を時速約六〇粁で走行していたことが認められ、前記司法警察員西寅二作成の検証調書によれば、第一事故地点は日暮里零起点約一、七二二米の地点と認められるから、結局なお約一一八米を走行して第二八七列車と接触したことになる。そこで次に、被告人芳賀が右信号機2RAの停止信号急変を認めてから第一事故発生までに要する時分を考察するのに、証人中西寛(東鉄管理局運転部電車課長)の公判供述によれば、被告人芳賀が右停止信号を認めてから非常制動をかけるまでの反応時分が〇・七秒、非常制動を講じてから実際に制動がかかり始まるまでの作動時分が一・五秒乃至二秒と一応推認され、空走時分は二・二秒乃至二・七秒となるから時速約六〇粁(秒速約一六・六六米)ではその間約三六・六五米乃至四四・九八米空走することになる。また右証人の公判供述により時速六〇粁の場合の非常制動による減速度(毎秒減少する時速の割合)は二・七五粁乃至三・二五粁であることが認められるから、減速度二・七五粁とすれば制動が作用しはじめてから一秒後は時速五七・二五粁(秒速一五・九〇米)、二秒後は五四・五粁(秒速一五・一四米)という割合で以下順次減少してゆくことになり、被告人芳賀が停止信号を認めて非常制動をかけてから第一事故地点に到達するまでの経過時分等の関係を表で示せば次のとおりになる。

(イ) 空走時分二・二秒、減速度二・七五粁の場合

経過時分(秒)

時速(粁)

秒速(米)

走行距離(米)

二・二

六〇・〇〇

一六・六六

三六・六五

三・二

五七・二五

一五・九〇

五二・五五

四・二

五四・五〇

一五・一四

六七・六九

五・二

五一・七五

一四・三七

八二・〇六

六・二

四九・〇〇

一三・六一

九五・六七

七・二

四六・二五

一二・八四

一〇八・五一

八・二

四三・五〇

一二・〇八

一二〇・五九

(ロ) 空走時分二・二秒、減速度三・二五粁の場合

経過時分(秒)

時速(粁)

秒速(米)

走行距離(米)

二・二

六〇・〇〇

一六・六六

三六・六五

三・二

五六・七五

一五・七六

五二・四一

四・二

五三・五〇

一四・八六

六七・二七

五・二

五〇・二五

一三・九五

八一・二二

六・二

四七・〇〇

一三・〇五

九四・二七

七・二

四三・七五

一二・一五

一〇六・四二

八・二

四〇・五〇

一一・二五

一一七・六七

即ち、右(イ)、(ロ)のいずれの場合も停止信号を認めてからほぼ八秒後には第一事故地点に到達することになり、また空走時分が二・七秒の場合は前記のとおりその間時速約六〇粁で約四四・九八米進行するわけであるから、右(イ)、(ロ)の場合と大差はないが幾分早目に第一事故地点に到達することになる。以上認定した各事実から、結局第二八七列車が下り一番線出発信号機2RBを通過後約一八秒余後に第一事故が発生したものと認定されるが、前記のとおり同列車は同信号機脇を定時の午後九時三七分より幾分早めに通過したことが認められるから、結局判示認定のとおり第一事故は午後九時三七分頃発生したものと判断する。

(五) 被告人糸賀についての、第一事故発生の時刻について

被告人糸賀および関係弁護人はいずれも、検察官主張の第一事故発生の時刻を特に争つていないが、本件事案においては、同時刻は被告人全部につき合一的に確定されるべきものである。

ところで、前記三の、当裁判所の判断の項の(二)ないし(四)において各証拠により認定したところは、被告人糸賀に対し当公判廷において顕出されていない証拠、即ち証人磯田八郎、同太田勇、同斉藤誠および同中村孝雄の各公判供述を除外しても(特に、太田、斉藤および中村の各公判供述による、信号機の信号転換を確認して起動を開始してから、日暮里駅に到着するまでほぼ一分一〇秒要するとの点は、被告人芳賀の、これと同趣旨の公判供述により認めうる)、同被告人の場合にも全く妥当するので、第一事故発生の時刻は、被告人糸賀についても他の被告人の場合と同様午後九時三七分頃と判断する(右認定に反する検察官請求の証拠は、他の被告人の場合に判断したところと同一の理由により、全部信用しない。)。

四、第一事故発生の時刻に関するその余の、検察官および弁護人各援用の主な証拠について

(一) 検察官は、前記のとおり第一事故発生の時刻が午後九時三五分五四秒であると主張しているが、その最も有力かつ信用すべき証拠として、当日T・B・Sテレビで午後九時三〇分から行われていたフアイテング原田対ベビーエスピノザのボクシング試合を観戦中第一事故の接触音を聞いたという証人渡辺勝平、同秋庭弘および同嶽肩靖郎(いずれも事故現場附近の住民)の各公判供述およびT・B・Sにおいて前記ボクシング試合のビデオテープを再映して右証人らに、当時第一事故の接触音を聞いたという場面を指示させ、その時分を採時した当裁判所の昭和三七年一二月二八日付検証調書(昭和三七年一二月二〇日実施の分)を挙げ、その補充的証拠として、押収にかかる東京放送(T・B・S)昭和三七年五月分運行表(昭和三七年押第一、四七〇号の五四)および証人佐々木洋(東京放送局編成局運動部実施課長)の公判供述を挙げている。

即ち、右運行表および佐々木証言によれば、当日東京放送テレビ(T・B・S)で午後九時三〇分から午後一〇時一五分までの四五分間にわたり前記ボクシング試合一〇回戦が行われたこと、正確には九時三〇分〇〇秒から同〇五秒までのネツトマークをはじめ、番組のタイトル、スポンサー名、コマーシヤルフイルム等が出た後、第一ラウンドの開始が九時三二分〇三秒、終了が九時三五分〇三秒、休憩一分、第二ラウンドの開始が九時三六分〇三秒であることおよび右各時間はテレビの性格上正確で、ほとんど誤差のないことが認められ、また前記渡辺、秋庭および嶽肩各証人は、いずれも符節を合して、第一事故の接触音を聞いたのは、第一ラウンドと第二ラウンド間の休憩時間の終り頃、或いは第二ラウンドの始まる一〇秒位前である旨供述し、さらに、当裁判所の前記検証調書によれば、右各証人が第一事故の接触音を聞いたときに写つていた場面として指示した場面は、いずれも一致して、第一ラウンドと第二ラウンド間の休憩時間中力士「豊国」の出ている場面であり、その時間をストツプウオツチで採時した結果、午後九時三五分五四秒二であることが認められ、いずれも検察官の主張に全面的に符合するのである。検察官は、これら証人は、「いずれも第一事故の接触音を聞いて、或る者は二階に上り、或る者は外に飛び出してそれぞれ事故現場を目撃したのであつて、いずれも引続き行われていた試合内容は全く知らないのであるから、これら証人がみずから聴視したテレビの最後の場面について極めて鮮明な印象を持つに至つたことはいうまでもなく、しかも確信にみちた証言態度に終始し、」(検察官の論告要旨一〇三頁以下参照)その証言内容は十分信用性があると主張する。

しかし、およそテレビに関する時刻そのものは、ほとんど誤差のない正確なものであるとしても、その場面は時刻の経過とともに次々に変化する性格のものであるから、これを聴視中にたまたま或る異常事態を感じたとして、そのときにいかなる場面が出ていたかはその直後しばらくは記憶が鮮明であるとしても、時の経過とともに忘失し、後に至つてその場面を詳細かつ具体的に指摘することは、吾人の経験上、通常極めて困難なところであり、従つて前記渡辺証人らが、或る場面において第一事故の接触音を聞いたとして、その聞いたときに写つていた場面の指示が一致したからといつてにわかに信用することはできない。特に同証人らの場合、捜査段階において或る者は右のテレビを六回(当裁判所の分も含めて七回)も聴視させられ、或る者は事故直後話題としてテレビの話が出て、第一事故の接触音を聞いたときの場面を相互に確かめ合つたという事実が認められるのであつて、これらの事情よりすれば、仮に、問題の場面について確たる記憶がない場合にも、数回も聴視させられているうちに、一つの場面が、当初は確たる記憶のなかつた問題の場面と同一ではないかと感じ、ついにはそれ以外の場面ではありえないと信じこんでしまつたり、或いは他人と確かめ合つたという場面が問題の場面に相違ないとの先入観から、確たる記憶がないのに、確たる記憶があるものと思いこんで一つの場面を問題の場面として指示し、ついにはそれ以外の場面ではありえないと信じこんでしまつたりして、右いずれの場合にも却つて真相と異つた結論を出した者もいるのではないかとの疑問を禁じえないのである。もとより当裁判所としても、テレビ聴視者の場面の記憶の信用性を一概に否定し去るものではなく、ただ本件の場合、テレビで聴視していた一場面を問題の場合として具体的、個別的に指示することが極めて困難であり、従つてその場面を基盤とする証言内容の信用性の疑わしいことを指摘するに過ぎないのである。それ故当裁判所の検証時、右渡辺証人らの、問題の場面の指示がすべて一致したからといつて、そのことの故に、軽々にそれが客観的真相に合しているとの判断をくだすのに躊躇せざるをえないばかりでなく、考え方によつては、同人らの指示が一致したのは、前記捜査段階における数回の聴視の経過、或いは事故直後確かめあつた経過からみて、異とするに足りないとも考えうるのである。

なお、証人金子博(事故現場附近の住民)は当公判廷において、ボクシングの第一ラウンド終了後、画面が観客席を写しているとき同席に力士がいるのを見ると同時に、第一事故の接触音を聞いた旨前記各証言に副う供述をしているが、一方証人山本望(事故現場附近の住民)は当公判廷において、第一事故の接触音を聞いたのは、ボクシングの第三、第四ラウンドと思うが、はつきりしない旨供述していることからみても、要するに、以上テレビ聴視者らの証言内容は、本件の場合は、ほとんど客観性の認められない記憶に過ぎないというのほかなく、これをもつては第一事故発生の時刻を認定する決定的証拠とすることはできない。

既に認定したとおり、第二、一一七H下り電車が、検察官主張のごとく午後九時三五分五四秒に第一事故の発生地点に到達することは、当裁判所の認定によれば、客観的に不可能であるのみならず、仮に第一事故発生の時刻が検察官主張のとおりとすれば、計算上同電車は遅くも午後九時三二分頃日暮里駅に到着したことにならざるをえないが、前記認定のとおり同駅第二場内信号機が注意信号に転換したのは、証拠上午後九時三二分一〇秒頃と認められるところ、前記九時三二分頃に日暮里駅に到着するためには、被告人芳賀において停止信号を無視して既に午後九時三一分頃には同信号機を冒進していなければならず、かかる事実を肯認させる証拠は何等存在しないのである。従つて前記渡辺勝平ほか数名のテレビ聴視者の証言部分は、すべて、叙上の観点からも証拠価値のきわめて薄弱なものといわなければならない。

さらに検察官は、証人飛田三樹男(一般乗客)の公判供述中、「貨物列車がホームを通過中に、二、一一七H電車がホームに進入して来たが、その際駅の電気時計が九時三四分から三五分の間を指していた云々」の部分を引用して、第二、一一七H電車が九時三五分そこそこには三河島駅を発車したこと、従つて第一事故の発生時刻が検察官主張の三五分五四秒頃であることの裏付け証拠としようとしているが、同証人の供述内容全体を詳細に検討すれば、例えば、「ホームでぶらぶらしていたところ、上り貨物列車が九時三二分前に通過した。」との旨の供述部分のごときは、押収にかかかる三河島駅日暮里方信号扱所の運転状況表(前同押号の三五)によると、その列車は明らかに第九、〇八四上り列車と認められるのであるが、同表上には右列車の同駅通過時分が午後九時三六分三〇秒と記載されているところであつて、明らかにくいちがつている。検察官引用の飛田証言は、右時間の点に関する限り信用できない。

また検察官は、証人渋谷哲太郎(日暮里駅青森方信号扱所信号掛)および同石井清田(三河島駅日暮里方信号扱所信号掛)の各公判供述中、検察官主張の第一事故の発生時刻に副うごとき供述部分、即ち渋谷証言中、「二、一一七H下り電車の日暮里駅発車時分は、三分遅れの九時三二分三〇秒であつて、その旨運転状況表にも記載した。」との旨の部分、石井証言中、「二、一一七H下り電車の三河島駅発車時分は、三分遅れの九時三五分三〇秒であつて、その旨運転状況表にも記載した。」との旨の部分を利益に引用している(前掲日暮里駅運転状況表および三河島駅日暮里方運転状況表にもその旨の記載がある。)が、渋谷および石井の各証言内容全体を詳細に検討すれば、例えば採時の位置、方法および時計の誤差等の点において正確性を疑わせる面および納得のゆかない面が多く、従つて検察官引用の渋谷証言および石井証言もまた、前記各運転状況表上の記載部分ともども、前記時間の点に関する限り信用できない。

(二) 弁護人は、第二、一一七H下り電車が午後九時三七分頃に三河島駅を発車したものと主張し、その主張に副う証拠として、同電車の日暮里駅における客扱時分につき前記証人太田勇、同斉藤誠、同中村孝雄および同関口喜一の各公判供述を、三河島駅の客扱時分および同駅発車時分につき被告人美才治の公判供述および昭和三七年五月二〇日付検察官調書中の供述記載を挙げるが、一方第二八七列車は定時の午後九時三七分頃に下り一番線出発信号機2RB脇を通過したと主張する。しかしながら前記認定のとおり、同列車が同信号機2RBを通過して約一〇秒後には、被告人芳賀は下り本線出発信号機2RAの手前約五〇米の地点で同信号機の信号現示の急変を認めているわけであるから、仮に弁護人主張のとおりとすれば、同電車は三河島駅発車後約一〇秒の間に三五〇米以上を走行したことになり(その間の平均時速一二〇粁)、これは同電車の客観的な運行状況に到底合致しないから、主張自体矛盾するといわなければならない。また仮に弁護人主張のとおりとすれば、前記認定のとおり第一事故発生の約一八秒前に第二八七列車が前記下り一番線出発信号機2RBを通過したことが認められるから、同列車は定時より約二二秒も遅延して午後九時三七分二二秒頃右信号機2RBを通過したことになるが、同列車が定時より遅延したことを証する証拠は何等存在しないから、同列車の客観的運行状況に符合せず、従つてこの点に関する弁護人の主張は採用できない。

第二節   第二事故発生の時刻

一、検察官側の主張

検察官は、第二事故は当日午後九時四三分二〇秒頃に発生したと主張し、右に関連して当日の第二、〇〇〇H上り電車の南千住駅発車時分は午後九時四一分過ぎ頃であり、その後三ノ輪信号扱所前を午後九時四二分三〇秒乃至四二分四〇秒頃通過して、さらに約四〇秒乃至四五秒を要して第二事故地点に到達し、時速約七〇粁乃至七五粁で第一事故現場に停止中の第二、一一七H下り電車に衝突したものと主張する。

二、弁護人側の主張

一方被告人糸賀を除くその余の被告人の各弁護人は、第二事故は当日午後九時四二分三〇秒頃発生したと主張し、右に関連して第二、〇〇〇H上り電車の南千住駅発車時刻は午後九時四〇分四〇秒乃至四〇分四五秒頃でああり、以後約一分四〇秒乃至一分四五秒かかつて第二事故地点に到達し時速約八〇粁で第二、一一七H下り電車に衝突したとし、さらに第四四五下り列車の運行状況につき、同列車は亀有駅を定時より二分三〇秒遅れの午後九時四一分三〇秒頃通過し、その後第二事故による一斉停電のため金町駅第一場内信号機が消灯したのを同列車の機関士磯田八郎が認めて急制動をかけた地点まで約一分間走行したとし、この点からも右第二事故発生時刻は裏付けられると主張する。

三、当裁判所の判断

(一) そこで当裁判所の判断を示すと、証人羽賀源次(日暮里駅変電区助役)の公判供述および押収にかかる前掲変電区日誌によれば、第二事故により事故現場の高圧線が破壊されたため、日暮里変電区の安全装置である高速度自動遮断器および水遮断器が同時に動作したこと、当時右変電区に勤務していた右証人が遮断器の同時開放の衝撃音を聞いた際電気時計で時刻を確認したところ、午後九時四三分であつたことおよび右電気時計は長針が三〇秒刻みのものであることがそれぞれ認められ、右の各事実によれば、第二事故発生時刻は午後九時四三分乃至四三分二九秒であつたことが一応認定される。

(二) さらに証人石森辰男(警察官)、同山田亮治(警視庁警備部通信司令室無線係)および同織田国治(警察官)の各公判供述を綜合すると、当時警視庁荒川警察署に勤務していた右織田巡査は、第一事故後パトロールカー警視第六六四号に乗務して事故現場に向い、第二三河島架道橋附近に到り、車外に出て同架道橋下に近ずいた際、第二、〇〇〇H上り電車が南千住方向から接近して同架道橋上を進行し、先頭車両が同架道橋を通過する頃、その車輪から制動による火花が出るのを目撃した瞬間、衝突音と同時に右電車は停電してまもなく同人の頭上で停車したこと、右織田巡査は同電車が停車するのを見てから直ちに約一〇米位走行して同じく第一事故のため出動し同地点に停車中のパトロールカー警視第六六五号に到り、受話器を取出して、当時たまたま愛国党に関する他所の通話があつたのでその終了直後に警視庁を呼び出し、「常磐線荒川にてまた衝突、駅に連絡頼む」という趣旨の至急報をしたこと、右通話が終了した際警視庁司令室に当時勤務していた前記石森巡査の机上の時計が午後九時四四分丁度を指していたことおよび右時計が約一〇秒進んでいたことがそれぞれ認められ、また前記織田証言によれば約一〇米を走行するのに二秒乃至三秒(秒速約三米乃至五米、この走行速度は敏速に行動すべき警察官としてはむしろ余裕のあるものと認められる。)、受話器をとつてから愛国党に関する通話のため待たされた時分が二秒乃至三秒、警視庁を呼び出して前記至急報が終了するまで約一〇秒かかつたことが認められ(右各証人の公判供述によれば、パトロールカーから警視庁司令室への通話は一通話二〇秒以内と定められており、本件当時まで約二年四月余にわたつてパトロールカーに乗務し、日頃秒単位の仕事にたずさわつていた右織田巡査の時分に関する供述部分は一応信用するに足るものと考える。)、右の各認定事実よりすれば、第二、〇〇〇H上り電車が停車してから右織田巡査が行動を起すまで多少の反応時分を見込んでも、同電車が停車した時刻は午後九時四三分三〇秒少し前頃であつたことがほぼ認定できる。よつて次に同電車が第二、一一七H下り電車に衝突してから停車するまでに要する時分について考察するのに、前記証人中村孝雄および同川上清五郎(電車運転士)の各公判供述によれば、右第二、〇〇〇H上り電車は時速約八〇粁で現場附近に進行して来たものと一応推定されるが、前記認定のとおり同電車は衝突前に非常制動をかけたことが明らかであり、第二三河島架道橋(同架道橋中心が日暮里零起点約一、七九六米の地点――日暮里駅構内および田端駅構内より綾瀬駅構内までの二、五〇〇分の一の平面図により認める。)を先頭車両が通過する頃に制動がかかり始めたものと認められ、第二、一一七H下り電車との衝突地点(司法警察員西寅二作成の検証調書により日暮里零起点約一、七五三米の地点と認められる。)までなお四三米前後を走行することになるから非常制動による減速度を毎秒約三粁とすれば、(証人中西寛の公判供述によれば、時速七〇粁では減速度三粁乃至三・五粁であることが認められるから、時速八〇粁の場合の減速度もそれ程差はなく三粁前後のものと考えられる。)、制動がかかり始めて一秒後には時速約七七粁(秒速二一・三八米)、二秒後には時速約七四粁(秒速約二〇・五五米)でほぼ第二事故地点に到達して衝突することになり、結局判示認定のとおり、第二、〇〇〇H上り電車は時速約七五粁で第二、一一七H下り電車に衝突したものと推認される。ところで、第二、〇〇〇H上り電車の後尾の停車位置は、前記司法警察員作成の検証調書添付の図面によれば、日暮里零起点約一、八二七米の地点であることが認められるが、全長約一七五米の同電車の前頭部が同起点約一、七五三米の前記地点で衝突した際には、後尾は計算上、同起点約一、九二八米の地点にあつたことになるから、結局同電車の後部車両は衝突後約一〇一米走行して停車したことになり、その間の平均速度を衝突時の二分の一の約三七・五粁とすれば(衝突による減速力および非常制動による減速力が、停止するまで平均して加わつたものと一応推定する。)、秒速約一〇・四一米となるから、停止するまで約一〇秒かかつたと推認される。従つて、これらの証拠から午後九時四三分二〇秒少し前頃第二事故が発生したものと一応推認することができる。

(三) 以上(一)、(二)の事実と、前記証拠の標目掲記の各証拠により認定した判示第二、〇〇〇H上り電車の運行状況および同電車が南千住駅発車後第二事故地点まで到達するのに約一分四五秒要したものと認められる事実〔証人勝又治(東鉄局運転部電車課企画係)の公判供述、前記三河島事故電車推定ランカーブおよび検察官作成の検証調書を綜合して認める。〕を併せ考え、当裁判所は判示のとおり第二事故発生時刻を午後九時四三分過ぎ頃と判断する。

(四) 被告人糸賀についての、第二事故発生の時刻について

被告人糸賀および関係弁護人はいずれも、検察官主張の第二事故発生の時刻を特に争つていないが、本件事案においては、同時刻は被告人全部につき合一的に確定されるべきものである。

ところで、前記三の、当裁判所の判断の項の(一)ないし(三)において各証拠により認定したところは、被告人糸賀に対し当公判廷において顕出されていない証拠、即ち証人中村孝雄および同川上清五郎の各公判供述を除外しても、同被告人の場合にも全く妥当するので、第二事故発生の時刻は、被告人糸賀についても他の被告人の場合と同様午後九時四三分過ぎ頃と判断する(右認定に反する検察官請求の証拠は、他の被告人の場合に判断したところと同一の理由により、全部信用しない。)。

四、第二事故発生の時刻に関するその余の、弁護人援用の主な証拠について

弁護人は、第二、〇〇〇H上り電車の南千住駅発車時刻につき、その主張に副う証拠として、証人宮崎嘉吉(南千住駅信号扱所信号掛)、同伊藤信義、同浜名こと大橋幸市(いずれも同駅駅員)、同青柳三好(同駅助役)の各公判供述、押収にかかる南千住駅運転状況表および松戸電車区運転士会の、上り電車回復運転時分に関する調査結果についての、証人石井忠(電車運転士)、同中村孝雄、同高野利長(電車運転士)および同川上清五郎の各公判供述を挙げる、証人宮崎は当公判廷において、当日南千住駅信号扱所に勤務中午後九時四〇分近くに、三ノ輪信号扱所勤務の被告人井上に対し下りの運行状況について問合せの電話をし、同被告人から三河島で第二八七列車が何かやつたらしい旨の報告をうけ、その電話が切れると間もなく、照明軌道盤の豆ランプが点灯した(電車が出発信号機を踏むと点灯する。)ので、第二、〇〇〇H上り電車の南千住駅発車時刻を採時したが、そのとき時計は午後九時四〇分三〇秒であり、停車時分を考慮して右運転状況表に二分延(定時は午後九時三八分五〇秒発)の記載をしたと供述するが、一方、被告人井上の公判供述によれば、同被告人が三河島駅岩沼方信号扱所に対し電話で下りの運行状況を問合せた際、判示認定のとおり被告人糸賀から第一事故の模様を聞いたが、右電話の直前に電気時計を見たところ午後九時四〇分を指していたことが認められ(長針が三〇秒毎に時を刻む構造になつているから正確には午後九時四〇分乃至四〇分二九秒)、しかもこの事実は、証拠の標目掲記の各証拠により認定できるところの被告人糸賀の起床時分(午後九時三九分頃)および起床後の同被告人の判示行動からも十分首肯される。ところでその後の被告人井上の一連の行動から考えると(同被告人の公判供述によれば、被告人糸賀との右通話時分が約一五秒乃至二〇秒、その後被告人井上が休憩室にいた相勤者の鈴木文治に声をかけ、同休憩室入口から首を出した同人に対し被告人糸賀から聞いた第一事故の状況をほぼそのまま伝え、さらに三河島駅ホーム事務室の被告人小泉を呼び出そうとして机上の電話帳で番号を調べ、鉄道交換電話をかけたが、話し中のため予報音を二度聞いて断念し、その後に至つてはじめて前記宮崎との電話連絡があつたことが認められるが、この事実はおおむね信用できる。)、宮崎から電話があつた時刻は、午後九時四一分を過ぎていたものと推認するのが合理的であり、従つて証人宮崎の前記供述部分および南千住駅運転状況表の記載部分のうち弁護人の前記主張に副う部分は信用できず、その余の弁護人が挙げる前記各証拠も右認定の妨げとなるものとは認められない。さらに弁護人は、第四四五列車の亀有駅通過時刻につきその主張に副う証拠として、証人鈴木春三、同小檜山嘉一(いずれも金町駅駅員)の各公判供述および金町駅西部信号扱所の運転状況表(弁護人提出のもの)を挙げ、右各証拠によれば当日同信号扱所に勤務していた右鈴木が右運転状況表の第四四五列車該当欄に亀有駅よりの現発通知として二分延の記載をしたことが一応認められるごとくであるが、記載の時期については現発通知をうけて直ちに記載したものか、または同列車が第二事故による停電のため金町駅第一場内信号機手前に停車した際停車時分を事後報告する必要上後に記載したものか、必ずしも明確ではなく、一方右鈴木に対して亀有駅より現発通知をしたと認められる証人平野政雄(亀有駅駅員)の公判供述によれば、同人が亀有駅の運転状況表に第四四五列車が同駅を定時に通過したものとして記載したことがうかがわれるので、この点において前記金町駅の運転状況表の記載と矛盾することになり、果して同人が右通過時分を正確に採時したうえで現発通知をしたかどうかも疑わしく、さらに押収にかかる金町駅西部信号扱所運転状況表上りNo.6(前同押号の一七四)には同じく前記鈴木が記載したと認められるところの、「二一時四三分停電、ナンミマ上下線不通」という弁護人の主張に副わない部分もあり、結局これらの証拠は、前記の当裁判所が依拠した各証拠に比較して証拠価値が薄弱なものといわざるをえない。よつてこれらの証拠を基礎にして第二事故発生時刻を午後九時四二分三〇秒頃と推論する弁護人の主張は採用できないこととなる。

第三節   第二事故の発生を防止するための各被告人の注意義務遵守の可能性(結果回避の可能性)についての補足的説明

一、被告人水上について

被告人水上にとつては、判示認定のとおり、第二八七貨物列車に第二、一一七H下り電車が接触した際、みずから体験した異常な衝撃等の具体的状況から、第二事故の発生を予見することが一般的に可能であつたが、判示のとおり同被告人は、右衝撃により右足首を制動管脚台と機関士座席との間にはさまれた事情が認められるから、右足を抜いて機関室から脱出した際に第二事故に対する結果回避義務が発生したものということができる。

前掲証拠の標目中、第一〇節の一の(一)の事実(被告人水上関係)につき挙げた関係証拠によれば、判示認定のごとき発電気止弁の折損口から激しく噴出した蒸気は、同被告人が死を予感した程の高温かつ強烈なものであつたことが認められるが、一方、証人木村武、同清水満之助(いずれも医師)の各公判供述および右両名作成の同被告人に対する診断書各二通によれば、当日同被告人のうけた傷害の部位、程度は加療約二週間を要する右膝部、足関節部挫傷、右足背部、右頸部第二度火傷であつて、右火傷は頸部に火ぶくれがあつた程度の軽いものであることおよび右挫傷の程度も軽度で歩行には何等支障ないものであることが認められ、これらの事実を併せ考えると、同被告人は第一事故発生後間もなく、遅くも一分後の午後九時三八分頃までには右足を抜いて機関室から脱出したものと認定するのが相当であり、この事実は、前記証拠の標目中、第一〇節の一の(一)の事実につき挙げた、被告人安生の昭和三七年五月七日付検察官調書第五項中の、「夢中で後の炭水車に右手をかけ力一杯ふんばつてようやく炭水車の上に脱出することができました。それから水上さん水上さんと叫びますと、間もなく水上も云々」および同項中の、「水上が姿を消してから相当時間がたちました。私は同人が早く戻つて来ないものかと思つていると云々」の、各摘示した供述記載部分並びに被告人水上の同年五月二二日付検察官調書第一項中の、「実際は下り電車が接触して来てから間もなくその足はうまく抜け外へ脱出することができました。」との旨の供述記載部分および同被告人の同年五月二三日付検察官調書第三項中の、「私は一、二分後足も抜け脱出できました。」との旨の供述記載部分によつても裏付けられるといわなければならない。右認定に反する被告人水上および同安生の各公判供述部分はたやすく信用できないというのほかはない。

そこで次に、被告人水上の、第二事故の結果回避義務遵守の可能性について論及する。

(一) 三河島駅岩沼方信号扱所に走行して上り列車停止手配を依頼すべき注意義務について

第二、〇〇〇H上り電車を信号機により確実に停止させるためには、三河島駅岩沼方信号扱所において信号梃子を操作し、上り本線場内信号機7LAに停止信号を現示しても実効を期し難く(右の場合は、第一事故現場より南千住駅寄りにある上り中間閉そく信号機上り1が注意信号に転換するのみであるから、同電車は同信号機を越え第二事故地点に向つて時速四五粁以下で進入することとなる。)、三ノ輪信号扱所において信号梃子を操作し隅田川駅上り本線場内信号機2Aに停止信号を現示し、その手前において同電車を停止させなければならないが、右手配の可能時期について考察するのに、検察官作成の検証調書、証人勝又治の公判供述、同人作成の三河島事故電車推定ランカーブを綜合すると、同電車は隅田川駅上り本線場内信号機2Aから三ノ輪信号扱所前まで約五秒(前掲大光寺宏作成の提出書添付の常磐線信号機位置図写によれば、距離一〇七米である。)、同信号扱所前から第二事故現場まで約四五秒足らずで走行したことが推認されるから、判示認定の第二事故発生時刻から逆算すると、同電車前頭部は午後九時四二分一〇秒過ぎに右信号機2Aを通過したことになる。従つて、被告人大橋または同糸賀が三ノ輪信号扱所用の直通電話をとつて同信号扱所に対し上り線停止手配の依頼をし終えるのに約一五秒乃至二〇秒を要するとしても(被告人井上の公判供述によれば、直通電話はハンドルを回しさえすれば相手を呼び出すことができるのであるから、右の時分より短くても済むと考えられるが、前記のとおり被告人井上と同糸賀との第一事故に関する通話が約一五秒乃至二〇秒かかつたと認められるので一応右時分による。)、被告人水上は午後九時四一分五〇秒頃までに三河島駅岩沼方信号扱所へ走行すればよいこととなる。ところで当裁判所の昭和三九年一月一七日付検証調書(但し昭和三八年六月二一日午前零時五四分から実施の分)によれば、第二八七列車の緩急車前部入口から機関士席までできるだけ早い走行で二分一〇秒八、小走りで三分七秒を要することが認められ、右の走行距離は約四〇九米であるが(機関車前頭部から機関士席までの距離約一二・二米および緩急車の長さ約七・八米を加えたものを同列車の全長約四二九米から差引けばよい。)、一方同列車停止後の機関士席の位置(日暮里零起点約一、七二四米の地点――司法警察員西寅二作成の検証調書によれば、機関車の前頭部は同起点約一、七三六米の地点にあつたことが認められることによる。)から、前記岩沼方信号扱所(同起点約一、五三一米の地点)までの距離は約一九三米であるから、比例計算をすれば、機関士席から同信号扱所までできるだけ早い走行で約一分一秒、小走りで約一分二八秒かかることになり、同被告人が機関室より脱出の際、前記のとおりの軽傷を負つたことおよび当時同被告人が合図灯を携行していなかつたことを勘案しても、余裕時分は約三分五〇秒あつたのであるから、被告人水上にとつて本項の結果回避義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

(二) 第二、一一七H下り電車車掌室内に置かれた信号えん管に点火して同電車前頭部附近の上り本線上において発えん信号による停止信号を現示すべき注意義務について

発えん信号による確認距離は、当裁判所の昭和三九年一月一七日付検証調書(但し昭和三八年六月二五日実施の分)によれば、判示のとおり約一、〇六七米を下らず、第二、一一七H下り電車前頭部附近(前記司法警察員作成の検証調書によれば日暮里零起点約一、七五三米の地点)で現示された発えん信号は三ノ輪信号扱所前の上り電車運転士席から判然と確認できる状況であつた。さて、被告人美才治の昭和三七年五月二六日付検察官調書によれば、当日同被告人は第二、一一七H下り電車に乗務の際、特殊信号携行函を携帯し車掌室に持ち込んだことが認められるが、第一事故後も同電車の三両目以下は第二事故までの間何等異常がなく、室内灯が点灯していたことは判示認定のとおりであるから、同被告人の公判供述により、車掌室の室内灯は、同被告人が停車直後後部の前照灯を点灯したため消灯したことが認められるものの(両者は、切替スイツチになつている。)、なお六両目の室内灯の照明により車掌室内の物体を判別するには支障がなかつたものと推認され(同被告人は車掌室内において時計の針を確認した旨供述している。)、従つて被告人水上が右車掌室内の特殊信号携行函を取出すことは或る程度の余裕時分さえあれば十分可能であつたものと判断される。

そこで次に、同被告人が右電車前頭部附近において発えん信号を現示することにより、第二事故の結果を回避しえた時期について考察するのに、証人中西寛の公判供述によれば、第二、〇〇〇H上り電車の非常制動距離は、時速約七〇粁で進行していたものと仮定して約二一〇米乃至二五〇米であることが認められるが、それに加えて空走時分の最大限二・七秒を考慮すると、時速七〇粁(秒速約一九・四四米)では約五二・五米の空走距離があることになり、結局右の場合同電車の運転士が発えん信号を認めて非常制動をかけてから同電車が停止するまで約二六二米乃至三〇二米走行することになる。ところで前記三河島事故電車推定ランカーブによれば、同電車の第二事故発生地点手前約三〇〇米附近の速度は時速約七五粁であつたと推認されるから、右の速度を基礎として、証人高野武司の公判供述および運転局作成の「けん引定数及び基準運転時分査定標準」により認められるブレーキ曲線作成の算式t=V/DおよびS=Vt/7.2(但し、式中tはブレーキ時間で秒をもつて表わし、Vはブレーキ初速度で時速何粁で表わし、Dは減速度、Sはブレーキ距離で米をもつて表わす。)により非常制動距離を計算すれば、減速度を三粁として(証人中西寛の公判供述によれば時速七〇粁の場合は減速度三乃至三・五粁であり、時速七五粁の場合もこれと大差ないものと推定される。)約二六〇米となり、これに加えて最大限の空走時分二・七秒を考えると、時速七五粁(秒速約二〇・八三米)では空走距離約五六・二四米となり、結局、同電車の運転士が発えん信号を認め非常制動措置を講じてから同電車が停止するまでに約三一六米走行することになるが、右中西証人の公判供述によれば、制動距離は乗客数、制輪子の材質、制輪子のへり具合、天候の条件等により高速では約五〇米までの誤差が考えられるから、右の場合最大限約三六六米の走行距離をみておけばよいこととなる。それ故、同電車が第二事故発生地点手前約三六六米附近から下り電車に衝突するまでの平均時速を約七五粁とみて、その間約一八秒を要することになり(実際は前記のとおりその後さらに加速して時速約八〇粁になつたと推定されるから右時分は幾分短くなるが大差ない。)、従つて、右上り電車が同所附近に達する時刻は判示認定の第二事故発生時刻から逆算するとおよそ午後九時四二分四二秒過ぎ頃となる。よつて特殊信号携行函中の信号えん管に点火するに要する時分を考慮しても(当裁判所の昭和三九年五月二九日付検証調書によれば、信号えん管に点火するに要する時分は約五秒である。)、被告人水上はおよそ午後九時四二分三〇秒頃までに下り電車前頭部附近に到達し発えん信号を現示すれば、第二事故の結果回避は可能であつたと考えられる。

よつて次に、被告人水上が機関室から脱出後、下り電車車掌室に立入り、同車掌室内の特殊信号携行函を取出して同電車前頭部附近に達するまでに要する時分を考察するのに、前記司法警察員作成の検証調書添付の図面によれば、第二、一一七H下り電車の車掌室の位置は日暮里零起点約一、六三五米の地点であり、同電車前頭部の位置は同起点約一、七五三米の地点であるから、機関士席から車掌室までは約八九米あり、同車掌室から右電車の前頭部までは約一一八米であるから、それを加えれば、同被告人が脱出後右電車車掌室を経て同電車前頭部附近に到るまでの走行距離は約二〇七米となり、前記第二八七列車の緩急車の前部入口から機関士席までの所要時分を基礎にして比例計算すると、できるだけ早い走行で約一分六秒、小走りで約一分三五秒を要することになる。もつとも、判示のとおり、第一事故後同電車前頭部附近の上り本線上には多数の乗客が蝟集していた事実が認められるが、同被告人が列車防護をする旨大声で連呼すれば、右乗客が直ちに避譲して道をあけたであろうことは容易に想像でき、さらにまた同電車前部第一、第二車両が消灯しており、附近が暗かつた事情を考慮に加えても、右の時分と大差はないと考えられる(この点は、以下の各被告人についても、上り本線側を走行した場合において同様のことが妥当する。)。一方車掌室内に入つて特殊信号函を取出すのに要する時分はせいぜい約一分とみれば十分と考えられるから、結局同被告人が脱出後小走りで走行したとしても、約二分三五秒後の九時四〇分三五秒頃には同電車前頭部附近に達することができたことになり、従つて同被告人にとり本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

二、被告人芳賀について

被告人芳賀は判示認定のとおり、第一事故の衝撃により一瞬の失神後、意識を取戻し、第二、一一七H下り電車の運転士室から脱出し、その頃には同電車前頭部の脱線、右傾の状況等を認識しうる程度には意識が回復し、さらに乗客の救出行為をした午後九時三九分頃までにはほぼ通常の意識水準にまで回復していたものと判断され〔証人西川好夫(中央鉄道学園能率管理研究所次長)の公判供述によれば、乗客の救出行為は列車防護と同一程度の理性的行為であることが認められる。〕、同被告人にとつて当時の具体的事情のもとにおいては第二事故発生に対する予見可能性が存在したことも判示のとおりであるから、右の頃第二事故に対する結果回避義務が発生したものということができる。

(一) 第二、一一七H下り電車前頭部附近において発えん信号による停止信号を現示すべき注意義務について

証人円城寺武夫(電車運転士)の公判供述および被告人芳賀の昭和三七年五月二五日付検察官調書の供述記載によれば、右円城寺運転士は、当日午後八時五二分頃松戸着の第二、〇一六上り電車(上野着折返し前記第二、一一七H下り電車となる)の乗務を被告人芳賀と交替した際、特殊信号携行函を同被告人に引継いだことおよび同被告人は上野駅から折返しの際、右携行函を第二、一一七H下り電車運転士室に持込み、同室右側に置いていたことが認められる。ところで同被告人は、午後九時三九分頃同電車第一車両右側の最前部扉附近で乗客山本晴子らを助け降ろしていたことは判示認定のとおりであるから、運転士室に引返すには、僅か二、三米移動すれば足りる状況にあり、また証人飛田三樹雄および同三浦昭一(一般乗客)の各公判供述によれば、運転士室の右側扉は第一事故後内側に向つて開いていたことが認められるから、第一車両の脱線、右傾および停電の状況を考慮しても、同被告人にとつて運転士室内に入つて特殊信号携行函を取出すことは、自己の勤務場所のことでもあり、比較的容易であつたと判断される。従つて被告人芳賀は同水上の場合と同様、午後九時四二分三〇秒頃までに信号えん管に点火すれば、第二事故の結果を回避しえたのであり、その間余裕時分は約三分三〇秒あつたのであるから、被告人芳賀にとつて、本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも十分可能であつたということができる。

(二) 三河島駅岩沼方信号扱所に走行して上り線停止手配を依頼すべき注意義務について

第二、一一七H下り電車の前頭部の停止位置は日暮里零起点約一、七五三米の地点であることは前記のとおりであるから、同所附近より三河島駅岩沼方信号扱所までの距離は約二二二米である。そこで前記の第二八七列車の緩急車から同機関士席までの所要時分を基礎にして右の距離を走行するに要する時分を比例計算すると、できるだけ早い走行で約一分一一秒、小走りで約一分四二秒となるが、関係証拠上、同被告人は第一事故の際右肩および頭部に打撲をうけたことは認められるものの、走行に障害となるべき事情は何等認められず、第二事故の結果を回避するためには被告人水上の場合と同様、午後九時四一分五〇秒頃までに同信号扱所に走行すればよいのであるから、余裕時分は約二分五〇秒あつたことになり、合図灯が第一事故の衝撃により役に立たなくなつたと推定される(後記第七章第三節の一、二参照)ので、合図灯なしに走行すべきことを考慮に入れても、被告人芳賀にとつて、本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

三、被告人美才治について

被告人美才治の行動については判示認定のとおり、第一事故後合図灯を白色灯にして携行し、第二、一一七H下り電車の車掌室左側から降りて同電車左側を前方に向けて走行し、第五車両の中間附近(車掌室からは約三〇米南千住寄りの地点)まで到つた際、同電車と第二八七列車の接触事故を察知したのであるが、当時の具体的事情のもとにおいては同被告人にとつて、第二事故発生に対する予見可能性が存在したことは判示認定のとおりであるから、その頃第二事故に対する結果回避義務が発生したものということができる。

そこで余裕時分について考察するのに、同被告人の公判供述によれば、車掌室から降りる頃に三河島駅ホーム東端から合図灯を手にして降りようとする駅員の姿を目撃したことが認められるから(関係証拠によれば、右駅員は、被告人小泉の命をうけて事故状況確認のため、ホーム事務室から第一事故現場に赴く途中の当時同駅信号掛兼予備助役滝沢三郎と認められる。)、右の時刻を明らかにすることが必要になる。判示認定のとおり被告人小泉が同大橋から第一事故の電話報告をうけたのは午後九時三八分頃であり、被告人小泉の公判供述によれば、通話時分は約一五秒乃至二〇秒であり、右電話が終ると同時に被告人小泉は、当時ホーム事務室に居合せた右滝沢に事故現場確認方を命じたことおよび同人が直ちに行動を開始して出発したことが認められるから、結局同人はそれから約四分四〇秒余り後に第二事故に遭遇したことになる(判示の第二事故発生時刻なる九時四三分過ぎ頃から算出できる。)、が、一方当裁判所の昭和三九年一月一七日付検証調書(但し昭和三八年六月二五日実施の分)によれば、同人が歩行中第二事故に遭遇した地点は同駅岩沼方信号扱所のやや手前、日暮里零起点約一、五二一米の地点であり、同駅ホーム事務室から右地点まで歩行で約四分四四秒を要することが認められるから、前記滝沢三郎が確認を命ぜられてから、第二事故に遭遇するまでの時分が約四分四〇秒余であつたとの点はほぼ裏付けされたといつてよい。ところでホーム事務室からホーム東端までの歩行所要時分を明らかにする直接証拠はないが、当裁判所の右同日付検証調書(但し昭和三八年六月二一日午前零時五四分より実施の分)中の第二八七列車の緩急車より同機関士席まで約四〇九米を歩行するに要する時分五分五八秒を基礎として、右滝沢がホーム東端から降りた後、第二事故に遭遇するまでの約二七四米の距離を歩行するに要する時分を比例計算すれば、その間約四分を要したものと推認されるから、同人がホーム東端附近を歩行していた時刻は判示第二事故の発生時刻から逆算して午後九時三九分過ぎ頃となる。即ち、被告人美才治は午後九時三九分過ぎ頃右滝沢を目撃して車掌室から降車し前方に約三〇米走行したわけであるが、右走行は小走り程度と認められるからその所要時分を前記水上の場合と同様の基礎のもとに比例計算すると約一四秒となり、同被告人については結局午後九時三九分一四秒過ぎ頃第二事故発生に対する予見可能性が存在し、従つてまた同事故に対する結果回避義務が発生したことになる。

(一) 三河島駅岩沼方信号扱所に連絡して上り線の停止手配を依頼すべき注意義務について

第二、一一七H下り電車の第五車両中間附近から右信号扱所までの距離は約一三四米であり前記水上の場合と同様の基礎のもとに比例計算すると、できるだけ早い走行で約四三秒、小走りで約一分一秒を要することとなり、遅くも九時四〇分一五秒過ぎ頃同信号所に到達しえたと認められるが、第二事故の結果を回避するためには午後九時四一分五〇秒頃までに同信号扱所に走行すればよいことは被告人水上の場合と同様であるから、被告人美才治にとつて本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

(二) 車掌室に引返して信号えん管を取出し第二、一一七H下り電車前頭部附近において発えん信号による停止信号を現示すべき注意義務について

同電車第五車両の左側中間附近から同電車車掌室を経て同電車前頭部附近に達するまでの走行距離は約一四八米(右地点から車掌室までの距離約三〇米に同車掌室から同電車前頭部までの距離約一一八米を加えればよい。)であるから、前記被告人水上の場合と同様の基礎のもとに右距離を走行するに要する時分を比例計算すると、できるだけ早い走行で約四七秒、小走りで約一分八秒かかることになる。一方車掌室に入つて特殊信号携行函を取出すのに要する時分は、前記被告人水上の場合と異りみずから置いた位置はわかつているわけであるから、より短時間で事足りると考えられる。従つて、被告人美才治としては、午後九時四二分三〇秒までに同電車前頭部附近に到達して信号えん管に点火して発えん信号を現示すれば、第二事故の結果を回避しえたことは被告人水上の場合と同様であり、その間余裕時分は約三分一六秒あつたのであるから、被告人美才治にとつて、本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

(三) みずから携行した合図灯を赤色灯にし、臨時手信号による停止信号を現示しながら上り本線上を前方に走行すべき注意義務について

当裁判所の昭和三九年一月一七日付検証調書(但し昭和三八年六月二五日実施の分)によれば、合図灯を赤色灯にした場合の確認距離は判示のとおり約二四一米に過ぎず、従つて第二、〇〇〇H上り電車の運転士が右赤色灯を確認してから同電車が停止するまでの距離を前記のとおり最大限約三六六米とみれば、同電車が第二事故発生地点の約三六六米手前附近を通過する午後九時四二分四二秒頃までに、第二、一一七H下り電車の前頭部よりさらに一二五米以上も走行することが必要となる。ところで被告人美才治は車掌室より降りる際合図灯を携行していたことは前記のとおりであるから同電車第五車両の右側中間附近から一応同電車の最後部を回つて上り線側を走行するとすれば(右の地点からそのまま前方に走行することも考えられるが、同電車の第二車両が第二八七列車の機関車と接触して通行を妨げている状況にある以上、上り本線側に出るには途中から同電車の車体の下をくぐらねばならず、従つてその場合の方がより早く目的場所に到達できると結論づけることは疑問である。)、少なくとも約二七三米を走行しなければならないことになるが、その所要時分は前記被告人水上の場合と同様の基礎のもとに比例計算すると、できるだけ早い走行で約一分二七秒、小走りで約二分五秒を要することとなり、この場合余裕時分は約三分二八秒あつたのであるから、被告人美才治にとつて、本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

四、被告人小泉について

被告人小泉は判示認定のとおり、当日午後九時三八分頃被告人大橋からの電話報告により、貨物列車が信号を冒進して安全側線に突入し、砂利盛りに乗り上げ下り本線側に脱線し、右列車に下り電車が接触したことを察知したのであるが、右報告のみをもつてしては第一事故の接触の程度等の詳細を明確に把握しえないというべきであるから、被告人小泉が直ちに現場確認の措置を講じたこと自体は一応適切な措置といえる。しかしながら同被告人は判示認定のとおり、当務駅長なる助役或いは現場最高責任者として、所属員を指揮監督し三河島駅に属する一切の業務を処理するほか、機に応じてみずから列車の停止手配等の措置をとりうる地位にあつたものであり、しかも日頃の勤務から、右安全側線附近の地形、特に上、下本線の軌道間隔が狭いことおよび当時上り線の運行間隔が接近していることなどを熟知していたのであるから、右の事故を直接体験していない同被告人にとつて、被告人大橋の報告内容から前記察知した事項以上の、上り線支障の虞を咄嗟に察知すべきことを期待することは困難であるにしても(被告人小泉の昭和三七年五月一九日付検察官調書中、右事故報告から上り線支障を直感した旨の記載部分は、当時同被告人のおかれた具体的状況に徴し、直ちに信用できない。)、手落ちなく状況を判断すれば(前記「安全の確保に関する規程」綱領第五号および同規程第一七条、第一八条、運心第五一五条等の綜合解釈から、この判断は、特に同被告人の前記職責上絶対に必要である。)、同被告人にとつて、第二事故発生に対する予見可能性が存在したことは判示認定のとおりであり、しかも第一事故現場は、その大部分が同駅構内に含まれていることは明らかであるから、駅側職員としても〔前記安全の確保に関する規程第一八条によれば、「事故が発生したときは(中略)現場にいあわせた従事員は(中略)全力を挙げてこれに協力しなければならない」と規定され、被告人小泉は、「現場にいあわせた従事員」に準ずる者と解すべきであり、しかもその最高指揮者というべきである。〕、有効適切な措置、即ち列車停止手配等の措置をとるべき注意義務が発生したことは、前記業務の性質に照らして当然のことといわなければならない。しかしながら以上の注意義務発生に至る前提としての、「手落ちなく状況を判断」するためには、そこに若干の余裕時分を要すると認めなければならないことは、これまた事柄の性質上当然であるところ、それが何分間を妥当とするかは、要は、当該具体的状況の如何に応じ、健全かつ合理的な社会通念によつて決定すべきものである。

(一) 被告人大橋に対し、三ノ輪信号扱所に電話連絡をとらせて上り線停止手配の依頼をさせるべき注意義務について

前記被告人水上の場合に明らかにしたとおり、第二、〇〇〇H上り電車を隅田川駅上り本線場内信号機2Aの停止信号によつて停止させるためには、九時四一分五〇秒頃までに被告人大橋に対し三ノ輪信号扱所への連絡を命ずれば、第二事故の結果を回避しうることになるが、被告人大橋の事故報告が前記のとおり、九時三八分頃から一五秒ないし二〇秒を要したのであるから、遅くも九時三八分二〇秒頃にはその報告が終つたことになり、被告人小泉にとつて、前記余裕時分は約三分三〇秒あつたことになり、前記状況判断から、第二事故の発生を予見し、従つてまたその結果を回避するに要する時分としては十分と認められ、しかもそれは、前記健全かつ合理的な社会通念に照らしても妥当であると解されるのである。従つて被告人小泉にとつて、本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

(二) みずから南千住駅に連絡して上り線の停止手配、或いは少なくとも通知運転の施行を通告すべき注意義務について

第二、〇〇〇H上り電車が南千住駅を発車したのは、判示認定のとおり午後九時四一分過ぎであるから、同駅に電話連絡して上り線の停止手配或いは少なくとも通知運転の施行を通告するための余裕時分は、被告人大橋の事故報告終了後二分四〇秒余あつたことになり、右(一)と同様の理由により同被告人にとつて本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる(なお通知運転については、後記第四節「列車指令員椎名和男の業務上過失について」を参照。)。

五、被告人大橋について

被告人大橋は判示認定のとおり、第一事故の大きな接触音を聞いて直ちに窓際に近ずいて事故現場の方向を約一分(同被告人の公判供述および昭和三七年五月六日付検察官調書によつて認める。)眺めていたところ、第二八七貨物列車および第二、一一七H下り電車が停車している状況が見え、さらに同電車の後部車輛が前のめりになつて右傾しているように感じられたので右列車と右電車の接触事故を察知するとともに同電車が右接触事故により脱線したのではないかとの強い疑念をいだいたのである。なお右の点につき、同被告人は当公判廷においても検察官の質問に対し、窓越しに見た際電車の後尾がぽおつと何だかかしいで(傾いて)いるように見えたことおよび判断としては上り線支障の点はわからなかつたが、同電車が脱線しているかなぐらいには思つたという趣旨の供述をしている。ただ同被告人は、その後の弁護人の問いに対し、右脱線に関する供述部分は列車についてであつて電車については全くわからなかつた旨供述し前言を翻しているが、前記検察官の質問は、同被告人の検察官に対する前記昭和三七年五月六日付供述調書中の、「下り電車の後尾の車両が前のめりになつて右の方に傾いているように見えた。」との旨の記載部分についてその旨述べた記憶があるかどうかを先ず質問し、引続いて右に関連して発せられた問いに対し同被告人が答えたものであることは右検察官との問答の経過に照らして明らかであるから、前記「脱線しているかなぐらいには思つた。」との旨の供述部分が列車に関するものであるとの同被告人の弁解は採用しない。もつとも、客観的に脱線右傾したのは前頭部第一、第二車両であることは判示認定のとおりであり、当裁判所の検証によつても、同信号扱所から望見したところ、電車の輪郭そのものは見えたが、それが最前部までのものか、または中間の或る車両までのものかは、必ずしも明確ではなかつた(当裁判所の昭和三九年一月一七日付検証調書――但し昭和三八年六月二一日午前零時五四分から実施の分――中、右見通し状況につき、これと同趣旨の記載参照。)。しかしながら、同被告人は判示認定のとおり、第一事故発生前の下り本線出発信号機2RA、下り一番線出発信号機2RBの各現示状況および転てつ器5イ、5ロの各開通状況を認識していたのであるから、右列車および電車の加速並進した運行状況並びに大きな接触音等から判断して、右電車が脱線していたのではないかとの強い疑念をいだいたことは、同信号扱所に一七年余勤務し安全側線附近の地形等につき熱知している信号掛としては当然ありうべきことであり、従つて右の点に関する同被告人の前記公判供述部分および検察官調書中の前記供述記載部分はこのことからも優に信用するに足るといわなければならない。

そこで被告人大橋は判示認定のとおり、午後九時三八分頃被告人小泉に対し判示内容の事故報告をしたのであるが、駅構内において事故が発生した以上、右の事態を当務駅長なる被告人小泉に報告したこと自体は、信号掛として一応適切な措置ということができるものの、みずから右の強い疑念をいだいた以上、同被告人にとつて当時の具体的状況のもとにおいて第二事故発生に対する予見可能性が存在したことは判示認定のとおりであるから、被告人小泉の指示を待つまでもなく、第二事故の結果を回避するため後記機宜の措置をとるべき義務があつたことは論をまたないところである〔なお押収にかかる三河島駅運転作業内規(前同押号の六一)の第九章「事故発生の場合の取扱方」第五八条には、「当駅構内に於いて事故発生等の場合は遅滞なく駅長に報告すると共に最も安全と認める手段により機宜の処置をとらなければならない。」と規定され、また、第五九条には、「事故発生の場合は人命の安全を第一義とすると共に併発事故防止に万全を期さなければならない。」旨規定されているところも、右認定の趣旨に副うものである。〕。

(一) 三ノ輪信号扱所に連絡して上り線の停止手配を依頼すべき注意義務について

前記被告人水上の場合に明らかなとおり、第二、〇〇〇H上り電車の前頭部が隅田川駅上り本線場内信号機2Aを通過したのは、午後九時四二分一〇秒過ぎであるから、第二事故の結果を回避するためにはそれ以前に停止手配を依頼すれば足りるのであり、被告人小泉に事故報告をし終えたのが前記のとおり午後九時三八分一五秒乃至二〇秒頃であるから、十分余裕時分があつたことになり、被告人大橋にとつて、本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも極めて容易であつたということができる。

(二) 三河島駅上り本線場内信号機7LAに停止信号を現示するとともに、第二、一一七H下り電車前頭部附近において発えん信号または合図灯による停止信号を現示すべき注意義務について

上り本線場内信号機7LAに停止信号を現示するには、岩沼方信号扱所の信号梃子の瞬間的操作で足りることは判示のとおりであり、右の場合その一つ南千住駅寄りの中間閉そく信号機上り1は自動的に注意信号に転換するから、第二、〇〇〇H上り電車は同信号機手前で時速四五粁以下に減速しなければならず、発えん信号または合図灯による停止信号を現示した場合回復運転のときに比して制動距離も短かくて済み、従つてより確実に停止させやすくなることは明らかである。証人中西寛の公判供述によれば、同電車が時速四五粁で進行した場合の非常制動距離は八五米乃至九五米であることが認められるが、右に加えて空走時分の最大限二・七秒を考慮すると、時速四五粁(秒速一二・五米)では約三四米の空走距離があることになり結局右の場合同電車の運転士が発えん信号等を認めて非常制動をかけてから同電車が停止するまでに約一一九米ないし一二九米進行することになる。しかし同証人の公判供述によれば、右の非常制動距離は種々の条件により低速では約二〇米乃至三〇米の誤差が考えられるから、右の場合最大限約一六〇米の走行距離をみておけばよいことになる。しからば、同電車が第二事故発生地点の手前約一六〇米附近に到達する時刻は午後九時四二分四七秒過ぎ頃となるから(右の場合、第二事故発生の時刻は判示認定のそれに比し、当然或る程度遅くなるから、さらに余裕時分が加わることになるが、一応右事故発生の時刻を午後九時四三分過ぎ頃と考え、同電車が右距離を平均時速約四五粁で進行したとして約一二・八秒かかる。)、第二事故の結果を回避するためには、右時刻までに下り電車前頭部附近に達して合図灯を使用し臨時手信号による停止信号を現示するか、発えん信号を現示すれば足りるのであるが、発えん信号の場合は信号えん管に点火する時分を考慮しても、およそ午後九時四二分三五秒頃までに右地点に到達すればよいことになる。

ところで同信号扱所から下り電車前頭部までの距離は約二二二米であることおよび右距離を走行するにはできるだけ早い走行で約一分一一秒、小走りで約一分四二秒を要することは前記被告人芳賀の項で説明したとおりであり、被告人小泉に対する前記事故報告が終えるや、直ちに被告人糸賀を起して同被告人に後事を託し、被告人大橋みずから走行して発えん信号を現示した場合は、なお約四分一五秒の余裕時分があつたことになり、合図灯の場合は、さらに余裕時分が多くなるから、同被告人の年令を考慮しても十分間に合つたものと認められ、被告人大橋にとつて、本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

六、被告人糸賀について

被告人糸賀は判示認定のとおり、当日午後九時四〇分頃(正確には午後九時四〇分乃至四〇分二九秒の間)被告人井上からの直通電話により、「下りはどうした。」旨の問合せをうけたので、被告人糸賀は、同大橋から告げられた接触事故の概要をそのまま伝えたところ、続いて被告人井上から、「電車のあと、一、四八七を出す。」旨の通告をうけ、被告人糸賀は「ちよつと待つて。」と言つて電話を切つたのであるが、(右認定に反する同被告人の公判供述部分は信用しない。なおこの点については、後記第七章第二節の、「被告人井上に対する公訴事実について」参照)、右「ちよつと待つて。」の言葉の意図が、第一、四八七上り貨物列車の出発を押えることにあつたことは、右の電話終了後、同被告人が被告人大橋に対し「電車のあと、貨車をよこすといつたので止めた。」旨の報告をしている事実(被告人大橋の公判供述および同被告人の昭和三七年五月一九日付検察官調書により認める。)からも認められるが、被告人糸賀も当公判廷および検察官に対する供述調書中で右貨物列車の出発を押えた旨を繰返し強調しているところである。その理由については、同被告人の同年五月一八日付および同月二一日付各検察官調書によれば、下り電車が脱線し、一、四八七列車が進行してきたら危険だと思つたからであるとし、当公判廷においては、確認するまでの間は右列車を押えておけば安全だと思つて押えた旨の供述をしている。右各検察官供述調書中の、下り電車が脱線していることがわかつた趣旨の供述部分は、当時同被告人のおかれた具体的状況および関係各証拠に照らして信用できないが、同被告人としては、上り列車を事故現場に進入させないことが安全だと思い、そのための万全の措置をとつたつもりであつたというのであるから(この点に関し、同被告人は当公判廷において、三ノ輪信号扱所からは同じ線路上を貨物も電車も走つて来るわけであるから、貨物を押えるといえば完全に上り全列車を押えたことになると思つた旨の供述をしている。)、少なくとも、最悪の場合の上り線支障の虞を予測していたものと推認するのが相当であり、それ以外に、同被告人のいだいたという判示のごとき不安の念を合理的に理解することはできない。もつとも、被告人糸賀は当日午後九時二〇分頃から公眠時間に入り休憩室で睡眠中、午後九時三九分頃被告人大橋に起されたことは判示認定のとおりであるところ、証人橋本邦衛(国鉄労働科学研究室生理担当者)は当公判廷において、睡眠中起された場合正常の意識水準に戻るには通常の場合、秒単位ではなく、少なくとも一分以上を要する旨供述しているので、被告人糸賀がどの段階において正常な判断力を回復したかが一応問題になるが、同被告人は平素から職業的に、睡眠中起されることに習慣づけられているばかりでなく、事故発生という非常事態を告げられて起されたのであるから、一般の場合よりは早く通常の精神状態に復したであろうことは推認するに難くなく、従つて、同被告人が判示のごとく、信号扱所の窓越しに南千住方面を望見した際には、いまだ正常な判断力を回復しえない状態にあつたとしても、第二、一一七H下り電車の車掌が後方防護をしていると察知した頃には相当程度判断力を回復し、さらに同被告人が前記のように被告人井上に対し第一事故の状況を伝え、みずからは上り貨物列車を押えるつもりで電話に応答した事実に徴しても、その頃までにはほぼ通常の判断力を備えた精神状態に回復したものと認めることができる。

しからば、三河島駅構内の、右信号扱所と極めて近接した地域において事故が発生したかかる異常な際は、たとえ、公眠時間中であつてもいたずらに傍観することは許されず、すみやかに、被告人大橋と一致協力して併発事故を防止するための適切な措置を講ずべき注意義務があつたことは運転従事員なる業務の性質に照らして当然のことであり、また前記「安全の確保に関する規程」第一七条、第一八条の規定からも明白に認められるところである。

従つて、被告人井上の前記電話に応対した午後九時四〇分頃には、第二事故に対する結果回避義務が発生したものということができ、判示認定のとおり、右問合せの電話の際同被告人に対し、上り全列車の停止手配をとらせるよう確実な連絡をするか、または右連絡を誤つて電話を切つた場合も、すみやかに再度三ノ輪信号扱所に連絡して上り全列車の停止手配を依頼すべき注意義務が存在したのであるが、前記のとおり第二、〇〇〇H上り電車の前頭部が隅田川駅上り本線場内信号機2Aを通過したのは午後九時四二分一〇秒過ぎであるから、被告人糸賀にとつて本項の注意義務を遵守することは時間的にも行動的にも可能であつたということができる。

第四節   (特殊事情)東京鉄道管理局運転部列車課常磐線列車指令員椎名和男の業務上過失について

当裁判所は、既に第一章第一〇節所掲の、罪となるべき事実――その二において記載したとおり、第二事故の発生については、右椎名指令員の業務上の過失が、他の有罪と認定した被告人水上ほか五名の業務上の過失と競合するという特殊事情があつたと認定したのであるが、以下項を分けてその理由を詳論する。

一、この点について検察官はその論告において、被告人小泉が同指令員に電話により第一事故の報告をした時刻は、午後九時四一分三〇秒ないし四二分の間であり、電話を終つた時刻は同九時四二分ないし多少同時刻を過ぎた頃である。また同指令員の通知運転の一斉指令を発したのは、その直後であり、しかもその指令の内容、順序は、上り線通知運転、上野駅、日暮里駅に対する下り電車の停止の指示、次いで三河島駅における事故状況の概要の報告であると主張(検察官論告要旨三一七頁以下)し、椎名指令員の過失責任をいささかも問題としていないのに反し、各被告人の弁護人はいずれも、本件第二事故の発生につき椎名指令員にも一半の過失責任があると主張し、同指令員が被告人小泉から第一事故の報告を受けた時刻は検察官主張のそれより前であつて、通知運転の一斉指令を発した時刻との間には時間の空費がある。しかも一斉指令の内容、順序は、日暮里駅、上野駅高架信号扱所に対する下り電車の停止の指示、事故状況の概要の報告、最後に上り線通知運転である。また本件の場合通知運転の措置は適切ではなく停止手配の措置をとるべきであつたと、検察官との間に激しく論争されたことは、いまだ記憶に新しいところである。けだし、椎名指令員は検察当局から起訴されていないとはいうものの、列車指令員は判示のごとき業務に従事し、列車の停止等の措置につき最高の権限と職責を有するとともに、他の一般職員に比し容易かつほとんど無答責にその権限を行使しうる立場にあるのみならず、前記各問題点の帰趨如何によつては、直接には同指令員に第一事故の報告をした被告人小泉の、間接には同被告人に同報告をした被告人大橋の、さらにひいては他のすべての第二事故関係の有罪被告人の、少なくとも犯情に重大な影響を及ぼすことが容易に推察されるところであるから、同指令員の第三二回、第三三回、第六五回の三回にわたる各公判供述の内容如何は、同僚の列車指令員鈴木策治および同石川行雄の各公判供述並びに前掲椎名、鈴木各指令員の検察官調書の供述記載の各内容と相合わせて、当裁判所としても、重大な関心をいだかざるをえないところであるからである。しかるに、椎名指令員の公判供述の内容は、重要な点において当裁判所に疑念をいだかせる面が多いのみならず、前記各証拠、被告人小泉の公判供述その他の関係証拠と比較検討の結果、客観的真実に反する部分を含んでいることが明白となつたのである。

二、いうまでもなく、裁判所の使命は、証拠により真相の究明に努力するとともに、窮極的にはこれにより具体的正義の実現に奉仕することにある以上、もし椎名指令員の公判供述の内容が、重要な点において客観的真実に反するとすれば、その帰趨するところが前記のとおり重大な影響を及ぼすものであるだけに、それは、単に、「信用できない。」或いは「記憶違いである。」と形式的に無視し去るにはあまりに重要な問題である(このことは、前記鈴木、石川両指令員の各公判供述についても同様妥当とする。)。

三、

(1)  先ず椎名指令員の公判供述の要旨は次のとおりである。

即ち、当夜三河島駅からの第一事故の報告が終つたとき時計を見たら九時四二分(当裁判所傍点、以下同じ。)であつた。自分は二、一一七Hは脱線しているかという質問をしたところ、相手は脱線しているらしいという返事だつたと思う。続いて上り線は支障しているかと聞いたところ、よくわからないから調べて来るという返事であつた。二八七については既に砂盛に突込んでいるという報告だつたので、それについては聞いた記憶はない。相手が電話を切つたので、自分は間髪を入れず一斉指令のボタンを押しながら同僚に応援を求めるため「でかいぞ」とどなり、上野、金町間の回線を使つて、「伝達、上野金町間に伝達」と叫び、「上り線は直ちに通知運転発令」と叫んだが、その時間は九時四二分頃(正確には四二分乃至四二分二九秒までの間)である。その直後上野高架信号扱所に対し二、一一九Hを押えろと指令し、さらに日暮里駅に二、一一五Hを押えろと指令した。それから直ぐに、「三河島駅構内において貨物の二八七と後続の二、一一七Hが激突、このため目下下り線不通、上り線に対しては状況不明、今後の伝達に注意せよ」と伝達した。指令のブザーを押して事故の内容を伝えるまで四、五〇秒かかつたと思う。自分は事故当時までに、三河島の安全側線、ポイント、亘り線、信号扱所の位置等は四、五回見ており、大体のことは頭に浮んだ。自分が電話を受けた時の想像では、機関車が砂盛りに入つて少し下り本線側に傾いているということと、その機関車に電車の運転台の辺が接触しているようなことが頭に浮んだ。それでもし状態が悪ければ、二、一一七Hもまた同じ方向に傾くというような漠然とした気持で上り本線側にも支障しているのではないかというような気持だつた。自分が通知運転を発令したのは、上り線が支障しているかどうかわからないということなので、支障しているかも知れないという判断と、下り線の支障個所が三河島であるために、上り電車を押えないと直ぐ上野で詰まつてしまうというような判断とをかみ合わせたためであるが、前者の判断が主な目的であつた。自分の判断では、疑わしいときにはもつとも安全な方法をとれと安全綱領に定めてあるので、通知運転の手段をとつたのである。通知運転は、完全な停止手配とは違うが、通知運転による列車の押えも停止手配に含められる。自分は通知運転の指令を出した当時、二、〇〇〇H上り電車のみについては、特にどうする、こうするということは頭になかつた。自分が通知運転という言葉を使つたわけは、一定の駅を指定して、右駅に何列車を止めろという指令よりも、即座に一言でしやべれる通知運転という言葉で上野、金町間に運転されている各電車をそれぞれの駅に止める方法が一番的確に上り電車を止める方法だと判断したわけである。

というにある。

(2)  次に同僚の列車指令員鈴木策治(当時山手汽車関係担当)の公判供述の要旨は、左のとおりであるが、重要な点においては、ほとんど椎名指令員の証言内容と一致している。

即ち、当夜自分が第一事故を知つたのは、椎名が「でかいぞ」とどなつたからである。椎名は直ぐ、「上下線直ちに通知運転、二八七列車が三河島の砂盛に突込んで後続の二、一一七Hがこれに衝突したという重大事故発生」という要旨の一斉指令をした。そのときの時間ははつきりしないが、当時東海道の台にいた石川が、「でかいぞ」と言つたときにすぐとんで来て椎名の持つているダイヤ面にチエツクした。椎名が一斉伝達をしてから、上野、金町間の回線があいたので、自分はその回線を使い、「上野、金町間伝達、列車の現在位置を報告せよ」と一斉伝達をした。自分はその電話をかけた頃、貨物列車が側線から砂盛に突込めば、側線と本線とは非常に距離が近いので、危いということは当然考え、支障しているかも知れないと考えたが、特に上り列車を止めろという手配はしなかつた。当時二、〇〇〇Hがどの辺にいるかと確認しようとしたときは、ぶつかつていた。椎名が第一報を受けてから指令を出すまでの時間は、「すかさず」という言葉の方がぴつたりすると思う。指令の立場は、列車を押えるというのが第一条件だから、事故状況を先に説明し、通知運転をあとから発令するというような指令員は現在一人もいない。一般に、状況不明の場合は、進行中の列車について一番安全なことは、とりあえず列車を止めてはつきりしてから出すということが建前である。それと当時止まつた電車の中から客が降りるという悪い風潮があつたので、そういうことを防止する建前からも、通知運転は当然なさなければならないものである。列車指令員としては、状況不明の場合はとりあえず通知運転によつて列車を押えて、それから個々の駅に対してまた個別に指令をすることが建前である。

というにある。

(3)  第三に、同僚の列車指令員石川行雄(当時東海道線担当)の公判供述中、第一事故の報告のあつた時刻に関する供述部分の要旨は次のとおりである。

即ち、当夜自分が第一事故を知つたのは、椎名の「でかいぞ」という声が聞えたからであるが、自分は直ぐに椎名の右側にとんでいつて、指令台のすぐ前にある時計をのぞき込んで、「四二分だな」と言つてダイヤの上部余白の、四二分のところに大きなチエツクをした。

というにある。

四、以上、椎名、鈴木および石川各指令員の各公判供述部分を綜合すれば、被告人小泉からの第一事故の報告が終つたのは、午後九時四二分頃であつたことになり、椎名指令員は、被告人小泉との電話が切れるとともに、間髪を入れず、「上り線は直ちに通知運転発令」の一斉指令を発し、続いて上野駅高架信号扱所および日暮里駅に対し各下り電車の停止を指令し、四、五〇秒間にわたつて第一事故の概況を伝達したというのであり、通知運転の一斉指令を発した主な理由は、第一事故のため上り線が支障しているかも知れないと判断したためであるというのである。

五、弁護人は、右椎名証言は重要な点において虚偽であると極力主張しているので、以下論点ごとに検討する。

(1) 椎名指令員が被告人小泉から電話報告を受けた時刻

既に当裁判所が第一章第一〇節の一の(四)の、被告人小泉関係の罪となるべき事実の項および第四章第三節の四の、同被告人の項において認定、説示したとおり、同被告人の報告は九時四〇分過ぎに始まり、約三〇秒にわたつていることが明白である。従つて、前記椎名指令員の、小泉の報告が終つたとき時計を見たら九時四二分であつた。自分はその報告後、間髪を入れず通知運転の一斉指令を発したとの旨の公判供述部分、特に「間髪を入れず」の部分は、多分に作為をうかがわせるものがある〔特に、前掲証拠の標目中に挙示した、椎名和男の昭和三七年五月二一日付検察官調書第二項中には右の時刻が九時四〇分過ぎ頃と記載されている点は重視すべきである。なお、同指令員がその後の一斉指令中に日暮里駅に対し第二、一一五H下り電車の停止手配をしたことは判示認定のとおりであるが、同電車は同駅発車定時が午後九時三八分三〇秒であり、当日は定時より五秒延の三八分三五秒頃発車していることは、証人木村峯男(当時の同電車運転士)および押収にかかる前掲日暮里駅信号扱所の運転状況表を綜合して認めうるところ、電車の発車定時、運行状況等を最もよく把握している同指令員が日暮里駅に対し右電車の停止手配を講じたのは、その頃同電車が同駅を発車していないと考えたからに他ならず、このことは少なくとも、同指令員が被告人小泉から報告を受けた時刻が同電車の右発車定時の時刻に近いことを裏付けているのである。〕。なお右の時刻の点に関連して、被告人小泉および椎名指令員間の問答の内容につき一言しなければならない。既に前記被告人小泉関係の罪となるべき事実の項において認定したとおり、その問答の内容は、事故報告のあつた後、同指令員から、二八七は脱線しているかとの問いがあつたのに対し、被告人小泉が、「脱線しているらしい旨」答え、さらに同指令員から、下り電車は脱線しているかとの問いがあつたのに対し、被告人小泉が、それは見なければわからない旨答えたというにとどまるのである(被告人小泉は当公判廷においてその旨供述し、また前記椎名指令員の検察官供述調書第二項中にも、これと全く同趣旨の記載部分があり、両者は符合しているのみならず、既に認定したごとき、被告人小泉の当時おかれた具体的状況から合理的であると判断されるので、いずれも信用するに足る。それ故、この点につき椎名指令員が当公判廷において、既に摘示したとおり、自分は小泉に対し二、一一七Hは脱線しているかという質問をしたところ、小泉は脱線しているらしいという返事だつたと思う。続いて上り線は支障しているかと聞いたところ、よくわからないから調べて来るという返事であつたとの旨供述している部分は信用できない。特に二八七については既に砂盛に突込んでいるという報告だつたので、それについては聞き返した記憶はないとの旨の供述部分のごときは、列車と電車との接触事故の報告があり、先ず列車が安全側線の砂盛に突込んだと聞いた以上、それが脱線しているかと聞き返したとしても、少しも不自然かつ不合理でなく、右の供述部分は、単に、事後になつて考えた理屈を述べたと解するのほかなく、現に、前記のとおり、同人の前記検察官調書第二項中においても、二八七の脱線を聞き返した旨供述しているのである。

また前記石川指令員の、第一事故の報告のあつた際、九時四二分のところに大きくチエツクしたとの旨の公判供述部分は、押収にかかる常磐線電車列車ダイヤ三枚続き(前同押号の五五)には、同指令員の供述するとおり、九時四二分の個所の上部欄外余白に、「第一報」と記載されているけれども、同記載部分は、続いて九時四五分の欄外余白に「指令」と記載されていることなどと併せ考察すると、第一事故の報告のあつた時刻を記載したものとは到底考えられず、従つて前記石川指令員の公判供述部分も信用できず、右九時四二分に関する記載部分は、後記のごとく通知運転の一斉指令を発した時刻が九時四二分頃と認めうることを参酌すると、むしろ一斉指令の時刻をチエツクしたものではないかと推認されるのである。

(2) 椎名指令員が(1)の報告を受けた時刻から通知運転の指令を発するまでの時隔並びに一斉指令の内容の順序、当否

既に当裁判所が第一章第一〇節の二の項において認定したとおり、椎名指令員が通知運転の指令を発した時刻は午後九時四二分頃であり、その一斉指令の内容の順序は、先ず日暮里駅に対し第二、一一五H下り電車の停止手配を指示し、次いで上野駅高架信号扱所に対し第二、一一九H下り電車の停止手配を指示したのち、第一事故の概況の説明に続いて、最後に上り線通知運転の指令を発したことが明白である。

従つて当裁判所の以上の認定、説示によれば、前記(1)の、被告人小泉からの報告を受け終つた時刻、即ち九時四〇分三〇秒過ぎ頃と通知運転の指令を発した時刻との時隔は一分三〇秒弱という結論となる。〔この結論を出すについては、既に挙示した証人木村峯男の公判供述部分、日暮里駅信号扱所の運転状況表のほか、証人渋谷哲太郎、同氏家近美、同青柳三好、同小助川幸治の各公判供述および鈴木策治(前記列車指令員)の昭和三七年五月二五日付検察官調書中の第一項並びに押収にかかる三ノ輪信号扱所運転原簿(前同押号の五〇)中の、「三河島コナ(構内の意である。)、下り二八七脱線、砂盛にて下り二、一一七Hと接触、二一、四二、通(通知運転の意である。)」、同金町駅上りホーム運転原簿(同押号の一三三)中の、「二八七D、二一一七H不通、上り通知二一時四二、金町上野」、同南千住駅運転指令簿一綴(同押号の一三一)中の、「二一、四〇ハ生(発生の意である。)、貨二八七レ(列車の意である。)、二一、四二通知運転」の各記載(以上いずれも前記証拠の標目中の掲記のもの)等を重視した。〕。従つて、前記椎名指令員の、一斉指令の冒頭に、「上り線は直ちに通知運転発令」と叫んだ旨の公判供述部分もまた多分に作為をうかがわせるものがある。

その他、椎名指令員が一斉指令中に「激突」という言葉を発したとの点は、同指令を受けた側の各関係証拠に照らして信用できないが、さして問題とする程のものではなく、また「九時四二分から通知運転」と言つたか、「直ちに通知運転」と言つたかの点については、事案にさして影響するところがないと認められるので、判断を省略する。

最後に本件の場合、上り線に対する通知運転一斉指令の措置が果して妥当であつたか否かについて、当裁判所の見解を一応述べなければならない。通知運転の意義如何については、既に第一章第四節において概括的に、その他の個所において随時言及したところであるが、更に前記椎名、鈴木、石川各指令員の公判供述等を参酌すると、元来通知運転は、東転保第八九号「通知運転の取扱について」の冒頭にその趣旨が明記されているとおり、「運転事故発生等の場合、旅客列車を長時間停車場の中間に停止させておくことは、旅客に焦燥感をいだかせ、且つ旅客の誘導案内上不便があるので、これを極力避けるために定められた措置」であることは明白であるが、その規定内容を通読すれば、通知運転は貨物列車には関係がないことおよび第一次的には現場駅長が相手(通常は隣接)駅の駅長に実施を通告し、その旨列車指令に報告すべきものであることが容易に看取される。しかしながら、前記椎名指令員等三名の公判供述によれば、現実には、列車指令員は列車停止手配の措置として通常通知運転を施行していたことは否定し難いところであるから、椎名指令員が上り線の列車停止の措置として通知運転を発令したことは、一概に非難することはできないとしても、本件のごとき切迫した状況のもとにおいては、同指令員としては、被告人小泉からの報告後、手落なく状況を判断すれば、上り線支障の虞がある事態を予見しえたのであるから、通知運転の指令は適切ではなく、直ちに上り列車一斉停止の指令を発して併発事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたと断ぜざるをえない。

六、既に被告人水上ら以下の場合において明らかにしたとおり、第二、〇〇〇H上り電車が南千住駅を発車したのは午後九時四一分過ぎであり、その前頭部が隅田川駅上り場内信号機2Aを通過したのは同四二分一〇秒過ぎであるから、椎名指令員が被告人小泉との電話応答後(応答の終つたのは前記のとおり、九時四〇分三〇秒過ぎ頃である。)、手落なく状況を判断して遅くも九時四一分五〇秒頃までに上り列車の一斉停止の指令を発しさえすれば、余裕時分の点から考え南千住駅において、第二、〇〇〇H上り電車を停止させることは極めて困難であつたとしても、三ノ輪信号扱所において、前記信号機2Aに停止信号を現示することにより、同電車を停止させることは時間的にも行動的にも十分可能であつた(この場合の前記余裕時分は約一分二〇秒あることになり、この余裕時分は前記状況判断に要する時分を考慮しても、列車指令員の前記権限および職責上十分であると認められ、また前記健全かつ合理的な社会通念に照らしても妥当と認められる。)ということができる。

第五章  弁護人の主張に対する判断

以上第一章から第四章までにおいて当裁判所が事実を認定し、それに関する主な問題点に触れて詳細に説示し、法令を適用してきたところによつて、これと相容れない検察官並びに弁護人の各主張は、当然排斥したものと了解されるべきものであるが、なお弁護人の主張に対し、補足的に附加説明すると次のとおりである。

第一節   被告人水上関係について

一、被告人水上関係の弁護人は先ず、「第一事故の際の乗客の負傷は第二八七列車の脱線により直接生じたものではなく、同列車と第二、一一七H下り電車の接触事故により生じたものであるが、右接触事故は同列車の脱線直後に発生したものであつて、被告人水上にとつて同電車の停止手配を講ずる時間的余裕は全くなかつたのであり、従つて同被告人にとつて右接触事故を防止する期待可能性はなかつたから第一事故の際の業務上過失致傷罪は成立しない。」旨主張するのでその点につき判断するのに、第二八七列車の脱線後、瞬時にして第二、一一七H下り電車がこれに接触したことは所論のとおりであるが、被告人水上が第一事故につき罪責を問われる所以は、同列車の脱線後同電車に対する列車防護をしなかつた点に存するのではなく、同被告人の信号注視義務違反等の業務上の過失行為により第一事故の結果を惹起した点に存するのであり、検察官の公訴事実もこの点を問題としているのであつて、当裁判所もこれを肯認したものにほかならない。しかも、同被告人の信号不注視等の判示業務上の過失行為と第一事故との間に法律上の因果関係が存することは明らかである。従つて弁護人の、第二八七下り貨物列車の脱線と第二、一一七H下り電車の接触との間に時間的余裕がなかつたことから、結果回避に対する期待可能性がないという右主張は的を射ないもので、到底採用できない。

二、同被告人関係の弁護人は次に、「(1)、同被告人は第二八七列車の脱線および第二、一一七H下り電車との接触事故により精神的シヨツクをうけて意識水準が低下し、第一事故後は『詮索反射』により行動していたのであつて、その間理性的行動を期待することはできないこと (2)、国鉄の保安規程は曖昧であり、そのうえ複雑膨大なため一般の現場職員にとつて理解が困難であること (3)、国鉄当局のダイヤ至上主義から先ず『確認』と『上司への連絡』が強調され、現場の職員が独断により列車を止めるには大きな勇気を必要とする一般的傾向があつたこと(4)、本件事故以前は、列車防護訓練については机上訓練のみで、事故を想定した実設訓練は行われていなかつたし、また発えん信号のたき方の訓練にしても年に二回春秋に行われていたが、実際は効果試験を主としたもので、任意参加形式のものに過ぎず、従つて万一の事故の場合ほとんど役に立たないものであつたこと (5)、同被告人が機関車から脱出したのは午後九時四一分五〇秒過ぎと認めるべきであるから、三河島駅岩沼方信号扱所に走行する余裕時分はなかつたこと (6)、同被告人が第二、一一七H下り電車の車掌室の信号えん管を取出すことは、電車運転の経験のない同被告人にとつて、車掌室内の様子は明確ではなく、どの部分に防護用具が備え付けられているか知らないのであるから無理であること (7)、同被告人は、機関士席または機関車の左側等からは第一事故により上り線を支障したことを知りえない状況にあつたこと、以上の各事情が認められるから、かかる状況のもとにおいては、同被告人に対し第二事故の結果を回避するため機宜の処置を期待することは可能である。」旨主張するのでその点につき判断するのに、右のうち(3)については証人村田静二(上野駐在運輸長付)、同町田錠太郎(三河島駅々長)、同亀井栄吉(柏駅々長)等の各公判供述によれば、運転事故の防止は先ず定時運転の確保により裏付けられるとする理念から、指導訓練においても定時運転が強調され、本件以前においては現場職員の間に一般に列車をなるべく止めたくないという傾向が醸成されていたことおよび事故状況不明の場合は、先ず確認し、上司に連絡して指示を仰ぐのが通例であつたことが一応認められ、また(4)についても同被告人が一度も信号えん管をたいた経験がないことは認められるが、同被告人の昭和三七年五月二二日付検察官調書によれば、同被告人は、列車防護について机上訓練をうけていたことおよびみずから列車運転中我孫子駅附近において発えん信号を認めて停止し、事故を未然に防止した経験があることが認められる。一方(1)については第一事故により同被告人が機関士室内において足をはさまれた際には精神的シヨツクがあつたであろうことは推認するに難くないが、同被告人の公判供述等によれば、同機関士室から脱出した後は、直ちに被告人安生の安否を気ずかつて同被告人に声をかけたことが認められ、さらに事故の連絡の意図をもつて岩沼方信号扱所に赴こうとした事情がうかがえるので、その頃には既にほぼ平常の意識水準にあつたものと判断され、(2)の点については本件事故当時の国鉄の保安規程が、多少抽象的の傾向があるとしても、現場の職員一般にとつて理解困難なほど曖昧または複雑膨大なものとは認められず、また(5)、(6)、(7)の各点については既に第四章第三節の一において説示したとおりであつて、それぞれ理由があるものとは認められず、結局以上の事情をもつてしては判示認定のごとき具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、これを同被告人と同様な状況におかれた一般の機関士と対比してみた場合、第二事故の発生を防止するため判示認定の注意義務を遵守することを同被告人に期待することは可能であり、従つて弁護人のこの点に関する主張は採用できない。

第二節   被告人安生関係について

被告人安生関係の弁護人は、「第二八七列車が三河島駅ホーム東端にさしかかつた頃は機関車の釜の蒸気圧が低下し、同列車は停止寸前の状況にあつたうえ、被告人安生は、同水上が『あ、いけない列車がとまつちやう。』と言つたのを耳にしたので、日頃蒸気機関車の機関助士はふん火作業が最も重要な職務であると指導されていた被告人安生が、機関車の停止という最悪の事態を意識して投炭作業に専念したのは、極めて自然であり、同被告人は列車運転に必要な最低限度の投炭をしたうえ、信号を確認しようとしたのである。同駅ホーム東端から同駅下り一番線出発信号機2RBまで同被告人は約四〇杯乃至五〇杯の投炭をしたが、同被告人としては、被告人水上が列車の運転を異常なく続けていたことを認識して投炭作業に入つたものであり、右信号機の確認は同被告人の喚呼があつた後になされるものであるのに同被告人の喚呼は全く聞いておらず、喚呼場所も被告人安生は知つていないのであるから、投炭作業が必要不可欠な右の場合、右の作業を中止して右信号機を確認することを期待することは不可能であり、また機関士に対する警告義務も信号確認義務を前提とするものであるから、同被告人にとつて信号確認義務を遵守することが期待できない以上、警告義務についても期待可能性がない。」旨主張するので右の点につき判断するのに、第二八七列車が三河島駅ホーム東端附近にさしかかつた頃には、一、〇〇〇分の一二の上り勾配のため、同機関車の缶圧力が出発当時の定圧よりは低下していたものと推定されるが、その頃同列車は時速約一五粁位で走行していたことは判示認定のとおりであり、証人白石篤治の公判供述によれば、右速度はその附近における貨物列車の通常の速度と認められるから、今にも停止寸前の状態にあつたとする弁護人の主張は首肯できず、また同駅ホーム東端附近から被告人安生が投炭作業に入つたこと自体はやむをえない処置であつたとしても、右投炭作業と信号確認義務とは両立しえないものではない。田端機関区の指導機関士なる証人内山貞義の公判供述によれば、同駅下り一番線出発信号機2RBの確認および喚呼応答は、同駅下り本線出発信号機2RAのために構本8の電柱に設置されていた信号喚呼位置標附近においてなされるのが通常であり、またそのように日頃指導されていたことが認められるうえ、およそ機関助士としてはたとえ投炭作業中であつても信号喚呼位置標附近においては、一旦作業を中止して機関士とともに信号を確認し、その現示状態を喚呼応答することにより危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があることは、判示認定のとおりであり(前記証人内山貞義の第四四回公判供述参照)、加えて右信号の確認は瞬時にして可能なのであるから、同駅ホーム東端附近において時速約一五粁で走行していた前記状況からすれば、右義務を遂行するため僅か数杯分の投炭が遅延したからといつて、それが直ちに列車の運行に重大な影響を及ぼすような事情にあつたものとは到底認められず、結局以上の事情をもつてしては、判示認定のごとき具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、これを同被告人と同様な状況におかれた一般の機関助士と対比してみた場合、第一事故発生を防止するため前記信号機2RBの確認および喚呼応答義務並びに機関士に対する警告義務を同被告人に期待することは決して難きを強いるものではないと判断される。従つて弁護人の右主張は採用しない。

第三節   被告人芳賀関係について

被告人芳賀関係の弁護人は、「被告人芳賀は第一事故により失神したため、第二、一一七H下り電車から脱出した後もまだ意識水準が低下しおり、心神耗弱の状態にあつたのであるから、上り線支障の状況および上り線上の乗客の集団等についてはたとえ目に入つたとしても、それは線路支障と理解し、乗客に対する危険を弁別することはできなかつたものであり、その後、同電車第一車両の最前部扉附近に女性の悲鳴を聞き、同所に赴き婦人客二名を救助した際には意識が或る程度回復していたことは認められるが、同被告人は第一事故の際生命の危険に直面し極度の驚愕と恐怖に陥つたうえ約三分間失神したため、右乗客救助の際も平常の意識水準にまで回復したものと考えられず、右救助行為は失神回復途上における『場面行動』にほかならず、さらに同被告人は右救助後そのまま車内に入り、第一、第二車両を経由して第三車両に入つたが、右行動も一旦形成された乗客救護の動機が意識水準低下のため継続しやはり『場面行動』として行われたものであつて、日頃かかる事故心理や肉体状況を克服して反射的に行動しうるような列車防護訓練がなされていなかつた事実に徴するときは、被告人芳賀にとつて、当時同被告人がとつた行動以上のことを期待することはできない。」旨主張するのでその点につき検討を加えるのに、判示認定のとおり被告人芳賀が一時失神したことは認められるが、同被告人が第二、一一七H下り電車運転士室より脱出した際には同電車の脱線、右傾の状況および上り線上の乗客の動静について具体的に認識しうる程度に意識が回復していたことは、同被告人の昭和三七年五月一一日付および同年五月二五日付(但し同被告人作成の事故現場見取図添付のもの)各検察官調書により明らかであり、右認定に反する同被告人の公判供述部分は右の各証拠と対比して信用できない。また女性の悲鳴を聞いてその場にかけつけた行為は心理学上いわゆる「場面行動」または「情緒的行動」として理解されうる(証人西川好夫、同鶴田正一の各公判供述による。)が、乗客の救助作業に従事した当時には少なくとも列車防護をなしうる程度に意識水準が回復していたことは証人西川好夫の公判供述に照らして推認できるところであり、従つて、この段階においてはもはや心神耗弱の状態にあつたものとは認められず、加えて前記第四章第三節の二において説示したとおり、その後第二事故を防止するため十分な余裕時分も手段も残されていたのであるから、なるほど日頃の列車防護訓練については弁護人主張の事情が一応認められるとしても、判示認定のごとき具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、これを同被告人と同様な状況におかれた一般の電車運転士と対比してみた場合第二事故の発生を防止するため判示認定の注意義務の遵守を同被告人に期待することは決して難きを強いるものではないと判断する。よつて弁護人の右主張は採用しない。

第四節   被告人美才治関係について

一、被告人美才治関係の弁護人は、「被告人美才治は第一事故後第二、一一七H下り電車車掌室の左側から下車して前方に走行し、第五車両前部附近に到つた際、貨物列車の機関車が右下り電車に覆いかぶさるような恰好で停車し、物凄い勢で蒸気と黒煙を噴き出している状況が目に入つたので、同被告人は桜木町事件を想起して機関車のボイラーの爆発による列車火災を危惧し、車掌室に引き返して、車掌スイツチを扱い左側扉を開いたが、右の時点においては、いまだ上り線支障を察知しえず、続いて同被告人は再び左側から降りて乗客に対し三河島駅方向に退避するよう連呼しながら前方に走行し、同電車第三車両附近まで到つた際、機関車のすぐ後ろに燃料タンク車が連結されていることを現認し、機関車のボイラーの爆発または同機関車の釜の火が右タンク車に引火してタンク車が爆発した場合列車火災の危険があることをいよいよ危惧し、同第三車両中央部附近の下をくぐつて同電車右側に出た際、上り線支障の虞ある当時の状況をほぼ現認したが、次の瞬間第二、第三車両の乗客中から『爆発するぞ』という叫び声が聞えたので、反射的に機関車のボイラーまたは燃料タンク車がいよいよ爆発の気配を示しているものと考え、直ちに車掌室に引き返して右側の扉を開いたのである。即ち、機関車やタンク車が爆発する客観的危険はなかつたとしても、同被告人は列車火災の緊急の危険が現在すると信じて乗客を退避させようとしたのであり、また右危険が急迫していると信ずるに足る相当の理由があつたのであるから(これにひきかえ上り列車の同所への進入は同被告人の認識としては単なる抽象的危険に過ぎなかつた。)、かかる場合、乗客を退避させるため左右の扉を開いた同被告人の右所為は、いわゆる誤想避難に該当するものであり、従つて右避難行為に忙殺されて第二事故に対する結果回避行為義務を遵守しなかつたとしても、同被告人の罪責は阻却されるべきである。」旨主張するので、その点につき判断するのに、被告人美才治の第一事故後の外形的行動、心理状態等はすべて判示認定のとおりであり(この認定については、特に同被告人の昭和三七年五月二六日付検察官調書の供述部分を重視した。)、公判審理の全過程に照らし、弁護人の右主張に副うごとき同被告人の公判供述部分はにわかに信用できない。仮に弁護人の右主張のとおりとしても、同被告人の場合、誤想避難が成立するためには、列車火災による乗客の生命等に対する危険が現在していると誤認したことが、当時の客観的事情に照らして相当な場合に限られると解すべきところ、同被告人が同電車左側第五車両附近において機関車のボイラーの爆発による列車火災の危険を仮に危惧したとしても、機関車と電車の停車状態および激しく噴出する蒸気と黒煙を目撃したということのみによつてはいまだ右危険が急迫していると誤認するにつき相当な客観的事情があつたものとすることはできないのみならず(この点につき証人白石篤治は当公判廷において機関車のボイラーの爆発という例は聞いたことはないが、水がなくなつて火が残つている場合は機関車には安全装置はついているものの、爆発ということもありうると供述しており、右は一般に考えられるところであるが、蒸気が噴出していたことはとりもなおさずボイラー内に水が残存していた証左であり、また事故が惹起した以上投炭作業が既に中止されていることは自明の理であるから、右目撃状況からボイラーの爆発による列車火災の危険が切迫していると誤認したとしても、それはいまだ相当な理由があるものとはいえない。)、同被告人が車掌室に引き返してからあえて爆発の危険を危惧したとする機関車に面した左側の扉を開いたことおよびその後再び同列車と同電車の間を前方に走行した事実自体からもむしろ爆発の危険が切迫していなかつた状況をうかがうことができる。また仮に同被告人が同電車右側に出た際、乗客の声を開いてボイラーの爆発または機関車の釜の火の引火によるタンク車の爆発による列車火災の危険がいよいよ切迫したものと誤認したものとすれば、ボイラーの爆発を危惧すべき客観的状況がなかつたことは前記のとおりであり、また同被告人がタンク車の積載物をガソリンと考えたことはもつともであるとしても(実際に揮発油が積載されていたことは判示認定のとおり)、機関士室の後部には長さ約七・五米の炭水車が連結されていたのであるから、タンク車に隣接する右炭水車が燃焼していたような場合ならともかく、炭水車に何等異常のなかつた本件の場合においては、機関士室の釜の火が炭水車を越えてタンク車に引火する危険が現実かつ急迫しているものと誤信することは、一般乗客中に爆発を懸念する声があつた事情を考慮に加えても、いまだもつて右誤認を相当とする客観的事情があつたものとすることはできず(それにひきかえ、同被告人は当時上り線の運行間隔が近接していたことを熟知していたのであるから、上り電車進入の危険こそ同被告人にとつて現実かつ切迫した具体的危険というべき状況にあつた。)、結局同被告人が左右の扉を開いた所為は誤想避難には該当しないものと当裁判所は判断する。いずれにせよ弁護人の右主張は採用しない。

二、次に同被告人関係の弁護人は、「同被告人が同電車右側第三車両附近において前頭部第一、第二車両の脱線右傾の状況をほぼ現認しながら、みずから前方防護をすることなく、後部車掌室に引き返して右側扉を開いたのは、当時同被告人がおかれた具体的状況(前項記載の弁護人の主張参照)のもとにおいては、運転諸規程および従来の指導訓練の実情に照らしまことにやむをえないものであり、国鉄のいかなる車掌であつても同被告人と同様な措置に出たであろうから、同被告人にとつて右の行為以外を期待することは不可能である。」旨主張するのでその点につき判断するのに、同被告人が第一事故後車掌室左側から降りて同電車左側第五車両附近に到つた時点において、既に第二事故発生に対する予見可能性が存在したことは判示認定のとおりであり、さらに前項で説示したとおり本件においては、列車火災の危険が現実かつ急迫していると誤認するのを相当とする客観的事情はいまだ認めえないから、仮に弁護人主張のとおり同被告人が列車火災を危惧したとして、当時の運転諸規程および指導訓練の実情を考慮に加えても、判示認定のごとき具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、これを同被告人と同様な状況におかれた一般の電車車掌と対比してみた場合、第二事故の結果を回避するため判示認定の注意義務の遵守を同被告人に期待することは難きを強いるものとはいえず、従つて弁護人の右主張は採用しない。

第五節   被告人小泉関係について

被告人小泉関係の弁護人は、同被告人が当時上り線の支障を認識できなかつたことを前提とし、「現場職員としては事故の発生した場合、線路支障の点が或る程度確認できなければ、停止手配をとりえない実情にあつた。」旨主張し、右は期待可能性不存在の主張と解せられるので、検討を加えるのに、当時現場職員の間に事故を確認するまではなるべく列車をとめたくないという風潮があつたことは弁護人主張のとおりである(前記第一節「被告人水上関係について」参照)が、第四章第三節の四、被告人小泉の項において既に詳細説示したとおり、手落ちなく状況を判断すれば、同被告人にとつて第二事故発生に対する予見可能性が存在したし、余裕時分も残されていたのであるから、判示認定のごとき具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、これを同被告人と同様な状況におかれた一般の当務駅長なる助役と対比してみた場合、第二事故の結果を回避するため判示認定の注意義務の遵守を同被告人に期待することは難きを強いるものとは認められず、従つて弁護人の右主張は採用しない。

第六節   被告人大橋関係について

被告人大橋関係の弁護人は、「(1)、被告人大橋は、第一事故によつて第二、一一七H下り電車が脱線し上り線を支障しているとの認識、判断は当時もちえない状況にあつたこと (2)、安全確保に関する規程中の綱領および運心によれば当時疑わしいときは手落ちなく考えて最も安全な措置をとれと規定されており、これは現場職員の独断専行を認めた趣旨ではなく、できる限り駅長その他上司の指示を仰いで行動するのが最も安全であると解説され理解されていたし、従つて三河島駅作業内規においても異常時には先ず駅長または助役の指示をうけることを第一義的な義務としていたこと (3)、異常時に対する実設訓練は踏切警手に対し踏切事故に関して行われていたに過ぎず、信号掛に対する指導訓練としては、もつぱら日常の業務過程においていかに作業ダイヤを守り確実に業務を遂行すべきかが教えられていたにとどまり、異常時の取扱については右指導訓練の過程で、先ず確認し、確認できないときは駅長の指示をうけて措置すべきことが強調され指導されていたこと (4)、被告人大橋から事故報告をうけた被告人小泉は当務駅長として三河島駅構内の事故対策につき全責任をもつべき地位にあつたが、上り線支障および第二事故発生の危険を察知しえず、上り線の停止手配をとらなかつたし、さらに右被告人小泉から事故報告をうけた常磐線列車指令員椎名和男も下り電車の脱線の有無を同被告人に問い正しておりながら、上り線支障の判断はなしえなかつたので、上り線の停止手配はとつていないこと(右椎名指令員のとつた上り線通知運転の一斉指令は運転整理のためのものであつて、停止手配としてなされたものではない。) (5)、被告人大橋は被告人小泉に対し事故報告をした際、同被告人から被告人糸賀を起して現場を確認せよとの業務命令をうけたので、そのとおり実行したまでであつて、右業務命令を実行せずまたは右命令を越えて独断専行することを期待することはできないこと、以上の各事情が認められ、かかる条件のもとにおいては、被告人大橋に対し右以外の行為を期待することは不可能である。」旨主張するので検討を加えるのに、右のうち、(3)の点については関係各証拠によれば、前記のとおり、本件当時異常時の列車防護に関する実設訓練があまり行われていなかつたことおよび状況不明の場合は駅長の指示を求めるのが当時通例であつたことは一応認められるが、他方(1)については、被告人小泉に事故報告をした時点においては被告人大橋にとつて第二事故発生に対する予見可能性が存在したことは判示認定のとおりであり、(2)については弁護人主張の規程が列車等の運行に危険の虞がある場合においても、現場職員の判断で機宜の処置をとることを認めたものではないと解説されまたは理解されていたとすれば、かかる解説または、理解は、前記安全確保に関する規程第一七条、第一八条を全然考慮に入れない誤つたものと断ぜざるをえないところであり、なお三河島駅作業内規第五八条には、駅構内で事故発生の場合駅長に報告する義務とともに、最も安全と認める手段により機宜の処置をとるべき義務が規定されていること前記のとおりである。(4)については被告人大橋の報告内容から被告人小泉が上り線支障の事実を咄嗟に察知しなかつたことは、弁護人主張のとおりであるが、同被告人にとつて第二事故発生に対する予見可能性が存在したことは判示認定のとおりであるし、また椎名指令員の上り線通知運転の一斉指令は停止手配としては不十分なものであることは肯認できる(前記第四章第四節「列車指令員椎名和男の業務上過失について」参照)が、前記のとおり、椎名指令員は単なる運転整理のためばかりではなく、上り線支障の虞を察知して上り列車を駅に一斉に停止させることを主な目的として通知運転の指令を発したものであることおよび現実には、列車停止手配の措置として通常通知運転が行われていたことが認められ、(5)については、被告人大橋が同小泉から弁護人主張の業務命令をうけた事実は認められるが、前記第四章第三節の五の被告人大橋の項において説示したとおり、被告人大橋としても、みずから下り電車脱線の強い疑念をいだいた以上、しかも第二事故の結果を回避するための十分な余裕時分および極めて簡便かつ確実な手段が存したのであるから、右業務命令を実行することに拘泥することなく、即座に、みずから三ノ輪信号扱所に電話連絡するなどして上り線停止手配を講ずることは決して不可能を強いるものではなく、結局弁護人の主張に副う前記各事情を考慮しても、判示認定のごとき具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、これを同被告人と同様な状況におかれた一般の信号掛と対比してみた場合、判示認定の注意義務の遵守を同被告人に期待することは難きを強いるものとはいえない。よつて弁護人の右主張は採用しない。

第七節   被告人糸賀関係について

被告人糸賀関係の弁護人は、「(1)、被告人糸賀は本件第一事故発生前、半日以上勤務し、当日は岩沼方信号扱所内の窓掃除もしたので肉体的に相当疲労していたうえ、午後九時一〇分頃から公眠時間に入り就寝したので、勤務より解放された安堵感から当時疲労が一時に出たものであること (2)、同被告人は熟睡中を突然起され被告人大橋から現場確認方を命ぜられたものであること (3)、本件当時の運転取扱心得第五一五条によれば、『この心得に定めていない異例の事態の発生したときは、その状況を判断したうえ列車の運転に対して最も安全と認める手段により、機宜の処置をとらなければならない。』と規定され、最も安全と認める手段が何であるかを具体的に明示せず、即ち、規程上事故発生と列車停止手配とが条件反射的に結び付けられていなかつたこと (4)、三河島駅作業内規第一四五条によれば事故発生の場合は同信号扱所の信号掛の業務一切は見張掛なる信号掛が負担し、梃子掛なる信号掛は連絡および手信号のため同信号扱所の外に出ることが規定され、実際もそのように行われてきたのであるから、同被告人は当時信号掛としての職責から離脱していたものであること、以上の諸事情が認められるから、同被告人に対し上り線停止手配に専念すべきことを期待するのは不可能である。」旨主張するのでその点につき判断するのに、右のうち(3)については、弁護人主張のとおり当時の運転取扱心得第五一五条からは事故即列車停止というように明確に規定されたものとはいえないが、安全確保に関する規程第一七条には条件反射的とはいえないまでも「列車等の運行に危険の虞があるときは直ちに列車等の停止手配をとることが多くの場合危険をさけるのに最もよい方法である。」旨の一応具体的な規定も存したのであり、(4)についても三河島駅作業内規第一四五条は一応の分担を表で示したにとどまり、証人町田錠太郎の公判供述によれば、右規定中の「連絡」とあるのは口頭の連絡のほか電話による連絡も含む趣旨であり、列車指令員との電話連絡、他の信号扱所との電話連絡等は当然含まれていることが認められるのみならず、異常時の場合は併発事故防止のため職責の如何を問わず一致協力して事に当らねばならないことは安全の確保に関する規程第一七条、第一八条に明らかに規定されているところである。

従つて仮に弁護人主張の(1)、(2)の事実がそのまま認められるとしても、被告人糸賀が同井上からの電話に出た頃には、既にほぼ平常の判断力を備えた精神状態に復していたものと認められることは前記第四章第三節の六の同被告人の項において説示したとおりであるから、判示認定のごとき具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、これを同被告人と同様な状況のもとにおかれた一般の信号掛と対比してみた場合、判示認定の注意義務の遵守を同被告人に期待することは決して難きを強いるものとはいえず、結局弁護人の右主張は採用しない。

第六章   情状について

一、およそ鉄道事業の最高の使命が、公衆の生命、財産の安全な輸送にあることは既に述べたとおりであるが、近年における日本経済の高度の成長に伴ない、輸送力の増強が社会的に要請され、右輸送需要の急激な増加に対処するため、ダイヤの稠密化、列車のスピードアツプ、車両編成の長大化の傾向が顕著となり、それだけ列車運行の安全度が低下して、一旦事故が発生した場合、連鎖反応的に併発事故を誘発し、甚大な被害を惹起する要因となつていることは否定し難いところである。しかも、生産、流通、消費の増大、人口の都市集中等の傾向は、ますますダイヤの稠密化に拍車を加え、殊に東京都周辺の各交通機関、別して常磐線は、同都の過度の人口集中の影響から、むしろ稠密ダイヤ(過密ダイヤといつても同じことである。)という一本の支柱によつて、からくも支えられているのが現実であるというも過言ではない。また、常磐線のごとき雑居線、即ち、一本の線路上を特急気動車以下貨物列車に至る一〇種類近くが雑居して走つていることも、安全度の観点よりみて問題である。もとより当裁判所に課せられた使命は、公訴提起にかかる本件被告人らの刑事上の責任の有無とその責任の量とを証拠に基づき冷静に判断すること以外になく、この裁判によつて将来の事故防止に役立てたり(その反射的効果はともかく)、国鉄首脳部の行政責任を云々したりする考えは毛頭ないのであり、またそのようなことを考えるべき筋合ではない。ただ本件の審理を通じていえることは、国鉄当局において、従来とかく輸送力の増強が強調されるあまり安全保安施設が取り残されてきたという感想を否定しえないことである。人間の不注意を責めるのは比較的容易である。しかし人間の注意力や咄嗟の判断力を過信することは、事故対策としては究極的な解決にはあまり役立たないであろう。今後は稠密ダイヤ解消の方策を真剣に考慮するとともに、人命尊重の精神に徹した、しかも人間の注意力依存を脱却した安全保安の施設が開発、普及され、むしろ保安部門が国鉄という公共企業体の根幹となり、他の部門に優越する地位が与えられるよう基本方針の転換を図ることが急務であり、それとともに現場職員が物心両面にわたつて優遇されることが、是非とも必要である。このようにしてはじめて「安全は輸送業務の最大の使命である」という綱領も生きてくるのである。しかしそれは、国鉄という企業体の内部のみで解決するにはあまりに大きな問題に連なつており、全国民各自が真剣に考えねばならないことでもある。

いずれにせよ、国鉄当局は、右安全輸送の使命を完遂するため、単に現場職員の注意力のみに依存することなく(現場職員に対する適切な指導訓練により、日頃危険に対処する注意力の涵養に努めることが重要であることはもとよりであるが)、あらゆる努力を尽して事故防止のため保安設備の拡充、改善を図らねばならぬことは当然の責務である。

これを本件についてみるに、当時第二八七貨物列車の機関車には車内警報装置が設備されていなかつたし、安全側線には安全側線用緊急防護装置が設置されていなかつたし、第二、一一七H下り電車車掌室には車内放送装置の設備すらなかつたことなど、保安設備の面において不十分な点があつたことが指摘されるが、これは国鉄当局の道義的責任というのほかなく、そのほか、異常事態に処する指導訓練の面においても、机上訓練に重点がおかれ、非常事故を想定した実設訓練に欠ける傾向があつたことなど、周到な訓練の不足が指摘されなければならないが、これは、当局および現場職員を含む国鉄全体として深く思いを致すべき点であろう。さらに本件当時、定時運転確保の理念がいわゆるダイヤ至上主義として誤つて強調されていた事情もうかがえるのである。元来国鉄において定時運転の確保が要請される所以は、列車がダイヤどおり正常に運行されることが、即ち事故防止にも役立つからにほかならないからである。従つて、一旦事故が発生し、または事故の発生が予想されるような事態に直面した場合にまでこれに拘泥して、迅速適切な防護措置を怠るときは、それが事故の原因となつたり、さらには併発事故を惹起することにもなるのである。それ故、一旦事故が発生した場合は、併発事故防止のため万全の措置を講ずべきであるのに(安全の確保に関する規程はこのことを明示、強調している)、現場職員の間には、右安全の確保に関する規程を単なる題目的精神規定と解し、定時運転が至上目的であるかのように誤解し、それが安全輸送の至高目的に奉仕する手段に過ぎないことを忘れ、列車を止めることに躊躇を感ずる弊風が醸成されていたことは、証拠上認められるところであり(この点については後記二の所論参照)、もし国鉄当局においてかかる風潮に気付いていなかつたとすればその道義的責任もまた軽視しえないところである。

しかしながら翻つて考えるに、本件各事故は、右の諸事情によつて不可避的に発生したものではなく、またその他の偶然稀有の現象が加功して予想しえない大惨事を招来したものでもなく、前記各被告人ら(加えて列車指令員椎名和男)の注意義務の懈怠が直接的かつ決定的原因となり、その結果当然予想しうる重大な災害が発生したものと断ぜざるをえない。およそ機関士および機関助士が前途の信号を注視または確認すべきことは列車運転に際して遵守すべき必要、最低限度の基本的注意義務であつて、本件第一事故が被告人水上、同安生の右基本的義務の懈怠により発生したものであることが明白な以上、右被告人等の責任は弁解の余地のない重大なものといわなければならない。また一旦事故が発生して併発事故が予想されるごとき危険事態に直面した場合には、右危険個所に進入する列車の停止手配を講ずべきこともまた運転従事員に課せられた必要、最低限度の基本的注意義務であり、あえて実設的指導訓練をまつまでもない当然の事柄に属し、本件第二、一一七H下り電車に乗り合せた一般乗客中には、第一事故後若干の時分が経過していることから、上り電車の停止手配は当然とられたものと安堵していた者も多く、なかには列車防護措置が講ぜられていないことに気付いて「発えん筒をたけ」と叫んだ者(証人高橋政蔵の公判供述参照)もあり、或いは目前に迫つた第二、〇〇〇H上り電車の前に両手を横に広げながら立ちふさがり、自己の生命を投出して同電車を停止させようとした者がいたという、非痛な事例も、証拠上認められるところである。しかるに、いずれも第二事故の発生を予想しうる状況におかれ、しかも時間的にも行動的にもそれぞれ右事故を防止することが可能であつたところの被告人水上、同芳賀、同美才治、同小泉、同大橋および同糸賀(加えて椎名列車指令員)のうち、誰一人としてその義務を完遂しなかつたことは誠に遺憾というのほかない。第二事故発生の直接的且つ決定的原因が被告人らの右過失行為に存すること明らかな以上、その責任もまたほとんど弁解の余地のない重大なものといわなければならない。

いうまでもなく、一般乗客は、国鉄職員を全幅的に信頼し、その生命、財産を託しているのであるから、勤務中の現場職員は、特に非常事故発生の際は、いささかなりともこの信頼に違背することのないよう措置すべきであるのにかかわらず、前記被告人ら(加えて椎名列車指令員)の過失行為は甚だしくこの信頼に違背したものと断ぜざるをえない。

本件事故により、一六〇名にのぼる尊い人命が喪われ、そのほか、多数の重軽傷者を出し、また物的にも多大の損害を生じたが、当裁判所は結果の重大なことのみを強調して被告人らの責任を重しとするものではない。しかし、国鉄史上屈指ともいうべき、かくも多数の死傷者を生じさせた事実自体、遺族の悲歎、各被害者の怒り、さらにはその社会的影響に目をおおうことは許されないのであつて、しかもその直接の原因が、前記被告人らが運転従事員として遵守すべき基本的注意義務を懈怠したことにある以上、その責任は厳に追及されねばならないのである。

従つて被告人らは法律の定めるところにより、それぞれ刑責を負わなければならないが、他面前記のごとく、指導訓練、保安諸設備等が満足すべきものでなかつた事情、また既に述べたごとく、列車指令員の注意義務の懈怠が競合している事情、被告人水上および同安生については、信号機2RBの見通し状況につき若干消失または散見する区間があつた事情、その余の被告人ら(殊に芳賀、美才治)については、第一事故による被害者的立場にあつた事情、被告人らがいずれも本件に至るまでいわゆる責任事故を起したことなく長年にわたつて国鉄において職務に精励してきた事情(日常の仕事に忠実な人は、ややもすると異常時に処するに弱い面を持つているものであるといえる。)および被告人らがいずれも善良な市民として社会にいささかの迷惑を及ばすことなく過してきた事情、さらには本件各被害者に対し国鉄当局においてできる限りの慰藉の道が講ぜられた事情等を十分参酌したうえ、当裁判所は被告人らに対し主文掲記の各刑に処するのが相当と思料したのである。

なお被告人小泉については、同被告人が判示認定のごとく、第一事故発生に至る経過を何等目撃しておらず、また同事故を直接体験、現認せず、さらには第二事故発生に至るべき危険事態に直面していない点、特に同被告人の場合椎名列車指令員に事故報告をしており、同指令員が同被告人に比し列車停止の手配を講じやすい地位にあり、また講じえた点、その他諸般の情状に徴し、また被告人糸賀についても、同被告人が判示認定のごとく、第一事故発生後、公眠中を起され、同事故発生に至る経過を何等目撃しておらず、また状況確認を依頼されたためそのことに心を奪われていた点、被告人井上の電話に対して不十分な応答ではあつたが、その内心においては上り線停止手配の意図があつた点、その他諸般の情状に徴し、右被告人両名の判示各過失行為をいずれも執行猶予相当と認めたのである。

二、

(1)  先ず、三河島事故後、運心第五一五条に第二項として、「運転事故の発生のおそれのあるとき、または運転事故が発生して併発事故を発生するおそれのあるときは、ちゆうちよすることなく、関係列車または車両を停止させる手配をとらなければならない」という規定が追加され、また東転保第三八号「輸送の安全確保について」(昭和三七年五月一三日付)が定められ、これによれば、「三河島事故にかんがみ(中略)二、事故発生のおそれのあるときは、ちゆうちよすることなく列車の停止手配をとること(中略)四、信号掛は、駅構内において、列車衝突、列車脱線、車両脱線その他線路を支障するおそれのある場合は、直ちにすべての信号機に停止信号を現示し、安全であることを確認してから、列車および車両の運転を開始すること(後略)」と規定されたことについて一言しなければならない。

検察官は、運心第五一五条二項の追加および東転保第三八号の制定は、その根本的な考え方において従来と変るところはなく、また指導方針を変更したものでもないと主張し、弁護人側の主張は概してこれと対立している。当裁判所としても、これらの規定の追加、制定が本件事故後になされたとはいえ、その追加、制定の直接の契機が本件事故にある以上、当然無関心ではありえないところである。

既に挙示した「安全の確保に関する規定」の綱領第五号、同規定第一七条、第一八条および改正前の運心第五一五条と、前記運心第五一五条二項および東転保第三八号との各規定内容自体を詳細に比較、検討するのに、少なくとも、国鉄当局において、従前の規定の内容が抽象的な傾向のある定め方であつたことおよび本件事故当時現場職員の間に運転事故またはこれに伴なう併発事故発生の虞のある場合、列車の停止手配を講ずることに躊躇、抵抗を感ずる風潮があつたのではないかということを半ば反省した結果、前記各規定を追加、制定するに至つたものと解さざるをえないのである。

運心第五一五条二項の追加については、その立案を担当した国鉄本社保安課補佐三和達忠は証人として当公判廷において、実際に事務を処理するうえから安全確保の指導をさらに強化する必要を認め、具体的に列車を止めることについての理念をはつきり打出す意味で第五一五条の強化を計つた。第二項を入れなければ、第一項だけでは安全を期し難いということではなかつたのである。「ちゆうちよすることなく」を入れた理由は、安全確保のためには、列車の停止が他の処置に優先するということを明示したのであるとの旨供述している。

また、東転保第三八号の制定については、当時の東鉄管理局運転部保安課長吉原秀治は証人として当公判廷において、三河島事故の発生により、列車防護を重点的に指導すべきであろうという考えになつた。従前の規定ではまかなえないということではなくて、従前のものが抽象的になつていたのを、具体的にこうせよと定めたのである。「ちゆうちよすることなく」の意味は、事故発生の虞のあるときは、列車の停止手配を、こわがらないですぐとりなさい、考えることなく直ちに列車を止めなさいということであるとの旨供述している。

当裁判所は、右各証人のほか弁護人側の関係証人の各公判供述を参考とし、前記運心第五一五条二項および東転保第三八号が追加、制定されるに至つた経緯を慎重に考究した結果、国鉄当局において列車防護についての指導訓練面を一層強化する必要性を認めるに至つたことおよび停止手配を講ずべき点については、根本的な精神においては従前と変化はなくとも、具体的な場合、停止手配が従前に比して容易に講じうるようになつたことは、これを認めざるをえないのである。

もとより当裁判所は、全被告人の刑事責任の有無とその責任の量を決定するについては、右の事情を十分考慮に加えたことを指摘したい。

(2)  次に、国鉄当局が、三河島事故を契機として、保安対策の立遅れを痛感し、その強化のため、車内警報装置および安全側線の普及、整備に真剣に取組むことになつた点、現に、本件安全側線にもいち早く緊急防護装置が設置されたほか、常磐線にもS型車内警報装置および車内放送装置が整備され、また既に述べた信号機の散見区間には新たに中間閉そく信号機が設置されたことは注目すべきである。

三、しかしながら、他方東海道新幹線新設のため何千億の巨費が投資され、人間の注意力依存から脱却し、新たに列車集中制御装置C・T・Cや自動列車制御装置A・T・C等科学の粋を集めた諸設備が開発されたことを思うとき、車内警報装置も車内放送装置も十分設備されていなかつた常磐線において、本件のごとき重大事故が起つたこと自体、その直接かつ決定的な原因が被告人らの過失行為にあるとはいえ、国鉄当局の在り方に不均衡、矛盾の感をいだかざるをえないのである。

国鉄当局としては、再びかかる重大事故を惹起することのないよう既に述べたごとき万全の方策を講ずる一方、現場の運転従事員も、貴重な人命等を託される国鉄マンとしての意識に徹することこそ、亡き一六〇名にのぼる多数の尊い犠牲を無にしないための唯一の方途であることを銘記すべきであろう。

第七章   無罪の理由等について

第一節   被告人栗原庄寿に対する公訴事実について

被告人栗原庄寿に対する公訴事実の要旨は、「被告人栗原庄寿は国鉄水戸鉄道管理局水戸車掌区車掌として列車に乗務し旅客および荷物の輸送、列車内の秩序保持、列車の運転および制動機の取扱等の業務に従事する者であり、午後九時頃の時間帯の三河島駅附近における上、下線列車の運行間隔が極めて近接していることを知つていたものであるが、昭和三七年五月三日第二八七下り平駅行き貨物列車に車掌として乗務し、その乗務していた最後尾の緩急車が三河島駅ホーム横を通過中、隣接する下り本線上を同駅発車直後の第二、一一七H下り電車が進行しているのを認め、引続き監視していたところ、右列車と電車がともに加速して進行を続け、右列車が亘り線の手前で停止するにはすでに制動措置がとられるべき距離に達してもその措置がとられないまま進行を継続し、一方右電車もまた依然として進行を継続していることを認め、右列車および電車のいずれかが停止しない限り、両者が右亘り線附近において衝突するか或いはいずれかの脱線は必至であると考え、右列車を急停車させるべく車掌弁を引こうとした瞬間、右列車が脱線してこれに右電車が接触し(判示第一章第六節の二参照)、右緩急車は三河島駅ホーム駅長事務室から約一三〇米南千住駅寄りの地点で停車した。被告人栗原は、右のごとく事故発生必至の状況を認識していたばかりでなく、右列車と電車の接触によるシヨツクをうけ、かつ右接触の直後同電車が停止して短急汽笛を吹鳴し、同電車後尾の前照灯が点灯し、一方機関車からの汽笛合図がなかつたことなどの状況から、右接触事故が発生し、これによつて右電車が上り本線側に脱線し、そのうえ同電車の多くの乗客が上り本線の線路上に下車して歩行を開始するなど上り本線の支障をきたし、同所に上り列車が進入するときは、これを右電車および線路上を歩行する多数の乗客等に激突させるであろうという危険な状態を現出し、かつ右接触事故により機関士および機関助士が死傷しているであろうことを察知した。かかる場合被告人栗原は列車の運転の安全を図るべき職責を有するとともに、多数の乗客の生命等の安全確保のため万全の措置を講ずべき車掌として、右危険個所に上、下線列車、とりわけ上り列車を進入させることが極めて危険であることは予想するに難くないところであつたから、直ちに三河島ホーム駅長事務室に急を知らせ、上り列車を停止させる措置をとらせるか、或いは上り列車のための防護の措置として、発えん信号または臨時手信号による停止信号を現示しながら前方に走行すべき業務上の注意義務があり、これらの措置をとることなく前方に走行した場合においても、三河島駅岩沼方信号扱所附近においては、すでに上り本線上を歩行する乗客を認めたのであるから、直ちに同信号扱所の信号掛に連絡して上り列車を停止させる措置をとらせ、或いは同信号扱所備え付けの信号えん管もしくは所携の合図灯を使用し、または第二、一一七H下り電車車掌室に置かれた信号えん管を使用し、上り本線上において発えん信号または臨時手信号による停止信号を現示しながら前方に走行して上り列車の進行を阻止すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、合図灯を手にしながら漫然事故情況確認のため、第二八七下り列車と第二、一一七H下り電車の間を通行していてその措置をとらず、前記危険個所に上り列車が進入する危険状態を放置し、そのため同日午後九時四三分二〇秒頃、おりから定時より約二分余遅れて前記事故現場に進行してきた高橋英治の運転する取手駅発上野駅行き第二、〇〇〇H上り九両編成電車を前記のごとく脱線停止中の第二、一一七H下り電車並びに線路上を歩行中の多数の乗客等に激突させ、第二、〇〇〇H上り電車の前部四両を脱線大破させ、そのうち二両目および三両目を築堤下に転覆させ、第二、一一七H下り電車の前部二両を大破させるとともに、その際の衝撃等により別紙(被害者関係)第二の一、同第二の二および同第三の各記載のとおりの死傷者を生じさせたものであるが、右は被告人水上憲文、同安生磯(但し検察官は、予備的に訴因を撤回した。)、同芳賀幸雄、同美才治禎広、同小泉義一、同大橋信、同糸賀宇佐美および同井上由太郎らの各業務上過失との競合によるものである」というにあるが、結論的に言えば、当裁判所は、被告人栗原にとつて、第二事故発生に対する予見可能性の存在するに至つた時期、従つてまた同事故の結果を回避すべき注意義務の発生した時期は、第二事故直前の頃であり、従つて余裕時分の点から考え同被告人らにとつては、右注意義務の遵守は不可能であつたものと判断する。以下その理由を詳論する。

(一)  先ず検察官は被告人栗原が第一事故直後に第二八七列車と第二、一一七H下り電車の接触事故および上り線支障の状況並びに右接触事故により機関士および機関助士が死傷しているであろうことを察知した旨主張するので、この点につき検討する。

証人佐藤一雄(水戸鉄道管理局列車課課長補佐)、同物井恒雄(水戸車掌区車掌兼助役)、同綿引伊勢治、同守谷勝友(いずれも車掌)、同幡谷元一(水戸鉄道病院外科医長)および被告人栗原の各公判供述並びに同被告人の昭和三七年五月六日付および同月二二日付各検察官調書の供述記載を綜合すると、当日同被告人は、その乗務した右列車の緩急車が三河島駅ホーム駅長事務室附近を通過中、下り本線上を発車直後の右電車が進行しているのを同緩急車右側窓から認め、同緩急車前部のデツキ上に立ち引続き監視していたところ、同電車が同列車を追い越すように次第に加速し進行するのを認めたので、旅客優先の原則から、同列車は亘り線手前で停止信号に従つて停車するものと考えていたこと、しかるに同列車が制動措置をとることなく依然進行を継続していることに不審感をいだき、みずから車掌弁を引いて非常制動をかけようとした瞬間、同列車が急停車したため、同被告人は緩急車前部のデツキ上に投げ出され一時失神したこと、約一分後に意識を回復して所携の合図灯で懐中時計を見た際午後九時三八分頃であつたこと、その頃同電車の方向から断続的な汽笛音が聞えたので、同被告人は異常感をいだき、同デツキ上に立つて前方を眺めたところ、同電車後部車両の室内灯および尾灯が異常なく点灯して停車しているのが見えたこと並びに同被告人がそれまでの経過および目撃状況から、列車が停止信号によつて急停車し、これに関連して電車も停車したと察知したことが、それぞれ認定できる。

果してしからば、右時点における同被告人のおかれた具体的状況のもとにおいて第二事故発生に対する予見可能性が存在し、従つてまた結果回避義務が発生したか否かについて判断するのに、右の点につき同被告人は当公判廷において、同列車は非常制動で停止し、同電車はまぐろ(飛込み自殺)で停車したものと思つたとし、結局両車の停車の間には何等関係がないと判断したもののように供述し、一方前記五月二二日付検察官調書によれば、電車の短急警笛を聞き、単なる急停車ではなく事故だと直感したが、さらに右電車の警笛に対し機関車の方では何等汽笛を鳴らさないので機関車が脱線し、機関士や機関助士が死んでいるかも知れないと思つた。しかし同電車の後部には電気がついているので同列車が下り本線に乗り入れて同電車と衝突したとは思わず機関車の脱線による下り線支障の程度と考えた旨の供述をしている。前記認定の各事実に照らせば、同列車の急停車と同電車の停止状況との間に何等の関連がないと考えた旨の同被告人の前記公判供述部分は、いかにも不自然かつ不合理で直ちに信用できないが、右認定の各事実を基礎とした場合、同被告人は同列車の急停車によるシヨツクにより一時失神したため、接触事故による接触音および火花(判示第一章第一〇節の一の(三)被告人美才治の項参照)を何等認識しておらず、意識回復後も同緩急車からは機関車前頭部附近が全く見えない状況であつたこと〔当裁判所の昭和三九年一月一七日付検証調書(但し昭和三八年六月二一日午前零時五四分から実施の分)により、ほぼ明らかである。〕および下り電車後部車両が何等異常なく電灯もついたままで停車していた状況を併せ考察すれば、同被告人にとつて、およそ、同被告人と同様の具体的状況のもとにおいて、全長約四二九米の貨物列車の最後部で機関車との何等の連絡設備もなく、ひとり孤立している一般の車掌を標準としてみた場合、あるいは貨物列車の急停車と関連して下り本線を支障したため下り電車が停車しているのではないかと考えたとしても、進んで同列車と同電車の接触事故が発生し、同事故による上り線支障の虞、さらには上り線を支障したことまでを察知しえたと認めることは到底困難である。従つて同被告人が機関車の汽笛合図のないことから、機関車の脱線および機関士、機関助士の死傷事態を察知したとする前記検察官調書の供述部分は信用できない〔なるほど、運心第四一五条(前掲職別運心機関士編第二一五条も同じ)によれば、非常事故を生じたとき、機関士は汽笛合図を行わなければならないと規定されてはいるが、この規定のある故をもつて、逆に、汽笛合図がないことから、最悪に近い機関車の脱線、機関士や機関助士の死傷を察知すべきであるという結論は、当然には出てこない。〕それ故、前記検察官の主張は採用できず、結局、同被告人にとつて、意識を回復した午後九時三八分頃には第二事故発生に対する予見可能性は存在しなかつたものと当裁判所は判断する。従つて右時点においては第二事故に対する結果回避義務(検察官の主張によれば、直ちに三河島駅ホーム駅長事務室に急を知らせ、上り列車を停止させる措置をとらせるか、上り列車のための防護の措置として発えん信号または臨時手信号による停止信号を現示しながら前方に走行すべき注意義務)も発生しない道理である。

(二)  次に検察官は、被告人栗原が三河島駅岩沼方信号扱所附近に到つたときは、上り本線上を歩行する多数の乗客を認め上り線支障の虞を認識したのであるから、直ちに第二事故を防止するための機宜の措置をとるべき注意義務がある旨主張するので、右の点につき判断するのに、検察官が挙げる証人前田一郎(一般乗客)の公判供述並びに末永喜代治、渡辺孝義、桜井次男、三浦由紀子、蛯原千恵子および鞠子作衛(以上、いずれも一般乗客)等の司法警察員に対する各供述調書、その他被告人芳賀および同美才治の各公判供述を綜合すれば、なるほど、第一事故後第二、一一七H下り電車の乗客中三河島駅ホーム方向に歩行している人がいたことは一応推認できるが、検察官は、被告人栗原がそれらの歩行者を目撃したこともしくは認識しうる状況のもとにそれらの歩行者とすれ違つたことを、当裁判所に確信させるに足る立証をしていない。

即ち、被告人栗原の公判供述によれば、同被告人は前記認定のとおり意識を回復した頃、電車の前記断続した汽笛音を聞いてデツキの上に立ち少しの間電車の方向を眺めたが、機関車附近の状況が全然判明しないため、緩急車右側に降り、状況確認のため、合図灯を手にし前方に向つて走行したことが認められるのであるが、走行し始めた時刻については明確な証拠がないので、一応約三〇秒後(当時同被告人のとつた右具体的行動から、この程度を相当と認める。)の午後九時三八分三〇秒頃行動を開始したものと推認する。一方行動を開始した緩急車前部右横の位置は関係各証拠を綜合すると、日暮里零起点約一、三一五米の地点である(司法警察員西寅二作成の検証調書によれば、第一事故後貨物列車の第五車両のトラ一二五〇六番の後部車輪が亘り線始端附近―日暮里零起点約一、六六七米の地点―にある転てつ器5ロの位置にあつた事実が認められ、検察官作成の検証調書添付の、右車両と同型であるトラ六〇〇〇型無蓋車形式図によれば後部車輪から同車両の後部までの長さは約二・五米あり、また判示認定の貨物各車両の長さから算出すると第六車両以下緩急車までの長さは約三五八米であるから、右の各事実から緩急車後部の位置は日暮里零起点約一、三〇七米の地点となり、それに緩急車の長さ約七・八米を加えればよい)。その後同被告人は、前記急停車のシヨツクにより足部および腰部を打撲していたため思うように走れなかつたうえ、足元が暗く、またバラス(軌道敷内の小石)のため歩行しにくい状況にあつたので、足元を合図灯で照らしながら同列車沿いに、主として下り一番線と下り本線の間を走行したことが認められるが、同被告人の姿を右信号扱所附近において目撃した歩行者がいたと認定できる証拠は何等当公判廷に顕出されておらず、また検察官が挙げる前記各証拠によつても、単に同電車第一車両乃至第四車両附近においては、三河島駅ホーム方向に赴く乗客がいた事実を認めうるのみで、果して右乗客らがすべてその後三河島駅ホームまで歩行したか否かについては、これを肯認するに足る証拠はない(却つて、附近の住民が線路脇の築堤に梯子等をかけて乗客を誘導救助したことは判示認定のとおりであるから、或る程度のものは右梯子その他により途中から土手下に降りた事実も推認しうるところである。)。また仮に同被告人が三河島駅ホーム方向に向う歩行者とすれ違つたという客観的事実があつたとしても、検察官主張のように引きもきらず歩行していた状態(論告要旨二五五頁参照)とは到底認められず〔このことは、証人前田一郎、同滝沢三郎(前記のとおり、三河島駅信号掛兼予備助役)も当公判廷において、右前田は、第二事故直前に三河島駅ホーム東端の上り線側で事故現場方向を見ていたところ、四、五人の乗客が三河島第一架道橋の上り貨物線上を歩いているのを目撃したと供述しているのみであり、また右滝沢は、ホーム東端を降りてから右信号扱所まで、下り本線上を歩行したが、その間歩行者には一人も気付いておらず、右信号扱所附近に到つてはじめて僅か四、五人の歩行者に気付いたと供述していることからも推定できる。〕。加えて歩行者の大部分は前記のようにバラスのため歩行しにくい線路内よりも歩行しやすい上り線路脇の土手の上を歩行したであろうと想像されるから(附近の住民の一人高橋興生は、司法警察員に対する供述調書中で、第一事故後上り線路脇の築堤にかけてあつた材木を伝つて、線路上に登り現場に向つたが、乗客中には崖際を歩いて三河島駅ホームの方に向つていた人もいた旨供述している。)、下り一番線沿いに走行していた同被告人との間には約八米位の間隔があいていたものと認められ、かつ夜間であることを考慮すれば、走行者を認識するのは困難と推認され、結局当裁判所としては、検察官挙示の全証拠をもつてしても、同被告人が当然認識しうる状況のもとに歩行者とすれ違つたものとは確信するには至らない。

その他、同被告人が同信号扱所附近に到るまで歩行者を認めたことを肯認するに足る証拠もないから、結局被告人栗原が、検察官調書、当公判廷を通じ一貫して、同信号扱所附近に到るまで歩行者とすれ違い、または認めたことはないとの旨供述しているところを信用するほかはなく、それ故、右時点においてはいまだ同被告人にとつて上り線支障の虞を察知しえず、第二事故発生に対する予見可能性が存在しなかつたものと判断されるから、従つてまた結果回避義務(検察官の主張によれば、直ちに右信号扱所の信号掛に連絡して上り列車を停止させる措置をとらせるか、同信号扱所備え付けの信号えん管もしくは所携の合図灯を使用し、または第二、一一七H下り電車車掌室に置かれた信号えん管を使用し、上り本線上において発えん信号等による停止信号を現示しながら前方に走行すべき注意義務)も発生しない道理である。

(三)  同被告人の公判供述および前記各検察官調書の供述記載を綜合すると、同被告人はその後さらに前方に走行して第二、一一七H下り電車後部に到り、同所からは同電車と列車の間を走行したが、同電車第六車両の左横を走行した際、はじめて同車両右側の上り本線上にいる乗客の話し声に気付き、さらに同電車第四車両の後部附近(同電車後部の位置日暮里零起点約一、六三五米に二車両分の長さ四〇米を加えれば同起点約一、六七五米の地点となる。)に到つた際、列車と電車の接触事故を認識したことが認められ、第二事故発生の際は、貨物の第三車両と第四車両の間(前記第五車両後部車輪の位置から算出すれば日暮里零起点約一、六八二米の地点となる。)に身を伏せたことが認められる。右の認定事実によれば、同被告人にとつて上り線支障の虞、即ち第二事故発生に対する予見可能性が存在したのは、上り線上の乗客の話し声に気付いた同電車第六車両左横に到つた頃であると判断され、同地点に到つたのは、既に午後九時四二分二五秒過ぎ頃と推認され(緩急車前部附近から第二事故の際身を伏せた地点までの距離約三六七米を同被告人は約四分三〇秒余で走行したことになるから、これを基礎にして電車後部まで約三二〇米を走行するに要した時分を比例計算により算出すれば約三分五五秒となる。)、従つてまた、その頃第二事故に対する結果回避義務が発生したものということができるが、前記第四章第三節の一、被告人水上および第三節の三、被告人美才治の各注意義務遵守可能性の項において説示したとおり、検察官主張の注意義務のうち、同信号扱所に連絡して上り線停止手配を依頼するには午後九時四一分五〇秒頃までに同信号扱所に走行しなければならず、また下り電車前頭部附近で発えん信号を現示するには午後九時四二分三〇秒頃までに右地点に到達しなければならず、合図灯による停止信号を現示する場合は右電車前頭部よりさらに約一二五米走行しなければならないから、いずれにしても同被告人にとつて右の各注意義務遵守の可能性は余裕時分の点から考えて到底存在しなかつたものといわなければならない(検察官は、被告人栗原の走行速度が歩行に近い状態であり、これは「漫然」進行したもので、時間を空費したことが如実に証明されたと非難するが、右の主張は、既に緩急車横から走行を開始した当時から予見可能性が存在したことを前提とするものであるから、当裁判所の認定とは、既にその前提において根本的に相違するのであつて、検察官の右の主張は採用できない。)。

(四)  結局、被告人栗原庄寿に対する公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条後段により同被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。

第二節   被告人井上由太郎に対する公訴事実について

被告人井上由太郎に対する公訴事実の要旨は、「被告人井上由太郎は国鉄東京鉄道管理局隅田川駅運転掛として、列車の発着、閉そく器の取扱い、列車の編成および列車または車両の入換に関する事務並びに信号機、連動装置、双信閉そく器等の取扱いの業務に従事する者であり、午後九時頃の時間帯の三河島駅附近における上、下線列車の運行間隔が極めて近接していることを知つていたものであるが、昭和三七年五月三日隅田川駅三ノ輪信号扱所において同駅信号掛鈴木文治とともに勤務中、午後九時三五分頃上野駅発水戸駅行き第四四五下り旅客列車が定時より約四分遅れて同信号扱所前を通過したが、その後、これに続いて同所を通過する予定の第二、一一七H下り電車の接近を知らせる接近電響器のブザー音および照明軌道盤の点灯が約四分も続き、同電車が三河島駅岩沼方信号扱所と三ノ輪信号扱所の間に停止していることが明瞭に認められたのに右岩沼方信号扱所からなんの連絡もなく、かつ被告人井上は、同九時四〇分頃同所を通過する予定になつていた第二、〇〇〇H上り電車の通過後、隅田川駅発田端操車場行(同操車場到着後大宮操車場行きとなる。)、第一、四八七上り貨物列車を出発させる予定でいたので、同九時四〇分頃右岩沼方信号扱所に下り電車の状況を問合せるとともに、上り電車のあとから第一、四八七上り貨物列車を進出させる旨連絡したところ、被告人糸賀より『二八七が信号冒進してストツプを抜き、それに下り電車が衝突して脱線したから、一四八七は押えてくれ。』なる旨連絡をうけた。かくて被告人井上は、第二八七下り貨物列車と第二、一一七H下り電車との接触事故を知るとともに、右事故により上り本線が支障している危険を察知しえたのであり、かつ接近電響器のブザー音等により当時すでに第二、〇〇〇H上り電車が隣接の南千住駅に到着していることをも知つていたのであるが、かかる場合、運転掛として列車の運転の安全を確保すべき職責を有するとともに多数の乗客の生命等の安全確保のため万全の措置を講ずべき被告人井上としては、直ちに上り本線場内信号機2Aに停止信号を現示するなどして、上り列車を前記危険箇所に進入させないよう臨機の措置を講ずるとともに『一四八七は押えてくれ。』とは、第一、四八七上り貨物列車だけを押える意味か、上りの全列車を押える意味かを釈明して、その後の事態に対処する措置を講ずべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右被告人糸賀の回答から単に、第一、四八七上り貨物列車を出発させることだけはいけない趣旨と速断し、上り列車に対して現示されている信号を変更する等臨機の措置もとらず、そのまま第二、〇〇〇H上り電車が危険個所に進入するのを阻止することを怠り、そのため同日午後九時四三分二〇秒頃、おりから定時より約二分余おくれて前記事故現場に進行してきた第二、〇〇〇H上り九両編成電車を脱線停止中の第二、一一七H下り電車並びに線路上を歩行中の多数の乗客等に激突させ、第二、〇〇〇H上り電車の前部四両を脱線大破させ、そのうち二両目および三両目を築堤下に転覆させ、第二、一一七H下り電車の前部二両を大破させるとともに、その際の衝撃等により別紙(被害者関係)第二の一、同第二の二および同第三の各記載のとおりの死傷者を生じさせたものであるが、右は被告人水上憲文、同安生磯(但し検察官は、予備的に訴因を撤回した。)、同栗原庄寿、同芳賀幸雄、同美才治禎宏、同小泉義一、同大橋信および同糸賀宇佐美らの各業務上過失との競合によるものである。」というにあるが、結論的に言えば、当裁判所は、被告人井上にとつて、第二事故発生に対する予見可能性の存在するに至つた時期、従つてまた同事故の結果を回避すべき注意義務の発生した時期は午後九時四二分一五秒過ぎ頃であり、その頃既に第二、〇〇〇H上り電車は隅田川駅三ノ輪信号扱所前を通過中であつたので、同被告人にとつては、右注意義務の遵守は時間的に全く不可能であつたものと判断する。以下その理由を詳論する。

(一)  被告人井上、同糸賀、同大橋、証人中山藤市(隅田川駅橋場信号扱所勤務信号掛)および同鈴木文治(三ノ輪信号扱所勤務信号掛)の各公判供述並びに被告人井上の昭和三七年五月一六日付および同年五月二一日付各検察官調書の供述記載を綜合すると、当日被告人井上は三ノ輪信号扱所において鈴木文治とともに勤務していたが、右鈴木が午後九時三〇分頃から公眠時間に入つたので、その後は一人で勤務していたところ、午後九時三二、三分頃同駅橋場信号扱所勤務の信号掛中山藤市から第一、四八七上り貨物列車(隅田川駅発田端操車場行き)についての閉そく通知(出発の連絡の意である。)があり、さらにその後間もなく右同人から「何時頃出られるか」との問合せがあつたので、同被告人は「右列車は午後九時三九分頃(ダイヤ定時によれば、午後九時四二分三ノ輪通過予定)出られる。」旨答えたこと、同被告人は第二、〇〇〇H上り電車が三ノ輪信号扱所を通過後(ダイヤ定時によれば、午後九時四〇分通過予定)、右貨物列車を本線に進入させる予定であつたし、また第四四五下り旅客列車が同所を約四分遅れて通過した後午後九時三九分頃、第二、一一七H下り電車の接近を知らせる接近電響器の鳴動および照明軌道盤の点灯に気付いたにもかかわらず、右下り電車が一向に進行してこないので、午後九時四〇分頃(正確には午後九時四〇分乃至同四〇分二九秒)、三河島駅岩沼方信号扱所に直通電話をかけ、「下りはどうした。」と問合せたところ、被告人糸賀から、普通の口調で「二八七がストツプに突込んで脱線し、電車と接触したらしい。」旨の報告があり、続いて被告人井上が、「電車のあと、一四八七を出す。」旨通告したのに対し、被告人糸賀が、「ちよつと待つて。」と言つたまま電話を切つたので、被告人井上としては、右「ちよつと待つて。」の言葉から、岩沼方信号扱所は当時右事故のため取りこんでおり、改めて同信号扱所から何等かの連絡があるものと思い、それまで待とうと考えたこと、右通話時分は約一五秒乃至二〇秒かかり、右電話終了後同被告人は既に休憩室に入つていた前記鈴木に声をかけ、同人に対し被告人糸賀から聞いた事故の概要をそのまま伝えたこと、右被告人糸賀との通話の頃第二、〇〇〇H上り電車が南千住駅到着前後であり、被告人井上がこれを認識していたことおよび午後九時四二分頃常磐線列車指令員から上り線通知運転の一斉指令電話があり、被告人井上が右指令を聞きながらその内容を要点筆記していたところ、午後九時四二分一五秒過ぎ頃、岩沼方信号扱所の被告人大橋より直通電話がかかり、同電話に応待した右鈴木から「上り線支障」の旨告げられて、被告人井上は驚愕し、はじめて上り線の列車即ち、第二、〇〇〇H上り電車の阻止に気付いたものの、その頃既に同電車の前頭部が三ノ輪信号扱所前を通過中であつたことが、それぞれ認定できる。

当裁判所の認定の大綱は右記載のとおりであるが、被告人井上および同糸賀間の問答の内容の順序については、右問答が、当初被告人から井上からの電話による第二、一一七H下り電車遅延の理由の問合せに始まつたことは争いないところである。しかしその後の順序については、右被告人両名の間に検察官調書、当公判廷を通じて対立があり、結局当公判廷の最終段階に至るまで対立のままに終つたのであるが、検察官は主として被告人糸賀の供述を支持し、被告人井上の弁護人は主として同被告人の供述を支持している。当裁判所は、右被告人両名の公判供述の内容、検察官調書の供述記載、その他の関係証拠、右両名の公判供述の態度等を詳細に比較、検討の結果、右順序に関する限り、被告人井上の供述を支持すべきものと考え、前記のごとき認定に達したのである。

(二)  検察官は、被告人糸賀の前記電話の内容は、「二八七が信号を冒進してストツプを抜き、それに電車が接触して脱線したから、一四八七は押えてくれ。」というものであつた旨主張するので、その点について検討すると、先ず右下り電車に関する「脱線」という言葉があつたか否かについては、被告人糸賀の昭和三七年五月一八日付検察官調書中には、検察官の右主張に副うごとき供述記載部分があるが、被告人井上は検察官調書においても、当公判廷においても一貫して右の点を否定しており、また被告人糸賀も当公判廷においては、「井上に対し、貨物の機関士が信号冒進してストツプを抜きそれに電車が接触したらしい、と伝えた」。旨供述し、下り電車について「脱線」と言つたことはない旨判然と供述しているうえ、前記鈴木が被告人井上から聞いた事故概要の中にも電車の「脱線」については何等触れられていないこと(証人鈴木文治の公判供述により認められる。)、南千住駅信号掛宮崎嘉吉が同被告人に対して下り線の運行状況について問合せた際も「二八七が何かやつたらしい」という程度の報告で電車の「脱線」については何等報告がなかつたこと(証人宮崎嘉吉の公判供述により認められる。)、被告人糸賀を起して右事故を告げた被告人大橋は、それより先きに被告人小泉に対して事故報告をしているが、その際にも下り電車の「脱線」については何等報告されておらず、従つて同被告人が常磐線列車指令員椎名和男に対して事故報告をした際にも同電車の「脱線」については不明であると報告していること(判示第一章第一〇節の一の(四)、被告人小泉の項参照)などの事実が認められ、これらの認定事実と、当時被告人糸賀のおかれた具体的状況のもとにおいては、同被告人自身同電車の「脱線」までは認識しえなかつたと認めるのが相当であること(前記第四章第三節の六、被告人糸賀の項参照)とを綜合考察すると、被告人糸賀の前記各検察官調書中の、検察官の主張に副うごとき供述記載部分は信用できず、結局同被告人の被告人井上に対する電話中には、下り電車についての「脱線」という報告はなかつたものと認定せざるをえない(もつとも、前記証人鈴木文治の公判供述および被告人井上の最終段階における公判供述によると、被告人井上と同糸賀との問答中に、「脱線」という言葉があつたことは認められるが、それは第二八七貨物列車に関することで、第二、一一七H下り電車に関するものでなかつたことが明らかである。)。

次に被告人井上の、「一四八七云々」の言葉の前に「電車のあと」という言葉があつたか否かの点についても、検察官調書、当公判廷を通じ、終始、被告人井上は肯定し、同糸賀は否定しているが、当時被告人糸賀から右電話内容の報告をうけた被告人大橋は、当公判廷において「電車のあと」という言葉があつた旨供述しているので、当裁判所は被告人井上の言い分を支持する。

また、被告人糸賀の最後の言葉が「ちよつと待つて。」ではなく、「一四八七を押えてくれ。」という言葉であつたか否かの点について判断するのに、被告人井上は検察官調書、当公判廷を通じ終始、「一四八七云々」の言葉はなく、単に「ちよつと待つて。」と言われただけである旨供述するのに対し、被告人糸賀は検察官調書、当公判廷を通じ一貫して、「一四八七は押えてくれ。」と伝えた旨を強調し、両者相対立したままに終つたが、右電話の当時被告人井上は通常の執務体勢にあつたから比較的冷静であつたと推認されるのに比し、被告糸賀は睡眠中を起され、かつ現場確認に赴くことに気を奪われていたから、右電話の頃にはほぼ平常の意識状態に戻つていた(前記第四章の第三節の六、被告人糸賀の項参照)とはいえ、或る程度冷静さを欠いていたであろうと推認されること、従つて同被告人としては当時第一、四八七列車を押えようという意図のもとに「ちよつと待つて。」と言つたのを、後に至つて「一四八七は押えろ。」と連絡したように記憶違いをしているのではないかとの疑いも一応存するところであり、また同被告人から仮に「一四八七は押えろ。」という趣旨の明確な通告があつたとすれば、被告人井上は前記のように橋場信号扱所の中山信号掛に対し既に右貨物列車は午後九時三九分頃には出発できる旨連絡してあつたのであるから、直ちに同信号扱所に対し同列車は出せない旨通告したであろうと推定されること(現に同被告人は、前記鈴木から「上り線支障」の旨告げられた際には、同信号扱所に対し同列車は出せない旨通告している事実が、同被告人および前記証人中山藤市の各公判供述により認められる。)、その他被告人井上の公判供述の態度および前記(一)において認定したとおり、右電話の問答の順序、経過についても被告人井上の公判供述が同糸賀のそれに比し信用するに足るとした事情も併せ考えれば、当裁判所は、被告人糸賀の右電話応答中に、「一四八七は押えてくれ。」という趣旨の言葉はなかつたものと認定する。

(三)  以上認定したところによれば、被告人井上が岩沼方信号扱所に電話連絡をした目的は

(1) 第二、一一七H下り電車の遅延の理由を知りたかつたこと

(2) 第二、〇〇〇H上り電車の通過後第一、四八七貨物列車を出すという通告をすること

にあつたことは明白であるが、その主な目的が、三ノ輪信号扱所の運転掛としての職責からみて、隣接の岩沼方信号扱所をして、第一、四八七貨物列車を上り本線から上り一番線に振分ける作業に便ならしめるため(2)の第一、四八七貨物列車を出すという通告にあつたと認めるのが相当であり、(1)はむしろ附随的目的であつたと推察せられるのである。しからば、右認定の各事実を基礎として、被告人井上にとつて、被告人糸賀から第一事故の概要を報告された当時、第二事故発生に対する予見可能性が存在したか否かについて判断するわけであるが、それには先ず被告人井上の当時おかれた具体的状況を分析して考える必要がある。既に明らかにしたとおり、被告人糸賀の同井上に対する第一事故の概要の報告は、単に、被告人井上の、第二、一一七H下り電車の遅延している理由如何の問いに対する返答としてなされたものであることおよび被告人井上にとつてはその問いはむしろ附随的になされたものであることに留意しなければならない。そこに、第一事故について認識した第一歩において、被告人小泉の場合と根本的な差異が存する。同被告人の場合は、現場の最高責任者として、被告人大橋から非常事態に対するとるべき措置についての指示を至急に求められたもので、その問答中にもおのずから緊迫した空気を感じさせるものがあるのに反し、被告人井上の場合は、同糸賀から、とるべき処置についての指示を求められたのでもなく、単に自己の疑問に対する返答を求めたに過ぎず、従つて被告人糸賀の応答から、事故の概要を直感することはともかくとして、その内容の詳細を判断することはほとんど念頭に思い浮ばず、むしろ自己の疑問視した第二、一一七H下り電車の遅延理由が判明したという心理状態が支配的であつたであろうことは、自然の流れであり、姿であるといわなければならない。

この点につき、被告人井上は当公判廷においては、「二八七が過走して非常制動をかけ、ストツプに突込み撒砂による塵埃と蒸気の吹出しにより接近してきた電車がそれを見て停車したのではないかと考えた。二、一一七Hは二八七に接触しないが、接触しそうになつて停車したものと判断した。上り線支障の危険を考えたことはない。」旨供述し、一方昭和三七年五月一六日付検察官調書第三項では、「糸賀の話から、三河島で二八七が砂盛りに突込んで右の方に脱線して二、一一七Hと接触して下り線が支障していることはわかつたが、その結果上り線を支障しているかどうかははつきりわからなかつた。」と述べ、同年五月二一日付検察官調書第八項では、右報告から、「落着いていれば上り線に支障があるかも知れぬと気付いたかも知れないが、当時は上り電車を止めなければならないという考えは頭に浮ばなかつた。」と述べ、また同年五月二六日付供述調書第二項では、右報告から、「自分としては直感的に二八七が脱線してそれに下り電車がぶつかつたなと思つた。そのときには下り電車の脱線は頭に浮ばなかつたが、三河島駅ホームに電話をかけ事故の内容を聞こうと思つた頃には電車が上り線側に脱線しているかも知れないという疑が頭をかすめた。」と述べていることがそれぞれ認められる。被告人糸賀の前記事故報告から「第二八七列車が砂利盛りに突入した際の撒砂と塵埃により第二、一一七H下り電車が停車したもので接触はしなかつたものと判断した。」との旨の前記公判供述部分は、捜査段階では一度も述べていないことであるうえ、いかにも不自然かつ不合理であるのみならず、右供述部分は、同被告人が自己に過失のないことを強調しようとするのあまり、却つて不自然かつ不合理な内容を供述する結果となつたものと認められ、到底信用できない。一方前記検察官調書についても、右電話の際の被告人糸賀の口調はそれ程緊迫した事態を予想させるものとは認められないことおよび右接触事故が三ノ輪信号扱所から約九〇〇米近くも離れた三河島駅構内を含む他地域において発生したものであることを考慮すれば、右接触事故を直接体験、現認していない同被告人にとつて、前記認定程度の事故報告から第二八七列車と第二、一一七H下り電車の接触事故を察知しうべきことは当然としても、そのことから咄嗟に、右電車の脱線、さらには上り線支障の虞までを察知しうべきことは到底困難であると考えるべきであつて、検察官の主張に副うごとき同被告人の、前記検察官調書中の供述記載部分、即ち、「電車が上り線側に脱線しているかも知れないという疑が頭をかすめた。」との部分もまた、当時同被告人のおかれた具体的状況に徴し、信用できないところである。

従つて被告人糸賀の、前記「ちよつと待つて。」という言葉から、被告人井上が右事故のため岩沼方信号扱所が取りこんでおり、改めて何等かの連絡があるものと速断したとしても必ずしも無理のないことといわねばならず、結局右時点においては、直ちに上り本線の場内信号機2Aに停止信号を現示すべき注意義務はもちろん、被告人糸賀に対し上り全列車を停止させる必要があるか否かについて釈明すべき注意義務も存在しないものといわなければならない。

しかしながら、右時点以後の段階において、同被告人にとつて第二事故発生に対する予見可能性が存在し、従つてまた結果回避義務が発生するに至つたか否かについては、改めて検討しなければならない。

前記認定のとおり、被告人井上は同糸賀の報告から、咄嗟に下り電車の脱線、さらには上り線支障の虞を察知することは困難であつたにしても、その頃事故現場に進入すべき第二、〇〇〇H上り電車の接近を認識していたのであるから、隣接する三ノ輪信号扱所の運転掛として、事故が発生し、その内容が疑わしいものとして、手落ちなく状況を判断すべき義務があるのは当然であるところ、(前記安全の確保に関する規程綱領第五号、同規程第一七条、第一八条および運心第五一五条参照)、同被告人がその状況を判断するに際し、結果を洞察し、予見しうることに対する心理的制約として、前記のごとき、接触事故を察知するに至つた経緯、また前記のごとく右事故が三ノ輪信号扱所から約九〇〇米も離れた隣接駅なる三河島駅構内を含む他地域において発生したものであることを認識していたことおよび国鉄における相互信頼の原則が大きく影響することに留意しなければならない(右相互信頼の原則とは、国鉄のごとき大きな組織の運営は必然的に分業体制を前提とし、従つて職員各自がそれぞれ自己の職場における職責を誤りなく遂行すると同時に、他の職員もその職責を誠実に遂行するであろうことに信頼を寄せ、その相互信頼の上に立つてはじめてその円滑な運営が成立するという原則を指すのである。)。ところで被告人井上の場合手落ちなく状況を判断するに際し、同被告人は昭和四年から昭和一五年にかけて三河島駅信号掛として勤務した過去の経験にかんがみ、安全側線附近の地形、同所附近の上、下線の線路間隔、下り電車の速度等についても一応の認識を有していた(同被告人の昭和三七年五月二一日付および同月二六日付各検察官調書により認められる。)のであるから、同被告人にとつて、前記各判断上の制約を度外視した場合、下り電車の接触車両がその際の衝撃により機関車にはじき出されて隣接する上り本線側に脱線し、上り線支障の虞を生ずるごとき最悪の事態を招来することも一応予想しえないところではないともいいうるが、右各判断上の制約、特に相互信頼の原則の影響を考慮すれば、直ちに第二事故発生に対する予見可能性が存在し、従つてまた結果回避義務が発生するに至るものと断定することはできないと考えざるをえないのである。

けだし、右の場合予見可能性は、被告人井上と同一の業務に従事する一般通常人の注意能力を標準とすべきこと前記のとおりであるが、しかし右各制約のあることを考慮した場合、同被告人と同様の具体的事情のもとにおける一般の運転掛として、果して上り線支障の虞のごとき最悪の事態を予想しうべきであつたかについては、多大の疑問を禁じえないからである。

先ず被告人井上が前記のごとき接触事故を察知するに至つた経緯および第一事故現場に対する場所的感覚に照らし、手落ちなく状況を判断するための洞察力が十分働きえず、また自駅構内の事故の場合に比し、危険をさけるための「一致協力」(前記安全の確保に関する規程第一七条参照)すべき緊張感がやや不足するであろうことも推察するに難くないところであり、さらに同被告人は右規程第一八条にいわゆる「事故の現場にいあわせた従事員」に該当しないと解せられることを併せ考察すると、同被告人に対し、前記予見可能性の存在を認めることには躊躇を感ぜざるをえないのである。特に被告人井上の場合、前記相互信頼の原則の影響は最も重要である。即ち、前記のごとき場所的関係にある同被告人にとつて、第一事故現場附近の機関士、機関助士、電車運転士、車掌等の乗務員および事故現場に近接していると考えられる岩沼方信号扱所勤務の信号掛、さらには、所属駅員を指揮監督して三河島駅に属する一切の業務を処理すべき職責を有し、機に応じ列車の停止手配等の措置をとりうるほか、運転掛の職務をも担当する当務駅長なる同駅助役等の各運転従事員が、いずれもその職責を誠実に履行せず、上り線支障の虞を誰一人として察知しないであろう、或いは右危険を察知しても併発事故防止のため何等機宜の処置を講ずることがないであろうという相互不信を前提とし、事故現場に最も遠い個所にいた者、即ち被告人井上本人がみずから上り線の列車の停止手配をとらなければ併発事故が発生する虞があることを予見すべきであるとすることは、一般に極めて困難であると判断されるのである。

(四)  さらに、被告人井上の、状況判断に要する時分の点から考察するのに、同時分は、被告人小泉の場合に比しさらに余裕のあるものでなければならないことは、被告人小泉の職責および同被告人が事故報告をうけた際の被告人大橋の緊迫した口調、雰囲気と対比すれば当然であるが、被告人井上が被告人糸賀との前記通話が終了した時刻を午後九時四〇分五〇秒頃とすれば(通話時分が約一五秒ないし二〇秒であるから、午後九時四〇分ないし四〇分二九秒頃右電話が始まつたものとして、終つた時刻は午後九時四〇分一五秒ないし四〇分四九秒頃となるが、そのいずれとも確定する証拠がないから、「疑わしきは被告人の利益に従う。」との原則によつて認定する。)、既に認定したとおり、第二、〇〇〇H上り電車の前頭部が隅田川駅上り場内信号機を通過したのは午後九時四二分一〇秒過ぎ頃であるから、その間僅か一分二〇秒余の余裕時分しかなく、従つて被告人小泉の場合の余裕時分に比し、逆に短時間となるのみならず、この程度の余裕があれば、手落ちなく状況を判断して、第二事故の発生を予見しうべきであるとするには合理的な疑いをさしはさむ余地があり、当裁判所は右余裕時分の点でも十分であるという確信には至らない。

(五)  結局、被告人井上にとつて、第二事故発生に対する予見可能性が存在するに至つたのは、前記鈴木文治から「上り線支障」を告げられた午後九時四二分一五秒過ぎ頃以後と認定され、従つて第二事故に対する結果回避義務もその頃から発生したものといわなければならないが、その頃には既に第二、〇〇H上り電車の前頭部は三ノ輪信号扱所前を通過中であつたこと前記認定のとおりであるから、同被告人にとつて、第二事故の結果を回避すべき注意義務を遵守することは全く不可能であつたことが明白であり、しからば被告人井上由太郎に対する公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条後段により同被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。

第三節   被告人水上憲文、同芳賀幸雄、同美才治禎宏、同大橋信および同糸賀宇佐美に対する各公訴事実中判示第一章第一〇節の一認定の事実以外の各訴因について

一、被告人水上について

検察官は公訴事実中において、被告人水上に対し第二事故を回避するための業務上の注意義務として(一)、第二八七列車機関車内に備え付けられた信号えん管を使用して発えん信号による停止信号を現示すること(二)、第二、一一七H下り電車の運転室内に置かれた信号えん管または携帯電灯を使用して発えん信号または臨時手信号による停止信号を現示すること(三)、同機関車の携帯電話器を使用して隣接駅に連絡すること(四)同被告人が所持していた新聞紙に点火して火えんとし、これを使用して臨時手信号による停止信号を現示することなど臨機の措置を講じ上り列車が危険個所に進入するのを阻止すべきであつたとし、右各義務の不遵守を同被告人の業務上の過失であると主張しているが

(一)については被告人水上、および証人奥田長太郎(田端機関区機関車検査掛)の各公判供述、並びに当裁判所の昭和三七年一二月一〇日付(但し田端操車場において実施の分)および司法警察員西寅二作成の各検証調書を綜合すると、同機関車内の特殊信号携行函は当時機関士席後部の背板の上方に針金とピンで固定されていたのでそれを取出すには或る程度の余裕時分が必要であつたと考えられるのみならず、第一事故の際の衝撃により同背板が右前斜めに押し潰されるように曲つたため、同機関士室内の発電機止弁が根元から折損し、その折損口から高温かつ高圧の蒸気が激しく噴出し、同被告人が死を免れるためには寸時も早く同機関室内から脱出しなければならぬ状況にあつたことが認められるうえ、右蒸気は丁度特殊信号函附近に向けて射出されていたものと推認されるから、右信号函を取出すことは客観的に不可能であつたと認定するのが相当であり、従つて右は本件における業務上の注意義務には該当しないものといわなければならない。

(二)については被告人芳賀の、昭和三七年五月二五日付検察官調書(但し同被告人作成の第二、一一七H下り電車運転室内の略図添付のもの)によれば、当日同運転室内の右側ハンドブレーキの上に特殊信号携行函が置かれていたことおよび同運転室左側の運転士席前面窓ガラスの上に携帯電灯が置かれていたことがそれぞれ認められるが、右のうち携帯電灯については第一事故の際同運転室左側面が時速約四〇粁で第二八七列車に接触し(前記第四章第一節の三、当裁判所の判断の項参照)右接触の際の衝撃により運転士席前面の窓ガラスはほとんど破壊されたことが認められるから〔証人飛田三樹男(一般乗客)の公判供述による。〕、同窓ガラス附近に置かれた携帯電灯が右衝撃にもかかわらず何等異常なく点灯しうる状態にあつたと認めるには合理的な疑いが存するところ、右携帯電灯は当公判廷に顕出されていないし、その他右合理的疑問を解消するに足る立証が何等なされていないから結局、被告人の利益に従い、右携帯電灯は第一事故の衝撃により点灯しえない程度に損傷したものと推認するのが相当であり、結局右携帯電灯を使用して列車防護をなすべき業務上の注意義務は本件においては存在しないことになる。一方同運転室内の信号えん管については、第一事故の衝撃により何等異常がなかつたことは証人星野泰助(松戸電車区助役)、同佐薙誠および同青山盛二(いずれも鉄道公安職員)の各公判供述並びに押収にかかる特殊信号携行函一個(昭和三七年押第一四七号の六〇)、赤色蝋紙筒使用済発えん筒先端四本(同押号の一八七)および使用済発えん筒包装片三個(同押号の一八八)を綜合して認められ、また右特殊信号函を取出すことは客観的には可能であつたのであるから(前記第四章第三節の二、被告人芳賀の項参照)、右信号えん管を使用して列車防護をなすべき業務上の注意義務は一応認められるところであるが、第一事故により同電車前頭部第一、第二車両は脱線右傾し、第一車両のパンタグラフが切損したため右各車両の室内灯が消灯したことは判示のとおりであり、加えて被告人水上には電車運転士の経験がないから同運転室内の状況について詳しくなかつたし、また特殊信号携行函が置かれていた位置についてはもちろん知る由もなかつたのであるから、右具体的状況のもとにおける同被告人の能力を標準とし、同被告人と同様な諸事情のもとにおかれた一般の機関士と対比した場合、同電車運転室内に入り短時間内に暗中を摸索して右信号函を取出すことを同被告人に要求することは健全かつ合理的な社会通念に照らして難きを強いるものといわざるをえず、従つて右注意義務の不遵守をもつて同被告人に業務上の過失があつたと認めることはできない。

(三)については証人島崎三郎および同上野彦治(いずれも田端機関区指導機関士)各公判供述並びに前記当裁判所および司法警察員作成の各検証調書を綜合すると、携帯電話器は同機関車の炭水車右側(機関士側)のツールボツクス内に収納されていたことが認められるが、同携帯電話器は鉄製のバンドにより鎖錠されており、その鍵は機関士席前面窓ガラス上部の所定の枠内にさしこまれていた携帯時刻表に頑丈な針金でとりつけられていたため、右電話器を使用するには右時刻表ごと取出すことが必要であつたところ、第一事故の衝撃により同機関車の屋根が押し潰されるように変形したため、右時刻表を取り出すことは困難であつたことが認められるうえ、前記のとおり激しく蒸気が噴出し機関室内に充満していた状況にあつたことが認められるから、右時刻表を取出すことは客観的に不可能であつたと認定するのが相当であり、従つて右は本件における業務上の注意義務には該当しないものといわなければならない。

(四)については証人白石篤治の公判供述、被告人水上の昭和三七年五月二五日付検察官調書および検察事務官山崎一男作成の「報告書」と題する書面(但し被告人水上および同安生の手提鞄在中の各携行品を撮影した写真二枚添付のもの)によれば、なるほど、当時炭水車左側ソールボツクス内に置かれた被告人水上の鞄の中には古新聞紙、その他の紙片が存在したことは認められるが、同被告人が当時マツチを所持していたことは同被告人の検察官調書が唯一の証拠であつて、しかもマツチの存在は新聞紙等に点火して火えんとし、臨時手信号による停止信号を現示すべしとする注意義務の必要不可欠な要素をなすものであるところ、右被告人が乗務中マツチを所持していたという不利益な事実の承認を裏付ける証拠は他に何等存在しない。もつとも、自白ないし不利益事実の承認を補強すべき証拠は、それらを構成する個々の事実についていちいち存在する必要はなく、自白ないし不利益事実の承認の信用性を全体として保障するに足りるものであればよいのであるが、本件の場合マツチの存在は必要不可欠であるうえ、残存していた軸木の本数も不明であり、従つて、果してそのマツチを用いて線路上で新聞紙に点火することが可能であつたか否かについても、疑いなきをえないところである。結局右については、その証明がないことに帰するものといわなければならない。

二、被告人芳賀について

検察官は公訴事実において、被告人芳賀に対し、業務上の注意義務として(一)、第二、一一七H下り電車運転室内の携帯電灯を使用して臨時手信号による停止信号を現示して上り列車に対する防護措置をなすべきこと(二)、同電車の乗客を安全に誘導すべきことを要求し、右各義務の不遵守を同被告人の過失であると主張しているが

(一)については前記被告人水上について述べたと同様の理由によりこれをもつて業務上の注意義務と認めることはできない。

(二)については、電車が停車場間の途中に停車し、乗客がドアコツクを扱い降車した場合は、電車運転士は車掌と協力して列車に注意するよう警告し、安全側を歩行するよう誘導すべき義務があることは東転保第五五号「事故で電車列車が途中に停車した場合の旅客取扱方その他について」に規定されているところであるが、同規程によつても、関係線路を運転する列車の停止手配を行うべきことが先順位とされているのみならず、本件第二事故の結果は、被告人芳賀が乗客誘導をしなかつたことに起因するものではなく、第二、〇〇〇H上り電車に対する列車防護義務を懈怠したことに起因することは一見明白である。即ち、第一事故直後降車した乗客が、既に上り線路上から避難して築堤脇にも蝟集していたところ、第二事故により右上り電車の前部四両が脱線大破し、そのうち第二、第三車両が築堤南側下に転覆したため、右乗客に甚大な災害を及ぼしたことが関係証拠上明らかに認められるところであるから、同人らの死傷の結果と、同被告人が乗客の誘導をしなかつたこととの間には因果関係が認められず、さらには右上り電車の乗客中に発生した死傷の結果と、同被告人の誘導義務の懈怠との間には何等因果関係がないことは当然のことであるから(特に死亡者に関してはそれが下り電車の乗客であるか、或いは上り電車の乗客であるかの区別すら証拠上全く明らかにされていない。)、当時上り線路上にいた乗客等に対する同被告人の誘導義務の有無につき言及するまでもなく、同被告人が判示のとおり、第一事故後、第二、一一七H下り電車の第一車両最前部の右側扉から乗客を車外に降ろしたのち、車内に入り、第一、第二車両を経て第三車両に入り、乗客に声をかけるなどして時間を費し、その間乗客等に対し適切な誘導行為をした事情は認められないが、右は本件においては単に情状なるにとどまり、本件第二事故に対する業務上の過失とすることはできないといわなければならない。

三、被告人美才治について

検察官は公訴事実において、被告人美才治に対し業務上の注意義務として(一)、第二、一一七H下り電車運転室内に置かれた信号えん管を使用して発えん信号による停止信号を現示し上り列車に対する防護措置をなすべきこと(二)、同電車の乗客を安全に誘導すべきことを要求し、右各義務の不遵守を同被告人の業務上の過失であると主張しているが、右のうち(一)については前記被告人水上について述べたとほぼ同様の理由により(被告人美才治は同運転室内の状況については知つていたであろうことは容易に推認されるが、その余の事情は被告人水上の場合と全く同様である。)、(二)については前記被告人芳賀について述べたと同様の理由により(被告人美才治についてはむしろ乗客の避難誘導に熱心であつた事情がうかがえる。)、それぞれ業務上の過失を認めることができない。

四、被告人大橋について

検察官は公訴事実において、三河島駅岩沼方信号扱所にはブザーの鳴動により信号掛に対し列車の接近を警告するための装置として接近電響器が設置されていたのに、当日被告人大橋は同糸賀とともに右接近電響器の鳴動音を停止させて勤務していたため、午後九時四二分過ぎ頃第二、〇〇〇H上り電車が同信号扱所の上り本線接近鎖錠区間に進入した際、接近電響器が鳴動せず照明軌道盤の豆ランプが点灯したのみであつたため、ついにその点灯を看過して右上り電車の接近に気づかなかつたものであるとし、被告人大橋に対し右接近電響器を正常に作動させて早期に上り列車の進行を把握し、危険に対処する信号の変更および発えん信号の現示による停止手配をなすべき業務上の注意義務があつたものと主張するので、右の点につき考察するのに、およそ運転の安全等を確保すべき職責を有する信号掛として、同被告人が同信号扱所において勤務するに際しては接近電響器を正常に作動させて列車の接近を早期に把握すべきことはもとより当然の義務であるが、結論的にいつて本件第二事故の発生は右接近電響器を正常に作動させていなかつたことに起因するのではなく、右接近電響器の鳴動によりはじめて上り列車の接近を察知したのでは本件第二事故を確実に防止することはできないと認められるから、右懈怠をもつて同被告人に対し業務上の過失があつたものとすることはできない。

即ち、被告人糸賀、証人島田進および同小室勇五郎(いずれも三河島駅信号掛)の各公判供述並びに押収にかかるペン先四本(前同押一四七〇号の一七五)を綜合すると、本件各事故当時同信号扱所の上、下線の接近電響器用の確認押し釦にはペン先が挿入されてブザーの鳴動がしないように工作が施されていた事実が認められるが、仮に右装置を正常に作動させていた場合

(一) 同信号扱所の上り本線接近鎖錠区間が隅田川駅上り本線場内信号機2Aより三河島駅上り本線場内信号機7LAに到るまでであつて、上り電車の前頭部が右信号機2Aに進入すると同時に接近電響器が鳴動を始めることは判示認定のとおりであるが、本件の場合ブザー音により同被告人が第二、〇〇〇H上り電車の接近を察知し、同信号扱所の信号梃子を操作して右信号機7LAに停止信号を現示することにより中間閉そく信号機上り1に注意信号を現示したとしても、同電車は右信号機上り1を時速四五粁以下で通過することになり、その場合同電車運転士が、上り線支障の事態を認めて非常制動をかけてから同電車が停止するまで最大限約一六〇米の走行距離をみなければならぬのに対し(前記第四章第三節の五、被告人大橋の項参照)、証人中西寛の公判供述によれば同電車の前照灯の照射距離は約五〇米乃至七〇米と認めるのが相当であるから(この点につき、検察官作成の検証調書によれば、上り電車の運転室から見た場合本件事故現場に停車中の下り電車を、第一回目は一四〇・一五米、第二回目は一八七・六米手前で発見することができたとしているが、右検証は上り線支障の状況のもとに下り電車が停車している事態をはじめから想定し右下り電車に対する目撃状況を検証目的として実施されたのであるから、検証者は早期に同電車の発見しようとして注意力を集中していたであろうと推認されるうえ、右第一回目の検証の際は報道関係者のフラツシユの光の影響をうけたことが認められるから、右検証の結果によつて、上り線支障の事態が全く予期されない通常の電車運行の場合においても右距離から障害物を発見しうるものと直ちに認定することはできないというべきである。)、あるいは同電車の運転士が中間閉そく信号機上り1の進行信号から注意信号に転換したのを認め不審を感じて急停車の措置を講ずることがありうるとしても、それを常に必ず期待することはできず、結局右の措置のみをもつてしては本件第二事故の発生を確実に防止することはできないといわざるをえない。

(二) また三河島駅上り本線場内信号機7LAに停止信号を現示するとともに同信号扱所内に備え付けられた信号えん管を使用して発えん信号による停止信号を現示すべきであるとしても、列車または車両は停止信号の現示のあるときは、その外方に停止しなければならないとする運心第三二六条および列車防護は支障個所の外方でなされなければならないとする運心第五一八条の各規定に照らせば、発えん信号を発見した場合、電車運転士に対し直ちに非常制動を講ずることを常に期待することはできず、右発えん信号の現示個所手前で停止しうるよう進行を継続することも十分予想されるところであるから、本件第二事故を確実に防止するためには発えん信号を同信号扱所の窓外においてまたは同信号扱所附近の上り本線上において現示するのみでは不十分であり、判示のとおり第二、一一七H下り電車の前頭部附近で現示しなければならないと認定するのが相当であるが(電車運転士が発えん信号を発見した場合、直ちに停止するよう指導していたとする証人星野泰助の公判供述も右認定を覆すに足るものとは認められない。)、第二、〇〇〇H上り電車の前頭部が隅田川駅上り本線場内信号機2Aを通過したのは、第二事故発生時刻の約五〇秒以前であるのに比し、同信号扱所から第二、一一七H下り電車前頭部まではできるだけ早い走行で約一分一一秒、小走りで約一分四二秒要することは前記第四章第三節の五、被告人大橋の項において説示したとおりであるから、接近電響器の鳴動によりはじめて上り列車の接近を察知したのでは遅きに失すると断ぜざるをえないのである。

結局以上説示したところによれば、同被告人が、接近電響器の確認押し釦にペン先が挿入されブザーが鳴動しないようになつていた状況を十分認識しながら、右ペン先を抜いて右の装置を正常に作動させることをせず、漫然と勤務していた態度は情状において極めて悪質であるが、それをもつて本件の場合同被告人に業務上の過失があつたとすることはできないこととなる。

五、被告人糸賀について

検察官は公訴事実において、被告人糸賀に対し前項に記載した被告人大橋と同様の注意義務を要求するほか(この点については被告人大橋について説示したとおりであるから省略する。)、同被告人が、被告人大橋と協力して三河島上り本線場内信号機7LAに停止信号を現示するとともに発えん信号その他による停止信号を現示しながら前方に走行して上り列車のための防護の措置を講ずべき業務上の注意義務があつたものと主張しているが、発えん信号その他による停止信号は本件の場合第二、一一七H下り電車前頭部附近で現示しなければならぬことは前記のとおりであり、右信号機7LAに停止信号を現示し、中間閉そく信号機上り1の信号現示を注意信号に転換した場合、右列車防護の措置は第四章第三節の五、被告人大橋の項において説示したとおり午後九時四二分四七秒過ぎ頃までになされることが必要であると判断されるところ、被告人糸賀が同井上との電話を終えた時刻は午後九時四〇分四九秒頃と認定すべきであるから(本章第二節「被告人井上に対する公訴事実について」参照)、余裕時分は二分弱しか残されておらず、被告人糸賀の公判供述によれば、同被告人は右電話終了当時、ワイシヤツとズボンを身につけ、ズツク靴に足先を入れていたが、ワイシヤツのボタンはまだかけてなく、また靴も完全に履いていなかつたことが認められるから、その余の身仕度(ワイシヤツ、靴、上着、帽子、手袋等)を整えるに要する時分(安全確保に関する規程第一四条によれば、「運転従事員は定められた服装を整えて作業をしなければならない。」旨が明定されている。)、特殊信号携行函から信号えん管を取出すのに要する時分、合図灯を手にする時分、および同信号扱所から下り電車前頭部まで走行する時分(前記被告人大橋について述べた走行時分参照)を考慮すると、僅か二分弱の余裕時分で右列車防護の措置を確実に遵守することが可能であつたと認定するには合理的疑問をさしはさむ余地があり、当裁判所は右余裕時分をもつて十分であると確信するには至らず、即ち、前記注意義務の遵守可能性について合理的疑いが存する以上、右懈怠をもつて同被告人の業務上の過失とすることはできないものといわなければならない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石田一郎 寺尾正二 佐野精孝)

別紙(訴訟費用関係)(略)

別紙(被害者関係)第一(略)

別紙(被害者関係)第二の一(略)

別紙(被害者関係)第二の二(略)

別紙(被害者関係)第三(略)

別紙第一図〈省略〉

別紙第二図〈省略〉

別紙第三図〈省略〉

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