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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)8391号 判決 1969年6月13日

原告 小磯政之助

<ほか一一名>

右一二名訴訟代理人弁護士 岡崎一夫

同 山内忠吉

被告 浦賀重工業株式会社

右代表者代表取締役 二瓶豊

右訴訟代理人弁護士 鎌田英次

同 松崎正躬

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一、原告ら。

「原告らが被告の従業員たる地位を有することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決。

≪以下事実省略≫

理由

一、会社が肩書地に本店を置き、船舶製造等を業とする株式会社であり、原告らは昭和二五年一〇月以前から会社の従業員として、その浦賀造船所に勤務していたことは当事者間に争がない。

二、(一)≪証拠省略≫を綜合すると次の事実が認められる。

昭和二五年九月連合国軍最高司令部が我が国の基幹産業である大型鋼船の製造を業とする造船各社(会社も含む)をもって構成する造船工業会の会長甘泉豊朗(当時の会社々長)に対し共産党員及びその同調者を同年一〇月中に同会加盟各社から排除するよう指示したことから、会社ではこの際右指示に従いその該当者中会社の業務遂行に反抗したり非協力的であったりして会社の従業員として不適格とみられるものを会社から排除することを決めた。そこで会社は、右要件に該当する従業員の人選を進め、原告らの外若干名を会社から排除することとしたけれども、これらの者をなるべくその自発的意思にもとづいて円満な形で退社させることとし、先ずそれらのものに任意退職を勧告するが、これに応じないものに対しては一方的な解雇の挙にでるのもやむなしと決定する一方、同年一〇月一八日社長告示をもって全従業員に会社の意図を説明し、更に会社の従業員の加入する全日本造船労働組合関東支部浦賀船渠分会に同趣旨の申入れをした。

(二) 次に≪証拠省略≫によれば、会社は右同日原告ら(原告井幡については当時公傷で休業中だったので同月二四日)に対し各所属課長から「会社は貴殿を昭和二五年一〇月二一日(但し原告井幡は同年一一月二四日)限り解雇するが、右一〇月二一日正午(但し原告井幡は一一月二二日正午)までに退職願を所属課長に提出した場合は依願解雇の取扱とし、特に規定の退職手当臨時金の外特別退職手当を付加して支給する」旨並びに各原告にそれぞれ支給すべき退職手当の明細を記載した通告書を提示するとともに勧告の理由を説明して退職を勧めた(退職勧告の事実は当事者間に争いがない)事実が認められる。

これらの事実によれば本件通告は右通告書記載の期日を承諾の意思表示の期限とする合意解約の申込と右期限までに退職の申出のないことを停止条件とする条件付解雇の意思表示と解することができる。

(三) ≪証拠省略≫によれば、右通告に対し原告らの中にはその趣旨が納得できないとして、一旦は退職願の提出を拒否した者もあったが、結局原告らは次の提出日欄記載の日に昭和二五年一〇月二一日限りで(但し原告井幡は同年一一月二四日限りで)会社を退職したい旨の退職願を提出し、会社所定の退職手当並びにこの際の退職願提出者に限り支給される特別退職手当を受領した(退職願提出及び退職手当受給の事実は当事者間に争いがない)ことが明らかである。

氏名     提出日

(1)  原告 小磯政之助 昭和二六年一月二五日

(2)  同  兵藤政雄  同二五年一〇月二一日

(3)  同  鈴木利雄  右同

(4)  同  福田丈夫  昭和二六年一月一六日

(5)  同  根岸仲蔵  同 二五年一二月四日

(6)  同  田中与一  同  年一一月二七日

(7)  同  大山和夫  同  年一〇月二一日

(8)  同  渡辺定吉  同  年一二月二一日

(9)  同  小沢繁雄  同  年一二月二三日

(10)  同  井幡和夫  同  年一〇月三〇日

(11)  同  杉村貞男  同 二六年一月二五日

(12)  同  筒井敏夫  同二五年一二月二一日

右事実によると会社が定めた期限までに退職願を提出した原告兵藤、同鈴木、同大山、同井幡の四名については提出日において前記退職日附の日に退職する旨の合意が成立したというべきである。

右期限までにこれを提出しなかった他の八名については、原告ら主張の無効事由は別とすれば、解雇の意思表示が効力を生ずるに至るべき筋合である。

しかし≪証拠省略≫によると、会社は前記のように原告らに対し成るべく解雇という手段をとることなく自発的に退職させようと考えていたので、昭和二五年一〇月二一日以後も退職願を提出したものには退職手当についても期限内に提出したものと同様に扱うこととし、労務課員の立脇、岩戸らが右八名の未提出者宅を訪ねて本人やその家族らに対し退職願を提出するよう説得を続けたことが認められる。前記八名が退職願を提出し所定の退職手当並びに特別退職手当を受給したのは右説得の結果というべきである。

しからば会社は一旦なした解雇の意思表示を撤回し、さきになした合意解約の申込を維持し、右八名らもこれに同意して右申込を承諾したというべきである。

(四) これを要するに、会社の原告らに対する雇用契約解約の申込と原告らの承諾の意思表示は、原告らがそれぞれ退職願を提出したときに、昭和二五年一〇月二一日(原告井幡は同年一一月二四日)限りで会社を任意退職するということで合致したもの、即ち合意解約が成立したというべきである。

三、原告らは更に本件退職勧告が公序良俗に違反する旨主張する。

前記原告ら各本人尋問の結果によると、原告らの多くが本件退職勧告をうけたことにより、これまでにない生活上の困難に直面し、精神的にも苦渋を味わい、更に退職後も会社在職中に比し経済的窮迫に遭遇したものが多いことがそれぞれ認められるけれども、前記のように本件退職勧告は先づ第一に原告らの任意自発的意思にもとづく退職を勧めたもので、法律的には雇用契約解約の申込みであり、原告らに対する経済的ないし精神的圧迫を目的としたものとは認め難く、又この勧告に対し結局原告らが応じて合意解約が成立したことも先に認定のとおりであるから、退職勧告の前後において原告らが種々の苦渋を余儀なくされたからといって、直ちに本件退職勧告即ち合意解約の申込を公序良俗に反するものとみることはできない。

四、原告らは本件解約の申込は解雇の意思表示と一体のものであるところ、この解雇の意思表示は原告らが日本共産党員又はその同調者であることを理由とし思想信条にもとづく不利益取扱を敢て行わんとするもので無効であるから、解約の申込も同様に無効であると主張する。しかし、この双方の意思表示を会社がした背景はともかくとして、法律的に両者はあくまでも別個の意思表示であるから、原告らの主張は先づこの点で採用できない。ただ前記≪証拠省略≫によれば、この双方の意思表示が一個の書面によってなされていることが認められるけれども、これはあくまでも意思表示をする上での便宜上のものにすぎないと解されるから、このことは右の結論を妨げるものではない。更に本件退職勧告自体が原告ら主張のような差別的取扱に該当するか否かを検討するに、差別的取扱はそれ故に無効とされるのではなく、民法九〇条にいう公序良俗違反との評価を受けてはじめて無効と判定されるのである。本件退職勧告は、既に認定のように共産党員及びその同調者に対し一律に行われたものではなく、会社の業務遂行に反抗したり、非協力的であったりして会社の従業員として不適格とみられるものを会社から排除する目的をもってなされたものである。ところで前記原告らは本人尋問においてかような反抗ないし非協力の事実はないと供述するけれども、事は十数年以前に属し、右供述をもってしては右認定を左右するに足りない。まして、右申込み自体は雇傭契約に何ら消長を及ぼすものでなく、原告らの真意にもとづく承諾によってのみ右契約を終了せしめるにすぎない程度のものであること、その他当時の前記諸事情を考慮すれば、この申込をもって少くともその当時においては思想信条の故の差別的取扱であるとは断定できず、ひいては公序良俗に反し無効であると論断はできない。

五、次に原告らの心裡留保の主張について判断する。

(一)  ところで、会社は前記退職勧告に際し、先づ原告らの所属する労働組合並びに全従業員に対し、本件退職勧告を行う趣旨について文書で説明するとともに、原告らに対する退職勧告の通告に際しても、ほぼ同旨の説明をしたことは前記認定のとおりである。一方≪証拠省略≫によると、退職勧告をうけた際原告らの中にはこれを不服としてその場で異を唱え、或いは通告書の受理を拒否した者もあったが、組合は一〇月二一日付で会社の本件退職勧告に同意する旨回答した他、勧告の直後開かれた組合の代議員会でもこれを止むなしとして会社の措置を是認する意見が大勢を占めたこともあって、原告らの立場を積極的に支持するような動向は社内には乏しかった。このような情況に加えて、原告らには各々会社と対立することによって生ずる生活上の困難や家庭内の特殊事情もあり、更に期限までに退職願を提出しなかったものには前記のように会社からの説得も行われた結果、結局いずれの原告も勧告に応じて任意に退職することをきめ、前記のように退職に伴う手続きをとるに至ったことが認められる。

しかし、この退職手続に際して会社に向って更に退職勧告に異を唱えたり退職は本意でない旨申述べた者、その後本訴提起に至るまで本件退職の効果を争ったり異議を申立てた者がいたとの確証はない。

(二)  このような事実関係に照すと、原告らが本件退職勧告をうけた当時これに不服であったことは明らかであり、又退職願提出までの経緯に照すと、所定期限後に退職願を提出した原告らは少くともその提出時期に接近した時点まではなお退職は不本意であると考えていたものと推認される。

しかし、原告らが結局において退職願を提出したのは、前記のように当時原告らのおかれた会社内での立場や各原告らに固有の個人的事情から、むしろこの際会社の勧めに従って退職し、他に転ずるのも止むをえないとの結論に到達したので、あえて会社とこの問題で抗争することを避けることにしたことによるものとみるのが相当である。してみれば、会社の雇用契約を解約する旨の申込みを承諾するとの原告らの意思表示はいずれも真意にもとづくものと認められるから、原告らの心裡留保の抗弁は理由がない。

六、以上説明のとおりであるから、原告らと会社との間の雇用関係は昭和二五年一〇月二一日(但し原告井幡は同年一一月二四日)限りで同意解約により消滅したというべきである。とすれば爾余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 沖野威 裁判官 宮本増 裁判官大前和俊は転官につき署名押印できない。裁判長裁判官 沖野威)

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