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東京地方裁判所 昭和34年(レ)402号 判決 1962年8月29日

控訴人(第一審被告) 内田やす

被控訴人(第一審原告) 清水ちよ 外五名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等六名代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。

被控訴人等六名代理人は、請求の原因として、

「被控訴人等の先代(被控訴人清水ちよの亡夫、他の被控訴人等の亡父」訴外清水岩尾は、昭和二七年一一月頃、東京都品川区二葉町二丁目四九六番地所在、家屋番号同町三〇八番、木造トタン葺平家二戸建居宅一棟、建坪一四坪五合を買受けてその所有権を取得したが、当時右建物の内向つて左側の一戸建坪七坪二合五勺の部分(以下『本件家屋』という)には控訴人が借家人として居住中であつたので、被控訴人等先代岩尾は新家主として従前の賃貸借関係を承継することとなり、改めて控訴人との間に賃料一カ月金五〇〇円、毎月末日支払の約定で、期間の定めなく、引続き賃貸することを約したが、右被控訴人等先代は、同二八年四月二二日死亡したので、被控訴人等が、共同、相続によつて、本件家屋の所有者及び賃貸人たる地位を承継取得するに至つた。

しかるところ、その後、被控訴人等は、次に述べるとおり本件家屋の明渡を求める必要に迫られたので、控訴人に対し、昭和三二年四月一日到達の同日付内容証明郵便による書面で、自己使用の必要を理由に、右賃貸借契約解約申入の意思表示をなした。ところで右解約申入の正当事由を更にふえんすれば次のとおりである。

すなわち、被控訴人等先代岩尾は、その生存中、既に前記二戸建一棟の向つて右側に隣接する場所に工場兼住居用二階家一棟を構え、同所で機械工業を営んでいたものであるが、家族数が多いうえに右事業を拡張する必要にも迫られていたので、かねて右二戸建一棟を入手し、家族、工員の住居並びに工場用として、使用する必要を痛感していたこととて、これを買受けるや、先ず当時本件家屋の部分に居住中の控訴人に対し明渡促進の便方として従前一カ月金六〇〇円の賃料を一カ月金五〇〇円に値下げしてその意のあるところを示し、爾来右趣旨に則つて度々明渡を要求して来たが、実現しないまま死亡したので、前記のとおり、被控訴人等が本件家屋の賃貸借関係を承継することとなり、一方営業面においては、被控訴人等は新たに有限会社清水精機製作所を創設し、被控訴人清水ちよを代表取締役、同清水武を取締役、同人の叔父訴外小宮富次郎を監査役にそれぞれ選任したが、右有限会社は、先代の事業の延長でその実体にはさしたる異同なく、個人経営と同視すべき、家族五人を中心としたいわゆる家族会社に外ならず、工員五人を擁しているが、被控訴人等家族の外右五人の工員達の住居にも困難を来しており、とりわけ、被控訴人清水武は、前記解約申入当時、既に結婚に支障を来していた次第であり、従つて、前記二戸建一棟の内の一戸のみでは間に合わず、どうしても被控訴人等は、控訴人から、本件家屋部分の明渡を受けて、これを被控訴人等家族の住居、右事業拡張のための工場、工員の宿舎等に使用する必要があつたものである。されば控訴人の右明渡を容易にするため、被控訴人等の先代が、前記のとおり、家賃の値下げをしたのを始め、被控訴人等において、控訴人に対し、種々折衝し、昭和三一年八月二日頃、いわゆる移転料として、かねて控訴人側の要求額たる金一五〇、〇〇〇円の提供を申入れたが、控訴人は、前言をひるがえしてその申入を拒絶し、その後、被控訴人等において東京都大田区馬込町四丁目所在の宅地一三坪を買受け、右宅地を提供して同所に移転先たる建物を新築するよう申入れたが、控訴人は、夫訴外内田章二郎の勤務先から遠くなるとの理由でこれを拒絶し、更に、控訴人の希望により、不動産周旋業者に探して貰つた東京都品川区二葉町所在の借家の権利金一〇〇、〇〇〇円を被控訴人等において負担しこれを控訴人に賃借さすべくあつ旋したが、控訴人は、その賃料が一カ月金三、〇〇〇円であるところから、高額すぎるとの理由でこれを拒絶し、又被控訴人等より本件家屋を二階建に改築してその二階又は階下を控訴人に賃貸するようにするとの申入に対しても、故なくこれを拒絶する等、控訴人は被控訴人等の好意ある申入に対して全くこれを受付けようとしない態度を重ねた。一方控訴人側としてもその夫章二郎は、東京都北区に住民登録をなして控訴人と別居し、本件家屋には控訴人一人が居住しているのみであるから、その移転は極めて容易であり、かつ必ずしも本件家屋に居住しなければならない特別の事由もないのに、被控訴人等からなされた前記好意ある申入をすべて拒絶し、徒らに本件家屋に固執して、明渡に協力する態度を示そうとしないことは、賃借人の態度として不誠実のそしりを免れない。

以上の次第で、被控訴人等の前記賃貸借契約の解約申入には正当事由のあることが明らかであるから、本件賃貸借は、右解約申入後六カ月の法定期間の経過により、昭和三二年一〇月一日を以つて終了したものというべきである。しかるに、控訴人は、被控訴人等に対して、本件家屋を返還せず、右返還義務の不履行により、被控訴人等は、本件家屋の相当賃料額にあたる損害を蒙りつつあるものである。

よつて、被控訴人等は、控訴人に対し、賃貸借終了に伴う返還義務の履行として、本件家屋の明渡を求めるとともに、昭和三一年七月一日以降同年一〇月一日まで一カ月金五〇〇円の割合による約定賃料、並びに翌二日以降明渡済に至るまで、右返還義務の不履行に基く損害賠償として、本件家屋の相当賃料額にあたる右約定賃料と同額の割合による損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ。」

と陳述し、控訴人主張の抗弁事実を否認した。

控訴代理人は、答弁並びに抗弁として、

「被控訴人等主張の請求原因事実中、解約申入の正当事由の存否に関する点を除き、その余の事実関係はすべて認めるが、被控訴人等主張の解約申入の正当事由はこれを争う。

すなわち、被控訴人等先代訴外清水岩尾が、その生存中、被控訴人等主張の場所で機械工業を営んでいたこと、同訴外人が本件家屋の賃貸借関係を承継すると同時に、従前一カ月金六〇〇円と定められていた賃料を一カ月金五〇〇円に値下げしたことは認めるが、同訴外人において当時本件家屋の使用を必要としたこと、及び控訴人に対しその明渡を度々要求して来たことは否認する。同訴外人は控訴人居住の事実を知悉しながら、控訴人に明渡の意思があるかどうかを確めることもなく、本件家屋を含む、被控訴人等主張の二戸建建物一棟を当時の時価からみて極めて低廉な価格金二三五、〇〇〇円で買受けたものであるが一般にかかる低廉な買価は賃借権の負担を前提として算出されるものであるから、このことから考えても、同訴外人には当初明渡が可能であるとの考えはなかつたのである。仮りに控訴人側において明渡問題を考慮するとしても、一カ月金一〇〇円宛の賃料の値下げのみでは、当時の貨幣価値からみて到底控訴人の移転を容易にするものとはいえない。有限会社清水精機製作所が、被控訴人等先代の機械工業経営を承継したこと、同会社が、被控訴人等主張のとおりのいわゆる家族会社であることは認めるが、たとえ家族会社とはいえ、会社である以上は被控訴人等と別個独立の人格を持つ法人であるから、その事業経営上本件家屋使用の必要が生じたとしても、右は被控訴人等が本件家屋の明渡を求める正当事由にはならない。仮りに、右主張が容れられないとしても、本件家屋所在地は、いわゆる住宅地域として、工場の拡張は許されない地域に属するから、工場事業拡張のために本件家屋の使用が必要であるということを解約申入の正当事由とすることは許されない。被控訴人清水武が、本件解約申入当時、既に結婚適齢期にあつたことは認めるが、被控訴人等は相当の資産を有するものであるから、被控訴人清水武が他に転居するとしても、その移転資力に事欠くことはなく、殊に新婚の若夫婦が別に独立の世帯をもつことは、現代社会の常識でもあり、求めて他の家族等と生活を共にしなければならない特段の理由はないから、被控訴人清水武の結婚後の住居がないということも亦解約申入をなす正当事由とはなし難い。被控訴人等から、その主張の頃、移転料として金一五〇、〇〇〇円を提供する旨の申入があつたことは否認する。控訴人は、昭和二九年頃、東京都品川区二葉町三丁目約一〇坪の借地をみつけ、そこに移転先の住居を新築すべく借地権利金一〇〇、〇〇〇円の内金五〇、〇〇〇円を支払つたが、残金を支払うだけの資力がなかつたため、被控訴人清水ちよにその旨を伝え、移転料金一五〇、〇〇〇円の支払を引換えに本件家屋を明渡す旨申出たにもかかわらず、同被控訴人は、移転料の相場はせいぜい一〇、〇〇〇円か二〇、〇〇〇円位のものであると一笑に付して右申出を受付けなかつた次第であつて、控訴人は被控訴人等から移転料金一五〇、〇〇〇円の提供申入を受けたことはない。控訴人が、被控訴人等から、その主張のとおり、東京都大田区馬込町四丁目所在の宅地一三坪を提供された際、被控訴人等主張のような理由で、これを拒絶したことは認めるが、これは、右の場所に移転することになれば、控訴人の夫章二郎が、勤務の都合上、本件家屋に居住する場合より約一時間も早く、毎日午前三時頃には家を出なければならなくなるからであつて、右拒絶には正当な理由がある。控訴人が、被控訴人等から、その主張のとおり、東京都品川区二葉町所在の借家を移転先として提供された際、その主張のような理由でこれを拒絶したことは認めるが、右は、一カ月金三、〇〇〇円の賃料が現在の賃料の六倍にあたり、控訴人方の乏しい家計に甚大な影響を及ぼすからであり、かつその間数も現在の二間に比し、八畳一間に減るため不便になるからであつて、右拒絶にも亦正当な理由があるものというべきである。被控訴人等より本件家屋を二階建に改築して、その二階又は階下を控訴人に賃貸するとの申入を受けたことは否認する。控訴人の夫章二郎が、東京都北区に住民登録をしていることは認めるが、右章二郎は、東京都北区王子町に本店を有する臼倉運輸株式会社にその所属機帆船の船長として雇われ勤務するもので、同社の乗務員一同と共に船中で食事をする必要上、全員同一配給所での主食の配給を受けるために、住民登録のみは、東京都北区にしているに止まり、実際は本件家屋に居住しているものであり、その他本件家屋には、二男衛(工員)、三男勝利(高等学校生徒)も居住していて、結局控訴人方の同居家族は合せて四名である。

以上のとおりで、被控訴人等が、本件解約申入の正当として主張するところは、すべて理由のないことが明らかであるが、更に附加して述べれば、被控訴人等先代訴外清水岩尾は、本件家屋を含む二戸建一棟の前記建物を買受けるや、控訴人に明渡を余儀なくさせるため、殊更に本件家屋の向つて右隣りにある一戸の床板を取払い、ここに機械を持込んで終夜運転をなし、或いは鍜冶場として連日夜業をなす等控訴人に対するいやがらせをくり返し、控訴人方では、そのための騒音と家屋の震動に悩まされ、睡眠不足が続いたため、控訴人とその長男昭男とが神経衰弱にかかり、遂に昭男は、たまりかねて他に別居するに至り、ここに控訴人等は、その家族の中から重要な一人の働き手を失うこととなつたため、益々生計困難に陥つた。かくて控訴人等のいやがらせに堪えかね、真剣に本件家屋からの移転を考えるに至り、或いは知人に依頼し、或いは空地空家をみつけ次第その地主又は家主に交渉する等、極力移転先をさがすことに努力して来たが、何分にも、夫章二郎の収入が平均一カ月金二一、〇〇〇円位、次男衛の収入が一日金二七〇円程度で他に別段の収入もなく、辛うじて家族四人の生計を支えているといつた有様で、移転資力がないため、結局他に転出することはその実現が極めて困難である。更に控訴人の夫章二郎は、その勤務の都合上、現在でも毎日午前四時頃には家を出なければならない有様であるから、少しでも遠距離に移転することになれば、夫や子供達の通勤通学につき、時間的にも経済的(交通費)にも被害を蒙ることになる。なお又、控訴人は、本件家屋を賃借して以来一回の賃料不払もなく、屋根板壁の修理等も一切自費を投じてなして来た誠実な賃借人であり、徒らに本件家屋に固執してその明渡に協力しないものではなく、むしろ進んでより便利なところに移転することを望んでいるものであるが、唯前記のとおり移転資力がないために、その希望が実現しないまま、不本意ながら今日に及んでいるにすぎない。他方、被控訴人等は、その主張のような工場を経営して相当の収入をあげ、一応の住居もありながら、より良い生活を求めて、事業拡張のために本件家屋の明渡を求めているものであるから、仮りに被控訴人等に本件家屋を使用する必要ありとしても、控訴人が最低生活を維持するために本件家屋を必要とするのに比し、その必要度は遙かに低く、本件家屋を明渡すことによつて、控訴人の蒙むる不利益は、右明渡をえられないことによつて被控訴人等の受ける不利益よりも明かにその程度が大きいものというべきである。

以上の次第であるから、被控訴人等主張の本件解約申入は、正当事由を欠くものとして、その効力を生ずるに由なきものといわなければならない。

なお、昭和三一年七月分以降の賃料は、被控訴人等において、控訴人が提供する賃料の受領を拒絶するままに、やむなく控訴人は、今日に至るまで、その供託を続けて来たものであるから、その間何ら延滞もない。

従つて、被控訴人等の本訴請求は失当である。」

と述べた。<証拠省略>

理由

本件訴訟における第一の争点は、被控訴人等主張の賃貸借契約解約の申入に果して正当の事由が認められるか否かの点にあり、右正当事由の存否に関する事実関係を除くその余の請求原因事実はすべて当事者間に争がない。

よつて、以下右争点について検討を進めることとする。

先ず、賃貸人たる被控訴人等側の事情について按ずるに、各成立に争のない甲第一ないし第六号証、同第八号証、原審証人中山好太郎、同篠原喜祐、同栗原久子、当審証人内田章二郎、同師岡タメの各証言、並びに原審における被控訴人清水ちよ(第一、二回)、当審における同清水武、原審及び当審(第一回)における控訴人の各本人尋問の結果を総合すれば、「被控訴人等先代訴外清水岩尾は、その経営する機械工業用の事業場が狭すぎるため、これを拡張する目的で、本件家屋を含む前記二戸建一棟の建物を買受けたものであるが、右の目的を達するため、買受後、本件家屋を賃借使用中の控訴人に対し明渡方を慫慂し、従前一カ月金六〇〇円と定められていた賃料を一カ月金五〇〇円に値下げすることによつてその意のあるところを示し、爾来右の趣旨に則り度々明渡を要求して来たにもかかわらず、控訴人がこれに応じなかつたため、結局、明渡が実現しないまま同訴外人が死亡するに至つたこと、その後被控訴人等によつて有限会社清水精機製作所が設立され、先代の右機械工業経営がそのまま同会社に承継されることになつたが、従前の建物は、木造瓦葺二階建の家屋で、内二階六畳二間、三畳二間を居室、階下四畳半一間を食堂にあて、その残りの階下約一四坪を工場、約七坪を事務所兼物置として使用するとともに、前記買受にかかる二戸建一棟の内本件家屋の向つて右隣一戸を事業場に使用し、機械七、八台を運転させて営業を続けているが、右の程度では、被控訴人等家族五人、及び右事業のための住込工員四、五名の住居としても、又事業場としても狭隘にすぎるので、被控訴人等においても、控訴人に対し、屡々本件家屋の明渡を要求して来たこと、殊に、昭和三一年頃から、被控訴人清水武の結婚話が始まつたものの、結婚後の住居がないため、その話も延び延びになる有様で、とりわけその住居の必要が痛感されるに至つたところから、重ねて強く明渡を要求するに至つたこと、右の次第で、被控訴人等側としては、その家族、特に被控訴人清水武新夫妻の住居、及び有限会社清水精機製作所の住込工員達の宿所並びにその事業場にあてるため、本件家屋を使用する必要を痛感していること。」が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。ところで、控訴人は、有限会社清水精機製作所は、被控訴人等と別個独立の人格を持つ法人であるから、同会社の事業経営上本件家屋の使用を必要とするとしても右は被控訴人等が本件家屋の明渡を求めるための正当事由にはならないと主張するが、原審における被控訴人清水ちよ(第一回)の本人尋問の結果によれば、同会社の資本金は僅かに金三〇〇、〇〇〇円であることが認められ、又同会社が、被控訴人等主張のとおりのいわゆる家族会社であることは控訴人の認めて争わないところであつて、右のような小資本で、しかも被控訴人等家族を中心として営まれている同会社の事業は、なるほど一応法人の事業という形式をとつているとはいえ、その実質は、被控訴人等の事業そのものと同視するに妨げないから、同会社に関する事情も、被控訴人等が本件家屋の明渡を求める正当事由の一つに加えて差支ないものというべく、従つて控訴人の右主張は採用し難い。次に控訴人は、本件家屋所在地は、いわゆる住宅地域として工場の拡張が許されない地域に属するから、工場事業拡張のために本件家屋の使用を必要とするということを解約申入の正当事由にすることは許されない旨主張するが、成立に争のない甲第八号証、原審における被控訴人清水ちよ(第一回)及び当審における同清水武の各本人尋問の結果を総合すれば、被控訴人等側は東京都知事から昭和三四年一一月三〇日、工場増設の認可を受けていることが認められ、いわゆる住居地域といえども絶対に工場の拡張が許されないものではなく、唯その許否は認可の有無にかかるのみであるから、工場の拡張が絶対に許されないことを前提としてなす控訴人の右主張も到底採用し難い。又控訴人は、被控訴人清水武の結婚後の住居がないということは、本件家屋の明渡を求める正当事由にならない旨主張するが、当審における被控訴人清水武の本人尋問の結果に弁論の全趣旨を参酌すれば、「被控訴人清水武は、有限会社清水精機製作所の取締役として、同会社の経営にあたつている中心人物の一人であり、同会社所在地から離れて住むことは、その事業経営上に多大の不便をもたらす。」ことが認められ、従つて同被控訴人が本件家屋に居住することを望むのには、相当の理由があるものというに妨げないので、この点に関する控訴人の主張も亦排斥を免れない。

以上を要するに、被控訴人等は、本件家屋を自ら使用する必要に迫られ、従前から、度々控訴人に対し、その明渡を要求して来たものであるということができる。

次に、観点を変えて、被控訴人等が、控訴人の移転を容易にするため、いかなる処置を講じたかの点につき按ずるに、先ず、原審証人中山好太郎、同土谷カヨ、同栗原久子、当審証人内田章二郎、同師岡タメの各証言、並びに原審における被控訴人清水ちよ(第一回)、当審における同清水武、原審及び当審(第一、二回)における控訴人の各本人尋問の結果を総合すれば、「昭和三〇年頃、控訴人は、本件家屋を明渡そうとして、その移転先を物色し、訴外師岡タメとの間にその所有宅地約一〇坪を、権利金一五〇、〇〇〇円で賃借する話が一応まとまつたので、知人等から借受けた金で右権利金の内金五〇、〇〇〇円を支払つた後、残金一〇〇、〇〇〇円を含め金一五〇、〇〇〇円の移転料を支払つて貰えば本件家屋を明渡す旨被控訴人清水ちよに申出たところ、同被控訴人が、二〇、〇〇〇円か三〇、〇〇〇円位なら考えてみるが、一五〇、〇〇〇円という多額の移転料は支払えない旨答えてこれに応じなかつたため、結局権利金の残金一〇〇、〇〇〇円が支払えなくて右宅地賃借の話は実現しないまま、その後右宅地は他に賃貸されてしまつたということはあつたが、しかしその後、被控訴人等側においても態度を改め、移転料として昭和三一年八月頃には金一〇〇、〇〇〇円、次いで約一カ月後には、さきの控訴人の要求額どおり金一五〇、〇〇〇円を支払う旨申入れたが、今度は、控訴人側において、他に適当な宅地を探してくれれば格別、僅か一〇〇、〇〇〇円や二〇〇、〇〇〇円程度の移転料のみでは到底本件家屋を明渡すわけにいかない旨答えてその申入を拒絶したこと。」が認められ、当審証人内田章二郎の証言、並びに原審における被控訴人清水ちよ(第一回)、当審における控訴人(第二回)の各本人尋問の結果中右認定に反する部分は当裁判所これを措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。次に、被控訴人等が、控訴人に対し、東京都大田区馬込町四丁目所在の宅地一三坪を提供して、同所に移転先たる建物を新築するよう申入れたところ、控訴人が、その夫訴外内田章二郎の勤務先から遠くなるとの理由でこれを拒絶したことは、控訴人の認めて争わないところであり、原審証人栗原久子、当審証人内田章二郎の各証言、並びに当審における控訴人(第一回)の本人尋問の結果を総合すれば、「訴外内田章二郎は、勤務先の都合で、現在でも毎朝五時頃には家を出る必要があるため、なるべく勤務先の近くに居住したいと考えているが、右提供にかかる場所は、本件家屋の所在地より、更に勤務先から遠く、又交通も不便になりその出勤も一層早めて、毎朝四時半には家を出なければ出勤時間に間に合わない場所である。」ことが認められ、該認定の事実によれば、右提供にかかる宅地の所在地が、控訴人の夫の勤務の都合からみて、本件家屋所在地よりも不便であることは否定できないが、その不便さも結局は程度の問題であつて、右認定の事実にみられる程度の不便さを以てしては、大都市における交通事情その他本件にあらわれた諸般の事情から考えて、未だ右提供の拒絶につき、控訴人に正当な理由があるとまでは認め難い。又被控訴人等が、東京都品川区二葉町所在の借家の権利金一〇〇、〇〇〇円を被控訴人等において負担することを条件に控訴人において賃借するよう申入れたのに対し、控訴人が、その賃料一カ月金三、〇〇〇円を高すぎるとしてこれを拒絶したことは、控訴人の認めて争わないところであり、一カ月金三、〇〇〇円の賃料が本件家屋の賃料の六倍にあたり、それが控訴人の家計に少なからぬ影響を及ぼすであろうことは、まさに控訴人主張のとおりであるとしても、これ亦程度の問題であり、原審証人土谷カヨ、同大沼兼蔵の各証言、並びに原審における被控訴人清水ちよ(第一回)、及び当審における同清水武の各本人尋問の結果によれば、「本件家屋が八畳と二畳の二間であるのに対し右申入にかかる借家は六畳と三畳の二間である。」ことが認められるので、右申入にかかる借家は、本件家屋とその宏さにおいて大差ないものというべく、現在の東京都内における借家事情から考えて、そもそも本件家屋の賃料自体が安すぎるともみられるので、一カ月金三、〇〇〇円の賃料で本件家屋と同程度の家に移転することを求める被控訴人等の申入は、本件にあらわれた諸般の事情と併せ考えれば必ずしも無理を強いる申入というにあたらない。最後に、原審証人中山好太郎の証言、並びに原審における被控訴人清水ちよ(第一回)、当審における同清水武、原審及び当審(第二回)における控訴人の各本人尋問の結果を総合すれば、「昭和三一年秋頃、被控訴人等が、控訴人に対し、本件家屋を二階建に改築したうえ、その階下又は二階を引続き賃貸するから、その余を被控訴人等に使わせて貰いたい旨申入れたところ、被控訴人等の右申入を信用し難きものとして、控訴人がこれを拒絶した。」ことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

以上を総合すれば、控訴人は、被控訴人等が、控訴人の移転をできるだけ容易にしてやろうとの好意的な配慮から、なした無理からぬ申入を、さほどの理由もなく、すべて拒絶して受付けようとしなかつたものであることが明らかであり、このことは、結局家主たる被控訴人等が、借家人たる控訴人に対し、明渡による損害を可及的に防止するために、社会的評価のうえで納得のゆく処置を講じたにもかかわらず、控訴人の側において、これに協調する熱意と誠意を欠き、自己の都合のみを強調して、相手方たる被控訴人等の立場を全く顧みようとしない一方的な態度を示すものにほかならない。

一方賃借人たる控訴人側の事情について考えてみるに、原審証人中山好太郎、同大沼兼蔵、同土谷カヨ、同栗原久子、当審証人内田章二郎、同師岡タメの各証言、並びに当審における被控訴人清水武、原審及び当審(第一、二回)における控訴人の各本人尋問の結果を総合すれば、「控訴人の夫章二郎は、東京都北区の臼倉運輸株式会社に勤務する機帆船の船長で、その勤務と関係した主食配給受領の都合上、住民登録のみは、東京都北区にしているが、実際は、本件家屋に居住しているものであり、その他本件家屋には、次男衛(工員)、三男勝利(高等学校生徒)も居住していて、結局控訴人方の同居家族は、合せて四人であること、控訴人方は、控訴人の夫章二郎の平均月収約金二〇、〇〇〇円と、次男衛の月収一三、〇〇〇円位とを合せ、辛うじて家計を支えている程度で、他にみるべき資産もない精一杯の家庭であること、控訴人方でも、本件家屋の明渡を全く考えていないわけではなく、一応移転先についても考慮を払つてはいるが、移転資力の点は一応別として、何分安い家賃でより便利なところをとの要求が強いため、被控訴人等の申入はすべて気にそまず結局その実現をみないで今日に及んでいること。」が認められ他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

「如上説示の被控訴人双方の事情を比較検討し、かつ被控訴人等が、控訴人の移転を容易にするために講じた各種の処置とこれに対する控訴人の態度、被控訴人等が、控訴人に対し、本件家屋の明渡を求め始めてから既に相当期間を経過していること等を併せ考えれば、被控訴人等側が、控訴人側より、生活程度においてまさる点のあることは認められるとしても、なお賃貸借関係における信義則に照らし被控訴人等のなした本件解約の申入は、借家法第一条ノ二にいわゆる正当の事由ある場合に該当するものというべきである。」

果してしからば、本件家屋賃貸借契約は、本件解約申入の日(昭和三二年四月一日)から六カ月を経過した昭和三二年一〇月一日を以て終了したものといわざるをえず、従つて、控訴人は、被控訴人等に対し、本件家屋を返還するためにこれを明渡すべき義務があり、又被控訴人等は、控訴人の右返還義務の不履行により本件家屋の相当賃料額(本件にあつてはこの点に関する特段の主張立証はないから本件家屋の約定賃料額すなわち一カ月金五〇〇円を以て相当賃料額と認めるのを相当とする。)にあたる損害を蒙りつつあるものというべきである。

次に、控訴人は、「昭和三一年七月分以降の賃料につき、被控訴人等が、控訴人の提供する賃料の受領を拒絶するままにやむなく控訴人は今日に至るまでその供託を続けて来たものであるから何らの延滞もない。」旨抗争し、原審における控訴人の本人尋問の結果によれば、右賃料供託の事実はこれを認めることができるが、たとえ賃料を供託しても、家主が予め弁済の受領を拒み借家人が弁済の提供をしてもその効なきことの明確な場合を除き、原則としてこれを提供した事実を証明しない以上、借家人は、賃料支払の責任を免れえないものというベきところ、本件にあらわれた全証拠を以てするも右弁済提供の事実を認めるに足りないから、控訴人の抗弁は、この点において理由がない。

以上の次第で、被控訴人等が、控訴人に対し、賃貸借終了に伴う返還義務の履行として、本件家屋の明渡を求めるとともに、昭和三一年七月一日以降同年一〇月一日まで一カ月金五〇〇円の割合による約定賃料、並びに翌二日以降右明渡済に至るまで、右返還義務の不履行に基く損害賠償として、本件家屋の相当賃料額にあたる右約定賃料と同額の割合による損害金の支払を求める本訴請求はすべて理由ありとしてこれを認容すべく、右と同旨に出た原判決は、まことに相当であるから本件控訴は棄却を免れない。

よつて、控訴費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 古山宏 斉川貞造 黒田節哉)

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