大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和33年(特わ)385号 判決 1961年4月27日

被告人 古荘四郎彦

明一七・七・一八生 会社役員

坂内ミノブ

明四三・九・二五生 会社役員

主文

被告人古荘四郎彦を懲役三年に処する。

被告人坂内ミノブを懲役三年に処する。

但し、被告人古荘四郎彦に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人上中省三、鑑定人平川良三、国選弁護人弁護士湯川忠一に支給した分を除きその余の部分は被告人古荘四郎彦、同坂内ミノブの連帯負担とし、国選弁護人弁護士湯川忠一に支給した分は被告人坂内ミノブの負担とする。

理由

罪となるべき事実

(被告人古荘の経歴)

被告人古荘四郎彦は、明治四十五年三月東京帝国大学法科大学独法科を卒業、同年四月株式会社帝国商業銀行に入社、後支配人に就任、以来株式会社川崎銀行行員、安房合同銀行常務取締役、株式会社総武銀行専務取締役、株式会社千葉合同銀行取締役頭取を経て、昭和十八年三月株式会社千葉銀行(以下千葉銀行と略称する。―本店所在地千葉市通町六十四番地)取締役頭取に就任、昭和三十三年四月同銀行頭取を辞任、同年五月同銀行を退社するに到るまで四十六有余年間その全生涯を銀行家として終始し、千葉銀行の今日の隆盛はあずかつて同被告人の功績によるものというべく、また、金融を通じて千葉県下の産業育成に貢献するところも大なるものがあつた。

(被告人坂内の経歴および同被告人の設立した諸会社)

被告人坂内ミノブは、旧制高等女学校を卒業後、二十一才にして群馬県伊勢崎市において吉田印刷株式会社を経営していた吉田庄蔵と結婚し、同人との間に二男一女を儲けたが、昭和十六、七年頃子供三人を引取つて同人と別居(昭和二十五年協議離婚)し、その後吉田印刷株式会社(後に大洋印刷株式会社、次いで三信印刷株式会社―東京都文京区真砂町三十六番地所在―と商号を変更す。)を経営していたが、昭和二十一年頃長男唯史名義をもつて牧野貞亮から同都港区芝伊皿子町二十四番地ノ一所在の豪荘なる邸宅を買い求めて移り住み、その頃金丸某と恋愛関係による同棲生治を二年程送り、またその頃から六年間位に亘り雑誌「女性線」、「潮流」を編集、発刊していたところ、昭和二十三年十月二十七日代表取締役を同被告人として同都中央区銀座西六丁目三番地に、業務目的を七色の虹になぞらえて婦人子供服の仕立、装身具、食料品、美術工芸品の販売、喫茶業(後にレストラン業に切替える。)等七種目とする資本金五十万円(昭和二十八年九月二十四日二百万円に増資)の株式会社レインボー(以下レインボーと略称する。)を設立、昭和二十四年九月十三日代表取締役を同被告人として同所(昭和二十八年九月二十日本店を同都文京区真砂町三十六番地に移転)に資本金五百万円の自己の名前「ミノブ」にあやかり「三信」の文字を用いた東京三信物産株式会社(以下東京三信物産と略称する。)を設立、昭和二十五年一月十八日代表取締役を同被告人として同都中央区銀座四丁目四番地に資本金五百万円の三信繊維株式会社(以下三信繊維と略称する。)を設立、昭和二十七年四月二十一日代表取締役を同被告人の使用人斉藤太郎として同所に資本金百万円の東信貿易株式会社(以下東信貿易と略称する。)を設立、同年十二月十八日代表取締役を同被告人として同所に資本金百万円の株式会社三信会館(以下三信会館と略称する。)を設立、昭和三十年五月十三日代表取締役を斉藤太郎として同都千代田区平河町二丁目七番地に資本金五千万円の東京証券金融株式会社(以下東京証券金融と略称する。)を設立し、右全会社の業務を統轄経営していたものである。

第一、

(被告人坂内および同被告人の統轄経営する諸会社の危殆状態に到る経過)

被告人坂内が統轄経営した右諸会社のうち他の諸会社と独立採算の下に経営していた三信印刷株式会社を除いては、三信会館は設立したものの資金なきため何等の事業活動を為さず。東京証券金融は金融業森脇将光等からの一時借入金五千万円をもつてするいわゆる見せ金払込みによつて設立し、次いで、後記のように預合いによる仮装払込みによつて一億円に増資したが、これまた運転資金がなく事業活動を為さず。東京三信物産は当初インドシナのハノイに野積みにしてあつたといわれる燐鉱石の輸入を企図したが失敗し、その後昭和二十六年頃在日米軍調達部に木材を納入しようとしたが、事業上の見込違いがあつたため失敗して欠損に終つたため休業したものであるが、昭和二十七年下半期決算において事業欠損および借入金に対する利息支払等のため約二千万円の欠損を生じ、爾来毎年借入金に対する利息支払等のため約二千万円の欠損を生じた。三信繊維は昭和二十六年頃作業衣等の製縫、販売業を経営したが、製品価格の暴落によりこれを中止し、爾来事業活動を為さず。東信貿易はレインボーに代つて名義上の債務者となるいわゆるトンネル会社として設立されたものであり、ただレインボーのみは終戦後であつたという当時の事情もあつて、当初はその業態は順調であつたが、同業者の増加とデパートの復活等のため喫茶部門を除き次第に不振に陥り、昭和二十七年頃からは喫茶部を切替えたレストランのみが普通に営業を続けていたにとどまり、他の部門においてはその仕入代金の支払いにも追われるという状態で、過少に見積つても昭和二十八年六月三十日決算に四百万円余、昭和二十九年六月三十日決算に二千三百万円余の欠損を生じたのである。

ところで、被告人坂内は昭和二十三年頃舞踊家伊藤道郎の紹介で被告人古荘と知り、千葉銀行と取引するようになつたのであるが、同銀行東京支店(東京都中央区日本橋室町三丁目二番地所在)における預金取引の状況は、東京証券金融(昭和三十年五月十四日、昭和三十一年五月二十三日設立および増資の払込みの際の別段預金からの振替、支払のみに利用)、東京三信物産(昭和二十七年三月一日開始、昭和二十九年一月十四日残高零になり、以後休止)、東信貿易(昭和二十七年四月二十一日開始、昭和二十八年六月二十五日残高零になり、以後休止)、およびレインボー(昭和二十八年十月三十一日開始、昭和三十年一月二十九日残高一万三千八十七円になり、以後休止)の当座預金取引のみで、定期預金その他の預金はなく、しかも後記同銀行支店からの借入金が東信貿易の最初の一個年位の分を除いては右当座預金口座に振替入金にならず、その預金の出入れ回数は右諸会社の業態としては極めて少く、またその大部分の出入れの金額は支払手形および同銀行支店からの借入の金額に比べて極めて少額であつて、一見して同銀行支店からの借入金の大部分が右諸会社の事業に使用されずに他に流用されたものと推定され、銀行の融資としては極めて異常であり、また右諸会社の業態が貧弱なものであることが判明するのである。また、同銀行からの借入れの状況は、昭和二十五年十一月本店において東京三信物産名義をもつて一千万円の信用借りをしたのを初めとし、爾後は担保を供し、また、昭和二十八年十月本店においてレインボー名義をもつて、昭和二十七年四月東京支店において東信貿易名義をもつて、昭和二十八年八月東京支店において三信会館名義をもつていずれも担保を供して借り始め(以上融資を受けた四会社を以下諸会社と略称する。)たのであるが、被告人坂内から被告人古荘に対して売却方を依頼した旭硝子株式会社の株式について被告人古荘において売却時機を失したため数千万円に上る得べかりし利益の喪失による損失を蒙つたという事情もあつて、借入金も漸次累増し、昭和三十年一月二十六日大蔵省銀行局検査官が千葉銀行本店、同東京支店において臨店検査を行つた際の借入金総額は金六億一千三百五十三万四千七十一円(うち後記のような簿外貸付金七千五百十七万五千三百十五円を含む。)を数えるに到つたのである。

およそ、千葉銀行のような一般市中銀行において右諸会社のような商業を営む事業に累次融資する場合においては、資力、信用、担保の外、その出入れの回数、金額の多寡によつてその事業の盛衰を窺うことのできるいわばバロメーターともいうべき当座預金取引の内容を検討し、それを一つの資料として融資申込みに応ずるか否かを決するのが通常であるところ、前記のように右諸会社に対する貸付は異常であり、またその預金取引は極めて貧弱であつたので、銀行家として、右諸会社の当座預金帖簿等を調査し、且つ被告人坂内を追求するにおいては、巨額の貸付金が繊維類の買入を除いては殆んど右諸会社の事業のために使用されず、専ら後記のような投機的な株式の買入れおよび巨額の貴金属、美術品、土地、建物等の買入れに使用され、しかも右諸会社の業態は劣悪であつて、被告人坂内の諸事業の収入、収益をもつては借入の際に約束した期間内に貸付金の回収が期待できない状態にあつたことを知り得たにかかわらず、貸付金によつて買入れた膨大な繊維類、貴金属、美術品および土地、建物等を担保にとり、更に貸付を為し、前記のような巨額の貸付を為したことは全く異例なことというべきである。

そこで、右諸会社に対する融資およびこれに対する担保差入れの概況を見るに、被告人坂内は、前記のような千葉銀行からの右諸会社に対する貸付金六億円余のうちから、レインボーの事業として昭和二十八年初頃、近く外国製繊維類(以下繊維類と略称する。)が輸入禁止になつて、値上りするだろうとの思惑的見通しの下に繊維類の買付けを始め、買入れた繊維類を倉荷証券に組み、それを担保として同銀行から融資を受けて更に繊維類を買入れるというように昭和二十九年初頃までに約二億円に上る大量の繊維類を買入れたのであるが、それが回転を図らず、手持ちのまま商機を窺つているうちに思惑に反して値下りを来したためその大部分が滞貨となるに到り莫大なる損失を蒙り、また、右諸会社の事業目的とは別個に、レインボー振出の約束手形をもつて株式の売買、貴金属、美術品、土地、建物等の買入れを為し、それ等を担保として同銀行から融資を受け、更にそれを買入資金として右諸物件を買入れ、また、被告人坂内の豪奢なる生活を維持するための多額に上る造園料、家具、調度品、什器、衣類等の購入費および他銀行、金融業者に対する元、利金の支払、その他倉庫業者に対する倉敷料の支払等に当てたのであるが、以上のように右諸会社の事業が振わないのみか多額の欠損さえ生ずるに到つたうえ、繊維類の思惑的取引が失敗し、また多額に上る生活費等の支出等があつたことから、昭和二十九年二月頃から資金繰りが逼迫し、被告人坂内個人としても、また右諸会社においても銀行に提供すべき纒つた担保物件もなくなつて、通常の方法によつては融資を求めることの困難な状態に立ち到つたため、被告人古荘に懇請し、千葉銀行本店に手形交換で廻つたレインボー振出しの約束手形を不渡返還せず、それを決済するに際し、その資金に当てるため新らたな約束手形を差入れ、それを現金と看做して出捐せしめるという方法による正規の貸付ではない全く異例な取扱いである簿外貸付を受けるに到り、同本店における右方法による簿外貸付は昭和二十九年六月末には九千六百三十三万五千五百六円(同年九月正規貸付に振替えられる。)となり、右簿外貸付を含む前記諸会社の千葉銀行本店および同東京支店に対する同年五月末の借入総額は四億五千七百万円余(これに対する担保の銀行評価額が六億五千万円余であるのに対比して当裁判所の認定額は三億三千万円余に過ぎなかつた。)の巨額に達したのである。

ところが、被告人坂内は、昭和二十九年六月頃被告人古荘の了解の下に、長男唯史名義をもつて東京都世田谷区深沢町四丁目所在の元わかもと製薬株式会社社長長尾欽也所有の豪荘な宅地、建物(別紙不動産目録の<11>―<14>)―以下深沢の宅地、建物または深沢桜新町邸と略称する。)を代金五千万円にて買入れ、これが代金支払いのために、千葉銀行東京支店を支払場所とするレインボー名義の約束手形を振出したのであるが、当時資金繰りが逼迫し、同銀行本店において前記のような簿外貸付の方法による融資を受けるという状態にあつたところ、被告人古荘は、被告人坂内の懇請に応じ、同月二十一日右約束手形のうち額面一千万円のものが手形交換にて同銀行東京支店にまわされて来るや、他の同銀行重役等の反対を押切り、当時本店営業部長から東京支店長に転任した能重嘉一に命じ、前同様右約束手形の決済に際り、その資金に当てるため東信貿易株式会社代表取締役斉藤太郎振出、被告人坂内個人保証の同額の約束手形を差入れしめ、それを現金と看做して出捐するという方法による簿外貸付を為さしめたのを初めとし、その後被告人坂内において前記のように貴金属、美術品、繊維類、不動産等を買入れ、その代金支払いのための資金計劃を立てることなく濫発した同銀行東京支店を支払場所とするレインボー振出の約束手形も、被告人坂内の従業員を督励しての書換分を除き、その余の大部分は偏にすがる被告人坂内の懇請に応じ、東京支店長能重嘉一に指示命令して、その決済のため右のような方法による簿外貸付を為さしめ、または一旦は不渡として返した上、その買戻資金に当てるため東信貿易振出、被告人坂内個人保証の約束手形を差入れしめ、それを現金と看做して同銀行東京支店宛小切手(預手)を交付し、若しくは現金を支出するという方法による簿外貸付を為さしめ、後日その一部を正規の貸付に振替えた結果、昭和三十年一月二十六日現在において同銀行本店および東京支店における右諸会社に対する貸付金総額は前記のような巨額なものになつたのであり、しかも右貸付金に対しては事業収入によつての返済はなかつたばかりでなく、その利息すら昭和二十九年春頃以降は手形をもつて支払われるという有様であつた。

右借入金に対し、被告人坂内は、担保として、当初は既存の東京都中央区銀座西六丁目三番地の六所在の宅地、建物(別紙不動産目録<5>、<6>―東京三信物産所有名義)、同都文京区真砂町所在の宅地、建物等(別紙不動産目録<19>、<20>―三信印刷株式会社所有名義)、同都千代田区平河町所在の宅地(同<16>―<18>―坂内唯史所有名義)、次いで、昭和三十年一月二十日までに既存または後日買入れた同都中央区銀座西六丁目所在の宅地、建物(同<1>、<5>、<6>―東京三信物産所有名義)―<1>に対し順位一、二番、<5>、<6>に対し順位二番、同区銀座四丁目所在の建物(同<7>―東京証券金融所有名義)、前記深沢の宅地、建物、同都大島町元町所在の山林(同<21>―被告人坂内所有名義、同都中央区銀座西六丁目所在の宅地(同<3>、<4>―被告人坂内の長女玲子所有名義)―順位三番および同都港区芝伊皿子所在の宅地、建物(同<8>―<10>―坂内唯史名義―以下伊皿子の宅地、建物と略称する。)―順位二番―に抵当権または根抵当権を設定し、また、昭和二十七年四月から株式、同年十月から貴金属、美術品、昭和二十八年五月から繊維類を倉荷証券に組んだもの、昭和二十九年四月から繊維類、その頃レインボーの事務所または店舗にあつた備品、什器、繊維類その他の商品を提供したのであるが、右提供した一流銘柄の担保株式も一時は一億五千万円余相当にも達したものの、借入金返済のため処分され、昭和二十九年七月から同年末頃にかけては三百万円余に激減し、同時に、右株式処分金による返済にもかかわらず、次第に増大して行つた貸付金に対しては、株式に代えて、被告人古荘の命により、千葉銀行東京支店長能重嘉一において厳密なる調査または鑑定を故らに避け、被告人坂内の申出価格または同被告人が懇望する融資金額に見合うよう小売価格若しくは実価より不当に高額に評価された不動産、倉荷証券、貴金属、美術品等を担保として受取つたのであるが、昭和三十年一月二十六日における右担保物件の時価は、千葉銀行からのその当時における借入金が前記のように総額六億一千三百五十三万四千七十一円であつたのに対比して四億四千六百九万四千七百十二円位(銀行評価額は八億三千八百十二万四千六百四十円)を数えるに過ぎなかつたのである。

しかも、被告人坂内は昭和二十四年十月十九日以降安田信託銀行株式会社から東京三信物産名義をもつて手形貸付による融資を受け、昭和二十七年一月十日、同日現在の右借入金残額七千百十九万四千七百十四円を債権額として前記伊皿子の宅地、建物(別紙不動産目録<8>―<10>)および大島の山林(同<21>)―右大島の山林については千葉銀行からの千五百三十万円の融資により返済されたので昭和二十九年六月解除―に順位一番の抵当権を設定、更に昭和二十九年六月十八日銀座西六丁目所在の宅地、建物(同<2>―<4>)に順位二番、極度額一千万円の根抵当権を設定したが、昭和二十九年三月および同年九月の銀行決算期には右借入金に対する利息の支払資金も調達できず、右利息合計金七百六十万円について右増担保を提供して手形貸付を受けるという状態にて、同年九月二十日業態不信の廉で同銀行から伊皿子邸所在の家具、美術品等六十四点、高級衣類百枚に強制執行を受けるに到つたのであるが、その後遂次内入弁済をして、昭和三十年一月二十六日現在において七千八百七十一万六千百五円となり、また昭和二十四年三月三十一日以降同銀行から三信繊維名義をもつて手形貸付による融資を受け、昭和二十七年一月十日、同日現在の右借入金残額三千七百三十三万二千百四十二円を債権額として前記銀座西六丁目所在の宅地、建物(同<2>―<4>)に順位一番の抵当権を設定したが、その後遂次内入弁済をして、昭和三十年一月二十六日現在において三千百十万円となり、また、昭和二十九年十二月レインボーの事業としてスイスからの高級衣料品等の輸入の見返りとして、大阪市所在のグロワール貿易株式会社と提携し繊維品を輸出することを企図し、株式会社東京銀行本店から右輸出用原糸の買付資金三千万円を、融資先をグロワールとし、レインボー、被告人坂内等が連帯保証人となつて借受け、同月十四日神奈川県足柄下郡箱根町所在の山林、建物(別紙不動産目録<22>―唯史所有名義―以下箱根の山林と略称する。)に順位一番、極度額三千五百万円の根抵当権を設定したが、被告人坂内はグロワールに対し右借入金のうち五百万円を交付したのみで、その余を千葉銀行東京支店に対する借入金の弁済に流用したため、右事業は解消されるに到つた結果、昭和三十年十二月十三日東京銀行との間に同日現在の右借入金の元利金三千百八十五万四百円について準消費貸借契約を為してレインボーの債務となし、また、第一相互銀行、金融業金子和助等からの借入、後記鎌倉の別邸、貴金属、美術品、衣料、家具等の買入等による債務が昭和三十年一月二十六日現在において少くとも三千八百五十万円余に上つたのである。

かかる折から、昭和三十年一月二十六日大蔵省銀行局検査官が千葉銀行本店および東京支店において臨店検査を行つた結果、同銀行の前記諸会社に対する不良貸付およびその一部が看做金処理の方法によつて為されている実状を発見し、被告人古荘に対し、右諸会社に対する貸付が不良のものであるとして、整理改善を図るべき旨の注意を与えたのである。

(被告人古荘の右被告人坂内および右諸会社の危殆状態についての認識竝びに銀行頭取としての任務)

被告人古荘としても、右諸会社に対する千葉銀行の貸付金については、前記のように被告人坂内と直接折衝もして来たので、自身前記事情については知悉していたし、また他の同銀行重役、審査課員および東京支店長能重嘉一からも度々貸増しを停止し、極力回収すべきであるとの意見具申があつた際に、右銀行局検査官からの注意も受けたことから、右諸会社の事業が先々の見込が全くなく、それらに対する前記貸付金は早晩整理回収すべきであると考えるようになつた。

かかる場合、銀行頭取としての被告人古荘としては、直ちに右諸会社に対する貸付金の回収手段をとることによつて千葉銀行の右諸会社に対する不良貸付が世間に知れわたるにおいては、銀行の信用および自己の銀行家としての名声が損われる虞があるとしても、既にその基礎が確立し、地方銀行として大を成した千葉銀行の当時の状態においては、これによつて銀行の存続発展を脅すという程のことではなく、またかかる際においてはひたすら銀行の利益を図り、一切の私情を捨て顧みてはならないのであつて、専ら右諸会社に対する貸増を停止し、既存の貸付金については適時に担保物件を処分してこれが回収を図るべく、たとえ右担保物件の適時処分の必要上、右諸会社の倒産を防ぐため多少の資金を要し、これが貸増を行う場合においても、その額は必要最少限度にしぼり、且つその債権保全については万全の方策をとり、また右諸会社を統轄経営する被告人坂内に対し、自己の貸付金回収の方法についての意見を周知徹底せしめ、右必要資金についても同被告人とあらかじめ検討協議を遂げ、場合によつては部下銀行員を右諸会社に派遣して、その経理を管理せしめる等適宜にして慎重なる措置を講ずべき任務を有するものというべきである。

(被告人坂内の右危殆状態に対する認識)

右諸会社の統轄経営者である被告人坂内は、同被告人経営の諸事業が前記のような窮境にあることを熱知していたことは勿論、千葉銀行東京支店長能重嘉一から前記銀行局検査官からの注意の趣旨も聞かされたうえ、被告人古荘および能重嘉一から既存貸付金の回収および貸増拒絶の意向をも伝えられたので、従前の轍を踏んで再び手形を濫発し、被告人古荘に懇請し、同被告人をして右手形決済のため千葉銀行東京支店から更に融資せしめることは、銀行頭取としての任務に背かさしめるものであることを十分認識していたのである。

(背任行為の背景)

しかるに、被告人坂内は昭和三十年、同三十一年の二年間に亘り、従前同様何ら手形決済のための資金計画を立てることなく、自己の豪奢なる生活を維持するため、伊皿子、深沢桜新町の両邸、鎌倉の別邸等の増改築に約一千二百万円、アク洗、艶出料に約百万円、造園料に約二千八百万円を費し、同邸等のため三十万円余の飾戸棚二基、十八万円余の三面鏡二台、二十五万円余の絨毯一枚、十五万円余のダブルベツト四台、十四万円余の洋服タンス二本を含む数多くの豪華な家具、調度品、備品、植木鉢等を約一千万円、高級料理店、富有者でさえせいぜん数点しか買わないような蒔絵を施した最高級漆器類を、一回に多数買込むとして業者が驚くような派手な買い方によつて約七百万円、長男唯史のためスポーツカー「メルセデス・ベンツ一九〇SL型」一輛を三百八十万円、自己および家族、従業員等のため高級呉服、紳士、婦人洋服その他の衣料等を約三千五百万円、また借入金の担保に供するためと見られるような貴金属、美術品を約一億円を買入れ、それらの支払および他銀行または金融業者からの巨額の借入金の元、利金、倉庫業者に対する倉敷料の支払のため、または自己の用途に当てる金員を得る目的で業者に取立依頼のため等で振出したレインボー名義の約束手形および安田信託銀行の東京三信物産および三信繊維に対する債権を肩替りした金融業森脇将光に対する債務弁済のため振出したレインボー名義の五千万円の約束手形決済のため、竝びに在外資産凍結解除のうわさで値上り情勢にあつたことから、昭和三十年二月頃投機的に買入れ、結局値下りと買入代金の支払資金の一部を高利で借入れたための高利払いにより大損失を蒙つた東京海上火災保険株式会社株式五十万株のうち二十四万株の代金七千三百万円余支払のため等で巨額の資金を要したが、その融資を他に求める方策なく、ひたすら被告人古荘に頼るほかなしとして懇請したところ、

被告人古荘は、昭和二十九年暮頃から古川某において千葉銀行のレインボーに対する貸付には多額の焦付があると言いふらし、また昭和三十一年五月初頃には右レインボーに対する不良貸付につき同被告人の責任を追求する旨のパンフレツトを配布するようになつたことから、前記諸会社に対する不良貸付が世間に知れるにおいては自己の銀行家としての名声が著しく損われるというように虞れてこれを容れ、他の同銀行重役および同東京支店長能重嘉一の反対を押切り、右レインボー振出の約束手形を交換決済し不渡買戻し、または店頭払を為すに際し、その資金に当てるため若しくは株式買入代金の支払資金として、同会社の同銀行東京支店における当座預金の残高が前記のように昭和三十年一月二十九日現在において一万三千八十七円で、爾後休止状態にあつたにもかかわらず、後記のように能重嘉一に命じ、昭和三十年一月二十九日から昭和三十一年十二月一日までの間、東京支店において東信貿易の約束手形を差入れしめ、それを現金と看做して出捐するという方法により、担保を供せしめまたは六千万円は無担保にて合計金四億四千八百六十三万二千百七十三円の簿外貸付を為し、昭和三十一年十二月末現在における千葉銀行本店および東京支店における前記諸会社に対する貸付金は元本だけで十億六千六百六十三万四千円(これに対する利息は一億七千八百五十六万四百七十八円になる。)の巨額に達し、昭和三十五年十一月三十日現在においては、担保物件たる前記深沢の宅地、建物、箱根の山林、平河町の宅地、倉荷証券、貴金属、美術品の処分代金等による返済および東京海上火災保険株式会社株式による代物弁済による右元利金に対する合計四億七千六百五十一万六千二百七十六円の入金にもかかわらず、元、利金、遅延損害金の合計は十六億九千八百三十七万八千六百四十円となつたのである。

右貸付金に対し、担保不足に苦悩した千葉銀行東京支店長能重嘉一は、逐次、被告人古荘の命により、評価のための調査および鑑定を故らに避け、被告人坂内をして、同被告人が業者から、業者において八百万円で買入れた碧玉花透大香炉一個および獅子花鳥彫翡翠花生一個外二点を千三百万円にて買受け、右二点につき専門家に依頼して、いずれも二千万円以上の価値あるものと認める旨の鑑定書を作成せしめ、右価格にて担保に供するというように高額にて買受けしめられた前記貴金属、美術品の大部分を、同被告人の申出価格または同被告人の懇望する融資金額に見合うよう不当に高額に評価して増担保として提供せしめ、また、前記同被告人が買入れた東京海上火災保険株式会社株式二十四万株(正規に担保提供された昭和三十年六月には買値七千三百万円余であつたものが六千百二十万円余に値下りした。)も担保提供せしめ、更に、融資金額に見合うため、またはレインボー振出の約束手形決済のため他から融資を得しむるため不当に高額に評価し、または担保余力を無視し、若しくは銀行のため不利益に、昭和三十年三月前記箱根の山林に順位二番、極度額五千万円の根抵当権を設定し、第一相互銀行および平和相互銀行に担保として差入れしめるため、同年七月前記深沢の宅地、建物(当時の時価七千二百万円位)に対する順位一番の根抵当権を解除し、同年四月前記森脇将光宛レインボー振出の約束手形五千万円を決済したことにより銀座西六丁目所在の宅地(別紙不動産目録<3>、<4>)および同地上建物(同<2>―レインボー所有名義)に対する順位一、二番の担保権を取得し、同年八月二十二日右宅地につき順位二番、建物につき同一番、銀座西六丁目所在の宅地、建物(同<1>、<5>、<6>)につき同三番、極度額七千五百万円の根抵当権を設定し、昭和三十一年二月四日神奈川県鎌倉市所在の宅地、建物(同<23>、<25>~坂内玲子所有名義―鎌倉の別邸と略称する。)に順位一番、極度額六千万円の根抵当権を設定し、同年五月十五日銀座西六丁目所在の宅地、建物(同<1>~<6>)に順位二番乃至四番、極度額五千万円の根抵当権を設定し、同月十九日同都世田谷区深沢四丁目所在の宅地(同<15>―坂内玲子所有名義)に順位一番、極度額千五百万円の根抵当権を設定し、平和相互銀行に担保として差入れしめるため、同年九月二十七日伊皿子の宅地、建物(同<8>~<10>)(当時の時価五千七百七十九万五千円位、―右宅地、建物に対する順位一番の根抵当権によつて担保される安田信託銀行の債権額は五千万円)の順位二番の根抵当権を解除し、他に担保として差入れしめるため、同年十二月前記銀座四丁目所在の建物(当時の時価三千五百万円位)に対する順位一番の抵当権および同二番の根抵当権を解除した結果、昭和三十一年十二月末における右担保物件の時価は、その当時における貸付金が元本でさえ総額十億六千六百六十三万四千円(これに対する利息は一億七千八百五十六万四百七十八円となる。)であつたのに対比して六億五千四百万四千六百十二円銀行評価額は九億八千百八十八万千五百八十六円)を数えるに過ぎず、多額の回収不能の部分を生ずるに到つたのである。

しかも、被告人坂内は、前記のように昭和三十年四月十五日森脇将光から安田信託銀行に対する東京三信物産および三信繊維名義による借入元、利金の肩替りをしてもらつた結果、安田信託銀行に対する東京三信物産の債務は六千七百三十六万五千二百五十五円に、三信繊維の債務は皆済となり、またこれが担保であつた前記銀座西六丁目所在の宅地、建物(別紙不動産目録<2>~<4>)に対する順位一番の抵当権竝びに順位二番、極度額一千万円の根抵当権は解除されたところ、右東京三信物産の債務を逐次弁済し、昭和三十一年十二月末においては五千万円となり、また東京銀行本店に対する前記準消費貸借契約に基くレインボーの債務もその後逐次弁済し、右当時においては一千五百十八万五千六百円となつたが、昭和三十年十二月十三日同銀行本店から、被告人古荘が第一相互銀行に対し責任をもつとのことで、同相互銀行の保証の下にレインボー名義をもつて借入れた三千万円の債務については、期日に支払わざるため保証をした第一相互銀行において昭和三十一年七月三十一日までにこれを皆済したほか、千葉銀行から融資を受けることは被告人古荘を除く他の銀行重役等の反対があつて困難であつたところから昭和三十年四月十四日安田信託銀行に対する東京三信物産および三信繊維の債務弁済のため、某有力者の口添で、金融業森脇将光からレインボー振出の約束手形をもつて五千万円を借入れ、同年五月十三日東京証券金融設立に際り、払込のための見せ金として、被告人古荘の口添で、森脇将光等から五千万円を借入れ、同月十四日および同月十七日の二回に亘り、手形の決済資金に当てるため、被告人古荘の口添で、金融業加藤孝三から合計二千万円を借入れ、同年五、六月頃数回に亘り、東京海上火災保険株式会社株式五十万株の買入代金のうち前記のように他の銀行重役の反対があつて千葉銀行から融資を受けられなかつたものの一部の支払のため、森脇将光から七千万円位を高利にて借入れたが、弁済期にその元利金が一億円余になつたためその弁済に窮した結果、その資金を得るため、同年七月頃被告人古荘に懇請し、同被告人から前記のように千葉銀行東京支店が有していた銀座四丁目所在の建物(順位二番)と共同担保となつていた深沢の宅地、建物(当時の時価七千二百万円位)に対する順位一番の根抵当権を解除してもらい、これに順位一番の根抵当権を設定し、また千葉銀行東京支店からその貸付資金として三千五百万円の預金を得せしめ、且つ被告人古荘の個人保証の下に、第一相互銀行からレインボー外三名振出の約束手形をもつて三千万円を、右深沢の宅地、建物に順位二番の根抵当権を設定し、また被告人古荘の個人保証の下に平和相互銀行からレインボー外二名振出の約束手形をもつて二千万円を被告人古荘の個人保証の下に芙容商事株式会社からレインボー振出の約束手形をもつて金一千万円を、前記鎌倉の別邸を担保(契約書に書入れただけ。)とし、また千葉銀行東京支店からその貸付資金を融資せしめ、且つ被告人古荘の個人保証の下に加藤孝三からレインボーに対し四千万円余を高利にて借入れ、また手形の決済資金等に当てるため、同年八月十八日被告人古荘に懇請して、千葉銀行本八幡支店からその貸付金を融資せしめ、また第一相互銀行に対する定期預金債権を担保として金子和助から一千万円を高利にて借入れ、同月二十三日被告人古荘から責任をもつて決済するとの口添の下に、宝石類を担保として提供し金子和助から三百万円を高利にて借入れ、昭和三十一年六月頃被告人古荘に懇請し、同被告人の個人保証の下に片山哲雄からレインボー振出の約束手形をもつて一千万円を高利にて借入れ、同年八月二十三日から同年九月一日までの間五回に亘り、被告人古荘の口添で、無担保にて正喜商会(片山哲雄経営)からレインボー振出の約束手形をもつて七百五十五万円を高利にて借入れ、同年八月十四日および同月二十二日の二回に亘り、被告人古荘に懇請し、千葉銀行東京支店から貸付資金を融資(後記第一相互銀行のレインボーに対する債権に質権を設定。)せしめ、且つ被告人古荘の個人保証の下に、第一相互銀行からレインボー振出の約束手形をもつて合計七千万円の借増しを受け、前記同相互銀行に対する三千万円の債務と併せ一億円の債務となし、前記深沢の宅地、建物に順位一番の根抵当権を設定し(平和相互銀行から右宅地、建物に対する順位二番の根抵当権を解除してもらう。)同年十二月六日から同月十三日までの間三回に亘り、当時千葉大学附属病院に入院中の被告人古荘に懇請し、同被告人から千葉銀行東京支店が有していた前記銀座四丁目所在の建物(当時の時価三千五百万円位)に対する順位一番の抵当権および同二番の根抵当権を解除してもらい、それを担保とし、また千葉銀行東京支店からその貸付資金を融資せしめ、片山哲雄からレインボー振出の約束手形をもつて千三百五十五万一千円を高利にて借入れ、同月十五日、入院中の被告人古荘に懇請して、千葉銀行本八幡支店からその貸付資金を融資せしめ、且つ美術品を担保として提供し、金子和助から一千万円を高利にて借入れ、同月二十五日頃から同月二十九日までの間三回に亘り、被告人古荘からの責任をもつて決済するとの口添の下に金子和助から合計九百万円を高利にて借入れ、その他金融業後藤良助、加藤孝三、鈴木四郎、合資会社丸嘉等から昭和三十年二月頃から昭和三十一年十二月頃までの間総合計六億三千万円余(右借入金に対する利息支払は一億数千万円に上る。)の融資を受け、昭和三十一年十二月末現在における右融資金の総額は元本だけで三億五千万円余に、また、前記物品買入代金、工事費等の業者に対する支払滞り残高が合計約五千万円に達したのである。

(犯罪事実)

以上のような状況の下において、千葉銀行頭取として同銀行の業務全般を統轄掌理していた被告人古荘は、当時一般に予想されていた担保不動産の値上り状況では前記のように累増して行つた貸付金およびその利息の支払を到底賄うことができず、その回収が殆んど不可能であることを認識しながら、値下りした繊維類(倉荷証券として担保に差入れられた当時の銀行評価額七千四百二万五千四百八十七円相当のものが千六百万千六百十九円に売却された。)を除く他の担保物件の適時処分について何等の措置を講ずることなく、唯々、千葉銀行の前記諸会社に対する不良貸付が世間に知れた場合において著しく損われる自己の名声にかかずらう余り、被告人坂内の濫発するレインボーの手形に追いまくられ、被告人坂内からの融資方の懇請に応じて、被告人両名は共謀の上、被告人古荘において単一の犯意の下に、千葉銀行の損害に帰し、被告人坂内およびレインボー等の利益となることを認識しながら、あえてこれを認容し、自己の千葉銀行頭取としての前記任務に背き、同銀行東京支店長能重嘉一に命じ、同人をして別紙(一)の一覧表記載のように昭和三十年一月二十九日から昭和三十一年十二月一日までの間百三十二回に亘り継続して、右東京支店において、レインボー振出の約束手形の交換決済または不渡手形の買戻しに際り、その資金に当てるため、若しくは東京海上火災保険株式会社株式の買入代金支払いの資金として、東信貿易振出、被告人坂内個人保証の約束手形を差入れしめ、それを現金と看做して出捐するという前記簿外貸付の方法によつて、東信貿易に対し同銀行の資金合計三億九千八百六十三万二千百七十三円を貸付けしめ、もつて同銀行に同額の財産上の損害を加え

第二、

被告人坂内は、証券金融を営む会社を設立し、その利潤をもつて前記のように累増して行つた千葉銀行からの借入金を返済しようと企て、千葉銀行取締役頭取である被告人古荘にこれを諮つたところ、同被告人も右企劃に賛成したので、金融業森脇将光等から一時五千万円の融資を受け、昭和三十年五月十三日自己の使用人である斉藤太郎を代表取締役として、いわゆる見せ金払込の方法によつて東京都千代田区平河町二丁目七番地に本店を置く、資本金五千万円の東京証券金融株式会社を設立し、その事務所を同都中央区銀座西六丁目に設けたが、運転資金がないため事業活動を開始し得ないままにいるうち、昭和三十一年五月頃、一億円に増資し、その信用を利用して二、三億円の運転資金を集め事業活動を開始するに如かずと助言する者があつて、増資を企てたものの、その払込金の調達が第一記載のような事情にて他に求める方策もなく、結局被告人古荘に頼み、千葉銀行においてこれが手段を講じてもらうより外なしとし、斉藤太郎と相謀り、被告人古荘に対し、右増資払込について便宜な手段をとつてもらい度い旨申出たところ、被告人古荘においても、被告人坂内の右増資の企劃に賛成し、部下である同銀行東京支店長能重嘉一に指示してこれが方法について考究せしめた結果、さきに同銀行支店が森脇将光宛のレインボー振出の約束手形五千万円を決済するに際り、被告人坂内の統轄経営にかかる東信貿易の約束手形を差入れしめ、これを現金と看做して出捐したことによつて東信貿易に対し五千万円の簿外貸付による債権を取得し、これに対し同月十五日前記銀座西六丁目所在の宅地、建物(別紙不動産目録<1>~<6>)に順位二番乃至四番、極度額五千万円の根抵当権を設定していたので、右東信貿易に対する簿外貸付金五千万円を同会社に対する正規の手形貸付を起して振替え整理しようとしていた矢先であつたので、右関係を利用し、東信貿易に対し五千万円の手形貸付を起して、直に右簿外貸付を振替整理すべき筈のところ、これを待ち、その間右融資金をもつて東京証券金融の増資払込を為した如く仕做し、増資登記を為して増資払込を仮装し、増資登記完了後右簿外貸付を振替整理するに如かずとし、能重嘉一をして被告人坂内および斉藤太郎に対し右払込の方法を伝えて、これを了承せしめて通謀し

一、ここに被告人坂内は斉藤太郎と共謀の上、斉藤太郎において

(一)  同月十八日同銀行東京支店において、前記簿外貸付金五千万円の振替整理の関係を利用し、東信貿易に対し手形貸付にて五千万円の融資を得、右金員をもつて東京証券金融の増資払込金として同銀行支店の別段預金口座に払込が為された如く仕做し、これが他へ流出しないよう東京証券金融の同額の小切手を同銀行支店に交付した上、同銀行支店長能重嘉一名義の保管金証明書の交付を受け、同月二十一日増資登記が完了するや、同月二十三日右小切手をもつて増資払込の預金を払出した形式をとつて前記東信貿易の簿外貸付を振替整理し、もつて五千万円の増資払込を仮装するための預合を為した上

(二)  同月十九日同都中央区日本橋兜町二丁目四十番地所在の東京法務局日本橋出張所において、同出張所係官に対し、情を知らない司法書士斉藤民之助を介し、株式会社変更登記申請書に右同銀行支店長能重嘉一名義の正規に増資払込が為されて、それを保管している旨の虚偽の保管金証明書を添付して増資登記の申請を為し、同月二十一日右出張所係官をして右虚偽の保管金証明書を真正のものと誤信せしめて、同出張所備付の株式会社登記簿原本に適法に五千万円の増資があつた旨の不実の記載を為さしめた上、即時同所にこれを備付させて行使し

二、被告人古荘は能重嘉一と共謀の上、同月十八日千葉銀行東京支店において一、記載のような預金に応じた上、同日同所において一、被告人坂内等において右増資登記の申請を為すことあるを認識しながら幇助の意思をもつて、斉藤太郎に対し、同銀行支店長能重嘉一名義の虚偽の保管金証明書一通を交付し、もつて被告人坂内等の一の(一)、(二)記載の公正証書原本不実記載、同行使の行為を容易ならしめてこれを幇助し

たものである。(別表(一)乃至(三)参照)

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照らすに、被告人古荘の判示所為中第一の背任の点は商法第四百八十六条第一項、刑法第六十条、罰金等臨時措置法第二条第一項に、第二の二の応預合の点は商法第四百九十一条後段、刑法第六十条、罰金等臨時措置法第二条第一項に、第二の二の公正証書原本不実記載幇助の点は刑法第百五十七条第一項、第六十条、第六十二条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、第二の二の同行使幇助の点は刑法第百五十八条第一項、第六十条、第六十二条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、被告人坂内の判示所為中第一の背任の点は商法第四百八十六条第一項、刑法第二百四十七条、第六十条、第六十五条第一、二項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、第二の一の(一)の預合の点は商法第四百九十一条前段、刑法第六十条、第六十五条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項に、第二の一の(二)の公正証書原本不実記載の点は刑法第百五十七条第一項、第六十条、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、第二の一の(二)の同行使の点は刑法第百五十八条第一項、第六十条、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に該当するところ、被告人古荘の応預合、公正証書原本不実記載幇助の各所為は一個の行為にして数個の罪名に触れ、また公正証書原本不実記載幇助と同行使幇助の各所為は手段結果の関係にあるので刑法第五十四条第一項前、後段、第十条により最も重い応預合罪につき定めた刑をもつて処断すべく、また被告人坂内の預合、公正証書原本不実記載、同行使の各所為は順次手段結果の関係にあるので同法第五十四条第一項後段、第十条により最も重い預合罪につき定めた刑をもつて処断すべく、以上はいずれも同法第四十五条前段の併合罪であるから、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、同法第四十七条本文、第十条により被告人古荘に対しては重い特別背任罪の刑に、被告人坂内に対しては重いと認める背任罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内において被告人古荘、同坂内を各懲役三年に処し、但し、被告人古荘に対しては、銀行頭取としての判示のような背任行為の犯情、千葉銀行および預金者に対する経済的、道義的責任、銀行に対する社会的信頼を損ねたこと等からその法律的責任は極めて重いものがあるが、判示のように明治四十五年帝国商業銀行支配人に就任以来昭和三十三年五月千葉銀行を退職するまで四十六有年の間その全生涯を銀行家として終始し、また昭和十八年三月千葉銀行創立以来昭和三十三年四月本事件によつて辞任するに到るまで頭取として同銀行を今日の隆盛に致した功績は顕著なるものがあり、また金融を通じて千葉県下の産業育成に貢献するところも大なるものがあつたほか、千葉県商工経済会会頭、千葉県労働調停委員会事業主側委員、千葉県労働委員会委員、千葉工業大学理事、千葉県経営者協会会長、千葉ロータリークラブ会長、千葉県綜合開発審議会会長、国際連合千葉県本部長および千葉県商工会議所連合会竝びに千葉市商工会議所会頭等に就任し、千葉県下における実業界の大御所として社会に対しても大いなる貢献をして来た者で、本年七月には七十七歳の老齢に達する者であるところ、銀行家として取引先事業を育成、発展せしめることをその終生の信条として来たため、偶々被告人坂内関係の諸事業の育成を期して融資したところ、事業不振のため焦付となるや、これが世間に現われることによつて自己の地方実業界における大御所としての名声が失墜することを虞れ、その保持のため、被告人坂内が濫発した手形に追いまくられ本件犯行に及んだものであることは判示のとおりであるが、その間被告人坂内から、同被告人および関係諸会社に寄与したことに対する代償としての何等の金品、饗応等を受けず、只々その信念としての清廉、質実一路に終始した者であつて、右信念は戦時中および戦後を通じ長年月の間有力なる地方銀行頭取の地位にありながら、自己の財産を築かない無慾恬淡なる生活態度の中にもよく見られるところであり、今、本件犯行の被害に対する弁償の一部として巨額にのぼるであらう千葉銀行からの退職金と少い自己の財産の中から主要財産である自己居住の家、屋敷を千葉銀行に提供し、老齢の身を隠棲の裡に埋めて、社会に対してもその罪を謝すとの心境にある者であり、その他諸般の情状から刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二十五条第一項により被告人古荘に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、被告人坂内に対しては、被告人古荘の右のような刑の執行猶予を相当とする特別の事情がないから、犯情により実刑をもつて臨み、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条に則り主文第四項掲記のとおり被告人古荘、同坂内にこれを負担させることとする。

本件公訴事実中「被告人古荘は被告人坂内の懇請に応じ、被告人両名共謀の上、被告人古荘において千葉銀行頭取として、昭和三十年四月二十八日同銀行東京支店において、被告人坂内の事実上の支配下にあるレインボー等諸会社の業況、資産、信用状態等がいずれも著しく不良となつていたため、同会社等に対し資金の融通をしても、被告人坂内および同社等から到底回収を期待し得ず、同銀行の損害となることを予見しながら、被告人坂内および同会社等の利益を図る目的をもつて、その任務に背き、森脇将光からレインボー振出の約束手形五千万円の支払のための呈示を受けるや、その支払資金に当てるため、被告人坂内をして東信貿易振出の同額の約束手形を差入れしめ、それを現金と看做して出捐するという方法により、東信貿易に対し五千万円の簿外貸付を為し、もつて同銀行に対し同額の財産上の損害を加えたものである」との点について按ずるに、前挙示の証拠によれば、森脇将光のレインボーに対する右債権は、森脇将光において被告人坂内が東京三信物産および三信繊維名義をもつて安田信託銀行に対して負つていた債務を某有力者の口添により肩替りすることによつて取得したものであつて、それには前記銀座西六丁目所在の宅地、建物(別紙不動産目録<2>~<4>)に順位一、二番の抵当権が設定してあつたがそれよりさき昭和三十年一月二十日千葉銀行東京支店においても前記伊皿子の宅地、建物(順位二番)とともに右銀座西六丁目所在の宅地二筆に順位三番、極度額五千万円の根抵当権を設定し、満額の貸付を行つていたところ、右森脇将光の債権は十五日間の利息が五百万円というような高利のものであつたので、右銀座西六丁目所在の宅地二筆に対する順位三番の根抵当権の適時処分のため、これが弁済を遷延するにおいては金利が嵩み、たちまちにして巨額の債権になることは火をみるより明かであり、また、被告人坂内において右弁済資金を他に求めようとしても、当時の同被告人の金操状態からすれば、他の金融業者から高利による融資を受けるより外なき状況にあり、しかも右宅地二筆および同地上の建物(前記<2>~<4>)の当時の時価は八千九百万円位であつたので、被告人坂内からの融資方の懇請を受けた被告人古荘としては、千葉銀行の利益のため、右宅地二筆に対する順位三番の根抵当権を適時実行して、その実効あらしめるためには、千葉銀行からその資金を給して、レインボーの森脇将光に対する右債務を弁済せしめ、右宅地二筆に対する先順位の担保権を同銀行において取得するに如かずと思料し、これが実施のためその弁済資金を貸付けたものであり、しかもそのため、同銀行の右宅地二筆に対する順位三番の根抵当権は烏有に帰せず、同銀行の利益となつたことが明かであるから、被告人古荘の右貸付行為は商法第四百八十六条第一項の構成要件に該当しないものとして、被告人両名に対しては無罪を言渡すべきところ、右は前記判示第一の事実(包括一罪)の一部として起訴されたものと認められるので、主文において特に無罪の言渡をしない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊達秋雄 清水春三 藤原昇治)

(別表(一)~(三)略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例