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東京地方裁判所 昭和33年(合わ)99号 判決 1958年6月27日

被告人 矢野信明

主文

被告人を無期懲役に処する。

領置してある赤皮製拳銃入れサツク一個、拳銃実包計四発、拳銃弾空薬莢一個、弾頭二個、拳銃一挺及び弾倉一個(昭和三十三年証第四八〇号の一ないし七)は、いずれもこれを没収する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

一、経歴

被告人は、旧満洲国奉天省鉄嶺市において、父矢野秀美と母たつとの間の三男として生まれ、昭和十八年四月大石橋尋常小学校に入学したが、終戦のため、昭和二十一年七月頃父母に伴われて郷里である群馬県伊勢崎市に引き揚げ、洗張染物業を営む父のもとから同市植蓮小学校第三学年に転入通学し、同校を卒業後、中学校を経て昭和二十八年四月群馬県立伊勢崎高等学校に進学したが、たまたま同年夏頃上級生に殴打されたことなどあつて、通学に厭気を催し、間もなく同校第一学年を中途退学したうえ、そのまま無断実家を出奔して単身上京し、一時は蒲鉾店の店員やクリーニング店の店員として勤めてはみたものの、いずれも永続きせず、翌昭和二十九年七月頃よりおおむね都内のキヤバレー、サービス喫茶店等を転てんとしてボーイ稼業をしているうち、昭和三十一年五月頃から当時の勤務先である都内新宿区角筈近辺のサービス喫茶「東京の休日」に女給として勤めていた山崎悦子と同棲するようになり、頭初暫くは夫婦共稼ぎの暮しをしていたが、昭和三十二年一月離職後は内妻悦子を女給として働かせるだけで、自らは正業にも就かず、あまつさえ同年十月頃以降次第に多泊を重ねるようになつたため、悦子との仲もようやく円満を欠くようになつたが、他方、同年暮頃から当時都内中央区銀座八丁目のキヤバレー「ハレム」にエレベーター係りとして勤めていた金鶴子と親しくなり、同女をつれて旅館等を泊り歩いていた揚句、翌昭和三十三年二月四日頃から都内新宿区角筈二丁目七十八番地渡辺直次郎方二階四畳半の間一室を借り受け、同所において鶴子と同棲するようになつた。

二、罪となるべき事実

第一、被告人は、離職後前記のとおり無為徒食の生活をしているうち、小遣銭等に窮した結果、昭和三十二年三月中旬頃より翌昭和三十三年二月二十五日頃に至るまでの間、前後百五十二回に亘り、別紙犯罪一覧表に記載のとおり、都内豊島区池袋一丁目五百十六番地アパート第二西光園内原口健一方居室ほか百四十九箇所において、右原口健一ほか百六十五名所有の現金合計約百二十三万五千八百七十九円及びネツクレス、ラジオ、腕時計、カメラ及びサツク入りブローニング自動装填式拳銃、実弾その他合計三百四十一点(見積価格合計約百十二万八千百十円相当のもの)(昭和三十三年証第四八〇号の一の赤皮製拳銃入れサツク一個、同五の拳銃一挺、同二及び六の実包計四発並びに同七の弾倉一個は、別紙犯罪一覧表番号一四二記載の賍物の一部)を窃取し、

第二、ところが、その間、昭和三十三年一月下旬頃被告人が前記第一別紙犯罪一覧表番号一〇五の犯行により入手したニコンカメラ一台を他に人を介して処分したことから捜査当局の疑惑を招き、同年二月一日頃には代々木警察署勤務捜査係警視庁巡査堀内秀雄らにおいて右カメラ等の窃盗容疑者として被告人の所在捜査を開始するに至つたが、たまたまその頃右気配を察知した被告人は、身の危険を感じ、そうそうにして内妻山崎悦子方を引き払つて、前記のように金鶴子とともに渡辺直次郎方二階四畳半の間を借り受け、自らは坂本誠と称してここに潜伏し、在京の姉にもその居所を秘匿するなどして、極力捜査当局の目を逃れようと努めているうち、思いあまつて一時は自殺しようと考え、ひそかに前記山崎悦子を箱根、伊香保方面につれ出してこれに自己の意中を打ち明けたが、同女に説得されて、その意を飜し、再び前記金鶴子の許に立ち戻つてその後も依然、前記のように窃盗行為を繰り返えし、殊に、その間、たまたま前記拳銃及び実弾等を入手してからは将来万一逮捕されようとした場合には、この拳銃で相手方を狙撃して逃走を図ろうということを考え、実弾六発を全部右拳銃に装填して常時これに備える態勢をとるようになつた。

ところが、他方、極力被告人の所在を追及中であつた前記堀内秀雄巡査(当時三十五年)は、遂に被告人が前記渡辺方二階に潜伏中であることを探知するに及んで同年三月一日朝単身右渡辺方に立ち越し、家人に被告人の在否を確かめたりなどした後同日午前十一時三十分頃ひとり右渡辺方二階の前記被告人らの居室を訪れて当時なお臥床中であつた被告人と対座し、折柄同室中であつた前記金鶴子が間もなく座を外して戸外に出た後、被告人に対し警察手帳を示したうえ、自己が代々木署の刑事である旨を告げて同署まで任意同行を求めたので、この事態に直面して狼狽した被告人は、窮余ひそかに逃走の機会を窺つているうち、たまたま前記金鶴子の依頼によつて同室を訪れた鶴子の友人松田礼子が同室入口の引戸をあける物音を聞いた堀内巡査がなにげなく左後方を振り向くや、とつさにその機を促え、素早く傍らに敷いてあつた蒲団の枕もとの下から前記窃取にかかる実弾六発を装填中の前記拳銃一挺(前同証号の五は右拳銃七はその弾倉、二及び六は実包の残り四発)を左手で取り出し逮捕を免れるためには同巡査を射殺するもまたやむなしとの意図の下にやにわに立ち上りながら右拳銃を左手に構えて同巡査の顔面目がけて一発発射し、その右鼻根部に命中させて同巡査を前記入口附近に転倒させ、その隙に急ぎ右入口の近くまで駈けよつて行つたが、堀内巡査がなおも痛手に屈せず必死の叫びを揚げながら懸命に被告人を捕捉しようとして身を起してきたのでこれを見てあくまでも同巡査の抵抗を排除しようとして焦慮した被告人は、前同様の意図をもつて右手に持つていた前記拳銃を再び構えて至近の距離よりかさねて同巡査の顔面目がけて一発発射し、その右前額部に命中させて同人をその場に昏倒させ、(前同証号の四は射入された弾頭二個、三は第二発目の発射による拳銃弾空薬莢一個)よつて、右堀内巡査をして同日午後七時十四分頃同区柏木一丁目五十三番地東京医科大学附属淀橋病院において、右前額部より硬脳膜及び右大脳半球を射通し、右後頭極に達する盲管銃創に基く蜘網膜下腔大出血による脳機能障碍のため死亡するに至らしめて、同人を殺害し、

第三、法定の除外事由がないのに、昭和三十三年三月一日前記渡辺直次郎方二階四畳半間の被告人居室において、弾丸発射の機能を有する前記ブローニング自動装填式拳銃一挺及び実弾六発(前同証号の五、七及び三、六、四、三、但し四の弾頭二個及び三の拳銃弾空薬莢一個の趣旨については、いずれも、先に説明したとおり)を所持していた

ものである。

三、証拠

(1)  判示経歴の点(略)

(2)  判示第一の事実

(証拠の標目略)

(因に、本件窃盗に関する公訴事実中、被害金品の点について判示認定を超える部分は、被告人の当公判廷における供述及び司法警察員に対する関係供述調書の記載に徴し、いずれもこれを認めるに足る証拠が十分でない)

(3)  判示第二及び第三の事実

(証拠の標目略)

(なお、被告人及び弁護人は、被告人が判示拳銑をもつて堀内秀雄を前後二回にわたつて射撃した際には、いずれも同人を殺害しようとする意図はなかつた旨を弁疎又は主張するけれども、当時、既に自己が窃盗容疑者として捜査官憲に追われていることを察知していた被告人が判示拳銑及び実弾六発を窃取した後、将来検挙の手が身辺に及んだ場合にはこの拳銑で相手方を狙撃して逃走を図ろうということを考え、実弾六発を全部右拳銑に装填して万一の準備を整えていたことは、判示認定のとおりであつてしかも当公判廷においても自認するように被告人はいつでも発射し得るようになつているこの装填ずみの拳銑を常時携帯し、夜間就寝の際にもこれを蒲団の枕の下に差し入れておくなどして、寸時も身辺から離さなかつたのであるから、判示当日堀内巡査の来訪をうけて任意同行を求められたことも、被告人から見れば、全く意想外の出来事というよりも、むしろ、かねてから危虞していた最悪の事態が遂に到来したものと考えられるのみならず、現に当日被告人が堀内巡査と対談中にも常に傍らの枕の下にある拳銑のことを念頭に浮べながらかねての思惑どおりひそかに逃走の機会を窺つていたというような状況であることが認められるのであつて、かかる事情とそもそも、また使用した兇器が自動装填式の拳銑であること、しかも、被告人がこれをもつて前後二回にわたつて近距離又は至近の距離から全く赤手空拳の堀内巡査の顔面に向けて容赦なく狙撃を敢行していることなどとを綜合して考えれば、現在における被告人の記憶はともかくとして、すくなくとも、その当時にあつては被告人の心中ただ逃走の一念あるのみであつて、これがためには堀内巡査の生命を奪うことあるもやむを得ずとの意識に支配されていたことを推認するに十分である。)

四、法令の適用

被告人の判示所為中、第一の各窃盗の点は、いずれも刑法第二百三十五条に、第二の殺人の点は、同法第百九十九条に、第三のうち拳銃所持の点は銃砲刀剣類等所持取締法(昭和三十三年法律第六号)附則第九項、同法による廃止前の銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号に、実弾所持の点は火薬類取締法第二十一条、第五十九条第二号にそれぞれ該当するところ、右第三の拳銃所持と実弾所持とは一個の行為であつて、数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条に則り重い銃砲刀剣類等所持取締令違反の罪の刑に従つて処断すべく、右罪については所定刑中懲役刑を選択すべきである。

そこで、判示第二の殺人の罪についての選択刑について検討すると、被告人が現在なお二十年を僅かに過ぎたばかりの若年であつて、前科もないこと、被告人が判示殺人の犯行に使用した拳銃及び実弾は、いずれも偶然の機会に入手されたもので、しかもこれを窃取された被害者が当時その届出を怠つていたため、これが捜査の任に当つた判示堀内秀雄においても被告人の拳銃及び実弾所持のことに思い及ばずこの点につき何らの配慮も払わなかつたため、被告人に対して容易に拳銃使用の機会を与えてしまつたこと、被告人のした判示第二回目の発射行為は、被告人においてことさらに堀内巡査の身辺に肉薄したうえ、いわゆるこれにとどめを刺す目的で至近距離から狙撃したというような状況ではなくしてむしろ判示のとおり、あくまでも職務に忠実な堀内巡査が初弾の痛手にも屈せず、被告人に対して必死の反撃を試みてきたためただいちずにこれを破摧しようとしてかさねてかかる所為に及んだものと認められること、更に、被告人は、右犯行後数日にして遂に力つきて自ら警察署に出頭しているが、その間依然として装填した拳銃を持ちまわつてはいたものの、幸にして他の罪をかさねるに至らず逮捕後は従前の余罪いつさいを潔く自供して現在改悛の情やや見るべきものあること等被告人のため有利に斟酌すべき情状の存することも勿論であるけれども、他方、被告人は、関係証拠によつても明らかなように、昭和三十二年一月頃離職した後は自らの勤労により生計を維持する意欲を失い、同年三月中旬ごろより翌昭和三十三年二月二十五日頃に至るまでの間、前後百五十二回に亘りいずれも夕刻又は夜間人家に忍び込んで相当多額の金品を窃取する等全く職業的盗犯の習癖を身につけ、しかも、判示のように、自己が窃盗容疑者として捜査官憲より所在を追及されていることを知るようになつてからも、依然その行状を慎まずして同様の非行を繰り返えしていたこと、更に、その間において前記拳銃及び実弾を入手するに至るや将来逮捕の危険に遭遇した場合にはこの拳銃で相手方を狙撃して逃走を図ろうと考え、実弾六発全部をこれに装填して、爾来寸時も身から離さず、その後はこれを携帯しながら前記窃盗行為を反覆していたこと、これらの事情と判示殺人の犯行の経緯並びにその態様、右犯行後における被告人の挙措言動、更には、また、被害者堀内秀雄の生前における勤務状況と本件発生当時におけるその態度ないし本人亡き後のその遺族の心情等諸般の情状を綜合すると、被告人の罪責まことに軽からず、判示第二の殺人の罪については所定刑中無期懲役刑を選択するのが相当であると考えられる。

そこで、判示第二の殺人の罪につき所定刑中無期懲役刑を選択し、これと判示第一及び第三の各罪とは刑法第四十五条前段の併合罪であるが、右殺人の罪については既に無期懲役刑を選択したので、同法第四十六条第二項に則り、他の刑を科せず、よつて被告人を無期懲役に処し、領置物件中、拳銃一挺、弾倉一個、拳銃弾空薬莢一個及び弾頭二個(昭和三十三年証第四八〇号の五、七、三、四)は、判示第二の犯行に供した物、また、拳銃実包四発(同証号の二、六)並びに右拳銃及び弾倉は、判示第三の犯行を組成した物であり、なお、赤皮製拳銃入れサツク一個(同証号の一)は、右拳銃の附属品であつて、以上は、いずれも所有者である佐藤弘においてその所有権を抛棄し、犯人以外の者に属しないから、刑法第十九条第一項第二号(供用物件につき)、第一号(組成物件につき)、第二項本文によりこれを没収すべく、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

そこで、主文のとおり判決する。

(別表略)

(裁判官 樋口勝 西村法 佐野昭一)

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