大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和33年(刑わ)17号 判決 1958年3月24日

被告人 上杉久雄

主文

被告人を懲役一年に処する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三十二年九月初旬星野武夫から同人所有の背広上着一枚(価格三千円位)を借受け保管中同月七日擅にこれを東京都荒川区南千住町六丁目十八番地質商長沢節幸に代金八百円で入質横領し

第二(一)  同年十月二十二日午後六時頃同都同区三河島町八丁目一六四九番地金光章夫方に於て同人所有の現金約五百円位及び同月二十六日附小泉静子振出金額四万五千二百八十円の横線小切手一枚在中の手提金庫一個を窃取し

(二)  同月二十五、六日頃同都同区同町一丁目三〇三二川上方の自己の居室に於て行使の目的を以て擅に右窃取に係る横線小切手(昭和三十三年証第八十六号の(1))の横線二本及びBankの文字を爪等で抹消し、恰も一般小切手のように変造し

たものである。

(証拠の標目)(略)

被告人は判示第一については、星野の承諾を得ているから横領にはならないと主張し、弁護人も被告人と星野との従前の交際関係から見て仮令入質について事前に諒解を得ていなくとも承諾が当然予期せられる事情にあつたから横領罪とはならないと主張するけれども、被告人主張の予め承諾の事実は星野の証言に依つても認められないし、弁護人の主張の事情も星野の証言に依つては未だ肯認し得ないから情状として斟酌するのは格別横領罪の成立は免れないものと云わねばならない。

判示第二の(一)(二)については被告人が極力否認しているけれども当裁判所は左の様な諸般の情況証拠を綜合して結局被告人の犯行と認めるのが相当であると思料する。

(1) 先づ被告人が本件小切手を入手した経緯であるが、被告人がこれについて述べている事は従来屡々変化していてたやすく信用出来ないものである事、殊に当公判廷に於ける供述に依れば、山谷の遠州屋と云う飲み屋に於て隣りで飲んでいた見知らぬ男から割れるところはないかと話しかけられ、割つてくれるならば礼をすると云われたので当時金が欲しいと思つていたところだつたから引受けたと云うのであるが、その男が被告人が割りに行つて帰つて来る迄に遠州屋に居なくなつていたと云う様なことは、仮令被告人の住所をその男に教え又二千円を同人に貸したと云う様な事情があつたにしても容易にあり得べき事とは思われない。何故ならば果して被告人の教えた住所が正しいかどうかと云う事を確かめもしないで、初対面の人に受領証一つとらず四万円余の小切手の割引方を依頼してそのまま居なくなると云う様なことは常識ある人の為すことでないからである。

而して被告人は当公判廷では右小切手を見知らぬ人から受取つたのは十月二十三日の夜八時から九時頃迄の間だと供述しているけれども、星野武夫の証言に依れば、同人が右小切手を被告人から預かつたのは十月二十三日の昼頃であつたと云うのであるから、被告人がこれを受取つたのは十月二十二日の夜八時から九時頃迄の間でなければならないことになり、そうすると右小切手の盗まれた時刻と被告人の手中にあつた時刻とは二、三時間しか離れていない事になると云う事実は考慮を要する点である。

(2) 被告人の当時の経済状態を考えるに被告人は当時従前の勤務先のエビス製靴をやめ靴の注文取りをして食費にも足りない月五、六千円程度の収入を得ていたに過ぎず(被告人の自供)為に間代や食費の滞り分が二万円以上あつて、家主の斎藤よりは差押をすると迄云われていた程その支払に窮していた事情にあり(斎藤かつ子及び川上百合子、三原美治子の証言)而も十月十四、五日頃には金の工面の為にわざわざ郷里静岡県に帰りやつと四千円乃至六千円位の金を貰つて二十日頃上京したまま二十五日迄は間借先に帰来せず(川上及び三原美治子の証言)而も二十三日には友人の星野武夫を訪れて同人に対する借金の言訳をして本件小切手を預けている事(星野の証言)を見ても可成り困窮していた事が窮われる事

(3) 十月二十日頃から同月二十五日頃迄の間の被告人の行動は甚だ明瞭を欠き奇怪なものである事、即ち被告人は郷里から上京後十月二十日か二十一日に伊藤製靴に一泊した外は自分のアパートに泊つたと云つており、更に小切手を預かつてから三原に渡す迄は自分の部屋に一人でいたことはなく川上の息子と寝たとも述べているが、川上百合子、三原美治子の証言に依れば、十月十四日に田舎に行くと云つて出て行つてから十月二十四、五日頃帰つて来る迄は不在であつたと云うことであり、当裁判所検証の結果に依れば、川上の部屋と上杉の当時住んでいた部屋は隣り合つてベニヤ戸四枚で仕切られて居り、上杉が真実アパートに帰つて泊つたとすれば、川上の部屋からは物音等に依つて隣室の人の在否は覚知し得る情況であるに拘らずそれに気がついていないし、又上杉の部屋から便所に行くには川上及び三原の部屋の前を通らなければならない事情にもあるから、被告人が毎夜自己の部屋に帰つていたとすれば当然何等かの機会に川上又は三原等と顏を合せなければならない(川上は上杉の部屋の掃除をしていたし川上の子供は上杉の部屋をも自己の部屋と同様に使用していた気配もあるので隣室に上杉が居ることに気付かなかつたと云う事はあり得ないとも思われる)のに左様なこともなかつた点からも被告人が毎夜自己の部屋に帰つて泊つていたと云う供述は真実とは認められないのである。その他被告人の供述に依れば二十日又は二十一日に伊藤製靴に泊つた後二十二日には台東区浅草田中町の小菅と云う友人の所にお昼前後に行つて二、三時間居た後吉原大門から三輪にぬけるロータリー附近のサン劇場に午後二、三時頃入り映画を見て家に帰る途中午後五時か五時半頃友人の小林実と会つて南千住の屋台で午後八時頃迄一緒に飲んでそれから浅草に出て三平食堂で飯を食べて午後九時四十分頃の最終バスで自分の住居に帰り、二十三日には別に用事もなかつたが浅草に出て映画を見てから南千住の高橋と云う靴屋をしている友人の所に夕方行つて一時間か二時間位居て自宅に帰る為吉野町に行つた時山谷の遠州屋で飲んで小切手を受取り浅草に割りに行つたが割れなかつたと云うことになつているが、被告人としては当時郷里でやつと工面した金五、六千円しかない筈であるのに格別仕事をするでもなく浅草南千住方面を遊び歩いて居て而も遠州屋では見知らぬ男に二千円を貸したとか各所で飲酒したとか不可解な点があるのである。

(4) 被告人の主張するアリバイを検討するのに、被告人は前記の如く十月二十二日サン劇場で映画を見て自宅に帰る途中小林実と午後五時か五時半頃会つて午後八時迄南千住の屋台で飲んだと主張しているから、苦しこれが真実とすればアリバイが成立する事になるが、証人小林実は、当裁判所で同人を証人として喚問することを決定した昭和三十三年二月五日の公判期日に証人として出廷した川上百合子を介しての被告人の要求に依り二月七日小菅拘置所に於て被告人と面会した事実があり且つ被告人は従来司法警察員及び検察官事務取扱に対し小林実と会つたと云うアリバイを主張した事実もないので、小林実の証言中の昭和三十二年十月二十日頃から二十五、六日頃迄の火曜日(二十二日に当ること暦に依り明らかである)に南千住都電停留所附近の「あかばね」と云う屋台で会つて午後五時頃から午後八時頃迄過したと云う証言(被告人は司法警察員に対しては十月二十二日には午後二時半頃から午後七時頃迄浅草のアンコール劇場に居たと述べており、又検察官事務取扱に対しては浅草田中町の吉沢、小菅清川町の工藤などの家で遊び小菅の家で一杯のんでアパートへこつそり帰つたと供述している)はたやすく信用出来ないし、殊に当時小林と同行していたと云う宮城周一が証人として右事実を否定していることからも右のアリバイの主張は遽に信用出来ないところである。

(5) 本件小切手が盗難品である事が発覚後被告人は右小切手を取戻さんとした事実があるのみならず三原等から警察に出頭して経過を述べ身の証をたてることをすすめられたに拘らずこれを行わず(三原の証言)却つて伊藤泰治に対して右小切手の入手経路について工作を依頼したことがあり、更に前に伊藤泰治から大阪の勤め口を紹介された際には月々三万円位を保証してくれるならば行つてもよいと云う程度の熱意しかなかつたのに、小切手の事件後は給料の保証を問題とせずに大阪に働きに行く事を希望して大阪行をしたことからも被告人に小切手の件で警察の取調を受ける事を極度に恐れていた事が推測せられる。

右の事実は仮令弁護人主張の様に被告人に前科がある事及び妻が退院して近く引取る予定があつたので一時でも警察にとどめられる事を心配したと云う事情があつたにしても首肯し難い節であるし、伊藤泰治の証言に依れば被告人は一ヶ月後大阪から帰つて来て後伊藤に対して小切手の事については警察に行つて話をつけて来たと嘘を云つていたことは前記の様な事情を裏書するものである。

(6) 小切手盗難の被害者の妻金光順子が被害の当日発見した男が右小切手を盗んだに相違ないことは、被害の起つた時間関係其の他当裁判所の検証の結果に依つて知り得た四囲の情況から十分推測せられるところであるが、扨その男と被告人の同一性に関する金光順子の証言は、それのみではこれを肯定するには十分でない憾みがある。併し同証人の証言に依れば背の高さ、横顏、年の頃等が似ているとの事であつて情況証拠の一つとして証拠価値はあるものと云うべく、被告人は髪の形は金光証人の云う様に慎太郎刈でなくリーゼント型であつたと云うがこれも裏付するものがないし、被告人は同人の着ていたのはレインコートでなくスプリングであつて、丈も違う様なことを云つているがスプリングコートとレインコートは呼び名としては屡々混同せられているし、殊にバンド付で左肩に飾り布がついているカーキ色のものは寧ろレインコートと呼ばれているものであり寸法の点も必ずしも違うことが認められる程の証左があるのではないからこの点について被告人の主張も軽々に信用し難い。

(累犯となる前科)(略)

(法令の適用)(略)

尚本件公訴事実中被告人が前記変造の小切手を三原博に対し交付行使したとの点は被告人が右小切手を変造するに当つては横線を抹消して通常小切手として行使する目的であつたことは明らかであるが、被告人が三原に対して渡すに当つては三原から横線を抹消しても横線小切手の性質は変るものでないから横線小切手としての取扱を為す外ない旨を告げられた結果左様な方法に依つて現金化することを依頼して渡したものであることは三原証人の証言に依つて明らかであるから(齊藤証人の証言中には三原が普通小切手として現金化せんとした様に見える趣旨の供述があるが同人の証言は全体として曖昧であるし、而もそれは被告人の指図に依るとも認められない)斯様な場合には通常小切手として使用する意図がなく従つて変造小切手の行使とはならないから無罪であるが前認定の小切手変造の事実と牽連犯の関係あるものとして起訴せられたものと認められ一罪の一部であるから主文に於て特に無罪の言渡をしない。

仍て主文の通り判決する。

(裁判官 熊谷弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例