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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)6780号 判決 1961年3月03日

原告

上野晴司

外二名

被告

大崎運送株式会社

主文

被告は原告上野晴司に対し二五〇、〇〇〇円、原告上野武一に対し一一四、〇四三円、原告上野★みに対し一〇〇、〇〇〇円をそれぞれ支払え。

原告上野武一のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決中第一項に限り仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は原告上野晴司に対し二五〇、〇〇〇円、原告上野武一に対し一四六、〇〇七円、原告上野★みに対し一〇〇、〇〇〇円をそれぞれ支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び第一項につき仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

一、被告は、貨物運送事業を営む会社で、訴外石井英雄を雇傭し貨物自動車運転者として右事業に従事させているもの、原告上野晴司は昭和二四年一〇月一八日生れの児童、原告上野武一及び同上野★みは原告晴司の親権者父及び母で同原告を扶養しているものである。

二(一)、訴外石井英雄は、昭和三一年一〇月二三日午前一〇時三〇分頃、被告の業務として被告所有の大型四輪貨物自動車(五〇年式一ー五五七一一号)を運転し、東京都大田区矢口町千鳥町通り(幅員約一五メートル)を、千鳥町方面から多摩川丸子橋(沼部)方面に向つて時速三〇キロメートル以上の速度で進行中、矢口町三〇一番地先道路上において、道路左端に立つて右自動車を待避中の原告晴司の大腿部もしくは腰部附近に、その前方から自動車左前部のフロントバンパー又はフロントフェンダーを接触させて、同原告を左側道路上に転倒させ、接触と転倒による強打により同原告に後記のような傷害を与えた。

右傷害は、石井が、自動車運転者として常に前方を注視し、道路上に幼児、児童を発見した場合には、徐行する等、その完全に待避するのを待つて進行するように措置し事故発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これに違背し、前方注視を怠つて原告晴司を発見しなかつたか、発見しながらこれを回避する措置をとらないで漫然前記速度で進行し通過した過失により生ぜしめたものである。

(二)  なお石井は、原告晴司に自動車を接触し転倒させながら停止することなく、そのまゝ沼部方面に向け進行して行つたが、その背後から同一方向に進行していた馬込交通株式会社のタクシーの藤井運転手が右事故を発見し且つそれが石井の過失によるものであることを現認したので、これを追跡し、事故を起しながら逃走したことを叱責し、同人を現場に引返させたのである。

(三)  従つて右は、被告の被用者である石井がその事業の執行につきなした不法行為であるから、被告は右傷害により原告らの蒙つた損害を賠償すべきものである。

三(一)、原告晴司は、右事故により、全治四ケ月以上に及ぶ頭部打撲傷、脳震盪症、右による智能障害、前額部及び鼻部切創、両側大腿骨々折、右恥骨及び右脛骨顆間隆起骨折の各傷害を受け、同日同区調布鵜ノ木町所在一本医院で応急手当を受けた後,昭和医科大学病院整形外科に入院し、同年一二月二六日退院したが、その後も昭和三二年二月一八日まで連続通院した。その間同原告は、一般的治療のほか、(1)一〇月二六日左大腿骨々折に対する絆創膏牽引手術(2)一一月二日鋼線牽引手術(3)一一月一二日観血的整復固定術(4)一二月八日から昭和三二年二月一八日まで左下肢に対する熱気浴、マッサージ術等の治療を受けた。

(二)  昭和三三年六月一六日現在、原告晴司の傷害の程度は、大腿骨々折、右恥骨及び右脛骨顆間隆起骨折については一応全治の状態にあるが、左脚が右脚より約二センチメートル短かくなつたため歩行に障害があり、なお将来体力の回復後再手術を必要とする状態であり、また頭部打撲による脳震盪症により脳の器質的障害を生じ(但し受傷前より軽度の智能障害があつた)、その回復の見通しは付かず、昭和三二年四月小学校入学予定であつたのに就学し得ない状況にある。

四(一)、原告晴司の扶養者である原告武一は、右傷害に対する治療費及び関係費用として次表のとおりの金額を支払い、合計一七六、〇〇七円の損害を蒙つた。

(二)  原告らは、原告晴司の右負傷及び後遺症により多大の精神的苦痛を蒙つたので、これに対する慰藉料として、原告晴司は五〇〇、〇〇〇円以上、同武一及び同★みは各二〇〇、〇〇〇円以上の各支払を受くべきものである。

五、よつて被告は原告らに対し右損害を賠償すべき義務があるところ、原告武一は、昭和三一年一二月頃被告から示談金として三〇、〇〇〇円の提供を受け、更に昭和三四年一月二〇日頃自動車損害賠償保障法による損害賠償金として一〇〇、〇〇〇円を千代田火災海上保険株式会社から受領したので、前項(一)の金額からこれを差引いた残額四六、〇〇七円と前項(二)の損害の半額との合計一四六、〇〇七円の支払を、原告晴司及び同★みは各々前項(二)の損害の半額ずつの支払をそれぞれ請求する。

と述べ、

被告の主張に対し、

原告らに過失があるとの点は否認する。

原告晴司が昭和三一年春頃自宅附近道路上でモーターバイクにはねられ負傷したことはあるが、ごく軽傷で後遺症は何ら残らず、そのため歩行や精神作用に障害を生じたことはない。同原告が本件事故当時就学していなかつたのは同年二月から五月初旬頃まで消化不良で医師の治療を受け、三月中旬頃までは入院していたため、同年度に就学できなかつたもので、右負傷とは関係がない。同原告に本件事故前若干の知能障害はあつたがごく軽度で、近隣の店舗で菓子を買い或は家人に命ぜられて使いに行くとか近隣の子供らと遊ぶ等のことはしていたもので、同年配の児童に比して就学を見合わせねばならないほど知能が劣つていたということはない。と述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。」との判決を求め、答弁及び主張として、

一、請求原因第一項中、被告に関する主張事実は認める。原告らに関する事実は知らない。

二、同第二項中、訴外石井英雄が原告主張日時その主張の貨物自動車を運転し、被告の業務の遂行として主張の道路を主張の方向に向け進行していたこと、現場通過後タクシーの運転手から事故発生を告げられて引き返したこと、その頃原告晴司が負傷したことはいずれも認めるが、その他の事実は否認する。

石井は、被告の業務のため自動車を運転し、本件事故のあつた道路を屡々往復運行していて路面及び周囲の状況を熟知していたものであるが、当日事故現場にさしかゝる相当距離手前で予め断続的に警笛を吹鳴するとともに、制限速度時速三二キロメートル以下の時速二〇キロメートルに減速し、前方左右を注視しながら通過しようとしたところ、道路上、進行方向に向かい右側に六、七歳位の男の児童が立つているのを認め、警笛を鳴らしやゝ左方に回避しつゝ通過した。その際反対方向から来た自動三輪車とすれ違つたが、車体が物に触れるような感覚は全くなかつたのでそのまゝ進行し約一キロメートル走つた頃、後ろから来たタクシーの運転手から事故があつたからすぐ引き返せと言われ、意外に思いながら方向を転換して現場へ戻つた。そのとき既に原告晴司は病院に運ばれたあとであつたが、その場に居合わせた人から同原告の倒れていた位置として指示された地点は前記の進行方向から見て左側の道路上であつた。このような状況であつて、もし石井がさきに道路の右側に立つているのを認めた児童が原告晴司であるとすれば、同原告はその前面を石井の自動車が通過しようとする瞬間道路を横断しようとする暴挙に出、自動車の後部のいずれかの箇所に自ら接触し路上に転倒負傷したものと推測される。更に同原告の立つていた地点と倒れた地点との距離は約九メートルであつて、歩行能力の健全でない同原告が仮に疾走し道路を横断しようとしたものとしても、自動車の速度に照し、自動車は同原告に触れずにその前を通過してしまう道理であるから、右現場が交通量の多い場所であることを考えれば、同原告が他の自動車に触れて倒れたにもかゝわらず、たまたま石井運転の自動車が通過したのを奇貨として同人に責任を負わせようとしたものとも考えられるし、前記タクシーの運転手が自ら原告晴司を轢き倒しておきながら石井に責任を転嫁したのではあるまいかとさえ疑われる。

従つていずれにせよ原告晴司の負傷が石井の過失に基因するものとは到底言い得ないのである。

三、請求原因第三項中、原告晴司が一本医院で応急手当を受けた後、昭和医科大学病院に入院し治療を受けたことは認めるが、その他の事実は知らない。

四、同第四項の事実は知らない。

五、同第五項中、原告ら主張の頃被告が三〇、〇〇〇円を支払つたこと及び原告武一が保険金一〇〇、〇〇〇円を受領したことはいずれも認めるが、右三〇、〇〇〇円の支払は法律上支払義務を認めたものではなく、人道的立場から同情して提供したものである。

六、仮に原告晴司が石井運転の自動車に接触して負傷したとすれば、右のような経緯から明らかなように、同原告には重大な不注意があつた。もとより同原告は責任能力のない児童であつて、これに対し法律上過失責任を問うことはできないが、同原告は、このような幼い子供で、しかも以前一、二回交通事故で負傷したことが原因で歩行能力、精神作用とも平均水準に劣り、学令に達しながら就学を見合わせていたもので、このような児童を看護者もつけず交通頻繁な道路上に放置し彷徨させておいたのは、その両親の原告武一及び同★みが原告晴司に対する看護義務を著しく怠つていたものであり、右看護義務の解怠が本件事故の原因となつていたものというべきであるから、被告が原告らに対し損害賠償の責に任ずるとしても、その額を定めるにつき、右を被害者の過失として斟酌すべきである。

七、また、原告らには慰藉料請求権はない。

原告晴司は、前記のような幼少者且つ精神薄弱者で、精神的苦悩の感受性のないものであるから、精神的苦痛を要因とする慰藉料を請求し得ないものである。また原告武一及び同★みについても、原告晴司が事故により死亡した場合は格別、単に負傷したに過ぎない本件においては、子の負傷による精神的苦痛があつても慰藉料を請求し得ないものと解すべきである。そうでないとすれば請求権者の範囲につき拡大解釈を押し進め、一族を挙げての請求を容認せねばならない事態を生じ、相当因果関係を逸脱し、適正妥当を欠き公平に反する結果を招来するに至るからである。

仮に然らずしてその請求権があるとしても、原告武一及び同★みは前項記載のように原告晴司に対する看護を怠つた過失があるので、慰藉料の額を定めるにつきこれを斟酌すべきである。と述べた。(立証省略)

理由

被告が貨物運送業を営む会社であること、その被用者である訴外石井英雄が、昭和三一年一〇月二三日午前一〇時三〇分頃、被告の業務の遂行として被告所有の貨物自動車(以下本件トラックという)を運転し、東京都大田区矢口町三〇一番地先道路上を同区千鳥町方面に向け進行したこと及び同時刻頃原告上野晴司が右道路上で負傷したことは当事者間に争いがない。

そこでまず原告晴司の負傷が本件トラックに接触したことによるものであるかどうかについて検討する。

証人揚張満春、同葛西文右衛門、同石井英雄の各証言(但し石井の証言中後掲措信しない部分を除く)、原告本人上野武一の尋問の結果並びに検証の結果によれば、右事故現場附近は不整形の五又路をなし、本件トラックの進行する道路は幅員一六メートル余で、その進行方向左側(南側)の巾約四メートルの部分を除く部分は舗装されていて平坦であり、右時刻頃自動車の交通量は一時間に約三〇輛位(但し本件トラックの進行する道路についてのみ)で比較的閑散であつたこと、訴外揚張満春は、右時刻頃右地点の進路北側にあるはるみパン店に牛乳配達に来た際、同店の東側の空地の前の道路北端に一人の児童が立つているのを認め、二、三分後同店舗から出て来てその前の道路上北側で店舗側を向いて立つて自転車に荷を積んでいたとき、「ごとごと」という自動車の車体の震動音を聞いてふり向いてみたところ、暗緑色(なおこの点は後述する)に塗られた大型トラック一台が沼部方面に向け進行していたが、その通過後同店舗西隣りの薬局の前向いの道路南側の舗装の端近く(検証調書添付図面のB・C点附近)に前記児童と同一人と思われる児童が倒れていて、やがて下丸子方面から来て交叉点内に停車した自動三輪車の運転手に抱き上げて連れ去られるのを目撃し、またこれと同時刻頃右トラックの後からタクシー一台が同一方向に通過したこと、当時石井英雄は、濃紺色に塗装された大型トラックである本件トラックに小麦粉約四・七五トンを積み時速約三〇キロメートルで進行して右事故現場を通過し、約一キロメートル前方の東調布警察署の交通安全運動のための自動車検問所に達したとき、後方から来た馬込交通のタクシーの運転手に「このトラックの通過したあとに子供が倒れていたので、このトラックが子供を轢いたものと思われるからすぐ引き返すよう」告げられ、警察官と共に右事故現場附近に引き返したところ、既に被害者は連れ去られたあとであつたが、右道路上南側C点附近の舗装上に血痕があつて、これを被害者の倒れていた地点と指示されたこと、一方原告晴司の父原告武一は偶々こゝを通りかゝり、原告晴司が負傷して右道路南側(B・C点附近)に頭を道路中央側に向けうつぶせに倒れているのを発見し、そこへ下丸子方面から来合わせて停車した自動三輪車の運転手の助けを借りて一本医院へ連れて行つたこと、以上の各事実が認められる。

なお、前記のような本件トラックの塗装の濃紺色と揚張の目撃したトラックの暗緑色とは著しく異なる感じの色ではなく、突さの間に走行中の自動車を見た印象として揚張がこの程度に誤つて記憶することも経験上往々にしてあり得ることで、その頃ほかの大型トラックが右地点を通過したことは全く窮い得ない以上、揚張の目撃したトラックを本件トラックと推測することも可能であるといわなくてはならない。

更に成立に争いのない甲第一号証、乙第一号証によれば、その際原告晴司の受けた傷害は、脳震盪症、前額部及び鼻部切創、両側大腿骨骨折、右恥骨及び右脛骨顆間隆起骨折等であることが認められ、このことと証人永田和弘の各証言とによれば、右傷害の内左大腿骨々折が最も重傷であつて、この部分に前面から相当激しく物体が衝突し、その勢いで右下腹部及び右足にも接触したため、同原告は道路上にうつぶせに倒れ、その際路面に顔面を打つて顔面の切創、脳震盪症を生じたものであること、そしてこのような状況からして同原告は走行中の自動車に接触したものであることがそれぞれ推測される。

以上認定の各事実を綜合するときは、原告晴司は前記場所において走行中の本件トラックに触れ右のような傷害を受けたものと推認するのが相当である。

もつとも、証人石井英雄は、同人が本件トラックを運転して事故現場にさしかゝつた際、はるみパン店前の道路右端から約二メートルの地点(前記図面A点附近)にその進行方向に向いて立つている一人の児童を約二五メートル手前において認め、警音器を吹鳴し、僅かに減速し、道路左側に寄りつゝ進行し、右児童のいる所よりやゝ手前で反対方向から来た小型自動車とすれ違つたが、そのときまで右児童の動く気配はなく、車体に物が触れる如き気配も全く感じなかつたのでそのまゝそこに通過した旨証言しているところ、検証の結果によれば、石井がA点に児童を認めたという地点から原告晴司の倒れていたB・C点までの距離は三〇余メートルと見られ、A点とB・C点の間は一二メートル以上であることが認められるので、A点に立つていたという児童が原告晴司であるとすれば、自動車の速度を考えるとき、A点にいた原告晴司が本件トラックがその面前を通過する直前に走り出して道路を横断しようとしたとしても、本件トラックの進行方向左側に倒れるような状況でこれに接触することはほとんど不可能と思われるし、しかも、前記認定の原告晴司の負傷の状況により自動車はまず同人の左大腿部に前面から接触したものと推測されるところから、同人は自動車に向い又は面した体勢で接触したものとみるほかはなく、これらのことと右石井の証言内容とは一見相容れ難いので、右証言によつて、原告晴司が本件トラックと接触したとの事実を否定する余地が考えられるところであるが、ほかに右証言を裏付けるべき証拠はなく、かえつて、前後の交通の状況等前記各認定事実に照らすときは、これに矛盾する証人石井の証言はこれを措信し得ないものというべきである。

他に以上の認定事実を覆えすに足りる証拠はない。

即ち原告晴司は本件トラックと接触したことにより前記傷害を蒙つたものであるが、冒頭認定事実によれば、被告は、自己のために自動車損害賠償保障法第三条にいうところの自動車に当るトラックを運行の用に供するものであり、その運行によつて原告晴司の身体を害したものというべきであるから、同条により、被告において、自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことをすべて証明しない限り、右傷害によつて生じた損害を賠償する責に任じなければならないものである。

しかるに、本件事故当時の運行の状況に関する証人石井の証言が措信し難いことは前述のとおりであつて、他に本件事故発生当時における被害者の位置、容疑者事故発生の原因となるべき状況を認むべき資料がないので石井がいかなる注意をなしたかを推知し得べき証拠はなく、したがつて運転者が本件トラックの運行に関し注意を怠らなかつたことは未だその証明がないものというほかはない。  そして前記認定事実によれば、被害者は本件トラツクの通過前前記道路を北側から南側に横断中であつたか又は横断し終つてトラック進行方向左側に立つていて、石井は前方への注視を怠り被害者を発見するのが遅れたか又はこれを認めながら回避する措置を尽さなかつた等の過失によりトラック前部を原告晴司に衝突させ前記B・C点附近に転倒させたという如き事態も考えられないではないのである。

また前記認定の状況の下において、原告晴司が本件トラツクに注意を払わずその直前を横断しようとした等の事態が理論的にはあり得るとしても、本件の証拠によつては、前記のように事故発生の前後の状況が判然としないので原告晴司に故意又は過失があつたものと認めるにも足りない。なお被告は原告武一及び同なみの原告晴司に対する看護義務の懈怠を主張するが、原告晴司の不注意が事故発生の原因となつた事実が認められない以上、その親権者らが原告晴司を自動車の往来する道路上に看護者なく放置していたことが軽卒であつたとしても、そのことが原告晴司の傷害の原因となつたものとして責を負うべきものということはできない。

従つて、自動車損害賠償保障法第三条但書による免責事由の証明がないので、被告は、原告晴司の負傷により原告らの蒙つた損害を賠償しなければならないものである。

そこで原告らの損害額につき検討する。

まず原告武一の財産的損害の請求についてみるに、前掲甲第一号証、成立に争いのない甲第二号証、第三号証の一ないし三五、第四号証、原告本人上野なみの尋問の結果から真正に成立したものと認められる甲第五号証の一ないし三、第六号証、第八号証、証人永田和弘の証言、原告本人上野武一、同上野なみの各尋問の結果によれば、原告晴司は本件事故により前記傷害を蒙り、当日一本医院で応急手当を受けた後、昭和医科大学病院に入院し(この点は当事者間に争いがない)、同年一二月二六日まで入院治療を継続し、その後も昭和三二年二月一八日頃まで同病院へ通院して治療を受け、その間外科手術、マッサージ等の手当を要し、これらの入院料、手術料、治療費等として、同原告の父原告武一が一本医院に一、九〇〇円、昭和医科大学病院に九三、九〇九円合計九五、八〇九円(請求原因第四項(一)記載の表(一)の合計額)を支払つたこと、右入院期間中と退院後暫くは原告晴司に常時附添看護を必要とする状態であつたため、原告武一は、昭和三一年一〇月二四日から同年一二月三一日まで看護婦渡辺清枝に附添を依頼し、その給料として一日三六〇円の割合で合計二四、八四〇円(同表(二)の3、4、5)を支払い、また入院中のふとんの借料として山本寝具店に一、八五〇円(同表(二)1。但し甲第六号証には二、一二〇円との記載があるが、一、八五〇円を超える分については同原告の主張がない)を支払つたこと、入院当日原告晴司は危篤状態であつたため、原告武一が親類等にその旨を通知する電報及び電話料として一、四二七円(同表(二)8)を要したことがそれぞれ認められる。しかし同表(二)の(6)及び9の全員については、甲第八号証に原告ら主張期間内の日付でタクシー代、電話代、交通費として記載のあるものの合計は四、五九〇円であり、一〇月二三日から一〇月二九日までの日付で記載されている諸道具、消耗品等購入代価と考えられるものの合計額は四、六四七円であつて、いずれも原告武一においてこれらの支払を要したものと認められるが、その余の金額については何らの証拠がない。また同表(二)2の附添人の食事代として、原告本人上野なみの尋問の結果によれば、入院中附添人の渡辺の食事代に一日平均一七〇円を要したというのであるから、その割合により昭和三一年一〇月二四日から同年一二月二六日まで六四日間合計一〇、八八〇円を支払つたものと認められ、なお甲第八号証には「食事代附添」として二一〇円又は四二〇円の記載が散見するが、入院期間中毎日同額を支出したことの証拠はなく、且つ右記載ある分の合計は右金額に及ばないし(同号証中その他食費とみられるものの記載は弁論の趣旨により来客の接待費、原告晴司の補食費等を含むものと認められ、附添人の食費と区別し難い)、また右尋問の結果によれば入院後一週間原告晴司の祖母が共に附添つたことが認められるが、同人の食費については証拠がない。次に同表(二)7及び10の金額については何らの立証がない。

従つて同表(一)記載九五、八〇九円並びに同表(二)記載の内1、一、八五〇円、2、の内一〇、八八〇円、3、ないし5、二四、八四〇円、6の内四、五九〇円、8、一、四二七円、9、の内四、六四七円合計四八、二三四円、(一)(二)合計一四四、〇四三円が、原告晴司の傷害の治療のためその扶養義務者である原告武一の支出した金額であつて、同原告は本件事故によりこの額の損害を蒙つたものと認められる。

次に原告らの慰藉料の請求について考える。以上述べたように原告晴司は本件事故により前記傷害を受け、一旦は危篤状態に陥り、二ケ月以上に及ぶ入院療養を余儀なくされたのであるが、更に前掲甲第一号証、乙第一号証証人石井英雄、同松原猛、同笛木大三、同永田和弘の各証言、原告本人上野武一、同上野なみの各尋問の結果(いずれも後掲措信しない部分を除く)並びに弁論の趣旨を綜合すれば、原告晴司は、肩書地で小ねじ製作販売を業とする原告武一と原告なみの五人中三番目の子で、昭和二四年一〇月一二日生れ、事故当時満七才の児童であつて、かねて病身で昭和三一年春頃にも胃腸障害を患つたためその年就学し得ず、知能の発育もやゝ遅れ勝ちで軽度の知能障害とみられる兆候があつたが、近所の商店へ簡単な買物に行く程度のことは日常していて、常人に比べて著しく知能が劣つていたものではないこと(従つて被告主張のように精神薄弱者とは認められない)、しかし本件事故による傷害ことに頭部強打の結果甚だしく精神機能を損ね、病院を退院後も家人の言うことをもほとんど理解し得ず、自らも全く言語を語り得ない等、ほとんど白痴というべき状態であつて、その回復の見込もなく、将来就学し又は成人後通常人に伍して働けるようになることは期待し難いこと、また傷害の結果左足が曲つて短くなり現在も歩行に幾分の困難を感じていること、一方被告は前記のような会社であるが、事故発生後運転手石井は直ちに一本医院ヘ見舞に行き、更に昭和医科大学病院に入院中被告会社社員が見舞に行つて原告武一との間で損害の賠償について協議し,同原告の入院費支払の要求に対しその一部として昭和三一年一二月中三〇、〇〇〇円を同原告に支払つた(このことは当事者間に争いがない)ことがそれぞれ認められる。右各証言及び本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し得ない。

ところで被告は原告らに慰藉料請求権はないというが、原告晴司は、当時右のような年少者であつても、傷害によつて甚だしい苦痛を感じたであろうことは容易に推測し得るし、事故後心神喪失の常況にあつても客観的に回復し難い打撃を蒙つたとみられる以上精神的損害が生じていないとはいえないから、これに対し慰藉料を支払われるべきものである。またその両親である原告武一及び同なみにおいても、原告晴司が右傷害の後遺症により将来も順調に成長し一個の人格として社会生活を営むことを期待し得なくなり、これを一生庇護し扶養して行かなくてはならないこととなつたものと認められるのであつて、子の死亡したときにもまさるとも劣らぬ精神的苦痛を受けたと推測し得るのであるから、このような場合原告武一及び同なみは自己の権利として慰藉料を請求し得るものと解すべきである。

そこで右認定事実と前記本件事故の態様その他諸般の事情を斟酌して、被告の支払うべき慰藉料の額は、原告晴司に対し二五〇、〇〇〇円、原告武一及び同なみに対し各一〇〇、〇〇〇円ずつをもつて相当と認める。

なお右各損害につき被告は過失相殺を主張するが、前述のとおり原告武一及び同なみの看護義務を怠つた過失が本件事故発生の原因となつたものとは認められないので、この主張は採用し得ない。

以上の次第で原告武一は被告に対し前記財産的損害一四四、〇四三円及び慰藉料一〇〇、〇〇〇円合計二四四、〇四三円の支払を請求し得べきところ、右財産的損害の賠償の一部として被告から三〇、〇〇〇円の支払を受けたことは前述のとおりであり、ほかに自動車損害賠償責任保険に基づく損害賠償額として千代田海上火災保険株式会社より一〇〇、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いがないので、これらを控除して現に請求し得べき損害賠償の額は一一四、〇四三円となる。

よつて被告に対し前記慰藉料の支払を求める原告晴司及び同なみの各請求並びに原告武一の請求中右一一四、〇四三円の支払を求める部分は理由があるのでこれを認容し、原告武一のその余の請求は失当であるのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 佐藤恒雄 野田宏)

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