大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和32年(ワ)4972号 判決 1961年4月22日

原告 大沢健二

被告 国

訴訟代理人 星智孝 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立た裁判

原告は、「被告は原告に対し金四二四、六八八円及びこれに対する昭和三二年七月三日より完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

被告は、「主文同旨の」判決を求めた。

第二、請求の原因

一、原告は、もと東京都八王子市立八王子第五中学校に勤務していた教員であるが、東京地方検察庁八王子支部検察官検事藤直道は、昭和二七年五月一日、同日付起訴状によつて、原告を東京地方裁判所八王子支部に対し、昭和二五年政令第三二五号占領目的阻害行為処罰令(以下、政令第三二五号という。)違反として起訴した。その公訴事実は「被告人(原告)は東京都八王子市明神町八王子市立第五中学校に教諭として勤務しているものであるが、第一、昭和二七年三月中旬頃同校職員室に於て教へ子たる同校一年三組在学中の石田貞夫(当一三年)、浜田哲(当一四年)、山田幸枝(当一四年)及高橋やす子(当一三年)に対し「新中国の日本人小、中学校から祖国の皆さんへ」と題し「アメリカは李承晩を手先として朝鮮民主主義共和国に侵略しようと去年から戦争を始めて来た、彼等は自分の利益しか考えず人民の苦しみは何とも思つていない」旨及び「日本では人民の生活は日一日と悪化し失業者は増え税金は高く農民は土地はなく食うに食えない状態にあるが吉田政府とアメリカの鬼共がこの様に人民を苦しめている」旨等占領軍に対する破壊的批判を加えた事項を記載した印刷物四部を夫々配布し、第二、同年三月中旬頃前記職員室に於て教へ子たる同校二年二組在学中の島登紀(当一四年)一条敏子(当一四年)及神沢伸介(当一四年)に対し右印刷物三部を夫々配布し、以て占領目的に有害な行為をなしたものである」というのであつた。

二、そのため、八王子市教育委員会は、原告を地方公務員法第二八条第二項第二号に該当するものとして、昭和二七年五月一日付で休職処分にした。

三、原告に対する前記被告事件に対し、東京地方裁判所八王子支部は、昭和二七年九月三〇日被告人を免訴するとの判決を云い渡した。これに対し東京地方検察庁八王子支部検事八木新治は、同年一〇月四日東京高等裁判所に控訴した。

四、昭和三〇年五月にいたり、検察官は、右事件に対し控訴を取下げたので、前記免訴判決は確定した。

五、そこで前記教育委員会は、同年六月一日付をもつて原告に対する前記休職処分を打切り、原告を原職に復帰させた。

六、ところが原告は、前記休職処分により給与等の減額を受け、右休職期間中本来受けるべき給与(本俸並びに勤務手当)額は、給与法改正分及び定期昇給分を含め、計金六九九、〇一〇円であるのに、現実には右のうち定期昇給分を除外した額(金六三三、八四〇円)の六割、金三八〇、三〇四円を支給されたにすぎず、又本来受くべき期末手当(夏季手当並びに年末手当)額は、計金一〇八、八九八円であるのに、現実にはそのうち昭和二七年度夏季手当分として二、九一六円を支給されたのみで、結局給与としては金三一八、七〇六円、期末手当としては金一〇五、九八二円、合計金四二四、六八八円の得べかりし給与並びに期末手当の支給を受けられなかつた。

七、この様に原告が、金四二四、六八八円の得べかりし給与及び期末手当の支給を受けることができなかつたのは、被告の公権力の行使にあたる公務員である検察官が、後記のごとく過失により法律の解釈を誤り、違法に原告を起訴(起訴したのは検事藤直道)し、その後これを維持(控訴したのは検事八木新治)したことによるもので、これにより原告は同額の損害を受けたのである。

(一)  公訴提起とその維持の違法

(1)  政令第三二五号は、連合国最高司令官の指令違反行為の処罰を内容とするものであつたが、同政令は、占領という特殊な状態においてのみ、また占領状態の継続ないし最高司令官の存続を前提としてのみ、その存在の価値と意義とを有し、効力を有するに過ぎないものである。

(2)  ところが、昭和二七年四月二八日「日本国との平和条約」はその効力を発生し、日本国と平和条約を締結批准した各連合国との間の戦争状態は終了し、連合国の占領は撤廃せられ、わが国は独立国家の地位を回復したのである。かくて平和条約発効後においては、「占領」がないのであり、「連合国最高司令官」は解消したのであるから、右政令の存在する根拠も当然失われ、右政令は、平和条約発効後においては、その効力を保持する余地がなく、当然失効したものと云わなければならない。

(3)  昭和二七年法律第八一号は、右政令の効力を平和条約発効の日より一八〇日間維持しようとするものであるが、該法律は憲法に違反し無効なものであり、同年法律第一三七号は、事後立法であつて、違憲無効である。又この様な場合に限時法理論を認めることは、憲法に違反して許されない。

(4)  仮に以上の主張が認められないとしても、本件において適用された最高司令官の指令は憲法第二一条に違反するから、右指令を適用する限りにおいては、右政令は、昭和二七年法律第八一号及び第一三七号にかゝわらず、平和条約発効と同時に失効したものである。

(5)  このように、いずれにせよ少くとも本件に関する限り、政令第三二五号は、平和条約発効とともに失効したものであり、このことは昭和三〇年四月二七日の最高裁判所大法廷判決によつて、明らかにされた。従つて平和条約発効後である昭和二七年五月一日、原告を右政令違反として起訴し、その公訴を維持したことが違法であることは、多言を要しない。

(二)  公訴提起とその維持についての過失

(1)  今日不法行為法の最も重要な問題は、企業のいわのる危険責任、報償責任の問題である。判例も学説も、危険責任につき無過失責任ないし過失を広く認めようとしている。

ところで公権力の主体としての国は、この様な危険主義に基き無過失責任を負うべしとされるのに最もふさわしい立場にある。なぜならば公権力の主体としての国の活動は、適法に個人の権利を侵害することのうえに成り立つものであるから、同時にそれは違法に個人の権利を侵害する危険をはらんでいる。このような危険のうえに立つて国は多数国民の利益に奉仕しているのであるから、国の公権力の行使によつて、違法に国民の一人の権利が侵害された場合には、その損害をその個人のみが受忍するのではなく、その危険のうえに利益を受けて他の国民全体即ち国で負担することが当然である。即ち公権力の行使による違法な権利侵害は、本来常に無過失責任をもつて律せられるべきである。そうすると国家賠償法第一条第一項に「故意又は過失によつて」と定めているのも、これを無過失責任になるべく近い方向に解釈するように努力して行くべきである。

(2)  以上のように考えると、国家賠償法第一条第一項は、個々の公務員の不法行為責任を国が代位すると考えるべきではなく、国がその活動の危険について自ら責任を負うと考えるべきである。従つて同項の過失についても特定の公務員の過失を意味するものではなく、客観的に国の行為として過失があつたことを意味すると解すべきである。また同条を代位責任と解する立場に立つても、過失を客観化することによつてほぼ同様の結論に達するであろう。

このように考えると、前述のように危険な活動を行い、しかも最高の人的組織である国が、違法な行為をしたときは、何人によるかを論じないで、当然過失があるものと推定すべきである。もともと法を設定し、執行し、解釈する職能を有する国が法の解釈を誤るということはありえないわけであるから、国が法の解釈を誤つて違法な行為をした場合、国が法の解釈を誤るということ自体、国としての過失を意味する。

(3)  それだけでなく原告に対する前記起訴とその維持について検察官に具体的に過失のあつたことも明かである。解釈の誤りとされた問題点は、周知のとおり、占領当時から問題とされていた憲法違反の点が、平和条約の発効によつて特に問題となつたのであるから、本件起訴当時検察官としては、当然その問題があることを認識しえた筈である。はたしてその前後から全国各地の裁判所で、政令第三二五号違反事件について無罪或は免訴の判決が続出したのである。

原告を起訴した藤検事が、本件起訴について慎重を期するため検事正を通じ検事長に指示を仰ぎ、その指示により起訴したとしても、このことは、藤検事個人の無過失の理由とはなつても、検察当局全体としては、反つて過失の大きいことを示すだけである。従つて国としては、過失の責を免れない。又被告は、本件における法解釈の微妙さ、見解の相違を説くが、これからも担当検事個々人の免責の事由とはなつても、国の責任を否定するものではない。

(4)  検察官の過失は、昭和二八年七月二二日の最高裁判所大法廷判決以後も公訴を維持した点においてもますます大きい。被告は、この判決は「アカハタ及びその後継紙、同類紙の発行停止に関する指令」違反に関するものであつて、本件とは指令の内容が異つているのであるから、この判決をもつて直ちに本件指令について最高裁判所の確定的な見解が、明かになつたものとはいえないと主張する。然し同判決の免訴意見の多数は、指令の如何にかかわらず政令第三二五号自体失効したというのであり、他の意見も右指令が違憲なのは、憲法第二一条に違反するというのであるから、本件指令もまた同様の判断を受けるであろうことは、見やすい道理だつたのである。それだけでなく、最高裁判所大法廷は、続いて同年一二月一六日には、本件指令と同じ昭和二〇年九月一〇日の「言論及び新聞の自由」に関する覚書第三項につき、公式に発表せられざる連合国軍の動静を論議することを禁止したことを憲法第二一条に違反するとして、同政令違反事件を免訴にしたのであるから、ここに及んで本件免訴の大勢は必至となつたのである。それにもかかわらず本件公訴を維持したことは検察官の過失というべきである。

八、よつて原告は被告に対し、金四二四、六八八円の得べかりし給与並びに期末手当に相当する損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁

一、第一項は認める。

二、第二項は知らない。

三、第三項は認める。

四、第四項は認める。但し控訴取下の日は昭和三〇年六月一日である。

五、第五項は知らない。

六、第六項は知らない。

七、第七項は争う。

八、検察官は、次にのべるとおり平和条約発効前の政令第三二五号違反行為については、同条約発効後もなお同政令を適用して処罰しうるものと信じて公訴を提起し、これを維持したのであつて、このように信ずるについては何らの過失がない。

(一)  公訴の提起

原告には請求原因第一項記載のような行為があつたので、東京地方検察庁八王子支部検事藤直道は、これを捜査のうえ右行為は、昭和二〇年九月一〇日付連合国最高司令官覚書「言論及び新聞の自由に関する件」第三項所定の「連合国に対する破壊的批評」をしたことに該ると考え、昭和二七年五月一日東京地方裁判所八王子支部に対し、原告を政令第三二五号違反として公訴を提起した。

このように公訴を提起したのは、平和条約発効後ではあるが、原告の犯罪行為は同条約発効前である。そこで検察官は、連合国最高司令官の発した覚書(昭和二五年政令第三二五号第一条にいう指令)は、平和条約発効後はその効力を失い、同日以後の行為については、政令第三二五号第一条にいう指令違反として同政令を適用して処罰することはできなくなるであろうけれども、同条約発効以前の違反行為に対しては、それが覚書の有効に存続していた間の違反行為であり、かつ政令第三二五号は、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(昭和二七年法律第八一号)第二条により、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされないうちは、右法律第八一号の施行日(平和条約発効の日)から一八〇日間は、法律としての効力を有するものと考え、その期間内である昭和二七年五月一日、本件公訴を提起したのである。

(二)  公訴の維持

(1)  その後、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律」(昭和二七年法律第二二七号)が、同年五月七日から施行され、同法第二条第六号により、右施行日以後政令第三二五号は廃止となつたが、同法第三条により、政令第三二五号廃止以前の行為に対する罰則の適用については、従前の例によることとなり、結局右五月七日以後も平和条約発効前の覚書違反行為に対しては、右法第一三七号により、政令第三二五号を適用して処罰することができるものと解していた。

(2)  ところが本件公訴に対し、東京地方裁判所八王子支部は、前記昭和二〇年九月一〇日付連合国最高司令官の覚書は、平和条約発効後は、憲法第二一条に違反し無効であり、従つてその指令違反行為を処罰する政令第三二五号の規定する罰則は失効しいわゆる刑が廃止されたとして免訴の判決を言渡した。

(3)  検察官としては前記のような見解から、この判決に承服できず、仮に政令第三二五号が、平和条約発効と同時に失効したとしても、いわゆる限時法に属すべきものと考え、直ちに控訴した。

(4)  ところが、昭和三〇年四月二七日、本件と同様の事案に対し最高裁判所大法廷は、前記昭和二〇年九月一〇日付連合国最高司令官の「言論及び新聞の自由」と題する覚書第三項の「連合国に対する虚偽又は破壊的批判及び風説」を「論議すること」を禁止する部分についての政令第三二五号違反の罪は、平和条約発効後においては、刑の廃止があつたものとして免訴すべきであるとの判決がなされるにいたり、ついで本件公訴を維持することを断念し、昭和三〇年六月一日控訴を取下げたのである。

(5)  このように検察官としては、前記最高裁判所大法廷判決があつたので、止むなく控訴を取下げたものの、本件公訴の提起及び維持については何ら誤つていないものと考えていたのであるし、また政令第三二五号に対する検察官のような見解も充分成り立ちうるのであるから、かゝる見解のもとに措置したとしても、無理ないことというべきである。即ち、前記最高裁判所大法廷判決における田中耕太郎斎藤悠輔、木村善太郎の三裁判官の小数意見は限時法の理論に立つていることもその証左であり、又同じ免訴説においてもその理由を異にし、前記原告に対する東京地方裁判所八王子支部の判決のごとき見解に立つているのは、井上登、栗山茂、岩松三郎、河村又介、小林俊三の五入の裁判官にすぎない。このように見てくれば、ことは全く法規解釈上の見解の相違であつて、本件公訴の提起及び維持について、故意過失をもつて論ずべき筋合のものではなく、まして検察官には、何らの過失もない。

(6)  原告は、昭和二八年七月二二日、最高裁判所大法廷において政令第三二五号違反行為は、平和条約発効後は、「犯罪後の法令により刑が廃止されたもの」と解すべきである旨の判決があつたのに、その後も本件公訴を提起したのは、過失であると主張するけれども、この判決は、「アカハタ及びその後継紙、同類紙の発行停止に関する指令」違反に関するものであつて、本件とは指令の内容が異つているのであるから、この判決をもつて直ちに最高裁判所の見解が表明されたものとはいえない。他方この判決においても田中耕太郎、霜山精一、斎藤悠輔、木村善太郎の四裁判官の少数意見は、右の指令違反について限時法理論によつているものであつたことより見ても、本件指令違反について、右最高裁判所判決後も、検察官が公訴を維持したことは、不当な措置ということはできず、これにつき何らの責むべき点はない。

第四、証拠関係<省略>

理由

一、原告は、もと東京都八王子市立第五中学校に勤務していた教員であるが、東京地方検察庁八王子支部検事藤直道が、昭和二七年五月一日、同日付起訴状によつて、原告を原告主張の公訴事実について政令第三二五号違反として起訴したこと、該事件に対し東京地方裁判所八王子支部は、昭和二七年九月三〇日被告人(原告)を免訴するとの判決を言渡したこと、これに対し東京地方検察庁八王子支部検事八木新治は、同年一〇月四日東京高等裁判所に控訴申立をしたこと、昭和三〇年六月一日(日付の点は成立に争いのない甲第七号証により認める)にいたり、検察官は、右控訴を取下げたので、前記免訴判決が確定したことは当事者間に争いがない。

二、成立に争いのない甲第一、二、三号証及び証人藤森良治及び後藤国道の証言によれば、「原告が右事件により起訴されたため、八王子市教育委員会は、昭和二七年五月一日原告を地方公務員法第二八条第二項第二号により休職処分にし、八王子市条例職員の分限に関する手続及び効果に関する条例に基き右休職期間中、昭和二七年四月三〇日現在の給料、扶養手当及び勤務地手当のそれぞれ一〇〇分の六〇を支給することとしたこと及び昭和三〇年六月一日前判示のごとく検察官が控訴を取下げ免訴判決が確定したため、同委員会は、同日原告の休職処分を解き復職を命じたこと」が認められる。

三、そのため原告は、右休職期間中本来受けるべき給与より少額の給与を受けたにとどまり、期末手当も一部しか受けることができなかつたのであるが、その額はしばらくおき、このように本来受くべき給与及び期末手当の支給を受けることができなかつたのは、被告の公権力の行使にあたる公務員である検察官が、過失により法律の解釈を誤り、違法に原告を起訴し、その後これを維持したことによるものであるかどうかについて判断する。

(一)  検察官が、平和条約発効後も政令第三二五号が効力を有するものと考え、原告主張の公訴事実に対し右政令第一条第二条を適用して原告を起訴しこれを維持しようとしても、この公訴は結局最高裁判所において支持されないものであろうことは、昭和三〇年四月二七日最高裁判所大法廷判決(昭和二七年(あ)第二〇一一号)の趣旨に照らし明かである。

(二)  原告は国家賠償法第一条に基く国の不法行為責任を問うているのであるが、同法第一条第一項によれば、「公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」国がその賠償をするものと規定するから、同条により国の損害賠償責任が生ずるためには当該公務員の公権力の行使が違法であつて、その違法行為に出ずるについて「故意又は過失」があつたことを必要とするものと解すべきである。この点につき原告は同法は公務員が過失なく違法な行為をした場合にも国はその責任を負うべきことを規定するものであると主張するが、この見解は当裁判所の採用しないところである。

以下本件について本件公訴の提起からそれに対する控訴の取下にいたるまでの検察官の「故意又は過失」の有無につき考察するのであるが、検察官が前述のごとき結果になることを認識しながら本件公訴を提起しこれを維持したことを認めるに足る証拠はないので、以下専ら過失の有無について検討する。

(1)  最初に本件公訴提起の際における担当検察官藤直道の過失の有無について検討しよう。

成立に争いのない甲第四号証及び証人藤直道の証言によれば「東京地方検察庁八王子支部検察官検事藤直道は、昭和二七年四月頃、原告が昭和二七年三月中旬頃教え子である石田貞夫他三名に占領軍に対する破壊的批判を加えた事項を記載した印刷物四部を配布した事件及びその頃教え子である島登紀他二名に同様の印刷物三部を配布した事件について、主任検事として捜査した結果その事実を認めることができたので、昭和二七年五月一日右事実について、政令第三二五号違反として原告を東京地方裁判所八王子支部に起訴した(起訴の事実は当事者間に争いがない。)。当時同検察官は、昭和二七年法律第八一号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」第二条により、前記政令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合には、この法律の施行日(昭和二七年四月二八日)から一八〇日間は法律としての効力を有するものとされていたので、同政令違反の行為が平和条約発効前であれば、その起訴が平和条約発効後であつても同政令の適用があり、同政令第三条により同政令違反の事件については起訴猶予は認められていなかつたので原告についてこれを起訴すべきものと考え、検事正を通じて検事長に指示を求めその指令に基いて、前記一八〇日間の期間内である昭和二七年五月一日前記公訴を提起したものである」ことが認められる。

検察官藤直道(その上司も同様)は、本件公訴提起当時同政令の効力につき前判示のごとく解釈していたのであるが、その解釈は最高裁判所において支持されないものであつたことは昭和三〇年四月二七日の前記最高裁判所大法廷の判決により明かにされたのである。然しながら斯様に検察官の法令の解釈が結果的に最高裁判所の解釈と異つていたからといつて直ちにかゝる解釈をするについて検察官に過失があつたということはできないのであつて、かゝる解釈が不合理なものであつて一般の検察官ならば到底かかる解釈をしないであろうという場合でなければ過失があるということはできない。

原告は、政令第三二五号は占領状態の存在を前提とし、その限りにおいてのみ効力を有するものであるから、その終了と共に当然失効したもの、又は政令第三二五号は憲法第二一条に違反するものであるから平和条約発効と共に失効したものと解すべきであるという。

なる程このように解釈することも根拠のあることではあるが他方検察官のとつた解釈は全く根拠のないものとすることはできないのである。

本件公訴提起当時、昭和二七年法律第八一号が施行されており、その第二条には、昭和二〇年勅令第五四二号に基く命令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、この法律施行の日から起算して百八十日間に限り、法律としての効力を有する旨の規定があり、当時政令第三二五号を廃止する特別の法律がなかつたのであるから、検察官が前認定の如き解釈をとつたとしても、必しも不当ともいえないのである。

もとり、検察官も憲法を尊重し擁護する職責を負うものであるから、明白に憲法に違反する法令を執行すべからざることは明白である。

しかしながら、昭和二〇年勅令第五四二号およびこれに基く政令第三二五号は、占領中は憲法外において法的効力を有することは一般に承認されていたところであり、また前記のような法律もあつたのであるから、平和条約発効後において、その発効前に行われた政令第三二五号違反の行為を処罰することが憲法違反となるかどうかは、むしろ微妙な問題であつたというべきである。

従つて、検察官が前認定の法令の解釈をし、原告を起訴したことによつて過失があつたものとすることはできない。

(2)  原告は検察官がその後本件公訴を維持した点においても過失があると主張する。

本件公訴提起後昭和二七年五月七日、昭和二七年法律第一三七号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律」が公布施行され、同法第二条において右政令第三二五号は廃止されたのであるけれども同法第三条第一項により「この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による」とされたのである。

検察官が、この法律を解釈して、立法者は政令第三二五号の廃止後も、同政令によつて生じた刑罰権を放棄しない趣旨を明らかにしたものと考えたのであるが、かかる解釈は前記法律の解釈として不合理とすることはできない。

従つて、検察官がその後も本件公訴を維持し、昭和二七年九月三〇日東京地方裁判所八王子支部が、免訴の判決をするや、これを不服として同年一〇月四日検察官八木新治の名において東京高等裁判所に控訴を申立てたとしても、この点について過失があつたものとすることはできない。

(3)  原告は最高裁判所大法廷が昭和二八年七月二二日右政令違反事件について免訴の判決をした後も、検察官が本件公訴を維持した点においても過失があると主張する。

然しこの判決(昭和二七年(あ)第二八六八号)は、「アカハタ及びその後継紙、同紙の発行停止に関する連合国最高司令官の昭和二五年六月二六日付及び同年七月一八日付指令」違反の事件に対してであり、これについても四名の反対意見の裁判官があり、多数説のうちでも六名の裁判官が右政令第三二五号の効力を連合国最高司令官の指令違反の点で全面的に否定する見解に立つにすぎず、その他四名の裁判官は、右政令第三二五号は前記指令を適用するかぎりにおいて、その効力を否定したにすぎないものであることは、当裁判所に顕著な事実である。

従つてこの判決をもつて昭和二〇年九月一〇日付言論及び新聞の自由に関する連合国最高司令官の覚書中連合国に対する破壊的批判を禁ずる指令に関する政令第三二五号についての最高裁判所の見解が表明されたものとは言えないから、この判決があつた後も検察官において本件公訴を維持したことが不当な措置とすることはできない。従つて右判決後検察官が本件公訴を維持した点において過失があると言うことはできない。

このことは、最高裁判所が昭和二八年一二月一六日本件と同じ昭和二〇年九月一〇日付「言論及び新聞の自由に関する連合国最高司令官の覚書」違反事件について免訴の判決をしたとしても、同判決は同覚書第三項のうち「公式に発表せられざる連合国軍隊の動静」を「論議すること」に対してゞあつて、本件のごとく「連合国に対する破壊的批評」をした場合についてではないのであるから、同様である。

(4)  その後昭和三〇年四月二七日最高裁判所大法廷は、本件と町じ昭和二〇年九月一〇日付覚書第三項「連合国に対する破壊的批評」をした記事を記載した新聞を頒布した事件(昭和二七年(あ)第二〇一一号)について、免訴の判決をした。ここにいたつて本件について検察官が従来とつていた政令第三二五号に対する見解が最高裁判所において支持されないことが明らかになつたのである。従つて検察官としては速かに控訴を取下げる等して、原告の損害を最少限に止めるべきが妥当な措置というべきであろう。かくて検察官は昭和三〇年六月一日控訴を取下げたのである(控訴取下の事実は当事者間に争いがない。

この様に昭和三〇年四月二七日最高裁判所の判決があつて後三〇日余を経て控訴を取下げたのであり、その間に若干日時の経過がありすぎる感はするけれども、控訴取下をする検察官としても、最高裁判所の前記判決を種々検討し、上司の指示を得たうえでなければ控訴を取下げることができないのであるから、その間三〇余日を経たとしても必ずしも長きに過ぎたと言えず、昭和三〇年六月一日にいたつて始めて控訴を取下げたとしても、この点に過失を認めることはできない。

以上判示のごとく、検察官が原告に対する本件公訴を提起し、これを維持した点に故意は勿論過失も認めることはできない。とすればその余の点について判断するまでもなく原告の請求は失当である。よつてこれを棄却することとし、訴訟費用は民事訴訟法第八九条により原告の負担として、主文のとおり判決する。

(裁判官 大塚正夫 鉅鹿義明 近藤和義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例