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東京地方裁判所 平成8年(ワ)1651号 判決 1997年9月25日

原告

亡甲野四郎訴訟承継人

甲野夏子

外二名

甲野一男

乙山春子

右五名訴訟代理人弁護士

田口邦雄

小林孝一

出口尚明

柿本輝明

被告

甲野三郎

外一名

被告兼右両名訴訟代理人弁護士

河嶋昭

右三名訴訟代理人弁護士

大浦浩

被告

甲野一郎

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの請求

原告らと被告らとの間で、東京法務局所属公証人篠宮力平成七年一月一〇日作成にかかる平成七年第二号遺言公正証書による亡甲野太郎の遺言が無効であることを確認する。

第二  事案の概要

本件は、亡甲野太郎(以下「太郎」という)の平成七年一月一〇日付け公正証書遺言(以下「本件遺言」という)につき、遺言当時における太郎の遺言能力の有無と口授の方式の適否をめぐってその効力が争われたという事案である。

一  争いのない事実など

1  太郎は、明治三三年一二月二〇日に生まれ(甲一四号証)、平成七年一二月一六日に満九四歳で死亡した。

2  被告甲野花子(以下「花子」という)は、太郎の妻であり、被告甲野一郎(以下「被告一郎」という)は太郎の長男、亡甲野二郎(以下「二郎」という)は二男、被告甲野三郎(以下「被告三郎」という)は三男、亡甲野四郎(以下「四郎」という)は四男である。

二郎は、平成四年一一月一四日に死亡し、原告甲野一男(以下「原告一男」という)及び原告乙山春子(以下「原告春子」という)はいずれも二郎の子である。

四郎は、平成八年一〇月一八日に死亡し、原告甲野夏子はその妻、原告甲野次男及び原告甲野五郎はその子として、相続により、それぞれ、四郎の地位を承継した。

なお、被告花子は、平成九年二月二一日、東京家庭裁判所において禁治産の宣告を受け國廣正弁護士が同被告の後見人に選任された(弁論の全趣旨)。

3  東京法務局所属の篠宮力公証人(以下「篠宮公証人」という)は、平成七年一月一〇日、東京都老人医療センター内において、入院中の太郎の嘱託を受け、同人を遺言者として、弁護士である被告河嶋昭(以下「被告河嶋」という)及びその妻河嶋美恵子を証人として、本件遺言を作成した。

4  本件遺言の要旨は次のとおりである。

(一) 被告花子に対し、豊島区南大塚二丁目一五七八番所在の土地建物及び預金のうち一億一〇〇〇万円を相続させる。

(二) 被告三郎に対し、板橋区高島平四丁目二七番二所在の土地建物(持分各二分の一)及び預金のうち六〇〇〇万円を相続させる。

(三) 四郎に対し、預金のうち九〇〇〇万円を相続させる。

(四) 原告一男及び原告春子に対し、それぞれ、預金のうち二〇〇〇万円ずつを相続させる。

(五) 甲野家の祭祀は被告三郎に承継させ、法明寺の墓地及び仏壇、仏具も同被告に承継取得させる。

(六) その余の財産は被告花子に相続させる。

(七) 被告一郎は、既に多額の特別受益を得ているので、同被告には遺産を相続させないものとする。

(八) 遺言執行者として被告河嶋を指定する。

5  被告河嶋は、右遺言執行者の就任を承諾した。

6  被告花子、同三郎及び同河嶋は、いずれも、本件遺言は有効であると主張しており、また、被告一郎も、本件口頭弁論期日に出頭しないものの、当裁判所による本件遺言の効力についての判断を求める旨の答弁書を提出しており、原告らと被告らとの間では本件遺言の効力をめぐって争いがある。

(なお、以上のうち1ないし5の各事実は、原告らと被告一郎間では甲一、一四号証、乙四号証及び弁論の全趣旨によってこれらを認める)。

二  争点

1  太郎の遺言能力の有無

(原告らの主張)

(一) 太郎は、本件遺言当時、満九四歳という高齢にあったばかりか、平成元年頃から脳梗塞による失語症がみられた上、平成六年八月の時点では脳萎縮・脳室拡大の状態にあり、老人性痴呆と診断されており、さらに、同年一〇月二五日に骨折により東京都老人医療センターに入院した際には脳血管性痴呆と診断された。実際上、太郎は、平成五年以降は預金通帳の金額を理解できないほど重篤な痴呆状態にあった。

(二) そして、太郎は、右入院後も痴呆が進行し、四郎の名前を忘れたり、幻覚を見たりするようになったところ、平成七年一月八日朝から高熱を発し、翌九日午後八時頃から、血圧が著しく低下して意識がなくなり、ショック状態に陥った。そのため、昇圧剤が投与され、酸素マスクが施されたが、同日中に死亡するおそれがあったため、家族が呼び出される事態となった。

太郎は、同月一〇日午前中においても、血圧の上昇こそみられたものの、体温が高く、血便が続き、酸素マスクや輸血が続けられた。そして、意識は全般的に眠ったような状態にあり、検温時には看護婦を殴るという異常行動を取るほどであった。

(三) 以上からすれば、太郎は、本件遺言当時、危篤状態にあったものであり、遺言の作成を認識・意欲し、本件遺言の内容のように、複数の不動産と多額の預金を複数の人間に対して配分して相続させるという高度で知的な判断能力を有していたものとは到底考えられないから、本件遺言は無効である。

(被告花子、同一郎及び同河嶋の主張)

(一) 被告河嶋は、平成六年八月二〇日、被告三郎及び四郎から太郎の遺産相続について相談を受け、同月三一日に太郎宅において同人と面会し、その際、太郎から、遺言についての希望を聞いた。

そして、被告河嶋は、平成七年一月六日午後、東京都老人医療センターの病室に赴いて太郎と会い、本件遺言と同一内容の遺言をしたいとする同人の意思を確認した。

(二) その後、太郎の病状は原告ら主張のとおりいったん急変したが、同月一〇日午後二時頃、被告河嶋と篠宮公証人らが太郎の病室に出向いた際には、太郎は血圧、脈拍ともに正常であり、意識もしっかりしており、篠宮公証人との会話においてもはっきりと答えていたものであって、本件遺言当時、太郎が本件遺言を行う意思と能力を有していたことは明らかである。

2  口授の方式の適否

(原告らの主張)

太郎は、前記のとおり、本件遺言をする意思も能力も欠いていたものであるから、本件遺言の内容を自ら公証人に対して口授し得たはずがない。

本件遺言は、被告三郎及び被告河嶋が、予め、太郎の意向に基づかずに一方的に遺言内容を確定しておいた上で、遺言能力を欠いた状態にある太郎の周囲に集まり、四郎夫婦を排除したまま、形式的に、公証人らを立ち会わせて公正証書遺言としての体裁だけを整えたものであって、方式上も無効なものである。

(被告花子、同一郎及び同河嶋の主張)

太郎は、本件遺言の際、篠宮公証人から、本件遺言の一か条ずつをゆっくりと読み上げられ、その内容の当否を問われると、各条項ごとに、逐一そのとおりである旨を口頭で答え、その内容どおりの遺言書を作成して欲しい旨を口頭で話した。

右によれば、本件遺言は、「遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授する」という公正証書遺言の方式を遵守して行われたものというべきである。

第三  当裁判所の判断

一  太郎の遺言能力の有無について

1  東京都老人医療センター入院時から本件遺言前後における太郎の病状と本件遺言作成に至るまでの経過等についてみるに、証拠(甲二号証、三号証の一ないし五、四及び五号証の各一・二、六ないし一二号証、一五、一六号証の一、一七号証、乙二、三号証、九ないし一二号証、一八、二二、二五ないし二七号証、証人軽部俊二及び同甲野冬子の各証言、被告河嶋の供述)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 太郎は、昭和六三年一〇月以降、前記高島平の建物において、被告三郎及び冬子夫婦と同居するようになった。平成六年当時、太郎は、既に低血圧、前立腺肥大や、脳梗塞等に起因する老人性痴呆に基づく症状がみられたが、日中の生活には大きな支障はなかった。もっとも、夜間には、失禁がみられたほか、同年八月初旬、深夜に隣家の敷地に塀を越えて侵入し、警察官が駆け付けるという事件を起こしながら、その記憶がないというようなことがあるなど夜間せん妄や夜間徘徊がみられた。

右事件後、太郎は、それまでの通院先の仁木外科整形外科の紹介により、東京都老人医療センターを外来受診するようになったが、同月一五日実施のCT検査では脳の萎縮と脳室拡大がみられたものの、加齢の域をさほど超えるものではなかった(甲八号証、軽部医師の証言)。

(二) 被告三郎と四郎は、同月一五日頃、太郎の遺言書作成について話し合ったが、その際には、板橋区役所の相談窓口で弁護士を紹介してもらった上、路線価等を調査し、被告三郎と四郎で相談しながら遺産の配分方法を定めて太郎の了解を得ること及び右の配分に当たっては、一郎には一切相続させないこと、原告一男及び原告春子は孫であるから配分する必要がないこと、被告花子には全財産の半分を相続させること、残り半分を被告三郎と四郎で相談すること、祭祀主催者を被告三郎とすることなどが話し合われ、これらの内容がメモに残された(乙九、一八号証)。

(三) そこで、被告三郎と四郎は、同月二〇日、前記相談窓口から紹介を受けた被告河嶋の事務所を訪ね、太郎死亡時の遺言相続について相談した。

被告河嶋は、同月三一日、太郎宅に同人を訪ね、遺言書作成を勧めるとともに、同人の希望を尋ねたところ、①被告花子には遺産の半分を相続させたいこと、②前記高島平の不動産の二分の一の共有分は被告三郎に相続させたいこと、③被告一郎及び原告一男、原告春子に対しては相続させなくてよいこと、④甲野家の祭祀は被告三郎に承継させたいことなどを述べた。

(四) 被告河嶋は、太郎の右意向を受けて遺言書作成の準備に取りかかったが、その後、四郎は、被告河嶋の提案する遺言書案中、不動産価格の評価方法等について難色を示し、同年一〇月頃には遺言書作成の話に同調しなくなった。そのため、被告河嶋は、被告三郎との間で話を進めることにした(なお、これ以後、被告三郎夫婦が、四郎夫婦に対し、太郎の遺言書作成の件を話したことはなく、四郎夫婦が本件遺言の存在を知ったのは太郎死亡後のことであった)。

(五) 太郎は、同年一〇月二四日に転倒して右大腿骨頸部を骨折し、翌二五日から東京都老人医療センターに入院して治療を受けるようになったが、入院中、独り言や暴言等不穏な言動がみられた。

(六) 被告河嶋は、同年一二月、被告三郎から、太郎が遺言書の作成を望んでいる旨の連絡を受けたため、平成七年一月六日午後、太郎の病室に同人を訪ねたところ、太郎の症状は落ち付いており、遺言の作成を希望したため、原告一男及び原告春子の遺留分に配慮して新たに右原告らに対しても遺産を配分することにしたことを含めて本件遺言と同一内容の遺言書案を説明したところ、太郎は、その内容をもって公正証書遺言を作成することを了承した。

そこで、被告河嶋は、篠宮公証人及び被告三郎と連絡を取り、同月一一日に右遺言を作成することとした。

(七) ところが、太郎は、同月八日から高熱が続いていたところ、翌九日午後八時頃から、血圧が著しく低下して意識がなくなり、下血等もみられ、意識レベルⅢ(昏睡)の状態となった。病院では、昇圧剤の投与、酸素マスクによる酸素吸入や輸血等の救急措置を施すとともに、危篤状態にあるとして家族の呼び寄せが行われた。

(八) しかし、太郎は、同日午後一〇時頃から、血圧が安定し、意識レベルⅠの状態(刺激しないでも覚醒している状態)にまで回復し、家族の呼び掛けに対しても返答するようになった。そして、太郎は、翌一〇日午前中には酸素マスクの着用や検温を嫌がってこれを拒絶する行動を示したり、看護婦らの問い掛けに対して、「はい」、「大丈夫です」と返答したり、「おはよう」と話したりするようになった(乙三号証)。

(九) 被告三郎は、その間、医師から、遺言書を作成するならば早い方が良いとの話を聞いたため、被告河嶋に連絡を取り、同被告においても篠宮公証人に連絡を取った結果、軽部医師の都合の良い一〇日午後に、予定を早めて、遺言書を作成することにした。

(一〇) 同日午後二時頃、被告河嶋は、妻美恵子や篠宮公証人らと一緒に太郎の病室に入り、酸素マスクを外した同人に対し、公正証書遺言の作成に当たる人ということで篠宮公証人を紹介したところ、太郎は、これに頷いた。次いで、軽部医師が太郎に声を掛けたところ、返答があり、同医師の診断では、意識レベルⅠの状態にあるが、当日朝から意識状態は良く、太郎は遺言書を作成したいとする意思があり、これに耐え得ると判断した(軽部医師の尋問調書一七、三一項)。

(一一) 軽部医師が退室した後、篠宮公証人は、被告河嶋夫婦が立ち会う中で、太郎に対し、氏名を尋ねると、同人から、「甲野太郎」との返答があり、年齢を尋ねると、「九四歳」との返答があった。

そして、篠宮公証人は、太郎に対し、遺言書の内容を読み上げるのでそれで良いかどうか答えて欲しい旨を告げた上で、被告河嶋からの連絡に基づいて予め作成した本件遺言の内容を、逐条ごとに、順次読み上げて行くと、太郎は、その都度、その内容どおりに相続させることで良い旨を口頭で返答した。

(一二) その後、太郎は、本件遺言に署名押印することができない旨を述べたため、篠宮公証人がこれを代行し、被告河嶋夫婦が証人として遺言内容を確認してそれぞれ署名押印し、最後に篠宮公証人が署名押印するなどして本件遺言の作成を終えた。

(一三) 右遺言作成の手続には約二五ないし三〇分を要したが、その後に軽部医師が病室に入って太郎の容体を診察した際には、同人は、疲れた様子ではあったものの、意識レベルの悪化はみられなかった。

(一四) 被告河嶋は、軽部医師に対し、太郎の右遺言作成時の意思能力について診断書の作成を求めたところ、同医師は、「一月一〇日午後二時三〇分の時点で遺言する時点において意思能力が十分にあったと判断します」とする診断書(乙二号証)を作成した。

(一五) その後、太郎は、同年二月一〇日まで東京都老人医療センターで引き続き入院して保存療法を受けたが、寝たきり状態にあるため徐々に痴呆の進行がみられたものの、特別な悪化はなかった。太郎は、田崎病院に入院して治療を受けたが、貧血による意識レベルの低下がみられ、輸血によって症状が回復するといった状態が続いた後、同年一二月一六日に死亡した。

2(一)  以上の認定につき、原告らは、まず、太郎の東京都老人医療センター入院当時の痴呆の症状につき、極めて重篤なものであったと主張し、原告甲野夏子もこれに沿う供述をし、甲一五号証にも同旨の記載部分がある。しかしながら、前記認定のとおり、太郎は、右当時、時おり、夜間に老人性痴呆の悪化した症状を示すことはあっても、日中は格別支障のない生活を続けてきたものであり、現に、四郎自身も、平成六年一〇月頃に至るまでは、被告三郎とともに太郎の遺言書作成を企図していたのであって、これらに照らせば、原告らの右主張及びこれに沿う証拠は採用の限りでない。

(二)  また、原告らは、被告河嶋が平成六年八月三一日に太郎宅に出向いた際のやり取りについて、同被告が一方的に被告三郎の意向に沿った遺言書案を提示し、太郎はこれに対しては終始黙ったままであり、了承するようなことはなかったと主張し、原告夏子もこれに沿う供述をし、甲一五号証及び一六号証の一にも同旨の記載部分がある。

しかしながら、区役所の相談窓口を通じて本件遺言の作成業務の委任を受けることとなった被告河嶋が、太郎宅を訪れて初めて同人に会った際に、太郎の意向を全く確かめないままに、同人に対して、原告ら主張のような唐突な発言を行うというようなことはにわかに考え難いところであるし、同被告の供述及び乙二二、二五号証に照らして考えると、原告らの右主張及びこれに沿う証拠は直ちには採用できないといわざるを得ない。

(三)  そして、他に、前記認定を左右するに足りる証拠はない。

3 そこで、前記1で認定した事実関係に基づいて考えると、太郎は、平成七年一月九日夜に危篤状態に陥るまでは、老人性痴呆の症状がみられたものの、その程度は夜間を除いて必ずしも重篤なものではなく、同日夜にいったんショック状態に陥り、意識レベルが大きく低下したものの、病院側の治療により、翌一〇日朝には意識障害が相当程度改善し、周囲の問い掛けに対して発語して返答できるようになるまで回復した事、そして、同日午後二時における本件遺言作成の際の太郎の容体と軽部医師の診断内容、篠宮公証人と太郎間のやり取りの内容のほか、本件遺言の内容が、概ね、事前に被告河嶋と打ち合せ済みのものであった上、条項自体は全八条にすぎず、不動産の数も二つ、預金の配分先も合計五名という程度のものであったこと、さらにその後の太郎の治療経過等からすれば、太郎は、本件遺言当時、本件遺言を行う意思能力を有していたものと認めるのが相当である。

なお、軽部医師は、前記乙二号証(診断書)の作成につき、太郎の家族全員の総意のもとに本件遺言の作成が行われたものと考えていたので右診断書を作成したが、そうでなかったのであれば作成しなかったと証言し、甲一三号証にも同旨の部分がある。

しかし、軽部医師の証言全体を仔細に検討すれば、軽部医師は、右診断書については、四郎夫婦らが本件遺言書作成の事実を知らなかった以上、軽々に作成すべきではなかったとしながらも、その一方で、太郎の症状自体については、太郎は、右遺言時において、前記認定にかかるような篠宮公証人とのやり取りの内容及び程度と、事前にその内容を了承していたことからすれば、十分に遺言の内容を判断して応答できた旨を明確に証言しているのであって(軽部医師の尋問調書二七ないし二九、三一項)、右の如き診断書作成の経緯だけでは、前記認定判断を左右するには至らないというべきである。

また、太郎は、前記のとおり、本件遺言当時、意識レベルⅠの状態(甲一二号証参照)にあったものであるが、これまでに判示した本件遺言作成時における太郎の具体的な様子からすれば、全体的な意識状態として、前記認定のような篠宮公証人とのやり取りを行い得たものであったと認めるのが相当である。

4  以上によると、太郎は、本件遺言当時、本件遺言を行う意思能力を有していたものと認められるから、これを欠いていたとする原告らの主張は採用できない。

二  本件遺言の口授の方式の適否について

前記一1(二)及び(一二)で認定した事実を総合して考えると、太郎は、篠宮公証人から、事前に了承していた本件遺言の内容を、逐条ごとに読み聞かせられると、それに対し、その都度、自ら口頭で「そのとおり相続させる」などと述べてこれを了承する旨返答していたものであるから、全体的にみれば、口授の点を含め、本件遺言は、その方式につき、遺言者の真意を確保し、その正確を期するために方式を定めた民法九六九条の趣旨に反するところはないというべきである。したがって、本件遺言について方式上の瑕疵があったとすることはできない。

三  そうすると、原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却すべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官安浪亮介)

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