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東京地方裁判所 平成7年(ワ)3738号 判決 1997年3月13日

主文

一  原告の請求及び参加人の参加請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告及び参加人の負担とする。

事実及び理由

第一  請求及び参加請求

被告らは、日興証券株式会社に対し、連帯して金九億一八〇〇万円及びこれに対する平成七年三月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、平成二年から同三年にかけて、日興証券株式会社(以下「日興証券」又は「会社」という。)が一部の大口顧客に対して利益提供(いわゆる損失補填)を行ったことに関し、株主である原告及び参加人が、右行為は平成三年改正前の証券取引法五〇条一項三号、独占禁止法一九条、取締役の善管注意義務等に違反し、これにより会社に利益提供と同額の損害を与えたから、商法二六六条一項五号に基づく損害賠償責任があると主張して、うち顧客六者に対する平成二年一月から同年八月までの間の合計九億一八〇〇万円の利益提供(本件利益提供)につき、当時取締役であった被告らに対し、右同額の損害賠償と第二事件の訴状送達の日の翌日ないし翌々日からの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを請求している株主代表訴訟である。

一  争いのない事実等

1  当事者等

(一) 日興証券は、有価証券の売買、有価証券指数等先物取引、有価証券オプション取引及び外国市場証券先物取引、有価証券の売買等の媒介、取次及び代理、有価証券の引受、有価証券の売出、有価証券の募集及び売出の取扱等を事業目的とする東京証券取引所第一部上場の株式会社である。

(二) 原告は、平成三年三月二〇日から現在に至るまで、参加人は、平成二年一月一日から現在に至るまで、それぞれ日興証券の株式を保有している(争いがない)。

(三) 日興証券における被告らの主な経歴は、別紙一記載のとおりであり、本件利益提供当時、被告岩崎、同副島、同大橋、同神崎、同高尾、同須田、同梅村、同加藤及び同幸は代表取締役、同曽我部(ただし、平成二年五月三一日取締役を辞任)、同山下、同高塚、同白川、同森本、同城所、同鈴木、同平石、同石井、同脇田及び同金井は、取締役の地位にあった(争いがない)。

2  営業特金の概要

いわゆる営業特金とは、委託者が受託者たる信託銀行に対して運用方法を指定して金銭を信託する特定金銭信託契約に基づく勘定を利用した取引(特金勘定取引)のうち、委託者が投資顧問業者と投資顧問契約を締結することなく、事実上、証券会社に運用を一任し、証券会社の指示又は助言に基づいて、信託財産の運用がなされる取引をいう。

特定金銭信託(特金)は、税務上、運用する有価証券の評価について、法人が保有する他の有価証券と区分して処理すること(いわゆる簿価分離)が認められ、企業が保有する株式の含み益を温存しつつ、株式売買による利益(キャピタル・ゲイン)を獲得できること、運用する株式の名義が信託銀行名義になっているため、持株数に変動があっても株式持ち合いの相手に誤解を与えないこと、キャピタル・ゲインを信託収益金・配当金(インカム・ゲイン)として取得できるなどの利点があり、また、昭和五九年から昭和六一年にかけて、生命保険会社、損害保険会社、信用農業協同組合連合会、自治省関連共済組合等のいわゆる機関投資家に対して特定金銭信託を通じた有価証券の運用が認められたこともあって、その取扱高が飛躍的に増加した。

しかし、営業特金は、証券会社が事実上、運用の指示等を行うことから、株式相場が下落したり、運用成績が不良である場合には、その責任の所在を巡って、顧客との間で紛争を生じさせる可能性を有していた。

3  本件通達及び事務連絡

平成元年一一月、大和証券が損失補填を行っていたことが発覚したことから、大蔵省は、同年一二月二六日、社団法人日本証券業協会会長宛に、「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達(本件通達)を発出し、<1>法令上の禁止行為である損失保証による勧誘や特別の利益提供による勧誘は勿論、事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳に慎むこと、<2>特金勘定取引につき、原則として、顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約が締結されたものとすること等について、同協会所属証券会社に周知徹底するよう要請した(《証拠略》によるほか、争いがない)。

また、本件通達の趣旨を徹底する目的で、同日、大蔵省証券局業務課長から各財務(支)局理財部長宛に事務連絡を行い、<1>顧客が信託銀行と締結した特金勘定取引については、運用が証券会社に一任されたり、利回り保証や特別の利益提供等の不適正な営業行為が生じる惧れがあるため、証券各社に対し、平成元年一二月末現在における、特金勘定取引の業態別口座数、残高及び管理体制について調査を行い、実情を把握する、<2>特金勘定取引に係る口座については、口座開設基準を設け、口座を開設する場合は、(イ)顧客の属性、資産の状況、有価証券投資経験の有無、口座開設の理由、当該口座における運用資産規模及び運用形態等を記載した書面を当該顧客から受け入れるとともに、(ロ)顧客が当該取引について投資顧問会社と投資顧問契約を締結していることを確認するか、又は一定の基準を満たす顧客との間で、運用に当たり売買一任勘定取引、利回り保証、特別の利益提供等の行為は行わない旨の書面(以下「確認書」という。)を取り交わし、所定の社内手続を経るといった措置を講じるよう求めた。そして、既存の特金勘定取引については、平成二年末までに<2>の措置を講じることとされた。

4  公正慣習規則の改正

日本証券業協会は、本件通達を受け、平成元年一二月二六日、同協会の規則である「協会員の投資勧誘、顧客管理等に関する規則」(昭和五〇年二月一九日、公正慣習規則九号)を改正し、「協会員は、損失保証による勧誘、特別の利益提供による勧誘を行わないことはもとより、事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳にこれを慎むものとし、取引の公正性の確保につとめるものとする」旨の規定(同規則八条)を新設し、これを受け、各証券会社は、社内規則としての「特金勘定取引管理規則」を制定した(《証拠略》によるほか、争いがない)。

5  損失補填等

日興証券は、別紙二の一覧表記載の顧客のために、特金勘定取引に係る口座その他の取引口座をそれぞれ開設していたところ、平成二年一月から平成三年三月までの間に、同一覧表記載のとおり、合計四七〇億七五〇〇万円に上る損失の補填又は利益の提供(過剰補填を含む)を行った。損失補填等の方法は、外貨建てワラント債の低廉譲渡と短期間での高値買い戻し、新発の転換社債、ワラント債の割当て、現金の支払い等である(以上争いがない)。ただし、右金額のうち六億九六〇〇万円は、新規発行のワラント債の割当て・買い戻しにより行ったもので、他の顧客と同一条件による割当てであったが、その価格が市場での取引価格を下回っていたため、その差額が損失補填と認定されたものにすぎず、会社の所定の売出し価格によるものであったから、会社の出捐は伴っていない。

このうち、本訴において原告及び参加人が被告らの責任を追及しているのは、以下の利益の提供である。

顧客名 実施時期 提供利益額

<1>小野田ファイナンス

平成二年二月 金一億〇二〇〇万円

<2>九州旅客鉄道

平成二年一月 金五五〇〇万円

<3>同

平成二年二月 金五五〇〇万円

<4>住友生命

平成二年二月 金二億一五〇〇万円

<5>同

平成二年三月 金九七〇〇万円

<6>西日本銀行

平成二年三月 金一億〇三〇〇万円

<7>中国銀行

平成二年八月 金五〇〇〇万円

<8>公立学校共済組合

平成二年七月 金四億四四〇〇万円のうち、過剰補填部分 金六三〇〇万円

<9>同

平成二年八月 金三億五七〇〇万円のうち、過剰補填部分 金一億七八〇〇万円

合計 金九億一八〇〇万円

6  制裁等

(一) 日興証券は、平成三年七月八日、大蔵省の指導に従い、法人部門及び本店営業部の個人部門について、四日間の営業自粛を行った。

(二) 大蔵省は、平成三年九月、日興証券に対し、同年三月期の損失補填等について、本件通達違反等を理由に、同年一〇月の一か月間、国債の入札及び引受から除外する措置を採った。

また、大蔵省は、同年一〇月、日興証券に対し、同年三月期において損失補填等を行ったこと及び確認書を取り交わした後にも補填等を行っていたことを理由に、各法人部門について三週間の営業自粛を指導し、同社はこれに従い、平成三年一〇月一五日から同年一一月五日まで法人関連部門の営業活動を自粛した。

(三) 東京証券取引所は、平成三年七月八日、日興証券に対し、損失補填等が同取引所の定款で定められた取引上の信義則に違反することを理由に、五〇〇万円の過怠金を科し、さらに、同年一〇月、同年三月期の補填について、過怠金五〇〇万円を科した。

(四) 日本証券業協会は、平成三年七月一〇日、日興証券に対し、同社が平成二年三月期に損失補填等を実施したことが公正慣習規則に違反し取引上の信義則に反するとして、五〇〇万円の過怠金を科し、さらに、平成三年一〇月二一日、同年三月期の損失補填等について、三〇〇〇万円の過怠金を科した。

(五) 公正取引委員会は、平成三年一一月二〇日、日興証券に対し、本件利益提供を含む損失補填等を行ったことが不公正な取引方法(昭和五七年公正取引委員会告示第一五号、以下「一般指定」という。)九項に該当し、独占禁止法一九条に違反するとして、同法四八条二項に基づき、今後、顧客との取引関係を維持し、又は拡大するため、顧客に対し、損失補填等を行わないこと、今回の損失補填等が独占禁止法の規定に違反し、今後、同様の行為を行わない旨を同社の役員及び従業員並びに顧客に周知徹底すること等を内容とする勧告を行ったところ、日興証券がこれを応諾したことから、同年一二月二日、同社に対し、同条四項に基づき、右勧告と同趣旨の審決をした。

二  争点

1  本件利益提供は、平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法五〇条一項三号に違反するか。

2  本件通達及び公正慣習規則に違反した行為は、商法二六六条一項五号の法令違反となるか。

3  本件利益提供は、独占禁止法一九条に違反するか。違反するとした場合、商法二六六条一項五号の法令違反となるか。

4  本件利益提供について、被告らに善管注意義務違反ないしは忠実義務違反があったか。

5  被告らの行為により、会社に損害は発生したか。

三  当事者の主張

1  争点1(証券取引法違反)について

(原告及び参加人の主張)

(一) 日興証券の実施した損失補填等には、事前に明示又は黙示の損失保証約束があり、改正前の証券取引法五〇条一項三号に違反する。

日興証券は二年間に四七〇億七五〇〇万円もの損失補填を行ったが、巨額の出捐をしてまで営業特金を解消しなければならなかったのは、同社が大口の顧客に対して、事前に損失保証を約束しており、相場の下落に伴ってより大きな出捐を履行せざるを得ない立場にあったからにほかならない。国会における被告岩崎の陳述も、将来相場が下落すれば、日興証券が実際に顧客に生じた損失にかかわらず多額の補填をしなければならなかったことを前提としている。

被告らは、営業特金等において、将来損失が生じた場合、顧客から損失補填の要求が行われる虞れがあり、このような取引を解消することが健全経営のために必要であったことを認めているが、顧客から損失補填を要求された場合に、証券会社がこれに応じなければ何ら経営の健全性を害することはないのであるから、被告らが経営の健全性を害すると考えていたことは、会社が顧客の要求を拒否できないこと、すなわち事前の損失保証約束を前提としなければ理解できない。

損失がないのに利益提供したことは、事前の勧誘時に明示又は黙示の利益保証をしていたと考えなければ説明できない。営業特金以外の一般口座に対しても、また、確認書を取り交わした後においても、補填を行っていること、さらに、公立学校共済組合のように、二期にわたって多額の過剰補填をしていることは、営業特金の解消のためという理由では説明できず、利益保証・損失保証があったことを示している。

(二) 仮に、事前の損失保証が認められないとしても、損失補填等は、証券投資における投資家の自己責任の原則に反し、証券取引の公正を害するとともに証券会社の健全経営を損なう点において、損失保証と同様の危険を有しているから、改正前の証券取引法五〇条一項三号に違反する。改正前の証券取引法に事後の損失補填を禁止する明文がなかったのは、証券会社が損失保証の約束なしに損失補填を行うことは想定し難く、事前の損失保証を禁止することによって事後の損失補填をほぼ防止することが可能であるから、敢えて禁止規定を設ける必要性に乏しかったというにすぎない。平成三年の改正における損失補填禁止の明文化は、創造的規定ではなく、確認的規定であり、損失補填は旧証券取引法上も同条項によって実質的に禁止されていた。

昭和六二年ころから平成三年ころまでの間において、証券会社の損失補填は、あたかも慣行のように広範囲かつ組織的に行われ、補填を受けた大口顧客は、今後も損失補填を受けられると期待するのが当然の状況にあった。日興証券においても、少なくとも昭和六二年から損失補填を行い、恒常化しており、顧客の側も損失補填を期待していたのであるから、事後の損失補填であっても、安易な投資判断が行われ、公正な価格形成が阻害される危険性は、事前の損失保証約束があった場合と異ならなかった。しかも、日興証券が行った損失補填は、巨額に上り、会社の経営の健全性を害するおそれがあることは明らかであった。

(被告らの主張)

(一) 本件損失補填等は、一切、事前の損失保証約束、利益保証約束に基づくものではない。

(二) 事前の損失保証約束、利益保証約束に基づかない事後の損失補填等が、改正前の証券取引法五〇条一項三号の禁止する損失保証約束を伴う勧誘行為に含まれるとするのは、規定の文言から余りにもかけ離れた解釈であり、違反行為に対して行政処分が課されることを考えると、到底許される解釈とはいえない。

実質的にみても、損失補填等は、損失保証約束に比べて、流通市場における公正な価格決定を損なう危険性がはるかに小さく、証券会社の財務状態に及ぼす危険性も低いから、事前の損失保証と同一視することはできない。

2  争点2(通達違反・公正慣習規則違反)について

(原告及び参加人の主張)

(一) 本件通達及び前記公正慣習規則八条は、証券取引における公の秩序・法的秩序の一部を形成しており、商法二六六条一項五号の「法令」に該当する。商法二六六条一項の目的は、取締役の会社に対する損害賠償責任の追及にあるから、「法令」には厳密な法規範性を求めるべきではなく、取締役の業務執行にあたっての行為規範となるもので、かつ会社による金員拠出を禁止した規範であれば、これに含まれると解すべきである。

証券会社は、高い公共性を有し、営業姿勢の適法・適正が求められていることから、大蔵大臣による厳しい監督の下に置かれており、監督官庁である大蔵省の諸機関による通達が、証券会社の経営にあたる取締役の行為規範になることは明らかである。また、証券会社の自主規制団体である日本証券業協会は、証券取引の公正を確保し、投資者を保護するために、証券会社の業務に関して行為準則を定め、それに違反した協会員に対して制裁を課すことによって自主規制を行うものであるから、証券会社がこれに加入した場合は、同協会が定める行為準則が証券会社の取締役の行為規範となる。本件通達及び公正慣習規則は、証券取引に関する公の秩序・法的秩序の一部を形成しているという意味からも、その違反は「法令」違反となる。現実に、大蔵省は本件通達に違反したことを理由に会社に対して営業自粛を指導し、会社はこれに従ったほか、日本証券業協会は、同協会規則違反を理由に会社に対し過怠金を課しており、このような厳しい処分は、本件通達及び公正慣習規則が強い法規範性を有することを明確に示している。

通達は、大蔵省設置法に法律上の根拠を有し、証券業協会の規則は、証券取引法上定款の必要的記載事項とされているから、証券取引法に根拠を有する。公正慣習規則は、これに違反すれば不法行為責任その他の責任を追及する根拠となりうる点からみても、「法令」に当たるというべきである。

(二) 「厳に慎む」とは、まさに行ってはならないことを規定しているものであり、損失補填を行うことを許す趣旨ではない。本件通達の趣旨は、損失補填が投資家の不公平感を生み、証券市場への信頼を失墜させることを防止する点にあるから、営業特金勘定取引の適正化を実現する目的であっても、損失補填を手段とすることが許されないという点にあり、この点は、本件通達、これに伴う証券局業務課長の事務連絡の内容及び日本証券業協会主催の説明会における説明内容、証券国会における松野証券局長の答弁からも明らかである。

(被告らの主張)

(一) 「法令」とは法律及びこれに基づく命令をいい、通達はこれに含まれない。通達は行政組織内部の規律に止まり、国民に対して拘束力を有する法規たる性質を持つものではない。本件通達は、大蔵省証券局長から日本証券業協会長宛に発出されているが、日本証券業協会は勿論、その会員である証券会社も大蔵大臣の下級行政庁でないから、本件通達により何らの法的拘束を受けるものではない。本件通達は、大蔵省設置法四条七九号による大蔵大臣の証券会社に対する監督指導権に基づき、営業姿勢の適正化を証券業界に求めた行政指導と解すべきであり、法的拘束力を有しない。

また、日本証券業協会は、有価証券の売買その他の取引の公正を確保し、投資者の保護に資するとの目的のために設立された自主規制団体であり、本質的には私法上の団体にすぎず、その自主規制規範である行為準則も、公法規範ではなく、私法上の団体の内部規範にすぎない。

(二) 公正慣習規則は、事後的な「損失の補填や特別な利益提供」について、「厳にこれを慎むものとし、取引の公正性の確保につとめるものとする」と規定しているにすぎず、事前の損失保証について、「損失保証による勧誘、特別の利益提供による勧誘」は「行わない」と規定して、証券取引法五〇条一項三号と同様に禁止しているのと異なる。「厳にこれを慎む」という規定の仕方は、単に努力義務を定めたに止まり、損失補填等を明確に禁止したとはいえない。

3  争点3(独占禁止法違反)について

(原告及び参加人の主張)

(一) 顧客との取引関係を維持し、又は拡大するため、一部の顧客に対して損失補填等を行う行為は、正常な商慣習に照らして不当な利益をもって、競争者の顧客を自己と取引するように誘引するものであり、独占禁止法二条九項三号、一般指定九項にいう不公正な取引方法に該当し、同法一九条に違反する。損失補填等は、自己責任原則を害するばかりでなく、価格・品質競争以外の利益の供与によって顧客の選択を左右し、ブローカー業務における情報提供等の能率競争を全く無意味にするものであるから、証券業市場における正常な商慣習に反するとともに、公正競争阻害性がある。反復継続性・伝播性は、公正取引委員会がその権限を発動する際の基準にすぎず、不公正な取引方法に該当するための要件ではないと解すべきであるが、仮にそうでないとしても、日興証券は、長期間にわたり広範囲に損失補填等を行っていたものであるから、反復継続性、伝播性が認められる。

ことに、利益提供(過剰補填)は、供された利益の不当性や証券業界の正常な商慣習に反する程度が大きい。利益提供や過剰補填によって顧客維持をはかることは、単に失われた損失を補填するだけの行為に比べて、顧客維持の誘引性も大きく、顧客が必ず利益を得ることができると期待するために、証券業のブローカー業務における本来あるべき価格・品質競争を無意味にする危険性が著しく高くなる。

(二) 商法二六六条一項五号の「法令」には、すべての具体的法規が含まれる。商法二五四条の三において、取締役に対して「法令」の遵守義務を課しているが、同条の「法令」は広くすべての法令を含むと解されており、同法二六六条一項五号の「法令」を特に狭めて解するのは、不自然かつ不合理な解釈である。

独占禁止法一九条は、公序=公正競争=競争秩序の維持という公益的規定であり、特定者の利益の保護の規定ではない。独占禁止法は、高度に発達した資法主義の下で、過度の経済力の集中を防止ないしは避けることにより、健全な市場経済を維持・発展させ、ひいては消費者の利益を擁護するための法であり、同条に定める不公正な取引方法の禁止の趣旨は、公正な競争を阻害するおそれのある行為、公正な競争秩序に悪影響を及ぼすおそれのある行為を禁止して、競争を公正かつ自由なものとして秩序づけようとするものである。同条は、企業及びこれを実際に運用する取締役に、公序として遵守すべき具体的義務を課したものであり、商法二六六条一項五号の「法令」に該当すると解すべきである。

(三) 法令違反についての過失は、必ずしも具体的な法規条項に違反することの認識可能性であることを要せず、実質的な違法性の意識の可能性があれば足りる。本件損失補填等を行う時点において、被告らには、構成要件的事実(損失補填等が正常な商慣習ではなく、公正な競争秩序を害すること等)を認識し、本件損失補填等が違法であることを認識できる契機が与えられていた。被告らの主張は、独占禁止法という法律に違反することを知らなかったということであって、単なる法の不知を主張するに過ぎない。

すなわち、平成元年一二月二六日、本件通達が出され、これを受けて、日本証券業協会は、公正慣習規則を改正し、本件通達と同様、損失補填等を厳に慎むこととする条項を追加したのであるから、被告らは、この時点において損失補填等が何らかの問題性を持っていることを認識した。したがって、被告らとしては、損失補填等が違法でないかどうかを、当然、調査すべきであった。自社の法務部あるいは顧問弁護士に、損失補填等の動機を説明して法的問題性について相談し、検討させていれば、本件損失補填等が独占禁止法違反であることが判明したはずである。ところが、被告らは、営業特金の全面解消を前提とした処理をするために、あえて調査を依頼せず、法律的な検討を行わずに損失補填を断行した。被告らは、十分な違法性の認識を有していたといえるのであり、少なくとも損失補填の問題性を認識しながら法的な検討・調査を行わなかった点において、取締役として大きな過失がある。

(被告らの主張)

(一) 自己責任原則とか証券取引の公正性といった問題は、証券取引法ないし証券取引政策上の問題であって、独占禁止法上の公正競争阻害性とは別の問題である。一般指定九項は、競争者の一部が他よりも有利な利益を顧客に与えることにより、顧客を自己との取引に誘引することを対象とするもので、競争事業者の与える利益が同等であれば、顧客は当該利益ではなく、提供される商品・役務の品質ないし価格によって取引先を選択するはずであるから、当該利益の供与は公正競争阻害性を有しない。本件損失補填等が行われた当時は、大手、準大手を問わず、殆どの証券会社が損失補填等を実施しており、競争関係に立つ同業者が一斉に損失補填等を行っている状況にあったから、公正競争阻害性はなかった。日興証券が実施した損失補填等の額が、損失補填等を実施した証券会社の中で最も多額であったのは、資本金、取引高等の企業規模や営業収益、経常利益に応じて、損失補填等を要する顧客数等が結果として大きくなっただけで、他社よりも多額の損失補填等をなすことにより顧客の維持、誘引等を意図したものではない。

また、公正競争阻害性の判断に当たっては、当該行為の反復継続性、伝播性等を考慮すべきであるところ、本件損失補填等は、本件通達を受けて、営業特金を解消するためになされたもので、今回限りのものであり、将来にわたり反復継続されるものではなく、伝播性を有するものでもないから、公正競争を阻害しない。

(二) 独占禁止法一九条は、競争者の利益を保護することを意図した規定であって、同条違反が当然に商法二六六条一項五号の法令違反に当たることはない。

(三) 被告らには、当時、損失補填を行うことが独占禁止法に違反するとの認識がなく、かつその認識を欠いたことに過失がなかったから、商法二六六条一項五号違反による損害賠償責任を負わない。

一般指定九項は、極めて広い評価、裁量の余地を残した不明確な規定であり、仮に被告らが同項について検討したとしても、本件損失補填等が同項に抵触するとは判断できなかった。同項にいう「競争者の顧客」に自己の顧客が含まれると解されるとしても、通常は、自己以外の顧客を自己と取引するように仕向けることと説明されているし、企業が自己の顧客に利便を供与して取引の継続を図ることは通例であって、これは合法的に認められている。一般取引において、自己の商品に関して取引相手が損失を被ったとき、その損失を補填することは十分にあり得るし、まして、自己の都合により一方的に取引を解約するような場合にその損失を補填することは当然に考えられることである。また、損失補填等は主要な証券会社のほとんどが行っていたものであって、競争者が並行的に行う場合は、それにより能率競争を阻害することはないと考えるのが通常であり、この意味からも被告らが本件損失補填等が不当な利益による顧客誘引になるとの認識を持たなかったとしても無理はない。

現に、独占禁止法の専門の学者でも、当時は本件のような損失補填等が独占禁止法一九条に違反すると考えなかった者もいた。本件損失補填等の前にも損失補填等が大きく取り上げられたことがあるが、公正取引委員会から何らの注意も懸念表明もなく、誰一人として独占禁止法違反の問題があることを指摘した者はなかった。証券業界において、過去に独占禁止法上問題とされた事案は皆無であり、証券取引において独占禁止法の規制を受けることはないとの認識が一般的であった。

証券取引の公正性と独占禁止法の公正競争阻害性とは別問題であるから、被告らが本件通達・事務連絡を認識し、公正慣習規則の改正を知っていたことから、本件損失補填等が独占禁止法一九条に違反するとの認識も持つべきであったとはいえない。

4  争点4(善管注意義務・忠実義務違反)について

(原告及び参加人の主張)

(一) 取締役の判断が善管注意義務を尽くしたとされるためには、その判断が著しく不合理ではなかったという合理性の要件のみでは足りず、第一に、判断の対象となる行為が法律、規則、通達その他会社の行為規範・行為準則等の具体的法規に合致し、合法かつ適正であること、第二に、判断の前提資料が適正かつ合理的な判断を可能とする程度に収集分析され、インフォームドされていること、第三に、経営者としての合理的な判断であること、第四に、判断が信義誠実かつ公正なものであることという四つの要件が全て満たされることが必要である。

(二) 会社は、法によって法人格を与えられ、合法な行為のみを実施できるのであり、権利能力及び行為能力はその限りで制限を受ける。会社は、社会に実在するものとして、会社を取り巻く種々の行為規範、行為準則を遵守する義務を負う。商法が取締役の会社に対する責任を明確かつ厳格にしようとした趣旨は、単に取締役の行為によって会社が被った損害を回復させようといった経済的目的のみを意図したというものではなく、この責任を通じて取締役の行為に適正さという枠組みをはめることによって会社運営の適正さを確保しようとしたものである。したがって、取締役が善管注意義務を尽くしたものであるかどうか、その行為が合理性を有するかどうかは、その行為を会社運営の適正化の視点から分析することが必要である。取締役の義務に関する被告らの理解は、利益の追求としての側面のみを強調し、会社運営の適正化の実現という視点を欠落している。取締役は高度な経営上の判断を求められるものであるが、具体的法規違反は、経営判断の合理性によって相対化されてはならず、善管注意義務の最下限として、取締役の合理性の判断を限界づけるものである。

被告らの行為は、独占禁止法に違反するのみならず、本件通達及び公正慣習規則に違反する行為であって、会社に対する善管注意義務に違反する。

(三) 取締役は経営者として常に適法で合理的かつ信義誠実・公正な判断と行動が要求され、その判断と行動の意思決定においては、十分な情報、資料を得て、内容・事実関係を理解した上で分析、検討する必要がある。そして、この判断の前提資料の収集・分析は、相当業務執行取締役のみならず、担当取締役の執行内容を監視するその他の取締役にも求められる。

被告らは、平成二年一月一六日の経営連絡会と同月二二日の取締役会において、本件損失補填等の方針を決定しているが、これらの期日は、営業特金の解消等について顧客との交渉を指示した日の直後であり、本格的な交渉も十分に行われず、その具体的状況の把握もできていなかった。また、本件損失補填等が決定、承認された平成二年一月一六日の経営連絡会、同月二二日の取締役会、同年四月二六日の取締役会、同年五月二六日の取締役会において、取締役において適正かつ合理的な判断を可能とするのに十分な前提資料が収集・分析されて決定、承認された形跡は全くない。被告らが主張するように、営業特金解消のためにやむを得ないと判断し、会社の経営の健全性を害さない範囲内で補填等を行ったというのであれば、少なくとも右取締役会等において営業特金等の全体状況、顧客交渉の実情、損失補填額の予想と会社の収益予想の具体的バランス等について具体的な数字と資料の収集・分析が必要である。これらの具体的説明や資料がない限り、被告らにおいて適正かつ合理的な判断などできる筈がないのに、担当取締役に対して資料提供を求めることすらしていない。

また、被告らは、損失補填の違法性や規範違反の存在について疑問を持ち得る状況にありながら、積極的な調査を行うこともなく、法務部、顧問弁護士等の専門家に判断を求めることもしていない。

とくに、損失の額を超える利益提供(過剰補填)は、結果的に利益保証と同様の効果を顧客に与えるもので、問題性が大きく、その必要性や不可避性について十分慎重に取締役において検討しなければならないのに、特金解消を一任された被告高尾、同平石その他の担当取締役は、その事実について取締役会や他の取締役に対し何らの報告や検討依頼をしていない。

さらに、被告幸は、本件通達の趣旨について、大蔵省証券局の見解の主眼が特金解消にあり、そのために損失補填等も黙認する意向にあるとの誤った理解の下に、これを前提に経営連絡会等に報告しているが、こうした誤った情報に基づいては適正かつ合理的な判断はできない。他の取締役も、本件通達の内容と被告幸の報告が大きく食い違っているにもかかわらず、さらに調査、分析することなく、漫然と誤った情報を受け入れてしまっている。

以上のとおり、被告らの判断の前提となった情報は、いかなる意味においても適正かつ合理的な判断を可能とする程度にインフォームドされているとはいい難い。

(四) 本件損失補填等の決定・実行は、合理性、信義誠実及び公正性に欠ける。

(1) 被告らが本件損失補填等を行う過程をみると、<1>経営連絡会で補填回避の方策を十分に検討努力せず、極めて短時間に補填要求に応じたこと、<2>取締役会において、十分な議論をせず、投資顧問に付するなど他の選び得る手段の検討を十分にすることなく、営業特金解消のためには補填やむなしとの結論を極めて安易に出した(法律上の根拠がない支出であるのに、補填の限度額について明確な基準を設けず、重要な顧客の維持という漠然とした基準により多額の補填を行った)こと、<3>本件通達の解釈に関して当然議論があってもよいのに、安易に損失補填やむなしとの判断に至り、通達の解釈を誤り、公正慣習規則の規範性を全く無視したこと、<4>独占禁止法等の法的問題発生の可能性を認識しながら、これを十分に検討せず、安易に補填を実行していること、<5>独占禁止法で禁じられている不当な利益による顧客誘引の構成要件を基礎づける違法事実を認識しながら、敢えて補填を実行したこと、<6>経営健全性を害さない範囲の出捐であるかどうか精査した形跡がない(監査法人に調査を依頼するなどして収益を合理的に予測したという形跡がない上、投資家の市場離れを発生させ手数料の大幅な減収をもたらしたから、経営健全性に関する判断に合理性があったとはいえない)こと、<7>顧客維持のみを優先し、証券市場にもたらす混乱などへの配慮が全くなく、特定の大口顧客のみに補填した(自己責任の原則を始めとする証券取引の秩序を維持形成していく義務に違反している)こと、<8>営業特金解消のためといいながら、実際には補填をしながら、解消しなかったものも多くあったこと、<9>損失補填の実施を決定した後、その具体的な実施状況を調査、検討した形跡が全くないことといった事情が認められる。

本件損失補填等の決定・実行は、会社財産を出捐すべき場合に払うべき誠実さ、慎重さ及び公正さを全く欠き、合理性を基礎づけるべき正当な理由が全く提示されていないものであって、著しく合理性を欠く。

(2) 本件利益提供のうち、小野田ファイナンス、九州旅客鉄道、住友生命、西日本銀行及び中国銀行に対するもの(争いのない事実等5<1>ないし<7>)は、損失が発生していないにもかかわらず利益を供与したものであり、公立学校共済組合に対するもの(同<8><9>)は、平成二年三月期に三七億五一〇〇万円もの極端に多額の補填を行い、そのうち二五億七六〇〇万円が損失を超えた過剰な補填であったにもかかわらず、確認書を徴求した後の平成三年三月期にも過剰補填となる多額の補填を行ったものである。過剰補填及び確認書徴求後の補填の不合理性は、損失を前提とした補填行為と比較しても一層強く、信義誠実及び公正性を著しく欠くものであって、その違法性は極めて高い。

(被告らの主張)

(一) 企業の経営は、通常の場合においても、流動的かつ不確実な市場の動向の予測や複雑な要素が絡む事業の将来性の判定の上に立って行われるものであり、まして、いわゆるバブル経済の膨張とともに異常に膨れ上がった営業特金を、急激な株価の低落という極めて困難な市場状況の下において、早期かつ全面的に解消せざるを得ない局面に立たされた被告らには、その総合的・専門的な判断力を最大限に発揮すべきことが期待され、そのためには広範な裁量を認めざるを得ない。もともと、会社の取締役は、法令及び定款の定め並びに株主総会の決議に違反せず、会社に対する忠実義務に背かない限り、広い経営上の裁量を有しているが、右のような最も困難な種類の経営判断が要請される場面においては、特にこのことが妥当し、そのような判断において、その前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、意思決定の過程・内容が企業経営者として特に不合理・不適切なものといえない限り、当該取締役の行為は、取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反するものではない。

(二) 被告らには、本件損失補填等が、一般投資家の市場に対する信頼の喪失を招きかねないとの認識はあった。しかし、営業特金の早期全面解消という重大な決断を迫られた被告らが、私企業の取締役として先ず第一に考慮すべきは、会社事業の将来における発展であり、収益の大きな部分を法人顧客から得ているわが国の証券市場の実態から、法人顧客との将来の円滑な取引関係の維持に最重点を置いたとしても、やむを得ない経営判断であった。

重大な法令違反を冒してまで自社の利益を図った場合には、取締役としての義務違反を認定されざるを得ないが、本件損失補填等は、当時の証券取引法に違反せず、独占禁止法にも違反しないか、違反について過失がなかった。本件通達及び公正慣習規則は、法的規制には程遠い。本件損失補填等が一般投資家の市場に対する信頼の喪失を招きかねないとの認識があったとしても、明白な法令違反についての認識ではなく、このような漠然たる認識から、損失補填等といった最も困難な種類の経営判断をする前提としての事実の認識に重要かつ不注意な誤りがあったとはいえないから、善管注意義務違反を認定することはできない。

(三) 本件において、前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りはなかった。

異常に膨れ上がった営業特金の問題点を正確に把握し、運用成績の向上に努めつつ、その縮小を図っていたところ、本件通達が発出されるや、担当官との接触を通じて、その主眼が営業特金の早期かつ全面的な解消にあると理解したが、その理解に誤りはなかった。営業特金の全面的解消の実行に際しては、法人顧客に関する各部門の担当者である本部長等を通じてその担当している営業特金の取引内容や顧客との取引関係を確認し、営業特金解消にあたっての顧客の要求の把握に努める一方、顧客の強い要求によって補填をせざるを得ない場合に備えて、昭和六〇年九月期以降の会社の収益・財産の状況を把握した。被告らは、特に、個々の補填先企業、各顧客との従来の取引関係の状況、今後取引関係を維持することが会社にもたらす利益、顧客の運用資産の性格、営業特金の運用成績、解消にあたっての顧客の要求といった点について、事実を把握し、その認識に誤りはなかった。

以上の事実認識に基づき、各顧客と困難な交渉を行った結果、被告らは、会社の重要な顧客との関係を維持することの重要性を第一義とし、それまでの取引の経緯、顧客の置かれた状況等を勘案し、会社の財政状態の許す範囲内でそれぞれ補填額を決定したものであって、右決定の内容は、何ら企業経営者として不合理・不適切なものではなかった。株式市況が急落を示し始めている特異な状況の下で、本件通達の趣旨を営業特金の可及的速やかな全面的解消にあるとの理解に基づき、顧客との関係維持を図りつつ、円満に営業特金を解消するという目的を達成するためには、顧客とぎりぎりまで交渉して納得してもらうことは極めて困難なことであり、被告らの決断が迅速であったことを以って安易であると批判するのは失当である。補填回避の方策として投資顧問契約を締結することは、営業特金の要素の一つである売買一任勘定的取引を払拭すること、すなわち営業特金を解消することによって初めて可能になるものであるから、そのためには、結局、顧客との交渉ないし損失補填という方策しかなかった。

また、意思決定の過程においても、社長以下の代表取締役及び株式本部長等の取締役から構成される経営連絡会において、営業特金の早期・全面的解消、顧客との良好な取引関係の維持、具体的解決策の営業企画部門への一任を決定し、それについて取締役会の了承を受けた上で損失補填等を実施し、その結果を決算承認取締役会において報告し、了承を得ており、異常事態において必要とされる緊急措置の実施のための意思決定の方法として、右過程に企業経営者として特に不合理・不適切な点はない。補填すべき金額は、顧客毎に、営業特金の運用成績、会社との取引関係、交渉における顧客の態度により異なっており、取締役会の議決を得るための日時を要する間に当該顧客の営業特金の損失額は変動するから、一々取締役会に諮らずに、経営連絡会及び取締役会の授権を受けて、被告高尾、同平石及び担当取締役が決定することとしたことは、補填額を決定する最も適切な方法であったし、補填金額は会社の経常利益に比して経営健全性に悪影響を与える程ではなかった。

(四) 本件顧客六者は、日興証券がその親会社の引受主幹事であったり、取引量が極めて大きかったことなどのため、取引維持により多額の手数料等の収益が期待できたこと、また、その会社等の性格、地域において占める位置等のため、資金運用実績の悪化が日興証券の営業に与える影響が大きかったことなどから、いずれも日興証券にとって極めて重要な顧客であり、円満な関係を維持するために損失補填等を行う必要性が高かった。

公立学校共済組合については、営業特金の円満な解消を図り良好な関係を維持するための交渉を進める過程で二回にわたる利益提供を行ったもので、同組合が日興国際投資顧問会社と運用一任契約を結び、最終的に営業特金の解消が実現したのは、平成三年八月のことである。平成二年六月に徴求した確認書は、形式的なものにすぎない。

5  争点5(会社の損害)について

(原告及び参加人の主張)

(一) 本件利益提供は、いずれも会社の損失において出捐されており、会社には、右出捐額と同額の損害が発生している。

(二) 損益相殺をするためには、その取得した利益の内容・金額が明確に示される必要があり、それが債権である場合には、当該債権が現実に履行された場合、又はこれと同視しうる程度にその存続及び履行が確実といえる場合に限って損益相殺が許される。ところが、本件では、会社が取得した利益の内容・金額等について具体的に主張・立証されていない。

また、損益相殺の対象となるべき利益は、当該違法行為と相当因果関係のある利益であるとともに、商法の規定の趣旨及び当事者間の衡平の概念に照らし、当該違法行為による会社の損害を直接に補填する目的ないし機能を有する利益であることを要する。仮に、本件利益提供の後に顧客関係の維持がされていたとしても、それには担当者を始めとする多くの従業員のその後の努力や経済情勢・顧客の総合判断等の他の要因が働いていることは間違いないから、右の要件を満たしているとはいえない。本件利益提供後に補填先から手数料等の収益を得たとしても、有価証券の売買の仲介等何らかの新たな商行為を行ったことによって得られた利益であって、同様に損益相殺の対象となり得ない。

さらに、本件利益提供は、損失がないにもかかわらず利益を供与したり、損失を上回って過剰に補填したりしたものであるから、損失補填の中でも違法性の高いものばかりであり、社会的に許容される範囲からの逸脱の程度も高い。このような違法性の高さに鑑みると、それによる利益の損益相殺を認めることは、公序に反するかそれに準じる程度といえ、到底認められるべきではない。

(被告らの主張)

(一) 本件損失補填等は、顧客との取引関係を維持するために行われたものであり、会社は取引関係維持という代償を得ているのであって、その対価である損失補填金額が専ら会社員の損失であるというのは、失当である。

(二) 本件では、六顧客に対する補填等に係る会社の出捐額と右顧客から会社が受け入れた手数料等の収益の額との損益相殺により、会社に損害はなかった。損失補填を行うに際して、それまでに右顧客から受け入れた手数料等の収益の額を十分に考慮し、また営業特金の解消のため、これら顧客との間で困難な交渉を経た結果、その後も取引を継続し得たのであるから、損失補填等による会社の出捐額と会社が得た手数料等との間には相当因果関係がある。

第三  争点に対する判断

一  争点1(証券取引法違反)について

1  本件のような広範で巨額の損失補填、しかも損失の額を超える過剰補填や損失がないのに利益の提供までが行われたのは、事前に損失保証の約束や利益保証の約束があったからではないかと疑うのは一応もっともであるが、本件においては、そうした一般的な嫌疑を超えて、具体的な約束があったことを認めるに足る証拠は提出されていない。被告らも、損失補填先の顧客との間で、運用助言の目安として期待利回り的なものがあったことは認めているが、これをもって直ちに損失保証や利益保証の約束があったものと認定することは無理であろう。むしろ、そのような期待利回り的なものが示されていたとすれば、それが損失保証や利益保証の約束とまではいえないものであった場合でも、顧客において、損失を出したまま、あるいは期待利回りに達しない実情のまま、営業特金を解約することに納得せず、証券会社の運用助言のまずさ等の責任を追及し損失補填等を要求することはありうべきことであり、証券会社において、将来も取引を継続するためには、損失補填等を行なわざるを得ないとの判断に達することも、十分考えられることであるから、事前に損失保証や利益保証の約束がない限り、本件のような損失補填等を行うことは理解できないものであるなどとはいえない。

2  平成三年改正前の証券取引法五〇条一項三号は、証券会社が、有価証券の売買その他の取引につき、顧客に対して当該有価証券について生じた損失の全部又は一部を負担することを約して勧誘することを禁じていた(なお、同項五号に基づく大蔵省令である証券会社の健全性の準則等に関する省令二条二号は、証券会社が有価証券の売買その他の取引につき、顧客に対して特別な利益を提供することを約して勧誘することを禁止していた)ものであって、取引後にその損失を補填したり利益を提供したりする行為については、明らかに規制の対象としていなかったというほかない。平成三年の同法の改正により、事後の損失補填等も禁止されることとなったが(同法五〇条の二第一項二、三号[なお、現行法は五〇条の三第一項二、三号])、改正法施行前に行った行為に対する罰則の適用については、なお従前の例によることとされており(改正法附則二項)、証券取引法改正前の行為である本件損失補填等は、同法に違反するものではない。

原告及び参加人は、損失補填は、事前の損失保証と同様の違法性を有するから、改正前の証券取引法五〇条一項三号によって実質的に禁止されていた旨主張する。確かに、事後的な損失補填も、自己責任の原則に反し、証券市場の健全性を害する行為であるが、流通市場における適正な価格形成を損なう危険性という面からみる限り、事前の損失保証より程度が低いという見方が十分成り立つし、また、損失保証を禁ずる理由として、証券会社の経営の健全性に及ぼす悪影響も挙げられているが、この面からも、将来の価格変動が確実に予測できないまま行われる損失保証に比べ、損失額が確定した後の損失補填は、一般には危険性の程度が低いといえる。このように、法規制の上で両者を区別する理由がなかったわけではないから、法の明文を離れて、改正前の証券取引法が事後的な損失補填をも禁止の対象としていたと解釈することは相当ではない。

二  争点2(通達違反・公正慣習規則違反)について

1  本件通達は、証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止が図られるよう、大蔵省証券局長から日本証券業協会長宛に、所属証券会社への周知徹底を求めて発出されたものであるが、その実質は、いわゆる行政指導に当たると解され、法律上の拘束力を有するものではない。そのことは、当時は証券取引法に違反すると解されていなかった事後の損失補填等につき、「厳にこれを慎むこと」と、行為の自主的な抑制を求めるに止めていること、前記のように、本件損失補填等について、本件通達違反を理由としては、営業自粛の指導という形の事実上の制裁しか行われていないことにも表れていると考えられる。

2  また、日本証券業協会は、証券取引法に基づき登録する社団法人(平成四年の法改正後は大蔵大臣の認可法人)であり、証券取引の適正の確保及び投資者の保護について、同法が同協会の活動に多くを期待していることも疑いないが、同協会はあくまで自主規制のために証券会社が設立する私的な団体であり、公正慣習規則も、証券取引に関する公正な慣習を促進して同取引の信義則を助長するという同協会の業務を円滑に行う(日本証券業協会定款五条、六条)ために定められた同協会の内部規範であって、会員である証券会社を規律するに止まり、もとより法律上の拘束力は有していない。公正慣習規則違反の有無が、不法行為の成否に影響することがあるからといって、直ちに公正慣習規則が法令に該当することになるものではない。

3  商法二六六条一項五号にいう「法令」の範囲については、後述のように問題があるものの、法律上の拘束力を有しない本件通達や公正慣習規則については、これを右「法令」に当たると解する余地はない。

三  争点3(独占禁止法違反)について

1  本件利益提供は、有価証券の発行の引受、売買の受託者の取引上、日興証券にとって重要な地位を占める一部の大口顧客に対して、当該顧客との取引関係の維持を図りつつ、営業特金(一般口座を使用した実質的な営業特金を含む)を解消するために実施されたものと認められる(被告平石、弁論の全趣旨)。証券会社が、一部の顧客に対し、有価証券の売買等の取引により生じた損失の全部又は一部を補填し、又は顧客の利益を上乗せする目的で、財産上の利益を提供する行為は、証券市場の担い手である証券会社が証券投資における自己責任の原則を蔑ろにし、証券取引の公正さに対する信頼を害するものである上、証券業界において正常な商慣習の範囲内の行為であるとも認められないから(弁論の全趣旨)、正当な商慣習に照らして不当な利益の供与に当たるというべきである。証券取引法上の公正さの確保と独占禁止法上の公正競争の確保とでは、法の趣旨・目的を異にする面があることは間違いないにしても、正常な商慣習に照らして不当な利益に当たるかどうかを判断するに際して、証券取引市場における当該行為の相当性・正常性に対する評価が考慮されることは、むしろ当然であろう。

一般指定九項にいう「競争者の顧客の誘引」が、他の競争者の顧客の引き抜きを図る行為に限られず、自己の顧客の引き止めを図る行為をも含むと解するのは、文理上多少の難点があることは否定できないが、自己の顧客の引き止めを図る行為も、顧客獲得競争の一環として、他の競争者の顧客の引き抜きを図る行為と表裏をなすものとみることができるから、自己の顧客の引き止めを目的として損失補填等を行うことは、同項に該当すると解される。また、競争者の一部が他よりも有利な利益を与えることは、必ずしも一般指定九項の要件ではなく、殆どの競争者が同様の行為に走っている場合でも、供与する利益が正常な商慣習に照らして不当なものである限り、公正競争阻害性があると考えられるから、殆どの証券会社が同様の損失補填等を行っていたことは、同項該当性を否定する理由とならない。さらに、本件損失補填等は、ごく少数の顧客に対して単発的に行われたものではなく、極めて多数の顧客に対し継続的に実施されたもので、それ自体として、反復継続性が認められ、かつ、殆どの証券会社が同様の損失補填等に走ったことだけをとってみても、行為の伝播性が認められるから、反復継続性・伝播性が一般指定九項の要件であるかどうかにかかわらず、同項該当性を肯定し得る。

よって、本件利益提供は、独占禁止法一九条に違反するというべきである。

2  ところで、商法二六六条一項五号にいう「法令」の範囲については、これを会社財産の保護を直接・間接の目的とする法令、あるいは会社及び株主の利益保護を考えている商法の規定と当該会社の取締役にとって公序となる規定に限定する見解が存する。商法二六六条は会社及び株主の利益を保護するために取締役の会社に対する責任を規定したものであること、取締役に会社の業務執行に関係する全ての法令に通じることを期待するのは不可能を強いることになる場合も少なくないと考えられるから、あらゆる法令が含まれるとすれば、取締役に対し過酷な責任を負わせる結果になる恐れもあることから考える限り、右見解には相当の理由がないわけではない。しかし、会社財産の保護を直接・間接の目的としない法令に対する違反行為であっても、本件がそうであるように法令違反行為が会社財産の処分行為である場合等には、違法行為と相当因果関係のある損害が発生することはあり得る。そして、例えば取締役が違法であることを認識しながらあえて法令違反行為を行って会社に損害を与えたような場合まで、当該法令が会社財産の保護を直接・間接の目的とする法令ではないとの理由によって取締役の損害賠償責任を否定するのは、相当ではあるまい(「法令」の範囲を狭く限定すれば、違法性につき故意がある場合ですら、免責されることが多くなる)。会社も一個の社会的存在であって法令の範囲内で事業を行うべきであり、取締役には法令遵守義務がある(商法二五四条の三の「法令」には、全ての法令が含まれると解される)からである。こうした観点に立てば、「法令」の範囲を、会社財産の保護を直接・間接の目的とする法令にまで限定するのは適当でないと考えられる。また、商法二六六条一項五号に基づく取締役の損害賠償責任が成立するには、取締役に過失のあることが必要であると解されるが(最高裁昭和五一年三月二三日判決裁判集民事第一一七号二三一頁参照)、行為が違法であることを認識することが、当該取締役にとって困難な事情がある場合には、過失を否定することによって、過酷な責任を負わせる結果を避けることができると考えられる。当該会社の取締役にとって公序となる規定という限定は、範囲が必ずしも明確でないように思われ、独占禁止法一九条がこれに含まれるのかどうかという問題があるが、独占禁止法は、経済法として最も重要な地位を占める基本的法規であり、同法一九条に定める不公正な取引方法の禁止は、三条の私的独占又は不当な取引制限の禁止等とともに、同法の柱の一つであるから、上場大企業の取締役ともなれば、常に念頭に置くべき法令であるといって差し支えないであろう。

これらの点を総合して考えてみると、あらゆる法令が例外なく商法二六六条一項五号にいう「法令」に含まれると解すべきかどうかはともかく、少なくとも、独占禁止法一九条は、日興証券の取締役にとって同条項の「法令」に当たると解するのが相当である。

3  本件利益提供が独占禁止法一九条に違反するものであることを、被告らが認識していたと認めるに足りる証拠はない。そこで、右認識を欠いたことにつき、被告らに過失があったかどうかを検討する。

ところで、右過失は違法の認識に関するものであるが、過失があるとするためには、一般的、抽象的に違法の認識の可能性があるというだけでは足りず、具体的な法令違反についての認識の可能性がなければならないと解すべきである。なぜなら、右過失は、独占禁止法一九条違反の成否に関するものではなく(この場合は、一般的、抽象的な違法の認識の可能性で足りよう)、取締役の損害賠償責任の成否に関するものであって、右のように解しないと、法令違反があれば殆ど常に過失があることになり、取締役に会社に対する損害賠償責任を負わせることが過酷と感じられる場合にまで、右責任が認められることになってしまうからである。このことは、商法二六六条一項五号の「法令」に特段の限定を加えない場合には、とくに妥当するであろう。

原告及び参加人が主張するように、損失補填等を厳に慎むこととする本件通達が発出され、公正慣習規則が改正されたことによって、損失補填等の問題性は認識することができたものと認められる。しかし、前述のように、当時の証券取引法上、事後の損失補填等は違法ではなく、そのことは本件通達及び公正慣習規則の文面上も、法令上の禁止行為である損失保証による勧誘や特別の利益提供による勧誘とは明確に区別し、事後的な損失補填や特別の利益提供については、「厳に慎むこと」という自主的な抑制を求める記載とすることで示されていた。そして、証券取引に関しては、その公正確保等のための網羅的な規制が、証券取引法及びその関連法令に詳細かつ具体的に規定され、証券会社はこれらの法令に基づく大蔵省の広範で厳格な監督規制下に置かれていたため、本件を始めとする一連の損失補填等について独占禁止法の適用が問題とされるまでは、証券取引法とその関連法令に基づく規制で自足しているように考えられていた面があった。このことは、証券業界は、独占禁止法制定以来長期にわたってその適用を受けたことがなく、初めての適用は本件損失補填等が問題になった後の平成三年一一月であったこと、平成元年一一月に大和証券の損失補填が発覚した際に、独占禁止法の適用が公に問題とされた形跡がないこと、一連の損失補填を契機に衆参両院にそれぞれ設置された証券及び金融問題に関する特別委員会において、公正取引委員会委員長が、本件損失補填等は第一次的には証券取引法の問題であるとし、当面、静観する意向を述べていたことからも、推認することができる。独占禁止法の専門家の間でも、損失補填が一般指定九項に該当するという見解を示した論文等がなかったのはもちろんのこと、損失補填が独占禁止法に関係するという認識すら、一般に全く持たれていない状況であった。また、前述のように、自己の顧客の引き止めを図る行為が一般指定九項にいう「競争者の顧客の誘引」に当たると解するには、文理上多少の難点があり、独占禁止法の代表的な教科書で、「要するに、従来、自己以外の者と取引していたであろう顧客を、自己と取引するように仕向けることについての規制が、目的とされているのである」と説明しているものもある。なお、原告及び参加人の主張には、損失補填等の動機を法律専門家等に説明して相談し検討させていれば、独占禁止法違反であることが具体的に判明したはずであるとする点があるが、損失補填等の動機は、会社に損害賠償の責任があって適法とされる場合を除けば、通常、顧客の誘引くらいしか考えられないから、損失補填等の動機の説明がなかったために、独占禁止法違反が問題になっていなかったとは考え難い。以上のような状況に照らせば、本件損失補填等を実施するに先立ち、被告らが法律専門家に意見を求めていたとしても、独占禁止法違反であることが具体的に判明したかどうかは、疑わしいといわざるを得ない。

したがって、被告らが本件損失補填等を決定し実施した平成二年一月から平成三年三月までの当時において、本件損失補填等が独占禁止法に違反するという認識を被告らが持つに至らなかったとしても、やむを得ない事情があったというべきであり、右認識を欠いたことについて、被告らに過失があるとまでいうことはできない。

四  争点4(善管注意義務・忠実義務違反)について

1  《証拠略》によれば、本件損失補填等の経緯として以下の事実が認められる。

(一) 日興証券は、昭和六〇年頃から営業特金を中心とした有価証券の売買等による資金運用に係る取引の取引高拡大に努め、多数の法人顧客との間で営業特金勘定取引を行っていたところ、平成元年一二月二六日、本件通達及び事務連絡が発出されたことにより、右取引の正常化が具体的な課題となった。

平成二年一月八日又は九日、経営企画部門担当の専務取締役であった被告幸は、大蔵省証券局業務課長であった水谷英明に面談して本件通達の趣旨を尋ね、本件通達・事務連絡の主眼が営業特金の早期の全面的な解消にあると理解し、その旨を社長の被告岩崎及び営業企画部門担当の専務取締役であった被告高尾に報告した。そこで、被告岩崎は、平成二年一月八日ないし一〇日の間に被告高尾及び同幸と協議して、日興証券においても営業特金取引の全面的解消を図ることとし、被告高尾は、営業企画副担当兼営業企画部長であった被告平石に対して、本件通達の主眼が営業特金の解消にあり、日興証券としても、本件通達の趣旨に則り早期に全面解消する方針となったから、被告平石が中心となってその作業にあたってもらいたい旨指示した。

被告平石は、事業法人資金運用本部長であった被告曽我部、金融法人資金運用本部長の被告山下、金融法人本部長の被告須田、事業法人本部長の被告森本、同副本部長の被告高塚、大阪駐在取締役の被告大橋、大阪支店長の被告城所、名古屋駐在兼名古屋支店長の被告加藤、営業本部長の被告副島、企業本部長の被告金井といった営業特金を担当している本部長等に対して、本件通達の主眼が全面的な特金の解消にあること、日興証券としても早期に全面解消を図る結論となったので、これに対応すべく、担当している特金の取引内容及び運用成果、会社と顧客との関係特に顧客の重要度等について調査し、顧客と解消に当たっての交渉を行うこと、交渉の過程で解消に問題があった場合の対処について検討し、被告平石に報告することを口頭で指示した。これに対し、本部長等からは、株式市況の悪化により運用成績が上がっていないことから、顧客との取引関係を維持しながら営業特金を解消することはなかなか困難であること、解消を円滑に進めるためには、日興証券として、何らかの誠意を示す必要があること、顧客から他の証券会社も何らかの措置を講じるとの話を聞いており、会社として何とか対処してほしいといった回答が寄せられた。

右連絡を受けた被告平石は、被告高尾及び同幸と協議したところ、会社として組織的に対応する必要があると判断し、経営連絡会(会長、副会長を除く社長以下の代表取締役、株式本部長等の取締役で構成し、会社の経営の基本方針、戦略、営業推進上の重要課題について討議し、社内のコンセンサスを積み上げるための常設機関)において対応策を協議することとした。平成二年一月一六日、被告岩崎、同副島、同大橋、同神崎、同高尾、同須田、同幸、同白川ら及び説明者として被告平石が出席して経営連絡会が開かれ、右会議において、営業特金の早期の全面的な解消を図ること、顧客との取引関係をできるだけ維持しながら、円満に解決していく方法を探ること、そのために必要があれば、損失補填等を行うこともやむを得ないこと、具体的な解決策は営業企画部門に一任することが決定された。

右経営連絡会における決定を受け、同月二二日に開催された取締役会(被告城所を除く被告ら一九名を含めた三五名の取締役が出席)において、被告高尾は、本件通達等の主眼が営業特金の解消にあり、会社としては営業特金の解消に全力を尽くすことにしたいこと、具体的な対応策は営業企画部門に一任してもらいたいことを諮り、了承を得た。

(二) 被告高尾及び同平石は、右経営連絡会の決定及び取締役会の了承を踏まえ、営業企画部を中心として、営業特金の早期全面的解消に努めたが、事業法人営業本部長等顧客を担当する本部の本部長と協議した結果、顧客との折衝の結果やむを得ないものについては、損失補填等を行うことが必要であると認め、被告石井(常務取締役株式本部長)や被告脇田(常務取締役資金債券本部長)の協力も得た上で、平成二年一月から同年三月にかけて、三九社に対し、合計二三六億円の損失補填等を行った。

平成二年四月二六日開催の取締役会において、被告白川を除く被告ら一九名を含めた三六名の取締役が出席し、第四九期(平成元年四月一日から平成二年三月三一日まで)の計算書類及び附属明細書を承認したが、右決算報告に際し、被告幸は、売買損益の中に営業特金の解消を図るための損失補填等にかかる支出が含まれていることを報告し、異議なく了承された。

(三) 平成二年五月一〇日の取締役会(被告神崎及び同白川を除く被告ら一八名を含めた取締役三七名が出席)において、被告高尾は、同年三月までの間に営業特金の解消を図ってきたが、株式市況の暴落等もあって、運用成果が悪化し、顧客との折衝も難航していること、日興証券として引き続き営業特金の解消を図るとの基本方針の下に取り組むが、場合によっては、会社として出捐することもありうることを諮って、了承を得た。

そして、平成二年五月の役員異動により取締役副社長法人営業管掌となった被告須田、取締役副社長営業企画管掌となった被告高尾、取締役副社長営業管掌となった被告副島、取締役副社長経営企画管掌となった被告幸及び常務取締役営業企画担当となった被告平石が協議して、同年三月までに解消できなかった営業特金等につき引き続き全面的解消を図ることとし、被告須田らは、被告高塚(取締役事業法人営業本部長)、同森本(常務取締役第一事業法人本部長)、同鈴木(常務取締役第二事業法人本部長)、同白川(専務取締役金融法人営業本部長)、同山下(取締役金融法人営業本部副本部長)、同大橋、同城所、同加藤及び同金井とも協議を重ねた上、商品部門の担当であった被告石井及び同脇田の協力を得て、平成二年五月から平成三年三月にかけて三八社に対し、合計二三四億七五〇〇万円の損失補填等を行った。

平成三年四月三〇日に取締役会が開かれ、被告曽我部(平成二年五月三一日取締役辞任)及び被告石井を除く被告ら一八名を含めた三三名の取締役が出席し、第五〇期(平成二年四月一日から平成三年三月三一日まで)の決算書類を承認したが、その際、経理担当の取締役は、売買損益の項目の中に損失補填等に係る支出が含まれている旨を説明し、被告平石は営業特金が全て解消した旨を報告して、了承を得た。

2  本件利益提供の相手先である顧客と日興証券との取引状況、利益提供を行うに際し考慮された事情等として、次のような事実が認められる。

(一) 小野田ファイナンス株式会社は、小野田セメントが一〇〇パーセント出資する子会社で、同社の資金運用を主たる目的とする金融会社である。日興証券は、小野田セメントの引受主幹事会社であり、昭和五八年一〇月から本件利益提供がなされる頃までに、同社から約五億八〇〇〇万円の手数料等の収益を受けてきた。本件利益提供以後平成八年三月までに小野田セメントから受け入れた手数料等収益の額は、約一億八八〇〇万円である。

引受主幹事となった証券会社は、引受数量が多く引受手数料が多く受けられる、引き受けた証券を自社の顧客に多く販売できる、買付けた顧客が証券を自社を通じて売却することによる手数料が期待できるといった直接の経済的利益を享受することができ、また、企業の証券に関する総合アドバイザーの役割を果たすことにより、企業の信頼も厚くなり、以後のファイナンスの際における主幹事の獲得にもつながり、他の企業の引受けを獲得する際にも有力な支援材料になるなどの利益もあり、主幹事の地位を維持することは証券会社にとって極めて重要であるが、小野田ファイナンスのほかにも、本件損失補填等の相手先の中には、日興証券が相手先又はその親会社の主幹事であるものが、多数含まれていた。

(二) 九州旅客鉄道株式会社は、民営化直後の昭和六二年から日興証券と取引があり、本件利益提供の頃までの間に約二億〇七〇〇万円の手数料等の収益を受けてきた。同社の営業特金の資金は、経営基盤の弱い民営化後の同社にその運用益によって収益を確保させるため国鉄清算事業団から支給された経営安定基金であり、その資金運用による収益が期待どおりに上がらない場合、経営悪化のおそれがあって、同社の資金運用につき、系列会社を含めた日興証券との取引が維持できないことが予想された。

本件利益提供以後平成八年三月までに九州旅客鉄道から受け入れた手数料収益の額は、約一億七〇〇〇万円である。

(三) 住友生命保険相互会社は、日興証券とかなり以前から取引がある機関投資家であり、日興証券へのブローカー業務の発注量は大きく、昭和五八年一〇月以降に限っても、本件利益提供がなされる頃までの間に約九三億八九〇〇万円の手数料等の収益をもたらしてきた。日興証券にとって、ブローカー業務の主要顧客である住友生命との関係が悪化すれば、他の機関投資家にも伝播し、会社の存立基盤に影響することが予想された。

本件利益提供以後平成八年三月までに住友生命から受け入れた手数料等収益の額は、約九〇億五六〇〇万円に上る。

(四) 西日本銀行も、日興証券が引受幹事を勤める取引先で、日興証券福岡支店の主要顧客であり、昭和五八年一〇月以降本件利益提供がなされる頃までの間に約五億九二〇〇万円の手数料等の収益をもたらしていた。同銀行は、福岡地区の有力な会社や個人と深い取引関係にあるなど、地域経済に多大な影響力を有しており、同銀行との関係が悪化すれば、北九州地区における円滑な営業推進が事実上困難になるおそれが強かった。

本件利益提供以後平成八年三月までに西日本銀行から受け入れた手数料等収益の額は、約一一億九六〇〇万円である。

(五) 中国銀行も、日興証券が引受幹事を勤める取引先で、日興証券岡山支店の主要顧客であり、昭和五八年一〇月以降本件利益提供がなされる頃までの間に約一六億〇六〇〇万円の手数料等収益をもたらしていた。同銀行も、西日本銀行と同様、有力な地方銀行であり、同銀行との取引関係を維持する必要性は、西日本銀行の場合と同様であった。

本件利益提供以後平成八年三月までに中国銀行から受け入れた手数料等収益の額は、約一五億九〇〇〇万円である。

(六) 公立学校共済組合は、昭和四三年頃から日興証券と取引がある機関投資家であり、昭和五八年一〇月以降に限っても、本件利益提供がなされる頃までの間に、証券取引により約三九億四一〇〇万円の手数料等の収益をもたらしていた。同共済組合の資金は、退職金、年金の支給原資になるもので、その運用において一定の成果があがることが前提となっており、退職金、年金の支給に支障が生じると社会問題にもなりかねず、他の共済組合に対する影響も十分に懸念された。さらに、公的年金は年々増大し、これに伴い証券による運用額も拡大すると見込まれ、系列会社を含む日興証券グループに多大な収益をもたらすことが期待されていた。

本件利益提供以後平成八年三月までに公立学校共済組合から受け入れた手数料等収益の額は、約二二億九八〇〇万円に達している。

公立学校共済組合については、平成二年六月一五日に確認書を徴求しながら、その後にも利益提供を行っているが、同組合との間では日興国際投資顧問と運用一任契約を締結するよう交渉していたところ、同年三月期に、とりあえず若干利回りが生じるようにして欲しいとの同組合の希望に副って利益提供を行った上、さらに交渉が継続し確認書徴求後も実際には営業特金が解消されずにいたこと、株式市況がさらに悪化する中で同組合と交渉を重ねた結果、従前の運用成績が収支バランスするなら日興国際投資顧問と運用一任契約を締結してもよいとの回答を得て、概ね収支バランスするよう利益提供を行って、営業特金を解消するに至ったこと、そして、平成三年八月に実際に日興国際投資顧問との運用一任契約が締結されたことが認められる。

3  取締役の有する会社経営上の裁量権については、一定の限界があることはいうまでもなく、故意に法令に違反する行為は、経営裁量の範囲を超えると解すべきである。しかし、本件損失補填等の場合、前述のように、平成三年改正前の証券取引法五〇条一項三号に違反せず、また、独占禁止法一九条違反については、過失も認められないのであるから、法令違反の故をもって、被告らの行為が経営裁量の範囲を超え、善管注意義務違反ないし忠実義務違反があるとすることはできない。

次に、本件通達及び公正慣習規則において、事後的な損失の補填や特別の利益提供を厳に慎むこととされたのに、被告らが本件損失補填等を行い、証券投資における自己責任の原則を蔑ろにし、証券取引の公正さに対する信頼を害したことは、社会的に強い非難に値する。日興証券が、前記各制裁を受けたのは、この観点から当然とされよう。しかし、右の点は、前述のように法令違反とはいえない。そして、このように法令違反ではなく社会的相当性を欠くにとどまる行為については、場合により善管注意義務・忠実義務違反を認める一要素になることがあり得るとしても、当然に取締役の経営裁量の範囲を超え、それだけで直ちに善管注意義務・忠実義務違反が成立することになると解すべきではない。取締役は、利益の追求のみに目を奪われ、会社運営の適正を確保する義務を怠ることがあってはならないが、社会的に不相当な行為を避ける義務に違反することと、商法二六六条一項五号に基づき会社に対する損害賠償責任を取締役に負わせることとは、直結するものではない。利益の追求のみに走ってはならないとはいえ、会社が営利法人であり、会社・株主の経済的利益を最大にするよう努めることが取締役の最も重要な義務であることはいうまでもないところであって、善管注意義務違反ないし忠実義務違反が商法二六六条一項五号の「法令違反」に含まれるという解釈が採られるのも、会社に経済的損害を与えないための一般的な義務に対する違反を、取締役の会社に対する損害賠償の責任原因とする必要に基づくものと解される。こうした考え方が妥当とされる根拠としては、社会的相当性を欠く行為がそのまま責任原因になるとすると、主観的・客観的非難の程度と損害賠償額とがかけ離れたものとなる場合があり得るのに対し(ちなみに、故意に法令に違反する場合は、取締役の行動準則も明確であり、主観的・客観的非難の程度も重い)、発生する損害との関係で責任原因を構成すれば、右のバランスがよりよく図られることになると思われる点も、挙げることができよう。取締役の会社に対する責任を定めた商法の規定には、会社が被った損害を回復するという経済的目的だけでなく、会社運営の適正を確保する趣旨も含まれているとはいっても、取締役の会社に対する損害賠償責任の成立という法的効果の観点を離れて、これを考えることは相当ではない。

したがって、被告らが本件損失補填等を行ったことが善管注意義務違反ないし忠実義務違反になるかどうかを判断するについては、会社の受ける経済的利益や損害を考慮することが不可欠であり、むしろ、この点こそが主要な判断の基準になるというべきであって、本件通達及び公正慣習規則に反した点は、経済的利益の程度等との関係で、付随的に考慮されるにとどまるものと解すべきである。

4  本件通達の主眼が営業特金の解消にあると被告らが理解したのは、本件通達の趣旨の誤解ではないかとの疑問が、原告及び参加人から提起されている。この点に関しては、被告幸が面談した水谷業務課長が死亡しているため、被告幸がどのような説明を受けたか、正確なところは確定し難いが、営業特金は証券会社に事実上運用を一任するものであり、本件通達及び事務連絡に従って投資顧問契約が締結されたものとしたり、売買一任勘定取引等を行わない旨の確認書を徴求することは、結局のところ、営業特金を解消することにほかならないとの理解が出てくるのは、とくに異とするに足りないし、本件通達を契機として、各証券会社が営業特金の全面的な解消に動いたことからも、被告らの右理解が誤りであったと断定することはできない。

本件損失補填等を決定・実施するについての調査・検討が不十分であったとする原告及び参加人の主張については、前記認定のとおり、被告らは、取締役相互間において相当の協議を重ね、取締役会の了承も得ていること、判断の前提とすべき資料・情報の収集・提供に関しても、日興証券の取締役である被告らが、営業特金の実態、本件通達の発出や公正慣習規則の改正、損失補填等の持つ意味、会社の経営状況等、損失補填等を行うかどうかの判断をするに際し考慮すべき重要な事実について知らなかったとは考え難いことなどからして、手続的な瑕疵の故をもって、本件損失補填等の決定・実施を善管注意義務違反とするまでの事由は認められない。具体的な利益提供先・額の決定が、一部の取締役に委任された点も、右決定が顧客との交渉によらざるを得ないものであったことからすると、やむを得ない面があったものと認められる。

5  原告及び参加人は、損失がないのに、あるいは損失額を超えて本件利益提供がなされた点をとくに問題とし、本訴請求を行っている。しかし、損失額の範囲内にとどまるものも、そうでないものも、自己責任の原則に反する利益の提供であることに変わりはなく、平成三年改正後の証券取引法が、損失の補填と利益の追加を区別せず、同一の罰則を科していること(同法五〇条の二第一項二、三号、一九九条第一号の五[なお、現行法は五〇条の三第一項二、三号、一九九条第一号の六])も考慮すると、損失がないのに、あるいは損失額を超えてした利益提供と損失額の範囲内のそれとを法的に区別し、前者が後者に比較して格段に悪質であるとするまでの理由はない。

また、公立学校共済組合に関して、確認書徴求後に利益提供を行った点は、前記認定のように、確認書徴求時、未だ実際には営業特金は解消されていなかったのであるから、営業特金解消の必要がないのになされた利益提供ではない。

6  前記認定のとおり、本件利益提供先は、いずれも、これまでの取引を通じ日興証券に多額の利益を現にもたらし、今後ももたらすことが予測された営業上重要な顧客であって(現実に、本件損失補填等の後、提供利益額を超える手数料等収益を会社にもたらしている。)、これらの顧客を失うことは、直ちに、日興証券に対し多額の損失を与える蓋然性が高かった。会社ないし法人の性格等から、利益提供を行わずに円満に営業特金の解消に応じてもらうことが困難と考えられる顧客が含まれていたことも、前記認定のとおりである。

右のように、本件利益提供にかかる顧客との取引が継続されないことにより会社が受ける蓋然性のあった経済的損失と、取引が継続されることにより会社に予想された経済的利益が、ともに極めて大きかったことに鑑みると、商法二六六条一項五号の「法令違反」としての善管注意義務・忠実義務違反の趣旨に関して前述した見地からは、営業特金の解消が大蔵省の意図するところであると理解した被告らが、取引関係を維持しつつ営業特金を解消するために決定・実施した本件利益提供については、損失補填等を厳に慎むこととした本件通達の発出及び公正慣習規則の改正を被告らが認識していたという点を考慮しても、被告らの取締役としての損害賠償責任を成立させる善管注意義務違反ないし忠実義務違反があると認めることは相当でないと考えられる。

五  結論

よって、原告の本訴請求及び参加人の参加請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金築誠志 裁判官 池田光宏 裁判官 武笠圭志)

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