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東京地方裁判所 平成5年(ワ)15606号 判決 1996年5月17日

原告

水野昭夫

右訴訟代理人弁護士

荒竹純一

本山信二郎

千原曜

清水三七雄

大久保理

河野弘香

船橋茂紀

被告

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

中西正和

右訴訟代理人弁護士

井波理朗

太田秀哉

被告

社団法人日本医師会

右代表者理事

村瀬敏郎

右被告両名訴訟代理人弁護士

奥平哲彦

手塚一男

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告東京海上火災保険株式会社(以下「被告会社」という)は、原告に対し、金一三八一万六六〇七円及びこれに対する平成四年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告に対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する平成四年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (保険契約)

(一) 原告は、昭和五〇年に被告社団法人日本医師会(以下「被告日本医師会」という)A会員(個人会員)となり、肩書住所地において内科及び精神科の治療を目的とする若草病院を開設している医師である。

(二) 被告日本医師会は、被告会社、安田火災海上保険株式会社、大正海上火災保険株式会社、日本火災海上保険株式会社及び住友海上火災保険株式会社との間において、次のとおりの日本医師会医師賠償責任保険(以下「日医医賠責保険」という)を締結している。

(1) 契約者 被告日本医師会

(2) 保険者 被告会社を含む前記保険会社五社

(3) 被保険者 日本医師会A会員

(4) 保険金の支払 ① 被保険者が、他人の身体の障害(障害に起因する死亡を含む)又は財物の滅失、毀損若しくは汚損につき、法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害をてん補する。

② 被保険者が、医療行為(被保険者が自ら行ったか否かを問わない)に起因する他人の身体の障害(障害に起因する死亡を含む)につき、保険期間中に損害賠償を請求されたことによって被る損害に限り、これをてん補する。

(5) 幹事会社 被告会社が日医医賠責保険の保険金支払その他対外的保険業務を担当する。

2  (本件事故の発生)

(一) 甲野秋子(昭和四六年一月一一日生。以下「秋子」という)は、昭和六二年一月一四日から若草病院で診療していた精神分裂病の患者として、同病院に入院するなどして薬物療法、生活指導及び作業療法を中心とする治療を受けていた者である。

(二) 原告及び同病院の担当医は、平成四年二月一二日、軽作業を終えた秋子に対し、同日午後三時から五時までの時間開放を許可したところ、秋子は、外来の患者に「神宮にいい死に場所がある」と話した上、その患者から自転車を借りて外出し、同日午後三時五五分ころ、宮崎市神宮の大宮高校前のマンション一一階から投身自殺をした(以下「本件事故」という)。

3  (本件事故についての原告の過失)

(一) 秋子は、若草病院での初診当初から、近所で「私を刺して下さい」と述べて自殺願望を明らかにし、その後も被害妄想や幻聴が多かった。若草病院の原告ら医師グループは、平成四年一月三〇日、同病院内で勉強会を開き秋子のケースを取り上げて議論し、この場において、担当医から、秋子が「閉鎖病棟の方が落ち着く」と発言しているとの報告を受けたが、これを重要視しなかった。

(二) 原告及び担当医は、秋子に対し、平成四年二月八日から同月一二日にかけて、自宅での外泊を許可したが、そのときの様子は大声で泣くなどかなり症状が悪く、開放処遇を拒絶する反応を見せており、同月一一日午後五時三〇分ころ、予定より一日早く若草病院に戻ってきた。

秋子は、同月一二日には、軽作業(便所掃除)を行ったものの、その後、開放病棟でのプログラムから無断で離脱し、デイケア(日中だけ病院に通って作業療法を行うことを中心とした治療)のプログラムに混入して行動するなどし、また、看護婦詰所に出向いて、「どうして人間に生まれてきたんだろう」等と言っていた。

原告及び担当医は、右のように秋子の症状が悪化し、閉鎖的な環境を望むという状態で本件病院に戻ってきたにもかかわらず、これを放置し、また、この点を明らかにした秋子の母甲野春子の外泊経過報告書に目を通さずに時間開放の許可をした。

(三) したがって、原告及び担当医は、秋子が右のとおり予定よりも早く病院に戻ったのであるから、これを患者が開放病棟よりも閉鎖病棟を求めるという心理状態、すなわち自己抑制が不能であることに対する不安感に駆られていることの徴表と見るべきであり、精神科医として、その原因を追及して、これに対する適切な処遇又は治療を行うべきであったにもかかわらず、これを漫然と放置し、しかも外泊経過報告書を検討することもなく放置した過失がある。

また、秋子が翌日の開放病棟のプログラムを離脱し、デイケアのプログラムに混入するなどの行動を採っているにもかかわらず、病院関係者がこれに気付かず、しかも、看護婦詰所において自殺をほのめかす言動をしていたにもかかわらず、これを認知した看護婦はこれを原告又は担当医に報告することなく、漫然放置した過失がある。

加えて、担当医は、秋子の右のような症状や言動を認識することなく、漫然と時間開放を行った過失がある。

4  (損害)

(一) 秋子は、本件事故により次の損害を被った。

(1) 受水槽賠償費用

三八一万六六〇七円

秋子の投身自殺により前記マンションの受水槽が破損され、この損害のてん補に三八一万六六〇七円を要する。

(2) 逸失利益一五二四万五七三九円

秋子は、死亡当時二一歳の女性であり、精神分裂病に罹患していたとはいえ、症状が安定すれば単純な労働を行うことは可能であったから、その労働能力は健常者の五〇パーセントであった。

よって、二一歳の全女子労働者の平均給与収入は年額二四三万六二〇〇円(平成四年賃金センサス)であるところ、秋子が生きていれば就労可能年齢とされている満六七歳までの四六年間は就労可能であったから、生活費として三〇パーセントを控除し、中間利息の控除につきライプニッツ式計算法(ライプニッツ係数は17.880)を用い、これに秋子の労働能力五〇パーセントを乗じて死亡時の逸失利益を算定すると、次のとおり一五二四万五七三九円となる。

243万6200円×0.7×17.880×0.5=1524万5739円

(3) 精神的損害 一八〇〇万円

秋子の被った精神的損害を慰謝するには、原告の過失を考慮すると、一八〇〇万円が相当である。

(二) 秋子の父甲野太郎及び母春子は、葬式費用として合計二〇〇万円支出し、これと同額の損害を被った。

5  (相続)

太郎及び春子は、平成四年二月一二日、それぞれ二分の一の相続分で秋子の地位を相続した。

6  (損害賠償請求)

太郎及び春子は、原告に対し、本件事故直後、4(一)(2)及び同(3)並びに4(二)の損害賠償請求権の内金として一〇〇〇万円の支払を請求した。

7  (原告の賠償の履行)

原告は、平成四年四月一三日ころ、原告の損害賠償義務の一部の履行として、4(一)(1)の損害について、前記マンションの管理会社に対し、太郎及び春子に代わって三八一万六六〇七円を支払った。

8  (被告らの不法行為)

本件事故は、被告らが保険金を支払い、太郎及び春子の損害をてん補すべき事案であったところ、賠償責任審査会は、日医医賠責保険の一方当事者である被告らの設置した調査委員会の調査に基づき、本件事故における原告の過失について実質的審理をすることなく、平成四年一二月一一日、秋子の自殺を防止することは予知し得なかったとして、原告の診療経過における医師としての過失を否定する回答をした。

被告らは、右回答に基づき、原告の被告らに対する被害者救済の要望を拒否し、保険金の支払をしなかったため、原告は良心的医療意欲を失わされ、精神的損害を被ったところ、この損害を慰謝するには少なくとも一〇〇万円の支払を受けることが必要である。

9  (要約)

よって、原告は、被告会社に対し、保険契約に基づき、三九〇六万二三四六円のうち原告が損害賠償を履行した4(一)(1)の損害賠償責任額三八一万六六〇七円と、4(一)(2)、(3)及び同(二)の損害賠償金のうち死亡による責任額三五二四万五七三九円のうち一〇〇〇万円の合計一三八一万六六〇七円及びこれに対する平成四年二月一三日(原告の不法行為の日の翌日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告ら各自に対し、不法行為に基づき、一〇〇万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成四年一二月一二日から支払済みまで前同様の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)及び(二)の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は知らない。

(二)  同2(二)の事実のうち、秋子が死亡したことは認め、その余は知らない。

3  同3及び4の各事実はすべて否認する。

4  同5の事実は知らない。

5  同6及び7の各事実はいずれも認める。なお、日医医賠責保険は、保険事故により被保険者の責任(損害額)が確定した限りにおいて保険金を給付する責任負担型の保険であるが、原告と太郎及び春子の間で本件事故に関して賠償額を含めた賠償責任の確定はなされていない。

6  同8の事実のうち、賠償責任審査会が若草病院の医師に責任がないとの結論を出したこと及び被告らが保険金の支払をしなかったことは認め、本件事故が太郎及び春子の損害をてん補するため保険金を支払うべき事案であることは否認し、その余は知らない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  前提となる事実

請求原因1(一)及び(二)の事実、秋子が死亡したこと並びに同6及び7の各事実はいずれも当事者間に争いがない。右争いのない事実に甲第三号証から第七号証まで、第九号証から第一二号証まで、第一四号証から第三三号証まで、乙第一号証から第三号証まで、第六号証から第一四号証まで[以上についてはいずれも枝番号を含む]、証人櫻井芳樹の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、若草病院を開設し、内科及び精神科の医療業務を行っていたが、同病院の精神科の規模は、入院患者定床一三四床であり、職員総数は、常勤医師三名と非常勤医師として宿直医が七、八名、心理療法士五名、ケースワーカー四名、作業療法士二名、看護職員七十数名であり、平成二年当時、患者三人に対し看護職員一名を擁する等の特1類看護に該当する医療体制であった。

当時の精神病院の看護体制は、基準看護を満たさない病院が半数近くにのぼっており、特1類以上の看護体制を持つ病院は全体の五パーセントあまりにすぎなかった。

2  原告及び若草病院の医師らは、精神病患者の治療に当たり、患者本人の人権を守る必要及び治療効果の点から、開放病棟での治療及び閉鎖病棟入院患者に対する時間的場所的限定の下での開放処遇を可能な限り実践することを心がけ、その前提として、①開放病棟と閉鎖病棟を一つの病棟単位で扱い、家族療法、心理療法及び作業療法を積極的に取り入れるなど治療者と被治療者の人間関係を常に良好にしておくこと、②看護者の勤務引継の時にミーティングを行い、勉強会(症例検討会)を開くなど十分な症状観察を行い、治療者間の情報交換を密接にすること、③病棟スタッフだけで不足する場合には他の病棟から応援を得たり、医師、看護職、心理療法士、ケースワーカー及び作業療法士からなる治療チームを機能的に動けるように構成するなど症状変化に対して即刻対応できるような医療体制を作っておくこと、などの点に留意して治療に当たってきている。

3  秋子の母春子は、昭和六二年一月一四日、秋子に不眠や強迫症状があり、混乱がみられるとのことで、当時原告が開設していた若草病院を初めて受診し、睡眠薬の処方を受けた。その後、秋子は、往診を受けた後、同月一八日、原告の診察を受けた。原告は、「自分は悪魔、隣りの人を苦しめている、テレパシーで自分には超能力がある」、「私を刺してください」等との秋子の言動から、同女が精神分裂病に罹患していることは明らかであると判断したが、診断名としては、心因反応とし、入院を指示した。秋子は、同日、同病院に入院し、同年四月ころから、櫻井芳樹医師が主治医となり、破瓜型の精神分裂病との診断の下に、薬物療法、生活指導及び作業療法を受けた。

秋子は、入院後、「死んだ方がまし」、「死刑に連れて行って」、「私は両親を殺しました、超能力で」等と死について口にすることが多かったが、しばらくすると、性的言動や外泊の希望をするようになるとともに、「頭の中におかずがつまっています」と言うようになり、その後は、性的言動や外泊ないし退院の希望が多くなって、死について口にすることは少なくなり、同年八月ころから外泊を許可されるようになったが、「死にたい」等との言動も時折見られた。秋子は、平成元年七月一日に症状が軽快したので、退院を許可された。

4  秋子は、退院後、通院及びデイケアにより診療を受けていたが、その間、「人が自分のことを悪く言っている」と発言するなどの被害妄想及び近所で電気カンナの音がすると、「誰々さんが機械ロボットにする」と発言するなどの関係妄想(他人の行為などに意味をつけて、自分に関係があるように誤った関係づけをする妄想)などの症状を示し、さらに、平成元年八月には母春子の仕事先に電話して「死にたい」と訴えたり、同年九月には「父さんだけ相手にしろ」等の幻聴、「お父さんが強姦する、写真を撮って、強姦している写真を売り飛ばす」等の妄想言動の症状を示した。

5  秋子は、同年一〇月二一日、若草病院に再び入院し、前回同様の治療を受け、月一回程度の外泊を許可された。

秋子は、再度の入院後、「私は妊娠している」、「男に強姦されている」、「看護婦が体の血を抜く」、「おかずが頭のなかに入る」等の幻覚及び妄想や、「自分が夜這いに行くと皆が思っている、行動で分かる」等の関係妄想の症状を示し、また、「死んだ方がまし、どうして人間に生まれたんでしょうか」、「人間なんかに生まれて来なければよかった」等と漏らしていたほか、泣き顔で看護婦詰所を訪れたりするなど感情失禁を見せることもあった。

6  櫻井医師は、その間、秋子の状態に応じて、状態が変化すれば報告を要するとの条件付で時間開放を許可したり、外泊を許可したりし、秋子の状態によっては、秋子が希望しても時間開放や外泊を許可しない場合もあった。

なお、これらの開放許可は、櫻井医師の包括的許可に基づき、看護者が具体的に判断して秋子に与えるものであった。

秋子は、外泊したときにも、理解できない話をしたり、大声で泣きわめいたりすることがあり、夜間に帰院する予定を午前中に帰院することもあった。

秋子は、平成二年一一月から開放病棟に移されたが、その後も、「頭の中におかずが入る」等の妄想や感情失禁がしばしば見られ、「私もう死にます」、「どうして人間に生まれたんですか」等と自殺念慮を示す発言も見られた。

7  秋子は、平成三年六月ころから退院を希望するようになったので、櫻井医師は、とりあえず開放病棟で様子を見た上で、秋子の希望に沿う治療方針を採ってみることを考えた。

そこで、櫻井医師は、秋子の状態に応じ、一時的に再び閉鎖処遇を用いるなどしたが、秋子は開放処遇となったときにはたびたび閉鎖病棟での処遇を希望した。櫻井医師は、秋子の希望に従った治療をするため、同年一一月九日の家族面接において、秋子について一か月入院し、一か月自宅で療養することを提案したところ、母春子から平成四年三月末で仕事を辞めて、秋子を自宅で療養させたいとの返事があり、その試験の意味で何度か外泊を繰り返してみることとした。

秋子は、平成三年一一月に開放病棟から閉鎖病棟に移された後、時には自ら保護室に入ったり、時には時間開放を希望したりした。櫻井医師は、秋子の時間開放の希望に対し、軽作業への従事を促したり、軽作業を行えば時間開放を許可すると指示したこともあり、また、時間開放の場合に、秋子がほどなくして閉鎖病棟ないし保護室に帰ることも少なくなく、時間開放に前後して感情失禁がみられることがあった。

秋子は、同年一二月二一日から同月二三日まで、同月三一日から平成四年一月二日まで及び同月二五日から同月二六日まで外泊したが、春子は、その間の秋子の状況として、「睡眠は不規則で、洗面や身だしなみは気にせず、食事は気の向いたときでないと食べない、自分の好きなことだけしかしない、ときどき訳の分からないことを言う、不安を訴える、外泊をあまり喜ばない、入院生活について閉鎖の方が落ちつく、病院にいれば落ちつくあるいは看護婦さんたちがやさしいと言っている、平成三年一二月三一日からの外泊中はイライラしていた」等と記載した外泊経過報告書を提出した。

8  若草病院の医師らグループは、平成四年一月三〇日、秋子について勉強会を開き、この場において、同年三月に退院させるとの話に合わせて同年二月からのデイケア導入を目標としているが、秋子の状態は妄想的な言動は少し減ってきているものの、周囲にイライラをぶつけているようであり、一方的な交流しか持てないため、デイケア導入は困難であるとの問題意識の下に、質疑応答が行われた。

右質疑応答においては秋子の平成三年一二月三一日から平成四年一月二日までの外泊状況が報告され、患者の一人につきまとって嫌がられたり、秋子に代理母的な役割の看護婦を担当させたところ、秋子が右看護婦につきまとって離れないなどの問題点が指摘されたが、今後の具体的治療方針についての結論は出されなかった。

9  秋子は、平成四年一月三〇日、看護婦に対し、「閉鎖病棟の中の保護室に入れてくれ」と希望し、同年二月三日、看護婦に対し、「もう死ぬわ」と漏らしていた。また、櫻井医師は、同月六日には、秋子から、「私は人間に生まれるべきではなかった」、「頭の中におかずが入ってくる」等との話を聞かされたが、四階のテレビの前での時間開放の許可を出し、この許可に基づき、同日及び同月七日、秋子に時間開放の許可がなされた。

10  秋子は、同年二月八日から同月一二日までとの予定で外泊したが、同月一一日午後五時三〇分ころ帰院し、その時の表情は良好であった。春子は、その間の秋子の状況として、以前の外泊時と同様の状況のほか、「大声で泣くが、泣く時間が短い」と記載した外泊経過報告書を提出した。

秋子は、同月一二日、軽作業(便所掃除)終了後、看護婦詰所において、「どうして人間に生まれたんだろう」との話をしていた。

11  若草病院の看護士弓削は、同日、同月六日の櫻井医師による前記時間開放許可に基づき、右軽作業を終えた秋子に対し、午後三時から午後五時までの時間開放を許可した。秋子は、時間開放の許可の範囲である四階のテレビの前から離れて、デイケア室に立ち寄り、知合いの外来患者に「神宮にいい死に場所がある」と話した上、その患者から自転車を借りて外出し、同日午後三時五五分ころ、前記マンション一一階から投身自殺をした。

12  原告は、平成四年四月九日ころ、秋子の父太郎から一〇〇〇万円の損害賠償請求を受け、右請求は妥当なものと考えて宮崎県医師会に本件事故を報告した。被告日本医師会は、同年八月、本件事故について宮崎県医師会から付託を受け、調査委員会においてその調査を行い、賠償責任委員会に対し審査請求を行った。賠償責任委員会は、同年一一月、審議の結果、本件事故について、「精神分裂症患者の自殺を一〇〇パーセント予知することは困難であり、診療経過において医師に過失とすべき点は見当たらない。従って、医師に責任ありとはいえない」として若草病院の医師に責任はないとの結論を出し、同年一二月一一日、被告日本医師会から宮崎県医師会にその旨の通知がされた。

二  若草病院の医師らの過失について

1  原告は、秋子の自殺を予見できたとする理由として次の点を上げ(甲第二五号証、本人尋問)、櫻井医師も、原告の陳述書の誤りを正すほか、同様のことを述べる(甲第二六号証、証人櫻井)。

(一)  秋子が平成四年一月三〇日櫻井医師に対し、「閉鎖病棟の中の保護室に入れてくれ」と言っており、当時開放病棟に居た秋子のこのような発言は、他人が大勢居たのでは不安であることを示し、臨床的に極めて重大なものと受け止めるべきであった。

(二)  秋子は、同年二月三日午後一〇時看護婦に対し、「もう死ぬわ」と話す状態であったことが看護記録に記載されている。看護婦は、このことを担当医師に伝えるべきであったし、担当医師も看護記録に注意すべきであった。

(三)  秋子は、同月六日回診中の櫻井医師に対し、「私は人間に生まれるべきではなかった」、「頭の中におかずが入っている」などと言っていた。これは、「生きて居たくない」、「死にたい」との訴えであると診断すべきであった。医師としては、このような発言をする状態の患者は、自殺の可能性が高いと判断して、いつも以上に注意深く診察し、外出を許可するか否か慎重に決定すべきであった。

(四)  しかし、同月六日に秋子は保護室に収容された。同月八日母親が来院したので、九日から一二日までの間の外泊を許可した。

(五)  秋子は、同月一一日午後五時三〇分予定より一日早く帰院した。外泊中何度も感情失禁、症状悪く開放状態を拒絶する反応があったようである。精神病患者がこのような反応を示すのは、自己抑制が効かず、それに対する不安を基因として閉鎖病棟に収容されることを望んでいると考えられる。秋子は、平成三年一二月の外泊時にも「閉鎖病棟の方が落ち着く」という発言をしていた(櫻井医師は、一日早い帰院について、報告を受けなかったが、これは自分のため母が仕事が出来ず、自宅に帰ることに居心地の悪さを感じており、家族の受入れが悪く、家に適合できなかったことを現すと思われる。これは孤独感、虚無感を抱きやすい精神状態で、自殺してもおかしくない状態であったという。)。

(六)  平成四年二月一二日、秋子は、午前一〇時から便所掃除をし、その終了時に看護婦詰所に来て、「どうして人間に生まれてきたんだろう」などと言っていたとのことである。その時点で、この発言を看護婦が担当医師に報告していれば、担当医師は外出許可をせず、自殺は妨げたはずである。しかし、担当医師は、そのことを知らず、当日午後三時から五時までの約束で、外出を許可した。その許可の際、櫻井医師は、秋子を診察せず、母親の外泊経過報告書を見ることもしなかった。看護婦からの報告もなかった(櫻井医師は、自殺しかねない状態にあるかどうかは診察すれば分かると思う、その様な場合、患者の行動に注意をし、時間開放や外出許可はしなかった、適切な報告を受けていれば事前に診察をしており、そうすれば自殺を防ぐことができたと同様のことを述べている。)。

2  しかし、秋子は、二月八日から一一日までについては、外泊を許可され、その間無事過ごして帰院したのであるから、その外泊許可自体には判断を誤った点はないこととなろう。櫻井証人も患者の精神症状が著明になったときには外泊はさせない、秋子についても外泊時に自殺の危険はないだろうと思っていた旨証言しており、二月八日から一一日まで少なくとも精神状態が極めて悪いということはなかったことが窺える。一日早く帰ったとはいえ無事に外泊から帰院していることから見てもそういえよう。

3 本件においては、閉鎖病棟に収容されていた秋子が、時間開放をされている間に外出し、飛び降り自殺をしたというのであるから、少なくとも時間開放が許可されておらず、秋子が外出していなければ、その時の自殺は防ぐことができたということになろう。時間開放をした患者に対しては、それ以上に常時これを監視することまで要求することはできないから、その間に自殺をしても、その間の監視責任を問うことは困難である。そうであるとすれば、時間開放をしたことに過失があるかどうかが、本件の過失判断の内容ということになる。本件の時間開放の許可は、平成四年二月六日の時点において櫻井医師が包括的に出し、後は看護担当者において、問題がないと考えればその包括的な許可の下で適宜の時間を許可する取扱いであったと認められる。

4(一)  原告の陳述書には、いくつかの点で前提とする事実に誤りがあるが(当時秋子が開放病棟に収容されていたとする点、当日秋子に外出許可が出されていたとする点、当日開放許可を出したのが櫻井医師であるとする点など)、その点を修正して、その主張を要約すれば、看護担当者が一日早い帰院を担当医に伝えるべきであるのに、伝えなかったという過失、及び看護担当者が、当日秋子の自殺念慮を現す言動を担当医に伝えるべきであるのに伝えなかったという過失、並びに担当医が、外泊経過報告書を見るべきであったのに見なかったという過失、これらの過失の積み重なりがなかったならば、担当医が秋子を当日診察するという決断が行われたはずであり、診察がされれば、秋子が当時精神状態の悪いことが判明して開放許可が取り消されたはずであり、取り消されておれば自殺はなかったというのが原告の過失の主張である。

(二)  まず第一の過失についてみると、看護担当者は患者に起こったどのようなことでも担当医に伝えなければならないというのでは繁に堪えないから、異常であって治療に当たる担当医が速やかに知る必要があると判断されるような事柄でなければ、これを伝えるべき職業上の義務はないというべきであろう。そうであるとすれば、秋子が外泊から一日早く帰院したことが、そのような異常な事項であったかどうかが問題となる。しかし、外泊経過報告書において秋子が外泊をあまり喜ばない等の記載があることなどからすれば、元々秋子は両親の下に帰るのを何時も望んでいた訳ではなく、むしろ嫌がった場合が多かったというのが実際であったことが窺われる。したがって、一日早く帰院を望んだことがあったとしても、それをもって異常であると捉えることはできなかったと見るべきである。しかも、最近の外泊は、一二月二一日から二三日、同月三一日から翌年二日及び一月二五日から二六日と最大限で三日間であって、四日間に及ぶ例はなかったのである。今回は五日間の予定であったが、四日間外泊したというのであり、従来の例からすれば、珍しく長くもった方である。それだけの期間外泊して帰院するのであれば、たとえ一日は予定より早かったとしても、看護担当者がそれをことさら異常と思わないことは十分考えられることである。外泊経過報告書(甲第二〇号証)を見ても、何かトラブルがあって一日早く帰院したという訳ではないようであり、外泊中の行動を見ても、同報告書には、「大声で泣く」との感情失禁を示す記載があるが、一方で今までに比べて良くなった点として、「泣く時間が短い」との記載もあった。これに加え、帰院時の表情は良好であったというのである。以上のような状況であってみれば、秋子を迎えた看護担当者が、一日早く帰院したことに特別異常を感じず、特にそのことを担当医に報告しなかったとしても、それを過失と捉えることは困難である。

(三)  次に、「どうして人間に生まれてきたのだろう」と看護婦詰所で言ったという事実についても、秋子は、自殺念慮を示す言葉は過去多数回にわたって言っているが、自殺を試みたことはかつてなかったのである(証人櫻井)。原告が言うように特に二月初めからそのようなことを言い、状態が悪化していたというのであれば、担当医が外泊を許可したはずはない。秋子がそれにも係わらず外泊を許され、比較的長期の外泊から無事帰ってきた以上、自殺のおそれは当面ないと思うのは看護担当者としてやむを得ないことであろう。したがって、当時秋子がこのようなことを言ったからといって、秋子の状態がこれまでと異なり、悪化しているとは考えず、このような言動を特に担当医に伝えなかったとしても、それを過失と捉えることはできない。

(四)  担当医が、患者の帰院の都度、外泊経過報告書を一覧するのが望ましいことはいうまでもないが、担当医の職務も多数に上るものであろうから、特に患者の状態について緊急の連絡がないかぎり、看護担当者の観察に信頼して、次回の診察までこれに目を通さなかったとしても、医師としての義務に反するということはできない。それに加え、本件の外泊経過報告書の記載は、前認定のようなものであって、特に従来と異なって、秋子の状態が悪化していることを示すような記述は見当たらなかったのである。櫻井医師がこれを参照しても、臨時に秋子を診察する必要性を感じたであろうと認めるのは困難である。

(五) 以上のように、担当医の診断を引き出せなかった原因であるとする個々の行為自体に過失を認めることができないのであり、そうである以上は、担当医が前記帰院後自殺までの間に秋子を診断しなかったことを過失と捉えることもできない。そうすると、結局のところ、秋子の自殺は予見することができなかったものと言わざるを得ないこととなる。

5  なお、原告本人尋問の結果中には、秋子は、自殺を止めて欲しかった、あるいは閉鎖処遇から時間開放を受けさせて欲しくなかったのかもしれないから、精神科医が秋子と会っていれば秋子の自殺意思が変化したことが考えられるとの供述部分がある。確かに、秋子が自殺する直前にデイケア室に立ち寄り、「いい死に場所がある」と話していることからすれば、秋子が自殺意思を読みとって欲しかったのではないかと考えられなくもない。しかし、これは、秋子の自殺の後に若草病院の医師らに判明した事情であって、平成四年二月一二日に時間開放の許可を得る以前の秋子の言動をもって自殺を企図していることを予見することは、従前から秋子には頻繁に自殺念慮や閉鎖的な環境を望む言動があったことなどに照らして不可能であったというべきである。

また、原告及び証人櫻井は、秋子が平成四年二月一一日に帰院した際、母春子の運転する自動車のハンドルを取ったことがあり、吉野看護士が春子からその旨の報告を受けていたと供述するが、その報告は以下のとおり本件の自殺があってから後に行われたと認められるのであるから、担当医においてこれを事前に知ることはできなかったことが明らかである。

すなわち、原告本人は、その尋問において、吉野看護士が母親から、秋子を帰院させた際にハンドルを取られた件を聞いたとの趣旨のことを述べているが、同時に病院のスタッフがそのことを聞いたのは、自殺があった後であるとの趣旨のことをも述べる。櫻井医師もその証言において、同様にあいまいな証言をしているが、仮に帰院当日吉野看護士がそのようなことを聞いたのであれば、自殺念慮を具体的に行動に表したものであるから、それは重大な事実であり、看護士としてそれなりの取扱いをするものと思われるのに、当日の看護記録には、外泊中感情失禁がみられたとの母親の話は記載しながら、この事実については記載していない。また、櫻井証人は、秋子の死亡当日の午前中、吉野看護士に特に変わったことはないかと聞いたところ、特にないとの返事であったと証言している。これらのことからすれば、同看護士は、そのことを秋子が死亡した後になって母親から聞いたものと認めるのが相当である。反対趣旨の原告本人尋問の結果は、本人の推測を述べるものに過ぎず、右に述べたところに照らし採用できない。

6 以上によると、若草病院の医師らに過失があるとする原告の主張はすべて理由がない。

三  被告らの不法行為について

1  前記一で認定した事実に甲第三ないし第六号証、第九号証、乙第一号証及び第一五号証並びに証人畔柳達雄の証言を総合すれば、被告日本医師会は、平成四年八月、本件事故について宮崎県医師会から付託を受け、これに基づき、弁護士及び医師合計二〇余名からなる調査委員会において、医療事故報告書、紛争経過報告書、診療録及び看護記録について調査を行い、賠償責任審査会に対し審査請求を行ったこと、調査委員会は、調査の結果と調査委員会の意見を記載した報告書を、賠償責任審査会の審査期日の約一週間前に同審査会の委員に提出したこと、賠償責任審査会は、医学関係学識経験者六名と法学関係学識経験者四名によって構成されるところ、同年一一月、審議の結果、本件事故について、「精神分裂症患者の自殺を一〇〇パーセント予知することは困難であり、診療経過において医師に過失とすべき点は見当たらない。従って、医師に責任ありとはいえない」として若草病院の医師に責任はないとの結論を出したことが認められる。

2  以上の事実によれば、被告らは、日医医賠責保険の契約に従い、本件事故について、保険事故に該当するかどうかを審議し、原告に過失がないとの理由で、保険事故に該当しないとして、保険金の支払を拒絶したものと認められ、原告に過失がないとの理由は、前記二で判示したとおり、結論においても妥当なものというべきである。

3  原告は、被告らの調査委員会における調査は、担当医師や遺族に対する事情聴取を実施せず、パターン化した処理になっており、賠償責任審査会においても、調査委員会の調査結果を単に追認するだけであって何ら実質的な審査をしていないと主張する。

しかし、前記1項の認定事実並びに甲第五、第六号証、乙第一五号証及び証人畔柳達雄の証言を総合すれば、本件事故についての調査委員会の調査は、精神科医が担当して事案の概要を整理の上、主に医学上の問題点について議論をし、原告提出の意見書によって提起された問題点を検討して調査結果を出しており、担当医師や遺族に対する事情聴取を行ってはいないものの、これは、必要な調査は都道府県医師会を通じて行う必要があり、当事者から直接事情聴取を行うことは事実上困難であることによるものであること、賠償責任審査会の審議は、一件当たり平均一〇分程度の時間的余裕しかないが、調査委員会の調査結果は、右審議期日の約一週間前に報告されていること、賠償責任審査会の審査結果は被告日本医師会が付託を受けてから三か月以内に出すことを目途としていることが認められる。

これらの事情を総合して考えると、調査委員会における調査結果を基礎とした賠償責任審査会の審査は、調査委員会及び賠償責任審査会が、調査能力面と時間面での制約の下で、可能な限りの調査及び審査を尽くしたものというべきであり、何ら実質的な審査をしていないとの原告の主張は理由がない。

四  よって、原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官安浪亮介 裁判官大垣貴靖)

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