大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(ワ)11001号 判決 1997年3月11日

原告

渡邉メミ

外五名

右六名訴訟代理人弁護士

鳴尾節夫

中西一裕

被告

社団法人全国社会保険協会連合会

右代表者理事

永野健

右訴訟代理人弁護士

加藤済仁

宮澤潤

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は原告渡邉メミ及び原告屋キミ子に対し、それぞれ、金一〇〇九万六〇〇八円及び内金五七三万一六〇五円に対する平成五年六月二三日から、内金四三六万四四〇三円に対する平成八年一〇月二六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告屋ツヤに対し、金五〇四万八〇〇四円及び内金二八六万五八〇三円に対する平成五年六月二三日から、内金二一八万二二〇一円に対する平成八年一〇月二六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は原告屋章及び原告屋進に対し、それぞれ、金二五二万四〇〇二円及び内金一四三万二九〇二円に対する平成五年六月二三日から、内金一〇九万一一〇〇円に対する平成八年一〇月二六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告は原告屋巖に対し、金一五五九万六〇〇八円及び内金一一二三万一六〇五円及びこれに対する平成五年六月二三日から、内金四三六万四四〇三円に対する平成八年一〇月二六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、老人病検診における便潜血反応検査(糞便ヒトヘモグロビン検査)が陽性であったことから、被告の経営する社会保険中央総合病院(以下「被告病院」という。)において大腸ガンの疑いにより注腸造影検査等の検査を受け、異常は認められないと診断されたものの、その後、他の病院で回盲部のガンであることが判明し、末期ガンにより死亡するに至った患者の遺族である原告らが、被告病院の勤務医の注腸造影検査の読影上の過失、全大腸内視鏡検査を行わなかった過失により結腸ガンに対する早期治療を受ける機会を喪失した等として、被告に対し、債務不履行ないし不法行為(使用者責任)を理由に損害賠償を請求した事案である(遅延損害金の起算日は訴状及び訴えの変更申立書送達の日の翌日)。

二  争いのない事実等(証拠により認定した事実は末尾に証拠を掲げた。)

1  当事者

(一) 被告は、新宿区百人町三丁目二二番一号に所在する被告病院を開設し経営するものである。

(二) 原告渡邉メミ、原告屋キミ子及び原告屋巖は、いずれも平成四年七月二五日に死亡した屋志づ子(死亡時六七歳。以下「志づ子」という。)の兄弟姉妹であり、原告屋進及び原告屋章は志づ子の兄であった屋平八郎(平成四年一一月三日死亡)の子である。

2  被告病院での診療経過等

(一) 志づ子(大正一四年六月一五日生)は、昭和五五年中旬ころから高血圧症及び高脂肪症を、昭和五八年暮れころから狭心症を患っていたが、平成元年一〇月二三日、杉並区の中村医院において行われた老人保健法による健康診査(老人病検診)において右の高血圧性疾患、心疾患、脂質代謝異常などが指摘されたほか、便潜血反応検査(糞便ヒトヘモグロビン検査)の結果が陽性であったことから消化器系疾患の疑いも指摘され、右医院で便潜血反応の再検査を行ったところ、再び陽性の結果が出たため、右医院の医師から精密検査を受けるよう指示された(老人病検診での便潜血反応検査の結果が陽性であったことは争いがない。その余については、<書証番号略>)。

(二) 同年一二月一八日、志づ子は、被告病院を訪ね、消化器系疾患の診察及び精密検査を依頼し、当時被告の勤務医であった佐伯久美子医師(以下「佐伯医師」という。)の診察を受けた。志づ子は、食後胃が下がったような感じが一年前からあること、同年一〇月二三日に行われた老人病検診での便潜血反応検査の結果が陽性であったこと、半年前から便柱が細くなったこと及び一か月前から軟便化(泥状)し起床時に便意を強く催すことなどを訴えた。また、志づ子は、問診前の調査票に、現在内臓が下がった感じで歩行が不自由である旨も記入していた。これに対し、佐伯医師は、便通の変化等から結腸ガン及び胃ガンの可能性を考慮して胃と腸の造影検査を指示し、血液検査を行った。

(三) 同年一二月二一日、志づ子は、被告病院において、右指示に基づき注腸造影検査を受け、同月二八日、上部消化管(胃)造影検査を受けた。そして、注腸造影検査による造影写真の読影の結果、主要な病変は認められないとされ、また、上部消化管造影検査では、胃にポリープがあるとされた(上部消化管造影検査が行われた日時につき<書証番号略>)。

(四) 平成二年一月八日、佐伯医師は志づ子に対し、右検査結果を告げ、胃のポリープについて内視鏡検査の実施を指示し、翌一九日、胃の内視鏡検査が試みられたが、嘔吐反射による挿入困難のため検査は中止され、同月二二日、同年三月一〇日、同年五月一四日、同年七月九日には経過観察の問診のほか、高血圧の治療薬投与がなされた(嘔吐反射につき<書証番号略>)。

(五) 同年五月一四日になって糞便検査が実施されたが、当日出た検査結果では陰性で、その後に検査結果が出た免疫学法(ラテックス凝集法)による便潜血反応では陽性と判定された(当日出た検査結果につき<書証番号略>、証人佐伯)。

3  志づ子の死亡に至る経緯

(一) 結腸ガンの発見

平成二年八月七日、志づ子は腹痛を起こし、救急車で世田谷区にある下田病院に運ばれ、回盲部切除術を受けたが、同部位の高分化型の腺ガンは奨膜を越えて周囲の脂肪組織に拡がっており、リンパ管を侵襲し、リンパ節にも転移していたこと、細胞学的所見は疑陽性クラスⅢaで、縦径約二三ミリメートル×横径約二七ミリメートルであったことが判明した。志づ子は、同病院に同年九月一一日まで入院し、同月一四日から平成三年七月一二日まで通院し抗ガン剤の投与等の治療を受けた。また、翌一三日、志づ子は左尿管結石で緊急入院し、同年八月一三日に退院した(<書証番号略>調査嘱託の結果)。

(二) ガンの転移と死亡

平成三年一〇月四日、志づ子は、医療法人愛生会江東診療所で診察を受け、同年一一月一五日、同診療所での胸部エックス線検査により肺に異常陰影が認められたことから肺ガンが疑われ、同年一二月、国立ガンセンター病院で検査を受けたところ、ガンが肺に転移し、肝臓にも転移の疑いがあるとの診断を受けた。

その後、自宅近くの江東区藤崎病院に転院してガンの末期治療を受けていたが、平成四年七月二五日、死亡した(<書証番号略>及び弁論の全趣旨)。

三  争点

本件における主要な争点は、(一)中村医院での便潜血反応検査や被告病院での問診結果に加え、注腸造影検査による造影写真から、被告の勤務医は、回盲部のガンを疑い、全大腸内視鏡検査を行うべきであったか(特に、右注腸造影検査における造影写真のうち回盲部の陰影欠損部についての読影ミスにより適切な治療機会を喪失させたか否か)、(二)注腸造影検査後の経過観察時に行われた便潜血反応検査の結果等から、被告病院の勤務医はガンを疑い、全大腸内視鏡検査を行うべきであったか(経過観察時の対応の誤りによりガンの発見と治療の機会を喪失させたか否か)、(三)原告らの損害の有無・額であり、被告は右争点(二)について時機に遅れた攻撃防御方法を理由とする却下を申し立てている。

右争点に関する当事者の主張は、以下のとおりである。

(原告ら)

1 争点(一)について

(一) 大腸ガン(結腸ガン及び直腸ガン)は日本人の食生活を中心とするライフスタイルの変化に伴い近年急速に増加しているガンであるが、特に結腸ガンについて、腸壁の粘膜にガンがとどまり、リンパ節や他臓器への転移のない早期の段階で発見され治療が行われた場合、患者の五年後生存率は約九五パーセントに達していることから、早期発見は極めて重要であり、そのため、現在、集団検診による簡便なスクリーニング法として便潜血検査が行われ、陽性反応が出たものに対して大腸内視鏡検査及び注腸造影検査等の精密検査が実施されるという方法がとられているが、便潜血反応が陽性であり、かつ、問診において便通の異常を訴えているような患者に対しては、病院及び医師は大腸ガンの可能性を疑い、全大腸内視鏡検査及び注腸造影検査を細心の注意をもって行い、大腸ガンの病変の有無を早期の段階において発見し適切な早期治療を施すべき義務を負う。

ところで、注腸造影検査は、腸内に造影剤を注入してエックス線で撮影するものであるが、腸管同士が重なり合ったり腸管の複雑な屈曲のため盲点となる部分が存在するなど、病変の見落としの危険性があり、診断精度に問題がある。これに対し、厚生省の老人保健法に基づく検診マニュアルにおいて、便潜血反応陽性者に対する精密検査は全大腸内視鏡検査が理想であるとされているように、内視鏡検査は、微細病変の検出や隆起性病変の鑑別診断のための全生検(ポリペクトミー)などが全大腸にわたって可能であることから、結腸ガンの精密検査においては、全大腸内視鏡検査を原則として行う必要がある。また、注腸造影検査を行う場合には、エックス線造影及び読影にあたっては細心の注意が要求される。

(二) 本件において、志づ子には老人病検診において二度にわたる便潜血反応検査の結果が陽性であり、かつ、前記2(一)のように、志づ子は被告病院における初診時の問診において、半年前から便柱が細くなったことや一か月前から軟便化(泥状)し、起床時に強い便意を催すことがあるなど大腸ガンの疑いを示す数々の症状を訴え、担当の佐伯医師もこれらを認識しており、大腸ガン(結腸ガン)を疑っていたところであった。

平成元年一二月二一日、志づ子に対し注腸造影検査が行われ、その所見は主要な病変は認められないというものであったが、右検査による造影写真には以下のような回盲部にガンなどの病変を疑わせる部分が存在した。

① 右注腸造影検査において、回盲部の造影自体は丁寧になされたうえ、圧迫も加えられたが、回腸末端部にバリウムが流れていないこと。これは、回盲部にバリウムを流れにくくするような腫瘍等の病変の存在を示唆している。

② 回盲部の陰影欠損像が異常であること。志づ子の回盲部の造影写真からは盲腸内部に直径2.5センチメートルほどの陰影欠損像が認められるが、回盲弁としてはかなり大きめであり、また、陰影欠損像の辺縁の右側部分や内部のひだが通常の回盲弁のようにスムースではなく硬い印象を与えるものであり、腫瘍等の病変の可能性が十分に考えられる。

しかし、右造影写真の読影にあたった佐伯医師及び高添医師は、右造影写真一五枚を研修医らと同時に五分ないし一〇分程度で読影を済ますなど読影における細心の注意を怠ったため、右病変を疑わせる部分を見落とし、主要な病変はないと結論した。右病変部分と平成二年八月七日に行われた手術により発見されたガンの部位とは一致しているから、右造影検査当時、陰影欠損部にあたる志づ子の回盲部にはガンが存在していたと推測されるのであり、佐伯医師及び高添医師らがこれを見落とさず、回盲部の病変に疑問を持ち、内視鏡検査を実施していれば、当然に病変を発見できた。

(三) なお、被告病院の医師らは右陰影欠損部は回盲弁であると主張するが、右陰影欠損像からは、正常な回盲弁とは到底断言できないものである。

(四) 以上のとおり、被告病院の担当医師は、前記注腸造影検査において志づ子の回盲部にガンなどの病変を疑わせる部分が存したのにこれを見落とし、あるいは、全大腸内視鏡検査によって右部分がガンであるかどうかを確認する等の措置を行わず、志づ子の回盲部に存したガンに対し適切な早期治療を行う機会を逸したのである。

2 争点(二)について

平成元年一二月二一日に行われた注腸造影検査につき前記のとおり読影ミスがあったため、便潜血反応検査の結果が陽性となった理由がわからず、被告病院は経過観察を行い、その一環として平成二年五月一四日に便潜血検査を再度行ったのであるが、右検査の結果も陽性であった。被告病院としては、注腸造影検査で発見できなかった病変の存在も考慮して慎重に志づ子の経過観察を行い、異変が発見されれば直ちに適切な検査や治療を行うべき注意義務を負っていたというべきであるが、右検査を指示した佐伯医師は、その結果を確認しないまま同年五月に被告病院を退職し、同年七月六日に志づ子を診察した丸山医師も右検査結果について何らの指示もせず、被告病院が当然とるべき内視鏡検査等の措置は行われず、志づ子に対して検査結果を告知することさえしなかった。

被告病院が右五月一四日の便潜血検査の結果を受けて、速やかに内視鏡検査を行っていれば、志づ子の回盲部のガンは当然発見できたはずであり、志づ子は、右のような被告病院のずさんな対応のため、ガンに対し適切な治療が行われる機会を逸してしまった。

3 争点(三)について

被告病院は、右の過失により志づ子の結腸ガンを早期に発見できず、その結果、志づ子は結腸ガンの早期治療の機会を喪失して、ガンを治癒不能な状態にまで進行させてしまったが、志づ子の被告病院での診療期間中に、結腸ガンの発見・治療が行われていれば、大腸ガンの予後が比較的よいことや志づ子のガンの進行程度(患者の五年生存率はステージⅠで95.1パーセント、ステージⅡで77.9パーセント、ステージⅢでも68.0パーセントとされているところ、平成二年八月七日に行われた手術時においても志づ子の大腸ガンの進行度はステージⅡとⅢとの中間くらいであった。)からすれば、ガンが治癒していた蓋然性はかなり高かったはずであり、以後、後記闘病生活をおくるようなこともなかった。

原告らの損害は以下のとおりである。

(一) 入院中の差額ベッド代 合計六五万八〇〇〇円

(1) 下田病院 平成二年八月七日から同年九月一二日までの三六日間分

七〇〇〇円×三六日=二五万二〇〇〇円

(2) 藤崎病院 平成四年五月二九日から同年七月二五日までの五八日間

七〇〇〇円×五八日=四〇万六〇〇〇円

(二) 入院雑費 合計一一万四〇〇〇円

下田病院及び藤崎病院の合計九四日間のほか、国立ガンセンター病院に平成四年二月三日から同月一二日まで及び同年三月一三日から同月二二日まで合計二〇日間入院したので、入院日数は合計一一四日間である。

一三〇〇円×一一四日=一四万八二〇〇円

(三) 通院交通費 合計三万六〇〇〇円

平成三年一二月一一日から平成四年五月下旬まで国立ガンセンター病院に合計一二回通院した。

三〇〇〇円×一二回=三万六〇〇〇円

(四) 逸失利益 一七四五万七六一二円

志づ子は、平成四年七月二五日当時、年額二一三万三四〇〇円の老齢厚生年金を受給していたので、これを逸失利益の基礎とし、生活費控除を三割、簡易生命表による志づ子の平均余命約一八年から算出した逸失利益である。

213万3400円×0.7(生活費控除)×11.69(ライプニッツ係数)=1745万7612円

(五) 慰謝料 志づ子本人分 二〇〇〇万円

志づ子は、集団検診の結果より大腸ガンの懸念を抱き、精密検査によりガンを早期に発見し適切な治療を受けることを期待して被告病院を訪れたにもかかわらず、右期待を裏切られ、被告病院の前記注意義務違反により結腸ガンの治療の機会を喪失してガンを治癒不能な状態にまで進行させてしまい、その結果、腸閉塞を発症して手術を受け、その後、ガンが肺及び肝臓へ転移し、約二年間にわたる闘病生活の後死亡した。志づ子は死亡当時六七歳であったが、平成元年一二月ないし平成二年の一月ころに結腸ガンの早期発見・治療が行われていれば、前記のとおり、大腸ガンが比較的予後のよいガンであること、当時のガンの臨床的病期が進んだものではなかったこと等から判断して、現在の女性の平均寿命である八〇歳以上まで一〇数年間は老後の人生を送れたはずである。右の早期治療を受ける機会を喪失したこと及び進行ガンに対する悲惨で苦痛に満ちた闘病生活などの一切の精神的肉体的苦痛に対しその慰謝料は右金額を下回ることはない。

(六) 相続

(1) 原告渡邉メミ、同屋キミ子、同屋巖及び屋平八郎は志づ子の法定相続人であり、他に志づ子の相続人はいないから、右原告らは前記の損害金合計三八二九万九八一二円の損害賠償請求権につきそれぞれ各四分の一の九五七万四九五三円を相続により取得した。

(2) 右屋平八郎は、平成四年一一月三日に死亡し、その法定相続人は、その妻と子である原告屋ツヤ、同屋章及び同屋進のみであるから、右平八郎の賠償請求権につき、原告屋ツヤは法定相続分二分の一の四七八万七四七六円、同屋章及び同屋進はそれぞれ法定相続分四分の一の二三九万三七三八円を相続により取得した。

(七) 原告屋巖の固有の慰謝料

五〇〇万円

原告屋巖は、一八歳ころから関節リューマチを患い、四〇歳ころまで病状が悪く通常の社会生活を送ることが不可能であったが、巖の一二歳年上の姉である志づ子は、巌の高校生時代以降、巌と母親の三人暮らしの生計を維持してきたのである。巌は生まれてから志づ子が死ぬまでの五五年間志づ子と同居して生活し、関節リューマチを患ってから二〇数年間は志づ子の手厚い世話を受けてきたものであり、関節リューマチの病状が緩和して社会生活を営めるようになり、これからは自らが志づ子の老後の面倒をみようとしていた矢先に志づ子を失ったのであり、これにより被った精神的打撃に対する慰謝料は右金員を下回ることはない。

(八) 弁護士費用

本件事案の内容に照らし、被告に負担させるべき弁護士費用としては前記原告ら各自の請求金額のうち逸失利益を除いた分の一〇パーセント相当額の金員(原告渡邉メミ及び原告屋キミ子はそれぞれ五二万一〇五五円、原告屋ツヤは二六万〇五二八円、原告屋章及び原告屋進はそれぞれ一三万〇二六四円、屋巌は一〇二万一〇五五円)が相当である。

(被告)

1 争点(一)について

(一) 志づ子が被告病院において受診した平成元年一二月から翌年五月ころ当時、一般臨床の場では、免疫便潜血陽性者に対する大腸ガンの精密検査として、全大腸内視鏡検査が一般的に行われているという状況にはなかった。右当時、免疫便潜血陽性者に対しては、まず注腸エックス線検査が行われ、その検査で異常所見が認められた症例に対し大腸内視鏡検査が行われるというのが一般的であったのであり、現在においても同様の状況にある。したがって、被告病院が志づ子に対して大腸内視鏡検査を行わなかったことにつき注意義務違反を認めることはできない。

(二) また、平成元年一二月二一日の注腸エックス線検査で、異常な所見が認められなかったのであるから、その後に大腸内視鏡検査を行わなかったことについても注意義務違反を認めることはできない。平成四年四月に刊行された厚生省老人保健福祉部老人保健課監修の「老人保健法による大腸ガン検診マニュアル」によれば、免疫便潜血陽性者に対する大腸精密検査としては、全大腸内内視鏡検査又はS状結腸内視鏡検査及び注腸エックス線検査とするとされており、平成四年四月段階で、S状結腸内視鏡検査については検査医の確保が難しいため、過渡的措置として注腸エックス線検査のみでよいと修正されているところである。

(三) 平成元年一二月二一日に行われた注腸造影検査による造影写真について読影がなされた時点で、被告病院の医師らが志づ子の回盲部にガンがあったと読影することは不可能であった。

原告らは、まず、回盲部にバリウムが流れていないことをもって病変を疑わせると主張する。しかし、回盲末端部にバリウムが流れていないことは日常臨床の場ではよくあることであり、それのみでは回盲部の異常所見を示唆しない。回盲弁そのものが本来大腸の内容物を回腸のほうに流れ込まないようにする機能をもっており、本件では、右検査の際、抗コリン剤という腸の動きを止める薬を用いて回盲弁、回腸から盲腸のほうに腸の内容物が流れ込むのを押さえているのであるから、回腸にバリウムが流れないことは異常を疑う理由にならない。次に、原告らは、回盲部の陰影欠損像が異常であるとして、その根拠に、回盲弁としてはかなり大きめであること、陰影欠損像の辺縁の右側や内部のひだが通常の回盲弁のようにスムーズではなく硬い印象を与えることを挙げている。しかし、回盲弁の大きさは大体四センチメートル以内が正常範囲であり、かなり大きめというのはあたらないし、硬い印象というのは、陰影欠損部が回盲弁であることを前提に、回盲弁としては硬いという意味であるから、この点も異常との根拠とはならない。

なお、原告らは、被告らの読影方法を非難し過失を主張するが、造影写真そのものから病変が判断できなかった以上、過失は認められないのであり、それ以上に読影方法について問題とする余地はない。

(四) 原告らは、右検査当時、志づ子にガンがあったと主張する。しかし、現在においてもガンの発育の形態は全く不明であり、右検査当時にガンが存在していたかどうかは不明であり、むしろ、平成元年一二月二一日に行われた血液検査では貧血が認められず、腫瘍マーカーでも異常が認められなかったことからすれば、右検査時点ではガンは発生していなかったと考えるほうが素直である。

2 争点(二)について

(一) 時機に遅れた攻撃防御方法

本件においては、原告らが右争点については主張しないとの方向で手続が進行しており、そのために、被告も右争点に関する人証申請を行わなかったという経緯がある。にもかかわらず、原告らは、証拠調べがほとんど済んだ第一九回口頭弁論期日において主張の補充等として右主張を行ったのであるから、右主張は、被告に対する不意打ちであり、時機に遅れた攻撃防御方法として却下されるべきである。

(二) もっとも、平成元年一二月二一日の注腸造影検査で、異常な所見が認められなかったのであるから、その後に全大腸内視鏡検査を行わなかったことについても注意義務を認めることはできない。また、右1(四)のとおり、右検査時点で志づ子にガンが存在していたかどうかは不明であり、全大腸内視鏡検査を行っていれば病変が発見できたとは到底いい得ないところである。また、丸山医師の対応がどのようなものであったかについてはカルテの記載のみでは全く不明であるから、丸山医師の過失については理由がない。

3 争点(三)について

原告らの主張する損害はすべて争う。

なお、原告らは、志づ子の逸失利益算定の基礎として簡易生命表に基づき平均余命を一八年としているが、志づ子は健常者ではなく、その時期はともかくとして回盲部のガンであったことを考えれば、原告らの逸失利益の期間の主張には全く根拠がない。

第三  争点に対する判断

一  被告病院における診療の経緯等

前記第二の二の事実及び証拠(<書証番号略>、証人佐伯、証人高添、証人村田及び弁論の全趣旨)によると以下の事実が認められる(なお、認定に供した主たる証拠を末尾に掲げた。)。

(一)  平成元年一〇月二三日、志づ子は、訴外中村医院で老人病検診を受け、二回にわたる糞弁ヒトヘモグロビン検査の結果が陽性であったため、右医院の中村医師は他の大きな病院で精密検査を受けることを強く勧めたが、志づ子は自覚症状もなく、精密検査の受診を希望しなかった(<書証番号略>)。

(二)  志づ子は、中村医師の再度の勧め等により、同医師から便潜血反応が陽性であるので精密検査をお願いする旨の紹介状をもらい、これを携えて、同年一二月一八日、精密検査を受けるため被告病院内科を訪れ、佐伯医師の診察を受けた。

佐伯医師は、東京大学医学部附属病院で内科の研修を行った後、平成元年六月から被告病院内科に勤務しており、研修二年目であった。

佐伯医師が志づ子を問診すると、志づ子は、食後胃が下がった感じが一年ほど前からすること、中村医院における二回の便潜血反応検査の結果がいずれも陽性であったこと、半年ほど前から便柱が細くなったこと、一か月ほど前から軟便化(泥状)し、起床時に便意を強く催すこと、胸やけがすること等の自覚症状を訴えた。同医師は、便潜血反応が陽性であったことや右自覚症状から大腸ガンを疑い、右自覚症状からは、まず、直腸ないしはS状結腸のガンの可能性があり、さらに、回盲部や上行結腸などの大腸上部のガンであることもあり得るとして、貧血や体重減少の有無を尋ねたほか、腹部腫瘤の有無の確認のため、腹部の周辺を触診したが、志づ子の腹部は軟らかく平坦で、腫瘤もなかった。また、右診察時の志づ子は、血圧が一五八/七八毎分で、口腔、結膜、リンパ節、肺、胸部には異常はなく、触診によっても肝臓や脾臓には触れず、直腸の出血等もなかったし、身長・体重につき、志づ子は一五四センチメートル、七五キログラムで変動はないと回答した(なお、同女の平成元年一〇月二三日の中村医院での検診時の身長・体重は、一五二センチメートル、七五キログラムであった。<書証番号略>、証人佐伯及び弁論の全趣旨。)。

佐伯医師は、右のように、志づ子が大腸ガン(結腸ガン)であるということもあり得ると考えたが、右当時、被告病院では、大腸全体を観察でき、患者に対する負担も少なく、検査が比較的容易で予約もすぐに入る等の理由から、便潜血反応検査が陽性であった患者全例に対して、まず、注腸造影検査を行い、右検査で異常が認められた場合には、その部位を目的に内視鏡検査を行うこととなっていたため、まず注腸造影検査を行うこととし、また、血液の一般的性状を調べるほか、貧血の有無を調べるため血球数を調べ、AFP(a―フェトプロテイン)、CEA(癌胎児性抗原)、CA19―9(糖鎖抗原19―9)、SCC(扁平上皮癌)などの腫瘍マーカー検査を行うため採血を行い、以後検査の結果は一週間以内に出るので、必ず一週間後には来院して結果を聞きに来るように告げた。なお、右検査の結果は、AFPは5.0ng/ml(正常値は一〇以下)、CEAは1.0ng/ml(正常値は2.5以下)、CA19―9は七U/ml(正常値は三七以下)、SCCは1.0ng/ml(正常値は1.5以下)で、血球数も正常値の範囲内であった(<書証番号略>、証人佐伯及び弁論の全趣旨)。

なお、同日、佐伯医師は一四日分の胃薬と高血圧の薬を出した。

(三)  同月二一日、志づ子に対し注腸造影検査が行われた。右検査は二重造影法(陽性の造影剤であるバリウムと陰性の造影剤である空気とを大腸に入れ、明暗の差をつけて二重のコントラストで撮影する方法。<書証番号略>)によって行われ、撮影に際し、適宜志づ子の姿勢は変えられ、また、同人に対し圧迫が加えられた(証人佐伯、証人村田及び弁論の全趣旨)。その日のうちに、右検査によって撮影された造影写真の読影が行われた。右読影は、研修医の勉強会という形で行われたものであり、志づ子の問診を行った佐伯医師が、被告病院の江藤医師(佐伯医師と同じ二年目の研修医)、鈴木医師(三年目の研修医)、土方医師(三年目の研修医)及び高添医師(当時被告病院内科医長)らに対し、志づ子につき、便柱が細くなり、便潜血反応検査の結果が陽性であることの説明をした上で、右全員で、造影写真一五枚を一度にシャウカステンに並べ、一枚ずつ、全部で五分から一〇分程度の時間で読影するという方法でなされ、最終的な読影の所見は高添医師が判断したが、その結果は、直腸やS状結腸に異常はなく、他に特に問題となりそうな部位は認められず、大腸上部を対象とした造影写真(<書証番号略>)に、主病巣はないというものであった(<書証番号略>証人佐伯、証人高添)。

(四)  平成二年一月八日、志づ子は被告病院で再び診察を受けた。問診の際、志づ子は佐伯医師に対し、胃が下がった感じはなくなり、便柱が細くなっていたのもなくなったと答え、他方、佐伯医師は、志づ子に対し、注腸造影検査の結果につき異常が認められなかったことを伝えた。佐伯医師は、注腸造影検査によっては便潜血反応陽性の原因が必ずしも明確にならなかったことから、今後は定期的に便潜血反応検査、血液検査、問診等を中心に経過観察を行うこととした。

同年一月二二日、同年三月一九日には、志づ子に対し問診が行われ、佐伯医師は排便習慣の異常、腹痛の有無等大腸ガンに関連した事項を尋ねたが、特記すべき異常はなく、二八日分の高血圧と胃腸薬の薬を出した(以上につき、<書証番号略>、証人佐伯及び弁論の全趣旨)。

(五)  同年五月一四日、志づ子に対して便潜血反応検査が行われた。志づ子の診察中には僣血反応については陰性との結果が佐伯医師に伝えられたが、免疫学法(ラテックス凝集)の結果が陽性という結果については佐伯医師の外来診療中は出なかったため、右医師には伝えられなかった。この日も二八日分の高血圧と胃腸薬の薬が出された(<書証番号略>、証人佐伯)。

(六)  佐伯医師は同年五月で被告病院勤務を辞め、同年七月九日、丸山医師が引き続き志づ子を診察したが、志づ子は同医師に対し、特に自覚症状を訴えることもなかった。なお、志づ子は、同年五月一四日から同年七月九日までの間、被告病院に検査結果を聞きにくるなど通院することはなかった(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

二  争点(一)について

原告らは、注腸造影検査には診断精度に問題があるから、結腸ガンの精密検査には、原則として全大腸内視鏡検査を行う必要があるとする。各医学文献(<書証番号略>)によれば、便潜血陽性者に対する精密検査は理想として全大腸内視鏡検査である、診断精度の点からは精密検査の方法としては内視鏡検査が至適方法であるなどの記述があること(<書証番号略>)、他方、注腸エックス線検査と大腸内視鏡検査の診断能を病変発見率で比較した場合、注腸エックス線検査群では97.4パーセント、全大腸内視鏡検査群は96.7パーセントと有意差がなく、大腸ガン検診における便潜血反応陽性者に対する精密検査法としての注腸エックス線検査法、全大腸内視鏡検査法に優劣をつけ難い、医師によっては、全大腸内視鏡検査を第一選択するものもあれば、注腸エックス線検査で十分とするものもある(<書証番号略>)との指摘もあること、また、内視鏡検査には、被験者に少なからぬ苦痛を与える、検査手技の難度が高く熟練者が少ない、一例あたりの検査時間が他の検査に比較して長いため処理能力に限界があるなどの問題点が指摘されており、医療機関は、注腸造影検査と内視鏡検査との併用を前提とした精密検査計画を策定する必要があるとされていること(<書証番号略>)、全大腸内視鏡検査は回盲部までの到達率も九〇パーセント程度であり、要精検者全例に対して完全実施は事実上困難であるとされていること(<書証番号略>)、平成元年の暮れないし平成二年の中旬ころの大腸検査数のうち、注腸造影検査の実施数は内視鏡検査の実施数のおよそ倍を占めていること(<書証番号略>)が認められるから、平成元年ないし二年当時において、右検査を行わないことそれ自体が直ちに診療契約上の債務不履行ないし不法行為を構成するとまでいうことはできない。

そこで、注腸造影検査の診断ミスの主張について検討するに、原告らは、造影写真撮影における過失も主張するようなので、まず、この点についてみるに、前記のとおり、被告病院での注腸造影検査は、二重造影法により行われ、その際、適宜志づ子の姿勢も変えられ、また、圧迫も加えられるなどして行われたものであり、これらは、各医学文献(<書証番号略>)において、注腸造影検査では、二重造影検査方法を採用し、回盲弁近傍の病変の診断には圧迫法により圧迫像を加えてみることも必要である等と指摘されているところ(ただし、圧迫については消極意見もある(<書証番号略>)。)と合致するものであり、そのようにして撮影された造影写真も、バリウムが盲腸の先まで充盈されており、送気も比較的よくなされており、腸も伸展されているという点で比較的よく撮れているということができるから(<書証番号略>、証人村田、証人佐伯、証人高添)、造影写真の撮影自体に格別問題があったとは認められない。

次に、佐伯医師及び高添医師らが志づ子の回盲部の造影写真における病変を疑わせる部分を見落とし、あるいは全大腸内視鏡検査によって右部分を確認する等の措置を行わなかった過失があったかについて検討する。そこで、平成元年一二月二一日に行われた注腸造影検査による造影写真にガンなどの病変を疑わせる部分が存するかどうかを検討するに、志づ子の回盲部等大腸上部を対象とする造影写真(<書証番号略>)につき、証人村田の証言及び同人の意見書(<書証番号略>。以下これらを総称して「村田見解」という。)は、病変を疑わせる部分として、右造影写真のうち<書証番号略>は、バリウムが充盈されている状態で圧迫がかけられているのに回腸へのバリウムの逆流がなく、他の造影写真についても回腸へのバリウムの逆流がないこと、<書証番号略>での陰影欠損像の内部のひだが通常の回盲弁のようにスムースではなく硬い印象を与えること、<書証番号略>での陰影欠損像の辺縁の右側の部位が不整形であること、陰影欠損部の大きさはおよそ2.5センチメートルと回盲弁としてはやや大きめの状態であることを挙げ、右陰影欠損部が単なる回盲弁であると断定できず、少なくとも疑問を持つべきであるとしてる。しかし、村田見解においても、志づ子の造影写真からガンを読み取ることができるというわけではなく、他に、造影写真からガンを発見し得たと認めるに足りる証拠はない。他方、高添医師は、平成二年一二月二一日に造影写真を読影した当時の記憶はないとしながら、右の陰影欠損部は回盲弁と判読すべきであると証言するところ、村田見解において病変を疑わせるものとして挙げられた諸点のうち、回腸へのバリウムの逆流がみられないことについては、村田見解自ら、回盲弁の括約作用(小腸より大腸へ流れ込んできた消化管内容物が、回腸終末部へ逆流することを防止する役割(<書証番号略>))などにより病変がなくともバリウムが回腸に至らない場合もあるので、逆流がないという右造影写真だけでは病変があるとは判断できないとしており、また、回盲弁の大きさについては、幅二ないし四センチメートル、上下唇の厚み三ミリメートルないし三センチメートルが正常範囲であるとするのが一般的な見解であり(<書証番号略>)、志づ子の陰影欠損部の大きさは右の正常範囲内にあるから、いずれも陰影欠損部が回盲弁ではないとする根拠としては十分ではなく、さらに、村田見解が挙げるひだがスムースではなく硬いとか、陰影欠損像の辺縁が不整形であるというのは、結局のところ、読影に関する経験に基づく印象を述べるものであって、それ自体は軽視し難いものの、佐伯医師や高添医師がそのような印象を受けなかったからといって、それが直ちに誤りであると断ずることのできない性質のものである。なお、佐伯医師及び高添医師らによる読影については、右医師ら五名が一度に、シャウカステンに並べられた一五枚の造影写真を五分ないし一〇分程度の時間で読影するというものであり、医学文献の中には、読影の方法として多人数で遠くから読影することは危険であり、チェックはオープンスタイルより、読影の責任を一人に持たせるクローズド方式が推奨されるとする指摘(<書証番号略>)もあるが、本件での読影の結果につき過失が認められない以上、読影の方法を独立に取り上げて云々することの意味は認め難い。

したがって、志づ子の造影写真それ自体がガンの存在を積極的に疑わせるものであると認定することは困難である。そうすると、佐伯医師及び高添医師らは読影の際に過失があったとは認め難く、また、前記のとおり、佐伯医師及び高添医師らは、注腸造影検査の結果、志づ子に主要な病巣はないと判断し、佐伯医師は、右判断とあわせて、初診時に志づ子の腹部に腫瘤が認められなかったこと、注腸造影検査後平成二年一月八日の診察の際に、便柱の狭小化がなくなったことや体重の変動は特にないなどの触診や問診の結果や血液検査において貧血を示すような結果が出なかったことや腫瘍マーカーが正常値を示していたこと等から大腸に異常はないと判断し、同人に対し、便潜血がその後も継続するかどうかを定期的に検査すること等の経過観察を行うことを決定しているのであって、右医師らに更に全大腸内視鏡検査を実施すべき義務があったとまではいうことはできない。

もっとも、仮に、前記の陰影欠損部が回盲弁であったとしても、右の造影写真によって志づ子が当時ガンに罹患していたとの可能性をすべて否定したり、あるいは、中村医院での便潜血反応がなぜ陽性となったのかを説明することはできないと解されるのであり、注腸造影検査を含めて平成元年一二月ころ被告病院で行われた諸検査によっては、便潜血反応が陽性となった原因を特定することができなかったと考えられる。そして、志づ子は、佐伯医師に対して、単に腹部の不調を訴えてその治療を求めたわけではなく、便潜血反応検査の結果が二回にわたって陽性となったため、中村医院から大病院での精密検査を勧められてその紹介状を携えて被告病院を訪れたのであり、検査にあたった佐伯医師も右の事情を了知しており、また、被告病院は、それぞれ一〇名以上のスタッフからなる放射線検査室、内視鏡検査室を有しており(証人佐伯)、このような物的・人的設備からして中村医院が考えていた大病院というに相応しい病院であると窺われるところ、<書証番号略>(前記「老人保健法による大腸ガン検診マニュアル」)によれば、直腸やS状結腸にできたガンでは、比較的早期から下血が現れることが多く、便通異常として残便感や排便回数の増加、排便に関連した腹痛、便秘と下痢の繰り返しや便柱の狭小化などの症状が起こり、腹部腫瘤を触知したり高度の貧血症状がみられることはほとんどないが、大腸上部、ことに右側の盲腸や上行結腸にできたガンの症状としては、腸閉塞状態に近くなってから腹部や腹部膨満で来院したり、下部大腸ガンと違って強い貧血症状の原因として発見され、その際には腹部腫瘤を触知したり体重減少を認めることが多いとされているのであるから、このような観点からすれば、大腸ガンが老人病検診の対象となった現在においても、免疫便潜血陽性者に対する精密検査として全大腸内視鏡検査を実施するのは「理想」とされており、平成元年当時、現在よりも前処置が容易でなく、内視鏡検査が必ずしもルーチン化していなかった(証人高添)ことを考慮しても、佐伯医師ないし被告病院が注腸造影検査と並んで大腸ガンの主要な検査方法である全大腸内視鏡検査を実施することが、まさしく理想的であったとの感を免れない。

しかしながら、平成元年一二月の時点に内視鏡検査を実施した場合、志づ子の回盲部にガンが発見され得たかどうかについては、前記のとおり、平成二年八月七日に発見されたガンの細胞学的所見は疑陽性クラスⅢaで、縦径約二三ミリメートル×横径二七ミリメートルであったところ、早期ガン群の倍加時間は平均51.7か月、進行ガン群のそれは11.4か月であったとする統計も存する(<書証番号略>)ところでり、平成元年一二月の時点でも右のガンが存在した可能性は大いにあるが、他方、右の統計はあくまで患者の個別性を排除した平均値の例であり、志づ子の場合、同時点での血液検査で貧血が認められず、腫瘍マーカーでも異常がなかったことからすると、右時点でのガンの存在が医学的に証明できたとは断定し難いといわざるを得ない。また、村田見解においては、造影写真の陰影欠損部の位置、大きさが平成二年八月七日に発見されたガンのそれと大差がなく、また、大腸ガンの八割方が高分化型腺ガンであり、高分化型腺ガンの進行がそれほど速くないということから、右陰影欠損像はガンを示すもの(腫瘤による狭窄のためバリウムが流れにくくなったもの)であるとの推測がなされているが、仮に、平成元年一二月の時点で平成二年八月七日に発見されたのとそれ程大きさの異ならないガンが存在したのであれば、平成元年一二月に全大腸内視鏡検査を実施していればこれを発見することは必ずしも困難ではなかったと思われるが、その場合、八か月後に発見されたガンの病期、大きさ、志づ子の年齢、高血圧等ガン以外の身体症状及び大腸ガンの一般的な予後を考えたときに、平成二年八月に発見されたのでは手遅れであったのに、平成元年一二月にガンが発見されていれば、延命効果のある治療を加えることができたと認めるに足りる的確な証拠はないというほかない。

すなわち、平成元年一二月の全大腸内視鏡検査の実施によって、ガンを発見し得たとは断定し難く、また、前記陰影欠損像がガンを示すものであったとすれば、その時点において死亡の結果を回避する効果的な措置をとり得たとも認め難いところであって、いずれにしても、争点(一)についての原告らの主張は採用することができない。

三  争点(二)について

争点(二)についての原告らの主張について、被告は時機に遅れた攻撃防御方法として却下すべきと主張するが、佐伯医師ら被告病院の医師に全大腸内視鏡検査を実施しなかった過失があるとの主張は既に訴状においても記載されているところであり、右検査を実施すべき時点を具体的に特定して主張したからといって、必ずしも時機に遅れたものとはいえないし、本件においては、それまでに取り調べた証拠により原告らの右主張についても判断することが可能であるから、これを却下するまでのことはない。しかるところ、前記のとおり、仮に、平成二年五月一四日当時に志づ子に大腸ガンが存在していたとしても、志づ子は同年七月九日まで、被告病院に通院していないし、仮に、それを発見し得たとしても、手術時である同年八月七日当時とのガンの進行程度の変化は不明であり、志づ子の死亡という結果を回避する効果的な措置をとり得たと認めるに足りる的確な証拠はない。したがって、その後被告病院で行われた経過観察時に違法ないし過失というべき点があったとしても、それと本件死亡との相当因果関係を認めることはできない。よって、争点(二)についての原告らの主張も採用することができない。

四  以上のとおり、原告らの主張はいずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宗宮英俊 裁判官石橋俊一 裁判官山﨑栄一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例