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東京地方裁判所 平成5年(ワ)10624号 判決 1997年3月12日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

赤松岳

佐々木健

野口勇

被告

右代表者法務大臣

松浦功

被告

A

外五名

被告ら訴訟代理人弁護士

水沼宏

被告国指定代理人

植垣勝裕

外六名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、原告に対し、連帯して、金一二〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日(被告国、被告B、被告C、被告D、被告E及び被告Fにつき平成五年七月一六日、被告Aにつき同月一七日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  請求の原因

一  原告は、昭和四年一月五日生まれの主婦であり、昭和三八年からエホバの証人の信者である。

(当事者間に争いがない。)

二  エホバの証人は、キリスト教の宗教団体で、聖書に、「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし、その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。」(創世紀九章三、四節)、「ただ、血を食べることはしないように堅く思い定めていなさい。血は魂であり、魂を肉と共に食べてはならないからである。それを食べてはならない。それを水のように地面に注ぎ出すべきである。それを食べてはならない。こうしてエホバの目に正しいことを行うことによって、あなたにとってもあなたの後の子らにとっても物事が良く運ぶためである。」(申命記一二章二三節ないし二五節)、「というのは、聖霊とわたしたちとは、次の必要な事柄のほかは、あなた方にその上何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち、偶像を犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば、あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください。」(使徒たちの活動一五章二八、二九節)等、「血を避けなさい。」という言葉が何度も出てくるが、これは、エホバ神が人間に対し血を避けることを指示していると考え、人間は、血を避けることによって身体的にも精神的、霊的にも健康であると確信している。従って、エホバの証人の信者は、ひとたび体の外に出た血を体内に取り入れることは医学的な方法によってもできない、即ち、輸血を受けることはできないとの信念を有している。

(甲第三、四号証及び弁論の全趣旨により、エホバの証人の信条が右のとおりであることが認められる。)

三  被告国は、東京大学医科学研究所附属病院(以下「医科研」という。)を設置し運営しており、平成四年当時、被告A(以下「被告A」という。)、被告B、被告C、被告D(以下「被告D」という。)、被告E(以下「被告E」という。)及び被告F(以下、右六名を「被告医師ら」という。)は、医科研に医師として勤務していた。

(当事者間に争いがない。)

四  原告は、平成四年七月二八日、医科研で受診し、同年八月一八日、医科研に入院し、同年九月一四日、被告国との間で、原告の肝臓右葉付近に存する腫瘍の摘出手術(以下「本件手術」という。)を主たる治療内容とする診療契約を締結した。

(原告が同年七月二八日医科研で受診し、同年八月一八日医科研に入院した事実は当事者間に争いがないから、本件手術を主たる治療内容とする診療契約は、同年七月二八日に締結されたものと解せられる。なお、同年九月一四日は、原告が本件手術に確定的に同意した日であると解せられる。)

五  被告医師らは、平成四年九月一七日、医科研において本件手術を行ない、その際、原告に対し、輸血(乙第一号証によれば、濃厚赤血球及び新鮮凍結血漿各一二〇〇ミリリットルであることが認められる。以下「本件輸血」という。)がされた。

(当事者間に争いがない。)

六  よって、原告は、被告国に対しては、本件手術を主たる治療内容とする診療契約の締結に際して付された手術中いかなる事態になっても原告に輸血をしないとの特約に反して、被告国の履行補助者である被告医師らが原告に対し本件輸血をした債務不履行に基づく損害賠償として、被告医師らに対しては、手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの意思に従うかのように振る舞って原告に本件手術を受けさせ、本件輸血をしたことにより、原告の自己決定権及び信教上の良心を侵害した不法行為に基づく損害賠償として、また、被告国に対しては、被告医師らの右不法行為についての使用者責任に基づく損害賠償として、いずれも慰藉料一〇〇〇万円及び弁護士費用二〇〇万円の合計一二〇〇万円並びにこれに対する本件訴状送達の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  争点

一  原告と被告国は、本件手術を主たる治療内容とする診療契約の締結に際し、手術中いかなる事態になっても原告に輸血をしないとの特約を合意したか。

(原告の主張)

平成四年九月一四日、原告は、被告国との間で、本件手術を主たる治療内容とする診療契約を締結した。その際、①いかなる事態に至っても、被告医師らは原告に輸血をしない、②原告は、輸血をしなかっために生ずるいかなる結果についても、被告らの責任を問わないとする特約を合意した。

原告が肝臓の悪性腫瘍とどのように対峙し、これをどのように克服していくかは、最終的には原告自身が選択すべき問題であって、その治療法として外科的治療を選択しながら、信仰上の教義によって輸血を拒否したとしても、何ら公序良俗に反するものではない。原告は決して死を望んでいたわけではなく、生への強い希望を持っていたからこそ、治療を願って各病院を訪ね治療(輸血という手段は用いないという条件付)を依頼したのであって、死は、エホバの証人の教義が命ずる到達点であるわけではなく、教義を忠実に守った結果生ずるかも知れない副作用に過ぎない。輸血という医療の一手段にすぎないものを受け入れないことが人命軽視とされるなら、手術により救命が可能と思われる患者が手術に応じないことや、化学療法による健康の改善が期待される患者がその治療を拒むことも同様に人命軽視と呼ばざるを得ない。原告の輸血拒否や輸血をしないことの合意は、患者が自分の人生をどのように送るかについての信念の表明(患者本人の生き方の問題)及び患者の生きざまや生命の質を理解した医師との合意であって、医の倫理に悖ることはない。

(被告らの主張)

被告医師らは、原告に対して、本件手術の際にいかなる事態になっても原告に輸血をしない特約を合意した事実はない。原告が医科研の医師や看護婦に免責証書を交付したり、いかなることがあっても輸血をしないで欲しい旨を伝えていたとしても、これらは、原告が一方的な希望を伝えたにすぎない。免責証書の内容は、原告の立場からする要望ないしは信念の表明であって、このような書面を受け取った事実だけで人間の命にかかわり、かつ医師としての倫理上の責任、場合によっては刑事責任を問われかねない事項に関して、被告医師ら、ひいては被告国が原告の右要望ないしは信念を受け入れた、すなわち原告と被告国との間で原告の主張する特約が黙示的に合意されたと評価することはできない。

手術に伴う多量の出血などにより患者の生命の危険が現実化し、輸血以外に救命の手段がない事態に至った場合には、医師が自ら手術を開始している以上、先行行為により生じた結果を回避するべき作為義務を負うことになるため、医師が手をこまねいていることは、不作為による自殺幇助の罪、場合によっては不作為による殺人罪に問擬されかねない事態であって、医師に対し、このような現行法秩序において犯罪と評価されるような行為を行わせることを目的とする特約は、公序良俗に反することは明らかである。もとより信教の自由は、内心の自由にとどまる限り絶対的に保障されているが、他者の法益と衝突する場合には信教の自由といえども制限に服するのであり、医師に対し契約上の義務として現行法秩序において犯罪と評価され得るような行為を行うことを強制することまで正当化することはできない。手術中に、輸血しなければ救命の策がない事態に至った場合に輸血しないとする特約は、公序良俗に反する。

二  被告医師らは、手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識した上で、その原告の意思に従うかのように振る舞って、原告に本件手術を受けさせ、本件輸血をしたか。また、被告医師らは、右の行為によって、原告の自己決定権及び信教上の良心を侵害したか。

(原告の主張)

原告は、平成四年七月二八日、訴外甲野一郎(以下「訴外一郎」という。)を通じて、被告Aに対し「三〇年間エホバの証人をしていて輸血はできないが、血に代わるものなら大丈夫」と伝え、同年八月一八日、被告Eに対し「血の一滴でも輸血することはできない。」と伝え、同年九月七日、被告Dに対し「輸血されるのは強姦されるのと同じに感じるので、死んでも輸血しないでください。」と伝え、同月一一日、被告Eに対し「輸血はできない。」と伝えるなどして、機会ある毎に「自分がエホバの証人であり、いかなることがあっても輸血をしないでほしい」旨を医科研に伝えており、同月一四日、本件手術の説明に際しても、原告は、被告A、被告E及び被告Dに対し、原告がエホバの証人であり、輸血を受け入れないという宗教上の信念を有すること、いかなる事態になっても原告に対し輸血をしないこと及び原告が輸血をしなかったために生ずるいかなる結果についても被告医師らの責任を問わないことが記載された免責証書を被告Aに交付して、輸血をしないで欲しい旨を伝えたところ、被告Aは「はい、わかりました」と言って免責証書を受け取り、被告E及び被告Dは被告Aに同調した。

以上のとおり、被告医師らは、いかなる場合にも輸血を受け入れないという原告の意思を十分に認識しながら、輸血なしで治療を行なうことを原告に対し請負うかのような態度を示し、無輸血で治療が受けられると信用していた原告に対し、本件輸血をして、原告の自己決定権及び宗教上の良心を侵害した。

(被告らの主張)

輸血をしないで手術を実施することは、手術にあたって医師らをして職業倫理上の責任はもちろん、刑事責任すら負わせかねない状況に陥らせることであるから、このような患者の選択に医師が従うことを求めることは現行法秩序全体から是認し得ないものである。したがって、右事態に至った場合に輸血を拒むということは、患者がどのような治療方法を受けるかを選択する権利(自己決定権)の行使としては認められない。すなわち、選択肢として存在しない。

手術をするということは、病気を治す、あるいは有意味な延命を図るということである。一方、手術の態様によっては輸血をしなければ生命の危険を伴う事態が生ずることは皆無ではない。病気を治すために手術を依頼するのに、自己決定権を根拠として、いかなる事態が生じても輸血を拒否するというのは患者の身勝手である。手術中に生命の危険を伴う事態が生じたとすれば、医師の手術行為がその先行行為として存在するわけであるから、医師に輸血もないしに拱手傍観せよと要求するのは、権利の濫用である。

三  本件輸血は、社会的に相当な行為又は緊急事務管理として違法性が阻却されるか。

(被告らの主張)

被告Aらは、手術前に行った術前検討会では最大限一五〇〇ミリリットル前後の出血量で手術を終えることができると予想していた。本件手術の閉腹操作を完了した時点で、原告には右予想以上の二〇〇〇ミリリットルを超える出血があり、かつ低血圧からの回復が見られなかった。原告がショック状態に陥り、原告の生命を救うためには他に方法がないため、被告Aらは、やむを得ず本件輸血をしたのであって、このような状況においては、人命尊重の観点からも、また、医師にとって職業倫理上の責任、刑事上の責任を回避するという観点からも、原告に対して本件輸血をして、その命を救うことは社会的に正当な行為として許されるというべきであり、また、緊急事務管理の要件も満たしているというべきである。

(原告の主張)

緊急避難の成否が問題となるのは、輸血以外に救命の方法がなく、かつ、患者の意思が不明であって、患者の承諾を得る暇がない緊急の場合に限られる。本件では、被告医師らが本件輸血をしたとする午後四時三〇分ころの原告の状態を麻酔記録からみると、既に出血は一時間程度前から止まっており、血圧は九〇―一四〇で安定し、脈圧もあり、脈拍数に変動なく、尿量も保たれているから、原告の循環動態には特段の問題はない。即ち、原告の救命のために輸血が必要不可欠ではなかったので、被告医師らには、違法性阻却が成立するための前提事実自体が存在しない。また、本件輸血をする前に原告及び原告の家族にその承諾を求めるゆとりは十分にあったのであるから、原告や家族の意思を無視して本件輸血をした被告医師らの行為を緊急避難ということはできず、違法性が阻却されるものではない。

四  本件輸血により原告が被った損害はいくらか。

(原告の主張)

被告国の債務不履行又は被告医師らの不法行為によって、原告の受けた精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円を下ることはなく、また、本訴提起のための弁護士費用は二〇〇万円が相当である。

第四  本件の経過

甲第一号証の一、二、甲第二号証、甲第一五号証、甲第三〇号証の一、二、甲第三一号証の一ないし一四、甲第三六号証の一、甲第四一号証、乙第一ないし第四号証、乙第七号証、乙第八号証の三の一、同号証の四の一、二、同号証の五の一ないし三、同号証の六、同号証の七の一、二、同号証の八の一ないし三、証人甲野一郎の証言、原告本人及び被告A本人の各尋問結果に弁論の全趣旨を総合すると、本件の経過について以下の事実が認められる。

一  原告は、昭和四年一月五日に出生し、昭和三八年からエホバの証人の信者であり、原告の長男である訴外一郎もエホバの証人の信者であり、原告の夫の訴外甲野太郎(以下「訴外太郎」という。)は、エホバの証人の信者ではないが、原告の信仰を理解し、輸血に関する原告の意思を尊重していた。原告は、輸血を拒否するという自分の意思を他者に示すために、常日頃、「輸血しないでください。」という文言が記載され、原告の名前を署名してあるカードを携帯していた。

二  原告は、平成四年三月ころから下痢や便秘が続いており、腹部が硬くなっているように感じたことから、同年六月一五日、右症状を訴えて、国家公務員共済組合連合会立川病院(以下「立川病院」という。)で診察を受けた。同月一七日、原告は、立川病院に入院し、同年七月六日、悪性の肝臓血管腫であるとの診断結果を伝えられた。原告は、はっきりと癌であるとは告げられなかったが、血管腫であると聞かされたので、肝臓癌ではないかと疑っていた。原告は、訴外一郎にエホバの証人の医療機関連絡委員会(エホバの証人の信者によって構成され、必要なときに信者に対し協力的な医師を紹介するなどの活動をしているグループ。以下「連絡委員会」という。)のメンバーで、内科医師である訴外X(○○病院勤務。以下「訴外X」という。)に相談をした。原告は、手術が必要な段階になっていると考えて、訴外一郎を通じて、免責証書を連絡委員会の委員から受け取った。その後、訴外一郎及び訴外Xらが立川病院のG医師及びH医師と会って話合いをしたが、原告は、右医師らから「ここでは甲野さんの手術は輸血なしではできません。」と言われて、転院を示唆された。そこで、原告は、同月一一日、立川病院を退院し、輸血をしないで手術をする医療機関を探し始めた。訴外Xから、無輸血手術の可能性がある病院として、上尾の病院と東京の被告Aを教えられた。その際に、原告は、訴外Xから、被告Aがそれまでにエホバの証人の信者に対する手術を無輸血でしていると聞かされた。

三  同月二七日、以前から被告Aと接触のあった連絡委員会のメンバーである訴外Yは、被告Aに電話をして「患者はエホバの証人で肝臓左葉の後ろにかなりの大きな腫瘍があります。肝臓癌と思われますが、地元の病院では無輸血は難しいので、先生にお願いしたいのです。」と言うと、被告Aは、「転移していなければ無輸血手術は可能なので、すぐ検査を受けてもらいたい。明日にでも来て下さい。」と言って原告の診察を了解した。同月二八日、原告は、訴外太郎及び訴外一郎に付き添われ、外来扱いで医科研に行き、訴外太郎と共に、被告Aと面談をした。原告及び訴外太郎が立川病院からの紹介状や立川病院のカルテを被告Aに示すと、被告Aが「大きいけど、心配いりません。ちゃんと治療できます。」と言ったことから、原告は、輸血なしで手術することができるのだと思った。原告が採尿と採血をしている間に、訴外一郎も被告Aと面談をした。訴外一郎が「ご存じだと思いますが、母は三〇年間エホバの証人をしていて、輸血することはできません。血そのものはだめですが、それに代わるものであれば大丈夫です。」と言うと、被告Aは、「いざとなったらセルセイバーがあるから大丈夫です。本人の意思を尊重して、よく話し合いながら、きちんとやっていきます。」と言った。訴外一郎は、「必要なら免責証書も出します。」と付け加えた。一〇分から一五分程度の話し合いが行われた後、被告Aは、「部屋が空き次第入院して下さい。」と訴外太郎及び訴外一郎に告げた。この面談で、原告、訴外太郎及び訴外一郎は、被告Aが原告の希望通りに無輸血で手術をしてくれるものと思った。

医科研では、原告を診断する以前から、エホバの証人の信者から依頼を受けて、外科的治療を行っていた。甲状腺腺腫に対する右葉切除術、上皮小体腫瘍の摘出、総胆管嚢腫に対する胆嚢切除等の手術が行われ、いずれの事例でも、無輸血で手術をしていた。

四  原告は、同年八月一八日、医科研に入院した。被告E及び被告Dが原告の主治医となり、同日、被告Eが「血の一滴でも輸血するのはだめですか。自分の血をストックすることもだめですか。」と質問すると、原告は「できません。でも、それに代わるものでしたら、大丈夫です。」と答えた。

同年九月七日、被告Dが「手術には突発的なことが起こるので、そのときは輸血が必要です。」、「輸血しないで患者を死なせると、こちらは殺人罪になります。やくざでも、死にそうになっていて輸血をしないと死ぬ状態だったら、自分は輸血します。」と言ったところ、原告は「死んでも輸血をしてもらいたくない、そういう内容の書面を書いて出します。」と言ったが、被告Dは「そういう書面をもらってもしょうがないです。」と答えた。

同月一〇日、原告は医科研の指示で都立広尾病院でMRI検査を受け、同月一一日、検査結果を被告Eに渡した。被告Eは、再度「輸血できないですか。」と質問すると、原告は「できません。でも、血を使ったものでなければ、大丈夫です。」と答えた。

CT検査では、腫瘍が肝右葉を占める巨大なもの(一三×九×一六センチメートル)で、右腎は圧迫されて扁平化しているが水腎症は認められない、腎周囲及び後腹膜腔にリンパ節腫大は認められない、膵頭部は正中付近まで右方に圧排されている、腹水・胸水は認められないという診断結果が出た。血管造影検査では、肝右葉の巨大な腫瘤が右後区域肢では閉塞している、胃と十二指腸が圧排されている、腫瘤全体を栄養する腫瘤血管は認められないという診断結果が出た。下大静脈造影では、腫瘤は右から左に圧排されていて、狭窄状態で閉塞は認められないという診断結果が出た。MRI検査では、肝右葉と右腎の間の巨大な腫瘍で、一部に変性壊死を認め、嚢胞状で、腫瘍は肝臓を圧排し、肝外発生と考えられる、腎との連続性はないという診断結果が出た。

原告に対する諸検査の結果が出た後、被告医師らは、本件手術についての術前検討会を行った。右検討会では、原告の症状は肝原発の血管系腫瘍、肝細胞癌、悪性後腹膜腫瘍等が考えられ、治療としては、肝右葉切除術(右半切除術)、あるいは術中所見により拡大右葉切除術を行うことで意見が一致した。手術の方法については、予め肝門部で右の肝動脈と中肝動脈を分離、それから右の門脈を結紮すれば肝臓に行く血液が遮断されるので肝臓の色が変わる、その色の変わった線から右側を切っていけば出血量は極めて少なくて切除できるだろうとの予想が立てられた。術中は、結紮を繰り返し、出血量を減らす方針が確認された。原告の出血は、最大一五〇〇ミリリットル程度で乗り切れると予想された。被告Aは、医科研の診療科の科長の立場にあり、手術のメンバーを決めたり、術前検討会を主宰し、本件手術の執刀医として最終的な責任者であった。術前血液検査で、貧血ではないが原告のヘモグロビン量と赤血球数が正常値の下限であったことから、エポジンとフェジンの投与をすることにした(同月九日から一四日まで実施され、同月一四日には原告の血液検査値は改善された。)。セルセイバーの使用については、疾患が消化管を開ける準清潔術(汚染手術)の可能性が高いことなどから適応がないとされた。原告の腫瘍は大きく不測の事態から大量出血に至ることがあり、基本的に輸血を行わないとしても、生命が危険な事態に備えて、予め血液を準備する必要性があるという意見から、濃厚赤血球及び新鮮凍結血漿を準備することになった。

外科手術を受ける患者がエホバの証人の信者である場合の医科研の治療方針は、①診療拒否は行わない、②エホバの証人患者が教義の立場から輸血及び血漿製剤の使用を拒否していることは尊重し、できるだけその主張を守るべく対応する、③輸血以外には生命の維持が困難な事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否に拘わらず輸血をするというものであった。なお、最近の医科研の肝臓癌の治療のための切除例では、出血量は四〇〇ミリリットルから二六八五ミリリットルまでの範囲で認められ、内七例は、一五〇〇ミリリットルの範囲の出血量ですんでおり、輸血がされたのは、出血量が一三五〇ミリリットル、二六八五ミリリットル及び一九五〇ミリリットルの三例であった。

五  同月一四日午後五時半ころ、被告Aは、訴外太郎及び訴外一郎に対し、手術の日時と内容についての一〇分間程度の説明をした。被告Aは、訴外太郎及び訴外一郎に対し、手術が同月一六日午前九時から行われること、かなり大きな血管腫であること、肝臓の右半分を取ること、大きな手術となり出血があること、合併症として熱が出ることがあること及び手術後に細菌によって何か起きるかもしれないことを説明した。右説明とともに、被告Aは、「術後再出血がある場合には、再び手術が必要になる。この場合は医師の良心に従って治療を行う。」と言って、術後に出血が起こり、どうしても輸血しなければならないときには輸血をすることを言外に示そうとした。右説明の後、原告がその場に呼ばれた。被告Aは、原告に対し、図を示しながら「腫瘍を含めて肝臓をこの程度切除する予定である。」と簡単な説明をしたが、悪性腫瘍の可能性が高いことや手術後の予後、重篤な合併症についての話はしなかった(なお、甲第一五号証、甲第四一号証並びに証人甲野一郎及び原告本人尋問の各供述には、原告、訴外太郎及び訴外一郎が三人で、同時に説明を受けたとする部分があるが、カルテ(乙第一号証)には、被告Aが家族に対し説明した旨が明確に書いてあり、右部分は採用することができない。)。また、その際、訴外一郎は、念を押して、いざとなったらセルセイバーを使えることを伝え、さらに、「先生方を信頼しています。でも、本人の意思を是非尊重してもらいたいし、ご迷惑をかけたくないので受け取っていただきたい。」と言って、原告及び訴外太郎が連署していた免責証書(乙第四号証)をその場で手渡した。被告Aは「分かりました」と言って、免責証書に目を通して、同席していた被告E又は被告Dにそれを手渡した。免責証書には、「私は、当患者の治療にあたって、血液または血液成分のいかなる輸注も受け入れることができませんので、ここにその旨お知らせいたします。私は、無血性の血漿増量剤、その他輸血に代わる治療法は受け入れることができます。私は、輸血によって有害もしくは致死的な結果が当患者に及ぶことを望んでおりません。私はエホバの証人の一人として、この医療及び信教上の指示書を作成いたします。私は、治療にあたってくださる医師の方々が輸血もしくは血液成分の使用が必要であると判断される場合のあることを理解しておりますが、そのような場合であっても私はその見解を受け入れることができず、ここにお伝えする指示を固守いたします。上記は、私自身が慎重に考慮した事柄であり、この(私の)指示は、私が無意識状態にあっても変わることはありません。私は、この指示に従ったことによって生じるどんな損傷に関しても、医師、病院当局、ならびに病院職員の方々の責任を問うことはありません。」との記載があった。この際、右のやりとり以外は、被告Aと原告、訴外太郎及び訴外一郎との間で輸血に関する話はされなかった。被告Aは、それまでのエホバの証人の信者と接触した経験から、彼らが手術に際して免責証書を差し出すことを知っていたので、形式的なものと考えてこれを受け取った。被告Aは、原告の生命を守るためには、本件手術をやらざるを得ないと考えていたので、本件手術について輸血がどの程度必要であるのか輸血をしなければどうなるかについては、それを説明すれば原告は手術を拒否すると考えて、あえて説明をしなかった。被告Aは、その後、原告及び訴外太郎から医科研の書式に基づく手術承諾書(乙第二号証)が被告医師らに提出された。被告Aは、輸血のことについて特に言及しない訴外太郎及び訴外一郎の態度を見て、同人らが輸血の点を避けようとの印象を持った。

六  本件手術が始まるに際し、被告医師らは、輸血用として三〇〇〇ミリリットルの血液を準備した。三〇〇〇ミリリットルの血液は、通常の肝臓の手術で準備される量である。なお、甲第六三号証には、一度に三〇〇〇ミリリットルの血液が必要となるような出血はあり得ず、万が一のときの救急用のためであるならば、準備する血液の量はもっと少なくてすむという部分があるが、同号証も三〇〇〇ミリリットルが手術をやり終えるための普通量としていることに照らすと、大量出血の際の救命措置のために備える量として、三〇〇〇ミリリットルが過量であると認めることはできない。

本件手術に着手し、原告を開腹したところ、術前の肝右葉から発生した腫瘍であるとの診断と異なり、肝下面の後腹膜腔から発生し肝右葉に浸潤性に発育した腫瘍であることが判明した。その段階で、被告医師らは、術前の右葉切除の方針を変更し、浸潤性を隔離しつつ肝部分の亜区域のS5、S6を切り取ることにし、肝十二指腸靱帯をテープで確保し肝へ流入する血管を遮断する準備を行った。次いで、肝動脈及び門脈を一五分間遮断して五分間の遮断解除をするという操作を繰り返しつつ、肝実質が少しずつ切離された。腫瘍が悪性であることが明らかとなり、周りに浸潤性の発育をしていて血管にかなり増生していることが認められた。肝門部遮断を繰り返しつつ肝切離分の出血をコントロールしながら、S五、S六下面を切除し、次に、腫瘍後面の剥離に入ると、腫瘍が腎周囲組織に浸潤性に発育し、その右方後面は横隔膜に浸潤しているため、腎を合併切除することにした。右尿管、右腎動脈が二重結紮されて切離されたことで、腫瘍は下大静脈に接する部分のみとなった。右部分は明らかに浸潤性発育となっていたが、剥離途中で下大静脈損傷による大出血を防止するため、癒着部分の上下で下大静脈にテープをかけて血管が確保され、腫瘍と下大静脈とが隔離された。原告の術野の出血は、大量に血液が浮いてくるのではなく、じわじわと出血するというものであった。

患部に対する手術が終わった午後三時五〇分頃の原告の出血量は、二二四五ミリリットル余りで、昇圧剤を用いつつ細胞外液を多量に投与されたため、低血圧(九〇―四〇程度)、頻脈、創浮腫が著名となり、組織が水浸しの状態になっていた。被告医師らは、原告が出血性ショックによる末梢循環不全にあるので、血液を後になって入れたのではショック状態の改善は非常に難しい事態であると判断した。被告医師らは、緊急的対応について協議をし輸血しない限り原告を救えない可能性が高い(十分に輸液が行われているという状況下であったことから、代用血漿剤を使用する必要性はなかった)と判断し、また、原告が輸血をすることを知ると抵抗して輸血の実施が困難になるものと考えて、直ちに原告に対し濃圧赤血球及び新鮮凍結血漿六単位各一二〇〇ミリリットルを原告に対し点滴投与した。本件輸血をすると、原告の血圧は一三〇―七〇以上に回復した。なお、甲第六四号証には、原告の閉腹前後の状態として、最高血圧が八五から九〇、再低血圧が四〇から五〇ほどで比較的安定しており、進行性の血圧低下が見られないこと、尿量が一五時から一七時で二〇〇ミリリットルと乏尿の状態にはないこと、脈圧が四〇から五〇で良好であり、心拍は一一〇から一〇〇台で安定していたことから、原告がショック状態になかったとする部分があり、同号証添附の資料には、ショック状態が「循環血液量と血管床の容量との不均衡によって起こる末梢循環障害で、進行性の重要臓器の機能障害」と定義され、その特徴として進行性の動脈圧下降、乏尿、脈圧の減少及び頻数で緊張の弱い脈等が挙げられていること、被告A本人尋問で「その時点で輸血を行うことなく、もう少し経過を見ることも考慮された」旨供述していることに照らすと、原告の状態は、完全なショック状態にまでは至っていないが、進行性の機能障害へ進む過程にあったものと認めるのが相当である。

七  本件手術により摘出された腫瘍の病理組織学的診断は後腹膜の悪性腫瘍で、極めて稀なものであり、この腫瘍の予後は良好でなく、再発率は半数以上、転移率は約三分の一とされている。被告Aは、訴外太郎及び訴外一郎に対し、手術内容、病理組織の診断結果に関して詳細な報告をした。原告に対しても腫瘍が悪性である点を除き、本件手術の概要を報告した。輸血に関しては、原告、訴外太郎及び訴外一郎から質問はなく、被告Aは、本件輸血の事実を告げることが原告のためにならないと考えて、本件輸血をしたとの説明をしなかった。

八  同年一〇月ころ、本件輸血の事実を聞きつけた週刊誌の記者が医科研に対し取材を申し入れた。被告医師らは、本人から求められれば本件輸血の事実を伝える考えでいたので、同年一一月六日、退院時の説明の際に、被告A、被告D及び被告Eが訴外太郎に対し、本件輸血の事実を告げ、救命のために本件輸血が必要であった状況を説明した。同月七日、訴外一郎が被告Aに面会に来たので、被告Aは、面会に応じ、本件輸血の事実を告げた。

第五  争点に対する判断

一  争点一について

原告は、被告国との間で、手術中にいかなる事態になっても原告に輸血をしないとの特約を合意したと主張しているが、医師が患者との間で、輸血以外に救命方法がない事態が生ずる可能性のある手術をする場合に、いかなる事態になっても輸血をしないとの特約を合意することは、医療が患者の治療を目的とし救命することを第一の目標とすること、人の生命は崇高な価値のあること、医師は患者に対し可能な限りの救命措置をとる義務があることのいずれにも反するものであり、それが宗教的信条に基づくものであったとしても、公序良俗に反して無効であると解される。

よって、原告主張の特約は無効であるから、原告の被告国に対する債務不履行に基づく損害賠償請求は、右特約の存否について論ずるまでもなく、失当である。

二  争点二について

原告は、被告医師らは、手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識した上で、その原告の意思に従うかのように振る舞って、原告に本件手術を受けさせ、本件輸血をした、また、被告医師らは、右の行為によって原告の自己決定権及び信教上の良心を侵害したと主張している。

既に認定した事実から、被告医師らが手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識していたことは明らかであり、被告医師らはその原告の意思に従うかのように振る舞って原告に本件手術を受けさせたというべきであって、その結果として、本件輸血がされたことになる。したがって、原告は、被告医師らから手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば必ず輸血をすると明言されれば、本件手術を受けなかったはずであるから、被告医師らは、前記行為によって、原告が本件手術を拒否する機会を失わせ、原告が自己の信条に基づいてい本件手術を受けるか受けないかを決定することを妨げたものである。

そこで、被告医師らが手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば必ず輸血をするとは明言しなかったことが違法であるかどうかを検討する。

まず、手術は患者の身体を傷害するものであるから、治療を受けようとする患者は、当該手術を受けるかどうかを自分で決定することができると解される。この解釈は、患者がエホバの証人の信者であると否とに拘わらず、治療を受けようとする患者すべてに共通するものである。そして、患者が当該手術を受けるかどうかを決定するには、当該手術の内容・効果、身体に対する影響・危険及び当該手術を受けない場合の予後の予想等を考慮することが前提となるので、その反面として、患者に対し手術をしようとする医師は、当該手術の内容・効果、身体に対する影響・危険及び当該手術を受けない場合の予後の予想等を患者に対し説明する義務を負うものと解される。しかし、この説明義務に基づく説明は、医学的な観点からされるものであり、手術の際の輸血について述べるとしても、輸血の種類・方法及び危険性等の説明に限られ、いかなる事態になっても患者に輸血をしないかどうかの点は含まれないものである。

一般的に、医師は、患者に対し可能な限りの救命措置をとる義務があり、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば、患者に輸血をする義務があると解される。ところが、患者がエホバの証人の信者である場合、医師から、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば必ず輸血をすると明言されれば、当該手術を拒否する蓋然性が高く、当該手術以外に有効な治療方法がなく、手術をしなければ死に至る可能性の高い病気では、当該手術を受けないことが患者を死に至らしめることになる。そうとすれば、患者がエホバの証人の信者であって、医師に診察を求めた場合、医師は、絶対的に輸血を受けることができないとする患者の宗教的信条を尊重して、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば輸血をすると説明する対応をすることが考えられるが、患者の救命を最優先し、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば輸血するとまでは明言しない対応をすることも考えられる。そして、後者の対応を選んでも、医師の前記救命義務の存在からして、直ちに違法性があるとは解せられない。結局、この場合の違法性は、患者と医師の関係、患者の信条、患者及びその家族の行動、患者の病状、手術の内容、医師の治療方針、医師の患者及びその家族に対する説明等の諸般の事情を総合考慮して判断するべきものである。そこで、本件の経過で既に認定した各事実を総合すると、特に次の事項が重要である。

1 原告は、昭和三八年からエホバの証人の信者として生活しており、原告にとって、輸血拒否は、エホバの証人の信仰の核心部分と密接に関連する重要な事柄である。

2 連絡委員会の訴外Yが被告Aに電話して原告の診療の内諾を得てから、原告が医科研を受診し、入院した。

3 被告医師らは、いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識し、その原告の意思に従うかのように振る舞ってはいたものの、被告Eや被告Dらは、本件手術前に何回かにわたって輸血ができないかどうかを原告に質問しており、本件手術前の説明の際には、原告からは免責証書が提出されただけで輸血に関する要求はなかった。被告Aは、本件手術前の訴外太郎及び訴外一郎に対する説明で、輸血を除く点については十分な説明をしており、原告に対しても簡単な説明をしているので、本件手術にあたっての一般的な説明としては十分であると解され、右説明とともに、被告Aは、訴外太郎及び訴外一郎に対し「術後再出血がある場合には、再び手術が必要となる。この場合医師の良心に従って治療を行う。」と伝えて、輸血をすることもあり得ることを言外に示そうとした。また被告Aは、本件手術前の説明の際に訴外太郎及び訴外一郎が特に輸血のことに言及しない態度を見て、同人らが輸血の点を避けようとしているとの印象を持った。

4 原告の症状は、本件手術前に行われた原告に対する諸検査の結果からみても、かなり重篤な肝臓部の腫瘍で悪性であることが疑われており、本件手術後の診断でもかなり重篤な腫瘍であることが確認された。

5 エホバの証人の患者に対する医科研の治療方針は①診療拒否は行わない、②エホバの証人の患者が教義の立場から輸血及び血漿製剤の使用を拒否していることは尊重し、できるだけその主張を守るべく対応する、③輸血以外には生命の維持が困難な事態にいたったときは、患者及びその家族の諾否に拘わらず、輸血を行うというものであるが、右治療方針は、基本的には、輸血以外には生命の維持が困難な事態に至らない限りは、エホバの証人の信仰上の意思を尊重していこうとするものであり、輸血以外には命の維持が困難な場合には救命を最優先させるというものであって、医師に治療義務があることからして、直ちに違法であるとか相当でないとかいうことはできない。

6 被告医師らは、本件手術前に原告の出血量を一五〇〇ミリリットル程度であると予想し、無輸血での手術が可能であると判断したが、本件手術までに医科研でされた無輸血手術の事例及び本件手術で採用された肝臓付近の血流の遮断を繰り返しながら行うという手術方法に照らすと、かかる出血量の予想を立てることに合理性があったものと認められる。

以上の事実を総合考慮すると、被告医師らが手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識した上で、原告の意思に従うかのように振る舞って、原告に本件手術を受けさせたことが違法であるとは解せられないし、相当でないともいうことはできない。

なお、本件輸血は、原告の意思に反するものである。しかし、本件手術において閉腹操作を完了した時点で術前に被告医師らが予測した以上の二二四五ミリリットル余りの出血があり、原告が完全なショック状態までは至っていないが、進行性の機能障害へ進む過程にあったので、原告の生命を救うために、被告医師らは本件輸血をしたものであって、右のような状況では、本件輸血は、社会的に正当な行為として違法性がないというべきである。原告は、緊急避難の成否が問題となるのは、輸血以外に救命の方法がなく、かつ、患者の意思が不明であって、患者の承諾を得る暇がない緊急の場合に限られる旨主張し、甲第六三号証及び同第六四号証には、原告に対し本件輸血をしなくとも救命できる可能性があったとし、そのための方法などについて言及する部分がある。しかし、右甲号各証で指摘される方法が原告の救命に有効であったかどうかは必ずしも明らかでないし、このような場合に原告が望む治療法を医師に要求することはできない。また、原告は、本件輸血をする前に原告及び原告の家族にその承諾を求めるゆとりが十分にあった旨主張するが、医科研では、輸血をしなければ救命できない事態になったときには患者の意思に関わらず輸血をするという治療方針でいたのであり、前述のとおり右治療方針自体を違法と解することはできないから、右主張は採用できない。

よって、被告医師らの行為に違法性が認められないから、原告の被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求は、失当である。

第六  結論

原告の本件請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大島崇志 裁判官小久保孝雄 裁判官小池健治)

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