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東京地方裁判所 平成3年(ワ)7178号 判決 1993年4月20日

主文

一  被告日本保全株式会社は、原告に対し、金一五二〇円及び平成元年五月一日から平成三年四月四日まで一か月金一万一四〇〇円の割合による金員を支払え。

二  原告の被告日本保全株式会社に対するその余の請求及びその余の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告日本保全株式会社との間においては、原告に生じた費用の五分の一を同被告の負担とし、原告に生じたその余の費用と同被告に生じた費用を原告の負担とし、原告と被告藤田フサ子及び同株式会社本木との間においては、全部原告の負担とする。

理由

第一  請求

一  被告日本保全株式会社は、原告に対し、別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)を収去して同目録二記載の土地(以下「本件土地」という。)を明渡し、かつ、金六五万五四〇〇円及び平成元年五月一日から右明渡済みまで一か月金七九万四〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二  被告藤田ふさ子及び同株式会社本木は、各自本件建物から退去して本件土地を明渡せ。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が被告日本保全株式会社(以下「被告日本保全」という。)に対し、賃料増額請求につき同被告がなした従前の賃料額による供託が無効であるとして、賃料不払を理由に本件土地の賃貸借契約を解除した旨主張し、本件建物を収去のうえ本件土地を明渡すよう求めるとともに、平成元年四月分の差額賃料六五万四〇〇〇円、同年五月一日から平成三年四月四日までの一か月七九万四〇〇〇円の割合による増額賃料及び同月五日から右明渡済みまでの一か月七九万四〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求め、また、原告が被告藤田フサ子(以下「被告藤田」という。)及び同株式会社本木(以下「被告本木」という。)に対し、本件土地の所有権に基づき、本件建物から退去のうえ本件土地を明渡すよう求めた事案である。

二  争いのない事実等

1(本件土地のもと所有)

本件土地は、もと木下利久の所有であつた。

2(本件賃貸借契約と賃料増額請求)

木下利久は、被告日本保全に対し、本件土地を賃料一か月一三万八六〇〇円で賃貸していたが(以下「本件賃貸借契約」という。)、平成元年四月二七日右賃料を同月分以降一か月七九万四〇〇〇円に増額する旨の意思表示をした(但し、原告と被告日本保全及び同藤田間には争いがない。)。

3(内金受領の通知)

しかし、右賃料増額請求を不当と考えた被告日本保全が木下利久に対し、平成元年四月末日ころ同月分の賃料として一三万八六〇〇円を三菱銀行藤沢支店木下利久名義に振込方法により支払つたため、木下利久は、被告日本保全に対し、同年五月八日付でそのころ到達した内容証明郵便でもつて「四月分の地代七九万四〇〇〇円の一部として受領いたします」と通知した(但し、原告と被告日本保全及び同藤田間には争いがない。)。

4(供託の通知)

そこで、被告日本保全は、木下利久に対し、平成元年五月二六日付でそのころ到達した内容証明郵便でもつて同年五月分以降の賃料として月額一三万八六〇〇円を供託する旨を通知した(但し、原告と被告日本保全及び同藤田間には争いがない。)。

5(原告の本件土地取得)

その後、木下利久が平成二年八月六日に死亡したため、その配偶者たる原告が本件土地を相続した。

6(催告)

原告は、被告日本保全に対し、平成三年三月二一日到達の内容証明郵便でもつて、従前額の賃料であつても増額賃料の内金として受領するので、右到達後五日以内に平成元年五月分以降の賃料に年五分の遅延損害金を付加してこれを持参又は原告名義の銀行口座に送金して支払うよう催告するとともにその支払がないときは本件賃貸借契約を解除する旨を通告した(但し、原告と被告日本保全及び同藤田間には争いがない。以下「本件催告」という。)。

7(被告日本保全による供託)

被告日本保全は、木下利久及び原告の受領拒絶を理由に平成元年五月以降平成四年四月に至るまで毎月末日までに当月分の賃料として一か月一三万八六〇〇円の割合による金員を横浜地方法務局藤沢支局に供託している(被告日本保全代表者兼被告藤田。但し、原告と被告日本保全及び同藤田間には争いがない。以下「本件供託」という)。

8(解除の意思表示)

原告は、被告日本保全に対し、平成三年四月四日到達の内容証明郵便でもつて平成元年五月以降平成三年三月分までの賃料不払を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした(但し、原告と被告日本保全及び同藤田間に争いがない。)。

9(被告らの占有関係)

被告日本保全は、本件土地上に本件建物を所有して本件土地を占有し、被告藤田は、被告日本保全の代表者代表取締役として右建物の二階部分に居住し、被告本木は、被告日本保全から右建物の一階部分を賃借してこれを店舗として使用している(当事者間に争いがない。)。

二  争点

1  本件賃料増額請求は訴権の濫用であるか。

この点につき、被告らは、昭和四一年の借地法一二条二項の新設以来、賃料の不払を理由とする賃貸借契約解除に基づく土地明渡請求訴訟が原則として法律的根拠を欠くものに至つているから、右明渡請求訴訟の付帯請求として提起された本件賃料増額請求は、裁判制度の趣旨目的等に照らし著しく正当性を欠いており、訴権の濫用として許されず、また、本件賃料増額請求について、増額後の賃料額は相当賃料額を著しく超過し、かつまた、被告らに対する嫌がらせとともに本件土地の明渡等を目的としてなされたものであるから、権利の濫用である旨主張する。

2  平成元年四月二七日の時点における本件土地の適正な賃料額はいくらか。

原告は、当時の年間賃料が本件土地の更地取引価格の約〇・〇六二パーセント、路線価格の約〇・〇六九パーセントに止まつているうえ、租税及び近隣の賃料の上昇等に照らすと、賃料額が不相当に低額であり、かつ、その相当な賃料額は一か月七九万四〇〇〇円(但し、本件鑑定の結果を考慮すると少なくとも一か月一五万円)である旨主張する。

他方、被告らは、増額事由の存在を争い、仮に本件賃料につき増額事由が存するとしても、従来賃料額が本件土地の固定資産税と都市計画税の合計額の二・一倍として算定されて改定してきた経緯に徴すると、右賃料額は一か月一四万〇八〇〇円程度が相当である旨主張する。

また、被告日本保全及び同藤田は、本件賃料額に関する鑑定申請が時機に遅れた攻撃防御方法である旨主張する。

3  木下利久が被告日本保全の提供する賃料を内金として受領する態度を取つたことが受領拒絶に当たるか。

被告らは、被告日本保全が提供する賃料を内金としてのみ受領するという通知は、それ自体賃料受領拒否の意思表示であるところ、本件増額請求にかかる賃料額は過大であつて、その後の本件催告及び本件土地明渡請求訴訟の内容等に照らしても、賃料全額の支払としてはその受領を拒絶するとの意思を明確にしたものである旨主張する。

他方、原告は、従前額による賃料の受領を拒絶したことはないから本件供託はすべて供託原因を欠き、仮に受領拒絶に当たるとしても、被告日本保全は原告の要求に反して供託を継続してその信頼関係を破壊しているから、本件供託は権利の濫用であつて無効である旨主張する。

第三  争点に対する判断

一  本件賃料増額請求について

1  被告らは、昭和四一年の借地法一二条二項の新設以後、賃料増額請求がなされても相当賃料の支払があれば賃貸借契約の解除事由にはならないので、土地明渡請求訴訟が法律的根拠を欠くに至つた旨主張する。確かに旧借地法一二条二項(現行借地借家法一一条二項)の新設以後、賃借人が賃貸人に対して相当と認める額の賃料を弁済すれば、賃貸借契約の解除事由にはならないことは被告らの主張するとおりである。

しかしながら、本件では右弁済のために供託がなされてはいるものの、その効力が争われているのであるから、右供託の当否につき判断するまでもなく被告日本保全に対する本件建物収去及び本件土地明渡請求訴訟が法律上の根拠を欠くものとして直ちに排斥できる場合に該当しないことが明らかである。のみならず、本件では平成元年四月分の差額賃料六五万四〇〇〇円及び同年五月一日から平成三年四月四日までの一か月七九万四〇〇〇円の割合による増額賃料が請求されている以上、増額賃料の給付訴訟が提起されているものといわなければならない。

なお、現行民事調停法二四条の二第一項は、賃料増額請求訴訟につき調停前置を義務付けているが、本件賃料増額請求訴訟は同条の改正前に提起されており、右調停前置の規定は適用されないものというべきである。

してみれば、被告らの右主張はその前提を欠き失当であつて、結局、本件全証拠によつても、本件賃料増額請求訴訟の提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとは到底認めることができない。

2  また、被告らは、本件賃料増額請求が相当賃料額を著しく超過し、かつまた、被告らに対する嫌がらせとともに本件土地等の明渡等を目的としてなされたものであるから権利の濫用である旨主張する。

しかし、客観的な相当賃料額を超過する過大な増額請求であつても、賃借人たる被告日本保全はその増額を正当とする裁判が確定するまでは相当と認める額の賃料の支払義務を負担するにとどまることに加えて、後記本件適正賃料額等にかんがみると、本件においては賃料増額請求の意思表示の無効を来すものではないというべきであり、また、本件全証拠によつても、本件賃料増額請求が被告らに対する嫌がらせとともに本件土地の明渡等を目的としてなされたものと断定することができないから、右主張はその前提を欠き失当といわなければならない。

二  本件土地の適正な賃料額について

1  平成元年四月二七日の賃料増額請求について

《証拠略》によれば、本件土地は、JR神田駅北口から靖国通りに至る中央通り沿いにあつて、地下鉄銀座線神田駅及びJR神田駅の至近に位置する商店街のなかにある商業地であること、本件土地の賃料が最後に増額改定された昭和六一年四月から本件賃料増額請求がなされた平成元年四月二七日までの間、東京都千代田区内の地価は依然高騰傾向にあり、固定資産税及び都市計画税も上昇していることが認められるから、右平成元年四月二七日の時点において、本件土地の従前の賃料額は不相当となるに至つていたものと認めるのが相当である。

したがつて、本件土地の賃料は、木下利久が被告日本保全に対し、平成元年四月二七日賃料増額請求の意思表示をなしたことにより同日以降適正賃料額に増額されているというべきである。

2  適正賃料について

本件鑑定は、鑑定評価の方式として、スライド法、差額配分法及び比準法に準ずる手法を併用して、本件土地の継続賃料を検討しているところ、スライド法では消費者物価指数を一〇四・四と計算してこの方式による賃料を月額一四万二九四六円と試算し、また、差額配分法の方式による賃料を月額一四万五七〇七円と試算し、さらに比準法に準ずる手法による賃料を月額一六万二一六二円と試算したうえ、これらの賃料水準が接近していることから平均化して端数を整理し、平成元年四月二七日の本件土地の適正賃料額を一か月一五万円と算出している(なお、右鑑定が、被告日本保全及び同藤田の主張のとおり、消費者物価指数の計算方法のほか、標準価格の計算及び昭和六二年九月末日以降の商業地の値上率算定方法について若干の明らかな誤りがあるとしてこれらの数値を訂正して計算し直しても、これらの賃料水準は月額一五万円にきわめて接近している。)。

しかして、平成元年四月二七日の本件土地の賃料額を一か月一五万円とすると、増額以前の賃料が一か月一三万八六〇〇円であるから一万一四〇〇円の増加となり、地価の上昇、本件土地の固定資産税と都市計画税の変動及び賃料が最後に増額改定されて以来既に三年を経過していること等を考慮すると、その増加率はむしろ低いものというべきである。

もつとも、前掲証拠に照らすと、従来賃料額が本件土地の固定資産税と都市計画税の合計額の約二倍(但し、本件賃料が最後に増額改定されたときはその二・一倍)として算定され、改定されてきた経緯が認められるが、その算定方法につき特段の合意はうかがわれないから今回の賃料増額請求が右に拘束されるいわれはないのみならず、本件鑑定もその前提となる本件賃貸借の経緯につき正確に把握し考察していること、右鑑定の採用した方法も一応の合理性があることなどに徴すると、前記鑑定金額は、結論において相当性があると解することができる。

なお、原告の本件鑑定の申請については、適正な賃料算定のために不可欠のものであるから、被告日本保全及び同藤田の時機に遅れた攻撃防御方法であるとの申立は理由がないというべきであり、また、右鑑定の採用は旧借地法一二条二項(現行借地借家法一一条二項)の趣旨に反するものではなく何ら違法はないというべきである。

以上によれば、平成元年四月二七日の本件土地の適正賃料額は一か月一五万円と認めるのが相当である。

三  供託の当否について

1  旧借地法一二条二項(現行借地借家法一一条二項)によれば、賃借人から賃料増額の請求を受けた賃借人は、その増額を正当とする裁判が確定するまでは相当と認める額の賃料の支払義務を負担するが、右相当と認める額の賃料とは従前と同額の賃料を含むものであつて、必ずしも客観的に相当な賃料であることを要しないのであるから、被告日本保全の右相当と認める額の賃料の支払は債務の本旨に従つた弁済であつて、賃料支払義務に対する一部弁済(内金弁済)ではないというべきである。したがつて、木下利久が被告日本保全に対し、平成元年四月分の賃料の弁済を受けた際、これを増額賃料の一部(内金)として受領する旨通知することは、特段の事情のうかがわれない本件では、賃料全額の支払としてはこれの受領を拒絶するとの意思を明らかにしたものと解するのが相当である。

もつとも、原告は、被告日本保全に対し、従前額の賃料だけでも支払うよう本件催告をした旨主張するが、木下利久及び原告は、賃料の一部弁済として受領する旨の留保を付して本件供託金の還付を受けることができるにもかかわらずこれをしていないうえ(最高裁昭和四二年八月二四日判決、民集二一巻七号一七一九頁参照)、本件増額請求にかかる賃料額は相当過大であつて、木下利久が被告日本保全に対し平成元年五月八日付内容証明郵便でもつて「四月分の地代七九万四〇〇〇円の一部として受領いたします」と通知していることに照らすと、被告日本保全の提供する従前額の賃料では賃料全額として受領する意思を有しなかつたものと推察できる。加えて、その後本件土地の所有権を相続により承継した原告は、被告日本保全に対し、平成三年三月二一日到達の内容証明郵便でもつて、従前額の賃料であつても増額賃料の内金として受領するので右到達後五日以内に平成元年五月分以降の賃料を持参又は原告名義の銀行口座に送金して支払うよう催告するとともにその支払がないときは本件賃貸借契約を解除する旨通告していることに徴すると、被告日本保全が右金員を賃料全額の弁済とするのであればその後も従前額の賃料を受領しない態度を示していたものと認めるのが相当である。

してみれば、被告日本保全は木下利久及び原告に対する弁済の提供を要せずして木下利久及び原告の受領拒絶を理由として直ちに本件供託をすることができたものというべきである。

2  ところで、原告は本件供託が権利の濫用であつて無効である旨主張する。しかし、木下利久及び原告が被告日本保全の提供する従前額の賃料を増額賃料の内金として受領する態度を取つている以上、本件供託を継続することが賃貸人たる原告との信頼関係を直ちに破壊するものではないというべきであるところ、本件全証拠によつても、賃借人たる被告日本保全において著しく信義則に反し本件賃貸借契約の存続を困難ならしめるような特別の事情の存在することを認めることはできない。したがつて、原告の右主張は採用できない。

してみると、本件供託は有効であるから、平成元年五月以降平成三年三月分までの賃料不払を理由に原告が被告日本保全に対してなした本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示は、その効力が生じないものというべきである。

三  被告日本保全に対する請求について

1  以上の次第で、本件賃貸借契約が有効に解除されたことを前提として、被告日本保全に対して本件建物収去及び本件土地明渡並びに平成三年四月五日以後における賃料相当の損害金の支払を求める原告の請求は理由がない。

2  しかし、本件土地の適正賃料として原告が被告日本保全に対して請求するもののうち、

(一) 平成元年四月二七日から同月三〇日までの差額賃料四日分計一五二〇円

(15万円-13万8600円)÷30×4日=1520円

(二) 同年五月一日から平成三年四月四日までの本件供託と適正賃料との差額分として一か月一万一四〇〇円の割合による金員の支払を求める部分は理由があるが、その余の部分は失当である。

3  なお、旧借地法一二条二項(現行借地借家法一一条二項)は、賃料増額請求の裁判が確定するまでは、賃借人は相当とする賃料を支払えば足りるとし、判決確定の場合賃借人に賃料の不足額に年一割の割合による支払期後の利息の支払義務を認めているから、本件では被告日本保全の賃料差額支払義務の履行期は未到来であつて、その賃料請求訴訟は将来の給付の訴えということになる。しかし、右請求権の基礎となるべき事実関係及び法律関係が既に存在しその内容も明確であるところ、さらに《証拠略》によれば、被告日本保全が本件賃料増額請求を争い、本件供託のほか平成四年五月以降は一か月一五万六四〇〇円の割合による金員を前記藤沢支局に供託していることが認められるから、右差額賃料の支払を予め求める必要性があるというべきである。

四  被告藤田及び同本木に対する請求について

前記被告藤田及び同本木の本件建物部分の占有及びこれに伴う本件土地の使用は、第二、二、9記載の事由に基づくものであり、したがつて、原告と被告日本保全間の本件賃貸借契約が終了しない限り、正当な権原に基づくものというべきである。

しかして、前記認定のとおり右賃貸借契約関係は存続しているから、原告の被告藤田及び同本木に対する本件建物からの退去及び本件土地明渡請求もまた理由がない。

五  結論

よつて、原告の本訴請求は被告日本保全株式会社に対し金一五二〇円及び平成元年五月一日から平成三年四月四日まで一か月金一万一四〇〇円の割合による金員の支払を求める限度で理由があるので右の限度でこれを認容し、その余はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。

(裁判長裁判官 福井厚士 裁判官 河野清孝)

裁判官 手嶋あさみは転補のため署名押印できない。

(裁判長裁判官 福井厚士)

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