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東京地方裁判所 平成2年(行ウ)61号 判決 1991年6月12日

原告

中村新五郎

被告

社会保険庁長官北郷勲夫

右指定代理人

青木正存

村山行雄

東幸邦

佐藤健治

加治佐昭

神田弘二

梁瀬雅一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して昭和六二年三月二五日付けでした厚生年金保険法による障害年金を支給しない旨の処分が無効であることを確認する。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和二二年一月一日から同年一二月一日までの一一か月間及び昭和二五年一月一日から昭和二七年一二月二六日までの三五か月、旧厚生年金保険法(昭和一六年法律第六〇号。ただし、昭和二八年法律第一一七号による改正前のもの。以下「旧法」という。)に基づく厚生年金保険の被保険者であった者であるが、昭和六二年一月二八日、被告に対し、昭和二六年七月二五日に発病し、同月二六日に診療を受けた肺結核症による障害の状態が現在も継続しているとして、障害年金の裁定請求(以下「本件裁定請求」という。)をした。

これに対し、被告は、同年三月二五日付けで、昭和二六年七月に発病した原告の肺結核症はその後治癒し、本件裁定請求時における原告の障害は、昭和二七年一二月二六日以後に再発した肺結核症によるものであり、これは被保険者であった間に発した傷病に該当しないとして、障害年金を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

2  しかしながら、次のとおり、昭和二六年に発病した原告の肺結核症は、その後も治癒することなく継続悪化し、本件裁定請求時における原告の障害は、右傷病によるものであるから、これを看過した本件処分には、重大かつ明白な瑕疵があり、無効である。

すなわち、原告は、肺結核に罹患し、昭和二六年七月二五日に喀血して、同月二六日、(住所略)所在の田谷病院に入院し、同病院においてストレプトマイシンによる化学療法を受けて一時的に病状を安定させた上、肺に形成された病巣(空洞)を閉塞する目的で品川保健所において人工気胸術を受けた。しかし、胸膜の癒着のため人工気胸術の効果があがらなかったことから、原告は、同年一一月一〇日に昭和医大病院において胸膜癒着剥離術を受けたが、出血多量のため右手術も中止せざるをえなかった。そのため、原告は、長期間にわたって入院の上、化学療法により治療することが必要な状態となったが、昭和二七年八月に勤務先であった株式会社日東通信社の事業縮小により解雇され無収入となったために、入院することなく療養を中断して就業し、生命保険の外交員、地方回りの行商、乳酸菌飲料のセールス等の仕事に従事した結果、肺結核症の病巣が悪化し、昭和三六年には再度入院して治療を受け、以後治癒しないまま今日に至っているものである。

なお、原告の肺結核症が昭和二六年以来継続しており治癒していないことは、原告が初診日を昭和二六年七月二六日として申請した国民年金法による障害福祉年金を受給していたことからも明らかである。

3  よって、原告は、被告に対し、本件処分が無効であることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち、原告が肺結核症に罹患して喀血し、昭和二六年七月二六日、田谷病院に入院してストレプトマイシンによる治療を受けたこと、その後品川保健所において人工気胸術を受け、また、昭和医大病院で胸膜癒着剥離術を受けたこと、原告が国民年金保険法による障害福祉年金を受給していたことは認め、その余は争う。

三  被告の主張

1  原告は、昭和二六年七月に肺結核症を発病し、ストレプトマイシンによる治療を受けた後、肺の一部に残された空洞の閉塞を目的として行われる人工気胸術を受け、さらにその効果を促進するための胸膜癒着剥離術を受けたことにより、同年一二月からは疾病により疲弊した体力を回復させる目的で自宅静養を開始し、昭和二七年八月に勤務先の株式会社日東通信社を解雇された後は生命保険の外交員や行商の仕事に従事していたところ、昭和三六年頃に肺結核症により再度入院するに至ったのである。

ところで、昭和二六年当時は、肺結核症の治療方法に、ストレプトマイシン等の抗生物質による化学療法が導入された初期に当たり、その主たる治療方法は、いまだ肺病巣部の切除術を中心とした外科的手術によっていたものであるが、原告は、右のとおり昭和二六年当時としては最新の治療方法である化学療法による治療を受け、これに合わせて予後の治療である肺の空洞を閉塞するための外科的治療をも受けているのであり、さらに、昭和二六年一二月以降昭和三六年頃まで約一〇年間医療機関での診療を受けていないのであるから、これらの状況を総合的に判断すれば、原告の昭和二六年七月二六日初診に係る肺結核症は、昭和二六年一二月頃には病理解剖学的所見においても細菌学的所見においても症状の現れない状態となって、化学療法も不要な状態まで治癒していたものであり、原告は、その後昭和三六年ころまでの間に結核菌に再感染したことにより肺結核症を再発したものと推認されるのである。したがって、本件裁定請求時における原告の障害は、昭和三六年に発症した肺結核症によるものであることとなるが、原告は、昭和二七年一二月二七日以降、厚生年金保険の被保険者資格を有していなかったのであるから、厚生年金保険法(昭和二九年法律第一一五号、ただし、昭和六〇年法律第三四号による改正前のもの)四七条の障害年金の受給要件に該当せず、本件処分には何ら瑕疵はない。

2  また、原告は、原告の肺結核症が昭和二六年以来継続しており治癒していないことは、原告が初診日を昭和二六年七月二六日として申請した障害福祉年金を受領していたことからも明らかであると主張するが、原告は、国民年金法及び児童扶養手当法の一部を改正する法律(昭和三九年法律第八七号)附則六条二項により、国民年金法による障害福祉年金を受給していたものであるところ、同項は、一定の年齢の者が、昭和三九年八月一日において、初診日が昭和三六年七月三一日以前である傷病(初診日において国民年金法七条二項一号から四号までのいずれかに該当した者のその傷病を除く。)でなおらないものがあることにより、一定の廃疾の状態にあるときに、国民年金法による障害福祉年金を支給する旨を定めるものであり、当該傷病の初診日において厚生年金保険の被保険者であった者(国民年金法七条二項一号該当者)はその支給対象者とならないから、昭和二七年一二月二六日まで厚生年金保険の被保険者であった原告については、その肺結核症に係る初診日を同月二七日以降の日と認定した上で障害福祉年金を支給していたことが窺えるのであり、したがって、原告が障害福祉年金を受給していたことをもって原告の肺結核症が昭和二六年以来継続していることの根拠とすることはできない。

四  被告の主張に対する認否

原告が昭和二七年一二月二七日以降、厚生年金保険の被保険者資格を有していなかったことは認め、その余はすべて争う。

第三証拠関係

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

理由

一  請求原因1は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告の主張する本件処分の無効原因について判断する。

1  原告は、本件裁定請求時における原告の障害の状態は、昭和二六年に発病した後治癒することもなく継続悪化した肺結核症によるものであると主張するところ、請求原因2のうち、原告が肺結核症に罹患して喀血し、昭和二六年七月二六日、田谷病院に入院してストレプトマイシンによる治療を受けたこと、その後原告が品川保健所において人工気胸術を受け、昭和医大病院で胸膜癒着剥離術を受けたこと、原告が国民年金法による障害福祉年金を受給していたことは、当事者間に争いがない。

2  右事実と成立に争いのない(証拠略)の全趣旨を総合すれば、原告の肺結核症の病歴等について、次の事実が認められる。

(一)  原告(大正一一年一一月二八日生)は、昭和一四年に胸膜炎に罹患したことがあったが、昭和二五年五月に株式会社日東通信者に入社して一年ほど経過したころから、体がだるく、微熱が続く状態となり、昭和二六年七月二五日夜に喀血し、同月二六日に田谷病院に入院して肺結核症と診断され、同年八月初めころより、同病院においてストレプトマイシンによる化学療法を受けた。

(二)  右化学療法の結果、排菌も止まって病状は安定し、体重も増えたので、原告は、同年九月末に同病院を退院し、同病院の三枝玄一医師の勧めに従って、肺にできた空洞を閉塞する目的で、自宅から品川保健所に一か月ほど通院し、人工気胸術を受けた。

しかし、肺の空洞の近くに胸膜の癒着があり、人工気胸術の効果が上がらなかったため、原告は、品川保健所の勧めで昭和医大病院に入院し、同年一一月一〇日、胸膜癒着剥離術を受けたが、右手術も多量の出血のおそれがあったために途中で中止せざるをえなかった。

(三)  そのため、原告は、同年一二月からは、一年ほど静養して体力をつけた後に就業するつもりで自宅で静養していたが、昭和二七年八月に勤務先の株式会社日東通信社を解雇されて無収入となったことなどから、療養を打ち切り、単身でアパートを借りて、生命保険の外交員をしながら、健康保険法による傷病手当金を受給して生活するようになった。

(四)  その後、原告は、生命保険の外交員を辞め、地方回りの行商等をしていたが、昭和三六年初めころ、大阪市内で乳酸菌飲料のセールスマンとして稼働しているときに、肺結核症のため大阪市内の病院に再度入院するに至った。

なお、原告は、昭和二七年六月ころから、右のとおり昭和三六年に大阪市内の病院に入院するまでの約八年余りの間、医療機関での診療を全く受けていなかった。

(五)  原告は、昭和三六年以降、二、三の病院に入退院を繰り返し、昭和四五年四月からは、肺結核症により、国民年金法及び児童扶養手当法の一部を改正する法律附則六条二項に基づいて国民年金法による障害福祉年金を受給し、さらに、昭和五一年には再び排菌があったことから、結核研究所付属病院に通院し、同病院で一年半ほど化学療法を受けた結果、昭和五二年以降は排菌も止まり病状も安定しているが、肺に残った障害のため就職することができず、肺結核症を原因とする障害により身体障害者福祉法による身体障害者手帳の交付を受けるとともに、生活保護を受けて生活している。

3  また、(証拠・人証略)によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告が本件裁定請求の際に提出した裁定請求書には、昭和二六年七月二五日に発病した肺結核症は、同年一二月三〇日になおっている旨が記載されていた。

(二)  一般に、肺結核症の治癒の仕方としては、<1>結核の病巣が全く消滅する場合、<2>結核の病巣が石灰化する場合、<3>病巣が石灰化してはいないが固まり、排菌も自覚症状もなくなる場合がある。

(三)  いったん発病した肺結核症の病巣が固定せず、治癒していない状態で、医療機関での診療を受けることなく就労すれば、一、二年のうちに病状が悪化するのが通常であり、八年間も医療機関の診療を受けることなく就労し生活し続けることは困難である。

(四)  肺結核症は、いったん治癒した後に、結核菌に再感染することにより再発することもある。

4  右2及び3の事実を総合勘案すると、昭和二六年七月に発病した原告の肺結核症は、田谷病院での化学療法が終了した時点において病巣が固まり排菌も自覚症状がなくなった状態となって治癒したものであり、昭和三六年の入院は、そのころあるいはそれに近接する時期に、結核菌に新たに感染し、それにより肺結核症に新たに罹患した、すなわち再発したものと推認するのが相当である。

なお、原告本人尋問の結果中には、昭和二七年六月に結核療養所において診察を受けたところ、入院して療養するよう勧められたとか、地方回りの行商をしていたときにも血痰が出たことがあったとか供述する部分がある。しかしながら、右供述内容を裏付けるに足りる客観的な証拠は全く存しない上、仮に原告が昭和二七年六月に結核療養所で診察を受け、入院することを勧められた事実があったとしても、その時期に徴すれば、入院療養の目的は、肺結核症の罹患によって衰えた体力を回復して再発を防止することであったと考えることができるし、また、仮に地方回りの行商をしていたときに血痰が出た事実があったとしても、その時期、程度等は全く明らかでないから、これをもって直ちに肺結核症が昭和二六年以来治癒していないとすることはできず、結局、右各事実をもって右認定を左右するに足りないというべきである。

5  もっとも、原告は、原告の肺結核症が昭和二六年以来継続しており治癒していないことは、原告が初診日を昭和二六年七月二六日として申請した国民年金法による障害福祉年金を受領していることからも明らかであると主張する。

しかして、原告が、肺結核症により、昭和四五年四月から、国民年金法及び児童扶養手当法の一部を改正する法律附則六条二項に基づいて、国民年金法による障害福祉年金を受給していたことは、右2の(五)のとおりであり、また、(証拠略)によれば、原告に係る障害福祉年金受給権者台帳には、右障害福祉年金についての初診日として、昭和二七年八月と記載されていることが認められる。しかしながら、国民年金法及び児童扶養手当法の一部を改正する法律附則六条二項によれば、同項によって国民年金法による障害福祉年金を受給するための要件の一として、昭和三九年八月一日において、初診日が昭和三六年七月三一日以前である傷病(初診日において国民年金法七条二項一号から四号までのいずれかに該当した者のその傷病を除く。)でなおらないものがあることにより、一定の廃疾の状態にあることが必要とされており、当該傷病の初診日において厚生年金保険法の被保険者であった者(国民年金法七条二項一号該当者)は、右障害福祉年金の支給対象者から除外されているのであるから、昭和二七年一二月二六日まで厚生年金保険の被保険者であった原告については、同月二七日以降の日をその肺結核症に係る初診日と認定した上で障害福祉年金を支給したものであって、右障害福祉年金受給権者台帳には、単に申立てに係る初診日をそのまま記載したものとすぎないものと推認できないわけではない。したがって、原告の右主張は失当である。

6  そして、原告が昭和二七年一二月二七日以降、厚生年金保険の被保険者資格を有していなかったことは当事者間に争いがないから、原告の障害が昭和二七年一二月二六日以降に再発した肺結核症によるものであり、これが被保険者であった間に発した傷病に該当しないことを理由としてされた本件処分に重大かつ明白な瑕疵があるといえないことは明らかである。

三  以上のとおり、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石原直樹 裁判官 深山卓也 裁判長裁判官鈴木康之は、転補のため署名押印することができない。裁判官 石原直樹)

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