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東京地方裁判所 平成2年(ワ)2737号 判決 1991年6月27日

原告 五十嵐まさ江

右訴訟代理人弁護士 岡野謙四郎

被告 西田邦利

右訴訟代理人弁護士 野口和俊

主文

1  原告の主位的請求を棄却する。

2  原告と被告の間における別紙物件目録記載の建物についての賃貸借契約における賃料は、平成二年九月一日から一か月当たり一八万五〇〇〇円であることを確認する。

3  原告のその余の予備的請求を棄却する。

4  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(主位的請求)

1 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を明け渡せ。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 第1項につき仮執行宣言。

(予備的請求)

1 原告と被告の間における本件建物についての賃貸借契約における賃料は、平成二年九月一日から一か月当たり三七万円であることを確認する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四二年七月一日以前から、西田伴六に対し、本件建物を賃貸してきたところ、同人の死亡により、被告が右借家人の地位を承継した。

そして、右賃貸借契約は、昭和六二年六月一五日の民事調停期日において、賃料は同年五月一日から一か月当たり一六万円、期間は同日から平成二年四月三〇日までとする旨、原告と被告の間において合意された。

2  本件建物は、現在、その土台が朽廃している。これまで家屋として存続しえたのは、東側の隣接家屋の石垣及び南側隣接家屋の支えがあったためであり、今般東側隣接家屋の石垣及び建物が解体撤去され、南側隣接家屋が撤去されれば、あるいは撤去されなくても、早晩倒壊する状況にある。本件建物は、賃貸建物として朽廃の状態に立ち至ったものというべく、これにより本件賃貸借契約は終了した。

3(一)  原告は、平成元年六月二四日、被告に対し、右賃貸借契約の更新を拒絶する旨の通知をし、前記賃貸借期間の満了後も被告の本件建物の使用について本件訴訟を通じ異議を述べた。

(二) 右更新拒絶については、次のとおりの正当事由が存する。

(1) 今般本件建物の東側建物の解体撤去に伴い、本件建物の土台が露呈し、被告から修繕要求も受けているところ、同建物を修理するとすれば、土台が著しく老朽化し、その取り替えが必要であり、建物の全面的改修を必要とする。しかも、右土台は、隣地との境界ぎりぎりに設置されているため、取り替えの場合、現在土台と異なる場所に設置することが、今後の相隣関係上必要となる。

(2) 本件建物は、もと被告の父西田判六の所有に係るものであり、同人ら家族の居住していたものであったが、同人が借入金の返済に窮し、原告の先代梅沢樽次に買取りを要請したため、昭和二七年頃、梅沢においてこれを買い取り、西田ら家族の居住を許容した。このような経緯から、梅沢生存中の本件建物の使用は、盆暮の挨拶程度の謝礼でほとんど無料の貸借であり、梅沢死亡後においても、判六の老齢、低収入から著しく低廉な賃料で推移してきた。

そして、以後、本件建物の賃料は、昭和四二年七月一日から一か月二万円、昭和四五年七月一日から一か月三万円、昭和四七年七月一日から一か月四万円、昭和五〇年七月一日から一か月五万円、昭和五二年七月一日から一か月七万円、昭和五五年一月一日から一か月九万円、昭和五五年九月一日から一か月一〇万五〇〇〇円、昭和六一年九月一日から一か月一三万円、昭和六二年五月一日から一か月一六万円と各合意改定(ただし、昭和五五年七月一日からの賃料改定は、昭和五五年六月申立てに係る民事調停事件において同年一〇月六日の調停成立によるものであり、昭和六二年五月一日からの賃料改定は、同年申立てに係る民事調停事件において同年六月一五日の調停成立によるものである。)された。

被告は、本件建物の一階部分を商店とし、二階を居住用に使用しているものであるが、その使用面積、本件建物の所在場所等からみて、右改定賃料は、一般的物価水準からしても、近隣との比較からしても著しく低廉な状態で推移してきたものである。

(3) 右のとおり、原告はその先代も含めて昭和二七年以降現在まで四〇年近くの長期間にわたり、本件建物を近隣賃料相場の半分にも満たない賃料で賃貸してきたものであり、これ以上土台取替え等費用の加重負担をしてまで、被告に賃貸する義務はないものというべきである。

4  右2、3の事由による本件建物賃貸借契約の終了が認められない場合、原告は、被告に対し、次のとおり賃料増額請求をする。

(一) 本件建物の現行賃料は、本件建物の敷地の価格の高騰、近隣家賃との比較からして、著しく低廉であり、不相当となるに至った。

(二) 原告は、平成二年八月二七日、被告に対し、同年九月一日から本件建物の賃料を一か月当たり三七万円に増額する旨の意思表示をした。

(三) 被告は、右賃料増額の効果を争う。

5  よって、原告は、被告に対し、本件賃貸借の終了により本件建物の明け渡しを求め、予備的に、右4(二)のとおりの賃料の確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1を認める。

2  請求原因2のうち、本件建物が賃貸建物として朽廃の状態に立ち至ったことを否認する。

本件建物は、現在、その土台の一部が毀損してはいるが、原告主張のような状況からその存続がかろうじて維持され、早晩倒壊する状況にあるとは到底いえない。

3(一)  請求原因3(二)(1)については、今般本件建物の東側建物の解体撤去に伴い、本件建物の土台が露呈し、土台の一部が毀損していることを認め、その余を否認する。仮に、土台取替工事が必要であるとしても、隣地境界との越境問題を生じないよう工事をすることは可能である。

(二) 請求原因3(二)(2)については、本件建物がもと被告の父西田判六の所有に係るものであり、同人ら家族の居住していたものであったこと、本件建物の賃料が昭和四二年七月一日以降原告主張のとおり合意改定されてきたことを認め、その余は否認若しくは争う。

被告は、本件建物がもと被告の父西田判六の所有に係るものであり、原告先代の所有するところとなったとして、その父所有の時から同様の使用を続けてきたものであり、長年にわたる本件建物の維持管理をしてきた。その主要なものは左記のとおりである。

(1) 瓦の全面葺き替え

(2) 建物外壁のモルタル補修並びに全面塗装

(3) 店舗入口等の木製ガラス引戸をアルミサッシガラス戸に取替え

(4) 床の補修

(5) 内壁の補修

(6) 必要に応じた畳替え

(7) 二階屋根上の物干台を木枠製から鉄枠製にする

そして、前記賃料は相当高率で増額されてきているというべきであり、被告は、最近に至り更新料の支払いをもしている。

(三) 請求原因3(二)(3)を否認若しくは争う。

(四) 本件建物は朽廃しておらず、又、原告には本件建物を自己使用する必要性は全く存しない。

他方、被告は、本件建物に出生後から今日まで居住して、一階店舗部分で亡父の代からせんべいの製造、小売業を営んでおり、その余の部分は、居宅として、被告夫婦及び子供三人(うち一人は高校在学中)の合計五人で生活しており、本件建物はまさに生活の本拠であり、同建物からの退去は被告及びその家族から、生計の基盤、居住の場所を奪うこととなるものである。

4  請求原因4(一)を否認し、同4(三)を認める。

5  請求原因5を争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1は当事者間に争いがない。

二  本件建物の朽廃による本件賃貸借契約の終了について検討する。

《証拠省略》によると、本件建物は、老朽化しているものというべきところ、その主要な構造、造作、設備等は維持され、被告ら家族において従前どおりの店舗営業と居住をしていることを認めることができ、本件建物の土台が物理的に地上建物を支えきれない程度の状態にあり、早晩本件建物が倒壊することが必至であり、その危険性があるとは、本件全証拠によるもこれを認めることはできず、本件建物の状態において、その使用収益を継続することが不能若しくは著しく困難になったものとはいえず、本件建物が朽廃したとは認めることはできず、これを原因とする本件建物賃貸借契約の終了の主張は理由がない。

三  更新拒絶による本件賃貸借契約の終了について検討する。

1  《証拠省略》によれば、原告は、被告に平成元年六月二四日到達した内容証明郵便をもって、本件建物の土台が朽廃しその修繕には全面的改修が必要になり、それにはほとんど新築同様の費用を要し、そこまでして賃貸する意向はないとして、本件賃貸借契約を解除する旨通知したことを認めることができる。これによれば、請求原因3(一)のとおりの更新拒絶がなされ、また、本件訴訟の提起、継続をもって、本件賃貸借契約の期間満了後に遅滞なく異議がなされたことを認めることができる。

2  さらに正当事由の存否を検討する。

原告が右正当事由とするのは、本件建物の老朽化と、その修復に過大な費用を要するということである。

《証拠省略》によると、本件建物について、その東側部分において近隣建物建築工事により土台の一部が露出し、その土台及び外壁が毀損したとされている箇所について、建築工事業者により右土台補強及び外壁補修各工事がなされ、右工事は平成三年四月末ころ完成し、右補強工事について一五万五〇〇〇円、右補修工事について一五万三〇〇〇円の各見積書が原告宛て提出されたことを認めることができる。これによれば、本件建物について、賃貸人である原告において修繕義務を負担するのか否か、その内容、程度等の問題はともかくとして、被告が従前どおりの使用収益を継続してゆくについて、右期間満了時において、過大な修繕費用の負担を原告において余儀なくされるとは認め難く、原告主張の事情に該当する事実はこれを認めることはできない。すると、原告において、他に正当事由についての主張立証はなく、弁論の全趣旨により認められる本件建物における被告の使用状況、被告の家族構成とも合い照し、右正当事由はこれを認めることはできない。

3  右の次第により、更新拒絶により本件賃貸借契約が終了したとする原告の主張は理由がない。

また、本件訴訟提起、継続による法定更新された本件賃貸借契約の解約申入れについても、右正当事由を具備すべき事情の変更は、本件全証拠によるもこれを認めることはできない。

四  賃料増額請求について検討する。

1  請求原因4(二)のとおりの賃料増額請求の意思表示のなされたことは、当裁判所に顕著な事実であり、同4(三)について当事者間に争いがない。

2  そこで、平成二年九月一日当時における相当賃料額を検討する。

《証拠省略》によれば、次のとおりの事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  本件建物は、昭和二五年当時から存し、当時被告の父西田伴六の所有であり、同人ら家族が使用居住していたところ、昭和二九年一月売買を原因として梅澤樽次が代表者であった梅澤合資会社に所有権移転登記(昭和五四年一二月真正な登記名義の回復を原因として原告に所有権移転登記)がされた。昭和二九年の右所有権移転登記後も、西田伴六が従前同様に本件建物を使用居住していたところ、右梅澤樽次から本件建物所有権を贈与されたとする原告と右伴六の間において、原告を貸主、右伴六を借主とする昭和四二年七月一日付け本件建物についての賃貸借契約書が作成され、同契約はその後数回合意更新され、右伴六死亡後、その子である被告において賃借人の地位を承継し、現在に至っており、本件建物の使用状況について、昭和四二年当時からその父伴六の代を通じて格別の変化はない。そして、この間、本件建物の賃料は、請求原因3(二)(2)のとおり各合意改定された(なお、昭和五五年七月一日からの賃料改定は、昭和五五年六月原告申立てに係る民事調停事件において同年一〇月六日の調停成立によるものであり、昭和六二年五月一日からの賃料改定は、同年原告申立てに係る民事調停事件において同年六月一五日の調停成立によるものである。)。そして、本件建物敷地は、昭和四二年当時東京都の所有する土地であり、原告側においてその所有する本件建物の敷地を賃借して、土地賃料を負担し、現時に至りその敷地所有権を原告において取得したことがうかがわれる。

(二)  本件建物は、昭和二五年当時から存する別紙物件目録記載のとおりの構造、規模の建物であり、老朽化が進んでいるが、一階を店舗兼作業場、二階を居宅として概略別紙図面のとおりの使用の用に供されているものである。本件建物の敷地は、西側において幅員約二二メートルの舗装道路(都道補助一〇五号線、歩道付き、通称馬道通り)に等高接面する間口約四・五メートル、奥行約一〇メートルの長方形の画地であり、東武鉄道浅草駅の北方約五三〇メートル程の地点に位置し、近隣地域は、右都道沿いに小規模小売店舗、事業所、飲食店等が多く、建ぺい率八〇パーセント、容積率五〇〇パーセントの商業地域である。

(三)  東京都区部における消費者物価指数は、家賃において、昭和六二年の平均指数と平成二年の指数において、別表記載の「消費者物価指数」の項目のとおりであり、経済成長率は、別表記載の「経済成長率」(公知の事実である。)の項目のとおりである。

2  右の事実によると、本件賃貸借契約においては、その締結、継続されてきた経緯について、賃貸借契約当事者間における同契約外の諸事情が強く反映されて、その賃料、使用形態、その他の負担が合意されてきたことがうかがわれるものである。すると、その賃料について、借家法七条所定の増額請求が許容される相当賃料を検討するについて、不動産鑑定評価理論にいういわゆる差額配分法、賃貸事例比較法は、当事者間の個別具体的な諸々の事情が反映されず、また、右事情を有する同種事例の選択をすることが困難というべきであり、本件について、右各方法に依拠する考察をすることは相当ではなく、賃貸借契約当事者の関係が一定のものとしてそれを取巻く周囲の事情の変更に応じて賃料を相対的に修正してゆくスライド法を基本とする試算賃料算定方法として考察をすることが相当というべきである。

そして、右スライド法において、基準とすべき賃料は昭和六二年五月一日からの改定賃料一六万円とするのが相当である。原告は、この賃料は、従前低額に抑えられ調停申立てにおいて二七万円の要求をしたものが、一六万円で調停成立をみたものであり著しく低額であるとし、また、被告は、従前の賃料上昇率は、総務庁統計局の東京都区部における家賃の該当項目における統計指数の上昇率に比較して著しく高率であり、殊に昭和六二年五月一日からの改定は、改定期間も短期で、上昇率も他にも増して高率であるとして、基準たりうる相当性を有しないとする。しかしながら、右当事者間の賃料額及びその変遷については、当事者間の特殊個別的な事情を基に、それを取巻く周囲の事情の変更に対応して、それら事情についての双方の都合、意向の提示、協議、調整を経て、当事者間において相対的に双方の利害調整を凝縮したものとして各改定合意を見てきたものというべきであり、この中に原・被告双方が他に主張している諸々の事情も反映、調整されており、右昭和六二年五月一日からの改定賃料は基準賃料として相当というべきである。

ところで、右改定時である昭和六二年五月一日から本件増額請求時である平成二年九月一日までに、原・被告間において、本件建物に関して従前と異なった事情を見るに、格別の変更事由を認めることはできない。《証拠省略》によれば、従前と異なった事情として、原告において、本件建物の敷地を従前借地していたのを、東京都から買受けたこと、平成三年に至り本件建物の土台等に補強工事をし、約三〇万円程出費したことを認めることができるが、右敷地取得は、この時期が、本件増額請求時期である平成二年九月一日の前後いずれかの問題はともかく、従前の賃料負担が以後公租公課等の負担に代るものであり、これが従前に比し増額を生じさせる事由であるとは認めることができず、原告主張の右取得に要する借入資金及びこの金利負担はその性質上本件建物賃借人である被告に対し増額事由として掲げることはできないものというべきであり、また、右負担修繕費用及び原告において今後経常的に要するとする維持費用は、平成三年五月以降の出費もしくは予想であり、その賃料との係わり合いを検討するまでもなく、本件増額請求において具体的増額事由足りえないことは明らかである。

すると、従前賃料改定後における原・被告間の個別的変動事由を格別認めることはできず、その関係を取巻く周囲の一般的変動に対応して、従前改定賃料を変更してゆくのが相当である。そして、一般にスライド法に用いる指数としては、物価変動率(主として消費者物価)、公租公課の変動率、地価変動率、経済成長率等が考えられるが、昨今の著しい地価高騰及びその後の一部下落のような地価変動期にあっては、地価上昇率を適用することは相当ではなく、公租公課の変動率も、前記趣旨の一般的変動を反映するものとして必ずしも相当でない。そこで、拠るべき指数として、昭和六二年から平成二年までの前記家賃指数の変動率並びに経済成長率を見るに、別表記載のとおり、前者において約八パーセント、後者において約二五パーセントの上昇率であり、右家賃指数においては、最近の新規賃貸借の賃料も含めた平均的指数として安定的であり、一般的、相対的な変動の事情を検討するに、後者の変動率をも考慮にいれた修正が必要というべきであり、この両者の変動率のうち一方を採用することによる原・被告間の利害の偏りを公平に分配するものとしてその平均値を求めると変動率は一六パーセントであり、この数値を、右基準賃料である一六万円に乗ずる方法が相当というべきであり、これによれば一八万五六〇〇円となる。

右のとおりスライド法により算出された賃料に、前記認定の諸般の事情を総合勘案するに、借家法七条の趣旨に基づく相当賃料は一八万五〇〇〇円とするのが相当である。

3  右相当賃料によれば、現行賃料一六万円は不相当になったものというべきであり、原告の増額請求は理由があり、平成二年九月一日以降賃料は一八万五〇〇〇円に増額されたものである。

五  以上の次第により、原告の主位的請求は理由がないので、これを棄却し、予備的請求は、右四3の限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小原春夫)

<以下省略>

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