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東京地方裁判所 平成元年(刑わ)1048号 判決 1994年12月21日

主文

被告人を懲役三年に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

被告人から一、八三五万円を追徴する。

訴訟費用中、別紙目録記載の分は被告人の負担とする。

理由

【罪となるべき事実】

第一  前提事実

一  被告人は、昭和五八年一二月二八日、昭和六一年七月六日各施行の総選挙にいずれも当選し、衆議院議員であった者であるが、昭和五八年一二月二八日から昭和六一年六月二日までの間及び同年七月二三日から同年一二月二四日までの間、衆議院文教委員会の委員として、文部省の所管に関する事項等についての議案、請願等の審査及び国政に関する調査に関与する職務権限並びに昭和五九年三月九日から同月一三日までの間及び同年一二月一八日から昭和六一年六月二日までの間、衆議院予算委員会の委員として、予算についての議案、請願等の審査及び国政に関する調査に関与する職務権限を有していた。

二  江副は、民間企業から掲載料を得て大学等卒業予定者向けの求人に関する諸情報を掲載する就職情報誌の発行、配本等の事業を営むリクルートの代表取締役であったところ、江副らリクルート関係者は、昭和五九年から昭和六〇年にかけて、民間企業の大学等卒業予定者の早期採用選考を防止して求人求職秩序の確立を図るため、民間企業が行う求人活動等につき、企業と大学等卒業予定者の接触開始日を卒業前年の一〇月一日、企業の採用選考開始日を同年の一一月一日とする旨の中央雇用対策協議会(以下単に「中雇対協」という。)及び国立大学協会等で構成する就職問題懇談会の各申合せ(以下「就職協定」という。)が遵守されない状況にあり、また、国の行政機関の職員の選考に関して就職協定に協力するとの人事課長会議の申合せも遵守されず、これが民間企業の就職協定違反の一因となっていることから、民間企業における就職協定が存続、遵守されないと、リクルートの前記事業を遂行していく上で大きな障害になると考えていた。

第二  請託及びわいろの収受

被告人は、

一  昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの間、前後数回にわたり、東京都千代田区永田町二丁目二番一号議員会館等において、リクルートの取締役会の決定に基づき、江副の指示を受けたリクルート社長室長辰巳、同社事業部次長赤羽らから、民間企業における就職協定の現状、就職協定が存続、遵守されないとリクルートの前記事業を遂行していく上で大きな障害になること、昭和五九年三月人事課長会議においてされた国の行政機関の職員の選考に関して就職協定に協力するとの申合せに反して通産省、労働省が青田買いをしていること、官庁が青田買いをするとそれにつられて民間企業も青田買いをするようになることなどの説明を受けた上、衆議院文教委員会において、通産省、労働省が人事課長会議の前記申合せに違反していることを指摘して、国の行政機関に対し人事課長会議の前記申合せの遵守の徹底方を求めるなどの質問をしてもらいたい旨の請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、同年八月一日、議員会館において、江副から指示を受けた辰巳から、リクルートの関連会社であるリクルート情報出版代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手一通を受領し、

二  昭和六〇年六月上旬、議員会館又は同都中央区銀座八丁目四番一七号リクルートにおいて、リクルートの取締役会の決定を受けた辰巳、リクルート事業部事業課長勝野から、昭和六〇年も人事課長会議において前年同様国の行政機関の職員の選考に関して就職協定に協力するとの申合せがされたこと、臨教審の第一次答申において青田買い防止が取り上げられる予定であることなどの説明を受けた上、前同様、衆議院文教委員会において、人事課長会議の前記申合せを国の行政機関が遵守するよう徹底方を求めるなどの質問をしてもらいたい旨の請託を受け、さらに、同年六月一八日、議員会館において、辰巳、勝野、リクルート事業部付課長長谷川から、通産省が人事課長会議の前記申合せに反して青田買いをしていることなどの説明を受け、衆議院文教委員会において、通産省の青田買いの問題を取り上げるなどして人事課長会議の前記申合せを国の行政機関が遵守するよう徹底方を求めるなどの質問をしてもらいたい旨の請託を受け、その請託及び前記一記載の請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、同年六月二六日、議員会館において、江副の指示を受けた辰巳から、リクルート代表取締役江副振出しに係る金額一〇〇万円の小切手一通を受領し、

三  昭和六〇年一〇月中旬及び同年一〇月二九日ころ、議員会館又はリクルートにおいて、リクルートの取締役会の決定を受けた同社事業部担当取締役辰巳、勝野から、昭和六〇年度就職協定の実情、臨教審第一次答申と就職協定との関係などの説明を受けた上、臨教審の第一次答申で学歴社会の弊害の是正策として青田買い防止等が取り上げられていることを指摘して、実効性のある就職協定の早期取決めなどにつき、国の行政機関が積極的かつ適切な対応策を講ずるよう国会で質問をしてもらいたい旨の請託を受け、さらに、同年一一月一四日、議員会館において、取締役会の決定を受けた辰巳、勝野から、守られるべき実効性のある就職協定を早期に取り決めるよう積極的な対応を求める質問をしてもらいたい旨の請託を受け、その請託並びに前記一及び二記載の請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、江副らから、

1 昭和六〇年一二月上、中旬にリクルートの関連会社であるコスモスライフと清雅との間で締結した架空のビル管理技術指導相談に関する契約に基づく相談料名目で、昭和六〇年一二月一七日、同都世田谷区玉川二丁目二四番五号三菱銀行玉川支店の清雅代表取締役池田芙美子名義の口座に、二〇〇万円の振込送金を受けてこれを受領し、

2 昭和六一年五月下旬に締結した前記同様の契約に基づく同様の名目で、昭和六一年五月三一日、前記名義の口座に、三〇〇万円の振込送金を受けてこれを受領し、

3 昭和六一年九月三〇日ころ、前記リクルートにおいて、同年一〇月三〇日に日本証券業協会に店頭売買有価証券として店頭登録されることが予定されており、右登録後確実に値上がりすることが見込まれ、江副らと特別の関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難であるコスモス株を、江副からの申し入れに応じて、右登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株当たり三、〇〇〇円で、五、〇〇〇株を、池田謙名義で譲り受けて取得し、

もって、それぞれ自己の職務に関してわいろを収受した。

【証拠の標目】<省略>

【争点に対する判断】

第一章  被告人の主な経歴と職務権限

第一  被告人の主な経歴

被告人は、昭和四九年一一月公明党に入党して公明党本部嘱託となり、昭和五一年一二月施行の総選挙において、公明党公認候補として東京都三区から立候補して初当選した。その後、昭和五五年一二月施行の総選挙では落選したものの、昭和五八年一二月施行の総選挙において、同じ東京都三区から公明党公認候補として立候補して当選し、以降、平成元年六月二日、衆議院本会議において辞職が許可されるまで、衆議院議員の地位にあった。被告人は、衆議院においては、文教委員会委員、予算委員会委員を務めるなどして活動していた。

また、被告人は、公明党において、昭和五五年一二月から昭和六一年一二月まで党本部中央委員を務めたほか、昭和六〇年一二月に、党本部中央委員会議長、昭和六一年一二月に、党本部副書記長、中央執行委員、国対副委員長などに就任してそれぞれの役職を歴任したが、昭和六三年一一月四日、その当時の全役職を辞任した上、平成元年五月一六日、公明党を離党した。

なお、被告人には、衆議院議員選挙に立候補する以前に、聖教新聞社、潮出版社において雑誌の編集等の仕事に従事していた等の職歴がある。

第二  被告人の職務権限

一 被告人の衆議院文教委員としての職務権限

1 被告人は、昭和五八年一二月一八日施行の総選挙に当選し、同年一二月二八日衆議院文教委員に選任され、昭和六一年六月二日衆議院が解散されるまでの間、衆議院文教委員を務め、昭和六一年七月六日施行の総選挙に当選し、同年七月二三日衆議院文教委員に選任され、同年一二月二四日まで、衆議院文教委員を務めた。

2 衆議院文教委員会は、衆議院の常任委員会の一つとして置かれ、その委員の員数は三〇人であり、文部省の所管に関する事項、教育委員会の所管に属する事項及び日本学術委員会の所管に属する事項を所管し、その部分に属する議案(決議案を含む。)、請願等を審査するほか(国会法四〇条、四一条一項、二項六号、四七条、衆議院規則九二条六号。なお、以下条名等は現行のものを示す。)、その所管に関する事項につき、国政に関する調査をすることができる(衆議院規則九四条一項、国会法四七条二項)。

衆議院文教委員は、同委員会における議題について、自由に質疑し及び意見を述べ、討論が終局したときは、表決に加わることができる(衆議院規則四五条一項、五〇条、五一条)。

3(一) 衆議院文教委員会は、昭和五九年二月二二日、衆議院議長に対し、国政調査承認要求書をもって、文教行政の基本施策に関する事項のほか六項目の事項を、会期中に調査することについて承認を求め、同議長は、同日、右要求を承認した。

また、内閣は、昭和五九年二月二五日、日本育英会法案を、第一〇一回国会において提出し、同法案は、同年四月一三日、衆議院議長から、衆議院文教委員会に付託された。

(二) 内閣は、昭和六〇年二月一日、日本体育・学校保健センター法案を、第一〇二回国会において提出し、同法案は、同年四月一一日、衆議院議長から、衆議院文教委員会に付託された。

(三) 衆議院文教委員会は、昭和六〇年一一月一三日、衆議院議長に対し、国政調査承認要求書をもって、文教行政の基本施策に関する事項のほか六項目の事項を会期中に調査することについて承認を求め、同議長は、同日、右要求を承認した。

4 したがって、被告人は、衆議院文教委員として、前記3を含む同委員会の議題について、自由に質疑し、意見を述べ、討論が終局したときは、表決に加わるなどの職務権限を有していた。

二 被告人の衆議院予算委員としての職務権限

1 被告人は、前記一1のとおり、衆議院文教委員であったほか、昭和五九年三月九日から同月一三日までの間、同年一二月一八日から昭和六一年六月二日衆議院が解散するまでの間、衆議院予算委員を務めた。

2 衆議院予算委員会は、衆議院の常任委員会の一つとして置かれ、その委員の員数は五〇人であり、予算を所管し、その部門に属する議案(決議案を含む。)、請願等を審査するほか(国会法四〇条、四一条一項、二項一七号、四七条、衆議院規則九二条一七号)、その所管に属する事項につき、国政に関する調査をすることができる(衆議院規則九四条一項、国会法四七条二項)。

衆議院予算委員は、同委員会における議題について、自由に質疑し及び意見を述べ、討論が終局したときは、表決に加わることができる(衆議院規則四五条一項、五〇条、五一条)。

3 衆議院予算委員会は、昭和六〇年一〇月二八日、第一〇三回国会において、衆議院議長に対し、国政調査承認要求書をもって、予算の実施状況に関する事項を会期中に調査することについて承認を求め、同議長は、同日、右要求を承認した。

4 したがって、被告人は、衆議院予算委員として、前記3を含む同委員会の議題について、自由に質疑し、意見を述べ、討論が終局したときは、表決に加わるなどの職務権限を有していた。

(一四四回・被告人、乙書四八・被告人、甲書二一八~二二四等)

第二章  本件各請託の有無

第一節  昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの間の各請託の有無

第一 当事者の主張及び当裁判所の認定

一 当事者の主張

1 検察官の主張

(一) 被告人は、昭和五九年五月下旬、議員会館において、江副から指示を受けた辰巳、赤羽から、通産省等の官庁が人事課長会議の申合せに違反して青田買いをしていること、就職協定が遵守されなければ、就職情報誌の利用価値が低下し、リクルートの就職情報誌の発行、配本事業に支障を来すようになることなどの説明を受けた上、衆議院文教委員会で、通産省等の官庁が人事課長会議の申合せに違反して青田買いをしていることを取り上げ、人事課長会議の申合せ遵守の徹底方を求めるなどの質問をしてもらいたい旨の要請を受け、これを了承した。

(二) 被告人は、昭和五九年六月中旬、議員会館において、江副から指示を受けた辰巳、赤羽、勝野から、質問案、通産省等の青田買いの新聞記事、就職協定に関する資料などの交付を受け、通産省等官庁の青田買いを国会で指摘し、人事課長会議の申合せに従い一〇月一日の前に各省庁と学生が接触することのないよう指導するように質問していただきたい旨の要請を重ねて受け、これを了承するとともに、衆議院文教委員会において被告人がリクルートの要請により質問をした前日の昭和五九年六月一九日ころ、議員会館において、赤羽らから、重ねて同様の要請を受けた。

(三) 被告人は、昭和五九年七月一八日ころ、料亭「きくみ」において、大沢らから、前記請託に沿った質問をしてもらいたいとの趣旨で接待を受け、青田買いの問題はリクルートにとって重要なことで困っているので、国会質問のことをよろしくお願いしたい旨前同様の要請を受け、これを了承するとともに、昭和五九年七月二三日ころ、赤羽らから、クラブ「パシーナ」、バー「ラミエル」において、前同様の要請を受けて、これを了承した。

2 弁護人の主張

(一) 就職協定が存続、遵守されないと、リクルートの就職情報誌の発行、配本等の事業に重大な支障を来すとの検察官の主張は、客観的事実に反するものであり、また、リクルート関係者が被告人に対し、そのような内容の請託を行ったことは認められない。

(二) 被告人は、リクルート関係者からの要請を了承したことはなく、国会で青田買いの問題を質問したことはあったが、それは、被告人が、日頃から議員活動のライフワークとして、教育問題、とりわけ学生の就職問題に関心を持っていたから、これらの問題を国会で取り上げたのであり、自己の政治信念によるものである。

二 当裁判所の認定

被告人は、

1 五九年五月三〇日、議員会館において、取締役会の決定に基づき、江副の指示を受けた辰巳、赤羽から、就職協定の現状、官庁の青田買い、それとリクルート事業との関係について説明を受け、人事課長会議の申合せに反する官庁の青田買いについて、国会質問をしてもらいたい旨請託を受けて、これを了承し、

2 昭和五九年六月一五日、議員会館において、江副の指示を受けた辰巳、赤羽、勝野から、質問案と共に通産省、労働省の青田買いの新聞記事、就職協定に関する資料を渡され、就職協定の現状、官庁の青田買い、それとリクルート事業との関係について説明を受け、官庁の青田買いを国会で取り上げて、人事院などに対して、人事課長会議の申合せを守るように質問してもらいたい旨の請託を受けて、これを了承し、

3 昭和五九年六月一九日、議員会館において、赤羽、勝野から、前記国会質問をしてもらいたい旨の請託を受け、

4 昭和五九年七月一八日、料亭「きくみ」において、大沢、位田、池田友之、辰巳から、接待され、リクルートでは就職協定の問題でいろいろ困っているので、国会質問をよろしくお願いしますとの請託を受けて、これを了承し、

5 昭和五九年七月二三日、クラブ「パシーナ」、バー「ラミエル」において、位田、赤羽らから、接待され、その機会に、前記と同様の請託を受けて、これを了承した

ことが認められる。

第二 当裁判所が右のとおり認定した理由

一 昭和五九年度就職協定に対するリクルートの取組

1 就職協定に関するリクルートの考え方

関係各証拠(甲書一二一・辰巳、甲書一三二、一三三・位田、甲書一五三、一五六、六一三・勝野、甲書五四八・大沢、乙書一〇、二二、三〇・江副、甲書五〇八、五二三、五六四〔甲物三九〕)によると、大学卒業予定者等の新規学卒者を対象として発行される就職情報誌に関して、リクルートは、就職協定が存続し、遵守されれば、求人求職活動の時期が制限されることによって、その間就職希望者と求人企業との間の媒体として就職情報誌の利用価値が高まるが、就職協定が遵守されず、あるいは廃止されれば、就職希望者、求人企業は、早い時期から、就職情報誌に頼ることなく、求人求職活動を行うようになって、就職情報誌の利用価値が低下するとともに、就職情報誌の発行、配本等を計画的に行うことができず、リクルートの事業を遂行していく上で大きな障害になり、また、就職協定が遵守されないで、企業が青田買いを行うようになると、その原因が就職情報誌にあると非難され、就職情報誌に対する法規制を招くことにもなりかねないと考えて、就職協定が存続し、遵守されるように関係者に働きかけていたことが認められる。

これに対して、公判において、江副は、就職協定が存続し、遵守するように関係者に働きかけていたことは認めながらも、「就職協定の存続、遵守とリクルートブックの売上げとは相関関係はなく、むしろ就職協定が乱れた方が売上げが上がる。リクルートでは、学生の勉学環境を確保し、企業の計画的な学生の採用活動ができるようにすることが、学生の就職に関する事業を展開しているリクルートの社会的責任であることから、就職協定の存続、遵守のために努力していたのである。」旨供述し(一一〇回)、勝野は、新規学卒者向け就職情報誌の発行がリクルートの事業において占める割合、就職協定と就職情報誌の利用価値、発行、配本等との関係から、就職協定の状況がリクルートの事業に影響を与えるとは考えていなかった旨供述し(七一回)、位田も、あいまいながら、勝野と同趣旨の供述をしている(四四回・位田四〇~八二項)。

しかしながら、<1>昭和五九年一月一八日ころの取締役会において、江副が、昭和五九年度の就職協定の存続、遵守に向けた取組について、就職協定が乱れることは高等教育の荒廃につながることなどを説明し、それを受けて、就職協定が乱れることは、リクルートの事業にとって大変不利であり、関連の協力を得て、少なくとも前年並みの遵守を働きかけることが必要であると話し合われていること(甲書一二一・辰巳、甲書五〇七、五六四〔甲物三九〕)、<2>昭和六〇年六月一四、一五日のリクルート全社部次長会議において、江副が、リクルートの幹部に対して、通産省が青田買いという新聞記事があったが、就職協定が遵守されず、就職の早期化が進と、商機が短くなり、売上げに影響する旨スピーチしていること(甲書五二三)、<3>宮地文部事務次官(二九回)、井上日経連雇用課長(三三回)、後藤労働省職業安定局業務指導課職員(二三回)らは、新規学卒者向け就職情報誌は、就職協定による接触禁止期間中の大学卒業予定者と求人企業を結ぶ媒体として利用価値がある旨供述していること等の各事情からすると、就職協定の存続、遵守がリクルートブックの売上げに現実にどの程度影響を与えるかはともかくとして、江副をはじめリクルートの幹部が、就職協定が存続、遵守されないとリクルートブックの売上げ等に悪影響があるとの認識の下に、就職協定の存続、遵守に向けて種々の活動をしていたことが明らかである。そして、これらの事情に、勝野は、前記各検察官調書において、就職協定の状況がリクルートの新規学卒者向け就職情報誌事業に与える影響について、前記認定に沿った具体的かつ合理的な説明をしており、その供述は十分信用できること、リクルートの事業部次長であった赤羽も、公判において、前記認定に沿う供述をしていること(五〇回・赤羽七二~八八項)、位田、大沢、辰巳も、公判において、少なくとも就職協定と就職情報誌の発行、配本等の計画及び就職情報誌に対する法規制との関係については、前記認定を認める供述をしていること(三九回・位田九七~一四三項、四五回・大沢五八~七三項、五三回・辰巳三四三~三六七項)等の事情を併せ考慮すると、就職協定の状況によって新規学卒者向け就職情報誌の事業遂行に影響があるとは考えていなかったという江副、勝野、位田の前記各公判供述は信用できない。

2 人事課長会議の申合せと官庁の青田買いに関する報道

(一) 人事課長会議の申合せの経緯

関係各証拠(二四回・緒方、三三、三四回・井上、三七回・森園、三七回・鹿児島、六八、六九回・中村、甲書四九八、四九九)によると、人事院は、就職協定と国会公務員上級甲種試験(以下単に「公務員試験」という。)の合格発表日との関係から、優秀な人材を確保し、公務員志望者が他の民間企業に就職することとの選択に悩まないようにするため、公務員試験の合格発表日を繰り上げることを考えており、昭和五九年、就職協定の当事者である中雇対協の中で主導的な立場にある日本経営者団体連盟(以下単に「日経連」という。)に対して、公務員試験の合格発表日を繰り上げたい旨申し入れたところ、日経連から、官庁側が就職協定の趣旨を尊重することを確約するならば反対しないという意向を示されたため、各省庁の人事担当者が協議を行う人事課長会議で就職協定の趣旨を尊重することを申し合わせることを考え、折衝し、調整をはかった結果、日経連等との間において、公務員試験の合格発表日を繰り上げる代わりに、公務員の採用において民間の就職協定を尊重し、協力するということで合意を成立させ、昭和五九年三月二八日、中雇対協において、公務員試験の合格発表日を繰り上げることが了承され、あわせて同日、人事課長会議において、就職協定に協力し、企業の選考開始日が一一月一日であるとの認識の下に、一〇月一日前の学生のOB訪問及び一〇月一日以降の官庁訪問に対しても就職協定の趣旨に沿った対応をするものとするという内容の申合せがされたことが認められる。

(二) 官庁の青田買いに関する新聞報道

甲書二二五によると、昭和五九年四月二七日付けサンケイ新聞において、「通産省が『青田買い』」の表題の下、人事課長会議の申合せがされたばかりであるにもかかわらず、通産省の官僚が東京大学において工学部の学生を集めて就職説明会を開いた旨の報道がされ、昭和五九年五月二七日付けサンケイ新聞において、「労働省 率先垂『犯』青田買い」の表題の下、京都大学OBで労働省の官僚二人が、京都大学の就職説明会に現れ、三時間にわたって話をし、就職協定の遵守を指導していた労働省が自らフライングをした旨の報道がされていることが認められる。

3 官庁の青田買いに対するリクルートの対応策の検討

(一) リクルートの社内文書の記載

(1) リクルートの社内文書の就職協定に関する記載

<1>昭和五九年四月二七日、同月二八日の両日にわたってホテルナゴヤキャッスルで開かれたリクルートの取締役会の議事録である甲書五一一には、「協定関連」の表題の下、他の事柄と合わせて「国会質問」と記載されており、<2>昭和五九年五月二三日開かれたリクルートの取締役会の決定事項を記載した甲書五一三には、「〔3〕協定関連」の表題の下、「従来通り」と記載されており、<3>「プロジェクトチームアクションプラン」と題するリクルートの社内文書であって欄外に「59・5・31」と記載されている甲書五一四には「就職協定関連」の表題の下に「国会質問案再検討」と記載されている。

(2) 国会質問案

リクルート社内の大沢の机から押収された文書である甲書四二には、「(通産省に対する質問)」の表題の下、昭和五九年四月二七日付けサンケイ新聞の報道に関して、「これは、事実ですか。また、大臣官房秘書課の指示があったとありますが、本当ですか。」「今回の説明会はルール違反ではないのですか。」と記載され、「(労働省に対する質問)」の表題の下、昭和五九年五月二七日付けサンケイ新聞の報道に関して、「これは、労働省のフライングであると思いますが、事実ですか。」「労働省は、先の申合せの趣旨に反して、青田買いをやっているのですか。」と記載され、「(人事院もしくは各省庁における採用活動を所轄する官庁に対する質問)」の表題の下、「一〇月一日以前に、今回の通産省や労働省のようにOBが説明会に参加することは許されているのですか。」「一〇月一日以前に、OBを含めた各省庁側と学生が接触することのないようご指導いただくことを、この場でお約束いただきたい。」と記載され、そのいずれの部分にもアンダーラインが引かれている。

(二) 関係者の供述等から認定できるリクルートの方針

(1) 赤羽の公判供述、江副(乙書一〇、三〇)、辰巳(甲書一二一、一二四、五七八)、位田(甲書一三三、一三五)、大沢(甲書一四二)、勝野(甲書一五三)の各検察官調書、甲書五一一、五一三、五一四、甲物四二、六六によると、次の各事実を認定することができる。

リクルートは、官庁が公務員試験の合格発表前に論文試験合格者と接触して青田買いをすると、そのことが政府系金融機関に波及し、さらに都市銀行に波及して、一般の民間企業に連鎖反応を起こすため、官庁は就職協定の当事者ではないが、就職協定についてキャスティングボードを握っており、官庁を就職協定に組み込み、青田買いを自粛してもらいたいと考えていたところ、昭和五九年三月二八日人事課長会議の申合せがされたが、そのことは、官庁を就職協定に組み入れたということで異議があったと考えていた。

ところで、昭和五九年四月二七日通産省の青田買いが新聞で報道されたため、昭和五九年四月二七日、二八日の両日ホテルナゴヤキャッスルで開かれた取締役会において、江副が、通産省が青田買いをして、人事課長会議の申合せに反することをしているので、しかるべき先生に国会で取り上げてもらい、質問してもらおうと提案し、人事院や各省庁の政府委員から、二度とこのようなことはしないという答弁を得て、人事課長会議の申合せを徹底させようということになった。甲書五一一の「協定関連」のところに「国会質問」と記載されているのは、そのことを記載したものである。

昭和五九年四月下旬から五月中旬までの間、リクルートの関係者が、被告人と接触して、質問を引き受けてくれる感触を得た後、江副の意向によって、国会質問を被告人にお願いし、質問案を用意することになり、辰巳を中心に勝野が書記的な立場で、新聞記事を参考にして、質問案の原案を作成し、江副が、質問のニュアンスを強め、具体的な答えが期待できるものにするなどの手直しをした。

その後、昭和五九年五月二七日労働省の青田買いが新聞で報道され、そのことも被告人に質問してもらうことになり、質問案に付加して、昭和五九年六月一五日、被告人に届けた。甲書五一四の「就職協定関連」のところに「国会質問案再検討」と記載されているのは、そのことを記載したものであり、甲物四二は、このようにして作成された質問案である。

(2) これに対して、公判において、江副は、被告人が就職問題に関心を持って資料を要求してきていることは聞いており、事業部から被告人に国会質問の材料を提供したかもしれないと思っていたが、取締役会において、官庁の青田買いについて、対策を協議したことはなく、国会質問を依頼したことは知らなかったのであり、質問案を見た記憶はなく、それを被告人に持参したということも記憶にないと供述し、辰巳をはじめとするリクルートの関係者も、リクルート社内での検討状況に関して、捜査段階における供述を後退させ、前記各検察官調書は検察官の誘導によって作成されたものにすぎず、その詳細を記憶しておらず、具体的によくわからないなどと供述している。

しかしながら、これらの各公判供述は、<1>前記赤羽の公判供述、江副をはじめとするリクルート関係者の捜査段階における供述は、甲書五一一、五一三、五一四、甲物四二の記載と一致し、相互に符合している上、リクルートが被告人に国会質問を依頼しようと考えた経過などが自然であり、辰巳、勝野が供述する江副が質問案を手直しした状況などは具体的で、迫真性があり、十分に信用できること、<2>辰巳は、公判において、質問案を作成した経過について、江副に見てもらい、各項目の言い回しについて、平易でストレートな表現にするように言われ、よく覚えていないが、強い語調にして、最後の部分を付加するように言われ、質問のポイントのところにアンダーラインを引いたなどと、捜査段階とほぼ同様の供述をして、江副の公判供述を否定する供述をしていること(五三回・辰巳四四七~四五四項、五四回・辰巳三七七~四〇八項)、<3>前記各検察官調書は、リクルートにおいて被告人に国会質問を依頼するようになった経緯、質問案を再検討する必要があった理由などについて、それぞれの立場に応じて供述するところに相違があるなど、必ずしも同様の内容のものではなく、検察官の誘導のみによって、このような検察官調書が作成されたとは考え難いこと、<4>リクルートにおいて就職協定に関する事項は事業部が担当していたところ、昭和五九年四月、五月当時、辰巳は社長室長として就職協定に関する事項の検討を行っており、位田は事業部担当の取締役であり、大沢は専務取締役として社長室の事務、取締役会での議事進行を行っており、勝野は事業部の課長代理であったのであって、これらの者いずれもが、公判において、甲書五一一、五一三、五一四などの取締役会の議事、就職協定についての検討結果に関して作成された文書について的確な説明ができないというのは不自然であること等に照らして、信用することができない。

(3) 以上によると、リクルートは、官庁が早期に学生と接触して内定を出すと、民間企業が就職協定を遵守しなくなる誘因になり、そのことがリクルートの事業にも好ましくない影響を与えると考えていたため、人事課長会議の申合せがされたことを評価していたところ、昭和五九年四月、五月、通産省、労働省が人事課長会議の申合せに反した時期に学生と接触している新聞報道がされたことから、そのことを被告人に国会で取り上げてもらい、政府に人事課長会議の申合せを徹底させることを考え、質問案を用意した上、それを被告人に渡すなどして、国会質問を依頼する方針であったことが認められる。

二 被告人に対する請託及び被告人の受諾

1 リクルートと被告人の関係及び被告人の国会質問

(一) 関係各証拠(五〇、五一回・赤羽、六〇、六一回・宮沢、一四三~一四六回・被告人、甲書一三五・位田、甲書一四二・大沢、甲書一二一、一二二、一二八・辰巳、甲書二一八、五五三~五五八、五六七、甲物六四~七〇、八一~八三)によると、次の各事実を認めることができる。

(1) 被告人が昭和五八年一二月の総選挙で衆議院議員に当選した後被告人の公設第一秘書となった宮沢は、被告人から、衆議院議員として活動するための資料をリクルートから入手するように指示を受け、その資料を入手する際、赤羽と知り合った。その後、赤羽は、被告人から創価学会又は公明党の会館建設用地を探して欲しいと頼まれたこともあり、しばしば議員会館の被告人の事務所を訪ねるなどしていた。

(2) 面会申込書によると、昭和五九年五月一一日赤羽ほか二名が、昭和五九年五月三〇日赤羽ほか一名が、昭和五九年六月六日赤羽ほか一名が、昭和五九年六月一五日赤羽ほか二名が、昭和五九年六月一九日赤羽ほか一名が、昭和五九年六月二〇日赤羽ほか一名が、昭和五九年六月二一日赤羽ほか一名が、昭和五九年七月二日赤羽ほか一名が、昭和五九年八月一日赤羽ほか一名が、昭和五九年八月七日赤羽が、それぞれ議員会館において被告人に面会することを申し出ていることが認められる。

(3) 被告人は、昭和五九年六月二〇日、日本育英会法案に関する質疑を行った衆議院文教委員会において質問に立ち、質問の最後に、当該法案から離れて質問すると前置きをした上、前記サンケイ新聞の通産省の青田買いについての報道内容に触れ、純粋な気持ちで学問を探究している学生に対して、役所が上級職の発表に先駆けて、早手回しのようなことをするのは、ルールが踏み外されているように受けとめていると指摘している。

(4) 被告人は、リクルートの費用負担の下、<1>昭和五九年七月一八日、料亭「きくみ」において、宮沢と共に、大沢、位田、池田友之、辰巳から飲食の接待を受け、<2>昭和五九年七月二三日、クラブ「パシーナ」において、宮沢と共に、位田、赤羽、辰巳から、バー「ラミエル」において、宮沢と共に、位田、赤羽から、それぞれ飲食の接待を受け、<3>昭和五九年七月二八日から三〇日までの間、赤羽が手配して予約した京都市内の「ホテル・フジタ京都」に家族と共に宿泊している。

(5) 被告人は、昭和五九年八月三日衆議院文教委員会において質問に立ち、臨教審設置の経過について質問した後、前記サンケイ新聞の通産省の青田買い、労働省の青田買いについての各報道内容に触れ、人事課長会議の申合せとの関係から、人事院の意見を尋ね、人事院の説明員から人事課長会議の申合せの趣旨を徹底させるように努める旨の答弁がされ、さらに、文部省に対して一般企業の青田買いに対する対応について尋ね、文部省の政府委員から、就職協定の遵守について大学に徹底をはかり、就職の機会が均等になるように対応したい旨の答弁がされている。

(6) 被告人は、リクルートの費用負担の下、<1>昭和五九年八月一六日、赤羽から、宮沢と共に、クラブ「ジャンティユ」で接待を受け、<2>昭和五九年八月二二日、宮沢と共に、大沢、位田、辰巳、赤羽から、料亭「やま祢」で接待を受けている。

(二) ところで、甲物四二の質問案と被告人の昭和五九年六月二〇日及び同年八月三日の文教委員会における各質問とを対比すると、その表現の仕方に差異はあるものの、被告人は、昭和五九年六月二〇日の文教委員会において、当日の付議案件は、日本育英会法案であったのに、それとは直接関係のない通産省の青田買いを質問の最後にわざわざ取り上げている上、その内容も甲物四二の質問案にある「(通産省に対する質問)」とほぼ同じ内容であること、昭和五九年八月三日の文教委員会では、「六月二〇日にこの委員会で答弁をいただかないまま、指摘をするにとどめたテーマでございます。」と前置きした上、甲物四二の質問案で取り上げられているのと同じ前記昭和五九年四月二七日付け、五月二七日付けの各サンケイ新聞の記事を題材として、ほぼ甲物四二の質問案の内容の趣旨に沿う質問をしていることが認められる。

2 被告人に対する請託の状況に関する関係者の供述

(一) 赤羽、宮沢の各公判供述及びリクルート関係者の捜査段階における各供述の信用性

(1) 赤羽、宮沢の各公判供述及びリクルート関係者の捜査段階における各供述の概要

<1> 赤羽は、公判において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和五九年五月上、中旬、位田、辰巳と共に、被告人を議員会館に訪問して、通産省のフライングの新聞記事をもとに考えを聞いたところ、理解を示してくれたので、被告人に国会質問を依頼する陳情をしてよいという感触を得た。

それから一〇日か二週間後、辰巳と共に、被告人を議員会館に訪問して、辰巳が、通産省のフライングの新聞記事をみせながら、学生にとって好ましくないことであり、文教委員会で取り上げていただきたいとお願いし、さらに官庁の青田買いと就職協定の関係、就職協定とリクルートの事業の関係について説明したところ、被告人は、大変高い理解をしてくれて、国会質問を引き受けてくれるものと理解できた。

昭和五九年六月に入ってから、辰巳、勝野と共に、被告人を議員会館に訪問して、労働省もフライングをしていることを話し、辰巳が、案として考えてみましたと述べて、質問案を渡し、アンダーラインのところを指して、この辺をお願いしますと話し、さらに、勝野が資料に基づいて就職協定の歴史について説明した。

被告人の質問が予定されていた昭和五九年六月二〇日の前日、辰巳(甲物六七、六四回・勝野五七八~五八〇項によれば、このとき赤羽と同道したのは、勝野であったと認められ、この点に関する赤羽の供述は記憶違いであると推測される。)と共に被告人を訪ねて、再度お願いした上、昭和五九年六月二〇日の翌日、上司の誰かと共に、被告人を議員会館に訪ねたところ、被告人は、時間がなく頭の方で終わってしまったと話していた。

昭和五九年七月下旬、仕事をしていると呼び出されて、リクルート社ビル地下のクラブ「パシーナ」に行くと、被告人、宮沢と共に位田、阿部と辰巳か小野がおり、直ぐに位田と共に、被告人、宮沢を銀座七丁目のバー「ラミエル」に案内し、その場で、被告人から、京都旅行をしたいので、ホテルを取れないかと言われたため、「ホテル・フジタ京都」を手配して予約し、被告人らの宿泊費用はリクルートが負担した。

その後、被告人の質問が予定されていた昭和五九年八月三日の前、辰巳と共に被告人を議員会館に訪ねたところ、京都旅行のお礼を言われ、昭和五九年八月三日の翌日も、国会質問をしてもらったあいさつのため被告人を訪ねた。

<2> 宮沢は、公刊において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和五九年五月ごろ、辰巳と赤羽が被告人を訪ねて来て、私が同席したところで、一流企業が早くから学生を確保しており、監督官庁である行政も同じことをやっており、青田買いがされるとリクルートの出版物の存在価値にも関わることを説明して、役所がルール違反をすることはけしからんことであり、監督官庁がフライングしないようにする方法はないかということを話していった。

その後、位田、辰巳、赤羽が被告人を訪ねて来て、位田が責任者としてあいさつし、青田買いで困っているという話をして、辰巳が通産省と労働省の青田買いの新聞記事を置いていった。

昭和五九年六月二〇日、被告人が、文教委員会において、時間切れ間際に青田買いについて質問をしたが、その後、辰巳が来て、次の質問の日を聞いて、もう一押しお願いしますと言っていった。

また、リクルートが質問案を持参してきたことがあり、辰巳、赤羽が被告人を訪ねて、新聞記事のことでこんなことを考えてみました、ご参考までにと言って、甲物四二を置いていった。

昭和五九年八月三日、被告人が、文教委員会において、青田買いについて質問したが、その前に、被告人が口授する質問内容を私が書き取って、発言資料を作成しており、それが甲物七七であって、その際、被告人は、リクルートが持参してきた質問案を見ていた。

昭和五九年七月、料亭「きくみ」において、被告人と共に、大沢、位田、池田友之、辰巳らから接待を受けたが、そのときは、あいさつをして、何分よろしくということで、それ以上の話はなかった。

そのほか、被告人とリクルートを訪ねたことがあり、大沢、位田、辰巳と会って、地下のクラブ「パシーナ」に行き、そこから位田、赤羽と共に銀座のクラブに行ったことがある。

昭和五九年八月三日被告人が文教委員会で質問したが、その直前辰巳が訪ねてきて、是非よろしくお願いしたいというようなことを言っていた。

<3> 辰巳は、捜査段階において、おおよそ次のとおり供述している(甲書一二一、一二八)。

昭和五九年四月下旬か五月中旬、位田、赤羽と共に、被告人を議員会館に訪ねて、就職情報誌に対する法規制のことと就職協定のことを話したところ、被告人は、法規制よりも就職協定に関心があり、官庁の青田買いについて質問してもらえるのではないかという感触を得た。そのことが、取締役会に報告され、文教委員会の委員でもあるので、被告人に質問してもらおうということになった。

昭和五九年五月下旬、赤羽と共に、被告人を議員会館に訪ね、就職協定の現状とリクルート事業との関係を説明して、江副から言われて来たが、官庁が人事課長会議の申合せに反して青田買いをしていることについて、質問してもらいたいとお願いしたところ、被告人は、学歴社会の是正にもつながるので、前向きに検討しましょうと述べていた。

さらに、初和五九年六月中旬、江副から指示されて、赤羽、勝野と共に被告人を訪ね、せん越ですが、お願いできないでしょうかと言って、質問案を渡し、通産省、労働省の青田買いの新聞記事、就職協定に関する資料なども持参して、説明したところ、被告人は、民間企業が守っているのに官庁が守らないのはおかしい、今度の文教委員会で質問してあげましょうと言ってくれた。

昭和五九年六月二〇日の文教委員会における被告人の質問が意見を述べるだけにとどまったので、昭和五九年七月一八日、料亭「きくみ」において、大沢、池田友之と共に、被告人と宮沢を接待し、被告人に、今度の委員会でよろしくお願いしますと言うと、被告人は、今度の委員会で質問案に基づいて質問しますと述べており、また、昭和五九年七月二三日、被告人と宮沢がリクルートを訪ねてきたので、位田、赤羽と共に、リクルートの会員制クラブ「パシーナ」で接待し、今度の委員会ではよろしくお願いしますなどと国会質問をお願いした。

被告人は、昭和五九年八月三日、文教委員会において質問し、政府から期待どおりの答弁を引き出した。

<4> 勝野は、捜査段階において、おおよそ次のとおり供述している(甲書一五三)。

昭和五九年六月二〇日被告人が文教委員会において質問した数日前、辰巳、赤羽と共に、被告人を議員会館に訪ね、せん越ですがと言って、新聞記事と共に質問案二枚を渡し、辰巳、赤羽と共に就職協定の現状について説明し、さらに、辰巳か赤羽が人事課長会議の申合せについて説明し、辰巳が、通産省、労働省の青田買い、官庁の青田買いと就職協定、リクルートの事業の関係について説明して、通産省、労働省の協定違反について質問していただき、人事院などに対して、人事課長会議の申合せを守るように質問してもらいたいと述べたところ、被告人は、今度の文教委員会でこの資料にあるように質問してあげましょう答えた。

被告人は、昭和五九年六月二〇日の文教委員会の質問では、最後の方で少し触れた程度であったが、昭和五九年八月三日の文教委員会では、お願いしたとおり、官庁の青田買いを取り上げて質問してくれた。

<5> 位田は、捜査段階において、おおよそ次のとおり供述している(甲書一三五)。

昭和五九年五月中旬、社会党が攻撃している就職情報誌の誇大広告に関するリクルート一一〇番の問題について公明党の考え方を情報収集するとともに、官庁の青田買いについて国会質問をしてもらえるかどうかの当りをつけるため、辰巳、赤羽と共に、被告人を議員会館に訪問したところ、被告人が、リクルート一一〇番の問題には関心がなく、就職協定に関心があることがわかり、江副の指示の下に、被告人に国会質問をお願いすることになった。

昭和五九年七月一八日、リクルートの役員が顔を出し、リクルートとして国会質問を重要なこととして考えていることをわかってもらい、国会質問を一生懸命やってもらう趣旨から、料亭「きくみ」において、被告人と秘書を接待している。その際、池田友之が出席しているのは、リクルート一一〇番問題について情報を得る意味があったからである。被告人に、青田買いの問題は重要なことで、就職協定がうまくいかないと、仕事上困るので、質問をよろしくお願いしますと言うと、被告人は機嫌よくうなずいていた。

その数日後、被告人が宮沢と共にリクルートを訪ねて来て、赤羽に呼ばれたので、地下の会員制クラブ「パーシナ」に案内して、赤羽、辰巳と共にもてなし、さらにもう一軒案内して、国会質問をしてもらうお礼の気持ちを込めてもてなした。

<6> 大沢は、捜査段階において、昭和五九年七月一八日、被告人を大切な方だと認識していることをわかってもらい、国会質問をしてもらう感謝の気持ちを表すため、料亭「きくみ」において、位田、池田友之、辰巳と共に、被告人と宮沢を接待し、私は、その席で、リクルートでは就職協定の問題についてはいろいろ困っているので、国会質問をよろしくお願いしますと言っており、被告人は、機嫌が良く、この問題は重大な問題ですから、わかっていますと話していた旨供述している(甲書一四二)。

(2) 右各供述の信用性

これらの赤羽、宮沢の各公判供述、辰巳をはじめとするリクルート関係者の捜査段階における各供述は、概ね一致しているが、赤羽は公判供述当時既にリクルートと利害関係を持たなくなっている者であり、宮沢はかつて被告人の秘書であった者であり、両名は、それぞれ立場が異なる上、リクルート関係者は、その両名とも立場が異なるところ、その三者の供述が期せずして符合していること、これらの各供述で述べられているリクルート関係者が被告人を議員会館に訪問した時期が、面会申込書から認められる赤羽らが被告人を議員会館に訪問した時期とも符合していること、赤羽らリクルート関係者は、それぞれの立場から、リクルートが、前記一3において認定した官庁の青田買いに対する対応策に基づいて、被告人の関心を探りながら、国会質問を依頼し、被告人が文教委員会において十分な質問をしなかった後、被告人を接待し、その後被告人がリクルートの期待どおりの質問をした経過を供述しているのであり、事態の推移としても自然であることなどからすると、前記赤羽、宮沢の各公判供述、リクルート関係者の捜査段階における各供述は、十分に信用することができる。

(二) 被告人、リクルート関係者の各公判供述の信用性

(1) 被告人、リクルート関係者の各公判供述の概要

<1> 被告人は、公判において、おおよそ次のとおり供述している。

自分は、文教委員として就職問題に関心を持ち、ライフワークとして就職協定、青田買い、臨教審などの問題について質問してきたのであり、昭和五九年六月二〇日及び同年八月三日の文教委員会での各質問も、自らの政治信念として行ったものであって、リクルートから依頼されて行ったものではない。

赤羽は、頻繁に議員会館を訪ねて来て、宮沢と接触しており、昭和五九年春、上司二名を連れてきたことがあったが、それは、住宅情報誌で競争関係にある新聞社から転職情報誌の掲載についてクレーム記事を書かれそうなことを相談してきたにすぎず、その後、昭和五九年五月ころ、東京大学で青田買いが行われた旨の新聞報道があったので、宮沢に調べるように指示したところ、宮沢が甲物四二を持ってきたが、国会質問の体裁になっていなかったので、それを使うことはなく、甲物七七は見たことがないし、そこに記載があるような質問もしていない。

昭和五九年七月一八日、料亭「きくみ」において、宮沢と共に、リクルートから接待を受けたが、宮沢が話を持ってきて、出版業界にいた者として関心があり、出席したにすぎず、自分の選挙区のこと、出版業界から政界に出た動機などについて話をして、短時間で帰った。

<2> 公判において、辰巳は、被告人に質問案を渡したとき以外に被告人を訪ねたことは記憶がない旨述べ、被告人を料亭「きくみ」などで接待した趣旨、状況についてあいまいな供述をし、勝野は、一回辰巳、赤羽と共に、被告人を議員会館に訪ね、就職のことを説明したことがあったが、その際質問案を渡したかどうかわからない旨供述し、位田は昭和五九年五月中旬、辰巳、赤羽と共に、被告人を議員会館に訪ねて、就職情報誌の法規制について野党が国会質問をしたことについて相談に行ったことはあるが、被告人に国会質問を依頼した可能性は低く、料亭「きくみ」で被告人を接待したのは、多目的な形で懇親する趣旨であり、何かをお願いしたというものではなく、そのほかに被告人を接待したことは記憶していない旨供述し、大沢は、料亭「きくみ」において被告人を接待した趣旨、そこでの被告人とのやりとりは記憶していない旨供述し、いずれもが、前記検察官調書は、検察官の誘導によって作成された旨供述している。

(2) 右各供述の信用性

これらの各公判供述は、

<1> 前一3で認定したとおり、リクルートは、人事課長会議の問合せを踏まえて、これに反する通産省、労働省の青田買いを国会で取り上げてもらうことを決め、その方針に従って、リクルートの関係者が被告人と接触していたのであり、辰巳、位田の捜査段階における供述によれば、位田、辰巳、赤羽が、当初被告人を訪問した際、リクルート一一〇番の問題や就職情報誌に対する法規制の問題を相談したことがうかがえるが、それらの問題と共に、就職協定に関する被告人の関心の所在を探り、それに関連した国会質問を依頼できるかどうかの感触を得る目的でいたことは、リクルート関係者の捜査段階における供述などから明らかであって、リクルート関係者が被告人を訪問して国会質問を依頼したことについて、これを否定し、あるいは記憶がないとする被告人、リクルート関係者の各公判供述は、信用できないこと、

<2> 被告人は、捜査段階においては、昭和五九年二月ころから議員会館の事務所に陳情に来ていた赤羽が、昭和五九年四月、五月ころ官庁の青田買いについて不満を述べており、就職の機会均等の問題の勉強のため、赤羽から通産省、労働省、人事院と記載された資料を受け取ったことがある旨供述して(乙書六九、七四)、官庁の青田買いに不満を抱いている赤羽から、甲物四二に類似した資料を受け取ったことを認める供述をし、さらに、公判において、一旦は、宮沢に青田買いの新聞記事について国会質問の資料を作るように指示したところ、宮沢が質問の格好にして甲物四二を持ってきたのであり、甲物四二は宮沢が作成したものと思っていた旨供述しながら(一四三回・被告人一〇〇~一二二項)、その後、宮沢がワープロを使用できないことを指摘されて、公設第一秘書である宮沢には余り質問案の作成を指示したことはなく、宮沢に指示したときも、赤羽と相談するだろうと考えていたなどと、甲物四二の質問案は宮沢が赤羽から入手したものともとれる供述をしているのであって(一四五回・被告人四〇三~四二二項)その供述には重要な点について変遷があること、

<3> 前記1(二)で認定したとおり、甲物四二の質問案と被告人の昭和五九年六月二〇日及び同年八月三日の文教委員会における各質問とを対比すると、その表現の仕方に差異はあるものの、それらの各質問内容は、ほぼその質問案の内容の趣旨に沿う質問をしているのであり、被告人の甲物四二に関わりなく質問したという公判供述は信用できないこと、

<4> 被告人は、リクルートから、転職情報誌の掲載に対するクレームについて相談を受けたが、国会質問の依頼を受けたことはないと供述するが、公判において、被告人を料亭「きくみ」などで接待した趣旨、状況についてあいまいな供述をしている辰巳も、赤羽らと共に、被告人を議員会館に訪問して、官庁の青田買いの新聞記事、就職協定に関する資料などと共に質問案を持参し、就職協定の推移、就職協定が遵守されないときの問題点などを指摘して、参考にしてくださいと言って、質問案を被告人に渡した旨供述し、被告人に国会質問を依頼したことを認める供述をしており(五三回・辰巳四四五~四六六頁、五四回・辰巳三三〇~三七〇項四四〇~四五三項)、公判において、就職情報誌の法規制について被告人に相談したと供述している位田も、被告人は就職問題に関心が高く、就職協定の関連で被告人に会っていると思う(四〇回・位田三九八~四〇五項、四一七~四三五項)、料亭「きくみ」で接待したのは、職安法の改正とか国会質問等の関連で顔見せ的に懇親したのであり、被告人との関係は、就職協定の問題に比重が移っていたと供述しており(四〇回・位田七六四~七九八項)、被告人の右公判供述は、被告人に国会質問を依頼したことに関しては、捜査段階における各供述よりも公判においては明らかに後退した供述をしているその両名の供述とも明らかに反していること、

<5> リクルート関係者の各公判供述は、捜査段階で供述した事実についてこれをあいまいながら否定したり、記憶がないというのにとどまり、被告人を議員会館に訪問した目的、被告人を接待した旨、質問案を渡した相手方などについて述べるところは、必ずしも赤羽、宮沢の各公判供述と矛盾するものではないこと、

<6> 辰巳の公判供述は、被告人に国会質問を依頼した経緯、目的などあいまいであり、要するに、被告人と接触することなく、質問案を用意して、突然被告人を議員会館に訪ね、質問案を渡して、国会質問を依頼したというものであって、それ自体として不自然であること

などから、到底信用することはできない。

三 結論

以上によると、リクルートは、官庁が早期に学生と接触して内定を出すと、民間企業が就職協定を遵守しなくなる誘因になり、そのことがリクルートの事業にも好ましくない影響を与えると考えていたため、人事課長会議の申合せがされたことを評価していたところ、昭和五九年四月、五月、通産省、労働省が人事課長会議の申合せに反した時期に学生と接触している新聞報道がされたことから、取締役会などで、そのことを被告人に国会で取り上げてもらい、政府に人事課長会議の申合せを徹底させることを考え、その考えに従って、

1 江副の指示を受けた辰巳、赤羽が、昭和五九年五月三〇日、被告人を議員会館に訪ね、就職協定の現状、官庁の青田買い、それとリクルート事業との関係について説明し、人事課長会議の申合せに反する官庁の青田買いについて、国会質問をしてもらいたい旨請託し、これを被告人が了承し、

2 江副の指示を受けた辰巳、赤羽、勝野が、昭和五九年六月一五日、被告人を議員会館に訪ね、質問案と共に通産省、労働省の青田買いの新聞記事、就職協定に関する資料を渡して、就職協定の現状、官庁の青田買い、それとリクルート事業との関係について説明し、官庁の青田買いを国会で取り上げて、人事院などに対して、人事課長会議の申合せを守るように質問してもらいたい旨請託し、これを被告人が了承し、

3 赤羽、勝野が、昭和五九年六月一九日、被告人を議員会館に訪ね、前記国会質問をしてもらいたい旨請託し、

4 大沢、位田、池田友之、辰巳が、昭和五九年七月一八日、料亭「きくみ」において、被告人を接待し、リクルートでは就職協定の問題でいろいろ困っているので、国会質問をよろしくお願いしますとの請託をし、これを被告人が了承し、

5 位田、赤羽らが、昭和五九年七月二三日、クラブ「パシーナ」、バー「ラミエル」において、被告人を接待し、その機会に、前記と同様の請託をし、これを被告人が了承した

ことが認められる。

第二節  昭和六〇年六月上、中旬の各請託の有無

第一 当事者の主張及び当裁判所の認定

一 当事者の主張

1 検祭官の主張

(一) 被告人は、昭和六〇年六月上、中旬、議員会館又はリクルートにおいて、江副の指示を受けた辰巳、勝野から、昭和六〇年度就職協定及び人事課長会議の申合せ、臨教審第一次答申に青田買い防止等の具体的提言が盛り込まれる方針であることなどを記述した質問用資料の交付を受け、「臨教審でも学歴社会の是正策の一つとして就職協定違反の青田買い防止などが審議検討されており、また、本年四月一〇日には、人事課長会議で、官庁も昨年同様民間の就職協定に協力するとの申合せもなされたが、本年もこれらの点を取り上げて、国の行政機関の青田買いが行われないように質問していただきたい」旨要請を受けて、これを了承した。

(二) 被告人は、昭和六〇年六月一五日ころ、議員会館において、辰巳、長谷川、勝野から、就職協定違反の青田買いの現状、昭和六〇年六月一五日付けサンケイ新聞の通産省の青田買いに関する新聞記事等を添付した資料の交付を受け、臨教審の第一次答申に学歴社会の是正策として青田買い防止が盛り込まれることになっているなどの説明を受け、本年も通産省が人事課長会議の申合せに違反して青田買いをしているので、衆議院文教委員会でこのことを指摘し、人事院などに対して人事課長会議の申合せ遵守の徹底方を求める質問をしていただきたい旨の要請を受けて、これを了承した。

2弁護人の主張

被告人は、リクルートの関係者から、検察官主張のような要請を受けておらず、そのような要請によって国会質問を行ったものではなく、これに反するリクルート関係者の捜査段階における供述は信用できないのであって、そのことは、次の各事情から明らかである。

(一) 被告人は、自己の信念と関心に従って国会質問を繰り返していたのであり、リクルート関係者としては、被告人の事務所から情報を収集していれば足りたのであって、そのような見方をすれば、リクルート社内文書の記載も整合性をもって理解できる。

(二) リクルート関係者が、真実被告人に請託したというのであれば、捜査段階において請託の日時、場所を特定できないのは不自然である。

(三) 勝野が、捜査段階においてその存在を認め、公判においてその存在を否定している質問用資料が押収されていないのは、勝野の公判供述が信用できるからにほかならない。

(四) 被告人は、臨教審が、学歴社会弊害是正策として指定校制廃止、青田買い防止を指摘しているところから、臨教審の提言を実効性あるものとするために、臨教審の動向に呼応して青田買い問題等を国会で取り上げていたのであり、被告人が、自己の問題意識から、青田買い等の問題を時機に応じて取り上げていることは、この国会質問の経緯から明らかである。

二 当裁判所の認定

被告人は、

1 昭和六〇年六月上旬、議員会館又はリクルートにおいて、リクルートの取締役会の決定を受け、渡す資料について江副の了承を得た辰巳、勝野から、昭和六〇年度就職協定の内容、昭和六〇年四月一〇日の人事課長会議の申合せ、臨教審の第一次答申には青田買い防止が盛り込まれる予定であることなどを記述した資料の交付を受けて、人事課長会議において前年同様の申合せがされたこと、臨教審の第一次答申において青田買いの防止が取り上げられる予定であるなどの説明を受け、政府が人事課長会議の申合せを遵守するように国会質問をしてもらいたい旨の請託を受け、これを了承し、

2 昭和六〇年六月一八日、議員会館において、辰巳、長谷川、勝野から、昭和六〇年六月一五日付けサンケイ新聞の通産省の青田買いを報導した新聞記事などを添付した昭和六〇年の青田買いの現状に関する資料の交付を受け、想定される臨教審の第一次答申、人事課長会議の申合せに加え、再び通産省が青田買いをしていること、官庁の青田買いがされると幣害があることなどについて説明を受け、通産省の青田買いを取り上げて、人事課長会議の申合せの遵守を求める国会質問をしてもらいたい旨の請託を受け、これを了承した

ことが認められる。

第二 当裁判所が右のとおり認定した理由

一 昭和六〇年六月までの就職協定を巡る情勢

1 昭和六〇年度就職協定に関する松崎発言

関係各証拠(三二回・諸井、甲書一二三・辰巳、甲書一五四・勝野、甲物四六等)によれば、昭和六〇年一月二一日開催された中雇対協で、昭和六〇年度就職協定を一〇月一日会社訪問解禁、一一月一日試験開始とする一〇-一一協定を継続することが確認されたが、同日行われた記者会見で、中雇対協座長である松崎は、「協定問題については、完全に熱意を失っている。九割の人が協定を守っていなかった。しかし、九割の人が協定を続けろといっている。紳士協定を結びながら、それが守られず、より一層混乱するから必要だとする認識はおかしい。しかし、傘下の企業が作れと言えば、サービス団体としてノーとは言えない。それゆえ、一〇-一一協定を継続することをここで決定する。」旨発言したことが認められる。

2 臨教審における審議等

関係各証拠(二五、二六回・齋藤、二六、二七回・石川、甲書四〇九、四一八、四三八~四四〇)によれば、昭和五九年八月二一日、総理府に、総理大臣からの諮問に応じて、教育制度の改革について調査、審議するための機関として設置された臨教審は、学歴社会と人材登用の在り方に視点を当て調査、審議を行い、昭和六〇年六月二六日、第一次答申の中において、学歴社会の是正策として、青田買いを改め、指定校制を撤廃することにより、多様な人材を採用することが必要であると指摘したことが認められる。

3 昭和六〇年四月一〇日の人事課長会議の申合せ

甲書六二三、甲物四七によれば、昭和六〇年四月一〇日の人事課長会議において、人事院企画課長から、「国家公務員の採用については、昨年の申合せどおり本年も引き続いて協力をお願いしたい。」旨の各省庁への協力要請が行われ、これが了承されたことが認められる。

二 昭和六〇年六月中旬までの昭和六〇年度就職協定に対するリクルートの取組及び被告人に対する請託

1 リクルート社内文書等から認定できる昭和六〇年度就職協定に対するリクルートの対応

(一) リクルートの社内文書であり、昭和六〇年一月二三日の取締役会での決定事項を記載したものである甲書五二〇には、就職協定に関連して、「協定(決め手なし)」との表題の下、「<1>経済三団体中心にテコ入レ。特に、日商、中央会とのリレーションを強め、会合の場においての発言力を高めてもらい、井上課長を鼓舞させる。」「<2>文部大臣とのトップリレーションを深め(江副、位田T)、協定への関心を深めてもらう。(大学での成績が就職先と深く関係させ、大学で勉強させるようにする、臨教審と協定の関係)」「<3>就職協定セミナーはタイミングをみて実施する。(東京、大阪)今年の採用戦線と協定とのような形にすることも考える。」と記載されている。

この書面に関連して、辰巳(甲書一二四)、位田(甲書一三六)、勝野(甲書一五四)らは、捜査段階において、位田が取締役会の決定事項を勝野に話して作成させた文書であり、松崎発言を受けて、就職協定の存続、遵守について強い危機感を抱き、取締役会において、有効な決め手となる方策はないが、文部大臣とのトップリレーションを深めて、就職協定への関心を深めてもらうこと、青田買いが学歴社会の弊害の一因となっているので、臨教審で取り上げてもらうため、関係者に働きかけることなどが決まったことを記載したものである旨供述している。

(二) リクルートの社内文書であり、表題に「就職協定関連」と記載され、日付欄に「昭和六〇年六月六日」と記載されている甲書五二二には、「1 学生・企業の動き」との表題の下、「<1>五月動きが激しかったところは、三和銀行・野村証券・日商岩井であった(複数の学生を集めてOBとの懇談)。」「<2>しかし、五月下旬都銀が動きを自粛したことで、五月末~六月上旬においては、全体的に静かになった。」と記載され、「3 その他」との表題の下、「・臨教審第二部会において青田買いの問題とりあげられる」「・サンケイ新聞(5/26)早大での青田買いとりあげられる」と記載されており、臨教審において、学歴社会の是正のための採用面での改革として指定校制、青田買いを廃止することを第一次答申に盛り込むための作業が進められることになった旨の報道がされている昭和六〇年五月三〇日付け日本経済新聞の記事、早稲田大学理工学部で一流企業一〇社が就職協定違反の会社説明会を開いた旨の報道がされている昭和六〇年五月二六日付けサンケイ新聞の記事が添付されている。

(三) 昭和六〇年六月一四日、一五日の両日リクルートで開かれた全社部次長会の会議抄録である甲書五二三によると、江副は、全社部次長会において、スピーチをして、「昨日の新聞に『民間企業の採用意欲は極めて旺盛であり、来春の採用数は大卒男子で三割増』との記事があった。また、他の新聞には、『通産省が青田買い』という記事もあった。そのために早期化が進むのではないか、という懸念がある。いずれにしても、就職の早期化が進むと、商機が短くなる。」と述べていることが認められる。

以上によれば、リクルートは、昭和六〇年度就職協定に関して、松崎発言を受けて、就職協定の存続、遵守について強い危機感を抱き、取締役会等において、対応策を検討し、就職協定の存続、遵守のため、臨教審の第一次答申に青田買い防止を取り上げてもらうことなどを関係者に働きかける方針を立て、その後も就職協定に関する官庁や企業の動き、臨教審における審議の状況等について情報収集に努めていたことが推認される。

2 被告人の国会質問及びその前の新聞報道、リクルートと被告人の接触状況

(一) 被告人の公判供述、甲書一二三・辰巳、甲書一五二・長谷川、甲書一五四・勝野、甲書五九六によると、被告人は、昭和六〇年四月二五日、リクルートが用意した西新橋のリクルート人材センターにおいて、リクルートの費用負担の下、大学の就職担当者を集めた勉強会を開いていることが認められる。

(二) 甲書二二六によれば、昭和六〇年六月一五日付けサンケイ新聞において、「通産省が『青田買い』」「居酒屋に東大生46人」「三回目、若手OBが説明役」の表題の下、昭和六〇年四月、人事院が中央官庁の人事担当者を集めて、学生と接触するのは一〇月一日以降という紳士協定を申し合わせたばかりであるにもかかわらず、東京大学出身の官僚が、居酒屋に東京大学法学部、経済学部の学生約五〇人を招待し、酒を酌み交わしながら就職説明会を開いた旨報道されたことが認められる。

(三) 面会申込書(甲物七一)によると、昭和六〇年六月一八日午後五時一五分ころ、勝野ほか二名が、議員会館において被告人に面会することを申し出ていることが認められる。

(四) 甲書二一八によれば、被告人は、昭和六〇年六月一九日、日本体育・学校健康センター法案に関する質疑を行った衆議院文教委員会において質問に立ち、当該法案に関する質問を行った後、会期末でもあるから関心を持っていた大学生の就職の問題に触れさせていただきたいと前置きした上、人事院に対して、昭和六〇年四月一〇日の人事課長会議の申合せの内容を尋ね、人事院の説明員から、その内容が答弁され、通産省に対して、通産省の青田買いに関する新聞記事について尋ね、通産省の説明員から、先輩として一般的な情報提供を行ったにすぎないと聞いている旨の答弁がされ、人事院に対して、ほかの役所で同様のことが行われているか尋ね、人事院の説明員から、そういうことは聞いていない旨の答弁がされ、さらに人事院に対して、昭和五九年にも同様のことを尋ねているが、何らかの対応をすべきではないかと尋ね、人事院の説明員から、人事課長会議の申合せが徹底されるように努めていきたい旨の答弁がされ、最後に文部大臣に対して、その所見を尋ね、文部大臣から、就職協定については、企業に対しては守ってもらいたいと希望しているし、役所の側は厳に守ってもらいたいと希望している旨の答弁がされていることが認められる。

3 昭和六〇年度就職協定に対するリクルートの対応及び被告人に対する請託の状況に関する関係者の各供述の信用性

(一) リクルート関係者の捜査段階における各供述の概要

(1) 江副は、平成元年五月一九日付け検察官調書(乙書三〇)において、昭和六〇年一月、松崎が就職協定に熱意を失っていると発言したため、就職協定の存続が危ぶまれる状況になり、取締役会で就職協定の存続、遵守のための方策を検討したが、決定的な有効策はなく、昭和六〇年一月二三日の取締役会において、経済団体への働きかけ、就職協定セミナーの実施、文部大臣に会って就職協定の意義を説明し、理解してもらうこと、青田買い問題を臨教審で取り上げてもらうことなどが話し合われ、その後、昭和六〇年四月ころの取締役会において、前年同様公務員の青田買い防止について被告人に国会質問をお願いしようということが決まった記憶であり、被告人に依頼するのは辰巳らが担当することになった旨供述している。

(2) 辰巳は、平成元年五月一七日付け検察官調書(甲書一二三)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和六〇年一月二一日、中雇対協において一〇-一一協定の決議がされたが、松崎が、就職協定に熱意を失った旨の記者会見をしたので、就職協定の存続について強い危機感を抱き、昭和六〇年一月二三日の取締役会において、事態を深刻に受け止めて、甲書五二〇に記載されたように、文部大臣とのトップリレーションを深めて、就職協定への関心を深めてもらうこと、青田買いが学歴社会の弊害の一因になっているので、臨教審で取り上げてもらうことなどが話し合われた。

その後、昭和六〇年四月一〇日、人事課長会議において、昨年の申合せどおり本年も引き続いて協力をお願いしたいという人事院の協力要請が了承されたが、取締役会において、また官庁が青田買いをするかもしれず、そうなるとそれにつられて民間企業も青田買いをするおそれがあるので、被告人に就職協定について国会質問をしていただこうということが決まった。そこで、昭和六〇年四月下旬、勝野に対し、被告人に国会質問をお願いすることになったから、官公庁を含めた就職協定の申合せと今の青田買いの現状に関する資料をまとめるように指示した上、その資料の内容について勝野らと話し合い、臨教審で青田買い防止の審議がされているので、その関係で就職協定を守る必要があること、人事課長会議の申合せを指摘して、政府側にその徹底遵守を約束させることなどを柱にすることにして、勝野らに被告人に渡す資料を作成させた。「昭和六〇年度就職協定と就職戦線の現状」と題する書面は、勝野が当時のことを思い出しながら作ったものということであるが、細かいところまではよく覚えていないものの、被告人に渡した国会質問のための資料はこのような資料であったと思う。

その資料について江副の了承を得た上、昭和六〇年六月初旬、勝野と共に被告人に会って、資料を渡し、臨教審で学歴社会の是正策として就職協定違反の青田買いを防止することが審議されており、人事課長会議で昨年と同様に就職協定に協力するとの申合せをしているが、前年同様、人事課長会議のことを取り上げて、政府側の申合せを遵守するとの答弁を引き出していただきたいとお願いしたところ、被告人は、わかりました、この資料をよく読んでおきますと答えていた。被告人にお願いした場所は、議員会館かあるいは被告人がリクルート本社に来たときであった。

その後、新聞で臨教審の第一次答申に学歴社会の是正のため青田買い防止が盛り込まれること、通産省が青田買いをしたことが報道されたため、勝野、長谷川と一緒であったと思うが、被告人が質問する直前ころの昭和六〇年六月中旬、勝野が作成した通産省が青田買いをしたとの新聞記事等の資料を持参して、被告人を議員会館に訪ねた。「青田買いの現状」と題する書面は、勝野が当時のことを思い出しながら作ったものということであるが、細かいところまではよく覚えていないものの、国会質問直前ころ被告人に追加して渡した資料はこのような資料であったと思う。

被告人に追加資料を渡した上、私が、官庁の青田買いをやめさせないと、学生が勉強中であるのに、そわそわしたり、官庁の青田買いにつられて一部の企業も動きだしてしまうので、通産省が青田買いをしたことを指摘していただき、人事課長会議の申合せの遵守の徹底を求める質問をお願いできないでしょうか、臨教審の第一次答申では学歴社会の弊害の是正策として青田買い防止が盛り込まれることになっているんですと言うと、被告人は、わかりました、やってあげましょう、昨年に続いて通産省が青田買いをするなんてけしからんですね、学歴社会の弊害を是正するためには、青田買いをやめさせ、学生に落ちついて勉強させる必要がありますねと答えてくれた。

被告人は、昭和六〇年六月一九日、文教委員会において、通産省が青田買いをしたとの新聞記事に基づいて、質問してくれ、人事院等の官庁も就職協定に協力するとの答弁を引き出してくれた。

また、被告人が、昭和六〇年四月二五日、大学の就職部の課長を集めた勉強会を開いた際、リクルートは、その会場としてリクルートの西新橋ビルを提供した上、会場費も負担している。

(3) 勝野は、平成元年五月一五日付け検察官調書において、おおよそ次のとおり供述し、被告人に持参した質問資料二点として、「昭和六〇年度就職協定と就職戦線の現状」と題する書面、「青田買いの現状」と題する書面を再現して、作成している(甲書一五四)。

昭和五九年一二月ころ、日経連がアンケート調査をした結果がまとまり、九割の企業が就職協定は守られていないと答え、九割の企業が就職協定は必要であると答えており、被告人が国会質問をしたにもかかわらず、長年の青田買いの実情は変わらず、これに危機意識を募らせていたところ、昭和六〇年一月二一日、松崎が、記者会見で、就職協定に完全に熱意を失っていると発表したことから、数日後の取締役会において、江副が文部大臣とのトップリレーションを深めて、就職協定について関心を深めてもらい、就職協定が存続、遵守されることが必要であることを臨教審の答申に盛り込んでもらうことが話し合われた。

昭和六〇年四月、人事課長会議において、前年と同様の申合せがされたが、その後、昭和六〇年四月下旬、辰巳から、被告人に質問をお願いするから官公庁も含めた就職協定の申合せと青田買いの現状について資料をまとめるように指示され、そのころ、被告人の勉強会を行うので事業部で面倒を見るように指示された。

被告人の勉強会は、リクルートの社員が、大学の就職担当者に案内状を送付し、リクルートが、西新橋のリクルート人材センターの会場費、その他の経費などを負担して、昭和六〇年四月二五日行われた。

国会質問の依頼については、江副からその旨の指示が出され、確か取締役会で決定されたものと思うが、辰巳から、質問用資料の骨子は、臨教審において学歴社会の是正策として就職協定違反の青田買いを防止することが議論されているので、その関連で就職協定を守る必要があること、人事課長会議の申合せができたので、今回は機先を制して官庁、企業の青田買いをけん制する必要から、そのことも取り上げることを指示され、また新聞記事などもできるだけ付けるように言われて、昭和五九年の時のように典型的な質問案という形ではなく、質問してもらいたい要点について、その関連する新聞記事なども添付した資料を作成し、長谷川にも見てもらい、辰巳に上げて、辰巳が江副の承認も得ていたようだった。

昭和六〇年六月上旬、辰巳と共に被告人に会って、質問してもらいたいと言って資料を渡した。会った場所は、議員会館であったと思うが、被告人が当時は時々リクルート本社に来ていたので、その時であったかもしれない。その際、辰巳が、臨教審でも学歴社会の是正策として就職協定違反の青田買いを防止することが検討されており、人事課長会議において昨年同様民間の就職協定に沿って対応をするとの申合せを行っており、青田買いがないようにと質問していただければと思うと述べ、官庁が青田買いを始めると、民間企業もこれにつられて青田買いを始め、学生が落ちついて勉強ができず、教育上も問題であり、リクルートの就職情報誌も計画的に配本できないと説明した。被告人は、昭和五九年にも質問しているので、呑み込みが早く、質問の近くになれば、また、来てもらうなりして、質問の要点を説明してもらえばよいと言って、資料を受け取った。

ところが、その後新聞において、臨教審第一次答申に学歴社会の是正策として青田買い防止が指定校制廃止と共に盛り込まれること、通産省が青田買いをしたことが報道されたことから、昭和六〇年六月中旬、辰巳の指示で、ホットニュースの関連記事のコピーを集め、被告人を議員会館に訪ねて、追加資料を渡し、詳しく質問内容を説明して、質問をお願いした。そのときは、長谷川も同道した記憶がある。

辰巳は、前に渡した資料と追加資料を渡した上、今年も通産省が官庁の申合せに反して青田買いをしており、官庁の青田買いをやめさせなければ、学生がそわそわし始め、つられて企業も青田買いを始めてしまう、臨教審第一次答申の原案でも学歴社会の弊害の是正策として指定校制を廃止するとともに就職協定違反の青田買いを防止することが盛り込まれることになったし、人事課長会議で就職協定に協力することが決議されており、それなのに、通産省が青田買いをしているので、通産省になぜそのようなことをしたのか質問し、人事院などに対しても申合せ遵守の徹底方を求める質問をしていただきたいと話したところ、被告人は、学歴社会の弊害を是正するため、青田買いをやめさせて、学生に落ちついて勉強させる必要があり、リクルートにお世話をかけた勉強会でも、就職協定はきちんと守られるべきだという話が出たところで、また官庁が青田買いを始めるとは困ったものだ、また質問してあげましょうと快諾してくれた。

被告人は、昭和六〇年六月一九日、文教委員会において、依頼どおりの質問をしてくれた。

なお、「昭和六〇年度就職協定と就職戦線の現状」と題する書面には、昭和六〇年度就職協定の内容、昭和六〇年四月一〇日の人事課長会議の申合せ、臨教審の第一次答申には青田買い防止が盛り込まれる予定であることなどが記述してあり、「青田買いの現状」と題する書面には、通産省の青田買いに関する新聞記事等が添付され、昭和六〇年の青田買いについての新聞報道の内容が記述してある。

(4) 長谷川は、平成元年五月二一日付け検察官調書(甲書一五二)において、おおよそ次のとおり供述している。

被告人の秘書あたりから、辰巳に、勉強会を開きたいので、リクルートの会場を貸してくれないかといった申し入れがあり、私が被告人の秘書とテーマ、開催予定日時、参加人数等について打合せをした記憶がある。被告人の秘書は、リクルートの会議室を使いたい感じであったが、前年被告人に国会質問をお願いした経緯があり、大学の就職部課長が参加することになっていたから、被告人とべったりという印象を与えてはよくないので、西新橋ビルのリクルート人材センターの会議室を借りることにした。リクルート人材センターと交渉した結果、リクルートで会場費を支払うことになった。そのような経過で昭和六〇年四月二五日被告人の勉強会が開かれた。

昭和六〇年五月下旬、臨教審の総会で、第一次答申に学歴社会の是正策を盛り込み、採用慣行の改革、指定校制、青田買い廃止を提唱する方針が決められ、その旨の新聞報道がされる一方で、一流企業がその年も青田買いを行い、そのことが新聞報道され、さらに昭和六〇年六月ころには、前年フライングした通産省がフライングを行い、それが新聞に報道された。そのころ、勝野が辰巳の指示に基づいて質問用資料を作成するなど、被告人に国会質問を依頼する準備を始めた。

昭和六〇年五月下旬か六月上旬、勝野から質問用資料を見せてもらった記憶があり、「昭和六〇年度就職協定と就職戦線の現状」と題する書面は、勝野が当時作った資料を再現したものということであるが、そのような体裁であったと思うし、中雇対協、就職問題懇談会の開催状況や決定事項を羅列したあたりは記憶に残っている。この資料を、辰巳、勝野が被告人に渡し、国会質問を依頼していると思う。

昭和六〇年六月下旬、通産省の青田買いが新聞報道されたため、その直後ころ、追加資料を持って、辰巳、勝野と共に、被告人を議員会館に訪ね、質問をお願いし、前の資料も被告人の方に行っていたので、その後の状況、すなわち、通産省がフライングをしたことなどを補充的に説明した。辰巳は、前の資料と追加資料のページをめくりながら、今年も通産省が官庁の申合せに反して青田買いをしているが、官庁の青田買いをやめさせないと、学生が落ちつかないし、企業もつられて、動き始める、通産省の青田買いを指摘して、官庁の申合せを守るよう指導を求める質問をしてくださいとお願いし、被告人は、わかりました、やりましょう、通産省はけしからんですねと答えていた。

被告人は、昭和六〇年六月一九日、文教委員会において、通産省の青田買いを指摘して、人事院や通産省、文部省などに答弁を求め、人事課長会議の申合せの趣旨を徹底する旨の答弁を引き出した。

(二) 被告人、リクルート関係者の各公判供述の概要

(1) 被告人は、昭和六〇年六月一九日文教委員会において質問をしたのは、リクルートから依頼があったからではなく、臨教審第一次答申が国会の閉会後に出される予定であり、国会審議にさらされないようになっていたため、会期中に是非青田買いの問題を取り上げることが必要であると考え、新聞の報道から、昭和六〇年四月一〇日人事課長会議の申合せがされたこと、通産省が青田買いをしたことを知り、勉強会において大学の就職担当者から話を聞いたこともあり、大学においてきちんと就職指導をすることが、青田買いを防止し、学生の倫理観を育てることになるという趣旨から、質問したものにすぎない旨供述している。

(2) 江副は、リクルートにおいて、被告人に国会質問を依頼するという話し合いをした覚えはなく、リクルートが被告人に国会質問を依頼したかどうかは知らないし、前記検察官調書は、検察官から誘導されて作成された旨供述している。

(3) 辰巳、勝野、長谷川は、捜査段階において供述した事実は全く記憶がなく、前記検察官調書は、検察官の誘導によって作成されたものである旨供述し、勝野は、昭和六〇年被告人を訪ねたことはなく、勝野ほか二名が昭和六〇年六月一八日議員会館において被告人に面会を申し出た旨の記載がある甲物七一の面会申込書については、自分の字であることを認めながら、被告人本人に会った記憶はない旨供述し、長谷川は、被告人に一回会った記憶はあるが、その時期は思い出せない旨供述している。

(三) 右各供述の信用性

(1) 被告人に国会質問を依頼することに決まった経過に関する江副、辰巳、長谷川、勝野の捜査段階における各供述は、それぞれ異なった立場から供述しているものであるが、その供述内容は、相互に符合している上、その四名が被告人に国会質問を依頼することに決まった経過について述べているところは、リクルートが、昭和六〇年度就職協定を巡る情勢、松崎発言などから、就職協定の存続、遵守に危機感を抱き、臨教審で青田買い問題などを取り上げてもらうために関係者に働きかける等種々の方策を検討するとともに、臨教審の審議の動向などに関心を持っていたところ、前年同様の人事課長会議の申合せがされた上、臨教審の第一次答申において青田買いの問題が取り上げられることになったことから、それを契機にして、官庁の青田買いが行われる前に機先を制して、被告人に前年と同様に官庁の青田買いについて国会質問をしてもらうことを決め、そのため、被告人の勉強会の会場をリクルートが費用を負担して提供する一方、被告人に国会質問を依頼するための資料を作成しているというものであって、他の証拠から認定できる事実関係と符合し、事態の推移としても自然である。

(2) 被告人に対する請託の状況に関する辰巳、勝野、長谷川の捜査段階における各供述は、被告人に国会質問を依頼するに際し、臨教審の第一次答申において青田買いの防止が取り上げられること、人事課長会議において官庁が就職協定に協力することが申し合わされていることの二点を柱にして、資料を作成し、議員会館かリクルートにおいて被告人と会い、国会質問を依頼し、その後、通産省の青田買いが新聞報道されたため、青田買いの実情に関する追加の資料を作成し、被告人を議員会館に訪問して、国会質問を依頼したことなどについて、相互に符合するばかりでなく、被告人に国会質問を依頼した時の被告人とリクルート関係者とのやりとりに関する三者の捜査段階における各供述も、被告人に対して、人事課長会議の申合せや想定される臨教審の第一次答申の内容に触れた上、官庁が青田買いをすると、学生が落ちつかなくなり、それにつられて企業も青田買いを行うようになるという説明をし、二度目に被告人を訪問したときは、通産省が青田買いをしていることが報道されていることも説明し、それに対して、被告人は、最初に会ったときは、資料を見ておくと答えていたが、二度目に訪問したときは、通産省の青田買いを批判して、国会質問をすることに積極的な発言をしていたことなど、その各供述が一致している。

また、三者が被告人に対する請託の状況に関して述べている内容は、官庁の青田買いが新聞報道されていないときは、人事課長会議の申合せのほか、その当時のトピックスともいえる臨教審の第一次答申を根拠にして、官庁の青田買い防止に関する国会質問を依頼したというのであり、まさしく、勝野が捜査段階において供述しているように、官庁の青田買いが行われる前に機先を制してそのことを国会質問で取り上げるのにふさわしい説明であり、その後、通産省の青田買いが新聞報道されると、そのことも併せて被告人に説明しているなど、事態の推移としても自然である。

(3) 位田は、昭和六〇年度就職協定に対するリクルートの取組に関して、平成元年五月一六日付け検察官調書(甲書一三七)において、臨教審の動向が分かったころの取締役会において、辰巳か江副から、被告人に国会質問をお願いしていると聞いたように思う旨供述し、公判においても、取締役会において被告人に国会質問を依頼していると聞いたことは記憶がない旨述べて、捜査段階の供述から後退する供述をしながら、リクルートが被告人に国会質問で働きかけをしていたことは認める供述をしており(四一回・位田四一八~四三三項)、位田のこのような供述は、前記リクルート関係者の捜査段階における各供述と符合している。

(4) リクルートが昭和六〇年被告人に対して国会質問を依頼したことに関する江副、位田、長谷川、勝野の各検察官調書は、いずれも平成元年五月一五日から二一日にかけて作成されているのであり、本件の捜査において、そのころ、検察官は、昭和六〇年の被告人に対する国会質問の依頼について、リクルート関係者から供述を得て、供述調書を作成していたと考えられるところ、辰巳は、そのほぼ一か月前に作成された平成元年四月一六日付け検察官調書(甲書六八四)において、昭和六〇年度就職協定に対するリクルートの取組に関し、昭和六〇年にも昭和五九年のときと同様被告人にお願いして、青田買いの問題を質問してもらい、就職協定遵守に協力するという政府の答弁を引き出してもらおうと、確か取締役会において決議されたことがあったと思う、それで、私は、勝野に青田買いの実情と問題点などをレポートでまとめるように指示し、勝野が、そのレポートと就職協定に関する新聞記事を持って来たので、昭和六〇年六月中旬、長谷川と共に被告人を議員会館に訪問して、その資料を渡し、官庁の青田買いをやめさせないと、学生が勉学中であるのにそわそわしたり、一部企業が動きだすので、青田買いのことを質問していただけないでしょうかと、国会質問を依頼し、被告人が、これを引き受けてくれて、昭和六〇年六月一九日の文教委員会において、青田買い問題について質問してくれた旨供述し、前記平成元年五月一七日付け検察官調書(甲書一二三)において述べているところとほぼ同じ事実を供述しており、捜査の初期の段階から一貫した供述をしている。

(5) 前記勝野の検察官調書は、昭和六〇年六月上旬被告人に会って国会質問を依頼した後、通産省の青田買いの新聞報道がされたことから、二度目に被告人を訪ねたときは、その関係の資料を追加して、国会質問を依頼したというのであり、被告人を二回にわたり訪問したこと、被告人と一度目に会ったのは面会申込書などから把握することができない昭和六〇年六月上旬であることなど、他の証拠からは分からない事実が供述されているのであって、この検察官調書は、到底検察官の誘導によって作成できるものではなく、十分信用できるというべきである。

(6) 勝野が検察官の取調べの過程において作成した「昭和六〇年度就職協定と就職戦線の現状」と題する書面、「青田買いの現状」と題する書面は、そのような書面を一度も作成したことがない者が作成できるような書面ではない上、その構成は、十分に練られていて検察官から示された資料だけにより作成できるようなものではなく、しかも、長谷川は、捜査段階において、「昭和六〇年度就職協定と就職戦線の現状」の記載の一部に記憶がある旨供述していることなどから、勝野が被告人に持参した資料を再現したものであると認められる。

(7) 被告人が昭和六〇年六月一九日文教委員会において質問した内容は、その日の付議案件が日本体育・学校健康センター法案であったのに、それとは直接関係のない官庁の青田買いを最後に取り上げている上、しめくくりとして文部大臣に対して就職協定に関する所見を尋ねてはいるものの、通産省が青田買いをしたとの新聞報道の真偽、他の官庁による同種の行為の有無などを確認し、人事院に対して、人事課長会議の申合せの趣旨を確認した上、官庁の青田買いに対する対応を求めているのであって、リクルートが対応を検討していた官庁の青田買いの防止と就職協定の遵守に向けた対応を促す内容であって、辰巳、勝野、長谷川が捜査段階において供述するように、リクルートからの依頼によって行われた質問と見るのが自然であり、被告人が公判において供述するように、臨教審の第一次答申や大学における就職指導の在り方に関する関心からされた質問であるとは考えられない。

(8) 辰巳の公判供述は、昭和五九年被告人に国会質問を依頼したことは概括的であるにしても認めながら、昭和六〇年に生起した事柄に関しては、記憶がないというのであり、そのように年によって記憶に差異があることについて、合理的な説明をしていないことからすると、このような供述は、何らかの意図があってされているのではないかという疑いも否定できず、信用できない。

(9) 勝野の公判供述は、勝野が被告人に面会を申し出た旨の記載がある面会申込書を示されながらも、被告人本人に会ったのは昭和五九年、同六〇年を通じて一回だけであるというのであるが、もしそのとおり一回しか被告人に会っていないとすると、その会った時期、目的等について、はっきりした記憶が残っていてもよさそうなのに記憶はないと述べていること、リクルートの一社員である勝野が、簡単に出入りできない議員会館にある被告人の事務所を何度も訪ねているのに、その用件、目的についてはっきりした記憶がないと述べていることなど不自然なところが少なくない。

(10) 長谷川の公判供述は、昭和六〇年四月一〇日の人事課長会議の申合せの内容を知っており、事業部の業務の一環として被告人を議員会館に訪問し、その際持参したとされる通産省の青田買いの新聞記事は印象に残っていたと述べながら、他方で被告人を訪問した目的は知らず、辰巳から言われて同道したにすぎないと述べるなど不自然な供述に終始している。

右の各事情によれば、リクルート関係者の捜査段階における前記各供述は、検察官の誘導によってされたものではなく、十分信用でき、これに反する被告人及びリクルート関係者の前記各公判供述は、信用できない。

三 結論

前記認定の、昭和六〇年度就職協定を巡る情勢、リクルート社内文書等から認定できる昭和六〇年度就職協定に対するリクルートの対応、被告人の国会質問及びその前の新聞報道、リクルートと被告人の接触状況、昭和六〇年度就職協定に対するリクルートの対応及び被告人に対する請託の状況に関するリクルート関係者の捜査段階における各供述を総合すると、リクルートは、昭和六〇年度就職協定を巡る情勢、松崎の記者会見における発言から、就職協定の存続、遵守に危機感を抱いていたところ、昭和六〇年四月一〇日、人事課長会議で前年と同様の申合せがされたことから、取締役会において、再び被告人に依頼して官庁の青田買いについて国会質問をしてもらうことになり、その考えに従って、

1 官庁が青田買いをする前に機先を制して、被告人に官庁の青田買いについて国会質問をしてもらうため、辰巳の指示を受けた勝野が、人事課長会議において前年同様の申合せがされたこと、臨教審の第一次答申において青田買いの防止が取り上げられる予定であることを柱とした国会質問のための資料を作成し、辰巳、勝野が、昭和六〇年六月上旬、議員会館又はリクルートにおいて、被告人に会い、その資料を渡して、想定される臨教審の第一次答申、人事課長会議の申合せなどについて説明した上、人事課長会議の申合せを遵守するように国会質問をしてもらいたい旨請託し、これを被告人が了承し、

2 その後、通産省の青田買いの新聞報道がされたため、勝野が、その新聞記事を添付するなどして青田買いの実情に関する資料を追加して作成し、辰巳、長谷川、勝野が、昭和六〇年六月一八日、被告人を議員会館に訪ねて、想定される臨教審の第一次答申、人事課長会議の申合せに加え、通産省の青田買い、官庁の青田買いの弊害などについて説明し、通産省の青田買いを取り上げて、人事課長会議の申合せの遵守を求める国会質問をしてもらいたい旨請託し、これを被告人が了承した

ことが認められる。

なお、弁護人は、辰巳、長谷川、勝野が、昭和六〇年六月一八日、被告人に国会質問を依頼したというのでは、面会申込書(甲物七一)には、同日午後五時一五分ころ被告人に面会することを申し出ていることが記載されているから、翌一九日文教委員会で質問するには、余りにも遅い時間帯であり、既に質問項目が関係部局に通告されていなければならない時刻であると主張している。しかしながら、被告人は、昭和六〇年六月上旬、辰巳、勝野と会い、資料を渡されて説明を受け、国会質問の依頼を受けている上、辰巳、長谷川、勝野が、昭和六〇年六月一八日午後五時一五分ころ、被告人を議員会館に訪ねて、国会質問を依頼したとしても、その時刻が常識的に考えて関係部局に質問項目を通告するうえで遅い時間帯とは考えられない。

第三節  昭和六〇年一〇月中旬から同年一一月中旬までの間の各請託の有無

第一 当事者の主張及び当裁判所の認定

一 当事者の主張

1 検察官の主張

(一) 被告人は、昭和六〇年一〇月中旬、議員会館又はリクルートにおいて、江副の指示を受けた辰巳、勝野から、昭和六〇年度就職戦線の総括及び実効性ある就職協定の早期取りまとめの必要性等について記述した資料の交付を受けて説明を受けた上、臨教審の第一次答申に学歴社会の弊害是正策として青田買いの防止が盛り込まれたことなどを国会で是非取り上げ、実効性のある就職協定が早期に取り決められるように質問していただきたい旨の要請を受けて、これを了承した。

(二) 被告人は、昭和六〇年一〇月二六日ころ、議員会館又はリクルートにおいて、辰巳、勝野から、山口労働大臣が記者会見において就職協定について年内に何らかの新たな取決めをしたいなどと語った旨の新聞記事などの資料の交付を受け、同様の要請を受けて、これを了承して、今度の予算委員会で質問する旨答えた。

(三) 被告人は、昭和六〇年一一月中旬、議員会館において、江副の指示を受けた辰巳、勝野から、同様の資料の交付を受け、青田買いの防止は臨教審の第一次答申でも取り上げられた重要な課題であるので、文教委員会でも、青田買いによって内定取消しによる弊害が出ていることを指摘し、青田買い防止の点について政府側の取組方を質問してもらいたいこと、労働大臣の前記記者会見における発言について、年内にはメドが立つかどうか協定取決めの見通しなどについて質問していただきたい旨の同様の要請を受け、これを了承した。

2 弁護人の主張

(一) 第二節の主張と同旨の主張

(二) リクルート社内の文書である甲書五四四には、衆議院文教委員会で再度質問してもらうと記載されているが、このような記載は、甲書五四四に昭和六〇年一一月一八日予定されていた労働省、文部省と経済四団体との事務レベル協議が井上日経連雇用課長の反対にあい急きょ中止された旨の記載があり、そのため、被告人に国会質問を依頼することになったものと見るのが自然である。

昭和六〇年一一月二七日、同月二九日、同年一二月一一日いずれも衆議院文教委員会が開かれ、一二月一一日には被告人が質問に立っているが、甲書五四四に記載されているような質問はしていない。

これらの事情から、被告人が、リクルートの依頼によって国会質問をしていないことは明らかである。

二 当裁判所の認定

被告人は、

1 昭和六〇年一〇月中旬、議員会館又はリクルートにおいて、江副の提案によるリクルートの取締役会の決定を受けた辰巳、勝野から、昭和六〇年度の就職協定の実情、臨教審の第一次答申と就職協定の関係、文部大臣、労働大臣と経済四団体との懇談会の席上の松崎発言などについて記述した資料の交付を受け、臨教審の第一次答申の中で学歴社会の弊害是正策として指定校廃止と青田買いの防止が挙げられたが、国会でこの臨教審のことを取り上げて、官民双方の青田買いの現状とその防止策について、政府の答弁を求め、実効性のある就職協定の早期取決めについて質問してもらいたい旨の請託を受け、これを了承し、

2 昭和六〇年一〇月二九日ころ、議員会館又はリクルートにおいて、辰巳、勝野から、昭和六〇年一〇月二六日付け日本経済新聞の労働大臣が記者会見で就職協定について年内に何らかの取決めをしたいと発言したことを報道した新聞記事の交付を受け、就職協定の現状について説明を受けた上、臨教審の第一次答申で学歴社会の弊害の是正策として青田買い防止が挙げられていることを取り上げて、守れる就職協定を早期に作る必要があり、官庁の青田買いが民間の就職協定違反を誘発する要因になっているから、その青田買いの自粛の徹底方を求め、これらの問題について積極的かつ適切な対応を講ずるように質問してもらいたい旨の請託を受け、予算委員会で質問しましょうと述べて、これを了承し、

3 昭和六〇年一一月一四日、議員会館において、取締役会の決定を受けた辰巳、勝野から、青田買い防止は臨教審の答申の中で学歴社会の弊害の是正策として取り上げられた重要課題であるので、文教委員会でこの点につき政府側の取組方を質問し、内定取消しなどの弊害が出ていることを指摘して、労働大臣の記者会見に触れ、守られるべき実効性のある就職協定を早期に取り決めるよう積極的な対応を求め、就職協定締結の見通し時期などについても質問してもらいたい旨の請託を受け、これを了承した

ことが認められる。

第二 当裁判所が右のとおり認定した理由

一 昭和六〇年七月から一一月までの就職協定を巡る情勢

1 臨教審第一次答申に基づく施策

関係各証拠(二九、三〇回・宮地、甲書四五四~四六一)によれば、政府は、昭和六〇年七月五日、臨教審の第一次答申に沿って教育改革を推進するため、内閣に教育改革推進閣僚会議を設置し、昭和六〇年七月二九日開かれた第一回教育改革推進閣僚会議幹事会において、国家公務員の採用及び人事管理については、答申の趣旨に即し、所要の措置について検討を進めること、また、企業の採用及び人事管理については、答申の趣旨を踏まえた見直しが行われるよう経済界に対して働きかけを行い、大学、企業両者の連携により検討が行われるよう推進すること等を決め、昭和六〇年八月三〇日開かれた第二回同幹事会において、文部大臣、労働大臣が経済四団体幹部と懇談し、教育改革への協力要請をすること、臨教審第一次答申を踏まえた企業の採用、人事管理についての協力要請をすること、新規学卒者の採用についての大学との連携の在り方に関する意見交換をすることが決められたことが認められる。

2 松崎発言

関係各証拠(二九、三〇回・宮地、甲書三四二、四六一、甲物二四等)によれば、このようにして昭和六〇年九月一二日開催された文部大臣及び労働大臣と経済四団体との懇談会において、松崎が、昭和五九年の日経連アンケートの結果からすると、就職協定を存続せよというのが大方の企業であるように思われるが、反面就職協定は破られるために存在するのが実情でもあるように思われ、中雇対協の座長としていろいろ考えてみて、昭和六二年三月卒業予定の大学生に対する就職協定はこれを行わないことにしてはいかがかというのが自分の心境であるものの、しかし、中雇対協の他のメンバーが衝に当たり、また、政府が中雇対協とは別の機関を作るということには反対するものではない旨発言したことが認められる。

二 昭和六一年度就職協定に対するリクルートの取組及び被告人に対する請託

1 リクルートの社内文書等から認定できる昭和六一年度就職協定に対するリクルートの対応

(一) リクルートの社内文書であり、表題に「就職協定対策」、日付欄に「昭和六〇年一一月六日」と記載されている甲書五二四には、「新たな協議機関が年内に設置され、就職協定がそこで決議されるよう以下の働きかけをする。」と記載されている上、働きかける事項として「<1>国会質問 衆議院文教委員会(自-大塚雄司氏)、社会労働委員会」「<2>労働大臣、文部大臣へ再度陳情する。」「<3>労働省幹部(白井職安局長、田淵審議官)への働きかけをする。」「<4>経済団体事務レベルへ働きかけをする。」「<5>大学側(私学連合)が、提案している協議機関づくりを積極的に推進するようお願いする。」「<6>主要企業にアプローチをし、個別企業からもバックアップしてもらう。」「<7>明治大西就職課長にフィクサーとして本格的に動いてもらう。」「<8>月刊リクルート座談会にて、テーマとしてとりあげる。」「<9>中山素平氏(臨教審会長代理)から、経済界トップへ働きかけてもらう。」「<10>労働省OBへの働きかけ」と記載され、「現状」の表題の下、「大学生の就職に関する新たな協議機関の設置については、経済界、労働省が非協力であり、文部省も苦慮している状態である。」と記載され、「経緯」の表題の下、「・10/18臨教審教育改革推進閣僚会議にて 後藤田総務長官の『青田買い』の質問に対して、山口労働大臣は、『新しく協議の場を作るために事務レベルで話し合いをすすめている』と答弁する。」「・10/23文部省、労働省、経済四団体事務レベルの会合 文部省より、『学歴社会の弊害是正のための大学と企業の協議の場』を設置したらどうかとの提案がなされたが、経済四団体(日経連は、『協定は別のところ(中雇対協)でやるべき』との立場をとる。」「・10/24文部省主催就職問題懇談会 私学側より『協定に関して大学、企業、行政とによる三者機関』を設置するが提案される。」「・10/25山口労働大臣 高知で記者会見 『青田買い防止に向けて、労働省、文部省、経済四団体と実務会議を行ない、年内には何らかの取決めをしたい』とコメント。」「・10/30公明党池田克也氏予算委員会で青田買い防止について質問 ・中曽根首相……官民一体となって早期に手を打ちたい。・山口労相……企業、大学ともに検討をしはじめている。協定を推進するためには罰則が必要 ・松永文相……協議の場で検討する必要がある。内閣人事院総裁……公務員が模範となるよう、青田買い防止に努める。」と記載されている。

(二) リクルートの社内文書であり、表題に「就職協定について」、日付欄に「昭和六〇年一一月二〇日」と記載されている甲書五四四には、「その後の進展状況」の項目の下、「1 .11/15衆議院文教委員会で、公明党池田克也代議士が協定問題について質問」「・松永文部大臣……どういう協定なら守れるのかを勉強している。年明けではおそい。年末には各方面と意見交換し、遅くとも一月には決めたい。」「・労働省矢田貝課長……協定は、例年一二月か一月に決まる。早い時点で決まることが望ましいと思う。来年七~八月では困る。そういう方向で努力している。」「2 .11/18に予定されていた、労働省・文部省と経済四団体との第二回事務レベルの会合が日経連井上雇用課長の反発にあい、急拠中止となった。」と記載され、「今後の対策」の項目の下、「1 .11/27もしくは、11/29で予定されている衆議院文教委員会で再度質問してもらう。」「・質問の趣旨 (1)就職協定づくりを推進させる。(2)守れる就職協定を口実として、労働省が職安機構の中に大学生の職業紹介業務を取り組むことを阻止する。」「2 .中山素平氏に経済四団体、特に日経連への働きかけをお願いする。」「3 .日経連と文部省の悪化した関係を改善するよう働きかける。」「4 .日刊リクルート協定座談会(11/22)」と記載されている。

(三) 江副が、昭和六〇年一一月下旬、宮地文部事務次官に持参した「大学生の就職秩序確立のための新たな協議機関設置の促進について」と題する甲物三一日には、「現在の就職協定は、会社訪問日が一〇月一日、採用選考開始日が一一月一日と申合せがされています。しかし、実態は青田買いが行なわれて、年々内定の時期が早期化しており、就職秩序の改善が望まれております。また、臨時教育審議会の答申の中でも『学歴社会の弊害是正』が唱われており、企業・官公庁の採用の面において、青田買いを改める努力が必要であると提言されております。総理におかれましても、臨時国会にて、緊切な問題であるとの積極的なご発言がなされております。就職秩序確立のためには、新たな協議機関の設置が必要であり、それが年内に実現されることが必要と思われます。」と記載され、臨教審の第一次答申、教育改革推進閣僚会議の設置、文部大臣、労働大臣と経済四団体との懇談会において、企業における採用及び人事管理を改善し、新規学卒者の採用の在り方について、関係者による協議を推進する旨の提案がされ、事務レベルで検討されることになっている旨の記載があり、さらに青田買いの弊害に触れ、「青田買いによって早期に内定がとりかわされる結果、経済環境等の変化によって、その後内定の取り消しが発生するなど、就職秩序の乱れが生じております。」と記載され、このような青田買いの是正について、総理大臣は、「非常に緊切な問題として関係大臣によく相談させ、できるだけ早期に手を打つように努力させたい」と答弁していることなどが記載されている。

(四) 辰巳が、昭和六〇年一一月下旬か一二月上旬、対外的な説明のため作成した「大学生の就職における新しい協議機関について」と題する甲物二八には、「大学生の青田買いの現状」との項目の下、「大学生をめぐる今年の就職戦線は、七月より一部大企業の青田買いがスタートし、七月中旬には内々定、拘束がおこなわれ、昨年よりも一ケ月以上早期化しました。また青田買いの激しさは各新聞で大きく取り上げられています。」「このような青田買いは、中央雇用対策協議会及び就職問題懇談会で申し合わされた就職協定を形骸化させてしまっています。」と記載され、続いて「九月一二日には、労働大臣、文部大臣出席のもとに『経済四団体との教育改革問題についての懇談会』が開催され、学歴社会の弊害を是正するために政府・産業界が、協力して取り組むことで意見の一致をみています。その中で、青田買い防止については、新たに大学と企業による協議の場を設け、実効性のある遵守される就職協定づくりを検討すべきであるとの考えが示されています。また、一〇月三〇日には、衆議院予算委員会で公明党池田克也代議士より『青田買い防止』についての質問があり、それに対して中曽根首相は、『青田買い問題は、緊切な問題として……官民一体となって……できるだけ早期に手を打つよう努力させたい。』と答弁しております。また、松永文部大臣は、『労働省とも協議しながら、民間企業の代表とも協議して、……企業の側で守ってもらえるようなそういう就職協定を作り上げていく……』と答弁しております。」と記載され、さらに「就職協定における新しい協議機関の必要性」との項目の下、「このような現行就職協定の問題点を考えれば、従来のやり方とは違う、新たな協議機関を設けることが必要であると思われます。すなわち、遵守される就職協定をつくり、その具体的な運用を強力に推進していくためには、文部省、労働省、大学団体、経済団体並びに主要業種を代表する企業で構成される、新しい協議機関の設置が必要であります。」と記載され、「新しい協議機関の年内設置の必要」との項目の下、「企業側は、本年度の採用をほぼ終え、来年度の採用計画立案の準備に入ってきております。また、すでに大学側では、来年度の就職指導策定の時期に入ってきており、この一二月には、就職ガイダンスをスタートさせるところも多くあります。従いまして、新たな就職協定に関する協議機関は、年内に設置されることが必要と思われます。」と記載されている。

(五) これらの文書の記載に前記一1の臨教審第一次答申に基づく施策で認定した事実を併せ考慮すると、リクルートは、昭和六〇年度の就職協定の遵守状況が好ましくなく、事態を憂慮していたところ、臨教審第一次答申において青田買いを防止すべきことが指摘され、その答申を実現するために設置された教育改革推進閣僚会議の幹事会において、企業の採用及び人事管理について、臨教審第一次答申の趣旨を踏まえた見直しが行われるよう、企業と大学の連携による検討を推進することになったこともあり、就職協定の存続、遵守を図るため、企業、大学、関連の行政機関などによる新しい就職協定作りの協議機関を設置すべきであると考えたが、企業と大学の連携による検討について、経済界が消極的な姿勢であったので、青田買いを防止する上でこのような新しい協議機関で実効性のある就職協定を早期に取り決めさせることを意図して、国会質問をしてもらうことも含めて関係者に働きかける方針であったことが認められるほか、被告人の国会質問に関心を持ち、それを対外的な説明の資料に記載していることなどが認められる。

2 被告人の国会質問及びその前後の新聞報道、リクルートと被告人の接触状況

(一) 甲物五〇によれば、昭和六〇年一〇月二六日付け日本経済新聞において、「年内に新就職協定メドをつける」「山口労相が意向」の表題の下、山口労働大臣が、高知市内のホテルで記者会見し、就職問題で青田買いが盛んに行われていることについて、労働省、文部省、経済四団体と実務者会議を行っており、年内に何らかの新たな取決めをしたいなどと語った旨報道されたことが認められる。

(二) 甲書二一八によれば、被告人は、昭和六〇年一〇月三〇日予算委員会において質問に立ち、臨教審の第一次答申について質問をした後、総理大臣に対して、就職戦線が過熱し、七月ころから、会社と学生の接触が始まり、内々定が出て、八月には既に山を越したといわれているが、教育改革のポイントは大学生と就職の問題にあり、学歴社会の問題の一つの現象面である青田買いの是正について、その認識を尋ね、総理大臣から、文部大臣、労働大臣から答弁させる旨の答えがあり、文部大臣から、労働省と協議しながら、民間の代表とも十分協議して、望ましい形で就職試験がされ、企業の側でも守ってもらえるような就職協定を作り上げていくように努力していきたい旨の答弁がされ、労働大臣から、文部省の意見を十分踏まえ、経済団体と話し合い、就職協定が守られる実効性は厳しいが、新たな協定を模索したい旨の答弁がされ、さらに総理大臣の認識を尋ね、総理大臣から、官民一体となってやらないとできないことであるので、関係大臣によく相談させて、早期に手を打つように努力させたい旨の答弁がされ、労働大臣に対して、どの点が実効性の問題なのか尋ね、労働大臣から、就職協定を守り得る新たな施策を経済四団体の関係者と協議するなど、真剣に取り組んでいる旨の答弁がされ、人事院に対して、公務員の採用について青田買いを是正する考えがないか尋ね、人事院総裁から、人事課長会議において、青田買いがないよう、官庁が率先して弊害を防止しようということを申し合わせているが、企業の方も真剣に検討しているようなので、その趣旨に対応しながら措置をとり、改善させるように努力したい旨の答弁がされたことが認められる。

(三) 大沢、池田謙の各公判供述、大沢(甲書一四三)、間宮(甲書一六〇)の各検察官調書、甲書七〇五によれば、被告人は、リクルートの費用負担の下、昭和六〇年一〇月三一日、池田謙と共に、料亭「きくみ」において、大沢、間宮らから飲食の接待を受けたことが認められる。

(四) 面会申込書(甲物七三、七四)によれば、昭和六〇年一一月一四日辰巳ほか一名が、昭和六〇年一一月二〇日辰巳ほか二名が、それぞれ議員会館において被告人に面会することを申し出ていることが認められる。

(五) 甲書二一八によれば、被告人は、昭和六〇年一一月一五日衆議院文教委員会において質問に立ち、労働省に対して、七月ころから企業と大学生の間に内々定とか、その取消しがあり、大変過熱しているようであるが、労働法制、職業安定法制上問題がないか尋ね、労働省の説明員から、労働契約が成立している場合は、その取消しに対して労働基準法上措置できるので、文部省と協力しながら、学生、企業に対して、採用内定が文書でされるように指導するなど努力していきたい旨の答弁がされ、文部大臣に対して、予算委員会において総理大臣から就職協定について早期に手を打つように努力させたいと答弁されたが、その後進展が見られたのか尋ね、文部大臣から、現在勉強している段階である旨の答弁がされ、労働省に対して、労働大臣が、昭和六〇年一〇月二五日高知市内で記者会見し、年内に何らかの新たな取決めをしたいと語った旨新聞報道されているが、年内にメドをつけたいという意向があるのか尋ね、労働省の説明員から、来年どうするのかという点について一定の関係者の合意ができることが望ましいので、努力してみたい旨の答弁がされ、文部大臣に対して、年内にメドをつけたいという気持ちがあるのか尋ね、文部大臣から、年が明けてからではやや遅いので、年末あたりに意見の交換をして、一月早々くらいには翌年度の卒業者についてルール作りができれば望ましいと思っており、その方向で勉強中である旨の答弁がされ、さらに文部大臣に対して、就職指導を大学のカリキュラムに組み込むべきであると考えるが、どうかと尋ね、文部大臣から、各大学が自主的な判断で親切な相談事業として行うのであれば結構なことであると思う旨の答弁がされたことが認められる。

3 昭和六一年度就職協定に対するリクルートの対応及び被告人に対する請託の状況に関する関係者の供述の信用性

(一) リクルート関係者の捜査段階における各供述の概要

(1) 江副は、平成元年五月二一日付け検察官調書(乙書三一)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和六〇年六月二六日出された臨教審第一次答申の中で、学歴社会の弊害の是正策として、有名校重視につながる就職協定違反を改め、指定校制を撤廃するなど就職の機会均等を確保することが指摘されたため、青田買い防止が国家レベルの問題になり、それは就職協定の存続、遵守を望むリクルートにとって好ましいことであった。また、昭和六〇年七月教育改革推進閣僚会議が設置され、その幹事会において、学歴社会の問題の当面の検討課題として、公務員や企業における新規学卒者の採用問題が取り上げられ、文部大臣、労働大臣と経済団体トップとの懇談会が予定されることになった。

リクルートでは、就職協定の存続、遵守のための効果的な方策の一つとして、大学側、産業側、関係行政機関が一体となる新しい協議機関の設置が必要であると考えており、そのことを、文部、労働両大臣、経済四団体の懇談会の出席者に説明して、理解を深めるため、出席予定であった山口労働大臣、宮地文部事務次官らに説明して、資料を渡し、理解を求めたが、昭和六〇年九月一二日に開かれた文部、労働両大臣と経済四団体の懇談会において、松崎が、昭和六二年三月卒業予定者に対する就職協定は行わないというのが自分の心境であると発言した。

そのため、就職協定問題は具体的な進展がなく、リクルートとしては、さらに対策を講じることになり、昭和六〇年一〇月から一一月にかけての取締役会において、就職協定の存続、遵守について何度か話し合い、新しい協議機関の構想も含めて、就職協定が存続、遵守されるよう、文部省、労働省や産業界、大学側の重要な人物など各方面に働きかけるとともに、被告人に国会質問をしてもらい、就職協定の存続のための政府側の答弁を求めることになり、被告人に対する国会質問の依頼は辰巳、勝野が担当することになった。

被告人は、昭和六〇年一〇月三〇日予算委員会において、昭和六〇年一一月一五日文教委員会において、それぞれ就職協定関連の質問をしているが、リクルートの依頼に応じて質問してくれたものと思う。

(2) 位田は、平成元年五月一六日付け検察官調書(甲書一三七)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和六〇年六月下旬臨教審の第一次答申が出て、その中で青田買いについて、企業が就職協定違反の採用をしているのを是正する必要があると指摘され、それを受けて、教育改革推進閣僚会議が設置され、その幹事会などにおいて、一〇月一日までに青田買い防止のため企業と大学との協議機関を設けることになり、第二回目の幹事会であったと思うが、文部大臣、労働大臣が経済団体とのトップ会談の場を設けることが決まったと記憶しており、そのトップ会談が開かれた。昭和六〇年一月の時点では就職協定問題に打つ手なしという膠着状態であったのが、政府の担当省庁が就職協定に向けて大きく動き始め、取締役会などで中間報告がされ、神風が吹いたという印象を持った。就職協定は、産業側と大学側とが別のテーブルで決めるという仕組みになっており、そのため、協定を破る企業があっても適正な制裁措置がとれず、それが青田買いの横行を許す原因の一つになっていて、リクルートとしては、産業側と大学側が同じテーブルに着いて就職協定の内容を永続的に決める組織が必要だと考えて、そのための新しい組織作りを提案していくことになった。

しかしながら、昭和六〇年九月文部大臣、労働大臣と経済団体のトップとの会談が行われ、松崎が席上就職協定を廃止してはどうかとの発言をしたため、昭和六〇年一〇月の取締役会において、江副か辰巳の提案により、被告人に国会で、臨教審第一次答申で指定校制の廃止、青田買いの防止が指摘されているので、政府に答申に従った対応をするように質問してもらい、総理大臣、文部大臣、労働大臣から就職協定に向けて努力するという答弁をしてもらうことになり、具体的な検討は江副、辰巳、勝野が行った。このような流れで、被告人は、昭和六〇年一〇月末、予算委員会において、その旨総理大臣、文部大臣、労働大臣に質問し、リクルートにとって有利な答弁を引き出した。

その後、昭和六〇年一一月初旬の取締役会において、就職協定を決めるための新しい協議機関を設置するため、どのような運動を展開するかということが議題になり、そのための対策一〇項目が提案された。そのことを記載したものが甲書五二四である。そこに国会質問として大塚雄司代議士の名前が挙がっているが、役員の誰かが面識があり、大塚雄司代議士に新たな協議機関の必要性と昭和六一年度就職協定を新たな協議機関で決めるように文部大臣、労働大臣に質問してもらうことになっていたが、どういうわけか、また被告人に質問をしてもらうことになった。

文部大臣、労働大臣と経済四団体との会合における松崎発言のため、進展が遅れ、昭和六一年度の就職協定の見通しが立たず、新たな協議機関設置と昭和六一年度の協定成立に向けて、文部省や労働省に積極的に動いてもらうため、もう一度被告人に国会質問をお願いしようという話が出たように思う。たぶん、辰巳から、松崎発言以来進展が思わしくないので被告人に国会質問をお願いすることが提案されて、それが了承され、質問依頼、質問事項の検討は、江副の指示の下、辰巳、勝野が担当した。その後、被告人が国会質問をしたことも耳にしている。

(3) 辰巳は、平成元年五月二〇日付け検察官調書(甲書一二五)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和六〇年六月二六日臨教審の第一次答申が出て、その中で、学歴社会の弊害是正策の一つとして、有名校重視につながる協定違反の採用を改め、指定校制を撤廃するなど、就職の機会均等を確保することが掲げられ、リクルートにとっては、青田買い防止の是正が国家レベルで取り上げられたことは、非常に喜ばしいことであった。また、昭和六〇年七月五日内閣に教育改革推進閣僚会議が設置され、同月二五日教育改革推進閣僚会議が当面の検討課題を学歴社会の問題に絞り、同月二九日教育改革推進閣僚会議幹事会において、当面の検討課題として、公務員の採用及び人事管理について答申に則し所要の措置の検討を進めること、企業における採用及び人事管理について、答申の趣旨を踏まえた見直しが行われるよう、経済界に対して働きかけを行うこと、新規学卒者の採用については、学歴社会の是正の観点から、大学、企業両者の連携により検討が行われるよう推進することが掲げられた。

しかし、産業界はとても冷やかで、日経連の井上雇用課長は、勝野と会ったとき、昭和六一年度の就職協定に非常に消極的な発言をし、私が、労働省の考え方といったものの感触を得ようと思い、労働省業務指導課長矢田貝に会った際も、その発言は熱心なものではなかった。

江副は、臨教審の第一次答申をベースにして、文部省を中心とする就職協定の組み直しをしたらどうかという観点から、新しい就職協定についての協議機関の設置の構想を抱き、昭和六〇年九月ころ、私にその構想案作りを命じ、私は、勝野、長谷川に手伝わせて、構想案を作り、江副がそれを持って、文部事務次官らに会い、就職協定の存続、遵守の必要性とか新しい協議機関の設置について説明して、理解を求めていた。

しかしながら、昭和六〇年九月一二日ころ、文部大臣、労働大臣と経済四団体の長が出席して、教育改革問題についての懇談会が開かれ、その席上、松崎が、昭和六二年三月卒業予定者に対する就職協定を行わないという心境であると発言した。

そのため、江副は、昭和六〇年一〇月初旬の取締役会において、臨教審の第一次答申で青田買いの防止が指摘されているので、政府に答申に沿った対応を求めるため国会質問をしてもらってはどうか、被告人が国会質問をして、総理大臣、文部大臣、労働大臣に就職協定に向けて努力するという答弁を引き出してもらおうではないかと提案し、他の取締役も賛成した。

そこで、取締役会の決定を受けて、勝野に対して、国会質問用の資料の作成を指示した。「六〇年度就職戦線の総括と六一年度就職協定について」と題する書面は、勝野が当時のことを思い出しながら作ったものということであるが、よく覚えていないが、勝野が作った資料は、このような資料であったと思う。この資料を作ったことは江副に報告しておいた。

昭和六〇年一〇月中旬、被告人がリクルートに来たとき、勝野と共に、この資料を被告人に渡した上、被告人に対して、臨教審の第一次答申の中で学歴社会の弊害是正策として指定校制廃止と青田買いの防止が取り上げられたが、国会でこの臨教審のことを取り上げていただき、実効性のある就職協定の早期取決めについて質問をお願いできないでしょうかとお願いすると、被告人は、わかりました、この資料を読んでおきましょうと言って、お願いを聞いてくれると約束してくれた。

さらに、昭和六〇年一〇月二五日ころ、労働大臣が高知市内で記者会見し、年内に何らかの取決めをしたいと発言したことから、議員会館かリクルートにおいて、勝野と共に、その新聞記事の写しを被告人に渡して、臨教審の第一次答申で学歴社会の弊害の是正策として青田買い防止が挙げられていることを取り上げて、就職協定の早期取決めなどについて、政府が適切な対応策を講ずるように質問していただきたいとお願いしたと思う。

被告人は、昭和六〇年一〇月三〇日、予算委員会において、臨教審の第一次答申を指摘した上、学歴社会の是正と密接に関連がある青田買い問題について、これを是正するため、政治が何らかの手を打たなければならないのではないかと質問してくれた。

その後、被告人は昭和六〇年一一月一五日文教委員会で質問に立つことになっていたが、その前、江副の指示か取締役会の決定により、勝野と共に、被告人を議員会館に訪ね、予算委員会での質問のお礼を述べた上、青田買い防止は臨教審の答申の中で学歴社会の弊害の是正策として取り上げられた重要課題であるので、文教委員会でこの点につき政府側の取組方を質問していただき、内定取消しなどの弊害が出ていることを指摘してもらうと有り難いし、就職協定のメドがいつごろになるのか心配しているが、労働大臣の高知での発言に触れ、就職協定締結の見通し時期などについても質問をお願いしたいと頼むと、被告人はわかりましたと言って、引き受けてくれた。

被告人は、昭和六〇年一一月一五日文教委員会において質問をしてくれた。

(4) 勝野は、平成元年五月一六日付け検察官調書において、おおよそ次のとおり供述し、被告人に渡した質問資料として、「六〇年度就職戦線の総括と六一年度就職協定について」と題する書面を再現して、作成している(甲書一五五)。

昭和六〇年七月終わり、臨教審の第一次答申を実行するための教育改革推進閣僚会議の幹事会が開かれ、青田買い防止のために大学、企業が連携して協議することになり、文部省か日経連から入手した幹事会での検討事項が記載された書面にも、企業、官公庁の採用等に関する政策などについて、答申の内容を実行しようとすることが書かれており、リクルートとしては注目していた。

しかしながら、昭和六〇年九月中旬に開かれた文部大臣、労働大臣と経済団体のトップとの懇談会において、松崎が、昭和六二年から就職協定は行わないことにしたいと発言した。そのことは辰巳に報告し、辰巳から、取締役会で検討されたことを聞き、江副の指示により、中雇対協、就職問題懇談会などを結集した新協議機関の設置案について、私と長谷川で中心になって検討することになった。

また、昭和六〇年一〇月ころ、辰巳から、昭和六一年度就職協定の取組状況と昭和六〇年度就職協定の総括、昭和六一年度就職協定の課題や問題点を、被告人にお願いする国会質問用の資料としてまとめるように指示され、そのことは、江副の指示であり、昭和六〇年一〇月上旬の取締役会でも決定されていると言われた。昭和六一年度の就職協定がいつ締結されるか、状況の進展がなく、青田買いが続き、内定取消しも発生して、社会問題化しており、就職協定問題は不安定な状況にあったから、この時期は、被告人に就職協定問題を国会で取り上げてもらい、就職協定が締結されるメドや官民双方が青田買い防止を徹底することを質問してもらい、就職協定の存続、遵守の環境を整備することが必要な時期であったと思う。

そのため、国会質問のための資料作りを始め、昭和六〇年度の就職戦線の総括については、七月から大手企業の青田買いが始まり、昭和五九年度と比べても一か月以上早期化したこと、内定取消しの事態も発生して、社会問題化していることの二点を中心にして、新聞記事のコピーを集めて添付資料にした。臨教審と就職協定の関係については、臨教審の第一次答申の中で学歴社会の弊害の是正策として青田買いを防止する必要があることが盛り込まれ、これをうけて教育改革推進閣僚会議や文部大臣、労働大臣と経済四団体とのトップ会談が開かれ、青田買い防止が検討されたが、松崎が青田買い問題に対する切々とした心境を発表し、就職協定が危機にさらされていることについて、新聞記事のコピーや書面を添付資料にした。そして、昭和六一年度の就職協定の早期締結が必要であることを指摘し、新聞記事を添付した。

この資料は、昭和六〇年一〇月中旬、私と辰巳で被告人に渡し、辰巳が、臨教審の第一次答申に学歴社会の弊害の是正策として指定校制の廃止と共に青田買い防止が挙げられているので、この点を指摘して、官民双方の青田買いの現状とその防止策について、政府の答弁を求め、早期に実効性のある就職協定の取決めについて質問をお願いしたいと思いますと言い、被告人に資料をよく読んでもらって、質問の直前にポイントを説明しにうかがうということで別れた。被告人は、快く質問することを約束してくれた。その場所は、議員会館であったと思うが、被告人がリクルートに来た時であったかもしれない。

その後、被告人が昭和六〇年一〇月三〇日予算委員会において質問に立つ直前、辰巳と共に、被告人を訪ね、山口労働大臣が高知市内のホテルで記者会見し、年内に新就職協定のメドをつけると述べたことが新聞報道されたので、その新聞記事も被告人に渡した上、辰巳が、質問のポイントとして、まず青田買い防止が臨教審の第一次答申で取り上げられている重要な問題であることを指摘し、その上で、就職戦線は青田買いがますます早期化して内定取消しなどの弊害も出て、社会問題化しており、昭和六一年度就職協定の検討も順調にいっておらず、大学では一二月から就職ガイダンスも始まるので、早期に、守れる就職協定を作る必要があること、官庁の青田買いが民間の就職協定違反を誘発する要因になっているから、その青田買いの自粛の徹底方を求めること、これらの問題について積極的かつ適切な対応を求めることを質問してもらいたいと説明し、被告人は、わかりました、この予算委員会で、この資料に基づいて説明してくれたことについて、質問しましょうと引き受けてくれた。辰巳は、就職戦線の細かい現状分析もし、七月から内々定が出て、八月には峠を超す異常事態となっており、ますます指定校制が横行し、学校間格差が広がり、地方大学の切り捨てにもつながると説明している。この場所は、議員会館であったと思うが、あるいは被告人がリクルートに来たときであったかもしれない。その結果、被告人は、リクルートが依頼したとおりの質問をしてくれた。

さらに、被告人は昭和六〇年一一月一五日文教委員会において質問に立つ予定であったため、その前日あたり、辰巳と共に、被告人を議員会館に訪ね、前に渡した資料と労働大臣の記者会見の新聞記事を持参し、辰巳が、予算委員会での質問にお礼を述べた上、青田買い防止は臨教審の答申の中で学歴社会の是正策として取り上げられた重要な課題であるから、その点の政府側の取組方を質問してもらうこと、青田買いや内定取消しの弊害が出ていることを指摘して、労働大臣が年内に新たな取決めをしたいと言っているので、守られるべき実効性のある就職協定を早期に取り決めるよう積極的な対応を求める質問をしていただきたいし、就職協定の早期締結の見通し時期や年内にメドを立てられるように解決するような答弁を引き出していただきたく、そうしないと大学生に混乱が生じるので、よろしくお願いしますと言うと、被告人は、わかりました、なかなか熱心ですねと快く引き受けてくれ、昭和六〇年一一月一五日の文教委員会でリクルートがお願いしたとおりの質問をしてくれた。

なお、勝野の前記検察官調書に添付されている「六〇年度就職戦線の総括と六一年度就職協定について」と題する書面には、「1・六〇年度就職戦線の総括」の表題の下、昭和六〇年度就職協定が遵守されていない実情にあることが記載され、「2・臨教審と就職協定(青田買い是正問題)」の表題の下、臨教審の第一次答申とそれを受けた政府の施策が記載され、「3・六一年度就職協定の締結」の表題の下、前記松崎発言について記載され、「4・課題及び問題点」の表題の下、「<1>六一年度就職協定は、いつ、どのような期日で申し合わされるか。<2>官公庁を含む協定遵守の実効ある具体策は何か。<3>青田買いと内定取消しの問題。」と記載されている。

(二) 被告人、リクルート関係者の各公判供述の概要

(1) 被告人は、昭和六〇年一〇月三〇日予算委員会、昭和六〇年一一月一五日文教委員会の各質問について、リクルートから依頼を受けたことはなく、昭和六〇年一〇月三〇日予算委員会の質問は、臨教審の第一次答申が出て、ようやく総理大臣に学歴社会の是正策、青田買い防止について質問できるようになったから、実効性のある就職協定について質問をしたものであり、昭和六〇年一一月一五日文教委員会の質問は、予算委員会において総理大臣が臨教審の答申を受けて青田買い防止を積極的にやると答弁したため、内定取消しなどのはっきりした学生の被害を取り上げて、学生の倫理感を養うべきであることを尋ねたのであり、このときは、秘書を通じて、リクルートから資料を入手した旨供述している。

(2) 江副は、取締役会等において、被告人に国会質問を依頼するように決めたことはなく、リクルートが被告人に国会質問を依頼したかどうかは知らないし、前記検察官調書は、検察官から誘導されて作成された旨供述している。

(3) 位田は、昭和六〇年も同じように被告人に国会質問を働きかけたと思うが、取締役会で決まったのかどうかわからない旨供述し、辰巳、勝野は、捜査段階において述べたとされている事実は全く記憶していない旨供述し、その三名のいずれもが、前記各検察官調書は、検察官から誘導されて作成された旨供述している。

(三) 右各供述の信用性

(1) 江副、位田、辰巳、勝野の捜査段階における前記各供述のうち、被告人に国会質問を依頼することに決まった経過について述べるところは、当時、リクルートの社長であった江副、専務取締役であり前事業部担当取締役であった位田、事業部担当取締役であり事業部長であった辰巳、事業部事業課長で取締役ではなかった勝野が、それぞれ異なった地位にあり、その地位で経験したり関与した事実について異なった立場から供述しているものであるが、その供述内容は、相互に符合している上、リクルートが、昭和六〇年度の就職協定の遵守状況が好ましくなく、事態を憂慮していたところ、臨教審第一次答申において青田買いを防止すべきことが指摘され、その答申を実現するために設置された教育改革推進閣僚会議の幹事会において、企業の採用及び人事管理について、臨教審第一次答申の趣旨を踏まえた見直しが行われるよう、企業と大学の連携による検討を推進することになったこともあり、企業、大学、関連の行政機関などによる就職協定のための新しい協議機関を設置すべきであると考えて、関係者に働きかけていたところ、文部大臣、労働大臣と経済四団体のトップとの懇談会において、松崎が、昭和六二年の卒業者から就職協定を行わないことにしたい旨発言したことから、就職協定が不安定な状況にあるのを打開するため、被告人に国会質問を依頼し、政府に対して、臨教審の第一次答申などを根拠にして、就職協定の存続、遵守のための対応を求めることになったというものであり、事態の推移として自然であって、前記二の1で認定したリクルートの社内文書等の記載から認定できる昭和六一年度就職協定に対するリクルートの対応とも符合している。

(2) 辰巳、勝野の捜査段階における前記各供述のうち、被告人に対する請託の状況を述べるところは、昭和六〇年一〇月中旬、資料を持参して、被告人に質問を依頼した上、昭和六〇年一〇月三〇日の予算委員会の質問の直前、山口労働大臣の記者会見に関する新聞記事を持参して、質問を依頼し、さらに昭和六〇年一一月一五日の文教委員会の直前、質問を依頼したことなどについて、相互に符合するものであり、被告人に対する説明も、民間の就職協定に関する政府の取組方について質問を依頼する上で、当初は、臨教審の第一次答申において青田買い防止が取り上げられていることを根拠にして、質問依頼をしたというのであり、政府が教育改革推進閣僚会議幹事会において、企業の採用及び人事管理について、臨教審第一次答申の趣旨を踏まえた見直しが行われるよう、企業と大学の連携による検討を推進させるため、経済団体に働きかけることに決めていたことからすると、まさしく、時期を得た説明であり、その後、山口労働大臣が、記者会見において、就職協定について年内に新たな取決めをしたいと発言したため、そのことも根拠にして、質問を依頼しているなど、事態の推移として自然である。

また、辰巳、勝野の捜査段階における各供述は、昭和六〇年一〇月中旬、被告人に対して、資料を渡して、臨教審の第一次答申で学歴社会の是正策として青田買い防止が取り上げられていることを指摘して、実効性のある就職協定の取決めについて質問を依頼したところ、被告人は資料をよく読んでおくと答えていたこと、昭和六〇年一〇月三〇日の予算委員会の質問の直前、山口労働大臣の記者会見に関する新聞記事を持参して、質問の依頼をし、その後、昭和六〇年一一月一五日の文教委員会の質問の前、議員会館に被告人を訪ね、青田買い防止は臨教審の第一次答申でも取り上げられた重要課題であるから、政府側の取組方を質問してもらいたいこと、内定取消しなどの弊害が出ていることを指摘してもらいたいこと、山口労働大臣の記者会見での発言内容から、就職協定の取決めについて年内にメドが立つのか、メドが立つ時期はいつかについて質問してもらいたいことを依頼したことなど、被告人とのやりとりに関する供述部分が一致している。

(3) 間宮は、平成元年五月一六日付け検察官調書(甲書一六〇)において、この当時は、就職協定が廃止されるかどうかの不安定な時期であり、就職情報誌の発行、営業をしているリクルートにとっては打撃であったため、昭和五九年から被告人に国会質問を依頼しており、昭和六〇年一〇月三〇日被告人が予算委員会において質問したのは、江副の指示で辰巳がお願いしたものであり、そのお礼のため、昭和六〇年一〇月三一日、リクルートの費用負担の下、料亭「きくみ」で被告人を接待することになり、その席で、大沢が国会質問のお礼を言うと、被告人が質問はちゃんとした旨述べ、さらに大沢が今後もリクルートのため国会質問などをよろしくお願いしますと話していた旨供述し、公判においても、料亭「きくみ」で被告人を接待した際の被告人と大沢のやりとりについては、記憶がない旨述べて、捜査段階における供述から後退する供述をしながら、接待の前日被告人が国会質問し、その直後大沢が出席して被告人を接待しているということであれば、被告人が国会質問したことに関係する接待であると思う旨供述している(八九回・間宮一九~三九項)。

(4) 位田は、公判において、捜査段階に供述した事実について記憶がないと述べて、その供述を後退させながら、昭和六〇年一〇月三〇日の予算委員会の質問について、その詳細、経緯は知らないが、昭和五九年被告人に国会質問を働きかけたであろうから、昭和六〇年も同様の方法ではなかったかと思う旨供述し(四一回・位田五三八~五四八項)、昭和六〇年一一月一五日の文教委員会の質問についても、その延長線上であると供述している(四一回・位田六九一~六九九項)。

(5) リクルートが被告人に国会質問を依頼したことに関する江副、位田、辰巳、勝野、間宮の各検察官調書は、いずれも平成元年五月一六日から二一日にかけて作成されているのであり、本件の捜査において、そのころ、検察官は、リクルート関係者から供述を得て、供述調書を作成していたと考えられるところ、辰巳は、その一か月以上前に作成された平成元年四月一〇日付け(甲書六七八)、同月一二日付け(甲書六八〇)、同月一三日付け(甲書六八一)各検察官調書において、被告人の昭和六〇年一〇月三〇日の予算委員会、昭和六〇年一一月一五日の文教委員会の各質問がリクルートの依頼によるものであることを認める供述をした上、平成元年四月一六日付け検察官調書(甲書六八四)において、教育改革推進閣僚会議の幹事会で、公務員の採用方法を見直すこと、経済四団体と文部、労働大臣とにより懇談の場を設けること、大学、企業両者による協議の場を設けることなどの話が出て、政府側は青田買い問題に真剣に取り組もうとしていたが、日経連はさじを投げようとするような態度であり、労働省矢田貝業務指導課長も、就職協定に関して消極的な考え方を述べていたところ、その後、昭和六〇年九月一二日の文部大臣、労働大臣と経済四団体の長との懇談会において松崎発言がされ、そのような経過の中で、被告人に前記二回の国会質問を依頼した旨供述し、そこで述べられている被告人に国会質問を依頼した経過は、前記平成元年五月二〇日付け検察官調書(甲書一二五)において述べるところとほぼ同じであり、辰巳は捜査の初期の段階から一貫した供述をしている。

(6) 前記勝野の検察官調書は、昭和六〇年一〇月中旬被告人に会って国会質問を依頼した後、山口労働大臣の記者会見の新聞報道がされたことから、昭和六〇年一〇月三〇日の予算委員会の質問前被告人を訪ねた際、その新聞記事を持参し、さらに昭和六〇年一一月一五日の国会質問の前にも被告人に国会質問を依頼したというのであり、被告人を三回にわたって訪問したこと、面会申込書から把握できない昭和六〇年一〇月中旬、昭和六〇年一〇月三〇日の直前にも被告人に国会質問を依頼したことが供述されており、前記位田の検察官調書は、甲書五二四には大塚雄司議員に国会質問を依頼する旨記載されているが、それが辰巳の提案によって、被告人に国会質問を依頼することになったことが供述されており、いずれも他の証拠から分からない事実が供述されているものであって、これらの検察官調書は、到底検察官の誘導によって作成できるものではなく、十分に信用できる。

(7) 勝野が検察官の取調べの過程において作成した「六〇年度就職戦線の総括と六一年度就職協定について」と題する書面は、そのような書面を一度も作成したことがない者が作成できるような書面ではない上、その構成は、十分に練られていて、検察官から示された資料だけから作成できるようなものではないことなどから、勝野が被告人に持参した資料を再現したものであると認められる。

(8) 被告人が昭和六〇年一〇月三〇日予算委員会において質問した内容は、就職戦線が過熱した実情にあること、教育改革のポイントが大学生と就職の問題にあることなどを指摘した上、総理大臣、文部大臣、労働大臣に対して、青田買いの是正について、人事院総裁に対して、官庁の青田買い是正について、それぞれ取組方の姿勢を尋ね、就職協定の存続、人事課長会議の申合せの遵守に向けて努力することを求めているものであり、昭和六〇年一一月一五日文教委員会において質問した内容は、労働省に対して、内定取消しの是正を求めた上、文部大臣、労働省に対して、山口労働大臣の記者会見における発言を指摘するなどして、昭和六一年度就職協定の早期取決めを求めるものである。

このような質問内容は、リクルートが対応を検討していた青田買い防止、実効性のある就職協定の早期取決めに対する対応を促すものであり、勝野が取調べにおいて作成した「六〇年度就職戦線の総括と六一年度就職協定について」と題する文書の「4・課題と問題点」に記載されている事項と符合する上、七月ころから、会社と学生の接触が始まり、内々定が出ていることなどを指摘している部分は、辰巳が対外説明のために作成した甲物二八の記載と一致しており、内々定の取消しがあって大変過熱していることを指摘している部分は、江副が宮地文部事務次官に持参した甲物三一の記載と一致しているのであって、辰巳、勝野が捜査段階において供述しているように、リクルートからの依頼によって行われた質問と見るのが自然であり、被告人が公判において供述しているように、被告人の臨教審の第一次答申に対する関心や学生に対する適切な指導を求めてされた質問であるとは考えられない。

(9) 辰巳の公判供述は、甲書五四四について、自分が作成したものであり、そこに「11/27もしくは11/29で予定されている衆議院文教委員会で再度質問してもらう」と記載されているのは、それ以前に被告人に対して国会質問を依頼したことを前提にした記載であることは認めながら(五六回・辰巳一六九~一七四項)、他方において、被告人に国会質問を依頼することを取締役会で話し合い、勝野と共に被告人に国会質問を依頼したことは記憶がないというものであり、リクルートで就職協定問題の検討、対応に関して中心的な役割を果たしていた辰巳が、そのような事実について記憶がないということは考えられないのであって、その供述は不自然である。

(10) 勝野の公判供述は、昭和六〇年一〇月三〇日の予算委員会における被告人の質問について、そのことが報道された公明新聞の記事を入手し、自ら広告事業部門の部内報である「セールスレポート」の「就職協定コラム欄」でそのことを取り上げた旨供述し(六五回・勝野三五八~三六九項)、甲書五四四に「11/27もしくは11/29で予定されている衆議院文教委員会で再度質問してもらう」と記載されているのは、作成された当時であれば意味がわかっていたはずであり、機会があれば被告人に国会質問を依頼する意味であろうなどと供述して(六五回・勝野四一一~四三二項)、当時被告人の国会質問に関心を持っていたことを認め、甲書五四四に記載されている事柄については、それに即した供述をしており、そうであれば、資料を作成した上、被告人に国会質問を依頼したかどうかについては、はっきり記憶が残っていてもよさそうであるのに、これを明確に否定するわけではなく、単に記憶がないと述べるにとどまっているなど、その供述は不自然である。

右の各事情によれば、リクルート関係者の捜査段階における前記各供述は、検察官の誘導によってされたものではなく、十分に信用でき、これに反する被告人及びリクルート関係者の前記各公判供述は、信用できない。

三 結論

前記認定の、昭和六〇年七月から一一月までの就職協定を巡る情勢、リクルート社内文書等から認定できる昭和六一年度就職協定に対するリクルートの対応、被告人の国会質問及びその前後の新聞報道、リクルートと被告人の接触状況、昭和六一年度就職協定に対するリクルートの対応及び被告人に対する請託の状況に関するリクルート関係者の捜査段階における各供述を総合すると、リクルートは、昭和六〇年度の就職協定の遵守状況が好ましくなく、事態を憂慮していたが、臨教審第一次答申において青田買いを防止すべきことが指摘され、その答申を実現するために設置された教育改革推進閣僚会議の幹事会において、企業の採用及び人事管理について、臨教審第一次答申の趣旨を踏まえた見直しが行われるよう、企業と大学の連携による検討を推進することになったが、これについて経済界が消極的な姿勢であり、文部大臣、労働大臣と経済四団体との懇談会の席上、松崎が、昭和六二年三月卒業予定者から就職協定を行わないことにしたい旨発言したことから、事態を打開するため、政府に青田買い問題に対する取組を求め、昭和六一年度就職協定を早期に取り決めさせるため、被告人に依頼して国会質問をしてもらうことを決め、その考えに従って、

1 辰巳の指示を受けた勝野が、昭和六〇年度の就職協定の実情、臨教審の第一次答申と就職協定の関係、文部大臣、労働大臣と経済四団体との懇談会の席上の松崎発言などについて記述した国会質問のための資料を作成し、江副の提案による取締役会の決定を受けた辰巳、勝野が、昭和六〇年一〇月中旬、議員会館又はリクルートにおいて、被告人と会い、その資料を渡して、臨教審の第一次答申の中で学歴社会の弊害是正策として指定校制廃止と青田買いの防止が挙げられたが、国会でこの臨教審のことを取り上げて、官民双方の青田買いの現状とその防止策について、政府の答弁を求め、実効性のある就職協定の早期取決めについて質問してもらいたい旨請託し、これを被告人が了承し、

2 労働大臣が記者会見で就職協定について年内に何らかの取決めをしたいと発言したことが新聞報道されたことから、辰巳、勝野が、昭和六〇年一〇月二九日ころ、議員会館又はリクルートにおいて、被告人に会い、その新聞記事を渡して、就職協定の現状について説明した上、臨教審の第一次答申で学歴社会の弊害の是正策として青田買い防止が挙げられていることを取り上げて、早期に、守れる就職協定を作る必要があり、官庁の青田買いが民間の就職協定違反を誘発する要因になっているから、その青田買いの自粛の徹底方を求め、これらの問題について積極的かつ適切な対応策を講ずるように質問してもらいたいと請託し、被告人が、予算委員会で質問しましょうと述べて、これを了承し、

3 さらに、取締役会の決定を受けた辰巳、勝野が、昭和六〇年一一月一四日、被告人を議員会館に訪ね、青田買い防止は臨教審の答申の中で学歴社会の弊害の是正策として取り上げられた重要課題であるので、文教委員会でこの点につき政府側の取組方を質問し、内定取消しなどの弊害が出ていることを指摘して、労働大臣の記者会見に触れ、守られるべき実効性のある就職協定を早期に取り決めるよう積極的な対応を求め、就職協定締結の見通し時期などについても質問してもらいたい旨請託し、これを被告人が了承した

ことが認められる。

なお、弁護人は、前記のとおり、甲書五四四の記載、被告人が昭和六〇年一一月二七日以降の文教委員会等で就職協定問題について質問していないことから、被告人が、リクルートの依頼によって国会質問をしていないことは明らかである旨主張するが、甲書五四四には、被告人の昭和六〇年一一月一五日の文教委員会における質疑の経過が記録された上、「11/27もしくは11/29で予定されている衆議院文教委員会で再度質問してもらう」と記載されているところ、前記のとおり、辰巳、勝野が、公判において、「再度質問してもらう」との記載は、既にリクルートの依頼により被告人か国会質問をしていることを前提にした記載であることを認める供述をしていることなどに照らせば、被告人が昭和六〇年一一月二七日以降就職協定問題について質問していないからといって、右認定を左右するものではない。

第三章  本件各小切手供与の状況及びその趣旨

第一節  昭和五九年八月上旬の小切手供与の状況及びその趣旨

第一 当事者の主張及び当裁判所の認定

一 当事者の主張

1 検察官の主張

(一) 江副は、昭和五九年七月下旬、被告人に対して、昭和五九年五月下旬から同年七月までの各請託の報酬として一〇〇万円を供与しようと考え、小野らに指示して、昭和五九年七月二六日付けリクルート情報出版代表取締役江副振出名義の金額一〇〇万円の小切手一通を準備させた上、辰巳に対し、被告人に国会質問を依頼した報酬として届けるように指示した。

(二) 辰巳は、江副の指示に従い、昭和五九年八月上旬、赤羽と共に被告人を議員会館に訪ね、「今度の委員会では質問をお願いしたい。江副からですがどうぞ。」と言って、封筒に入った本件小切手を差し出すと、被告人は、前記趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、「これはどうも。」などと答えて、これを受領した。

2 弁護人の主張

被告人は、辰巳から、請託の趣旨を明らかにするようなやりとりもなく、本件小切手を交付されたのであり、その直前リクルート役員らとの宴席で被告人の後援会の話題が出ており、その後リクルートの役員が被告人の後援会であるダイヤモンド会に入会するとの話を聞いていたことから、政治献金ないし後援会会費との認識の下に前記小切手を受領したにすぎない。

二 当裁判所の認定

被告人は、昭和五九年八月一日、江副から昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの各請託の報酬として小切手を供与するように指示を受けた辰巳が、赤羽と共に議員会館を訪ねてきて、本件小切手を供与してきたので、前記請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、これを受領した。

第二 当裁判所が右のとおり認定した理由

一 本件小切手のリクルートにおける振出、会計処理、池田克哉普通預金口座への入金等

関係各証拠(五〇回・赤羽、五四回・辰巳、六〇回・宮沢、六二回・辻豊、六三回・小野塚満郎、一二二回・小野、甲書七四七、七四八、七四九・池田芙美子、甲書二三六、二四〇、五六八、甲物六九、七八、七九等)によれば、次の各事実が認められる。

1 リクルートの関連会社室は、小野の指示により、リクルート情報出版代表取締役江副を振出人とする本件小切手を振り出し、辰巳は、昭和五九年八月一日、赤羽と共に被告人を議員会館に訪ね、被告人に封筒に入った本件小切手を渡した。

2 本件小切手は、被告人の妻池田芙美子が、昭和五九年九月四日、被告人ら家族の生活費に使うための口座である三菱銀行玉川支店の被告人名義の普通預金口座(口座番号四三一四八五八、以下単に「池田克哉普通預金口座」という。)に入金した。

3 辰巳は、小野から、被告人に渡した一〇〇万円の領収書をもらうように言われたため、被告人の秘書の宮沢にその旨連絡したところ、被告人を中心とした勉強会である政経懇話会名義の金額三万円の領収書三三枚が提出された。

二 本件小切手の授受に関する関係者の供述の信用性

1 江副、辰巳の捜査段階における各供述の概要

(一) 江副は、捜査段階において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和五九年七月二六日ころ被告人に小切手で一〇〇万円差し上げていることは間違いないが、それは、自分でイニシアチブをとったという記憶がなく、おそらく、被告人に直接国会質問を頼みに行った辰巳あたりから、被告人には、国会質問をしてもらっており、今後もお世話になるので、一本差し上げたい旨提案してきたので、国会質問等でお世話になっていることはわかっていたから、被告人に一〇〇万円差し上げることに了承しており、自分には野党の代議士に政治献金するという発想はないので、それは国会質問をしていただいた謝礼と今後も同様お願いしたいという趣旨の金であって、政治献金ではなく、デリバリーについては、覚えていないが、辰巳か小野あたりが担当したものと思う(乙書一五)。

被告人に国会質問をしてもらったお礼として、昭和五九年七月下旬か八月初旬、金額一〇〇万円の小切手一枚を被告人に差し上げており、小切手を被告人に渡す手続は、私の了承に基づいて小野か辰巳が担当したと思う(乙書三〇)。

(二) 辰巳は、捜査段階において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和五九年八月三日の被告人の国会質問の直前である昭和五九年八月初旬被告人に小切手を渡しているが、その前、江副から、被告人には国会質問のことでお世話になっているから、一〇〇万円の小切手を持って行ってほしいと言われ、被告人が文教委員会で青田買い問題について質問してくれたお礼の気持ちや、次回の文教委員会で官庁の青田買いを質問していただき、政府側から就職協定に協力するとの答弁を引き出してもらいたいという気持ちや、今後とも同様によろしくお願いしたい気持ちから、被告人に小切手を差し上げようとしているとわかったので、赤羽と共に被告人を議員会館に訪ね、今度の委員会ではよろしくお願いしますと話した上、封筒に入った一〇〇万円の小切手を、江副からですがどうぞと言って差し出すと、被告人は、これはどうもと言って、これを受け取った(甲書一二二)。

昭和五九年七月下旬、江副から呼ばれて江副の部屋に行くと、被告人には国会質問でお世話になっているから、被告人に一〇〇万円の小切手を持って行ってくれないかと言われ、被告人に青田買い問題について委員会で質問していただきたいと頼んでいるので、江副は、そのお礼の気持ちや、是非、官庁の青田買いについて質問して、政府側の就職協定に協力するとの答弁を引き出していただきたいとの気持ちから、小切手を渡そうとしているとわかったので、昭和五九年八月初旬ころ、赤羽と共に被告人を議員会館に訪ね、被告人から赤羽に京都のホテルはとてもいいホテルだったよという話があった後、今度の委員会ではよろしくお願いしますと言って、背広の内ポケットから一〇〇万円の小切手一枚が入った封筒を応接セットのテーブルの上に置くと、被告人は、これはどうもと言いながら受け取った(甲書一二八)。

2 被告人、江副、辰巳の各公判供述

(一) 被告人は、昭和五九年、赤羽とその上司が議員会館に訪ねてきて、一〇〇万円の小切手をもらったことはあるが、料亭「きくみ」で選挙区の実情が話題になり、二度と落ちることはできないと話したことから、後援会に入るための費用として持ってきたものであり、教育問題に関心がある自分を応援してくれる政治献金であると思った旨供述している。

(二) 江副は、被告人に対して資金援助をしたことは知らなかった旨供述し、大学の同窓であり、親しく交際している小杉隆が被告人と同じ選挙区であるから、自分が被告人に資金援助することは考えられず、むしろ、自分の知らないところで政治家に対して資金援助がされることも考えられると述べた上、検察官には、繰り返して知らない旨述べたが、検察官から、事件の早期解決を迫られ、私の贈賄の事実は時効であるとも言われ、検察官調書の作成に応じた旨供述している。

(三) 辰巳は、昭和五九年夏、被告人を訪ねて、お納め下さい、夏のごあいさつですと言って、小切手を渡したことはあるが、江副から被告人に小切手を持って行くように指示されたことも含めて、それ以上の記憶はなく、検察官調書は、検察官からの誘導もあって、推測も交えて述べたものである旨供述している。

3 右各供述の信用性

(一) 本件小切手の振出日は、昭和五九年七月二六日であり(甲書二三六)、リクルートにおける本件小切手の経理処理は、昭和五九年八月一日付け振替伝票でされ(甲書五六八)、本件小切手の領収書が入っていた封筒には「8/1池田克也分」と記載されており(甲物七八)、辰巳は、公判において、リクルートで本件小切手を受け取った後、議員会館の被告人の事務所に連絡して、すぐ赤羽と共に議員会館に行って、被告人に本件小切手を渡した旨供述している(五五回・辰巳一~一五項)ことに加え、面会申込書(甲物六九)、からは、昭和五九年八月一日、赤羽ほか一名が議員会館において被告人に面会を申し出ていると認められることからすると、辰巳が被告人に本件小切手を渡したのは、昭和五九年八月一日であると認められる。

そうであれば、その時期は、第二章第一節昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの間の各請託の有無において認定したように、被告人が、リクルートの依頼により、昭和五九年八月三日文教委員会で質問する直前であって、江副、辰巳が、捜査段階において、国会質問を依頼した謝礼の趣旨で被告人に小切手を渡した旨供述しているところは、本件小切手が渡された時期から自然であり、信用できる。

(二) 赤羽は、公判において、被告人が昭和五九年八月三日文教委員会で質問する直前、辰巳と共に被告人を議員会館に訪ね、被告人から赤羽が手配した京都のホテルについてお礼を述べられた後、辰巳が、八月三日の委員会で、是非よろしくお願いしますと述べて、封筒か小さな袋を渡した旨供述しているところ(五〇回・赤羽四九六~五一四項)、辰巳の前記捜査段階における供述は、赤羽の公判供述と符合している。

また、被告人は、赤羽の公判供述を聞いて、昭和五九年赤羽と上司が議員会館を訪ねてきたとき小切手を受け取ったことを思い出したと供述しているが(一四五回・被告人一八九~二〇五項)、これによれば、辰巳が被告人に対して封筒か小さな袋を渡したと述べている赤羽の供述部分については、被告人もそのことを肯定していることになり、そうだとすれば、その際の辰巳と被告人とのやりとりに関する赤羽の供述部分は、その信用性が高いと考えられる。

(三) 被告人は、赤羽の公判供述を聞いて、昭和五九年赤羽と上司が議員会館を訪ねて来たとき小切手を受け取ったことを思い出したと供述しているが、本件小切手を受領した際の赤羽らとのやりとりについて具体的に述べておらず、本件小切手が後援会に入るための費用であると考えた根拠についても、説得的な説明をしていない。被告人が、そのように考えたのであれば、本件小切手を後援会の入会費用として扱い、その旨の領収書を発行し、被告人の後援会などの口座に入金するはずであるのに、本件小切手の領収書(甲物七九)は、政経懇話会名義のもの三三枚であり、金額が政経懇話会の会費に相当する三万円で、日付が昭和五八年一二月二日(八枚)、昭和五九年二月二一日(七枚)、同年四月二五日(八枚)、同年七月一〇日(一〇枚)と別々になっているなど、ことさら政経懇話会会費の領収書である外形を作出しようとした形跡がうかがえる上、本件小切手は、被告人ら家族の生活費に使うための口座である池田克哉普通預金口座に入金されている。これらの事情に照らすと、被告人の公判供述は、不自然であって信用できない。

(四) 辰巳は、公判において、江副から本件小切手を供与するように指示されたかどうか、被告人に本件小切手を渡す際国会質問のことを話したかどうかなどについて、当初記憶がないと供述しながら、その後検察官から尋問されて、小野から、本件小切手を渡されて、被告人に届けるように言われたが、江副が全く無関係ではなかったと思う旨供述し(五五回・辰巳一九~四〇項)、被告人に本件小切手を渡す際、江副からですと述べたかもしれないし、委員会の質問の話をしたかもしれない旨供述している上(五五回・辰巳四一~四四項、五八回・辰巳二一~二六項)、自分の知るかぎりではリクルートが国会質問を依頼した以外に被告人に世話になったことはない旨供述している(六二回・辰巳三五七~三六〇項)。これらの供述経過に加えて、リクルートでの就職協定に関する検討において果たしていた当時の辰巳の役割に照らすと、辰巳が本件小切手を被告人に渡すことについて江副が関与していること、辰巳が被告人に国会質問の話をしたことについて、いずれも記憶がないというのは、いかにも不自然である。

なお、弁護人は、辰巳は、労働省ルートの取調べにおいて、検察官から、壁に向かって立たされたり、耳元で大声で怒鳴られたりして、連日過酷な取調べを受けたため、本件の取調べにおいては、検察官に抵抗することなく、その言うがままに検察官調書の作成に応じたのであるから、辰巳の捜査段階における前記供述は、任意性がないと主張する。しかしながら、辰巳は、捜査段階において、弁護人と接見しながら、本件の取調べを受けており、本件小切手を被告人に供与したことについての辰巳の供述内容は、体験したものでなければ述べられないような具体性がある上、辰巳は、公判において、捜査段階の供述の真偽を確認されて、半ばそれが真実であるともとれる供述をしていることからすると(五五回・辰巳二七~四四項、五八回・辰巳二一~二六項)、辰巳の捜査段階における前記供述は、辰巳が、自分が置かれた状況を認識して、その真意に基づいて供述したものと認められ、弁護人の右主張は理由がない。

(五) 江副は、第二章第一節昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの間の各請託の有無において認定したように、自ら被告人に対して国会質問を依頼することを決め、そのための質問案の原案を手直しするなど、被告人に国会質問を依頼することについて積極的な役割を果たしているところ、<1>公判において、大沢は、政治献金は、社長である江副の直接の事項であり、社長室が実行していた旨供述し(四五回・大沢一五七~一六六項)、位田も、政治献金は、社長室が扱うことが多く、少なくとも金額は社長室で決めていたと思う旨供述している上(三九回・位田二六四~二六九項)、<2>捜査段階においても、大沢は、政治家への金銭的な援助は江副の専権事項であって、江副の指示の下に社長室のスタッフが動いており、江副は被告人に相応の資金援助をしているだろうと思っていた旨供述し(甲書一四二)、位田も、被告人に対して援助がされているのではないかと思っており、そうであれば江副の直轄下の社長室が担当していると思う旨供述している(甲書一三五)ことからすると、江副の指示の下に辰巳が被告人に本件小切手を供与した旨の江副、辰巳の捜査段階における前記各供述は、信用でき、これに反する江副の公判供述は、昭和五九年の被告人に対する国会質問の依頼について、自らの関与を否定して、虚偽の弁解をしていることなどに照らして、信用できない。

なお、弁護人は、江副は、逮捕以来長期間勾留され、検察官から、壁に向かって立たされ、土下座を強いられ、足で机を蹴り上げられるなどの屈辱的な取調べを受け、多数の幹部社員が逮捕され、社会的な非難にさらされて、心血を注いで築き上げたリクルートの存立そのものに危機感を抱いていたところ、検察官に対して、小切手の供与について全く関知していない旨供述していたが、検察官から、事件の早期決着と政治的な混乱を避けるように迫られ、江副に対する贈賄の事実は時効が成立しているから、争うべきところではないと言われて、検察官調書が作成されたのであるから、江副の捜査段階における前記供述は、任意性がないと主張する。しかしながら、リクルートが被告人に国会質問を依頼したことについては、既に江副、辰巳が、平成元年四月中、下旬、検察官に対して詳細な供述をしており、江副の捜査段階における前記供述は、検察官から、このような江副、辰巳の供述を踏まえて、リクルートから被告人に小切手が渡されたことについて、江副の関与、小切手が渡された趣旨に関する取調べを受けた際、供述されたものと考えられるところ、そうであれば、検察官は、江副自身の贈賄の事実について時効が成立しているのであるから、江副が小切手の供与に関与していなければ、辰巳ら他のリクルート関係者から供述を得て、被告人に渡された小切手の趣旨を解明すれば足りたのであって、あえて江副に対して供述を強要する必要はなかったというべきである。また、弁護人が作成した江副の陳述録取書である弁書九〇には、検察官が、作成した江副の検察官調書は公判での立証に使う予定がないとか、検察官調書が作成されても、弁護人が時効を主張すれば足りるなどと述べたことが記載されているが、検察官が、江副の検察官調書を作成する時点において、既に江副の公判における立証方針を決めていたとは考えられず、江副が検察官のそのような言葉を信用したというのも理解できない。むしろ、江副は、捜査段階において、弁護人と接見しながら、本件の取調べを受けており、江副の捜査段階における前記供述は、自分でイニシアチブをとった記憶はなく、辰巳から提案されて、被告人に対する小切手供与を決めたというものであり、辰巳の捜査段階における前記供述と比較して、明らかに自らの関与を希薄にしようとする内容のものであることなどからすると、江副が自らの真意に基づいて供述したものと認められ、弁護人の右主張は理由がない。

右の各事情によれば、江副、辰巳の捜査段階における前記各供述は信用でき、これに反する被告人、江副、辰巳の各公判供述は信用できない。

三 結論

以上によると、被告人は、昭和五九年八月一日、江副から昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの各請託の報酬として小切手を供与するように指示を受けた辰巳が、赤羽と共に議員会館を訪ねて来た際、「今度の委員会ではよろしくお願いします。江副からですがどうぞ。」などと言われて、本件小切手を差し出され、「これはどうも。」と言って、それを受領したことを認めることができ、このような被告人が本件小切手を受領したときの辰巳の発言内容に加え、被告人は、リクルートから国会質問の依頼を受け、リクルートの費用負担の下、昭和五九年七月一八日、料亭「きくみ」において、昭和五九年七月二三日、クラブ「パシーナ」、バー「ラミエル」において、それぞれ飲食の接待を受けて、繰り返し国会質問の依頼を受け、さらに、リクルートの費用負担の下、昭和五九年七月二八日から同月三〇日までの間、家族と共に「ホテル・フジタ京都」に宿泊し、その後、リクルートの依頼により文教委員会において質問をする二日前の昭和五九年八月一日、辰巳から本件小切手を渡されているのであるから、それまでの各請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、本件小切手を受領していることは明らかである。

第二節  昭和六〇年六月下旬の小切手供与の状況及びその趣旨

第一 当事者の主張及び当裁判所の認定

一 当事者の主張

1 検察官の主張

(一) 江副は、昭和六〇年六月下旬、被告人に対して、昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの各請託及び昭和六〇年六月上、中旬の各請託の報酬として一〇〇万円を供与しようと考え、小野らに指示して、昭和六〇年六月二四日付けリクルート代表取締役江副振出名義の金額一〇〇万円の小切手一通を準備させた上、辰巳に対し、被告人に国会質問を依頼した報酬として届けるように指示した。

(二) 辰巳は、江副の指示に従い、昭和六〇年六月下旬、被告人を議員会館に訪ね、「文教委員会では、青田買いのことを質問していただき有り難うございました。」「江副からですがどうぞ。」と言って、封筒に入った本件小切手を差し出すと、被告人は、前記趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、「これはどうも、江副さんによろしく言っておいてください。」などと答えて、これを受領した。

2 弁護人の主張

本件小切手は、小野が、リクルートにおいて、池田謙に対して、東京都議会議員選挙の運動資金に充てる目的から交付したものであり、被告人が議員会館において辰巳から受け取ったものではない。

二 当裁判所の認定

被告人は、昭和六〇年六月二六日、議員会館において、江副から昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの各請託及び昭和六〇年六月上、中旬の各請託の報酬として本件小切手の供与を受け、前記請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、これを受領した。

第二 当裁判所が右のとおり認定した理由

一 本件小切手のリクルートにおける振出、会計処理、池田謙普通預金口座への入金等

1 甲書二三七、二四一、五六九、五七〇によれば、本件小切手は、昭和六〇年六月二六日午後二時七分ころ、協和銀行中目黒支店の池田謙名義の普通預金口座(以下単に「池田謙普通預金口座」という。)に入金されており、リクルートにおいては、金額、振出人、振出日が同一の別の小切手一通と共に会計処理され、本件小切手は政経懇話会の会費として支払われ、別の小切手は未使用のため戻され、支払われていないことが認められる。

2 甲書五六六、甲物七二によれば、昭和六〇年六月二六日午前一〇時五分ころ、辰巳が議員会館において被告人に面会を申し出ていることが認められる。

二 本件小切手の授受に関する江副、辰巳の各供述の信用性

1 江副、辰巳の捜査段階における各供述の概要

(一) 江副は、平成元年五月六日付け検察官調書(乙書一七)において、昭和六〇年六月下旬被告人に二〇〇万円を差し上げたことについてはよく思い出せないが、辰巳か小野に指示して辻豊に手続させたものであり、リクルートが被告人に公務員の青田買いの防止と就職協定の遵守等について文教委員会で質問してもらうべくお願いし、その質問をしてもらった謝礼として差し上げたものであって、辰巳らが国会質問を頼んでいた関係もあり、昭和六〇年六月下旬、辰巳らから、就職協定の問題で国会質問をしてもらうなどお世話になっているので、お礼をしたいと思うと言われたので、二〇〇万円を出しておくように指示した旨供述し、平成元年五月二一日付け検察官調書(乙書二九)において、これまで、昭和六〇年六月下旬被告人に二〇〇万円差し上げることを決め、支出手続等は辰巳、小野にさせたと述べていたが、そのうち一〇〇万円が、相手方に渡されて戻ったか、渡されずリクルート内にとどまったかは、覚えていないものの、伝票で見ると、その小切手二枚のうち一枚が未使用戻しとなって会社に戻っているので、被告人に差し上げたのは一〇〇万円の小切手一枚ということになる旨供述している。

(二) 辰巳は、平成元年五月一七日付け検察官調書(甲書一二三)において、昭和六〇年六月下旬、江副から部屋に呼ばれ、被告人には国会質問のことでお世話になっているから、小切手一〇〇万円を差し上げてきてくれないかと言われ、国会質問をお願いしたお礼として小切手を渡そうとしているのがよくわかったし、自分もリクルートの人間として被告人に国会質問のことでお世話になったという気持ちを持っていたので、江副の指示どおり小切手を持参しようと思い、江副から直接渡された小切手を持って、午前中被告人を議員会館に訪ね、被告人事務所奥の被告人の部屋の応接セットソファに座り、文教委員会では、青田買いのことを質問していただいて有り難うございましたと言って、背広の内ポケットから、小切手の入っている封筒を取り出し、江副からですが、どうぞと言って、テーブルの上に置くと、被告人は、これはどうも、江副さんによろしく言っておいてくださいと言って、これを受け取った旨述べ、さらに、自分の方から江副に、国会質問でお世話になっているので、お礼をしたらどうかと言ったかもしれない旨供述し、平成元年五月二一日付け検察官調書(甲書一二七)において、昭和六〇年六月下旬、江副から、被告人には国会質問のことでお世話になっているから、被告人に一〇〇万円の小切手を持って行ってくれないかと言われ、議員会館に行き、その小切手を被告人に渡したことがあるが、振替伝票からは、一〇〇万円の小切手二枚が切られ、そのうち一枚が戻されていることが分かるから、江副から二〇〇万円の小切手を持って行ってくれないかと指示され、一〇〇万円の小切手二枚を持って行って、被告人の方から小野か経理の者に一〇〇万円の小切手一枚を返したということも考えられ、また、一〇〇万円の小切手二枚を切ったものの、リクルート側の事情でそのうち一枚のみを被告人に渡すことにして、江副が一〇〇万円の小切手一枚だけを被告人に渡してほしいと指示したことも考えられる旨供述している。

2 江副、辰巳の各公判供述

江副は、被告人に対して資金援助をしたことは知らなかったし、自分は関与していない旨述べて、昭和五九年八月一日の小切手供与と同趣旨の供述をした上、前記各検察官調書は、辰巳、小野ら関係者が供述しているから間違いないといわれ、早期決着を迫られて作成された旨供述しており、辰巳は、捜査段階において供述した事実は、全く記憶がなく、前記各検察官調書は、検察官の誘導により作成された旨供述している。

3 右各供述の信用性

(一) 本件小切手の振出日は、昭和六〇年六月二四日であり(甲書二三七)、リクルートにおける本件小切手の経理処理は、昭和六〇年六月二四日付け及び同月二九日付けの各振替伝票でされ、その振替伝票には、「仮払精算 6/24仮払分」「精算予定日6月28日」と記載されており(甲書五六九、五七〇)、本件小切手は昭和六〇年六月二六日午後二時七分ころ池田謙普通預金口座に入金されていることからすると、本件小切手が交付されたのは昭和六〇年六月二四日から同月二六日午後二時七分ころまでの間であると認められるところ、その時期は、第二章第二節昭和六〇年六月上、中旬の各請託の有無において認定したように、被告人が、リクルートの依頼により、昭和六〇年六月一九日文教委員会で質問した後一週間以内のことであって、江副、辰巳が、捜査段階において、本件小切手は被告人の国会質問の謝礼の趣旨で渡したものである旨供述しているのは、自然であり信用できる。

(二) 第二章第一節昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの間の各請託の有無、第二節昭和六〇年六月上、中旬の各請託の有無において認定したように、辰巳は、昭和五九年五月三〇日、同年六月一五日、議員会館に被告人を訪ねて、国会質問を依頼し、同年八月一日、江副の指示の下に依頼した国会質問の謝礼として、小切手を供与し、昭和六〇年六月上旬、同月一八日には、被告人に対して、臨教審の第一次答申に青田買い防止が盛り込まれることなどを根拠にして、官庁の青田買いに関する国会質問を依頼している。また、江副は、昭和五九年、自ら被告人に対して国会質問を依頼することを決め、そのための質問案の原案を手直しするなどした上、辰巳に対して、国会質問の謝礼として被告人に小切手を供与するように指示し、昭和六〇年も、被告人に国会質問を依頼するについて、それを決めた取締役会に出席し、被告人に渡す資料について了承するなどしている。そうすると、本件小切手も、昭和五九年八月一日に供与された小切手と同様に、江副の指示の下に辰巳が被告人に供与したものではないかと考えられる。

ところで、本件小切手が交付されたと考えられる昭和六〇年六月二四日から同月二六日午後二時七分ころまでの間の面会申込書を見ると、同月二六日午前一〇時五分ころ、辰巳が議員会館において被告人に面会を申し出ていることが認められ、その日は、リクルートが被告人に国会質問を依頼するなどして就職協定の存続、遵守を検討するなかで注目していた臨教審の第一次答申が出された日であり、本件小切手一〇〇万円分の領収書(甲物八〇)四枚のうち、三枚(金額合計九〇万円)は、昭和五九年八月一日に供与された小切手と同様に政経懇話会名義のものである。

これらの事情からすると、昭和五九年八月一日に供与された小切手と同様に、江副の指示の下、辰巳が国会質問の謝礼として本件小切手を被告人に供与したという江副、辰巳の捜査段階における前記各供述は、事態の推移から自然である上、面会申込書、本件小切手の領収書の体裁などからも裏付けられているというべきである。

(三) 本件各小切手が江副の指示の下に辰巳から被告人に渡されたことについては、江副、辰巳以外のリクルート関係者は供述していないところ、江副は、平成元年五月六日付け検察官調書(乙書一七)において、昭和六〇年六月下旬、辰巳から提案されて、被告人に国会質問の謝礼をすることにし、辰巳に対して、被告人に二〇〇万円を供与するように指示した旨供述しており、その時点では、辰巳の本件小切手の供与に関する検察官調書は作成されておらず、その後、辰巳は、平成元年五月一七日付け検察官調書(甲書一二三)において、昭和六〇年六月下旬、江副の指示の下、被告人に対して、国会質問の謝礼として一〇〇万円の小切手を供与した旨供述している。

また、辰巳の前記検察官調書は、被告人に本件小切手を供与することを発意した者、被告人に供与した小切手の金額について、江副の前記検察官調書と異なった供述がされている上、前記のとおり、被告人に本件小切手を供与した際の状況について、具体的かつ迫真性のある供述がされている。

これらの事情からすると、江副の平成元年五月六日付け(乙書一七)、同月二一日付け(乙書二九)各検察官調書は、江副が公判において供述するように、辰巳らの供述から誘導されて作成されたとは考えられず、また、辰巳の前記検察官調書も、検察官の誘導によることなく、辰巳自身が供述した内容が録取されていると考えるほかはない。

(四) 江副は、公判において、被告人に対する国会質問の依頼、昭和五九年八月一日の小切手供与について、自分の関与を否定するなど、虚偽の弁解をしている上、本件小切手供与に関して供述した前記各検察官調書の作成経過について、不合理な弁解をしているなどの事情に照らせば、江副の公判供述は、信用できない。

辰巳は、公判において、昭和五九年と昭和六〇年に生起した事柄に関して記憶の差異があることについて、合理的な説明をしていない上、昭和六〇年六月二六日被告人に面会を申し出た旨の記載がある面会申込書を示されて、そこに記載されているのが自分の字であることを認め、当日議員会館を訪ねたことは間違いないと述べながらも、その記憶がないと供述しているのであり(五五回・辰巳四三三~四六〇項)、その供述自体不自然である。

右の各事情からすると、江副、辰巳の捜査段階における前記各供述は、検察官の誘導によってされたものではなく、十分に信用できるというべきであり、これに反する両名の公判供述は信用できない。

三 本件小切手の授受に関する被告人、池田謙、小野の各公判供述の信用性

1 被告人、池田謙、小野の各公判供述の概要

(一) 被告人は、公判において、昭和六〇年リクルートから小切手をもらったことはなく、昭和六〇年六月ころは、都議会議員の選挙があり、自分の選挙区である世田谷区において、公明党の立候補者が二人立ったため、忙しい思いをし、池田謙は、公明党の職員として、労働組合、企業などにあいさつ回りをしていたのであって、その間リクルートから、小切手をもらったことを報告してきたことはなかった旨供述している。

(二) 池田謙は、公判において、昭和六〇年七月都議会議員選挙があり、被告人の選挙区である世田谷区において、公明党が二人の立候補者を立てることになったため、親しく交際していた小野に陣中見舞いをお願いして、リクルートで本件小切手を受け取っており、そのことは被告人に報告していない旨供述している。

(三) 小野は、公判において、昭和六〇年、池田謙から、都議会議員の選挙があり、公明党としてバックアップしないといけないので、資金援助をしていただけないかと言われたため、辰巳に話した上、リクルートを訪ねてきた池田謙に本件小切手を渡しており、そのことは江副には報告していない旨供述している。

2 右各供述の信用性

(一) 被告人は、第一回公判の公訴事実の認否に際して、昭和五九年、昭和六〇年の両年リクルートから本件各小切手を受領したことを認めていたが、その後、第一二七回公判において、主張を変え、昭和六〇年本件小切手を受領したことを否認するに至っているところ、公判において、そのように供述を変更したことについて、当初から小切手を受け取ったのは一回であったという気持ちが強かったが、弁護人から見せられた証拠の中にあった小切手を見たり、本件の審理の中で赤羽の公判供述を聞くなどするうち、昭和五九年小切手を受け取った場面を思い出し、昭和六〇年には小切手を受け取っていないことが分かった旨供述している。

しかしながら、被告人が供述を変更したことに関して説明しているところは、合理的なものではないこと、証拠の中にあった小切手のどのような記載から記憶を喚起したのか明らかではないこと、被告人が、昭和六〇年に小切手を受け取ったことを認めた根拠の一つとして挙げる大沢らが被告人の政治団体であるダイヤモンド会に加入した時期は、大沢の検察官調書(甲書一四二)では、被告人の供述に反し、昭和五九年八月下旬ころになっているが、被告人は、本件公判の初期の段階で大沢の前記検察官調書の内容を十分に承知していたと考えられるにもかかわらず、第一回公判から三年以上経過した第一二七回公判において、その主張を変更するに至っていることなどから、被告人の公判供述は不自然というほかはない。

(二) 池田謙は、捜査段階において、本件小切手を示されて取調べを受けた際、本件小切手は記憶になく、自分で口座に入金していたとしても、誰から受け取ったか覚えておらず、リクルートから直接本件小切手を受け取ったことはない旨述べた上、さらに、昭和六〇年六月下旬から同年七月上旬にかけて、都議会議員の選挙があり、公明党は、初めて町田市に立候補者を立て、世田谷区と足立区には二人立候補者を立てたので、都内の各地を飛び回っていたが、リクルートに選挙の応援を頼みに行くようなことはなく、そのことは断言できる旨供述し(甲書九四七)、明らかに公判供述と矛盾する供述をしている。

池田謙は、公判において、捜査段階の供述を変えた理由について、取調べにおいては、糖尿病のため体調が悪いなか、検察官から激しい追及を受け、頭が混乱していて、よく思い出せなかったが、平成三年暮れか平成四年一月、パスポートの延長のため都庁に赴いた際、昭和六〇年七月の都議会議員選挙のことを思い出し、会社にお願いに回ったこと、小野に会ったことなどを思い出し、小野から本件小切手を受け取ったことを思い出した旨供述している。

しかしながら、池田謙は、捜査当時、自らの手帳に「東京地検に勝つ」などと記載して、検察官の取調べに臨んでいたのであって(甲物一一二、九七回・池田謙七〇三~七一七項)、取調べにおいて頭が混乱していたという池田謙の公判供述は理解し難く、小野から本件小切手を渡されたのが真実であれば、検察官から激しい追及を受けた取調べにおいて、昭和六〇年七月の都議会議員選挙やその際の活動について触れながら供述する際、当然そのこととの関連で小野から本件小切手を渡されたことを思い出してしかるべきであって、そのことを思い出せなかったという池田謙の公判供述は、極めて不自然であり、池田謙は、公判において、リクルートから都議会議員選挙の被告人の地元選挙区における立候補者のための運動資金を援助してもらった旨供述しながら、そのことを被告人に報告しなかったと述べるなど、あえて被告人をかばう供述をしていることなどに照らすと、池田謙の公判供述は、信用できない。

(三) 小野は、捜査段階においては、本件小切手について、江副や辰巳から言われ、部下の辻豊に指示して、伝票を起票させるようにし、小切手を準備させる手続をとったかもしれないが、自分が先方に渡すデリバリーに関与した記憶は一切なく、被告人はもちろんのこと、池田謙に本件小切手を渡したということは全くない旨供述し(甲書一〇〇三)、明らかに公判供述と矛盾する供述をしているところ、小野の公判供述は、本件小切手を池田謙に渡したことを思い出したことについて、池田謙の公判供述を聞いてはっきりしたと供述するにすぎず、それ以上に記憶がよみがえった根拠を挙げておらず、本件小切手を池田謙に渡した際の状況について述べるところも具体性がなく、しかも、池田謙に本件小切手を渡すことは、辰巳には報告したが、江副には報告しておらず、辰巳も江副には報告していないと思うなどと、あえて江副をかばう供述をしていることなどに照らすと、信用できない。

右の各事情によれば、被告人、池田謙、小野の各公判供述は信用できない。

四 結論

以上によると、被告人は、昭和六〇年六月二六日、議員会館において、江副から昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの各請託の報酬及び昭和六〇年六月上、中旬の各請託の報酬として小切手を供与するように指示を受けた辰巳から、「文教委員会では、青田買いのことを質問していただき有り難うございました。」「江副からですがどうぞ。」などと言われて、本件小切手を差し出され、「これはどうも。江副さんによろしく言っておいてください。」と言って、それを受領したことを認めることができ、このような被告人が本件小切手を受領したときの辰巳の発言内容に加え、被告人は、昭和五九年五月下旬から同年七月下旬までの間、繰り返しリクルートから国会質問の依頼を受け、昭和五九年八月一日、江副の指示を受けた辰巳からその謝礼として金額一〇〇万円の小切手の供与を受けているほか、昭和六〇年六月上旬、同月一八日、辰巳から国会質問を依頼され、その依頼によって昭和六〇年六月一九日文教委員会において質問し、その七日後、辰巳から本件小切手を渡されているのであるから、それまでの各請託の報酬として供与されるものであることを知りながら、本件小切手を受領していることは明らかである。

第四章  コスモスライフから清雅に対する振込送金による金員の供与等

第一  当事者の主張及び当裁判所の認定

一 当事者の主張

1 検察官の主張

(一) 被告人は、昭和五九年、同六〇年中に江副らから国会質問の請託を受け、その報酬として、二回にわたり小切手合計二通(金額合計二〇〇万円)の供与を受けたが、被告人が所属する公明党では企業から資金供与を受けることを禁止していて、先の小切手に関してリクルートから領収書の交付を求められた際、その取扱いに苦慮した経緯から、昭和六〇年一一月下旬ないし一二月上旬、今後江副らから供与されるわいろは、清雅に入金させる方法を採りたいと考え、その旨を池田謙に指示してその交渉に当たらせた。その指示を受けた池田謙は、そのころ、リクルートにおいて、小野に対し、被告人の申し入れを伝え、両名で協議して、リクルートの関連会社であるコスモスライフと清雅との間で実体のない架空のコンサルタント契約を結び、そのコンサルタント料名目で清雅に金員を支払う方法により、江副らから被告人に対して金員を供与することにした。

その後、右方法について、小野が江副の了承を得、池田謙が被告人に報告、了承を得た上、小野、池田謙の両名が、コスモスライフと清雅の間で、昭和六〇年一二月から半年間分のコンサルタント料を二〇〇万円とする架空のビル管理技術指導相談に関する契約書を作成した。

小野は、コスモスライフ取締役伊藤らに指示して、昭和六〇年一二月一七日ころ、三菱銀行玉川支店の清雅名義の預金口座に二〇〇万円を振込送金させ、被告人は、前記各請託を受けた報酬として供与されるものであることを知りながら、これを受領した。

(二) 被告人は、前記(一)のとおり、昭和五九年、同六〇年の江副らからの各請託の報酬として、二〇〇万円の供与を受けた後、さらに、同様に請託の報酬として、昭和六一年五月下旬、衆議院議員総選挙が間近であったことから、前回より多額の金員の供与を早めに受けたいと考え、その旨池田謙に指示した。その指示を受けた池田謙が、そのころ、小野に対して被告人の申し入れを伝えたところ、小野が江副の了承を得て、昭和六一年六月からの半年間分の金額を三〇〇万円に増額することとし、池田謙がその旨被告人に報告、了承を得て、前記(一)と同様、小野と池田謙の両名が、コスモスライフと清雅の間で、昭和六一年六月から半年間分のコンサルタント料を三〇〇万円とする架空のビル管理技術指導相談に関する契約書を作成した。

小野は、コスモスライフ取締役伊藤らに指示して、昭和六一年五月三一日ころ、三菱銀行玉川支店の清雅名義の預金口座に三〇〇万円を振込送金させ、被告人は、前記各請託を受けた報酬として供与されるものであることを知りながら、これを受領した。

2 弁護人の主張

清雅は、池田謙が経営していた会社であり、コスモスライフとの間で締結されたコンサルタント契約は、池田謙が独断で行ったものであって、その契約の存在はもとより、同社の預金口座に金員が振り込まれたことについても被告人は一切関与しておらず、認識すらしていなかった。

二 当裁判所の認定

1 検察官の主張するような経緯により、被告人の指示あるいは了承の下、池田謙が、昭和六〇年一一月下旬ないし一二月上旬、今後江副らから供与されるわいろは、清雅に入金させる方法を採ることを考え、そのころ、リクルートにおいて、小野に対し、その旨申し入れをし、両名で協議して、リクルートの関連会社であるコスモスライフと清雅との間で実体のない架空のコンサルタント契約を結び、そのコンサルタント料名目で清雅に金員を支払う方法により、江副らから被告人に対して金員を供与することにした。

その後、右方法について、小野が江副の了承を得、小野、池田謙の両名が、コスモスライフと清雅の間で、昭和六〇年一二月から半年間分のコンサルタント料を二〇〇万円とする架空のビル管理技術指導相談に関する契約書を作成した。

小野は、コスモスライフ取締役伊藤らに指示して、昭和六〇年一二月一七日ころ、三菱銀行玉川支店の清雅名義の預金口座に二〇〇万円を振込送金させ、被告人は、前記昭和五九年、同六〇年中の江副らからの各請託を受けた報酬として供与されるものであること知りながら、これを受領した。

2 検察官が主張するような経緯により、被告人の指示あるいは了承の下、池田謙が、昭和六一年五月下旬、小野に対して増額の申し入れをし、小野が江副の了承を得て、昭和六一年六月からの半年間分の金額を三〇〇万円の増額することとし、前記1と同様、小野と池田謙の両名が、コスモスライフと清雅の間で、昭和六一年六月から半年間分のコンサルタント料を三〇〇万円とする架空のビル管理技術指導相談に関する契約書を作成した。

小野は、コスモスライフ取締役伊藤らに指示して、昭和六一年五月三一日ころ、三菱銀行玉川支店の清雅名義の預金口座に三〇〇万円を振込送金させ、被告人は、前記各請託を受けた報酬として供与されるものであることを知りながら、これを受領した。

第二  前提となる事実

一 清雅設立の経緯

関係各証拠(一四四回・被告人、甲書二四三・石田、甲書二四七・浅賀、甲書二四八・鈴木信宏、甲書二四九・宇田川治、甲書一〇二三、一〇二四・大山、甲書二五〇、二五二、二五三、二五四等)によれば、以下の各事実が認められる。

1 被告人は、昭和五八年ころ、被告人の大叔母である石田千代から、石田が住んでいる渋谷区代々木の土地の隣に進学塾が建つという話を聞き、石田に「それではうちも家を壊してビルを建てましょうか。」と話を持ちかけたところ、石田から「みんなに任せるから、建つのなら建てて下さい。」と一切任されて、石田の土地にビルを建てることにした。

2 被告人は、昭和五八年初めころ、創価学会の会員で被告人の後援会にも入会している浅賀が代表取締役であるアサカホームに、右ビルの建築を依頼し、何度か打合せした後、昭和五八年七月二七日、アサカホームとの間で、請負代金を一億五〇〇万円とする工事請負契約を締結した。アサカホームでは、木本が代表取締役をしている建設制作工房に右ビルの設計を依頼した。

3 被告人は、右ビルの建築資金については全額融資を受けたいと考え、昭和五八年七、八月ころ、三菱銀行玉川支店に融資を申し入れ、九月七日には、浅賀と共に同支店を訪ね、銀行側と融資についての話し合いをするなどした結果、三菱銀行玉川支店と三菱銀行の関連会社であるダイヤモンド抵当証券の両社から、合計一億二、〇〇〇万円の融資を受けることになった。なお、その返済には、ビルのテナント料収入を充てる見込みであった。

右ビルは昭和五九年四月ころ完成し、同年七月に被告人を所有権者とする所有権保存登記がされ、「清雅ビル」と名付けられた。

4 清雅は、被告人が、右ビルを建築するに際し、弁護士のアドバイスを受けて、節税目的のために、清雅ビルの管理会社として設立した有限会社であり、清雅ビルに関し、昭和五九年四月一日付けで被告人、清雅間の賃貸借契約書が作成された。

商業登記簿上、清雅の代表取締役は設立当初から被告人の妻である池田芙美子となっていたが、それは名目上の代表取締役にすぎなかった。被告人及び池田謙は、設立当初から取締役として名を連ねていたが、被告人は、昭和五九年一二月に同社の取締役を辞任している。

二 清雅、コスモスライフ間のビル管理技術指導相談契約締結、技術指導相談料名目による振込送金の事実とその契約の実態

関係各証拠(九〇回・伊藤、六二回・辻豊、甲書一〇二八・大山、甲書七七二、甲物一〇五~一〇九等)によると、以下の各事実が認められる。

1 清雅とリクルートの関連会社であるコスモスライフの間では、昭和六〇年一二月から昭和六三年五月にかけて、以下のとおり、契約期間、相談料などを定めた「ビル管理技術指導相談に関する契約書」を取り交わし、それに基づいて、コスモスライフから清雅の資金管理口座である三菱銀行玉川支店の「有限会社清雅代表取締役池田芙美子」名義の普通預金口座(以下単に「清雅口座」という。)に対し、各金額が振込送金された。

(一) 昭和六〇年一二月一七日 二〇〇万円振込入金

(1) 契約日 昭和六〇年一二月一三日

(2) 契約期間 昭和六〇年一二月一日から昭和六一年五月三一日までの半年間

(3) 相談料 二〇〇万円

(二) 昭和六一年五月三一日 三〇〇万円振込入金

(1) 契約日 昭和六一年五月二八日

(2) 契約期間 昭和六一年六月一日から昭和六一年一一月三〇日までの半年間

(3) 相談料 三〇〇万円

(三) 昭和六一年一二月三一日 三〇〇万円振込入金

(1) 契約日 昭和六一年一一月二八日

(2) 契約期間 昭和六一年一二月一日から昭和六二年五月三一日までの半年間

(3) 相談料 三〇〇万円

(四) 昭和六二年七月二三日 三〇〇万円振込入金

(1) 契約日 昭和六二年五月二八日

(2) 契約期間 昭和六二年六月一日から昭和六二年一一月三〇日までの半年間

(3) 相談料 三〇〇万円

(五) 昭和六二年一二月一六日 三〇〇万円振込入金

(1) 契約日 昭和六二年一一月三〇日

(2) 契約期間 昭和六二年一二月一日から昭和六三年五月三一日までの半年間

(3) 相談料 三〇〇万円

2 右契約は、コスモスライフが、親会社であるリクルート社長室の指示により締結したものであり、コスモスライフ側の必要があって締結したものではない上、契約書もリクルートの社長室において作成したものであって、契約締結に当たってコスモスライフ側の人物が清雅側の人物とその契約内容等に関して直接交渉した事実もうかがえない。一方、清雅においても、右契約を履行するための態勢を整えていた事実はないし、右の期間を通じ、清雅が右契約に基づいてコスモスライフに対してビル管理等に関する技術指導、相談をした事実はない。

第三  昭和六〇年一二月二〇〇万円、昭和六一年五月三〇〇万円の各振込送金がコスモスライフから清雅に対してされるに至った経緯及び江副らの認識

一 小野、江副の捜査段階における各供述の概要

1 小野の捜査段階における供述の概要

小野は、捜査段階において(乙書四〇~四二、四四)、おおよそ次のとおり供述している。

池田克也先生側に対する資金援助として、リクルートの関連会社であるコスモスライフから池田先生側の清雅あてにコンサルタント料名目で昭和六〇年一二月から昭和六三年五月までの期間、合計で一,四〇〇万円を支払っていることは間違いない。

この資金援助は、清雅という会社あてに形式上行われているが、その実質はあくまでも池田先生の側への資金援助であり、私としては清雅という会社に入金することが池田先生の側の財布に入金することと考えていた。

このようなやり方については、池田先生の秘書である池田謙さんの方から提案が持ち込まれた。私が関与した記憶はないが、従前池田先生への資金援助は、先生あてに直接小切手を渡すやり方で行われていたようであり、謙さんからは、このようなやり方についての変更を提案された。

昭和六〇年一二月初旬ころだったと思うが、謙さんがリクルート本社の喫茶店に来たので応対すると、謙さんは、「今年の夏の時までは先生の方にお金を直接いただくというやり方でお願いしてきたが、公明党は自民党のような形で企業から直接お金をもらうというのは党の立場として受け入れにくいので、私共の方でやっている清雅という会社へ入金するという形でお金をいただきたい。」と池田先生側への資金援助をしてもらいたい旨話してきた。

私は、謙さんに対し、清雅というのはどんな会社なのか聞いてみると、謙さんの方で役員をしているビル管理会社であるとのことだった。ビル管理会社が話題となったので、リクルートの関連会社であるコスモスライフがビルの運営管理の仕事をしていることを話すと、謙さんが私に対し、「清雅への入金については、コスモスライフが清雅からビル管理についてのアドバイスを受けているということにして、コスモスライフから清雅へのコンサルタント料を支払う形でお金をいただきたい。」旨提案してきた。実際にはもちろんそのようなアドバイスをコスモスライフが清雅から受けるといったことがあるのではなく、これはあくまでも池田先生側への資金援助をする名目であった。

私は、謙さんの言うような形を整えればよいと思い、その提案を間宮及び江副の方に上げたところ、江副さんの方では、これをそのまま受けて、このような形でお金を渡すということですんなり承認した。

このコスモスライフと清雅とのコンサルタント契約については、半年ごとに契約を更新する形で見直しをし、その都度江副さんの方に従前通りの契約名目で池田先生側への資金援助をしてよいかどうか、その金額に変動がないかどうかを確認し、契約書を新たに作り直していた。この契約書の取り交わしについては私自身が手続きをしていた。

コスモスライフと清雅との契約書については、いずれもコスモスライフ側は伊藤さんに事務手続をしてもらい、契約当事者のコスモスライフの社長の記名印と社印を押してもらったものをいただき、その後謙さんと連絡を取り合って、清雅の社長の記名印と社判を押してもらうようにしていた。

二回目の支払いは、昭和六一年六月一日から昭和六一年一一月三〇日までの半年間のものであり、本来、お盆をめどにすれば七、八月ころとも考えられるが、この時は特別にその年の五月末日に払い込んでもらうように手続きをした。丁度この年は七月七日に衆参同日選挙が行われ、池田克也先生もその選挙に出馬した時だった。それで思い出したが、確かこの年の五月下旬ころ、池田謙さんの方から、私に「先生側としては、今年の夏はいろいろなお金が入り用なので、清雅への入金を早めにしてもらえないかということと、その金額の増額を頼みたい。」旨の提案があった。

それで、私は、その旨さっそく江副さんの方へ伝えたところ、江副さんは、すぐにそれに応じ、これからは一〇〇万円増額して半年間に三〇〇万円とし、早めにこれをお渡しすることを決定し、了承した。私は、さっそく江副さんの決定を池田謙さんに伝えるとともに、コスモスライフの伊藤さんの方にもこれを伝えてすぐに三〇〇万円を入金する手続をとってもらった。江副さんとしても池田先生を大切にしていらっしゃるようであり、この池田先生側からの要望を受け入れるにあたり、難色を示したり、ごたごたがあったというようなことは一切なかった。

この資金援助の増額については、池田先生側の要望が発端となって江副さんが決定したことであり、事務方の私の方が勝手に謙さんと相談して決めたということは一切なく、私自身にそのような権限もなかった。

2 江副の捜査段階における供述の概要

江副は、捜査段階において(乙書九、三一)、おおよそ次のとおり供述している。

この池田代議士に対する金銭の供与は、形の上では株式会社リクルートの関連会社である株式会社コスモスライフと池田代議士の関与されている有限会社清雅との間で、ビル管理技術指導相談に関する契約書を取り交わして、コスモスライフが清雅に対して技術指導相談料を支払うという体裁をとっているが、実体のないもので、池田代議士側の要請もあって、このような形をとったものである。

日時ははっきりしないが、昭和六〇年一二月ころだったと思うが、リクルートの社長室長の間宮舜二郎か社長室次長の小野敏廣のいずれかから私に話があった。多分小野からであったと思う。小野は、私に対して、「実は、池田克也代議士の方から強い要請が来ているのですが、政治活動の資金援助をしてほしいと言って来ています。池田代議士には就職協定の問題でリクルートが頼んで国会質問をしてもらっているなどお世話になっていることもあり、断りきれないと思いますので先方の要請に応じたいと思いますが。」と言ってきた。

私も、池田代議士には就職協定などの問題でリクルートがお世話になっていたこともあり、池田代議士への資金援助について、これを承認したように思う。相手方へのお金を差し上げる手続については、私は全くタッチしておらず、どのように行われていたのか承知していない。

私らリクルートでは、昭和六〇年一二月から毎年、盆、暮れに池田克也代議士に対し、形式上リクルートの関連会社であるコスモスライフから池田代議士の関係する会社への技術指導コンサルタント料支払いという体裁で、お金を差し上げるようになったが、池田代議士に対しては、それまで昭和五九年夏及び同六〇年夏に、それぞれ国会での質問を引き受けていただいたお礼として、小切手でお金を差し上げており、昭和六〇年一二月ころに池田代議士側から、小野敏廣を通じて、盆、暮れ、資金援助をして欲しい旨の申し出があり、小野からその話を聞いて、私は、池田代議士にはこれまで国会質問などでお世話になっていることでもあり、そのお礼の意味もあって、これを承諾した。

昭和六一年五月にそれまでの二〇〇万円から一〇〇万円増額して三〇〇万円にした理由は、そのころ小野から、「池田先生の方から選挙を控えていることもあって、出来れば支払いを早くして欲しい、また、出来れば増額して欲しいとの要望があります。」などと聞かされ、これを承諾した。

二 小野、江副の各公判供述の概要

1 小野の公判供述の概要

小野は、公判(一二二、一二四回)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和六〇年の一〇月か一一月ころ、リクルート一階のティーラウンジで、池田謙の方から、公明党は自民党のように政治団体で寄付を受けることができないという縛りがあって政治献金で資金援助を受けるのが不自由だとの話があり、それだったら、なんか謙さんの方に会社はないかという話をして、清雅というビル管理会社があるという話を聞いた。リクルートにも同じような業態の会社があるのでそこと契約をすればいいというのが自分のアイデアだった。そこで、清雅とリクルートの関連会社のコスモスライフとの間で実体のない架空のコンサルタント契約を結んで委託契約金を支払う形をとった。これは池田克也先生の政治活動に資するためのものであり、謙さん側に渡れば結果そうなるだろうと思った。

清雅については、謙さんが実質経営している会社であると聞いている。オーナーについては、契約を取り交わす際に、会社の代表者が被告人の奥さんであると聞いている。

昭和六〇年の八月ころ、謙さんからビルの屋上に情報誌の看板を出してもらえないかという話があり、それを安請負いしてしまったのが、宣伝部の方から断られてしまい、謙さんに迷惑をかけた経緯があったので、それまで一〇〇万円ずつであったのをすこしアップして二〇〇万円とした。

この契約については、間宮に話をして、その場で特に異論なく承諾を得たが、江副には話をしていない。間宮が江副に話したかどうかは知らない。江副に話をしなかったのは、広告塔の件もあったし、自分がうかつに外の人と簡単に約束してしまい、ある意味で失態に近いものであったから言いづらかったことと公私混同の部分も何となく感じていたからである。

最初契約書を作成した段階では、とりあえず半年という形になったのが、その後の契約書でもそのままの形になったのであり、特に意味はない。間宮には、毎回報告をし、了承してもらっていると思う。昭和六一年に三〇〇万円に増額になっているのは、四月下旬か五月に、謙さんの方から選挙がある年で入り用だという話があってしたものだと思う。間宮には、選挙で入り用だという話が謙さんからあったので、二〇〇万だったのを、一〇〇万アップするということでどうでしょうかねという話をし、特段異論なく了承してもらった。その話を間宮が江副にしているかどうかは分からない。間宮には、こういったことを江副の了承なしにできる権限があると思う。

捜査段階では、山本検事から、間宮はいいんだ、単なる伝達機関にすぎないから、江副とおまえの話でいいということを繰り返し脅され、そうしないと一生拘置所だぞ、逮捕のネタはいくらでもあると脅され、保釈はきかないなどということを繰り返し言われ、供述を押しつけられた。増額について江副に報告して了承を得たという捜査段階の供述も、同様である。

2 江副の公判供述の概要

江副は、公判(一〇三、一〇四、一〇七、一一〇回)において、おおよそ次のとおり供述している。

コスモスライフから清雅へ振込送金されていたことは全く知らなかった。間宮、小野の間で行われたことであると思う。私の指示了解がなくともできることであるが、契約が架空のものであれば、税法上の違法行為であるということで問題にされることであるし、社内においても関連会社室等で問題となる事項であり、自分が相談を受けていれば拒否する事柄である。また、政治家への資金援助としてそのようなことをするのであれば、コスモスライフという会社を選ぶことはない。コスモスライフはリクルートコスモスの造ったマンションの管理をしている会社であるから、実態からするとリクルートの孫会社であり、そのような話はリクルートコスモスの社長池田友之経由の話であるはずだし、収益のない、利幅の薄い会社であるからである。

捜査段階では、検察官に対して、清雅とコスモスライフの間で契約が行われた事実はあったと思う旨述べたが、それに自分が関与したということは供述していない。私が、小野が間宮に了解を取ればできる話だと言うと、検事が、それならば間宮を逮捕する、あなたでなくても間宮でもいいんだよ、間宮を逮捕するとまた会社はおかしくなるんじゃないの、と繰り返し言われ、無理な調書を取るのはこれで最後にすると言われ、事実に反する調書に署名した。

三 小野の供述の信用性

1 清雅、コスモスライフ間でコンサルタント契約を締結した経緯に関する供述

小野は、捜査段階、公判を通じ一貫して、清雅とコスモスライフ間のコンサルタント契約が被告人に対する資金援助を目的とする架空のものであることを認めた上、昭和六〇年一二月に、池田謙から、公明党は企業からの献金を受け取ることができないので、それまでのように直接受け取る方法とは違った方法にしたい旨申し入れを受け、池田謙と相談してコスモスライフと清雅との間の架空のコンサルタント契約を考えつき、契約書を取り交わしてコンサルタント料名目で清雅口座に二〇〇万円を振込送金したこと、昭和六一年五月に、被告人の選挙が近いから増額して欲しいことと早めに供与して欲しいことを池田謙から頼まれ、その申出のとおり金額を三〇〇万円とし、早めに清雅口座に振込送金したことなど自己に不利な内容の供述をしている上、その供述内容は、池田謙からの申し入れの言葉など具体的、詳細で迫真性があること、公明党が一般的に企業からの献金を受け取ることを禁止しており、昭和五九年夏にリクルートから被告人に供与された小切手の領収書について、被告人側ではその発行をするのに手間取った経緯があったこと、昭和六一年七月には総選挙があり、小野が池田謙から申し入れを聞いたのは、その前ころであったこと、昭和六一年五月に締結した架空契約の契約期間は昭和六一年六月一日から一一月三〇日であるところ、清雅への振込送金は五月三一日にされていて、他の時期の契約に比べて早い段階で送金手続がとられていることなどの客観的事情に合致していて、その話自体自然なものである。

また、小野の右公判供述は、本件架空契約等を全く知らなかったとする被告人の面前でのものであること、自分への先行投資として供与されたもので被告人の政治活動とは何ら関係がない旨の池田謙の公判供述の後にされたものであることなども考え併せると、高度の信用性が認められるというべきである。

2 江副の関与の有無に関する供述

小野は、公判において、池田謙との間でまとまった話について、間宮には相談をしたが江副には一切報告もしていない旨捜査段階とは異なる供述をするに至っている。しかし、本件架空契約について江副の了承を得た旨の捜査段階における供述、被告人に対する資金援助の増額については、被告人側の要望が発端となって江副が決定したことであり、事務方の自分が勝手に池田謙と相談して決めたということは一切なく、自分にそのような権限もなかったとする捜査段階における供述は、いずれも、当時社長室長であり、小野の上司であった間宮が、捜査段階において、小野が昭和六〇年一二月上旬にコンサルタント料の形で被告人に資金援助をする相談を持ち込んで来たようだったが、いずれにしても江副社長が判断する問題なので、江副社長に相談するように言った旨供述し〔甲書一六〇)、公判においても、清雅に対する二〇〇万円や三〇〇万円という多額な金額の送金は、江副の了解なしではおそらくできなかったと思う旨供述していること(八九回・間宮一三三項)、政治献金は、社長である江副の直接の事項であり、社長室が実行していた旨の大沢の公判供述(四五回・大沢一五七~一六六項)、リクルートにおける当時の小野の役職、立場などに照らすと合理的であって信用できる内容である。

これに対して、間宮には了承は得たが、間宮が江副に了承を得たのかどうかはわからない旨の公判供述(一二二回・小野四一〇、四一一項)は、それ自体あいまいであるし、政治家に対する数百万円もの資金援助に関して、社長室長には知らせたが、社長には知らせていないという不自然な内容であり、また、小野は、一方で、そもそも権限自体に何かルールがあるわけではないが、上司である間宮の耳には入れないといけないと思った旨供述し、自分に政治家に対する資金供与に関して事実上の権限があるかのような供述をしながら(一二二回・小野四六三項)、他方では、江副に直接話をしなかった理由を聞かれて、「広告塔の件もあり、私がうかつに外の方との約束を簡単にしてしまって、ある意味では失態に近いものでしたから、私としてはちょっと言いづらいなという思いはあった」「いってみれば公私混同の部分も何となく感じていたことも含めて、私の中では間宮に報告しておけばいいなという思いがあった」旨供述し、本来江副に諮るべき事柄を意図的に江副に知らせなかったかのような供述もしているのであって(一二四回・小野六一、六二項)、一貫性、明確性を欠いていて到底信用することはできない。

四 江副の供述の信用性

江副の、小野からの申出に応じて、清雅に架空のコンサルタント料を支払うことにより被告人に資金援助をすることを承諾し、そして、その後その資金援助を増額することを承諾した旨の捜査段階における供述は、<1>小野のこの点に関する捜査段階における供述とよく符合していること、<2>大沢は、公判において、政治献金は、社長である江副の直接の事項であり、社長室が実行していた旨供述していること(四五回・大沢一五七~一六六項)、<3>間宮は、捜査段階において、小野が昭和六〇年一二月上旬にコンサルタント料の形で被告人に資金援助をする相談を持ち込んで来たようだったが、いずれにしても江副社長が判断する問題なので、江副社長に相談するように言い、あまり身を入れて聞かなかった旨供述し(甲書一六〇)、公判においても、清雅に対する二〇〇万や三〇〇万円という多額な金額の送金は、江副の了解なしではおそらくできなかったと思う旨供述していること(八九回・間宮一三三項)、<4>庄地検事作成の調書の原稿(甲物一二五)の記載によると、江副は、清雅への送金に対する関与を認めた内容を含む平成元年五月二一日付け検察官調書(乙書三一)を作成した際に、被告人側から小野を通じて資金援助の申出があったこと、この申出を承諾した理由、その後被告人側から増額等の要望があったことなどの部分について、自らその調書原稿に手を加え、訂正をしているが、それらは、調書の表現を若干変更する程度のものにすぎず、内容を大きく訂正しようとした形跡は一切うかがえないことなどに照らし信用性が高い。

また、当該契約について、自分が相談を受けていれば反対したし、政治家への資金援助をするならコスモスライフを選ばなかった旨の江副の公判供述は、コスモスライフが、政治家に対し、その秘書や家族を架空職員として給与名目の支払いをするいわゆる非常勤S職という形態の資金供与をしていたこと(甲書九二五)、江副自身、公判において、非常勤S職については、自分が全て指示了解していたと供述していること、伊藤が、公判において、当該契約はリクルートの社長室からあった話で、特に何も考えることなく締結をしたのであり、コスモスライフの代表印は企業関連室が管理していたと供述していることなどに照らし到底信用できない。

五 池田謙の公判供述の信用性

1 池田謙の公判供述の概要

池田謙は、公判(九五、九七、一〇三回)において、清雅とコスモスライフ間のコンサルタント契約に関して、おおよそ次のとおり供述している。

昭和五九年から知り合いになった小野に、清雅の資金繰りに苦労している話をしたり、清雅ビルの広告塔の値段が高いと借主から言われていて、他にスポンサーはないものか困っており、リクルートで広告を出してくれないかという相談をしたりしていた。

昭和六〇年夏ころ、小野から、リクルートでは広告を出すことは受けられないという返事をもらったが、その後、一一月ころ、小野から、困っているのならば、架空契約を結んで金員を払う形はどうかと話を持ちかけてきた。自分は、政治をやりたいという気持ちを持っており、小野とは、そういう自分の気持ちや政治には金がかかるという話もしていたので、小野からの申出は自分に対する先行投資ではないかと思った。自分は、公明党の労働局に勤めていて労働組合に対して顔が利くし、聖教新聞に勤めていたこともあり、創価学会に多くの知り合いがあり、兄が国会議員であることなどからすると、小野からみて利用価値があったのだと思う。小野から、リクルートが販売していた電話の回線を公明党本部で買ってくれないだろうかという依頼を受けたことがあり、間宮と小野を聖教新聞へ紹介したことがある。また、当時の全民労協の幹部を小野に紹介したことがあるし、小野に創価学会の会館建設用地を探してもらったこともある。

清雅へのお金は、小野が提供してくれたものであり、リクルート社内の事情は知らないが、小野はそれくらいの裁量のある人物だろうと思っており、小野がリクルートの上司に相談しているとは思わなかった。この振込送金は、被告人には一切話をしていない。

昭和六一年五月、振込送金が三〇〇万円に増額されているが、その理由は記憶になく、そのころ小野に、その年の七月にあった衆参同時選挙のことを言った記憶もない。選挙のことでいろいろお願いにはまわっていたが、清雅のことと選挙のことは切り離して考えていたので、小野に清雅の増額の話はしていないと思う。

2 右公判供述の信用性の検討

池田謙の右公判供述は、清雅とコスモスライフとの間で架空のコンサルタント契約を締結する話を小野の方から持ちかけられたというものであるが、どうして小野の方からそのような多額の資金援助を持ちかけられることになったのかその経緯に具体性がなく、あいまいである上、小野が、捜査段階、公判を通じて、資金援助を小切手ではない形でして欲しいと池田謙から申出があったと一貫して供述しているのと全く食い違っている。また、自分は政治家を志しており、この資金援助は、自分への先行投資であったと思う旨の公判供述は、<1>池田謙と共に被告人の秘書として活動していた上地、被告人を中心とした勉強会である政経懇話会の世話人であった和田、清雅ビルを賃借していた東京代々木教育研究所の経営者である佐藤などいずれも池田謙と接触する機会のあった人間が、池田謙が政治家を志していたという話は聞いたことがないと供述していること(甲書八四二・上地、一一四回・和田、九六回・佐藤)、<2>契約書を取り交わした相手である小野も、公判において、池田謙が政治家を志しているという話は聞いたことがない旨明言していること(一二二回・小野二〇七~二一一項)などからすると、到底信用することはできない。

六 結論

以上によれば、昭和六〇年一二月、昭和六一年五月にコスモスライフから清雅に対してされた振込送金による各金員の供与は、

1 昭和六〇年一二月の二〇〇万円の供与については、池田謙が、リクルートにおいて、小野に対して、公明党では企業からの献金が禁止されていることを説明し、リクルートからの資金援助を受け取る方法について、それ以前の小切手による供与から、清雅の銀行口座に振込送金する形がとれないかと申し入れ、両名の間で、リクルートの関連会社であるコスモスライフと清雅との間で、架空のコンサルタント契約を締結して、そのコンサルタント料名目で金員を供与する方法を考え、これについて小野が江副の了承を得た上、小野と池田謙との間で、その旨の契約書を取り交わした後、小野が、コスモスライフの伊藤らに指示して、清雅口座に二〇〇万円の振込送金をしたものであり、

2 昭和六一年五月の三〇〇万円の供与については、池田謙が、小野に対して、被告人は、総選挙を控え、何かと入り用であるから、金員供与の時期を早めるとともに、できれば増額して欲しいと申し入れ、これについて小野が江副の了承を得た上、前記1と同様の方法により清雅口座に三〇〇万円を振込送金したもの

と認められる。

第四  コスモスライフから清雅への振込送金に関する被告人の認識の有無

一 被告人の政治活動資金の管理状況等

1 昭和五九年以降の被告人の後援会事務所の状況

(一) 宮沢の公判供述

昭和五八年一二月から、被告人の公設第一秘書となった宮沢は、公判(六〇、六一回)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和五九年七月ころから約一年間くらい、被告人の後援会であるダイヤモンド会の会計を担当していた。当時後援会は金銭的にかなり厳しい状況にあり、やりくりにかなり窮屈な思いをした。当座の支出については自分が立替えをしたこともある。被告人には、必要な支払いがどのくらいあるかという簡単な一覧表を作って毎月渡して報告していた。

計算をして不足がある場合には被告人にそのことを報告していた。被告人からは基本的には、会員を拡張しろとか種々の催し物をしろと指示されたが、不足の場合には、被告人が立替えをしたり、池田謙を呼んで何らかの指示をしていることもあった。後になって、池田謙から支払いを済ませた旨の返事があったこともある。その際の会計処理については、池田謙から被告人の立替えとしておいて欲しいと言われてそのようにしていた。被告人が、具体的に政経懇話会の口座から少し援助しておけというような指示を池田謙にしたこともある。私自身が、池田謙に対して、資金繰りを頼んだことはない。

被告人を中心とした勉強会である政経懇話会や地元の支援者の後援会であるにんじん会があったが、これらは、池田謙が運営をしており、私も手伝うことはあったものの、被告人の後援会に入ってくる表向きのお金はダイヤモンド会だけであったので、政経懇話会、にんじん会等の資金の管理等については全く関与していない。

政経懇話会の活動には、被告人の政治活動資金を捻出するという目的もあったと思うが、その預金口座がどこにあるのかも知らなかったし、被告人に、他の後援会のお金を回して欲しいということを匂わしたことはあったが、被告人は、あちらは謙に任せているのだからあっちはあっちでやらせろと言っていた。

私が被告人の秘書になるに当たり、創価学会の幹部から、池田謙は党の職員であり、後援会活動にはタッチさせないと言われていたが、池田謙は、当初から、政経懇話会やにんじん会といった被告人の後援会の運営をやっており、最後には、ダイヤモント会の事務局の仕事も積極的にするようになっていた。私は、被告人の活動に関して表向きの仕事をしていたが、池田謙は、被告人の個人的な金庫番のような感じで活動をしていたように思う。

公明党は、企業から献金を受け取らないというのが大前提であり、そのようなものはないと認識していたが、時を経るにつれて、若干そういう金が入って来ているのだなということは感じていた。そのように感じた理由の一つとして、秘書になって早々ダイエーの幹部が亡くなった時に、被告人の指示で葬式の手伝いに行ったことがあるが、その人に関しては、その際被告人から、浪人中から物心ともにお世話になっている方だと聞いたことが挙げられる。しかし、私が、被告人に対するダイエーからの資金援助に関与したことはなく、それが入金されていた吉田弘敏普通預金口座の存在も知らなかった。

被告人の活動に関係して、秘書も付き合いの相手が振り分けられて担当が決まっており、私はリクルートの担当となっていたが、昭和五九年夏の終わりころ、被告人、秘書、池田謙が出席していたミーティングの際に、被告人からリクルートについては、今後謙のマターとすると言われ、それ以後私はリクルートとの付き合いはない。

昭和六一年に秘書をやめるまでに、私が事務所の経費等を立て替えていたのが一五〇万円くらいになっており、それは秘書をやめる際に被告人から返済してもらっている。

(二) 上地の捜査段階における供述

昭和五八年一二月から被告人の公設第二秘書となった上地は、検察官調書(甲書八四一、八四二)において、おおよそ次のとおり供述している。

被告人の秘書としての活動にかかる費用は、被告人の後援会であるダイヤモンド会で出してもらっており、事務用品の購入やガソリン代、慶弔費などすべてダイヤモンド会に請求し、支出してもらっていた。後援会の経理は池田謙が統括していたが、池田謙の生意気な態度が許せなかったので、活動費のことで池田謙に直接請求したり、相談したことはなく、活動費の出費に関する相談は直接被告人にしていた。被告人は、出してくれる場合には、「それじゃあ、謙に言え。」と言うので、池田謙に会って「代議士の了解を得ておりますが、出してもらえませんか。」と言うと、池田謙が支出してくれ、被告人が了解しているのに池田謙が支出してくれないということはなかった。

池田謙から「給料も安いし、清雅から活動費を出してやるから。」と言われ、昭和六一年初めころから数か月間、清雅から、三万円か五万円のお金をもらっていた。当時の給料は、手取りで二三万円くらいだったが、例えば地元回りをするにしても自分の自動車を使い、修理代も車検代も出してもらえないような有り様で、私は年中金に困っており、そのことは被告人や謙はよく知っていた。

池田謙は、党職員であり、本来私の上に立つような立場にはなかったが、被告人の弟である上、後援会事務所を切り盛りしていたので、いつも私たち秘書の上司であるような振る舞いをしていた。

(三) 被告人の公判供述

被告人は、公判(一四四、一四五、一四六回)において、おおよそ次のとおり供述している。

ダイヤモンド会は、落選中の昭和五五年暮れに、自前の手広い後援会を作ろうということから、選挙区の人達が会員になって発会した後援会であり、ダイエーからの月々の資金援助を得て、中目黒に事務所を置いていた。

政経懇話会は、自分の後援団体としては最初のものであり、大企業の方々を集めて勉強をする会である。謙が提案して始めた会で、自分は乗る気がなかったが、了解した。具体的な運営、資金管理は謙が担当し、三か月に一回くらいの割合で昼食会を開き、その際に講師を呼んで講演をしてもらう形式の会であった。一人あたり三万円の会費をもらっており、一回の会合につき七〇万円から八〇万円くらいの余剰が出ると認識していた。それらの金は、ダイヤモンド会の事務所の経費に使われていると思っていた。

昭和五八年一二月の選挙に当選した直後、公設第一秘書は謙で問題はないと思っていたところ、公明党の副委員長から直接に謙は秘書として好ましくない旨言われたため、それに従って謙を秘書からはずすことになった。自分自身も謙の行動を見ていて、秘書には向いていないと思っていた。そのため、謙は党の職員となったが、国会の通行証を持つことにこだわったので、私設秘書としての届出をした。しかし、秘書としての報酬は払っていない。また、政経懇話会の運営は、謙が続けたいとこだわったので、そのまま任せることにし、ダイヤモンド会は、新しく秘書になった宮沢の担当とした。昭和六〇年に入ってから、宮沢がいつまでもダイヤモンド会の帳簿を整理しなかったり、家賃を滞納して謙が立替払をするなどの経緯があって、ダイヤモンド会の経理も謙がするようになった。ダイヤモンド会の資金繰りが苦しいということは、毎月月末になると宮沢から聞いており、自分で援助したこともあった。宮沢からダイヤモンド会の収支について報告を受けたことはない。資金不足があった場合、謙と打合せをしたこともあったかもしれないが、大体はそのようにせずに処理した記憶である。謙がダイヤモンド会の経理を担当するようになってからは、それ以前よりも資金不足はなくなったと思う。

私が、宮沢に、リクルートについては謙マターとするとはっきり言ったかどうかはわからないが、政経懇話会の案内を謙がやっていたので、リクルートへの政経懇話会の案内は謙からするようにしようと言ったことはある。それ以外の宮沢とリクルートとのつながりを制約した覚えはない。

(四) 宮沢、上地、被告人の前記各供述からすると、昭和五九年以降の被告人の後援会事務所の状況に関して、以下の各事情が認められる。

(1) 昭和五九年以降、公設秘書となった宮沢、上地はともに、昭和五八年一二月に被告人が総選挙に当選して以降秘書になっており、当初、被告人の後援会であるダイヤモンド会の運営、管理は、第一秘書である宮沢に任せられていた。宮沢は、その他の被告人の後援会の資金管理については一切関知していなかった。

(2) 池田謙は、昭和五五年に被告人が総選挙に落選するまでは被告人の公設秘書であり、昭和五八年に被告人が再度当選した際に、党の指示により被告人の公設秘書の立場から外されることになったが、それ以前から運営を担当していた政経懇話会などの被告人の複数の後援会の運営はそのまま継続して担当していた。そして、昭和六〇年に入ると、当初宮沢が担当していたダイヤモンド会の資金管理等も事実上担当するようになった。

(3) 昭和五九年当時のダイヤモンド会の資金状態は、苦しいものであり、秘書らは、自分の自動車を秘書としての活動に使用したり、資金不足の折りには自ら立替払をするなどしていたが、資金や事務所経費が不足した場合、直接被告人に申し出るのを常としており、それに対して、被告人は、池田謙に連絡をとり、具体的に指示をするなどして池田謙に資金不足の対応をさせていたことがうかがえる。

2 公明党が企業献金の受入れを禁止していること

甲書二二七、被告人の公判供述等によると、公明党は、昭和四四年に発刊された「大衆福祉をめざして」と題する党機関誌の中で、「政治資金規制の方法としては、いままで幾度となく論議されているように、政治資金の寄付は個人に限るのが、ほんらいの姿である。」と明記するなど企業からの献金を一般的に禁止しており、所属議員は、政治団体の収支報告を、選挙管理委員会等に提出するのに先立ち、党へ提出し、企業献金受入れ禁止に触れるところがないか審査を受けていた。

3 被告人に対する主な企業からの資金援助の状況

(一) 吉田弘敏普通預金口座(甲書七六五、七七四)に入金された小切手等

(1) 「オカモトヒロシ」名による、昭和五五年一二月二七日二〇〇万円及び昭和五六年三月一六日二〇万円の各入金

当該各振込入金は、その振込がされた銀行が、ダイエーのあったビルの銀行であること、支払依頼書の一枚に記載された電話番号がダイエー本社の番号の一つであること(甲書七四五・村上)、ダイエーからの被告人に対する資金援助は昭和五六年二月から開始されていること(甲書七一二・村上)、池田謙は、公判において、吉田弘敏普通預金口座は、ダイエーから被告人の後援会事務所の開設資金として二〇〇万円をもらうことになったために、その受入口座として開設した口座であると供述していること(九五回・池田謙)、それに符合して口座開設の数日後に、「オカモトヒロシ」名で二〇〇万円が入金されていること、被告人は落選中の昭和五五年の一二月にダイヤモンド会を作り、中目黒にその事務所を開いていたことなどからすると、ダイエーから被告人に対する資金援助と認められる。

(2) ダイエーからの毎月の資金援助

昭和五六年三月三一日以降、毎月「ダイエー」から二〇万円ずつが振込入金されているところ、これらの入金は、その当時ダイエーの専務取締役であった牧原が発意し、被告人の後援会事務所の賃料として提供された被告人への資金援助である(甲書七一二・村上、一四四回・被告人、九五回・池田謙三二九、三三〇項)。

(3) 昭和五八年三月四日入金された株式会社パティネ商会代表取締役大橋振出し、額面一〇〇万円の小切手

この小切手は、同社代表取締役大橋が、昭和五八年春ころ、池田謙から「実は、今度の選挙でなんとしても返り咲きたいのですが、どうにも危ないので困っております。何かと金もかかりますので、なんとかご援助いただけませんか。」などと言われ、被告人の選挙資金の援助として池田謙に手渡したものであり、その際、大橋が被告人側から交付された領収証は、名目を「企画料」、発行名義人を「有限会社東京文化通信社」とした額面一〇〇万円の領収証であった(甲書七三六・大橋)。

(4) 昭和六一年六月一〇日に入金された日本洋書販売配給株式会社代表取締役渡辺振出し、額面一〇〇万円の小切手

この小切手は、同社代表取締役渡辺が、池田謙から「兄貴の選挙が苦しいので頼みます。」と言われて、被告人の選挙資金として供与したものであった(甲書七六六・渡辺)。

(二) 池田謙普通預金口座に入金された小切手等

(1) 昭和五九年一月三一日、同年二月二九日入金された振出日をともに昭和五八年九月一六日とする日本ペット産業株式会社代表取締役永井振出し、額面一〇〇万円の各約束手形

これらの約束手形は、同社代表取締役永井が、昭和五八年九月ころ、「資金援助をして欲しい。」との依頼の下に、資金繰りが苦しいので手形でなら応じられるとして、被告人に対する資金援助として供与したものであった(甲書七六七・永井)。

(2) 昭和五九年一二月一〇日に入金された株式会社パティネ商会代表取締役大橋振出し、額面一〇〇万円の小切手

この小切手は、同社代表取締役大橋が、昭和五九年暮れころ、池田謙から「選挙やら何やらで活動資金が足りなくて困っております。なんとかご支援いただけないでしょうか。」と頼まれたことから、被告人への資金援助として池田謙に手渡したものであった(甲書七三七・大橋)。

(3) 昭和六〇年六月二六日に入金されたリクルート代表取締役江副振出し、額面一〇〇万円の小切手

この小切手は、先に認定したとおり、江副らからの国会質問の請託の報酬として、議員会館において、被告人が直接辰巳らから受け取ったものであり、リクルートが被告人側から受け取った領収証は、金額三〇万円の政経懇話会の領収証三枚と金額一〇万円の清雅会の領収証一枚であった。

(三) その他の資金援助

(1) 先に認定したとおり、昭和五九年八月、リクルートは被告人に対して一〇〇万円の小切手を供与しているところ、右小切手は被告人の個人口座である池田克哉普通預金口座に入金されており、その際、リクルートが被告人側から受け取った領収証は、三三枚の政経懇話会の領収証であった。

(2) 学校法人佐野学園の事務長であった佐野は、昭和六一年七月の衆議院議員選挙が近づいたころ、池田謙からうかがいたい旨の電話があり、被告人が選挙などでお金が必要になり援助をしてもらいたいということで被告人の秘書の立場で池田謙が私に会いに来るのだなと考え、現金一〇〇万円を用意して待ち、訪ねて来た池田謙に「お兄さん、大変でしょうから、これをお遣いください。」と言って、被告人への資金援助として一〇〇万円を渡した(甲書八四七・佐野)。

(四) 右資金援助に関する被告人の言動等

(1) 被告人に対して小切手により資金援助をしたパティネ商会の大橋は、昭和五六年九月から昭和六一年四月までの間、被告人を中心とした勉強会である政経懇話会に出席している上、昭和六〇年六月には被告人の後援会であるダイヤモンド会に入会するなどしており、被告人に対して小切手で資金援助した際には、政経懇話会などの席で、被告人から「ご支援有り難うございました。」などとお礼を述べられている(甲書七三七・大橋)。

(2) 日本洋書販売配給株式会社の渡辺は、昭和五七年ころから被告人の後援会であるダイヤモンド会に入会し、政経懇話会にも出席するなどしており(甲書七三八・渡辺)、昭和六一年に一〇〇万円の小切手で資金援助をした折りには、被告人から何かの席で、「この間はどうも有り難うございました。」とお礼を言われたように思うと供述している(甲書七六六・渡辺)。

4 企業からの資金援助、その入金先口座に対する被告人の認識

(一) 被告人は、これら各企業からの資金援助やその入金先の銀行口座について、公判において、<1>ダイエーからの月々二〇万円の資金援助は、自分が牧原から話を受けて知っているが、昭和五五年一二月の二〇〇万円については知らないし、月々の援助がどの口座に入金されているのかということも池田謙に任せていたので知らず、ダイヤモンド会に入金されていると思っており、その援助資金が入金されていた吉田弘敏普通預金口座については、その存在も知らない(一四四回・被告人七五〇~七五六項、一四五回・被告人七八八~八二九項)、<2>パティネ商会の大橋に、ダイヤモンド会、政経懇話会に入ってもらったことは知っているが、大橋から資金援助を受けたことは知らないし、池田謙からその旨報告を受けたこともない(一四六回・被告人一六八~一九三項)、<3>日本洋書販売配給株式会社の渡辺から資金援助を受けたかもしれないが、はっきりとは知らないし、池田謙から報告を受けた覚えもない(一四六回・被告人一九四~二〇四項)、<4>日本ペット産業株式会社の永井から資金援助を受けたことも知らない(一四六回・被告人二二八~二三八項)旨供述する。

(二) しかし、

(1) 小切手等を池田謙に手渡した企業の役員らは、ダイヤモンド会や政経懇話会など被告人の後援会の一員であって、資金援助は被告人に対するものであることを明確に供述していることから、それらの資金援助が被告人に対するものであることは明らかである上、その中の数名が被告人から直接お礼を言われたとも供述していること、

(2) 昭和五九年、同六〇年にリクルートから供与された小切手は、被告人が直接辰巳らから受け取ったものであり、昭和六〇年に供与された小切手は、その日のうちに池田謙普通預金口座に入金されていること、

(3) 被告人の秘書であった宮沢は、公判において、企業からの献金を被告人が受け取っているのではないかと感じていた旨供述し、池田謙も、公判において、企業から受け取った献金の一部については、被告人に報告した旨供述していること、

(4) 吉田弘敏普通預金口座は、昭和五五年当時、ダイヤモンド会に勤務していた橋本明美に池田謙が指示して昭和五五年一二月二三日に開設させた口座で、その名義は、橋本の旧姓を用い、橋本の実家の住所と電話番号を使った仮名の口座であり(甲書七一六・橋本)、その開設の時期、経緯、仮名を用いていることに前記認定の同口座へのダイエーからの入金状況を併せ考慮すると、同口座は、当初からダイエーから被告人に対する資金援助を受け入れることを目的として開設された口座であることがうかがえる。その事実と、前記認定の同口座の入金状況、同口座には、原田自動車株式会社の原田豪夫が、昭和五八年八月ころ、被告人の後援会であるダイヤモンド会に入会して欲しい旨被告人に頼まれ、それ以降振込した毎月三万円の会費が入金されていること等を総合すれば、同口座が被告人の政治活動資金を管理するための口座であることは明らかであること、

(5) 池田謙普通預金口座は、吉田弘敏普通貯金口座と同じ時期に、池田謙が、ダイヤモンド会に勤務していた橋本明美に指示して開設させた口座であり(甲書七七一・橋本)、前記認定の入金状況からすれば企業の被告人に対する資金援助の受入口座の一つとして利用されていたことは明らかであること、

(6) 昭和五九年以降のダイヤモンド会の資金繰りは厳しいものであり、被告人の秘書の宮沢は事務所経費を自分で立て替えるなどしており、その窮状を秘書らは被告人に直接訴えていたというのであるから、被告人は後援会事務所の資金状況を十分認識していたはずであること、

(7) 公明党は、一般的に企業からの献金を受け取ることを禁止しており、被告人もそのことは十分認識していたところ、先にみた被告人に対する企業からの資金援助はいずれも百万円単位の多額なものであるから、被告人にとっては、その受入れ、管理に十分注意を払う必要のある性質の資金であること、

(8) 被告人に対するダイエーからの月々二〇万円ずつの資金援助は、被告人本人が直接ダイエーの牧原から申出を受けて開始されている上、被告人自身、この資金援助が公明党の企業献金受入れ禁止の方針に反するものであると認識していたのであるから(一四四回・被告人七五〇~七五六項、一四六回・被告人七一~八一、一一五、一一六項)、それがどの銀行口座に入金されていたのかを、被告人は、当然知っていてしかるべきこと、

(9) 池田謙は、捜査段階、公判を通じて、政経懇話会の会費を吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座に入金したことがある旨供述し(甲書八三六、八三七、九七回・池田謙六四一~六四五項)、これに符合して、右各口座には、政経懇話会が開催された日に多額の入金がされているところ(甲書二二九、二四一、七六五、八四〇、八六六)、政経懇話会は、被告人の政治活動資金を捻出することを目的とした勉強会であり、被告人自身、公判において、政経懇話会の収支に関し、ある程度の認識を持っていた旨供述していること(一四四回・被告人七〇八~七三一項)、

(10) 被告人の秘書であった宮沢は、公判において、昭和五九年の前半、被告人の後援会事務所で、被告人が池田謙に通帳を返せなどと怒鳴り、それに対して池田謙が持っていたバッグの中から通帳類を取り出し、叩きつけて出て行ったところを見たことがある旨供述しており(六一回・宮沢五五三、五七〇~五七四項)、このことから、被告人は、昭和五九年当時に池田謙が管理していた銀行口座を把握していたことがうかがえること

などの各事情からすると、被告人は、先に認定した各企業から被告人に対する資金援助の事実、それらを入金した吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座の存在を認識していたと十分推認できるというべきであって、それらを全く知らなかった旨の被告人の公判供述は到底信用できない。

二 被告人の政治活動資金管理に関する被告人と池田謙の関係

以上検討してきたところによれば、以下の各事情が認められる。

1 被告人は、昭和五八年一二月に再度衆議院議員に当選した際、公明党から、それまで被告人の公設秘書として活動していた池田謙をその地位から外すように指示され、そのような経緯もあって昭和五九年以降は宮沢が被告人の公設第一秘書となったにもかかわらず、その活動収益の一部を自分の政治活動資金の一部としていた政経懇話会や他の被告人の後援会の運営、管理をそれまでどおり一切池田謙に任せていた上、昭和六〇年に入ってからは、被告人の後援会であるダイヤモンド会の事務も池田謙に任せるようになっていた。

2 池田謙は、政経懇話会を運営し、その資金を管理するとともに、被告人の後援会であるダイヤモンド会の会員を増やすべく積極的に行動していたことがうかがえる上、両会の参加者である企業の役員には、折々に、被告人への資金援助を依頼し、小切手などを受け取っていたことが認められる。

3 企業から被告人に対する資金援助として供与され小切手等を入金していた吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座は、池田謙の管理の下にあり、宮沢らの秘書はその存在すら知らされていなかった。

4 昭和五九年当時のダイヤモンド会の資金状態は、資金が不足することも多々あったが、その際には、被告人が池田謙に指示をして資金を用意させ、ダイヤモンド会の経理上は被告人の貸付金として処理するなどしていた。

以上によれば、池田謙が、被告人の私設秘書的な立場で、被告人の政治活動資金の大部分を管理し、被告人の指示を受けながらその支出を行っていたことがうかがえる。

三 清雅口座の性格

1 清雅口座の入出金状況

(一) 清雅口座には被告人の個人的な資金が入金されている事実

木本の公判供述(一一四回)、甲書七七二、七七五~七七七、七九八によると、清雅口座には昭和五九年一二月二〇日、昭和六〇年三月一九日にそれぞれ各五〇〇万円ずつが入金されているところ、それら計一、〇〇〇万円の入金は、以下の経緯によるものと認められる。

昭和五九年一一月ころ、建築制作工房の木本は、アサカホームから売買の仲介を頼まれていたアサカホーム所有の二子玉川の土地に関して、被告人から、被告人がその土地を購入し、その土地上に貸しビルを建てて活用を図ってみたいが、そのことにつき、トミタビルディングの富田に相談したいので、富田を紹介して欲しい旨頼まれて両名を引き合わせた。被告人は、富田からアドバイスを受けた際、自分が建てない場合はあなたが建てたらどうかという趣旨のことを富田に話した。その後、富田は、木本の勧めもあって前記の土地を購入することを決意したが、木本に対して、被告人がその土地を購入する意向はないのかどうかを確認してもらいたい旨依頼し、被告人の意思を確認した上で、前記の土地を購入した。こうしてアサカホームと富田との間で土地売買契約が締結されたが、その契約の際、被告人が立会人として同席し、契約書に署名した。

木本は、右契約成立に当たり、それまでの経緯から、土地の仲介手数料のうちの一部は被告人にお礼として支払う必要があると考え、富田らと相談し、仲介手数料を二、〇〇〇万円とし、そのうち一、〇〇〇万円を被告人に支払うことを決めた。木本がその旨被告人に伝えると、被告人は、右金銭を受け取るに当たり、「相談料」との名目で受け取りたい旨を木本に伝え、建築制作工房から清雅が相談料として五〇〇万円を受け取る旨の覚書と題する書面二通を作成し、金銭を受け取り、清雅を名義人とする領収証を発行した。

なお、右各五〇〇万円は、清雅の出納帳(甲物一一〇)にも、「相談料」として記載されている。

(二) 清雅口座の出金状況

関係各証拠によれば、清雅口座からは、以下のとおり被告人の政治活動等に関連した費用が出金されていることが明らかである。

(1) 被告人の後援会事務所で使用されていたワープロは、昭和六〇年四月一六日に清雅口座から出金された約八〇万円で購入された(九七回・池田謙、甲書七七二、甲物一一〇)。

(2) 被告人は、昭和六一年三月一五日、四月一七日の両日、富士観会館において宴会を催しており、その予約手続等は被告人の秘書である上地がしていたところ、その費用は、同年四月三日、五月六日にそれぞれ接待費として清雅口座から出金された各四万五、〇〇〇円をもって振込送金されている(甲書八六四・羽深悃、甲書七七二、甲物一一〇)。

(3) 被告人の秘書をしていた上地は、検察官調書(甲書八四三)において、「被告人が秘書の活動用として自動車を提供してくれなかったので、自分の自動車を使用していたが、昭和六一年一二月ころ、被告人が『これ、大久保書記長から買ったので、自由に乗っていいから。』と言って、クラウンを提供してくれた。その後、被告人を乗せるなどして使用し、目黒の後援会の近くの駐車場に置いていたが、昭和六三年春ころに池田謙が黙って持って行った。」旨供述しているところ、この自動車の購入代金に関して、清雅の出納帳(甲物一一〇)には、昭和六一年一二月一〇日の欄に、池田謙からの借入金として二〇〇万円入金、自動車購入費として同額の二〇〇万円出金が記載され、同年一二月三一日の欄には、池田謙返済分として二〇〇万円出金が記載されている。これらの記載からすると、この自動車購入代金として清雅口座から二〇〇万円が出金されていることになり、同口座のその前後の入出金状況からすると、その二〇〇万円は、一二月三一日に清雅口座に振込入金されたコスモスライフからの三〇〇万円により賄われていることが明らかである。

(4) 被告人の秘書であった上地は、昭和六一年初めころ、池田謙から「給料も安いし、清雅から活動費を出してやるから。」と言われ、そのころから毎月三万円か五万円をもらうようになったが、清雅の仕事は何もしていない旨供述しているところ(甲書八四一・上地)、これに符合して、清雅の出納帳(甲物一一〇)には、昭和六一年三月から九月まで上地へのアルバイト料として毎月五万円が出金として記載されている。

(5) 大山の検察官調書(甲書一〇二五)、浅賀の検察官調書(甲書二四七)、甲物一一〇、甲書七七二によると、本来清雅から被告人に支払われるべき清雅ビルの月額一一〇万円の賃貸料が昭和五九年四月から同年一一月まで支払われていない一方で、清雅ビルに関する費用であって本来は明らかに被告人個人が負担すべき、<1>ビル設計変更料八〇万円、<2>ビル追加工事代金八〇万円、<3>不動産鑑定料約四〇万円、<4>保存登記料約五〇万円がそれぞれ清雅口座から支出されていることが認められる。

2 清雅口座と吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座等との関係

(一) 清雅口座と吉田弘敏普通預金口座との関係

吉田弘敏普通預金口座(甲書七六五)からは、昭和六〇年七月八日に合計七〇万円、一〇月一九日には一〇万一〇〇円、一一月二〇日には八万円などの出金が認められ、清雅の出納帳(甲物一一〇)には、昭和六〇年七月八日に七〇万円、一〇月一九日には一〇万円、一一月二〇日には八万円の入金の記載があり、さらに、清雅口座(甲書七七二)には、一〇月一九日に一〇万円、一一月二〇日には八万円の入金が認められるところ、池田謙は、公判において、昭和六〇年七月八日に七〇万円、七月二四日に一五万円、一〇月一九日に一〇万円、一一月二〇日に八万円、一一月二七日に一〇万円をそれぞれ自分が清雅に貸し付けているが、これらの貸付金のうち、昭和六〇年七月八日の七〇万円、一〇月一九日の一〇万円、一一月二〇日の八万円は、吉田弘敏普通預金口座から貸し付けたものであると供述している。

(二) 清雅口座と池田謙普通預金口座との関係

(1) 清雅口座から昭和六〇年一二月八日に五〇万円が出金され、池田謙普通預金口座(甲書八四〇)に同日五〇万円が入金されたことが認められ、清雅の出納帳の昭和六〇年一二月一八日の預金引出し欄には、池田謙への返却分として五〇万円の出金が記載されているところ、池田謙は、公判において、その五〇万円は、前記の吉田弘敏普通預金口座から清雅に貸し付けていたものの返済金の一部であり、その日に池田謙普通預金口座に入金しているが、その五〇万円の返済には、昭和六〇年一二月一七日コスモスライフから清雅口座に入金された二〇〇万円の一部を充てたと供述している。

(2) 清雅口座から昭和六一年六月二日に二〇〇万円が出金され、同日、池田謙普通預金口座、池田謙名義の郵便貯金口座(弁書四一、以下単に「池田謙郵便貯金口座」という。)の各口座に各一〇〇万円の入金がされたことが認められ、清雅の出納帳の昭和六一年六月二日の預金引出し欄には、池田芙美子ほか数人の未払い給与として一三九万八、六三〇円、池田謙からの借入れ返済分として六三万円、合計二〇二万八、六三〇円を出金した旨の記載があるところ、池田謙は、公判において、昭和六一年五月三一日コスモスライフから三〇〇万円が清雅口座に入金されたが、その中から前記池田芙美子ほか数人の未払い給与として一三九万八、六三〇円、池田謙からの借入れ返済分として六三万円、合計二〇二万八、六三〇円を自分が受け取り、それらのうちから、昭和六一年六月二日、一〇〇万円を池田謙普通預金口座に入金し、一〇〇万円を池田謙郵便貯金口座に入金していると供述している。

(三) 清雅口座と三菱銀行玉川支店の池田克哉名義の普通預金口座(口座番号四四五四一三七、以下単に「別口池田克哉口座」という。)との関係

清雅口座に昭和六二年七月六日一〇〇万円が入金されているところ、それに見合うように、別口池田克哉口座(甲書二四〇)から昭和六二年七月六日に一一〇万円が出金され、また、清雅口座から昭和六二年七月三一日合計一九四万円が出金され、別口池田克哉口座に昭和六二年七月三一日前記一九四万円のうち一〇〇万円が振替入金されている(甲書九〇二)。

これについては、池田謙は、公判において、「昭和六二年七月二三日コスモスライフから三〇〇万円が清雅口座に入金されたが、その中から、私が昭和六二年七月六日清雅に貸し付けた一〇〇万円の返済金、四月に遡って値上げした私の給与の差額分八〇万円及び池田芙美子の給与一四万円の合計額一九四万円を出金し、それらは全て自分が取得している。昭和六二年七月六日の貸付金一〇〇万円をどの口座から出金したかについては記憶がはっきりしない。」旨供述している。

(四) 右(一)、(二)の金銭の動きによれば、清雅口座には、被告人の政治活動資金を管理するための口座であることが前に認定したとおり明らかな吉田弘敏普通預金口座からの入金がある一方、同様の池田謙普通預金口座への出金があることになる。

また、別口池田克哉口座は、<1>被告人が、清雅ビルに関する被告人に対する賃貸料を受け入れ、清雅ビル建築の際に受けた銀行等からの融資の返済を行うことを目的に開設した口座であること(一四四回・被告人四六五~四七五項、甲書二四八・鈴木信宏、甲書二四九・宇田川治、甲書二四〇、二五二)、<2>昭和六二年六月六日に被告人が個人として三菱銀行から借り受けた二〇〇万円が一旦当該口座に振替入金され、数日後に、池田克哉普通預金口座に入金されていること(甲書二四〇)、<3>昭和六三年一〇月一七日に被告人が個人として三菱銀行から借り受けた五〇〇万円のうち三〇〇万円が当該口座に振替入金されていること(甲書二四〇)、<4>右の三菱銀行からの各借入れは、被告人本人が銀行に融資を申し入れ、手続をしていること(一四六回・被告人二八四~三一七項)などの事情に照らすと、被告人の個人的な資金を管理することを目的とした口座であることは明らかであるところ、右(三)の金銭の動きによれば、被告人の個人口座である別口池田克哉口座と清雅口座との間で資金の移動があったことになる。

なお、被告人は、公判において、別口池田克哉口座について、改印がされた昭和六二年一月以降はこの口座の入出金については知らない旨供述し、池田謙も、公判において、この口座を私物化していた旨供述しているが、当該口座は被告人がビルを建築するについて銀行から借り入れた多額の融資を返済するための口座であること、改印された以降にも前記<4>で述べたとおり被告人本人が借入手続きをした入金が見られることなどからすると、右両名の各公判供述は到底信用できない。

右に述べたところからすると、清雅口座へは、コスモスライフから送金された資金との関連で、被告人の政治活動資金を管理する口座と認められる吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座、被告人の個人的な口座であると認められる別口池田克哉口座との間で、相互に資金の移動があったことが認められ、清雅口座にコスモスライフから送金された資金の一部が、被告人の政治活動資金に充てられていたことがうかがえるというべきである。

3 右に検討した清雅口座の入出金状況、清雅口座と吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座等との関係によれば、清雅口座には、被告人の個人的な収入と考えられる一、〇〇〇万円もの多額の入金がされている一方、被告人が出費すべき費用や被告人の後援会事務所に関係した費用などへの明らかな支出が認められる上、コスモスライフから送金された資金との関連で、清雅口座と被告人の政治活動資金を管理する口座と認められる吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座、被告人の個人的な口座であると認められる別口池田克哉口座との間で、相互に資金の移動があったことが認められ、清雅口座にコスモスライフから送金された資金の一部が、被告人の政治活動資金に充てられていたことがうかがえるのであって、これらの事情によれば、清雅口座は、被告人の政治活動資金の一部を管理するための口座として利用されていたことが認められる。

なお、池田謙は、公判において、コスモスライフから清雅口座に送金されてきた資金は、主として自分の清雅に対する貸付金の回収や自己の個人的な使途に費消した旨供述するが(九九回・池田謙三五九~五〇七項)、コスモスライフからの送金の一部を自分の清雅に対する貸付金の回収に充てたとの公判供述は、前記認定の各事情に照らし信用できない上、コスモスライフからの送金の一部を自己の個人的な使途に費消したとの公判供述は、その供述自体があいまいであり、コスモスライフからの送金に関連して清雅口座から出金された金銭の一部が、被告人の政治活動資金を管理していたとは認められない池田謙郵便貯金口座等へ入金されていること以上に、池田謙が自己の個人的な使途に費消したことを裏付ける客観的証拠に乏しく、容易に信用することができず、また、コスモスライフからの送金の一部が被告人の政治活動資金を管理していたとは認められない口座に入金されているとしても、そのことによって前記認定が左右されるものではない。

四 被告人が清雅の経営等について池田謙に指示を与えていた状況

1 清雅の経営等に被告人が関与していること

被告人及び池田謙の各公判供述、大山の検察官調書、公判供述によれば、清雅は、被告人が所有する清雅ビルを管理することを目的とした会社であり、収入は清雅ビルの賃貸料のみであり、主な支出は被告人に対する清雅ビルの賃貸料及び保守管理等の費用だけであって、その運営に人手を要することはなく、実際、清雅の運営は池田謙に任せられていたことがうかがえるが、その一方で、以下のとおり清雅の運営等に被告人が関与していたことが認められる。

(一) 清雅が東京代々木教育研究所との賃貸借契約を締結する際の関与

佐藤の公判供述(九六回)、検察官調書(甲書七七〇)によると、次の事実が認められる。

東京代々木教育研究所の代表取締役である佐藤は、東京代々木教育研究所が清雅ビルを賃借する前、被告人を紹介され、清雅ビルの建築現場で被告人と会い、そのころ、被告人から賃貸借契約に当たって、「できれば、長い期間にわたって借りてほしい。」と言われた。

昭和五九年三月、清雅と東京代々木教育研究所との間で、被告人が所有する清雅ビルの賃貸借契約が締結され、契約書が作成された席には、東京代々木教育研究所の方からは佐藤と総務部長の藤田忍が、清雅の方からは被告人が、仲介業者であるアサミ商事から浅見が、それぞれ出席し、浅見が案を作った契約書の条文を、被告人が一項ずつ読み上げ、出席者の確認をとった。

(二) 清雅ビルの賃貸に関するマルス商事等への損害賠償についての交渉経緯

成毛の検察官調書(甲書七四一)、被告人及び池田謙の各公判供述、甲書七七二などによると、次の事実が認められる。

被告人が新築した清雅ビルの賃借人について、一旦、マルス商事等が、共同事務所としてその一室を賃借する話がまとまったが、その後、東京代々木教育研究所が一括して賃借することになったことから、マルス商事等が賃借する話がほごとなり、マルス商事等は損害を受けた。

マルス商事の営業部長であった成毛は、昭和五九年八月ころ、その損害を清雅に損害してもらうため、被告人と直接交渉しようとして電話をしたところ、秘書が電話に出た。用件を伝えたところ、秘書が被告人の代わりに会って話を聞いてくれると言うので、議員会館を訪ねたところ、池田謙が応対に出た。成毛が、損害について説明などすると、池田謙は別室の被告人のところへ相談に行った。別室から戻って来た池田謙から損害額として合計三八万円を提示され、その金額で話がまとまった。話がまとまると、被告人がその場に顔を出し、成毛に対して、「この度は、迷惑をかけて申し訳ありませんでした。その金額で納得してください。」と謝罪した。

右賠償金は昭和五九年九月二七日から三回にわたって、一八万円、一〇万円、一〇万円が、清雅を振込依頼人として成毛の銀行口座に振込入金され、弁済された。

(三) 清雅に対する銀行融資

甲書七七二、七七三、二四〇、甲物一一〇、被告人の公判供述(一四六回)によると、清雅は、三菱銀行から昭和六〇年五月に二〇〇万円、昭和六一年八月に三〇〇万円の融資をそれぞれ受けているが、昭和六〇年五月の融資に当たって担当者が作成した「面接メモ」には、「池田克哉氏より電話にて掲記申出」と記載があって、当該融資について被告人自らが三菱銀行玉川支店の担当者と交渉していたことがうかがえる。

(四) 東京代々木教育研究所との契約更新にあたっての関与

甲書七八〇、佐藤(九六回)及び池田謙(九五回)の各公判供述によると、昭和六二年及び平成元年に、清雅は東京代々木教育研究所との間の賃貸借契約を更新しており、その具体的交渉には、清雅側は、池田謙があたっていたところ、池田謙は、昭和六二年の契約更新の際に作成した「契約更新(案)」と題する書面の中で「最後は社長(ボス)の判断です」とメモしている上、池田謙は、これらの契約更新の交渉の際、契約の相手方である佐藤の面前において、電話で被告人の意向を確認したり問題点について持ち帰り被告人の指示をうけるなどしていた。

2 以上の各事情及び前記二被告人の政治活動資金管理に関する被告人と池田謙の関係、三清雅口座の性格によると、

(一)池田謙は、被告人の後援会事務所において、被告人の私設秘書的な立場にあり、ほかの秘書らが関知しない被告人の政治活動資金を管理していて、事務所の資金が不足したような場合には、被告人から指示を受けて資金繰りをしていたところ、一方では、清雅の実質的な運営を任され、清雅口座の収支も管理しており、清雅口座からも、被告人の政治活動に関する費用に充てられた出費がされていること、清雅口座と被告人の個人口座との間においても金銭の移動が認められること、

(二) 被告人は、清雅が銀行から融資を受ける場合や契約の締結、更新などの重要な場面では、一定の関与をしていたこと、

(三) <1>昭和五九年二月ころ、清雅ビルの設計を一部変更したことから建築制作工房に支払われた設計変更料八〇万円については、被告人がその支払いを約束するなどした結果、昭和五九年五月一九日、池田謙が管理していた清雅口座から出金されて支払われていること、<2>昭和五九年八月ころ、清雅ビルの賃貸に関してマルス商事等から被告人に対して損害賠償の要求があったところ、話がまとまった後には、被告人自身が謝罪をしているが、それまでの具体的な交渉は池田謙が担当をし、相手方への損害金額も被告人と相談した上で提示されていること、<3>昭和六二年の清雅と東京代々木教育研究所の間の清雅ビルの賃貸借契約の更新は、池田謙が相手方との具体的な交渉にあたっていたが、池田謙は、その際作成した更新案の書面に、被告人の判断が必要である旨の記載をしていることなどからすると、池田謙は、清雅の経営に関して、被告人の指示の下に行動し、清雅ビルに関する交渉においても被告人の私設秘書的な行動をしていたこと

などの各事情が認められ、これらの各事情からすると、池田謙は、清雅口座の支出等についても、被告人からの一定の指示の下に行動していたことが推認される。

五 江副、間宮に対して被告人がお礼を述べたこと

1 江副、間宮の捜査段階における各供述の概要

(一) 江副は、平成元年五月七日付け検察官調書(乙書一九)の中で、おおよそ以下のような供述をしている。

私は、池田代議士とは親しいという間柄では全くなく、一緒に酒を飲んだり、宴席に私が招待したりしたことがなく、顔を合わせたことはあまりないのですが、昭和六〇年から昭和六二年ころの間、リクルート本社において、池田代議士と一、二度顔を合わせたことがありました。池田氏は、私を訪ねて来たというのではなく、リクルート本社の一一階フロアなどで催し物が行われた時などに来ていて、その階には応接間などもありますので、私もそこへ出入りしており、顔を合わせた際に、池田先生の方から「いつもご協力いただいて有り難うございます。」というようなことを言われたことがあったと思います。池田先生は、私共が、小切手や清雅の件などで多額のお金を差し上げているので、そのお礼を私に言ったものと思います。

(二) 間宮は、平成元年五月一六日付け検察官調書(甲書一六〇)の中で、おおよそ以下のような供述をしている。

検事から、昭和六一年一一月二六日の文教委員会での池田先生の質問があった翌日の一一月二七日に議員会館に池田先生を訪ねていないかと聞かれ、そのことが思い出されてきました。

その時は、誰か同行者もいたように思いますが、池田先生にお会いして、「先生、昨日は、いかがだったでしょうか。」と言い、先生が質問について、「大体お宅の資料に基づいて質問しておきましたよ。」というようなことをおっしゃり、これに対し、私は、「いつもなにかと質問をお願いし、有り難うございました。」などと、その質問のお礼を述べましたが、先生は、「いやいや、リクルートさんには、これまで、うちの会社に応援してくれて有り難う。」というようなことをおっしゃったのでした。

これが小野君が話していた池田先生の会社へのコンサルタント料名目での資金援助に対するお礼であるということは、すぐにはピンとはきませんでしたが、よく考えてみればそのお礼であったように思います。

池田先生を訪ねた際、先生から「いやいやリクルートさんには、これまで、うちの会社に応援してくれて有り難う」と言われたその中の「うちの会社」という言葉は、そのままストレートにそう言ったか、その点は言葉としては、あるいは正確ではないかもしれません。要するに、かえってリクルート社の方から資金援助を受けているので有り難うという意味を言われたというのが正しいわけです。

ただ、そのニュアンスとして、会社への送金という形の資金援助をしてもらって有り難うという言葉であったことは間違いありません。

2 江副、間宮の各公判供述の概要

(一) 江副は、公判(一〇七、一一〇回)において、おおよそ以下のような供述をしている。

そもそも被告人に資金援助をしていたということも自分は知らなかったのであるから、お礼を言われるということはあり得ないことである。

取調べ当時、検察官から、お礼を言われたことはないかという質問をされたこと自体もなく、宗像検事から、被告人がお礼を言ったという調書をとりたいと言われた。自分は被告人に会ったことはないと言っていたが、先方は会ったと言っている、再販本の展示会などで、リクルートの会場を借りている関係でたまたま顔を合わせ、会ったと言っている、だから会ったはずだなどと言われてやりとりをした。宗像検事からは、被告人にお礼を言われたこと、コスモス株の譲渡に関して、秘書ではなく藤波本人に電話をしたことを調書にする代わりに、中曾根元総理大臣の就職協定に関する問題は不問にするという三点をセットにしてネゴシエーションしたいと言われた。私が元総理大臣を訪問したことについてはそれ以前から検察官から追及を受けていて、お願いをしていないのにお願いをしたことにされては大変だと思っており、それをやめるというので、事実に反すると思いながら、被告人からお礼を言われた旨の調書に署名した。

(二) 間宮は、公判(八九回)において、昭和六一年一一月の議員会館における被告人との会話に関して、おおよそ以下のような供述をしている。

昭和六一年一一月二七日に被告人を議員会館に訪問し、会っていると思うが、誰と一緒であったのかは記憶にない。自分が面会申込書を書いているので、おそらく上司だったと思う。質問がおかげ様で終わりましたという電話があって、多分訪問したのだと思う。

被告人は、国会質問をこのようにしました、資料有り難うございましたというような趣旨のことを言ったのではないかと思う。具体的な内容は記憶にない。

3 右各供述の信用性

(一) 江副の前記捜査段階における供述は、被告人と会った時期や会った際の状況等その供述内容自体があいまいであり具体性がない上、江副は、被告人と会ったのはリクルートで催し物があった際かもしれないと供述しているところ、被告人は、公判において、出版業界がリクルート社に会場を借りて展示即売会を行った際にリクルート本社で江副に会い、会場提供に対するあいさつをした記憶があると供述しており(一四四回・被告人一〇六~一四〇項)、弁書一四九によれば、昭和五九年一一月にリクルートにおいて非再販本の展示即売会が行われていることが認められることなどからすると、江副が供述する「いつもご協力いただいて有り難うございます。」との被告人の言葉が、被告人に対する資金援助について被告人がお礼を言っていると認めることは困難であると思われ、被告人のリクルートからの資金援助に関する認識を裏付ける証拠としてそのまま採用することはできない。

(二) 間宮の前記捜査段階における供述は、その内容自体、被告人を議員会館に訪ねた経緯、その際の被告人との具体的なやりとりについて、具体的かつ詳細に供述したものであって、当時リクルートでは高校生の就職問題に関連して被告人と接触し、資料などを渡していたこと、昭和六一年一一月二七日に間宮が被告人を議員会館に訪ねたことについては客観的な証拠によって裏付けられていること(甲書六三九、甲物一〇四)からすると信用できる。

間宮の前記公判供述は、国会質問の件で、被告人を議員会館に訪問したことを肯定しながら、その際の具体的なやりとりは記憶にないというのであり、リクルートの方針に関係する国会質問の翌日に被告人を議員会館に訪問するという印象的な出来事について、国会議員である被告人とのやりとりに関して一切記憶がないというのはあまりにも不自然であり、信用できない。

以上に加え、昭和六一年一一月三〇日、コスモスライフから清雅口座に三〇〇万円が送金されているところ、この送金に関するコスモスライフと清雅との間のビル管理技術指導相談に関する契約書は、前の契約を更新することにより、昭和六一年一一月二八日付けで作成されており、間宮が捜査段階において供述する被告人が間宮に謝礼を述べた時期が、その前日の昭和六一年一一月二七日であることからしても、間宮の捜査段階における供述は、合理的であり、信用できる。

六 昭和六三年九月、被告人が大山税理士を訪ねた際の被告人の言動等

1 大山及び被告人の各公判供述によれば、被告人が大山を訪問した経緯は、おおよそ以下のとおりであったと認められる。

大山は、昭和六三年八月ころ、池田謙から、コスモスライフからの送金がなくなり、清雅の資金が不足するかもしれないと聞いた。同年九月ころ、被告人が大山を訪ね、清雅の経理について説明を求めたので、大山がこれを説明すると、被告人は、コスモスライフからの入金に関して、「誰もただでお金はくれないよ。」、「謙も若いからこういう金をもらうんだ。」と述べた。被告人は、役員報酬や交際費について、支出し過ぎであることを述べ、大山に、清雅の法人税確定申告書がどこに保管されているかを尋ねて、申告書の内容が外部に漏れないよう注意して欲しいと依頼した。被告人は、それらの話の中で、資金不足による借入れが必要ではないかなどと大山に話をしている。

被告人は、その一週間後に再度大山を訪ね、銀行からの借入れに必要な書類などについて尋ねた上で、被告人個人が銀行から借入れをして、それを清雅に貸し付ける形をとることにした。

2 大山を訪問した目的等に関する被告人の公判供述の概要

被告人は、公判において、おおよそ以下のとおり供述している。

コスモスライフから清雅に支払いがされていることは当時全く知らなかった。昭和六三年九月ころ、池田謙から清雅の資金が不足しそうだから、銀行からの融資について口をきいて欲しいと頼まれたが、そのころの池田謙の生活振りに不審な点もあったので、池田謙自身から理由等を聞く前に、清雅の顧問税理士である大山から説明を受けようと考えて大山を訪ねた。その際、清雅の決算書類を見て、経理について説明を受け、初めてコスモスライフからの送金の事実を知った。

大山に「誰もただでお金はくれないよ。」、「謙も若いからこういう金をもらうんだ。」という言葉を言ったかどうかははっきり記憶にないが、謙は若いからこういう金をもらったんだ、清雅は、その事業内容からすればこういう金をもらう事業はしていないというようなことは言ったと思う。

私は、コスモスライフからの送金を初めて知り、その日のうちに謙に電話をして「今、大山さんの所へ行ってきた。金の話があったから行ったが、コスモスライフというところから金が来ているじゃないか。これは一体何なんだ。あんた、給料に五〇万円も使っているじゃないか。最近金遣いが荒いよ。みんな心配している。秘書達もいい感じで受け止めていない。今までおとなしくしていたけれども、これであんたの根性というものがわかったから、もうここから先は知らないよ。」などと興奮して言うと、謙が契約書があるようなことを言うので、事務所で謙と落ち合い、契約書を見た。謙は、「すみません。小野さんと打合せをして、こういう契約書を作りました。お金を頂いています。」と謝るばかりであった。私は、これがこいつとの別れだと腹をくくっていたので、ここから先は今までのいろんなことについても、こちらでやるからという思いで、そのように言ったと思う。それから、しばらくして辞表と書いた封筒を謙が私の家に持って来た。大山税理士を訪ねた二、三日後か四、五日後であったと思う。謙が辞表を持って来たので、書類がこちらに来るのかというと、もうちょっと残務整理をするというので、残務整理が終わったら連絡してくれと言ったと思う。

3 検討

(一) 被告人が大山に言った「誰もただでお金はくれないよ。」、「謙も若いからこいう金をもらうんだ。」という言葉は、清雅の経営に一切関与せず、コスモスライフからの送金について全く知らず、コスモスライフの事業内容も知らないという被告人が、初めて清雅の決算書類を見て発した言葉としては、不自然であり、むしろ、その言葉自体からすれば、被告人自身がそれ以前からコスモスライフからの送金について認識していたことを示す内容のものであることは明らかである。

(二) 被告人は、大山を訪問した理由について、池田謙の生活振りに不審な点があったからであると供述するが、先にみたとおり、被告人は、昭和六〇年にも自ら三菱銀行に申し入れて清雅に融資を受けているところ、その際に大山を訪問し清雅の経営状況の説明を受けることはなかったというのであり、大山を訪問した理由自体に不自然な点がある上、清雅の資金が不足すると池田謙から連絡を受けた際、自らはともかくとして、池田謙の方からもその理由について全く説明がなかったというのも不自然である。

(三) 池田謙が昭和六三年九月上旬に持参して来たと被告人が供述している辞表(弁物八二)は、その作成日付が「昭和六三年九月八日」になっており、その中には、「この際、池田事務所(ダイヤモンド会)及び(有)清雅の全ての業務について、その職務を辞任させていただきたいと考えます。」との記載があるが、<1>清雅の出納帳(甲物一一〇)の記載によると、池田謙の役員報酬は、昭和六三年九月以降も、金額はそれまでの五〇万円から二〇万円となったものの、少なくとも平成元年三月までは月々支給され続けていて、清雅口座(甲書七七二)からも、それに見合う出金が見られる上、<2>池田謙は、公判において、昭和六三年九月に被告人に辞表を提出したことについて一切供述することはなく、むしろ、平成元年八月に清雅ビルに関する東京代々木教育研究所との賃貸借契約の当事者を被告人の会社に更改するまで、清雅の経営に携わっていた旨供述していて(九七回・池田謙三〇二~三二四、三八六~四一一項)、東京代々木教育研究所の佐藤も、公判において、平成元年の契約更新は、池田謙との間で交渉したと供述していること(九七回・佐藤六四項)、<3>清雅の顧問税理士をしていた大山は、検察官調書(甲物一〇二九)において、昭和六三年九月上旬、二回目に被告人が事務所を訪れた際、被告人が、「清雅の資金繰りが苦しいので銀行から金を借りようと思うのですが、決算書だけで借りられませんか。」と言うので、「それはできません。」と答えると、被告人は「それでは、私が個人で銀行から借りて、それを清雅に貸し付けるということで銀行と話してきます。」と言い、「どれくらい借りればなんとかなりますかね。」と聞くので、「三〇〇万円あれば足りますよ。」と答え、さらに、池田謙の給料が高すぎると思っていたので、「謙さんの給料を下げれば、経営的にやっていけますよ。」と言うと、被告人は「謙の給料は二〇万円に下げる以外にないなあ。芙美子の給料はこれまでもらってないけど、子供の教育費などにお金がかかって大変だから、これからは一三万五、〇〇〇円に上げて実際にもらうから。」などと言っており、その後、一〇月に入ってから、池田謙から「芙美子さんの給料を一三万五、〇〇〇円に、僕の給料を二〇万円にしますので、お願いします。」と言ってきた旨供述していることなどからすれば、大山を訪問してコスモスライフの送金の事実を初めて知り、池田謙に問いただしたところ、数日後に池田謙が辞表を持参したのであり、それ以降池田謙には残務整理だけをさせていた旨の被告人の公判供述は、到底信用できない。

(四) 被告人は、大山を訪問した際に初めて清雅の決算書類を見て、「コスモスライフ」という名称から、「リクルートコスモス」との関連性を疑ったために、コスモスライフからの入金については、大山の関心を引かないように、あえて説明を求めなかっと供述するが、清雅の顧問税理士であり、その経理の詳細を当然把握している大山に対して、コスモスライフからの送金については、関心を引かないようにするためにあえて説明を求めなかったということ自体、不自然であること、その日、大山が清雅の三期分の決算書類を持ってきて内容について説明したところ、被告人は、「この申告書があるのはどことどこか。そこから漏れないか。くれぐれも漏らさないように注意してください。」などと言い、当初から清雅の収支に関する書類が外部に出ることを極端に警戒する態度であったこと、従来は清雅名義で銀行から直接融資を受けていたのに、この時は、銀行から融資を受けるためには清雅の収支が明らかになる詳しい書類が必要であると大山から聞かされ、個人で銀行から融資を受け、清雅に貸し付ける形をとっているところ、これはコスモスライフからの送金が外部に漏れることを警戒したためであると推測されること、初めて見た書類の「コスモス」という言葉の一致のみから、コスモスライフがリクルートの関連会社であるか否かの事実確認もしないうちに、書類が外部に出ることまで即時に警戒したというのはあまりにも飛躍した話であることなどからすると、被告人の前記公判供述は信用できない。

以上の各事情を併せ考慮すると、コスモスライフからの送金は大山訪問によって初めて知ったとの被告人の公判供述は、到底信用できず、むしろ、客観的に明らかな被告人の言動からすると、被告人は、当初から清雅に関する書類が外部に漏れないように大山に依頼することを目的として訪問したものと推認できる。

七 結論

そこで、コスモスライフから清雅に対するコンサルタント科名目による多額の資金援助について、被告人の指示、了承があったか否かを検討するに、以上検討してきたところを総合すれば、以下の各事情が認められる。

1 池田謙が、小野に対して資金援助を申し入れた際の具体的状況は、昭和六〇年一二月ころの申し入れが、公明党では企業からの献金が禁止されていることを説明した上で、ビル管理会社があるので、そこへ資金を受け入れる形をとれないかというものであり、昭和六一年五月ころの申し入れが、衆参同時選挙を控えているので、早めに欲しい、増額して欲しいというものであって、それらの申し入れ内容からすると、公明党所属の国会議員である被告人側の資金受入れに関する事情を述べたり、被告人が選挙を控えていることを理由に、早期に、しかも、増額した援助が必要であることなどを述べてリクルートに資金援助を求めるものであり、明らかに被告人の政治活動を念頭において、それに対する資金援助を求めたものであった。

2 小野に右申し入れをした池田謙は、被告人の後援会事務所において、企業の役員を会員とする政経懇話会の運営に携わり、会を拡充するために入会の勧誘をするなど、被告人の私設秘書的な活動をしており、参加者である企業の役員に対して、被告人に対する資金援助を申し入れ、百万円単位の資金援助を受け取っており、それら企業から被告人に対する資金援助を入金した銀行口座を管理し、昭和六〇年に入ってからは、それまで宮沢が担当していた被告人の後援会であるダイヤモンド会の経理も担当するようになり、結局、被告人の政治活動資金を管理するための銀行口座のほとんどを管理していた。

3 公明党は一般的に企業からの献金を禁止していたところ、先に認定したとおり、被告人は、複数の企業から百万円単位の資金援助を受けていたことが明らかであり、その小切手等は、池田謙が管理する吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座等に入金され、昭和六〇年当時公設秘書をしていた宮沢、上地らには、全くわからないように管理されていた。

また、コスモスライフから清雅への振込送金は、架空契約を結ぶことによって、その実質を仮装する形態のものであるところ、被告人は、リクルートから昭和五九年、同六〇年に供与された各一〇〇万円の小切手に対して、政経懇話会等の架空の領収証を作成していること、その他にも企業からの献金、被告人の個人的な収入についてもその実質を仮装する領収証等を作成していたことなどからすると、リクルートから二〇〇万円を超える資金援助を受けるに際し、そのような方法をとってまでこれを受け入れる必要性は、公明党に所属する国会議員である被告人にこそあったといえる。

4 被告人の後援会事務所の資金繰りは厳しいものであって、被告人はその窮状を十分認識していた上、資金が不足した際には、池田謙に指示するなどして、何らかの方法により支出させていたことがうかがえる。

5 清雅は、被告人の所有する清雅ビルを管理することを主な目的とした会社であるところ、その実質的な運営は、池田謙に任せられてはいたが、被告人も、銀行融資など清雅の経営の重要な場面ではこれに関与し、池田謙は契約更新などの際には、被告人の指示を求めていたことがうかがえるのであり、被告人が清雅の経営等に一定の関与をしていたことは明らかであり、被告人の指示の下に池田謙が行動していたことも明らかである。

6 池田謙は、被告人の政治活動資金を管理する吉田弘敏普通預金口座、池田謙普通預金口座と共に清雅口座の資金も管理していたことから、それらの口座間で、経理上は自分の貸付金として計上するなどして、資金の移動を自由に行い、その時々に応じた資金の支出をしていた上、清雅口座から、被告人の一定の指示ないし了承の下に、被告人の政治活動資金を支出していたことがうかがえる。

7 被告人は、昭和六一年一一月に議員会館を訪問して来た間宮に対して、お礼の言葉を述べているが、その当時被告人に対するリクルートからの資金援助は、既に清雅への振込送金という形態で行われていたのであるから、被告人が当該送金を認識した上でお礼を言っているものと推測される。

8 被告人は、いわゆるリクルート疑惑が世間で騒がれるようになったころに、清雅の顧問税理士である大山を訪ね、コスモスライフからの送金をそれ以前から知っていたかのような発言をしている上、清雅の収支内容が外に漏れないようにしてもらいたい旨要請するとともに、コスモスライフからの送金がなくなることによる資金不足を補うため銀行から融資を受けている。

9 弁護人は、清雅、コスモスライフ間の架空契約は、池田謙が独断でしたことである旨主張するが、被告人は、昭和五九年、同六〇年の二回にわたり、リクルートから国会質問の謝礼として各一〇〇万円の小切手を受け取っており、その後もリクルートからの依頼により国会質問をしているのであるから、池田謙が、そのような状況の中で、リクルートからの数百万円もの資金援助を、被告人に全く知られず、いわば横取りするようなことができると考えていたとは到底思われない。

以上の各事情を総合すると、池田謙が、被告人の指示あるいは了承の下、小野に対して前記各申し入れをしたものと推測できる。

第五  コスモスライフから清雅に対する振込送金の趣旨及び被告人の認識

これまで見てきたように、

1 リクルートは、昭和五九年、同六〇年中に、数度にわたって被告人に国会質問を依頼し、被告人がこれを了承していること、

2 被告人とリクルートとの関係は、右国会質問の依頼を契機として親密となり、被告人はリクルートの幹部から料亭やクラブ等で接待を受けたり、家族旅行の費用を負担してもらうなどしていたこと、

3 被告人は、昭和五九年、同六〇年の二回にわたって各一〇〇万円の小切手を直接受領しており、これらの小切手は、リクルートの被告人に対する国会質問の請託の謝礼であると認められること、

4 池田謙の小野に対する申し入れは、それまでの被告人に対する小切手供与の形を変えて、清雅に対する資金供与の形にしてもらいたいという趣旨であり、二回にわたる国会質問の請託の謝礼の趣旨である小切手供与の延長線上にあると考えられること、

5 リクルートと被告人及び池田謙との関係においては、国会質問に対する謝礼として以外には、リクルートが被告人に対し資金援助をするような関係は一切ないこと

などから、コスモスライフから清雅にコンサルタント料名目で振り込まれた昭和六〇年一二月の二〇〇万円、昭和六一年五月の三〇〇万円の趣旨は、被告人が、昭和五九年、同六〇年中にリクルートから国会質問の請託を受けたその報酬であること、そして、そのことを被告人が認識していたことは明らかである。

第五章  コスモス株譲渡について

第一  当事者の主張及び当裁判所の認定

一 当事者の主張

1 検察官の主張

(一) 江副は、コスモス株を店頭登録するに当たり、昭和六一年九月ころ、リクルートの事業の円滑な遂行に関して特に好意ある計らいを受け、今後も同様の取り計らいを受けることを期待する社外の者に対し、同年一〇月下旬に予定された店頭登録後、確実にその初値が一株五、〇〇〇円以上になり、さらに、その後の株価が相当の期間右初値より値上がりすると見込まれ、かつ、江副らと特別な関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難である同株式を、右登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株三、〇〇〇円で譲り渡すことにした。

そして、江副は、被告人に対し、前記第二章第一節、第二節、第三節の各第一の一の1検察官の主張のとおりの各請託の報酬としてコスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲り渡すことにし、昭和六一年九月上旬ないし中旬、数回にわたり、間宮及び小野を同席させて、江副が決定したコスモス株譲渡の相手方及び譲渡数を小野に書き取らせるなどした際、間宮及び小野に対し「公明党の池田克哉先生にも持っていただきましょう。」などと述べて、被告人にコスモス株五、〇〇〇株を譲渡することを告げた。

(二) 江副は、右のように被告人に対するコスモス株譲渡を決定したころ、リクルートから被告人に電話し、被告人に対し、「この度リクルートコスモス株を店頭公開いたしますので、先生にも株をお持ちいただきたい。つきましては、使いの者をやりますので、詳しい話は使いの者からお聞きください。」などと述べて、コスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲渡することを申し入れた。

被告人は、コスモス株が店頭登録されればかなり値上がりすることは確実であると理解し、江副が、そのようなコスモス株の譲渡をわざわざ申し入れてきたのは、前記各請託を受託して衆議院文教委員会等において請託に沿った質疑を行ったことの報酬として、同株式取得による利益を自己に得させる趣旨であることを知りながら、江副の申し入れを承諾し、そのころ、被告人の政治活動等のための資金管理に当たらせていた池田謙に対し、同株譲受けに必要な手続を江副の指示を受けた者との間で行い、池田謙の名義で譲り受けるようにすることなどを指示した。

(三) 江副は、被告人の承諾を得た後、小野に対して、被告人にコスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲渡することを申し入れ承諾を得ているので、その手続をするようにと指示した。指示を受けた小野は、昭和六一年九月中旬、リクルートから池田謙に電話し、「既に分かっていると思いますが、池田先生の方に一株三、〇〇〇円で五、〇〇〇株リクルートコスモス株をお譲りすることになったので、その手続を取りたいんですが。」などと話した。電話に出た池田謙は、「分かりました。」などと言って直ちに了解した。その際、池田謙が、購入資金の用意がないことを告げたところ、小野は、ファーストファイナンスから融資を受けるように言い、池田謙もこれを了解した。

(四) そこで、小野は、館岡に依頼して、被告人に対する右コスモス株五、〇〇〇株の譲渡に関する株式売買約定書、ファーストファイナンスからの金員借り入れに関する金銭消費貸借契約書、振込指定書兼領収書等の各用紙を準備し、昭和六一年九月中旬、リクルート本社において、池田謙に対し、右株式売買約定書等の書類に署名、押印を求めた。池田謙は、「名義は僕の名前でやるからね。」と言って、各書類に同人の署名及び押印をし、ここに、江副と被告人の間に、コスモス株五、〇〇〇株に関する右株式売買約定書(譲渡人名義はビッグウェイであり、譲受人名義は池田謙名義のもの)等の譲渡関係書類が取り交わされた。

小野は、そのころ、江副に、被告人に対するコスモス株の譲渡手続が池田謙名義でされた旨報告した。

(五) 江副は、江副がビッグウェイから買い受けたコスモス株のうち五、〇〇〇株を被告人に譲渡することにしていたので、昭和六一年九月下旬、被告人が江副に支払うべき右コスモス株五、〇〇〇株の代金一、五〇〇万円をファーストファイナンスから同株を担保に池田謙名義で被告人に貸し付け、それをビッグウェイに右代金として直接払い込むことにし、ファーストファイナンスにその旨指示した。その結果、昭和六一年九月三〇日ファーストファイナンスは、右五、〇〇〇株の株券を担保にして、一、五〇〇万円を池田謙名義で被告人に貸し付け、同金額を富士銀行王子支店にあるビッグウェイの当座預金口座に振込入金した。これにより、被告人は、江副に対する代金の支払を完了し、コスモス株五、〇〇〇株を取得した。

(六) 小野は、コスモス株が店頭登録される昭和六一年一〇月三〇日の直前ころ、池田謙に連絡し、被告人が取得したコスモス株五、〇〇〇株を店頭登録直後に売却するかどうかを聞いたところ、池田謙は、小野に対し、全株売却するよう依頼した。そこで、小野は、同株の売却手続をし、その結果、同月三一日、大和証券において、右五、〇〇〇株が一株当たり五、二七〇円で売却され、同年一一月五日、その代金二、五九八万七、四五〇円(委託手数料等を差し引いた金額)が池田謙の指定した池田謙普通預金口座に振り込まれた。被告人は、同月七日、右振込金のうちから一、五一一万一一五円をファーストファイナンスの三和銀行新橋支店の当座預金口座に振込送金させて前記借入金の元利の返済をし、残りの一、〇八七万七、三三五円は、その後、被告人の政治活動資金や個人的用途に費消した。

2 弁護人の主張

コスモス株は、池田謙が譲り受け、売却代金の全額を同人の個人的な用途に費消したものであり、被告人が池田謙に株の譲受けを指示した事実もなく、被告人は、コスモス株譲受けについて全く関与していない。被告人は、昭和六三年六月二五日ころ、池田謙から打ち明けられて初めて同人がコスモス株を譲り受けていたことを知った。

また、そもそもコスモス株の譲渡先として被告人をリストアップしたのは、江副ではなく、したがって、株譲渡の趣旨も、請託の謝礼などではあり得ない。

検察官が、被告人と株譲渡を結び付ける根拠として具体的に主張するのは、<1>江副が被告人を株の譲渡先としてリストアップした上、<2>江副が直接被告人に電話をかけて株譲渡の申し入れをし、<3>昭和六一年九月一三日の日本カントリークラブのゴルフの際に間宮が被告人に株譲渡の申し入れをして、これらの際に被告人が株譲渡の申し入れを承諾した、というだけであるが、しかし、これらの事実はいずれも存在せず、被告人は、株譲渡について全く関与しておらず、認識もしていない。しかも、コスモス株売却代金全額が、池田謙の個人的な用途に費消されているのである。

二 当裁判所の認定

1 江副は、コスモス株を店頭登録するに当たり、昭和六一年九月ころ、リクルートの事業の円滑な遂行に関して特に好意ある計らいを受け、今後も同様の取り計らいを受けることを期待する社外の者に対し、同年一〇月下旬に予定された店頭登録後、確実にその初値が一株五、〇〇〇円以上になり、さらに、その後の株価が相当の期間右初値より値上がりすると見込まれ、かつ、江副らと特別な関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難であるコスモス株を、右登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株三、〇〇〇円で譲り渡すことにした。

そして、江副は、被告人に対し、前記第二章において認定した各請託の報酬としてコスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲り渡すことにし、昭和六一年九月上旬、数回にわたり、間宮及び小野を同席させて、江副が決定したコスモス株譲渡の相手方及び譲渡数を小野に書き取らせるなどした際、被告人をコスモス株譲渡の相手方としてリストアップした。

2 江副は、右のように被告人に対するコスモス株譲渡を決定したころ、リクルートから被告人に電話し、被告人に対し、「この度リクルートコスモス株を店頭公開いたしますので、先生にも株をお持ちいただきたい。つきましては、使いの者をやりますので、詳しい話は使いの者からお聞きください。」などと述べて、コスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲渡することを申し入れた。

被告人は、江副が、そのようなコスモス株の譲渡をわざわざ申し入れてきたのは、前記各請託を受託して衆議院文教委員会等において請託に沿った質疑を行ったことの報酬として、コスモス株取得による利益を自己に得させる趣旨であることを知りながら、江副の申し入れを承諾し、そのころ、被告人の政治活動等のための資金管理に当たらせていた池田謙に対し、コスモス株譲受けに必要な手続を江副の指示を受けた者との間で行い、池田謙の名義で譲り受けるようにすることなどを指示した。

3 江副は、被告人の承諾を得た後、小野に対し、被告人にコスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲渡することを申し入れ承諾を得ているので、その手続をするようにと指示した。指示を受けた小野は、昭和六一年九月中旬、リクルートから池田謙に電話し、被告人に対するコスモス株譲渡の話をしたが、電話に出た池田謙は、その話を既に承知していたようで直ちに了解した。その際、池田謙から、購入資金の用意がないことを告げられた小野は、ファーストファイナンスから融資を受けるように言い、池田謙もこれを了解した。

4 そこで、小野は、館岡に依頼して、被告人に対する右コスモス株五、〇〇〇株の譲渡に関する株式売買約定書、ファーストファイナンスからの金員借入れに関する金銭消費貸借契約書、振込指定書兼領収書等の各用紙を準備し、昭和六一年九月中旬、リクルート本社において、池田謙に対し、右株式売買約定書等の書類に署名、押印を求めた。池田謙は、「名義は僕の名前でやるからね。」と言って、各書類に同人の署名及び押印をし、ここに、江副と被告人の間に、コスモス株五、〇〇〇株に関する右株式売買約定書(譲渡人名義はビッグウェイであり、譲受人名義は池田謙名義のもの)等の譲渡関係書類が取り交わされた。

5 江副は、江副がビッグウェイから買い受けたコスモス株のうち五、〇〇〇株を被告人に譲渡することにしていたので、昭和六一年九月下旬、被告人が江副に支払うべき右コスモス株五、〇〇〇株の代金一、五〇〇万円をファーストファイナンスから同株を担保に池田謙名義で被告人に貸し付け、それをビッグウェイに右代金として直接払い込むことにし、ファーストファイナンスにその旨指示した。その結果、昭和六一年九月三〇日ファーストファイナンスは、右五、〇〇〇株の株券を担保にして、一、五〇〇万円を池田謙名義で被告人に貸し付け、同金額を富士銀行王子支店にあるビッグウェイの当座預金口座に振込入金した。これにより、被告人は、江副に対する代金の支払を完了し、コスモス株五、〇〇〇株を取得した。

6 小野は、コスモス株が店頭登録される昭和六一年一〇月三〇日の直前ころ、池田謙に連絡し、被告人が取得したコスモス株五、〇〇〇株を店頭登録直後に売却するかどうかを聞いたところ、池田謙は、小野に対し、全株売却するよう依頼した。そこで、小野は、同株の売却手続をし、その結果、同月三一日、大和証券において、右五、〇〇〇株が一株当たり五、二七〇円で売却され、同年一一月五日、その代金二、五九八万七、四五〇円(委託手数料等を差し引いた金額)が池田謙の指定した池田謙普通預金口座に振り込まれた。そして、同月七日、右振込金のうちから一、五一一万一一五円がファーストファイナンスの三和銀行新橋支店の当座預金口座に振込送金され前記借入金の元利の返済がされた。

第二  当裁判所が右のとおり認定した理由

一 コスモス株譲渡に関して証拠上明白な事実

以下の各事実は、関係各証拠(四回・竹腰省三、五回・小林繁治、一〇回・前哲夫、一二回・池田謙次、一七、一八、二一回・館岡、二二回・池田友之、一〇三回・江副五一項、一〇八、一一二回・江副、甲書三六、三七・山田義夫、甲七一~七三、二六〇、二六四~二六六、二七六、二七七、二七九、二八九、三一七~三二五、一〇一七、一二二回・小野、九五回・池田謙、八六回・小林宏、乙書四三、六〇・小野、甲書二五七、八四〇、甲書八六、九六、九七)により明白である。

1 江副は、コスモス株を店頭登録するに当たり、昭和六一年九月ころ、リクルートの事業の円滑な遂行に関して特に好意ある計らいを受け、今後も同様の取り計らいを受けることを期待する社外の者に対し、同年一〇月下旬に予定された店頭登録後、確実にその初値が一株五、〇〇〇円以上になり、さらに、その後の株価が相当の期間右初値より値上がりすると見込まれ、かつ、江副らと特別な関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難であるコスモス株を、右登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株三、〇〇〇円で譲り渡すことにした。

2 小野は、昭和六一年九月中、下旬、リクルートから池田謙に電話し、コスモス株五、〇〇〇株を一株三、〇〇〇円で譲渡する旨の話をした。その際、池田謙から、購入資金の用意がないことを告げられた小野は、ファーストファイナンスから融資を受けるように言い、池田謙もこれを了解した。

3 そこで、小野は、館岡に依頼して、右コスモス株五、〇〇〇株の譲渡に関する株式売買約定書、ファーストファイナンスからの金員借入れに関する金銭消費貸借契約書、振込指定書兼領収書等の各用紙を準備し、昭和六一年九月中旬、リクルート本社において、池田謙に対し、右株式売買約定書等の書類に署名、押印を求めた。池田謙は、各書類に同人の署名及び押印をし、コスモス株五、〇〇〇株に関する右株式売買約定書(譲渡人名義はビッグウェイであり、譲受人名義は池田謙名義のもの)等の譲渡関係書類が取り交わされた。

4 昭和六一年九月下旬、右コスモス株五、〇〇〇株の代金一、五〇〇万円がファーストファイナンスから同株を担保に池田謙名義で貸し付けられ、それがビッグウェイに右代金として直接払い込まれることになった。昭和六一年九月三〇日ファーストファイナンスは、右五、〇〇〇株の株券を担保にして、一、五〇〇万円を池田謙名義で貸し付け、同金額を富士銀行王子支店にあるビッグウェイの当座預金口座に振込入金した。

5 小野は、コスモス株が店頭登録される昭和六一年一〇月三〇日の直前ころ、池田謙に連絡し、右コスモス株五、〇〇〇株を店頭登録直後に売却するかどうかを聞いたところ、池田謙は、小野に対し、全株売却するよう依頼した。そこで、小野は、同株の売却手続をし、その結果、同月三一日、大和証券において、右五、〇〇〇株が一株当たり五、二七〇円で売却され、同年一一月五日、その代金二、五九八万七、四五〇円(委託手数料等を差し引いた金額)が池田謙の指定した池田謙普通預金口座に振り込まれた。そして、同月七日、右振込金のうちから一、五一一万一一五円がファーストファイナンスの三和銀行新橋支店の当座預金口座に振込送金され、前記借入金の元利の返済がされた。

二 争点に対する判断

1 江副が、本件コスモス株譲渡の相手方として、被告人をリストアップしたこと

弁護人は、本件コスモス株五、〇〇〇株譲渡の相手方は池田謙であり、池田謙をコスモス株譲渡の相手方としてリストアップしたのは、リクルートコスモスの社長池田友之か同社の社長室の者である旨主張する。

しかし、以下に述べるとおり、江副が、本件コスモス株譲渡の相手方として、被告人をリストアップしたことは明らかである。

(一) 間宮の供述の概要と信用性の検討

(1) 間宮の捜査段階における供述の概要

間宮は、参考人としての在宅の取調べの時以来、捜査段階(甲書二三、二四、二八三、二八五、二八八、七一〇、七一一)では、一貫しておおよそ次のとおり供述している。

昭和六一年九月上旬、社長室で、江副、小野と三人でコスモス株の譲渡先をリストアップした。そのリストアップは、ほぼ連日三日くらい行われた。私も江副から譲渡先の候補者を推薦するように言われ、宣弘社の小林など四人を推薦した。その際、江副がリストアップした政治家の中に被告人が入っていた。

(2) 間宮の公判供述の概要

間宮は、公判(一三~一五、八九回)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和六一年九月上旬、社長室で、江副、小野と三人でコスモス株の譲渡先をリストアップしたことは間違いない。しかし、今、思い出してみると、その際、江副がリストアップした政治家の中に、被告人が入っていたかどうかはっきりしない。

(3) 信用性の検討

間宮は、公判(一五回、三五~八七項)において、検察官の取調べに対しては、「これだけ世の中をお騒がせし、大きな問題になっていることについてはきちんと事実をお話しして、そして、どのような形であれ御理解いただく、その真実を知っていただくということが大切だというふうな建前で、素直な気持ちで、誠心誠意本当のことだというふうに信じたところを申し上げた。」旨供述している上、当時の記憶に基づいて自ら作成したリストアップ者のメモ(昭和六三年一一月三日作成日付け)を検察官に提出しているところ、そのメモには被告人が記載されている(一三回)が、一方、リストアップ者の中に入っていたかどうかにつき、そのメモを作成した当時、間宮が、疑問を持っていた者(宮沢喜一等)については、記載されていない。

また、間宮の公判におけるこの点に関する供述を子細に検討すると、「捜査段階のリストアップ者に関する供述は、その後、いろいろ慎重に考えてみた結果、政治家関連の方は全て、三者によるリストアップの際に選んだという予断があって、そのように供述したかもしれないので、もしかしたら被告人はそのリストアップの中にはなかった可能性もある。」、しかし、「かといって、その他の機会に被告人がリストアップされた記憶もない。」というものであり、被告人を三者によるリストアップの機会に江副がリストアップした可能性を否定しておらず、むしろ、その公判供述の全体からすると、この点に関する捜査段階における自分の供述の信用性を否定する趣旨の供述はしていないと思われる。

以上によれば、間宮のこの点に関する捜査段階における供述は、十分に信用できるというべきである。

(二) 小野の供述の概要と信用性の検討

(1) 小野の捜査段階における供述の概要

小野は、検察官の取調べに対し、当初「昭和六一年九月上旬ないし中旬、社長室で、江副、間宮と三人でコスモス株譲渡先のリストアップをした。私は、江副の挙げた人の名前と株数をメモしていった。政治家の名前を一四、五名挙げた。」(乙書五五・昭和六三年一一月一七日付け)、「その時江副が挙げた政治家の中に被告人も入っていた。」(乙書五六・同日付け)、「江副からは何回かにわたってリストアップされているので、その一回目にリストアップされたかどうかわからないが、江副のリストアップした政治家の中に被告人も入っていた。政治家の場合、政治家本人の名前を挙げたものと、秘書の名前を挙げたものがあったが、秘書の名が挙がっていても、それは政治家に対してコスモス株を譲渡するものと受けとめていた。」(乙書五八・昭和六三年一二月一七日付け)旨供述していたが、その後供述を変更し、平成元年四月四日ころの取調べにおいては、「被告人をリストアップしたのは、江副ではなく、リクルートコスモスの役員池田友之、小坂井、高島あたりから言われたように思う。」旨供述した(一三一回・山本、甲書一〇〇二)。しかし、その後の検察官の取調べに対し、さらに、供述を変更し、「被告人側への株譲渡の手続をするに当たっては、私は、これまでリクルートコスモスの池田友之社長か、小坂井専務か、高島取締役かのだれかから言われて手続をとったと繰り返し申し上げてきました。また、被告人側への株譲渡のリストアップは、江副ではない旨話をしてきました。しかし、これまでの江副、間宮、池田友之、小坂井、高島らの取調べの結果を聞かせていただき、もう一度よく考えてみましたところ、やはり今回のコスモス株を多くの方々に譲渡するという発案は、全て江副のアイデアによるものであり、私の譲渡手続は江副のリストアップと指示により行ったと考えられるので、被告人側への株譲渡もやはり江副がリストアップし、私がその指示を受けてその譲渡手続を行ったと考えられるようになりました。私としてはリクルートコスモスの役員から被告人側への株譲渡をしてほしい旨の指示を受けた記憶があるのですが、それは多分江副がこの被告人側へのリストアップをする前の何かの機会に私がその話を江副に伝えたようなことがあって、その記憶が残っていたのかもしれません。」(乙書四三・平成元年四月二三日付け)旨供述するに至っている。

(2) 小野の公判供述の概要

小野は、公判において、おおよそ次のとおり供述している。

被告人への本件株譲渡は、昭和六一年九月下旬、リクルートコスモスの高島から指示を受けた。高島からは、電話でコスモス株を被告人側にお渡ししたいので、その事務手続を君の方でとってくれと言われた。高島は、池田友之が社長であるから、池田友之とは話をしているんだろうなと思った。その話については、江副には耳に入れていない。するとしたら高島の仕事だと思っていたから、しなかった。高島が連絡をしてきたのは、池田謙と私が親しいということを、高島が知っていたからであると思う(一一九回・小野二五六~三四一項)。

(3) 信用性の検討

小野は、捜査段階の供述について、公判において(一一九、一二三、一二四回)、次のとおり供述している。すなわち、

<1>在宅時の昭和六三年一一月一七日付け検察官調書(乙書五六)における供述は、矢田検事に、譲受人で知っている者の名を挙げろと言われて挙げ、それからその中で私が手続に行った人間はだれかと聞かれ、次にリストアップはどうしたと聞かれ、それらの話を検事がうまくくっつけて調書を作ったもので、自分はあまり深く考えずに署名してしまった。

<2>昭和六三年一二月一七日付け検察官調書(乙書五八)における供述は、当時私は、被告人をリストアップしたのは江副ではなく、リクルートコスモスの池田友之、小坂井、高島のだれかだと考えていたので、その旨の一覧表を同月七日作成し矢田検事に提出していたが、検事が、その一覧表の手続経過の部分を削除した表を調書に添付し、江副がリストアップしたかのような調書を作成したもので、私は抵抗したが、きつい取調べで怖くて署名した。

<3>平成元年四月二三日付け検察官調書(乙書四三)における供述は、山本検事に対し、当時私は、被告人への株譲渡は江副のリストアップによるものではなく、リクルートコスモスの三名のだれかの指示によると主張していたところ、検事が、江副や間宮の調書を見せ、江副本人が認めているのに否認していると、保釈がきかないといわれ、やむなく妥協してそのような調書になった、

旨供述している。

しかし、乙書五六の検察官調書については、弁護人から提出された小野の取調べ状況に関する陳述書には、その取調べに関する小野の苦情を記載したものはない上、強い嫌悪感を持っていたという矢田検事(一二四回・小野四七五項)の取調べに対し、深く考えずに署名したというのも不自然である。また、乙書五八の検察官調書については、小野が昭和六三年一二月一六日付けで作成した書面(弁書一二五)によれば、確かに一覧表について小野が供述するようなことがあったことの記載があるものの、きつい取調べであることを訴える記載はない上、かえって、その他の部分では、小野の言い分に応じて訂正した部分もあることがうかがえる。さらに、乙書四三の検察官調書については、弁護人が作成した平成元年四月二四日付け報告書(弁書一三四)には、確かに、山本検事から調書にサインしないと保釈がきかないと言われ、妥協して署名した旨の記載があるが、山本検事は、小野に保釈のことを話したことはないと明確に供述している(一三一回・山本四七三~四八三項)上、この調書を全体として読めば、検事が、従来否認してきた小野を、江副や間宮が認めていることを告げて追及したところ、江副が被告人をリストアップしたことをすっきりは認めなかったものの、渋々ながら大筋でその趣旨を認めたので、その旨の調書が作成されたことがうかがえる。以上によれば、これら各調書について、小野が公判で述べているところは、とてもそのまま信用することはできない。

一方、小野が公判で述べている、高島が被告人への株譲渡を小野に指示してきたとの供述は、間宮、池田友之の各公判供述とも矛盾する上、江副の捜査段階及び公判における各供述とも矛盾し、リクルート関係者の皆が、リクルートコスモスと被告人及び池田謙との間には、コスモス株を譲渡するような関係には全くないと述べていることとも矛盾し、到底信用できない。

なお、高島は、公判において(一三五回)、この点に関し、「だれかから、コスモス株譲渡の相手方を一人当たり五、〇〇〇株として一〇名選定するよう指示があり八名(うち一名が一万株)選定した記憶がある。残った五、〇〇〇株について、多分リクルートコスモスの社長室のだれかから一名の指名があったと思う。だれが追加されたかは覚えていないが、被告人でないとは断言できない。小野にその譲渡手続をとるよう連絡した記憶はないが、小野がそう述べているのなら、そうかもしれない。」旨述べているが、その供述は、江副から指示を受けたことについては否定し、コスモス株譲渡の相手方として選定した者について小野に連絡した可能性は否定しきれないと述べているにすぎない上、高島にコスモス株譲渡の相手方を選定するように指示したのは江副である旨の江副の公判供述(一一二回・江副三〇八~三一三項)に明らかに反するし、また、高島自身、被告人や池田謙と面識がなく、リクルートコスモスと被告人らとの間にコスモス株を譲渡するような関係があったかどうかも知らないと述べていること及び高島の捜査段階の供述(甲書九八〇)に照らし到底信用できない。

以上によれば、在宅取調べの当初の段階で、素直に供述したことがうかがえる乙書五五、五六における小野の供述が、間宮や後述の江副の捜査段階における各供述とも概ね符合し、十分信用できると考えられる。

(三) 江副の供述の概要と信用性の検討

(1) 江副の捜査段階における供述の概要

江副は、平成元年四月一六日付け検察官調書(乙書八)において、おおよそ次のとおり供述している。

昭和六一年九月中旬、一連のコスモス株譲渡の手続を小野に指示してやらせていたころ、リクルートあるいはリクルートコスモスの役員のだれかからであったと思うが、私に対し、「公明党の池田克哉代議士にコスモス株五、〇〇〇株譲渡してはいかがですか。」という話があった。被告人については、最初の譲渡先予定者の中にはなかった。その役員が被告人を仕事上のつながりで知っており、お世話になっているということもあって、被告人に株を持ってもらおうと考えて推薦してきたものと思う。それで、被告人にコスモス株を譲渡することにして、小野に手続を指示した。被告人の関係は、池田謙名義で引き受けてもらったと当時報告を聞いた。私は、池田謙を見たことも聞いたこともなく、この人にコスモス株を譲渡する意図は全くない。

(2) 江副の公判供述の概要

江副は、公判において、そもそも被告人にコスモス株が譲渡されたことは新聞報道で知ったことで、コスモス株譲渡の相手方をリストアップしていた当時は全く知らなかったので、被告人をコスモス株譲渡の相手方としてリストアップするはずがないし(一〇七回)、江副と衆議院議員小杉隆とは親友であり、長年支援してきた間柄であるところ、被告人と小杉とは、同じ選挙区でし烈な選挙戦を戦うライバル関係にあったから、被告人にコスモス株を譲渡するなどして支援をするはずがない(一一〇回)旨供述する。

(3) 信用性の検討

江副は、捜査段階の供述については、公判(一〇七回)において、「検察官から、小野がコスモス株譲渡の相手方として被告人を選定したのは池田友之であると供述している。あくまで君が被告人に対するリストアップを否認するなら、池田友之を逮捕すると告げられ、池田友之が逮捕されればリクルートコスモスが倒産するかもしれないとの恐怖心にかられ、その供述調書に署名した。」旨供述し、弁護人が作成した報告書(弁書七八、七九)、江副の陳述録取書(弁書八〇)の各記載にはその供述に沿う記載がある。

しかし、平成元年四月一五、一六日ころには、小野は、「池田友之、小坂井、高島のうちだれかからだったと思うが、被告人に対するコスモス株譲渡の手続を指示された。」旨供述していたのであって、池田友之が被告人を選定したと断定するような供述をしていない上、弁護人が江副に接見したころに作成された弁書七八、七九には、「小野が池田友之であると言っていると検察官に聞かされた。」旨の記載はなく、保釈された後かなり日が経過して作成された弁書八〇になって、その旨追加して記載されているもので、いかにも作為を感じさせること、弁書七八には「江副としては、決定者は間宮ではないかと思うが、そんなことを言っても検察庁は取り合わないであろう。」との記載があり、しかも、江副の公判供述(一一〇回・江副四九三~五〇二項、一一八回・江副一四五~一四八項)によれば、「自分が逮捕され前に、小野が、被告人をコスモス株譲渡の相手方として選定したのは池田友之であると言っているのを聞き、弁護士を通じ、昭和六三年暮れと昭和六四年の初めの二回、池田友之に確認してもらったが、本人は自分は関係ないと否定していると聞いた。」ということであって、江副自身、池田友之が被告人をリストアップしたと思い込んでいたわけでもないのであるから、なぜ池田友之の逮捕をそれほど恐れたのか、理解し難いこと、江副の取調べに当たった宗像検事は、公判において、「江副は、平成元年四月一五、六日ころの取調べに対し、自分が被告人をリストアップしたことを認めるようになったものの、それは自分が言い出したことではなく、他の者から推薦があって承認したものであり、イニシャチブをとったのは自分ではないという供述だった。当時、小野や間宮の供述によれば、三人してリストアップした時に、江副が被告人の名を挙げたことになっていたので、この江副の供述はちょっとおかしいかなという感じを持ったが、まあそういうケースもあるのではないかということで、そのまま調書に取った。江副がリストアップを否定している段階で、それなら選定したのはだれだと追及したことはあるが、それなら池田友之を逮捕するということを言ったことはない。」旨供述しているが(一二八回・宗像一一五~一四九項)、乙書八の供述内容は、概ね宗像検事のその供述に沿うものであること等の各事情からすると、この江副の公判供述は、信用できない。

また、江副と被告人との関係はコスモス株を譲渡するような間柄ではない旨の江副の公判供述は、前記認定のとおり、リクルートでは就職協定に関し度々被告人に国会質問を依頼し、江副自らもその国会質問案に手を入れるなどして関与し、その報酬として、小切手を供与し、清雅への支払の方法による金員供与を行っていたのであり、江副が被告人に対しコスモス株を譲渡することがあったとしても何ら不自然ではないと考えられることからすると信用できない。

さらに、小杉との関係から被告人に援助するはずがないとの公判供述も、前述の江副と被告人の間柄、リクルート秘書室が作成した「商品申込部課別リスト」(甲書九二四)中には、贈答先として被告人及び小杉が記載され、被告人に対する贈答主としては江副が、小杉に対する贈答主としては位田がそれぞれ記載されていること、宗像検事の公判供述によれば、捜査段階において、江副が小杉との関係があるので被告人にはコスモス株を譲渡するはずがないと主張したことは全くなかったこと(一二八回・宗像一一八項)等の各事情に照らし信用できない。

むしろ、江副は、コスモス株譲渡の相手方の選定を委ねたのは、間宮、池田友之、小坂井、高島であると述べているところ(一一二回・江副二九八~三二〇項)、江副以外の者がコスモス株譲渡の相手方として選定した政治家として江副が挙げている政治家は、被告人を除き、田中慶秋、上田卓三の二人であるが、田中は高島が選定し、上田は間宮が選定したことが明らかとなっているのに、被告人については、選定した者が現在に至るも明らかとなっておらず、また、被告人との関係からしても、江副以外の者で被告人をコスモス株譲渡の相手方として選定する可能性のある者はいないように思われること、被告人及び池田謙も、間宮、池田友之、小坂井、高島の四名の中で、コスモス株譲渡の相手方として被告人や池田謙を選定してくれそうな者についての特別の心当たりがあるとは述べていないこと、前述したとおり、江副が被告人に対しコスモス株を譲渡することが何ら不自然ではないと考えられること等の各事情に前記の間宮の捜査段階における供述、乙書五六における小野の供述を総合すると、自分が被告人をリストアップしたとの江副の捜査段階の供述が信用できるというべきである(しかし、他の者からの推薦によるとか、三者でリストアップした時とは別の機会に選定したとかいう部分は、上記の各事情や間宮の捜査段階における供述に照らし信用できない。)。

(四) まとめ

右に検討した結果によれば、間宮が捜査段階で供述するように、昭和六一年九月上旬、江副、間宮、小野の三名が、リクルート社の社長室で、数回にわたり、コスモス株譲渡の相手方をリストアップした際、江副から被告人の名前が挙げられたことが明らかである。

2 江副が、コスモス株譲渡について、直接被告人に対して電話連絡したこと

(一) 江副は、平成元年四月一六日付け検察官調書(乙書八)において、「昭和六一年九月中旬、リクルートあるいはリクルートコスモスの役員のだれかから、被告人にコスモス株を譲渡してはどうかという話があって、コスモス株五、〇〇〇株を一株三、〇〇〇円で譲渡することを決め、そのころ被告人の事務所であったか、宿舎であったかはっきりしないが、被告人本人に電話し『この度リクルートコスモス株を店頭公開いたしますので、先生にもお持ちいただきたい。つきましては、使いの者をやりますので、詳しい話は使いの者からお聞きください。』と話すと、被告人がこれを了解してくれた。それで、私は、小野に対し、被告人にコスモス株五、〇〇〇株を一株三、〇〇〇円で譲渡する手続をするように指示した。」旨供述している、

小野も、捜査段階(乙書四三、五六、五八)において、「江副から、被告人にコスモス株五、〇〇〇株を一株三、〇〇〇円で譲渡する話がついているので、譲渡手続をとるよう指示された。そこで、池田謙に電話し『既に分かっていると思いますが、池田先生の方に一株三、〇〇〇円で五、〇〇〇株リクルートコスモス株をお譲りすることになったので、その手続をとりたいのですが。』などと言ったところ、池田謙は、『分かりました。』と言ってすぐに了解してくれた。その際、資金の用意がないというので、ファーストファイナンスからの融資を受けることを勧め、了承をとった。池田謙とのやりとりから、池田謙はコスモス株譲渡の話をすでに心得ていることが分かった。」旨供述し、右江副供述に沿う供述をしている。

ところが、公判において、江副は、「そもそも被告人にコスモス株が譲渡されたことすら知らない。自分は面識のない者をコスモス株の譲渡先として選んだことはなく、被告人とは面識がないので、被告人を譲渡先として選んだことはない。被告人に電話することは簡単であるが、被告人とは面識もないし、電話をするような親しい間柄ではなかった。」旨供述し(一〇六、一〇七、一一七、一一八回・江副)、小野も、「被告人への株譲渡手続は、リクルートコスモスの高島から電話で、『コスモス株を池田先生側にお渡ししたいんだけど、その事務手続を君の方でとってくれ。』と指示され、直観的に、池田友之がリクルートコスモスの社長なので、池田友之の選定だなと考えた。それで、池田謙に電話し『コスモスが今度店頭登録することになって、先生の方にも株をお持ちいただきたい。ちょっと来てくれませんか。』と言ってリクルート社に来てもらい、ティーラウンジで株のことについて説明した。その際、被告人を選んだのは、池田友之だろうという話をした。資金についてはファーストファイナンスの話をした。その結果、池田謙名義で譲り受けることで了解が得られ、その後、書類作成等の事務手続を進めた。」旨供述し(一一九、一二二回・小野)、いずれも捜査段階における右供述を翻している。

そこで検討するに、

(1) コスモス株の譲渡先として被告人を選定したのが、江副であることは前記に認定したとおりであること、

(2) 江副の取調べを担当した宗像検事は、公判において、「江副は、四月一五日の取調べにおいて、政治家の関係は、『自分がリストアップした政治家に対しては、自分が直接本人か秘書に電話していた。被告人との関係でも、池田謙という人は、見たことも聞いたこともない人であるから、被告人本人に直接電話したはずである。』旨供述した後、翌十六日の取調べにおいて、政治家に電話をかける際には、自分が直接ダイヤルを回してかけるということはしない。自分の秘書に相手の代議士の所在を確認してもらい、相手が電話に出かかるころに自分が出るという形をとる。相手がどこの場所にいるのか、つまり議員宿舎にいるのか、後援会事務所にいるのか、あるいは自宅にいるのか、それは分からないという形での話をしていた。被告人の場合も電話をかけて話をしたことは間違いないが、どこへかけたかということは分からないということだった。それで、そういう趣旨の調書をとったのが乙書八の検察官調書である。」旨供述しているところ(一二八回・宗像一五三~一七七項)、その供述は、供述に至る経緯や江副の当時の供述態度等に関して述べるところが誠に説得的であり十分信用できるものと考えられ、乙書八の検察官調書の記載は、まさにその供述に沿うものであること、

(3) 江副自身、公判において、自分が人選した相手については、ほとんどの人は自分が直接連絡し、自分が連絡しなかったのは例外であると述べている上(一〇八回・江副一三一~一三三項)、小野も、公判において、江副が選定した政治家については、藤波と被告人以外の者のほとんどに関して、江副から連絡をとっているから手続をとるように指示されて、手続をとった旨供述していること(一二三回・小野八三~一一五項)、

(4) 乙書八の検察官調書における江副の供述は、全体的に見ると、前記認定のとおり江副が自ら選定したと思われる被告人について、他の者からの推薦によって選定したかのように供述したり、後では自分の関与を認めるようになった国会質問案への関与について(乙書一〇、三〇等)、当時事業部員がそういうことをやっていて自分も承知していたかもしれないが、現在はよく覚えていないと述べるなど、宗像検事が「江副は、最初から洗いざらい全てを供述するのではなく、調べを重ねるに従って供述が煮詰まってくるというような供述態度をとっていたので、このとき断定していないものが、後で断定的になるという形が多かった。」旨述べている(一二八回・宗像一五九項)ところと符合する消極的ながら認めるといった供述内容であるところ、そのような中でも被告人に対して直接電話をかけたことを認める供述をしているのであり、その信用性は高いと考えられること、

(5) 弁護人から提出されているいわゆる接見メモ(弁書七一~一〇六)中に、乙書八のこの電話を被告人に直接かけたことを認めた部分について、検事の無理な取調べなどによるものであると江副が苦情をのべていたとの記載は一切ないこと、

(6) 小野は、被告人をコスモス株譲渡の相手方として選定したのはリクルートコスモスの池田友之ら三名のうちのだれかで、江副でないという趣旨の供述をしている平成元年四月四日付け検察官調書(甲書一〇〇二、乙書六〇)の中でも、「コスモス株譲渡の手続を指示されてすぐ池田謙に電話したところ、池田謙は既にコスモス株譲受けの件について知っていたようで、すぐに了解してくれた。」旨供述しており、コスモス株譲渡先として被告人を選定したのが、江副かリクルートコスモスの三名のだれかかで供述が変遷している捜査段階の供述の中でも、指示に基づき自分が電話したところ、池田謙がコスモス株譲受けの件については既に了解していた様子であったことに関しては一貫して供述していること

等の各事情によれば、江副の「コスモス株譲渡について被告人に自分が直接電話した。」旨の捜査段階における前記供述及びそれに沿う小野の捜査段階における前記供述は、いずれも十分信用できるというべきであり、これに反する前記各公判供述は、右の各事情に、前述したとおり、江副の「コスモス株譲渡先として被告人が選定されていることすら新聞報道されるまで知らなかった。」旨の公判供述が被告人と江副との関係からして極めて不自然な供述であること、小野の公判供述は、自分がその場に陪席として出席した上、その場のやり取りを議事録として記録していた取締役会での就職協定に関する検討について、一切記憶がないと述べるなど、不誠実な供述態度であったこと等の各事情を併せ考慮すると、到底信用できない。

(二) 右の江副及び小野の捜査段階における各供述を総合すると、昭和六一年九月中旬、江副が、被告人本人に直接電話し、コスモス株を店頭登録するので、被告人にも譲りたい旨話し、被告人の了解を得、その後、小野に対し、被告人にコスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲渡する手続をするように指示したこと、指示を受けた小野が、池田謙に電話し、被告人に一株当たり三、〇〇〇円で五、〇〇〇株コスモス株を譲ることになったので、その手続をとりたい旨話したところ、池田謙は、既にその話を心得ていたようですぐに了解したこと、以上の各事実が認められる。

右認定に反する被告人及び池田謙の各供述は、右の江副及び小野の捜査段階における各供述や右認定の各事情に照らし、信用できない。

3 間宮が、昭和六一年九月一三日、日本カントリークラブで、被告人らとゴルフをした際、被告人に、コスモス株が譲渡されることを話したこと

(一) 間宮は、捜査段階(甲書七一〇、七一一)において、「昭和六一年九月一三日、日本カントリークラブで、被告人らをリクルートの経費負担で接待した。その時一緒にプレーしたのは、池田謙と、全民労連副委員長の笹森だった。このゴルフは、被告人側から小野に誘いがあり、小野に代わって自分が参加した。そのゴルフのプレー中、被告人に、『リクルートコスモス株の件で先生にお願いすることになると思いますので、近々、小野がお伺いすると思いますから、よろしくお願いします。』と話すと、被告人が、『ああ分かりました。』と言う程度の簡単な返事をしていた。その時はプレー中だったので、詳しい話をした記憶はない。」旨供述している。

間宮が供述するように、昭和六一年九月一三日、日本カントリークラブで、被告人、間宮、池田謙、笹森の四人がゴルフをしたことは、証拠上明白である(甲書七〇六、七〇七)。

ところが、間宮は、公判において、日本カントリークラブで被告人にコスモス株譲渡の話をしたかもしれないが、はっきりした記憶はない旨、あいまいな供述をしている(八九回・間宮一三七~一五七項、二二三~二五六項)。

そこで、間宮の捜査段階における右供述の信用性について検討するに、

(1) 間宮は、公判において、捜査段階における右供述は、昭和六一年九月上旬コスモス株譲渡先を江副、小野、間宮でリストアップする作業をした際、江副が被告人を選定した可能性があり、もしそうだとすると、その直後でもあるから、九月一三日のゴルフの時に、被告人にそのことを話した可能性を否定しきれないので、二重の可能性の上に立ってそのような供述をした旨供述している。そうだとすると、昭和六一年九月上旬、江副ら三名が、コスモス株譲渡先をリストアップした際、江副が被告人を選定したことは、前記認定のとおりであり、その直後にゴルフがされているのであるから、間宮が供述するとおり、そのゴルフの時に、コスモス株譲渡先として被告人も挙がっておりましたという話が出ている可能性は極めて高いと考えられること、

(2) 間宮は、他の点では検事の取調べに対してかなり抵抗し、訂正を申し立てた部分もあるとしながら、甲書七一〇における「ゴルフ場のプレー中か何かに、被告人に、株譲渡先として被告人の名前もリストアップされたということを、話しているかもしれません。」との供述については、検事の取調べに対し、強い抵抗を示したことはないと述べるとともに(八九回・間宮二二九項)、そういう話をゴルフの際にした可能性は、現段階においても否定はしきれない旨、公判において、繰り返し述べていること、

(3) 間宮は、公判において、この点に関して、種々の角度から尋問を受けながら、このゴルフの際に被告人への株譲渡話をしていないとは供述しておらず、その供述全体を眺めると、むしろ、そのような話を被告人にした可能性は十分にあり、もし話をしたとすれば、甲書七一一にあるような話の内容になるであろうと供述していると見うること(八九回・間宮三〇九項)、

(4) 間宮は、前述のとおり、検事の取調べに対し、誠心誠意本当のことだと信じたことを供述するという態度で臨んでいたと認められるところ、甲書七一一のこの点に関する供述内容も、前記のとおりであって、その場のやり取りなどを詳細に供述しているものではなく、自分の記憶にあるところはこの程度で、あとはよく記憶がありませんといった趣旨の供述であり、その当時の記憶に基づいて供述した信用性の高い供述であると認められること

等の事情に照らすと、間宮の捜査段階における右供述は、信用できるというべきである。

(二) これに対し、小野は、公判において、江副ら三人によるコスモス株譲渡先のリストアップは、昭和六一年九月一三日から一五日にかけて開催されたフロムエーカップというウインドサーフィンの大会直後のことで、自分がその大会に参加していたので、間宮の言うように九月上旬にリストアップがされて、九月一三日にその話を被告人にするということはありえない旨供述する(一一九回・小野一四一~一五四項、一二三回・小野七〇四~七二七項)。

しかし、小野のこの供述は、

(1) 小野は、公判において、三日間大会に参加して能天気に過ごして会社に来てみると、降って湧いたような今回の株譲渡の話で、それからものすごく忙しい思いをしたのを記憶としてよく覚えていると述べている。ところで、小野は、捜査段階(乙書五五、五八)から、「江副に、間宮と二人で手分けして譲渡先を回って九月中に手続をとるように指示され、これは大変だと思った。」旨既に供述している。そうだとすると、そのように大変だと思った理由が、指示を受けた日から九月末まであまり日がなかったことからであり、そのように思う根拠が、フロムエーカップに参加して帰って来てから指示を受けた記憶があることからだとすると、なぜそのことを捜査段階で思い出せなかったのか誠に不思議であること、

(2) 小野は、このことをいつ思い出したのか、はっきりしたことを述べていないが、捜査段階ではフロムエーカップの開催日付を確認できずにいたのが、保釈になって確認し、記憶が明確になったとするもののようである(一一九回・小野一四七~一五五項)。しかし、そうであれば、少なくともフロムエーカップに参加し、その後に江副のリストアップがあったことは、捜査段階でも記憶があったはずであり、江副のリストアップについて、一時は検事の取調べに対しかなり抵抗の姿勢を示していたことがうかがえる小野が、そのことについて全く捜査段階でも供述していない(いわゆる接見メモ中にもそのような記載はない。)のは、不自然であること、

(3) 江副ら三名によるコスモス株譲渡先のリストアップが、昭和六一年九月上旬に行われたことは、間宮が捜査段階以来一貫して供述しているほか、江副自身、公判において、コスモス株譲渡先として社外の人を人選したのは、八月の末か九月の極めて早い時期であると供述し(一一二回・江副一六八、一六九項)、また、コスモス株譲渡の関係書類を準備したリクルートコスモス取締役財務部長兼経理部長の館岡も、公判において、江副の指示を受けた小野が、自分にコスモス株譲渡の相手方と譲渡株数を連絡してきたのは、昭和六一年八月末か九月初めが最初であった旨供述していること(一七回・館岡四一八、四一九、五二〇~五二三項)

等の各事情に照らすと、到底信用できない。

(三) 以上によれば、間宮が捜査段階で供述しているとおり、間宮が、昭和六一年九月一三日、日本カントリークラブで、被告人らとゴルフをした際、被告人に、コスモス株が譲渡されることを話したことが認められるというべきであり、右認定に反する被告人の供述は、間宮の捜査段階における前記供述や右(一)の(1)から(4)で述べた各事情に照らし信用できない。

4 コスモス株売却代金の使途等

(一) コスモス株売却代金が池田謙普通預金口座に入金され、その後、同口座から一、五一一万一一五円がファーストファイナンスに返済金として支払われ、残額一、〇八七万七、三三五円のうち七〇〇万円が、昭和六一年一一月七日、吉田弘敏普通預金口座に振替入金されているところ(甲書七六五、八四〇)、池田謙普通預金口座及び吉田弘敏普通預金口座が、いずれも被告人の政治資金を管理する口座として利用され、そのことを被告人も認識していたことは、前記に認定したとおりである。

(二) 吉田弘敏普通預金口座に入金された七〇〇万円のうちから、昭和六一年一一月一〇日、被告人の選挙運動のため発行された被告人著の「マスコミ野郎飛び出す」等三冊の書籍の印刷代等として、公和印刷株式会社に二九三万円(振込手数料六〇〇円を含む。)、株式会社ジャスに五一万五、〇〇〇円(振込手数料六〇〇円を含む。)の合計三四四万五、〇〇〇円が支払われているが(甲書七六五、七八一、甲書八九一・鈴木嘉男)、これに関連して以下の各事実が認められる。

(1) 右書籍三冊の印刷代金は、合計四九二万九、四〇〇円であるが、右二九二万九、四〇〇円を除く二〇〇万円については、昭和六一年一〇月一日、池田克哉普通預金口座の資金を引当てにして発行された三菱銀行の金額二〇〇万円の被告人の自己宛小切手により支払われている(甲書二四〇、甲書八九一・鈴木嘉男)。

(2) 右三菱銀行の自己宛小切手の発行に際して作成された三菱バンカーズ・チェック発行手数料明細票には、被告人の自筆の署名が残っており、被告人自身、公判において、公和印刷に対する第一回目の支払を自分がした旨供述している(一四六回・被告人五五三~五七五項)。

(3) ところで、公和印刷からの右書籍三冊の印刷代金の請求は、昭和六一年五月二〇日付けの一三三万円の請求書と、同年六月二〇日付けの三六〇万の請求書をもってされているが、それぞれの請求は、その請求書の日付けのころ、ダイヤモンド会の方に請求されていると認められる(甲書八九一・鈴木嘉男)。そうだとすると、被告人は、第一回の二〇〇万円の支払をした同年一〇月一日には、その金額を知った上でその支払をしたものと推認される。被告人自身、公判において、実際の請求金額は知らなかったが、自分の経験からして六〇〇万円くらいかかるだろうと見積りを立てていたので、その三分の一くらいということで二〇〇万円を自分が払った旨供述し、自分が支払ったほかにかなりの残代金の支払が残っていたこと自体は認めている(一四六回・被告人五五五~五七六項)。

(4) 右三冊の書籍の発行に当たっては、被告人自らがその発行を決め、内容も被告人自身が決定し、印刷の交渉も公和印刷の社長鈴木嘉男が被告人の高校の後輩という関係もあって被告人が直接担当している(一四六回・被告人五一九~五二八項)。

これらの各事実を総合すると、被告人は、右三冊の書籍の発行に当たっては、自らその発行を決めた上、その内容等も決定し、見積りも一応立て、印刷屋の交渉も担当し、印刷代金支払の一部を自らがしているのであるから、その後の残金の支払については自分が関与しておらず、池田謙に全て任せていたとの弁解は到底信用できず、むしろ、残金の支払についても、コスモス株売却代金が振り込まれたのを知り、その一部を公和印刷への印刷残代金の支払に充てるように池田謙に指示し、池田謙をしてそのように実行させたものと推認される。

なお、この点に関する、印刷代金等の支払は、自分が全部したのであり、被告人が関与したことはない旨の池田謙の公判供述(一〇三回・池田謙一一五~一六一項)は、被告人自身が自分が支払ったことを認めている二〇〇万円の支払についてさえわからないと強弁していること、池田謙の公判における供述態度は、被告人をかばうあまり、肝心の点になると、記憶がないとか分からないと述べたり、不自然な弁解をしたりしているのであって、不誠実なものであったこと等の事情に右認定の各事実を併せ考慮すると、到底信用できない。

(三) 右(一)、(二)において認定した各事実によれば、被告人は、コスモス株五、〇〇〇株が一株当たり三、〇〇〇円で、池田謙名義で、被告人に対して譲渡されることを知っていたことが推認されるというべきである。

なお、池田謙がコスモス株売却代金の一部を自己の用途に費消した事実が、仮にあったとしても、右認定には何ら影響するものでない。

三 結論

右一、二において認定した各事実、前記第四章第五コスモスライフから清雅に対する振込送金の趣旨及び被告人の認識において認定した各事実及びコスモス株譲渡に関してわいろ性を認めた江副の平成元年四月一六日付け(乙書八)、同年五月二二日付け(乙書三五)各検察官調書を総合すると、被告人は、江副から電話でコスモス株五、〇〇〇株を一株当たり三、〇〇〇円で譲渡したい旨連絡を受け、江副が、第二章において認定した各請託の報酬として、値上がりが確実で一般に入手が困難なコスモス株を、被告人に譲渡して利益を得させようとしていることを認識しながら、これを承諾し、池田謙に指示して必要な手続をとらせて、池田謙名義でコスモス株を譲り受けたものと推認できるというべきである。

【法令の適用】

一  罰条

判示罪となるべき事実第二の一、二及び三の1、2、3の各所為につきいずれも

刑法一九七条一項後段

二  併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い第二の三の3の罪の刑に加重)

三  刑の執行猶予 刑法二五条一項

四  追徴 刑法一九七条の五後段

(各犯行により被告人が収受したわいろは全部没収することができないので、その価額を被告人から追徴する。なお、判示第二の三の3の犯行により収受した株式については、被告人に譲渡された時点における価格が、店頭登録日の現実の初値二、六三五万円と同一であると認められるから、その価格から株式の取得価格一、五〇〇万円を控除した残金一、一三五万円を被告人から追徴することとする。)

五  訴訟費用の処理 刑訴法一八一条一項本文

【量刑の理由】

一  1 本件は、衆議院議員で文教委員会及び予算委員会の各委員であった被告人が、大学等卒業予定者向けの求人に関する諸情報を掲載する就職情報誌の発行、配本等の事業を営むリクルートの代表取締役であった江副らから、文教委員会等において、国の行政機関に対し、職員の採用に関して民間の就職協定に協力するとの人事課長会議の申合せに違反して青田買いをしているとの指摘をして、右人事課長会議申合せの遵守の徹底方を求めるなどの質問をしてもらいたい旨の請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、金額合計二〇〇万円の小切手の供与を受け、被告人の妻が名義上代表取締役になっている清雅の銀行口座に金額合計五〇〇万円の振込送金を受けてこれを受領し、さらに、値上がり確実なコスモス株五、〇〇〇株を弟池田謙名義で譲り受けて一、一三五万円の利益を得たという事案である。

2 被告人は、長年、衆議院議員の地位にあり、衆参両議院の各委員会の委員は、その所属する委員会の所管する事項につき、議案、請願等の審査及び国政に関する調査に関与する職務権限を有するところ、その権限の行使、中でも委員会における質疑に当たっては、国民全体の奉仕者として、公正かつ廉直にその職務を遂行しなければならないのであって、少しでも国民に疑惑を抱かせるようなことがあってはならないことを十分認識していたはずである。ところが、被告人は、その自覚を欠き、江副らから、請託を受けると、安易にこれに応じ、結果としてそれがリクルートの利益を図ることにつながることを認識していながら、前述のとおり、請託の趣旨に沿った質疑を行って、合計一、八三五万円ものわいろを収受していたものである。このような行為が、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である国会に対する国民の信頼を著しく損ない、ひいては国民に国政参加の意欲を失わせ、民主主義の根幹を危うくする行為であることは、明らかである。

3 清雅口座への振込送金による収賄は、架空の契約を締結してコンサルタント料名目で金員の供与を受けるなど、巧妙な犯行態様である上、途中で被告人側から増額を持ち掛け、二〇〇万円から三〇〇万円に増額してもらってもいる。また、コスモス株の譲受けは、一般庶民には入手することがまず不可能な未公開株を、衆議院議員という地位に関連して入手したもので、しかも、自己資金を全く支出することなく、多額の利益を得たのであって、国民の健全な勤労意欲を損なうこと甚だしい行為である。

4 ところが、被告人は、捜査、公判を通じ、一〇〇万円の小切手一枚の交付を受けたことを認めながらも、各請託を受けたこと及び各わいろを収受したことについては争い、本件に関して反省の態度を一切示していない。

5 以上によれば、本件に関する被告人の刑事責任は重いというほかない。

二  他方、本件は、江副らが、被告人が国会議員として長年取り組んできた教育問題に関連する就職協定の問題について国会質問をしてもらい、そのお礼の趣旨で、被告人に一〇〇万円の小切手を供与したことから始まった収賄事案で、全体として見れば、リクルート側の巧みな働き掛けに被告人がうかうかと乗ってしまったとも見うる事案であること、被告人の、本件に関連しての国会質問の内容は、国の行政機関等が大学卒業生等を採用するに当たっては公正さを保つように訴えたりしているものであって、結果としてはそれがリクルートの利益を図ることにつながる側面があることは否定できないものの、質問それ自体の内容としてそれが国民の利益を損なうものであったとはいえないこと、被告人は、長年、公明党所属の衆議院議員として、特に教育問題等で活発な論陣を張り、活躍してきたが、本件がリクルート疑惑のひとつとしてマスコミで大きく取り上げられたこともあって、昭和六三年一一月四日、当時所属していた公明党の副書記長等の役職を全部辞任し、平成元年五月一六日、公明党を離党し、同年六月二日、衆議院議員の職を辞しており、相応の社会的制裁を受けていること等被告人のために酌むことができる情状もある。

三  以上の一切の事情を考慮すると、主文のとおりの刑に処した上、刑の執行を猶予するのが相当である。

そこで、主文のとおり判決を言い渡す。

(求刑 懲役三年、追徴金一、八三五万円)

(裁判長裁判官 三上英昭 裁判官 山口雅高 裁判官 佐々木一夫)

(別紙目録)

一 次の各証人に支給された金額の四分の一

山田義夫、館岡精一、畑崎廣敏、鈴木實、猪又二郎、遠藤丞、石川晋、井上捷夫、森園幸男、松崎芳伸、宮澤一弘、中村徹、有田和徳、宗像紀夫、庄地保、山本修三

二 次の各証人に支給された金額の三分の一

伊藤孜、木本雅之、和田吉次

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