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東京地方裁判所 平成元年(ワ)5678号 判決 1991年10月29日

原告 株式会社シルバースプーン

右代表者代表取締役 高見澤國雄

右訴訟代理人弁護士 松浦安人

被告 東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 竹田晴夫

右訴訟代理人弁護士 田中愼介

同 久野盈雄

同 今井壮太

同 安部隆

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一、請求

被告は原告に対し、金二億一四〇六万二〇〇〇円及びこれに対する昭和六三年一二月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1. 原告は繊維製品の販売及び有価証券の売買を業とする会社、被告は損害保険を業とする会社である。

2. 原告は、昭和六三年一二月一九日、東京証券取引所において、三木証券株式会社を通じて、ジャパンライン株式会社(以下「ジャパンライン」という。)の株式四九万四〇〇〇株を、金三億〇二九八万二〇〇〇円(一株五八〇円から六二三円)で買った。

原告は、同月二二日、三木証券株式会社において、右の同月一九日に買ったジャパンライン株式の株券を受け渡されたが、受領した株券(以下「本件株券」という。)の裏面には、前主として被告の名が記載され、かつその後の株主の移動については全く記載がなかった。したがって、原告は、被告の所有していた本件株券を取得したことによって、被告が同月一九日に東京証券取引所を通じて売却したジャパンライン株式を取得した。

3. ジャパンラインと山下新日本汽船株式会社(以下「山下新日本汽船」という。)は、同月二三日午前、両社が対等合併の基本合意書に調印し、翌年六月に合併する旨発表した(以下「本件合併」という。)。同時に、本件合併に当たってジャパンラインは八割、山下新日本汽船は五割の割合で大幅に減資することも発表されたため、東京証券取引所は、混乱を避けるため同日いっぱい両社の株式取引を停止した。その後、ジャパンラインの株価は値下がりを続けた。

4. 被告は、昭和六三年一二月当時、ジャパンラインについて保有株式数第三位の山下新日本汽船について第二位の、それぞれ安定大株主であった。会社の合併及び資本の減少は、共に株主総会の特別決議を要する事項(商法三七五条一項、四〇八条一項、三項)であり、通常は事前に大株主らと相談してその了解を取ったうえで発表されるはずである。また、被告は、昭和五九年一一月一一日に新株発行により本件株券を取得してから一度も売却することなく保有していたのに、合併発表のわずか四日前になって突然売却した。さらに、ジャパンラインと山下新日本汽船が、昭和六三年七月に両社の定期航路部門を分離して、新たに、「日本ライナーシステム株式会社」を設立したときは、両社の社員のほとんどが将来両社が合併する予定であることを知っていた。したがって、被告は、遅くとも昭和六三年七月には本件合併の情報を知っていたはずである。

本件合併の情報は、被告がジャパンラインの大株主という地位によって知りえたいわゆるインサイダー情報にあたる。

以上によれば、被告は、本件合併の情報を知って、右情報の発表後、保有するジャパンライン株式の株価が大幅に下落して損害を被るのを避けるため、合併発表の四日前に高値で売却して、合併発表後安値で買い戻すことにし、右株式を買い受けた投資家が株価の暴落による損害を被ることを認識しながら売却した故意の不法行為(いわゆる「インサイダー取引」)を行った。

5. 因果関係

被告がジャパンライン株式を売却しなければ、原告が本件株券を受領することはなかったのであるからいわゆる自然的因果関係(条件関係)がある。そして、被告は、本件合併の事実が発表されれば、ジャパンラインの株価が直ちに暴落することを予見しながらジャパンライン株式を売却したのであるから相当因果関係もある。

6. 損害

ジャパンラインの株価は、現在一株一七〇円から一八〇円で推移している。原告は、少なくとも購入価格と一株一八〇円で計算した現在の株価との差額二億一四〇六万二〇〇〇円の損害を受けた。

よって、原告は被告に対し、被告の不法行為(インサイダー取引)に基づき、金二億一四〇六万二〇〇〇円及びこれに対する弁済期の経過後である昭和六三年一二月二三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

1. 請求原因1のうち、被告が損害保険業を営む会社であることは認めるが、その余の事実は知らない。

2. 同2の前段の事実は知らない。同2の後段の事実のうち、被告が昭和六三年一二月一九日にジャパンライン株式を売却したこと、本件株券の裏面に原告主張のような記載があることは認めるが、その余の事実は否認する。

3. 同3の事実は認める。

4. 同4のうち、被告がジャパンラインについて第三位の、山下新日本汽船について第二位の各大株主であること(保有株式数は、平成元年三月三一日現在、ジャパンラインは六五六五万株、山下新日本汽船は二四二〇万株である。)、本件株券はジャパンラインが昭和五九年一一月一一日の新株発行により発行したことは認める。被告が昭和六三年一二月一九日にジャパンライン株式を売却した際、本件合併の情報を知っていたという事実は否認し、その余の事実は知らない。

5. 同5、6の事実は否認する。

三、被告の主張

1.(1) 原告が主張するジャパンラインの株価の暴落による損害と被告のジャパンライン株式の売却との間には自然的因果関係(条件関係)がない。

(2) 証券取引所における株式売買の仕組みは、以下のとおりである。

ア  証券取引所における株式売買の取引は、その証券取引所の正会員(取引所会員証券会社)にかぎり行うことができる。正会員は特定の例外を除いて株式売買をすべて証券取引所で行わなければならない。証券取引所における取引は、顧客が正会員である証券会社に対して、株式の銘柄、株数、売り買いの区別、成行き注文か指値注文か、指値注文の値段等を指示した委託注文を出すことによってのみ行われる。顧客が売付けないし買付けの相手方を指定することはできない。

イ  正会員証券会社の営業部に集まった顧客の売買委託注文は、証券取引所にいる同社の市場担当者に伝達され、市場担当者は、証券取引所内の才取会員(証券取引所において正会員の売買取引を媒介することを専門に行う証券会社)に注文発注を行う。才取会員は競争売買によって取引を成立させる。

各顧客の売買の注文は、価格優先(低い値段の売値は高い値段の売値に優先し、高い値段の買値は安い値段の買値に優先する。)と時間優先(同一値段の注文は時間の早い方が優先する。)の二つの原則に基づき、株式銘柄毎に価格順、時間順に集計される。そして、価格と時間だけを基準として、売り注文と買い注文が結び付けられて決済される。

ウ  会員証券会社は、証券取引所における売買取引について、株券と売買代金の決済を集中決済制度によって行う。すなわち、証券取引所の管理の下に、会員証券会社ごとに、同一決済日の全売買契約を一括集計して、代金の受渡しについては、同一証券会社の同一決済日の総売付け代金と総買付け代金との差引額を証券取引所との間で授受することによって決済する。次に、株券の受渡しについては、東京証券取引所においては、株券の振替決済制度によって行われる。すなわち、東京証券取引所が、その付属機関として設立した日本証券決済株式会社(以下「日本証券決済」という。)に株券決済の業務を委託している。会員各証券会社は、顧客から預託を受けた株券と自己所有株券とを、日本証券決済へあらかじめ混蔵寄託し、口座を設定しておく。同一証券会社の同一決済日の銘柄ごとに、株式の売付け数量と買付け数量の差引き数量を求めて各証券会社間の株券の授受に代え、日本証券決済に設けた各証券会社の口座の記載の振替(渡方証券会社の口座からは振替決済分だけ数量が減少し、受方証券会社の口座は数量が増加する。)により決済する。受方証券会社が株券現物の受渡しを希望する場合には、日本証券決済が機械的に指定した渡方証券会社から、株券現物の引渡しを受けることになる。

エ  株式を買い付けた顧客に対しては、集中決済が行われた後に、通常証券会社から株券の保護預かり証(株式の銘柄と株数が記載される。)が渡されるが、顧客が株券の現物の受渡しを希望する場合には、株券が渡される。その場合、顧客には、①当該証券会社の保護預かり株券、②当該証券会社内の当日の取引の喰い合い分の株券、③日本証券決済の指定した別の証券会社から受け渡された株券というように証券会社の有する様々な株券の中から、銘柄と株数のみによって特定された株券を受け取るのである。

(3) 原告は、被告が有していた本件株券を原告が取得したことによって、被告が売却したジャパンライン株式を原告が取得した旨主張するが、株券の受渡しは証券取引所における売買取引とは切り離されており、証券取引所での売買の結果受領した株券の名義人が、売買の相手方ということにはならない。原告が本件株券を取得したのは、原告と被告との間に売買取引がなされたことによるものではなく、証券取引所における集団競争売買及び集中決済制度の結果、たまたま被告名義の株券が原告に渡されたにすぎない。

さらに、原告は、被告がジャパンライン株式を売却するか否かと全く関係なく、ジャパンライン株式の買い注文を出したのであり、実際昭和六三年一二月一九日に、証券取引所において売買が成立したジャパンライン株式の数量は一七二三万五〇〇〇株もあったのであるから、被告がジャパンライン株式を売却していなくても、原告は本件株式を取得していたはずである。

以上から、原告主張の損害と被告のジャパンライン株式の売却との間に自然的因果関係はない。

2. 被告は、昭和六三年一二月二三日まで本件合併の事実を知らなかった。

昭和六三年一二月当時、株式相場は日経平均で三万円を越えるなど全体的に高値感が出ており、特に造船、鉄鋼、海運等の業種は、業績見通しに比べて株価が高めで過熱感が出ていた。また、当時被告は多額の外貨建資産を有していたが、為替相場は昭和六三年秋から円高傾向にあったため、財産評価損が発生する恐れがあった。そこで、被告は、以上の相場感に基づき、安定株主として保有する株式を翌年の決算期までに安値で買い戻すことを前提として売却し、利益出しをすることにし、その銘柄のうちの一つとして、昭和六三年一二月一九日に東京証券取引所を通じて、ジャパンライン株式一二一万株を売却した。

四、原告の再反論

故意又は過失により偽造株券又は除権判決を受けた株券が証券会社に預託され、証券取引所を通じて売却された場合、右株券を買い受けて取得した者に生じた損害と右売却行為との間には不法行為の因果関係がある。したがって、原告が証券取引所を通じてジャパンライン株式を購入したからといって、因果関係が否定されるべきではない。

五、主要な争点

1. 因果関係の存否

2. 被告は本件合併情報を知って株式を売却したか。

第三、争点に対する判断(争点1について)

一、まず、原告は、昭和六三年一二月一九日、ジャパンライン株式四九万四〇〇〇株を東京証券取引所を通じて購入したこと及びこれに基づいて、同月二三日、三木証券株式会社から、本件株券を受領したことが認められる(甲一、二及び一〇)。また、被告が、同月一九日、東京証券取引所を通じてジャパンライン株式を売却したこと及び本件株券の裏面に前主として被告の名が記載され、その後の株主の移動について何ら記載がなかったことは当事者間に争いがない。

二、証券取引市場における株式の売買及び株券の受渡しの仕組みについては、被告の主張1の(2)に記載したとおりであると認められる(乙一ないし三)。

三、1. 不法行為の因果関係が認められるためには、まず被告の行為と原告の損害との間に条件関係、すなわち「AなければBなし。」という関係が認められることが必要である。原告は、被告が違法に売却したジャパンラインの株式を売買取引により原告が取得したことによって損害を受けたのであるから、被告がジャパンライン株式を売却しなければ、原告は被告の売却にかかるジャパンライン株式を取得しなかったという条件関係がある旨主張している。そこで、問題は、被告の売却した株式を原告が取得した、つまり買い受けたといえるかである。そして、それが肯定された場合には、被告の売却が違法(インサイダー取引)であれば、被告の売却と原告の損害との間に因果関係があるといえよう。

2. ところで、前記認定のとおり、証券取引所における株式取引では、個々の顧客の委託注文は、証券会社を通じて証券取引所に集約され、値段及び時間を基準にして集計された売り注文と買い注文が集団的に結び付けられて売買が成立する。したがって、この場合、被告の株式売却と原告の株式買受けとの間に売買が成立したというには、まず、集団競争売買の中で、被告の売り注文と原告の買い注文とが、現実に結び付けられたことが、原告によって主張立証されなければならない。例えば、ある銘柄について、当日の売り注文と買い注文がそれぞれ一つずつしかなく、それらが結び付けられて決済された場合を考えれば、証券市場を通じた株式取引であっても、右売付けと買付けとの間には売買が成立し、条件関係があると考えるべきである。これに対して、原告の買い注文が、そもそも被告以外の他の売り注文と結び付けられて決済されていたとすれば、現実に原告の買い注文と被告の売り注文は対応していないのであるから、その間に売買は成立せず、条件関係が存しないことは明らかである。

3. この点に関し、原告は、被告がジャパンライン株式を売却しなければ、原告が本件株券を取得することはなく、原告は本件株券を受領したことによって、被告からジャパンライン株式を売買により承継取得したことになる旨主張する。

しかし、ジャパンライン株式を含めて東京証券取引所に上場されている株式の取引については、前記のとおり、株券と売買代金の決済は集中決済制度により、株券の受渡しは、株券の振替決済制度によって行われている。そして、株式を買い付けた顧客には、通常株券の保護預り証が渡され、顧客が希望する場合にのみ株券が渡されるが、この場合には、①当該証券会社の保護預かり株券、②当該証券会社内の当日の取引の喰い合い分の株券、③日本証券決済の指定した別の証券会社から受け渡された株券というような証券会社の有するさまざまな株券の中から、銘柄と株券のみによって特定された株券が渡される仕組みになっている。

4. したがって、原告が三木証券株式会社から本件株券を取得した事実から、被告の売り注文と原告の買い注文とが証券取引所において現実に結び付けられて売買が成立したことを推認することはできない。原告は、右事実の他に被告の売り注文と原告の買い注文が現実に結び付けられたことを推認させうる事実を主張立証しないし、本件全証拠によってもそのような事実は全くうかがわれない。

5. 原告が、例として挙げる、偽造株券又は除権判決を受けた株券を証券取引所を通じて売却する行為が、その株券を取得した者との関係で違法行為となるのは、瑕疵のある株券を流通におく行為に、当該株券を取得する者全般に対して、株主としての権利を取得させない危険があるからである。一方、本件株券には何ら瑕疵がなく、原告は株主としての権利を取得しているので、本件株券を受領したこと自体では損害を被っていない。原告は、被告がジャパンライン株式を売却したことが不法行為となる旨の主張をしているのであり、被告が本件株券を流通においたこと自体が不法行為となる旨主張しているわけではなく、原告の挙げた右設例と本件とは事案が異なる。

四、以上によれば、原告の因果関係に関する主張は失当であるから、その余の争点について判断するまでもなく、本訴請求は理由がない。

五、なお、以上のように解すると、証券取引所において株式を購入した者が、特定の売主がインサイダー取引をしたとして損害賠償を請求する場合、証券取引所において、自己の買い注文とインサイダー取引をした相手方の売り注文が結び付けられて売買が成立したことを証明することは相当困難になると考えられる。しかし、現行法上インサイダー取引の不法行為について、因果関係に関する推定規定等が設けられていないのであるから、以上のように判断せざるをえない。

(裁判長裁判官 木村要 裁判官 野山宏 齋藤啓昭)

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