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東京地方裁判所 平成元年(ワ)5607号 判決

原告(反訴被告)

藤井宏

右訴訟代理人弁護士

田山睦美

西坂信

北原雄二

被告(反訴原告)

佐伯富

被告

宮崎市定

右両名訴訟代理人弁護士

三木善続

大島功

伊原友己

主文

一  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)佐伯富に対し、金四〇〇万円及び内金三五〇万円に対する平成元年九月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)佐伯富に対して、別紙広告目録(二)の謝罪広告を、読売新聞・朝日新聞・産経新聞の各全国版及び京都新聞の各朝刊広告欄に、標題部の写植を一三級活字、その余の部分を写植一一級の活字でもって、各一回掲載せよ。

三  原告(反訴被告)の本訴請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じて原告(反訴被告)の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

A(本訴について)

一  原告(反訴被告。以下「原告」という。)

1  被告佐伯富は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成元年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告佐伯富は、原告に対し、別紙広告目録(一)記載の謝罪広告を、産経新聞全国版及び神戸新聞の各朝刊広告欄に、標題部分の写植は一三級活字、その余の部分は写植一一級活字でもって、各一回掲載せよ。

3  被告宮崎市定は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成元年五月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  第1項及び3項に限り、仮執行の宣言。

二  被告ら

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

B(反訴について)

一  被告(反訴原告)佐伯富(以下「被告佐伯」という。)

1  主文第二、第三項及び第五項と同旨。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

二  原告

1  被告の反訴請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は被告佐伯の負担とする。

第二  当事者の主張

A(本訴について)

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、大正二年二月生まれであり、昭和二七年北海道大学教授(東洋史)となり、昭和三八年分限免職処分を受けたが、昭和四一年国士館大学教授となり、平成三年三月まで同大学客員教授の地位にあったものである。原告は、一貫して東洋史の研究に従事し、中国の塩政史の研究について学術論文一〇編を学会に発表してきた。

(二) 被告佐伯は、明治四三年一一月生まれであり、昭和三二年京都大学教授(東洋史)となり、昭和四九年同大学名誉教授の称号を受けたものである。同被告は、東洋史を専門として、原告の研究テーマと重なる分野において、塩政史に関する研究論文一〇数編を公にしている。

(三) 被告宮崎は、明治三四年八月生まれであり、京都大学助教授、教授を勤め、中国史の研究に深く携わり、被告佐伯を指導してきたものであって、被告らは、密接な師弟の関係にある。

2  被告佐伯による先行権侵害

(一) 被告佐伯は、昭和六二年九月三〇日、「中国塩政史の研究」と題する著書(以下「本書」という。)を公刊し、その「はしがき」で、

「安部先生は殆ど助手には仕事をいいつけられなかった。この間、念願の塩法資料の蒐集につとめた。その業績の一つが『塩と中国社会』である。この時、塩政の研究には、揚州塩商の研究が重要であることに初めて気付いた。同じ頃藤井氏も『明代塩商の一考察』なる名篇を発表され、同趣旨のことに触れられた。但し、発表は私の方が少し早かった。」

と記載した(本書二頁一四行以下)。

(二) 原告の「明代塩商の一考察」と題する右論文(以下「原告第一論文」という。)は、史学雑誌昭和一八年五ないし七月号において連載され、被告佐伯の「塩と中国社会」と題する右論文(以下「被告論文」という。)は、同一八年三月三〇日に発表されたものであるが、右各論文は、いずれも、徽商すなわち新安商人(安徽省旧徽州府出身の商人)又は山陜商人(山西省・陜西省出身の商人)の研究に関するものである。

(三) 原告第一論文は学会誌上の発表こそ遅れたものの、これと同一の内容の講演を昭和一七年三月一一日にしているから、原告の新安商人に関する研究発表は、被告論文の発表に先行しているのである。このことは、原告第一論文の末尾「附記」中に、

「本稿は昭和一七年三月一一日東京帝大東洋史談話会においてなせる『明代塩商の一考察』と題する講演の草稿に多少の取捨補正を加えたものである。」

と摘記されていたことからも明らかである。

(四) もとより、研究の発表は講演(口頭)によるものであっても、十分その学術的価値が評価されるのであって、このことは学者の社会では社会通念に属する。しかも、被告佐伯は、原告第一論文の右附記の記載から、被告論文よりも原告の発表が先行していることを了知していたものである。

したがって、被告佐伯は、自らの学問的業績を誇示するため、前記のとおり、本書「はしがき」において、虚偽の事実を敢えて記述し、原告の研究発表の先行権(プライオリティー)を否定し、もって原告の研究者としての学問的名誉権を侵害したものである。

3  被告佐伯による原告の論文の盗作

(一) 原告は、「漢代塩鉄専売の実態(一)―史記平準書の記載をめぐる諸問題―」と題する論文(以下「原告第二論文」という。)において、「旧唐書」巻四九食貨志の中の「…自淮北列置巡院捜択能吏以主之広牢盆以来商賈。凡所制置、皆自晏始。」(以下「本件史料」という。)のうち、「広牢盆以来商賈。凡所制置、皆自晏始。」の記載部分(以下「広牢盆部分」という。)について、

「牢盆を広くして以て商賈を来(まね)く」

と読み下したうえ(同論文一八頁一二行)、

「『牢盆を広くする』、つまり最も重要な製塩用具たる『牢盆』の幅員を拡げて大型化し、牢盆一個あたりの製塩量を増大し、そのようにして豊富に生産された官塩を以て塩商人を招く政策を打ち出したのだ、と解するのが自然である。」

との解釈を示した(同二〇頁一五行以下)。

(二) 被告佐伯は、本書一〇四頁一五行から一七行において、広牢盆部分について、

「『牢盆を広くして価を来す。凡て制置する所、皆晏より始まる。』

と見え、一方、海塩製造業者には堅牢な製塩鍋牢盆を支給して生産額の拡大を計り、商人を多数招来して塩利の増大を企画したのである。」

と読み下して、その解釈を行った。

(三) 被告佐伯の右(二)の記載は、明らかに原告の(一)記載の著述を盗作したものである。その理由は以下のとおりである。

(1) 中国塩政史上、唐代の劉晏が創始した通商法の開始期を記述した史籍の解読は困難を極め、その実態が容易に解明されなかったが、特に重要かつ難解な資料の一つに本件史料があり、これが解読できなければ、唐代塩政の重要部分が解明されないとされていた。

(2) 原告説が提唱されるまでは、本件史料は、塩政とは全く別の轉運使(河川沿海の漕運を所管する長官)系統の漕運を商人に請け負わせることを示す史料であると解釈されていた。すなわち、右史料は塩政とは別の漕運関係の史料であると考える学説が多く、東洋史学会における有力な学者の多くがこれに与していた。したがって、唐代に重要な意味を持つ巡院という役所は、轉運使管轄下の「巡院」と塩鉄使管轄下の「巡院」と度支使(全国の会計等を主管する中央官庁の長官)管轄下の「巡院」の三種類があるにもかかわらず、従来の塩政史家は、前記史料中の「巡院」を轉運使系統の「巡院」であるとしていたが、そのように解釈すれば、次に続く「牢盆」の意味は、漕運業者に支払われる報酬手当という意味にならざるを得なかった。

原告の説は、「巡院」を塩鉄使系統の役所と解したところに特色があり、これを前提として、後記のように「牢盆」の意味を「煮塩盆」と解釈し、また、「牢盆を『広く』する」を「煮塩盆の幅員を拡げて大型化することにより官塩の増産を計った」ものと解釈し、これを学説的に確立させたものであって、画期的なものであった。

(3) これを更に敷衍すると、原告は、本件史料のうち、漕運のことを述べているのは、「…自此歳運米数千万石」までの文章だけで、この前の漕運の記事はここで終了し、次の「自淮北列置巡院捜択能吏以主之広牢盆以来賈」という文章は、全て塩鉄史系統の巡院とその内部機構や職掌関係のことを述べているのではないかと考え、これを、

「河淮より北に巡院を列置し、能吏を捜択して以て之を主(つかさど)らしめ、牢盆を広くして以て商買を来(まね)く。」

と読み下し、右部分について、

「河淮より北に列置した巡院には有能な役人を探し選んで巡院の職務を遂行させ、その職務の中には、製塩場における最も重要な生産手段たる牢盆の幅員を拡げて大型化し、牢盆一個あたりの製塩量を増大することや、そのようにして豊富に生産された官塩を売り渡すため、商人たちを招く「招商官」の役目を果たすことも含まれていた」

という解釈を示したものである。

もっとも、「牢盆」の意味については、既に原告の『漢代製塩業の問題点―牢盆の解釈をめぐって―』と題する論文によって、史記平準書または漢書食貨史に見える「牢盆」の漢代における意味が「堅固な煮塩盆」であるという解釈が確立していたが、その解釈をそのまま唐時代の「牢盆」にあてはめてよいかについては問題があった。

すなわち、漢及び唐の中間に位置する三国時代の魏では、「牢盆」は「堅固な煮塩盆」の意味にも、また、単なる「煮塩盆」の意味にも解釈されず、「牢」と「盆」の二語に分解され、「牢」は雇直(報酬手当の意味)、「盆」は「煮塩盆」の意味に解せられていた。したがって、唐代の「牢盆」の意味を報酬手当と解釈すべきか、煮塩盆と解すべきか、あるいは二義に分かつべきかについて、「牢盆」の二字を含む唐代の史料の文脈全体の中で無理なく導きだす必要があったのである。

前記のような解釈は、原告が初めて行ったものであり、原告が唐代の牢盆を煮塩盆と解釈し、史料全体を一貫して統一的に読み下し、前記解釈に到達したことは、学会でも高く評価されたのである。

(4) しかるに、被告佐伯は、本件史料のうち、広牢盆部分より前の部分を省き、一切読みもせず、また解釈もしないで、唐突に広牢盆部分を原告の学説と同趣旨に読み下して解釈したが、本件史料は、全体として統一的に読まない限り、決して同趣旨に解釈しえない内容のものであることは前記のとおりであり、被告佐伯のように広牢盆部分だけを取り出して、その前にある文章と無関係に、自己完結的に解釈をなしうるものではなく、しかも、原告の右論文における独創的な読み下し、解釈を言葉だけ僅かに変更して記述したうえ、原告の右論文の存在には一切言及していないのであるから、被告佐伯は、被告論文において、原告第一論文から自己に都合のよい部分のみを盗んだものであるというほかはない。

(四) 以上のように、被告佐伯が、旧唐書食貨志にある「牢盆」を、原告の説と同一の解釈をとりながら、原告の研究業績に触れることなく、これを無視していることは、原告の論文の著作権を侵害するものであり、ないしは、原告の論文に表示されている著作者人格権を侵害したものである。

4  被告佐伯の名誉毀損行為

(一) 被告佐伯の恩賜賞及び日本学士院賞併授の経緯

被告佐伯は、昭和六二年九月三〇日、本書を公刊し、本書は、昭和六三年度の恩賜賞及び日本学士院賞(以下「本件二賞」という。)併授の対象となり、日本学士院(以下「学士院」という。)は、同年三月一四日、その旨を公表した。これに対し、原告が、本書の著述の一部に原告第二論文の盗作(無断援用)があるとして、学士院に対し、異議申立てをした。学士院は、原告の異議申立後、本書を同年度の授賞対象から除外したが、その後、特別審査委員会を設けて審査した結果、本書には盗作の問題がないとし、平成元年三月一三日、改めて同年度の授賞を決定した。

(二) 被告佐伯は、平成元年三月一〇日、時事通信社大津支局の某記者に対して、本件二賞併受の喜びの談話を発表するにあたり、一年前の「授賞延期」のきっかけを作った原告のことについて言及し、「原告は、過去にも北大で多くの人を陥れ、文学部が全滅したことがあり、評議会で追放された。」と話し、右談話は、同年三月一四日、産経新聞全国版及び神戸新聞の各朝刊に掲載された(以下、被告佐伯の右発言を「被告佐伯発言」という。)。

(三) しかし、原告の北大在職中の全期間を通じ、被告佐伯発言のような事実は存しないのであって、被告佐伯は、故意に事実を歪曲し、無根の事実を摘示して、もって原告の名誉を毀損したものである。

仮に、右発言が、原告が北大の教授を免ぜられた事実をもって「追放された」と表現したものであったとしても、事実の暴露は、その事実が公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出た場合に、摘示された事実が真実であることが証明されなければ違法性あるものと解すべきであるところ、原告の免職の事実は、同被告の本件二賞の受賞とは全く関係ない事柄であって、被告佐伯発言が専ら私怨に出たものであり、「専ら公益を図る目的に出た場合」に該当しないことはいうまでもないから、被告佐伯発言が原告の名誉を毀損する違法なものであることは明らかである。

5  被告宮崎の名誉毀損行為

(一) 被告宮崎は、昭和六三年六月ころ、被告佐伯の同年度の本件二賞が「授賞延期」となったことを遺憾とし、同被告を支援し、原告を中傷し、学士院の体質を批判することを目的とし、「学士院の密室裁判」と題する小冊子を作成し、不特定多数の者に対して配付した。

(二) 被告宮崎は、この小冊子において、一四回にわたり、原告だけを呼捨てにし、また、原告を「前科者」と記述したのち、「科」の字が判読しうる形で消したうえに「前歴者」と記述しているほか、原告のことを「名うての札付き」と記述し、加えて、原告が被告佐伯及び東洋史学会の会員に発送した「佐伯富氏宛書簡」を「手書きの密告」と称するなどしている。

(三) 被告宮崎の右(一)、(二)の行為が、原告を誹謗中傷するものであって、故意に原告を侮辱し、その名誉を侵害するものであることは明らかである。

6  原告の損害

(一) 被告佐伯は、前記2及び4のとおり、原告の学問的名誉権を著しく侵害し、前記3のとおり、原告の著作権及び著作者人格権を侵害したものであり、原告はこれにより多大の精神的打撃を受けたが、原告の右精神的苦痛を金銭的に評価すると金三〇〇万円を下らないものというべきである。

また、前記4の事実によって毀損された原告の名誉を回復する措置として、被告佐伯に対し、別紙目録(一)記載の謝罪広告を産経新聞全国版及び神戸新聞の朝刊広告欄に、表題部分を写植一三級活字、その余の部分を写植一一級の活字でもって、各一回掲載することを命ずるのが相当である。

(二) 被告宮崎は、前記5のとおり、真実に反する内容をもって、公然と原告の名誉を毀損したものであり、原告はこれにより多大の精神的苦痛を味わったが、原告の右精神的苦痛を金銭的に評価すると金一〇〇万円を下らないものというべきである。

7  よって、原告は、被告佐伯に対して、2ないし4項記載の不法行為による慰謝料請求権に基づき、金三〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成元年五月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いとともに、別紙目録(一)記載の謝罪広告の掲載を求め、被告宮崎に対して、5項記載の不法行為による慰謝料請求権に基づき、金一〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成元年五月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2は、(一)、(二)の事実は認め、(三)の事実のうち、原告第一論文に原告主張の付記の記載があることは認め、その余は否認し、(四)は争う。

3  同3は、(一)、(二)の事実は認め、(三)は争う。

4  同4は、(一)、(二)の事実は認め、(三)は争う。

5  同5は、(一)のうち、被告宮崎が、「学士院の密室裁判」と題する書簡を作成したことは認め、その余の事実は否認し、(二)の事実は認め、(三)は争う。

6  同6の主張は全て争う。

三  被告らの主張

1  先行権の侵害の主張(本訴請求原因2)に対して

(一) 原告は、訴外根岸佶博士が、昭和七年、「支那ギルドの研究」において新安商人の研究について先鞭をつけたものであるとしているが、これを前提とすると、そもそも、右研究について、原告自身が先行権を有するものであるかは疑問であり、そもそも、原告主張の「先行権」は、法の保護に値するほどの権利性を有しないものである。

(二) 仮に、原告が先行権を有し、これが法の保護に値するとしても、人文科学の世界においては、口頭での発表は正確な意味での「発表」に該当せず、いわゆるプライオリティーの対象とはならない。本件においても、原告主張の講演が原告第一論文と同一の内容であったか否かは全く不明なのであり、正確な意味での研究の発表に当たらないというべきである。すなわち、講演は、それが公刊されてこそ「発表」となるものである。被告佐伯が、本書のはしがきに、「発表は私の方が少し早かった。」と記載したのは、公刊された論文の先後のことを指しているのであり、原告第一論文の末尾に、それが既になされた講演を基にして書いたものであることが付記されていたとしても、被告論文の発表が先行している以上、原告に先行権があると主張しえないものであり、原告の研究者としての学問的名誉権を何ら侵害するものではない。

(三) また、仮に口頭による発表も「発表」であったとしても、原告第一論文と被告論文とは、その観点が異なり、その史料も異なるから、そのような二つの論文の先行権を比較することは不可能であり、先行権の問題にはならない。

2  盗作の主張(本訴請求原因3)に対して

(一) 「旧唐書食貨誌」は、唐代の塩政を研究する上に必須の史料であるが、これについては、昭和一二年に出版された「劉晏評伝」(鞠清遠著)の「五塩法的創革」の部分三一頁で、本件史料が引用されており、この文章を塩政に関する史料と解したのは、原告が創始者ではない。また、広牢盆部分は、別に複雑な構造ではなく、漢文教育を受けたことのある日本人ならば、たとえ意味は判らなくとも、「牢盆を広くして、以て商賈を来く。」と読めるものであり、昭和二三年に公刊された岩波文庫の「旧唐書食貨誌・旧五代史食貨誌」(加藤繁著)一三一頁においても、「牢盆を広くして、以て商賈を来す。」と訓読されており、この読み方が、原告の独創にかかるものとは到底いえない。

(二) 本件史料の解釈については、原告の前記解釈と被告佐伯の前記解釈とでは、一見して大きな違いがある。すなわち、原告が、

「製塩用の牢盆は、拡大できるので、牢盆を拡大し、官塩の製造量を増やして、塩商人を招く政策を打ち出した。」

と解釈しているのに対し、被告佐伯は、本書四二頁で、

「政府は、牢盆の数により、毎日の塩の生産量を知るので、その大きさは、概ね一定されており、従って勝手に拡大できない。」

としているのであり、原告のように、「広」を牢盆の大きさを拡大するものとは考えず、製塩業者に支給する牢盆の数を増やしたと解釈しているのである。

このように、本件史料の解釈が原告と被告佐伯とでは明らかに異なるのであるから、読み下し方や解釈に多少類似する部分があるとしても、原告の学説を盗用したとまで主張されるいわれはない。

(三) 原告は、本件史料に関する前記解釈が極めて独創的なものであり、右解釈は、広牢盆部分より前の部分の解釈をしないでは絶対に導きえないと主張するかのようであるが、そもそも、漢代から連綿として続いてきた煮塩の器は、宋代にも『牢盆』と呼ばれ、それが一般にも認められていたのであり、漢代におけると同様、唐代における『牢盆』も「煮塩の器」を意味するということは、既に宋代から確立した塩政史上の常識に属する事柄であったから、原告の前記解釈が原告第二論文により始めて提唱されたものでもなく、ましてや「独創的」といえるものでもないのである。

(四) 仮に、百歩を譲り、牢盆を「煮塩盆」と解釈したのが、原告のオリジナリティに属するとしても、被告佐伯は、「漢代に於ける塩の専売」の項において、右史記平準書を引いて、それを「製塩用の堅牢な鍋」と解し、その註に、原告の「漢代製塩業の問題点―牢盆の解釈を巡って―」という論文を引用しているから、漢代における「牢盆」の解釈について原告の論文を引用している以上に、更に、唐代における牢盆の意味について、漢代におけると同様に「堅牢な製塩用の鍋牢盆」と記すにあたり、原告第二論文に言及せず、その旨の註をつけなかったとしても、盗作といわれる理由はない。

(五) 広牢盆部分の読み下しやその解釈が原告の独創であったとしても、右は、アイディアや理論等の思想の範疇に属し、著作権法で定める著作物には該当しないから、著作者人格権など生じない。

3  被告佐伯の名誉毀損(本訴請求原因4)に対して

(一) 本書に関する原告の一連の行為について

(1) 原告は、本書について、原告第二論文からの盗作がある等と主張して、昭和六三年五月一日付け書簡において、盗作の事実がないにもかかわらず、「大盗作」「知能犯」「反良心的」「反学問的暴挙」など、悪罵の限りを尽くし、同年五月二日、これを印刷、発行のうえ、有料または無料で、不特定多数の者に配付し、もって、被告佐伯を侮辱し、また、その名誉を侵害した。

(2) 原告は、非公式には昭和六三年五月四日ころ、正式には同年六月九日ころ、学士院に対し右書簡を送付し、被告佐伯の本件二賞の授与に反対する旨の異議申立てをしたため、事情を知らないマスコミが、「本件二賞に選ばれた著作に盗作があるなどとは、前代見聞の不祥事」として新聞やテレビに大きく報道し、その結果、被告佐伯の学者としての名誉が著しく侵害された。

(3) 原告の異議申立ての結果、学士院は事の重大性を考慮し、被告佐伯に対する本件二賞の授与を延期したうえ、特別審査委員会を設置して、原告の主張の当否を調査させたが、右委員会は本書に盗作の事実なしとの結論を出したため、学士院は再度の授賞を決定した。しかしながら、その間、被告佐伯は、盗作という学者生命を絶たれるほどの致命的侮辱を受け、筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を味わった。

(4) 原告は、雑誌『諸君』の昭和六三年七月号に、「学士院恩賜賞に異議あり」という記事を搭載させて、本書を「学生でも容易に冒さない間違いだらけの資料操作を施し、あまつさえ、盗作問題まである。こんなお粗末な研究が学士院賜恩賞を受けるとは、学問の頽廃ここに極まれりだ。」とまで酷評し、被告佐伯の名誉を著しく毀損した。

(5) 再度の授賞が決定した後も、原告は新聞記者に対し、「佐伯氏の研究が盗作であることは間違いなく、今後は著作者人格権を侵害したとして提訴し、法廷の場で問題に決着をつける考えだ。」と話し、この談話は平成元年三月一四日、産経新聞全国版および神戸新聞の各朝刊に掲載され、被告佐伯の名誉を侵害した。

(6) その後も、原告は学士院長のみならず、宮内庁長官にまで、被告佐伯を誹謗する文章を送りつけ、更に、平成元年四月二八日には本訴を提起してまで、本件二賞の授賞を妨害しようとし、被告佐伯に対し、大きな精神的苦痛を被らせた。

(二) 被告佐伯発言の社会的相当性について

原告主張の被告佐伯発言は、社会的に相当な行為であって、違法性を欠くものである。その理由は以下のとおりである。

(1) 被告佐伯は、原告の右一連の言動に翻弄されたが、このような異常な事態のなかでも、努めて冷静かつ紳士的に対処してきたものであり、被告佐伯発言は、ようやく、再受賞が決定し、報道記者から受賞の感想を求められた際に、原告の前記のような再三かつ執拗な攻撃に対して、その反論として、原告の過去の経歴に触れる若干のコメントをなし、それがそのまま紙面に掲載されてしまったものであり、このような状況下におけるこの程度の発言は、原告の右一連の違法行為と対比しても、社会的相当性を欠くものとはいえない。

(2) そのうえ、被告佐伯発言は、被告佐伯が、仮に学士院が北大における原告の過去の行状を知っていたならば、原告の異議申立てを真面目に取り上げて授賞を延期するような処置をすることもなかったであろうと考え、あるいは原告が今後も同種の不法行為を反復・継続する蓋然性も極めて高いことから、これ以上に自己の名誉感情や外部的名誉を失墜させないようにとの防衛的意図のもとになされたものということができ、この点からも相当性を欠くものとはいえない。

(3) また、原告の保護されるべき法的利益との相関関係という観点から考慮しても、原告の本書に関する前記一連の言動が違法であることはいうまでもないから、原告の右一連の言動に対する反論としての被告佐伯発言が社会的妥当性を欠くものでなく、違法性を備えることはないというべきである。

(4) これに加えて、被告佐伯発言は、原告が過去において北大を分限免職させられたという実際に存した出来事に対し、新聞等が公に報道したその記事内容にそって、そのままコメントしたにすぎない。すなわち、

① 「過去にも北大で多くの人を陥れた」旨の発言について

原告は、北大の文学教官の職にあった昭和二五年ころから分限免職になる昭和三八年五月三〇日までの間に、学生や研究員、事務職員あるいは同僚教官に対して、著しく品位を欠く不穏当な言動や独善的な措置を行った等の理由により、教官を始めとする多くの学部内外の大学関係者から強い反発を買い、その結果、これらの者との間で、「藤井問題」と称されるほどに長年にわたる対立、紛争状態を惹起した。これらの学内騒動の中で、原告に対する関係者の評価は極めて厳しいものがあり、また、原告の放埒かつ峻烈な対応や異常な言動のため、同僚教官や学生、研究生等が辛酸を嘗めさせられ、講義や研究が手につかないほどであって、このような原告に対する評価は、右時期のみならず、それ以降も関係者間では一般的に通用するものであった。

かかる評価を前提として、被告佐伯は端的に「(原告は)過去にも北大で多くの人を陥れ」たと申し述べたにすぎないのであって、被告佐伯において何ら度を越した誇張や脚色をしたわけではない。

② 「評議会で追放された」旨の発言について

原告が分限免職処分を下される最終段階には、原告が、ジュニア教授会において、原告の議事録音を阻止しようとした当時の須田学部長の腕を打って書類等を散乱させ、あるいは、学位論文の審査に関して不謹慎なことをいい、選考委員や論文提出者を侮辱したこと等を理由として、各種教授会から原告の出席停止や辞職勧告を決議されるに至り、もはや学部内で自主的に解決できない状態にまで紛糾してしまったため、「藤井問題」が評議会に上程され、結局、評議会において原告の分限免職の決議がなされたのである。そして、原告は、それまでの言動によって、文学部の教官のほぼ全員を相手に廻して反目し合い、最終的に、原告は、その意に反して北大教官の地位を追われる羽目に陥ったのであるから、これを「評議会で追放された」と表現しても、さして不適切ではないというべきである。

③ 「文学部が全滅したことがある」旨の発言について

さらに、評議会の右決議当時、長年にわたる「藤井問題」の学部内騒動によって、文学部が開講していた二二講座のうち、主任教授は原告を含めて八名、教養部担当の二人を加えても一〇名しかおらず、右決議後も「藤井問題」を学部内で解決しきれなかったことから、原告を除く文学部の教授九名全員が「藤井問題」に起因して辞意を表明したのであるから、それがいかに異常な事態であったかは明らかであり、かかる事態を報道した新聞記事の「北大文学部が壊滅状態に」という見出しはまさに正鵠を射たものであった。

被告佐伯の「文学部が全滅した」旨の発言は、右新聞記事における「壊滅」を「全滅」に置き替えただけであって、意味的にもその語のもたらす印象にしても、全く変わりがなく、右発言が、社会通念上、度を越した表現行為になるとは到底考えられない。

(5) このように、被告佐伯の右発言は、かつて新聞に取り上げられた記事内容の範囲内で、いわば世間話程度にされ、取材に来た記者との会話の中で、その話題が原告のことに及んだ際、新聞報道の内容を引用して述べたにとどまるものであり、前記のような原告の一連の言動に対する反論としてなされたものであるから、前記被告佐伯の発言を社会的妥当性を欠くものということはできない。

(三) 正当防衛行為について

仮に、被告佐伯発言が、社会的にみて相当性を欠いていたとしても、それは正当防衛行為であって、違法性を阻却される。

(1) 原告の違法行為の存在

原告の右(一)の一連の行為は、明らかに被告佐伯の名誉感情を傷つけ、高名な学者あるいは一個人としての外部的名誉を著しく毀損するものであり、これらの行為は、侮辱罪ないしは名誉毀損罪を構成するものであって、民法上も、当然、非財産的法益の侵害として、被告佐伯に対する不法行為を構成するものであることはいうまでもない。

(2) 被告佐伯の利益を防衛するものであること

被告佐伯発言は、これまでに再三かつ執拗になされた原告の侮辱ないし名誉侵害行為に対する反撃・侵害回避行為たる性質を持つものというべきである。被告佐伯発言は、原告の過去の行状等の事実を指摘することによって、原告が一体いかなる人物で、どのような経歴の持ち主であるかを明らかにし、原告の言動の信用性を弾劾することによって、原告の被告佐伯に対する誹謗が全く事実無根であって、軽々に信じるに値しないものであることを世人に知らしめ、これまでの原告の不法行為によって失墜した被告佐伯の名誉を多少なりとも回復させようとしたものにほかならない。

また、被告佐伯発言は、過去に受けた名誉侵害の回復をもたらすだけでなく、原告のそれまでの言動から今後も同種の不法行為を反復、継続する蓋然性が極めて高いことが予想される状況下において、今後予想される原告の侵害行為によってもたらされる被告佐伯の名誉失墜を極力予防するものでもある。

(3) 巳むことを得ずになしたものであること

被告佐伯発言は「巳むことを得ずになしたもの」というべきである。すなわち、相手方の言論攻撃に対して反論防御したものであり、被告佐伯と原告のいずれの利益も名誉であって、均衡がとれているし、被告佐伯の発言は、報道記者のインタビューに対する受動的な回答にすぎず、その方法、態様においても社会的相当性を欠くものではないから、巳むことを得ずになした場合に該当するものである。

4  被告宮崎の名誉毀損(本訴請求原因5)に対する主張

被告宮崎の前記小冊子における原告に関する記載は、第一に、公然性を欠き、また、仮にしからずとしても、社会的相当性の見地から見て違法性を備えず、いずれにしても、原告に対する不法行為責任が成立する余地はないものというべきである。

(一) すなわち、被告佐伯は、本件二賞受賞を祝ってくれた人々に対し、受賞延期の事情説明をしたが、その際、被告宮崎は、添書として前記書簡を作成したにすぎないのであり、右書簡は、原告主張のような不特定多数の者に対する文書ではなく、特定人に対する親書であって、公開を目的としたものではないから、名誉毀損は成立しない。

(二) また、その論旨は、終始一貫、学士院の審査方法やその体質の批判に向けられており、原告の指摘する文言は、その中に埋没されており、一般人なら余程注意して読まないと気が付かない程度のものであるうえ、この親書は、原告の悪質な妨害行為により、被告佐伯が名誉である本件二賞の受賞を妨げられ、マスコミのスキャンダルの主人公にさせられたのに関して、教え子である同被告の名誉の低下を阻止しようとした目的から出た行為であって、前記の表現は、社会的相当性を逸脱し、原告に対する不法行為を構成するほどの違法性ある表現ではない。

四  被告らの主張に対する原告の反論

1  先行権侵害について

(一) 根岸博士の研究が原告の前記講演に先行していることは事実であるが、本件においては、原告と被告佐伯の研究のどちらが先行するかが問題なのであって、同博士の先行権を問題にしているものではない。

(二) 被告佐伯は、「人文科学の世界においては、口頭の発表は正確な意味での『発表』にならない。」旨主張するが、学者の間で学会における口頭の発表を本来の研究発表として認めないものはいないのであって、常識に反する主張である。学会における口頭の発表は活発に行われているが、仮に口頭の発表が学会で発表として認められないとすれば、学会における口頭の発表は全く無意味なものとなるばかりか、当該研究発表を聞いてその内容を筆記した者が自己の名前で論文として発表したとき、右筆記者に先行権を認めることになりかねないが、現代の学会において、そのような不徳義極まる行為は強い非難を浴びるであろう。それは、とりもなおさず、口頭の発表が正式なものとして認められていることを意味しているのである。なお、口頭の発表が正式なものとして認められている以上、当該発表の当日、その学会の発表の場に居合わせたかどうかは問題ではない。また、被告佐伯も、昭和六三年三月一九日の段階では、原告に対し、学界における口頭の研究発表も正式のものであると認めていた。

(三) 次に、被告佐伯は、原告第一論文の付記中において、原告が被告論文の先行権を認め、同被告に了承を求めていた旨主張するが、同被告主張の付記の趣旨は、原告が、同被告が原告の前記講演に出席していなかったことを考慮し、右付記において同被告の注意を喚起し、原告の先行権を尊重するよう婉曲に呼びかけるというところにあった。

(四) さらに、被告佐伯は、原告第一論文と被告論文とは、観点が異なり、また史料も異なるから先行権の問題にはならないと述べているが、先行権は、新安商人の研究をいずれが先に手をつけたかが問題なのであるから、同被告の右主張は的外れな主張である。

2  著作権侵害等(盗作)について

(一) 被告佐伯は、広牢盆部分は、漢文教育を受けたことのあるものであれば、原告主張のような読み下しは可能であるとし、加藤博士が昭和二三年に公刊された岩波文庫の「旧唐書食貨志・旧五代史食貨志」において、既に「牢盆を広くして、以て商賈を来す。」と読み下している旨主張する。

なるほど、加藤博士が昭和二三年に公刊された右書で右のように読み下していることは認めるが、原告が問題としているのは訓読だけでなくその解釈であり、漢文の訓読には単なる読みばかりでなく、その解釈が含まれるのであって、両者は有機的に結合しており、訓読だけが簡単にできることはない。すなわち、広牢盆部分を訓読する場合、「牢盆」や「商賈」がそれぞれ、まとまった名詞語であるという意味上の認識があってはじめて原告のような訓読ができるのである。

次に、加藤博士は、広牢盆部分について、塩政とは別の漕運史料であるという認識に立脚して訓読しているのに対し、原告は、この同じ史料が塩政史料であるという認識に立脚して訓読しているのであって、全く異なる意味で読み下しているのである。すなわち、同博士の訓読では、「牢盆」は「ちんぎん」と訓読され、「商賈」は「漕運に従事する商人」となるが、原告の訓読では、「牢盆」の訓読は「しおをにるぼん」となり、「商賈」は「官塩を購入して販売する商人」となるのであって、単なる字面のみで同一視することは誤りである。

(二) 被告佐伯は、本書において、広牢盆部分について、製塩業者に支給する牢盆の数を増(ふ)やしたとの解釈をとっているとし、広牢盆部分の解釈が原告と被告佐伯とで一見して異なる旨主張するが、被告佐伯の右主張は、本書で盗用した原告の解釈を巧みに変更し、さらに被告佐伯の解釈を本書のそれとはすり替えて主張しているのであるから、その前提において変更が加えられている以上、何らの意味がないものである。

(三) 被告佐伯は漢代以降宋代に至るまで、「牢盆」を堅固な煮塩器と解釈しうることは、原告の説を待つまでもなく、塩政史における常識であり、また本件史料のうち、広牢盆部分より前の部分を解釈しなくとも「牢盆」は煮塩盆と解することができる旨主張するが、右主張は、全て誤りである。原告は、以下に述べるとおり、極めて困難な作業を経たのち、ようやく原告第二論文の解釈に到達したのである。

(1) 漢代の「牢盆」の意味について、原告が、世界ではじめて「堅固な煮塩盆」の意味に解することに成功したものであるが、魏の時代における「牢盆」の意味については、「牢盆」を二語に分解して「牢・盆」とし、「牢」を雇直、「盆」を煮塩盆のことであるとする解釈があり、右解釈は容易に否定しがたい面があった。したがって、漢代における「牢盆」の意味をそのまま唐代の「牢盆」の意味としてよいという根拠はなく、唐代の「牢盆」の意味については、唐代の諸条件にマッチする「牢盆」の意味を無理なく探りだすことが必要であった。しかも、碩学の誉れ高い加藤繁博士ですら、「牢」を「雇傭の価直即ち手当」あるいは単に「手当」と註記し、「盆」を「塩を煮るの盆」と解し、あるいは「牢盆」全体を漕運用語として捉え、単に「賃銀の意」と解しており、同博士の説を更に発展させた影山剛教授においても、「牢盆」を政府の漕運を請け負う商人に政府が支払う手当、報酬の意に解していた。この両博士の説が極めて有力であったため、これを論破するためには、本件史料中における「巡院」「能吏」「商賈」「広牢盆」の「広」等の唐代における意味の確定という難問を解決せざるを得なかったのである。

(2) そこで、原告は、右難問に立ち向かううち、「牢盆」の意味について、影山教授が紹介した旧唐書巻一八二「高駢(こうへい)伝」中の「利則牢盆在手主兵則都統当権」という新史料中に手掛かりを発見し、唐代の「牢盆」の意味が煮塩盆でないかとのヒントを得た。しかし、そう解するためには「牢盆」が漕運用語ではなく、塩政用語であることを確認する必要があった。そして、その確認のためには、本件史料中の「巡院」の意味を確定することが不可避であったのである。

(3) ところで、唐代の「巡院」という役所は、漕運を司る長官たる転運使が管轄する「巡院」と、塩鉄を司る長官たる塩鉄使が管轄する「巡院」と、度支使(たくしし)(国家の会計・収支等を主管する中央官庁の長官)が管轄する「巡院」との三種類があったのであるが、当時の中国塩政史家は、本件史料中の「巡院」を転運使系統の「巡院」と信じて疑わなかった。

しかるに、原告は、本件史料中の「巡院」を転運使系統の「巡院」とは別の塩鉄使系統の「巡院」と考えた。右のように解釈する端緒となったのは、道教関係の書である「雲笈七籤」(うんきゅうしちせん)の巻一二一「道教霊験記」の中の「蘇州塩鉄院招商官修神呪道場験」と題する一文である。その文中の「蘇州塩鉄院招商官、姓王。其家巨富、貨殖豊積。」云々とある記事を手がかりにして、その後、幾多の考証を重ねた末、原告は、遂に本件史料中の「巡院」が塩鉄使系統の巡院であることを確認した。すなわち、右史料を通観してみると、江淮より北に列置された「巡院」には、劉晏が有能な役人を捜(さが)し択(えら)んで、当該巡院の職務を主らしめたことが判明し、その職務として巡院の管理下にある製塩場のことを司どる役人や、商人を呼び集めて官塩を売り出す役人、つまり「道教霊験記」中に含まれている「蘇州塩鉄院招商官修神呪道場験」と題する史料にいう「招商官」の役目を果たす「能吏」も含まれていることが明瞭となった。したがって、「広牢盆」や「来商賈」という行為の直接の主体は、「能吏」なのであり、一つの「巡院」についてみても、「能吏」は巡院の長官ばかりでなく、各種の職務を分担する複数の「能吏」がいたとみるべきこととなってくるのである。

(4) このように、本件史料は、始めから終わりまで一貫して読み、「巡院」の「能吏」と「広牢盆」「来商賈」とを有機的に首尾一貫して訓読しなければ意味をなさないのであり、既に述べたように、原告は、本件史料中の「巡院」を転運使系統の「巡院」とは別の塩鉄使系統の「巡院」と考え、それを基礎として本件史料を始めから終わりまで一貫して読解し、「能吏」「牢盆」「商賈」をすべて塩鉄関係の用語として新しく解釈し直したのである。これはまさに原告の独創であるといわなければならないのである。

(5) しかるに、被告佐伯は「本書」一〇四頁において、漕運記事を訓読したのち、この漕運記事に引き続いて広牢盆部分を訓読しているが、広牢盆部分に先行するのは右漕運記事ではなく、この漕運記事に「引き続」くのは「自淮北列置巡院捜択能吏以主之」という文章であり、右文章中には、「巡院」あるいは「能吏」という解釈上重要な意味を有する語句が含まれているのであるにもかかわらず、同被告は、本書において、右文章を飛ばして引用しておらず、解釈もまったくしていない。このことは、同被告が、広牢盆部分という記事を漕運記事に続く記事として扱い、右文章における漕運記事と塩政記事の断絶について全く認識していないことを示すものであると同時に、同被告は、広牢盆部分という記事を漕運記事に続く記事として扱う点については、前記の有力な先学と同様であって、それ以上のものでないことが明らかである。

(6) 以上のように、原告は、幾多の考証を重ね、困難極まる作業を経て、ようやく唐代の牢盆が堅固な煮塩器を意味すると解釈するに至ったのであって、被告佐伯の主張するように、このような作業なくして右解釈に到達することなど、到底考えられようはずもないことであり、ましてや、右解釈が塩政史家において常識であろうはずもないのである。

(四) 被告佐伯は漢代以降宋代に至るまで牢盆を堅固な煮塩器と解しうることを証明する資料として「楽彦云。牢乃盆名。其説異也。(史記平準書索隠)」その他、「宋太宋実録巻二六」等の宋代以降明代の文献六件を挙げている。

しかし、宋代以降の文献は本件で問題となっている唐代の「牢盆」の解釈、まして本件史料の解釈に関係がない。右楽彦説以下の資料には唐代の牢盆が堅固な煮塩器を意味すると記載してあるものは存しない。

(五) 被告佐伯は、仮に、牢盆を「煮塩盆」と解釈したのが原告の独創であるとしても、同被告は、「漢代における塩の専売」の項において、右史記平準書を引いて、それを「製塩用の堅固な鍋」と解し、その註に、原告の「漢代製塩業の問題点―牢盆の解釈をめぐって―」という論文を引用しているから、その後、唐代における牢盆の意味を、漢代におけると同様、「堅固な製塩用の鍋牢盆」と記すにあたり、原告第二論文に言及せず、その旨の註を付けなくとも盗作といわれる理由はないと主張する。

しかしながら、第一に、漢代の「牢盆」を「堅固な煮塩盆」と解釈したところに原告の独創性があるのであって、単なる「煮塩盆」という解釈に原告の独創性があるのだといっているのではない。漢の武帝時代における「牢盆」を「堅固な煮塩盆」と解釈するのと、単なる「煮塩盆」と解釈するのとでは天地の差がある。また、原告が、昭和二六年八月に「牢盆」を「堅固な煮塩盆」と解釈する新説を発表する前においては、ほとんどすべての学者は「牢盆」を二語に分解して「牢・盆」とし、「牢」を雇直、「盆」を煮塩盆と解釈していたのであって、「牢盆」全体を「煮塩盆」と解釈した人はわが国にはおらず、ましてや「牢盆」が「堅固な煮塩盆」を意味すると指摘した学者は一人もいなかった。

第二に、原告は、被告佐伯が単に唐代牢盆の解釈のみを盗作したといっているのではなく、原告が本件史料を塩政史料と解し、同史料中の「巡院」「能吏」の意味を解明して全体を有機的、構造関連的に把握して行った解釈を盗作したといっているのである。

要するに、被告佐伯が漢代の「牢盆」の意味について、「堅固な煮塩盆」と解しても、その解釈を機械的に唐代の「牢盆」に適用することはできないのであって、それは塩政史上の常識である。したがって、被告佐伯が、本書において、漢代の「牢盆」を「製塩用の堅牢な鍋」と解し、その註に原告の論文を引用したとしても、唐代の「牢盆」の意味についても、原告の説に従い、「堅牢な製塩鍋」と解する以上、改めてその文献を引用することが必要不可欠であるといわなければならない。

なお、その点について、学士院の特別審査委員会が「あるいは記述が不十分であるともいえよう」とするが、右は単に不十分なのに止まらず、必要不可欠な引用を故意に脱落したものであるから、盗作といわなければならず、したがって、右委員会の意見は不当である。

(六) 被告佐伯は、本件史料の読み下しや解釈が原告の独創であったとしても、それはアイディアや理論等の思想の範疇に属する旨主張するが、原告が著作権ないし著作者人格権の保護の対象としているのは原告第二論文の中の一部であって、まさに思想を創作的に表現した学術の範囲に属するものに該当する。「単なるアイディアや理論」ではない。

3(一)  被告らの主張3はすべて否認又は争う。もともと、「藤井事件」は、北海道大学における数多くの問題点を巡って生じたもので、その評価も人によって一致しておらず、本件には直接の関係がないのである。

(二)  被告佐伯は、「過去にも北大で多くの人を陥れ、文学部が全滅したことがあり、評議会で追放された。」などと述べた点について社会的相当性の見地から違法性を備えずとか、正当防衛が成立すると主張する。

(1) 社会的相当性の見地から違法性がないとの点について

① 被告佐伯の前記発言は、それ自体、他人の名誉を侵害するものであることは明らかである。「多くの人を陥れ」という内容は、原告が卑劣な人間といっているのであり、名誉を害することは明白である。

同被告の前記発言が原告の名誉を毀損するものであることは明らかであり、正当防衛とか事実証明の許される違法阻却事由に該当しない限り、違法行為となる。

なお、原告は、この件を検察官に告訴したが、被告佐伯は「起訴猶予」とされているのであり、「起訴猶予」ということは、検察官が、被告佐伯の発言を名誉毀損罪に該当し、違法かつ有責であると認めたものである。

② 被告佐伯は、前記発言は過去に新聞が取り上げた内容をそのままコメントしただけにすぎない旨主張する。しかしながら、本件では、同被告の前記発言があくまで原告の名誉を傷つけるような内容であったかどうかが問題なのであって、過去に新聞が取り上げた内容をそのままコメントしたかどうかは無関係であるというべきである。また、被告佐伯の前記発言は、過去の事実を著しく歪曲したものである。

③ 被告佐伯は、「著しく品位を欠く不穏当な言動や独善的な処分」に対する評価として、「多くの人を陥れ」たと申し述べたに過ぎないと主張するが、同被告の前記発言のうち、「多くの人を陥れ」たという具体的事実の主張もないが、もともと、評議会で分限免職の決議がなされたことは事実であるとしても、その間の複雑な経緯を知らない同被告が「評議会で追放された。」という言葉を使用することはできないはずである。それにもかかわらず、同被告が、右表現を用いたのは、私怨を晴らすためのなにものでもない。

④ 被告佐伯は、「文学部が全滅したことがあり」という表現は、新聞記事の「壊滅状態に」という言葉と近い使い方であると主張する。

しかし、同被告の使用した「全滅した」という言葉と「壊滅状態」という見出しとは両者の語感に差があるうえ、当時、壊滅状態と論じたのは日本経済新聞社一社だけであり、一社のみの記事内容をコメントしても公の報道に沿ったとはいえないばかりか、あえてその記事を選んだのは、前述のとおり、原告の名誉ないしは名誉感情を傷つける意図であったことが明らかである。また、原告の北大在学中の問題は、以前新聞記事になったことはあるが、世間によく知れ渡っている内容ではない。

⑤ 被告佐伯は、前記発言が日常よく見受けられる旨主張するが、前記発言は、前述したとおり、原告の名誉ないし名誉感情を毀損するものであり、このような他人の名誉を毀損するようなコメントを日常見かけることは少ないのである。

(2) 正当防衛が成立するとの主張について

被告佐伯は、正当防衛を主張するが、正当防衛は防衛者が違法行為をしていないこと、すなわち同人が盗作していないことを前提としなければ成り立たないはずである。しかしながら、前記のとおり、同被告は盗作しているのであるから、正当防衛が成立する余地はない。

4(一)  被告らの主張4は否認又は争う。

(二)  被告宮崎は「学士院の密室裁判」という文書を約三〇〇人の人に配布したことが明らかであり、それだけで多数の人に配布したことになることは明白である。

仮に、直接の相手方が特定かつ少数であっても、その者から他に伝播する可能性があれば公然性の要件を満たすことになるというべきところ、被告宮崎が「アエラ」の高木記者に対し、正確に記事にしてもらうため右文書を手交したのであるから、同人が記事にするなどして不特定または多数にこの内容を知らしめることがある以上、公然性の要件を満たすといわなければならない。

(三)  次に、被告宮崎は、原告の指摘する文言が「学士院の密室裁判」という文書の中で学士院の批判に埋没する程度のものであること、同被告の名誉低下を阻止するために出たもので違法性を備えていないと主張する。

しかし、被告宮崎が、「学士院の密室裁判」において、原告を執拗に罵倒していることは明らかであって、「余程注意して読まないと気づかない程度」とは到底いえない。被告宮崎が「学士院の密室裁判」で原告の名誉を毀損したとしても、それによって被告佐伯の名誉低下が阻止されることもない。また、被告佐伯の名誉低下は、本件二賞の対象となった本書で盗作をしたり、史料操作のミスを重ねたために生じたもので、いわば身からでた錆であって、原告に責任があるわけではない。したがって、被告宮崎が原告の名誉を毀損したことを正当化できる理由はないし、まして違法性がないということは考えられない。

B(反訴について)

一  反訴請求原因

1  被告佐伯の本件二賞受賞の経緯

被告佐伯の本件二賞受賞の経緯については、本訴請求原因4(一)に同じ。

2  原告による被告佐伯の名誉毀損等

原告による被告佐伯の名誉を毀損する等の一連の行為については、本訴被告らの主張3(一)(1)ないし(6)に同じ。

3  名誉毀損等による損害

(一) 慰謝料

(1) 学士院は、明治一二年に設立された日本で最高の権威をもつ学術機関であり、人文科学、自然科学の二部に分かれ、会員のそれぞれが各分野の権威であるところ、「学士院賞」は、学士院により、毎年、優れた著作若干から選ばれて授与され、「恩賜賞」は、その中から最も優れた著作について、人文・自然の二分野から各一部選ばれて授与されるものである。

(2) 被告佐伯への本件二賞授賞は、被告佐伯の五〇年来の研究の成果である本書に対してなされたものであり、このことが公表されると、各マスコミは、これを大きく取り上げ、被告佐伯は、国内の関係者はもとより、国外の人達からも祝福され、人生最大の栄誉を味わった。

(3) しかるに、被告佐伯は、原告の前記名誉毀損行為並びに執拗な受賞妨害行為により、金銭に見積もることが困難なほどの精神的苦痛を被ったが、右苦痛に対しては、別紙のような謝罪広告だけでは回復不可能であって、原告の前記行為により受けた被告佐伯の精神的苦痛を敢えて金銭に見積もれば、金三〇〇万円を下ることはないというべきである。

(二) 弁護士費用

被告佐伯は、本訴の提起された後の平成元年五月三〇日、三木善続弁護士に着手金として金五〇万円を支払い、かつ勝訴の場合には同額の支払いを約して応訴及び反訴提起を依頼した。被告佐伯が、応訴及び反訴提起のために支出せざるを得なくなった費用は、原告の前記一連の名誉毀損・授賞妨害行為と相当因果関係のある損害であるというべきであるから、被告佐伯は、原告に対し、弁護士費用として右合計金一〇〇万円の支払いを求める。

4  謝罪広告

(一) 「盗作」は、学者にとって致命的な行為である。すなわち、もし「盗作」が事実であるとするならば、学者としての生命が絶たれてしまうだけでなく、社会的地位も失墜するものであるが、それも、当人の自業自得であって、弁解の余地もない性格のものである。

したがって、もし、ある人がある学者の著作を「盗作」と非難する場合には、それが、相手方の学者生命を絶つほどの重大事であるがゆえに、それ相応の根拠と覚悟をもって、慎重になされなければならないはずであり、軽々に相手方の著作を「盗作」呼ばわりすべきではなく、まして、その著書が世間の耳目を引いたような場合にはなおさらである。

(二) しかるに、原告は、本件二賞の受賞対象となった本書について、根拠なく「盗作」呼ばわりし、右は広く報道されたのであるから、被告佐伯の名誉を回復するためには、別紙広告目録(二)記載の謝罪広告を、有力な全国紙である読売新聞・朝日新聞・産経新聞の各全国版及び被告佐伯の居住する地の有力紙である京都新聞の各朝刊広告欄に、標題部の写植は一三級の活字、その余の部分は写植一一級の活字をもって、各一回宛掲載するよう命ずることが必要不可欠である。

5  よって、被告佐伯は、原告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、慰謝料金三〇〇万円及びこれに対する損害の発生した日の後である反訴状送達日の翌日である平成元年九月二一日から支払済みまで民法所定の遅延損害金の支払いと、この応訴及び反訴提起のために支出せざるを得なくなった右弁護士費用合計一〇〇万円並びに右金員の内、着手金五〇万円についてはその支払いが終わり、被告佐伯に損害の発生した日の後である反訴状送達の日の翌日である平成元年九月二一日から支払済みまで、民法所定の遅延損害金の支払いを求めるとともに、名誉回復措置として、前記のとおり、別紙目録(二)記載の謝罪広告をすることを求める。

二  反訴請求原因に対する認否

1  反訴請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、宮内庁長官に文書を送付したこと、本訴を提起したこと及び被告佐伯が受賞したことを認め、その余は否認する。

3(一)  同3(一)のうち、(1)の事実は認め、(2)は不知、(3)は争う。

(二)  同3(二)は、(1)の事実のうち、本訴が被告佐伯主張のような請求原因を内容とする損害賠償請求訴訟であることは認め、その余は否認する。

4  同4(二)は争う。

三  原告の主張

1  原告は本書に盗作があると確信して真実を述べたものであり、右は正に原告の著作権、著作者人格権の侵害に対して講じたものであって、本書が本件二賞併受の対象となった公益性の高いものであることから考えれば、原告の行為は違法性のないことが明らかである。

2  本書が資料操作に間違いを冒していることについて

その例を指摘すると、被告佐伯は本書三六七頁第八行以下において、朱元璋と塩の関係について、被告佐伯は、史料として「国巻一」を使用して、朱元璋を塩徒の統領としているが、被告佐伯の右記述には、①不適切な史料を使用していること、②史料に記載されていない「朱元璋が多量の塩を持っていた」との事実を勝手に前提としていること、③朱元璋と塩との関わりを示す事実は、四〇年以上も前に中国の学者が明らかにしているのに、あたかも最初に発見したかのごとく発表しているなど、資料操作に間違いを冒しているのである。

原告は、本書には、このような問題点があることを考慮し、本書が学術上特に優れた論文、著書その他の研究業績に該当しないし、被告佐伯の行為は学者ないしは研究者として許すまじきものであるとの結論に達し、本書の問題点を書面にして被告佐伯及び学士院に送付したのであり、原告の一連の行動は、盗作された学者としては当然の行動である。

四  原告の主張に対する被告佐伯の反論

1  原告は、被告佐伯が明の太祖の朱元璋について述べるに際し、『明実録』を採用せず、「国」を引用したことをもって、「不適切な資料を使用した」と非難するが、原告は、誤解から、「国」の史料的価値を低く見て、被告佐伯が、「国」を引用したことをもって不適切な史料を引用した旨主張しているのである。「国」の史料的価値を高く評価する学者も多く、むしろ、被告佐伯が引用した事件に関しては、「国」の方が明確に事実を記述しているといえる。例えば、「明実録」では「元兵解囲去。」とある点は、「国」では「元兵解濠囲去。」とあり、元兵が囲みを解いて去ったのは、濠州であることを明確にしており、このようなところからみれば、原告の主張するように、「明実録」の史料的価値が「国」よりも高いとはいえないのである。

2  原告は、朱元璋と塩との関わりを示す事実は、中国の学者が『朱元璋伝』で明らかにしているにもかかわらず、これをあたかも被告佐伯が最初に発見したかのごとく発表していると非難するが、「朱元璋伝」の「濠州経過長期囲攻。不但糧秣乏。兵力也衰滅得多。元璋想辨法。」との記載は、朱元璋の生涯の一こまとしてこの事件に触れたのに過ぎず、朱元璋が塩徒であるかどうかを問題としているのではない。そして、被告佐伯は、右中国の学者より早く朱元璋と塩との関連を発見したといっているわけでもなく、中国史上、塩と社会の関係の中で、朱元璋を塩徒の統領と位置づけており、観点を異にしているのであるから、その著書を引用しなかったからとしても、原告から非難を受けるいわれはない。

3  原告は、被告佐伯が、「朱元璋が私塩を密売して軍団の経費を賄っていた」旨述べたことが、史実にもとづかない「乱暴な推論である。」旨主張するが、歴史の大きな流れの上から私塩問題を考えると、朱元璋も私塩販売によって軍資金を確保し、それが朱元璋の勢力を拡大する理由の一つになったものと考えられるのである。もっとも、朱元璋と私塩の関係について残されている史料が多くないのも事実であるが、ヤミ取引は体裁の良いものではなく、一度天子となれば、自然とこのような記録はなくなり、官書の「実録」はもとより、私家の著述においても、これに触れなくなることが通常であるから、右の点は特に問題とする必要はない。

4  むしろ、問題は、原告と被告佐伯との学説の対立に帰結するのであり、このような論争は、本来学術誌の上で冷静に論ずべき性質であるにもかかわらず、原告が、一般人向けの雑誌である「諸君」において、「佐伯氏自らが誇る研究成果なるものが、全く根拠のないでたらめであり、学生でも容易に冒さない低劣な間違ひだらけの史料操作の末に生まれた成果」(二五八頁)とか、「こんな乱暴な史料解釈をしたら、学生のレポートでも落第に決まっている。」(二五九頁)とか、「佐伯氏のこの非学問的というより寧ろ反学問的というべき暴挙を一体、何と考へてをられるのであらうか。」(二六二頁)とまで酷評したところにある。

このような原告の行為は、学者としてなすべきことでなく、また、社会通念上、許されることでもないのである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一本訴請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

第二同2(先行権侵害)について

一本訴請求原因2(一)、(二)の事実、及び(三)のうち、原告第一論文末尾の「附記」に「本稿は昭和一七年三月一一日東京帝大東洋史談話会に於てなせる『明代塩商の一考察』と題する講演の草稿に多少の取捨補正を加へたものである。」と記載されていることは当事者間に争いがない。

また、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、被告佐伯は、原告の講演の行われた昭和一七年三月一一日の東京帝国大学東洋史談話会には参加していなかったこと、史学雑誌昭和一八年七月号に掲載された原告第一論文末尾の「附記」には、右争いのない部分に続いて「之を本年度本誌の五、六、七月号に連載する事となり、六月号掲載の分が印刷中に仁井田先生より、佐伯富氏の力作『塩と支那社会』(東亜人文学報第三巻第一号所載)が出た事を教示せられ、早速一読した。所がその中には明清時代の徽商・山陜商に関して拙稿と類似する記述が二三見出された。然し、同じく徽商・山陜商を対象として居ても、佐伯氏と私とは観点を異にして居り、史料的にも佐伯氏が清代の文献を使用して居られるのに対し、私は出来る限り一層根本的な明代の文献を利用するに努めて居る。又愚稿中の徽商・山陜商に関する部分は既に昨年三月東洋史談話会で発表したものでもあるしするのでその儘にして置いた。佐伯氏の御諒承をお願ひいたしたい。」との文が記載されていることが認められる。

右当事者間に争いがない事実及び右認定事実を時間の順序に従って整理すると、以下のとおりである。

(1)  原告は、昭和一七年三月一一日、東京帝国大学東洋史談話会において、講演をしたが、被告佐伯は、これには参加していなかった。

(2)  被告佐伯は、昭和一八年三月三〇日、被告論文を発表した。

(3)  原告は、その後に発行された史学雑誌昭和一八年五月号ないし七月号で右講演の草稿に、「多少の取捨補正を加えた」と説明する原告第一論文を掲載した。

(4)  被告佐伯は、昭和六二年九月三〇日、本書を発行し、その「はしがき」で「同じ頃藤井氏も『明代塩商の一考察』なる名篇を発表され、同趣旨のことに触れられた。但し、発表は私の方が少し早かった。」と記載した。

二原告は、徽州商人(新安商人)と山陜商人の研究について、昭和一七年三月一一日、東京帝国大学東洋史談話会で、原告第一論文と同一の内容の講演を二時間にわたって行い、被告佐伯は、同一の研究テーマについて、昭和一八年三月三〇日に被告佐伯論文を発表したから、原告の研究発表が先行しているにもかかわらず、被告佐伯が、本書の「はしがき」において、被告佐伯論文の方が早かった旨記述し、原告の研究発表の先行権ないしプライオリティー(以下、単に「先行権」という。)を否定し、もって原告の研究者としての学問的名誉権を侵害した旨主張する。

そこで検討するに、原告の主張する右先行権の意味は必ずしも明らかではないが、ある研究に関し、他者に先んじて当該研究を手掛けた研究者が、他者に対し先駆者としての地位を主張しうるとともに、学会等においても、当該研究の先駆者としての評価を受け、尊重されることをも意味するもののようである。そうすると、原告の主張するこのような先行権の存在を認めるには、まず比較されるべき二つ以上の研究の先後を評価ないし判定しなければならないことになるが、二つ以上の研究の先後の評価ないし判定は、当該対比されるべき研究における時間的な先後の一事のみならず、当該各研究の内容、程度、方法、結果の発表態様、学説若しくは見解の当否若しくは優劣等種々の要素を総合しなければ容易になしえないものであって、このような学問上の評価ないし判定は、その研究の属する分野の学者・研究者等に委ねられるべきものであり、裁判所において審査し、法令を適用して解決することのできる法律上の争訟ではないといわなければならない。したがって、本件において、原告の前記講演が被告佐伯論文よりなされたとして、先行権を有することを前提とする原告の主張は、既にこの点において理由がないというべきである。

三原告の主張するような先行権の存否はともかくとして、前記一のような事実関係のもとにおいて、被告佐伯が、昭和六二年九月三〇日に発行した本書の「はしがき」で「同じ頃藤井氏も『明代塩商の一考察』なる名篇を発表され、同趣旨のことに触れられた。但し、発表は私の方が少し早かった。」と記載したことが、原告の学問的名誉を害するか否かについて、検討する

前記一の各事実によると、①原告講演の内容自体は、前記東京帝大東洋史談話会の参加者以外の者には明らかではなく、講演後一年数か月を経て、これに「多少の取捨補正を加へた」と説明されるものが原告第一論文の形で初めて公刊物に掲載されたこと、②したがって、被告佐伯を含む東洋史談話会の参加者以外の者としては、「多少の取捨補正」が加えられる以前の講演内容そのものについて知りえない以上、原告第一論文を取り上げる以外に方法はないこと、③本書の「はしがき」での記載も「名篇」との表現を用いていることから、史学雑誌に掲載された原告第一論文を指していることは明らかであり、論文の発表としては被告論文が早くなされたことに疑問の余地がないこと、④現に、被告佐伯は、昭和一八年三月三〇日に被告論文を発表した際、原告第一論文はもちろんのこと、原告講演内容も知りえなかったところから、原告講演及び原告第一論文を研究上の参考資料として用いたものではないこと、⑤これに対し、原告は、原告第一論文の掲載途中に被告論文を知り、そのため末尾の「附記」で「佐伯氏の御諒承をお願ひいたしたい。」との意思を表明していること、⑥原告自身自認するとおり、原告第一論文と被告論文とでは、観点を異にし、また資料とした文献自体も時代的に相違していること、以上の点が明らかであるから、本書「はしがき」における前記のような記載が原告の学問的な名誉を害するとは認められない。

四以上のとおりであるから、原告の前記主張は、理由がない。

第三本訴請求原因3(被告佐伯の著作権侵害等)について

一同3(一)、(二)の事実、及び加藤繁博士の著作にかかる「旧唐書食貨志・旧五代史食貨志」に「広牢盆以来商賈」を「牢盆を広くして、以て商賈を来す。」と読み下した部分が存することは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に加え、〈書証番号略〉によれば、以下の事実が認められる。

1  原告第二論文は、「漢代塩鉄専売の実態(一)」と題する論文であって、「史記平準書の記載をめぐる諸問題」との副題のもとに、前漢の塩鉄専売の内容もしくは実態がどのようなものであったのかを史記平準書の記載を中心として考察したものであり、特に、生産部門、あるいは生産と運輸との継目を中心に論述が展開されており、本訴請求原因3(一)の記述部分(以下「原告著述部分」という。)は、同論文の「(三)影山剛氏説の批判」の章において記述されていること、

2  同論文の「(二) 平準書の記載に関する諸説の展開」の章においては、要旨次のとおりの記載があること、

(一) 漢代塩鉄専売に関してややまとまった記述をしている文献として、史記平準書の元狩四年の条の記事を挙げ、右記事の一部に関する先学の注釈を丹念に紹介してその発展の後を辿ったうえ、学説の状況に触れ、学説の主流は、右記事の一部が専ら国家による塩の専売に関する記述と考えているが、少数説は、塩鉄の双方にわたる記述であるとしており、原告としては後者を正当であると考えていること、

(二) 原告の説に対し、影山剛教授が学説上の批判を加えているが、右批判を整理すると、「牢盆」は原告説のように「堅固な煮塩盆」の意味に解すべきでなく、生産物に対する報酬又は手当ての意味に解すべきであるとする点など、三点に要約することができるとしたうえ、影山説に対する原告の反論ないし批判を述べながら、漢代塩鉄専売の生産面における実態を明らかにすることが原告第二論文の目的であるとしていること、

3  右「(二) 平準書の記載に関する諸説の展開」の章に引き続き、「(三) 影山剛氏説の批判」の章において、要旨次のとおりの記載があること、

(一) 影山教授の学説の特徴は、塩と鉄の両分野を有機的に構造連関的に把えて論じた点と、「牢盆」について唐代の用例を探り、それとの関連で漢代の「牢盆」を論じた点であるが、同教授の解釈とその根拠とされた文献の解釈を詳細に吟味検討すると、同教授の解釈には誤りがあること、

(二) 影山教授は、唐代に「牢盆」が報酬の意味に用いられた例として、

「旧唐書」巻四九食貨志下、漕運の項の宝応二年の条に劉晏の事蹟について、

…自此歳運米数千万石。自淮北列置巡院、捜択能吏、以主之、広牢盆、以来商賈。(此より歳ごとに米数千〔十〕萬石を運ぶ。淮より北に巡院を列置し、能吏を捜択して以て之を主らしめ、牢盆を廣くして以て商賈を来く。)

とあり、唐会要、巻八七、転運塩鉄総叙の項にもほぼ同文があるのに注目し、右の記事中に見える「牢盆」は「雇傭労働者の雇賃か」「政府監督下に漕運を請負うことになった商人に対する手当・報酬の支給を意味していると解して先ず誤まりはない」とし、「この記事に関する限り、『牢盆』が煮塩用の堅固な盆というような特殊な器具を意味する余地は全く認められない」としたこと、

(三) このように、影山教授は、漢代の「牢盆」の用例に報酬の意味をもつものがないため、唐代のその用例を求めて成功したかのように見えるが、次の理由により、唐代における用例もないことが明らかであること、

すなわち、右掲の旧唐書の記事の直前には次の記事

宝応元年五月…是時朝議、以寇盗未、関東漕運、宜有倚、遂以通州刺史劉晏、為戸部侍郎京兆尹度支塩鉄転運使。塩鉄兼漕運、自晏始也。二年拝吏部尚書同平章事、依前充使。晏始以塩利為漕傭。自江淮至渭橋、率十万斛、傭七千緡。補綱吏督之。不発丁男、不労郡県、蓋自古未之有也。(宝応元年五月…是の時、朝議、寇盗未だまず、関東の漕運、宜しく倚有るべきを以て、遂に通州刺史劉晏を以て戸部侍郎京兆尹度支塩鉄転運使と為す。塩鉄、漕運を兼ぬるは晏より始まる也。二年、吏部尚書同平章事に拝し、前に依り使に充つ。晏、始めて塩利を以て漕傭と為す。江淮より渭橋に至るまで、率ね十万斛ごとに傭七千緡なり。綱吏を補して之を督せしむ。丁男を発せず、郡県を労せず、蓋し古より未だ之れ有らざるなり。)

があり、前掲記事と右記事から、劉晏が、従来別々に運営されていた塩法と漕運を総合的に運営することとし、塩利をもって国家が漕運の人夫を傭う費用に充てる政策に改めたことが判明するうえ、劉晏の漕傭の具体的内容として、新唐書食貨志には、一定の大きさに作られた国有の規格船を使用し、一綱ごとに劉晏の派遣した吏が監督する船団が組織されていたことが記載されており、この点からも、影山教授の説のように、商人による漕運の請負船団と解する余地はなく、また、劉晏の右改革は官運の漕傭の規模を拡大しただけであるから、漕傭の対象は操船人夫等であって、商人ではないと考えるべきであること、

(四) したがって、旧唐書食貨志下の「広牢盆、以来商賈」の「商賈」は、影山教授の主張するように、漕運を請負う商賈と解すべき理由はなく、「広牢盆」の「牢盆」も、漕運請負の商賈に支給する手当・報酬と解すべき必然性もなくなるのであって、むしろ、漕運の人夫を傭うには官塩の生産力を増強して収益を拡大する必要があり、そのために「牢盆を広くする」、つまり最も重要な製塩用具である「牢盆」の幅員を拡げて大型化し、牢盆一個当たりの製塩量を増大し、そのようにして豊富に生産された官塩を以て塩商人を招く政策を打ち出したのだと解するのが自然であること、

(五) また、他の史料等からも、劉晏が官塩の生産力増強に意を用いたこと、「巡院」が私塩を捕らえるだけでなく、官塩の売り捌きを推進する任務もあったこと等を知りうるのであり、「牢盆」には、影山教授の主張するごとく、報酬という意味を持つ用例は唐代にはまったくないこと、

4  原告第二論文においては、史料の引用は、句読点を付してある以外は、原文を引用し、当該史料に続いたかっこ内にその読み下し文を記述していること、

5  史料中の重要な部分には、傍点等が付されて強調されていること、

二前記争いのない事実に加え、〈書証番号略〉によれば、以下の事実が認められる。

1  本訴請求原因3(二)記載の本書の著述部分(以下「被告著述部分」という。)は、本書の第三章第五節「唐代の塩政」の「四 劉晏の塩法」中において記述されていること、

2  右においては、劉晏により権塩法が根本的に改められたこと、すなわち、劉晏が塩鉄使として塩政の改革を行ったこと、及びその塩政は海塩であったことに触れられているほか、劉晏の塩政は、劉晏の失脚後の後継者にも継承され、唐朝の財政に大きな貢献をしただけでなく、後世の塩政に対して、通商法の基本的典型を示したものとして注目すべきものであるとして、劉晏の塩政がいかなるものであったかについて、資治通鑑等の史料や先学の研究を参考にして述べられたこと、

3  右説明中においては、巡院の任務の一つは私塩(闇塩)の取締りであること、劉晏の政策として最も注目すべきことは、巡院をして天下の経済情報を蒐集提供させたことであること等劉晏の塩政の特色が一〇点前後も掲げられているが、本書一〇四頁では、塩政と漕運とが有機的に密接な関連をもって運営されたことが指摘され、「最も重要なことは旧唐書巻四九『食貨志』に

晏始め塩利を以て漕傭と為す。江淮より渭橋に至る。率ね十万斛ごとに傭七千緡なり。綱吏を補して之を督す。丁男を発せず。郡県を労せず。蓋し古より未だ之有らざるなり。此れより歳ごとに米数千(十?)万石を運ぶ。

とあり、漕運が成功した原因には、塩利を以て漕運労務者を雇傭し、綱吏をしてこれを監督させたので、丁男を役し、郡県を労擾させることがなかったことがあげられる。つまり、人民の徭役制を廃し、雇傭制官運法に変更したのである。これによって、毎年数十万石の米を漕運することが可能になったのである。」と記述され、劉晏の塩政の第七番目の特色であるとされていること、

4  右に続いて、「さらに同書には引き続き

牢盆を広くして以て価を来す。凡て制置する所、皆晏より始まる。

と見え、一方、海塩製造業者には堅牢な製塩鍋牢盆を支給して生産額の拡大を計り、商人を多数招来して塩利の増大を企図したのである。これが劉晏の塩政改革の特色の第八点である。その結果、塩利は急速に増大した。」と記述されたこと、

5  また、右「四 劉晏の塩法」の総括として、「以上述べたところにより、劉晏の塩政が成功を収めた理由が判明したと思われる。」としたうえ、劉晏の失脚についても触れられていること、

6  被告佐伯が、被告著述部分において、広牢盆部分の「牢盆」を堅固な塩を煮る鍋であるとの解釈を示していること、

7  被告佐伯が、漢代の「牢盆」の意味について、本書の別項(四二頁、〈書証番号略〉)において、「牢盆、すなわち製塩用の堅牢な鍋」と記載したうえ、後注(五七頁)に原告の「漢代製塩業の問題点―牢盆の解釈をめぐって―」と題する論文を掲げ、原告の考え方に賛成していると理解されること、

8  被告佐伯が、本書の別項(右同箇所)において、「牢盆」の大きさは一定であったと思われる旨を記述していること、したがって、被告佐伯が塩の生産拡大の原因を「牢盆」の大型化に求めていないこと、

9  本書においては、被告著述部分なども含め、史料を引用する際、ほとんど原文を引用せず、読み下し文で引用されていること、

三そこで、原告著述部分と被告著述部分とを対比すると、両者は、いずれも唐代における中国の塩政に関する史料である本件史料、特に広牢盆部分について、これを読み下すとともに、牢盆を堅牢な塩を煮る盆又は鍋(製塩用具)であるとの解釈を示しているものではあるが、原告著述部分は、(1)原告第二論文中の「(三) 影山剛氏説の批判」の章において、唐代における中国の塩政に関する史料である本件史料、特に広牢盆部分に基づいて、「牢盆」が報酬であって、煮塩盆と解することはできないとする影山剛教授の見解に対し、多数の史料を参照し、綿密に検討を加え、これを批判し、ときには同教授の論証が間違いであると断定しながら、本件史料が海塩に関する専売制の設営及び官塩の生産の拡大に関する記述であって、「牢盆」が報酬であるという用例ではないことを主張していること、(2)原告の説、すなわち「牢盆」は堅牢な煮塩盆(製塩用具)であり、「広牢盆」は右製塩用具を大型化することであるとの説が詳細に展開されていること、(3)「牢盆」を広くするのは、官塩の生産力を増強し収益を増やして漕運の人夫を傭うためであり、また、そのようにして豊富に生産された官塩で塩商人を招くためであったこと、(4)史料の引用は、句読点を付してはあるものの、原文のままであり、これに引き続くかっこ内に読み下し文が示されていること、等の表現内容及び表現形式上の特徴がある。

これに対し、被告著述部分は、(1)劉晏の塩政改革の特色を約一〇点にわたり、比較的平易かつ簡潔に列記し、説明し、他の学説の批判等はさほどなされていないこと、(2)「広牢盆」を製塩鍋牢盆を支給して生産額の拡大を図るとし、塩の生産拡大の原因を「牢盆」の大型化に求めていないこと、(3)史料の引用は、原文を引用せず、読み下し文が掲げてあること、等の表現内容及び表現形式上の特徴がある。

以上に述べたところから、原告著述部分の表現形式と被告著述部分のそれとを対比して考えると、被告著述部分と原告著述部分とは、「広牢盆以来商賈」部分の読み下し文の一部のみを取り上げてみると、その表現形式において類似した部分がないわけではないが、右漢文の読み下し文については、原告著述部分の発表される二十数年前に、加藤繁博士により「牢盆を広くして、以て商賈を来す。」と読み下されていたのであり、原告著述部分の前記のような読み下し方に著作物性があるとは認められないから、読み下し文の部分の表現形式の類似性をもって原告著述部分の著作権侵害に当たるということはできない。また、右読み下し文を含め、その解釈を示した文章全体について対比すると、両者は、論述の趣旨又は目的、その対象、論述の内容、論述の基礎となった史料の異同、論述の構成等表現内容及び表現形式において全く相違し、両者の表現内容及び表現形式が同一又は類似するとは到底認められないから、その余について判断するまでもなく、原告の著作権侵害の主張は理由がない。

四原告は、被告著述部分が、原告著述部分に示された「牢盆」の解釈等について、自己の学説と同趣旨の見解を示したことをもって、自説を盗用、盗作したものであり、これは原告の著作権等を侵害するものである旨主張するかのごとくであるが、学説ないし思想それ自体の保護は、著作権法の保護の範疇に属するものでないから、原告の右主張は失当である。

五右のとおり、学説の盗用、盗作が著作権侵害に当たらないことは、著作権法に照らし明らかであり、原告の主張は既にこの点において理由がないといわざるをえないが、本訴において、原告が最も強く主張しているのも、被告佐伯が原告の学説を盗用したとの点であると理解されるので、この点について敢えて付言することとする。

被告佐伯が、本書の被告著述部分において、広牢盆部分の「牢盆」の意味につき、原告第二論文の原告著述部分における解釈と同様の解釈を示していることは先に判示したとおりであり、また、本書の被告著述部分において、原告第二論文の原告著述部分を引用していないことは争いのないものであるところ、〈書証番号略〉によれば、(1)原告の「漢代製塩業の問題点―牢盆の解釈を巡って―」と題する論文には、漢代における製塩業に関して、「牢盆」が製塩用の堅牢な盆である旨の記載があること、(2)被告佐伯は、本書の「漢代に於ける塩の専売」の章において、本件史料を引いて、「牢盆」の意味を「製塩用の堅牢な鍋」と解したうえ、その註に、原告の右(1)の論文を引用していること、(3)被告佐伯は、唐代における牢盆の意味も、漢代における牢盆と同様であると考え、これを「堅牢な製塩用の鍋」と記述したが、右の記述に際しては、漢代における「牢盆」の解釈について原告の論文を引用したことから、ここでは原告第二論文に言及する必要はないと考えたこと、以上の事実が認められ、また「盗用」が「盗んで使用すること」を意味することは明らかである。これらの事実に照らすと、被告佐伯が、漢代における牢盆の解釈において原告の前記論文を引用している以上、唐代における牢盆の意味に関し、原告第二論文の原告著述部分を引用しないでこれと同様の解釈を示したからといって、これは単に記述方法如何の問題にすぎず、原告の学説ないし解釈を「盗用」したということはできない。

もっとも、原告は、漢代の「牢盆」の意味に関する解釈を機械的に唐代の「牢盆」に適用することができないとし、唐代の「牢盆」の意味についても原告の学説に従うのであれば、改めてその文献を引用することが必要不可欠であって、引用がない以上は「盗用」といわざるを得ない旨主張するようである。原告の右主張のうち、先人のなした学説に従う以上、これを引用しなければ「盗用」に当たる旨の考え方には、必ずしも賛成することはできないが、この点はともかく、漢代の「牢盆」に関する解釈を唐代の「牢盆」の解釈にそのまま適用することができるか否かは優れて学術上、学問上の問題であって、裁判所が審判すべき対象に該当せず、専ら学者・研究者等の評価に委ねられるべきものである。なお、学士院の特別審査委員会が、本書の記載について、唐代の「牢盆」の解釈において原告の名前を記していない点は記述が不十分であるともいえようが、既に漢代の節で註記している以上、本書に盗作があるとの主張は成立しないとしたことは後記のとおりである。

六よって、原告の著作権及び著作者人格権侵害の主張は、その余の点を検討するまでもなく、理由がない。

第四本訴請求原因4(被告佐伯による名誉毀損)について

一本件の経緯について

本訴請求原因4(一)、(二)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に加え、〈書証番号略〉、原告(ただし、後記措信しない部分を除く。)、被告佐伯富及び被告宮崎市定の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の諸事実が認められる。

1  原告は、昭和六二年八月二四日、被告佐伯から、本書の寄贈を受け、同年末ころにはこれを読了していたが、被告佐伯に対し、特に苦情等を申し入れていなかったものの、学士院が、昭和六三年三月一四日、被告佐伯に対し、本書を対象として昭和六三年度の本件二賞を授賞することを公表したところ、右発表直後の同月一九日、被告佐伯に電話をかけて、本書に原告の研究論文からの盗作等の問題があると述べたが、被告佐伯から、意見があるならば書面で送付するよう求められた(〈書証番号略〉)。

2  そこで、原告は、昭和六三年五月一日付けの「佐伯富氏宛書簡」と題する書面(〈書証番号略〉。以下「原告書簡」という。)を作成したうえ、これを被告佐伯に送付した。

右書簡には、原告が本訴請求原因2、3において主張する先行権侵害及び著作権等の侵害の事実がある旨記述され、その主張にかかる事実が詳細に摘示されたうえ、別紙一のような要旨が記載されている。

3  原告が原告書簡をもって被告佐伯の本件二賞の受賞に関して盗作である旨の異議を申し立てたことは、報道機関の知るところとなり、本件二賞の対象となった著作に盗作があるという内容の性質上、前代未聞の不祥事であるとして、これが大きく報道され、社会の耳目を集めることとなった。

4  学士院も、当初、被告佐伯から事情を聴取するなどし、同被告に結論が明確になるまで受賞の延期を申し出るよう働きかけ、同被告も、昭和六三年五月初旬ころ、受賞の延期を学士院に願い出た。学士院は、昭和六三年五月三〇日、同被告に対し、「今年度授賞決定事項のうちから貴下の授賞事項を取り除く」旨を通知し、同被告に対する授賞を延期したうえ、特別審査委員会を設置して、原告の主張の当否を調査することとした。

5  この間、被告佐伯は、学士院に対しては、「藤井氏の抗議に対する釈明文」を提出したが、原告に対しては、原告書簡が書簡の形を取っていたため、これを公開することを差し控えるとともに、「被告佐伯を罵倒し、人格を傷つける許しがたい発言に対しては正常な心で答えられない。泥仕合はしたくない。」との趣旨の手紙を送付するのみに止まり、原告に対し、学問上の論争には応ずる用意はあっても、原告の前記書面における侮辱的、名誉毀損的な表現が取り消されない限り、応ずる意思はない旨の態度を示し、直接の反論はしなかった。

6  一方、原告は、原告書簡の内容を一般人向けの記事にして、雑誌「諸君」の昭和六三年七月号において、「学士院賞恩賜賞に異議あり」という記事(〈書証番号略〉)を掲載した。

右記事においては、見出しにおいて、本書を「学生でも容易に冒さない間違いだらけの史料操作を施し、あまつさえ盗作問題まである。こんなお粗末な研究が学士院恩賜賞を受けるとは、学問の頽廃ここに極まれりだ。」としたうえ、「間違ひだらけの史料操作」の章には「もしも『大きな成果』と佐伯氏自らが誇る研究成果なるものが、全く根拠のない出鱈目であり、学生でも容易に冒さない低劣な間違ひだらけの史料操作の末に生れた成果であるとしたら、一体どういふことになるのだらうか。」と、「学生のレポートなら落第」の章には「こんな乱暴な史料解釈をしたら、学生のレポートでも落第にきまっている。」「このやうな初歩的ミスを幾つも幾つも重ねている著書が果たして、」と記述され、その他の章でも「「このようなやり方が真面目な史学者のやることであろうか。」「『国権』如き誤謬だらけの史籍に振り廻され」「着実正確な研究成果を無視するといふ暴挙を敢へてして、国権すら書いていない何等、根拠のない大法螺を吹き鳴らしていたのである。」「学士院や朝日新聞は、佐伯氏のこの非学問的といふより寧ろ反学問的といふべき暴挙を一体、何と考へてをられるのであらうか。」「まがふ方なき大盗作である。」「『中国塩政史の研究』中には、独創的な、すぐれた研究成果と考へられる箇所は皆無に近く、この拙文で指摘した以外にも、学生すら冒さない誤謬や論理の飛躍が殆ど全巻にわたって存在してをり枚挙にいとまがない。」「今回の『中国塩政史の研究』を恩賜賞・学士院賞の併授対象としたのは沙汰の限りである。」などと記載されている。

7  被告宮崎は、被告佐伯が前記盗作問題により、精神的に疲労したため、側面から支援しようと、原告に対し、手紙(〈書証番号略〉)を出して、前記「諸君」の記事の感想も含め、その言動を諫め、あるいは原告の解釈についての問題点を指摘するなどして、被告佐伯に対する原告の言動の改善を図ろうとした。しかし、原告は、被告宮崎の手紙等に対して、ことごとく反論し、自らの言動を省みようとせず、かえって、被告宮崎の所見を批判し、あるいはその所説に誤りがある旨を記載した手紙(〈書証番号略〉)を出して、同被告と激しく対立するに至った。

8  また、原告は、非公式には昭和六三年五月四日頃、正式には、同年六月九日頃、学士院に対し、原告書簡のほか、前記「諸君」の記事や被告宮崎と原告との往復書簡等を資料として送付したほか、学士院の審査委員数名に対しても送付し、更には、同書面を東洋史学会の会員に送付した。

原告は、その後も、学士院に対し、本件二賞の問題の重要資料であるとして、被告宮崎との間の往復書簡や、訴外岩見宏との間の往復書簡、学士院長との往復書簡等を送付した。

9  被告宮崎は、昭和六三年六月ころ、被告佐伯の同年度の本件二賞が受賞延期となったことを遺憾とし、その要旨が別紙二のとおりの「学士院の密室裁判」と題する小冊子(甲第七号証。以下「本件小冊子」という。)を作成し、被告佐伯が受賞延期の説明を兼ねて関係者に挨拶状(〈書証番号略〉)を送付する際、当事者である被告佐伯が自ら受賞延期に関する弁明等を挨拶状に記すこともはばかられる等の事情を考慮し、同被告の主張を代弁し、あるいはこれを支援するため、右挨拶状に添付する添え状として、被告佐伯を通じて学会関係者や被告の親戚に対して配布したほか、雑誌アエラの記者に対して同小冊子のコピーを交付した。同誌一九八八年六月二一日号は、同小冊子をもとに、被告宮崎が被告佐伯の受賞延期に関して学士院を批判している旨の記事(〈書証番号略〉)を掲載し、「原告のクレームについて、『手紙の密告などは、初めから拒否するのが正道』と述べている。」と記載した。

本件小冊子は、書簡の形式で、前記盗作問題に関する学士院の被告佐伯に対する対応について、原告を敬称を付さずに表示して、右問題に関する被告宮崎の所見と、学士院に対する被告佐伯の対応を説明し、学士院の決定は前近代的な密室裁判であり、灰色裁判であるとして、学士院の被告佐伯への対応に対する強い不満と批判を表し、最後に、被告佐伯の支援を依頼する内容であり、そのほか、原告に関し、以下の記述がある。

(一) 原告が学士院に送付した文書は、枝葉末節の攻撃中傷、悪口雑言の羅列である旨

(二) 原告が学士院に送付した文書が手書の密告である旨

(三) 原告の戦術の巧妙さには驚くべきものがあり、学士院の弱点に精通し、思うがままに操縦した旨

(四) 原告は、学界では名うての札付きである旨

(五) 原告は、北海道大学では、全学に迷惑をかけた前歴者である旨(なお、「前科者」と書いた部分が訂正されて「前歴者」と記述されている。もっとも、「科」の字が書かれていたことが読み取れる状態で訂正されている。)

10  原告は、昭和六三年一〇月一四日ころ、被告佐伯が前記5の学士院宛の反論書があることを知り、学士院に対し、右文書の写しを交付することを要求したが、学士院は、これを拒否した。

11  原告は、平成元年三月一〇日付けで、「日本学士院宛申し入れ書」と題する書面(〈書証番号略〉)を作成し、これを学士院長宛で送付した。

右書面中において、原告は、学士院が本書を昭和六三年度の本件二賞に選考した理由が正当でないとしたうえ、その理由について、従前の経緯を改めて繰り返しながら、詳細に述べ、被告佐伯に関して、前記2におけると同様、原告が本書を大盗作であると信ずる旨を記載し、更に、被告佐伯が原告に対して反論しないのは「大盗作」を認めているようなものであるとし、原告に批判的な本件小冊子を怪文書と称し、これを引用してその内容を非難したほか、北海道大学時代に分限免職処分を受けたことに関して弁明し、さらに、本書の問題点を指摘し、天皇陛下の前で被告佐伯に本件二賞を授与することについて心の痛みもないか等を記述し、学士院に対し、被告佐伯に本件二賞を授与する決定の撤回を求めた。

12  しかし、学士院は、平成元年三月一三日、特別審査委員会の審査の結果、被告佐伯が、本書において、漢代の「牢盆」の意味について原告の「漢代製塩業の問題点―牢盆の解釈をめぐって―」と題する論文の名を挙げて、本文で、牢盆を「すなわち製塩用の堅牢な鍋を支給し」と解したのは、右論文において示されている原告の「牢盆」が堅固な塩を煮る盆であるとの説に賛成したものであるとしたうえ、被告佐伯が、唐代の「牢盆」の意味に関し、原告の氏名を記していないのはあるいは記述が不十分であるとも言えようが、既に漢代の節で註記している以上、これによって佐伯氏の著書に盗作があるという主張は成立しないとして、改めて被告佐伯に対し、平成元年度の本件二賞を授賞する旨を決定した(〈書証番号略〉)。

13  右受賞決定後、被告佐伯は、時事通信社大津支局の記者に対し、本件二賞併受について談話を発表するにあたり、光栄でありがたいことであるが喜びも半減したようである旨述べるとともに、原告のことに言及し、原告は「過去にも北大で多くの人を陥れ、文学部が全滅したことがあり、評議会で追放された。」と述べ(被告佐伯発言)、引き続いて「あの人のことは学士院の方もあまり知らなかったようで、前回は学士院のやり方に疑問を持った。」と述べた。この談話は、同年三月一四日、産経新聞全国版(〈書証番号略〉)及び神戸新聞(〈書証番号略〉)の各朝刊に掲載された。

14  原告は、被告佐伯の本件二賞授賞の右決定について、報道機関に対し、学士院は、再び被告佐伯への授賞を決定することで、二度の過ちを犯したことになるとし、本書が盗作であることは間違いなく、今後は、被告佐伯が著作者人格権を侵害したとして裁判で争う旨の談話を発表し、平成元年四月二八日、本訴を提起した。

15  原告は、平成元年五月一八日付けで、宮内庁長官に対し、本件訴状の写しを同封のうえ、本書が盗作であり、学士院の再度の授賞決定は見当外れの間違いであって、天皇陛下の御前で、盗作の有無が法廷で争われているような人物に対して本件二賞を授与してよいかを学士院長に問い合わせるべきである旨の文書(〈書証番号略〉)を送付し、同月二七日付けで、学士院長に対し、右宮内庁長官宛の書簡の写しを同封し、右書簡を熟読のうえ、学士院にふさわしい行動をとるべきである旨の文書(〈書証番号略〉)を送付した。

16  また、原告は、平成元年六月二日、大津地方検察庁に対し、被告佐伯の前記11の談話に関し、右談話が原告の名誉を毀損するとして、被告を名誉毀損罪で告訴したが(〈書証番号略〉)、同検察庁は、平成二年七月一〇日、起訴猶予を理由として不起訴処分にした(〈書証番号略〉)。

17  しかし、原告の種々の抗議や授賞阻止行為等にもかかわらず、結局、学士院は、平成二年六月一二日、被告佐伯に対し、本件二賞を授賞した。

以上の諸事実が認められ、〈書証番号略〉の各記載部分並びに原告本人の供述部分は、前掲各証拠に照らし、措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

二北海道大学「藤井教授事件」等の経緯について

〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和二三年北海道大学の助教授に、昭和二七年同大学の東洋史学科の教授に任命されたが、当時から、気性が激しく、他人の曲行、怠慢を絶対に許せず、ものごとを不完全にすることを好まない性格の持ち主であると評され、自らも、不正に対してはこれを敵として憎み、仮借なく弾劾し、その結果として相手に悪感情を生じさせようとも少しも顧慮せず、断固として戦い、倒さずにはやまない正義の士であることをもって任じており、反対意見を持つ教授を長時間にわたって追求したり、助教授、学生、事務職員に対して、時としては人前であってもそのミスを厳しく指摘し、追求する等、対人関係において厳しい言動をとることも多かったため、一部の者にはその言動に強い反感を持たれるようになっていた。

2  原告は、昭和三一年七月中旬ころ、史学科の学生二名に対し、原告が管理責任者となっていた同大学文学部の支那学教官研究室の管理上の問題と、右二学生の原告に対する態度がよくないことを理由として、右教官研究室の使用を禁止したが、この措置が恣意的であり、しかも、当該学生に対し、事実上、史料の閲覧、研究の途を閉ざしかねないものであるとして、学生から強く反発され、これがきっかけとなって、職員組合や一部教官も加わって、原告の辞職を要求したり、原告を支持する教授の講義をボイコットする等の排斥運動に発展し、学内のみならず学外のものまで動員されるほどに拡大するに至り、右事件は、「藤井教授事件」あるいは「藤井問題」と称されるまでになった。

3  その後、文学部長は、右二学生の研究室出入禁止措置を職権で解き、原告も、教授会に辞表を提出するなどしたため、右事件はいったんは鎮静化したかに見えた。しかし、昭和三二年八月、原告が前記辞表を撤回して学内復帰を主張したため、学生や職員組合等が、原告の復帰に反対するなどして、紛争が再燃し、同大学内は、講義のボイコットやストが発生するなどして紛争が拡大した。

4  報道機関も、昭和三二年一一月下旬ころから、藤井教授事件の再燃として大きく取り上げたが、原告は、「排斥運動の中心になっている助教授の中に、満足な論文一つ書いていない、学者として大きな弱点を持っている人がいることも問題だと思う」「私は間違っていたとは思わない」との談話を発表し(〈書証番号略〉)、その後、新聞に投書するなどして(〈書証番号略〉)、自己の正当性を訴えるようになった。

5  文学部教授会は、昭和三二年一二月一四日、いわゆる「藤井教授事件」を処理するために、いくつかの点について原告の徹底的善処を要求する等の緊急決議をしたが、文学部長裁定(〈書証番号略〉)により辞職勧告は行わないこととなり、一連の問題は表面上は解決した。しかし、学生側や、職員組合は、依然として強い不満を表明し、学部長と長時間にわたって団体交渉を求めるなどした。

6  そして、昭和三七年二月、原告の教授会における言動等をきっかけとして、紛争がまたもや再燃し、後記7の言動があったとして、北大文学部教授会(ジュニア)は、原告が教授としての適格性を欠く旨の決議をし、あるいは旧制教授会では、原告の言動を非難して同人の教授会への出席停止などを決議したが、原告は、右決議に従わず、自己の教授会出席を強行し、教授会開催が紛糾して流会となることもあった。

結局、文学部は、昭和三七年三月下旬、同人の処分を求める旨上申することを決議し、これを同大学評議会に上申した。

7  北海道大学評議会は、昭和三八年五月一九日、原告を免職処分にすることを決定し、これを受けて、同月三〇日、文部大臣によって、別紙三のとおりの理由で、国家公務員法第七八条三号の規定により、分限免職処分に処せられた(〈書証番号略〉)。

8  原告の免職決定後、評議会において、文学部内部で藤井問題を解決することができなかったのは、同学部の原告以外の教授にも責任があるとして強い批判がなされたため、文学部長であった須田教授は、昭和三八年五月二〇日、同学部長を辞任し、続いて同学部の教授のうち、原告を除く九教授全員が同月二一日までに、同大学長に辞意を表明した。

9  昭和三八年五月二二日付けの日本経済新聞は、北海道大学評議会が原告の免職を決定した後に、文学部の教授が辞表を提出した旨の記事を掲載するに当たり、その見出しに「北大文学部が壊滅状態に」とする記事(〈書証番号略〉)を掲載し、また、同日付けの朝日新聞は、その見出しを「文学部は危機に」とし、北大文学部が、原告を除く全教授が辞意を表明したことにより、学部存続にかかわる重大な危機を迎えた旨の記事(〈書証番号略〉)を掲載した。

10  原告は、昭和三八年六月二一日、人事院公平委員会に対し、前記分限免職処分について、右処分の不当を理由に審査請求を申し立て、右手続内において、北大文学部教授会においては、論文審査に不正があったと主張するなどしたが、昭和三九年一一月一九日、右審査請求を取り下げた(〈書証番号略〉)。

以上の事実を認定することができ、〈書証番号略〉の各記載部分及び原告本人の供述部分は、前掲各証拠に照らし、たやすく措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三以上に認定の事実を前提として、被告佐伯発言が原告の名誉を毀損するものであるか否かについて判断する。

被告佐伯発言は、前記のとおり「過去にも北大で多くの人を陥れ、文学部が全滅したことがあり、評議会で追放された。」という内容であって、「陥れ」「全滅」「追放」という言葉の有する意味から考えて、穏当を欠き、不適切な面を有していることは確かである。

ところで、名誉毀損とは、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価、即ち社会的名誉を低下させることをいうと考えられるところ、行為者が他人に関する言動をなした場合に、これがその人の社会的名誉を低下させるものであるか否かは、事実摘示の程度、公益性、行為者とその対象となった者との関係、行為時の状況・手段等を検討して、法が名誉毀損として類型的に予定した程度の違法性を具備するかどうかを検討しなければならないし、また、類型的には他人の社会的名誉を毀損するものと考えられる場合でも、かかる行為が、真実を公表するものであって、その他人の行った言動に対する反論、弁明として自己の権利・名誉の擁護を図るものであり、かつ、その他人の行った言動に対比して、その方法、内容において相当と認められる限度を超えない限り、違法性を欠くものと解するのが相当であるから、前記認定事実をこのような観点から検討することとする。

1  事実摘示の程度

原告が名誉毀損行為であると主張する被告佐伯発言は、「過去にも北大で多くの人を陥れ、文学部が全滅したことがあり、評議会で追放された。」というものであって、その発言の根拠となるべき具体的事実を一応摘示していると認められるものの、簡略であって、人格的価値の社会的評価に及ぼす影響力がさほどあるとは考えられない。

2  公益性

被告佐伯発言に続いて、被告佐伯は「あの人のことは学士院の方もあまり知らなかったようで、前回は学士院のやり方に疑問を持った。」と述べており、このことからすると、恩賜賞、日本学士院賞という、学者・研究者にとって極めて栄誉ある賞につき学士院の行った授賞決定に対し、「盗作」であるなどと主張して異議を述べ、その結果授賞が延期されるという前代未聞のこととなった事件において、その異議を述べた人物の過去の経歴について述べたものであり、発言当時既に授賞の決定した被告佐伯にとっては、原告の経歴を知らずに授賞を保留することとなった当初段階の学士院の審査方法に対する疑問から出た一面もあり、後記のように自己の名誉を擁護、回復する趣旨ばかりでなく、公益性も相当程度有するというべきである。

3  真実性

前記二において認定した諸事実、特に、原告の日頃の言動、対人関係のあり方、原告の人物評価、原告の関係する紛争惹起の回数、「藤井教授事件」とまで称された事件の経緯、原告が北大を分限免職に至る経緯、その理由等の諸事実と被告佐伯発言の内容とを対比してこれを検討すると、被告佐伯発言の事実は、以下に述べるとおり、大筋において真実であると認められる。

すなわち、右認定の事実によれば、原告は、北大教授として勤務中、学生、同僚教授、もしくは職員と対人関係が悪化し、厳しい対立関係まで生じることとなり、そのため学部内の雰囲気も著しく悪化し、その正常な機能が円滑に進行しない状況にまで立ち至っていたものであり、原告が分限免職に至る経緯及び分限免職となった理由に照らしても、原告が「評議会で追放された」と評することは、何ら事実に反するものではないというべきである。

また、原告に対する分限免職処分の直後に、原告を除き、当時勤務していた文学部教授の全てが辞職したことは既に説示したとおりであり、これを「全滅した」と評しても、事実に反するものとはいえない。

更に、「陥れる」という語は「人を窮地に追い込む」意味も有していないわけではなく、先に判示した事実によれば、原告がその性格・言動において攻撃的な面を有し、他人の心情や立場に思いを致すことなく他人を追及するといった事態が存したことは推認するに難くなく、その結果、原告の好むと好まざるとに関わりなく、北大関係者の多くを困惑、苦慮させ、あるいはそのうえで辞表提出のやむなきに至らせる等種々の窮地に追い込んだことも、前記認定事実に照らし、容易に推認することができるものといわなければならない。してみると、これを「過去にも北大で多くの人を陥れ」たと評しても事実に反するものとはいえない。

4  原告の一連の行為の違法性

前記第四の一の本書を盗作であるとする等の原告の被告佐伯に対する一連の言動が、被告佐伯の名誉を毀損する違法なものであることは、後記第六に判示するとおりである。

5  名誉の擁護・回復のための行為

先に判示した被告佐伯の本件二賞の授賞の経緯に照らすと、被告佐伯発言は、本件二賞の受賞の際、報道機関のインタビューにおいて、本書について盗作問題を提起した原告について感想等を尋ねられたのに対してなされたものであり、原告の前記一連の名誉毀損行為に対する直接の反論とはいえないとしても、原告の過去の経歴等に触れることにより、その言動の信憑性を弾劾しようとしたものであって、間接的に原告の前記一連の名誉毀損行為に対する反論として、自己の名誉を擁護、回復する趣旨も多分にあるということができる。

6  相当性

更に、先に判示した被告佐伯の本件二賞授賞の経緯に照らすと、前記二の本書を盗作であるとする等の原告の被告佐伯に対する一連の言動は、極めて一方的かつ自己中心的であり、自己の考えを主張することにのみ急であって、その表現においても強烈かつ激越であるのみならず、その方法も、自ら報道機関に談話を発表し、あるいは雑誌に記事を掲載するなど多岐にわたり、被告佐伯の本件二賞受賞を阻止するため宮内庁長官にまで申入書を送付するなど、ほとんど手段を選ばず、しかも執拗に行われたものであったということができるのに比し、被告佐伯は、被告佐伯発言に至るまで、学士院に反論書を提出したほかは、新聞、雑誌等も含め、公的な場における原告に対する反論を差し控え、学士院の判断を仰ぐという姿勢に終始し、本件二賞受賞決定直後のインタビューの際、報道機関に対し、被告佐伯発言程度の内容の談話を発表したにすぎないものであるうえ、当該発言の内容も、既に全国的に報道されたものであり、社会的にも国立大学の教授が分限免職処分をうけたという前例のない事件として耳目を集めたものであって、それに関連する紛争も含め、著名であったことは、前記二に認定したところからも明らかであって、それが新聞報道を通じて公表されたとしても、このことが原告の社会的評価を格別に失墜させるものとまではいうことができず、被告佐伯発言は、その方法、内容において相当と認められる限度を越えていないものということができる。

以上のとおり、先に認定した事実を右のような諸点から検討すると、被告佐伯発言は、多少の不適切さは認められるものの、その不適切さが名誉毀損として類型的に予定された程度の違法性を具備しないから、そもそも名誉毀損行為に当たらないというべきであるし、少なくとも、被告佐伯発言は、真実を公表するものであって、原告の行った言動に対する反論、弁明として自己の権利・名誉の擁護を図るものであり、かつ、その原告の行った言動に対比して、その方法、内容において相当と認められる限度を超えていないから、違法性を欠くものと解するのが相当である。

四よって、原告の被告佐伯発言が名誉毀損に当たるとの主張は理由がない。

なお、原告は、被告佐伯発言について、大津地方検察庁が起訴猶予処分にしたことをもって、同検察庁が被告佐伯に名誉毀損が成立することを認めたものであると主張するが、同検察庁が起訴猶予処分にしたことの一事をもって、名誉毀損が成立するとまでいうことができないことは明らかであるから、原告の右主張は到底採用することができない。

第五本訴請求原因5(被告宮崎による名誉毀損等)について

一本件小冊子において、原告の氏名が敬称を付さずに表示されたほか、原告に関する記載として、(1)原告が学士院に送付した文書は、枝葉末節の攻撃中傷、悪口雑言の羅列である旨、(2)原告が学士院に送付した文書が手書の密告である旨、(3)原告の戦術の巧妙さには驚くべきものがあり、学士院の弱点に精通し、思うがままに学士院を操縦した旨、(4)原告は、学界では名うての札付きである旨、(5)原告は、北海道大学では、全学に迷惑をかけた前歴者である旨などの記載があることは先に判示したとおりであるところ、右各記載の意味内容を当該記載箇所のみから読み取ろうとする限り、右各記載が、原告において主張するとおり、原告を誹謗中傷する内容であって、原告の名誉を毀損し、あるいは原告を侮辱するものであると受け取れないわけではない。

二しかしながら、本件小冊子の記載の趣旨は、原告に関する前記記載を含む本件小冊子において、被告宮崎が何を表現しようとしたのか、その意図が何であったのかを踏まえつつ、本件小冊子を読んだ者が原告に関する記載をどのようなものとして受け止めたかを基準として判断されなければならない。

本件小冊子が作成された経緯については第四の一に認定したとおりであり、この認定事実によれば、結局、被告宮崎は、本件小冊子において、被告佐伯の本件二賞授賞延期の決定に関し、学士院の運営はより公開されるべきであり、授賞延期の右決定手続も、公開されることによって、その公正が担保されるべきであることを大筋において展開する中で、学士院内部において原告に与する者が存在する可能性について指摘し、被告佐伯に対する学士院の対応が同被告に対して公平でないとの強い不満を述べるとともに、そのような対応を受けている同被告に対し、支援を要請するとともに、学士院の古い体質を改善すべきである旨を述べているにとどまっているというべきである。

原告に関して言及している記載部分は、被告佐伯の本件二賞授賞延期の決定に関し、原告の前記文書が発端である関係上言及せざるを得ないか、学士院の対応を非難する展開の中で、学士院の対応に疑義があることを強調しようとして、原告に言及したにすぎないものであり、被告宮崎の本件小冊子を作成した真意は、学士院の本件二賞授賞延期の決定手続の不明朗さを批判することを本質とするものであるということができ、原告に関して言及している記載部分が、原告を直接的に非難中傷するものではないというべきであるうえ、本件小冊子を読んだ者にとっては、前記大筋の展開を追っていく中で、原告に関する前記記載については、その裏付けとなる具体的事実も挙げられず、その意味で原告が被告佐伯に対して盗作問題を提起して非難攻撃をしている者という以上に印象も強くなく、格別に意味があるものでもないというべきである。

三なお、原告は、被告宮崎が本件小冊子中において、原告に敬称を付さなかったことをもって、原告の名誉を毀損するものであると主張するようであるが、敬称を付さないことをもって、原告の名誉を毀損する根拠となる具体的事実を摘示したものということができないことは明らかであるうえ、弁論の全趣旨によれば、被告宮崎が原告よりも年長であり、東洋史学会においても先輩に当たることが認められ、右事実に照らすと、原告について敬称を付さなかったことの一事をもって、直ちに原告の社会的評価を低下せしめ、もしくは名誉感情を損なわせるものとまでは断定することができないものというほかはなく、この点に関する原告の右主張は理由がない。

四更に、本件小冊子の趣旨が右に説示したとおりであるとはいえ、学士院の対応を非難するという形を取ることにより、間接的に、原告を侮辱しあるいはその名誉を毀損するものではないかとも考え得ないではないので、検討する。

前記認定事実によると、被告宮崎は、被告佐伯の師として同人を指導し、被告らが密接な師弟の関係にあるところ、原告の被告佐伯に対する一連の前記言動が、一方的で、その表現においても激越であり、その方法も多岐にわたり、しかもこれが執拗に行われたものであったのに比し、被告佐伯は学士院に提出した反論書以外には、反論を控えていた状況にあって、被告宮崎は、被告佐伯の主張を代弁し、側面から支援しようと、本件小冊子を作成・配付したものであること、本件小冊子は、被告宮崎の親族等の関係者又は被告宮崎の本件二賞授賞を祝福してきた学会関係者に対し、被告佐伯に対する学士院の対応の不適切さを訴えるとともに、同被告に対する支援を要請するものであって、被告宮崎がこれを作成した真意は、原告を非難中傷することにあるものでなく、それ自体が事実上被告佐伯を支援する内輪のものに対するものといえないわけではないし、また本件小冊子の原告に関する記載は、それを裏付けるべき具体的な事実をさほど伴っていないから、原告に対する社会的評価の低下をもたらすような性質のものではないこと、本件小冊子を資料とした雑誌アエラの記事においても、本件小冊子における原告に関する記載については、そのほとんどが記載されておらず、これを意味があるものとして取り上げていないこと、原告は北海道大学において「藤井教授事件」と称されるほどの学内紛争を惹起し、同大教授の地位を分限免職処分を受けて失い、このことは新聞で広く報道され、全国的に注目されたことがあること等の諸点を考慮すると、本件小冊子における原告に関する記載は、原告に対する社会的評価の低下をもたらすような性質のものではなく、また、通常保護されるべき原告の名誉感情を侵害するような性質のものではないというべきである。

五以上のとおり、原告に関し前記のような記載のある本件小冊子を作成・配付した被告宮崎の行為は、名誉毀損行為又は侮辱行為に当たらないというべきであるから、この点に関する原告の主張は理由がない。

第六反訴請求原因について

一反訴請求原因1(本件二賞授賞の経緯。本訴請求原因4(一)に同じ)の事実は当事者間に争いがない。

二反訴請求原因2(原告の名誉毀損行為)について

まず、先に第四の一で判示した事実のうち、(1)被告佐伯が原告の論文から都合の良いところだけを取り上げるといった「非良心的」「非学問的」な研究態度を取り続けた「無知な歴史家」であって、原告の学説から「大盗作」を行った旨などを記載した本件原告文書を学士院及び東洋史学会の学者らに送付したこと、(2)本書の問題点を具体的かつ詳細に指摘したうえ、本書は、学生でも冒さないような間違いや論理の飛躍が全巻にわたってあり、史料操作が間違いだらけであり、その解釈は反学問的暴挙とでもいうべきほどであって、あまつさえ原告の学説を「大盗作」した部分もあるほどのものであるから、本件二賞の対象となりうる研究ではない旨を記載した「学士院賞恩賜賞に異議あり」と題する記事を作成し、雑誌「諸君」の昭和六三年七月号(〈書証番号略〉)において発表したこと、(3)平成元年三月一三日、被告佐伯の再度の本件二賞受賞決定に関してインタビューを受け、重ねて本書が盗作であることは間違いない旨を報道機関に述べたこと(〈書証番号略〉)、以上の原告の行為が、具体的事実を指摘しながら、被告佐伯の品性、名声、信用等の人格的価値に対する社会的評価を低下せしめるものであることは明らかであるから、原告は、被告佐伯の名誉を毀損したものというべきである。

この点につき、原告は、本書に盗作があり、あるいは許すまじき史料操作の誤りがあると確信して真実を述べたものであり、右は正に原告の著作権、著作者人格権の侵害に対して講じたものであって、本書が本件二賞併受の対象となった公益性の高いものであることから考えれば、原告の行為は違法性のないことが明らかである旨主張するので、これを検討する。

1 先ず、本書において、本書に「盗作」があり、あるいは許すまじき史料操作の誤りがあるとの事実が真実であるか否かについて検討する。

(一)  原告主張の「盗作」の意味するところが前記の著作権又は著作者人格権の侵害をいうとすれば、右著作権又は著作者人格権侵害の事実を是認しえないことは、前記第三の一ないし四で説示したとおりである。

(二)  原告は、原告の学説を無断で使用したことを「盗作」と主張するようであるが、本書において、原告の主張するような学説の盗用があったとは認められないことは、前記第三の五で説示したとおりである。

(三)  また、原告は、朱元璋と塩の関係に関する史料操作など、本書には許すまじき史料操作の誤りがある旨主張し、その根拠を縷々指摘するが、被告佐伯が朱元璋と塩の関係を論じる際に、いかなる史料を使用すべきか、又はいかなる事実を前提とすべきかについては、専ら学術上、学問上の問題であるといえるから、同人の史料操作上の問題点に関しては、学術誌上あるいは学会等の場において議論されるべきであって、そのような議論を経ない現段階において、しかも裁判所において、史料操作に誤りがあったと断ずることはできない。

(四)  以上によれば、本書に「盗作」があり、あるいは許すまじき史料操作の誤りがあるとの事実を認めることはできず、右事実に関する原告の前記書面等の記載又は談話の内容が真実を表現したものであると認めることはできない。

2 次に、原告において、本書に盗作があり、あるいは許すまじき史料操作の誤りがあると信ずるについて相当の理由があったかどうかについて判断する。

被告佐伯が本件二賞を受賞するに至る経緯、及び原告が本書に「盗作」があるとし、その一連の言動において、これを指摘した経緯は、先に判示したとおりであり、右判示した事実に加えて、弁論の全趣旨を総合すれば、(1)ある学術論文ないし研究に関し、それが「盗作」であるという評価がなされる場合には、学会等において、当該盗用の事実の有無についての評価が確定される程度に十分かつ慎重に検討されるべきところ、原告と被告佐伯とは、「牢盆」の解釈等について、学術誌上又は東洋史学会等の学術的な場において学術的な議論をしたことはなく、学術誌上又は東洋史学会等の学術的な場において、「牢盆」の解釈等をめぐって、被告佐伯の解釈が盗用ではないかなどと取り上げられたこともないこと、(2)原告は、前記一の(1)ないし(3)の行為をなすに当たり、東洋史学会の学者や、弁護士その他著作権法に詳しい者に相談等をした事実はないこと、(3)学問的な論争の過程を何ら経ることなく、いきなり雑誌「諸君」において、「学士院賞恩賜賞に異議あり」との記事を掲載して、被告佐伯あるいは本書について、前示のとおり酷評したこと、(4)学会等においては、被告佐伯の唐代における「牢盆」の解釈等について盗用があるか否かについて、その評価ないし吟味が十分になされていなかったこと、(5)しかるに、原告は、自己の見解のみが正しいものとの前提に立脚し、一方的に、被告佐伯の解釈を批判し、原告の学説の「盗作」であると決めつけたこと、(6)その表現においても、原告が、被告佐伯あるいは本書について、「大盗作」「反良心的」「反学問的暴挙」「盗作の大罪を冒した」その他の礼を著しく失した表現、あるいは研究者として常軌を逸した表現を用い、右表現が明らかに社会的相当性の範囲を越えたものであること、(7)被告佐伯が東洋史を専門とする著名な学者であり、「盗作」があるというような事実が、同被告の学者としての社会的評価を失墜させ、その学者としての生命をも絶ちかねない性質のものであること、(8)学士院の特別審査委員会が、本書に盗作があるとの主張は成立しないとしたこと、しかるに、その後も、原告は、本書が盗作であるとの言動を取り続けたことが認められる。

以上の諸事実に併せて、一般に他人の名誉を傷つけ、その社会的地位に重大な影響を及ぼすような内容の記事ないし談話を新聞やいわゆる大衆雑誌に掲載・公表する場合には、その真実性の調査について特に慎重であることが要請されることを考慮すれば、本書に盗作があり、あるいは許すまじき史料操作の誤りがある等と原告が信じたというには、その学術上、法律上の検討、吟味という点からも、あるいはその手段ないし手続という点においても到底十分であるとはいえず、本書の内容の評価もしくはその表現の面においても適切であるとは到底いいがたいものというほかはなく、原告において本書に盗作があり、あるいは許すまじき史料操作の誤りがあると信ずるについて相当の理由があったと認めることはできない。

3 以上によれば、原告の違法性阻却にかかる事由の主張は、その余の点について判断するまでもなく、失当であるといわなければならない。

三反訴請求原因3(損害)について

1  反訴請求原因3(一)(慰謝料)について

反訴請求原因3(一)のうち、(1)の事実は当事者間に争いがなく、(2)の事実は、第四の一において既に判示した事実及び弁論の全趣旨により、これを認めることができる。

右認定事実及び先に認定した事実によれば、被告佐伯は、東洋史の研究において著名な学者であり、恩賜賞、日本学士院賞という、学者・研究者にとって極めて栄誉ある賞の授賞決定により、その栄誉を一旦は受けながら、本書が盗作である等と主張する原告の前記二の(1)ないし(3)の行為により、授賞が延期されたものであり、このような伝統のある本件二賞において前代未聞の不祥事が生じたとして、マスコミの報道等によって全国的に大きく取り上げられることとなり、その結果被告佐伯は「盗作」をしたのではないかとの疑いの目、好奇の目にさらされることとなったものであって、五〇年来の研究の成果である本書について、「盗作」といういわれなき汚名を受け、これにより耐えがたい程の屈辱感、筆舌に尽くしがたい程の精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推認することができる。また、原告の被告佐伯に対する言動が、本件二賞の再度の授賞決定の前後を通じ、常軌を逸したと表現しても過言ではない程に峻烈かつ執拗であって、被告佐伯はその対応にも苦慮し、疲弊するに至ったものであることも明らかである。被告佐伯は、一年後に本件二賞を受賞したものの、「喜びも半減」と表現せざるをえなかったものであり、このような被告佐伯の心中を察すると余りあるものといわなければならない。これらの諸点に鑑みれば、被告佐伯が、原告の行為により被った精神的損害を金銭的に評価すると、同被告の主張するとおりの金額である金三〇〇万円と認めるのが相当である。

2  反訴請求原因3(二)(弁護士費用)について

被告佐伯が、本訴における被告佐伯代理人に対し、本件反訴の提起及び追行を委任したことは本件記録上明らかであるところ、本件事案の性質、内容、証拠資料の性質、内容、量、本件反訴の経緯、認容額等に鑑み、右弁護士費用中、本書が盗作である等の原告の行為と相当因果関係を有する損害は、金一〇〇万円と認めるのが相当である。

四反訴請求原因4(謝罪広告)について

先に判示した被告佐伯の本件二賞受賞の経緯、特に原告の前記名誉毀損行為の態様、程度、内容、回数等、並びに被告佐伯の被った精神的苦痛、心情等に照らすと、原告の前記一連の名誉毀損行為によって失墜した被告佐伯の名誉を回復するためには、原告をして、別紙広告目録(二)記載の文案の謝罪広告を、読売新聞・朝日新聞・産経新聞の各全国版及び京都新聞の各朝刊広告欄に、標題部の写植は一三級の活字、その余の部分は写植一一級の活字をもって、各一回掲載させるのをもって相当とする。

第七結論

以上によれば、原告の本訴請求は、いずれも失当としてこれを棄却し、被告佐伯の反訴請求は、いずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官一宮和夫 裁判官足立謙三 裁判官前川高範)

別紙一 昭和六三年五月一日付けの「佐伯富氏宛書簡」と題する書面(原告書簡)に記載された内容の要旨

1 研究の先後に関する本書の記載について

右記載は、「虚偽・不実の記述を」したものであり、「實に神をも恐れざる驚くべき狡智と言はなければならない。」「最低の人格の持主と罵倒されても致し方ありますまい。」とし、徽州商人すなわち新安商人の研究に関して先学である根岸博士の研究を被告佐伯が「一貫して無視し、事實を偽造してまで」しているとし、「學者・研究者としての良心」があれば、「このような神をも恐れざる振舞は断じて」できないはずである旨

2 広牢盆部分の解釈に関する本書の記載について

右記載は、原告の読み下し文「からの大盗作を敢行」したとし、「涙ぐましい苦労を重ねて」「盗作の汚名をまぬかれようと」しているとし、原告の「苦心惨憺たる研究成果だけをつまみ喰い」し、学者として解釈の論証過程を示すべきであるのにその義務を果たしていないとして、「このテイタラク。なんたることでせうか。貴下がこのような非良心的、非學問的態度を執りつづけて」きたことが本書における「大盗作」へとつながったとし、その解釈態度に関しても、「時を遠く距てた二つの事象を比較する方法に無知な歴史家と言はれて」抗弁できないであろう旨

3 本件二賞の受賞が決定した際の報道関係者に対する被告佐伯の談話について

右談話中において、被告佐伯が「国」を引用した話の内容は「大間違ひ」であり、売名的で非学問的であるとし、朱元璋を塩密売組織の頭領とした点についても、朱元璋が塩を多量に持っていた事実は史料上見出せず、何ら学問的根拠に基づかない誇大妄想的発言であるとし、第三者を納得させるような史料を示し、精密な論証をする必要があるのに、「何でも彼でも鹽に結びつけて論じ、『国』の持つ意味を不當に拡大して事實そのものから遊離し、正に幻想・妄想の境地に入っているのが現在の貴下のありの儘のお姿ではございませんか。」との旨

4 最後のまとめとして

「これを大盗作と言はずして一體何を盗作と呼ぶのですか。」との旨

別紙二 「学士院の密室裁判」と題する小冊子(本件小冊子)に記載された内容の要旨

1 当初は被告佐伯に対する加害者が原告のみであると考えていたが、事件の経過とともに、学士院の運営が古く、情報が公開されるべきであるという問題に気がついた旨の書き出しで始まり、国民は勿論のこと、被告佐伯自身すら十分な情報を与えられていない形での授賞延期の決定は密室裁判に等しいものであり、従前にも授賞対象作品に盗作の嫌疑がかけられた事件があったが、このときは新聞等によりその内容が公開されていたのにもかかわらず、被告佐伯の盗作問題においては、全く情報の公開がなされず、その対応が異なっていたこと

2 右授賞延期の決定がどのようにして行われたかについて、被告宮崎が知りえた事実が紹介されたこと、すなわち、原告が被告佐伯宛と学士院宛の二つの文書を発送し、これに基づいて、学士院における著書審査の主任である山本達郎がこの問題の処理に当たったらしいこと、しかしながら、原告の文書は一五〇余枚の書簡形式のものであるが、その内容は攻撃中傷、悪口雑言の羅列であり、このようなものを取り上げる方がおかしいのであり、少なくとも、学士院は、①原告の右文書について、悪口雑言の削除を求めること、②クレームの内容を簡潔に記載させるべきであること、③原告にクレームの内容を公表することを求めるべきであったこと、学問の公開の原則に照らし、総ては公表された印刷物のみを有効とし、手紙の密告などは、初めから拒否するのが正道であること、学士院が右の三点について何らの要求をしていないということは、始めから投げ出しの姿勢であったといわれても仕方がなく、無責任であること、しかも、学士院は、被告佐伯から、立会人もないまま、厳秘のうちに事情を聴取するなどし、同被告に結論が明確になるまで受賞の延期を申し出るよう働き掛け、同被告も、学士院が原告を早期に説得することを期待し、またこのような延期願いには前例があるものと思い込み、右働き掛けに従ったが、このような延期願いは未曾有のものであって、それを知らせずに被告佐伯をみすみす不利益な立場に誘導したことはペテンにかけたに等しいこと、原告の発送した前記文書は、同一のものであるのか不明であり、被告佐伯すら学士院宛のものは示されておらず、学士院は被告佐伯宛の文書を見ていないのであって、このような事態が異常であること、右事態は、印刷され公表された文書のみを取り上げていれば生じないはずである旨

3 原告の戦術の巧妙さには驚くべきものがあり、原告が学士院を研究し、その機構の弱点に精通し、思うがままに学士院を操縦したのであるが、如何に精通しても、外部の人間がここまで自由に事を運ぶことはできないのであって、学士院内部にこれを指導する者があったに違いないこと、すなわち、昭和六三年五月一二日の学士院総会で、被告佐伯の授賞延期願いが報告された際、原告の氏名が伏せられたが、このような重大事件の仕掛け人の氏名が秘匿されたのは、意識的な作為があったのであろうこと、なぜならば、原告の氏名が明らかにされれば、原告は、学界では名うての札付きであり、北海道大学では、全学に迷惑をかけた前歴者であるから、原告を知るものも多く、特に北大関係者などから質問の矢が集中し、収拾できなくなったであろうこと、学士院が、それを避けるために、意図的に原告の氏名を秘匿したものであろうこと

4 授賞延期決定後、前記山本主査が、被告佐伯に対し、原告の前記文書に関して、①被告佐伯において原告に対して悪口雑言を取り消すよう要求すべきである旨勧告し、②原告のクレームを数項目に整理して、これに対する回答をせよと求めたが、右山本主査の態度は、表面上は中立の立場をとるように装いながら、原告の側に立って、被告佐伯に不能な要求をするものであること、後に種々の事実が明らかになるにつれ、密室裁判の恐ろしさに慄然とならざるを得ないこと、

5 被告佐伯は、五〇年来の研鑽を本書にまとめたものであるにもかかわらず、これに難癖をつけられたうえ、灰色のレッテルを貼られたが、同被告が毅然として本件二賞を要求する権利があると主張しているから、同被告に同情と支援を送ろうではないかとの旨

6 追伸として、被告佐伯の災難の背景には、学士院の古い体質があり、このような事態が生じないようにするためには、学士院賞が毎年授与されているのを隔年にするなどし、研究成果に対するクレームを十分に出させるなどして審議すべきであること

別紙三 処分説明書における「処分の理由」欄の記載

上記の者は、北海道大学文学部教授として勤務中、昭和三七年二月二日文学部教授会(ジュニア)において、前回の教授会の議事録草案に偏向があると強く主張し、今後は自らの手でテープレコーダーをもって議事を録音して出すべきところに出し自分の身を守る旨発言し、議長たる学部長の数度にわたる制止を無視してこれを使用しようとし、かつ、その使用を禁止する当該教授会の決議にも従わず、長時間にわたって教授会の議事運営を著しく混乱せしめた。その他、昭和三七年一月二三日の文学部旧制教授会の議事録草案に関し、自己の申し立てを過度に固執する等の行為によって、当該教授会の議事運営を著しく渋滞させる等教授会の議事運営を混乱させ、または、渋滞させた事例は、昭和三四年五月から昭和三七年九月までの間においてなお数件を数えることができる。

さらに、上記の者は、昭和三六年六月一六日文学部教授会(シニア)において、梅岡助教授の発言に対し侮辱的発言をなし、かつ、その取消要求にもついに応ぜず、また、昭和三六年一〇月一三日、文学部教授会(ジュニア)において、一教授の発言を怒って大声を発し、あるいは、昭和三七年一月二三日の文学部旧制教授会において、また、昭和三七年九月二一日文学部教授会(シニア)において、須田学部長をひぼうする等同僚教官に対し、侮辱ひぼうを加えた類似の事例は、枚挙にいとまがない。

また、上記の者は、昭和三七年二月一〇日文学部事務室において、長谷川事務長に対し書類の閲覧を強要し、当該書類の未決を理由に拒絶されたにもかかわらず、侮辱的発言をなし、同事務長の行手に立ちふさがり、かつ、大声を発し高圧的態度をもってこれにのぞみ、また、しばしば、同僚教官の私宅を訪問して面会を強要し、家人を畏怖させる等同僚教官、事務職員との人間関係を阻害した。

以上の諸事実からして、上記の者が、文学部教授会の議事運営に重大な支障をあたえ、学部の運営を妨げ、かつ、文学部教官、事務職員との人間関係を阻害し、ついに、文学部内に陰うつ不快な空気をみなぎらせ、文学部の正常な機能を維持することがきわめて困難となるに至らせたことは明白である。しかも、これらの行為は、持続性をもってくりかえされており、上記の者の性格に基づくものとして以外には理解しがたいものであって、容易に改めがたい性質のものと認められる。

従って、上記の者は、国立大学の教官としてその官職に必要な適格性を欠くものといわなければならない。

よって、国家公務員法第七八条第三号の規定により免職する。

(注・右記に記載された「上記の者」とは、本訴原告を指している。)

別紙広告目録(一) 謝罪広告

平成元年三月一四日産経新聞全国版朝刊に「喜び半減vs提訴だ」また、同日神戸新聞朝刊に「喜び半減」という見出しで掲載された記事中、「藤井宏教授は過去にも北大で多くの人を陥れ、文学部が全滅したことがあり、評議会で追放された」との趣旨の佐伯富の談話内容は事実に反するものであり、そのため貴殿に迷惑をおかけしたことを遺憾とします。

佐伯富

別紙広告目録(二) 謝罪広告

私は、貴殿の著書である『中国塩政史の研究』が、昭和六三年度の学士院賞恩賜賞を受賞されるにあたり、その著書の一部に自分の論文からの無断盗用がある旨を主張致しましたが、右のような事実はまったくなく、その結果、受賞が一年間延期されるなど、貴殿に大変なご迷惑をおかけしたことを、お詫び申し上げます。

藤井宏

佐伯富殿

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