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札幌高等裁判所 昭和57年(ネ)2号 判決 1984年12月26日

昭和五七年(ネ)第三七号事件控訴人・

昭和五七年(ネ)第二号事件被控訴人(第一審原告)

貫久義

右訴訟代理人

小村修平

佐藤憲一

村松弘康

石田明義

昭和五七年(ネ)第三七号事件被控訴人・

昭和五七年(ネ)第二号事件控訴人)(第一審被告)

北海道

右代表者知事

横路孝弘

右訴訟代理人

斎藤祐三

右指定代理人

青木稔

外三名

昭和五七年(ネ)第三七号事件被控訴人(第一審被告)

右代表者法務大臣

島崎均

右指定代理人

菅原崇

外一名

主文

一  昭和五七年(ネ)第三七号事件について

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

二  昭和五七年(ネ)第二号事件について

原判決中控訴人の敗訴部分を取消す。

被控訴人の控訴人に対する請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  昭和五七年(ネ)第三七号事件

1  控訴人(第一審原告……以下、単に「第一審原告」という。)

(一) 原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

(二) 被控訴人(第一審被告)北海道(以下、単に「第一審被告北海道」という。)は、同国(以下、単に「第一審被告国」という。)と連帯して、原判決によつて支払を命ぜられた金員のほかに金一四三万円及び内金一三〇万円に対する昭和五一年九月七日から、内金一三万円に対する判決確定の日の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 第一審被告国は、同北海道と連帯して、金二五四万九八二〇円及び内金二三一万九八二〇円に対する昭和五一年九月七日から、内金二三万円に対する判決確定の日の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(四) 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの負担とする。

2  第一審被告北海道

主文一と同旨。

3  第一審被告国

主文一と同旨。

二  昭和五七年(ネ)第二号事件

1  第一審被告北海道

主文二と同旨。

2  第一審原告

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張<以下、省略>

理由

第一事件の経過(争いのない事実)

第一審原告が昭和五〇年八月三〇日午後九時二、三〇分ころ(より正確にはその二〇分ころであるか、三〇分ころであるかは暫らく措く。)函館市若松町一七番一二号棒二前歩道上で金野巡査、林巡査、植田巡査及び長峰巡査部長の四名(金野巡査ら四名は第一審被告北海道の公権力の行使に当たる公務員である。)に公務執行妨害の現行犯人として逮捕され(これを以下「本件現行犯逮捕」ともいう。)、同所から駅前派出所まで連行され、更に、同派出所から中央署に引致され、吉永巡査の取調を受けた後、同年九月一日函館地方検察庁に送致されたこと、同検察庁では、本件被疑事件を西谷副検事(西谷副検事は第一審被告国の公権力の行使に当たる公務員である。)が担当することとなり、第一審原告は同月二日同副検事の勾留請求(以下「本件勾留請求」という。)により勾留されたうえ、同月一〇日、勾留中のまま、同副検事により函館地方裁判所に公務執行妨害罪で公訴を提起され(なお、証拠によれば、第一審原告は、同月一二日、保釈許可決定により釈放されたことが認められる。)、かつ弁論終結時までこれを維持された(これを以下「本件公訴提起等」という。)こと、本件刑事事件につき、同裁判所は、昭和五一年三月二五日無罪の判決を言渡し、右判決は控訴がなく確定したことは、全当事者間において争いがない。

第二第一審被告北海道の責任について(金野巡査ら四名の違法行為の有無)

一本件現行犯逮捕の違法性の有無

1  暴走族の取締と警察官の配置並びに本件現行犯逮捕に至るまでの第一審原告の動向

<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

(1) (暴走族の取締と警察官の配置)

中央署においては、昭和五〇年は六月ころからいわゆる暴走族の取締を実施していたもので、本件現行犯逮捕のなされた同年八月三〇日には、警察官約一七〇名を動員して駅前派出所を現地対策本部として右取締を実施していた。同日の取締に、金野巡査及び植田巡査は、街頭監視班員として棒二前交差点の棒二前角歩道の長椅子(以下「本件長椅子」という。)設置場所付近(別紙図面参照)に配置され、いずれも制服を着用して同交差点及びその付近における暴走族の行動監視、群衆の交通整理(金野巡査が棒二前交差点及びその付近における暴走族の監視に従事していたことは、全当事者間に争いがない。)の職務に、長峰巡査部長、洞内巡査長及び林巡査は、情報班員として右同所に配置され、いずれも私服で暴走族に関する情報の収集、取締、採証などの職務にそれぞれ従事していた。

(2) (第一審原告の動向)

(a) 第一審原告は、当時仙台市に居住していたが、同月二九日ころ、病気入院中の実母の見舞などのため第一審原告の現住居地である実父方に帰省したもので(もつとも、第一審原告が当日実母の見舞等のため当時の住居地である仙台市から函館市の実父方に帰省していたことは右当事者間に争いがない。)、本件現行犯逮捕のなされた同月三〇日は、午後七時ころから友人である石神とともに函館市内の通称大門付近の仲通りのスナック・キリン(その後、昭和五二年に店名が和風ビヤホール「キリン」と改められた。……以下「キリンビヤホール」という。)に飲酒に赴き、同所において午後七時三〇分ころから午後八時三〇分すぎころまでの間に、第一審原告においてビール大ジョッキー及び中ジョッキーで各一杯ずつを、石神においてビール大ジョッキー一杯とジュースをそれぞれ飲んだ。そして、第一審原告及び石神は、右ビヤホールを出たあと、特別の目的もないままみどりや前に至り、そこから南方に向かう横断歩道を渡つてナゴヤ会館前に来た。当時、第一審原告は、体調の良いときには、ウイスキーならボトル一本位、ビールなら大びんで五、六本位は飲めるだけの酒量があつたから、右ビヤホールを出た時点では、さして酩酊しておらず、いわゆるほろ酔気分であつた。

(b) 第一審原告及び石神が、右のようにしてナゴヤ会館前歩道上に来たころ、ナゴヤ会館前北側横断歩道上で自動二輪の男こと田村昭一(以下「田村」という)が道路交通法違反(急発進などの安全運転義務違反)の現行犯人として逮捕された(もつとも、自動二輪の男が逮捕されたことは右当事者間に争いがない。)。そして、昭和五〇年八月三〇日は土曜日であり、田村逮捕当時、棒二前交差点の四つ角には、暴走族を見物する群衆が全体で約二〇〇名、ナゴヤ会館前歩道上だけでも約七〇名ほど集まつていた。右逮捕の時刻は午後九時すぎころであつた。

(c) ところで、右逮捕に当つた警察官は右田村が自動二輪車に乗つたままの状態で逮捕行為に入り、同人を強引に下車させて逮捕したため、右逮捕の際同人の乗つていた自動二輪車が倒れ、プラスチック製の風よけが破損したが、右の状況を目撃した第一審原告は、右警察官の逮捕の仕方がひどいと憤慨し、前記群衆をかきわけるようにして前に進み、前記ナゴヤ会館前の歩道上から右自動二輪車の傍にいた林巡査のほかの警察官に向かつて、「何でそんなことをするんだ。これ位のことで逮捕するのか。」などと大声で野次を飛ばしたが、林巡査から「下らないことを言わずに下がれ。」と注意されたため、それ以上何も言わずに引下つた。

(d) その後、洞内巡査長は、右自動二輪車のガソリンタンクからガソリンが漏れていたため、長峰巡査部長とも相談し、植田巡査に対して右自動二輪車を起こして交番に搬送するように命じ、植田巡査がこれに応じて右自動二輪車にエンジンをかけて発進しようとしたところ、右自動二輪車が車道上に倒れていたのを目撃していた赤シャツの男こと訴外阿部幸二(以下「阿部」という。)が、ナゴヤ会館前歩道上から、同歩道と棒二前交差点との境のガードレールを飛び越えて車道に出て来て、「警察がヘルメットもかぶらないで違反ではないか。タンクは壊すし、ヘルメットをかぶつていない違反だ。」などと群衆を煽るように騒いだ。そして、群衆のうちの四、五名が阿部に同調する態度を示していたため、洞内巡査長が、「よけいなことするな。」などと注意しながら阿部の方に近寄つて行つたところ、阿部は、再び右ガードレールを飛び越えて前記歩道上に戻り、さらに同所で「警察がヘルメットをかぶらないまま車持つて行つてしまった。これでいいのか。」と群衆に向つて言つていたので、洞内巡査長と長峰巡査部長は、群衆が阿部に同調して騒ぎ出すとその整理に支障を来たすと判断し、ナゴヤ会館前歩道上から棒二前歩道の方向へと横断歩道を渡ろうとしていた阿部に対して任意同行を求め、阿部を同所から駅前派出所へと同行した。そして、阿部は、洞内巡査長から説諭を受けたのち解放された。なお、長峰巡査部長は右阿部を駅前派出所に前記のように連行した後、その処理を洞内巡査長に委せ、徒歩で棒二前交差点付近に戻り、再び前記職務に従事していた。

(e) 第一審原告及び石神は、前記のとおり阿部幸二が連行されるのを見た後、連れ立つてカゴヤ会館前から棒二の方向への横断歩道を渡り、棒二前に至り、一たん石神の発案で、占いをして貰うため、当時棒二の西端側の北陸銀行通用口付近にいた易者のところへ赴いたものの、右易者の前には順番待ちの客が数人いたためこれを断念して、午後九時一〇分ころ、再び棒二前に戻つた。ところで、前記交差点の棒二前角部分の当時の現場の状況は概略本判決別紙図面(拡大図)に示すとおりであつたところ、第一審原告及び石神は、約一〇分間ほど、本件ガードレールの西端から約一メートルほど西側で、かつ本件横断歩道と棒二前歩道との境、すなわち本件横断歩道の入口付近(以下、この地点を「A地点」という。)に立ち止つて、棒二前交差点方向の暴走族の様子を眺めたりしていた(以下、第一審原告らの右の行動を、単に「第一審原告らの本件佇立等の行動」という。)。

2  第一審原告の暴行と本件現行犯逮捕について

<証拠>によれば、次の各事実が認められる。

(一) 第一審原告らは、約一〇分間にわたり本件佇立等の行動を続けたが、そのころ、棒二前交差点の四つ角付近一帯には約二〇〇名以上の、そして棒二前歩道上だけでも約二〇ないし三〇名の群衆がそれぞれ集つていたほかに、青信号になる度ごとに約三〇名の横断歩行者が本件横断歩道を横断していたため、第一審原告らの行動は、本件横断歩道付近における交通の妨害となる虞れがあつた。

(二) そこで、街頭監視班長として、松風町方面から函館駅前方面及び梁川町方面から棒二前方面に向う暴走族車両の監視及び棒二前交差点付近の群衆の交通整理等の任務を帯び、本件長椅子の西側脇で、かつ本件ガードレールの直近北側にあつた電柱(別紙図面参照。)のやや南西側のほぼ本件ガードレールの西端付近(以下、この地点を「B地点」という。)において、右任務を遂行していた金野巡査は、同所から、さらにその約一メートルほど西側の本件横断歩道入口付近であるA地点に立つていた第一審原告に対し、交通妨害となる虞れを予防制止するため、「ここに立つていると歩行者の妨害にもなるし、野次馬も集まつて来るから、後ろにさがるか立ち去つて下さい。」との趣旨の警告をした。しかるに、第一審原告は、「何の権限で俺達を向うに行けとか、あつちに行けとか言えるのか。」などと反論し、金野巡査もさらに、「文句を言わないで言うことを聞きなさい。」などと注意をしたため言い争いになつた際、第一審原告は、「さつきの二輪車をなぜ逮捕するんだ。それくらいは、いいんでないか。」などと大声で叫びながら金野巡査の方に接近して、やにわに右手拳で金野巡査の胸を一回強く突き、同巡査が左後方によろけたところ、第一審原告は、さらに同巡査に体当りをするように、両手で同巡査の胸を押す体勢を示した(以下、第一審原告の金野巡査に対する右暴行を単に「第一暴行」という。)。

(三) このとき、林巡査は、本件長椅子と本件ガードレールとの間に立つていたが、第一暴行を目撃し、これを制止すべく直ちにその場に移転し、「警察だ。警察官の言うことを聞け。」と言いながら、第一審原告の両肩に両手をかけて軽く押すようにして、接近して対峙している第一審原告と金野巡査との間に割つて入つた。

そして、林巡査が、第一審原告の顔を見たところ、田村の逮捕に際しナゴヤ会館前歩道上で野次を飛ばしたことに注意を与えた相手と同一人物であることが判つたので、「さつきの奴だな。」と言つたとたんに、第一審原告は、同巡査の左顔面を右手拳で連続して二回殴打する暴行を加えた(以下、第一審原告の林巡査に対する右暴行を単に「第二暴行」という。)。

(四) 第一審原告の両巡査に対する右暴行を見た長峰巡査部長及び植田巡査らも暴行の現場に駆けつけ、長峰巡査部長が第二暴行直後に「手錠をかけろ。」と命じて逮捕する旨を告げ、金野巡査ら四名が協力し、「話せば判る。」などと大声をあげながら両手を振り回したり足をばたつかせて激しく抵抗する第一審原告に前手錠をかけて取り押え、午後九時二〇分ころ、棒二前歩道上において、第一審原告を公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕した。

そして、金野巡査ら四名は、手錠をかけたまま、第一審原告を、棒二前歩道上から駅前派出所まで歩いて連行し、さらに同所から中央署の司法警察員のもとに護送車で引致した。右引致した時刻は、午後九時四五分ころであつた(以上のうち、第一審原告が金野巡査ら四名に逮捕されたこと、第一審原告が手錠がかけられたまま駅前派出所に連行され、さらに同所から中央署の司法警察員のもとに護送車で引致されたことは、全当事者間に争いがない。)。

(五) 本件現行犯逮捕のころには、棒二前歩道上に群衆がにわかに集まり、その数は七〇ないし八〇名に達し、棒二前交差点の四つ角付近には全体で二〇〇名以上もの群衆がいた。しかしながら、右逮捕当時、右の群衆はもとより、眼前における本件現行犯逮捕を見ていた石神も、右逮捕に対しては、何ら抗議の言葉を発したり、行動をとつたりすることはなかつた。

3  本件現行犯逮捕の時刻などについて<省略>

4  本件現行犯逮捕の適法性について

(一) 前記一の1及び2に認定の各事実によれば、第一審原告らの本件佇立等の行動は、棒二前歩道と本件横断歩道を往来する歩行者及びその付近の車道を通行する車両の交通を妨害する虞れがあり、道路交通法七六条四項二号所定のいわゆる禁止行為を行ない若しくはこれを行なおうとするものであつたというべきであるから、金野巡査は、右禁止行為を制止若しくは予防するための措置として、前記一2(二)に認定のとおりの警告や注意を与えたものであり、金野巡査の右行為は、警察官職務執行法五条に照らし、適法な職務執行行為ということができる。

(二) また、前記一2(三)に認定の林巡査の行為は、第一審原告の金野巡査に対する暴行を制止しかつ金野巡査の身体に危険が及ぶのを防止するためになされたものというべく、警察官職務執行法五条に照らし、適法な職務執行行為ということができる。

(三) したがつて、第一審原告の第一暴行及び第二暴行は、金野巡査及び林巡査の適法な右各職務の執行に対してなされたものであるから、いずれも公務執行妨害罪を構成するものというべきである。

そして、第一審原告は、逮捕に際し、両手を振り回したり足をばたつかせて激しく抵抗したため、金野巡査ら四名が協力して、第一審原告に前手錠をかけて取り押えたものであつて、本件現行犯逮捕は適法であり、かつ右逮捕のため社会通念上必要かつ相当と認められる限度を超えた実力行使もなかつたものということができる。

5  金野巡査ら四名の供述の信用性について

(一) 第一審原告の暴行の端緒について

(二) 第一暴行の態様について

金野巡査の①、④、⑥及び⑨では、第一暴行の態様につき、多少表現は異なつているが、「第一審原告が、金野巡査の胸部を右手で殴り、さらに体当りしてきた。」という趣旨で一致している。

次に、右の点につき、植田巡査の⑦、⑬及び⑮では、「第一審原告は、右手を腰付近に当てて、突き出すような構えをしていたが、植田巡査は第一暴行は見ていない。」ということで一致している。

また、林巡査の③、⑤、⑩、⑫及び⑮では、「第一審原告が、金野巡査の胸を突き、さらに体当りするような状況になつた。」との趣旨で一貫している。

さらに、原審及び当審証人長峰安の証言によれば、長峰巡査部長は、第一暴行の際第一審原告の背後にいたため、第一審原告の手が金野巡査の身体に直接当たつたところは見えなかつたが、第一審原告が手で金野巡査の胸を突いた状況は第一審原告の背後から間近に現認したこと、また、長峰巡査部長は、⑧において「第一審原告の手が金野巡査に当つたと思うが、その現場は見ていない。」という供述をしているが、右「現場は見ていない。」との供述の趣旨は、右のとおり単に「第一審原告の手が金野巡査の身体に直接当つたところが見えなかつた。」というにすぎないことなどが認められる。右の事実によれば、長峰巡査部長の②、⑧、⑪、⑭及び⑰における各供述は、いずれも「第一審原告が、右手で金野巡査の胸を突いたり、体当りした。」との趣旨で一貫しており、特に前後矛盾するところないものということができる。

以上によれば、第一暴行の態様について、金野巡査ら四名の①ないし⑰の供述等は、長峰巡査部長の「第一審原告が金野巡査に体当りした。」旨の供述部分を除けば、前記一2(二)に認定のとおりの趣旨で一致しているものということができる。

(三) 第二暴行の態様について

第二暴行の態様について、金野巡査ら四名の①ないし⑰の供述等は、「林巡査が第一審原告の第一暴行を制止しようとしたところ、第一審原告が、右手ないし右手拳で、林巡査の左顔面を続けて二回殴つた。その際、林巡査のかけていた眼鏡が飛んだ。」という趣旨で殆んど一致している。

第一審原告の右手が上方あるいは下方のいずれから出てきたのかという点に関する長峰巡査部長の⑧、⑪と⑭、林巡査の眼鏡が飛んだのは一発目のときか二発目のときかという点に関する林巡査の③と⑤、⑩、⑩と⑫などのうには、若干矛盾したり供述内容が明確でないものも存在する。しかしながら、第二暴行が前記一2(三)に認定のとおり連続して瞬間的に行なわれたにもかかわらず、前記のとおり第二暴行を構成する主要な点において金野巡査ら四名の供述が殆んど一致していることに照らすと、右の若干の矛盾や不明確さのゆえをもつて、右一致した供述の信用性を否定することは、相当ではないものというべきである。

(四) 右(一)ないし(三)のとおり、金野巡査ら四名の①ないし⑰の供述等は、(イ)第一審原告の暴行の端緒、(ロ)第一暴行の態様、(ハ)第二暴行の態様の三点のいずれをみても、前記一2の(二)及び(三)で認定の事実に沿つたものである。

もつとも、①ないし⑰の供述等のうちに、前記のように多少の矛盾や不明確な点が存在することは否定できないが、金野巡査ら四名が第一暴行や第二暴行を目撃した時点や場所の違い、各人の観察力の差異、各供述等のなされたときまでにおける記憶の変化、供述時における表現方法の巧拙などの諸事情を考慮すれば、これらはいずれも右認定事実を覆すに足りるほどのものではないというべきである。

(五) 金野巡査ら四名の虚偽供述等の有無について

(1) 原審及び当審証人林博の証言によれば、昭和五〇年八月三〇日当時、金野巡査は中央署万代警察官派出所に勤務し、林巡査は中央署刑事一課に勤務していたので、日頃顔を合わせる機会はなかつたこと、本件現行犯人逮捕手続書は金野巡査が作成したもので、その際林巡査は金野巡査から右逮捕に至る経過について尋ねられたことはないこと、林巡査は、金野巡査が作成した本件現行犯人逮捕手続書の記載内容を確認することなくこれに署名及び押印をしたこと、金野巡査が本件現行犯人逮捕手続書を作成している間、林巡査は、中央署の事務室において、同署の司法警察員に対して本件現行犯逮捕の経緯について供述をなしており、また金野巡査は、右逮捕手続書作成後、別の同署司法警察員に対して右の経緯に関する供述をなしたこと、林巡査及び金野巡査が右各供述をなしている間において、右各司法警察員は、右各供述内容について相互に確認を取り合つたことはなく、それぞれ独自に右各巡査の供述調書を作成したこと、林巡査は、金野員面調書を読んだことはなく、昭和五〇年九月四日に西谷副検事から検察庁に呼び出しを受け林検面調書が作成されたときまでに、金野巡査、植田巡査及び長峰巡査部長らと本件現行犯逮捕の件について話し合いをしたことはないこと、林巡査が右警察官らと右の件について話し合いをしたのは、本件刑事事件において証人尋問を受ける直前に、西谷副検事から呼び出しを受けて函館地方検察庁(以下「検察庁」という。)へ一度出頭したときだけであることなどが認められる。

(2) 次に、当審証人林博、同長峰安の各証言によれば、林巡査は、昭和五〇年八月三〇日当時中央署刑事二課に勤務していた長峰巡査部長と日頃顔を合わせることはあつたが、林巡査が本件刑事事件において証人尋問を受ける同年一一月ころまでに、所用で刑事二課の部屋に行つたとき及び当直で一緒になつたときの二回だけしか、長峰巡査部長と本件現行犯逮捕の件について話し合いをしたことはないこと、そして右話し合いの内容は、林巡査が自己の記憶を確認すべく、長峰巡査部長に対して、時間的なことや最終的に誰が手錠をかけたかなどの点について質問をした程度であつたことなどが認められる。

(3) また、原審及び当審証人植田俊幸の証言によれば、昭和五〇年八月三〇日当時、植田巡査は中央署赤川警察官派出所に勤務していたこと、植田巡査は、同年一一月ころ、西谷副検事から検察庁に呼び出しを受けるまでに、他の警察官と本件現行犯逮捕の件について話し合いをしたことはないことが認められる。

(4) さらに、当審証人植田俊幸、同林博、同長峰安、同西谷金作の各証言によれば、西谷副検事は、本件刑事事件において金野巡査及び林巡査に対する証人尋問のなされた昭和五〇年一一月二六日の第二回公判期日の約一〇日前に、金野巡査ら四名の警察官を一緒に検察庁に呼び出して、刑事訴訟規則一九一条の三の規定に基づく証人尋問の準備をなしたこと、右準備を行なつた部屋は同庁の三階の当時空部屋となつていた検事室であり、そこに右四名の警察官と西谷副検事が集合したこと、右準備は約三〇分間にわたりなされたが、その内容は、西谷副検事が、右四名の警察官が在室する右検事室で、各人ごとにその検面調書の記載内容の正確性の再確認をなし、かつ被害状況の再現を求めたところ、右四名の記憶と各人の検面調書の記載内容及び右被害の再現状況とが概ね合致していたので、西谷副検事が右四名に対し、各人の記憶にしたがつて公判廷で証言をするように告げたというものであつたことが認められる。

(5) また、前掲植田俊幸、林博、長峰安の原審ならびに当審証言によれば、同人らは、本件刑事事件の証人として、公判廷において、右西谷副検事の指示にしたがい、それぞれ各人の記憶にしたがつて自己の経験事実を証言したものであることが認められる。

(6) 右(1)ないし(5)に認定の各事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はないから、右各事実によれば、金野巡査ら四名は、①ないし⑰においては、いずれも各人の当時の記憶にしたがつて供述及び証言等をしたものであり、右四名が共謀のうえ虚偽の供述等をなしたことはなかつたというべきである。

6  第一審原告の自白調書及び自白弁解録取書の信用性

(一) 自白に至るまでの経過等について

<証拠>によれば、第一審原告は、現行犯逮捕され中央署に引致された昭和五〇年八月三〇日午後九時四五分すぎころ、当時中央署勤務の訴外竹原昭二司法警察員から、五ないし六分間、本件被疑事件の有無について取調べを受けた際には、警察官に殴りかかつた事実はないとして、公務執行妨害の事実を否認しその旨の否認弁解録取書が作成されたこと、翌八月三一日、当時中央署刑事一課勤務の吉永巡査は、午前一〇時ころから昼ころまで、手許に届けられた本件現行犯人逮捕手続書、否認弁解録取書、金野及び林各員面調書、前掲乙第二号証中の氏名照会記録書等の記録を検討したうえ、午後一時ころから同三時三〇分ころまで、刑事一課第一号取調室において、第一審原告の取調べを行なつたこと、第一審原告は、右取調べの当初本件現行犯逮捕の被疑事実をなお否認していたが、吉永巡査と約一五分間ほど第一審原告の仕事や母親のこと及び同巡査が所持していたライターのことなどについて雑談をしているうちに、右被疑事実を自白するに至つたので(第一審原告が、当初否認し、後に自白したことは、全当事者間に争いがない。)、同巡査は、同日午後三時三〇分ころまでに自白調書を作成したこと、西谷副検事は、同年九月二日の午前中に約一時間一件記録を検討したうえ、函館地方検察庁において、第一審原告を、午前一一時三〇分すぎころから取調べ始めたが、第一審原告は、午前中及び午後一時ころから約一〇分間の取調べに対しては右被疑事実を否認していたものの、その後はこれを自白するに至つたので、午後一時四〇分ころまでに自白弁解録取書を作成して、同日勾留請求したこと、ところが、第一審原告は、同日の勾留質問において再び右被疑事実を否認したのちは、一貫してこれを否認し続けていることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) 自白調書の記載内容について

第一審原告公判供述、原審及び当審における第一審原告本人尋問の結果によれば、第一審原告は、自白調書の記載内容については、その大部分が取調官である吉永巡査の誘導や押し付けに基づくものであり、第一審原告の意思に反して、吉永巡査の言うがままに作成されたものであると述べていることが認められる。そこで、以下に自白調書の記載内容について検討する。

(1)ないし(6)<省略>

(7) 以上に検討したとおり、自白調書の記載内容には、一項ないし七項及び八項のように第一審原告のみしか知り得なかつた事実、三項及び九項のように客観的事実に反し第一審原告に有利な事実、一〇項のように金野及び林各員面調書では肯定されていた第一暴行の際における第一審原告の金野巡査に対する「体当り」を否定する趣旨の第一審原告に有利な事実なども多数含まれていることが明らかである。

(三) 吉永巡査の取調べ方法について

<証拠>によれば、吉永巡査の取調べに対し、第一審原告は、身上及び経歴関係は任意に供述したが、本件現行犯逮捕の被疑事実については当初否認したこと、しかし、右の否認は、強硬な態度でなされたものではなく、ニヤニヤと笑うような感じでなされたこと、そこで、吉永巡査は、なごやかな雰囲気をつくり第一審原告から任意の供述を得るべく、前認定のような雑談を一五分間程度したところ、第一審原告は任意に自白調書八項以下の供述をなしたので、吉永巡査はこれを録取して調書を作成したこと、同巡査は、右取調べにおいて、第一審原告に対し、第一審原告の供述の矛盾点を追及したり、「警察官二人が被害者で自ら見て逮捕しているんだ。全くないものを逮捕するわけがない。」などと、第一審原告にとつて不利な証拠の指摘などを行なつたりはしたものの、「いつまでも否認していると留置場から出されないぞ。認めれば二、三日で出してやる。」などの脅迫的言辞を用いて、第一審原告を威圧したりしたことはないこと、なお、右取調べが終了して自白調書が作成され、これを読み聞かされて第一審原告が署名指印をしたのちに、第一審原告は吉永巡査に、「何時ころ出してもらえるか。」と尋ねたのに対して同巡査は、「どうなるか判らない。」とは答えたが、「明日か、あさつて。後で絶対覆したりするな。」との趣旨の回答はしていないこと、以上の各事実が認められ<る。>

(四) 右(二)及び(三)に認定説示の諸点に照らすと、自白調書は、その記載内容及びその作成の情況及び経過のいずれの面からみても、第一審原告の任意の供述がそのまま記載されており、自白調書全体の記載内容には信用性が認められるものというべきである。

(五) 自白弁解録取書の記載内容及び西谷副検事の取調べ方法等について

<証拠>によれば、第一審原告は、前記6(一)に認定のように、西谷副検事の取調べに対し、午前中、「やつていません。」と言つて被疑事実を単純に否認していたこと、第一審原告の右否認に対し、西谷副検事は、「警察で自白しているのに、ちよつとおかしいじゃないか。」と第一審原告を詰問して午前中の取調べを終了し、再び午後一時ころから取調べを開始して第一審原告の弁解を聞いていたところ、約一〇分ほど経過してから、第一審原告は、比較的簡単に被疑事実につき「やりました。」と言つて犯行を認めるに至つたこと、そこで西谷副検事が第一審原告に対し、「どういう具合にやつたんだ。」と質問したところ、第一審原告は、第一暴行につき、右手で拳を握り、これを前方に突き出すような動作を示し、さらに第二暴行につき、右手拳を下から二回突き上げるような動作を示したこと、西谷副検事は、第一審原告の右供述にしたがつて自白弁解録取書を作成し、これを第一審原告に読み聞かせたが、第一審原告からはその記載内容につき何ら異議が申し立てられなかつたこと、以上の各事実が認められ<る。>

右認定事実によれば、自白弁解録取書も、その記載内容及びその作成の情況及び経過のいずれの面からみても、その全体にわたり、第一審原告の任意の供述がそのまま記載されており、自白弁解録取書の記載内容には信用性が認められるものというべきである。

7  石神供述について<省略>

8  刑事判決について

(一) 刑事判決は、第一審原告と金野巡査とが言い争いとなつた時における右両者の位置及び右位置から逮捕地点に至るまでの右両者の位置関係並びに群衆の数などに関する金野、林、長峰各公判供述には、不合理な点ないし矛盾があり、全体としてその信憑性に疑問がある旨認定しているので、以下右各点につき順次検討する。

(二) 第一審原告と金野巡査の制止行為時の位置に関する金野、林、長峰各公判供述について

まず、第一審原告の位置について、金野公判供述によれば、金野巡査は、制止等の行為をなした当時、第一審原告は前記A地点付近に立つていたと供述し、同地点は本件横断歩道の入口中央付近に相当する旨の同巡査のおおよその判断も述べていることが認められる。ところで、前掲乙第一号証中の西谷副検事作成の昭和五一年三月二日付実況見分調書によれば、本件横断歩道の幅員は5.1メートルであり、A地点は本件横断歩道の東端から約1.5メートルの地点であることが認められるので、金野巡査の右判断は必ずしも的確なものとはいえないが、金野及び長峰各公判供述によれば、金野巡査及び長峰巡査部長は両名とも、第一審原告がA地点付近に立つていた旨の金野巡査の前記供述に沿つた右各公判供述調書添付別紙図面をそれぞれ作成していることも認められる。

次に、金野巡査の位置について、金野公判供述によれば、金野巡査は、「長椅子の脇で、ガードレールの端のところに立つていた。」旨供述して、ほぼこれに沿う右別紙図面を作成し、さらに「同所付近で、一ないし二メートルは移動したりして、棒二前交差点付近における暴走族車両の監視に従事していた。」旨供述していることが認められ、これによれば、金野巡査は、前記B地点付近において、本件ガードレール直近北側の前記電柱の背後付近から、一ないし二メートル程度は移動したりして暴走族車両を監視していたので、右車両が特に見えにくいというような状況ではなかつたことが推認される。また、林公判供述によれば、林巡査は、「金野巡査は、私達が並んでいる一番左側に立つていた。」と供述し、その位置としてB地点付近を同公判供述調書添付図面上に表示していることが認められ、また長峰公判供述によれば、長峰巡査部長も、右とほぼ同旨の供述をし、かつこれに沿う右公判供述調書添付別紙図面を作成していることが認められる。

以上のとおり、金野、林及び長峰各公判供述は、いずれも、金野巡査の制止行為時における位置は、前認定のとおり、第一審原告がA地点付近で金野巡査がB地点付近であるとの趣旨で一致している。

(三) 逮捕地点に至るまでの第一審原告と金野巡査の位置関係に関する金野、林、長峰各公判供述について

(1) まず、前掲乙第一号証中の西谷副検事作成の昭和五一年三月二日付実況見分調書及び第一審原告公判供述によれば、第一審原告が前手錠をかけられて本件現行犯逮捕された位置は、本件ガードレール西端の南側約3.8メートル、かつ本件長椅子の南四角の南西側約3.15メートルの、棒二前歩道上に存在したマンホールの南端付近(以下、この地点を「本件逮捕地点」という。)であることが認められる。

(2) 次に、金野検面調書及び金野公判供述によれば、金野巡査は、右検面調書及び公判供述において、「B地点付近にいた際に、その西側約一メートルほどのA地点付近に立つていた第一審原告に制止等をしたところ、第一審原告が口答えしながら自分の方に近づいて来て第一暴行を加えた。」旨一貫して前記一2(二)に認定の事実に沿う供述をしていること、そして右検面調書で、金野巡査は、「第一審原告が近づいて来たので自分も二、三歩後退したところ、第一審原告は、なおも近づいて来て、いきなり胸を突いた。」旨述べ、B地点付近から、その南西側へと移動した旨の右検面調書添付別紙図面を作成していること、ところが右公判供述で、金野巡査は、「近づいて来た第一審原告から胸を突かれて右後方によろけた。そして、さらに、第一審原告が体当りしてきたので、また一歩くらい左後方によろけた。」旨述べ、B地点付近より、その南東側の本件長椅子の南西側付近へと移動した旨の右公判供述調書添付別紙図面を作成していることが認められる。

右認定事実によれば、金野巡査は第一暴行を受ける前後においてB地点より若干後方ないし左後方に移動したこと及び右移動後の地点は本件長椅子の南西側で本件長椅子と本件逮捕地点との間付近であつたことにおいて、金野巡査の検面調書及び公判供述における各供述は、ほぼ一貫しているものということができる。

なお、前記各別紙図面上には、前記のとおり第一審原告及び金野巡査の移動方向が約九〇度相違して図示されているので、この点において金野巡査の右各供述全体の信用性につき疑問が生じないわけではないが、金野検面調書及び金野公判供述によれば、金野巡査は右公判供述において、公判供述調書添付別紙図面上の図示の方が正確である旨説明していること及び右各別紙図面上における第一審原告と金野巡査の移転状況は、移転方向の点を除けば殆んど同じ様に図示されていること、そして第一暴行及び第二暴行から本件現行犯逮捕に至るまではわずか数分間程度のうちの出来事であつたことなどが認められ、右事実によれば、金野巡査としては、自ら暴行を受けたりしたため、第一審原告及び自己の各時点における瞬間的な位置関係を必ずしも詳細に記憶できる状況にはなかつたことなどから、右両者の移動方向に関して検面調書添付別紙図面には誤つた図示をしたものと推認される。そして、以上に認定説示の諸点に照らせば、右図示の誤りは、金野巡査の前記各供述の信用性に影響を及ぼすほどのものではないというべきである。

(3) また、林公判供述によれば、林巡査は、右公判供述において、「本件長椅子の棒二前交差点側北西寄りに立つていた際に、同所から二ないし三メートル南西の地点で、金野巡査が第一審原告から胸を突かれ、さらに体当りをされるような状況になつたのを見た。金野巡査からみて第一審原告はやや南東側で金野巡査と対峙していたが、胸を突いたのち第一審原告は西側に少し移動し、金野巡査が北側、第一審原告が南側で、両者がくつついているような状態になつた。自分は、右両者の北側を回つて西側へと直ちに移動して、右両者の間に割つて入り、第一審原告の金野巡査に対するその後の暴行を阻止しようとした。」旨述べ、右供述に沿う公判供述調書添付別紙図面を作成していることが認められる。そして、林検面調書によれば、林巡査は、右検面調書において、右公判供述とほぼ同旨の供述をなし、第二暴行を受けた際における各人の位置を右検面調書添付別紙図面上に図示しているが、右図示は前記公判供述調書添付別紙図面上の図示と特に矛盾するところはないことが認められる。

右のとおり、林巡査の供述及び図示は、検面調書及び公判供述を通じて一貫しており、不合理な点や矛盾はないものというべきである。

(4) さらに、長峰公判供述によれば、長峰巡査部長は、右公判供述において、「本件長椅子の棒二前交差点側北西端寄りに立つていた際に、同所から約三メートル西側の地点で、金野巡査が第一審原告から胸を突かれるのを見た。そのとき、金野巡査からみて第一審原告はほぼ南側で金野巡査と対峙していた。自分は、第一審原告と金野巡査との口論及び第一暴行を目撃して、野次馬が多数集まつて来て騒動に発展することを恐れ、早く右紛争が収まればよいと思いながら周囲の情勢を見守つていた。ところが、第一審原告は、引き続き林巡査に対しても第二暴行をなしたので、その時点で、第一審原告に手錠をかけるよう他の警察官に命令した。」旨述べ、右供述に沿う公判供述調書添付別紙図面を作成していることが認められ、また、また、長峰検面調書によれば、同人は、右検面調書において、右公判供述と矛盾のないほぼ同旨の供述をしていることが認められる。

右のとおり、長峰巡査部長の供述は、検面調書及び公判供述を通じてほぼ一貫しており、特に不合理な点もないものというべきである。

(5) 以上(1)ないし(4)でみたとおり、金野、林、長峰各検面調書及び各公判供述は、本件長椅子と本件逮捕地点との間において、第一審原告が金野巡査及び林巡査に対してそれぞれ第一暴行及び第二暴行をなしたが、その際における位置関係は、金野巡査が本件横断歩道側であり、第一審原告はそのほぼ南側で金野巡査と対峙していたということで概ね一致している。

なお、本件現行犯逮捕のなされた午後九時二〇分ころにおける棒二前交差点付近の群衆の数は、前認定のとおり多数であつたが、午後九時三一分ころには、前記一3(二)に認定のとおり、函館駅前及び棒二付近に群衆はいなくなつたものであつて、前記各供述もほぼ右認定に沿つており、右各供述間に不合理な点や矛盾は見受けられない。

(6) そして、<証拠>によれば、第二暴行直後における長峰巡査部長の「手錠をかけろ。」との命令に呼応して、金野巡査ら四名は第一審原告の逮捕に着手したが、第一審原告は両手を振り回したり足をばたつかせて激しくこれに抵抗したこと、そして抵抗しているうちに第一審原告が尻もちをついた格好になつたので、林巡査が第一審原告の上半身を、金野巡査が第一審原告の足をそれぞれ押え付けたうえ、植田巡査の所持していた手錠を使用して、植田巡査が第一審原告の右手に、長峰巡査部長が第一審原告の左手にそれぞれ手錠をかけて、第一審原告を現行犯逮捕したことが認められ、右事実に前記(1)ないし(5)に認定説示の諸点を総合すると、第一暴行及び第二暴行は本件長椅子と本件逮捕地点との間で行なわれ、その後第一審原告が逮捕に激しく抵抗しているうちに本件逮捕地点付近に至り、最終的に同地点で第一審原告が逮捕されたものと推認するのが相当である。

(四) 以上(二)及び(三)によれば、金野、林、長峰各検面調書及び各公判供述における同人らの各供述には、いずれも一貫性と合理性が認められ、全体としてその信用性が肯定されるものということができる。

二傷害の有無について

1  <証拠>によれば、第一審原告は、前手錠をかけられて本件現行犯逮捕された際にも抵抗を続けていたため、右手首に手錠による軽度の擦過傷を負つたこと、右負傷の程度は、手首の表皮が若干剥げて血がうつすらとにじんでいた程度のものであつて、昭和五〇年八月三〇日午後一〇時一〇分ころ、第一審原告を中央署の留置場に収容する際に第一審原告の身体検査を担当した中央署の看守においても、第一審原告の右負傷には気が付かなかつたため、留置人名簿(乙第一五号証)及び身体検査票(乙第一六号証)には、いずれも第一審原告には外傷がない旨の記載がなされたことが認められる。

2 ところで、現行犯逮捕をしようとする場合に犯人から抵抗を受けたときには、警察官は、その際の状況からみて社会通念上逮捕のため必要かつ相当と認められる限度内の実力を行使することが許されるものと解されるところ、金野巡査ら四名による本件現行犯逮捕は、前記一4に説示のとおり適法であり、また、逮捕に至る経過も前認定のとおりであつて、同巡査らが第一審原告の抵抗を排除するために実力を行使したとしても、それは社会通念上右逮捕のため必要かつ相当と認められる限度を超えたものとはいえないから、第一審原告が右逮捕の際に抵抗した結果前記認定にかかる程度の軽度の負傷を被つたとしても、右逮捕及びその際における金野巡査ら四名の実力行使には、故意又は過失があつたものということはできない。

三取調べにおける自白の強要の有無について

第一審原告の自白調書が作成されるに至つた経過及び自白調書の記載内容並びに吉永巡査の取調べ方法は、前記一6の(一)ないし(三)に認定のとおりであつて、これによれば、吉永巡査が、取調べに際し、第一審原告の無実の主張を聞き入れず、第一審原告に対して自白を強要し、諦観させ、これに乗じて自白調書を作成した事実は、なかつたものというべきである。

四報道機関への虚偽事実公表の有無について

1  <証拠>によれば、昭和五〇年八月三一日付北海道新聞に、暴走族取締中の警察官に殴りかかるなどの暴行をした野次馬の第一審原告が公務執行妨害の現行犯で逮捕された旨の記事が掲載されたこと、右記事の内容は、中央署の報道担当者によつて公表されたものであることが認められる。

2  しかしながら、右公表及び掲載にかかる事実は、前認定の事実に沿つたものであり、虚偽事実が公表されたものではないから、右公表には、何ら故意又は過失がないものというべきである。

五身柄の拘束及び送致等の違法性の有無について

1  金野巡査ら四名が、本件現行犯逮捕ののち、第一審原告を、右逮捕現場から駅前派出所へ連行し、さらに同派出所から中央署に引致して第一審原告の身柄拘束を続け、次いで検察官に送致するなどの手続を進めたことは、全当事者間に争いがない。

2  しかしながら、金野巡査ら四名の右行為は、刑事訴訟法二一三条、二一六条、二〇二条、二〇三条、二〇五条の諸規定に照らし、公務執行妨害を犯した第一審原告に対する本件現行犯逮捕後の手続として、適法かつ適切なもので、右行為には、何ら故意又は過失がないものということができる。したがつて、右行為が違法であることを前提とする第一審原告の請求原因2(一)(2)(e)の主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

六虚偽の供述及び証言の有無について

前認定説示のとおり、金野巡査ら四名は、司法警察員や検察官による取調べ及び本件刑事事件の公判廷における証人尋問に対し、いずれも各人の当時の記憶にしたがつた供述をしているものであり、右取調べに対して虚偽の供述をしたり、右証人尋問に対して虚偽の証言をしたことはないものというべきである。

七以上のとおり、第一審原告の請求原因2(一)の各主張はいずれも理由がないので、第一審被告北海道には国家賠償法一条に基づく責任はない。

第三第一審被告国の責任について

一本件勾留請求及び勾留の執行指揮の違法性の有無について

(一)  一般に刑事事件において無罪の判決が確定したからといつてそのことから当然に右事件につきなされた起訴前の勾留が違法となるわけではなく、起訴前の勾留が適法であるか違法であるかはこれがそのなされた時点において刑事訴訟法六〇条一項所定の要件を具備していたか否かによるものというべきである。

(二)  そこでまず、本件勾留請求に基づいてなされた第一審原告の起訴前の勾留自体が右判断基準に照らして適法なものであつたか否かを判断するに、<証拠>によれば、本件勾留の被疑事実は別紙四のとおりであること、西谷副検事が本件勾留請求時までに収集し、本件勾留請求の疎明資料として勾留担当裁判官に提出したものは別紙二のとおりであることが認められる(右認定を覆えすに足りる証拠はない。)ところ、右各資料に基づき本件勾留請求時を基準時として判断すれば、右勾留は刑事訴訟法六〇条一項二号及び三号所定の要件を具備するものであつたと認めるのが相当である。けだし、右各資料中には、第一審原告の司法警察員に対する弁解録取書である別紙二番号②に前記被疑事実を否認する趣旨の消極の資料があるが、第一審原告はその後同番号⑪の西谷副検事に対する弁解録取書において右事実につき犯行を自白するに至つており、このことに積極の資料であるその余の各資料を総合勘案すれば、当時第一審原告については前記被疑事実につき罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があつたものというべきであり、また、右各資料によれば、第一審原告は当初犯行を否認しており(同番号②)、犯行現場に居合わせた石神基晴とは友人関係にあつたこと、また、第一審原告は当時仙台市の下宿先から一時的に来函していた独身者であつたことなどから第一審原告の身柄を釈放した場合には第一審原告が右石神と通謀のうえ口裏をあわせるなどして罪証を隠滅し、また、逃走するおそれがあるものと認められたからである。してみれば、右勾留は適法であり、これを違法ということはできない。

(三)  <証拠>によれば、西谷副検事は、前記各資料に基づき、右(二)認定の起訴前の勾留の要件を具備するものと判断して、本件勾留請求及び勾留の執行指揮をしたものと認められる(右認定を覆えすに足りる証拠はない。)ところ、右(二)認定説示のとおり右勾留自体が適法である以上、西谷副検事のなした本件勾留請求及び勾留の執行指揮が、その余の点を論ずるまでもなく、適法であることはいうまでもない。

二本件公訴提起等の違法性の有無について

(一)  一般に刑事事件において無罪の判決が確定したからといつて、そのことから当然に右事件につきなされた公訴の提起及びその維持が違法となるわけではないことは、前示した起訴前の勾留の場合と同様であり、公訴提起ないし公訴維持は、これがなされた時点において、犯罪の嫌疑が客観的に十分であり、有罪判決を期待しうる合理的根拠がある限り、適法なのであり、右の要件を欠く公訴提起ないし公訴維持にして初めて違法となるものというべきである。

(二)  そこで、西谷副検事のなした本件公訴提起等が右基準に照らして適法であるか否かについて判断するに、証拠によれば、西谷副検事が本件公訴提起時までに収集した資料は別紙二及び同三のとおりであること(西谷副検事が、本件勾留請求後本件公訴提起までの間に収集した証拠資料が、別紙三記載のとおりであることは、全当事者間に争いがない。)、西谷副検事は本件勾留請求後第一審原告を取調べたところ、第一審原告は従来の態度を翻えして公務執行妨害の被疑事実を否認するに至り(別紙三番号⑲)、また石神基晴を取調べたところ第一審原告の右否認の供述に副う供述をしたが(同番号⑱)、被疑者の取調べにおいては、先に真意に基づいて自白していた者が警察官に対する悪感情を募らせたりした挙句、右自白を覆えすようなことは通常ありうることであるから、西谷副検事にとつては、第一審原告の場合もそうではないかと考えられたばかりでなく、第一審原告の否認の供述は第一審原告の否認癖によるものと理解できる資料も得られ、また、右石神の供述については取調時におけるその態度等から友人である第一審原告を庇うためにしたものと理解できたこと、そして、本件現行犯逮捕に当つた金野巡査ら四名を取調べたところ概ね一致して、原判決添付別紙五の公訴事実に沿う内容の供述が得られたので、別紙二及び同三の各積極資料を総合勘案して第一審原告が別紙五の公訴事実につき有罪と認め、本件公訴提起に至つたものであること、そして、本件刑事事件の公判廷において金野巡査、林巡査、長峰巡査部長、吉永巡査、石神基晴及び第一審原告が証人あるいは被告人として尋問あるいは質問を受け、それぞれ右事件につき供述したが、同人らの右各供述は、西谷副検事が本件公訴提起の判断資料とした前記各資料中の同人らの従前の各供述と細部においては微妙な変化はあるにしても、大筋においては同一であつたから西谷副検事としては第一審原告を有罪と認めた前記判断に疑問を抱くことなく弁論終結時に至るまで本件公訴を維持したものであることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、本件公訴提起時から前記弁論終結時に至るまでの間第一審原告については前記公訴事実に関する犯罪の嫌疑が客観的に十分であり、有罪判決を期待しうる合理的根拠もあつたものというべきであるから、西谷副検事のなした本件公訴提起等は、適法である。

三右一及び二に認定説示のとおり、第一審原告の請求原因2(二)の各主張はいずれも理由がないので(なお、第一審原告は、自己が無実であることを前提として右各主張をなしているが、第一審原告につき公務執行妨害の事実が認められることは、前認定説示のとおりである。)、第一審被告国には国家賠償法一条に基づく責任はない。

第四結論

以上のとおり、第一審被告北海道及び第一審被告国には、いずれも国家賠償法一条に基づく責任はないので、第一審原告の第一審被告北海道及び第一審被告国に対する本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、すべて失当としてこれを棄却すべきところ、これと一部結論を異にする原判決は、その限度において失当であつて、第一審被告北海道の本件控訴は理由があるから、原判決中第一審被告北海道の敗訴部分を取消し、右 に関する第一審原告の請求を棄却し、原判決中その余の部分は相当であつて、第一審原告の本件各控訴は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(瀧田薫 吉本俊雄 井上繁規)

供述等一覧表<省略>

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