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札幌高等裁判所 昭和55年(う)22号 判決 1981年1月22日

被告人 野田潔 外一名

主文

原判決のうち被告人両名に関する部分を破棄する。

被告人野田潔を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用のうち、証人伊藤幸信及び同南正に支給した分の各三分の一は同被告人の負担とする。

同被告人に対する本件公訴事実のうち業務過失致死傷の点については、同被告人は無罪。

被告人大浦辰午に対する本件業務上過失致死傷被告事件を札幌地方裁判所に差し戻す。

理由

本件各控訴の趣意は弁護人武田庄吉及び同廣岡得一郎が連名で提出した控訴趣意書に記載されているとおりであり(ただし、主任弁護人武田庄吉は、控訴趣意書中の第四の主張は、刑事訴訟法三七八条四号所定の事由があるということまで主張しているものではなく、ただ単に、被告人両名の各過失行為と各被害者の死傷との間には刑法上の因果関係がないという事実の誤認の主張又は法令適用の誤りの主張をしているだけのことに過ぎないと釈明した。)、これに対する答弁は検察官田中豊提出の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一各控訴趣意中、原判決には検察官が訴因として主張していないことがらについてまでも認定判示したという違法があるとの主張(控訴趣意書中の第七の主張)について

各所論は、要するに、原判決は、被告人両名は、札幌市白石区平和通二丁目北八八番地にある医療法人白石中央病院(以下「本件病院」という。)のうち木造モルタル亜鉛メツキ鋼板葺一部二階建延床面積約一〇九八・一八平方メートルの建物(以下「旧館」という。)における火災発生の場合に備え、旧館二階に多数収容されている新生児や単独歩行が困難な者を含む患者らを夜間宿直時における人員配置によつても安全確実に救出、避難誘導しうるよう、あらかじめ右病院の看護婦・夜警員その他関係従業員らを指揮監督して十分な避難訓練を実施しておかなければならないという業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠つたものである旨認定判決しているけれども、この避難訓練実施義務という業務上の注意義務については、検察官は本件各訴因として、被告人両名が原判示のような十分な避難訓練を実施しておかなければならないという業務上の注意義務があるのにいずれもこれを怠つたということまでも主張してはおらず、ただ単に、被告人両名が消防法令の定めるところに従つて年二回以上の避難訓練を実施しておかなければならないという業務上の注意義務があるのにいずれもこれを怠つたということのみを(そして右注意義務を怠つていさえしなければ原判示第三の一の本件各被害者六名の死傷という結果―以下「本件死傷」という。1の発生を防止し得たということを)主張しているだけに過ぎないから、原判決は被告人両名が原判示のような業務上の注意義務があるのにいずれもこれを怠つた旨認定判示している点において、検察官が訴因として主張していないことがらについてまでも認定判示したという違法を犯しているというのである。

そこでまず原判決を検討してみると、原判決は、被告人両名としては、旧館における火災発生の場合に備え、旧館二階に多数収容されている新生児や単独歩行困難な者を含む患者らを「夜間宿直時における人員配置によつても安全確実に救出、避難誘導しうるよう、予め、火災報知ベル作動時における非常口の開錠、新生児の搬出、患者らの避難誘導等に関する具体的対策をたて、各従業員らが災害時において具体的に何をなすべきかの手順、役割分担を示す行動準則を定め、これを同病院の看護婦・夜警員その他関係従業員らに周知徹底させるとともに、これに基づき、右の者を指揮監督して十分な避難訓練を実施し、もつて、火災により死傷者が生ずることがないよう未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠つた過失により」旧館一階第一診察室から出火した際、「旧館二階当直看護婦、助産婦、夜警員らをして迅速適切な通報、救出、避難誘導行為を行わせることができず、」その結果右出火の際旧館内にいた本件各被害者六名につき本件死傷を生ぜしめたと認定判示しているところ、原判決の右文言によると、原判決は、原判示のような具体的対策と行動準則と(右対策及び準則を以下「対策準則」と総称する。)が定立されていなかつたと明言していない点において措辞いささか不十分のうらみがないではないけれども、原判決は、十分な避難訓練を実施しなかつたことそれ自体、すなわち、あらかじめ既に対策準則が定立されていたにもかかわらず右対策準則に基づく避難訓練を全く実施しなかつた(又は、右対策準則に基づく避難訓練があらかじめ実施されていたけれども、十分な避難訓練とはいえなかつた)ことを被告人両名の各過失行為として認定判示しているものではなく(けだし、このような認定判示をしたとするならば原判決は、その文理上被告人が怠つた業務上の注意義務に対策準則定立義務が含まれると解釈される余地があり、このことが右のような認定判示をしたと解釈することの障害になるし、更に原判示のなかに、既に定立されていた対策準則の内容を―原判決のように、これから定立すべき対策準則の内容として抽象的に記載するのではなく―具体的に記載し、かつ、その内容が火災による死傷の結果の発生を防止するに足る組織や訓練の内容を具備するか否かについて検討判示している筈であるのに、原判決はこの点について何ら判示していないからである。)、被告人両名の各過失行為として原判決が認定判示していることがらは、「旧館における火災発生の場合に備え旧館二階に多数収容されている新生児や患者らを夜間宿直時における人員配置によつても安全確実に救出し避難誘導しうるために必要な訓練(あらかじめ右病院の看護婦や夜警員その他関係従業員らを指揮監督して行う十分な避難訓練)のもととなる(右訓練の実施のために必要不可欠な)対策準則をあらかじめ定立しておかなければならないという」業務上の注意義務があるのに被告人両名とも右注意義務を怠り対策準則を定立しておかなかつたということにほかならない(したがつて、原判決の「これに基づき、右の者を指揮監督して十分な避難訓練を実施」するという文言、すなわち対策準則に基づく十分な避難訓練の不実施ということは、対策準則の不定立と本件死傷事故との間の関係を示しただけのことに過ぎない。)と解釈する以外にはない(この点において、原判決の前述の文言は、「自動車運転業務に従事する者としては進路前方における信号機の存否や表示を確認し右表示に従つて信号機の手前で停止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠つた。」とだけしか記載されていない判決文が信号機の存在を確認しなかつたこと又は信号機の存在は確認したがその表示を誤認したことあるいは信号機の表示を確認したけれどもその表示による停止をしなかつたことのいずれを過失行為として認定判示しているのか不明であるとされる場合とは趣を異にするものといわなければならない。)。

してみると各所論は、原判決が何を被告人両名の過失行為として認定判示しているのかという点について誤解し、この誤解に基づいて展開された主張であるといわざるを得ないから、主張自体失当である(なお、原判示の対策準則をあらかじめ定立しておかなかつたことが、検察官が被告人両名に対する本件業務上過失致死傷各被告事件において被告人両名の各過失行為として主張している訴因のなかに含まれていることは、右各被告事件における起訴状に、被告人両名は本件病院の「旧館二階には新生児及び産婦人科の患者など自力行動の困難な者が入院しており、万一火災が発生した場合には、これら新生児及び入院患者らの生命、身体に対する危険の発生が予想されたので、平素から、火災が発生した場合には、病院従業者らに対し、すみやかに出火場所を通報し、新生児及び入院患者らを安全確実に救出あるいは避難誘導できる対策を立案し、これに基づく各訓練を実施し、もつて新生児及び入院患者らが死傷する事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠つた過失により、」本件死傷を発生させた旨記載されていることに照らして明白である。)。論旨は理由がない。

第二被告人両名について原判示の業務上の注意義務があるか否かについて

この点について、本件各控訴の趣意は、本件死傷は本件火災が予期し得ない場所で出火したため火災感知器の作動が遅れ、更に右感知器の作動直後右出火を確認した夜警員が給食賄婦に対し消防署への出火通報をしたのみで旧館から離脱退避してしまつたため旧館二階の当直員が出火に気付くのが遅れたという客観的予見可能性のない異常事態によつて生じたものであることと右夜警員以外の本件病院の従業員、ことに松浦看護婦は旧館内の新生児や入院患者や付添人の救出、避難誘導に最善の努力を払つたもので、原判示の対策準則に基づく十分な避難訓練が施されていたとしてもこれ以上の活動がなし得なかつたこととを根拠として、被告人両名について原判示のような業務上の注意義務はない、と主張する。

右各所論の当否について判断するに先立ち、職権で、本件火災の時旧館二階にいた看護婦松浦法子の出火確認後の行動と本件死傷との関係という側面から、原判決認定の事実関係に基づき、そして右事実関係のみによつて、被告人両名について原判示の業務上の注意義務があるといえるか否かについて検討することとする。

一  原判決がその理由において詳細に認定判示している事実関係は次のとおりである。

1  本件火災の時旧館二階にいた本件病院当直看護婦松浦法子は旧館二階看護婦詰所のすぐそばで階段から上つてくる煙を認めて本件火災の発生に気付いたが、その後旧館二階入院室の入口から入院患者らに対し避難を呼びかけたが、旧館二階非常口の開錠や旧館二階新生児室に収容中の新生児の救出については何ら思いを及ぼさず、ただ僅かに、助産婦遠藤千恵子が右非常口のそばで抱きかかえてきた新生児三名の屋外搬出に手を貸しただけにすぎなかつた。

2  もし松浦看護婦が遅くとも前記のとおり入院患者らに避難を呼びかけている段階において前記非常口の開錠と前記新生児の救出とに思いを致したならば、この非常口の開扉のための鍵は、前記看護婦詰所内の窓枠に非常口の鍵である旨を表示した札に結びつけられて吊されており、また、新生児はすべて右詰所のすぐ隣りの新生児室に収容されており、同室には新生児搬出用担架(一個で新生児四名位を搬出しうるもの)が二個備え付けられていたから、松浦が右非常口を早期に開錠し、かつ、前述の遠藤助産婦による救出活動と相俟つて、当時旧館内にいた新生児六名全員を無事救出することができたことは確実であつた。

3  そして、本件火災による死傷は、原判示第三の一死傷者につき生じた原判示第三の一のとおりの死傷のみであつたが、右六名の死傷のうち、

(一) 新生児三名の焼死は、右三名に対する救出活動が全く行われなかつたことによるものであり、

(二) 入院患者畠山イヨの焼死と同女の付添人畠山義明の負傷及び入院患者落合禮子の負傷とは、いずれも、右三名が前記非常口のすぐそばまで辿りついたのに、その時点でも右非常口が依然として閉鎖旋錠されたままであつたことによるものであり、

(三) 従つて、松浦看護婦が前記2のとおりの行動をとつていたならば、すなわち同女が本件火災発生に気付いた直後ころ非常口開錠と新生児救出とに思いを致していたならば、本件死傷の結果は生じなかつたはずであつた。

(四) 松浦は本件火災の当時一八歳の見習看護婦であり、本件火災発生当時、旧館二階には同女のほか前記当直助産婦遠藤千恵子が当直員として在勤していた。

(五) 本件火災当時、本件病院の役員は、本件病院の経営管理事務の一切を掌理統括する最高責任者たる(現実に右事務につき被告人大浦その他の事務職員らから報告を受け、適宜指示を与えるなどしてこれを統括していた)理事長兼病院長の被告人野田以下常務理事被告人大浦(事実上の事務長として被告人野田を補佐し、実質的に本件病院の経営管理事務―医療業務を除く―を掌理していた。)の外常勤理事三名がおり、他に看護婦は、助産婦、準看護婦及び見習看護婦を含め二九名(但し一名は夜間当直のみのアルバイト)が本件病院に勤務していた。

二  以上の事実関係に基づいて考えてみるに、本件死傷は松浦看護婦が前記2の行動に出なかつたことによつて生じたものであるところ、松浦看護婦が他に有効な救出活動、避難誘導又は消火活動に従事していたため前記2の行動に出ることができなかつたという特段の事情がない限り(かかる特段の事情の存否については原判決は何ら触れていない。)、松浦看護婦の前記1の行動は同女が一八歳の見習看護婦にすぎなかつたことを考慮に入れても、不適切極まりないというべく、同女において当直看護婦としての自覚がありさえすれば、当然前記2の行動に出るに違いないと誰しも考えるところであり、従つて、同女が右自覚に欠けていると考えるべき特段の事情がない限り、原判示の対策準則に基づく十分な訓練を同女にあらかじめ施しておかなければ同女が前記2の行動に出ないかもしれないという点についての予見可能性はなく、従つてまた予見義務もないというべく、このことは前述のとおり本件病院の経営管理事務につき責任を負うべき被告人両名についても同様である。のみならず、本件病院には、前述のとおり二九名もの看護婦が勤務し、松浦はそのうちの一見習看護婦であつたことから考えると、松浦看護婦は、本件火災のときまで、上司(例えば看護婦長)から、非常の場合には何をさておいても、まず非常口開扉と新生児救出とを図るべきである旨の教導指示がなされていたと思われるが、かかる教導指示の有無についても原判決は何ら触れていないし、その他松浦看護婦の性格、能力、経験年数及び在勤年数の如何等、被告人両名が松浦に対し、原判示の対策準則に基づく十分な訓練をしていなくても非常の場合にも前記非常口開扉や新生児救出を十分行いうるとの信頼を寄せることについての積極的又は消極的要因となるべき事情の有無について判断を加えないまま卒然被告人両名に対し原判示のような業務上の注意義務があるとした原判決は、本件死傷の結果発生(すなわちその原因となつた松浦看護婦の不適切極まりない行動)についての予見可能性の存否についての判断(換言すれば松浦看護婦に対する信頼の原則の適用)を誤つているといわざるを得ず、かかる刑法二一一条前段の解釈適用についての原判決の法令適用の誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであることはいうを俟たないところである。

よつて、原判決のうち被告人両名に関する部分は、既にこの点において破棄を免れない。

そこで、その余の各控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により、原判決のうち被告人両名に関する部分を破棄し、被告人野田に対する関係では、訴訟記録並びに原裁判所及び当裁判所において取り調べた各証拠によつて直ちに判決をすることができるものと認められるから、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に次のとおり自判する。

第三被告人野田に対する裁判(自判)

一  罪となるべき事実

被告人野田潔は札幌市白石区平和通二丁目北八八番地にある医療法人白石中央病院(内科、外科、産婦人科及び整形外科の診療科目を有し、病室内の病床数一一〇床の病院)の理事長兼病院長として同病院の管理について権原を有する者であるが、それまで同病院の防火管理者に定められていた同病院職員南正が同病院から退職したため、昭和五一年九月二五日右防火管理者南正を解任したにもかかわらず、このことを所轄の白石消防署長に届け出なかつたものである。

二  証拠の標目(略)

三  法令の適用

被告人野田の判示所為は、消防法四四条六号、八条二項、同法施行令一条三、四項、同法施行規則一条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で本件届出義務違反罪の所定罰金額の多額は消防法違反の各罪の所定罰金額のそれのうちもつとも少額であることと消防法違反の各罪につき罰金刑に処した事例とをしんしやくして、被告人野田を罰金一万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置し、原審における訴訟費用のうち証人伊藤幸信、同南正に支給した分の各三分の一は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人野田に負担させることとする。

四  一部無罪の理由

1  被告人野田に対する本件公訴事実中業務上過失致死傷の点は、同被告人は、札幌市白石区平和通二丁目北八八番地にある医療法人白石中央病院の理事長兼病院長として、同病院の経営、管理を掌理総括し、消防法令などの定めるところにより、同病院の消防計画を作成し、これに基づいて、同病院従業者並びに付添人及び入院患者を指揮監督して、消火出火通報及び避難の各訓練を実施し、消防、出火警報及び避難に関する設備を維持、管理する業務に従事していたものであるが、同病院旧館(木造モルタル亜鉛メツキ鋼板一部二階建床面積一、〇九八・一八平方メートル)が老朽化した木造建築物である上、特に同館二階には新生児及び自力行動の困難な患者を含む入院患者が収容されており、更に右旧館内には右入院患者の付添人が在館しているのであり、万一右旧館に火災が発生した場合には、これらの新生児及び入院患者並びに付添人の生命、身体に対する危険の発生が予想されたので、平素から右旧館で火災が発生した場合にはすみやかに出火場所を同病院の従業者、入院患者及び付添人に通報し、新生児及び入院患者並びに付添人を迅速かつ安全確実に救出あるいは避難誘導できる対策をあらかじめ立案しておかなければならず、更に同病院従業者並びに入院患者及び付添人に対し右対策に基づく各訓練をあらかじめ実施しておかなければならず、また当直時(夜間や早朝)における出火に際しても右新生児及び入院患者並びに付添人を迅速かつ安全確実に救出あるいは避難誘導できるだけの人数の当直従業員をあらかじめ配置しておかなければならず、なお旧館二階に設置された非常口が屋内から南京錠で施錠されていて、鍵の所在が判明しない時は直ちに解錠しがたい設備であつたから、屋内から鍵を用いないで解放できる設備にあらかじめ改善しておくとか病院従業者に常時右非常口の鍵を携行させておくとかの方法により旧館出火の場合には迅速確実に非常口を開扉しうるような措置をあらかじめ講じておかなければならないという業務上の注意義務があるのに、この注意義務を怠つた結果、昭和五二年二月六日早朝における同病院旧館の出火(同病院の汽罐士として同病院のボイラー及び暖房設備の操作、維持及び管理の業務に従事していた原審相被告人八木澤龍介が当直勤務中の昭和五二年二月六日午前七時二〇分ころ、同病院旧館一階第一診療室を巡回した際、同室放熱器が放熱していないのを見て、同室南西側モルタル壁から戸外に約二三センチメートル突出している暖房用ドレーンパイプ(排水用パイプ)内が凍結して蒸気の送風が妨げられたものと考え、携行していた圧電点火式トーチランプの炎を噴射して右パイプの凍結を融解させようとしたが、右トーチランプの炎は容易に可燃物を着火燃焼させるきわめて高熱なものであり、また同壁とパイプの周囲にはすき間が存し、かつ、同壁内側には乾燥した板壁などがあり、同壁に接近した箇所に炎を噴射させたときは、同すき間から壁内に炎が流入し、右板壁等に着火する危険が大であつたものである上、同パイプは同壁から約八センチメートル露出しているのみで、その先の部分は雪に覆われていたのであるから、凍結を融解させるにあたつては、熱湯を右パイプに注ぐなどの方法によることとし、やむなくトーチランプを使用する場合は、除雪するなどして炎を壁から離れた箇所に噴射して万が一にも右モルタル壁内に炎を流入させないよう配慮するとともに、作業終了後は同部位付近を点検しておくべきであつたのに漫然右トーチランプの炎をモルタル壁近くのパイプ露出部分に噴射して前記すき間から炎をモルタル内部に流入させて板壁などに着火させ、かつ、同所の点検をしないでその場を立去つたため、間もなく同所壁から前記第一診療室の壁体、柱等に燃え移らせたのであるが、このようにして右第一診療室から出火したこと)の際、旧館二階当直看護婦や当直助産婦、夜警員が前記非常口施錠の解錠、新生児及び入院患者並びに付添人の救出あるいは避難誘導を迅速かつ安全確実に行うことができず、そのため、被告人野田は前記過失により旧館二階病室に入院中の患者のうち畠山イヨ(当時五三年)及び旧館二階新生児室に収容されていた新生児六名のうち三沢敏勝(昭和五二年一月八日生)と桜木正志(同年二月二日生)と桜井慶子(同月四日生)との三名の新生児を焼死させ、旧館二階病室に入院中の患者のうち落合禮子(当時二九年)に対し全治まで約三週間を要する右足関節血腫の傷害を負わせ、更に前記畠山イヨの付添人畠山義明(当五三年)に対し全治まで約二週間を要する両手挫傷、顔面火傷の傷害を負わせたものである、というのである。

2  そこで、一件記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討してみると、原審及び当審で取り調べられた関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 医療法人白石中央病院における被告人野田の地位及び職務内容

被告人野田は、昭和二六年ころ医師免許を受け、昭和三八年八月ころ、札幌市白石区平和通二丁目北八八番地に木造モルタル亜鉛メツキ鋼板葺一部二階建建物(旧館)を建築し、同所において個人病院白石中央病院(当時の診療科目は外科と産婦人科)を開設し、昭和四一年九月ころ、旧館の西側に鉄筋コンクリート二階建建物(以下、「新館」という。)を増築(新館は旧館と渡り廊下で接続する構造となつた。)し、総病床数を一一〇床に増やすとともに、診療科目を内科、外科、整形外科、産婦人科などに拡げ、間もなく、規模の拡大した右病院経営を法人化することにし、昭和四四年一一月一〇日医療法人白石中央病院(本件病院)を発足させた。本件病院においては、病院の経営及び管理部門について、会長、理事長、副理事長、常務理事、理事の各役員が設けられ、これらの役員の下で診療関係事務以外の事務全般を直接遂行する事務長(なお、事務長職は本件病院発足後常に充員されていたものではなく、常務理事がその職を兼ねることがあり、現に昭和五一年九月二五日以降は、常務理事の被告人大浦辰午が事務長を兼ねていた。)以下の事務職員がおり、また診療部門については、病院長、副病院長、各科医長、婦長、看護に関する各科責任者が置かれ、これらの管理職の指揮命令の下に医師、看護婦、助産婦その他の診療関係職員がそれぞれ各自の診療関係事務を遂行する組織となつており、本件当時病院の経営及び管理部門の職員が役員を除き二〇数名、診療部門の職員が医師を含め三〇数人となつていたが、以上のような組織の仕組み及び各職員の具体的な職務の分掌については、前記役員の種類とその概略的な職責に関する本件病院の定款を除くと、文章化された規程等は存在せず、従来からの慣例と上位と目される指揮監督者の個別的な指示とによつてその内容が定められていた。被告人野田は、本件病院発足以来、理事長兼病院長の地位を占め、理事長としては病院の経営及び管理部門全体を統括し、また病院長としては診療部門全体を監督する職責を負うべき立場にあつたが、日常の事務の執行の実情は、自ら医師として多数の入院患者や外来患者に対する診療に毎日の大部分の時間をあて、病院の経営及び管理部門に関しては、事務長(又は常務理事)以下の事務職員から求められた決済を登院後診療開始までの時間、昼の休憩時間又は診療の合い間などに処理し、診療部門の監督についても他の医長や婦長等の管理職にその分野ごとに事実上これを委ねており、人事や診療機構の変更などの重要な事項についてのみ最終決定を下す状況であつた。そして、病院の経営及び管理部門の事務の分掌については、昭和五二年二月当時、常務理事兼事務長の被告人大浦が、金額五万円までの建物管理、補修及び営繕、金額一万円までの物品購入並びにおおまかな庶務の処理について単独で決定施行することとされており、また、本件病院の防火、防災関係の事務については、昭和四六年ころまで、当時の近藤胤光事務長が消防法所定の防火管理者となり、同事務長が退職した後総務係職員伊藤幸信が右防火管理者の地位につき、同人が病気のため休職した昭和四七年ころから昭和五一年九月二五日までは南正(当初事務課長、昭和四八年四月ころから事務長)が防火管理者となり、それぞれ同法所定の事務を行うべき立場にあつたものであり、同人が同日本件病院を退職した後は、防火管理者となる資格を有する者が病気療養を終つてその当時既に復職していた前記伊藤のみであつたため、同年一〇月ころ、事務引継のために本件病院に来た南が伊藤に対して、防火管理者になるように申し渡し、伊藤も防火管理者となることを了承し、(しかし、南の防火管理者解任と伊藤に対する防火管理者選任との各届出は行われなかつた。)、じ来引き続き防火管理者(しかもただ一名の防火管理者)の地位にあつたものであり、このことは被告人野田及び南退職後事務長を兼ねることになつた被告人大浦も、いずれも、右の防火管理者交替のころから了知していたものである。ところで、本件病院に対して、所轄の白石保健所は、防災査察として毎年本件病院に対する立入検査を行い、昭和四八年一月二六日及び昭和四九年二月一五日に各実施した検査においては、新生児の避難体制を具体的に計画することを本件病院に対して要望したが、これに対し、常務理事の被告人大浦以下の事務職員及び後記大高総婦長らが原案を具体的に検討し、被告人野田がこれに決済を与えたので、新生児の避難用具として新生児搬出用担架二個を購入し、これを後記のとおり新生児室に備えつけるとともに、関係職員にこれを知らせ、かつ、新生児の避難先の病院をも選定するに至り、そのため、昭和五〇年度以降の立入検査においては、その点に関する不適合事項の指摘を受けることがなかつた。また、同保健所は、前記防災査察において、本件病院の旧館二階における非常口の施錠装置に関しても、昭和四八年度以降点検の対象として来たが、この点の検査に対し、本件病院としては、常務理事、事務長、総婦長らが、後記のように旧館二階の看護婦詰所の窓枠に右施錠を解錠するための鍵を関係職員に一目でわかるように明示して掛け、これを関係職員に周知徹底させることにしたので、本件病院は、同保健所からその点に関する不適合事項の指摘を受けることがなかつた。なお、本件病院の防火、防災関係の事務のうち、夜間や早朝時の夜警事務については、昭和四九年九月ころまでは、本件病院の事務職員が宿直してその事務を行つていたが、前記南事務長以下の事務職員において右夜警事務を警備会社に依頼する案を立て、被告人野田が最終的に承認決定することにより、同年一〇月一日ころ、本件病院と道都建物管理株式会社との間で、右会社が本件病院に夜警員を派遣して夜警事務を行わせることに関する契約が締結された。この契約の約定によれば、右会社から派遣される夜警員は、本件病院がその夜警員業務に関して設ける規定に従う(すなわち、その勤務中は本件病院の夜警に関する指揮下に入る)ほか、夜警員自ら(すなわち、本件病院からの指示を俟つことなく)、本件病院における火災に充分注意し、本件病院在院者の人命第一に勤め、かつ、本件病院に設置されている火災報知ベルが鳴る場合には、旧館一階事務室に設けられている後記火災報知盤を確かめ、これが指示する場所に赴き、火災発生の有無と出火場所とを確認し、火災発生を知つたときは本件病院の関係者や患者に火災発生と出火場所とを通報することがその職務とされており、前記会社は、そのころから、右契約に基づいて夜警員を本件病院に派遣するようになり、昭和五一年四月以降は、鈴木鼓(大正二年五月生)が本件病院に派遣されており、同人の夜警員としての勤務に対する本件病院側の指揮は、事務長以下の総務係職員が分掌していたものである。

更に、本件病院における看護婦及び助産婦(昭和五二年二月六日当時合計二九名)が行う看護業務(平日の就業時間中のもののみならず、休日、夜間及び早朝における当直中の業務を含む。)に対する指揮監督面の分掌については、本件病院発足当時から婦長であつた大高幸(同婦長は昭和四五年ころから総婦長)が看護婦、助産婦等の採用、教育、配属、勤務割など本件病院における看護業務関係全般に関する監督事務を直接担当しており、また旧館二階における産婦人科の看護業務については、産婦人科責任者として昭和五一年一一月末日まで飴谷助産婦、同年一二月一日から大屋敷美恵子看護婦が、右大高の指揮監督の下に産婦人科所属の看護婦及び助産婦の日常業務(夜間や早朝の当直時における当直業務を含む。)を指揮監督していた。

(二) 本件火災の発生

本件病院のボイラーマンとして本件病院のボイラーと暖房設備との操作や維持及び管理等の仕事に従事していた原審相被告人八木澤龍介は、昭和五二年二月六日早朝旧館第一階にある第一診察室に設置されている放熱器(ラジエーター)を点検した際、右放熱器が放熱していないのに気付き、右故障は右第一診察室の南側モルタル壁から戸外に突出しているドレンパイプ(暖房用配管の蒸気を抜くためのパイプ)が凍結しているために生じたと判断し、右パイプのうち雪庇に覆われていない露出部分(すなわち、右モルタル壁外側から戸外に突出している部分のうち右モルタル壁から約八センチメートル以内の部分)に圧電点火装置付ガストーチランプ(札幌高等裁判所昭和五五年押第六号の一)の炎を同日午前七時二〇分ころから約二分間にわたつて噴射したが、そのため、右トーチランプの炎又は右炎による高熱が右パイプと右モルタル壁との間のすき間(すなわち、右パイプを右モルタル壁に貫通させるために右モルタル壁にあけられた穴の外周と右パイプとの間の間隙)から右モルタル壁の内部に流入し、右モルタル壁の内部の可燃性物質(下地板等)が右トーチランプの炎又は右炎による高熱のため着火し、その火が間もなく右下地板等から前記第一診察室の壁体や柱や天井板等に燃え移り、その結果旧館が炎上したのである(本件火災)が、その当時右第一診察室に設置されていた火災感知器(熱感知器)が同日午前七時四九分ころ本件火災による高熱のため作動し、同時に、旧館二階パントリー(配膳室)にその当時設置されていた火災報知ベル(右火災感知器と連動しているもの)が鳴り始め、更に、それと同時に、当時旧館事務室に設置されていた火災報知盤(右火災感知器と連動し、ランプの点灯によつて出火場所を指示する装置)が、前記第一診察室付近で火災が生じた旨をランプ点灯によつて指示した。

(三) 旧館の構造及び避難設備

旧館二階平面図は別紙一のとおりであるが、これと同一縮尺の一階平面図は別紙二のとおりであり更に旧館の延床面積は約一〇九八・一八平方メートルしかなかつたから旧館二階はさして広くはなかつた。そして本件火災が発生した当時、旧館二階中央廊下北端には非常口(そこから、旧館屋外に設置されている非常階段を降りて地上に脱出しうるもの)が設置されていたが、右非常口の扉は常時屋内側から南京錠(札幌高等裁判所昭和五五年押第六号の八)で旋錠閉鎖されており、右南京錠の鍵は、常時、旧館二階看護婦詰所内の同詰所と新生児室を仕切る窓枠に、非常口を開扉するための鍵である旨を明示した札に結びつけて吊されており(同詰所に勤務する看護婦又は助産婦には一目でその所在がわかる状況であつた。)、又、右詰所の南隣にある(旧館二階南西隅にある)新生児室(右詰所から直接に出入りすることができた。)のなかに、新生児搬出用担架(看護婦又は助産婦が一名だけで操作しうるもので、一回の操作により三名ないし四名の新生児を搬出しうる構造のもの)が二個も備え付けられてあつた。

(四) 本件火災発生時における在院者

本件火災により前記火災報知ベルが鳴り始めた同日午前七時四九分ころ、

(1) 入院患者及び新生児として、旧館二階に、一号室と二号室と五号室から八号室までとの計六個の入院室に単独歩行困難者を含む合計二一名の婦人が入院しており、新生児室に新生児六名が収容されていた。

(2) 病院側職員として、旧館二階において当直看護婦一名(松浦法子)と当直助産婦一名(遠藤千恵子)とが勤務中(本件病院では午後五時から午前九時までは夜間当直勤務時間であつた。)であり、旧館一階ボイラー室付近で前記八木澤龍介が仕事中であり、旧館一階厨房で給食賄婦四名が作業中であり、他に、前記の夜警員鈴木鼓が旧館一階事務室で勤務中であつた。

(3) 更に、入院患者との個別契約で雇われていた付添婦一名(宮川とみ子)が旧館二階で稼働中であり、その他には入院患者畠山イヨの夫畠山義明が同女の付添人として、旧館一階事務室に来合わせていた。

(五) 本件火災発生後の病院側職員や夜警員及び付添者の行動

(1) 前記畠山義明と前記夜警員鈴木鼓とは、旧館一階事務室で前記火災報知盤が作動するや直ちに旧館一階第一診察室に赴いたけれども、

イ 夜警員鈴木鼓は右第一診察室で火災が生じているのを現認したのに、しかも旧館二階に新生児や入院患者が収容されているのを知つていたにもかかわらず、右第一診察室前付近に来合わせた給食賄婦に対し、火災発生の件を消防署に通報してもらいたい旨依頼したのみで、それ以外には何もしないで(右給食賄婦以外の者に本件火災の発生を知らせる行動―例えば「火事だ。」と叫ぶこと―にすら全く思いを及ぼさず。右行動に出ることなく)旧館から脱出してしまい、夜警員としての責務を何ら行わなかつた。

ロ 畠山義明は、消火器を携行して第一診察室に駈け付けた給食賄婦から消火器を受け取つて第一診察室のなかに入り、消火器二本位を使用して同室内での消火活動をしたけれども火勢が強くなる一方であつたため消火を断念して、畠山イヨが在室している旧館二階八号室に駈け上り、同女に身仕度をさせた上、同女を抱えて旧館二階非常口のそば(屋内側)まで来たが、右非常口の扉が前記南京錠で旋錠閉鎖されていたため、右扉の上部にある金網入り窓ガラスを手拳や所携のバツクで破り開けて脱出口を作り、まず自分が右脱出口を経て屋外非常階段最上部踊場に脱出し、更に屋内の畠山イヨを右脱出口から右踊場に引き出そうと懸命に尽力したけれども、屋内の火勢が強まつて火災が畠山義明の顔面に襲いかかつて来たため遂に涙をのんで畠山イヨの救出を断念し、同女を屋内に残したまま、自分は右非常階段を降りて地上に辛うじて到達し、ようやく自己の一命をとりとめた。

(2) 前記当直助産婦遠藤千恵子と前記当直看護婦松浦法子と前記付添婦宮川とみ子との三名はいずれも、前記火災報知ベルが鳴り始めるのと同時に右ベル吹鳴に気付き、直ちに、右報知ベル設置個所すなわち前記パントリーに集つたけれども、遠藤千恵子と松浦法子との両者は、これまで実際には火災が生じていないのに右報知ベルが吹鳴しているのを耳にしたことを経験していたため、本件火災のときにも、実際には火災が生じていないものと速断した上その旨宮川とみ子に伝え同女もしばらくの間右言辞を軽信し、その結果右三名は右火災報知ベルの吹鳴停止ボタンの所在を話し合つたり右ボタンの所在を探したりしていたが、右ボタンの所在を探し当てることができず、

イ 宮川とみ子は、右報知ベルの吹鳴の原因を知ろうとして旧館二階南側階段から旧館一階に降りてその模様をうかがい、そこで初めて本件火災の発生に気付き、急拠旧館二階に立ち戻り、担当患者を含む入院患者に本件火災の発生を知らせ、右入院患者の避難誘導に尽力した。

ロ 遠藤千恵子は、宮川とみ子が前記のとおり旧館一階の模様をうかがいに降りたころ用便のため旧館二階西北隅にある便所に入つたが、右入院患者数名が宮川とみ子からの前記告知又は松浦法子からの後記の告知によつて本件火災の発生を知り避難に取りかかつた物音を用便中に耳にしたので初めて異常を知り、急いで右便所から出てその足で旧館二階南西隅にある新生児室に駆け込み、右新生児室内に収容されていた新生児六名のうち三名を抱きかかえて旧館二階廊下北端まで引き返し、前記非常口の扉を開けようと試みたが、右扉が前記南京錠で旋錠閉鎖されていたため、そのとき茫然自失の状態で右扉の屋内側付近に立ち竦んでいた松浦法子に、抱きかかえて来た前記新生児三名を手渡した上右非常口の横の窓から屋外非常階段まで脱け出し、屋外で順次松浦法子の手から右新生児三名を受け取り右三名を地上に救出したが、これが遠藤千恵子が本件火災発生を知つた後になし得た精いつぱいの救出行為であつた。

ハ 松浦法子は、遠藤千恵子が前記のとおり便所に入つたころ、前記報知ベルの音を聞き付けて旧館二階廊下に出て来ていた入院患者数名に「火事ではありませんから落ちついてください。」などと答えたのみで出火の有無や出火場所を確認することは何もしなかつた(松浦法子自身は、火災が発生していないと信じ込んでいた)けれども、その後間もなく旧館二階看護婦詰所に戻ろうとした際右詰所のすぐ北側にある旧館二階南側階段から薄く煙がのぼつてくるのを認め、そのときに初めて本件火災の発生を知つたけれども、前記非常口の開扉に全く思いをめぐらさず、ただ旧館二階の入院患者に対し、火災が発生したから退避してもらいたい旨各病室ごとに触れまわり退避の必要を通報したが、その際入院患者の一人から「赤ちゃんをどうするのか。」と尋ねられ、「私たちが救出します。」と答えたのに、しかもそのとき直ちに非常口の開扉及び新生児搬出の行動にとりかかるならば、前記看護婦詰所に駈け込んで非常口開扉用の鍵を取り出し、これを携行して隣りの新生児室に飛び込み、同室に収容中の新生児のうち少なくとも三名を前記新生児搬出用担架で前記非常口のそばまで搬出し、すぐに右非常口を開扉し、そこから新生児三名を屋外に救出するという時間的余裕が十分にあつたにもかかわらず、右行動に移らなかつたのみならず、有効な救出活動又は避難誘導活動を何ら行わず他の病室に触れまわるなど無意味な行動に終始しつつ旧館二階内をうろうろしており、その間急速に旧館二階に煙が立ちこめ、この事態の変化に狼狽したため前記非常口の屋内側付近で立ち竦み、前記遠藤千恵子に促がされて、同女が前記ロのとおり右非常口の扉の屋内側付近まで抱きかかえて来た前記新生児三名の救出に、前記ロのとおり手を貸した(それも遠藤千恵子からいわれて、ようやく手を貸した)だけで、当直看護婦としての責務をほとんど果さなかつた。

(3) 本件火災発生後、病院側従業員のうち旧館二階に来た者は、前記(1)と同(2)とに記載した者以外にはなく、その他の従業員は旧館一階で消火活動に従事したり新館内に退避もしくは滞留していたりした。なお、本件火災に関する外部への通報は前記給食賄婦のうちの一人である斉藤孝子が旧館一階事務室から電話で本件病院事務職員ト部彪方に連絡することによつて初めて行われ、この電話を受けたト部彪は、同人の妻を介して被告人野田方居宅に電話をし、同被告人の妻が同日午前七時五四分ころ消防署に電話で本件火災の発生を通報した。

(六) 夜警員及び当直看護婦による結果回避可能性

(1) 本件火災による死傷の発生状況

本件火災発生当時旧館にいた入院患者及び新生児並びに付添人のうち本件火災によつて死亡したものは前記畠山イヨと前記新生児室のベツドの中で本件火災発生以前から本件火災が終熄した時点まで誰からも動かされないまま放置された新生児三名との四名であり、本件火災によつて負傷したものは前記畠山義明と入院患者落合禮子との二名であり、以上の六名を除くと本件火災による死傷の結果は生じなかつた。そして、畠山イヨは、前記(五)(1)ロのとおり畠山義明に抱えられて前記非常口のそばの屋内側まで辿りついたけれども、この非常口の扉が施錠閉鎖されていたため、脱出することができず、そのため旧館二階北西隅の洗面所において焼死し、右新生児三名は、右のように放置されたことにより新生児室のベツドの中でそれぞれ焼死したものであり、畠山義明は、右非常口から屋外に脱出せんがためその扉の上部窓ガラスを破り開け、屋外から畠山イヨを引き出そうとした際に両手挫傷顔面火傷の傷害を受けた(それ以外に同人の負傷はなかつた。)ものであり、落合禮子も右非常口の扉が施錠閉鎖されていたためこの非常口の横の窓から屋外に飛び降りて脱出した際その衝撃により右足関節血腫の傷害を受けた(それ以外には同女の負傷はなかつた。)ものであり、右六名以外の者は負傷することなく全員無事脱出した。従つて、右各死傷の結果は、新生児について放置、その余の者三名については右非常口の扉が施錠閉鎖されていたことによるものにほかならない。

(2) 前記夜警員鈴木鼓が第一診察室前付近に赴いて本件火災が発生していることを知つた時に、火災発生を知らせる行動、例えば「火事だ。」と叫ぶ行動にさえ出ていれば、旧館二階に勤務する当直看護婦松浦法子や当直助産婦遠藤千恵子は、前記のように本件火災の発生を覚知するまでに無為の時間を空費することなく火災発生の事実を知り(約二分位早く覚知し得た。)時間的にも精神的にも相当十分な余裕をもつて看護婦詰所に掛けられている前記の鍵を使つて前記非常口の扉を開くことに思いを致し、かつ、これを実行して旧館二階の入院患者やその付添人のために避難口を確保するとともに、新生児を前記新生児室に備えつけられている新生児搬出用担架に収納して搬出する手段があることを想起し、かつ、この手段により、又は抱きかかえる方法により新生児を搬出することを実行し、もつて、前記の付添婦宮川とみ子及び畠山義明の救出活動と相俟つて、新生児六名を含む旧館二階の入院患者全員及び畠山義明を無事救出することができたはずであつたといえるところ、右鈴木は、前記のような夜警員業務に従事中であり、しかも、既に九か月以上もの間本件病院に継続して派遣され、旧館内部の構造、旧館二階に当直看護婦や当直助産婦が在勤していること及びその勤務場所(看護婦詰所)を熟知していたものでもあるから、前記公訴事実のような火災発生の場合に備えた具体的対策が定立されていなくても、更にはこれに基づく訓練を受けていなくても、本件火災の発生を覚知した時に、右の当直看護婦に対して、少なくとも「火事だ。」と大声で叫ぶなどしてこれを通報することは、その職務上当然になすべき最少限のことがらに属し、かつ、そうすることが極めて容易であつたものであり、同人がそのように「火事だ。」と叫ぶ行動に出ることについてその当時妨げとなる事由は全く存在しなかつた(右鈴木が驚愕の余り声も出ないという状態になかつたことは、同人が第一診察室前付近に来合わせた給食賄婦に対して火災発生を消防署に通報するように依頼した事実のみによつても明白である。)。

(3) 前記当直看護婦松浦法子は、前記のとおり本件火災の発生に気付いた時に、あるいは更に、前記のとおり「赤ちやんは私たちが救出します。」と入院患者に告げた直後において、すぐその場所で旧館二階の病室の方に向つて「火事だから直ちに避難して下さい。」と大声で叫び、直ちに看護婦詰所に入つて前記非常口扉の鍵を手にしたうえ、隣室の新生児室に入り前記新生児搬出用担架を用いる等して新生児のうち三名だけでも搬出して右非常口に至り、その扉を開いたとすれば、前記遠藤千恵子及び宮川とみ子並びに畠山義明の各救出活動と相俟つて、旧館二階にいた入院患者及び新生児並びに付添人の全員を安全に救出することができたところ、松浦法子が右の行動に出ることが十分可能であつたことは、<1> 同女が右の行動を本件火災による煙や焔が襲いかかつてこないうちに完了するに足りる時間的余裕があつた(現実に同女が火災を覚知した時よりも遅れてそれを覚知した遠藤千恵子が前記新生児室に駈け込む際には、本件火災による煙がまだそれ程旧館二階には立ちこめておらず、また火焔も立つておらず、同女はもう一度同室に来ることができると判断していた程であつた。)こと、<2> また松浦法子は、右非常口の扉が常時内側から施錠され、その鍵が前記のように看護婦詰所内の窓枠に明示して掛けられていたことを知つていたのであるから、旧館二階に勤務する看護婦として、前記公訴事実のような火災発生の場合に備えた具体的対策が定立されていなくても、更にはこれに基づく訓練を受けていなくても、同階の入院患者に危難が迫つてこれらの者を退避させなければならないときには右鍵を用いて右非常口の扉を開いてその退避口を確保すべきことを常時念頭におき、いつたん緩急あるときは直ちにこれを実施すべき心構えを涵養しておくことが当然であつたこと、<3> とりわけ自ら何らの意思表示もできず、自力歩行も不可能な新生児が入院している同階に勤務しているのであるから、右のような具体的対策が定立されていなくても、更にはこれに基づく訓練を受けなくても、のみならず、誰から教えられることがなくても、火災等の危難が発生した場合にまず新生児の救出行動に出るべきことを常時念頭におくのが当然であるばかりか、従つてその存在を知つていた前記新生児搬出用担架の操作方法(極めて簡単であつて右担架の一端の輪を首にかけ、袋の中に新生児を入れれば足りる。)を自発的に身につけ、いつたん緩急あればこれを使用できるように心掛けておくのが当然であつたこと、<4> そしてまた、同女が本件火災発生当時未成年(満一八歳)で、通信教育により看護婦資格を取得したにすぎず、看護婦としての経験がさほど長くなかつたとしても、本件火災当時まで、五か月以上も旧館二階の看護婦詰所で産婦人科看護婦として勤務しており、しかも、同詰所に勤務するようになつてから、上司看護婦から、万一の際には新生児の生命の安全確保が第一義的義務であることを訓諭されていたのであるから、以上の諸点を念頭におき、かつ、心掛けることについて何らの支障もなかつたこと、に徴し明らかである。

(4) 従つて、前記畠山イヨら四名の焼死及び落合禮子ら二名の負傷は、本件火災発生後の本件病院側の救出活動という側面から見る限り、まず、前記当直看護婦松浦法子が前記(3)に記載した行動をすることによつてその発生を防止することができたのみならず、前記夜警員鈴木が前記(2)に記載した行動をすることによつて一層確実にその発生を防止することができたものである。

(七) 被告人野田の予見可能性

被告人野田の地位及び職務内容は、前記(一)のとおりであり、従つて、本件病院に派遣されていた夜警員鈴木が本件病院と警備会社との間の前記契約に基づく義務を誠実に履行してくれるものと期待し、その期待が許されたものである。すなわち、右鈴木が右契約に基づきその夜警員業務に従事する職責を担うばかりでなく、本件火災の発生を知つた時に、前記(六)の(2)に記載した行動に出ることは、同人がその際になすべき最少限の極めて容易な職務行為であるから、前記公訴事実のような火災発生の場合に備えた具体的対策が定立されていなくても、これに基づく訓練が実施されていなくても、同人は職業人として当然右の行動に出るべきであり、かつ、それが十分可能であり、従つて本件病院の理事長である被告人野田としては、右鈴木が右の行動に出ることを当然に予見し、かつ期待することが許された(換言すれば、同人が右のような最少限の職務すら果さないで出火場所である第一診察室前を離れ、そのまま旧館から脱出してしまうかもしれないということについての予見可能性は肯認されない)というべきである。また、被告人野田は、永年医師として看護婦に接してきた関係上、本件病院の産婦人科看護婦たるものすべてが、火災発生の場合何を措いてもまず第一に新生児搬出と前記非常口の開扉とを迅速確実に行つてくれるものと期待すること(前記松浦法子に対してもそのように期待すること)が許された。すなわち、同女が、新生児及び単独歩行が困難な患者を含む入院患者並びにその付添人ら多数が在院している旧館二階の産婦人科看護婦の地位にあり、かつ、本件火災当時、その旧館二階看護婦詰所において当直勤務に従事していたのであるから、前記公訴事実のような火災発生に備えた具体的対策が定立されていなくても、更にはこれに基づく訓練を受けていなくても、同女が本件火災の発生を覚知した時に、職業人として当然前記(六)の(3)に記載した行動に出るべきであり、かつ、それが可能であつたうえ、同女が右の行動に出ることについて本件病院においては総婦長、産婦人科責任者という上司看護婦が日常教導指示すべき組織となつていたものであるから、本件病院の理事長兼病院長である被告人野田としては、同被告人がことさらに上司看護婦に注意を喚起するまでもなく、上司看護婦が右松浦に右の行動に出るべきことについて日常教導指示していることを期待することが許されたし、更に右松浦が右教導指示に基づき、あるいは職業人としての自覚(右教導指示がなくても当然に抱懐すべき自覚)により右の行動に出ることを予見し、期待することが許された(換言すれば、同女が右の行動に出ないかもしれないということについての予見可能性は肯認されない)というべきである。そして、被告人野田が、前記鈴木や右松浦に対し、右の期待を抱くことを不合理不自然であるとすべき特段の事情(性格、能力、経験年数及び在勤年数の如何等)は存在しなかつた。

3  右の認定事実に基づいて、被告人野田に対する前記公訴事実のような業務上の注意義務の存否について検討すると、被告人野田は、本件当時、本件病院の理事長兼病院長として、本件病院の経営及び管理部門全体を統括し、診療部門全体を監督する職責を担つており、旧館出火の場合に備えて新生児及び入院患者並びに付添人の救出や避難誘導に関する職責をも当然負担していたといわざるを得ないけれども、本件病院の理事長ないし病院長としての立場から考えるとき、当直看護婦や夜警員が当然果してくれるものと予想されるような出火通報、非常口開扉及び新生児搬出などの救出活動ないし避難誘導活動が現実に実行されないであろうという場合までも考慮に入れて火災発生に備えた対策を定めなければならないとまでいうのは行過ぎといわざるを得ない。すなわち、検察官が本件死傷者六名の死傷事故につき理事長兼病院長である被告人野田の過失として捉えている注意義務は、出火の際の救出活動や避難誘導活動について人員の質(対策の定立とこれに基づく訓練の実施が経由されていること)及び量(当直人員の増員)の拡充と物的設備の改善(非常口扉の改造又は右の扉の鍵の携行)とに尽きるところ、かかる拡充改善の措置をすることを刑法上の業務上の注意義務として要求するには、既存の当直人員の質及び量並びに既存の物的設備の下で、従業員が当然に果すであろう救出活動ないし避難誘導活動によつてもなお回避不能とみられる死傷事故に対する関係においてはじめて肯定されるべきものに過ぎないというべきであり(この意味において、被告人野田に対する検察官主張の注意義務は、例えば、原審相被告人八木澤に求められている注意義務とか被告人大浦についての予備的訴因で主張されている注意義務、すなわち出火防止義務における予見義務の範囲とは、質的にも量的にも異るというべきである。)、そして、前認定のとおり、本件火災により発生した前記六名の死傷という結果については、当時の当直人員の質及び量並びに当時の物的設備の下で回避不能であつたとは認められないから、被告人野田については、公訴事実で主張されているような結果回避措置をあらかじめ講じておかなければならないとすることの前提となるべき客観的予見可能性が欠落し、従つて同被告人に前記六名の死傷という具体的結果に対する予見義務を負わせることができない道理であり、結局本件死傷事故につき同被告人には業務上過失致死傷の責を問うことはできないと判断される。

4  以上の次第で、被告人野田に対する本件公訴事実中、業務上過失致死傷の点は、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

第四被告人大浦に対する裁判

原判決のうち被告人大浦に関する部分も前判示のとおり職権破棄を免れないが、同被告人に対しては、当審において検察官から予備的訴因の追加の請求があり、右予備的訴因は、別紙三のとおりであり、同被告人に対する起訴状記載の訴因と公訴事実の同一性があると認められるので、右請求を許さざるを得ず、当裁判所はこれを許可したのであるが、前記死傷者六名の死傷という結果発生に関する同被告人の過失責任の存否を判断するためには、右予備的訴因を構成する事実関係の存否について更に検討を加えなければならないと判断されるところ、右予備的訴因をめぐつて予想される当事者双方の攻撃防禦の性質、内容等にかんがみると、原裁判所で更に審理を尽すのが相当であると認められ、結局現時点においては訴訟記録並びに原裁判所及び当裁判所で取り調べた証拠のみでは直ちに裁判をすることができないといわざるを得ず、同被告人に対する関係では刑事訴訟法四〇〇条本文により本件業務上過失致死傷被告事件を原裁判所である札幌地方裁判所に差し戻すこととする。

よつて、主文のとおり判決をする。

(裁判官 山本卓 藤原昇治 雛形要松)

別紙一及び二 (略)

別紙三 被告人大浦に対する追加された予備的訴因

被告人大浦辰午は、本件病院に設備された暖房用パイプが厳冬期において凍結することがあるため、これが溶解のため圧電点火式トーチランプを使用することとなつたが、右トーチランプの炎は容易に可燃物に着火して燃焼させるきわめて高熱なものであり、本件病院の旧館建物の直近においてこれを使用するときは、板壁等に着火する危険が大であつたから、旧館建物の直近にある暖房用パイプが凍結した場合には、熱湯を右パイプに注ぐなどの方法で融解させ、右トーチランプの使用を避けるようにするとともに、やむなくトーチランプを使用する場合は、炎を板壁から離れた箇所に噴射して、万一にも板壁等に着火することのないように配意するとともに、作業終了後は同部位付近を点検するなどの事項を担当職員に指示してこれを遵守させ、もつて火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠つた過失により、本件火災を発生させ、本件死傷の結果を生ぜしめたものである。

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